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ぽかぽか春庭「2014年10月目次」

2014-10-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20141030
ぽかぽか春庭>2014年10月目次

1001 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記夏の終わりの小さな旅(1)大人の一人えんそく in 甲府
1002 十四事日記夏の終わりの小さな旅(2)甲府ほうとう

1004 十四事日記秋の小さな旅(1)東北行き当たりばっ旅
1005 十四事日記秋の小さな旅(2)郡山・安積開拓資料館
1007 十四事日記秋の小さな旅(3)3時間ホームレスin 山形市
1008 十四事日記秋の小さな旅(4)縄文のヴィーナスin山形県立博物館
1009 十四事日記秋の小さな旅(5)福島のゆべしin 米沢
1011 十四事日記秋の小さな旅(6)上杉伯爵邸ランチin 米沢

1012 小さい秋みつける散歩(1)文京区後楽園の彼岸花
1014 小さい秋みつける散歩(2)小石川植物園秋の花
1015 小さい秋みつける散歩(3)都市農業公園&荒川散歩
1016 小さい秋みつける散歩(4)旧安田庭園&大江戸伝統祭

1018 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四時日記芸術の秋(1)古事記by東京ノーヴィ・レパートリィシアター
1019 十四事日記芸術の秋(2)民族芸能in としま
1021 十四事日記芸術の秋(3)初秋のコンサート中国の不思議な役人その他
1022 十四事日記芸術の秋(4)若い力のコンサート
1023 十四事日記芸術の秋(5)サンライズ・活弁つき無声映画&トークショウ森田芳光について in ギンレイホール
1024 十四事日記芸術の秋(6)ウフィツィ美術館
1026 十四事日記芸術の秋(7)ウフィツィ美術館展
1029 十四事日記芸術の秋(8)ヨコハマトリエンナーレ2回目

1028 十四事日記10月(1)親子遠足ヨコハマトリエンナーレ&中華街ランチ
1029 十四事日記10月(2)秋深しわたしは何をする人ぞ
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ぽかぽか春庭「秋深しわたしは何をする人ぞ」

2014-10-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141029
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記10月(7)秋深しわたしは何をする人ぞ

 秋もだいぶ深まってきました。まもなく銀杏が黄金色に輝く晩秋。秋は駆け足で過ぎゆきます。
 
 私立大学は9月半ばから、国立大学も十月から後期の授業が始まって、自転車操業授業。10月23日には、他大学の日本語教師志望留学生が私の授業を参観するというイベントもあり、今回もなんだかはちゃめちゃな授業になりました。

 授業を受けている日本語初級の学生は、「楽しい授業だった」と、言って帰って行きました。参観の大学院生と留学生の交流時間を設けて「覚えたての日本語で会話してみる」という経験もできたし、最後は日本語発話をうながすためのゲーム(フルーツバスケットゲーム)をしたので、留学生と参観学生にとっては、楽しかっただろうと思います。

 でも、存在文「~にある」「~にいる」を教えるところなのに「~あいだに」を抜かしてしまい、ひとり落ち込んでいる私。導入すべき文型をひとつ忘れてしまったことを、次の授業をする先生に「すみません。AとBのあいだにCがあります、の文型導入を忘れました。あしたお願いします」というメールを出さなければなりませんでした。失敗しっぱい。

 金曜日の授業は、私が日本語教授法を教えている日本人学生が見学に来たのですが、この日は、配布すべき宿題プリントを忘れてしまい、月曜日の先生に「すみません。宿題を月曜日に配布してください」というメール。初級語学授業は複数の教師がチームを組んでスケジュールをこなしていくので、いつもてんやわんやです。
 毎回の失敗に、「秋深し、わたしは何をする人ぞ」と落ち込みます。何をする人ぞと問われたなら、まあ、「失敗ばかりする人」なのでしょう。

 仕事で失敗したなら、次の週のために週末は必死で授業準備をしたらいいのですけれど。週末は仕事のうさばらしに遊び歩かねば。
 十月最後の週末も盛りだくさんに楽しみました。

 10月25日土曜日。午前中。ゆっくり起きて、テレビ放映を録画しておいた「すーちゃんまいちゃんさわ子さん」を見ました。益田ミリ原作の漫画を映画化した作品。
 監督御法川修。カフェの店員すーちゃん柴咲コウ、やり手の営業社員不倫中真木よう子、祖母の介護をしつつ自宅でパソコンの仕事寺島しのぶ。それぞれの結婚に至ったり至らなかったりの30代女子の日常を描いています。

 それぞれの人生の選択。さわ子さんは、40歳手前で同級生からプロポーズされるが、「親が、子どもを産める体かどうかの証明書をもらってこいって言うもんで」という男にキレる。そうそう、子どもをどうするかは、結婚する二人の問題であって、「親が言うから」なんて男は、けっとばしてやるべき。

 捨ててしまった「有能な社員」としての自分に未練を残しながらも、結婚相談所利用の結婚をして出産に至るまいちゃん。
 気になっていた職場の男性を、同僚のちゃっかり女にさらわれてしまったすーちゃん。店長としてがんばってみよう、と決意。

 「がんばりすぎずに、すすめ!!女子たち!」と応援したくなります。ほっこり気を抜く場所を確保しつつ、友情をたもっていきましょうね。

 25日土曜日午後。飯田橋へ。ギンレイで2本立て。「Wood Job神去りなあなあ日常」(原作三浦しをん、監督矢口史靖)と「超高速参勤交代」(監督本木克英、脚本土橋章宏)。どちらもとてもおもしろかったです。

 朝から何も食べずに出てきて、2本立ての間の入れ替え時間にスコーンをひとつ食べたのだけれど、まだおなかがいっぱいではありません。
 夫にギンレイシネマパスポートのカードを返したあと、セブンイレブンの「おでんどれでも70円」という看板に惹かれて、おでんを買ってイートインコーナーで食す。

 餅入り巾着、ロールキャベツ、がんも、やさい薩摩揚げ。家で作るとき大根とか昆布とかが好きなのだけれど、それは買わない。こんぶ90円や大根80円が70円になってもあまりありがたみがないが、餅入り巾着130円が70円になったほうがずっと得した気がする。こういうのを貧乏性というのですね。貧乏性なのではなくて、真性貧乏なのですが。

 BookOffに寄って、100円の文庫200円の単行本を買う。
 目に付いた100円本をかごに放り込んでいき、今回は9冊購入。1200円。柳田国男『日本の伝説』司馬遼太郎『街道をゆく〈24〉近江・奈良散歩 』『果心居士の幻術』井上ひさし『百年戦争下』田辺聖子『小倉百人一首上』加納喜光『この漢字が読めますか』村上春樹『村上ラヂオ』榎本正嗣編『ことばを調べる』安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』

 最後の一冊など、よほど暇になるか、なんらかの必要が生じない限り読むことなく「積ん読」予想はするが、なにせ100円なもんで。読まないとしても資料としてとっておこうか、というのと、解説が辻井喬だったので買いました。辻井も言っているように、敗戦直後の日本共産党に集まった人々、ある時期の若者にとって、「日本共産党」が「希望」と同義だった時期があったのだ、ということは理解できます。
 戦争直後の日本共産党には、西武鉄道の坊ちゃまである辻井喬(堤清二)も参加していました、除名されてしまいましたけれど。
 私の青春時代には、ニッキョーといえば落ちた偶像になっていました。私はミンセー加入の友達から「あんたみたいのをトロツキストって言うんだ」とか言われてゼッコーされたっけ。トロツキストというのがなんなのか、わからない私だったけれど。今でもようわからんが。

 帰宅して、晩ご飯。おでんを食べたけれど、娘が作ったナポリタンとサラダ、ちゃんとおなかに収まる。デザートは生協購入の「ハロウィーンパンプキンパイ」でした。でも、かぼちゃの部分が少なかったので、ハズレのパイ。「りんごがあるから明日、りんごパイを作ろう」と、娘に提案。

 かぼちゃパイ食べながら、娘息子とテレビ録画でフィギュアスケート観戦。グランプリシリーズが開幕しました。まおちゃん出ないので寂しいですが、我が家は放映される全試合の全選手の演技を応援します。26日は、町田樹がショートトップに立ちました。高橋選手引退のあと、羽生、町田の活躍に期待がかかります。

 アメリカ大会の注目選手はカナダのナム・グエン( Nam Nguyen)16歳。名前からみると親か祖父母はベトナムからの移住なのかな。織田信成の後継者みたいなお顔で、いいんじゃないかと思います。テレビの文字ではNguyenを「ニューエン」と書いていたので、アジア系の顔立ちだけど、いったいどこの国からの移民子孫だろうかと思いましたが、Nguyenはニューエンではなくてグエンだろっ。それともカナダ移住後はニューエンと発音しているのか。語頭のNguは、鼻濁音の「グ」です。

