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ぽかぽか春庭「ミュージカル『美女と野獣』by 劇団四季 in 舞浜アンフィシアター」

2023-11-07 00:00:01 | 映画演劇舞踊


20231107
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>感激観劇日誌2023秋(1)ミュージカル『美女と野獣』by 劇団四季 in 舞浜アンフィシアター

 懸賞生活を続けている娘が10月20日の「ディズニーランドイブニング貸切招待」に当選したのですが、金曜日日帰りのつもりでした。21日には「サンリオピューロランドの食事会&キティちゃん撮影会」にも当選していたので、20日夜は泊まらない、と決めていたのです。しかし、逆に19日木曜日の夜泊まる、ということにして、19日昼の間はディズニーシーですごし、19日夜アンバサダーホテル宿泊。20日昼から舞浜アンフィシアターに行くことにしました。

 10月20日午後12時半からアンフィシアターで、劇団四季公演『美女と野獣』を観覧。
 19日夜に泊まったアンバサダーホテルと舞浜アンフィシアターは直結しています。前にこの劇場に入ったのは、稲垣吾郎司会のディズニー名曲コンサートで、まだそう昔のことじゃないので、ホテルからシアターまでの行き方、覚えていました。ていうか、間違えようもない近さです。隣の建物ですから。
 
 『美女と野獣』は、アニメで何度も見て、エマ・ワトソンの実写版も見て、ディズニーランドのアトラクションも、ランドに行くたびに楽しんできたのですが、四季のミュージカルだけはまだでした。

 今回はディズニーランドはご招待だけれど、ディズニーシーと美女と野獣、アンバサダーホテルは自費の大盤振る舞い。おそらく、これが最後の有料行楽になるでしょう。1階15列87席88席、2席で24200円
 無料行楽は私の得意とするところですが、今後は有料行楽はゼロになる見通し。

 劇団四季のミュージカルを劇場で見るのは、たぶん40年ぶりくらいです。子どもが生まれてからは、劇場では一度も見ていない。昔見たのは鹿賀丈史 や市村正親が四季団員だったころのことです。ジーザスクライストでヘロデ王を演じる市村などを見ました。ウエストサイドも四季の舞台で見ました。~遠い目、、、



10月20日金曜日12時半開演 出演者
 ベル :五所真理子
ビースト:清水大星
モリース:菊池正
ガストン:金久烈
ルフウ :山本道
ルミエール:大木智貴
コッグスワース:雲田隆弘
ミセス・ポット:塩﨑亜耶
マダム・ブーシュ:秋山知子
バベット:杉野早季
チップ :奥谷悠玄 

 開演前撮影OKの劇場


 アニメや映画では、ビーストが唄う場面は少なかったですが、ミュージカル舞台ではビーストが唄う曲がけっこうありました。娘はアラン・メンケンのファンで、「美女と野獣」も英語版も日本語版もよく聞いていますから、「四季の歌詞は、アニメや実写版と違う部分がある」など、訳詞の違いなどにも注目していました。日本語の歌詞をメロディにのせるために、訳詞家は苦心しただろうと思います。

 アニメや映画も楽しい物語ですが、舞台で踊るアンサンブルの質の高さや舞台美術や照明も、さすが四季だなと感じました。キャストのなかでは、金久烈(かねひさ・れつ韓国出身、韓国名はキム・グヨル)は、最近のキャスティングのようですが、腕が太くたくましい体格て、自信満々でベルに結婚申し込むあたりはガストンにぴったりと思いました。そのかわり、後半野獣攻撃側になっての非人間的攻撃性が強く感じられず、雷に打たれて崖を落ちるシーン、ちょいかわいそうに思えます。

 「外見で人の中身を判断するな」という魔女の呪い。王子は外見で判断したために野獣にされてしまいました。この魔女の教訓から言うと、金久のガストンは外見は野卑ですが、心の中はただ単純な気のいい奴に見える。人魚姫を死なせずにハッピーエンドにしたディズニーなのだから、ガストンを助けるストーリーもできただろうに。やはり、悪役は必要なのね。

 終演後、係員が「撮影おことわり」のプラカードをしまってから、去り際に撮影しました。ラストシーンの舞台美術。

 

 久しぶりの四季ミュージカル鑑賞。よいひとときを過ごせました。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ルアーブルの靴みがき」

2012-12-15 00:00:01 | 映画演劇舞踊


2012/12/15
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>移民映画(3)ルアーブルの靴磨き

 移民にもいろいろあります。移民した先に根を下ろし、2世3世と子孫も増えていく成功組もあります。国策として移民募集が行われ、南米中米の入植地に行ってみたら、耕作には適さない荒れ地だったことが判明した、いわば「棄民」のような移民たちもいました。
 今回の移民映画「ルアーブルの靴磨き」アキ・カウリスマキ監督2011(は、不法移民の話です。
 以下、ネタバレを含むあらすじです

 ルアーブル(Le Havre)は、フランスの北西部に位置し、海の向こうはイギリスという港町です。
 ルアーブルの街中で靴磨きをしているマルセル・マックス。裏通りの住まいに妻アルレッティと犬のライカといっしょにつつましく暮らしています。ご近所の八百屋やパン屋につけが溜まっているし、日々の靴磨きの収入は乏しいものですが、靴磨き仲間のチャングと並んで働く毎日をせいいっぱいすごしています。アルレッティがいてくれさえすれば、マルセルは幸せなのです。
 
 アルレッティは外国出身ですが、今はご近所さんとも仲良く、マルセルとの間に子はなくても、犬のライカと共に貧しいながら落ち着いた生活をおくっています。しかし、このところ、アルレッティは体の異変を感じることが多く、不安がつのっています。
 ついにアルレッティは病院に運ばれ、重い病であることが宣告されました。しかし、アルレッティは、医者からマルセルへの告知を拒みます。マルセルが気落ちすることを懸念したのです。医者は、「奇跡が起きれば生き続けることができるかもしれない」と慰めてくれましたが、アルレッティは「そんな奇跡は、うちの近所じゃ起きたことないわ」とつぶやきます。
 
 ある日、ルアーブルの港に事件が持ち上がりました。アフリカから着いたコンテナ船の中に不法移民と見られる一団が乗っていたのです。警察と赤十字はこの密航者たちを保護し、キャンプに送ります。やがては強制送還しなければなりません。しかし、アフリカの少年イングリッサは、警察の追っ手をかいくぐって逃げ出しました。コンテナ船にいっしょに隠れていた祖父が「逃げろ」と目配せしたからです。

 マルセルはそんなイングリッサをかくまうことになりました。外国からの移民であった妻を思うと、不法入国の少年が他人に思えなかったからです。マルセルは手を尽くして、イングリッサの母親がイギリス在住華僑のもとで働いていることを突き止めました。イングリッサはガボンで教師をしていた父と暮らしていましたが、母の元へ行きたいと願い、祖父とともに出国してきたのです。イングリッサはよく気が利いて頭もよく、いっしょうけんめい働く少年でした。

 アルレッティと仲良しの近所のパン屋イヴェットもイングリッサをかくまうことに協力してくれ、ツケがたまっているためにマルセルに冷たかった八百屋も、アルレッティの病気を知ってにわかにマルセルに同情するようになりました。アルレッティの真の病状を知らないのは、ご近所でマルセルだけなのです。
 この裏町の人々のあたたかいつながりこそが「生きて行くうえの奇跡」なのかもしれません。

 マルセルはイングリッサを母親のいるロンドンに送り出すための密航費をかせごうと計画します。妻との仲違いで気落ちしている伝説のロックンローラー、リトル・ボブを奮起させ、チャリティコンサートを開くことにしたのです。さて、イングリッサはロンドンへたどり着けるのか。アルレッティの病気は、、、、、奇跡は起きるのでしょうか。

 ヨーロッパやアメリカなど、先進諸国はどの国も、移民の労働力が必要であり、かつ不法移民の増加に頭を悩ませるという二律背反の中に存在しています。政治的な解決はどの国もできていません。
 映画は不法移民や密航を扱ってはいるけれど、その解決法をさぐるのではなく、近隣の人のつながり、人と人とが心を通わせ合うことに重きをおいて描いています。
 この先も豊かさを求め安定した平和を求めようとする移民難民はあとをたたないでしょう。解決には遠いけれど、つかの間、人の善意のあたたかさを味わうだけでも、一歩すすんだと思わないではいられません。

 映画はフランスでの話ですが、日本にも不法滞在者は年ごとに増えており、在留期限の切れた不法滞在者は社会不安のもとにもなっています。彼らが犯罪予備軍となる可能性もあるからです。
 これまではそれほど身近ではなかった不法入国、不法滞在の問題を、しっかり考えなければならない時期になったと言えるでしょう。

 でも、現実問題として、今の私には明日の行動さえ決めかねているところです。考えれば考えるほど、見えない明日、、、、、

<おわり> 
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ぽかぽか春庭シネマパラダイス「ミリキタニの猫と尊厳の芸術展」

2012-12-13 00:00:01 | 映画演劇舞踊


2012/12/13
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>移民映画(2)ミリキタニの猫と尊厳の芸術展

 日曜日12月9日に、叔父の葬式に行って来ました。1946年生まれ66歳というまだ死ぬには早い年代だったから、友人知人も多く、師走の慌ただしい時期なのに大勢の会葬者が故人を悼みました。仲間と山菜採りやバーベキューなどで楽しい時間をすごし、面倒見のよいよき友であったことが弔辞に述べられていました。幼い孫が「じいじ、ありがとう」と泣きじゃくりながら読む作文が皆の涙を誘いました。

 叔父は私の父の末弟です。父方の祖父は、最初の妻(私の父の母)が24歳で病死してしまったあと、後添えのと間に3男2女をもうけました。叔父は末っ子で、2歳のときその後添えの母親も亡くなり、10歳のときには父親(私の祖父)も死んでしまうという二親の縁薄い、寂しい境遇でした。私の父とは27歳も年が離れていて、兄というより父のようでしたから、小学生時代は私の家に入り浸りで、私の母を母親代わりに慕っていました。姉と私も、年の離れていないこの叔父を兄のように思って遊んでもらいました。

 中学生になって男の子同士で遊ぶ方が面白くなると、あまりわが家には寄りつかないようになっていき、たまに町で顔を見た折りなど「ヨネおじさん」と呼ぶと、「おじさんって呼ぶな」と怒ったものです。「だって、おじさんじゃない。うちのお父さんの弟なんだから」と言っても、いくつも年の離れていない姪っ子から「おじさん」と呼ばれるのは中学生高校生の男の子にとって、恥ずかしかったのでしょう。今となっては、笑い話です。
 私の母は、誰にでも深い愛情を注ぐ人でしたから、叔父が成人するまでよく世話をしていました。叔父は、母の死後も折に触れて「しずえ姉さん」への感謝の心を述べていました。
 幸せな家庭を築いて、友にも恵まれた生涯であったことを、今頃は母に報告していることでしょう。

 今年もいろいろな方々の訃報を聞いた年でした。若くして惜しまれながらの急逝もあるし、十分な年齢を積み上げての大往生もあります。
 大往生と言えるひとりは、ジミー・ツトム・ミリキタニです。ミリキタニは、2012年10月21日に、92歳での往生を遂げました。ミリキタニ追悼の会は、叔父の葬儀と同じ12月9日に、ニューヨーク日系人会によって行われました。


 ジミー・ミリキタニは、日本名、三力谷勉。カリフォルニア・サクラメントで生まれた日系二世で、3歳から18歳までは日本の広島で育ちました。1938年にアメリカへ戻ります。アメリカで出生し、アメリカ国籍を持っていたからです。画家になるという夢を持っていましたが、1940年に太平洋戦争が勃発。1942年には、トゥールレイクの日系人の強制収容所に入れられました。
 
