神前読経の必要性。聖徳太子作と伝えられる「説法明眼論」に般若心経の神前読誦を進めています(注1)。また大山光淳師も「修法の時般若心経を読誦して神明に法味をささげその威徳をまして擁護を願う(注2)」としています。
・(注1)「説法明眼論」に般若心経の神前読誦を進めています。「神分品第十一
此について五種の別あるべし。
一、勧請神分 必ず須く権実の諸神を勧請し奉るべきが故なり。
二、除障神分 守護神の念力によって天魔の障碍を除くべきが故なり。
三、顕本神分 修善の力によって本地を顕し威光を倍増するが故なり。
四、和合神分 本跡の和合に依って二世の悉地を満足すべきが故なり。
五、供養神分 以前の四種によって諸天竜神等をして喜ばしめて供養礼拝讃嘆するがゆえなり。
問うて曰く、五種の神分何が故にか般若心経をもちふるや。
答えて曰く、設ひ何の経をもちふとも別して一経を指さば、この難定んで来るべし。中について般若の妙理を用ふるにその深心あり。その深意とは、六天の魔王、三界の衆生の数を減ることを、歎じて種種の方便をめぐらせて衆生をして六道を輪廻せしめんと擬す。故に人にして善心を発し仏事を修するものは、必ず三界を出つべし。三界を出ては必ずその数減ずべし。是を以って仏事を修するのところにおいてその障碍を成ず。如来このことを悲しみて方便して無眼耳鼻舌身意と説き無色声香味触法と説きたまふ。魔民この説を聞きて深く禁忌をなして自ら念言す。仏すでに六根六識六境無しとときたまふ。仏は是三達の大聖、不妄語の真人なり。如来十八界無しと説きたまふ。吾何者か障碍せんと。この念をなすとき、魔王三業柔和にして本居の宮殿に退帰す。このとき善神、歓喜して法味を聴受し、三宝力を得て施主を守護したまふ。
問うていわく、般若心経のわずかに一紙に欠けるを猶もって功徳莫大にして、魔防を除く、なんぞいわんや諸部の般若を用いる功徳をや。
答えて曰く、諸部の般若をもちふることそのその理しかるべしといえども、読誦するにいとまあらず、いわんや又、此の経一紙の内に諸部の深義を含む。小巻のなかに萬蔵の奥義を含む。萬徳恒沙の功徳、一時に顕現し、三世の如来の本心、一字にしてとり拉(ひしぐ)。このごときの功能此の経にしかず。
問うて曰く、心経をもって諸神に法楽することその理しかるべし。若ししからば不浄の身を以て、説法の人般若心経を法楽せば諸神必ず守護を加ふべきやいなや。
答えて曰く、この問最も至要なり。凡夫見前の不浄のごときは酒肉五辛を食して宿を歴ず妊欲を行じて浄水に浴せず。ここを以て不浄となす。これは是智者愚者通用の威儀なり。このごとくの不浄を以て法衣を着、佛室に入り説法することはこのことわりあることなし。聖知見の浄不浄はしからず、愚痴をもって不浄の中の大不浄となす。・・」とあります。
実際、塙保己一は34才で『群書類従』の出版を決心した時、北野天満宮に『般若心経』100巻を千日間あげて完成を祈願し、その結果見事に完成しています。
・(注2)大山光淳「神仏交渉史」では「(密教修法の中にある)『神分』とは神下(こうおろし」とも名ずけ修法の時般若心経を読誦して神明に法味をささげその威徳をまして擁護を願うを趣旨とする。
「神」とは密教における曼荼羅の外金剛部及び本朝の大小神祇等、すべて権実二類の諸天善神を指し、
「分」とは法施を諸神に分与するの義と解する。
凡そ一切の諸神及び三界の五類諸天(胎蔵曼荼羅の一番外、外金剛部におられる上居天(色無色界天)・虚空天(欲界の夜摩天・都史多天・楽変化天・他化自在天)・地居天(四天王・忉利天)・遊虚空天(日月星宿の天)・地下天(龍・阿修羅・閻魔天等)の五)は皆な法身如来なる最高神が衆生化導のために随所随時に顕現する等同流類の分身であって各々に仏法擁護の誓いがある故、それを驚愕して本願を憶念せしめ法味をささげて歓喜法悦を得しめて威光倍増を祈るのである。