 夜中の11時半から午前2時半まで娘と「Wiiカラオケ」を使って、母娘カラオケ大会。交代で3時間歌いまくりました。10万曲ある、というのですが、Wiiカラオケは、通信ゲーム機なので、私が歌いたい昔の歌は入っていません。たとえば、美空ひばりの『りんご追分』、好きなんだけれど、検索してもWiiにはない。

 まず、絢香の「にじいろ」を歌いました。半年間聞いていたから覚えたので。「にじいろ」で思い出したので、「虹色の湖」を検索したら、 中村晃子バージョンは古いから入っていないけれど、徳永英明のボーカリストバージョンが入っていたので、なつかしく歌いました。
 娘が中村晃子なんて歌手知らない、というので、「結婚寸前だった同棲中の恋人を、大竹しのぶにとられちゃった人」なんて、古いスキャンダルを教えました。仕事に必要なことはさっぱり覚えられないけれど、こういうことはちゃんと覚えているのが、不思議。2時20分にカラオケ24時間の通信契約がきれたので、寝ました。

 娘は「24時間で300円の通信契約。15時間歌ったので、1時間あたり20円のカラオケ」と、言っていました。15時間歌い続けるのもどうかと思うけれど、「できるだけ長く歌ったほうが得した気がする」というのは、私が「80円のおでんが70円になるより、130円のおでんが70円に割り引きされたほうが得した気がする」という発想法を学んでしまったのだろうと思います。貧乏性が伝染してしまいました。貧乏な家に生まれると、貧乏性まで親に似る。

 26日日曜日。
 午前中、ヴェローナ野外劇場のオペラ公演『カルメン』を見ながら、洗濯とお茶碗洗い。
 古代ローマの遺跡で上演されたゼッフィレッリの演出です。すごい規模に圧倒される。観客も出演者も最大規模のカルメンです。
 カルメンがホセを誘惑している間に、りんご5個の皮を向き、薄切り煮りんごを作りました。りんごパイのフィリング用です。

 カルメンにエカテリーナ・セメンチュク、ホセにカルロ・ヴェントレ。どちらもオペラ歌手らしく、たっぷりと太っています。オペラ歌手はいいなあ、これだけ太っていても、主役はれるんだから、、、、と思いました。
 太めのカルメンもありですが、結核で死んでいく椿姫がお肉たっぷりゆらしながら、歌うのはどうもリアルじゃないけれど。

 第一幕がおわったところで、りんごも煮えたので、カルメン中止。午後、北とぴあに行く。
 3時から40分間のパイプオルガンコンサートを聞きました。一階ホールでの無料コンサート。演奏は山本真希。

 私の好きなバッハの小フーガト短調のほかは、知らない曲ばかりでしたが、とてもよい演奏でした。キュリというアメリカの作曲家がモーツァルトのきらきら星変奏曲を「みんなのためのオルガンガイド」に編曲した作品、オルガンのさまざまな音色を楽しめました。

 3:40からさくらホールへ。友人が「合唱祭」に出演するからです。素人の合唱サークル37チームが参加し、12時から1グループ10分の出演時間。私が聞いたのは、3:40から5時まで。友人のグループは宮沢賢治の『雨にも負けず』を合唱曲にした7分間の曲を歌い上げました。

雨にも負けず、風にも負けず、と歌うサークル


 出演の友人は、ジャズダンス仲間のひとりです。歌い終わった友人とお茶して今後のダンス自習のことなど話す。
 ジャズダンスの講師が胃がん手術で入院してしまいました。手術は成功したという連絡がありましたが、復帰がいつになるかわかりません。当分のあいだ、練習が自習になるのです。こんな状態で、もう自主サークルが維持できないところまできていますが、つづけたいなあ、ダンスサークル。おつきあい範囲が狭い私にとって、ジャズダンス仲間は得がたい友人達です。

 娘の作った晩ご飯。今夜のメインは、鮭ソテー、シメジ添え。アボガドとトマトのバジルサラダ。トマトとモッテェレラチーズのグラタン。デザートはリンゴパイ。私が煮ておいたフィリングを詰めて、娘が生協冷凍パイシートで仕上げました。市販品よりずっとおいしいです。大きなパイがふたつできたので、ひとつは娘がおばあちゃんのところに持っていくことにしました。



 10月最後の週末2日間は、こんな具合にすぎました。映画みて、テレビでフィギュアスケートやオペラを見て、コンサートホールで合唱聞いて、りんごパイ作って、、、、
 10月26日はあたたかい日でした。これから秋の日はつるべ落とし。おっと、こう言っても若い人には「つるべ」って、落語家の笑福亭鶴瓶かと問われるので、うっかり使えません。

 人生の秋もつるべ落としでしょうから、気を引き締めましょう。つるべ落としても我が身落とすな。
 いやいや落としっぱなしの人生です。
 北とぴあから帰り際、冷え込んできたのに、コートがない。パイプオルガン演奏を聴いていた時、会場に落としてしまった。おとしものわすれもの名人です。
 問い合わせると、警備室にとどいていたので、よかったよかった。つるべ落としてもコート落とすな。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「親子遠足・ランチ&ヨコハマトリエンナーレ」

2014-10-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141028
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記10月(1)親子遠足・ランチ&ヨコハマトリエンナーレ

 ヨコハマトリエンナーレ、2回目の見学。
 9月23日は、「下見」だった、と述べました。昔、中学校教師をしていたときに、「遠足の下見」というのをやらされたことがありました。往復の経路、中学生が通行するのに危ない所はないか、昼食場所の確認、40人クラス3組の生意気盛り中学生が、他者に迷惑をかけずに弁当を食べられる場所はあるか、などを報告するのです。

 9月23日は、親子遠足の下見でした。
 「ヨコハマトリエンナーレの招待券があるから、中華街でランチしてから現代美術を見よう」と誘ったら、現代美術に興味のない娘息子、「中華街でご飯食べるのはいいけれど、現代美術、たいして見たくはないからね。母が先に見ておいて、これは見てもよさそうだ、というのを見繕っておいて。ひとつふたつ見れば十分だから」というので、下見をしてきた、というわけです。

 娘30をすぎ、息子もうすぐ26歳という年になっても母といっしょにお出かけしてくれるだけでもありがたい、という低姿勢の母ですから、いそいそと下見に出かけました。
 10月3日、現代美術鑑賞本番の日です。

 まずは中華街のランチ。平日だから予約しないでもいいだろうと思って横浜みらい駅から中華街へ。けっこうな人出でした。で、横浜みらい駅から中華大通りに入った一番さいしょの店へ。ここはすいていたのです。理由は「エアコンが壊れているのですが、かまわなければどうぞ」
 10月といっても真夏日になった中華街。入り口でエアコ故障の説明を聞いて、踵を返した客もいましたが、私たちは「予約して来なかったのだし、店をあちこち探すのもたいへんだから」と、入店。ことしは山形のホテル探しといい「エアコン壊れている」に助けられた夏です。

 重慶飯店の支店「重慶茶樓」の2階席。扇風機の前の席に案内してもらったので、特に暑くていられないとは感じませんでした。
 レディスランチふたつと点心ランチひとつを注文。食べるのは、娘が点心ランチで、私と息子がレディスランチなのですが。

 今の時期、上海蟹のシーズンであることがメニューにありましたが、「レディスランチ」のヘルシーメニューで十分おいしかったです。ランチセットだとたいてい出てくるエビチリではなくて、エビマヨだったので、辛いものが苦手な娘は、「エビマヨだったから、今日のランチは大正解」と、満足していました。

 何品か食べ終わってしまってから、そうだ、写真撮っておかなうちゃ、と慌てて撮ったので、メニューの全部ではありませんけれど。



 ランチデザート定番の杏仁豆腐のほか、「エアコンなしで我慢してもらったことへの、店からのサービス」のアイスもきて、デザートは2品。


 ランチに満腹して腹ごなしの散歩。まずは、中華街から一駅だけ地下鉄に乗って、馬車道へ。前回9月23日には見なかったヨコハマ創造都市センターへ。

 旧第一銀行横浜支店の建物左はしっこに写っている二人が、娘と息子



 横浜創造センターの建物は、ふたつの部分から出来ています。高層ビル部分は、槇文彦(1928~)の設計。その前面に1929(昭和4)竣工。元第一銀行の横浜支店、設計は、西村好時(1886~1961) を貼り付けた、いわゆる「かさぶた方式復元」の建物です。(近年のかさぶた方式の例。歌舞伎座がこの方式で前面に古い歌舞伎座の趣を残して後方に高層ビルを建てました。