 1940年以後、アメリカの日系人は次々と各地の強制収容所に送られました。
 日本から遠くアメリカに移住して、それぞれが苦労を重ねて、大農園を経営するに至った人もいたし、工場や店を経営していた人もいた。それを全部接収され、無一文にさせられて収容されたのです。ほとんどの人が着の身着のままで、「永住権を持っているのだから、簡単な検査を受けて、米国に敵意を持っていないことが証明されればすぐにも帰れる」と思って、家に財産を残したまま収容所のキャンプに入ったのでした。

 ミリキタニはアメリカ国籍を持っていたのに、「国籍放棄したほうが、今後のためになる」と説得され従いました。ミリキタニが収容所から解放されたのは、終戦後1947年になってから。数ヶ所の収容所に拘留され続け、解放後もアメリカ各地を放浪する生活になりました。
 1959年に「強制的に奪われた市民権を回復する」という通達が出ていたのに、放浪生活を続けたミリキタニには、この通達が届かなかったのです。1980年代まで、ミリキタニは各地のレストランで働くなど放浪を続けました。

 80年代の後半、市民権のないミリキタニを隠れて雇ってくれていた雇い主が亡くなると、ニューヨークで「ホームレス」として、路上で絵を描いて売る生活を続けました。
 絵の具が買えないのでボールペンで書いた絵。その絵を買ったひとりの女性映画監督がいました。リンダ・ハッテンドーフは2001年からミリキタニの生涯と生活をドキュメンタリーとして、撮影しました。
 『ミリキタニの猫』は、2006年の東京国際映画祭の「ある視点最優秀映画賞」をはじめ、各地の映画祭で受賞。私は、2008年に飯田橋ギンレイホールで見ました。

 映画の中だけで知っていたミリキタニの絵、本物の絵をはじめて見ました。東京藝術大学美術館で開催されていた「尊厳の芸術」展。
 2010年にNHKクローズアップ現代で放送された「The Art of Gaman 我慢の芸術」が反響を呼び、今回の「日本での開催が待望されていたのだそうです。
 私は、見ようかどうしようか迷っていましたが、ダンス仲間のともこさんから「ことばにならないくらい感動した。e-Naちゃんも見てきて」と、メールをもらったので、仕事帰りに見てきました。


 太平洋戦争中、強制収容された日系人が、厳しい収容所生活の中で、もちまえの手先の器用さ、美しいものをめでるこころねを発揮し、ゴミとして捨てられた空き缶や木ぎれ、石、砂を掘り起こして出てきた貝殻などを利用して、こつこつと日用品や工芸品を作り上げた、その作品の展覧会です。
 多くの日系人は、これらの作品を「自分たちの心を支えた記念の品」として大事にし、ガレージなどに保存していましたが、子どもや孫にこれらの作品を見せることはしない人が多かった。つらく苦しかった収容所の話をすると、子ども達がアメリカに反感を持ってしまうのではないか、その結果アメリカ社会で生きにくくなってしまうのではないか、そんな気持ちで、多くの日系人は、作品は密かにしまっておくのみでした。

 一人の日系女性が、両親の死後、これらの「収容所作品」に気づきました。日系人の間を歩いて調査すると、多くの作品がひっそりと保管されていたことがわかりました。作品が集められ、スミソニアン博物館で「The Art of Gaman」として開催されると、大きな反響を巻き起こしました。クローズアップ現代での紹介も、この時のこと。

 何もない収容所で、人々は石ころや木ぎれから見事な作品を作りあげていたのです。それらの展示については、見た人の多くがブログなどで「感動した」という感想を書いています。私も、また後ほどひとつひとつの作品について書きたいと思います。

 人は、どのような環境にあっても、人間としての尊厳を失わずにいるためには、「ことばを交わすのが人」であり「ものを作りあげる」のが人であることを忘れずにいること、という大切なことを伝える展覧会でした。

 私は、一枚の絵の前に釘付けになりました。三力谷萬信というサインの入った「トゥールレイク収容所」の風景です。萬信は、ジミー・ツトム・ミリキタニの画号。収容中のミリキタニが描いたものでした。
 「画家になろう」と、生まれた地アメリカに戻って数年。思いもよらず収容所で暮らすことになったミリキタニは、収容所の中にあっても、こんなふうに絵を描いていたのだと思いながら、絵を見つめました。

ジミー・ツトム・ミリキタニの絵「トゥールレイク収容所」


 晩年、路上で絵を描く生活になった彼がユニークな個性を失わず、映画『ミリキタニの猫』の中でも、強烈な存在感を放っていたことを思い出します。

 「どんな逆境にあっても、美しいものを愛で、こつこつと生活を豊かにする道具や日用品を作りあげる心を失わない。その心を、今、つらい時代のなか、思い起こそう」というようなメッセージが込められていた展覧会でした。

 仕事帰りに入館して、しばらくすると、わさわさとスーツ姿の一団が入ってきました。あれま、これは誰かが見にくるので、警備が入ったなと思ったら、予想通り、5時の閉館になると、人々が玄関前に集まってきました。

 行幸行啓があるということなので、私も「物見高いおばさんたち」の一人として待っていました。5時すぎてほどなく、白バイ先導車が到着し、両陛下同乗のお車が美術館前に横付けされました。天皇皇后ご夫妻が周囲の人たちに手をふりながら、美術館に入館。周囲のおばさんたちは「おきれいねぇ」「気品があるわねぇ」と感無量のようすでした。
 当日翌日のニュースでは、両陛下、展示の作品を熱心に鑑賞されたとのこと。

↓の代表撮影の写真、おふたりが見ているのは、ブローチのケース。土中から掘り出した貝殻や木の実を丹念に組み合わせて花などを形づくったブローチや髪飾りが並べられていたケースです。とぼしい材料で造られたとは思えない出来映えの美しいアクセサリーが並んでいました。


 熱心な皇室ファンの人は、「尊厳の芸術」展観覧後のお見送りをしたいと残っていましたが、私は暗くなった上野公園を通って上野駅へ。
 12月6日、よく晴れた日でした。上野公園、午後の青空に金色の葉を輝かせていた銀杏の大木も、すでに夕闇の中に黒くなって立っていました。

 銀杏は、中国が原産地とみられ、仏教寺院に多く植えられました。日本にも仏教とともに伝えられ、ギンナンが有益な堅果であったこともあって、日本各地に伝播。
 銀杏は、西洋にも、シルクロードなどを通って伝えられたのですが、病原菌により木々が枯れてしまい、西洋の銀杏は絶えてしまいました。その後、江戸時代、長崎出島の医師として来航したケンペル(1651 - 1716)が日本のギンナンをヨーロッパに持ち帰り、西欧各地に銀杏が再び植えられました。現在ヨーロッパやイギリスで見るイチョウは、ほとんどがこのケンペルイチョウの子孫です。英語で銀杏を「ginkgoギンコー」というのは、「ギンナン」から来ているのではないかしら。

 銀杏も、中国から日本へ。日本から西欧へと、伝播の歴史を持つ「移民」です。
 どの土地にあっても、そこから根を張り枝を広げます。
 移民も、それぞれの土地に行き、そこで根を下ろす。生まれた場所の記憶、先祖の文化を継承しながら、新しい自分たちの文化を創り上げていく。
 移り住み変えながらも、人としての誇りを忘れず、ルーツも大切にしつつ、今の果実を産みだしていきます。それが人間の尊厳だろうと思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「オレンジと太陽-児童移民の悲劇」

2012-12-12 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/12
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>移民映画(2)オレンジと太陽-児童移民の悲劇

 移民が登場する映画。
 移民が主人公であったり、移民問題を扱ったりする映画の数々、このサイトに「移民映画」として並んでいます。
 http://www16.plala.or.jp/koffice/cinema/thema/emigration.html

 このサイトにUPされている映画の中で、アフガニスタンからイランへ出稼ぎにきた少女一家を扱った「少女の髪どめ」
 2003年7月に書いた感想は、こちら↓
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0307c7mi.htm

 『オレンジと太陽』(Oranges and Sunshine)は、イギリスとオーストラリアの「児童」の問題を告発した原作『からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち』を元にしたジム・ローチ監督作品。実話をもとにした作品で、原作者は、印税をもとに今も活動を続けているという現在も進行中の問題なのです。以下、ネタバレを含むあらすじ紹介です


 原作者マーガレット・ハンフリーズは、イギリス・ノッチンガムに住むソーシャル・ワーカー(社会福祉士)として働いてきました。理解ある夫に恵まれ、仕事が忙しいときは娘と息子の世話を頼むこともできます。
 マーガレット(エミリー・ワトソン)は、 幼児に里子や養子にだされた人々のためのグループ・カウンセリングなどを運営しているしているうち、オーストラリアから来たシャーロットという女性の依頼を受けます。「私の母親を捜して下さい」という、ソーシャルワーカーの仕事の範囲を超えた依頼に、マーガレットは一度は「それは私の仕事ではない」と断ります。

 気になったマーガレットが調べてみると、おかしな点が次々に分かってきます。シャーロットたちは、養子縁組によって国籍を変えた、という通常の子どもとは違う、過酷な人生を歩んでいたのです。それまでまったく知られてこなかった事情が潜んでいました。

 イギリスで生まれた、薄幸の子ども達。両親に死なれた子ども、未婚の女性から生まれた子ども、貧しさのために親が子どもを育てることができなくなった子ども。さまざまな事情から養護施設に預けられた子どもが、世間にまったく知らされぬうち、「労働者」としてオーストラリアに移民させられていたのです。
 5歳から15歳くらいまでの子どもが、児童施設から有無を言う機会もなく船に詰め込まれ、オーストラリアに運ばれました。オーストラリアは、白人の移住者を欲しがっており、文句を言うこともできないまま働く従順な子どもが労働者として重宝されたのです。
 1920年代から1970年代まで、なんと50年間にわたって、イギリスからオーストラリアへの非道な児童移民が行われてきたのです。被害を受けた子どもは13万人に上ることがわかりました。

 マーガレットが面談した女性のひとりは、8歳でオーストラリアに来て、その日にモップを渡され床を磨くように命じられました。それ以来40年間、床を磨く以外の生活を知らなかったと。教育を受ける機会を奪われて幼いころから床磨きだけをさせられたのです。
 ある人は、「イギリスの児童施設で母親が迎えに来ると信じて耐えていたら、母は死んだと聞かされ、わけも分からないうちに船に乗せられた」と証言しました。たった5歳では、何も抵抗できなかったと。
 何もわからないまま船から降ろされた子ども達には、重労働や雇い主からの暴力が待っていました。荒涼としたオーストラリア沙漠の中の修道院に収容された子ども達には、性的虐待、反抗すると暴力による制裁、という運命が待っていました。

 キリスト教倫理が社会を強く縛っていたイギリスで、女性が未婚で産んだ赤ちゃんを生み、自分で育てたいと望んでも、それは叶えられないことでした。赤ちゃんを児童施設に送られてしまった母親が、我が子を取り戻したいと望んで児童施設にたどり着いても、「もう、あの赤ん坊は、養子にだされ、しっかりした立派な家庭で幸福に育てられている」と説明を受け、諦めさせられた、というケースもありました。
 しかし、幸福な家庭で育てられているというのは、本当はありませんでした。13万人もの子どもが、「移民」の名のもとにオーストラリアへ送られ、過酷な労働に従事させられていたのです。

強制移民させられた子どもたちの写真の一枚。移民船の前で


 教会の事業のひとつとして、「親のいない児童への福祉」であるとして行われたことなのですが、教会内では、子どもが告発できないことをいいことに、児童への性的な虐待、過酷な労働、教育の不完全などの非道が続けられてきました。ある男性は、神父から性的虐待を受けたことによって、大人になってもPTSTに苦しみ、ある人は精神が不安定な状態のままその日暮らしをしてきました。

