2020211017
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(5)人生、下り坂サイコー!片っぽの靴も大事
旅に出られないコロナ禍の日常。テレビで見る旅番組も増えています。これまでも関口宏息子の海外鉄道旅、鉄道カメラマン精也の「鉄道撮影旅」、岩合さんの猫歩き旅、街角さんぽもあれこれ見て、「行ってみたいなあ」という場所が増える。
自転車で日本全国旅する「こころ旅」という番組で私と同じ年の火野正平さんが登り坂のときはヒィヒィいって漕ぎ、下り坂になると「人生、下り坂サイコー」と叫ぶところが好き。
火野さんも春庭と同じ年齢だから72歳。もはや人生下り坂。
人生坂道は、自転車で地球の高低エネルギー利用して疾走するのも気持ちいいし、とぼとぼ歩いて下るのもまたよし。
手首骨折で人生下り坂を実感した春庭。この先はゆっくりゆったり進んでまいります。
とりあえずの目標は、夫の母が達した90歳かな。(姑の姉は今年100歳で存命)
姑は90歳で心臓ペースメーカーの手術を受けたあと、「デイケアセンターでリハビリするほか、毎日歩いて鍛えるから」と、何足かウォーキングシューズを買いました。なんとか歩けるようになり、娘の付き添いで買い物にもでかけていましたが、91歳目前に突然亡くなってしまいました。私はミャンマー赴任中で、葬儀に出ることができず、納骨式になんとか休暇をとって帰国したのみ。娘がすべてを差配しました。
姑のスニーカーが玄関の靴入れにしまい込んだままになっていましたが、スポーツ大会を機に娘に言いました。「これ、買ってからそんなに何回も履かなかった靴だけど、私もサイズ合わないし、お父さんは婆ーちゃんの服とかタンスに入っているもの処分してくれと言うばかりで、自分じゃ何もしない。このスニーカー、スポーツ大会で体育館履きを忘れた学生用にあげてもいいかな」と、4足ほど日本語学校に持っていきました。
スポーツ大会では、学生はみな体育館シューズを用意していましたので、持ってこなかった事務のベトナム人先生に使ってもらい、「ここまで運んできた甲斐があった」と思いました。4足いれたつもりなのに、3足になっていたことにはまったく気づいていませんでした。
10月7日夜「〇〇さんのお宅ですか。こちら〇〇警察署です」という電話がありました。ほほう、「あなたのカードからお金が不正に引き出されています。新しいカードをお届けしますので、暗唱番号をご確認ください」とかいう新手の詐欺かも、と思って身構える。
警察職員を名乗る女性は「中に名字と電話番号が書かれた靴片方が、届けられているのですが、お宅様のものでしょうか」
靴の特徴を聞くと、たしかに姑の靴のよう。でもなんでかたっぽだけ落とした?
