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ぽかぽか春庭2013年6月目次

2013-06-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013/06/30
ぽかぽか春庭2013年6月目次

06/01 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・数え方の世界(1)ここのつ、とお
06/02 ことばの知恵の輪・数え方の世界(2)ひとつふたつ 
06/04 ことばの知恵の輪・数え方の世界(3)指で数える
06/05 ことばの知恵の輪・数え方の世界(4)無量大数

06/06 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(1)赤い名前
06/08 ことばの知恵の輪・色の世界(2)みどりいリンゴ
06/09 ことばの知恵の輪・色の世界(3)グーリングリーン
06/11 ことばの知恵の輪・色の世界(4)文化と色-太陽はどうして真っ赤に燃えるのか
06/12 ことばの知恵の輪・色の世界(5)文化と色-虹色はいくつ?-人だもの
06/13 ことばの知恵の輪・色の世界(6)ポケモンの色彩名詞
06/15 ことばの知恵の輪・色の世界(7)色の形は色即是空

06/18 春庭の現代ゲージツ入門(1)会田誠、天災でごめんなさい
06/19 春庭の現代ゲージツ入門(2)会田誠、駄作の中にだけ俺がいる
06/20 春庭の現代ゲージツ入門(3)会田誠vs児童ポルノ被害と性暴力を考える会
06/22 春庭の現代ゲージツ入門(4)会田誠vs村上隆、ごめんしてもしなくても会田は天才である
06/23 春庭の現代ゲージツ入門(5)モニターの中の会田誠in森美術館
06/25 春庭の現代ゲージツ入門(6)概念美少女と会田誠
06/26 春庭の現代ゲージツ入門(7)会田誠につづけ
06/27 春庭の現代ゲージツ入門(8)岡本太郎とチン↑ポム
06/29 春庭の現代ゲージツ入門(9)チン↑ポムin岡本太郎記念館 
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ぽかぽか春庭「チン↑ポムin岡本太郎記念館」

2013-06-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/29
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(9)チン↑ポムin岡本太郎記念館 

 岡本太郎記念館は、岡本太郎(1911 - 1996)と岡本敏子(1926 - 2005)が暮らしたアトリエ兼自宅を改装して太郎作品を庭と1階2階に展示しています。
 太郎の公私にわたるパートナー岡本敏子は、法律上では太郎の養女であり、事実上の妻、そして対社会的には太郎の個人秘書でした。

 敏子が太郎の妻として入籍しなかったのは、太郎に異母弟妹がいたためです。(これは瀬戸内寂聴説)
 太郎の父、岡本一平(1886 - 1948)は、太郎の母かの子(1889 - 1939)が亡くなったあと、再婚して4人の子をもうけています。敏子が妻として入籍すると、子がいない夫妻の場合、異母弟妹にも相続権があります。

 太郎は、作品をほとんど売ることなくアトリエに残しました。太郎の遺作を散逸させないためには、敏子を養女として唯一の相続人にする方が作品を完全に管理できると考えての養女縁組みだったと思われます。相続者が子である場合は、故人の弟妹には相続権がなくなります。
 作品のほとんどは川崎市に寄贈されて岡本太郎美術館所蔵品となり、残りは岡本太郎記念館に残されました。敏子は散逸をまぬがれた太郎作品を守ることに残りの生涯を費やしました。

 太郎の死後、敏子は「太郎の芸術を埋もれさせず忘れさせない」ために本を書き、展覧会を実施し、日本各地をまわりました。太郎こそ敏子の作品でした。太郎の死後2年後1998年に青山の自宅を記念館としてオープンしてから今年は15年目にあたります。太郎のアトリエだった展示室には、敏子が太郎について語る録音が流されています。
 敏子さん、ほんとうに太郎がだいすきだったのだろうなあ、と思いながら聞いていました。

 岡本太郎記念館の1階に展示されている太郎と敏子の写真


 敏子は、「忘れられかけていた前衛画家・太郎」の再評価のために積極的に活動し、2003年にはメキシコで行方不明になっていた「明日の神話」の行方を探し出しました。大阪万博の「太陽の塔」と並ぶ太郎の代表作です。
 展示される予定だったメキシコのホテルの計画が中止されたあと、30年も行方がわからなかったのですが、敏子は長年の探索ののち、メキシコの倉庫に眠っていた絵を見つけました。

 縦5m横30mという大きな壁画は、現在井の頭線とJRを結ぶ渋谷駅コンコースに展示されています。
 太郎が、原爆投下とビキニ環礁での水爆実験、第五福竜丸の被爆への気持ちを表すために制作した作品です。


2013年05月30日の渋谷駅

 敏子なきあと、敏子の甥の平野暁臣(1959~)が太郎記念館館長になり、岡本太郎賞の選定などの記念館事業を引き継いでいます。

 2年前、平野が残念に思った事件がありました。アート集団Chim↑Pomが「自分たちの作品である」と表明した明日の神話付け足しフクシマ第一原発爆発の絵」に対して
「「きちんと岡本太郎にオマージュを持っている作品であり、たんなるイタズラ書きなどではない
と述べた意見はマスコミによってほとんど無視され、紙面にきちんと掲載してくれた新聞は少なかった。マスコミ報道は「フクシマ原発爆発に乗じた悪ノリのイタズラ」という一方的な論調をとりました。

 太郎記念館では、若手芸術家が岡本太郎作品とのコラボ作品を制作し、記念館2階展示スペースを作品発表の場として与えるという「若手アーティストとのコラボレーション」を続けてきました。今年2013年に、この企画はChim↑Pomに託されたのです。
 こりゃ、面白いもんが見られそうだ、といういつものヤジ馬精神で、5月27日にChim↑Pom展を見てきました。(3月30日~7月28日)

 チン↑ポムは、エリイ、卯城竜太、林靖高、水野俊紀、岡田将孝、稲岡求をメンバーとするアート集団。2005年活動開始し、サンフランシスコで開催された会田誠個展で会場に作品を展示し、アート界にデビューしました。会田誠の周囲に集まった若手たちです。

 岡本太郎記念館の1階には、太郎とのコラボ作品が飾られていましたが、一番に目をひくのは、太郎記念館に寄贈された「明日の神話へのつけたしフクシマ爆発」の絵です。
 「明日の神話へのつけたし作品」の渋谷駅への配置予定図なども展示されていました。チム↑ポムがいかにして渋谷駅にこの付け足しをくっつけるかの設計図がノートをひきちぎったメモとして壁にあり、これもコラボ作品の1つ。

太郎アトリエに「太郎とのコラボ作品」として展示されているチム↑ポムの付け足しフクシマ原発の爆発


 平野が評したように、別段うまい絵でもないし、現代美術としての衝撃がある絵でもない。しかし、2011年4月に、不特定多数の人の目に触れる場に、フクシマ原発が放射能をまき散らす存在であることを題材にした作品を、ほかの誰が展示し得ただろうか。

 現代美術がパフォーマンス&インスタレーションを含むようになって以来、「行動」も展示のひとつであるとするなら、原発爆発直後のこの「行動力」は、他のアーティストがだれも行わなかったアートとして、高く評価すべきでした。しかし、大多数の人々は「いたずら」としておしまいにしました。

 チム↑ポムは、2008年10月には被爆地である広島県の上空に、飛行機雲で「ピカッ」という文字を描いたことが一部の人に問題視されました。被爆者たちは、のちにチン↑ポムの製作意図をきちんと理解してくれた、ということです。
 世間のタブーに対しておとなしく何も言わない自称美術家たちがゴマンといるこの社会で、原爆投下にたいして、アートによって「物言う」集団でありました。

 世間はチム↑ポムを「お騒がせ集団」として扱っていたし、「明日の神話への書き足し」も、「売名行為」として眉をひそめて非難する「評論家」やら「コメンテーター」たちが続出しました。
 しかし、平野暁臣は、かれらに「表現の場」を与えたのです。記念館という「ハコモノ」の中でできることは限られているけれど、少なくとも私はこれまで「お騒がせ」の部分しか知らなかったチム↑ポムの作品、インスタレーションなどを見て、「いいんじゃないの、これ」と思いました。

 一番よかったのは、フクシマ第一原発の警戒区域に「ビニールのレインコートを着ただけ」という姿で入り込み、ビデオを撮影したことです。当時、マスコミも「放射能がこわいから」と、だれも取材に行かなかった無人地帯にカメラを向け、無人になっている家、捨てられたペットが死にその死骸をカラスが集まってついばんでいる様子などを記録してきました。単なる「お騒がせ集団」だったら、連日「○○シーベルト」と報道されている地帯に命がけで入って記録しようと思うでしょうか。私はこの映像を高く評価します。

危険地域への立ち入り禁止の看板とフェンス(画面右下の日付は、私が岡本太郎記念館に行った日付です)


カラスが小動物(置き去りにされたペット?)の死骸をついばむ「立ち入り禁止地域」


 チム↑ポムのインスタレーションの中に、「カラスを空に集めて撮影する」という映像作品が以前からありました。「人がカラスの剥製を掲げて、カラスの鳴き声を流してバイクで走ると、ものすごい数のカラスが集まり、集団を形成してあとをついてくる」という説を実証したフィルムがあるのです。東京の市街を、大阪の太陽の塔がある地域を、そしてフクシマの無人の町を、バイクが疾走します。荷台に立つエリイが腕にカラスの剥製をかかげ、バイクはカラスの鳴き声を大音量で流しています。

 空には信じられないほどの数のカラスが飛び交っています。縄張りを荒らされまいとするのか、仲間のカラスの剥製を見て、弔いをしているのか、わかりません。カラスにそういう習性があるのだと、私はこの映像作品を見るまで知りませんでした。

 渋谷をバイクが走ると、109前にいる人々がみなぽかんと空を見上げ、カラスの大軍団を見ている様子が撮影されています。ネットに「スゲー、カラスがいっぱいいる」と、ツィッターする人もいます。このカラスの映像、ヒチコックの『鳥』なんてもんじゃなく、リアルで迫力がありました。

 月曜日午後という一番すいていると思われる時間を選んででかけたので、ビデオの前に足を投げ出して座り込み、何度もくりかえしてカラスが集まって飛ぶフクシマや渋谷の映像を見ました。このときのビデオ上映は、10分ほどのインスタレーション作品でした。  