 過酷な労働の中からチャンスをつかみ、仕事の上で成功したレイは、お金は出来たものの、「自分がどのような親から生まれたのか、自分は誰なのか」という不安を持ち続けました。親が誰かということが不明なままの人々は、自分のアイデンディティが確立できずに、自分が誰なのかという不安に追い込まれるのです。
 レイは私立探偵を雇って親探しもしましたが、私的な調査では、わからずじまい。「児童移民」という事実が、イギリスとオーストラリア両政府によって隠し続けられ、資料などが隠されたままだったからです。

 マーガレットの本が出たあと、マーガレットはさまざまな誹謗中傷を受けました。この事業を行っていたのが教会だったからです。教会のやることは「不幸な児童を幸せにしてやるための事業だ」と信じる人々は、教会の神父によるこの非道な行為を明るみに出したマーガレットを脅迫し、マーガレットはPTSTになるほど追い詰められました。

 児童移民被害者に会い、面談を重ね、わずかな資料を手掛かりに、彼らの実の親を捜す毎日。児童移民の子ども達は、パスポートも国籍も持たされずに豪州へ入国しているため、教会が資料を隠してしまえば、自分のルーツを探す手掛かりは皆無となってしまうのです。マーガレットは根気よく彼らのために家族を探しました。

 マーガレットの娘と息子は、母がオーストラリアに長期出張している間、母親が不在の父子家庭の状態で暮らし、寂しさを我慢する毎日。クリスマスに、元児童移民の人々とのパーティで「あなたからみんなへのプレゼントはないの?」と問われ、「僕からのプレゼントは、ママだよ」と答えました。ママが一番欲しい年頃なのに、ママを「児童移民被害者」のために貸し出していたのですから。
 マーガレットの娘と息子の子役は、マーガレットが暮らしていたノッティンガムでのオーディションで選ばれたそうです。

 マーガレットが原作『からのゆりかご Empty Cradles」を出版したのが1994年。さまざまな反響を呼び、ついに、2009年11月にオーストラリア首相がこの問題に関して公式に謝罪。この謝罪を受けて、2010年2月にイギリス首相が公式謝罪しました。
 マーガレット・ハンフリーズは原作の印税をもとに基金を設立しました。まだなお親が不明な元児童移民が残されており、その人々の家族を探す活動は続けられています。

原作「からのゆりかご」


 オーストラリアでは、アボリジニの女の子を親から無理矢理ひきはなし、強制収容して白人経営牧場の労働者として送り込む事業も行われました。この事業を行った側は、アボリジニの子どもが、無学歴の親に育てられるより、「教養ある白人の雇い主」のもとで働いたほうが、ずっと幸福だと信じていました。白人の雇い主のもとでは、『オレンジと大陽』と同じように、強制労働や性的虐待が行われていたのです。
 オーストラリア政府は、アボリジニ強制収容に関しても、謝罪を行っています。

 新興国家オーストラリアでは、数々の政策ミスがありましたが、政府は、謝罪すべきことにはきちんと謝罪しています。
 政府の音頭取りで原発を「安全だ」と言い続け、原発事故で被害を受けた人に公式な謝罪もないどこかの国とは大違いです。しかも、「復興のために」という税金を、別の事業にまわすありさま。さて、次の選挙でどんな政府ができるのか。

 映画『オレンジと太陽』によって、私は初めてイギリスオーストラリア間の児童移民の問題があったことを知りました。そして、キリスト教国における「教会の不正」という、とてつもなく大きな問題を敵に回しても、迫害に一歩もひかずにこつこつと真実にたどり着こうとした、ひとりの女性の姿に心うたれました。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「赤と黒・大陽がいっぱい」

2012-12-11 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/11
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>悪人映画(3)赤と黒・大陽がいっぱい 
 
 「犯罪者が主人公の映画」、フランスの稀代の美男が主役を張っています。1本は、1940~50年代のフランスを代表する美男ジェラール・フリップの代表作『赤と黒』。もう1本は、1960~70年代を代表する美男アラン・ドロンの出世作『大陽がいっぱい』です。
以下ネタバレを含む感想です

 『赤と黒』は、スタンダール47歳の時、1830年に発表されました。
 元神学生による殺人未遂事件を素材に、野心に燃える青年の成功と挫折を描いた代表作です。王政復古下、旧ナポレオン派と王制派の暗闘うごめくフランス社会を鋭く批判した作品であり、終生共和政治支持者であったスタンダールの政治思想がよく表現されている作品でもあります。

 でも、映画の観客には、王党派でも共和派でも、どっちでもよくて、ただひたすら、女性を虜にする天性の資質を持ち、それを出世のために生かしていこうとする美男にうっとりする。ジェラール・フィリップ様が殺人未遂を犯したとして、彼がやったことなら、「殺人未遂」で死刑なんて、アリエネー。当の殺されかけたレナール夫人だってジュリアン・ソレルに会いたい一心で牢獄へやって来るくるではありませんか。
 ああ、あわれ美しきジェラール様が処刑場へひかれていってしまう。よよよ、、、、、

 『大陽がいっぱい』は、パトリシア・ハイスミス原作(原題:The Talented Mr. Ripley)による映画。1999年には、原作により忠実な『リプリー』も撮られています。原作の主人公のイメージにはマット・デイモンのほうが合っているのかも知れませんが、私にとっては、なにはともあれ、アランドロン様のたぐいまれなる美しさを堪能すべき映画が『大陽がいっぱい』
 ルネ・クレマンの映画音楽の響きとともに、トム・リプリーは、「かばってやりたい殺人者No.1」です。

 貧しい家の出身者トム・リプリーは、なんとか上層階級に這い上がろうともがきます。ジュリアン・ソレルと同じ。ジュリアンは、貴族の娘との結婚を画策し、成功しかけますが、それを邪魔されたと考えて殺人未遂を犯す。トムは、金持ち坊ちゃまを手にかけ、そのなりすましを図ります。アランドロン様のなりすましがばれそうになると、どうか無事逃げおおせて欲しいと願わずにはいられません。冷静に「犯罪者は裁かれねばならない」なんていう検察や判事のような精神で診ていられる人もいるでしょうけれど、ドキドキハラハラしながら、ラストまでアランドロン様の身の上ばかりを案じてしまうのです。

 冷静に考えれば、貧しい身の上から這い上がろうとした場合、アラン・ドロンほどの美男であるならば、はいあがる方法はいくらでもあります。マット・デイモンがトムを演じた原作により近いゲイ青年であるなら、なおさら。
 上層と下層の階級差別がくっきりしている現代西欧社会であっても、美貌のゲイ青年をほうってはおきません。だから、殺人などというばれやすい方法をとるのは、きわめて割に合わない方法です。

 「ジェラールフィリップ様がレナール夫人殺人未遂で処刑されるときに、天下の婦女子は涙を流して、どうかジェラール様を殺さないで、と願い、アランドロン様が金持ちボンボンのフィリップを殺しても、どうぞ捕まらないで逃げて欲しい」と願ってしまう。トムの人間性うんぬんの前に、アランドロンのハンサムが何よりも勝って画面に映り、こんなハンサムな青年につらい罰を与えたくなくなるのです。

 私たちの心の中には、悪事に引かれる気持ちも多分にあります。自分では拾った百円玉を猫ばばするすることさえできずに、駅事務所に差し出すような肝っ玉の小ささで生きてきてしまったたので、自分自身の欲望に忠実に、人を蹴落とすことやらだますことやらやってのける人の大胆に驚きもし、その強さがうらやましくもあるのかもしれません。

 ましてや、ジェラール様やアランドロン様が悪事を行っても、それを責めようなんて気にはなれないのですが、さて、現実社会の悪事、目に見えず、我々のささやかな生活を破壊しようとする悪事が蔓延しています。この不安と暗澹たる世相の中にあって、なんとか希望を見いだしたい。こどもたちが悪事に手を染めたりすることなく育つ社会にしていきたい。悪者ヒーローは、映画の中で楽しむだけでいいのです。

 さて、もし現実社会で殺人者を裁く、という裁判員に選ばれたとき、私たちは被告の顔で結果を決めるわけではありませんが、警察発表の犯人写真は、たいていどの犯人も極悪人の人相に写っていることが多くて、私、顔で決めたら判断まちがっちゃうかもしれません。その程度の判断力なので、裁判員にはなりたくない。

 連日いろいろな人の顔が新聞やテレビに登場する昨今。顔で決めては行けないのだろうけれど、悪人面の人が口でどんなにいいこと言っても、信用できない気がしてしまいます。まあ、だれが本当の悪人なのか、じっくりと顔を見て。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「悪人」

2012-12-09 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/09
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>悪人映画(2)悪人
 
 新聞連載時に読んだときは、とくに思い入れがなかった吉田修一の『悪人』。
 映画になって、主人公祐一を妻夫木聡が演じるというので、「え~、美男が演じるとぜったいに祐一がカッコよくなりすぎる、と危惧してしまいました。この主人公、「これまで女性にはもてたことはなかった」という設定ですから、美男が演じてしまうと、原作のイメージとは違ってしまうのではないかと感じ、主人公に心寄せる孤独な女性店員も、美女だったら「30になっても、結婚のケの字もない」というイメージと異なるだろうと案じて、映画を見ずにいたのですが、、、、テレビ放映があったので、録画してみました。

 私の映画鑑賞、みたい度別に、1,公開時に千円(シニア値段)を払って見る。2,飯田橋ギンレイホールで見る(シネパスポート)。3,ビデオ新作(300円)を借りる。4,ビデオ旧作(100円)を借りる。5,テレビ放映を録画。
の順です。「悪人」は、5での鑑賞だったので、映画祭主演女優賞の看板にも何の期待もせずに見たのです。

 妻夫木聡が祐一にキャスティングされたことを知ったとき、当代のイケメンが演じることによって、殺人者清水祐一のイメージが変わってしまうなら困るなあ、と思って危惧していたのですが、妻夫木はちゃんと「さえない、もてない土木作業員」に見えて、決してイケメン風ではなかったです。祐一がイケメンだからでなく、その人間としての存在すべてによって、彼の罪を考えてみようと思う機運が画面を見るものの中に醸成されました。
 
 深津絵里がモントリオール映画祭で最優秀女優賞を取り、第34回日本アカデミー賞で、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞、最優秀助演男優賞(柄本明)、最優秀助演女優賞(樹木希林)、最優秀音楽賞(久石譲)などを総なめにした映画で、「みな、うますぎる!」

 吉田修一の小説『悪人』を、作家が監督と共同で脚本をしあげ、映画『悪人』が完成しました。
 殺人者が主人公なのですが、なんとも悲しくせつない物語です。
 
 「だれが本当の悪人なのか」というキャッチコピーの狙い通り、見終わった後ひとりひとりが、自分の中にある悪を見つめることに成功しているのではないかしら。
 たとえば、東電女性社員殺害事件のとき、警察発表マスコミ報道のままに、あのガイジンは悪い奴だと単純に思い込んだ者たち。そのひとりひとりが、その資格もないのに「他者を断罪して快感を得る悪」を心に持っていたではないか。

 現実社会では、年寄りをだまして金品巻き上げても、罪に問われることもなく、のうのうと生きていられる。振り込め詐欺なども、警察庁の発表では、2011年(1月~12月)の振り込め詐欺の被害発生金額は約110億1,958万円で、検挙率は20%以下。捕まったのなんか、末端の金品受け渡し役くらいで、実際のボスは捕まっていないだろうと思います。
 映画の中では、「健康グッズ健康食品販売」の堤下(松尾スズキ)。この小悪人たち、ほんとうに世の中にはごろごろ存在しています。