 高層化もしたいし、観光目玉になりそうな古い建物も残したい、という折衷策がこのかさぶた方式です。かさぶたとして貼り付けられた旧第一銀行横浜支店。槇文彦が高層部分の設計者だったおかげか、表面だけでなく、古い建物部分の内部もきちんと復元してあるという評価がされています。横浜市には近代建物が数多く残存しているのですが、取り壊されてしまったものもあり、改修後再利用しているのもあり、第一銀行横浜支店のように移築復元もあります。

 地階と3階のトリエンナーレ会場を見ました。娘息子は「現代アート、さっぱりわからん」という感想。
 
 モノクロ写真をたくさん並べて構成されている作品。タイトル忘れた


 馬車道からみなと未来駅まで歩くかどうか協議の結果、歩いていると横浜美術館を見る時間がなくなってしまう、という娘の意見で一駅だけ地下鉄に乗って移動。

 横浜美術館の入り口にある巨大なガラスの箱。階段が組まれていて、上から、芸術家達たちが、失敗作や不要になった作品などを放り投げて箱を埋めていく、というパフォーマンスを含んでいる作品なんですと。ようわからぬが、、、、、
 上野の森美術館で「描いたいものを自由に描いて20年」という展覧会で「アーティストキナシ」を大いにアピールした木梨憲武も、「アート作品の失敗作自転車」を放り込んだ、ということをまっき~さんから教わって、探しました。9月23日には、まだ放り込まれていなかったのか、私が気づかなかったのかわかりませんけれど、どんどん「アートごみ」は増えているようでした。


 木梨憲武が「アートごみ」として捨てた自転車アート


 閉鎖的な地下空間に泥を広げた泥アート。
閉所恐怖症気味の私には、息苦しくなる閉塞感がおそってきました。閉所恐怖症ではないはずの娘も、「閉じ込められる嫌な気分」だったというので、そういう気分を起こさせるためのアートだったのかも。

 娘は、一族の写真をべたっと貼り付けた壁や風船を持った人が「飛ばなければよかった」というタイトルのもとに空中に浮かんでいるアートも「圧迫感」を感じたのですって。
 私は、飛んでいるほうは、どうってことなかった。


 結局親子で一番なじめたのは、旧釜ヶ崎のおっちゃんらが集まって「アート」している空間を再現したコーナーでした。そうそう、こういう空間がなじめるの。山谷や釜ヶ崎って、そこにいるだけでアートなんだ、たぶん。


 私が気に入った新港ピアのほうには行く時間がなくなったので、トリエンナーレ見物、横浜美術館の巨大烏フィギュアと、体半分はハムで出来ていて、私たちが日頃食べているお肉は、確かにもとは豚なんだと知らしめるブタフィギュアなどをながめて、5時の閉館チャイムを聞きました。

3mくらいある巨大烏

豚ハム


 最先端アートをめぐる親子遠足。アンチアート派の娘息子にとっては、中華ランチがおいしかったから、それで十分という一日でしたし、母にとっては、子どもといっしょにお出かけできればそれで十分という一日でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ヨコハマトリエンナーレ2回目」

2014-10-26 00:00:01 | エッセイ、コラム


20141026
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記芸術の秋(8)ヨコハマトリエンナーレ2回目

 横浜美術館ヨコハマトリエンナーレ。9月23日と10月8日2回見ても、まあ、わからんものはわからぬ。

 両日見たおゲージツの中から、おもしろいと思ったものをご紹介。4つの車がおもしろかった。

 エントランス前の錆びた車のようなもの。
ヴィム・デルボア(1965~)「Flatbed Trailer》 2007」


やなぎみわ作「日輪の翼」上演用のトレーラー舞台。


大竹伸郎「濾過された記憶」、
  

パフォーマンス集団noridanの「楽器カー」
  

 「記憶世界など「忘却の海」に浮かぶちっぽけな島」にすぎない、というヨコトリ2014のコンセプトにてらして述べるなら。
 私が気に入った車は、時の流れにのって、車輪を流れによってくるくる回して走る。記憶を乗せて走り、忘却という海に突っ込んでいく。

 だが、この海はソラリスの海。突っ込んでいった記憶達は、忘れ去られているようで、すべてが海の記憶となって海に書き込まれている。

 元は銀行だったところをアートギャラリーにしたヨコハマバンカートで、150年前にはのどかな漁村の前に広がる海だったヨコハマの港を眺めました。
 う~ん、私の記憶力は、毎日めがねを探し、財布を置いた場所がわからなくなって探し、帰宅するとドアの鍵が鞄に入れたはずなのに見つからなくて探す。
 私の忘却の海は果てしなく広がる。
  
<おわり> 
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ぽかぽか春庭「ウフィツィ美術館展」

2014-10-25 09:06:39 | エッセイ、コラム
20141025
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記芸術の秋(7)ウフィツィ美術館展

 東京都美術館のウフィツィ美術館展。これぞウフィツィとして私たちが知っているのは、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」とか「春(プリマヴェーラ)」でしょう。
 日本の中学校高校の美術の教科書に載っている、だれでも知っている名画。

サンドロ・ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」


 東京都美術館展のウフィツィ美術館展には、むろん、ヴィーナスや春は展示されていません。日本の美術教科書に載っているくらいの、という意味では「これぞウフィツィ」という代表作は来ていませんけれど、今まで見たことがなかった名画に出会いました。

 ボッティチェリの「パラスとケンタウロス」
 テンペラで1480-1485に描かれた作品です。今回の東京都美術館でのウフィツィの目玉。 
 
サンドロ・ボッティチェリ《パラスとケンタウロス》


 イタリア、フィレンツェには、たくさんの美術館がありますが、メインのウフィツィ美術館のほか、「捨て子養育院美術館」からの出品もありました。
 「捨て子養育院美術館」は、15世紀初頭に建てられた、建築様式の面に置いてとても重要な建築物です。絹織商ギルドが資金を調達し、病院を設立。病院で捨て子養育教育を行いました。食堂、回廊、宿舎、診療所、看護室などが備わった養育院は、たびたびの災害にあって改修が加えられてきましたが、1966年のアルノ川氾濫後の改修では、15世紀当初の姿に復元されたということです。

 ここにも、サンドロ・ボッティチェリの作品が収蔵されていました。「聖母子像」です。
 捨て子たちが、毎日この作品を見ることができたのかどうか、知りたいところです。院長室かなんかの奥深くに納められていて、捨て子は見ることをゆるされていなかったのかなあとか、思いながら、聖母子像を見ました。この作品でも、イエスによりそう天使のほうはなかなか美形なのに、幼子イエスは、それほどかわいくない。どうして?



 最後は殺されてしまう運命を持った赤ん坊だから、あまり美形に描いちゃいけないというシバリでもあったのか、と、思うくらい、「幼子イエスがとびきりかわいい」という絵に出会ったことがない。
 日本の赤ちゃん用品のCMなどでは、とびきりかわいい赤ちゃんタレントの写真が使われているので、そういうのにならされてしまったのかも知れません。

 ボッテチェリのほか、メディチ家歴代の肖像画など、みどころはたくさんありました。
 65歳以上の方々、次回1月19日に、東京都美術館をお出かけを。12月14日までの会期中、あと第3水曜日は11月19日だけです。

 列に並ぶのは嫌いですけれど、10月15日は、列に隣り合って、千葉の中学生たちが「反活動で東京の好きなところを見学して歩く」という総合学習で来ていました。彼らを見ていて、退屈しなかったので、持参の文庫本は開かずに30分ほどの入場待ち時間をすごせました。国立博物館「清明上河図」は2時間待ちだったことを思えば、30分はあっという間。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ウフィツィ美術館」

2014-10-24 06:38:59 | エッセイ、コラム


20141025
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記芸術の秋(6)ウフィツィ美術館

 10月15日の午前中、上野へ行きました。水曜日午前中出講のの授業が「体育の日と振り替え」になったからです。大学の授業は、「各曜日半年で15回の授業をすること」という文科省のお達しが出て以後、月曜日ばかり授業数が少なくなるのを防ぐために、ときどき休日の入れ替えをして、月曜日の授業を確保しているのです。

 あまりお天気はよくなかったのですが、上野の東京都美術館に行きました。
 9時半開館なので、9時半ちょうどくらいに着いたのですが、すでに長蛇の列。東京近辺の高齢者がこぞって集まったかと思える婆さんじいさんの列。第三水曜日は65歳以上は無料観覧できる日だったのです。

 他の美術館博物館では常設展のみ無料観覧、特別展は特別展のチケットを買わなければならないのに、東京都美術館は常設展がないので、特別展が無料になるのです。あらまあ、ありがたいこと。私、無料観覧できるようになりましたので。
地下1階のエントランスで係の人に保険証を見せて入場。まずは、2階へ。たいていの人は、入場入り口の地下1階から見ていくので、2階に達した人はまだ少ないはず。

