昨日のつづきです。
「敗戦後論」への批判と論議を受けて書いた「戦後後論」がつぎに収録されています。
特に哲学者高橋哲哉(話題になった『靖国問題』の著者です)との論争を契機に思索を深めていきます。
高橋は私の先の論を自国の死者を「かばう」、「内向きの」議論ととらえ、むしろ、「汚辱の記憶を保持し、それに恥じ入り続けるということ」が必要だと述べていた(「汚辱の記憶をめぐって」)。
これに対して加藤は、そのような「鳥肌の立つような思想」への違和感を語ります。すなわち、「恥じ入りつづけよ」という声だけでなく、戦争責任について「そんなこと、知らないよ」という「ノン・モラル」なはるか後継の世代の声も権利を持つのではないか
この、「自分にはそんなことは引き受けられない」という声に権利がなければ、「自分はこれを引き受ける」という行為の白紙性が、逆にわたし達から奪われるのではないだろうか。ほんらい引き受けなくてもいいものを引き受ける、そのことがわたし達にとっては責任の敢取が自由で主体的であることの基底である。
ここで加藤は高橋の思考との違いに気づきます。
高橋は、自己を作るのは他者との出会いだ、といっており、私は、自己がなければ他者に会えない、といっている。
そしてその違いを「政治(=他者からはじめる)と文学(=自己からはじめる)」という枠組みで考え、そのなかで太宰治をとりあげます。
太宰治は坂口安吾や石川淳らとともに戦後「無頼派」と呼ばれるが、坂口や石川が戦後になって戦時中を舞台にした無頼派の小説を書き、または彼らの戦時中の作品は戦後のものとは違ったの対し、太宰は戦時中から戦後まで、終戦をはさんでも一貫していた。そこに加藤は太宰の文学者としての思いを読み取ります。
戦前と戦後の間に水門がある。坂口の小説、石川の小説が、先にあげたような、「もしこれが戦争中にかかれていたらもっとよかったのに」という感想を残すとは、水門を開けると、戦後の水が、戦前のほうに流れ込むということだ。戦前と戦後を比較すると、その水路の水位が戦後のほうで戦前より僅かに高い。(中略)
戦後文学が「堰を切ったように」敗戦を機に花開くのは、文字通り、水門を開けられ、いままで水がほとんどなかったところによそからとうとうと水の流れ込むさまを思わせる。(中略)彼らのうちに何人、そのことへの羞恥を感じた文学者がいたかはわからない。しかし、太宰は、そこに自分の文学の一番大切なものを見た。その証拠に、太宰の文学だけは、戦前と戦後の間の水門が開かれても、ぴくりとも水が動かない。
彼はこの八月十五日に影響されることに自分の文学の敗北を見る。(中略)
彼の文学は、戦後によって験されるものを意味していない。芸術的抵抗という文学観は、戦後というリトマス試験紙で文学を見る見方だが、彼は、自分の文学をリトマス紙に、むしろその戦後を、逆に験そうとするのである。
そして、現在から過去を裁く、「正しさ」を基準とした思想(それは「正しさとは何か」という問いにつながります)に対置する形での「同時期の、誤りうる思想」の強度を評価します。
つまり、ここにあるのは、「誤りうる、だから、かけがえのない」思想なのだ、と。坂口、石川は、いわば戦後がもたらした「正しさ」の意味を、拒まないが、ここにあるのは、それとは全く違う、「誤りうること」からやってくる意味の原石の輝きなのである。
文学は、誤りうる状態におかれた正しさのほうが、局外的な、安全な真理の状態におかれた、そういう正しさよりも、深いという。深いとは何か。それは人の苦しさの深度に耐えるということである。文学は、誤りうることの中に無限を見る。誤りうる限り、そこには自由があり、無限があるのだ。
そして、加藤は第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦、ヒュルトゲンとバルジでの激戦に従軍し、太宰と見方を同じくしながらもより深く戦争にかかわった("The catcher in the rye"の)サリンジャーの戦争小説観にふれ、「敗戦後論」の当初の問いに立ち返り、最後の言葉にたどりつきます
"It's time we let the dead die in vain."
「戦死者は無駄死にさせなければならない」
この「誤りうること」と「正しいこと」の対比について、あとがきで内田樹先生が、高橋の思想に「鳥肌が立つ」という感覚を加藤と共有しながら、つぎのようにまとめます。
高橋の主張は依然として「正しい」。しかしやはり「正しすぎる」ように思われる。(中略)
原理的な正しさを求める志向は、いずれおのれが存在すること自体が分泌する「悪」に遭遇するほかない。そのときには「私が存在することが悪だというなら、私は滅びよう」という「結論」を高橋は粛然と受け容れる覚悟なのだと思う。
私の身体に「鳥肌」が立ったのは、おそらくそのような「自裁の結論」に対しての生物的な怯えゆえである。(中略)
加藤はこの論争を通じて、「正義」は原理の問題でなく、現場の問題であるという考え方をあきらかにしていった。ことばを換えて言えば、この世界にいささかでも「善きもの」を積み増しする可能性があるとしたら、それは自分自身のうちの無垢と純良に信頼を寄せることによってではなく、自分自身のうちの狡知と邪悪に対する畏怖の念を維持することによってである。
「悪から善をつくるべきであり、それ以外に方法はない」ということばに加藤がたくしていたのはそういうことではないかと私は解釈している。
「誤りうること」を前提にした思考、「正義は原理の問題ではなく現場の問題である」という考えは、現代のさまざまな問題を考えるにあたって、非常に重要なスタンスであると思います。
三篇目の「語り口の問題」はユダヤ人思想家であるハンナ・アーレントがイスラエルでのアイヒマンの裁判を雑誌「ニューヨーカー」の特派員として傍聴し、資料を丹念にあたって3年がかりでまとめた記事「イェルサレムのアイヒマン」が、ユダヤ人社会に囂々たる非難と論争を巻き起こしたことを中心に「語り口でしか表せないもの」について論じたものです。
これも(前2篇よりはちょっと読みにくかったですが)面白いです。
尻尾までアンコのつまった一冊。おすすめです。