 さらに大きな金額では。ひとりひとりが身を削るようにして捻出し納めた税金が投入されているはずの、復興予算のいいかげんな流用。東北の被災地の復興とはかけ離れた地の事業にも、「復興支援」として大金が使われている、というニュースがありました。この問題で不可思議なことは、「都合が悪い事態がおきたとき、どこにも責任者がいない」という事実。与党政府は「野党が出した予算案をそのまま承認しただけ」というし、どこからも悪人は出てこないのに、大金は流用されて消えてしまいました。人ひとり殺す罪が軽いわけではない。しかし、世の中にはその手で首を絞めなくても、殺す以上に人を苦しめている巨悪が多すぎる。そして小悪人は捕まって罰を受けるけれど、巨悪はのしあがって権力者となる。

 『悪人』ストーリーは。
 新聞連載だけで単行本は読んでこなかったのですが、今回、文庫本上下とシナリオ版を読みました。脚本が原作の設定を変える場合、不満が残るものですが、原作者が承知で変えたのなら、それは映画的変化として捉えるべきなのでしょう。いくつか、原作とは異なる設定があります。
以下、ネタバレを含むあらすじです。
 白地に白文字で書かれているので、ドラッグ反転で文字が出ます。かなりくわしいあらすじ紹介になるので、あらすじを知りたい方だけ、反転してください


 金持ちボンボンの大学生増尾圭吾(岡田将生)が、保険外交のさえない娘、佳乃(満島ひかり)を虫けらのように扱い、山中に置き去りにする。佳乃にふられた男祐一(妻夫木聡)は、娘のあとをつけ、助けようと手をのべるが、娘はプライドを傷つけられた腹いせに祐一の心をふみにじる。祐一は怒りにまかせて娘を手にかけてしまう。殺人としては単純な話です。

 警察は当初、姿をくらました増尾圭吾を犯人と見て、行方を追い、その間、祐一は紳士服量販店の店員馬込光代(深津絵里)と逃避行を続けます。
 殺人犯とは知らぬ間に祐一を愛し、30歳になってはじめて人を思う心を知った光代のこころが、丁寧に描かれています。
 祐一を捨てて逃げた実母に代わって祐一を幼いときから育てた祖母清水房江(樹木希林)と殺された佳乃の父親、床屋の石橋桂男(柄本明)の心情も「泣きのポイント」になっています。

 光代は、ラストシーンで自分に言い聞かせるようにつぶやきます。「あの人、悪人なんですよね。人を殺しているんですもんね」
 
 映画『悪人』に出てこない女性、金子美保。祐一が夢中になったファッションヘルスの従業員です。美保がなにげなく「結婚したらこんな家に住みたい」と夢を語ると、祐一はプロポーズもしないうちにアパートを借りてしまったことがある、と美保は証言します。この女性は祐一が母親からお金をせびるのは、「両方が被害者にならぬため、自分を加害者にしておけば、母親が息子を捨てた加害感情を被害感情に変換できるからだ」と、祐一が語っていた、と述べています。映画では、アパートを借りる話しは祐一の友人が、母親にお金をせびった理由については警察官が証言し、美保は画面に登場しません。満島ひかりと深津絵里のほかに、ヒロインイメージを拡散させないための措置だろうと思います。

 逃避行の果て、警察が踏み込んだとき、祐一が光代にとった行為により、光代は「犯人に連れ回された挙げ句に被害者となりそうだった女性」として扱われます。警察に対して、光代は「自分から祐一について行ったのだ」と証言するのですが、祐一は「脅して連れ回し、最後は邪魔になったから殺そうとした」と一貫して光代を被害者に仕立てます。祐一は、警察に、「自分は、女性の首を絞めることによって性的な快感を得る人間」とさえ言うのです。光代を守るために。

 事件から日が経って、また元の「紳士服量販店の店員として国道を行ったり来たりするだけの生活」に戻った光代。光代は、祐一が最後にとった行動が、自分への究極の愛であることがよくわかっています。ラストシーンで、光代は「あの人は悪人」と、自分に言い聞かすようにタクシーの運転手に語りかけますが、光代にとって、人里離れた灯台でふたりきりですごした数日の出来事が、30年間の「何もなかった生活」のどの時間よりも自分の人生を輝かせてくれたひとときであったのです。

 祐一が灯台の向こうの海に沈む夕日のきらめきを見せてくれたひとときのこと。海に沈む夕日は、生まれて初めて見る陽のように輝き、たちまち海に沈んでしまうとしても、その輝きを空に残していくのです。

 
 祐一は、育ててくれた祖父母にも、自分を捨てた母親にも、たったひとり心から自分を受け入れてくれた光代にも、やさしい心遣いを重ねる青年です。
 しかし、世間では。祐一は、殺人鬼であり、大悪人です。
 以後ものうのうと生きて行くであろうボンボン増尾圭吾はこれからも、女達を引き連れて遊び回り、健康食品販売の堤下は、これからもを年寄りを騙して高額で売りつけていくでしょう。

 世間では、悪人は祐一のような男を言うのです。表面に表れた事象だけで、悪人を決め、断罪して溜飲をさげます。
 80歳になっても、さらなる権力を求めて好き勝手やる男(後事は「ピカレスク」作者に託したとか)や、果たすべき責任を負わずにポイと政権を投げ出した末、もう一度返り咲いて「憲法を変えよう、日本を戦争できるフツーの国にしたい」と叫ぶ無責任お坊ちゃまは悪人とはされない。

 「悪人」とは、だれなのか。
 多数の福島県民を「難民」としてしまった責任者たちのうち、だれ一人「悪人」と名指しされた人はいません。すなわち自分に責任があると申し出た人はいません。防御壁を越える津波が襲う可能性を知りながら、稼働を続け、現場から爆発するという危機的な声を聞きながら手をこまねいていた人も、自分が悪人とは思っていないのです。
 「フクシマの事故は想定外の津波のせい」とされてきましたが、津波以前に、地震の揺れそのものですでに原子炉が破壊されていたということを東電側は隠し続けました。地震で壊れる可能性もわかっていたのに、「そんな大きい地震は当分来ないだろう」という根拠のない「安全神話」だけで操業していたということです。

 トンネルの点検を「テキトー」に終わらせ、「異常なし」という結果にしておいた悪人は、どこにもいないらしい。9人の人を殺しておいても。

 でも、みんな悪人が大好きみたい。本当の悪人は誰なのか、見極めることもせずに気分雰囲気で「なんかツヨソーな人、威勢のヨサソーな人」を求めて、あげく「だまされた」「こんなダメな政権とは思わなかった」とか言わないでほしい。国民が自分で選んだ結果は、自分で負う。
 せめて、自分自身が悪事の片棒担ぎにならぬ選択をしたいと思っています。
  
<つづく> 
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ぽかぽか春庭「永遠のマリアカラス」

2012-12-06 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/06
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>音楽映画(3)永遠のマリア・カラス

 日本の歌姫が雲雀なら、西欧の歌姫は鴉、とは、女子高時代によく笑ったジョークでした。つまり、オペラなんぞ見たこともない田舎の女子高生でも知っているオペラ歌手がマリア・カラス。LPレコード時代、私が自分のおこずかいで買ったレコードのうち、女性オペラ歌手の唯一の一枚がマリア・カラスでした。

 マリア・カラスは1977年53歳で亡くなり、一方ひばりは昭和の終焉とともに1989年、52歳でなくなりました。享年までなにやら不思議な一致をみせた二人です。とはいえ、ひばりが9歳から亡くなる直前まで第一線の歌手として歌い続けたのに対して、マリア・カラスの全盛期は約10年ほど。最初の夫30歳年上のJ.B.メネギーニがマリア・カラスのマネージングを行っていた時期にあたります。

 母親との軋轢により過食症になり、メネギーニが初めてマリアを見たときには、体重100kgだったと言われます。メネギーニは、マリアの体調管理からオーディション管理、すべてを仕切ってマリアを一流歌手の仲間入りさせました。マリアの歌手としての成功にメネギーニの管理があったことはまちがいありません。マリアにとって、メルギーニは、父親に匹敵する男性でした。父親は母親と離婚して、家族の元を去っていったからです。しかし、管理を強める夫に、マリアはしだいに違和感を持つようになります。

 1959年、夫とともにギリシャの大富豪アリストテレス・オナシスの招待を受けたマリアは、オナシスと愛し合うようになり、夫のもとを出奔。このとき36歳。声が急速に衰えてきていましたが、マリアは声の維持より恋を優先しました。しかし、メネギーニはなかなか離婚に同意せず、ようやく離婚成立したのは1967年。
 マリア・カラスは、1965年頃からさらに声が衰えだし、事実上の引退に追い込まれます。しかし、オナシスにとっては「穏やかに静かに生きるマリア」が必要なのではなく、世界の歌姫として華やかに活躍するマリアが必要なのでした。

 マリアが歌えなくなったころから、オナシスは「世界一の歌姫」を手に入れるより、もっと見栄えのする「世界一」を手に入れようと躍起になっていました。世界のファーストレディ、ケネディ未亡人ジャクリーンです。オナシスは9年間愛人として手元においたマリアをあっさりと捨て去り、1968年10月ジャクリーンと再婚しました。ジャクリーンにはオナシスの財力が必要であり、アメリカ経済界進出をめざすオナシスには、元ファーストレディの名声が必要でした。オナシスとジャクリーンは、最初から不和が目立ったふたりでした。オナシスが離婚を決意したあと、手続きに入る前に1975年に死去。離婚寸前とはいえ、ジャクリーンにも莫大な遺産が残されました。(オナシスの実娘のほうが取り分がずっと多かったですけれど)

 マリア・カラスは、実母との不和、30歳年上の夫との最初の結婚。大富豪との愛人関係。アメリカ大統領未亡人によって、愛したオナシスと別離。過酷な人生を歩みました。
 愛する人に徹底的に裏切られたことから、不眠に落ち入り、以後マリアは睡眠薬依存症となります。晩年の不調、53歳の死、と、これだけ並べてもドラマたっぷりです。2005『マリア・カラス最後の恋』など、彼女を主人公にした映画も作られています。
 『永遠のマリア・カラス』は、恋愛問題からではなく、オペラ歌手としてのアイデンティティとマリアというテーマからストーリーが出来上がっています。(以下、ネタバレを含むあらすじ紹介です)

 引退同然になりパリに引きこもっていたマリアのもとに、辣腕プロモーターのラリーが訪れます。全盛期のマリアの声で吹き込まれていたレコード音源に、現在のマリアが口パクで合わせて、オペラ『カルメン』を撮影する、という企画です。マリアは口パクに抵抗しますが、ラリーや評論家サラの説得で撮影に臨みます。

 このラリーによる『カルメン』製作というエピソードは、オペラ監督としても名高く、カラスの親しい友人でもあったフランコ・ゼフィレッリの脚本による創作です。ゼフィレッリは、カルメンを撮りたかったのだろうなあと思います。カルメンを演じるソプラノを思い浮かべたとき、彼の頭に思い浮かぶのは、マリア・カラス。彼女以上にカルメンを演じられるスターはいない。

 マリアは、さまざまなオペラのプリマを演じましたが、このカルメンだけは、コンサート上演はあっても、オペラで演じたことがなく、カルメンを演じたいというのは、マリアの密かな願いでもありました。
 紆余曲折の末、華やかなオペラ『カルメン』が完成しますが、マリアはこの映画の公開を拒否します。ラリーは50%自費でまかなった出資金回収をあきらめ、マリアの願い通りカルメンをオクラ入りにします。