 私は、「現代アート」というものに、いささかの懐疑の思いしか抱いてこなかった。 いしいひさいちのマンガでは「現代美術展」に麗々しく飾られた落書きを、観覧者が感心した様子で見ている4コマがあります。(2013年06月02日朝日朝刊「ののちゃん」)4コマめのオチでは、これらは「電話かけている人が手持ち無沙汰なときに、メモ用紙にぐるぐるとボールペンで描いた図形」と種あかしされています。
 現在の「現代アート」をおちょくっているとも言えるし、現代アートと名付けられて美術館に飾られれば、人々はありがたがって見に行くということへの皮肉とも言えます。

 Chim↑Pomの「明日への神話つけたしフクシマ原発爆発」の絵は、渋谷駅コンコースに「勝手に展示」されたときは「いたずら書き」とされて撤去されました。これから先、岡本太郎記念館に寄贈され、正式な収蔵作品になったことで、「アート作品」として批評されていくことでしょう。
 「こんなイタズラ書きを掲示して実にけしからん」とか「こんな絵はアートじゃない」と評論した美術界のえらいさんたち、これから美術館の中で見るときどんな顔をしてこの作品を見るのでしょうか。
 
 私は、「美術館めぐりを安上がりなお楽しみとしか思っていないオバハン」ですから、美術評論家のような専門的な評などできはしません。が、会田誠展とその弟子筋のChim↑Pomを見て、アートの未来に少しは明るい希望を持ちました。

 カタログは買わなかったけれど、Chim↑Pomの著作『芸術実行犯 アートが新しい自由を作る』を買いました。月曜日に本を買って、火曜日の帰りの電車内で読み終わりました。新書くらいの判型で175ページだから、読み続ければすぐに読み終わる分量なのですが、最近の私は読み始めても電車の中ですぐに寝てしまうので、一日で新書を読み終えるなんてことができなくなっていました。それなのに『芸術実行犯』は、車中いねむりをさせないおもしろさがありました。

 日本の現代アート、希望はある。

 最後に、岡本太郎の書とそのオマージュリメイク作品をUPします。
 岡本太郎は、ベ平連(ベトナムに平和を市民連合)が、ベトナム一般市民虐殺に抗議してアメリカの大新聞に出した新聞意見広告に賛同して、「殺すな」という文字を書きました。
 リメイク作品は、岡本太郎記念館の塀の東南の角に書かれていました。

太郎の書

リメイクされた塀の書(落書きに見えるように書かれています)

 慰安楽しみのために消費するのもアートのひとつの役割であり、それを悪いとは思いません。しかし、現在の、硬直した心の中に押し込められている社会状況で、心の自由としなやかさのために発信できるアートもまた高く評価されるべきです。
 Chim↑Pomは、その志を持ったアート集団であると感じました。

 岡本太郎記念館の入り口


 次月7月もまだまだ現代アートシリーズが続きます。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「岡本太郎とチム↑ポム」

2013-06-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/27
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(8)岡本太郎とチン↑ポム

 殿堂入りしてしまって、今や誰も悪口を言う人がいなくなった現代美術の古典のひとつ。岡本太郎。
 テレビのCMに出て、例の「ゲージツは爆発だぁ」と叫んでいたころは、まだ「現代美術を滑稽なものとして笑い飛ばす火焔土器」のようなエネルギーをまき散らしていました。

テレビCMに出ていたころの岡本太郎


 亡くなったあとは、養女(として入籍したパートナー)の岡本敏子の「タローを守る」という努力の甲斐あって、タローは今では現代美術の古典作品。タローをお笑い芸人扱いして笑いとばすことが出来なくなってきた昨今。
 あの独特の風貌と、そこに立っているだけで笑いだしたくなる存在感は貴重だった。縄文式の底抜けの笑うエネルギーがある人でした。

 「太陽の塔」のミニチュアレプリカが5万円前後。シルクスクリーンやリトグラフの版画作品が10~30万円ほど。直筆油絵の値段は、もう天井知らず。
 と、またまた値段でゲージツを語るしかできないお馬鹿なアート鑑賞法をやっておりますが、岡本太郎をタダで見たければ、渋谷へ行けばよい。渋谷マークシティビルの京王井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路の壁に掲げられています。縦5.5m、横30mの壁画です。

 1954年、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が被爆し、無線長だった久保山愛吉らが被爆した際の、水爆炸裂の瞬間をテーマに描いています。久保山さんは原爆症発症して死亡しました。
 私は、熱帯植物園にいったときは、必ず近くにある第五福竜丸保存展示場へ行って「水爆実験によって被爆死亡した人を忘れない」ための見学をしてきます。忘れないことは大事だと思うので。

 「明日への神話」渋谷駅へ出かけて撮ってきた写真、横の長さ30mなので、4部分に分割してUPします。

明日の神話向かって左から








 一番右側の下のエスカレータ手前空きスペースがあります。(一番下の絵の、撮影日付が入っているあたり)この空きスペースに、フクシマ原発事故の後、フクシマ第一原発爆発を思わせる絵が貼り付けられました。壁画本体への損傷はなかったけれど、ビル壁画への損壊として警察は撤去。
 東京の若手美術家グループ「Chim↑Pom」が、自分たちの作品と発表しました。

 画面の右下に付け加えられたチム↑ポムの「フクシマ原発の爆発」


 私は2011年5月には出かける気力もなく、かろうじて仕事をしていたところでしたので、通勤経路をはずれている渋谷駅に行くこともなく、見ないままでした。チン↑ポムというグループ名もなにやらそれらしき名前ですし、見たかったなあ。現代芸術は、これくらいの行動をしてよいはず、と思っていました。

 チム↑ポムの作品は、「いたずら描き」としてすぐに撤去されてしまいました。
 が、さすが「岡本太郎記念館」の現館長である平野暁臣(岡本敏子の甥)は、今年3月から7月まで、記念館の展示として「Chim↑Pom」展を開催しています。Chim↑Pomは、6名のメンバーによるアーティスト集団。メンバーはエリイ、卯城竜太、林靖高、水野俊紀、岡田将孝、稲岡求。

展示期間 :2013年3月30日(土)~7月28日(日)
開館時間 :10:00 - 18:00 (火曜日休館)

 こいつは見ておかなきゃと、見て来ました。
 見て来た結果。私はChim↑Pomの表現を高く評価する、という結論に至りました。平野暁臣、慧眼です。

 以下、Chim↑Pom展について。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「会田誠につづけ」

2013-06-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/26
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(7)会田誠につづけ

 会田誠、小学生時代は、授業中落ち着いて座っていられず、机のまわりを歩きまわってしまうタイプだったという。現代ならソッコー多動性障害(たどうせいしょうがい、Hyperkinetic Disorders F90)の診断名が下されたであろう。しかし、彼が描くマンガはクラスメートにも人気だったので、クラス内で疎外されることもなかったのだそうです。

 会田誠は「駄作の中にだけ俺がいる」で「世間に出るためには、世間と交わることのできる人間に矯正しなければならなかったのだけれど、美術家になれば世間と同調しなくてもいいのだと気づいた」という意味のことを述べています。

 東京芸大では、油絵専攻。卒業後は、「取扱注意画家」として快進撃。私生活でも、現代美術家岡田裕子(1970~)と結婚し、男の子をもうけ西荻窪在住。ドキュメンタリーのなかでは、「チューしてチューして」とせがんでまとわりつく息子に「お前、学校で絵かかせられるの、いやがっているんだろ」とか、語りかけていた。
 岡田裕子、田園調布双葉からタマビへ。結婚記念写真は、ウェディングドレス着た岡田と化粧してウェディングドレス着た女装の会田誠が並んでいる写真だというのも、「お芸術」をする夫婦の写真としてイインじゃないかと思います。子ども、絵描きになるかしら。

 ひとつの絵画技法に安住することもなく、漫画もポップアートも日本画の技法もしっちゃかめっちゃか取り込みながら、一貫して会田誠は会田誠として驀進してきました。今回の「初の美術館での大展覧会」で、名前は美術界のみならず、一般に浸透しました。今後の活動を楽しみにしています。

 会田は、この展覧会にあたって、「平成勧進」として広く一般からひとくち15000円の寄付を集める、というプロジェクトを開催しました。企業からの協賛とかが得られなかったからだそうですけれど。

 サポーターになると、会田作品の最新作「ジャンブル・オブ・100フラワーズ」の下絵だかのマルチプル(作家の指示のもとに量産された美術作品)が貰えるそうで、このマルチプルの値段も大いに値が上がったんじゃないかしら。15000円のマルチプル、15万になったら万々歳。
 ちなみに、現在の会田誠の版画「切腹女子高生」はポスター版一枚15万円です。

 今回の展示で、一番喜んでいるのは、会田誠を売り出しかつ収集してきたミヅマアートギャラリーの三潴末雄だろう。号いくら値が上がったのやら。なんちゃって。何でも値段に換算するしかできない庶民の絵画鑑賞法のHALでした。

 さあ、ミヅマアートギャラリーよ、売り時だ。
 って、会田誠は、すべてを金銭に換算する鑑賞法に潰されずに、消費され尽くされずに描きつづけることができるか?
  
 現代アートとは何なのか、わからん。わからん珍だけれど、おもしろい。
 木下直之『股間若衆』が面白かったことから、春庭は「アートと自主規制」を考えた。
 森美術館による「18禁部屋」という自主規制が、さらに「アートか児童ポルノか」という論議を呼び、おおいに盛り上がった六本木アートナイトでありました。

 アートの自己規制について、また、アートの現実へのコミットメントについて、春庭は縷々考えてきて、これからも考えて行くのであります。
 まあ、私が考えても世の中に何のかわりもないけれど。

 春庭の現代ゲージツウォッチングは続きます。
  アートが私にとって何なのか、それを考えたシリーズ。次回は会田を師とあおく若手アーティスト集団。チム↑ポム。師匠に劣らぬ、お騒がせ集団です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「概念美少女と会田誠」

2013-06-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
大山椒魚会田誠2003

2013/06/25
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(6)概念美少女と会田誠

 話題の「18禁部屋」のモニター映像「美少女」は、立ち止まってゆっくり見ていられなかった。後ろから押し出されるテイに混み合っていた部屋だから、映像作品も数分しか見ていない。うしろ向きでも会田誠ご本尊だとわかる素っ裸姿。うん、なかなかカワイイお尻。

 「美少女」とピンクで描かれた文字に向かって、画伯は、両手で懸命に作業をなさっておられる。モニターの横には、画伯自身により「”美少女”という文字概念だけを見つめて写生に至るのは可能か実験したが、立つまで1時間かかった」という笑える解説がついている。(むろん「写生」は春庭による誤変換です。画伯はちゃんと射○とかいておられる)

 美少女という文字概念がエロから遠いというより、50近くなったという年齢で1時間かかるのだとは思うけれど、「ちゃんと立つ」までモニターにつきあっていられず、残念無念。なにせ18禁部屋は混み合っていた。真面目な顔でゲンダイゲージツの話題についていこうとしていたPTA夫人風の二人連れが、まじめにモニターを眺めていたので、会田誠はエライと思う。おそらくこのふたり連れマダムは、画伯が両手でどんな作業をしているのか、意味がわかっていなかった。「なあに、これ?」「さあ、見ていたら、何か作品ができあがるんじゃない?」てなこと言い合いながら、ゲンダイゲージツのお勉強をしていました。画伯珍チンの勝利。
 会田画伯、現代美術の高き山にしっかと立っていてください。固く、強く!1時間以内に!

