「霊魂」の「霊」は不滅であり、「魂」は生滅するもの。
「絶対の大霊と分子なる小霊即ち人の心とは恰も水と浪との如く水は浪にあらざるも浪は水を離れては無い。外見すれば衆生は生滅の生物なれども本来不滅の大霊を離れて存在は出来ぬ。然らば生滅の衆生心と不生不滅の大霊とはその裏面において不可離の連絡を有っているに相違ない。カント等も云っている。吾人が僅か八十年の生命は永劫不滅の大生命の一分現象であると。吾人が . . . 本文を読む
「陰徳あれば必ず陽報あり」(淮南子・人間訓)
「聖王、徳を布き恵を施すは、其の報を百姓に求むるに非ざるなり。郊望(こうぼう・自然を祀る)禘嘗(ていしょう・先祖を祀る)するは、福を鬼神に求むるに非ざるなり。
山は其の高きを致して雲起り、水は其の深きを致して蛟竜生じ、君子は其の道を致して福禄帰す。
夫れ陰徳有る者は必ず陽報有り、陰行有る者は必ず昭名有り。」
お釈迦様ですら福を求められたことが増一阿 . . . 本文を読む
大山公淳師「密教観法の研究」より、
「法身といえば宇宙霊性の絶対的権威である。時間空間を超越して久遠なる実在である。各個人の生活の奥底には必ずかかる実在的生命の躍動がある。これにむかってまっしぐらに進みさえすればよいのである。・・なにが人生最大の歓喜だといってもこの法身の実在を体得し我の全体が彼に生き、彼の全体が我に生き、彼此無二なるを得た位の歓喜は他にありうべきものではない。無限に伸びんとし、拡 . . . 本文を読む
今日は日食ということで夏至に日蝕があるのは珍しいと言って浮かれる向きもあるようですが、こういうときほど身を慎むことが必要です。
6月21日は宿曜経でいう昴宿で、この昴宿の時に蝕がおこるのは不吉とされています。
摩登伽経に「月、昴宿に在り、若し蝕有らば、中国災多く、災禍必ず起らむ。」とあります。
そうでなくとも古来蝕は不吉とされ祭りなどを中止し延期してきました。
例えば、
三代実録 ・元慶元年(8 . . . 本文を読む
・「どんな時も、人生には意味がある。
あなたを待っている〝誰か〟がいて、あなたを待っている〝何か〟がある。
そしてその〝何か〟や〝誰か〟のためにあなたにもできることがある。(ピーター・フランクル)」
・「お前さんの法力などたいしたことはないのだから、とにかく近くにいる人を幸せにしてあげなさい。(「法光」に出ていたある禅僧が弟子に与えた言葉)」。
・「一人の人を助けおおせたら 人生の目的を達したと . . . 本文を読む
JSMワード著、浅野和三郎東大教授訳の『死後の世界』ではこの世で恨みを残している死者の魂が「悪霊」となり次々と相手に取りついて人生を破たんさせる様子が描かれていました。s最近の世界を見て、こういう「悪霊」が地球規模で増長してきているのではないか、とさえ思わせられます。憎悪は憎悪を呼び起こします。世界は大変危険な状態になっています。何とかしなければなりませんが、非力な自分には何もできないと切歯扼腕し . . . 本文を読む
神泉苑の祇園御霊会疫病退散祈願動画がありました。まさに神仏一体で祈願されており必ず霊験有りと思われました。
「祇園祭り」は疫病退散の「御霊会」が元となっていますがその濫觴は三代実録にあります。
『三代実 録』貞観五年(863年)五月二十日(神泉苑における「御霊会」が、朝廷で行われた 初見の史料)。
「神泉苑において御靈會を修す。左近衛中將從四位下藤原朝臣基經・右近衛權中將從四位下兼行内藏頭 . . . 本文を読む
平沢興(元京大学長、念仏者)の言葉に「人生九十を超えたら神仏と話す時間を多くすることだ。」というのがありました。九十を超えなくても何歳でも神仏と話す時間を多くすることは出来ます。神仏は自分の胸の中にいつもいらっしゃるのですから。 . . . 本文を読む
賢愚経巻第六・ 月光王頭施品第三十
如是我聞。一時佛在毘舍離菴羅樹園中。爾時世尊、賢者阿難に告げたまふ。「其の四神足を得る者は能く壽に住すること一劫。吾、四神足を極めて能善く修す。如来は今者當に壽は幾許ぞや」と。如是にして三にいたる時、阿難は魔の為めに迷はされて世尊の教を聞き黙然としてこたえず。又、阿難に告げ給ふやう「汝、起ち去りて静処に思惟すべし」と。賢者阿難は坐より起き、林中にいたる。阿難去っ . . . 本文を読む
華厳経普賢菩薩品第三十一
「普賢菩薩は・・・一一微塵中に 三世の法を普現し
五趣生死の道(衆生が地獄餓鬼畜生修羅人天のどこに流転するか)を 皆な悉く分別して知る
一一の微塵中に 無量の佛刹あり
一の中に無量を知り 無量の中に一を知る」
. . . 本文を読む
『撰集百縁経巻四・尸毘王、眼を剜えぐり鷲に施す緣』(全巻書き下し)
佛は舍衛國祇樹給孤獨園に在しき。時に諸比丘は安居竟らんと欲し自恣の時(夏安吾の終日に自分の罪を懺悔する)到る。春秋二時、常に來りて集會し佛說法を聴く。其中に或は浣衣・薰缽・打染・縫治するものあり。如是各各。皆所營あり。時に彼の衆中に一比丘あり。名を尸婆しばといふ。年老ひて目瞑く地に坐して縫衣す。紝針見えず。衣を縫うを得ず是の唱 . . . 本文を読む
今日17日午前12時半より午後1時半の予定で、ジャイプール文学祭(JLF Brave New World)の一部として、ダライ・ラマ法王が著述家のピコ・アイヤー氏との対話を行われます。
. . . 本文を読む
初夏になりました。「あをくさの みわたすかぎり しげりゐて のつ゛らをふける かぜのすずしき」(松坂歸庵)
青々とした草木の上を吹きわたってくる風の匂いや、シジュウカラやときには遅れた鶯の声を聞くと
徒然草の一節「もののあはれは秋こそまされと人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根の草 . . . 本文を読む