 映画の中でも述べられていますが、口パクを完全に行うには、それなりにオペラを歌える人が演じる必要があります。本物の歌手としてもカルメンを歌いこなせる人が演じないと、声帯の動かしかたから腹筋の使い方まで、すぐにウソはばれてしまいます。マリア役のファニー・アルダンもマルコ役のガブリエル・ガルコも、その点はプロ歌手が見ても及第点がつけられる口パクだったろうと思います。

 実際の晩年のマリア・カラスは。
『永遠のマリア・カラス』でも冒頭に出てきますが、1973年と1974年に来日。1974年にはテノール歌手、ジュゼッペ・ディ・ステファノ(最後の恋人でもありました)と共に、日本公演を行っています。国内4ヶ所でピアノ伴奏によって歌う、ワールドツアーの最後の地が日本でした。マリアの生涯最後の公式舞台が日本だったのです。
 映画の中に、マリアが忸怩たる思いで、このときの歌を聞くシーンがあります。日本の「ただ有名人の顔が見たいだけ」の聴衆たちは、マリアの音程不確かな歌にも大拍手を送っています。(東京公演の模様はNHKによるTV収録で残されています)。

 このひどい東京公演がマリアの最後の舞台になってしまったのは、本当に気の毒なことです。『永遠のマリアカラス』に描かれたように、口パクカルメンでもいいから、マリアのオペラ舞台が残されていたなら、いいのになあと思ってしまいます。コンサートでのハバネラなどは残っていますが。

 マリアの声はドラマティコ・ソプラノ・ダジリタと呼ばれる、ソプラノからメゾソプラノまでカバーし、どの音域の声もつややかに輝くベルカントであったと言われます。その分いっそう喉を酷使し、全盛時代は10年、前後の時代を加えても歌えたのは20年ほどでした。

 ひばりの後にも先にもひばりに匹敵する歌謡曲歌手はおらず、マリアカラスの後にも先にもマリアに匹敵するオペラ歌手は現れていません。
 映画『永遠のマリアカラス』は、マリア全盛期の音源による『カルメン』を見るだけでも、一見の価値がありました。

 『永遠のマリアカラス』というタイトルと紛らわしいですが、黒柳徹子となかにし礼がカラスをめぐって語り合う『マリアカラス永遠の歌姫(ディーバ)』というNHKの番組(2011月10月23日放送)。マリアがニューヨークで最初に受けたラジオ番組で歌った「蝶々夫人」の歌声が記録されています。12歳のマリア・カラスの歌声。
http://www.youtube.com/watch?v=gB63Y69yr8c

 この番組の最後、カラスが自ら音楽と愛について語ったことばが残されています。
「一流の音楽とは、ただひとつ完璧な音楽センスのことです。愛も同じ。愛し敬いそれを全うする。決して嘘をつかず、裏切らないこと。愛するというのはそういうことです。」

 以上、音楽の秋を楽しんだ音楽映画の紹介でした。

 何年の録画かわからないのですが、youtubeにUPされているカルメンより「ハバネラ」を歌うマリアカラス
http://www.youtube.com/watch?v=3rjOrOt6wFw&feature=related

マリアカラスの『蝶々夫人』
http://www.youtube.com/watch?v=mN9Dipgqdtw&feature=related

時間がある方へ、1955年スカラ座での「椿姫第一幕」(昔の録音で音質悪い。30分かかります)
http://www.youtube.com/watch?v=FvpvCYaMgIE&feature=related

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ドン・ジョバンニ&カストラート」

2012-12-05 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/05
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>音楽映画(2)ドン・ジョバンニ&カストラート

 モーツァルト映画といえば、なんといっても『アマデウス』です。でも、今回紹介するのは、『アマデウス』の中では脇役だった「ドン・ジョバンニ」の台本作者ロレンツォ・ダ・ポンテを主人公にした映画。『ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い』

 物語は、放蕩牧師だったロレンツォがベネツィアを追放され、ウィーンに向かうところから始まります。友人のカサノヴァの紹介により、ウィーン音楽界の重鎮サリエリと知り合い、さらにはモーツァルトとも出会う。ロレンツォ台本モーツァルト作曲のオペラ3曲は、1786年『フィガロの結婚』(原作ボーマルシェ)、1787年『ドン・ジョヴァンニ』(台本にはジャコモ・カサノヴァも協力した)、1790年『コジ・ファン・トゥッテ』。いずれも傑作です。

 映画は、詩人劇作家としてウィーンで成功したロレンツォの伝記映画ですが、タイトルにあるように、「ドン・ジョバンニの物語」でもあります。
 映画のイタリア語原題『Io, Don Giovanni』は、「私こそがドンジョバンニだ」という意味あい。モーツァルトの最高傑作オペラ『ドン・ジョバンニ』(フランス語だとドン・ジュアン、スペイン語だとドン・ファン)は、伝説中の稀代の色事師。
 ドン・ファンのお話ですが、カサノヴァ、ロレンツォ、モーツァルト、それぞれの放蕩や色事が投影され、「本当のドンファンは誰か」というようないわば、アイデンティティの物語でもあります。

 この映画の特徴は、「吹き替えなし」。監督は、歌手の役には本物の歌手を起用し、歌はすべて本人の歌唱。普段、オペラは見ないという人にも、オペラのすばらしさをちょこっと味わうのにとてもいい音楽映画だと思います。

『Io, Don Giovanni』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=nf5-yVEeLKk

 『カストラート』(1994 伊Farinelli Il Castrato, 英Farinelli)は、バロック時代のカストラート歌手 ファリネッリの伝記映画。
 カストラートとは、美しいボーイソプラノの声を成長後も保つために、少年期に去勢した男性歌手をいいます。16世紀のローマバロック時代に盛んになった施術で、19世紀半ばにローマ教皇の命により人道的見地から禁止されました。教会内での歌唱や演劇のために、1年に4000人の少年がカストラートとして育てられたそうです。具体的なことをいうと、中国の後宮で権勢をふるった宦官は、「玉と棹の両方を切り取る」完全去勢であったのに対し、カストラートは玉だけを抜き、棹は残されるのが普通だったとか。女性と交わることも可能、ただし、子孫は残せない。
 古来、牧畜が発達せず、農耕だけでやってきた日本では考えられないことですが、牧畜管理が発達したヨーロッパでは、仔牛やロバの去勢手術が盛んで、その技術が発達していたので、人間の少年にも応用されたのだとか。この牧畜技術と「教会内で女性が喋るのも歌うのも禁止」と定めたカトリックのおきてが出会うと、カストラート誕生となる。
 
 カストラートとして史上最も有名なのは、カルロ・ブロスキ(1705-1782)で、通称ファリネッリ。音域が3オクターブ半あったといわれる、天才カストラート。その伝記映画が『カストラート』です。
 カストラートの声は、さながら「神が音楽のために地上に遣わした天使」の響きだったそうで、ヨーロッパ社会はカストラートの声を待望しました。
 歌手去勢が禁止された現在ですから、映画の中のカストラートの声は、ソプラノ歌手とカウンターテナーの声をミックスしているそうです。(カウンター・テナーのデレク・リー・レイギンとソプラノのエヴァ・ゴドレフスカの声をデジタル処理した)

 映画『カストラート』は、英国ではヘンデルの時代。物語でもヘンデルは重要な役どころです。ファリネッリは長年作曲家である兄とコンビを組んできたのですが、ヘンデル作曲の歌をめぐって兄と対立し、兄から自立しようとします。昼は兄が作曲し弟が歌う。夜は弟が女性を耽溺させ、兄が種を植える。そういう二人三脚が崩れたあと、ふたりの運命は、、、、、。
 『カストラート』よりファリネッリが歌うシーン
http://www.youtube.com/watch?v=EVbyR1zJ9DQ&feature=related

 映画「カストラート」では、歌声が「映画の主役」と言ってもいい。
 日本ではカウンターテナーやの米良美一(もののけ姫の歌)やソプラニスタの岡本知高が知られています。
 岡本知高が歌う『誰も寝てはならぬ(トゥーランドット)』
http://www.youtube.com/watch?v=5R8LqdX4KlY 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「音楽映画・オーケストラ」

2012-12-04 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/12/04
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>音楽映画(1)オーケストラ

 今回のシリーズ「春庭シネマパラダイス」は、「音楽映画」「悪人映画」「難民映画」というラインナップです。
 まずは、音楽映画。最初はチャイコフスキー。

 チャイコフスキー映画は、1970年ソ連の伝記映画の『チャイコフスキー』ではなく、ブレジネフ時代からソ連崩壊時のエピソードをつづった『オーケストラ 原題:Le Concert)』(2010公開)をご紹介。(以下ネタバレ含む紹介です

 アンドレイ・フィリポフは、30年前には若手指揮者として成功を収めた人です。しかし、共産党政権が強行したユダヤ人芸術家排斥に与しなかったために楽団を追放され、今では劇場清掃係。30年間、劇場を掃除して生きてきたアンドレイの楽しみは、楽団のリハーサル時にホールに潜り込んで、自分が指揮しているつもりになることです。
 ある日、アンドレイは、パリの劇場が探しているオケのなりすましを計画します。パリシャトレ劇場で穴のあいたスケジュールを埋めるため急遽ボリショイ交響楽団の派遣を要請する、というファックスを手に入れたアンドレイが、彼と同じように政府から音楽家としてのキャリアを奪われた仲間を集め、パリに乗り込むというストーリー。
 寄せ集め楽士によるニセの交響楽団がホンコンで演奏会を開いたという実話を元にし、崩壊前のソ連の音楽と政治の裏話が語られます。

 演奏するのはチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。
 30年前に音楽界から追われた元楽団員達の、パリ到着までの珍道中やら演奏会までのてんやわんやで笑える映画なのですが、ラストのチャイコフスキー演奏は圧巻。
 アンドレイが指名した若く美しいバイオリンソリストには、出生の秘密がありました。

 リハーサルもすっぽかす楽団員たちが、アンドレイのひとことで劇場に集まり,若いソリストの演奏が聞こえると、皆で名演奏を行う。リハーサルなしに演奏するっていうのは、「アリエネー!」だけれど、そんなことは問題じゃない。「音楽の持つ力」を表現するにはとてもいい映画だったと思います。
 酷寒のシベリアで、見えないバイオリンから確かに音が聞こえてくるシーン、泣けます。この「音楽映画」の白眉の音シーンは、「エア・バイオリンから心に響いてくる音」でした。

「オーケストラ予告編」
http://www.youtube.com/watch?v=jyxtWUsvBBM

 「オーケストラ」のラストシーン」
 寄せ集めオケの演奏のひどさは笑えるけれど、バイオリンソロはすばらしい。ソロの音が響いたとたん、オケ一同はシャキ~ンとして、音がたちまち向上します。現実にそんなことはないだろうけれど。
 映画「オーケストラ」の若手バイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケ役を演じたメラニー・ロランは、画面で見る限りでは、指使い弓使いが実にきちんとしていました。

 バイオリンの吹き替えしたのは、フランス国立管弦楽団のサラ・ネムタヌSarah Nemtanuという若い女性演奏者です。
 ジャケ役を演じたメラニー・ロランは、サラから4~5ヶ月も演奏法の指導を受けたのだそうです。吹き替え演奏者直々の指導があったのだとわかり納得。さらに、メラニーの指導者として、ロン=ティボー国際コンクール・バイオリン部門第4位入賞のマチルド・ボルサレロ-エルマンが手取り足取りしたのだそうです。

 Sarah Nemtanuの演奏、フランスのバラエティ番組に出演して演奏しているようすがyoutubeにUPされています。サラの演奏のあとは、『オーケストラ』の監督(脚本も)のラデュ・ミヘイレアニュが映画について語っています。
http://www.youtube.com/watch?v=8MIeMmigDeE&feature=player_embedded#!

