春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭2015年5月目次

2015-05-31 00:00:01 | エッセイ、コラム
5月
野茨


20150531
ぽかぽか春庭2015年05月 目次

0502 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>憲法記念日(1)若者口語訳憲法
0503 憲法記念日(2)五日市憲法草案

0505 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>新緑散歩(1)コンビニまでの姑散歩
0506 新緑散歩(2)東御苑の藤
0507 新緑散歩(3)みどりの日散歩
0509 新緑散歩(4)手作り&食べ歩き散歩
0510 新緑散歩(5)手作り母の日プレゼント

0512 ぽかぽか春庭アート散歩>新緑アート(1)フェルメール?in 西洋美術館&ダブルインパクト展
0513 新緑アート(2)片岡球子展in 近代美術館&ブリジストン美術館
0514 新緑アート(3)ユトリロとヴァラドン展in東郷青児美術館

0516 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記5月(1)2003年の読者は踊る
0517 2003三色七味日記5月(2)2003年のハンカチの木
0519 2003三色七味日記5月(3)2003年の貝多羅葉
0520 2003三色七味日記5月(4)2003年のぼくは勉強ができない
0521 2003三色七味日記5月(5)2003年の神楽坂散歩
0523 2003三色七味日記5月(6)2003年のオイコノミー
0524 2003三色七味日記5月(7)2003年の有事
0525 2003三色七味日記5月(8)2003年の薔薇と老体会議
0528 2003三色七味日記5月(9)2003年のサービスマニュアル
0530 2003三色七味日記5月(10)2003年の主婦ですみません
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ぽかぽか春庭「2003年の主婦ですみません」

2015-05-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150530
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(12)2003年の主婦ですみません

 2003年5月の日記再録を続けています。
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2003/05/29 木 晴れ 
トキの本棚>『主婦ですみません』

 日本事情、作文2コマ。

 往復の電車で青木るえか『主婦ですみません』を読了。おおいに笑えた。娘が大学図書館から借りてきて「ぜったいおもしろいから」と回してきた。

 お笑い文章界(そんなものがあるかどうかは知らないが、私のジャンルの中では)にとって、「ナンシーの新作がもう出ないとなると、どうしたものやら」と、娘ともども「笑える本」ニュースターを捜していたのだが、いいのがみつかった。

 斉藤美奈子も笑えるが、もうちょっと軽いジャンルで、ナンシー後継者をさがしていた。ただし、ナンシーのネタが「テレビのタレント」であるので、新ネタは次々と出てくるのに対して、るえかは自虐ネタなので、早晩ネタ切れのおそれはある。解説を書いている中村うさぎが、ブランドもの消費、ホスト狂い、整形ときて、新ネタ掘り当てにちょっともたついている感がある、という前例もある。

 とにかく、るえか(かえる好き)は徹底的に「駄目主婦」の自分を笑いのめし、芸になっている。
 そして、るえか同様掃除大嫌いで、ときどき部屋から多量の虫を出現させる私。冷蔵庫の奥から「液体状になってしまった野菜」「カビにおおわれた元はなんだったか思い出せない食品」を発見する私には、大いに「るえかに比べりゃ私はマシ」と幸福になれる主婦ぶりであった。

 私は、3週間に一度はDKに掃除機をかけているもんね。DK換気扇は、息子が4年生のとき家庭訪問が「希望する家庭のみ」とされて以来、掃除していないが、動いているので問題ない。汚れすぎで動かなくなったら掃除するのだ。もしかして、るえかよりマシというほどでもないか。かれこれ6年も、換気扇は汚れたまま動いているのだ。えらい。

 うちの換気扇もエライが、るえかのダンナもえらい。ちゃんと社宅もある一流企業に勤めているらしく、転勤も2年に一度繰り返す総合職っぽい。地方の小金持ち出身の汗かき男。るえかと「だれからもうらやましがられない仲良し夫婦」を15年も続けているのだ。

本日のねたみ:「究極の割れ鍋に綴じ蓋夫婦大賞」を贈呈


2003/05/30 金 晴れ
ニッポニア教師日誌>コースデザイン

 ビデオ、会話3コマ。

 3コマ目、1組の会話の授業で、アリが真剣な顔で「今やっている練習についてじゃないけれど、質問がある。聞いてもいいか」と、言うので、どうぞ、と答える。
 アリは、「この教科書は何%わかればいいのか」と言う。「単語や例文を100%完全に覚えなくてもいいですよ。でも、文法項目は50%は覚えてね」と答えてみたが、アリの質問の意図は、何%くらいわかればいいのか、ということではなかった。
 要するに、このコースはハードすぎて、とてもついていけない、というコースの設定に対する不満を述べたかったのだ。「We don't want to be maneged like child」
 「毎日宿題宿題、予習しろと責め立てる。漢字の宿題をやり残したりすると、叱られる。質問すると、そんなことは教科書に書いてあるからちゃんと読めと叱られて終わり」という不満。

 ショーは「HAL先生は学生をリスペクトして、グローインアプする気持ちを出させてくれる。私たちは成長したい気持ちはちゃんと持っている。でも、コースコーディネーターは、何かといえば、奨学金をもらっているんだから、ちゃんとやれという。質問すれば、スカラシップスカラシップ、口を開けばスカラシップという。奨学金を受け取っているのは確かだが、それを理由に支配されることはない」と怒る。
 地理学専攻で南アフリカに留学し、ケープタウンでマスターを取得してから、日本に来た。彼が憤って早口の英語でまくしたてるようすは、ナイロビ下町のタンカ切りのようだ。

 「このコースに責任を持っている先生は、きちんとことばを身につけてほしいから、学生に厳しく言うのです。私はパートタイムレクチャラーだから、コースについての責任がない。コースの設定について何も言うことはできない」と、あやまると、「いいんだ、私たちが今日言ったことを、気にしなくていい。私たちは、HAL先生が学生を成長させるために一生懸命になってくれる先生だから、不満を言ってみただけだ。コースを変える力がないことは気にするな」と、学生たち。

 おとなしいダナも最後には口を開いて「私たちはサイコロジカルプロブレムを抱えていて、フラストレーションが大きくなっている」と言う。

 私にはどうすることもできないコース設定の問題ではあるが、なんとかして学生のために少しでもわかりやすく楽しい授業を心がける以外のことはできない。英語が下手なので、学生がすっきりした気持ちになれるようなことがで、うまく言えない。うまく言えなかったが、学生の気持ちはよくわかった。

 毎日どっさり漢字と作文の宿題が出て、単語も覚えなければならない今のコース設定は、学生の負担が大きいと思う。文法内容がわかっていなくても、宿題をこなさないと叱られるから、結局わからないまま次に進む。ますますわからない。学生も不満がたまる。
 彼らは一般の学生に比べて、非常に優秀なエリートたちである。国では最高の知識階級として優遇されてきた。それで「ことばがよくできないからって、子供扱いされるのはいやだ」という学生の主張となる。

 コースデザインについて、われわれが口をはさめるのは、せいぜいメインでないテキストについて、新しいものが出たときに論評して「使ってみましょう」と提案するくらいなのだ。

 学生たちは「あした天気がよければ、自転車で海岸に行ってみる」というので、「それじゃ、いい週末を」と言って授業をおわる。

本日のつらみ:帰宅して天気予報を聞いてみると、明日からは台風模様。やれやれ、学生たちの気晴らしはしばらくお預け


2003/05/31 土 雨 
日常茶飯事典>伝統工芸展

 台風の影響でときどき強い雨。

 夕方、娘が大学に介護体験の事前講習(どこかの養護学校の先生の講演会)に出かける。雨でもでかけなくちゃならない。今日の講演会は必修ではないが出席をとっていて、出ておかないと教職課程の必修単位「介護体験」を受けるのが不利になる、という。教育実習のほか、介護実習も教職課程の必修項目になったのは、数年前からだと思うが、まあ、周りに老人も障害を持つ人もいない家庭で育った子供が多くなった昨今では、必要なことなのだろう。

 息子と日本橋へ。「伝統工芸50年展」を見た。
 新聞に工芸展の作品が掲載されて、息子が「見たい」と言うので招待券をもらったのだが、息子は体調が悪い。私と同じで、閉鎖された建物の中に入ると圧迫感を感じて気持ちが悪くなるのだ。心理的なものなので、「自分にこの空間は合わない」と感じるともうだめ。エレベーターしかり、デパートしかり。心理的なものなので、閉鎖されていると感じるかどうかは、その日の気分による。私の場合、外の景色が見えるかどうかが、重要なポイントで、「ここから出ていける出口がある」と認識されていれば、それほど圧迫感がない。

 伝統工芸展なるものを見ようとするのは、ジーサンバーサンがほとんどだから、息子には「この場所は中学生のくるとこじゃない」という意識が先にきてしまうのだ。

 工芸そのものは人間国宝の作品を中心に戦後50年の工芸逸品がずらりと並んでいる。陶芸、金工、漆、染色織物、人形などなど。
 ひとつひとつの作品はすばらしい色や形を出していて、すごいのひとこと。志村ふくみの着物、鹿児島寿蔵や堀柳女の人形、富本憲吉や浜田庄司の陶芸。すごい美意識と美を確かなものとして表現できる技。

 この技のすごさを息子に感じてほしかったけれど、わたしが息子に言ったのは「この竹細工さ、きれいだけど、デザイン盗作して中国で作らせたら、百円ショップで売れる」というしょうもないことば。
 どうしてこんなことしか息子に言えないのか。まじめに、まともなことを中学生に説教臭く言うのが照れくさいのか。息子に「これらのすばらしい作品を眼福として目に焼き付けておきなさい。技をみがき、美に結晶させることのできる人々を尊敬しなさい」なんて、言葉で言える親がいるなら、親子断絶なんてどこにもない。言葉で息子に伝えるにはどうしたらいいんだ。

 盗んだデザインで作った竹細工には百円の価値しか生まれない。寸分違わずイミテーションを作ったとしても、オリジナルの存在は厳然と輝いて残る。でも、ふたつ並べられて、寸分違わないとしたら、それはいったいどういうこと?そんなことを話してみたかったのだ。

 オリジナルとコピーの問題。絵には画家独自のタッチングで鑑定するなどの方法があると聞くけれど、工芸品のオリジナリティとは何か。伝統の技というのは、伝統が続けばつづくほど、統一された技になるだろう。そのとき、作者のオリジナリティを保証する物は一体なんだろうか、そんなことを話してみたかった、、、、ような気がする。

 息子は東北で秀衡塗を見学してきたので、漆工芸に詳しくなっている。秀衡塗は、お椀が中心。漆に菱形金箔を貼るのが特徴。今年は伝統工芸技術伝承者の試験を受けた人の出来が悪く、それでも7人を合格者としたが、年々伝承者を確保するのが難しくなってきている、など、見学の結果知った話を教えてくれる。プラスチックで作られた秀衡塗のイミテーションと本物を出されて、見学に行った「伝統工芸研究班」「秀衡塗研究班」メンバーの中学生10人、だれも、どれが偽物か、区別できなかったのだという。

 さっと一回りしただけで、「どこでもいいから坐ってやすみたい」と息子が言うので、ランドマークでお茶を飲む。気取った感じの喫茶店が多い中、ファミレス的なランドマークすら、息子はあまりくつろげないらしい。「わたしたちは気軽なレストランをめざしているんですよ、でも、気軽な中にも老舗の格式はなくさないようにがんばっているからね、みたいな。無理して気軽さを出そうとしています、という雰囲気がいやだ」と言う。
 紅茶のカップをながめて「デニーズやサイゼリアで使っている百円ショップで買ってきたような食器類」と値段が違う品であることを、確認している。息子は老舗デパートと相性が悪かったようだ。

 帰宅しても息子の「気持ち悪い」はなおらず、夕ご飯はかぶの漬け物を食べただけ。息子分のネギトロ丼は「わーい、二食分食べられてラッキー」という大食漢の娘がたいらげる。これ以上太るとせっかく作ったハイビスカス柄のLLスカートも着られなくなるぞ。

 息子、るえかの本を電車の行き帰りに笑いながら読む。3人で回し読みして「るえか」の存在を一家で知ったからには、もう、掃除に関して怖い物はない。息子も、我が家の惨状が特別なものではないと知ったろう。いや、やはり少数派か。とにかくミシンのコードはみつかったのだ。
本日のなやみ:ここにいる私はホンモノ?