 あなたも実験!見つめてください。
美少女

 たった?

 あとで見ようと思っていた、段ボールハウスのヌシが語るモニター映像の前は、すでに座り込む余地なしにワカゾーがぎっしりベタ座りしている。会田御大は「アヤシゲなアラビア人風」に扮して、頭に白い帽子、ガウンを着て長いヒゲ。『日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ』です。オサマ・ビン・ラディンのインタビュー映像の真似をした映像で、ネットで一部だけ見ることができた。

 ニセオサマは、焼酎を飲みながらこたつに入って、「いかにもガイジン風のニホンゴ」で喋っている。森村泰昌がオサマに扮するよりも、会田の風貌はオサマにぴったりだと思います。

 時間が経つにつれ、会場はますます混み合う。こう混んでくると、「ああ、会田誠もこうやって大衆消費財になるのだなあ」と、感慨深い。(大衆消費財をバカにしているのではない。為念。日展理事あたりが、「ゲージツとは高級なもんである」という顔をするのをぶっ壊してくれるゲージツ家はみんな好き)。

 眠くなったので、同時開催の山城知佳子(1976年沖縄生まれ)映像作品の上映で椅子に座れるときに、映像見ながら半分寝ていました。
 23~24時は、3分の2見て3分の1眠ってしまった。2回目上映の午前1~2時は、半分見て半分寝た。3回目上映の3~4時は3分の1見て3分の2寝た。合計でだいたい全部見た勘定なので、山城さんにお許し願おう。

 山城さん、沖縄からのメッセージ、受け取りました。しかし、コンセプチュアルビデオっていうのかしら、あんましおもしろくない。見ている内にすぐ眠くなるという点では、こちらの要望にぴったりの作品でしたけれど。
 でも、見てから3ヶ月たつのに、まだどんな映像だったか、断片的にですが覚えているので、ほんとはすごい映像作家なのかもしれません。

 朝4:00~6:00は、展望回廊スカイビューですごしました。夜景がきれいなのは2時くらいまでで、4時5時の夜景は、ビル屋上に飛行機のための赤いランプ(航空障害灯)が光っているだけで、取り立ててきれいじゃないことがわかりました。

 あいにくの曇り空で、日の出は見られそうにないので、朝6:00前、森美術館が閉館になる直前に下に降りました。
 六本木アートナイトは、朝までいろんなイベントやってたみたい。
 森美術館だけで一晩すごした私、年寄りだから途中眠くはなったけれど、現代美術のエネルギーをもらったので、元気に桜坂を下り、麻布十番駅へ向かいました。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「モニターの中の会田誠in森美術館」

2013-06-23 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013/06/23
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(5)モニターの中の会田誠in森美術館

 森美術館の会田誠展。展覧会が始まった2012年11月から、早いとこ見ておかなくちゃ、と思っていました。
 私が最初に見た会田作品は、「紐育空爆乃図」です。90年代後半。この作品を雑誌のグラビア見開きで見たときはそれほど驚きもせず見たのですが、そののち、あれよあれよの大活躍。
 ギャラリーでの個展はありましたが、都心の美術館でのまとまった作品展は開催されておらず、今回が初の大規模な展覧会です。

 見たいと思ってなんとか招待券が手に入らないか、1500円は高いじゃないか、森美術館は、いつも高い!私は自腹で美術館に入るにつき、1000円以上は払えぬのだ、なんてブツブツ言っているうちに、「児童ポルノ被害と性暴力を考える会」という団体が、会田作品を「児童ポルノ」である、と断定して森美術館に抗議文を送ったということが報道されました。美術館側は話題になって観客が増えて大喜びだろうけれど、混むのはかなわんなあと思って様子見。

 そうこうしているうち、会期終了も近づいてきて、それなら、六本木アートナイトで一晩中美術館にいてもいい、という企画のとき、夜通し美術館にいてみよう、と思って待っていました。
 3月23日、待っていた六本木アートナイトの日。入場料が1000円になるからと思ってこの日を待っていたのに、夜の21:00に入館したら、1500円取られました。1000円になるのは、24:00すぎに入館する人だけでした。いつものオマヌケ。

 24:00までは、比較的観覧者が少なくて、例の「18禁部屋」も混んではいたけれど、押すな押すなの混み混みではなく見ることができましたが、24:00すぎたらカップルやらグループやらで行列を作る混みようになってしまい、見るどころではなく,夏祭りの夜店かと思う雰囲気。会田誠は、絵の見られ方としてこういう猥雑なわいわい雰囲気を望んでいたのかも知れないなあ、狙い通りだなあと思います。森美術館は、「児童ポルノなんたら」の抗議文さまさまでしょう。

 会場内には通常の美術館のように椅子が置いてあるのだと思って油断していましたが、椅子がごくわずかしかなくて、座れるスペースはすでになし。この賑わいで、これだけ消費され尽くすと、会田誠鑑賞法も以前とは異なってくるだろうなあと思います。前は、マニアックな人好みっていう雰囲気もあったけれど、もはや大衆消費財。

 座り心地のよいソファが置いてある曲がり角の部屋にはモニターがふたつ置いてあって、小さいほうは、上野公園に男が立っていて、そのうしろを修学旅行生がぞろぞろ通り過ぎていくのを写した8分間の映像が無限ループで流れています。

 大きいモニターには、会田誠(と思われる男)が山道を鼻歌うたいながら歩いて行く映像が、10:22、10:36、11:05、などの時間表示つきで何秒かずつ流れる。
 「126分ループ」と表示があるので、観客には126分見せるものなんだろうと思って座る。最初に座ったとき、126分ループというのは、ダビングしてある荒い画面のビデオテープ一巻の長さなのだと気づかなくて、126分延々と山道を歩いて行くようすが流れるのかと思っていました。

 見続けていると、10:22が何度もくりかえされ、10:36も繰り返され、散歩男が歌う鼻歌まで、覚えてしまう。覚えてしまうと言っても、どんな鼻歌かと聞かれると、記憶してもすぐに脳内拡散してしまうようなたぐいの、「フンフン」としか言い表せないことばの羅列。思い出せないけど「ションベンオトコ、ションベンオトコ、ションベンオトコガアルイテイクト、、、」だったか、そういう類のつぶやき。

 椅子に座って目をつぶってしまうと座っていられないのだと言うことがわかりました。お婆さんとおばさんの二人連れがいて、おばさんはとにかく入ったからには、一回り見てくると決意を固め、お連れで来ているおばあさんは、疲れてソファに座ってうとうとし始めました。お婆さんが目をつぶっていると、係員がすっとんできて、「ここでの睡眠はご遠慮願います」てなことを「世紀の大犯罪」のように重々しく告げた。

 で、それを見ていたから、私は座っている間は目をつぶらないでモニター見ている振りをしようとしていたけれど、ションベンオトコはショーモナイ鼻歌を繰り返すので、じきに眠くなってしまう。つまり、ここは「深夜2:30amに、♪誰も寝てはならぬ~~という苦行をするための椅子」なのだと解釈しました。

 館内で唯一、写真をとっていい「考えない人」が、考える人のスタイルで脱糞中。これは、昔、考える人が便器に座っているコマーシャルがあったから、別段驚きもしないけれど、おむすび怪人は便器じゃなくて、自分の糞の山に座っている。山にはタンポポなんかも生えていて、完全リサイクル。「地球にやさしいリサイクル」を訴えるエコな人々には、実際、これくらいのリサイクルはやって欲しいと思うよ。自分のクソくらい自分でリサイクルできないで、なにが地球にやさしい、ですかって。

考えない男

リサイクルたんぽぽ


 わが家は、牛乳パックを洗って開いたのと古新聞はリサイクルに出しているけど、スーパーの発泡スチロールは「わが区の焼却炉では燃えるゴミ」に出しているし、むろん排泄物は下水に流しているので、地球にやさしくない一家だと自覚している。東京都の下水は、けっこうな費用をかけて、「飲めるくらいきれいな水」に再生されている。
(「便器にすわって考える人」は、TOTOとかのCMかと思い込んでいたけれど、豊島園のCMだった)

 「考えない人」の隣にあるモニターで、「朝起きてからご近所を一周してくる散歩の映像」も、見ました。いつもならこのような映像作品はめったに見ませんけれど、なにせ朝まで時間を潰さなくてはならなかったので。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「会田誠vs児童ポルノ被害と性暴力を考える会」

2013-06-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/20
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(3)会田誠vs児童ポルノ被害と性暴力を考える会

 ゲージツと障害者問題というのは、近年では、「日本てんかん協会による筒井康隆への抗議、筒井の断筆宣言」が一番有名であるけれど、ほかにもいろいろあったのだろうと思います。
 筒井の『無人警察』が問題であるのは、第一に角川書店編纂発行の『高校国語Ⅰ』に収録された文章であった、という点だと私は考えます。国語教科書という「生徒が自分では選択できない本」に掲載し、この作の読解がカリキュラムに入れば、生徒はこの文章を読まないでいる自由がない。選択の自由のないところが問題なのであって、てんかんについての記述がどうであるかは、筒井の文筆家としての力量の問題です。

 今回の「児童ポルノ被害と性暴力を考える会」が取り上げた、会田誠の「犬」シリーズや食用人造人間美味ちゃんシリーズも、見たら不快に感じる人は必ずいると思います。不快に感じる人もいるであろうことが想定されている絵画として制作されているのですから。

犬(雪月花)シリーズより「雪」(見ようと思う人だけ、以下のサイトへ)
http://blog.goo.ne.jp/nipponianipponn/e/b011f52efc5559c4337cad0084a5196d

