戦前の鉄道地図 です。 北海道開拓の歴史 を 鉄道の観点から見てみたいと思い、いろいろと検索してみました。
北海道の北、樺太にも 鉄道路線網があった事が解ります。 日本国有鉄道 樺太東線、西線 などから成っています。
稚内港から210km離れた大泊港まで、8時間かけて定期船が結んでいた事が、当時の鉄道時刻表に掲載されています。
地図中の赤い線は旅客の航路を示していますが、そのほか多数の漁港が存在しています。 炭鉱もありました。
近年発行されている日本地図では その存在が抹消されている樺太ですが、70年ほど前まで、これほど発展した場所が日本にあったとは 実に感慨深いです。
樺太は アイヌ民族 の居住地でした。
江戸時代、間宮林蔵 が 樺太と大陸が陸続きでないことを確認し、西洋の地図に 間宮海峡 と記載されました。
当時のロシアは冬になると 自国の全ての港が凍ってしまうため、凍らない港が欲しくて 朝鮮半島や樺太の強奪をくわだてました。
2WW(第二次世界大戦)後の サンフランシスコ平和条約 により、南樺太はどこの国でもない「帰属未定の地」という扱いなのですが、ロシアが実効支配して現在に至っています。。。
< 公的なサイトから 地図の一部をコピーさせていただきました >
北海道の北、樺太にも 鉄道路線網があった事が解ります。 日本国有鉄道 樺太東線、西線 などから成っています。
稚内港から210km離れた大泊港まで、8時間かけて定期船が結んでいた事が、当時の鉄道時刻表に掲載されています。
地図中の赤い線は旅客の航路を示していますが、そのほか多数の漁港が存在しています。 炭鉱もありました。
近年発行されている日本地図では その存在が抹消されている樺太ですが、70年ほど前まで、これほど発展した場所が日本にあったとは 実に感慨深いです。
樺太は アイヌ民族 の居住地でした。
江戸時代、間宮林蔵 が 樺太と大陸が陸続きでないことを確認し、西洋の地図に 間宮海峡 と記載されました。
当時のロシアは冬になると 自国の全ての港が凍ってしまうため、凍らない港が欲しくて 朝鮮半島や樺太の強奪をくわだてました。
2WW(第二次世界大戦)後の サンフランシスコ平和条約 により、南樺太はどこの国でもない「帰属未定の地」という扱いなのですが、ロシアが実効支配して現在に至っています。。。
参考資料 見捨てられた北方領土