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20150530
 12年前も、娘息子と同じ本を読んで笑い、息子には何をどう話しかけたらとまどい、学生たちとはせいいっぱい教師として向き合う。そういう毎日をすごしてきました。
 これから先がずっと同じとは限らないけれど、ささやかな毎日を積み上げてつないでいくだけ。今日も、きのうと同じように、「絶対にありません」と言われれば、絶対に安心できるのだと思えないのが問題だけれど。

<おわり> 

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ぽかぽか春庭「2003年のサービスマニュアル」

2015-05-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150528
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(10)2003年のサービスマニュアル

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/26 月 曇り 
日常茶飯事典>駅前中華と接客サービスマニュアル

 漢字、作文2コマ。

 昼ご飯を駅西側に新装オープンした中華の店で食べる。オープン記念だったので、半額サービスだったから。フカヒレ醤油煮、トウガンと海老の煮物、五目オコゲの3品。客のほとんどは中国人。

 午後、ヘアダイとカット。半分はいねむり、半分はサービス業における接客教育の未来展開を考えた。21世紀の日本のコア産業は、情報とサービスだろうが、ものつくりには長けていたこの国も、新分野への教育はまだまだ未開発である。

 『Think or die』の中に、六本木ヒルズ近くのレストランに行って、20分待たされた話があった。20分待たされたことで、料理の味も雰囲気も台無し。レストランの評価は最低ランクになった。レストランは、味、値段以上に店の雰囲気とサービスで勝負する時代。どのようにウェイターウェイトレスを訓練し、接客力の向上をはかるか、これが店の生き残り条件になるだろう。

 夕食に、娘と息子をさそって、また同じ店へ行く。オコゲがおいしかったから、ふたりにもおこげを食べさせようと思って。夕方も客の半分は中国人で、各テーブルから聞こえてくる会話は中国語。娘に「何か知ってる単語が聞き取れる?」と聞くと「全然ダメ」。たぶん、客達の会話は、福建語とか、広東語なんだろう。
 オコゲのほか、春巻き、フカヒレ煮、鳥とカシューナッツのいためもの、牛肉オイスターいため、ごはん、ビール、マンゴープリン、アンニンドーフをたのんだ。娘の評。今日はいいけれど、半額サービス期間が終わって、この倍の値段払うのなら、同じ値段の寿司かイタリアンを選ぶ、という。私は微妙。イタリアンより中華の方が好きだから。

 さて、サービスである。半額サービスは、オープン時しかしないのなら、あとは味とウェートレスの腕。昼と夕方ではウェートレスが違う人だった。どちらも日本語カタコトの中国女性アルバイト。昼は年輩で、日本語に慣れているがややぶっきらぼう。夕方は若い女性がふたりいて、一人は日本語にも接客にも慣れている先輩。一人は固い顔で緊張している、いかにも「中国から親戚をたよって出てきました」という雰囲気の女性。先輩はテーブルのあとかたずけをする際は「しつれいします」とお客に断ってから、というように、指導している。しかし、ふたりとも笑顔がなく、ぶっきらぼうは昼と同じ。
 中国の人にはついつい「教えてやりたい」感が強くなり「接客マニュアルを伝授したい」と思うが、娘メは「余計なことをするんじゃない」と怒る。それもそうだが、笑顔ひとつでサービスになるのに。マクドナルドを見習え。

 マックで、店長さんが新入りに笑顔の作り方、入店した客への顔の向け方、客の視線のとらえ方を指導しているところに出くわしたことがあったが、さすが「スマイル無料」のサービスを心がけている会社である。しかるに、客がいる前で教育していた点はマイナス。客の前で、客への笑いかけ方を指導するのは、酔客を手玉にとる法を、客の隣に坐っているホステスに話すキャバレー店長のようなもの。カモの前で詐欺の手口を話す詐欺師のようなもの。企業秘密にしておけ。

 マックやディズニーのサービスとて完璧であるわけではないが、ほかより数段はましである。サービス教育はマクドナルド大学とディズニー大学に学ぶべし。

 ディズニーでアルバイトを体験した学生の言葉。「ディズニー大学でサービス教育を受けたら、二度と無心にディズニーランドのアトラクションを楽しめない。キャスト(サービス係員)の立ち居振る舞いを無意識に採点してしまっている自分に気づいて、楽しめなくなる。ディズニーを楽しみたいなら、アルバイトすべきじゃない」
 サービスを売る21世紀にあって、あらゆるレストラン、美容院など、接客が要求されている業界では、接客教育が生き残りを分けるだろう。

本日のひがみ:ディズニーキャストマニュアル以上のサービスを受けたことのない日本人

2003/05/27 火 曇りときどき小雨 
日常茶飯事典>アンチダイエット裁縫

 漢字、SFJ3コマ。

 娘は夏物スカートを縫うという。型紙もつかわないイージーソーイング。本を見て、直に布地にチャコで線をひいて縫うだけ。

 「毎年、洋服が私に無断でちぢんでしまうので、毎年、新しい服が必要になる」という娘。去年の夏の終わりに買っておいた、2メートルで250円という見切り品の布地を使う。
 「太さに合わせてつぎつぎ服を作るより、おしゃれをしたいならやせる方が手っ取り早いんじゃないの」と言っても、「いいの、今の自分が好きだから」と気にしない。50キロのときは50キロの自分が好きだし、60キロになったら60キロの自分が好きだからいいのだと。

 それって、ダイエットの努力をしたくない、というだけの話じゃないかしら。
 「お菓子を作ることと食べること、服を作ること全部好きなんだから、お菓子も作らず服も作らないでストレス貯めるより、思いっきりお菓子作って食べて、服も作れば、ストレス知らず」と言うのだ。

 布地を裁断して、ミシンを出してきたら、電気コードがなくて、おおさわぎで探すはめになった。結局部屋の角の、ぐちゃぐちゃに物が積み上がっている中から出てきた。去年私がダンスの衣裳を縫って以来、ミシンコードはそこに転がっていたらしい。

 3時間くらいでハイビスカス模様のスカートが一着できあがり。試着して「かわいい!」と、うれしがっているが、娘は1997年の42キロからとどまり知らずの体重増加。もうこれ以上は健康上キケンだ。
 ナンシーの死は40前だった。ナンシー関の体型になる前になんとかしなければ。才能に恵まれた人には夭折もありだが、何のとりえもない我々は、長寿ギネスに挑戦する以外、老後の楽しみはない。

本日のつらみ:LLサイズ洋裁より、ダイエット


2003/05/28 水 晴れ
トキの本棚>『樋口一葉に聞く』とDV

 午前中Aダンスィング。午後、教授法2コマ。

 井上ひさし『樋口一葉に聞く』読了。
 前田愛との対談の中で「女房が演劇制作をやりたいと言い出して、女房が作った劇団の旗揚げ公演として一葉伝を書くことになった」という裏話が出てくる。

 井上のDVバタード妻だった好子前夫人、こまつ座を作ってプロデューサーとなり、亭主は妻をナグリながらも座付き作者として戯曲を書く。バタード女房は劇団の演出家に走り、劇作家亭主を捨てて再婚するも、何年か後に離婚。
 劇作家は共産党幹部の娘と再婚。息子をもうける。その後の家庭争議を知っていて読む、「女房が劇団を作ったので、戯曲を書いた」という、その作品が『頭痛肩こり樋口一葉』。

 「女房を殴ったりする男が書いた本なんて読みたくもない」という人もいるのは認めるし、最近の井上の考え方はどうもおかしい、偏ってきた、と思う人もいるだろう。
 そういう人に「いや、作者本人の性向人格と作品は別」などと言うつもりもないし、どう読むかも読む人の自由だ。
 しかし、井上ひさしが暴力夫であろうと、共産党幹部の婿であろうと、私が読む限りにおいて、彼の作品はおもしろい。
 ところで、井上は現在の妻(米原万里の妹)のこともなぐるのだろうか。願わくは現夫人は武術の達人であらんことを。井上が殴りかかるや「エイヤッ」と、逆襲なさいませ。武力革命!満身創痍のペンクラブ会長もまた見所多し。

 中学校の女子体育を、いまだに男子と別々に教育している学校も多いと聞くが、それなればなおのこと、年に一回婦警を呼んで、女生徒の前でちょこっと実演して見せて「痴漢に襲われたときはこうやって身を守れ」なんてお説教するのでなしに、全女生徒に身を守るための武術を身につけさせて、反撃可能な身体を鍛えるがよかろう。キックボクシングでも、K1でも、テコンドーでも。
 また、結婚前の花嫁教育を行うに、料理や生け花なぞより、夫婦げんかのさい勝てる武術を身につけさせるべきである。亭主のDVから身を守るための武力は、武力ではないだろう。
 なにしろ「自衛のための武器ミサイルその他の兵力を保持する軍隊は、これを軍隊と呼ばない」と教えられ、私たちは立派な「戦後民主主義者」に育ったのだ。日本海を超えてミサイルが飛んできたら防衛せよと教える国が、「亭主に殴られっぱなし」の妻を育ててはいかんだろう。

 さて、『頭痛肩こり樋口一葉』である。 台本は全部は掲載されていなくて、その代わり最初の構想による劇中劇仕立ての台本が載っている。劇中劇構想のほうは、初日一ヶ月前になって全部破棄したという。

 で、作品として評価するなら、やはり井上ひさしがDVであったとか、なかったとか、関係ないと言わざるをえない。従来の、『明治の恋』などの半井桃水との恋物語を中心にした新派的な一葉像であるなら、薄幸の才女として内面の誇り高さと外面のつつましやかさと恋に悩む乙女心と、適度にチャンプルー。なのだろうが、井上の一葉像は、「あの世からの視点でこの世をながめている女」というキーワードによって、ひとつの肖像を完成している点で評価できる。

 一葉は強い。戸主として明治の世を闘い抜いた。武術の達人ではなかったが、筆一本で闘った。結核には負けたが世間には負けなかった。戸主であるから、婿をとる以外の結婚は許されず、したがって夫からの迫害を受ける必要もなかった。
 井上は一葉を「幸福な作家」と呼ぶ。作家としての頂点で死ぬことができ、書けなくなったあとの苦悶も流行らなくなったあとの悲哀も味わうことがなかったからだと。

 DV夫に対して、「カウンセリングを受けた方がいい」とお勧めするし、共依存妻には、夫から抜け出して自立せよと、伝えたい。でも、DV夫が作った劇作品も、アルコール依存の詩人の詩も、殺人を犯した死刑囚の小説も、私にとって、評価は作品の中でするしかない。

本日のうけみ:寝技も受け身も、学べよ娘たち

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20150528
 火曜日、娘とけんか。「母は、声の暴力を与える側だ」と、娘は言う。
 生協の配達時間のことで電話しろと娘が言うから、配達時間を遅くしてもらう交渉をすることになったのだ。話し終わってみたら、娘が怒っていて、「どうしてそんなにケンカごしの物言いをするのか。私が直接生協配達員とかかわらなきゃならないのに、母がそういう態度だと、我が家がクレーマーに思われるでしょ」と怒る。

 自分のしたくないこと、言いたくないことをはなさなきゃならないとき、極端にぶっきらぼうなものの言い方になってしまうのは、私のこどものころからの悪い癖。それがこの年になってもなおらない。喧嘩しようと思っているわけじゃないんだけれど、切り口上のケンカごしに聞こえてしまう。反省はしても、同じことを繰り返してしまいます。
 けっして怒っているのでもケンカするつもりでもないのに、私と話した人、「こわい人」と思うみたい。ネはやさしいのよ、、、、というほどでもないか。やさしくはないけれど、ケンカしようと思っていないのは確か。
 
 昔は、気に入らないことがあってケンカすると半月とか1ヶ月とか口をきかずにいた娘でしたが、さすがに30過ぎて大人になったからか、丸一日で「母は、これから、電話にでるときはできるだけやさしい声を出す練習をしなさい」というお説教だけで、口をきくようになりました。生協の配達は、午後2時ではなく、配達ルートいちばん最後の午後5時ごろ、ということにしてもらいました。

 27日水曜日の夕食は、娘と私のふたりだけ。息子は大学院の新入生歓迎会に出かけたので。娘と夕食食べながら、録画しておいた「歴史ヒストリア はるかなる琉球王国」を見ました。琉球の外交戦略と生き残りをかけた戦いの歴史。とても興味深く、琉球の外交政策を担当した人々の苦難苦心がよくわかりました。番組の最後に、オスプレイが沖縄に着陸している映像がでました。沖縄の苦難が今もなおなくならないことを伝える映像だったと思います。
 娘は、琉球が舞台の大河ドラマ「琉球の風」一本だけであることにふれ「幕末と戦国ばっかりやってないで、沖縄の歴史ももっとやるといいのに」と、言っていました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の薔薇と老体会議」

2015-05-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150528
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(11)2003年の薔薇と老体会議

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/25 日 晴れ
日常茶飯事典>薔薇園と老体会議

 午前中、古河庭園へ。薔薇が見頃。とても混んでいた。今日はバラ園だけ見て、日本庭園へは降りなかった。

 午後、文化センターで、センター祭参加サークルの第1回会議。去年と同じく、参加者たちが半分理解、半分勝手な思いこみで説明を聞き、わけのわからん質問をする。

 「発表の部は、全部視聴覚室で行う。この点は去年と同様」と説明しているのに、何度も「私たちの会は高齢者が多く、大きい道具を運ぶのは無理だから、2階の和室がいい」と支離滅裂にくりかえす。だいたい、自分たちがどこのサークルであるか、という基本的なことさえ言わずに、なぜ和室で発表してはいけないのか、理由を説明しろと繰り返す。

 会長の回答を聞いて、やっと、このサークルが「琴の演奏を和室で行いたい」と主張しているのだ、ということがわかった。和室を使えない理由は、去年から説明されていることで、発表団体が少なくなり、センター管理上、発表場所を一カ所にまとめたいということである。去年同じ説明を聞いても納得せず、今年蒸し返したのだから、また来年同じ主張を繰り返すだろう。
 「高齢化だろうと少子化だろうと、自分たちの既得権益は絶対に手放したくない。自分たちの利益を損なわずに改革してほしい」という世に多い主張といっしょ。

 「展示発表を希望する団体は、展示室パネルや机の設置日に、机を運ぶ体力を持った人に参加させる義務がある、参加できない団体に発表スペースは与えない」という説明を受けると、「私たちは高齢者が多くて、そんな体力のある人はいない」と文句をつける。
 「サークルの中に、机ひとつ椅子ひとつ運ぶ力のある人がいないなら、代理でかまわないから、家族友人知人に声をかけてください。とにかく会場設置はサークルが自主的に行うべきことで、センター職員の仕事ではない」と、説明を受けても納得しない。

 我々はセンターに活動場所を借りているだけで、センターが行っている区の行事に参加しているのではない。「自主サークルが集まって行う自主的なセンター祭なのだ」という基本的な概念を理解せずに、なぜ、センターの職員が全部やらないのか、という思いを持っているので、なかなか話がすすまない。

 60代70代の主婦たちに「会議での発言訓練ができていない」と言っても、無理なことはわかっている。が、それにしても公的な場での発言訓練を受けていない人の話を聞き取るのは、なかなか技術がいるのだと実感する。だれがどこで、どのようにしたいのか、そんなことすら、不特定多数の人にわかるように発言するのは難しいようだ。

 日本はオンザジョブ訓練が職業訓練の大半だから、仕事を持たなかった人にとって、身内やご近所でのおしゃべり以外に、公的な場で話す機会はごく少ない。
 70代60代の主婦たちなら「女は生意気なことを言うな、男の言うことに黙って従っていないと、嫁のもらい手がいないぞ」と教育された口であろう。小学校の保護者会などでも、何を言いたいのか、まとまらない発言がよくあった。彼女たちは「黙って従った」結果、無事嫁にも行けただろうが、自分の主張を人に伝えるのに苦労する結果となった。

 今、初等教育では「国際化」に乗り遅れまい、という英語教育の早取りが流行中だが、英語のカタコトを話せるようになる前に、母語での発言がきちんとできるよう訓練すべきであろう。このままだと、英語も日本語もカタコトの人間ができあがるだろう。

 娘の6年生の時の担任が「国語教育とは道徳教育」と、保護者会で話したことがあった。驚いた。
 『走れメロス』は、「友達を信じることが大切であることを教える」。『蜘蛛の糸』は、「利己的な心によって結局は身を滅ぼす。ホトケのような他への慈悲が大切なことを教える」なんていう国語教育をしているのである。
 ヤメテクレ!『走れメロス』を読んで、子供が自分の心で友情を感じ取るなら、それはよい。道徳教育として教え込むことではない。そのうち、国語の評価も「愛国心が強くなった」子供が「5」、「国のために戦う」という決意を述べられない子どもは「1」、なんて評価になっていくかもしれない。

 国語教育の時間は、「普通の人が普通に暮らしていくための、読み書きの能力」を、きちんと身につける場であってほしい。老人になっても、趣味のサークル会議で「きちんと発言し、他者の発言を聞き取り理解する」ことば教育を!

