春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2021年10月目次」

2021-10-31 00:00:01 | エッセイ、コラム

20211031
ぽかぽか春庭目次>2021年10月目次

1002 ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日誌>2021日本語学校スポーツの秋(1)スポーツ大会やります
1003 2021日本語学校スポーツの秋(2)教科書で学習するスポーツ&ラジオ体操指南
1005 2021日本語学校スポーツの秋(3)年寄りの冷や水
1007 2021日本語学校スポーツの秋(4)スポーツ大会
1009 2021日本語学校スポーツの秋(5)日本の伝統スポーツ

1010 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(1)大相撲観戦
1012 2021二十一世紀日記秋(2)ディズニークラシックコンサート2021
1014 2021二十一世紀日記秋(3)左手生活
1016 2021二十一世紀日記秋(4)バースデーディナー in 帝国ホテル
1017 2021二十一世紀日記秋(5)人生、下り坂サイコー!片っぽの靴も大事

1019 ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩夏(1)広島美術館コレクション展 鴨居玲礼賛in そごう美術館
1021 2021アート散歩夏(2)サーリネンとフィンランドの美しい建築展 in パナソニック汐留美術館
1023 2021アート散歩夏(3)グローバル化時代の現代美術―“セタビ”のコレクションで楽しむ世界旅行 in 世田谷美術館
1024 2021アート散歩夏(4)ルネ・ラリック リミックス 時代のインスピレーションをもとめて in 庭園美術館
2026 2021アート散歩夏(5)GOLD in 郷さくら美術館
1028 2021アート散歩夏(6)アイヌの装いとハレの日の着物展 in 松濤美術館 
1030 2021アート散歩夏(7)FUSION間島秀徳展 in 大倉集古館
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ぽかぽか春庭「FUSION間島秀徳典 in 大倉集古館」

2021-10-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211030
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩夏(7)FUSION間島秀徳展 in 大倉集古館

 娘は現代美術には興味がなく、「具象。人物画よりも風景画が好き」と、好みがはっきりしているので、大倉集古館の「日本画の現代美術」の展示は、私ひとりで見にいきました。
 日本画家、間島秀徳。まったく知らない人でしたが、大倉美術館で開催されるなら、それなりに見どころもあるのだろうと、あてずっぽうに出かけました。

 間島秀徳は1960茨城県生まれ。86年に東京藝術大学大学院美術研究科修士課程を修了し、2000年には文化庁在外研修員としてフィラデルフィア(ペンシルバニア大学)、ニューヨークに滞在(〜01年)。15〜21年まで信州大学教育学部で教授を務め、現在は武蔵野美術大学教授。日本画の伝統を踏まえながら、その枠にとらわれず革新的な手法で創作に挑んでいる

 間島作品「Kinesis」シリーズの近作を、「大倉コレクションの名品から画家の眼によって選ばれた自然を想起させる絵画や工芸品」を併置し、新しい「アートを見る目」を生み出すことを目的としています。
 大倉コレクションの中世〜近代にわたる古典美術と、間島作品が同じ空間に並ぶことによって、自由で多彩な視点を生み出すことをコンセプトにした展示。間島の「Kinesis」シリーズと、大倉コレクションの名品によって化学変化が生まれ、アートを見るための新たな空間が生まれることを期待する、という展覧会です。

 「FUSION~間島秀徳 Kinesis/水の宇宙&大倉コレクション~ 」
  会期:6月15日(火)~8月15日(日)


 1階には間島秀徳の近作が展示されていました。間島作品と如来像が並んで展示されることによりFUSIONされ、「自然とともに在ること、自然への祈り」が生み出される、というコンセプトなのかと思います。

「Kinesis No.511(requiem)」


 滝を思わせる絵がふたつならんでいる展示

 
 2階の展示。曽我二直庵《龍虎図》を挟む「Kinesis No.719 (mount yun)」と「Kinesis No.720 (vortex)」
 

 地階は、間島氏制作現場。日にちによって、間島氏が製作中のようすを見学できるということでしたが、私が訪問した7月7日には、制作はなし。地階の撮影は自由です。




 地階の絵

 間島秀徳の日本画、現代作家らしい独特の表現があり迫力の絵を見ることができましたが、私には、「大倉集古館の古典作品と並べて展示する」というコンセプトがいまひとつわかりませんでした。同じようなテーマだからといって並んでいても、それでFUSIONが起きて新視点が生まれたかと問われれば、さあと、首をかしげるばかり。私のような素人には、間島作品は間島だけで見たほうがよかったのかも。

 宇宙の流れ、銀河の流れのような作品。間島秀徳「Kinesis No.699 (cosmic flow)」

 この作品と並べあわされていたのは、若冲の「乗興舟」だったらしいですが、私の中にFUSIONは生まれませんでした。絵を見る見方が浅いからでしょう。ざ~んねん。
 

 2階ベランダでしばし休憩して帰りました。


<おわり>
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ぽかぽか春庭「アイヌの装いとハレの日の着物展 in 松濤美術館」

2021-10-28 00:00:01 | エッセイ、コラム


20211023
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩夏(2)アイヌの装いとハレの日の着物展 in 松濤美術館

 2020年、北海道白老町に「ウポポイ」が設立されました。ウポポイとは「皆でいっしょに歌うこと」を意味するアイヌ語だそうです。正式名は「民族共生象徴空間」。施設内に、国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設があります。
 
 この施設が現政権によって「北海道観光資源」「観光開発」の目玉として238億円という予算を組んで設立されたこと、アイヌの衣裳も踊りも「観光資源」という扱いであり、ほんとうにアイヌの歴史や民族文化に光を当てる目的ではないという点で、批判もあることはわかります。が、なにはともあれ、琉球沖縄の文化に比べて、アイヌ文化を広く知らしめる施設は「国立」のものとして初めてのものである、ということを考えてみて、ウポポイの設立を寿ぎたい。
 明治政府以来、アイヌの人々への差別と弾圧、日本語強制などアイヌ文化を貶める政策を歴代政府がやってきたことへの言及、展示はこれからのことと思います。

 2021年、渋谷の松濤美術館でウポポイ設立記念のアイヌ衣裳の展示がありました。
 東京国立博物館本館の一室が琉球文化とアイヌ文化の展示室になっているので、アイヌの道具や衣装を見てはきましたが、今回は「ハレの衣裳」を中心にまとまったアイヌ衣裳の展示ということで、松濤美術館へ出向きました。ウポポイに行きたいけれど、北海道は遠いから、という娘の希望による観覧です。

会期:2021年6月26日(土)~8月9日 (月)



 美術館の口上 
 2020年に北海道白老町に国立アイヌ民族博物館が開館しました。それを記念し、アイヌ民族の服飾文化を紹介します。
まず、樹皮衣、草皮衣といった着物によって、その素材の多様性を明らかにするとともに、ルウンペ (色裂置文衣)、カパラミㇷ゚(白布切抜文衣)などのさまざまな刺繍で飾られた木綿衣を通じてアイヌの意匠の豊かさに触れます。華やかで独自の文様が施されたアイヌ民族のハレの日の着物をご紹介します。