 また、映画の中では、ジプシーバイオリンが重要なポイントになっています。サラ・ネムタヌが演奏するジプシーバイオリン。
http://www.youtube.com/watch?v=o8Dufi-6kSY&feature=relmfu

 ミヘイレアニュ監督が言う「悲劇を笑いで語る」と言う音楽映画の成功のひとつの鍵は、「吹き替えの成功」そして、酷寒のシベリアに響く「エアバイオリンの音」だろうと思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「船虫口説・イクちゃんの芝居」

2012-11-14 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/11/14
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十二単日記2012年秋(6)「船虫口説」イクちゃんの芝居
 
 10月28日、知人の出演している芝居を見てきました。強い咳が出ている最中の芝居見物になってしまい、息を殺して咳を我慢していたので、苦しかった。
 あくたーず工房プロデュース公演「船虫口説~オチョロ船まぼろし画帖」という劇で、猪野建介作、雁坂彰演出。10日28日の楽日公演。中野テアトルBONBONにて。
 オチョロとは、瀬戸内の港町遊郭での方言で「お女郎」のことです。

 明治の廃娼令のあと、各地で「自由廃業」をしてお女郎の身から抜け出そうとした女性たちがいました。女郎の廃業を助けようとしていた男と、苦界に泣くオチョロたちの物語。
 浮花というオチョロは、自由廃業をしようとして果たせず、今その身を置く浦富楼よりさらに格下の淫売宿に売られていきます。労咳持ちの浮花。劣悪な淫売宿のその先には、咳をしながら喀血しながらの死が待つばかり。(浮花の儚げな咳に比べて、時折強く咳き込んでしまう私、恐縮でした)

 慕っていた姉が、家計のために売られていった経験を持つ宗介。お椀の行商人です。宗介は、お椀を売り歩く陰で、キリスト教救世軍の兵士としてオチョロ(お女郎)たちに自由廃業をすすめます。しかし、彼女たちは耳を貸しません。廃業したその先には、さらなる地獄があるだけだということを知っているからです。

 人身売買にあたる女郎の売り買いは、不平等条約改正を狙う政府にとっての痛点でした。「日本は人身売買を行う野蛮国」と言われないため、時の政府は、「娼婦は自由にその仕事をやめてよい」と廃娼令を公布しました。廃娼令を全国最初に決議したのは、1882(明治15)年の群馬県議会とか。
 しかし、女郎をやめたところで女たちにはほかに仕事もなく、飢えずに生きるためには娼婦を続けるしか生きようがなかった。

 ジャズダンス仲間だったイクちゃんは、銀波という名のオチョロの役。銀波は、自由廃業に批判的で、抜け出そうとするオチョロをいじめる側です。イクちゃんの演技は、メリハリがきいていて、自分が置かれた「風待ち港のお女郎」という境涯のなかで、気強く生きようとする女性像を作り上げていたと思います。

 ひとつ気になったのは、女郎たちの身の上を話すとき、役者が「苦界」を「くかい」と発音していたこと。「くかい」は「苦海」であって、苦界は「くがい」です。ひごろ有声音無声音の発音区別が苦手な留学生に「柿と鍵はちがうっ。自信と指針はちがう!」と、清音濁音区別を厳しく言っている商売柄、「くかい」と「くがい」は、意味が異なっていることに役者が気づいていない、ってところが気になりました。(たぶん、演出家も見逃していた)

 今の世では、女郎達の「苦界」といっても、その世界がわかる人はごくわずか。私の世代から下の世代では、すでに赤線も廃されたあとですから、苦界のイメージは「ソープ界隈」ってなものになっているでしょうが、ソープ街と苦界は別の世界。
 苦界は、人の世の蟻地獄。一度落ちたらその身を食い尽くされるまで、抜け出すことはできません。あっけらかんと「大学生ソープ嬢、学生バイト4年間で働いて貯めた2000万を元手に店を始める」なんていう昨今のフーゾクと、親や夫にその身を売られ,一生を性奴隷として働かされた上、無残に死んでいく女たちのむごい運命とでは、同じ身を売るにも天地の差。

 苦界の悲劇を知る人もいなくなった現代だからこそ、廃娼令の前もあとも、お女郎たちが悲惨な運命の中、必死に生きた心を伝える小説も芝居も大切です。つらい境遇のなかで泣き叫び、それでも、生き抜いていったであろうひとりひとりの心を。

<つづく>
コメント (3)
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ぽかぽか春庭「幕末大陽傳・さよならだけが人生だ」

2012-09-22 00:12:13 | 映画演劇舞踊
2012/09/22
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>(2)幕末太陽傳・さよならだけが人生だ

 「幕末太陽傳」は、戦後復活した日活の「復活3周年記念映画」として1957年に公開されました。日活創立100周年記念にデジタルリマスター版が作られ、世界公開。
 大勢の人がこの傑作について語っているので、私が付け加える言葉など残っていないけれど、一言だけ。60年たってもこれほど面白い映画。すごい!

 ただ、時代劇や落語の言い回しになれているはずの私にも聞き取りにくい部分があり、早口の台詞がわからないところが何カ所かありました。全体の流れがわからなくなることはなかったけれど。これは封切り当時はちゃんとはっきり聞こえたのか、それとも最初からこうだったのか、わかりません。

 主人公佐平次のフランキー堺ほか、芸達者たちてんこ盛りなのに対して、長州藩の攘夷派志士たちがみなへたくそであるのも、今から見ればかわいらしくて許せる。
 石原裕次郎って、ほんと何を演じてもユーちゃん。伊勢谷友介が演じた高杉晋作は、陰翳に富む表情を見せていたけれど、ユーちゃん晋作は、ひたすら元気よく、単純バカっぽくて太陽族晋作でした。これはこれでいいのかも。
 維新前に死んじゃう高杉や久坂玄瑞=小林旭が「若気の至り」であるのはいいとして、志道聞多(後の井上馨)=二谷英明、伊藤春輔(後の伊藤博文)=関弘美ら、そろってばかっぽいのは、ああ、こんなヤツラでも明治の世になれば元勲なんだと思わせる深慮遠謀なのか。

 一言に付け足して、蛇足。川島雄三監督が描きたかったのは、彼の座右の銘であるという下記の漢詩の井伏鱒二訳、だとの説に一票。

勧酒 于武陵(さけをすすむ うぶりょう)
勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離

君に勧む金屈卮
満酌 辞するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨多し
人生 別離足る

井伏鱒二訳
コノサカズキヲ 受ケテオクレ
ドウゾナミナミト ツガシテオクレ
ハナニアラシノ タトエモアルサ
サヨナラダケガ 人生ダ


 ラスト、品川の海辺を走り去る佐平次。横浜まで駈けていって、ヘボン先生の治療を受けられたのかどうか。佐平次の走り去るその先には明治が待っていることを知る観客は、「地獄も極楽もあるもんけぇ。俺はまだまだ生きるんでぇ」と叫ぶ佐平次だから、明治の世もしたたかに生き抜いた、と思いたい。しかし、スプレプトマイシンが普及する1950年代まで、労咳は死病であったし、川嶋監督自身が自分の死を見据えながらの映画作りであったことも考えると、やはり「サヨナラだけが人生だ」と走って行った、というのがオチで、これは川島が1957年の品川光景をラストに据えたとしても変わらないでしょう。

 もんじゃ(文蛇)の足跡:
この映画を見たあと、はじめて知った江戸ことば
ガエン者=火消役与力の下で働く火消し人足のこと。江戸市中に200~300人いたという。
 落語で聞いたことがあるはずなのに、耳で聞くことばは聞き流してしまう。幕末大陽傳の配役表を見て、あれ、ガエンってなんだ、と思った。目で文字を確認しないと頭に残らないタチです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「アーティスト・アギー」

2012-09-20 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/09/20
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>(1)アーティスト・アギー

 8月最後の日は、映画を見てすごしました。
 31日は、最初、新文芸座で山田五十鈴の追悼特集最終日を見るつもりで、池袋に行きました。
 しかし、北口から地下通路を通って東口へ出て、「なぜ、毎回毎回、新文芸座に行くのに迷うのだろう」と思いながら歩いていて、また迷い、おかしいなあ、こっちが近道と思ったのに、と歩いていったら、豊島区民センターへ出てしまった。ありゃ、こっちじゃない。

 駅前まで戻り、映画開始に遅れてやっと文芸座の入り口に出たら「ただ今の時間、『流れる』はお立ち見です。次の『東京慕情』も、お早めにご来場ください」という表示が出ている。しかたないので、地下鉄で飯田橋へ行きました。西口の東武スパイス2でゆっくりお昼ご飯食べているんじゃなかったと後悔しながら。久しぶりに「食べ放題」のランチ店に入ったので、貧乏性の私としては、千円分のもとをとらなければと思って、デザートまでしっかり食べたのでした。

 8月31日、飯田橋ギンレイは、「アーティスト」と「「幕末太陽傳」2本立上映の最終日。「幕末太陽傳」はデジタルリマスター。「アーティスト」は、第84回アカデミー賞では作品賞、監督賞(ミシェル・アザナヴィシウス)、主演男優賞(ジャン・デュジャルダン)など5部門の受賞。
 ギンレイは、同じ主演俳優の2本立てとか監督作品の2本という並べ方だったり、内容が似ている作品が2本並んでいるという方式の2本立てなのだけれど、今回は「白黒映画」という以外の共通点はない。以下、ネタバレ含む紹介です

 「アーティスト」と84回アカデミー賞を争った「ヒューゴの不思議な発明」を6月に見たのですが、ギンレイで2D上映で見ました。2Dだから、がらがらでしたが、私は3Dでなくても十分楽しめました。
 「ヒューゴ」は映画の父メリエスへの直接のオマージュに満ち、「アーティスト」は、サイレントムービーはじめ、多くの歴史的な映画へのオマージュが感じられる作りになっているのですが、私は「ヒューゴ」が好きでした。映画の出来不出来については、素人の私にはわからない。単に、私の好みが「女が男を慕い続ける」というストーリーよりも、「父への敬慕を貫く少年の成長物語」のほうにシンパサイズされるから、というものにすぎないだろうと思うのですが。

 「アーティスト」のストーリー。自分が女優としてのし上がるきっかけを作ってくれた、かってのスターが落ちぶれたあとも、男に変わらぬ愛を寄せる新進スター、という実にわかりやすい物語。台詞なくても楽しめましたが、台詞がなくてもわかる話にするために、ストーリーが単純で、これをカラー&トーキーでやられたら、途中で飽きたと思う。
 「ヒューゴ」は、3Dでなくても楽しめたけれど、「アーティスト」は、白黒無声映画という形なしには楽しめなかったと思います。

 トーキー映画への切り替えができず、人気凋落した映画スター、ジョージ・ヴァレンテイン。モデルは、ルドルフ・ヴァレンチノ。サイレント映画の大人気スターでしたが、31歳で亡くなっているので、トーキー時代に没落したという点では異なっていますが。

 ジョージが起死回生を狙って、全財産をなげうって作ったサイレント映画「愛の涙」のラスト。
 主人公が底なし流砂の中に落ち込んでしまい、男が沈んでいくのをヒロインはただ涙で見送るのです。自分の服を脱いでつなげて投げるとか、何かしたらいいのに、涙で見送るだけとは、サイレント映画の末路のようなシーンなのだけれど、この無声映画「愛の涙」がコケてしまうのは、サイレントだったからではなくて、その陳腐なストーリーゆえ。

 ところが、「アーティスト」のほうは、その陳腐なストーリーをものともせず、アカデミー作品賞やら監督賞やら受賞。
 この映画がアカデミー作品賞になったのは、「サイレント」という映画の表現方法を再発見させる意欲に対してだったど思います。「サイレント映画へのオマージュ」という枠がなければ、この映画に新味はなく、犬のアギーの演技がとても上手という以外に「ヒューゴ」よりも勝っていた部分は決して多くはなかったと思います。