本日のつらみ:女は黙って従ってろ、という国語教育だった


~~~~~~~~~~

20150527
 現在、国語教育英語教育とも迷走中。これまでのような英文訳読法的教育では世界の英語優先社会に乗り遅れるから、会話指導をできるようにしろと文科省はやっきになっている。

 しかし、中学校で英語検定準1級以上の検定合格教員は3割に満たないし、高校でも5割に満たない。自分がしゃべれない先生に会話指導しろといってもなかなかむずかしい。

 教員免許を国家資格にして、「愛国教育ができない者には免許出さない」というふうになるのはもっと怖い。
 うちは、孫いないからいいけれど、これから先の子ども達、どうなっていくんだろう。
 せめて、自分自身の頭で考え、自分自身のことばで自分の意見が言える日本語を身につけてほしい。

 昨年末に掲載された池澤夏樹のエッセイ『(終わりと始まり)桃太郎と教科書 知的な反抗精神養って』がとても痛快でした。(朝日新聞20141204文芸時評欄)

 筑摩書房の高校国語教科書に掲載されている池澤の「狩猟民の心」というエッセイに、義家弘介がおかしないちゃもんをつけ、池澤がそれに反論しているコラムです。
 後出しで福沢諭吉をひっぱり出すレトリックは、なかなかのもの。義家は、はたして、池澤や諭吉一万円札大先生に反論したのだろうか。
 ことばというのは、こういうふうに並べるのだと、子ども達に教えるのが国語教育であろう。 
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のマチョイネことばの課外授業」

2015-05-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150526
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(8)2003年のマチョイネことばの課外授業

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/21 水 晴れ 
トキの本棚>マチョイネ『ことばの課外授業』

 午前中Aダンスィング。いつものようにシャワーを浴びて、午後の仕事に向かって気分一新のはずが、めがねが見つからない。
 ときどきメガネをかけていることを忘れて、かけたまま顔を洗ってしまうことも。何でも忘れてしまうのだ。せまい2DKの中、心当たりは全部さがしたが、出てこない。
 古いメガネをかけて、午後、教授法2コマ。

 めがねと自分の目、四つの目「マチョイネ」というあだ名をケニアでもらった西江雅之『ことばの課外授業』読了。課外授業というタイトルだが、学部言語学概論や大学院の授業で聞いた話が、そのままうまくまとめられている。なつかしく面白く読んだ。
 ただし、西江さんの授業はソマリアをひとりで縦断した話とか、横っ飛び雑談のほうが面白いので、脇道雑談の楽しさが再現されていないのは残念。
 もう、定年かなあ。リタイアしても世界中を飛びまわるのだろう。ユニークな先生のユニークな息子アラン君がどんなふうに成人したのかも見てみたい。

本日のひがみ:徳永、千野、西江、すごい先生方に教わったのに、卒業と同時に返済した言語学


2003/05/22 木 曇り 
ニッポニア教師日誌>残業三昧雑感

 日本事情、作文2コマ。
 日本事情授業では、中国内蒙古出身のバドが「日中交流史発表、中国からの将棋伝来と中日将棋比較」を発表し、なかなか面白かった。
 しかし、中国象棋ができる学生はリューさん一人、日本将棋はゼロ。羽生が名人位を奪還したことはもちろん知らず、羽生の名前を知っている人はゼロだった。今年も留学生クラスは皆まじめでいい学生たち。

 息子が東北旅行中だから、夕ご飯の心配をする必要がなく、授業後ゆっくり教材準備をした。教材準備といっても、日本史の問題集語彙集のコピーと作文テキストのコピー。4冊の作文テキストがどれも帯に短したすきに流しなので今のクラスのレベルに合わせて抜き出し、組み合わせてコピーする、という作業なのだが、たかが、コピーといえども、切ったりはったりしながら時間はとてもかかる。
 いつもはあわただしく翌週の分だけやるのだが、今日は時間があるから、数週分まとめて流れを考えてコピーをまとめられた。たかがコピーではあるが、時間があるとないとでは、作業能率が違う。
 日頃残業を自由にやれる男たちは、こんな風に余裕をもって仕事ができるのか、といまさら気づく。
 いつもは帰りの電車の中で、献立を考え冷蔵庫にあるものを思い浮かべ、スーパーで買う物を考え、料理手順もシュミレーション。帰宅してから30分で一汁二菜を仕上げる。そりゃあ、「チンする料理」も増える。

 独り身の気分を味わうため、駅前でラーメンを食べる。
 そうか、家事をしなくていい人たちはこんなふうに仕事に専念できるんだ。子供を持って第一線で仕事もこなしている才女たち、夫が全面的に協力してくれる人であるとか、実家の母親が育児家事は全部担当しているとか。

 「たった一人、孤立無援で子育て家事すべてと仕事をこなしてきた私はえらかったなあ」と、自分をほめてやったが、ラーメンをすすっているうちに、まあ、私に子供がいなくて、学問に専念できる環境があったとしても、たいした仕事はできなかったろうと、現実を悟る。
 店の屋号が満州餃子というので、旧満州に単身赴任していた半年でも、たいした仕事はできなかったことを思い出したのだ。子ども二人を預かってくれたスモモの協力があった半年なのに、日々の授業に追われただけで、半年すぎてしまった。

 家に帰ってから、娘の帰宅までに作った料理は、「冷凍牛丼の具」を解凍し、「レトルトフカヒレスープ」に卵液を流し込んでいっちょあがり。娘には「20才をすぎたら、親の世話にならずに生活しなさい」と言ってある。しかし、娘は、親がいなければ自分で作るが、いると思うと「おなかすいた、何か作って」という。牛丼とスープに「えー、これだけ?超手抜き。サラダくらい付けてよ」と文句。「サラダが欲しかったら、自分で作りなさい」というと、「ま、これだけでいいか」と食べる。娘の「自立した学生度」はチョー低い。

本日のねたみ:家に帰るとあったかい食事が待っている生活


2003/05/23 金 曇り 
ニッポニア教師日誌>ふるいメガネを落としました

 ビデオ、会話3コマ。

 水曜日に消えたメガネは、まだみつからない。
 アリが、いつものめがねと違うことに気づく。さっそく10課の形容詞連体修飾の導入に使う。
 「新しいめがねです。」「古いめがねを落としました。」「古いめがねをさがしましたが、ありませんでした」「新しいめがねを買いました」
 事実としては「新しいめがねがでてこないので、古いめがねを引っ張り出してきた」のだが、ま、文例としてはわかりやすいでしょう。

本日のつらみ:どこかに置き忘れたメガネと鍵と財布を捜し回ることで、一生の持ち時間の一割は使ってしまっている私


5月24日 土 曇り 875
日常茶飯事典>風呂場でめがね発見

 息子、金曜夜、東北旅行から帰宅。
 「疲れた」と言っていたが、楽しそうでよかった。おみやげは、冷麺と息子手作りの南部せんべい。お父さんにはゆべし、おばあちゃんには秀衡塗の箸。南部せんべいは、せんべいのタネを鉄板の焼き型に流し込んでいっちょできあがり。

 伝統工芸研究の東北旅行から帰るとさっそく、息子と娘はゲーム屋ショッピングひとまわり。「テレビゲームは現代日本の伝統工芸」だと。

 息子がお風呂掃除をして、めがねを発見。おふろにはいるときにはずして、窓のところに置いたのだった。いつもはそんなところに置かず、服を脱ぐのといっしょに棚におくから、風呂の窓を探してみようと思いつかなかった。とにかく見つかってよかったよかった。

 「って、いうことは僕が旅行に行ってる間、だれも風呂掃除しなかったっていうこと?」「決まってるじゃない、風呂掃除はあんたの仕事でしょ」そういえば、息子がいない間、シャワーをあびただけで、お風呂に入らなかった。

本日のうらみ:メガネ探しに時間をとって、バスタイムなし

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20150526
 24日日曜日、娘と息子は姑宅へ。私は同行せず、無料のコンサートに出かけるつもりでいたのだけれど、洗濯して茶碗洗ったあと、昼寝をしてしまい、娘息子が帰宅して起こされた。
 何もしない日曜日でちょっともったいない時間だったかなとも思ったけれど、ゆっくり身体を休める日も必要かと。

 メガネと鍵とサイフを探し回る時間、絶賛増加中です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の有事」

2015-05-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150524
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(7)2003年の有事

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/16 金 雨 
ニッポニアニッポン事情>有事

 有事法制案、衆議院通過。
 「国を守るため」というときの「国」の中に、「国民」は含まれていない。少なくとも「私個人」を守ってくれそうにない。
 『有事(どっかの二代目息子が核ミサイルで攻撃してくるかもしれない、というオドシがあった場合その他)に国家を守る法、ただし、守る対象としてあなた自身をふくまない法制案』と正確に名付けて欲しい。
 前回の有事の際、三月十日も八月六日九日も、旧満州でも沖縄でも、国家は民を守りませんでしたよね。真っ先に安全を確保したのは、軍人と要人。国体護持。

 ビデオ会話3コマ。

本日のつらみ:あとは野となれ野垂れ死にの無辜の民


2003/05/17 土 曇りときどきぽつぽつと何粒かの雨 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ロードトゥパーティション』

 娘と『ロードトゥパーティション』を見た。
 12才のマイケル。マフィアの殺し屋をしている父親トムハンクス。マイケルが父の殺し場面を目撃してしまったために口封じとして、ボスの息子に母親と弟を殺される。マイケルの命もねらわれているから、二人で母方の伯母がいるパーティションまで逃げる。

 マフィアの話だから、タイトルロールに役名が出るほどの出演者はあらかた死んでしまう。ジャンジャン撃たれて、血糊消費量もハンパではない。息子を守りぬいた父も最後には死んで、息子は親切な農場の夫婦の家で育つことになる。
 死体を撮影する新聞記者兼殺し屋のジュードロウが怖かった。

 ロードムービー風ストーリーとしては『ペーパームーン』に、殺しと銀行強盗を入れて、父が息子を守ろうとするテイストをかぶせて、血糊で味付け。でも、話としてはペーパームーンの方がいいなあ。酒の密売人に追いかけられるだけで、死なないもん。死なないけれど、はらはらドキドキ度は、同じ。
 娘に「ほら、あの主演の人、見たことあるよね。お母さんといっしょに見たじゃない。どんどん走るヤツ」と主演俳優について聞くと、「フォレスト・ガンプのことでしょ。私ってえらいね。お母さんが何をいいたいのか、ちゃんとすぐわかってやれて。どんどん走るヤツ、だけで理解できて、すごい」。
 ツーといえばカー。

 息子とスタバで待ち合わせして、2時すぎに神楽坂のジローで食事。先週もスパゲッティの店だったから、今日は娘がニョッキ、私がフォー、息子がピザ。

本日のひがみ:今回の映画タイトル、半月立つと忘れて、「ほら、どんどん車で走っていって、どんどん殺されるやつ」と、いうだろう


2003/05/18  曇り 
ジャパニーズアンドロメダシアター>なつかしい未来のアトムと新101歳の秀子

 朝、息子と新シリーズ『鉄腕アトム』を始めて見た。ちょうど「アトム出生の秘密」の話。天馬博士が死んだ息子トビオの身がわりとして作ったロボットを捨て去り、お茶の水博士が引き取りアトムとして再生する。天馬博士は人間的な感情を持って博士に従わなくなるようなトビオロボットを失敗作とし、博士に忠実に働くアトラスという新ロボットを作る。しかし、アトラスはアトムを滅ぼすことに失敗し、自爆する。
 青い地球が見える月を舞台に立つアトラスとアトム。地球と月とドーム型宇宙ハウスとロボット。この映像はとてもなつかしくさえある。40年前に夢見たはるかな宇宙が、なつかしさを伴って復活している。
 「懐かしい未来」というフレーズが現前するとは思わなかったが、ほんとうに「あのころの未来」のイメージが忠実に再現されている。そして、現在の最先端のSFは、いったいどんな想像力で未来を描いているのだろうか。暗黒世界でなく、輝かしい進歩した世界として描くとしたら、どのような世界が可能なのだろうか。
 ミステリーとSFは、リタイア後の読書にとっておくと決めたけれど、最新SFを読んでみたくなる。

 そのあと、『いつみても波瀾万丈』に有馬秀子が出ていたので見た。5月15日が誕生日なので、すでに101才になっていた。徹子の部屋に出演したときよりさらに元気にしゃべっていた。すごいな。
 すべての人に、101才まで現役で仕事を続けられる健康と幸運が与えられるわけではないだろうが、あやかりたいなあ。彼女がママを勤めるバー「ギルビーA」は、最近ママの顔を見に来るお客で繁盛しているそう。私も見にいきたい。

本日のねたみ:2003年生まれのアトム若くていいね。1902生まれの秀子、若くていいね

  
2003/05/19 月 雨 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『FF』

 漢字、作文2コマ。

 百円ビデオで借りた『ファイナルファンタジー』を見た。
 地球外生命体のファントムが、怒りの赤から癒された青に変わるところなどは、ナウシカのオームと同じだ。「CGの迫力はあったが、アメリカで公開するなら、無意味に攻撃したがる将軍の方を主人公にして、バンバン核攻撃して地球を救う話にしないと受けないかもね」と、娘息子の意見は一致。
 「スピリットを8つ集めて、癒しの力で救うっていうのは、たぶんFFの世界観を共有できる人でないとノレないよね」とも。でも、FFファンなら、8つ集めるところをゲーマー自身の力でやれなければ面白くないだろう。映画では、7つをどうやって集めたか、「ひとつは魚、ひとつは鹿」などと説明されるだけで全然分からない。8つ目は主人公の科学者アキ自身の中に封じ込められているファントムの中にあったというのも「なんだかなあ」。

 ゲーマーFFファンは、自分が仲間と協力して8つのスピリットを集めるからこそ、ラストシーンで涙を流すのだろうに、映画ではどれだけ画面が美しかろうと泣けない。どうしてもフルCGでやってみたかったんだろうけど、中途半端に皮膚などを人間らしくするくらいなら、背景はCGでも、俳優は人間でよかったと思う。特別複雑な演技力を要求されるほどの脚本ではないのだし。史上最高の赤字を出したという制作費の高さを少しでもカバーするには、映画としては俳優の集客能力に頼るのも手だったと思うが。