 この作品を見ようと思わない人でもつい見てしまう可能性のある、テレビコマーシャルとか、渋谷駅前交差点の上の電子広告板に出したら、非難するのもわかる。しかし、今回は、作品は基本的に見たい人だけが入場する美術館での公開であり、しかも18禁部屋という分離した展示室を設けての展示です。
 「ポ~考える会」は、美術館という公共的空間での公開がけしからぬ、という主張をしています。この「18禁部屋隔離展示」という措置に対してまで文句をつけたいのであるなら、それは検閲の思想と変わりない。芸術への規制は、思想検閲への第一歩になると、私は危惧します。

 「ポ~考える会」にそんな検閲権力があるとは思わない。この会に所属する大学の講師をしている先生方も、それくらいはわかっていての行動だろう。つまり一連の抗議行動は、この会の知名度を上げる目的があった、というなら、私も納得です。
 本気でこれらの絵を「児童ポルノである」、と断定するなら、それは、5月29日に議員立法(自民・公明両党と日本維新の会)により衆議院に提出された「児童ポルノ禁止法」改正案が、とめどなく「出版、表現の規制」になだれ込もうとしていることに、手を貸すだけの結果に終わる。

 また、公的な場所である美術館での公開はけしからぬというなら、クールベの「眠り」やバルチュスの「ギターのレッスン」などのきわどい表現の芸術作品に対して、これまで「世間様」がとってきた態度と同じことだ、というだけですんでしまう。

クールベ「眠り」


バルチュス「ギターレッスン」


 会田誠は「わだばバルチュスになりたい」というタイトルのパロディっぽい絵を描いています。
 バルチュスは、インタビューにこたえて、1930年代のヨーロッパ美術界に物議をかもした絵を発表したことに関して「ヨーロッパで有名になるには、スキャンダラスであることが重要だった」という意味のことばを述べています。(2001芸術新潮6月号)

 会田誠が「バルチュス」になりたいと言うとき、たぶん、絵の技法やら主題やらを踏襲したいなんぞということではなく、「絵がスキャンダルをまきおこすほど、絵を見て貰える機会がふえる」という単純なことが一番に来るだろうと、私は思います。
 だとしたら、「ポ~考える会」による非難は、大歓迎のスキャンダル。会田自身にデメリットはないスキャンダルだからです。

 私は、作品の表現に関して、出版や上演を法的に排除することには賛成しない。
 法で規制を始めたら、とめどなく思想・表現の検閲になだれ込んでいく。それが国家というものだから。
 私たちは、「近代国家」という共同体の在り方をもう一度考えなければならないところまで来ているのに、「振り出しに戻る」みたいな検閲に手を貸したくない。
 こんなささやかな文章でも、誤解する人もいるので、「児童ポルノ」を肯定しているのではないことは明言しておきましょう。表現、思想や出版の自由について述べている。

 会田誠の作品を非難する論評の報道に関して、「ポ~考える会」へのさまざまなマスコミ報道が出ました。ポ~会側と美術館側、両者の主張を同比重で扱うという態度を取ったところ、美術館側に添っているところ、「ポ~考える会」側に立つところ、それぞれでした。
 サヨクっぽいとされる出版物のうち、「週間金曜日」は、「ポ~考える会」に立っての編集。「ポ~考える会」と性暴力問題に論陣を張る落合恵子との関わりがあるのかもしれない。AERAは、「現代の肖像」で取り上げて、会田を持ち上げている。AERAは売れりゃいいんだろうけど。

 さて、この勝負、いまのところ森美術館の勝ち。一連の報道のおかげで展覧会の知名度があがり、森美術館は、開館以来最高の入場者数を記録しました。消費社会では、売れたもんは正義。

 美術作品に抗議するなら、「ポ~考える会」側も、椹木野衣レベルの美術批評ができる人をそろえて論戦張るべきところ、ちょっと論述が雑駁すぎた。むろん、抗議するのは言論の自由で、どんどんケチつけたらよい。ただ、ケチの付け方が粗雑であれば、そのケチくささは自分へと跳ね返る。

 「ポ~考える会」への反論として出された会田の言い分。会期中は森美術館への配慮なのか、おとなしい発言のみ。
 会田誠ツィッター「だんまりを決め込むつもりはありません。必要とあらば出向き、誠心誠意お答えするつもりです
 同「『犬』は『お芸術とポルノの境界は果たして自明のものなのか?』という問いのための試薬のようなものです。問いをより先鋭化するため、切断や動物扱いという絶対悪の図像を選択しました。多くの人が指摘する通り、このたびの喧々囂々の議論は、最初から作品に内在していたものでしょう

 このツx-トを見た限りでは、「ポ~考える会」は、会田誠の「最初から作品に内在していた試薬」を顕在化する役割をまんまとおわされた。会田誠の望んでいた「外在化」を果たしてあげだのだと言えます。

 会期終了の3月31日以後、会田誠からさらなるリアクションがあるのか、と期待していたのですが、特に一般の話題になるような反論、私は見ていません。
 会田誠は本人が主張しているように天才です。天才を相手にするには、「ポ~考える会」の面々、ちょいと役者が小粒すぎた、というのが、私の感想です。

 脚注として、「ポ~考える会」の主張をコピーしておきます。
 「これらの作品は、残虐な児童ポルノであるだけでなく、きわめて下劣な性差別であるとともに障がい者差別でもあります。このようなものが、同人誌にこっそり掲載されているのではなく、森美術館という公共的な美術館で堂々と展示され、しかも、各界から絶賛されているというのは、異常としか言いようがありません。すでにNHKの「日曜美術館」で肯定的に取り上げられ、最新の『美術手帖』(2013年1月号)では特集さえ組まれています。
 私たちは、森美術館に対して1月25日付で抗議文を送付するとともに、多くの団体・個人と協力してこの問題を広く世論に訴えていきたいと考えています。またこの問題を国際的にも訴えていきたいと考えていますので、みなさんのご協力を求めたいと思います。


 今回の会田誠VS「ポ~考える会」の試合、博物館美術館がどのような作品を収集し展示するのかということの法的根拠「博物館」法に照らして、また、美術館博物館と学芸員の社会的責任やら倫理観にてらして、「アウトと受け取る人もいようが、ぎり、セーフ」ってことでしょう。

 「ポ~考える会」のみなさん。残念ながら、君らの負け。これからは与党の提出する「児童ポルノ規制法」が「表現検閲」になだれ込むのを監視する方に力を注いでほしい。「ポ~考える会」の面々が非常に真面目に児童の福祉や障害者の問題を考えていることは、メンバーのうちの名前がわかった人たちのプロフィールや活動歴をチェックして理解出来ました。

 児童の福祉も女性の尊厳も障害者が平等に生きていく権利も、大切なことであり、私も私のやり方でこれらの問題に関わっていくつもりでいます。しかし、会田誠をやり玉にあげて、これらの作品を「児童ポルノ」かどうか、ということを争点とするなら、もう少し『お芸術とポルノの境界は果たして自明のものなのか?』という会田誠からの問いかけにバシッと、答えてないと、説得力が薄くなります。

 「ポ~考える会」のこれからの活躍をお祈り申し上げます。(今、就活中の4年生のもとへ毎日届けられているオイノリメールのようですが、たまたま文面が似てしまっただけです)

 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「会田誠、駄作の中にだけ俺がいる 」

2013-06-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/19
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(2)会田誠、駄作の中にだけ俺がいる
 
 小中学生が描かせられる道徳的なポスターを真似た、28歳のときのシリーズ。
 「時間を守ろう」という「遅刻ボクメツ」ポスターは、高校教師が門を閉め続けて女子生徒を挟んで殺している絵である。
 このシリーズも、ちゃんと見ないで「え~、これって、小学校1年生のとき描いたポスターなんだって、じょうずじゃん」なんていいながら通り過ぎるギャルたちがいる。まあ、自分が見たいように見ればいいんだけれど、せっかく見に来たのだから、描いた人の描いた気持ちくらいはわかろうとしてあげてもイインじゃね?

 大作の部屋に並ぶ大作の数々。
  
「灰色の山」は、縦3m、横7mの巨大な画面に、ボタ山のような円錐の山が築かれている。



山水画ふうの山の風景に近づいてみると、山の中には、どぶねずみ色のサラリーマンの死体とOA機器がうずたかく積み重なっている。



 この作品を、会田は北京で公開制作した。
 古着屋で千円のスーツを買い、北京に持って行った。自ら古着スーツを着てサラリーマンに扮する。さまざまな死体ポーズをとってセルフカメラで撮影する。その画像をもとに、一体一体を丁寧に描き込んで、山を描く。遠目には中国南画の山水画のように見える。細部は徹底的リアリズムの死体。

 この千円スーツはリーマン死体描写以外にも役だった。このスーツのおかげ(?)で、中国テレビCMに出演するアルバイトを体験できたのだと画伯は語る。
 髪をオールバックになでつけられて、画伯扮する日本人科学者は、日本語で「日本の火山のマグマから抽出した成分が入っている膏薬」という湿布薬の効能を語る。長年リュウマチの痛みに耐えてきた中国農婦(「中国農村の悲劇的貧しさを一身に背負った不幸のかたまりのような農婦」を演じる女優)が、画伯にとりすがって、「あなたが研究開発した湿布のおかげで、リュウマチの痛みがなおった。あなたは命の恩人だ」と、ボロボロ涙をこぼす。そういうCMだったそう。うん、こんなインチキくさい中国CM,私も中国赴任中にわんさかと見ました。
 このCM、今でも中国で放映されているのかも。

 日本の火山にだけ存在するマグマのおかげで、リュウマチもなおる。日本の良心、日本の科学成果の体現者である無精ヒゲのニセ科学者画伯は、こつこつと死体の山を描き込む。きっとせっせと働いて「日本株式会社」に使い捨てられたリーマンたちは、どんな痛みもたちどころに消えてしまう膏薬を背中や足に貼り付けて、会心の笑みを浮かべつつ、自分が死体になっていることすら気づかないのだろう。

 「ジャンブル・オブ・100フラワーズ(百花繚乱)」2012最新作。
 縦3m横10mの巨大画面に、体の一部を打ち抜かれて欠損した少女たち。体の一部分は飛び散っていく。花や蝶や、星になって、少女たちの肉体はきらめき飛び散っていくのだ。少女たちは、サナギのような化け物を抱えていて、ゾンビvs少女の戦闘ゲームであるらしい。実際ゲーム世界では、少女も少年もゾンビも、シューティングの対象になれば、このように砕け散る肉体をさらしている。