 第1章では樹皮衣(アットゥシ)、草皮衣といった着物によって、その素材の多様性を明らかにするとともに、ルウンペ(色裂置文衣)、カパラミプ(白布切抜文衣)、チカルカルペ(黒裂置紋木綿衣)などによるさまざまな刺繍で飾られた木綿衣を通じてアイヌの意匠の豊かさに触れます。
 続く第2章で紹介されるルウンペは噴火湾沿岸の地域に特徴的なハレの日の着物のひとつで、絹や木綿などの布を切り伏せ、華やかで独自の文様が施されています。その装飾の布は時代を追うにつれ、絹が減り、ウールや様々な木綿の染め布が多く使われるようになり、刺繍糸も絹や樹皮や草皮から木綿への変化がみられます。また、文様を構成する布はバリエーションに富み、貴重な染織資料としてアイヌの衣服の中にみることもできます。
 本展がアイヌ民族の文化への関心が高まる契機となるよう、アイヌ民族の服飾文化を51点の作品によって紹介します。

 ほんとうは地方ごとにアイヌ語方言があり、地方ごとにアイヌの衣裳の模様デザインや縫い方が異なる、ということですが、私には地方ごとの違いなどはわからぬまま、その衣裳模様のバリエーションに見入りました。

 染め物や刺繍に興味がある娘は、アイヌ模様の縫い取りに眼を見張りました。2階ロビーのビデオで、アイヌ刺繍の名人の仕事が放映されていました。糸作り、縫い取りなど、細かい仕事が続きます。ほんとうに貴重な糸と針の仕事です。今では継承者も出てきたようなので、この大切な文化を絶やさないで、未来へと伝えていってほしいです。

  

 いつか、北海道のウポポイを娘とともに訪問したいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「GOLD in 郷さくら美術館」

2021-10-26 00:00:01 | エッセイ、コラム

20211019
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩夏(5)GOLD in 郷さくら美術館

 前回、郷さくら美術館に行ったのは2020年11月29日日曜日でした。名前の通りさくらをモチーフにした絵を中心に集めている美術館で、さくらの季節じゃなくても、展示4室のうち1室は、桜の絵が展示してあり、1年中さくらの絵を楽しめる、というコンセプトです。

 今回のテーマは「Gold」。
 日本画に金泥や金箔はなじみの画材です。金箔を張り詰めた屏風に雄渾な松や虎を描いたりする障壁画は、大名や金持ち商人が大好きな屋敷の飾りでした。
 郷さくら美術館は現代日本画の収集をしていますが、現代でも日本画家にとって金色はメインの画材であるようです。桜を描いても、金を使う。


会期:2021年6月29日(火)- 9月5日(日)
 美術館の口上
 このたび郷さくら美術館では、日本画「GOLD++」展を開催いたします。 古来より人々を魅了し続けてきた眩しいほどに輝きを放つ「黄金:GOLD」。憧れ、輝き、妖艶さ、色あせることのないその輝きは見る人の心に様々な感情を引き起こさせます。本展では、光の表現としての「黄金:GOLD」を様々な作品よりご紹介いたします。金箔を大胆に用いて描かれた迫力のある作品や金泥を用いることにより繊細な表現を可能にしている作品など、「花」「人物」「動物」「風景」が描かれた選りすぐりの作品をご紹介いたします。金箔や金泥、基底材などの素材によって異なる、金色が放つ輝きの違いもご覧いただけます。古典的な技法でもある「金」を使った黄金の世界をどうぞお楽しみください。


 美術館の方針がふたつ変わっていました。紙媒体出品目録の配布停止。紙に貼られた出品目録を写真にとるか、ネットUPの目録を見るか、どちらかです。
 アナログ派の私と娘は「紙の出品目録と照らし合わせて作品を見る」派ですから、ちょっと残念。それから、前回はカメラ禁止マークつきの絵のほかは撮影自由だったのに、今回は全館撮影禁止。これは大いに残念。気に入った作品は、ときどき画像を見返したいです。美術館側からすれば「見返したいなら図録を買え!」なんでしょうが、図録、重いし高いし、貧乏人には高値の花(高嶺を誤変換)。

 日本画にとっての「金」。金泥遣いや金箔を細かくして画面に散らす、などさまざまな技法を見ることができました。娘が一番「すごい!」と感じ入ったのは、加山又造の猫。毛並みの一本一本を細い金糸を並べて張り付けているのです。遠目には猫の毛並みとしか見えませんが、画面に見入ると、金糸の貼り付け具合がわかります。


 薄暗い部屋に1点だけ金が輝く絵が置いてあったら、ほの暗さの中に金色が浮かび上がるのだと思います。しかし、部屋ごとに「これでもか」と金が光る作品が並べられていると、貧乏人のひがみで見る鑑賞法ですから、「そんなにキンキラキンにしなくても、、、、」という気分になってくる。金色に疲れてくる。

 きれいな華麗な日本画のGold。ちょこっと貧乏人日上根性がでてしまったので、それを払拭すべく、郷さくら美術館の向かい側にあったフルーツサンドの店で食パン三角半分の大きさの「マンゴーサンド」と「シャインマスカットサンド」を購入。ふたつで2500円という豪華フルーツサンドです。パンの耳ひとふくろ無料で配布中というので、ふたりで一袋ずつもらいました。

 ひとつ1000円のフルーツサンドの感想。娘「これはこれですごくおいしいけれど、1000円じゃ、次に買うのはいつになるやら。コスパを考えれば、メルヘンのフルーツサンドがいちばんいい」
 パンの耳は、一袋の半分を細かく刻み、卵牛乳液に浸してパンプディングを作りました。1000円のフルーツサンドほどではなくても、私にはちょうどいいおいしさ。余った分、娘は保育園や学童保育のおやつの定番だった「パンの耳揚げパン」を作ってほしいと言います。日曜日のおやつにしました。挙げたパンの耳にグラニュー糖ふりかけるだけ。
 おいしい!

 どうも、Goldの豪華さよりもパンの耳のほうが似合う春庭母娘です。

<つづく>
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ぽかぽか「ルネラリック リミックス展 in 庭園美術館」

2021-10-24 00:00:01 | エッセイ、コラム


2021019
ぽかぽか庭アート散歩>」2021アート散歩夏(2)ルネ・ラリック リミックス 時代のインスピレーションをもとめて  in 庭園美術館

 ガラス工芸が大好きな娘。箱根で吹きガラスの制作体験をしたこともあり、さまざまなガラス製品の展示があると、見逃しません。
 娘といっしょに、ルネ・ラリックの仕事を見に出かけました。庭園美術館は、もともとルネ・ラリックやエミールガレのガラスを邸宅の飾りとしていた建物ですから、ガラス工芸展示にふさわしい環境です。北澤美術館、角館の大村美術館などからの出品もありましたが、多くは庭園美術館の所蔵品。館所蔵の作品ほか、ほとんどが撮影可能でした。