 2階はまだそれほど押すな押すな状態ではなく、ゆったり見られました。
 イタリアのウフィツィ美術館。メディチ家歴代の肖像画、キリスト教美術が並んでいました。

 エレベーターで地下1階に戻り、人の間間をぬって、人だかりの少ない絵を見ていきます。今回は、これぞウフィツィという目玉の絵はありませんでした。
 鑑賞眼のない私、聖母子像を見れば、西洋人の描く幼子、どうしてどれもこれもかわいらしい男の子がいないのか、と思います。幼子洗礼者ヨハネのほうはたまにかわいい子がいるけれど、幼いイエスで「あ、この子かわいい」と思える子どもに出会ったことがない。
「かわいい」の基準がちがうのかもしれません。マリアはたいてい美人だけれど。

 午前中たのしく「無料観覧」をして、午後の授業に向かいました。絵についてのリポートはまたのちほど。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「サンライズ・活弁つき無声映画&トークショウ森田芳光について in ギンレイホール」

2014-10-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141023
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記芸術の秋(5)サンライズ・活弁つき無声映画&トークショウ森田芳光について in ギンレイホール

 私が一番よく利用する映画館は、ギンレイホール。夫が会社の福利厚生としてシネパスポート法人会員のカードを持っています。見たい映画があると、飯田橋に出かけます。普段は、1ヶ月に2本立てを2回、このパスポートでギンレイの映画を見ることができます。私が見るのは年間で10本くらいですが、夫も見るので、法人会費3万円のもとは、かろうじでとれている、というところでしょうか。

 今月のギンレイは、「神楽坂映画フェスティバル名画座主義で行こう」というイベント開催で、会員券で、前売りだと1作品400円で見ることが出来ました。
 9月28日には、活弁つき無声映画上映で「サンライズ」を、10月5日には、トークショウつきで「太陽を盗んだ男」「八月の濡れた砂」「ライブイン茅ヶ崎」の3本。

 昔は、3本立てとかよく見ていましたが、最近は2本立てでもきついときがあり、ギンレイ2本立てを、1本ずつ別の日に見ることも多くなりました。10月5日はがんばって3本見ようと思ったのですが、「ライブイン茅ヶ崎」は、後半ほとんど眠ってしまいました。やはり高齢者に3本立てはきつかった。

 9月28日の「サンライズ」は、白黒無声映画。2011年の『アーティスト』が無声映画として撮影されたので、若い人にも無声映画の存在が印象づけられたと思いますが、私も「アーティスト」のほかに無声映画をリアルタイムで映画館で見たことはない。チャップリンなどテレビ初見が多い。

 澤登翠(さわとみどり)さんは、世界をまたに活躍している活動写真弁士(活弁)
 私は、活弁つきの映画を初めて見ました。

 トーキーで役者がしゃべるのと同じように台詞をいれるのかと思っていたのですが、ちがいました。サイレント映画は、音がなくてもわかるように画面を作成しているので、画面を見て推測できる台詞は必要ないのです。それでも、メリハリのポイントで効果的に台詞やナレーションを入れて、より映画がよくなるように弁士の言葉が入る。なるほど、活弁とはそういうものなのかと、はじめてわかりました。

 澤登翠さんは、サンライズの監督や俳優についても解説してくださいました。作品への深い理解と愛情があってこその活弁なのだろうと思います。

 10月5日の3本。
 最初は「太陽を盗んだ男」。長谷川和彦監督。菅原文太、沢田研二主演。菅原文太が不死身すぎるだろっという突っ込みどころをのぞいては、とてもよく出来ている映画で、1979年という古さを感じさせるのは、沢田の髪の長さとか池上季実子の衣装とかくらいで、現代の若者にも見てほしい映画だと思いました。

 まあ、発電所からウランを盗み出すのは、日本では、もう不可能だろうけれど、なぜ政府は原発を手放せないのか、よくわかるストーリー。大学物理程度の理科知識があれば「個人で原爆を作れる」のだから、国家が原爆製造能力=原発で電気を作る能力を独占することが、国家安泰のために必要と、権力側は考えているのだろうととわかる。

 オウム真理教はサリンを作ったけれど、あのまま暴走したら必ず原爆を作っただろう。日本人の命すべてを人質にされたら、政府は「薬漬けのローリングストーンズを呼んで公演させる」程度の要求じゃすまされず、脅迫者の言うままにするしかない。

 さえない理科教師のラジオ投稿ネームは「9番」。「運命」でもあり、9番目の条項でもある。沢田研二は、後年「我が窮状」という歌を作詞して9条を守りたい、という歌を歌うことになります。この「9番」の意味を深く考える人だったのだろうかと思います。

 「八月の濡れた砂」は、テレビ放映で見たことがありますが、映画館で見たことはなかったので、見ました。テレビで見たときとストーリーが変わっている訳ではないのに、ずっとおもしろく見ることができたのは、藤田敏八は、テレビで見る監督じゃないということなのか、と思いました。

「ライブイン茅ヶ崎」は、森田芳光が1978年に8ミリで撮影した映画をデジタル化したものを上映。第2回ピアシネフェスティバルの入選作品。
 森田の地元茅ヶ崎での、「若者の日常」を、特に山も川もなく、淡々と(あるいはだらだらと)つないでいく。映画通から見ると、「の・ようなもの」から「家族ゲーム」に至る森田の才能の片鱗がうかがえて、おもしろいショット、カメラアングルも入っていて、お宝映像らしいのですが、私は、すみません、寝てしまいました。映画通じゃないもんで。

 16時半からトークショウ。森田芳光夫人映画プロデューサーの三沢和子と「の・ようなもの」主演の伊藤克信のトーク。インタビュアーに読売新聞恩田泰子、司会掛尾良夫。
 掛尾は『思い出の森田芳光』を1985年に上梓したが、2011年に61歳で亡くなった森田が、自分自身でこのタイトルを選んだ、というエピソードを披露。

左から、掛尾、恩田、三沢、伊藤(以下の画像、許可なし撮影につき、肖像権の問題あるので、あとで削除するかも)


 三沢は、なれそめから「の・ようなもの」を世に出すまでのさまざまな森田エピソードを繰り出しました。
 伊藤克信の出番があまりないほど、三沢のトーク炸裂。ハイテンションなのは、森田が2011年に亡くなったあと、パートナー不在の穴を埋められない出来た三沢が、ようやく気を取り直して映画作りを始め、クランクアップしたばかり、ということもあったでしょう。とてもおもしろくききました。

 森田監督の経歴には、「日本大学芸術学部放送学科卒業後、駅前雑居ビルの名画座でアルバイトをしていた」という一行があります。その駅前雑居ビルの名画座が、飯田橋駅前のギンレイホールであると、ギンレイの映画通信で読んだことがあるように思いますし、映画通の人には衆知のエピソードなのかも知れませんが、ギンレイに何度かよっても、ギンレイと森田芳光を結びつけるという意識は起きませんでした。
 ギンレイも、映写室の入り口あたりに「森田芳光、ここでバイトしていた」くらい書いてサインいりで飾っておけばよいのに。

 森田監督に特別な思い入れはない私ですが、世に印象を残す作品を生み出す人って、やはり常識人から見ると、一風変わったひとであり、奥さんがそれをフォロー&カバーしてやっと一人の人間として立っていられる、みたいなところがあるなあ、と思いました。

 森田の商業映画第一作『の・ようなもの』の続編『の・ようなもの、の、ようなもの(仮題)』
 監督は森田の助監督を長く務めた杉山泰一。主演は松山ケンイチと北川景子。

 9月30日にクランクアップしたばかり、編集を終えて公開は2015年になるという作品の話を10月5日にきけて、できたてほやほやの湯気が出ている映画話でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「若い力のコンサート」

2014-10-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141022
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>芸術の秋(4)若い力のコンサート

 9月、10月も楽しいコンサートにお出かけしました。9月はオペラサークルの参加者たちが若手音楽家を支援する手作りコンサート。10月は、小学生中学生高校生による吹奏楽とオーケストラ。どちらも若いエネルギーにあふれた演奏でした。

 9月21日、ジャズダンス仲間達と、午後の部&夜の部のおでかけをしました。午後の部はクラシックコンサート。夜の部は「神楽坂散策」です。
 午後の部のコンサートは、「手作りコンサート 」と名付けられた小さなホールの小さな音楽会。オペラアリアを学ぶサークルメンバーが、知り合いの若手音楽家を招き、発表の場を作るとともに、チケット売り上げを自分たちのオペラ練習サークルの活動資金にするという催しを、長年続けています。今回はピアノとバイオリンです。於:王子中央校学校STEPホール。