 CG俳優の魅力もいまひとつだし、ストーリーや世界観もたいしたことない。CGの魅力だけで客を呼ぶなら、CGおたく以外にこの映画を見てみようという気を起こすことができない。

本日のそねみ:スクエアが映画をやるなら、千と千尋の商売上手に学ぶべき


2003/05/20 火 曇り夜雷雨 
アンドロメダM31接続詞>言語学のお散歩

 漢字SFJ3コマ。 息子、今日から3泊4日の東北旅行。

 このところ、言語学関係の言葉をサーチするたびにヒットする、金川欣二の「言語学のお散歩」を読む。タイトルからみて千野栄一の弟子かなと思ったら、やはりそうらしい。
 『ことばの課外授業』について、ブックレビューがあるかと思って西江雅之をサーチしたらヒットし、徳永康元先生が亡くなったというので、サーチしたら、また、金川研究室に入室。

 徳永さんがまだ生きていた、ということにもびっくり。徳永さんに言語学概論を教わったのは、30年も前だ。とっくに亡くなっていたと思っていた。享年91才。20代の私には講義する徳永先生が十分に老人にみえたが、当時は60才くらいだったのだ。
 っていうことは、今私が教えている20代の学生にとって、53才の私は十分におばあさんにみえているんだろうなあ。

 金川さんは西江さんにも教わった言語学プロパーらしい。奥さんは10歳以上年下の声楽家。富山では「声楽家金川睦美さんの夫」として知られてきたが、最近はNHK富山支局制作の地方番組に出演しているので、本人自身も顔が売れてきたのだと。

 エッセイは、千野先生の『言語学の散歩』の芸風を継いでいて、楽しい。富山の商船高専の教授。担当している授業は英語だろうか。読んで楽しいサイトをつぎつぎと発見してしまうので、巡回コースがいそがしい。

本日のうらみ:言語学の散歩、私はいつも迷子になる


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20150524

 12年前に、有事法が成立したとき、「これからこの国はとめどもなく戦争に向かってつきすすむのかもしれない、しかし、それを否とするか、是とするかは、国民がきめることだから」と、思いました。そして、12年たってみると、国民は是とする方向にすすんできました。そういう政権を選んだのは国民です。
 私は、このような大事なことは、何年でも時間をかけて、国民が論議に加わり、とことん納得したうえで決定してほしいと思います。しかし、「アメリカの議会で、夏の間に成立させると約束しちゃったもんね」と言う首相の方針で、さっさときめられてしまうみたいです。

 現在の首相は、ポツダム宣言も「つまびらかに読んだことはない」と、公の場で堂々発表したABさん。「ほんとに読んだこと無いわけはないけれど、シイごときにつっこまれて、ポツダム宣言を受け入れたのは間違いだった」なんて言い出さないための方便さ、と言い訳をこれからしていくんだろうけれど。

 海外からみれば、米大統領が「独立宣言をちゃんと読んだことはない」とか、ドイツ首相が「ベルリン宣言はつまびらかに読んでいない」なんて言ったら政権ひっくりかえって「政権担当能力なし」の烙印押されるだろうに、日本の国民はおやさしいので、政治家なんてドーセろくなことはイワンのばか、とあきらめているのか達観しているのか。

 一国を左右する権力を持つ首相の座にあって、自国の歴史を「つまびらかには読んでない」人が「戦後レジュームからの脱却」とか言ってたんだ、と、ほんとうにがっかりしました。
 かの人にとっては、じいちゃんがやったことはすべて正しいのでしょう。
 ポツダム宣言も、憲法成立史も、ちゃんと「つまびらかに」読んでほしいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のオイコノミー」

2015-05-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150523
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(6)2003年のオイコノミー

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/13 火 晴れ
ことばの知恵の輪>オイコノミー

 ビデオ、会話3コマ。

 佐藤雅彦の『毎月新聞』に、竹中平蔵と対談をしたことについて書いてあった。平蔵によると「エコノミーとは、ギリシャ語のオイコノミー(共同体のあり方)が語源なんだって。「へーぞう!」と思った。へぇ×10。「へぇじゅう」

 経済の根本とは、共同体をどうあらしめるか、という問題に帰着するわけだ。これからふたつの考え方が出る。「経済とは、金かねカネと、金の流れをどうこうするばかりじゃ、だめである。共同体のあるべき姿を考えることが肝要」と思うか、「共同体といっても、結局は金をどう分配するかということなんだよ」と考えるか。

本日のひがみ:経済の根本はどうあれ、我が家には回ってこないカネ。天下の回りもののはずだろう


2003/05/14日 水 くもり夜雨
日常茶飯事典>ゴーストタウン・バリ

 午前中Aダンスィング。先生のバリ近況報告によると、観光客激減でバリ島はゴーストタウン状態だと。20年前は田圃の中の一本道を歩いてバリ舞踊を見て歩いたが、今は一本道沿いに続々とできてきたレストランや土産物屋が店じまいして、ゴーストタウンになっている中を通っていくのだそうだ。
 「夏にまたバリ舞踊フェスティバルを開催するから、みなさん夏休みにバリへどうぞ」という先生からのお薦めではあるが、今年は誰も行きそうにない。

 午後教授法2コマ。

本日のつらみ:ゴーストタウンでもいいから、行ってみたいよ

2003/05/15日 木 雨 
日常茶飯事典>忘れ物経済学

 日本事情、作文2コマ。

 せっかくいつもより早く家を出て、早く講師室に到着して、授業が始まる前に次週分のコピーもすませて、なるべく早く帰ろうと思ったのに、駅を出ようとしたら傘がない。電車の中に忘れてしまった。
 傘をコンビニで買って行こうと思ったのだが、駅員に一応尋ねてみる。「終点駅で車内チェックをするはずだから、ちょっと待って」と言われる。「どれくらい待つんですか」「2,3分」と言われたので、まあ、今日は早く出たのだし、時間に余裕があるからいいかと待っていた。10分くらい待つ。
 「終点駅に該当の傘があるから取りに行って」と言われる。しかも「切符は終点駅まで買ってください」
 遺失物事務所は、改札をいったん出ないと行けないように設置してある。改札口中側のドアからでも行けるはずなのに、そちらのドアは駅員専用。で、傘を受け取り、住所氏名ハンコも押して、帰りも180円の切符を買わなければならない。1000円で買った傘を受け取るために、360円と1時間半の時間を浪費。100円ショップで買った傘なら完全に赤字。

 これじゃ、だれも落とした傘なんか取りに行かないはずだ。この私鉄会社の方針では「落とし物はあきらめて、新しいのを買った方が安上がり。ものを大事にしない世の中の風潮を押し進め、消費に励みましょう」というものらしい。

本日のうらみ:これからは百円傘を持ち歩く

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20150523
 経済学について暗いのは相変わらずだが、我が家の経済は2003年に比べてさらに真っ暗。どん底景気。何しろ、時給稼ぎの賃仕事が半分なくなり、収入は三分の二がなくなってしまったのだから。ヤンゴン出稼ぎをしなければ、食べていけないところまで追い詰められて、病気が心配な老体ながら、「健康がとりえです」と叫んで赴任することにしたんです。しかしながら、そのウリセンの健康もあやしい年齢になってきた。
 体力の衰え気力の衰え、自覚できるが、衰えていないふりしながらの、相変わらずの自転車操業。いつかバッタリ倒れないという保証はないが、走り続けるほか倒れずに進む方法がない。

 こんな貧乏な家なのに、泥棒に1週間分の食料を盗まれました。
 週一回の生協の食料品配達。我が家の玄関前には、発泡スチロールの配達箱が6~8個並ぶ。牛乳は6本とどけてもらうけれど、夏場はもう4本をスーパーで買い足す。主食とおかずはほとんど生協の配達品だけでやりくりしてきました。野菜を少し買い足す程度。
 5月21日、私がミャンマー赴任の会議から帰ると娘が意気消沈していました。
 「生協の配達品を全部盗まれちゃった。警察と生協に連絡したけれど、この近所一帯にこの生協どろぼうが頻発していて、警察官がパトロール警戒中だったんだって」と。警官とのやりとり、生協係員との折衝で、半日かかり、疲れ切ってしまったというのです。

 生協が言うには、配達が済んだ段階で配達品の箱はオタクのものだから、被害届はオタクが出してくれと。そして、警官が言うには、もし、生協がこの食料品を保証するなら、おたくの被害はないということになるので、被害届けは生協が出すべきだと。
 被害届けを出して今週分の食料がないことに泣き寝入りしてすごすか、再配達の料金はとらない、という生協の措置をうけ入れるか。
 
 警官が言うには、こんな物騒な世の中なのに、玄関前に食料品の箱を放置しておくのが悪いと。確かに。しかし、私は仕事が終わるまで受け取れないのに、生協の配達員は私の仕事中に配達に来て、玄関前に置いていくだけ。これまでに盗まれたこともあったけれど、ここ10年は被害にあってこなかったので、「どろぼうさんも、こんな貧乏な家の食べ物をとったりはしないだろう」と、油断していました。警察は「鍵がかかるようにしておくべきだ」確かに、たしかに、仰せの通り。

 そもそも警官は被害届けが出せない盗難事件など、自分の成績の点数にはならないので、関わるのを面倒くさいのです。市内パトロールしたら何点、自転車どろぼう捕まえたら何点と勤務状態が点数化されるのが警察。成績がよければ、巡査も巡査長に格上げされる。

 実にめんどうそうな警官であった、と、娘は憤慨する。警察官も忙しいのでしょうね。いろいろ守らなくてはいけない人が多いし、場末の貧乏家族の食料品盗難に関わっていたくない気もわかります。結局、生協に再配達してもらうことにしました。

 10年間、盗難事件もなくて安全な団地住まいと思ってきたのに、残念無念。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の神楽坂散歩」

2015-05-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150521
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(5)2003年の神楽坂散歩

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/09 金 曇り
日常茶飯事典>神楽坂散歩

 ビデオ、会話2コマ。

 帰りに寄り道。神楽坂で降りて飯田橋まで歩く。元の事務所がどうなっているのか見てみようと思ったのだが、どうもなっていなくて、一階の宝石屋は普通に営業していた。
 宝石屋は、大家さんからの「10,11,12月の3ヶ月は家賃無しでいいから、1月に出ていってくれ」という要求に対し、現在民事裁判をおこして係争中。素直に今年1月に引っ越しした夫は、「実際の建て直し取り壊しがはじまるまで、引っ越すんじゃなかった」と、後悔したが、もう出てしまったのだから、いまさら戻れない。

 ハイタウンマンションは住むには便利だが、駅前は単なる駅前であって、街の風情がないのだそうである。
 街の風情としては、確かに神楽坂のほうがずっと雰囲気があって、歩くに心地よい。数年前に比べると、小さい路地のあちこちに隠れ家的な食べ物屋が増えているので驚いた。表通りの方は入れ替わりの店も多く、チェーン店も増えているが、神楽坂は今、路地がはやりのようだ。
 土日ともなると中高年の街散歩で、こんな細い路地ではすれ違うにも体を斜めにしなければならないかもしれない。

 路地やら本多横町やらをあちこち歩きながら飯田橋まで下る。不二屋でぺこちゃん焼きを買って地下鉄に乗る。

本日のそねみ:神楽坂の路地奥の一見さんおことわりのお茶屋


2003/05/10 土 曇り
日常茶飯事典>松濤の武者絵とTENGO

 松濤美術館で「武者絵」展覧会を見た。
 武者絵なんてあまり興味がなかったが、松濤美術館に入ったことがなかったので、行ってみる気になったのだ。
 地図を見て、東急本店から登っていくと確認して、東急本店沿いに歩いていたら、都知事公邸の方へ行ってしまった。右か左か迷って、地図を信じて右に行ったのに。迷ったときは私が「こっちが正しい」と思った方が間違いなのだという鉄則を思い出さなければならないのでした。

 で、しばらくぐるぐる松濤のおやしき町を歩く。このへんはだれも歩いてなんかいない。住んでいる人は車で門内に入るから、歩いている人はよそ者である。
 あるお屋敷の前に通りかかると、自動の門が開いて、「セキュリティ」と服に書いてある人がうやうやしくお辞儀をしている前をベンツが入っていった。由緒正しそうな感じではなく、いかにも成金ふうの門で、いかにも成金風の外車で、成金風のセキュリティ係りなのだ。東急のすぐ裏でこういう映画のワンシーンのような世界が展開すると、それだけで一般庶民としてはおもしろがれる。
 その隣の「浜尾」という表札のほうは、ほんとに由緒ありげな家。もしかして元ナルちゃん養育係りの浜尾さんの家かもしれないという感じ。
 観世能楽堂の前を通り、松濤公園の中をすぎる。台湾人かフィリピン人じゃないかなという感じの乳母が金髪の女の子を二人連れてきていて、二人は自転車に乗って公園をぐるぐる回っている。

 やっと松濤美術館に着いた。
 隣では松濤プロジェクトという会社が松濤アパートメントハウスという名で売り出すマンション建設を進めている。

 「武者絵」は江戸から明治の浮世絵の中で、古事記や平家、太平記、三国志などを題材にした英雄たちの絵を集めたもの。歌川国芳を中心にとても迫力のある構図、筆遣い。色は白黒緑青赤。
 読み本の挿絵や奉額絵馬、凧など。面白かった。

 帰りは、まっすぐ東急本店まで戻る。すると、本店前でTENGOというユニットのミニコンサートをやっていた。途中から聞いたが面白かったので、次の回も聞くことにした。ブックファーストで文庫本を2冊買い、1階の喫茶店でコーヒーを飲んで待つことにする。

 4時から4時半まで、2度目のテンゴ。
 ジプシーバイオリン天野紀子、アコーディオン後藤ミホコ。天野は1948年生まれ54才孫あり、後藤は1958年生まれ45才バツイチ元音楽教師。二人合わせて99才のオバハンユニットというのがキャッチコピー。私の好きな中年転進組。