会期:2021年6月26日(土)〜9月5日(日)
 庭園美術館の口上 
 19世紀末から20世紀半ばにかけて、ジュエリー作家/ガラス工芸家という肩書を超えて、生涯を通して芸術家としての独自の道を切り拓いたルネ・ラリック(1860-1945)には、尽きることのないインスピレーションがありました。
とりわけフランス、シャンパーニュ地方の小さな村アイに生まれたラリックにとって、幼少期から身近な存在だった「自然」は、その多様なインスピレーションの根源ともいえるでしょう。自然を注意深く観察することによって培われた眼差しは、やがてイギリスでの経験や日本美術からの影響、大戦間期における古代ギリシア・ローマへの回帰やエキゾティックな嗜好、新しい女性たちのイメージなど、20世紀初頭のフランスに起ったさまざまに異なる芸術潮流と結びつきながら磨かれていきました。例えば浮世絵にインスピレーションを得て、パリ郊外の自邸付近で撮影した雪景色を表現したペンダントや、 1909年に他界した妻アリスの面影をシダのなかに刻印した香水瓶。同時代の世界と日常身辺の心躍る事象や個人的な記憶に、鋭い観察眼と想像力によって新しいかたちを与え、「装飾品」として人々の身近なものにしたのです。
希少なジュエリーからより多くの人々のためのガラス作品への転換は、急速に変化する社会のなかで芸術と生活がどのような関係を結ぶことができるのかを示そうとするのでした。生きることとつくること―ルネ・ラリックが、自然を起点としてどのように世界を観照し、装飾という芸術を希求したのかを明らかにします。

 「二羽の孔雀(常夜灯)」1920

 庭園美術館の1階2階の各室に展示されたルネ・ラリックのガラス器、どれも美しく、娘は「どれもすてきだから、この中のひとつをあげるって言われたら困るな」と言いながら見て回っていました。大丈夫、「ひとつあげる」って言われないから。
 「三羽の孔雀(テーブルセンターピース)」1920
 

 壺や食器、アクセサリーなど、実用にも使えるものもたくさんありましたが、私は室内装飾用の飾り物が特に好きでした。ガラスの透明感を生かした置物や飾りパネルのデザインがすばらしい。

 

 鳥のデザインが好き。
 

 庭園美術館の玄関にある間仕切りのガラス。原型があることは聞いたことがあったのですが、一部破損していたため、これまでは門外不出でした。今回はじめて公開されました。

旧朝香宮邸玄関        原型(割れて罅があるけれど、美しい)
  


 

 さまざまな花瓶もきれいでした。
  


 ルネ・ラリックのガラス器、さまざまなデザインに魅了されました。ガラスに混ぜるものによって、光を通さず陶器のような風合いに出来上がる製品もあるのですが、私はやはりガラスは透明感があり光を通すものが好きです。



 娘と「そのうちいつか、箱根の北沢美術館にもいかなくちゃね」と話しながら帰宅しました。 

<つづく>

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ぽかぽか春庭「グローバル化時代の現代美術―“セタビ”のコレクションで楽しむ世界旅行 in 世田谷美術館」

2021-10-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211014
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩夏(4)グローバル化時代の現代美術―“セタビ”のコレクションで楽しむ世界旅行 in 世田谷美術館

 世田谷美術館。世田谷公園の雰囲気も、美術館のたたずまいも好きな場所のひとつです。夏の展示は現代美術だったので、娘は「よく知らない画家のわけわからない現代美術は、見ていて頭痛くなる」といいます。私にとっても「よく知らない画家たちのよくわからない現代美術」ですが、私は頭が痛くなったりしないので、この夏のセタビは、久しぶりにひとりでの観覧となりました。

 世田谷美術館の口上
 本展は「ミュージアム コレクション特別篇」として、「グローバル化時代」をキーワードに、普段はあまり目にすることの少ない大型作品を中心に収蔵品を見つめなおした展覧会です。自国を離れて異国でも創作を展開したロバート・ラウシェンバーグ やデイヴィッド・ナッシュ 、ジャン=ミシェル・バスキア など、ワールド・ワイドに活躍する作家たちの作品をご紹介いたします。
 この展覧会は、2020年夏の東京オリンピック/パラリンピックに併せて企画されましたが、新型コロナウイルスの感染拡大で順延となったもので、もともと当館のコレクションを紹介する目的でした。
「グローバル化時代」をキーワードにしたのは、国際的なイベントの開催時にふさわしい展示を意図したからですが、80年代半ばに開館した当館のコレクションとしては、ふだんあまり目にすることの少ない海外および日本の現代美術の作家たちの大型作品にしぼった展示となりました。副題に謳ったように「コレクションで楽しむ世界旅行」という形容は、いささか大袈裟ですが、しかし、それぐらいの興味深い展示内容となっているのではないでしょうか。
「グローバル化時代」となって、世界の現代美術の作家たちは、斬新な発想と冒険心に充ちた活動を地球規模で繰り広げました。そうしたなかに、もちろん国際的な評価を獲得した日本の作家たちも含まれています。その意味で日本および世界の現代美術のさまざまな潮流を見て取ることも可能です。
そしてまた、この展覧会を介して創造的な文化・芸術を支える根本的な社会の仕組みが、本来、どうあるべきなのかを考えるきっかけにしてほしいと願っています。

 現代美術作品よりも、展示室背景の公園の緑が心に残ります。


 私が興味を持てたのは、どこに民族だかわからない(南米かな)衣装を着多3体のフィギュア作品と、解体されたピアノ。



 ピアノは、ある地点に立って、背後にある鏡を見ると、普通のピアノが見える、という作品。立体版のだまし絵?


 美術館側の意気込みとしては、「セタビで世界旅行を」ということでしたが、あまり世界旅行した気分にはなりませんでした。

 娘と来たときは「予約してない客はレストランには入れない」と断られたランチが、飛び込みでも食べられたことが、よかったこと。
 ランチ2100円高いと思ったけど、ほかにはランチ3000円とか。
 2100円のを頼んだ。「食後にコーヒーか紅茶、ご注文できます」といわれて、2100円の中にランチセットにドリンクがあるのかと思ったので、コーヒーを頼んだ。
 珈琲代500円は別料金。それで、たちまち不愉快になってしまう、「別料金って、さいしょに言わんかい!」というセコい客は、駅前でラーメン食べてなさいって。
 たしかに、「注文できます」と言われたのみで、ランチに含まれているとは言われていない。

 てなことで、いつも気分よく帰宅する美術館帰りなのに、「家でテレビ見てごろごろしていたほうがよかった」という休日になりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「 サーリネンとフィンランドの美しい建築 展in パナソニック汐留美術館」

2021-10-21 00:00:01 | エッセイ、コラム

20211005
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩夏()サーリネンとフィンランドの美しい建築展 in パナソニック汐留美術館

 パナソニック汐留美術館で「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」を観覧しました。娘の希望です。私のほうが建物好きなはずなのに、私はサーリネンのことをひとつも知らず、今回はじめてフィンランドの地にこのような建築家(父子)がいたことを知りました。

 会期:2021年7月3日(土)~9月20日(月)