 主演のジャン・デュジャルダン、落ちぶれたあとのヨレヨレの上着の汚れ具合などもよかったし、ラストシーンで踊るタップダンスは、フレッド・アステアみたいに軽やかで上手だった。でも何と言っても一番いいのは、アギー。

 アギーは、2002年アメリカフロリダに捨てられていたジャックラッセルテリア種。殺処分される直前、プロの動物トレーナーのオーマー・ヴォン・ミューラーに引き取られ、タレント犬として訓練を受けました。たちまち才能を発揮し、ドックフード、車、ビール等のCMに出演。スケートボードに乗る芸も身につけてドックショーで中米を回り、1歳半で映画デビユー。「ワサップ」ディズニーの「ライフ・イズ・ワン!ダフル」「恋人たちのパレード」などに出演しました。残念ながら、アーティスト以後は引退し、病気療養に努めるそうです。すでに10歳で、人間なら70歳。老犬の仲間入りですからね。でも、「主演作」を撮ってほしかった。

 アートは、日本語ではおもに「芸術」と訳され、絵画や彫刻などを意味すると解釈されることが多いですが、もともとアートには、「技術・技巧」「術、わざ」を表すことばでした。
 アーティストの中で、最も印象的なワザを披露したのは、「アギーの演技」というオチ。「アーティスト・アギー」よかったです。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「ペーパームーン」

2012-09-19 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/09/19
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>空に月、地に草、唇に歌-踊るために歌を覚える(4)空に月、ペーパームーン

 今回の発表会で、私は踊らなかったのですが、夏の間、練習していたダンスのひとつ、ペーパー・ムーン。2011年に踊った曲の復習です。今年は、ともさんくにさんこずさんが踊りました。
 歌は、美空ひばり版です。

 スタジオに掛かっている紙の月。そう、ただの書き割りのセット。でも、ふたりが信じ合えば、それは本物の月。
 サーカスのハラハラドキドキは本物の危険じゃないし、パレードの空騒ぎや娯楽センターの安っぽい歌のようなものだけど、それでも私はあなたの愛を信じたい。

 紙の月を信じるかどうかは、あなたの心しだい。

http://www.youtube.com/watch?v=OLbTHkoLKY4

「It’s Only A Paper Moon」春庭:訳詞

Say, it's only a paper moon  そうね、それってただの紙の月
Sailing over a cardboard sea  厚紙細工の海を渡ってく
But it wouldn't be make believe  でもこの月も信じられるんじゃない?
If you believed in me     もしあなたが私を信じるならば

Yes, it's only a canvas sky  ええ、これは書き割りの空
Hanging over a muslin tree   モスリン布地の木が広がる
But it wouldn't be make believe だけどそれも信じられる
If you believed in me     もしあなたが私を信じるならば

Without your love,   あなたの愛がないならば
it's a honkey-tonk parade  こんなの、空騒ぎのパレードよ
Without your love,   あなたの愛がないならば
it's a melody played in a penny arcade  こんなのゲームセンターのメロディにすぎない

It's a Barnum and Bailey world  こんなのバーナムベイリーサーカス団の世界と同じ
Just as phony as it can be  ただのまやかしにすぎないわ
But it wouldn't be make believe  でもそれは信じられるに違いない
If you believed in me    もしあなたが私を信じるならば

美空ひばり版では歌われない歌詞(ナットキングコールも、この部分を歌っていないのですが)
I never feel, a thing is real 本当のことだとは思えない
When I'm away from you  あなたから離れていると
Out of your embrace    あなたの抱擁がないと
The world's a temporary parking place この世はいっときのコインパーキングみたい
Mmm , mm , mm , mm
A bubble for a minute  しゃぼん玉に一瞬だけ
Mm , mm , you smile   あなたのほほえみが
The bubble has a rainbow in it  虹になって浮かぶ

 書き割りの空にかかった紙の月も、愛するあなたを信じてともに眺めれば、それは本物の月。
 外から見てどのように見えようとも、「私はダンサーのe-Na。踊る姿は宇宙一」と信じて踊れば、私は華麗な踊り子、、、、まあ、華麗じゃなくて加齢な踊り子であることは自覚しているんだけれど、楽しい発表会でした!

<おわり>
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ぽかぽか春庭「監獄ロック」

2012-09-18 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/09/18
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>空に月、地に草、唇に歌-踊るために歌を覚える(3)Let's rock、監獄ロック

 ダンス発表会、無事終了。私は、アデルの曲のほか、もう一曲プレスリーの「監獄ロック」を踊りました。
 プレスリーが歌って踊っているyoutubeの曲もありますが、私たちが踊るのは、日本で発売されたレコードからの音源です。

 私としては、1957年紅白歌合戦で浜村美智子が歌った歌詞で、「♪閉じ込められた青春の 鬱憤晴らせよ思い切り~」という歌詞で踊ってみたかった。浜村美智子の「監獄ロック」レコード発売は1958年2月です。前年の「バナナ・ボート」の浜村美智子歌唱はyoutubeにあるのですが、監獄ロックは見つかりません。

 その昔、テレビで平尾昌晃や尾藤イサオが「監獄ロック」を歌っているのを聞いたことはあるのですが、浜村美智子が歌っているのを聞いたことがありませんでした。もっとも、子どもの頃のわが家では、プレスリーも和製ロカビリーも「不良たちの歌」扱いで、レコードを買うことなど許されませんでした。むろん、ツイストなんか踊る連中も「不良」。

 姉が買い集めていたレコードは、舟木一夫や由紀さおりの「夜明けのスキャット」や「手紙」でした。舟木は、学生服で歌う姿が真面目そうにみえて、不良ではなかろうと親が許可し、由紀さおりは、童謡歌手安田章子だから、良風美俗の範囲内として許されたみたい。姉は同年生まれというところに親近感を持っていたのでしょう。

 「良家の子女」に育てよう、という親の「うちも中流家族の仲間入り」志向は、高度成長期の平均的な親の傾向だったんじゃないかしら。「戦前の華族様」のような上流家庭には及びもつかぬまでも、せめて「1億総中流」。
 ちなみに、私が最初にお小遣いで買ったレコード(45回転ドーナツ盤っていうやつ)は、中学生のとき買ったバッハの「トッカータとフーガニ短調」でした。

 50年後、プレスリーを自分が踊るとは思ってもみませんでした。「不良」になれてうれしいかも。
 50年後になってみれば、自分たちの生活は中流志向から滑り降りて、「働けど働けどなお、楽にならざりワーキングプア」を自覚してじっと手を見る。
 食事時には、モーツァルトでも流しながら優雅にお食事するはずだったのに、今じゃ、テレビのおばかバラエティ番組見て大口あけて笑い、食べては咽せる生活です。ロカびりぃだぜぃ。

 アデルと違って、プレスリーのリズムはとても単純で、数えやすい。歌詞覚える必要もなく、私でも数えられましたが、一応の訳詞。拙訳:春庭

 今回、監獄ロックを踊るにあたっては、こんなコンセプトを考えました。

A)あ~あ、門限は9時、消灯10時だなんて、女子寮なんて、入るんじゃなかった。
B)何の自由もない、これじゃ、監獄と同じだよね。まだぜんぜん眠くな~い。
C)ねぇ、プレスリー聞きたい
D)ロック最高!ツイスト踊りたい。
A)踊ろう!ジェイルハウスロック 
B)レッツダンス! 監獄ロック!
C)♪閉じ込められた青春の 鬱憤晴らせよ思い切り
D)♪監獄みたいな女子寮で、みんなで踊ろう ジェイルハウスロック!

 プレスリーの歌がスタートする前に、これらの台詞を録音して流したらどうでしょうか、という提案をしたのですが、却下されました。踊るメンバーの顔つき見れば、どうしたって「女子寮」ではなくて、「栃木刑務所」で服役中の女囚に見える、と言われてしまって、、、、あ~あ、罪深き私の美貌が悪いのね。

http://www.youtube.com/watch?v=FAM5_dpV33E

8 The warden threw a party in the county jail. 看守がおっぱじめた郡監獄パーティ
8 The prison band was there and they began to wail. 囚人バンドは叫び出す
8 The band was jumpin' and the joint began to swing. バンドは跳ねてスィングしだす
8 You should've heard those knocked out jailbirds sing. ムショのみんなが歌い出す
8 Let's rock, everybody,  みんなロックだ
8 Let's rock. さあさあ、ロックだ
8 Everybody in the whole cell block 独房のやつらもみんなでさ
8 was dancin' to the Jailhouse Rock. 踊ろう監獄ロックだぜ

8 Spider Murphy played the tenor saxophone, スパイダー・マーフィーがサックス演奏
8 Little Joe was blowin' on the slide trombone. リトル・ジョンがトロンボーン吹く
8 The drummer boy from Illinois went crash, boom, bang, イリノイのドラムボーイがドンドコ叩き、
8 the whole rhythm section was the Purple Gang. リズムセクションはパープル・ギャング
8 Let's rock, everybody,
 Let's rock
8 Everybody in the whole cell block
8 was dancin' to the Jailhouse Rock.

8 Number forty-seven said to number three: ナンバー47がナンバー3にいった
8 "You're the cutest jailbird I ever did see. おめえはかわいい野郎だぜ
8 I sure would be delighted with your company, おめえとダチでうれしいや
8 come on and do the Jailhouse Rock with me." 監獄ロックをオレとやらかそう
8 Let's rock, everybody,
 Let's rock.
8 Everybody in the whole cell block
8 was dancin' to the Jailhouse Rock.
8 間奏




8 The sad sack was a sittin' on a block of stone のろまなヤツは石の上
8 way over in the corner weepin' all alone. 向こうの隅で泣いている
8 The warden said, "Hey, buddy, don't you be no square. 看守が言うには、そう固まるな
8 If you can't find a partner use a wooden chair." 相手がいなきゃ椅子と踊れよ
8 Let's rock, everybody,
8 Let's rock.
8 Everybody in the whole cell block
8 was dancin' to the Jailhouse Rock.

8 Shifty Henry said to Bugs, "For Heaven's sake, ずるヘンリーがバッグズにいった "いくらなんでも
8 no one's lookin', now's our chance to make a break." 誰も見てねぇ、逃げるチャンスだ
8 Bugsy turned to Shifty and he said, "Nix nix, バグジィがシフティに向かって言った、何にもねぇさ
8 I wanna stick around a while and get my kicks." おいらはここで楽しむぜ
8 Let's rock, everybody,
8 Let's rock.
8 Everybody in the whole cell block
8 was dancin' to the Jailhouse Rock.

