日々の恐怖 11月2日 国有鉄道宿舎(1)
かつての国有鉄道には宿舎があった。
アパートみたいなところから一軒家のようなものまで様々で、家族が住んでいる、管理局のあ
る街とは離れたところへ転勤命令が出た場合、単身で赴任先の街に行く事がしばしばあった。
父も、とある街へ首席助役として赴くことになったが、機関区の近くの宿舎ではなく、300m
ほど離れた小さな山の中腹にある一軒屋、いわゆる高級宿舎に入ることになった。
最も、山と言ってもその街の駅前にある繁華街の傍なのだが、山のふもとにある専用の駐車
場に車を止め、斜面を歩いて20mも登るかどうかの距離でその宿舎の玄関まで行くことが
できた。
昭和の終わり頃の当時でさえ、その宿舎がかなり古い建物であることが分かった。
中学生だった私は、母と共に宿舎の鍵を開けて玄関から中に入り、荷物をクルマから運び入
れるため駐車場と何回も往復した。
前の住人がきれいに掃除したのだろう、しかし少しカビ臭く、窓という窓(しかも木製枠)を
開け、持ち込んだ掃除機で掃除したり、座敷箒で畳の上を掃いたり、拭き掃除をしたりした。
掃除の途中、私は催してトイレに行った。
水洗だが、木製の箱で覆われた水タンクが天井近くにあるタイプでもちろん和式だ。
用が済んだら、把手付きの鎖を引っ張るやつだ。
今ではとんとお目にかからない。
ここから想像すると、昭和20年代半ば頃にこの宿舎は建てられたのではないかと思われた。
トイレを出ると、不意に人の気配がした。
母かと思って呼んだが返事がない。
誰だろうと思っていると、母は外で庭の掃除をしているのがわかった。
この時は不思議に思わず、私は部屋の掃除を続けた。
街の中心部にある火の見櫓のスピーカーから、午後5時を知らせる音楽が流れ、
「 良い子は家に帰りましょう。」
とのアナウンスがあった。
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