 「児童ポルノ~」の人たちは、この絵もやり玉にあげているけれど、残酷な絵柄を攻撃するなら、小学生中学生の姿はほとんど見かけなかったこのような美術館での展示を問題とするよりは、ゲームの描写が現在どのようなところに来ているのか、研究すべきであろう。ゲームは18禁じゃないものだって、すごい描写が多い。

 「電信柱、カラス、その他」もすごい。この世の終わりのような、灰色の世界。電信柱が斜めに倒れていて、カラスが飛び交っている。中央下に止まっているカラスが咥えているのが人の指であることに気づくと、情景から受け取る意味がぐるりと回転する。もう一羽のカラスが咥えているボロ布は、セーラー服の襟のきれはし。すると他のカラスたちがくわえているだらりとぶら下がった切れ端はどれも肉片であることに気づかされる。エグイです。

 セーラー服の切れ端を加えているカラス

カラスが咥えた指
 
 会田誠は天才である。で、私たちにとって会田は、天災かも知れない。防ぎようもなく、やってきて、禍々しくも人の世を変えてしまう。
 人間世界を突き崩し、おのれが死体山の一部であることをつける、天才による天災。

 会田は自身の制作過程を追ったドキュメンタリー映画『駄作の中にだけ俺がいる』(渡辺正悟監督作品)の中、「美術家は、見ることの快楽を与えるのが仕事」という意味のことを語っていました。快楽を与えるのか、快楽に思えるような毒を与えるのか。少量の毒が薬として人体に作用するのか、オーヴァードースで人を死にいたらしめるのか。

 18禁の絵のひとつ。「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズ。まな板の上に横たわっていたり、開きの天日干しになっている美味ちゃん。お腹を押されるとイクラ状の卵を排泄するっていう「食用」もある。「児童ポルノと性被害を考える会」が四肢を切断され犬の首輪で繋がれながら笑みを浮かべている「犬」シリーズとともに、非難している作品です。

 グルメの快楽とは何か。サンマの開きを焼いて食べるのは抵抗なくて、少女の形に成形された人造肉は、食べられない?ハンバーグにしちゃえば、人造少女肉も牛肉も同じ?ジュースは?ミキサーでほどよく液体にされた人造少女?

「ジューサーミキサー」
 ミキサーにかけられて、こなごなに砕かれてジュースになっていく。中味は、いたいけな少女たちである。

 「ジューサーミキサー」がどのような絵であるか、見たい人だけみて下さい。見たくない人は見るなと忠告しているのに見てから「えぐい」とか、文句を言わないこと。

http://blog.goo.ne.jp/nipponianipponn/e/d771dd8f3863ef2a6d4fae97ddd1d5f7

会田誠出演のドキュメンタリー映画
「駄作の中にだけ俺がいる 」
 予告編だけ見てもおもしろいですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=mNDgduQAq_U

 次回は、会田誠展vs児童ポルノ被害と性暴力を考える会

<つづく>
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ぽかぽか春庭「会田誠、天災でごめんなさい」

2013-06-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
会田誠展

2013/06/18
ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(1)会田誠、天災でごめんなさい

 今、生きている人で現代美術家といって思い浮かぶ名前。年齢順でいくと、草間彌生(1929~)、横尾忠則(1936~)、森村泰昌(1951~)漢字四文字名前の世代。そのちょっと下の世代が、村上隆(1962~)、会田誠(1965~)、山口晃(1969~)、漢字三文字名前だ。現代美術に弱い私でも知っている名前。そしてヤノベケンジら、カタカナ名。

 森美術館の「会田誠-天才でごめんなさい」は、森美術館開館以来の観覧者数を集めて無事閉館した。私が見たのは、3月23日の六本木アートナイトの夜。図録買いたかったけれど、入館料1500円払ったので、絵はがき2枚買うだけにしておいた。

 絵はがきは、水着の女生徒たちの「滝の絵」と、零戦がニューヨークを爆撃して回っている「紐育爆撃乃図」。どちらも、会田作品としては、腰のひけたお買い物である。つまり、「これなら私が児童ポルノ好きだと思われないですむデショ」みたいな。PTAに義理立てした「ギリ、セーフです」的な。(展覧会ポスターにも「滝の絵」が使われている)

 森美術館は何を恐れたか、あるいは意図的にサボったのか、入り口に出品目録パンフレットを置いてない。だから、タイトルとかを覚えられない私は、ただずらずらと見て行く。

 入場すると最初に目に入るのが、「切腹女子高生」
 女子高生たちは恍惚として切腹をして、腸がはみ出たり首ちょん切られたりしている。
 若い女性ふたりの観覧者のうち、ひとりが、早くも「きもち悪い、コレ」と眉を寄せている。気持ち悪い人は、見ないがよろしい。見たい人だけ見にくるのが美術館というもの。

 別段年代順の展示とはうたっていないのですが、本来なら、「切腹女子高生」の次に掲げるべきは、会田誠初期の話題作「巨大フジ隊員VSキングギドラ(1993)」でしょう。でも、フジ隊員は18禁の展示室へ行ってしまっている。
 
 2作目展示は、鶯谷に張られていたピンクチラシを集めてコラージュした「鶯台図」。

館内撮影禁止です。監視役の目を盗んで撮影。盗撮ですね。

 遠目には「ピンクちらし」の女の子たちの顔だとはわからない。(近めで見たい方は、16日春庭コラム「ピンク色の研究」をご覧あれ。ボケてますが)
 ただ、美しい桜の木であり、屏風などに日本画で描かれる技法をきちっとつかって「桜の精が住んでいそうな老桜樹」に描かれています。近づくと女の子たちの顔がわかる。桜の精は、ピンクちらしの女の子たち。

 見る者と見られる者の関係。美しいものを愛でる視線の先に表れる欲望。そんなこんなを、まとめて表現し、なおかつやはり美しい。会田誠は、鶯谷のフーゾク街やチープなラブホテルが立ち並ぶ町でこの女性たちに、ちゃんと「美しいもの」としてのオマージュをささげてつつピンクチラシを収集したのだと思う。
 しかるに、そのチラシをぎらぎらとした欲望をみなぎらせた手が受け取るということも描き混まれています。
 「切腹女子高生」の「キャッチーな図柄」にはそんなに「毒」を感じなかったけれど、この「鶯台図」一作で、早くも私は会田誠ファンになりました。 

 2012年の展示説明では「あぜ道」が展示してあるようだったけれど、「2013年3月23日には展示してなかった。この「あぜ道」は、東山魁夷のおちょくり作品です。(オマージュ作品と言い換えてもOK)女の子の髪の分け目が道になっている絵。作品保存や作品貸し出し主の意向から、会期中に展示品の入れ替えはよくあることですが、美術館側が何の説明もない。それで、展示品目録の配布もやめたのだと思います。
 森美術館が会田誠展を企画した心意気は買うが、その後の処置はいろいろ間が抜けている。

 次は、愛ちゃん盆栽シリーズというオブジェの展示。松、桧、ほおづきなどの盆栽に仕立てられているかわいらしい愛ちゃんの頭部。ひとつひとつの顔はかわいいけれど、それが盆栽だから、不気味。盆栽の手入れをして恍惚の表情を浮かべるジーサンがいたら、その目には松や桧もこんなふうに映っているんじゃなかろうか、という感慨を湧かさせるオブジェです。

 展示最初のほうで、一番若者に受けていたのは、白土三平風の百姓ジーサンが、一面の「ルイヴィトン畑」で、ハンドバッグの持ち手をひっぱって「今年もヴィトンが豊作じゃあ」と吹き出しに書いてある絵。その前にヴィドンバックをぶら下げた女の子が立っていたので、写真とりたかったけれど、館内撮影禁止の監視が強くなっているエリアなのでした。残念。消費社会を痛烈に諷刺しつつ、消費と生産をきっちり描いていて、笑えます。

 戦争画Returnsシリーズ。「題しらず-原爆ドーム」「紐育空爆乃図」などが、黄色いプラスチックビール箱の上に展示してある。古い民家を解体したときに捨てられていたような襖の裏側に絵を描いて屏風に仕立ててある。
 作品が古い襖に描かれた屏風仕立てになっていたことがわかったことによって、いっそうこれらの戦争画の制作意図がわかった気がする。

 会場を見て、「ネトうよ」が会田の天皇肖像あたりに抗議してこないのは、ネトうよの感性が鈍いからだと思いましたが、「ポルノ被害と性暴力を考える会」が先に抗議文を出したので、そのおかげで、この戦争画シリーズは抗議対象にはならなかったのかもしれません。ネトウヨは、「反ポルノ」とは並びたくなかったのかも。

 「一日一善」という絵。中国西安の大雁塔を背景として描かれているのは、今上天皇・平山郁夫、笹川良一。中国ご訪問時の背景に、にこやかに横顔を向けておられる陛下ご肖像に、ウヨからのケチがつかなくて、ようございました。この大雁塔の絵には、ご丁寧にでかいサインで「郁夫」と書き込んである念の入れよう。笑た。平山郁夫は、会田誠、東京ゲーダイ在学中の学長である。

 戦争画Returnsシリーズの「天皇陛下万歳」という文字が入った屏風。銀紙を古襖に貼り、ガムテープを貼り付けたような茶色の絵の具で斜めっている鳥居が描いてある。ガムテープを貼ったのではない、ということは、絵に目を貼り付けて見ないとわかりません。「ガムテープをはりつけたように描く」というリアルな絵。チープな鳥居と「天皇陛下万歳」の文字の取り合わせが絶妙ですが、描いた人が「おちょくってません、心から鳥居にも陛下にも敬意を表している」と言い張れば、うよも文句は言えない。

 「みにまる」これだって、ネトうよが騒ごうと思えば騒げる作品なのに、みな、平然と眺めてすぎる。たぶん、うよにはこの絵の意味もわからないのだ。
 名古屋在住の中堅アーティストと思われるお方のブログ感想では「私には、右翼に自宅襲われそうな、こんな絵はとても展示できません」と書いていました。そうだろうなあ。

 戦争画の部屋には、ほかにも、グァムやサイパンなどの島々の観光写真が大量に貼り付けられている作品がありました。太平洋戦争の戦場であり、日本兵が無残に殺され飢えて置き去りにされた島々や、日本兵が現地の人々を殺戮した島々。
 その島の平和な観光写真の上から、原色の絵の具が塗りたくられている絵です。タイトルは、「大皇乃敝尓許會死米(おおきみのへにこそしなめ)」痛烈です。