 T子さんは、私が所属しているジャズダンスサークルの仲間だったけれど、けがをしてダンスはあきらめてしまいました。今は、オペラアリア練習、合唱サークル、図書館で子ども達にお話を読み聞かせするお話サークルなどの活動を続けています。
 T子さんは、けがをしてからも1年以上、練習には参加できないのに「休会費」として活動費をダンスサークルに納入し続けてくれたので、そのお礼の意味もあって、チケット購入しています。T子さんの好意で「会員価格2000円」にしてもらうので、ほんとうにささやかな協力ですけれど。

 曲目は「赤とんぼ」、モーツァルトの「きらきら星変奏曲」など、おなじみの曲が続き、とても楽しい「手作りコンサート」でした。

 10月13日(月・祝)には、「輝く☆未来の星コンサート」というコンサートに出かけました。於;北とぴあ・さくらホール



 滝野川紅葉中学校吹奏楽部は、5月には銀座の柳祭りに出演するなど、吹奏楽の活動で活躍している区立中学校です。今年の中学生吹奏楽地区大会では、惜しくも銀賞受賞で、都大会への出場は「来年がんばろう」ということになりました。
 演奏曲は、スッペの「スペードの女王序曲」。思った以上に上手でした。でも、全国大会出場のためには、まだまだいくつものハードルを越えなければならぬ。たいへんだなあ。

 中学生吹奏楽の全国コンクールは、10月25日に名古屋で行われます。出場校は最後の仕上げで練習していることと思います。中学生といっても、ほんとうに高レベルの演奏です。

 小学生の出演は、桐ケ丘郷小学校吹奏楽部。今年金管バンドから吹奏楽に編成替えをしたばかり、ということでしたが、小学生らしい元気な演奏。ラバンバなどを演奏しました。

 高校生の出演は、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校。ゲイコーと呼ばれるこの高校は、全国から将来有望な音楽家の卵が集まる高校ですから、全員がとびきりの演奏技術を持っています。1学年40人の卒業生のほとんどが、付属の東京芸術大学音楽学部に進学します。

 10月13日は、高関健指揮で、合唱ミサ・ブレヴィス ハ長調 《雀ミサ》 K.220(196b) (作曲:W.A. モーツァルト)と、交響曲第8番 ト長調 作品88 (作曲:A. ドヴォルジャーク)を演奏しました。
 合唱も交響曲も、高校生というイメージでは括れない、プロ並みの音を出し、さすがの演奏でした。

 「輝く☆未来の星コンサート」を終えて帰宅すると、娘と息子が、「NHK全国中学生合唱大会」のテレビ放映を見ていました。私は、小学生合唱大会関東大会の中継録画が放映されたときに見ました。しかし、10月13日の全国中学校合唱大会のテレビ放映は、「輝く☆未来の星コンサート」と重なってしまったので、見ることをあきらめたのです。最後の大合唱の部分だけ、娘息子といっしょに見ることができました。

 娘と息子は、「来年の課題曲作曲者がだれになるか」の予想を楽しみに見ていたのです。去年は、「2014年の課題曲作曲者は、エグザイルが選ばれる」という予想がぴたりと当たって、大喜びしていました。人気とNHK好みであるかどうか、とか、いろいろな要素から推理するのが楽しいんだそうです。
 2014年の課題曲。中学生の部「桜の季節」は、エグザイルの佐藤君の作詞作曲。作詞ATSUSHI作曲ATSUSHI&マシコタツロウ編曲:加藤昌則

 でも、2015年大会の課題曲作曲者はSEKAI NO OWARI。娘は「ウッ、そうきたか。あ~ん、予想できたはずなのに、はずした」と、残念がる。私の合唱の楽しみ方とはちがう楽しみ方ですが、まあいいでしょう。

 50年以上前の昔話になりますが、私は、小学校2年生から中学校3年生まで、毎年NHK音楽コンクールに参加してきました。毎年市内大会では選抜され、北毛地区大会に出場。でも北毛大会では負けて県大会には出場できず、という結果が繰り返され、全国大会なんて夢のまた夢でした。だから、テレビ放映で全国大会なんぞ見ていると、この子たちがどれほど熱心に練習してきたのかと、涙なくして聞いていられないほどです。

 音楽を楽しむ小中学生高校生。ゲーコーのように、全員がプロの音楽家になる、という学校ではなくても、よい指導者に恵まれて、音楽を楽しむ子ども達がすこやかに育っていってほしいと願いつつ、最後の課題曲「ピース」の合同合唱を聴きました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「中国の不思議な役人その他・初秋のコンサート」

2014-10-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141021
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>芸術の秋(3)初秋のコンサート

 私にとっては、「食欲の秋が一番!」といえますが、食欲は秋に限らず一年中なので、ここは「芸術の秋」と言っておきましょう。
 東京は、世界有数のアート都市でもあります。音楽も美術もお楽しみがいろいろです。
 
 空気が悪い、車や人が多すぎる、物価が高いなど、東京の悪いところは多々あれど、少々は東京にいいところもある。東京で暮らすことのメリットのひとつが、無料でまたは低料金で楽しめるコンサートがいつもどこかであること。

 絵が好きで音楽が好きなら、東京で退屈することはありません。自然が好きな人には物足りない環境ですが、前回のシリーズで紹介したように、カワセミが見られる自然もあり、駒場野公園の田んぼ、後楽園庭園の田んぼなど、ほんのままごと程度ながら田植え風景稲刈り風景を楽しめる公園もあるので、散歩環境もそれなりに。

 夏から秋にかけて、無料コンサートいろいろ楽しみました。
 一年中、無料でアマチュアの演奏家による演奏会が開催されています。日本のアマチュア音楽演奏レベルは、とても高いものだと感じます。日本でクラシック楽曲の練習をする層がそれほど厚いということでしょう。各区や市町村それぞれにオーケストラがあり、室内楽サークルがあり、大学ごとにオーケストラがあって定期公演会をしています。

 8月31日に、友人から招待券を譲ってもらい、「都民交響楽団」の第118回定期演奏会に行ってきました。「都民交響楽団」は1948年に創立され、以来66年間アマチュアとして練習演奏を続けてきたオーケストラです。
 私は、はじめて聞きました。

 8月31日の曲目は、指揮・末廣誠による、バルトーク『舞踏組曲77番』組曲『中国の不思議な役人』、ブラームスの『交響曲1番ハ短調』
 『中国の不思議な役人』は、もともとバルトーク作曲、メニへールト脚本のハンガリーのお芝居。原題はmandarin(マンダリン)。

 北京標準語のもとになった北京官話のことを、マンダリンと呼ぶことがあるのですが、マンダリンとは、中国宮廷につかえる官僚のこと。
 皇帝のおそば近くにつかえる高級官僚となると、その多くは宦官でした。19世紀西欧ではマンダリンという語から、真っ先に連想するのは「去勢を受けた役人」ということ。それで、日本語のタイトルは、直訳的にいうなら「中国の宦官」になるべきところを、「中国の不思議な役人」としたのでしょう。

 際物やフリークが大好きだった寺山修司が、mandarin(マンダリン)を下敷きにした『中国の不思議な役人』を初演したのは1977年。私が見たのは、1978年の再演だったかと思います。中学校演劇部で指導した子が出演していたからです。ほとんどセリフのない役でしたが、寺山はオーディションで、彼女のガリガリにやせた体を気に入り、セリフ練習などはいいから、「その体型を維持すること」という採用条件を出したのだそうです。劇には、「超太っていて身動きできない肉のかたまり」のような女性や、いわゆる倭人(こびと。政治的に正しい言い方だと、身長発達にご不自由な方)などが入り乱れて出演し、まか不思議な舞台空間だっと今でも印象に残っています。

 殺されても殺されても死ぬことができずに蘇ってしまう役人。真の安らぎを得て死ねるのは、純粋な少女に真実の愛を与えられたときのみ。って、100万回生きたネコみたいですね。
 今回のオーケストラはバルトークの曲のほうですから、寺山ほどの猥雑さやエロスはなかったですけれど、難しいメロディや複雑なリズムを、じょうずに演奏していました。

 ブラームスの交響曲1番の4楽章の主題、大好きなメロディです。鼻歌で口ずさみやすいメロディ。
 第1番の作曲にあたって、ブラームスは、ベートーベンを意識したと言われ、べートーベンが残した未完成の曲を引き継いだという意味で「ベートーベンの交響曲10番」と呼ばれることもあるのだとか。ブラームスは、交響曲を書くからには、ベートーベンに匹敵する、あるいは超える作品を書きたいと願い、何度も楽譜を書き直して、完成までに20年を要したそうです。