 少々長いですが、サーリネンのことまったく知らなかったので、美術館の口上を載せておきます。

パナソニック美術館の口上
 美しい森と湖で知られる北欧の国フィンランド。日本でもファンの多いフィンランドのモダニズムの原点を築いたのがエリエル・サーリネン(1873-1950)です。サーリネンはヘルシンキ工科大学在学中に出会ったゲセリウスとリンドグレンと共同で設計事務所を設立し、1900年パリ万国博覧会フィンランド館の建築が好評を博して、みごとなデビューを果たします。
 初期の作風は、ナショナル・ロマンティシズムと称される、アール・ヌーヴォーの影響をうかがわせながらも民族の独自の文化的ルーツを表現した建築で、当時、独立を求めていたフィンランドの人々を鼓舞させるものでした。
 3人はやがて、静かな自然のなかで暮らしながら協働し、芸術家たちと交流できる理想の生活の場として、ヴィトレスクをつくります。住宅、商業建築、公共建築、駅や都市のデザインと、次第に幅を広げていくサーリネンの設計活動は、20世紀前半の近代化と手を携えていました。その作風は、多様な文化を受け容れつつ民族のルーツを希求した初期のスタイルから、独自の形態を通じて新しいフィンランドらしさを提示しようというモダニズムへと展開します。
本展は、1923年の渡米までのフィンランド時代にスポットをあて、図面や写真、家具や生活のデザインといった作品資料の展示を通して紹介します。つねに革新を求めつつ、自然や風土に根ざし、光と陰影をとりこんで豊かな表情を見せるサーリネンのデザインは、生活のあり方を一歩立ち止まって考え直す時を迎えている今の私たちの心に深く語りかけるでしょう。

 父・ゴットリーブ・エリエル・サーリネン(1873-1950 芬: Gottlieb Eliel Saarinen
 息子・エーロ・サーリネン(1910-1961Eero Saarinen)
 
 エリエルは、アールデコの影響を受けつつ、フィンランドの民族を意識した建築で名を上げました。ヘルシンキ中央駅設計や、都市計画など、大きな功績を残し1923年にアメリカに移住し、活躍しました。

 サーリネンが建てた建築の模型

 
 サーリネンの一家は、妻も息子も建築の仕事を続けているという家庭で、家具やインテリアのデザインを含め、理想的な住居を追い求めました。

 サーリネン家のインテリアの絵

 エーロ・サーリネンのデザインした椅子

 左上のチューリップチェアは、どこにでも見かける「世界標準」になっているデザインのいすで、私もサーリネンのデザインとは知らずにあちこちで座っていました。

 まったく知らなかったサーリネンという建築一家を知ったこと。娘のお誘いで出かけて、たのしい1日をおくることできました。

<つづく> 
 
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ぽかぽか春庭「広島美術館コレクション展 in そごう美術館」

2021-10-19 00:00:01 | エッセイ、コラム


20211019
ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩夏(1)広島美術館コレクション展 鴨居玲礼賛in そごう美術館

 広島美術館所蔵の「近代日本の洋画」
 美術館巡りは好きだけれど、さすがに広島は遠いと思っていたら、美術館のほうがこちらに出張ってくれました。

 口上
 公益財団法人ひろしま美術館は、広島銀行の創業100周年を機に、「愛とやすらぎ」をテーマに掲げて設立された。印象派などのフランス近代美術だけでなく、洋画を中心とした日本近代美術のコレクションでも有名だ。
本展は、その日本洋画コレクションから、黒田清輝や安井曾太郎、佐伯祐三、小磯良平らの作品約70点を紹介する。日本洋画は、油彩という新しい技法を取り入れることで、日本独自の感性を守りつつ花開き、黄金期を迎えた。黒田清輝の作品を出発点に、それ以降の大正・昭和期
に活躍した作家の作品を通して、近代日本洋画の流れを知ることができる。

 近代日本の洋画については、竹橋の近代美術館などでかなり数多くの絵を見てきました。昨年倉敷の大原美術館で何点かの「有名作品」を見ることができ、広島美術館の作品も見たいと思ってきましたので、そごう美術館で広島のコレクションを全部ではないもの見ることができ、見どころの多い展覧会でした。

 近代洋画を牽引してきた黒田清輝の作品
 「白き着物を着せる西洋婦人」1892年 
 

 安井曾太郎1888~1955 「画室」1926

 本当を言うと、私は黒田清輝や安井曾太郎ら、功成り名誉も得たいわゆる「洋画界の重鎮」「文化勲章ほかの栄誉もいっぱい」的な画家よりも、青木繁、靉光、松本俊介、田中一村ら、「国家による受勲などには無縁だった画家」をひいきしております。

 絵は絵として純粋に見ればいいので、画家の生涯などを引き合いに出して鑑賞すべきではない、という見方もわかります。わかるけれど、絵でも小説でも、作家の生活・作家の視点というものは作品に現れずにはいられない、と感じます。

 スペイン内戦への抗議をこめて絵筆をふるうピカソのキャンバスの前で、ピカソの愛人ふたりがとっくみあいの大乱闘を演じていた、というゴシップとともにゲルニカを鑑賞するのが好きな、「ゴシップ鑑賞法」というのが私の鑑賞スタイルなので、これはこれで私の見方。

 広島美術館所蔵の作品の中、私が見たいと思っていた「鴨居玲(かもいれい)1928~1985 」の作品が会場最後のコーナーにまとまっていたのは思わぬ収穫でした。
 広島美術館の鴨居玲所蔵作品は7点、ということなので、全部出しだったかと思います。

 玲の姉下着デザイナー・エッセイストの鴨居羊子については、その下着が社会問題的にとりざたされていたころから盛名を目にしていました。白キャラコのシミーズなんぞ着ていた田舎娘には無縁のデザインでした。
 弟玲が画家であることを知ったのは、司馬遼太郎のエッセイによって。司馬は小説家になる前、新聞社学芸部で美術と宗教を担当する新聞記者でした。鴨居羊子も、玲と羊子の父がシャーナリストだったあとをつぎ、大阪読売の学芸部担当記者。司馬とは交流がありました。
1968年の鴨居玲初個展のときから、司馬と玲は姉の紹介で知り合い親交を続けました。

 玲はスペインフランスでの画業から帰国し、金沢で教職を得るも、心臓病や創作の行き詰まりに悩み、57歳で自死。

 司馬による鴨居玲の画業紹介エッセイは、愛情にあふれ、玲の作品を一度も見たことがなかった私にも「いつか見たい」と思わせました。ことに司馬は「私の村の酔っぱらい」をたたえていました。

 思いがけず、広島美術館展で鴨居玲の作品を見ることができました。時代順の展示でしたから、戦後の画家である鴨居玲が最後の展示室になったのも、当然ですが、絵を見るのは「楽しく明るい絵に限る」主義の娘は、鴨居玲の展示コーナーは、「こういう暗い絵、見てるとつらくなってくるから」と、素通りで会場外へ出ていきました。

 私の村の酔っぱらい


 私には「3人の酔っぱらい」も、「村の酔っぱらい」も、ようやく観覧かなった絵です。
 娘が言うとおり、鴨居の絵は、色調もフォルムも「見ていてつらくなる」
のかもしれません。
 酔っぱらいたち、ダメダメ人間で、しょうもない、だらしない姿です。でも、人間の真実をはらんだ姿です。たぶん、私の中のダメダメでしょうもない心が、いようご同輩!と、いっしょに飲んだくれたくなるのです。
 どうしょもないわたしたちが肩組んで、だみ声張り上げてでたらめな歌でも歌ってよろけて村の道にぶっ倒れたりするのです。

 もし、鴨居玲が長生きして功成り名とげ、文化勲章なんぞをぶら下げて洋画界の重鎮になったとして、私の「村の酔っぱらい」への見方がかわるでしょうか。いや、重鎮になれるような鴨居なら、酔っぱらいに注がれた視線は違ったものになったのではないか。
 私には、鴨居の生きた軌跡が鴨居の視線を生み出したのだと思えるのです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「人生、下り坂サイコー!片っぽの靴も大事」