 ワカゾーがひとり、美術雑誌だかテレビのアート番組だかで見た「作品解説」を連れにしてやっていたが、たいていの若者は、ただ、通り過ぎる。ワカモンに意味が伝わらないのだとしたら、これらの戦争画Returnsシリーズは、本人が明言しているように「叙情」であることで許されているのだろう。ものはいいよう。

 「たまゆら」は、ビキニ環礁とアリゾナ沙漠と思われる場所での原爆実験の爆裂のようすが描かれている。「太平洋戦争は意味でなく、抒情である」と、画伯自身の解説がついている。
 「国に命をささげた英霊に対して、叙情であるとは失礼ではないか」という感想を書いているブログもあったので、会田誠の狙い通りの反応なのだと思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「カタカナ色彩名詞-ピンク色の研究」

2013-06-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/15
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(8)カタカナ色彩名詞-ピンク色の研究

 色彩名詞、最後はカタカナの色名について。
 多くの色彩名詞和語が「死語」になりつつあるかわりに、ワインレッドだのサーモンピンク、スカイブルーなどが流行歌にも登場する。色彩名詞カタカナ語が繁殖しつつあります。

 ファッションの世界では、より新鮮な語感を持つことばが多くつかわれますから、服飾表現ではこれから先、ますますカタカナ語が多くなるでしょう。

  現在、JIS基準で用いられているカタカナ色名のうち、私にはどんな色なのか思い浮かばなかったカタカナ色名をあげます。

バーガンディー、ボルドー、マルーン、テラコッタ、バーントシェンナ、ローシェンナ、タン、エクルベイジュ、バフ、アンバー、バーントアンバー、ジョンブリアン、レグホーン、ウィスタリア、マゼンタなど。

 モーブ色は、林芙美子「放浪記」に「モーブ色の着物を着て」というような記述があって、どんな色か調べてわかったのでした。「灰色がかった青みの強い紫色」だそうで、おふみさんは、ずいぶんとハイカラな色の着物を着て、モダン都市東京を歩いていたのでした。

 和語の色彩名詞だと、たとえば、「千歳緑(ちとせみどり)」なんて聞くと、今まで知らなかった色でもなんとなくイメージがわくものもあるし、新橋色なんて、どんな色なのか、色見本を見るまでわからないものもあります。

 カタカナ色名でも、色を言われても検討がつかないものもあるし、想像できる色もあります。オーキッドは蘭の意味だとわかって色が想像できるようになりました。タンの色というのは、牛タン tongueのことかと想像したのですが、なめし革tanのことでした。

 ただし、それそれの色にまつわるイメージは人それぞれでしょうね。
 たとえば、「セピア色の青春」なんてきくと、過ぎ去った日々が色あせた写真の中に残されている、という雰囲気がします。

 そういえば、先日見たシャーロックホームズのリメイク作品、「シャーロック」では、『緋色の研究  A Study in Scarlet)』は、「A Study in Pink」というタイトルで翻案されていたので、日本語タイトルもそのまま「ピンク色の研究」

 ピンク色の研究っていうと、いったい何を研究するのやら、という語感が日本語につきまといます。
 「ピンク映画」というのは、どんな内容の映画を想像しますか?駅前で「ピンクちらし」を配られた、といえば、どんな内容のちらしでしょうか。イメージできない方、清廉潔白な人生をおすごしです。

 オレンジ色のオレンジが、果物であるように、ピンク色のピンクとは、英語辞書によれば、語義のひとつは、「なでしこ」「石竹の花」のこと。(今回引いたのは、ライトハウス1995)
 花の名がもとになって、「なでしこ色」「せきちく色」という色名になった日本語と同じ発想です。そして、英語で「ピンク映画」を表すのは、「ブルーフィルム blue film」です。「ピンクムービーpink movie」と言っても意味が伝わりません。

 もとは「なでしこの色」であった「ピンク」がどうして「性的な意味合い」を含むほうへと意味拡大されたのか。ピンクが日本語の「桃色」の代用にされたからです。
 和語の「桃色」には、「男女間のまじめさを欠く交渉を言う語(例語)桃色遊技」(『岩波国語辞典4版』)などという意味合いがもともと含まれていたのです。

 果物の桃は、桃太郎がその中から誕生したように、古来「尻」の形の象徴であり、性的横溢を含む生きて行くエネルギーの象徴でした。したがって、「性的な放縦」がその「桃」の意味に含まれるのは、必定でありました。桃色も当然、そういう意味に解されます。

 「ピンク」は、「桃色」の「性的な意味合い」を引き継いだのです。ピンクチラシを駅前で配られると気恥ずかしいのは、ピンクの罪じゃありません。
 色っぽい笑顔をふりまく美女の写真が並べられて「業界一安い!」なんて惹句のあるチラシを受け取ったら、堂々とながめて、「これは、なでしこたちの笑顔なのだ」と、とくとと見入ってください。
 私には「もっと米軍に活用して欲しい」などとは決して言いたくないですが。

 会田誠の傑作「鶯台図」
 鶯谷に張られていたピンクチラシを集めて桜満開の図にコラージュし作品です。(部分)


 撮影禁止のところをこっそり撮って拡大しているので、ちょっとボケて撮れていますが、この惚け具合が興味をそそるかも。
 もっとはっきり見たい人は、鶯谷駅前でチラシを集めてください。

 以上、「ピンク色の研究」でした。

 漢字「色」のもとの形は、後背位の交わり。
 「色即是空」の「色シキ」は「この世の万物」
 そして、「いろ」は、さまざまないろあい、色彩。「色好み」は情交を好むこと。
 「いろいろ」は、さまざまな、あれこれの。
 レインボーカラーは「どんな色もみんなの色」

 世界に色々な国があり、いろいろな人がいて、いろいろな好みがある。
 「いろいろな」という和語が生き残っていきますように。

 次回から会田誠展について
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「色の形は色即是空」

2013-06-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/16
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(7)色の形は色即是空

 「色」は古今集には、それこそ「いろいろと」出てきます。
(紀貫之) 君恋ふる涙しなくは 唐衣むねのあたりは色燃えなまし古今集572
 (紀貫之)色もなき心を人にそめしより うつろはむとは思ほえなくに古今集729
(小野小町)色見えでうつろふものは 世の中の人の心の花にぞありける古今集797

 平安の「ふみ交わし合う仲」の恋人たちは、相手の顔を見るまえに、まず相手の「色好み」はどんなふうか、手紙の紙の選びよう、文字の散らしよう、添えてある枝や花の色具合、すべてから推測します。好みがあうとわかってOKならば、顔も知らないまま、まずは会う。「会う」とはすなわちベッドイン。会っての後に、もっと恋しくなるかどうかは、相手しだいでした。相手の「色好み」と合わなければ、それっきり「後朝のふみ」もぞんざいになるのです。

 「色好み」というのも若い人には伝わらない和語になっています。平安時代の色好みと江戸時代の色好みはだいぶニュアンスが違っていますが。

 もとの漢字「色」とは、どのような意味をあらわしていたのでしょうか。

 小学生向けに象形文字の成り立ちなどを教える漢字の本が出版されています。
 私は、留学生向けの「漢字のもとの形」を示し英語で説明が書かれている参考書を利用しています。「鳥」という漢字は、こういう鳥の絵からできている、とか、「美しい」という漢字は、羊の顔の絵から出来上がった「羊」と「大きい」を組み合わせて、古代の中国人にとって「羊が大きいこと」が「うつくしい」ことであったとか説明しています。

 「色」の解説には、あれま、説明をどうしようと一瞬考えてしまいました。

 「色」という漢字の語形のもとになった絵は。
 「男と女が、後背位で重なり合う姿」だったのです。下の巴は、ひざまずいている人、上のクのところはその上に覆い被さっている人です。
 「色」の意味説明、英語解説では、第一義が「Sex」

 小学館『現代漢語例解辞典』の説明では「ひざまずく人の上に人がいるさまで、男女間の情欲の意をあらわす」とあります。大修館の『現代漢和』では「ひざまずく人の形。ひざまずく人の上に人があるさまから男女の情愛の意味を表す。転じて顔色、いろどりの意味を表す

 甲骨文字では、人の姿には見えないですけれどね。元の絵文字はちゃんと人が重なり合ってみえました。
ウィキショナリの引用。

 女子高校で平安古典文学など学んでいたころ、先生は「色好みというと好色のことかと短絡する人もいるだろうが、そうではない。色好みとは、恋愛の情趣をよく解することを言うのだよ」と強調していました。「色好み」を「風流・風雅な方面に関心や理解があること」という典雅な意味合いのほうに引き寄せていました。
 そして、「情事を好むこと。また、その人。好色漢」とか「遊女などを買うこと」という、江戸文学ではおなじみの意味のほうはスルーされました。女子高校生にとって、そっちの方が重要だったのに。

 6月13日木曜日の漢字の授業で、「色」を教えたとき、「あえて」字源にはふれずに書き順の説明、音読み訓読みの熟語の説明で先に進もうとしたら、オーストラリアのジェイさんは「先生、恋人たちの説明もしてください」と、字源の説明を要求しました。「This kanji represents two lovers hold each other. It also shows the color of love showing on their faces,so it become used to mean colore.」という英文解説をすでに予習していたのでした。

 「あらま、お望みとあらば」と、わかりやすい絵文字にして説明したら、日本人女性と結婚しているジェイさんは満足げに書き取りをはじめ、未婚の美人タジキスタン人は顔を赤らめていました。

 授業で実際に「色」の解説をしたのは、今回が初めてだったのです。いつもは書き順だけ説明したら、さっさと先に進みます。
 はい、この字の訓読みは「いろ」です、colerをふたつ重ねると、「いろいろな」になって、many colows=various。various flowerは、「いろいろな花」です。なんてことで終わりにしてきたのですが。

 ま、全員成人のクラスですし、ジェイさんのほか、チュニジアの学生はセネガル人と結婚しているので、問題はないでしょう。昨今の授業ではうかつな発言はソッコー「セクハラ発言」と見なされるので、学生が自分から言い出すまで「あなたは結婚していますか」と訊ねることもできません。結婚しているかどうかというプライバシーに関することはこちらからは聞けないのです。モンゴルの学生は子どもがふたりいる母親であることを自分から話してくれたので、問題なかったですが、未婚の女性に結婚の話題は
、本人が言い出さない限りタブーです。

