今回のアイフルの業務停止、貸金業のグレーゾーン金利の撤廃の動きを受けて、47thさんが「なぜ過剰取立は起きるのか?(イントロ)」というエントリを書かれています。
ひとことで言えば、サラ金が債務者をいじめるような過酷な取り立てが経済合理性に合うようなビジネスモデルになっているのではないかという問いかけがされています。
これに対して私は次のようなコメントをつけさせていただきました。
何の根拠もない直感ですが、マクロで見ると デフォルト・リスクと貸出金利はバランスしているものの、債務者単位では「一度も遅延なく完済する大半の人と、一度遅延してそのまま全損してしまう人がほとんどで、何回か延滞するものの結局は完済できる人というのはほとんどいない」という両極端のリスク分布の仕方になっているのではないでしょうか。
つまり一度でも延滞した債務者は結局完済できない可能性が極めて高いので、期失させてとっとと全額回収しないとまずい、というような経験則があるのかもしれません。
だとすると、上限金利を下げても貸し出し側のマクロのリスク許容度が減るだけでかえって取り立てはきつくなり、逆に上限金利を上げて貸し出し側のリスク許容度を上げたほうがいい、ということになってしまいますね。
ただそうなると、無責任な債務者が貸し手に負わせるコストが真面目に返済する債務者に転嫁されることになるので、それを防ぐためには抑止力としての苛酷な(しっかりした)取立ても一定程度必要になる、という理屈が成り立ってしまいますが・・・
これは、高安秀樹『経済物理学の発見』に影響されています。
この本は、量子力学など物理学の分野でのランダムなふるまいの分析、カオス理論を経済学に応用しようという動きについて書かれたものです。
従来の経済理論は、ランダムな事象は正規分布する、ということを前提にしていたのに対し、カオス理論では現実のランダムな事象は「べき乗分布」になっている、という指摘をし、それが株価変動などのランダムな事象にもあてはまることを実証します。
正規分布とべき乗分布の違いは、極端な上限・下限の事象の起る確率がべき乗分布のほうが大きいというところに特徴があります。
そのため、従来の正規分布に基づいた経済理論(たとえばブラック・ショールズ理論)は、相場の極端な変動に対しては適用できない、ということが明らかになっているそうです(ブラック・ショールズといえばLTCMの崩壊ですが、これはロシアの為替取引きの停止が引き金になったというあたりはこちらを参照)。
話を戻すと、サラ金の収益が下の図のようになっているのではないか、と考えたわけです。
上の図で、横軸が顧客1人あたりの利益、縦軸が人数を表すとすると、こんな風になっているのではないか、と思います。
0より左側の人は、元本回収ができなかった人ですね。
そこでこの分布が正規分布だとすると青線のようになります。
ところが実際はべき乗分布だとすると、赤線のように両端(上のグラフでは左端だけ伸ばしてます)の裾野が広がる形になります。
※ べき乗のグラフはうまくかけなかったので「あて」で数式を入れたものです
債務者の分布がべき乗分布だとすると、極端に損失を与える顧客(大量に借りて1回目から遅延するとか、利息を払うためにずるずる借り増して、限度額に達した瞬間に飛ぶとか)が無視しえない数存在することが想定できます(上の図の赤丸部分)。
会社としては、このような債務者を野放しにすると収益に悪影響を及ぼしますし、逆に上手く取り立てることができれば収益に予想以上の上積み(遅延利息まで取れたりすれば特に)になります。
つまり、(特に高額の)滞納者には過酷な取立てをすることが経済合理性にかなうような構造になっているのではないか、ということです。
また上限金利を下げたとしても、債務者の行動はべき乗分布で変わらないとすると、グラフのY軸が右に行くだけで、業者の収益は下がりますから、なおさら取立てが苛酷になるのではないかと。
