20数年前、父親は病院の都合で谷中に住んでいた。
それから数年間は私も女房も谷中に通った。
最後は三軒茶屋の病院で亡くなったが、家はそのまま谷中だった。
気に入っていたらしいのだ。
街の人がやさしく、知り合いがたくさん居たからだ。
先日、谷中に行ったのだが、様相はすっかり変わっていた。
その当時の10倍もの人が裏道にまで居た。
外人もたくさん居たし、長期滞在型のホテルもできていた。
なじみの喫茶店まりもや、レストランは見当たらなかった。
お世話になった飲み屋さんの「より道」は無くなっていたが、これには驚きもあった。
ずっとお世話になって、父親を供養してくれたお寺さんに行ったら、懐かしいお坊さんにも会えた。
父親の住んで居た木造のアパートは近代的なアパートに変わっていた。
懐かしい街、谷中にはもっと足繁く通うべきだったと今更ながら思うのだ。
日本医科大がすぐの千駄木2丁目の交差点。
こんなにたくさんの人がいる交差点ではなかった。
ここは先日、TVでも見た。
カメノコタワシは有名らしく、たくさんのお客さんが居た。
昔は何も無い場所だった。
今回、歩いていて唯一そのまま現存していたキッチンマロ。
入ったこともあるが、何を食べたか覚えていない。
この道は通いなれた道だ。
奥を左に曲がると父親のいたアパートだ。
木造の古いアパートはすっかりきれいになっていた。
谷中銀座の裏町はまだまだ古い家屋も残っている。
親父の住処のすぐ近く。
古民家カフェになっていた。
写真家の展覧会をやっていたので、たくさんの人が出入りしていた。
だんだん坂の下。
大人気の2軒のお店。
実は写真の左側には2本の列ができているのだ。
実はこの店には前の日、山手線を半周ほど歩いた女房が立ち寄ってかき氷を食べた店。
長蛇の列で、2軒が並んでいて、どちらも大人気。
すごい人だ。
父親がお世話になっていたお寺さん。
境内を歩き、懐かしんで居たら、当時の住職さんが元気であった。
20年も前の話だ。
勿論、覚えてくれていた。
私も40歳になるかならないかの頃。
当時、すっかり仲良くなったお寺さんで、父親が亡くなった時の読経もお願いしたし、
その後もしばらくお世話になっていた。
奥様がやっていた飲み屋さんの話をしたら、あそこは隣とその隣が人気の氷屋さんになって、
朝から並んでいるという。
飲み屋さんはそのまま住居になっているが、奥さんも元気だそうだ。
最後にもう一回、寄ってみることにした。
左2軒は長蛇の列の氷屋さん。
残念ながら奥さんは不在だった。
また来よう。
もう飲み屋さんではないけれど、また来る。
地元に帰って来た。
町というのは良い。
谷中も第二の街だったので、気に入っているが、
今の街も大好きだ。
SONY α7Ⅱ、ミノルタ MC ROKKOR-PF 58㎜F1.4(1968年)
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