 岩波古語辞典(2版)では、色の語釈として「もとは色彩、顔色の意。転じて美しい色彩、女の容色。それに惹きつけられる性質の意から色情、その対象となる異性、遊女、常任。また色彩の意から心のつや、趣、様子、きざしの意に使う。別に仏教用語の色(シキ)形相の翻訳語」とあります。この語釈は、「色彩という意味がもとになって男女の情愛という意味が派生した」という解釈です。平安古典文学などから語義を解釈するとそうなるのでしょう。

 しかし、江戸時代の「色好み=男女の情交」というほうが、「色」という漢字の原義には忠実だったのです。
 漢字の原義を知ってみると、もともとは「後背位で重なり合う男と女」だったものが、のちに「いろどり」「色彩」を表すようになった、というほうが本当だと思います。

 さて、仏教用語の「色即是空」は、般若心経に出てくる経文のなかで、もっともよく知られ流布した語句のひとつです。
 「色(シキ)」は、「万物、この世にあるすべて」を表す語です。

(大辞泉)この世にある一切の物質的なものは、そのまま空(くう)であるということ
(大辞林)この世にあるすべてのもの(色)は,因と縁によって存在しているだけで,固有の本質をもっていない(空)という,仏教の基本的な教義(岩波国語)この世の万物は形をもつが、その形は仮のもので、本質は空であり普遍のものではないという意味 
(岩波古語)物質的存在はみな、因縁によって生じたもので、本来そのままの実有ではない。

 「色」を重ねた「いろいろ」がいつごろ成立した語なのかは、調べていませんが、「いろいろ」と言う語は、万葉集にはすでに「さまざまな色彩」という意味で使われています。

 大伴家持の長歌。長いので、最後の二行だけ読んで下さい。
(万葉集4254)蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真櫂しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ 整へたまひ 食す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき 栄ゆる今日の あやに貴さ

反歌4255: 秋の花 種々(くさぐさ)にあれど色ごとに見し明らむる今日の貴さ

我が大君 秋の花しがいろいろに 見したまひ」というのは、我が大王が、秋の花が色とりどりに咲いているのを見て~」という意味。

 古今集の「いろいろ」
詠み人知らず 縁なるひとつ草とぞ春はみし秋は色々の花にぞありける

 『源氏物語・澪標』には、「いろいろ」が「さまざまな、あれこれの」という意味で使われています。光源氏が明石にわび住まいし、住吉の神様にさまざまな祈りをささげる、という場面
 「君は、夢にも知りたまはず、 夜一夜、いろいろのことをせさせたまふ。まことに、神の喜びたまふべきことを、し尽くして、来し方の御願にもうち添へ、ありがたきまで、遊びののしり明かしたまふ。」

 古典にあらわされる「いろいろ」も、ほんとうにいろいろです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ポケモンの色彩名詞」

2013-06-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/13
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(6)ポケモンの色彩名詞

 春庭が担出講している国立大学では、大学院生と研究生の日本語教育を担当しています。今年受け持ちのクラス、3つのクラスで国籍は16ヶ国。
 韓国、中国(新疆ウイグルと内モンゴルを含む)、タイ、マレーシア、ネパール、タジキスタン、イラン、トルコ、チュニジア、シオラレオネ、モーリタニア ミクロネシア,フィンランド、フランス、イタリア、チェコ。
 毎年、「お初」の国に出会います。今年の「はじめまして」の国は、タジキスタン、ミクロネシア、シオラレオネ、モーリタニア。地図を探さずに、どこにある国なのかすぐに分かる人、すごい!。

 私立大学では、3つの大学の日本語学、日本語教育学の授業。日本人だけのクラスもあるし、留学生と日本人が混在しているクラスもあります。
 日本人学生の中にひとりだけ中国人留学生が在籍しているクラス、日本人学生4人ネパール人2人中国人10人という混合クラス、日本人だけ9人というクラス。クラス構成は毎年変わります。

 日本語教育ブームで、誰も彼も「ついでだから日本語教師資格も取っておこう」というころもありました。100人のクラス、50人のクラスというのを受け持たされて、ほんとうに困りました。春庭は双方向授業を重視しているのに、100人50人などという授業では、一方通行の講義形式でなければ授業が出来なかったからです。学生に主体的に学んでもらうこと、自分で課題を見つけて調べ、発表する、この過程が大事だと思っています。

 「課題が見つからない、どんなことを調べて発表したらいいのか分からない」という学生も毎年います。そんな学生に「調べ学習のひとつの例」として毎年例にあげるのが、「ポケモンタウン」です。この話は、春庭コラムでは何度も取り上げてきたので、「毎度おなじみ」の話なのですが、新入生は「聞いたことない」ということなので、毎年「ツカミ」のひとつとして話題にだします。

 ポケモンのゲームシリーズに、どんな名前がついてあったか、思い出させます。1996年に発売された第1作は「赤・緑」として世にでました。今や大学1年生は1995年生まれで、生まれたときからポケモンがあった世代です。赤・緑の次は青。このあたりのシリーズで主人公が旅する町の名を思い出させます。大学1年生には「ポケモン赤、緑、青」など古すぎて、親に聞かされる昔話のようなものですが。

 初期の赤緑シリーズの町の名前。「トキワシティ」「ニビシティ」「ハナダシティ」「クチバシティ」「シオンタウン」「タマムシシティ」「セキチクシティ」「ヤマブキシティ」「グレンタウン」「ダイダイ島」
 金銀シリーズの町の名前「キキョウシティ」「ヒワダタウン」「コガネシティ」「アサギシティ」「タンバシティ」などなど。

 「これらの町の名が何から命名されているか、共通点を調べて発表しなさい」というのが、「発表課題をどうやって見つけたらいいかわからない」と訴える「自分で課題を見つけることができない1年生」に与える最初の課題です。先生が黒板に書いたことを一生懸命ノートに書き写して、教科書とノートを丸暗記してそれを試験に書いてよい点をとる、という勉強法で高校生活をおくった「私は勉強ができる」という学生には、自分で「おもしろいと思う日本語」を探し出す能力が不足しているのです。

 私は英語落ちこぼれ学生でした。落ちこぼれだから「どうして日本語には妹と姉の区別があるのに、英語はsisterだけなのか」とか「どうして英語はa penとかan apple」と、「一個のりんご」と表現しなければいけないのか」とか、英語には日本語から見たら不思議な言い方がたくさんありました。そんなことを不思議に思わずにひたすら暗記しなければよい点が取れないから、落ちこぼれてしまったのです。

 英語とは無縁に生きるつもりで国語教師になったのですが、日本語教師に転身後は、英語を学び直しました。言語学や英語学を学んで基礎を知ると、英語もおもしろい言語だと思えるようになりました。
 今の大学生、「なぜ?」と、問うことをせず、自分で課題を見つけ出す力がない者が多々見受けられます。

 ポケモンの町の名、初期の町の名は多くが「和語の色彩名詞」です。
 以下のサイトをみせて、和語の色彩名詞を確認させます。常磐色、鈍色、縹色、朽葉色、紫苑色、玉虫色、石竹色、山吹色、紅蓮色、橙色、桔梗色、檜皮色、黄金色、浅黄色、丹波色など、、、、

和語色彩名詞を並べているサイト
http://www.colordic.org/w/

 え~、色の名前だったんだあ、と学生は納得します。
 古代には四色しかなかった色彩名詞が、渡来人の染織技術を取り入れる過程で色の名が増え、さらに日本独自の染織技術の発達で、江戸時代には茶色、鼠色(灰色・グレイ)だけで何十色もの色の名前があり染め分けられていました。銀鼠、素鼠、源氏鼠、絹鼠、薄墨、錫、鉛、消し炭、、、、、土色、枯茶、枇杷茶、芝翫茶、路考茶、団十郎茶、渋紙、胡桃、狐、柿茶、栗茶、、、、

 和語から外来語に移行する色彩名詞も多い。桃色よりピンク、橙色よりオレンジ色のほうが、一般的になりました。
 紺ではなく、ネーヴィーブルーというほうが通りがよいとすると、「♪紺碧の空~」を歌う早大生は「コンペキ」がどんな色なのか知らずに歌っているのだろうし、「亜麻色の髪」をずっと「甘い色」だと思い込んで歌っていた、という学生もいました。

 現在、JIS規格で用いられている色彩名詞は、500色くらいになっていますが、臙脂(えんじ)色、煉瓦(れんが)色、紅殻(べんがら)色などの色の名も、若い世代にはさっぱり伝わらない色になっています。
 色彩名詞も世に連れ、人につれ、のようです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「虹色いくつ?-人だもの」

2013-06-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/12
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(5)文化と色-虹色はいくつ?-人だもの」

 レインボーカラーのミニスカートで『真っ赤な太陽』を歌う美空ひばり。当時30歳。
http://www.youtube.com/watch?v=z1YAMlXdYgA

 美空ひばりのミニスカートの虹の色、顔のアップが多くて、ミニスカートの色数が数えにくいのですが、通常の七色に加えて、ピンクが見え、8色の虹になっているように見えます。
 虹の色も地域によってとらえ方が異なるというお話をしました。

 日本はじめ、アジア各地の言語で、虹は七色に分類されています。少なくとも私がであったアジア人留学生は、虹は七色に決まっていると言っていました。そして、フランス人はじめ西欧からの留学生にとって虹は六色。
 パプアニューギニアのある地域では、虹は三色である、ということも、言語学の語彙論・色彩名詞の話にはたいてい書かれています。
 何色でもいいのです。自分に見える色が自分の色です。

 レインボーカラーは、現在の欧米では、平和運動のシンボルフラッグ、またLGBTの人々のシンボルカラーとして知られるようになりました。

 GLBT(ジー・エル・ビー・ティー)とは、女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexuality)、そして性転換者・異性装同性愛者など(トランスジェンダー、Transgender)のイニシャルです。
 
 誰を愛するかも、どのように生きて行きたいかも、それぞれの人の自由が認められる社会でありたい。自分の人生は、自分で決定する。
 小学生の私が、太陽を黄色いクレヨンで描くことを禁じられ、「太陽は赤」と、固定された観念を植え付けられたこと、ひとつの文化の側面です。でも、虹を三色で描きたい子どもがいたら、それでいいのです。「虹は三色」という社会もあるのですから。

 社会にルールがあることは当然のことです。しかし、ある人がある人を愛することがあなたの自由を損なわない限り、それを認めてもあなたの生活は変わらないのではないでしょうか。
 六色で描いても三色で描いても、いいのです。虹は七色でも、八色でも。どの色もきれいです。