・(注1)「説法明眼論」に般若心経の神前読誦を進めています。「神分品第十一
此について五種の別あるべし。
一、勧請神分 必ず須く権実の諸神を勧請し奉るべきが故なり。
二、除障神分 守護神の念力によって天魔の障碍を除くべきが故なり。
三、顕本神分 修善の力によって本地を顕し威光を倍増するが故なり。
四、和合神分 本跡の和合に依って二世の悉地を満足すべきが故なり。
五、供養神分 以前の四種によって諸天竜神等をして喜ばしめて供養礼拝讃嘆するがゆえなり。
問うて曰く、五種の神分何が故にか般若心経をもちふるや。
答えて曰く、設ひ何の経をもちふとも別して一経を指さば、この難定んで来るべし。中について般若の妙理を用ふるにその深心あり。その深意とは、六天の魔王、三界の衆生の数を減ることを、歎じて種種の方便をめぐらせて衆生をして六道を輪廻せしめんと擬す。故に人にして善心を発し仏事を修するものは、必ず三界を出つべし。三界を出ては必ずその数減ずべし。是を以って仏事を修するのところにおいてその障碍を成ず。如来このことを悲しみて方便して無眼耳鼻舌身意と説き無色声香味触法と説きたまふ。魔民この説を聞きて深く禁忌をなして自ら念言す。仏すでに六根六識六境無しとときたまふ。仏は是三達の大聖、不妄語の真人なり。如来十八界無しと説きたまふ。吾何者か障碍せんと。この念をなすとき、魔王三業柔和にして本居の宮殿に退帰す。このとき善神、歓喜して法味を聴受し、三宝力を得て施主を守護したまふ。
問うていわく、般若心経のわずかに一紙に欠けるを猶もって功徳莫大にして、魔防を除く、なんぞいわんや諸部の般若を用いる功徳をや。
答えて曰く、諸部の般若をもちふることそのその理しかるべしといえども、読誦するにいとまあらず、いわんや又、此の経一紙の内に諸部の深義を含む。小巻のなかに萬蔵の奥義を含む。萬徳恒沙の功徳、一時に顕現し、三世の如来の本心、一字にしてとり拉(ひしぐ)。このごときの功能此の経にしかず。
問うて曰く、心経をもって諸神に法楽することその理しかるべし。若ししからば不浄の身を以て、説法の人般若心経を法楽せば諸神必ず守護を加ふべきやいなや。
答えて曰く、この問最も至要なり。凡夫見前の不浄のごときは酒肉五辛を食して宿を歴ず妊欲を行じて浄水に浴せず。ここを以て不浄となす。これは是智者愚者通用の威儀なり。このごとくの不浄を以て法衣を着、佛室に入り説法することはこのことわりあることなし。聖知見の浄不浄はしからず、愚痴をもって不浄の中の大不浄となす。・・」とあります。
実際、塙保己一は34才で『群書類従』の出版を決心した時、北野天満宮に『般若心経』100巻を千日間あげて完成を祈願し、その結果見事に完成しています。
・(注2)大山光淳「神仏交渉史」では「(密教修法の中にある)『神分』とは神下(こうおろし」とも名ずけ修法の時般若心経を読誦して神明に法味をささげその威徳をまして擁護を願うを趣旨とする。
「神」とは密教における曼荼羅の外金剛部及び本朝の大小神祇等、すべて権実二類の諸天善神を指し、
「分」とは法施を諸神に分与するの義と解する。
凡そ一切の諸神及び三界の五類諸天(胎蔵曼荼羅の一番外、外金剛部におられる上居天(色無色界天)・虚空天(欲界の夜摩天・都史多天・楽変化天・他化自在天)・地居天(四天王・忉利天)・遊虚空天(日月星宿の天)・地下天(龍・阿修羅・閻魔天等)の五)は皆な法身如来なる最高神が衆生化導のために随所随時に顕現する等同流類の分身であって各々に仏法擁護の誓いがある故、それを驚愕して本願を憶念せしめ法味をささげて歓喜法悦を得しめて威光倍増を祈るのである。