去年暮に亡くなった父ですが、最後に入院したのは12月2日です。去年だけで4度目の入院をしたのですがこの時過去3回よりも容体が悪く心配をしていた日です。しかしその前日に私はフォローしている方の「感謝日記」と言うブログを読んでいたら下記新約聖書の一節が載っていてこの一節がとても記憶に残っていて父が入院した12月2日に父のことで神様に祈ったりしたのです。
『何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト·イエスにあって守ってくれます。』
(聖書)ピリピ 4:6∼7
(聖書)ピリピ 4:6∼7
そしてこの一節をメモ帳に保存していました。
一方、私はあるキリスト教会の方達と知り合いになってここ数年は週に一度「Zoom」や「Meet」を使ってのオンラインレッスンを受けていました。教会員になることはないのですが、神さまについての勉強をしていると心が落ち着いてくるので当時両親2人の介護で疲弊した心と身体を癒すために続けていたのです。
父が入院した去年の12月からは医師から父について「いつ何時容態の急変があるか分からないので携帯電話は常に持っていてください。」と言われる様な状況でしたからこの週に一度のレッスンはお休みさせていただいていました。そして暮に父が他界し、葬儀や今年になってからは49日の法要や相続のことなど色々やっかいな事などで時間的にそして心に余裕がなくなりずっとこのレッスンはお休みしている状態でした。
そして今週の土曜日から再開しようかと思い、今日の夕方になって教会の宣教師の方に再開希望の連絡をしたところでした。そしてこのレッスン再開の日に前述の新約聖書の一節があったお蔭で12月、1月、そして現在まで平穏な気持ちで過ごすことが出来ていることを話そうと思っていてその準備にこの一節をプリントアウトしたりしてたんです。
その後ちょっとしてからフォローしているこの「感謝日記」のブログにアクセスして記事を読んだのですが、びっくりしたことに今日の記事の最後にはまたこの「ピリピ 4:6∼7」の1節が書かれてありました。沢山の聖文の中からその日の記事に合った聖文を載せておられるのでしょうが本当にびっくりしました。
単なる偶然なのかもしれませんが、シンクロシティと言うのでしょうか何らかの形で私と「感謝日記」さんとの交流があったのでしょうね。この方のブログにコメントを入れたかったのですが、コメントは受け付けておられませんでしたのでこんな事があったよ、という意味合いでブログに書くことにしました。