どうやら私が日本語学校に靴を運ぶ途中、袋から片方が落ちたらしい。片方だけ玄関に残っていたので、変だなあ、どうして片っぽが残っているんだろうと不思議に思った靴でした。
私はもう履かない靴だし、片っぽを警察署まで取りにいくのも面倒だから「処分していただくこともできますか」と聞いてから、電話を娘に代わり、手続きなどを聞いて、警察署の電話番号を聞いてもらう。靴箱の片っぽ残っている靴を娘に見せました。
娘は、ご飯の前に「母にはわからないことだろうから、言っておきます」と涙ぐみながら話し始めました。「このスニーカーはね。おばあちゃんといっしょに買った靴なの。リハビリのために歩きたいけれど、普段は23.5センチなのに、今までの靴じゃむくんだ足が入らない、24センチの靴買いたいからいっしょに靴屋さんまで来てねっていうから、足に合う靴探して買ったものなんだよ。母にはなんの思い入れもない古靴だろうけれど、私にはおばあちゃんとすごした時間の大切な思い出。母は気安く処分してくださいとか警察に言おうとしていたけれど、留学生の役にたつならあげてもいい、って言ったけど処分していいって言ってない」と泣く。
私は、夫から「ばーちゃんの服とか靴とか、使えるものは使って、使えないものは捨てて」と言われてきたのだけれど、服も靴もほとんどタンスや靴箱にしまったままにしておいたのです。片づけが大嫌いなもので。だけど、靴もだんだんには処分しようと思っていました。
しかし、私のミャンマー赴任中もその前も、ひとりで姑の介護を引き受けてきたいわゆる「ヤングケアラー」としてすごした娘にとっては、古靴ひとつも、おばあちゃんの介護に尽くした時間の思い出だ、ということ、私には思い至っていませんでした。
私には「夫に処分しろと言われ続けたのに、面倒だからそのままにしてきた古靴古服」でしかない代物。娘には「おばあちゃんとすごした時間の思い出の靴」。娘の気持ちを思って謝りました。
気丈な姑は2007年、私の中国赴任中にたったひとりで、家の改築をやり遂げたのです。四隅の柱4本だけ残して、あとは新しくする「新築そっくり家」という改築でした。今は私がその家に住んでいる。姑に感謝。
娘が〇〇署までバスに乗って受け取りに行くことになりました。
それにしても、道端に落ちていたという片っぽだけのスニーカーを拾って交番に届けた人はどんな人。
姑は、デイケアセンターで言われ通り、衣服や靴、傘タオルに至るまで必ず名前と電話番号まで書き込んでいました。拾った人は、なぜ片方だけなのかわからないものの、きちんと名前が書いてあるからには大事な靴なのだろうと判断したのでしょう。
娘が「私の身分証明書はここの住所じゃないし、靴の持ち主の孫だっていうことを証明するものがない」というので、「玄関に残った靴の片っぽを持っていけば、一目瞭然一足の靴だってわかってもらえる」とアドバイス。
警察への電話で、姑の死亡が確認できる書類が必要になるとのこと。正直に姑のものだと言わずに、私のものだ、ということにしておけば面倒がなかったのに。
娘は万端処理して、警察署で片っぽの靴を受け取ることができました。
私は子供のころからぼうっとしていて、よく落とし物をしました。千円札を手に握りしめて本を買いにいき、本の背表紙を夢中で見ている間に、手の千円札が消えていたり。
最近ではコンサートにいって、ポスター写真を撮るためバッグを床に置いて撮影。コンサートを楽しみ、2時間後に帰ろうとしてバッグがないことに気づきました。財布も銀行カードも入っていたバッグです。あわてて会場受付に駆け込むと、ちゃんと届いていてありがたかった。
日本では、現金以外はほとんどの落とし物が警察に届けられて戻ってくるという話をすると、留学生たち半信半疑です。そもそも交番がない都市が多いので、拾ったものを遠い警察署まで持っていくのがたいへんだという国が大半。
拾ったときは「神様。私のためにありがとう」と言って、使えるものはもらうし、いらないものはそこに置いておけば、だれかそれを入り用な人が「神様ありがとう」と拾っていくのだそう。
日本は落語の「芝浜」に描かれたように、交番制度などなかった江戸時代から落とし物は持ち主に届けられてきました(町内ごとに番屋あり)
落としたバッグも靴の片っぽもとちゃんと届く国ニッポン。私もときどき駅のホームで拾ったものを駅事務室に届けていますが、神様は届けた私をちゃんと見ていたのだと思い、片っぽの靴拾ってくれた人に感謝しました。
警察に受取りに行った娘が聞いた説明によると、拾ったのはパトロール中の警察官だったそうです。そうだよね。普通の人には「片っぽ靴」なんてただのごみ。おまわりさん、ありがとう。
落とし物始末も、その他もろもろ全部に感謝です。手首骨折も、もし尻もちのお尻の骨や股関節を傷つけていたら歩けなくなるところだったかもしれません。
下り坂をゆっくりゆっくり気をつけて降りていきます。
<おわり>