8 Dancin' to the Jailhouse Rock
8 Dancin' to the Jailhouse Rock
8 Dancin' to the Jailhouse Rock
8 Dancin' to the Jailhouse Rock

 1970年代の牢獄のようなホテルカリフォルニアに比べて、1950年代のアメリカは、なんとノーテンキなことでしょう、州の地方刑務所の囚人達も、おいおい、監獄内でパーティやってていいんかい、と突っ込みたくなる陽気さです。

 大人になって歌詞の意味を深読みするようになれば、ナンバー47がナンバー3に、"You're the cutest jailbird I ever did see. 「お前は、オレが見たなかで一番かわいい刑務所の小鳥ちゃんだぜ」と言い寄るのも、意味がわかってきました。
 刑務所内では、顔のきれいな男は、看守からも牢名主からも「かわいいboy」とされてしまう現実をちゃんと描写している歌詞でした。と言っても、アメリカのフィフティーズと言えば、赤狩りとともにゲイ弾圧が盛んな時代ですから、言い寄るナンバー47のことばが何を意味しているか、互いに分かっていても口にだすことはできなかったでしょうね。
 監獄ロックを歌い踊るエルヴィスの腰つきが卑猥であるとして、教育ママたちが目くじらたてた時代でした。

 そんな時代から半世紀たって、オバハン4人が楽しく踊ってまいりました。
 4人のメンバー、元校長先生、ダンナとともにハウスクリーニング店経営など、人生の酸いも甘いも噛みつくした女傑たち。いつでも脱獄できそうな迫力のオバサン4人に罪があるとしたら、男たちの視線を釘付けにしたこの美貌とナイスボディかしらね。って、うちらのダンスを見てくれたのは、同じ年代のオバハンたちでしたけどね。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「ホテル・カルフォルニア イーグルスvsなかにし礼超訳」

2012-09-16 00:00:01 | 映画演劇舞踊
2012/09/16
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>空に月、地に草、唇に歌-踊るために歌を覚える(2)地に草、ホテル・カルフォルニア(イーグルスvsなかにし礼超訳)

 ジャズダンス発表会。ダンス仲間のミサイルママが踊った曲は、「ホテルカリフォルニア」
 2年前の2010年に発表した曲の復習曲。ミサイルママがこの曲を舞台で披露するのは、2011年秋、2012年春に続き3度目ですから、振り付けもしっかり身についていて、動きもきれい。とてもじょうずでした。

 この曲、歌詞の意味を知る前は、カリフォルニアで休暇を楽しむすてきなホテルの歌かと思っていました。しかし、この曲は、アメリカのヒッピーたちが自由な活力を失って精神荒廃の中に沈み、経済優先のアメリカ精神に敗れ、暗い部屋に閉じ込められたまま逃げ場がない、ということを歌ったシリアスな歌でした。
 この歌が今でも少しも古びないのは、アメリカには今もこのホテルカリフォルニアの中に閉じ込められていると感じている人々が暮らしているからでしょう。
 
 この曲を、どうして私たち日本人は「カリフォルニアで休暇を楽しむすてきなホテル」の歌と思って聞いてきたのか、ということを、今回さぐってみたら、日本語訳の歌詞を最初に頭に入れて聴いたからだ、ということがわかりました。

 英語の歌詞は、以下のとおり。
 草(グラス)の匂いに満ちた荒れ野の向こうに立つ、ホテルカルフォルニア。
 ヘロイン中毒で死んだジャニスが、自由の女神のように、灯りを掲げてドアに立っています。天国なのか地獄なのか、1969年からスピリットを失ったままのアメリカで、人は自分自身を囚人にする。さあ、不在証明を持って、ホテルの部屋で宴会だ。
 朦朧とした意識ですごすこのホテルを出て最初の場所にもどろうとしても、決して逃げ出すことはできない。チェックアウトはできるけれど、ここから逃れることはできないのです。

 スピリットということばが、蒸留酒(spirits)と、アメリカ精神(American sprits)との掛詞になっていることに気づくと、この曲のテーマが浮かび上がってきます。
 
 一生、出ていけない囚人となった自分は、ホテルカリフォルニアに住み続けるしかない。この、スピリットを切らしたままのホテルに。

ホテルカリフォルニア(Hotel California イーグルス 春庭拙訳)
http://www.youtube.com/watch?v=7_Wcbts8jzY

ギター前奏8beat が8つ。そのあと、8beatが8,4,8,4, 8 ギター後奏8beat が16

8beat×8 ギター前奏 
1(8beat×8)
1-8 On a dark desert highway, Cool wind in my hair, 暗い荒れ野のハイウェイ、クールな風が髪にふれる

2-8 Warm smell of “colitas”Rising up through the air, 生あたたかいコリタス草の匂いがあたりに立ちのぼる(*colitasは、glass=草と呼ばれるマリファナなどと同類のもの)

3-8 Up ahead in the distance, I saw a shimmering light, 遙か向こうに顔を向けるとゆらめく光が見えてきた

4-8 My head grew heavy and my sight grew dim, I had to stop for the night. 頭が重くて視界はぼんやり 今夜はここで泊まらなくちゃ 

5-8 There she stood in the doorway, I heard the mission bell. ドアのところに彼女が立ってる ミッションベルが聞こえている(彼女=ヘロイン過剰摂取で1970年に27歳で亡くなった伝説のロック歌手ジャニス・ジョプリンを指す)(mission bell=教会の鐘→ミッション(任務)開始&終了を告げるベル)

6-8 And I was thinkin’to myself : “This could be heaven and this could be hell”自分のために考えている ここは天国?それとも地獄か

7-8 Then she lit up a candle, And she showed me the way,すると彼女は灯りをともして 私に行く手を示してくれた

8-8 There were voices down the corridor, I thought I heard them say 廊下をいくといろんな声がする、やつらの声が聞こえた気がする

2(8beat×4)
1-8 Welcome to the Hotel California, Such a lovely place, ようこそ、ホテルカリフォルニアへ ここはすてきなところだよ

2-8 Such a lovely place Such a lovely face ここはすてきなところだよ イカシた面々

3-8 Plenty of room at the Hotel California,  ホテルカリフォルニアには、部屋がいっぱい

4-8 Any time of year,(Any time of year) You can find it here 年中いつでもどんなときでも あんたの部屋はここで見つかる

3(8beat×8)
1-8 Her mind is Tiffany-twisted, She got the Mercedes Bends, 彼女の心はティファニー捻れ、彼女はひん曲がりメルセデスを手に入れた(*曲がったメルセデスMercedes BendsとMercedes-Benzを掛けている )

2-8 She got a lot of pretty, pretty boys she calls friends 彼女にはトモダチがいっぱい。おトモダチって呼ぶのははかわいいボーイたち(* boy=愛人、男娼)

3-8 How they dance in the courtyard, Sweet summer sweat中庭でダンスを踊ってる スィート・サマーが汗(スェット)になるまで

4-8 Some dance to remember, Some dance to forget 忘れないためにダンスを踊る奴もいるし 忘れるために踊るやつもいる

5-8 So I called up the Captain“Please bring me my wine” He said, それでキャプテン(給仕長)を呼んだのさ 「俺のワインを持ってきてくれないか、この俺に」返事はこうだ

6-8“We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine”「あいにくと、切らしております。そのスピリット(酒/精神)は、1969年から

7-8 And still those voices are calling from far away, そしてまた、奴らの声が遠くから呼びかけてくる

8-8 Wake you up in the middle of the night Just to hear them say: 真夜中でもおまえは起こされる ほら、その声が聞こえてくる

4(8beat×4)
1-8 Welcome to the Hotel California, ようこそ、ホテルカリフォルニアへ
2-8 Such a lovely place, Such a lovely face すてきなところさ イカシた面々が
3-8 They’re livin’ it up at the Hotel California, ここに住み替え
4-8 What a nice surprise, (What a nice surprise) Bring your alibis なんてイカシたサプライズ あんたのアリバイ持っといで(alibisアリバイ=不在証明書)

5(8beat×8)
1-8 Mirrors on the ceiling, The pink champagne on ice, and she said: 天井のミラー 氷の中のピンクのシャンペン。彼女は言った

2-8 “We are all just prisoners here, Of our own device” 「ここじゃ皆が囚人だわ、自分から縛られた囚人

3-8 And in the master’s chambers They gathered for the feast, さ、牢名主の部屋に皆で集まり祝宴だ

4-8 They stabbed it with their steely knives, But they just can’t kill the beast とがったナイフで皆が突き刺す、だけど獣は殺せない

5-8 Last thing I remember,  I was running for the door, 覚えている最後のことは ドアに向かって走っていたこと

6-8 I had to find the passage back to the place I was before, もとの場所に戻る通路を見つけなきゃならないんだ

7-8“Relax,” said the night man, “We are programmed to receive,「リラックスして」と夜警が言った 「受け入れるってことはもうプログラミングされてるのさ

8-8 You can check out anytime you like…but you can never leave” 好きなときにいつでも(この世を)チェックアウトできるさ でも決してここからは逃れられない、、、、、」

8beat×16 ギター後奏

 ホテルカリフォルニアが私のなかで、まったく原曲とは異なるリゾートホテルにイメージされていたのは、なぜか。

 おそらく、「たんぽぽ」という女性デュオがカバーした日本語バージョンのせいだと思います。なかにし礼の訳詞です。

 なかにし礼の訳詞は、シャンソンの訳詞でも英語の詩でも、日本語をメロディにのせるため、いつも「超訳」になっていますが、ホテルカリフォルニアも、原曲とはまったく異なる雰囲気の日本語詞になっています。
 たんぽぽのさわやかな歌声に合わせてのことなのか、なかにし礼の訳詞にあわせてたんぽぽが選ばれたのか分かりませんが。

 以下の訳詞掲載、ニコニコ動画の歌から春庭が再録しました。
http://www.nicozon.net/watch/sm16629615   (ニコニコ動画)

 このシリーズ「踊るために歌を覚える」全体の3分の1を超えない長さですから、引用の範囲内として、この訳詞は掲載を認められると思います。

超訳 ホテルカリフォルニア byなかにし礼 歌:たんぽぽ

悲しいことやなやみごと あるときなど、
ぼくは いつも 暗いハイウェイ 車とばして ホテルカリフォルニアへ ひとり 行くのさ

そのホテルには 酒もあるし 女もいるし
生きることに あくせくする 自分自身が わけもなく ばからしく見える そんな場所さ

わかったね ホテルカリフォルニア さあどうぞ いらっしゃい
遊んでおゆき ホテルカリフォルニア ひとときの幸せが ここにある

ここは最高 誰もみな 友だちだよ
帰り支度するやつらなどは 誰にきいても どこを探してみても ひとりもいない

一日中 祭りのように 恋とワインに 酔いしれながら 踊るのさ
ここは男の 天国さ 眠りを知らない 楽園だよ

わかったね ホテルカリフォルニア  さあどうぞ いらっしゃい
遊んでおゆき ホテルカリフォルニア  ひとときの幸せがここにある

つらい過去に 泣く男や 夢に傷ついた若者が
日暮れになると このホテルへ来る ドアをひらいて 今日もやってくる

歌をうたい、酒を飲んで 時の流れを 忘れよう
ぼくらはみんな このホテルが好き  そうさ、ほんとうに ここが好きなのさ

*くりかえし
*わかったね ホテルカリフォルニア さあどうぞ いらっしゃい
遊んでおゆき ホテルカリフォルニア
ひとときの幸せが、ここにある  さあ、どうぞいらっしゃい


 原詩の、「ヒッピー崩れのけだるさ」「1970年代の、経済優先のアメリカ社会から逃げ出したくても出られない鬱屈」「出口のないホテルに囚人のように閉じ込められる」という意味が、見事に換骨奪胎されています。

 いまだ経済成長が続いており「ジャパンアズNo.1」という幻想の中でバブル崩壊前の乱痴気騒ぎを続けている日本社会に、イーグルスの詩は受け入れられないとなかにし礼の嗅覚が選んだ訳語なのでしょう。

 仕事に疲れて、女や酒に癒しを求めたいおっさんや、恋に破れて、自分では大いに傷ついたつもりのワカゾーの気持ちに沿った、ノーテンキな訳詞。「ここは男の天国」とは、バブル前の安キャバレーや一杯飲み屋のおっさんが言いそうな台詞です。

 さて、抜け出しがたい居心地のいいホテルのような、この安穏国から抜けだして、グラスが風になびく荒野に出て行こうとする者は、いるのでしょうか。
 何も考えずなにも変えようと思わなければ、ここは、他国の紛争や貧困はすべて「よそごと」として過ごしていられそうな、この世の天国みたいです。

 ♪好きなときにいつでも(この世を)チェックアウトできるさ でも決してここからは逃れられない、、、、、

<つづく>
コメント (7)
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