芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

登米に帰省

2017年05月05日 | Weblog
昨年は、自信がなかったのでできなかった帰省を、この黄金週間に実現できた。北上川の橋を渡って直ぐ左手の昔、マルマンがあったところが道路になっていた。
町おこしで我が家を開放したり、「登米物語」を出して記念式典をしたとき、手伝ってくれた河内安雄さんが、登米振興公社の社長になっていて、三浦永年・ティニ夫妻が遠山の里の向かいの元洋裁学校を買い取り、宮城芸術文化館という名称で無料公開していると言うので見に行った。三浦永年氏は私と同級の功大君の二歳下の弟で、世界的なデザイナー、ティニさんとこの登米町に越してきたのだ。旧洋裁学校を改築してその裏に住宅を建てて住んでいると言う。この屋敷は十年ほど前に私が交渉して、すげなく断られた屋敷だが、その持ち主が弱って売りに出したと言う。一万八千円もする「ティニ・ミウラの手造り豪華本」を下さると言うので折角だからティニさんに署名して頂いた。その本の原画が元洋裁学校の壁一杯に展示されていた。私に返礼できる物がないので、一旦帰宅して「登米物語」とドイツ生まれのティニさんにどうかと思い、ねんりんやのバウムクーヘンを持っていって上げた。鯛海老とでも言おうか。