朝6時の五台山は 霧にもやり 電波塔が浮いて見えました。
先日 思いがけない人からtelがありました。
それは60年近く昔のことになる 私が幼稚園の園児だったときの
先生からです。
昔の恩師との待ち合わせは プール近くの結婚式場前としました。
母が元気なころ地域の婦人会が 『白百合クラブ』 というグループを
作り活動しており 平均年齢は60歳ほどで メンバーは20人ばかり
いたと思います。
当時40代の私は 白百合クラブ? どくだみ会 がふさわしいじゃない
のかね と思ったものです。
主な活動は 公民館でお弁当を作り 地域の独居老人宅へ配ったり
地区名産の 四方竹 を使ったピリ辛漬を作り 産直市へ出したりで
空弁が人気となり 広報誌に取り上げられ 表彰されたこともあります。
そのメンバーがだんだん歳を取り 亡くなったり老人施設へ入所したりで
活動ができなくなり 白百合クラブを解散する とメンバー幹部の先生が
言います。
ついては 発足時の出資金15,000円をお母さんにお返しする とのこと
で娘の私に連絡があったわけです。
何十年ぶりかで会った先生は 聞けば現在76歳とのことで 高校卒業と
同時に幼稚園の先生となり 私の実家地区へ配属され 当時6-7歳の私
が最初の園児だった と言い 時代は昭和31-2年のこととなります。
先生が赴任少しして 地区の人のお世話で 同地区のご主人と結婚して
しっかりこの地区の人となったわけです。
しかし そのご主人を若くして病気で亡くし 2人の息子を女手一つで
育てあげた先生です。
私が園児であった時代の数十年後には 私の息子 娘もこの幼稚園に
通い 先生には親子2代でお世話になりました。
〇〇君元気? ○○ちゃんは元気でやりゆう? たくさんの子どもを
送り出したはずなのに 今は40歳が近い 私の2人の子どもの名前
も覚えていてくださり 驚きました。
「 あんたは 利かん坊で なかなかガンコじゃったよ 」
半世紀をすぎる昔を先生に言われ 64歳の教え子はうつむきます。
色白でかわいい顔立ちの先生は 今でも昔と変わっておらず 若々しくて
2人が話している姿を 知らない人が見れば 同級生に見えることでしょう。
白百合クラブの出資金返納は 元気な先生がメンバーの家を
1軒々々配り歩いている とのことで きっちり終わらしたい
という 律義な先生の意志が伝わってきます。
領収証を書いて先生に渡し
先生 いつまでもお元気で長生きしてください
走り去る車を 見えなくなるまで見送り 小さくつぶやきました。