日々の恐怖 10月23日 牛女
牛女の話です。
会社の先輩が割とオカルト話が好きな人で、同行営業の折に、停車中の車の中でそういう話で盛り上がった事があった。
その人は俺より一回り以上歳上で、子供の時分は、所謂、見世物小屋と呼ばれる胡散臭さ抜群の見世物が、まだまだそこかしこで見られたそうだ。
そんな人であるから、俺はこの地方でも特に有名な話である牛女のことについて聞いてみた。
「 そういえば、牛女って話、知ってます?」
「 え、何、それ?」
「 知らないですか?
ほら、六甲山に出てくる牛頭の着物女って言う話なんですけど。
ここら辺じゃ有名らしいですよ?」
どうやら知らないらしい彼女に、俺はネットなんてかで見聞きした話を話してみる。
すると、先輩は少し考えるような素振りを見せて、不意に、
「 ああ、それ、違うのよ。」
「 違う?」
「 うん。
わたしが子供の頃ね、六甲山に遠足に行くことになったの。
そのことを近所のお婆さんに話したらね、真剣な顔でこんな話を教えてくれたの。」
『 六甲の山の中を歩いているとな、大きなお屋敷を見かける事がある。
だけど、そこには決して近づいたらあかんよ。
そこはあるお金持ちの別宅でな、でも今は使われておらんのよ。
と言うのも、そこの家と言うのが、たった一代で大きなお屋敷を幾つも建てたんやけど、ある日、そこのひとり娘が、急におかしくなってしまたんよ。
気がふれたんやね。
方々の医者に診せては見たけど、一向に良くならない。
それで、世間体もあったんやろうなあ、最後には、六甲の山の中に建てたばかりのそのお屋敷に、娘さんを隔離してしまったそうや。
でも、身の回りの世話をする使用人も、最低限しかつけてなかったんやろ。
しょっちゅうお屋敷を抜け出して、山の中を叫びながら走り回ってたそうでなあ。
婆ちゃんも見たことは無いけど、子供の頃山の中で「ぎゃあああ!」って叫ぶ声を聞いたことあるしなあ。
何にせよ可哀想な話や。』
「 だから、それは牛女とか言うものじゃないと思うのよ。」
「 ははあ、なるほど。
でも、何でそれが牛女になったんですかね?」
問いかける俺に、先輩は、ああ、そうそう、と頷き、
「 そのお金持ちって言うのがね、何でも精肉業か何かで身を立てたらしいのよ。
ほら、当時お肉って言うと牛らしくてね。
お婆さんも、殺生が過ぎたんやろうなあ、って言ってたわ。」
「 なるほど。
肉屋の娘→牛屋の娘→牛の女。
つまり、牛女って事ですか。
でも何か、こじつけっぽいなあ。」
「 ん~。
でも、わたしの子供の頃に牛女なんて話聞いたことないしねえ。」
そう言いながら、先輩はゆっくりと車を発車させた。
とまあ、そんな内容なのだが、牛女知ってる人いる?
六甲山に出る牛女って知ってるよ。
実際アレを見た人に話聞いたことあるよ。
牛女にも色々種類あるらしいけどね。
・走り屋の間の噂では、牛の体に女の顔(般若という話もあり)で、車の後を猛スピードで追っかけてくる牛女。
・あと、丑三つ時になると出る女の幽霊で牛女。
・最後に、女の体に牛の顔の牛女。
私が聞いたのはこの最後の牛女の話。
体験者は友人の両親です。
4年ほど前のお盆の頃、2人は弟夫婦と共に、墓参りのため実家に帰省した。
4人は墓参りをし、実家で夕食をすませてから帰ることにした。
他の3人は酒を飲んでいたので、おばさんが運転手、助手席にはおじさんが、後部座席には弟夫婦が乗り込んだ。
実家を出たのは、もう真夜中近くだった。
しばらく山道を走っていると、前方の道沿いに畑がある。
“ あれ・・?”
道路のすぐ横、畑の畦道に着物を着た女らしい人が座っている後姿が見えた。
見た感じ年寄りに見える。
首をうなだれ、背中だけが見える。
「 こんな時間に、婆さんが畑にいるなんておかしいわね。」
後部座席の弟夫婦とそんな会話をかわし、スピードを緩めた。
老婆はこちらに背を向けたまま、身じろぎもしない。
そして老婆の真横に来た瞬間、座っていた老婆がクルリとこちらに顔を向け車に走り寄った。
3人が悲鳴をあげる中、突然車のエンジンが止まった。
近付いて来た牛女が運転席の窓を叩いた。
“ バァーーン!!”
後部座席の弟夫婦が叫ぶ。
「 きゃぁーーっ、早く車出して!」
おばさんは震える手で何度もキーを回すが、エンジンは一向にかかってくれない。
「 なんや、なんの音や?」
助手席のおじさんが不審な顔で聞く。
「 なんや、なんでみんな騒いでるんや?」
「 なんでって、あなたには見えないの、横にいるのに!」
「 なにがおるんや、なんで止まってる?」
“ バァーーン!!”
「 牛の顔の婆さんが窓を叩いてるのよ!」
「 そんなもんおらん!」
「 いるのよ、そこに!」
“ バァーーン!!”
何度やってもエンジンはかからない。
おじさんが苛付いて言った。
「 どけ、かわれ!」
おじさんがおばさんと席を左右に無理やり入れ替わり、運転席に移ったおじさんがキーを回した瞬間、何故か嘘のように簡単にエンジンは回りだした。
「 早く出して!」
その後、牛女は追っては来なかった。
それから里帰りの度にその道を通るが、牛女に会ったのはこの1回だけだったそうだ。
「 信じられへんような話やろ、でもこれ読んでみ。」
一緒に話を聞いていた友人(体験者の子供)が、1冊の本を差し出した。
『 太平洋戦争末期、西宮が空襲にあった。
牛ので栄えていた家が焼かれ、その家の座敷牢から頭が牛、少女の体をした物が出てきた。
“それ”は周りが見つめる中、犬を食っていた。』
時間の経過と共に、牛女もまた、人間と同じように歳をとっていったのか?
では、何故見える人と、見えない人がいたのだろうか?
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