 黒く長い髪、黒いシャツにスソの広がった黒いパンツ、メタルのベルト。メークもジプシー風な天野。
 大阪のたこ焼き屋や市場にいけば、こんなオバハンおるなあという感じの後藤。
 二人がハイテンションのアレンジで、ハンガリアン舞曲やリベルタンゴ、ロシア民謡メドレーを弾く。

 もともとコバのアコーディオンやクラシックアコーディオンが好きだったが、後藤のコテコテ関西アレンジアコーディオンもなかなかよかった。
 
本日のひがみ:現住所、渋谷区松濤の人


2003/05/11日 日 曇り
日常茶飯事典>母の日マーチング

 娘が母の日のプレゼントを買うというので、ショッピング。
 ユニクロで、私が娘と息子のTシャツやジーンズを買う。イトーヨーカ堂でくつを娘に買ってもらう。差し引きすれば、自分のくつを自分で買ったほうが安くつくというようなものだけれど、娘にしてみると「お母さんのものを買ってプレゼントした」という気分が大事なのだ。

 駅前は、道路がマーチングバンドのため交通止めになっている。遠回りして道路の反対側からマーチングを見た。歩き方が面白い。バトントワリングやマーチングバンド。

 一番上手だったのは、某学会青年部のマーチングバンド。白衣裳の組と黒衣裳の組の2チーム出場。
 マーチングやマスゲームにかけて、世界一は北朝鮮。一糸乱れぬ統一ぶり。偉大なる将軍様マンセイ。で、世界第2位のマスゲームができるのが某学会という。メーヨカイチョー万歳。
 マーチングはなかなか見事であったが、メーヨカイチョーの好きな曲であるのか、白服、黒服とも曲は軍歌のような演歌のようなものだった。曲調で減点。

 区立中学校のチームは、たぶんクラブ活動のブラスバンド部だと思うけれど、衣裳もジーンズに白いTシャツだけで、他のチームの派手な衣裳に比べると地味だし、歩き方もマーチング訓練を受けていないからばらばらだったが、なんだかこういう「お金かける余裕ありません」みたいなところがいっしょうけんめい参加しているのをみると、応援したくなる。

 家に帰ってすぐ、息子は昨夜娘が焼いた紅茶ケーキを届けに、姑のところへ。
 母の日のプレゼントとして、何を買えばいいかわからないので、祝い袋をもたせる。舅が生きているときは年に2回、誕生日と敬老の日に祝いのお包みを届けた。舅もいなくなり、一人暮らしの姑に、少額でも回数を多くしておこずかいを届けることにした。2月誕生日、3月舅命日、5月母の日、8月お盆、9月敬老の日、12月お歳暮。あまりしょっちゅうでもうるさいかもしれないから、このくらいのペースでいいのじゃないだろうか。
 姑の年金のほうが、我が家の年収より多いかも知れないから、毎月の生活費として渡したら姑は「お宅のほうが生活たいへんでしょう」と言って、受け取らないだろう。しかし、お祝いとしてプレゼントするなら、受け取ってくれる。
 ささやかな金額だが、夫は夫で自分の親なんだから好きなように贈るだろう。私は私、別払い。

本日の負け惜しみ:Tシャツジーンズでマーチング万歳!


2003/05/12 月 曇り
ニッポニア教師日誌>シングル授業

 漢字、作文2コマ。タイのケンは父親が再婚し、結婚式参列のためタイに帰国中。一族郎党集まると言うが、さぞかし豪勢な結婚式だろう。イルも、欠席。10日11日に代々木公園でタイフードフェスティバルがあり、タイ人留学生みんなで食べに行った。遊び疲れらしい。

 メリーひとりの個人授業。母の日を枕にふって、スウェーデンのシングルマザー子育て事情について話してもらう。メリーは、離婚率50%であることは決していいことではない、という考えだった。結婚した後、どのカップルもお互いに歩み寄る努力をせずに、簡単に別れるのだ、という。

本日のそねみ:別れたいのに、シングルマザー家庭のたいへんさを見て、離婚できないでいる日本よりはマシだ

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20150521
 バイオリンとアコーディオンでジプシーサウンドを演奏するTENGOは、今も活発に演奏活動をしていることを知りました。2003年から12年たっているのだから、天野は今年67歳になるのだ。エネルギッシュな演奏は昔のままだろう。いつか聞きにいってみたいです。

<つづく>


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ぽかぽか春庭「2003年のぼくは勉強ができない」

2015-05-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150520
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(4)2003年のぼくは勉強ができない

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/08 木 雨ふったりやんだり 
トキの本棚>『ぼくは勉強ができない』

 日本事情、作文2コマ。11名の授業は本当に楽だ。来年また30人になることを考えて、今年くらいは楽しようと思う。

 電車読書で山田詠美『ぼくは勉強ができない』読了。
 地下鉄駅文庫ゲット本。2,3冊は文庫や新書が入っているはずなのに、かばんの中味を入れ替えて電車読書本を忘れたとき、地下鉄駅文庫の中から、読めそうなものを拾う。
 山田詠美はあたりもあるし、はずれもあるけれど、『ぼくは勉強ができない』は、比較的評判が良かったという記憶があったから、読んでみようという気になった。

 主人公時田秀美君の高校生活。
 『ぼくは勉強ができない』というタイトルはありていに言ってしまえば、詐欺である。
 秀美くんはとても頭のいい、感受性豊かな、サッカー好きな高校生。女の子にモテモテで、担任教師とも母親や祖父とも仲良く心が通じ合っていて、年上の恋人もいるという現代において考え得る限りのプラスカードを並べている優秀な高校生である。
 現在のところ受験勉強的な勉強は始めていないから、成績がふるわないというだけであって、本質的には頭がよすぎるくらい。だから、落ちこぼれ君や、平凡とりえなし高校生が「何か参考になりそうな共感できそうなことが書いてあるか」と思ってタイトルに惹かれて本を読んだとしたら、自分とはエライ違いの「もてもて秀美君」の話を読むことになる。

 だからと言って、正直に『ぼくは、今は成績不振だけど、もてもてで、とっても感受性豊かなんだ』というタイトルにしたら、だれも読まない。
 だから、この詐欺的タイトルは羊頭狗肉ではなく、狗頭羊肉として正解。中高生の母親世代が読めば、「かわいいワァ、年上が趣味なら、私も立候補したいなあ、ペタジーニの例もあるしオルガ夫人になりたいわ」と思うこと請け合いの母性愛刺激タイプなのである。 

 高校生の独白体の文体だから、すらすら読めるし、主人公が頭のいい感受性豊かな子なので、何もひっかかるところがなく青春物語が進んでいく。
 この作品が雑誌発表された91年、92年あたりでは、まだこの時田秀美タイプは問題児視される存在だったのかもしれない。10年たった今では、秀美君タイプは文部科学省推薦折り紙付きの「個性と感受性豊かな健全な青少年」の鏡になっちまった感がある。

 「勉強ができない」といいながら、彼の通っている高校では、全員が大学進学があたりまえの高校なんだって。そういうレベルの高校へ進学する学生は、教師から見て「勉強ができない」とは言わない。どんな三流四流大学にも進学できそうにないし、就職しようにも就職先もなく、フリーターになるのが半数、というような高校。そのような「偏差値難民高校」では、成立しない青春物語なのだ。くだらない教師が多い、と秀美は嘆くが、とにかく授業が成立しているように見える。授業が成立しない高校に勤務する教師の話をさんざん聞いているから、生徒が授業を聞いているらしい高校にいる秀美君の好運をうらやむ。

 この本を読んで一番先に思い出したのが久田恵と稲泉連の母子家庭。とても雰囲気が似ている。久田の家にはおばあちゃんもいたのが違うくらいだ。
 秀美は、3人暮らし。一流大学を卒業して出版社に勤務している編集者の母親と、たっぷり年金をもらっていそうな趣味のいいおじいちゃんといっしょに暮らしている。
 秀美君は自分の家を「金持ちではない」と思っているが、本当に貧乏な赤間さんの家をのぞくと、ショックを受けてしまうような世間知らずだ。本当の貧乏とは、無論食べるもののない家をいうのだ。とりあえず飢えていないやつは「貧乏」を自慢してはいけない。(自戒)

 また、父親のいないことで周囲の人から同情や蔑視やイヤミを受けることもあるが、秀美のおじいちゃんはいつもそばにいて、話をじっくり聞いてくれる人だ。
 今時の子供の話を聞いたりする時間も余裕もないお父さん、家庭に存在しないがごとき父親と、そういう父親に不平不満がいっぱいの母親で成立する「両親揃った健全家庭」より、よほどましな家庭環境を持っている。

 「父親が誰か」ということを、母親がまだはっきり告げていないところが、唯一本人にとって「アイデンティティの不安」材料になりそうな気配だが、この連作短編では、実の父親はいっさい関係がない。釣り道具の手入れもするけど、恋する相手を捜すのも好きなダンディなおじいちゃんがいるから、ワーカホリック父やDV父などがいる家庭よりずっとまし。

 おまけにサッカー部に所属していて顧問の桜井先生とはいっしょにラーメンを食べに行ったりバーで飲んだりできる間柄。父親の役割を果たす人は多すぎるくらいいる。サッカー部員と軋轢もなく、3年生で部活を引退した後も部室に出入りするくらい馴染んでいる。

 ガリ勉で勉強しかできることのない同級生を「気の毒な青春」と感じつつ、秀美くんには仲のいいクラスメートもいるし、酒場で働く桃子さんを恋人に持つところも同級生からみれば異性交遊エリートである。女生徒たちも、クラス委員の黒川さんも幼なじみの真理も秀美を嫌っていないし、クラス一の美少女からも告白されるくらいモテモテのサッカー少年。

 サッカーができるってことは、チームプレーができるってこと。私のように、チームで行うスポーツはいっさいだめ、つまり、球技は卓球のシングルだけがかろうじて参加できるスポーツで、あとはいっさい駄目、陸上とか水泳とか、ひとりでやるスポーツしかできないのとは、違う。

 こんな恵まれた高校生は、今時ちょっとやそっとじゃさがせそうにない。「個性と感受性の豊かさ」を基準とする現在の文部科学省「望ましい高校生」チャンピオン大会で優勝する勢いだ。ものすごく恵まれた環境の恵まれた資質を持つ少年の成長物語。

 小説中では「成績があがっていない、おちこぼれ」のような書かれ方をしているし、無理解な教師から「不純異性交遊なんかにうつつを抜かしているから、成績が上がらないんだ」というオバカな指導も受けてしまう秀美君。
 しかし、実は優秀な高校の「ある意味超エリートタイプ」の高校生物語といえる。論理的なしっかりした思考ができ、それを母親や祖父に表現する場を持っているし、うらやましいなあ。こんな感受性豊かで表現力豊かな息子をもったら、母親は安心して新しい恋人探しに出かけられるというものだ。

 連作短編にでてくるエピソードは、これまた青春物語の定番アイテムがぞろぞろ。恋人は浮気するがモトサヤになるし、同級生のひとりは、何に悩んだか不明だが、屋上から飛び降り自殺して死んでしまうし、じいちゃんは死にはしないが、倒れて病院に運び込まれるし、もう、どこをのぞいても定番をつぎつぎにクリアしていくあざやかさ。こんなうまく乗り切っていけるならだれも苦労はせんよ、と高校生は思わないのだろうか。

 母親がパートで細々と働くしかない、悲惨一歩手前の疑似母子家庭(我が家)から見たら、この「時田家」の経済は実に恵まれている。秀美に洗いざらしのジーンズと古びたTシャツを着せても、母親は5万8千円のくつを買う。バブル直後の話だとしても、5万8千のくつ買える女は、貧乏じゃないもんね。

 私は、友達の残した給食のパンを持ち帰る赤間さんが好き。
 5万8千どころか、3千円のくつを買うのもためらって、買わないでいる自分の貧乏性がたまにはいやになるけれど、赤間さんに一票。
 赤間さん、弟の鼻汁拭きとってやりながらガンバレ。赤間さんが、「見たらびっくりするよ」と言いながら、秀美を家に呼ぶことのできる女の子であるところがほっとする。赤間さんが「うちの小鳥のために」と給食の残しパンを集める姿に、貧しくてもせいいっぱい生き抜こうとする人間の尊厳を感じてしまう。

 小学校6年生のとき、担任の先生から古着をもらっている同級生がいた。その子が「私は先生から特別に思いをかけてもらっているんだからね」という態度をとるのが気に入らないと、女子生徒たちが腹を立てたことがあった。
 自分の家の経済状態を悲しみ、先生に古着をもらうことを恥じいる態度をとったのなら、きっと女子たちは「見て見ぬ振りをしながら、かわいそうがる」という高等技術をとり、彼女のためにクラスの居場所をあけておいたのだろうが。

 私も6年生のそのときに、「先生に特別に思われている」という態度をとる彼女に対して、寛大な気分になれない情けないやつだった。6年生の当時から人間ができていなくて、ねたみひがみの人物だったというわけですね。
 40年前に、先生が同級生にあげた古着。そのときの先生の思いや、もらった子の思いや、同級生たちの複雑な感情や、貧乏が現実に目の前に存在することへの思い。あれから40年たったのに、まだ、忘れていない。貧乏ってそういうもの。

 秀美君が転校したばかりのとき、学級委員選挙があった。秀美くんはクラスの事情がわからないままに、伊藤夕子と名前を書き、担任の激怒をさそう。伊藤夕子は「クラスで一番勉強ができない生徒」であったのだ。
 その名を書いた投票を見て、担任は「ふざけて投票したやつがいる」と非難する。秀美君はもちろん担任にくらいつく。勉強ができない生徒が学級委員を引き受けてはいけないのか、一票が担任の気に入らない票だったからといって、その選挙を無効にするのは、担任が標榜するところの民主主義に反しないことなのかと。この件に関しては無論担任の負けである。

 私が胸ふさがるる思いになったのは、単純な同姓同名を発見したことによる。娘のクラスにいた「一番勉強ができない生徒」の名前が伊藤夕子だったから。
 学級委員の選挙のとき、クラスの男の子たちが示し合せて伊藤夕子に投票した事件があったのを思い出したのだ。この時は、伊藤さんがいやがって泣き出したために再投票になった。
 男子たちは学級委員を押しつけておいて、いろいろな仕事をうまくできない夕子さんをからかって遊ぶ材料にしようとしたらしい。そういう意味で投票したのだろう、ということを察知して泣き出したのだとしたら、伊藤さんは決して馬鹿じゃない。「馬鹿」というのは、人の気持ちも忖度することができない「心ない者ども」をいうのだから。

 そして、時田秀美はそういう意味では「馬鹿」とは正反対の高校生なので、彼の進路の悩みも、同級生自死の悲しみも、恋人が浮気したつらさも、「まあまあ、そのくらいの修行はしておけよ」という気になってしまうのでした。