このように47thさんお得意の「ローエコ(Law-Economics)」に私も半可通の"Low-Eco"的な考えをぶつけてみたわけですが、この件について47thさんのエントリにさまざまな角度からコメントが寄せられています。
特に指摘されているのが法定利息など現在でも無視している「闇金」(トイチとかの人たち)の存在です。
toshiさんはご自身のblogで既に上限金利の引き下げで、闇金にながれる人が増えるのではないかと危惧されてます。
neon98さんは債務者の行動は借り換えを繰り返して破綻をいかに先延ばしにするか、というものが多く、債務者から返済のためのキャッシュフローを安定的に得るというのがサラ金のビジネスモデルではないのではないか、と指摘しています。
47thさんのつぎのエントリ「世の中」とローエコ 」ではisologさんのエントリを引用しています。
とてもマトモな挙動をしてくれなさそうな人たち」を、法がどこまでどのように規制したり保護し たりしなきゃいけないのか、というのが、「経済学」的な考察から導かれるものなのかどうか、(上限金利の引き下げで合法的には成り立たない顧客層への貸付 が闇金業者に流れたり、そういった闇業者と同じ土俵で回収しなければならない「一部上場企業」がどういう状況に陥っているか、返済困難に陥ってる人とか多 重債務者が、実際にどんな人たちなのかを見ることもなしに語れるのかどうか)
そして、① 闇金がマクロの消費者金融マーケットや債務者の行動に影響を与えているといえるか
政策設計のプロセスの中での問題は「ウシジマ君(go2c注:「ビッグコミック・スピリッツ」(多分)で連載中の闇金の主人公。確かにかなり強烈です。)がいること」そのものではなく、「ウシジマ君が集団としての行動に対してシステマティックな影響を与えているかどうか」ということになります。
② ①で影響がないといっても、別の政策目標として規制すべきか否かは検討すべき
「ウシジマ君」が特異な個体(統計学の言葉を借りてOutlierといいますが)であり、それ自体としては集団的な行動にシステマティックな影響を与えていない場合に政策立案の過程において切り捨ててしまっていいのか
と整理しています。
これについては、私は①について、neon98さんが指摘されたように、闇金といわれようが何だろうが、カネの貸し手がいる限り債務者は破綻を先送りにしがちである(つまりウシジマ君は有意な影響を与えている)という現状認識は説得力があるように思います。
そのうえでの上限金利の引き下げは、「自転車操業」の債務者の破綻を早めることになるかもしれませんが、それは社会として周りが見えなくなってるであろう債務者に「この金利が返せないとしたらもう無理だよ」と引導を渡すと言う意味で有意義だと思います。
ただ、引導を渡すには直感的には20%とか28%というのは上限としては低いような感じもします(半年後に収入が入るという人が額面から15%の割引で資金調達するというのはありうる話だと思います)
最後に②の話ですが、闇金といっても、一般消費者相手の業者(A)と、商工ローンも与信をしてくれないような無担保の事業ローン(こちらは『ミナミの帝王』の萬田銀次郎ですね)とに分類できるかもしれません。
後者はいわゆる「トイチ(10日で一割の利息)」業者(B)もいれば、仲間うちでハイリスク・ハイリターンの資金を融通しているもの(C)もあるようです(こちらは(また聞きによれば)月10%くらいらしいです。このシステムは「滞納したら仲間を裏切る事になる」という事実上の強制力がとても強力なんでしょう。つまり「仲間」自体がかなり濃い目の人たちということのようでえす)
政策的な話として、Aは容認すると上限金利の意味がなくなってしまうので規制すべきだと思いますが、B,Cについては上限金利の問題ではなく、社会的に許容できないほど取立てが苛酷か、貸し手の資金源が違法(脱税資金とかマネーロンダリングとか)なものでないか、借り手の事業目的が違法なものでないか(多分こっちの切り口でほとんどアウトになりそうですが・・・)、という観点から規制をすべきという整理もあるかもしれませんね。