2021-10-17 00:00:01 | エッセイ、コラム

2020211017
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(5)人生、下り坂サイコー!片っぽの靴も大事

 旅に出られないコロナ禍の日常。テレビで見る旅番組も増えています。これまでも関口宏息子の海外鉄道旅、鉄道カメラマン精也の「鉄道撮影旅」、岩合さんの猫歩き旅、街角さんぽもあれこれ見て、「行ってみたいなあ」という場所が増える。
 自転車で日本全国旅する「こころ旅」という番組で私と同じ年の火野正平さんが登り坂のときはヒィヒィいって漕ぎ、下り坂になると「人生、下り坂サイコー」と叫ぶところが好き。


 火野さんも春庭と同じ年齢だから72歳。もはや人生下り坂。
 人生坂道は、自転車で地球の高低エネルギー利用して疾走するのも気持ちいいし、とぼとぼ歩いて下るのもまたよし。
 手首骨折で人生下り坂を実感した春庭。この先はゆっくりゆったり進んでまいります。
 とりあえずの目標は、夫の母が達した90歳かな。(姑の姉は今年100歳で存命)

 姑は90歳で心臓ペースメーカーの手術を受けたあと、「デイケアセンターでリハビリするほか、毎日歩いて鍛えるから」と、何足かウォーキングシューズを買いました。なんとか歩けるようになり、娘の付き添いで買い物にもでかけていましたが、91歳目前に突然亡くなってしまいました。私はミャンマー赴任中で、葬儀に出ることができず、納骨式になんとか休暇をとって帰国したのみ。娘がすべてを差配しました。

 姑のスニーカーが玄関の靴入れにしまい込んだままになっていましたが、スポーツ大会を機に娘に言いました。「これ、買ってからそんなに何回も履かなかった靴だけど、私もサイズ合わないし、お父さんは婆ーちゃんの服とかタンスに入っているもの処分してくれと言うばかりで、自分じゃ何もしない。このスニーカー、スポーツ大会で体育館履きを忘れた学生用にあげてもいいかな」と、4足ほど日本語学校に持っていきました。

 スポーツ大会では、学生はみな体育館シューズを用意していましたので、持ってこなかった事務のベトナム人先生に使ってもらい、「ここまで運んできた甲斐があった」と思いました。4足いれたつもりなのに、3足になっていたことにはまったく気づいていませんでした。

 10月7日夜「〇〇さんのお宅ですか。こちら〇〇警察署です」という電話がありました。ほほう、「あなたのカードからお金が不正に引き出されています。新しいカードをお届けしますので、暗唱番号をご確認ください」とかいう新手の詐欺かも、と思って身構える。
 警察職員を名乗る女性は「中に名字と電話番号が書かれた靴片方が、届けられているのですが、お宅様のものでしょうか」
 靴の特徴を聞くと、たしかに姑の靴のよう。でもなんでかたっぽだけ落とした?

 どうやら私が日本語学校に靴を運ぶ途中、袋から片方が落ちたらしい。片方だけ玄関に残っていたので、変だなあ、どうして片っぽが残っているんだろうと不思議に思った靴でした。

 私はもう履かない靴だし、片っぽを警察署まで取りにいくのも面倒だから「処分していただくこともできますか」と聞いてから、電話を娘に代わり、手続きなどを聞いて、警察署の電話番号を聞いてもらう。靴箱の片っぽ残っている靴を娘に見せました。

 娘は、ご飯の前に「母にはわからないことだろうから、言っておきます」と涙ぐみながら話し始めました。「このスニーカーはね。おばあちゃんといっしょに買った靴なの。リハビリのために歩きたいけれど、普段は23.5センチなのに、今までの靴じゃむくんだ足が入らない、24センチの靴買いたいからいっしょに靴屋さんまで来てねっていうから、足に合う靴探して買ったものなんだよ。母にはなんの思い入れもない古靴だろうけれど、私にはおばあちゃんとすごした時間の大切な思い出。母は気安く処分してくださいとか警察に言おうとしていたけれど、留学生の役にたつならあげてもいい、って言ったけど処分していいって言ってない」と泣く。

 私は、夫から「ばーちゃんの服とか靴とか、使えるものは使って、使えないものは捨てて」と言われてきたのだけれど、服も靴もほとんどタンスや靴箱にしまったままにしておいたのです。片づけが大嫌いなもので。だけど、靴もだんだんには処分しようと思っていました。

 しかし、私のミャンマー赴任中もその前も、ひとりで姑の介護を引き受けてきたいわゆる「ヤングケアラー」としてすごした娘にとっては、古靴ひとつも、おばあちゃんの介護に尽くした時間の思い出だ、ということ、私には思い至っていませんでした。

 私には「夫に処分しろと言われ続けたのに、面倒だからそのままにしてきた古靴古服」でしかない代物。娘には「おばあちゃんとすごした時間の思い出の靴」。娘の気持ちを思って謝りました。

 気丈な姑は2007年、私の中国赴任中にたったひとりで、家の改築をやり遂げたのです。四隅の柱4本だけ残して、あとは新しくする「新築そっくり家」という改築でした。今は私がその家に住んでいる。姑に感謝。

 娘が〇〇署までバスに乗って受け取りに行くことになりました。
 それにしても、道端に落ちていたという片っぽだけのスニーカーを拾って交番に届けた人はどんな人。
 姑は、デイケアセンターで言われ通り、衣服や靴、傘タオルに至るまで必ず名前と電話番号まで書き込んでいました。拾った人は、なぜ片方だけなのかわからないものの、きちんと名前が書いてあるからには大事な靴なのだろうと判断したのでしょう。

 娘が「私の身分証明書はここの住所じゃないし、靴の持ち主の孫だっていうことを証明するものがない」というので、「玄関に残った靴の片っぽを持っていけば、一目瞭然一足の靴だってわかってもらえる」とアドバイス。
 警察への電話で、姑の死亡が確認できる書類が必要になるとのこと。正直に姑のものだと言わずに、私のものだ、ということにしておけば面倒がなかったのに。
 娘は万端処理して、警察署で片っぽの靴を受け取ることができました。

 私は子供のころからぼうっとしていて、よく落とし物をしました。千円札を手に握りしめて本を買いにいき、本の背表紙を夢中で見ている間に、手の千円札が消えていたり。
 最近ではコンサートにいって、ポスター写真を撮るためバッグを床に置いて撮影。コンサートを楽しみ、2時間後に帰ろうとしてバッグがないことに気づきました。財布も銀行カードも入っていたバッグです。あわてて会場受付に駆け込むと、ちゃんと届いていてありがたかった。

 日本では、現金以外はほとんどの落とし物が警察に届けられて戻ってくるという話をすると、留学生たち半信半疑です。そもそも交番がない都市が多いので、拾ったものを遠い警察署まで持っていくのがたいへんだという国が大半。
 拾ったときは「神様。私のためにありがとう」と言って、使えるものはもらうし、いらないものはそこに置いておけば、だれかそれを入り用な人が「神様ありがとう」と拾っていくのだそう。