 う~ん、完成までに20年か、、、、、20年の間には、ほかの曲も作っていたのですけれど、それだけ思い入れのある作品を残せたってこと。
 ブラームスは、日本に来たシーボルトの従姉妹と婚約したけれど破談にして、生涯独身ですごしました。理由は、シューマン未亡人クララを慕い続けたからだ、とうわさされました。

 ブラームスの子孫にあたるヘルマ・サンダース=ブラームス(1940-2014)が監督した映画『クララシューマン愛の協奏曲』は、ブラームスが生涯を通じてクララに純愛を捧げた、というストーリーでした。

 テレビ放映で見たのか、ギンレイホールで見たのか忘れましたが、ともに音楽を語り合える愛、クララが死ぬまで続きました。14歳年上のクララが亡くなると、ブラームスもまもなく亡くなっています。むろん、「いや、二人は恋愛関係などではなかった、あくまでも友人だった」という見方もあります。しかし、それが恋愛感情だったにせよ、純粋な友情だったにせよ、他の女性には目もくれず、クララと交友を続けたブラームスの一途さは、20年の間、第1交響曲の作曲を続けた粘り強さとともに、印象に残りました。

 20年書けて成し遂げるほどのことは何も持たない私ですが、よい音楽に身を浸せば、さて、あと20年くらいはよぼよぼとでも生きていこうという気持ちがわいてきます。
 都民交響楽団のみなさん、よい音楽をありがとうございました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「民俗芸能 in としま」

2014-10-19 00:00:01 | エッセイ、コラム

秩父屋台囃子高野右吉と秩父社中

20141018
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記芸術の秋(2)民族芸能in としま

 ジャズダンス仲間のTTさんに誘われて、10月18日土曜日、豊島公会堂で「民俗芸能 in としま」という公演に行ってきました。TTさんが観覧はがきを応募して、2人入れるのだけれど、いっしょに行くはずだったご主人が行けなくなったので、いっしょに行かないかと誘ってくれたのです。

 池袋のとしま公会堂、老朽化したために2015年の、新豊島区役所移転に合わせて公会堂も新施設に移転。今回は、古いとしま公会堂で行われる最後の民俗芸能公演になる、ということでした。
 豊島区の民俗芸能公演は、今年26回目になるそうですが、私はこれまで見たことがありませんでした。

 民俗芸能というと、各地の祭り囃子や盆踊り、お神楽、農村歌舞伎農村能狂言、人形芝居などさまざまなものが思い浮かびます。
 昔、演劇学を学んでいた頃、岩手の遠野に伝わる早池峰神楽を見に言ったり、木曽の山奥の花祭りを見に行くなど、民俗芸能のおっかけをした時期もありました。芸能人類学という分野をやってみたかったのです。

 私が「芸能人類学」を志した1970年代に、大学でこの分野を専門に扱う学科はありませんでしたし、専門科目に「芸能人類学」という講座を持つ大学もありませんでした。もし、この分野でしっかりと自分のやりたいことを追求できていたら、、、、と思うこともあります。しかし、1979年にケニアに行って東アフリカの民族舞踊をちょこっと練習しただけで、なにも究めることもなく、ライオンシマウマなど動物を見て、「熱中時代特別編」のケニアロケのエキストラをして楽しくすごしただけで、帰国。ナイロビ到着初日に出会ったタカ氏と結婚して、、、以来、芸能人類学とは縁が切れました。

 今では、出講している大学にも「芸能人類学」という科目があり、若い研究者が育っています、、、、やりたかったな、芸能人類学。

 1時にとしま公会堂につきました。公会堂エントランス脇にいわき物産即売所があったので、なしを3個買いました。750円。
 エントランス前で秩父屋台囃子が「開演前演奏」をしていたので、聞きながら入場列に並ぶ。並んでいるのは婆さんじいさんばかり。そりゃ、若い人は民俗芸能よりJポップやらエグザイルやら、でしょうね。


エントランス前での秩父屋台囃子演奏


 「撮影許可を得た人以外、撮影禁止」というので、受付の人に「撮影許可は誰に申請するのですか」と、おたずねしたら、名前も聞かずにすぐに「撮影許可」と書かれた札をくれたので、首から提げました。

 1時半開演。福島県いわき市に伝わる重要無形文化財「御宝殿熊野神社稚児田楽・風流」から始まり、地元豊島区の伝統芸能、富士元囃子寿獅子と長崎獅子舞。

いわき市稚児田楽

富士元囃子


 休憩をはさんで、秩父屋台囃子。このお囃子は、秩父夜祭りの山車の下に隠れてお囃子をするそうで、太鼓を床に置き、叩き手は、床に寝そべって演奏する、というスタイルでした。社中を率いる高野右吉さんは、鍛えた腕も力強く、育てている若手とともに、力強い演奏を聴かせてくれました。



 私は林英哲の和太鼓演奏も好きだし、芸大パーカッション専攻の演奏会なども聞きに行きます。打楽器の響きが好きなのです。
 秩父屋台囃子、勇壮で迫力のある演奏でした。

 最後は古田人形芝居。長野県箕輪町の無形文化財です。舞台準備の間、人形をどうやって操るのか、主使い(首と右手)、足使い、左手使いが、それぞれの動きを見せてくれました。3人使いの人形で、文楽と同じです。本家の文楽も、行政側が「客が入らない文楽に補助金はださない」と、文化軽視の政策を進めてきたので、この先どうなるかわかりませんが、古田の人形は、町の誇りとしてみなで保存していこうという心意気が感じられました。

三味線と太夫


 演目は「生写朝顔話 宿屋の段」
 恋しい人を探している盲目の琴奏者の深雪。恋人だった宮城阿曽次郎。薄幸な娘のけなげなしぐさを、人形は感情をこめて表現していました。



 終演後は喫茶店でTTさんとおしゃべり。いつもコンサートや美術展にいっしょにおでかけのご夫婦なのに、今日いっしょに来られなかったというので、理由をきくと。ご主人は尺八演奏が趣味。お友達に誘われて、尺八の演奏会に出演することになったのだそうです。お友達の車が迎えに来たので、ご主人を送り出してから、としま公会堂に来たということでした。

 古典だけを演奏する流派だそうで、「どの曲も全部おなじに聞こえて、眠くなっちゃうから聞いていられない」
 私も「藤原道山はイケメンだから好きだけれど、古典の曲ばかりだったら、私も寝ちゃうかも」と言いました。どうも、古典曲に素養がない。
 伝統芸能の稚児田楽や人形芝居も、すみません、途中うとうとしました。生写朝顔の話、第二幕大井川の段が始まって深雪さんが川の渡し場に来たな、と思ったら、次はラストシーンでした。途中の話、どういうあらすじだったのやら。すみません。

 TTさんが続けている反原発の集会のことなど、いろいろお話をうかがって、10月18日土曜日も、「芸術の秋」を堪能する楽しい一日になりました。(芸術堪能&睡眠不足解消堪能)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「古事記by東京ノーヴィ・レパートリィシアター」

2014-10-18 00:02:17 | エッセイ、コラム
20141018
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十四事日記芸術の秋(1)古事記by東京ノーヴィ・レパートリィシアター

 友人K子さん出演の演劇公演『天と地のいのちの架け橋ー古事記』、10月7日から13日まで7日間、両国のシアターカイで上演されました。


 キャリア公務員だったK子さん。国家公務員として地方に転勤していた時代も長かったので、44年の間には交流のない時もありましたが、公務員を退職してマンションに悠々自適の暮らしになってからは、K子さんにも時間の余裕ができおつきあいも頻繁になりました。
 よく聞く話では、仕事人間だった男性は退職後のたっぷりした時間をもてあましてしまうことも多いとか。でも、K子さんは、現役時代は有能なキャリアであった力を、退職後は別の生きがいに注ぎ始めました。

 K子さんはかって情熱を注いだ「演劇」を復活させました。演劇のワークショップに参加したり、戯曲の研究会に出かけたり。
 そして、ある劇団のシニアワークショップに参加して以来、今はその劇団の「第二スタジオ所属女優」になっています。
 本人は「ほんとうは演出を学びたい」と言っていましたが、今はまだ演出をやらせてもらえるにはほど遠いから、「下積み」として、劇団の仕事を何でも手伝うのだ、と話しています。

 東京ノーヴィレパートリーシアターは、下北沢に客席数26席という劇場を持つ、ミニシアターです。常打ちの客席数こそミニシアターですが、ロシア演劇のスタニスラフスキーシステムによる演技指導と演出を、レオニード・アニシモフが担当し、チェホフから近松まで、さまざまな演劇作品を上演してきました。

 K子さんは、シニアワークショップに参加して演劇の勉強を再開し、シニアワークショップメンバーによる第二スタジオ公演『鼬』では主演をつとめました。
 今回は、第二スタジオ所属ながら、劇団本公演での出演ですから、K子さんも1月から10ヶ月間の準備を費やして力をいれてきました。