 私の敬愛する「青い鳥」さん。青い鳥さん製作のカレンダーがパソコン机の前にかけてあります。青い鳥さんが書いた6月の詩「人だもの」を引用させていただきます。


 
 ハンデキャップのある人もない人も、愛する対象がだれであろうと、人は自分の色を大切にして、青い鳥さんの詩のように「手をつなぎあるいてゆけるよ」

<つづく>
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ぽかぽか春庭「文化と色-太陽はどうして真っ赤に燃えるのか」

2013-06-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/11
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(4)文化と色-太陽はどうして真っ赤に燃えるのか

 ♪真っ赤に燃える~太陽だからあ~、とミニスカートをはいた美空ひばりがテレビの中で歌っていました。1967年のこと。

 多くの日本語母語話者にとって、太陽は赤いのです。

 こどものころ、私は、昼の太陽を直接目で見てはいけないと禁じられても、ときどき薄目にして太陽を見るのが好きでした。輝くお日様が好きだったのです。お日様はキン金キンと黄金色に燃えていました。しかし、小学校のお絵かきで太陽を書くとき、私は赤いクレヨンを使いました。先生に「お日様は赤いクレヨンで描くんだよ」と注意されて、「学校のお約束」に素直に従ったからです。当然、虹は七色で描きました。

 西欧文化では、多くの地域で「太陽は黄色」が基本であると、鈴木孝夫の『ことばと文化』(1973岩波新書)に、書いてありました。西欧では「黄色い太陽」は当たり前のことだというのです。目からウロコ!でした。なんだ、太陽を黄色のクレヨンで描いても間違いじゃなかったんだと思いましたが、私は「日本文化のしばり」にしばられて「太陽は赤いもの」に従ったのでした。

 なぜ、日本では太陽は「真っ赤に燃えている」のか。これは、前回説明した日本の基本色彩名詞が「赤青白黒」であった、ということと関わります。
 黒は光をすべて飲み込んでしまう、暗い闇の色。
 白は、「他から際立って明確な色、加工を加えていない、素のままの色」でした。白木というのは、木材を削ったまま、何も塗っていない木です。
 青は、緑色や灰色を含む、「はっきりしない曖昧な色すべて」でした。
 赤は、「明るく輝く燃える色」「鮮やかに際立つ色」すべて」でした。

 漢字が導入されて「明るい」と「赤」という漢字に固定されてしまうと、アカるいのアカとアカ色のアカが別物になってしまいましたが、「赤し」と「明かし」は、同根の語です。漢字導入以前に「日、あかあかし」という表現があったとしたら、「お日様が明るく輝く」という意味であり、後代に染め物の「赤い色」と固定される前の、「明るく輝く色」の意味であったと思われます。

 もうひとつ、日本人にとって、赤い太陽の固定概念に、太陽信仰がかかわります。ヒエ粟など焼き畑農耕開始以来、大地と日照と雨は農業のもとです。日の出を拝むことは、農耕にとって大切な行為でした。「山頂での初日の出来迎」など、現代にまで残された民間習俗です。今も「毎朝日の出を拝む」というお年寄りは残っています。また、仏教伝来後は、欣求西方浄土信仰が加わり、日の入りを礼拝する習慣も生まれました。

 太陽光線の屈折のために、日の出と日没の太陽は赤くなります。毎朝毎夕礼拝する太陽が赤いので、「太陽は赤い」という固定イメージが出来上がりました。
 旗の「日の丸」が、「赤地の布に金色の丸」で描かれたものから、「白地に赤い丸」になったのは、定説はありませんが、平安末期から鎌倉初期という説が有力です。

 こうして日本では、太陽は「真っ赤にもえる~」になったのです。

 人気絶頂のグループサウンズ「ブルーコメッツ」がバックバンドとなった『真っ赤な太陽』は、歌謡史に残るシングル140万枚の大ヒットとなりました。

 次回、『真っ赤な太陽』を歌う美空ひばりのミニスカート姿、レインボーカラーの衣装と虹の語彙論。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「グリーングリーン」

2013-06-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/06/09
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>ことばの知恵の輪・色の世界(3)グーリングリーン

 「みどり」が、もともとは「草木の新芽」を表す言葉であり、「新鮮な若葉」のことだった、ということは何度かお話ししてきました。「みどりの黒髪」とはツヤツヤとした若々しい美しい髪のことであり、「みどり児」とは生まれたての新芽のような子のことでした。

 「みどり」に染織の「緑色」が重ねられて以後も、「みどり」には、「若々しく新鮮」「さわやかな若い気分」がイメージとして残りました。日本語で「みどりの牧場」とか「緑の丘」と表現するとき、そこには「新しい溌剌とした気分」はのせられても、「小銭ももたないで、相棒に借金をする放浪者」のイメージはのせにくい。

 そこで、世に知られる「グリーングリーン」の日本語詞は、以下のようになりました。
片岡輝 作詞 B.Mcguite Rspark 作曲
1 ある日 パパとふたりで 語り合ったさ
  この世に生きる喜び そして 悲しみのことを
  グリーン グリーン 青空には 小鳥が歌い
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がもえる

2 その時 パパが言ったさ ぼくを胸に抱き
  つらく悲しい時にも ラララ 泣くんじゃないと
  グリーン グリーン 青空には そよ風ふいて
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がゆれる

3 ある朝 ぼくは目覚めて そして 知ったさ
  この世に つらい悲しいことがあるってことを
  グリーン グリーン 青空には 雲が走り
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がさわぐ

4 あの時 パパと 約束したことを守った
  こぶしをかため 胸をはり ラララ ぼくは立っていた
  グリーン グリーン まぶたには なみだがあふれ
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がぬれる

5 その朝 パパは出かけた 遠い旅路へ
  二度と 帰って来ないと ラララ ぼくにもわかった
  グリーン グリーン 青空には 虹がかかり
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がはえる

6 やがて 月日が過ぎゆき ぼくは知るだろう
  パパの言ってた ラララ 言葉の意味を
  グリーン グリーン 青空には 太陽がわらい
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑があざやか

7 いつか ぼくも 子供と 語り合うだろう
  この世に生きる喜び そして 悲しみのことを
  グリーン グリーン 青空には かすみたなびき
  グリーン グリーン 丘の上には ララ 緑がひろがる


 男の子が父と別れ別れになった後、父を思い出し、父が伝えたことばをかみしめる。そして自分も同じように息子に語るだろう、という「家族の継承と明日への希望」というようなテーマの詩になっていました。
 学校音楽教育の場ではたいてい3番までが歌われるので、多くの人にとって、「グリーングリーン」は、父が人生を語り、くじけるなと子を励ます歌、とイメージされています。

 原詩と直訳詩を、日本語詞と比べてみましょう。(直訳:春庭)
Green Green(1963)/The New Christy Minstrels 原詩の引用は以下のURL
http://tabs.ultimate-guitar.com/m/misc_unsigned_bands/the_new_christy_minstrels_-_green_green_crd.htm

Green, green, it's green they say  グリーングリーン 緑だ、とみなが言う
On the far side of the hill  丘のむこうのずっと遠く
Green, green, I'm goin' away  グリーングリーン、僕は旅立つ
To where the grass is greener still もっと緑あざやかな草が、まだあるところへ
(1)
Well I told my mama on the day I was born 生まれたその日にママに言った
Don't you cry when you see I'm gone  僕が出て行ったとき、泣かないでね
You know there ain't no woman gonna settle me down  僕を引き留められる女はいない
I just gotta be travelin' on. Hear me singin'... 僕はただ旅を続ける 歌いながら
(2)
No, there ain't nobody in this whole wide world この広い世界に、誰もいないってことはない
Gonna tell me to spend my time 僕に言ってくれ、好きなようにすごせって
I'm just a good-lovin' ramblin' man  僕は愛すべき良き放浪者
Say, buddy, can you spare me a dime? 相棒よ言ってくれ。僕に小銭を分けてやるって 
Hear me cryin',  泣けてくるよ
(3)
Here, I don't care when the sun goes down  さて、いつ日が沈もうと僕は気にしない
Where I lay my weary head  僕の疲れた頭を載せられるところは
Green, green valley or rocky road 緑の上だよ、緑の谷や岩の道
It's there I'm gonna make my bed  どこだって僕は寝床にできる 
Easy, now  かんたんさ、今はね

 原曲のヒットは、1963年。アメリカはケネディ政権によってベトナム戦争介入が本格化した頃です。そのアンチとしてヒッピー文化がアメリカから世界に広がりました。「自由と平和、そして愛」が、ヒッピーたちの合い言葉。そのヒッピー文化の広がりのなかで、この「グリーングリーン」は歌われたのです。

 日本の「うるわしい父と子の情愛」じゃなくて、平穏かつ退屈な人生を捨て親を捨てて出て行く若者が、ダチ公に「小銭を分け合おうぜ」と呼びかけながら放浪するって内容なのです。ここでのグリーンは、丘のむこうのずっと遠くに、おそらくは「今ここには存在しない」緑の大地です。緑の谷や岩だらけの道で、ヒッピーたちは頭を並べ野宿しながら放浪する。自由と愛を求めて。

 日本語の詩は、これはこれとして、音楽の教科書にふさわしい文部省唱歌的にまとまっていて、日本人にはなじめるイメージになっていると思います。緑の大地がどっしりと自分を包みこむ。

 ビルの林立する町と機械文明を捨てて「緑」の中に帰ろうとするヒッピー文化のイメージは、日本の「緑」のイメージには向かない、という訳詞者の判断があったのでしょう。
 以前に、「ホテルカリフォルニア」のけだるい、(大麻などの)グラス文化が、なんだか明るすぎる観光地カリフォルニアのイメージに大きく模様替えされた、という訳詞の話をしました。
 http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/hotel_californi.html
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_7edc.html

 グリーングリーンの「文科省的健全化」も、また日本文化のひとつの有り様だとは思います。

 なにはともあれ、「みどり」は「みどり」
 私にぴったりの「みどり」を季語とする俳句を見つけました。石橋秀野(1909-1947)の句。石橋は、俳句評論家山本健吉の妻。

緑なす松や金欲し命欲し 石橋秀野

 緑をみて、私も友に歌いかけたい。
 ♪Say, buddy, can you spare me a dime?  私に小銭を分けておくれよ。
 いえいえ、小銭だなんていわず、大金を分けてくれる友こそ、真の友。吉田兼好も、「ものくれる友こそよき友」と徒然草に書いています。
117段 よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには、知恵ある友。

 わたくし?当然宝くじ6億円が当たったときには、あなたに分けてさしあげますとも。だから、宝くじ買うお金をわけてくれない?

<つづく>
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