 それにしても、同級生が自殺したというのに、この高校のクラスメートたちは葬式では盛大に泣いたものの、翌日になれば、けろりと彼の存在など忘れて、受験勉強にいそしむことのできる人たち。こんな偏差値高そうな高校によく秀美は入る気になったなあ。

本日のねたみ:58000円はフェラガモ?私はカルガモ1足3000円

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20150520
 一冊の本に、これだけの感想を書くヒマがあったんだね、と、2003年の自分に言ってやりたい。どうしてこの本に感応したのかというと、勉強しようとしない息子をどうしたものか扱いかねていたからだろう。
 主人公秀美のように、すらすらと生い育ってくれる息子ならば、きっと感想なんぞ書くヒマ持たずに部屋の片づけくらいきちんとこなす母親だったろうに。

 娘が「わぉ、すっかりだまされちゃった」と言う。ビリギャルのことである。
 『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」(坪田信貴』というタイトル。全国の学年ビリのギャルは、「じゃ、あたしも慶応に入れるかも」と一瞬だまされる、と娘はギャル達に同情したのである。

 娘の報告によれば、この主人公小林さやかさんの在学校は、東大合格者も出ている中高一貫のお嬢様学校で、学年ビリといっても、「うちらの卒業した高校と並べればトップクラス」の学力の学校なのだって。たしかに髪を染めたりたばこを吸ったりの「非行」やら異性交遊を理由とした停学処分もあったりの「ギャル」ぶりではあったけれど、家は、年間百万単位の私立校の学費も、さらに年間百万単位の学習塾の学費もポンと出せる経済力がある。「うちみたいな貧乏家族ではぜったいにこのマネはできない。学年ビリはビリのまま社会から落ちこぼれ」と、娘はいう。

 なるほど。この本の正直なタイトルは「ちょっとグレてみた金持ちの娘が、高い学費を学習塾に払って有名大学に合格した話」というのが本当のところでした。
 むろん、さやかさんは努力した。しかし、努力のほかの要因もあったのでした。
 でも、映画は有村架純かわいいし、大ヒット。めでたしめでたし。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の貝多羅葉」

2015-05-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150519
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(3)2003年の貝多羅葉

 2003年の三色七味日記再録を続けています。
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2003/05/06 火 晴れ
ことばの知恵の輪>貝多羅葉

 漢字、SFJ3コマ。

 娘の図書館学総論の宿題に、「貝多羅葉」の読み方と意味を調べよというのが出た。「お母さん、なんて読むの」と聞かれたが、「かいたらは」なのか、「バイタラヨウ」なのか「バイタラは」なのか、わからん。意味もわからない。

 調べたら、「バイタラヨウ。紙が発明される以前の筆記媒体のひとつ。バイタラ(サンスクリット語でPattra)の葉に、鉄筆で経文を書き墨を流し入れたインドの書写物」とわかった。インターネットで調べると、ぞろぞろと資料が出てくる。こんなにいろいろ資料もあり、たぶん、書写媒体の研究とかやっている人には、パピルスなどと同じくらいよく知られた言葉なのだろうが、私は今までまったく知らなかった。

 知らなかったことを新しく知るのは、本当に楽しいことだ。広辞苑にも載っている言葉なので、まったくの専門用語というほどでもなく、仏教関係者にも知られている言葉なのだろう。カタカナ語や若者ことば以外で、言葉が増えることはそう多くない。
 まだまだ知らない言葉がたくさんあるのだと思うと、やはり長生きはしたいね。私が長生きしてたくさん言葉を覚えると、何か世のため人のために役にたつのかと問われれば、何の役にもたちはしないが、私が楽しい。私が楽しければ生きる価値はある。

本日のむいみ:私がことばをどれだけ覚えたところで、世の中社会にとってあんまり意味はない。とわかっていても、ことばコレクションは続く。食玩フィギュアのたぐい。


2003/05/07 水 曇り 
ニッポニア教師日誌>語彙数調査

 午後、教授法2コマ。今年は人数も多いし、日本語教育に興味がないのに単位あわせで受講している学生も多いので、まだきわめてやりにくい。

 貝多羅葉の話などを枕にふって、表記法の発表など。社会人入学の多摩川おじさんは、呉音漢音唐音について発表。レポートもまじめに要約文を書いてきた。1冊は仕上げたが、2冊目はまだ途中という。本気で日本語教師を目指しているらしい。

 NTTの調査表を使って、語彙数チェックを行う。毎年、学生に自分がどれくらい語彙を知っているか、自覚させるためにやっている。NTTの調査票はいろいろなバージョンがあり、一つだけで、「語彙数いくつ」と確定できるものではないが、学生は、自分の語彙数など考えたこともないので、自覚させるためには有効だ。興味をもったら、インターネットにもっと違うバージョンがあるので、やってみて、と勧める。

 最初に日本語学習者は、初級、中級、上級で、どれくらいの語彙数があるか、推測させる。次に、自分は生まれてから今までで、どれくらい日本語の単語を脳内に貯めてきたか予想させる。皆、自分がどれくらい日本語を知っているか、数を数えようと思い立ったこともない。
 それでも、日本語学習者上級者が1万語の語彙数を持つなら、自分はそれ以上はあるだろうと推測できる者もいる。
 去年は「エンゲル係数」の意味がわからなくて「ゲームオーバー」になり、日本語学習者以下になってしまった学生がいたが、今年は皆、順調。一人、懸軍の前まで到達した学生出現。懸軍まで読み方と意味が分った人は、6万語の語彙数。「井上ひさしも懸軍までだったそうです。ちなみに私も」と紹介。
 高校卒業程度で、日本語語彙数3万語が標準。

 私が初めてこの調査をやったとき、自分は人名地名を含めれば10万語ぐらい語彙数があるだろうと思っていた。NTT調査は、人名地名を除いた語彙数だから、10万語よりは少ないとしても、7、8万はいくんじゃないかと思った。6万は予想より少なかった。でも、井上ひさしと同じだからいいや。
 一日一語でもいいから、日本語の数を増やすように言ったが、はたして今時の若者が積極的にことばを覚えようとするだろうか。私はときどき「辞書一冊まるごと読み」をしていることを学生に紹介する。各種辞書類の中から一冊の国語辞書を選び、「あ」から順に各語を読む。知らない語があったら、チェックする。「ん」まで。

 娘の受けた授業では教師が「とっぱぐち」と発言したのだけど、前後の意味から考えて、娘の知らない専門用語として言ったのではなく単に「突破口」のつもりで言ったらしいのだと。私も知らずに自分の「思いこみ読み」をしているかもしれないが、教師たるもの、どこに陥穽ありやもしれぬ。持って心すべし。「思いこみ読み」は、冗談として話していると笑えるトピックでいいのだけれど、授業中やらかすと、とたんに学生から軽蔑の視線を受けることになる。

本日のひがみ:私が学生時代にこの語彙数調査を受けたら、懸軍には届かなかった

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20150519
 語彙数調査は、日本語学と日本語教授法の受講生には、今も毎年実施しています。年々本屋新聞をよく読むという学生は減り続け、よって若者の語彙数も減る一方。ただ、たまに本をよく読むという学生もいる。昔、識字層と非識字層が二分されていたように、これから識語層という階層ができてくるのかもしれません。
 ウェブ友まっき~さんの5月18日のコラム。若者に「よく読書する層」と「まったく本を読まない層」が二極分化していて、中間層がない、という観察、ほんとうにその通りだと思います。語彙貧困層と語彙富裕層。IT株などで儲けるには語彙力などいらないと豪語する人もいるでしょうが、固有のことばの深さと広がりを失ったとき、文化も国力も衰えます。
 
 漢字検定のほかに語彙検定などもできています。どのような方法で日本語力をつけるのであれ、母語で自分の信念や希望を語れない者は、英語にせよ中国語にせよ、習ったところで付け焼き刃になるでしょう。豊かな日本語の基礎力無くして人の成長も国の発展もなし。

 私の語彙力、年々増えていると思いたい。今週は漢字パズルをやって「火床面積」という言葉を知った。焼却炉の火を燃やす部分の面積をいう。焼却炉を製造したり売買したりする業界の専門用語であろう。この言葉を知っても、一生つかう予定はないけれど、新しく知ることは、なんでもうれしい!!

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年のハンカチの木」

2015-05-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150517
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(3)2003年のハンカチの木

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5月3日 土 晴れ 854
日常茶飯事典>ハンカチの木

 みどりの日散歩コースに入れなかったので、小石川植物園へ行く。いつも無料の日に入園するので、料金を払って入るのは久し振り。のんびり園内をひとめぐり。ハンカチの木も見た。
 千石、大塚の住宅街を抜け、教育の森公園を通って巣鴨の住宅街へ。ぐるぐる自転車ポタリングをしているうちにとげぬき地蔵に出た。庚申塚商店街から板橋駅へ。石神井川に沿って下る。

 歩く散歩だと、どこへ行っても「この道はどこへでちゃうのだろう、目的地とまったく違う方向に歩いているんじゃないか」と不安になるのに、自転車だと「多少間違った道を進んでも、必ず戻れる。どこへ行ってもすべての道はローマに通ず」とペダルを踏める。なぜ歩きと自転車はこんなに気分が違うのだろう。私は自転車大好き。ガソリン食わずダイエットによし。五月の風は肩をなでる。

本日の踏み:20分ペダルを踏むと100カロリー分の減量


2003/05/04 日 晴れ
日常茶飯事典>新宿御苑散歩と修司忌

 娘と息子は、新宿コマの招待券をもらっておいたので『アイスエイジ』というアニメ映画を見る。私はその間新宿御苑で散歩。

 最初は新宿門から千駄ヶ谷門まで外周沿いに歩く。9時半に入園したら前後にだれもいなくて「静かな森の道をひとり占め」状態で歩いた。ときどきカメラマニアのおじいさんと行き違う。桜は終わり、薔薇はまだ咲いていないので一番人がいない時期。

 こちらにもハンカチの木がある。小石川のハンカチの木は有名で、たくさんの人が見ていたし、ハンカチの葉っぱも全然落ちていなかったが、ここには木の下一面に白い葉っぱが落ちている。 ゆりのきの巨樹をながめる。日本庭園、フランス庭園を回る。茶店でおだんごを食べてのんびりしたいところだったが、11時45分の待ち合わせだったので、11時20分には新宿門を出る。新宿2丁目を通って、大通りに出る。

 伊勢丹の角まで来て、どちらに進んでいいのか方向音痴だからわからない。リュックの中にはこんなこともあろうかと東京地図が二冊も入っている。区ごとの地図と細かいタウン地図の2冊。こっちだろうと思った方に向かうと角に交番があった。しばらく地図を眺めてもよくわからないので、おまわりさんに「紀伊国屋書店って、どこですか」と聞くと、私が進もうとしていたのとは違う方を指す。私が進もうとしていたのは明治通りであった。

 「こちらに行くのだろう」と思うと、たいてい反対方向なので、自分がこっちだと信じたのと反対に行けば目的地につくんじゃないか、という仮説が成り立つ。しかし、たまに思っていた方向が正しいこともあるので、仮説は仮説である。

 紀伊国屋書店で待ち合わせをして、中村屋でランチ。娘は映画館で冷たいものを飲んだからか、おなかが痛くなったというので、ショッピングはなしにして帰宅。

 娘はおなかが痛いから、息子は疲れたからと言って、昼寝。つまらないから、夕方、やなぎ湯に行く。今日の露天風呂は「草津湯の花」風呂。明日は菖蒲湯だそう。

 湯上がりの生ビールを飲みながら、読売新聞の編集手帳を見ると、トピックは寺山修司。なんと、朝見た天声人語も寺山修司。打ち合わせをしたわけでもあるまいに。「5月4日と言えば修司忌」と歳時記入りしたようす。

 五月にちなむ詩集歌集のタイトルが多いこともあるだろう。憲法記念日と子供の日に挟まれた「はさまれ休日」に独特の風味をつけるために、五月賞揚の歌をのこした寺山はふさわしいトピックに思えるのだろう。
 下町散歩中、のぞきとして逮捕されたり、生前に毀誉褒貶の多かった、というより毀と貶の方がにぎやかだった気がする寺山の、この死後人気上昇ぶりは、戦後作家のうちでもトップクラスに入るだろう。

 死後を伝説とし、自己の文学を夭折の光輝でくるみたかったであろう三島由紀夫の死後値段は、どちらかというと下落傾向だ。それに比べて、寺山の上昇ぶりは対照的である。ひとえに、天井桟敷に関わった人々の彼への思いによるだろう。シーザーにしろ、高橋咲子にしろ荻原朔美にしろ「思い出は美しい。」または、「修司を賞揚することで自分の値段も上がる」範疇の中に入っている。

 しかるに、三島の書かれようは、福島某による暴露ものにしろ、あまり気分良く読めるものではない。縦の会の会員による「あのころ」本も、読むにたえるものが出ていない。っていうか、唯一書けそうな人材だった美少年はいっしょに死んでるし。
 心中の人選を誤ったのかも。いっしょに死ぬのは美しいだけでほかにとりえのない少年にしておいて、多少なりとも才能を持っていたお気に入りナンバー1の人材は残しておくべきだったんじゃないかな。

本日のうらみ:死後値上がりを続けるには、人を育てておくこと


2003/05/05 月 曇り
トキの本棚>『物語の体操』

 『キャラクター小説の書き方』が期待はずれだったので、『物語の体操』はあまり期待せずに読んだせいか、けっこう面白かった。

 どこがいいかというと、専門学校の文芸科における講義録であるところ。
 高校を卒業して専門学校に入った(あちこちの大学入試で失敗してしかたなく専門学校に潜り込んだ)若者に小説の書き方を実戦訓練する話であるところ。

 抽象的な文学論でなく、文芸修行論でもなく、実際のドリルであるところ。ドリルに答えた専門学校生の「優秀梗概、優秀プロット」の出来がよいので、とても救われる。(ただし、これも大塚の創作であるのかどうかは、定かではない。習作の作者名はあえて本名で出していると断るあたりがうさんくさい気もするが、私は純真素直な読者なので、大塚が言うところの「学力のない」専門学校生が書いたと信ずる)