 今回の公演のために、はやくから「古事記にふさわしい音さがし」をはじめました。ロシア人演出家が「古事記を、ふつうの台詞劇ではなく、古代の儀式のような形で上演したい」という構想をもち、劇団員やワークショップ参加者には「古代っぽい音さがし」が課題となりました。鈴や太鼓、鐘など、劇団員が「古代的な響き」と持ち寄ったさまざまな音。K子さんは、アイヌのムックリを「古代の響きがする音」として選びました。

 今年のはじめ、1月にK子さんに会ったとき「これからムックリの演奏を習いに行くの」と言っていました。
 ムックリは、アジアに分布する口琴のひとつ。竹や木のへらに弦をつけ、弦を手でひっぱって音を変えながら演奏します。
 口琴は、台湾、ネパール、パプアニューギニアなどに広く分布しており、アジアの文化のつながりと広がりを感じさせてくれる楽器です。
ビヨ~ン、ビョンブンブンという音の響きが、ほんとうに原始古代から連綿と続く古い文化の伝統を感じられる音です。

 6月には、シアターカイでプロローグ公演がありました。そのときの報告は下記に。
http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/51b9735d70d0e6788d165aadbd25145d

 今回は、6月にプレ上演された第一部イザナギイザナミの国生みと黄泉の国めぐりのほか、アマテラスとスサノオの争い、天岩戸隠れと太陽神の復活までが上演されました。

 1974年の卒業論文で『古事記』をテーマにした私、古事記には、ちょいとウルサイ。8世紀に成立した最古の日本語文による古典、さまざまな解釈がありますが、演劇である物語をどう表現しようと、それは劇作家演出家の表現です。シェークスピアをSFでやってもいいんだし。
 ただ、今回の公演台本のもとになっているセルゲイ・ズーバレフの『豊葦原の国にて』にも、鎌田東二の「超訳古事記」にも、「それはナイわぁ』という部分が感じられます。いいけれどね。それぞれが自分の『古事記』を構築して。

 アニシモフの演出は独特でした。舞台に20人以上の、白い服を着た男女が座っています。お面のように顔の前部分だけを白塗りにして、埴輪のような笑い顔を作って、その表情を2時間崩さないでいたので、演じる方も大変だったろうけれど、見ている方はお面が同じ表情を続けるのは平気なのに、生身の人間がずっと同じ表情でいることに少々疲れました。
 埴輪のようなアルカイックスマイル、というより、人形よりも不気味な笑顔になっていました。

 太安万侶と稗田阿礼が舞台上手にすわり、ストーリーを歌い上げていきます。舞台では能とお神楽を足して2で割ったような仕草を、第一部ではいざなぎいざなみが、第二部ではスサノオアマテラスが演じます。

 K子さんは、上手奥にすわって、お囃子を担当。ムックリを響かせました。ちょうど、私の座った席から、K子さんのお顔がよく見えました。
 なにごともきっちり学ぼうとするK子さんですから、ムックリ演奏を習いに行って、いまではアイヌ文化についてとても詳しくなったそうです。そういえば、K子さんは北海道の出身でした。

 舞台の最後は、天岩戸からアマテラスが出てきたことを表して、舞台上の白装束の人々が鏡をだして、照明を反射させ、観客の顔にピカピカ光をあてました。
 太陽復活、よかったね、という祝祭感がもっとほしいと思っているうちに、あっさりと閉幕。カーテンコールのご挨拶があっておわり。
 とても「静かな演劇」と、言えるのでしょうが、芝居がはねたあと、両国駅へ向かう交差点で青信号を待っている間、劇団のパンフレットを持った若い観客が話しているのに耳そばだてていると「なんだかよくわからなかったな」「けっきょく何を表現したかったんだろう」と、話し合っていました。

 そうか、私には古事記ストーリーは周知のことであり、神々の名がずらずら並べられても、それもなじみの名前ですが、古事記に親しんでいない人にとっては、内容をくみ取ったり、演出家の意図を推しはかったりするのも大仕事なのだろうなあと思いました。
 スーパー歌舞伎での、ヤマトタケルが空中を飛び回るような演出のほうが、観客にはうけるのだろうけれど。

 私としては、それぞれの解釈によって古事記が映画や演劇になるもよし、若い人の古事記研究がどんどん深まり広がってきて、出雲王権、吉備王権などとの関わりが解明されてくるであろうことも楽しみ。古事記の世界が広がるだろうと期待しています。

 『古事記』は、言語学からも神話学からも、民族芸能学さまざまなアプローチが可能な、埋蔵量たっぷりの鉱脈です。まだまだ掘れば出てくる宝の山。私にはもう、ツルハシふつって一山あてる気力体力は残っていませんけれど。

 秋の一日、両国伝統祭でちゃんこを食べて、演劇を見て、よい休日でした。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「旧安田庭園&大江戸伝統祭」

2014-10-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20141016
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>小さい秋みつける散歩(4)旧安田庭園&大江戸伝統祭

 10月11日、両国のシアターカイに行き、K子さんが出演している演劇を鑑賞。
 開場時間より少し早めに両国につきました。ちょっと遠回りして、旧安田庭園を歩きました。
 旧安田庭園は、大名屋敷として本庄松平氏、岡山池田氏が所有したのち、明治半ばに安田財閥が入手。1922(大正22)年に、東京都に寄贈されました。1967(昭和42)年から墨田区立公園に。



 かっては、隣接して流れる隅田川が、満ち潮引き潮によって水位が変わることを利用した潮入り庭園でした。現在も地下水利用ながら潮入りを再現しているそうです。池には鴨が泳ぎ、石の上では亀が甲羅干ししていました。のんびりした光景です。
 庭園内、あまり秋っぽくはなかったけれど、両国公会堂の丸い姿が池に映り、その影の中を鴨が泳ぐ時間の流れ、ゆったりとしていて、演劇公演前のよいプロローグになりました。

 シアターカイのビルの前で、毎年恒例という「大江戸両国伝統祭」が開催中でした。
 開演までの時間、伝統祭を楽しみました。



 仮設舞台では薩摩琵琶が演奏されていました。太平記の一節。昔の興業では、太平記語りを上演していて客の入りが悪くなると「本日より、正成登場」というのぼりがたったそうです。女性の琵琶奏者が語っていたのも、太平記いちばんの人気演目のひとつであろう桜井の別れ。



 薩摩琵琶を聞こうという観客は中高年ばかりです。高齢者のなかでも、教科書で楠親子の桜井の別れをならったという人はもう少ないんじゃないかと思います。戦前の修身教育とか国語教育で桜井の別れを習ったというのなら、もう80歳を超えているだろうし。

 実をいうと私は太平記を全巻読み通したことなし。ところどころのストーリーは知っているし、南北朝の戦いのおおよその推移は歴史本で知っている程度。文学としては、『平家物語』は原文で読んだけれど、『太平記』は現代語訳や吉川英治の新太平記も読み通していません。

 でも、「♫青葉茂れる桜井の里のわたりの夕まぐれ~」という歌のおかげで、琵琶の語りの内容は理解できました。♫あおばしげれるさくらいの~」は、まりつき唄のひとつでした。
 戦前教育では忠臣の鑑、七生報国の英雄として扱われた楠正成ですが、今時の若者は、楠正成も桜井の別れも「誰?それ」だろうと思います。

 両国の伝統祭、工芸品やおみやげのお菓子もいろいろあったなかで、私は「ちゃんこ寺尾」の出店でちゃんこをいただきました。500円。醤油味、肉団子、白菜などのちゃんこでした。
 芸術の秋も伝統芸能の秋もいいけれど、やっぱり一番は食欲の秋です!



