福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お釈迦様ですら福を求められたこと

2020-06-21 | 法話
「陰徳あれば必ず陽報あり」(淮南子・人間訓
「聖王、徳を布き恵を施すは、其の報を百姓に求むるに非ざるなり。郊望(こうぼう・自然を祀る)禘嘗(ていしょう・先祖を祀る)するは、福を鬼神に求むるに非ざるなり。
山は其の高きを致して雲起り、水は其の深きを致して蛟竜生じ、君子は其の道を致して福禄帰す。
夫れ陰徳有る者は必ず陽報有り、陰行有る者は必ず昭名有り。」

お釈迦様ですら福を求められたことが増一阿含経にあります。
増壹阿含經卷第三十一・力品第三十八の一
「是時、阿那律。凡常之法を以て而も衣裳を縫はんとするも能く針孔中を縷通せしむるを得ず。是時、阿那律、便ち是の念を作す。『諸世間の得道の羅漢は當に我がために貫針せよ』と。是時、世尊は天耳清淨なるを以て此の音聲を聞き、諸世間得道の阿羅漢、當に我と貫針せむ、とす。爾時、世尊は阿那律の所に至って之に告げて曰く「汝針を持來れ、吾之を貫くべし」と。阿那律、佛に白して言さく「向所に稱説せしは謂く、諸世間の其の福を欲求する者は我と貫針すべし、となり。」と。世尊告曰「世間の求福之人、我に過ぐる者復あらむや」。
如來は六法に於いて厭足あることなし。云何爲六。一は施。二は教誡。三は忍。四は法説義説。五は將に衆生を護る。六は求無上正眞之道。」
(盲目の阿那律が衣を縫おうとして、針に 糸を通すことができないで、「世の阿羅漢が私のために針に糸を通してくれ」と 念じると釈尊がそれを知り、阿那律のもとに到来される。阿那律は「私が言ったのは福 徳を積むことを欲している阿羅漢のことです」と恐縮するが、釈尊は「私ほど福徳を積 みたいと欲している者はいない」と言って、如来は六法(施、教誡、忍、法説義説、将 護衆生、求無上正真之道)に於て厭足あることなしと説かれる。)


「福田を耕す」ともいいます。くれぐれも日々「徳を積む」ことを忘れないようにしたいとおもいます。
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