 大塚は「直木賞芥川賞ねらいの小説書き」ではなく、「RPGノベライズの作家」や「アニメシナリオのプロット担当作家」を養成する、というはっきりした目的を持って専門学校で教えているので、ねらいははずれていない。

 大塚が文中で「誤解を恐れずに言うなら、芥川賞受賞の平野啓一郎と、ここの専門学校生との違いは、学力である」と書いているが、この学力は、たぶん、大学入試科目における数学や英語の学力差であろうと思う。なぜなら、彼が生徒に課した「村上龍を読んで、あらすじをまとめる」「つげ義春を読んで、ノベライズする」という宿題がこなせるくらいの国語力を持っているなら、高卒の学力として十分だと思えるから。
 一般的な国語力のほか、古文書を読みこなす読解力やら歴史や科学に対する造詣とか、文学にはいろんな知識教養なんぞも必要とされる場合がある。SF書くにもミステリー書くにもファンタジー書くにも、いろいろ知っていなくちゃならない。
 一番簡単に書けるのが「わたし小説」。私小説ではない。あたし小説とか、ぼく小説というようなジャンル。自分のことさえ多少客観的に描写できるなら一遍書き上げられるたぐい。つげ義春ノベライズがきっちりこなせるなら、あたい小説のひとつは仕上げられるだろう。

 最初は30名を超えていた受講生が、宿題をこなせなかった者は授業にでる資格なし、という規定にしたら最後は半分以下の人数になったという。たぶん、これは昨今の大学も事情はたいしてかわらないことであろう。

 平野啓一郎に「文献を読みこなして、自分の文体にまとめ上げる学力」が備わっているなら、こちらの専門学校生の中の何人かにも、それなりの文献読解能力と文体形成力があるにちがいない。違うのは「京都大学現役学生にして、最年少芥川受賞作家」として売り出すブランド力を備えているかどうかという点。

 だれか一人、専門学校文芸科出身から、ぽんと突き抜ける才能を見せてほしい。日大芸術学部文芸科からばなながでたように、大塚指導の専門学校生門下から、抜け出す者が出ると面白いのに。
 ただし、この専門学校をすでに大塚は辞めている。どことでもケンカ別れをする大塚なので、長続きしない。最近では、東浩紀とケンカ別れのもよう。雑誌を共同編集するはずだったのに、東は大塚のやり方に憤激し、共同編集を降りた。うん、人のケンカはおもしろい。

 大塚が育てた人材から一人前の物書きが出ないと、大塚の「物語作成ツール」によるドリルの成果が実証されない。
 なぜなら、大塚自身は小説の書き手として成功していないから。ここまで来ても、私には彼の作品「多重人格探偵だれそれ」という小説を読んでみたい気がおきない。
 『キャラクター小説の書き方』の中で、あんなに自作の宣伝をしていたのに、読み手にその気をおこさせないのは、ノベルズ書き手としては相当やばいのではないだろうか。読みもしないのに言うのは何ですが。

本日のねたみ:神様は大塚とばななに対しては、公平さを忘れなかった。しかるに林真理子はせっかく神が公平の美徳を発揮したのに、「才女が美女をめざして何が悪い!」と努力した。スゴイ!

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20150516
5月15日金曜日は、北詰橋門から二重橋まで30分お堀端の散歩。できるだけ日陰をあるいたのだけれど、夏日の陽気の中、疲れました。お堀には白鳥がいて、観光客が写真をとっていました。本来は、日本へ冬に渡ってくる鳥だから、夏にいるのは渡りをさぼっている鳥だ、と思って調べてみると、皇居の白鳥は「一般財団法人国民公園協会」が飼育している飼い鳥だそう。空を飛ぶための風きり羽が切られているので、飛ぶことは出来ず、お堀の中で泳いでいる、、、、そうだったのか。

 竹橋の近代工芸館「近代工芸と茶の湯」を見た後、出光美術館へ向かったのですが、バス路線はなし、地下鉄は竹橋ー大手町と一駅乗ったら乗り換えて日比谷へという不便な場所。タクシーはワンメーターほどだから、運転手にとっては乗車拒否したくなる距離。しかたなく歩いたのですが、出光美術館についたら、疲れ切っていました。自転車なら1時間のっていても平気なのに、歩くのは20分が限界です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の読者は踊る」

2015-05-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150516
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年5月(1)2003年の読者は踊る

 2003年の三色七味日記再録、3月4月に続けて、2003年5月の日記を掲載します。
 12年前ひつじ年の5月も、今とおんなじように散歩して、おんなじようにクウネル生活、その日暮らしでした。

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2003/05/01  木 晴れ 
トキの本棚>『読者は踊る』

 日本事情作文2コマ。

 斎藤美奈子は絶対に面白いだろうと思って読むので、期待はずれだったときのがっかり度が大きくなるが、期待を裏切らない面白さだった。
 押さえて欲しいツボをぴたっと押さえてくれて、とても気分良く心身がほぐれる。活字のタイ式マッサージか。

 前書きの「踊る読者」該当者チャートによると私は20項目のうち、19項目に該当する完全無欠一歩手前の「踊る読者」であった。めでたい。一生踊っていたい。
 たったひとつの不一致項目は「上下2巻の本はとりあえず上だけ買う」というところ。私は上下そろいで買う。下を読まないことはあっても、買わないことはない。もっとも、上下そろいという大部の本なら、普通は買わずに図書館に新規購入リクエストを出す。

本日の負け惜しみ:古本屋の文庫は上下揃いで買っている


2003/05/02 金 晴れ 
アンドロメダM31接続詞>ひろゆきの顔

 朝日朝刊に、ひろゆきの本名顔写真経歴付き、ネット集団自殺へのコメント欄に登場。なにより存外「さわやか好青年」の写真にびっくり。私の勝手な肖像では、30代の元会社員、伊集院光系体型のネットおたくタイプかと。

 ひろゆき実物。年齢はまだ28だったし、いい男だったし、アメリカ留学中に2チャンネルをはじめたのだというし。裁判沙汰でだいぶ正体もばれたので、本名や顔をさらすことにしたんだろうか。それとも私が知らなかっただけで、みんなはもともと顔を知っていたのか。

 私にしてみれば、サスケが県議会でマスクを脱ぐよりずっと面白い見物だ。あと見たいのは絶望書店店主だなあ。無論単なるミーハー的興味である。小谷野もてない氏も「絶望書店店主、おまえに興味がある!」と言ったそうだ。

 SFJ3コマ。1組、動詞の辞書形、て形に苦戦中。

本日のそねみ:「美女で才女、才子で男前」って、神様!不公平です。神が公平さを忘れても、ニッポニアニッポンは自由平等博愛を守ります


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20150516
12年前の日記、きちんと毎日の天気を記録しているところが、日本人の日記伝統をきちんと踏まえていますな。
 現在の私の日記は、天気やら曜日やらテキトーだし、本を読んでも映画を見ても、感想をきちんと書き留めておく、などという律儀なことはやらなくなってしまいました。
 
 大学生の娘は親離れしようとしているし、息子は絶賛反抗期中という擬似母子家庭で、よるべない中年女にとって、ひとり、映画や本、ネットサーフィンの感想を書き綴る時間を持つくらいしか時間のつぶしようがなかったのだとは思います。

 まあ、今も似たような境遇ではありますが、12年分年取って、何事にもおっくうになった、という変化はある。以下、月末まで2003年の「三色七味日記」再録を続けます。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「ユトリロとヴァラドン展」

2015-05-14 00:00:01 | エッセイ、コラム


20150514
ぽかぽか春庭アート散歩>新緑アート(3)ユトリロとヴァラドン展in東郷青児美術館

 5月6日、娘と新宿高島屋でランチしてから、娘は東急ハンズ手作り講習会へ。私は、東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館へ行きました。
 (美術館名が長すぎる。こんな長い名前、だれも覚えない。会社名を知らせたくて美術館の名にくっつけているなら、逆効果だと思うけれど。第一に、損害保険ジャパンと日本興亜損害が合併したとき、ジャパンと日本を重ねるへんてこりんに異議申し立てが出ず、互いに自分ちの社名を残すことに汲々としたんだろうなあと、会社ってたいへんね、と思います)。

 新宿高層ビル群の42階にあり、隣の野村ビルの展望ロビー、東京都庁とともに、新宿から東京を眺めたいときにいい場所です。絵を見ないで、展望ロビーから高層ビルの景色を眺めるだけなら、入場券いらない。
 バブル最盛期に保険屋のおっさんが、ゴッホのひまわりを58億円(落札値53億+手数料など)で落札したことで有名になった会社。ひまわりが常設展示されているのはうれしいけれど、できるならガラスケースの中に納めるのではなく、じかに見たい。破損などが心配ならホケンをかけたらどうだろうか。アハハ。
 なんぞといらぬことを考えながらロビーからソトを眺めてしばしすごす。

 「ユトリロとヴァラドン母と子の物語-スュザンヌ・ヴァラドン生誕150年-」というこちらもタイトルが長い展覧会。
 今回の展示で気になったのは、ヴァラドンの名が「スュザンヌ」という日本人には発音しにくい表示になっていたこと。外国人名は現地での発音に典拠するが、通称発音が普及している場合は、通称でよい、というのが外国人名表記の原則だから、「シュザンヌ」あるいは「スザンヌ」というこれまでの名でいいと思うのに、なぜゆえにスュザンヌなんて表記にしたのやら。ヴァラドンは、バラドンでもいいと思うのだけれど、私がヴァラドンにしているのは、バラドンとキーを打つと薔薇丼と出てくるから。薔薇ジャムなんぞがご飯の上にのっていそう。

 シュザンヌ・ヴァラドン(Suzanne Valadon, 1865-1938)
 モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883-1955)

シュザンヌと7歳のモーリス


 私が上村松篁を知ったのは「上村松園の息子」としてだったけれど、ヴァラドンのことは「ユトリロの母」として知りました。日本でモーリス・ユトリロの人気が抜群だったころ、モーリスを未婚の母として生んだ母親もまた画家であったこと、まだあまり知られていませんでした。

 あちらで1点、こちらで1点とヴァラドンの作品を目にするたびに、解説に「ユトリロの母親」と出ていて、ヴァラドンを認識しました。
 シュザンヌ・ヴァラドン(本名はマリー)は、貧しい洗濯女の私生児として出生し、母とともにパリに出てきて、母は家政婦、少女マリーもさまざまな仕事をして働き続けました。華やかな世界にあこがれるマリーは、サーカスの芸人として成功を目指したけれど、空中ブランコから落下し、怪我のために断念。その後は美貌を望まれて絵画モデルとして生計をたてました。

 老大家シャバンヌ、人気絶頂のルノワール、などの画家のモデルをつとめながらシュザンヌ自身も画家をめざし、新進気鋭のドガに絵を習いました。
 モデルとしての活躍はめざましく、特にルノワールの「都会のダンス」「ブージヴァルの舞踏会」に描かれたシュザンヌの姿は有名です。ルノワールのダンスシリーズ3作目の「田舎のダンス」では、当時41歳のルノワールと恋仲になっていたアリーヌ・シャリゴが自分より若いシュザンヌに嫉妬し、しかたなくルノワールは、顔だけアリーヌに取り換えました。しかしながら、現代の目でみると、あきらかにルノワールの目には、シュザンヌの若さ美しさが特別な輝きで映っていたことがわかります。
 その他の画家の絵のなかでも、シュザンヌはさまざまなポーズで描かれています。ロートレックの「二日酔い」など、ヴァラドンの姿は、近代絵画の中に燦然と輝いています。

 今回の展示ではありませんが、ルノワールが描いた「髪を結う少女シュザンヌ・ヴァラドン」1885年、20歳のシュザンヌです。


 18歳のころ、父親がだれだか明らかにされていない息子を出産。当時のパリの交友関係から推理すると、モデルを務めていたルノワールかシャバンヌが父親とみられるというのだけれど、真偽のほどはわかりません。なにより、シュザンヌ自身が息子の父を明らかにせず、モーリスが7歳のとき、スペイン・カタルーニャ出身のジャーナリスト、ミゲル・ウトリーリョ( Miguel Utrillo )に、モーリスを息子として認知させます。(スペイン語読みウトリーリョ。フランス語読みでユトリロ)。おそらくは、シュザンヌとかかわりあった男性の中で、一番のお人よしがウートリリヨだった!

 シュザンヌが描いた幼いモーリス、12歳のモーリスなど、展示されていた絵には、母の愛情あふれるまなざしを感じるのですが、絵のモデルとしての息子と向き合う時間だけが母親としてすごす時間で、育児は自分の母親に丸なげでした。シュザンヌはモデルの仕事、絵の勉強、そして恋愛に没頭しました。

 シュザンヌとロートレックとの同棲生活は、3年ほどで破局。本名のマリー・クレマンティーヌではなく、シュザンヌと名付けたのはロートレックです。自分だけのモデルでおさまってくれず、他の画家のモデルをやめないマリーを、聖書の中で老人達に裸を覗かれるシュザンヌにたとえたのです。そのあだ名を画家名にしたシュザンヌも、したたかです。

 エリック・サティとは半年の交際ののち別離。ヴァラドンが描いたサティの肖像画、今回は出展されていませんでした。
 その間、モーリスはシュザンヌの母親に育てられ、精神的に不安定な子どもとして成長しました。貧しく安酒を飲むしか楽しみがなかったシュザンヌの母は、情緒不安定な孫を手っ取り早く寝かせるために、酒を飲ませて育てたのです。モーリスは、学校も入学退学を繰り返し17歳のころにはアルコール依存症になっていました。
 シュザンヌは、男性遍歴を重ねたのち、実業家のポール・ムジスと同棲。1996年に正式に結婚。

 シュザンヌはモーリスを精神病院に入れますが、精神の不安定は改善されませんでした。アルコールを手にしないよう、気をまぎらわすために、モーリスの手に絵筆が持たされます。
 夫ムジスの資産によって画家として専念できるようになったシュザンヌは、しだいに絵を認められるようになっていきましたが、息子の絵については「病気の治療のために描いているだけ」と思い、息子に画才があることには気づきませんでした。