 両国から家に帰ると、ドンドンと大きな音。荒川の河原で花火大会が行われているのが遠くに見えました。秋の花火もいいものです。

 

<おわり>
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ぽかぽか春庭「都市農業公園&荒川散歩」

2014-10-15 06:12:00 | エッセイ、コラム

台風一過の都市農業公園

20141015
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>小さい秋みつける散歩(3)都市農業公園&荒川散歩

 10月13日の夜から東京の風波強くなりましたが、14日未明に通り過ぎ、朝には青空となりました。14日の朝は通常通りでした。
 10月6日月曜日。台風18号、本州上陸。金曜日から気をもんでいましたが、月曜朝6時半に、「本日、全学休講」のお知らせが届きました。今日仕事出来るかどうかによって会社の命運が変わる、という企業だと、電車が止まろうが自宅が床上に浸水しようが出社しなければならない、というところもあるでしょう。大変ですね。その点、大学は「交通が乱れる」という一報が入りさえすれば、休講になるので、無理して出かけなくてもいい、、、なんだか申し訳ないような、、、、、被害に遭われた方々、ほんとうにお気の毒なことでした。

 午前中、東京も激しい雨と風。時折雷鳴。首をすくめて部屋の中にいました。月曜日が休講になったために、初級クラスの受け持ち分担が替わり、10月2日に、夜8時まで講師室に居残って授業準備をしたのが、すべて無駄になりました。まあ、実際の台風被害に比べれば、授業準備に費やした8時間が無駄になった、、、くらい、たいした被害ではないです。

 10月6日午後1時半の時点で、空はまっさおに晴れ上がっていました。子どもの頃、台風が通り過ぎたあと、利根川の増水を見に行くことが好きでした。今なら、子どもがそんなことするなんて、危険だから絶対にいけない、と禁止されることだと思います。むろん、昔だって、誰にも言わずにひとりでこっそり見に言ったのです。見つかったら止められるのはわかっていたから。
 増水した川は、日頃姉や妹と河原で「おべんとごっこ(おにぎり持ってのピクニックをこうよんでいた)」をしたりして遊ぶときの様子は一変して、ごうごうと激しい流れになっていく変貌ぶりが子供心に恐ろしくもあり、同時に特別な自然の威力を感じさせる魅力に満ちたものでした。

 10月6日月曜日の午後、荒川を見にいくことにしました。
 足立区都市農業公園。市民ボランティアなどが畑を作ったりして、都会の子ども達が農業にふれられるようになっている公園です。

都市農業公園に移築復元された農家


 半分は刈り取られている稲田。半分はまだ稲刈り前でしたが、稲は強い風に耐えて、倒れずに実りを保っていました。





 まだ蚊がいるので、念のために温室の入り口にあった蚊よけスプレーを全身に。ついでに、今まで入ったことがなかった温室の中の花を見ました。温室の花ですから、あんまり、秋っぽくはないですが。

  

 荒川の側にあるコスモス花壇は、すっかり倒されて、コスモスもしおれていました。レストランは臨時休業をしていました。
 昔、幼い子ども達をつれてこの農業公園に遊びに来たときは、いつもおにぎりなどを持ってきて、レストランに入ったことがなかったので、今まで気づきませんでした。レストランの2階展望席から富士山が見えるのです。台風が東京の汚れを洗い流したとみえ、西の空にうっすらと富士山が見えました。



 荒川土手を自転車で走りました。すすきはまだ穂先が開いていないところが多かったです。一時期すたれたように思えた外来植物の代表ブタクサ(セイタカアワダチソウ)がまた勢力を盛り返してきたようで、黄色い花が河原に広がっていました。
 野球場もサッカー場も、まだ水がひいていません。でも、増水はそれほどでもない。よく考えたら、子どもの頃の田舎の上流では、台風が過ぎ去ればすぐに増水していたけれど、このあたりでは、台風が過ぎ去ったからといって、すぐに増水するわけではないみたい。たぶん、増水するのは、翌日くらいなのかも。



 下流に向かって左側の土手を走り、西新井橋で折り返しました。久しぶりの荒川土手サイクリング、楽しかった。



 ジョギング、ウォーキング、ローラースケート、犬の散歩、しだいに川辺に出てくる人たちもふえてきました。
 でも、よいこのみなさんは、台風のあと川に近づいてはいけませんよ。

荒川にかかる橋の下


<つづく>
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ぽかぽか春庭「小石川植物園秋の花」

2014-10-14 00:00:01 | エッセイ、コラム

小石川植物園のオミナエシ

20141014
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>小さい秋みつける散歩(2)小石川植物園秋の花

 8月7日の立秋から1ヶ月たっても、まだまだ暑くて、9月4日の小石川植物園。最高気温は30.8℃の真夏日、最低気温 24.7℃ 。9月4日はまだまだ秋というには暑すぎました。しかし、花や木はもう秋の装いを始めていました。

 植物園のいいところは、木や花にひとつひとつ名前の札がつけられていることですけれど、私はいつまでたっても木の名も花の名が覚えられません。
 植物園の立て札で名前を知ると、ひとつりこうになった気がするのですが、3歩あるくと忘れてしまいます。
 ↓の写真、名が書いてないものにつき、植物名昆虫名など一応調べたのですが、調べ方も雑なので、わかりません。ご存じの方、お教え願います。文字で書き留めておけば忘れないと思うのですが、、、、それでも知らないままにしておくより進歩かも。 

ミソハギ


タカアザミ

キンミズヒキ


クサギ

やさいの花 ニラとヤマウド
  

秋の花なんだか、夏の花なんだか、よくわからんが。
  
  

 秋の実り
紫式部

ヒメザクロ

ヤマナシ(と、思うのだけれど、ちがうかも)

ハナスオウ

ヤマハゼ



 デング熱媒介の蚊、新宿公園にまで拡大というので、平日の小石川植物園もあまり人がいませんでした。園内で、蚊には食われましたけれど。1ヶ月過ぎても体調OKなので、大丈夫そうです。草や花があれば、虫はいる。

アザミの花に惹かれてやってきたツマグロヒョウモンチョウ(雌)

蜜を吸う蜂(オミナエシに来る黒い蜂、調べたのですが、名前わからず)


<つづく>
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ぽかぽか春庭「小さい秋みつける散歩・後楽園の彼岸花」

2014-10-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

後楽園の池にいたカワセミ

20141012
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>小さい秋みつける散歩(1)文京区後楽園の彼岸花

  すみともさんのブログで彼岸花の美しい写真を見て、「わあ、ステキ!私も彼岸花見て秋を感じたいなあと、思いました。

 埼玉県日高市には「巾着田」という曼珠沙華群落の名所があるのですが、見たいみたいと思いつつ、まだ訪れたことはありません。いつかそのうち、、、、
 せめて、近場で曼珠沙華が咲いているところ、、、、
 都内ですぐに行けるところで思いつくのは、いつもの公園。

東京ドームの白い屋根と文京区役所シビックビルがみえる後楽園庭園


 9月28日に飯田橋に映画を見に行ったかえりに、後楽園庭園に寄ることにしました。
 前回は、2月の梅のころに、教え子のチェコ人一家を案内したのでした。2月の後楽園は冬場の人が少ない時期ゆえに工事があちこちで行われており、池の水は抜かれている状態でした。せっかく日本庭園の美しさを味わってもらおうと思ったのに、ちょっと残念。

 今回、後楽園の園内は、3.11の地震で倒れた灯籠や石橋などの修復、耐震化の工事などがあらかた終わっていました。秋の風情、曼珠沙華は盛りを過ぎたところだし、園内の田んぼの稲刈りは一週間前の日曜に終わったところだというし、ちょっと間が悪かったのですが、小さな秋を感じることができました。


 日本人は桜のころ、紅葉の頃にこの庭園を訪れるのを楽しみにしていて、他の季節にはあまり来ないということもあるでしょうし、都内公園のデング熱を運ぶ蚊の騒動があったせいか、園内には外国からの観光客らしき人の姿が目立ちました。おそらく、国内在住の人は、「もう絶対に蚊が出ない」という季節まで、都内の公園には近づきたがらないのかと思います。

 観光客ではないだろうと思う人たちは、池のまわりに固まっていました。みな、三脚を立て、大型の望遠カメラを構えています。何事かと思っておたずねしたら「かわせみが来ているんです」ということでした。
 私も池のふちからのぞくと、いました。

 私、生きているカワセミを初めて見ました。カワセミは川の清流で魚をとって生きるため、きれいな川のあるところにしかないだろうと思いきや、ずいぶん前に、白金の自然教育園に住みついているカワセミがいることを、知りました。自然教育園のカワセミ写真の絵はがきを買いましたが、何度自然教育園を散歩しても、実際にみたことはありませんでした。

 葛飾区の水元公園は、「カワセミの里」という施設を作って、カワセミが暮らしやすいように水をきれいにしているそうです。明治神宮、港区野鳥の森公園などにも飛んでくることがあるそうです。

 写真を撮っている人に「どうやって、どの公園でカワセミの写真が撮れるか情報を集めるのですか」とお聞きしたら、「都内、公園、カワセミ」とでもキーワードを入れると、カワセミ写真を掲載したブログがたくさんヒットするから、バードウォッチャーや野鳥写真趣味の人たちは、毎日情報を見て公園通いをしている、ということでした。

 私の荒い画素の写真ではズーム最大にしても、カワセミの姿を鮮明に捕らえることはできませんでしたが、生まれて初めて「鳥の宝石」と呼ばれるカワセミを写真や剥製ではない、生きている姿を見ることができたので、うれしかったです。



 
 後楽園庭園の稲のハサ
  

 彼岸花とカワセミ。小さな秋の一日をすごすことができました。

<つづく>
コメント (5)
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