神前読経その2、(大山光淳「神仏交渉史」
神前納経の例
神社への納経、神前読経は本時代(平安)に及びて益々盛んに行われた。
・日本後紀巻十七大同四年(809)正月十八日乙未には「天下諸国名神のために大般若経一部を写して奉読供養し国分寺に安置せしむ。もし国分寺なければ定額寺においてせよ」とあり、
・類聚国史巻五には天長六年(829)五月十九日僧十口をして八幡大菩薩宮寺に一切経を転読せしめられ、同十年(833)十月戊申二十八日には「去る景雲の年(767から9)八幡大菩薩の告げにより、天長年中大宰府に仰せて一切経を写得し是を弥勒寺に安置し更に復一通を写さしめて神護寺に置くとあり、」
・三代実録巻二貞観元年(859)二月十五日の条には「越前の国司に詔して大般若経一部を写し気比神宮寺に安置」し、朝野群載巻十六に出す石清水八幡宮護国寺貞観五年正月の文書によれば、かの行教(八幡の創設僧)は貞観元年宇佐宮へ参詣し一夏九旬の間祇候し、昼は大般若経を転読し、夜は真言密教を念誦したのであるが、さらに宣旨をうけて同三年正月三日より二十七日に至る二十四日間、夜は僧百一人を請じて御願のために大般若経二部、金剛般若経一万一千六百五十巻、理趣般若経百三十六巻、光明陀羅尼七万五千遍をよみ奉り、また大菩薩の成等正覚と鎮護国家のために一切経を書写しようと発願した。
・弘安九年(1286)の記になる通海の大神宮参詣記には,仁明天皇は壱演僧正を招いて神宮御祈りのことを仰せられ、毎日金剛般若経三十巻を転読させ、
清和天皇は大法師南忠を召して神宮へ法施し奉るよう仰せられ、法華・仁王両部の経を転読し毎年大神宮へ参詣させられ、
醍醐天皇は大法師良緒を召して同じく御祈りを仰せられ、毎日華厳経・大般若経各二巻を転読し四季に当宮へ参詣させられる、と記す。
神前納経の例
神社への納経、神前読経は本時代(平安)に及びて益々盛んに行われた。
・日本後紀巻十七大同四年(809)正月十八日乙未には「天下諸国名神のために大般若経一部を写して奉読供養し国分寺に安置せしむ。もし国分寺なければ定額寺においてせよ」とあり、
・類聚国史巻五には天長六年(829)五月十九日僧十口をして八幡大菩薩宮寺に一切経を転読せしめられ、同十年(833)十月戊申二十八日には「去る景雲の年(767から9)八幡大菩薩の告げにより、天長年中大宰府に仰せて一切経を写得し是を弥勒寺に安置し更に復一通を写さしめて神護寺に置くとあり、」
・三代実録巻二貞観元年(859)二月十五日の条には「越前の国司に詔して大般若経一部を写し気比神宮寺に安置」し、朝野群載巻十六に出す石清水八幡宮護国寺貞観五年正月の文書によれば、かの行教(八幡の創設僧)は貞観元年宇佐宮へ参詣し一夏九旬の間祇候し、昼は大般若経を転読し、夜は真言密教を念誦したのであるが、さらに宣旨をうけて同三年正月三日より二十七日に至る二十四日間、夜は僧百一人を請じて御願のために大般若経二部、金剛般若経一万一千六百五十巻、理趣般若経百三十六巻、光明陀羅尼七万五千遍をよみ奉り、また大菩薩の成等正覚と鎮護国家のために一切経を書写しようと発願した。
・弘安九年(1286)の記になる通海の大神宮参詣記には,仁明天皇は壱演僧正を招いて神宮御祈りのことを仰せられ、毎日金剛般若経三十巻を転読させ、
清和天皇は大法師南忠を召して神宮へ法施し奉るよう仰せられ、法華・仁王両部の経を転読し毎年大神宮へ参詣させられ、
醍醐天皇は大法師良緒を召して同じく御祈りを仰せられ、毎日華厳経・大般若経各二巻を転読し四季に当宮へ参詣させられる、と記す。