 しだいに画家として生きようと考えるようになったモーリスに、「初めての友」といえる友人ができます。画家をめざしていたアンドレ・ユッテルです。ユッテルは、自身の画才をあきらめ、モーリスのマネージャーとして、絵の管理やモーリスの健康管理を担うようになります。

 ブルジョワ階級の妻として絵画に専念できる時間を得たはずのシュザンヌでしたが、13年間の平穏な生活がしだいに物足りなくなっていたのかも知れません。泥酔したモーリスをおくってシュザンヌの家に送り届けにきたユッテルとシュザンヌは、恋に落ちます。

 21歳年下のユッテルとの恋愛に、夫ムジスは嫉妬。手元にあったシュザンヌの作品を絵の具もろとも捨てるという方法でシュザンヌに当たりました。
 シュザンヌは、ムジスの資産をあてにしなくても画家として立っていけるようになると、離婚。2014年、ユッテルと正式に結婚します。

シュザンヌが描いたユッテルの家族。1921


シュザンヌが描いたモーリスの肖像1921 モーリス38歳


 子どもの頃から母に見捨てられて育ったモーリス、唯一の親友も母に奪われてしまいました。シュザンヌとユッテルとモーリスは、共同生活をおくりますが、モーリスの病状を管理するのはユッテルの仕事でした。

左から自作絵の横のシュザンヌ、ユッテル、椅子に座るモーリス


シュザンヌ・ヴァラドン「サンベルナールの教会」1931


 シュザンヌ、モーリス、ユッテルの3人の共同生活は、ときに激しいいさかいも生みましたが、マネジャー役のユッテルの管理のもとにモーリスは絵を描き、しだいにモーリスの絵にも買い手がつくようになりました。

モーリス・ユトリロ「雪のラパンアジルモンマルトル」1933ころ個人蔵


 モーリスが孤独から救われたのは、1935年。52歳のとき。
 シュザンヌの6歳年下の友人、ベルギー人リュシー・ヴァロールは、夫と死別しており、シュザンヌが入院したときは病院で看病するなど、世話好きな女性でした。
 母のすすめもあって、モーリスは12歳年上のリュシーと結婚。(東郷青児美術館の解説ではリュシーは、モーリスより5歳年上となっていますが、リュシー生年のはっきりした資料がわからないので、通説に従います)
 今回の展覧会には、シュザンヌが描いたリュシーの肖像画も展示されていました。美人ではないけれど、しっかり者という印象でした。

 母を慕い続けて、ついにその愛を独占することはできなかったモーリスが、ようやく安定した愛情の中に暮らせるようになったのを見届けて、1938年にシュザンヌは亡くなります。モーリスはショックあまり倒れてひきこもり、母親の葬儀に出席することもできませんでした。

 モーリスは、母の死後、信仰の中に生きるようになります。
 リュシーは母親のようにモーリスを世話し、また支配しました。
 リュシーは、モーリスを管理して「普通の市民」として暮らせるようにした、ともいえるし、モーリスに「自作の模写」を描かせて売りさばく商売をしたともいわれています。

 ともあれ、飲んだくれで警察のご厄介になることもあったモーリスが、「パリ名誉市民」の称号を得るまでに世話をしたのです。リュシーの生活の手段がモーリスの絵を売り抜けることだったとしても、リュシーが描いたへたくそな絵をモーリスの絵と抱き合わせで売る商売をしたとしても、モーリスがそれで幸福な晩年であったのならいいかなと思います。ほんとうに幸福だったのかどうかは、モーリスに聞いてみないとわからないけれど。1955年、モーリス・ユトリロは71歳で死去。

 ほんとうに壮絶な母と息子の生涯です。残された作品、シュザンヌの奔放な情熱の絵。モーリスの白の時代の悲しみをたたえた静謐なパリ。色彩の時代の華やかだけれど、どこか寂しいパリ。
 母と子は、天国では仲良くキャンバスを並べているでしょうか。モーリスは、絵のサインとしてモーリス・ユトリロの最後に必ず「V」というイニシャルを入れていました。ヴァラドンのイニシャルです。母への愛によってVを入れて示したのだという人もいるし、ヴァラドンの姓を全部入れないでイニシャルだけだったのは、乞うてもかなわぬ母の愛の欠乏への表明だという人もいます。
 私は、母に自分の絵を認めてほしい、息子からのメッセージだったのかも、と思います。

シュザンヌ・ヴァラドン《コルト通り12番地、モンマルトル》 1919年。この絵の絵はがきを買いました。青い鳥さんに送ることにします。


<おわり>
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ぽかぽか春庭「片岡球子展in東京近代美術館&ブリジストン美術館」

2015-05-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20150513
ぽかぽか春庭アート散歩>新緑アート(2)片岡球子展in東京近代美術館&ブリジストン美術館

 4月30日、片岡球子生誕110年記念の展覧会を見ました。
 1905年の生まれ。2008年に103歳で亡くなるまで、球子は日本画ひとすじに描き続けました。これまで、山種美術館の「富士と桜展」とか、あちこちで球子の作品を目にする機会があり、またリトグラフ作品の富士の絵などは、デパートの美術品売り場などで見る機会も多く、また、面構えシリーズも、神奈川近代美術館などで、数点は見ていたので、なじみの画家のような気もしていましたが、今回は個人蔵の作品など日頃はあまり見る機会が多くない作品も展示されていて、よい展覧会でした。

 たとえば、横浜市大岡小学校所蔵の「飼育」という作品。1954年の作品です。1926年に女子美日本画高等科を卒業した後、球子は出身地札幌で取得した小学校教師資格を生かし、横浜で小学校の先生になりました。以来、1955年に50歳で退職するまで、30年間、球子は小学校教諭として児童生徒の教育を実践しつつ絵を描き続けました。

 子ども達をモデルにした作品もたくさん描いたことでしょうが、横浜市立大岡小学校に「飼育」という作品が残されたことは、まったく知りませんでした。校長室に飾られていたのか、玄関に飾られていたのか知りませんが、今回見ることができてよかったです。



 若い頃は「ゲテモノ」と評されたという球子の絵ですが、晩年に至るまで、自分の個性をみじんもゆるがず押し通した色使いとフォルム。ほんとうにすごい。
 球子は、浅間山、妙義山など、火山が好きで富士はもちろん、全国の火山を描き続けました。球子自身が活火山のような魂を抱き続けたのだろうなあと感じました。

 球子が最初に院展に入選した「枇杷」という屏風。じっくり見ていて気づいたことがありました。絵のほぼ中央の枇杷の葉っぱは、虫食いの葉なのです。一般には、女流が描く日本画というと、なだらかな美しい画面が想像されます。院展初入選の「枇杷」も、中期後期の球子の色使いや奔放な形から見たら、日本画の技法の範囲に収まっているかのように見えるのです。しかし、中央の葉っぱの虫食いは、球子の挑戦のように思えました。院展審査員に堂々「絵はね、魂なのよ。ゲテモノと呼びたきゃ呼ぶがいい」と挑戦し、くすりと笑っているように感じました。


 
 はたして、枇杷の入選以後、長く球子の絵は中央画壇には認めてもらえず、自らを「落選の女王」と自嘲するほど長い年月、描いても描いても落選、という時代が続きました。

 展覧会の構成は、編年体。
第1章:個性との闘い-初期作品
第2章:対象の観察と個性の発露-身近な人物、風景
第3章:羽ばたく想像の翼-物語、歴史上の人物
第4章:絵画制作の根本への挑戦-裸婦
特集:スケッチブック 特集:渡欧関係資料

 1989年、84歳で文化勲章を受章後も、なお法隆寺金堂壁画模写、面構えシリーズ、ポーズシリーズ(裸婦像)などの制作を続けました。100歳過ぎに脳梗塞を患いましたが、不自由な身体になっても制作を続けたそうです。2008年103歳での大往生、見事な女性の一生でした。

 出身地札幌の、北海道近代美術館、教諭として勤務を続けた横浜の神奈川近代美術館などに作品が収集されていますが、今回、東京近代美術館の通常展のほうに、東京近代美術館所蔵のポーズシリーズが展示されていました。特別展のほうは撮影禁止ですが、こちらは写真OK。1985年、80歳のときに描かれた「ポーズ3」。画家からの遺贈作品です。



 東京近代美術館の好きなところ。4階の「ながめのいい部屋」。皇居東御苑を眺めて、のんびりできました。

 4月30日夕方、ブリジストン美術館へ。5月18日からビル新築工事のために数年間閉館となるので、代表的な収蔵作品の「見納め」展。1970年に東京に出てきて以来、西洋美術館と近代美術館、ブリジストン美術館の3館には、足繁く通ったので、代表的収蔵作品というのも全部見ているし、招待券も手に入らずチケット買わなくちゃならないので、わざわざ行かなくてもいいかなと思っていたのですが、やっぱりお名残に見ることにしました。

 青木繁の「海の幸」、マネ「自画像」、セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」「帽子をかぶった自画像」、ピカソの「サルタンバンク」「女の顔」など、ブリジストンの「ベストオブザベスト」が並んでいました。
 カイユボット「ピアノを弾く若い男」などをブリジストンで見てはじめて、今まで知らなかった印象派の画家に触れたのだし、「ぐるっとパス」で企画展も無料にしてくれる太っ腹なところが好きでした。

 新しいビルの展示室はどうなるのか、楽しみに再開を待っています。

<つづく>



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ぽかぽか春庭「フェルメール?in 西洋美術館」

2015-05-12 00:00:01 | エッセイ、コラム


20150512
ぽかぽか春庭アート散歩>新緑アート(1)フェルメール?in 西洋美術館

 4月24日に上野へ。東京芸大美術館の「ダブルインパクト展」と、西洋美術館の常設展を見ました。

 西洋美術館の常設展は、平日は観覧者も多くなく、ゆったりと見て回れます。常設展示は65歳以上はいつでも無料公開。
 3月17日から、公開されている「フェルメールに帰属『聖プラクセディス』」の前も、一人で独占して見ていられます。
 『真珠の首飾りの少女』が東京都美術館に来たときの、順番待ち行列に1時間並んで見ることができたのは数分という観覧とは大違いで、じっくり見ることができました。常設展だと、いつでも見られるという気持ちになるので、見る人も少ないのかもしれません。

 イギリスのオークションで10億8千万円払って手に入れた作品を、人々に見せてくれている日本人コレクターに感謝。多くの美術ファンや専門家の目に触れることで作品研究がすすみ、真贋論争が進展することを望んでの公開ではないかと想像しました。



 コレクターとしては、西洋美術館に研究を委託して、本物のフェルメールだ決定されれば、絵の価値は何倍に跳ね上がるかもしれず、美術館寄託というのは賢明な方法と思います。本物のフェルメールとのお墨付きが得られれば、おそらくは次のオークションで20億~30億円の値がつくかも知れず、、、、、2004年のオークションではフェルメールの『バージナルの前に座る女』は、真作と判定されたので30億円で個人が落札。はい、すみません。いつもの「値段で絵を見る」をやってしまいました。 
 
 『聖プラクセディス』の寄託を受けた西洋美術館は、「フェルメール作」としないで、真作の証拠が出るまでは「フェルメールに帰属」ということで展示しています。
 イタリア人画家フェリーチェ・フィチェレッリ (Felice Ficherelli1605~1660)が描いた『聖プラクセディス』の絵を、フェルメールが1655年に模写したとされ、フィチェレッリとフェルメールの両作品を並べて解説をつけたパンフレットが配布されていました。
 フェルメールのほうは、聖女が十字架を持っている、などの違う点が解説されており、この作をフェルメールのものではないという論者の意見も載っていました。



 私は、若き日のフェルメールが、修行中にフィチェレッリの作品を自ら模写したと思って作品を眺めました。どうせ論争中ならフェルメール作と思って眺めたほうが、寄託したコレクターも気分いいんじゃないかしら。よくわかんないけれど。
 絵の具の科学的分析などでは、17世紀にフェルメールの国オランダで使われていた絵の具成分と一致したという結果が出たそうですが、まだフェルメール作という決定的な証拠はありません。署名の「メール」が、のちのフェルメール署名と異なるという論文も出されているそうです。
 
 西洋美術館の作品はほとんどが撮影OKですが、『聖プラクセディス』は寄託作品のため、撮影不可です。見たい人は上野の西洋美術館に行って見ましょう。

 東京芸大美術館の『ダブルインパクト明治のニッポンの美展』(2015年4月4日-5月17日)は、欧米に渡って欧米美術に大きな影響を与えた浮世絵などの日本美術と、明治の日本美術界に影響を残した西洋絵画を同時に見る企画。ボストン美術館にある日本画が里帰り展示されていました。

 ボストンにこれだけの日本美術が所蔵されているということ。明治期に日本絵画が見捨てられていた時期に、どれだけの国の宝が流出したことか。禄を失った武士たち、娘を遊郭に売る没落士族が大勢いたのですから、床の間の掛け軸くらい、二束三文で売ったことでしょう。
 また、政府は日本の工芸品を重要な輸出品として博覧会などで紹介して売りましたから、欧米としては手頃な値段で精緻な日本の工芸品をどんどん買い込んだ、ということもありました。関節すべてが動く人体骨格模型など、現在では作れないような工芸品が、「工芸作品」とも扱われないで売られていったのでした。

 そんな中、フェノロサはじめ、日本美術の価値に気づいた西洋人もいました。私の好きなジョサイア・コンドルもその一人。東京大学で建築を教え、最初の教え子である辰野金吾に建築学教授の職を奪われて以後も日本に住み続けました。
 日本舞踊のお師匠さんと結婚したコンドル。生け花も習い、英文による生け花の書を世界で最初に出版。日本画は河鍋暁斎に弟子入りしました。暁斎からは「暁英」という名を許され、英文で師匠の伝記を書き、イギリスで出版しました。

河鍋暁斎《地獄太夫》ボストン美術館所蔵


 黒田清輝記念館が数年の閉館改築を経て、今年1月から開館していたので、見ました。展示の数は少なくて、前回ここで黒田の代表作のひとつ「智・感・情」を見たときのほうが充実感がありました。でも、建物は耐震工事も終えて復活していたので、また、上野公園に来るたびに立ち寄ろうと思います。いつでも誰でも観覧無料なので。

 朝から3つの美術館を回ったけれど、東京芸術大学美術館は招待券もらったのだし、西洋美術館と黒田記念館は無料だし、お金使ったのは、芸大の学食「大浦食堂」で食べた「日替わり定食」のみ。

<つづく>
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