 日本は落語の「芝浜」に描かれたように、交番制度などなかった江戸時代から落とし物は持ち主に届けられてきました(町内ごとに番屋あり)
 落としたバッグも靴の片っぽもとちゃんと届く国ニッポン。私もときどき駅のホームで拾ったものを駅事務室に届けていますが、神様は届けた私をちゃんと見ていたのだと思い、片っぽの靴拾ってくれた人に感謝しました。

 警察に受取りに行った娘が聞いた説明によると、拾ったのはパトロール中の警察官だったそうです。そうだよね。普通の人には「片っぽ靴」なんてただのごみ。おまわりさん、ありがとう。

 落とし物始末も、その他もろもろ全部に感謝です。手首骨折も、もし尻もちのお尻の骨や股関節を傷つけていたら歩けなくなるところだったかもしれません。

下り坂をゆっくりゆっくり気をつけて降りていきます。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「バースデーディナー in 帝国ホテル」

2021-10-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211016
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>アート散歩>2021二十一世紀日記秋(4)バースデーディナー in 帝国ホテル

 9月29日水曜日。翌日から「緊急事態宣言解除」というのに、フライングお出かけ。って、出かけたいときは自分のペースで美術館博物館に出かける生活を貫いてきましたが。

 29日午前中は、1)9時から病院で内科検査 2)9:30歯医者で定期健診と歯のクリーニング。72歳、32本全部自分の歯なので、90歳までは自分の歯で食べたい。3)内科定期健診。4)郵便局口座に入金。5)郵便局隣のスーパーで特売の牛ステーキ2枚買う。霜降り国産黒毛和牛なんて、めったに買わない。片手での買い物に難儀した。
 帰宅して、娘に夕食用にステーキ買ったことを告げると叱られる。「これかから食事に出かけるのに。ステーキコースディナーなんだよ」あらま。

 午後、娘と日比谷へ。日比谷に着く地下鉄路線はいろいろあるけれど、都営線を利用。なぜなら都営地下鉄はシルバーパスで乗れるから。
 帝国ホテルでディナーするのに、シルバーパス使って交通費浮かせようという努力がいかにも貧民である。
 ディナーは娘のおごりだが、交通費は自腹ですから。

 「誕生日プレゼントに買っておいたお食事券の期限が9月いっぱいだから、30日までに行かないと。でも母がその手じゃ、食べにくいだろうから、この券無駄になるけど、手の治療のほうが大事だよ」と娘はいうが、せっかくのバースデー食事券、無駄にしてなるもんか。片手でもおいしく食べて見せると意気込んで帝国ホテルのレストラン・パークサイドへ。帝国ホテルの中でもカジュアルな店だそう。

 前菜はスモークサーモン、キノコとハムのポタージュジュ、ステーキ、デザート、娘はこの店の名物だというパンケーキ。私はフルーツバフェ。ドリンクは私がグレープフルーツジュースで、娘はアップルジュース。
 娘が、母の皿のサーモンとステーキは一口大に切ってほしいと頼んでくれたので、片手でもおいしくいただけました。(写真、デザートはとり忘れ)
前菜サーモンとポタージュ

ステーキ 左手で食べる

デザートのメニュー

 満腹で帰宅。娘からバースデープレゼントが。
 娘の手作り立体カード。カードを開くとコスモスの花が咲きます。花の色も全部娘が塗り、紙を切り立体に仕上げたのだって。そして、角田光代「源氏物語」箱入りセット。「母はもう読んでるけど、あとで私が読むのに、一番読みやすそうだったから選んだ。私は漫画の『あさきゆめみし』で読んだだけだから」というおさがり読書も計算に入れてのプレゼント。


 「源氏物語、原文で54帖読んだ日本人のひとりである」というのを「日本語教師自慢話」のひとつにしているのだけれど、むろん、原文をひとりで読んだのではない。谷崎源氏と突き合わせながら、原文1ページ、谷崎1ページという読み方なので、ほんとは「原文ひとりで読んだ」とは言えないんだけれど。冒頭一節は朗誦できる。

 与謝野晶子、田辺聖子、瀬戸内寂聴など、源氏を現代語訳した本は、ところどころ読んだ程度で全巻読んだのは母が持っていた谷崎訳源氏と村上りうの注釈書だけ。母は市立図書館の村上源氏の講座に通い、「1,000年前も妻の思いと現代の妻の思いも同じなんだよ」と、いたく気にいり、村上源氏講座終了のあと、谷崎源氏を毎月1冊ずつとりよせていました。

 角田源氏、楽しみです。3巻本の立てで、重そうな1冊なので、読むのは手が治ってから。


 夫は、原田マハ「キネマの神様」原作を「もう読んだからあげる」と回してきました。映画を見た後、私は娘に原作本を渡そうとしたんだけど「どこに片づけたのかわからなくなった」
 夫が「新刊買ったから」と、おさげわたしくださりました。ありがとね。娘は「キネマの神様ディレクターズカット版」も父に買ってもらおう、と言う。

 ドッヂボールして尻もちついて手首骨折とか、ドジつづきの72歳ですが、娘からのプレゼントと夫からの古本に力を得て、がんばってコロナ時代を生き抜きます。整形外科医師は10月いっぱいギプスしてろという。年寄りは治りが遅いから念のため。
ギプスして頰杖つく婆長夜かな

<つづく>
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ぽかぽか春庭「左手生活」

2021-10-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211014
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(3)左手生活

 9月24日,学生とドッヂボールしてボールを避けようと後退。しりもちをついた体をかばうおうと右手をついたため、右手首骨折。という顛末は、自分への戒めとして書いておきました。ギプス固定で骨がくっつくのを待ち全治1か月。あと1週間のギプス生活です。

 右手使えないだけで、生活のすべてに意欲減退です。
 ギプスの右手にビニール袋かぶせてお茶碗洗ってみたけれど、なんだかきれいにならない気がして娘にまかせることに。
 片手でシャンプーしてももどかしい。

 1週間たって、「おふろに入るとき、ギプスをはずして湯船に入り、もういちど包帯を巻きなおせばいい」と整形外科の老先生。骨折した直後は内出血があるから冷やしたほうがいいのだけれど、内出血がおさまったあとは温めたほうが骨にいいのだそうです。そんなことも知らなかった手首骨折初心者。
 まあ「骨折のベテランになってドースル」ですが、人生初の手の骨折、いろいろ初体験です。

 家の玄関から歩くこと112歩で整形外科の入口です。
 じーさんもいるけれど、圧倒的に待合室はバーさんばっかり。オマエもナー。
 これまで、1)背中をまるくせず、背筋ピンと伸ばして杖なしで歩ける。2)顔のしわが目立たない(つもり)。3)歯が全部自前。4)大声で9じから12じ30まで教室通す声の張り。5)なんでも食べられる。
 なんぞをもって「自分は実年齢より若いつもり」で暮らしてきたのですが。つもりだけであったこと、身にしみました。72歳は72歳の高齢者。
  
 娘に言わせれば。1)飲み物食べ物でしばしばむせる。そのうち餅をのどに詰まらせるから、一人でいるときは餅禁止、2)ときどき躓くから、階段は手すりを必ず握ること。手すりにコロナ菌がついていて感染するリスクより、つまずいて階段転げ落ちるリスクのほうが高い。3)食べるの早すぎ。ゆっくりよく噛んで飲み込むこと。などなどを申し渡されてきたのですが、どうも老人の自覚が足りず、今回の仕儀に至りました。
 よくよく反省し、年相応のふるまいを身につけたい。
 と、心掛けていきますが、さてさて、これから続く高齢者生活どうなりますか。

 それにしても、72歳が片手ギプスで腕を黒いアームホルダーでつって優先席前に立っていても、いまどきの若いもんは。スマホのゲームから目を離さなかったり、年寄りが前にたつと寝たふりして目をつぶり、見て見ぬふり。それでも、1か月i間で2度ほど席をゆずってもらいました。ありがたし。
 手をおおっていると、背中のリュックも2kgも詰め込まれた肩下げかばんも、とても重く感じて、90分の電車がつらくなる。+15分のバスはだいたい座れるんですが。新宿から50分たちっぱなしのこともありました。

 愚痴が続くのはいつもの春庭日記ですが、ギプスとれるまでは「泣きごと日記」です。いつも2000字書くのに10分でキーボード―打ち終わるのに、左手で3倍以上かかる。泣く。(電車の中で書く内容のあらましを頭のうちにまとめておけば、高速タッチでタイピングできるのが通常ですが、片手ではできぬもどかしさ)

 ご同輩からは「若い学生といっしょにドッヂボールなんぞするからだ」とご批判あろうし、若い人からは「高齢者って、自分が年寄りだってことに自覚が足りないんだよね、かわいそ」と、同情もありましょうが、「同情するなら金をくれ」
はい、いうことがいちいち古い。

 年取ればとるほど、まだちょっとは若かった時代に思いがはせる。
 30年前1992年に踊った「ウォント・ビー・ロング」と、4年前2017年に踊った「ソーラン」の姿などつらつらと眺め、もう踊ることもないなあと涙しております。写真は、1992年のアルバムを2012年にカメラでとり、2012年と2019年に再掲載したもの。たいていの写真はおなかのぼてぼてぶりが写ってしまうので、気に入っているダンス姿は少数なので、何度でも眺める。

ぽかぽか春庭「ちえのわ録画再生日記1992年10月18日身体論」 - 春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典 (goo.ne.jp) 
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/9654f6d48d1dc89b9fca37c32bc8cd0a

1992ウォントビーロングと2017年ソーラン

 若かったなあ。涙。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ディズニークラシックコンサート2021」

2021-10-12 00:00:01 | エッセイ、コラム

20211012
ぽかぽか春庭>2021二十一世紀日記秋(2)ディズニークラシックコンサート2021

 9月19日に新宿文化セターで開催された「ディズニークラシックコンサート」。
 昨年に予定されていたコンサートでしたが、延期延期が続き、ようやくの開催となりました。
 昨年までは、アメリカの歌手が歌いに来ることが多かったディズニークラシックコンサートですが、今年はアメリカからの来日が難しかったのだと思いますが、二期会の歌手の歌唱。さすがオペラで鍛えた声の二期会、日本語歌詞もよくわかるし、私はよかったです。

 第一部の曲目は、アメリカのディズニーリゾートのパレードなどのメロディーで知らない曲が多かったですが、第二部のリメンバーミーは映画の全曲をスクリーン画面(アニメ静止画)とともに楽しめました。

第1部
1 ディズニーミュージックパレード・ゲームテーマ
2 アルティメット・プリンセス・セレブレーション
3 Power of Music
4 One World
  
第二部リメンバーミー


 「リメンバーミー」については、以下のサイトに考察を載せたところ、「春庭コラム」のなかで、閲覧が多い記事になっています。

ぽかぽか春庭「リメンバーミーの死者の国&アレブリヘス考」 - 春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典 (goo.ne.jp) 
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/ff6d5cb6ec2f82e1f0a5f1cb7535b52b

 歌が大好きなミゲル少年。家族のおきてで歌が禁止されていますが、どうしてもコンテストに出て歌いたい。


 ピクサーのイメージでは、死者の国はキラキラした紫色の国。


 映画館で見たのは英語版で、テレビでは日本語吹き替えを見ました。ミゲル役石橋陽彩 もなかなかの歌唱力でした。(メキシコが舞台ですからスペイン語版もあります)

 コンサートのミゲルの声は、二期会のソプラノ歌手が担当していました。ソプラノ歌手では違和感あるかなと思っていましたが、そんなこともなく、楽しく全曲を聞きました。歌手のインタビューによると、オペラとはぜんぜん違う発声法で歌ったのですって。

 新宿文化センターに行ったのは8年ぶり。シャンソン歌手水織ゆみさんのコンサートに出かけて以来でした。このとき、ホールの床には高低差がなく、後ろの席からはどても見えにくかったのを思い出しました。しかし、それは小ホール利用だったためらしい。今回は客席数1800の半数に観客をいれる公演で、後ろの席は高くなっていました。私の席は前から8列目24番通路側で、歌手の顔もよく見えました。並んだ席はとれないので娘は8列22番。例年では有楽町の東京国際フォーラムの5,000人入る客席ですから、今回はこじんまりした座席になったわけですが、その分近くで見ることができ、よかったです。

 久しぶりにホールに響く演奏と歌を聴き、楽しかったです。昔は新宿駅から歩いたので文化センターは遠いというイメージでしたが、今回東新宿から歩いたら、思った以上にわかりやすく近かったです。
 
 美術館にでかけることはしていましたが、コンサートは久しぶり。緊急事態宣言終止前の公演とあって、検温や手の消毒などを徹底していました。観客も、いつもなら合唱するラストの「星に願いを」を「心の中で歌いましょう」というのをちゃんと守っていました。
 何とかフェスの観客がルールを守らず、酒の持ち込みをしたり密になって大声出したりという騒ぎをやったことで、各種フェスやコンサートがやりにくくなったのだとしたら遺憾です。ルールを守れば、音楽をみなで楽しめるのに。

 次のコンサートは11月。今のところ、コロナ新規罹患は減っているので、盛んに注意されている第6波が大きくならず、コンサートが延期になったりしないことを願っています。「星に願いを」

 開演前、娘がグッズ売り場に並んでいるあいだ、写真撮影は自分の席からならOKでした。





<つづく>
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ぽかぽか春庭「大相撲秋観戦」

2021-10-10 00:00:01 | エッセイ、コラム

照ノ富士の横綱土俵入り

20211010
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2021二十一世紀日記秋(1)大相撲観戦
 
 大相撲の観戦。
 狭い観客席が苦手の娘が「4人掛けのマス席に2人で座れるうちだけ本場所を見たい。マス席4人で座るには、私には狭い」と言うので、コロナが終わって4人掛けに戻る前にもう一度見に行こう、照ノ富士の横綱土俵入りも見ようということで、九月場所を観戦。九月場所四日目水曜日。
 観客が国技館に入場できるのは13時から。

 幟の前で写真をとったり、照ノ富士の等身大パネルの前で写真を撮ったりして、13時半にはマス席東8列目へ。まだ観客はちらほらです。

 今のところ幕下力士にご贔屓はいないのですが、館内の写真を撮ったりしていると、十両取り組みに。

 十両贔屓力士は炎鵬ですが、今場所はコロナ濃厚接触者として、部屋全体の休場に。幕内復帰を果たそうとしている炎鵬には気の毒でした。

 贔屓力士の等身大パネルの前

入館したとき館内。まだ観客は少い


 9月15日秋場所4日目の幕内取り組み。3連敗していた宇良は、私と娘の拍手応援で勝ちました!
 前回相撲見物したとき、宇良は十両上位でもう少しで幕内復帰というところまで来ていたのですが、みやげ物店に「宇良タオル」を売っていなかったのです。娘のもうひとりの贔屓力士「遠藤タオル」は買えたのですが。
 今回、宇良タオルをようやく買うことができたので、いっしょうけんめい宇良タオルを掲げて応援。

 宇良の取り組み。

 横綱戦にはたくさんの懸賞がかかります。

照ノ富士の等身大パネルの前。おおきい!

 
 わたしは4度目、娘は2度目になる大相撲観戦。6時うちだし後、駅前の店で海鮮丼を食べて帰宅。
 大相撲、楽しかったです。

 横綱白鵬は引退を発表。残念ですが、年齢と体力を考えれば仕方がありません。それにしても、白鵬に一代年寄りの栄誉を与えないのは納得できません。横綱在位期間、優勝回数とも相撲界随一の業績なのに、「横綱としての品格がどうのこうの」という意見が出たとのこと。最近のなりふり構わぬ勝ち方や、かってのふるまいが問題視されたというより、生まれたのがモンゴルだったことが引っかかるのかと邪推。肝っ玉の小さい相撲協会です。
 すでに炎鵬ら内弟子を育てており、部屋を起こす準備は整っているようですが、まずは間垣親方として部屋付き親方からの出発だそうです。
 がんばれ白鵬間垣親方、炎鵬。

 プロスポーツ、サッカーや野球は招待券もらえば見に行くけれど、自分でチケット買って見に行くスポーツは大相撲が一番。

<つづく>




<つづく> 
 


 
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ぽかぽか春庭「日本の伝統スポーツ」

2021-10-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20211009
ぽかぽか春庭にっぽにあニッポン語教師日記>2021日本語学校スポーツの秋(7)日本の伝統スポーツ

 春庭勤務の日本語学校には、「日本の文化・社会」を学習する「日本事情」という科目は設置されていませんので、春庭は、通常授業のトピックを利用して日本文化・社会を紹介しています。

 中級教科書の読解教材「ラジオ体操」と言う読み物を学習したときは、教科書に書かれているラジオ体操事始めの文章を読んだり、日本で教育を受けた人のほとんど全員がラジオ体操ができることを紹介したりして、学生にも体操を伝授。youtubeでNHKテレビ体操を見ながら、マネして動いてもらいました。

 「この体操はいつでもどこでも、大勢でも一人でもできるスポーツです。今年は中止になったところがほとんどだったでしょうが、来年の夏は地域で行われるラジオ体操に参加しましょう」

 ラジオ体操練習のあとは、「日本の身体文化の歴史」学習です。 パワーポイントスライド(PPT)で「日本の古代スポーツ」を紹介。

 秩父宮記念スポーツ資料館が閉鎖中で、貴重な資料は現在東京国立博物館平成館で公開されています。
 9月20日敬老の日に観覧したところ、「だれでも無料」の日だったので、けっこう観覧者がいました。東京オリンピックほかのメダルやベラ・チャスラフスカ着用の赤い体操レオタードなどを見ました。

 古代スポーツの絵巻物などの資料も展示されていました。 
 古代の儀礼に使われた(であろう)大きな土器に、ふたりの人が組み合っている相撲を模した飾りがついています。

 「日本書紀に記録された野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)の天覧相撲 」を出して、「この相撲の試合を最初に見たと言う天皇は垂仁天皇といい、11代目の天皇です。今の天皇は126代目ですが、10代目の天皇から実在しただろうといわれていますから、11代も実在したと言っていいでしょう。古墳時代土器でわかるように、相撲は垂仁天皇が在位したときよりもっと古くから行われていたと思いますが、文字記録に残されたのは、ここからです」

「武家相撲絵巻」(鎌倉時代)には、武術として対戦する武士の姿が描かれ、見学の武士たちも大騒ぎ。


 次は、平安貴族の蹴鞠を紹介。

 「平成館」の展示、蹴鞠の装束、蹴鞠用の靴、鞠(秩父宮記念スポーツ資料館所蔵)

 蹴鞠が中国唐朝のスポーツから伝来したのに対して、流鏑馬(やぶさめ)は、ルーツはアジア中央高原のモンゴル民族ら遊牧民のの騎馬術が中国に伝わり、日本にも伝わったのだろう、なんていう文化の伝播と伝承について話します。


 youtueで、蹴鞠と流鏑馬の動画を見せ、「この重たそうな衣裳着てマリを蹴るなんて、現代のサッカー選手にもむずかしいかも」とチャチャを入れる。

 江戸時代の人気スポーツは、なんといっても相撲です。江戸土産として遊女浮世絵、役者絵、そして力士浮世絵が喜ばれました。

 関戸対加治浜

 江戸大相撲の大人気「谷風谷風vs小野川」

  蹴鞠も流鏑馬も、現代では神事になっていますが、大相撲は神事の一面を一部で保ちながらも、プロスポーツとして野球、サッカーの両人気に次いで、ゴルフ、バスケット、大相撲が観客を集めています。

 新横綱照ノ富士の土俵入り、立派でした。9月場所4日目の両国国技館で。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「スポーツ大会」

2021-10-07 00:00:01 | エッセイ、コラム



20211007
ぽかぽか春庭にっぽんあニッポン教師日誌>2021日本学校スポーツの秋(4)スポーツ大会

 日本語学校、秋の行事として、スポーツ大会を開催。学校から徒歩10分ほどのところにある市民体育館を借りることができ、バドミントン、ドッヂボールの種目。

 はる老師は右手ギプス姿。学院副理事と「東京オリンピック公式シャツ」でスポーツ大会に臨むも、老師は椅子に座ったっきり。副理事は意外にもバトミントンの名手でした。学院理事長(2009年中国赴任時の教え子)の妹夫妻である副理事ふたりが学院経営を担っています。


 学生たち、月火水の4限目をスポーツ大会予習授業として熱心に練習した成果があり、なかなか上手にバドミントンをプレー出来ていました。
 9月30日、緊急事態宣言終了一日前。私はプレー中はマスクをはずしてもいいと思ったのですが、学生は律義にマスクつけてプレー。 


 バドミントンとドッジボールの間の休憩時間に、応援ダンスの披露がありました。
 

 バドミントンもドッジボールも初級クラスの勝利。ドッヂボールは人数合わせのために、中級+教職員というチームでしたから、勝ち目はなかった。
 最後に、校長から表彰状とミニカップの授与。
 MVPは、バドミントンで活躍したベドナムの学生(学内で身長が一番高い)に。


 最後は体育館の床モップがけ。8本あったモップを8人が並んでいっせいにモップで進み、掃除もパフォーマンスとして楽しんだ学生たちでした。

 秋学期は10月11日から。学生たち、緊急事態あけの秋をそれぞれ楽しんで、新しい学期に向かいます。
 まだ新入生の来日が許可にならないので、「先輩」になるのは先になりそうですが、リフレッシュして新鮮な脳細胞に日本語をどしどし詰め込んでほしいです。

<つづく>
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