春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2017年2月目次」

2017-02-28 00:00:01 | エッセイ、コラム


ぽかぽか春庭2017年2月目次

0202 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>廃れものはやりもの(1)PAAP
0204 廃れものはやりもの(2)ユリコファースト
0205 廃れものはやりもの(3)移動する花ー唐の鬱金花、江戸の秋桜
0207 廃れものはやりもの(4)いつき組絶滅寸前季語辞典
0209 廃れものはやりもの(5)思いやり&大統領令ファースト?
0211 廃れものはやりもの(6)はつくにしらす、おわりも知らす

0212 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(1)朋有り遠方より
0214 2017十七音日記2月(2)百円本、割引券天丼、無料販促本&シドッチの顔
0216 2017十七音日記2月(3)義理チョコ友チョコめぐりあう日
0218 2017十七音日記2月(4)行きづらさチェック

0219 ぽかぽか春庭@アート散歩>光の春のアート散歩(1)映画「めぐりあう日」
0221 光の春のアート散歩(2)ティツァーノとヴェネツィア派展in東京都美術館
0223 光の春のアート散歩(3)スケーエン・デンマークの芸術家村in西洋美術館

0225 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(1)横浜中華街点心ランチ
0226 2017十七音日記2月(2)横浜マリンタワー、シーバス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「横浜マリンタワー、シーバス」

2017-02-26 00:00:01 | エッセイ、コラム

20170226
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(2)横浜マリンタワー、シーバス

 娘息子は初めて、私は1970年代に一度来たきりの2度目のマリンタワー。
 マリンタワーは2009年にリニューアルされたというのですが、ランドマークタワー東京タワーやスカイツリーに比べると、高さもないし、何を目玉にしているかな、とエレベーターで30階へ。展望台の高さは94mです。

 30階では、職員さん達がマリンタワーウェディング撮影の後片付けをしていました。横浜みなとみらいのビルを背景にしたり、氷川丸と港の景色を背景にしたりして、写真を撮るみたいです。
 マリンタワー、高さは低いですが、すぐ目の前に港やベイブリッジが見えるのが抜群のロケーションです。

氷川丸とクルーズ船マリンルージュ


ベイブリッジ。お天気がイマイチの曇り空です。


赤レンガ倉庫とみなとみらい


30階から階段で29階に降りてみると、3メートルほど下がっただけで、だいぶ回りの光景が変わって見えました。29階の目玉、床下が透けて見える場所があるというので、それぞれ足を透明アクリル板の床にのせてみましたが、両足をのせたのは娘だけ。私と息子は片足だけでやめておきました。もしも床が割れたら、下まで落ちてしまうかもしれませんから。


 臆病者の春庭、片足だけそっと置いてみました。

 夕暮れのマリンタワー。


 氷川丸のところまで行って、横浜駅行きのシーバスに乗船。
 寒かったけれど、オープンデッキのほうに座って、港の景色を楽しみました。

 中央にランドマークタワー


 みなとみらいの遊園地の観覧車、派手な色に輝いて華やかでした。


 赤レンガ倉庫とみなとみらいを経由して横浜駅東口乗り場まで。
 乗り場に出来た横浜ベイクォーターというシーバス乗り場ビルで夕ご飯となりました。ランチの点心でおなかいっぱいになったはずなのに「横浜に来るのはまたいつになるかわからないから、心置きなく食べていきたい」と、娘。

 2階から5階まで、ビルに入っているレストランをざっと見渡してから、結局最初に見た乗り場近くのButterというパンケーキの店で、「これは、夕食じゃないのよ、ちょっとおやつを大盛りで、という気分のパンケーキ」を食べることになりました。高級発酵バターを使ったパンケーキ、というのがウリなんだって。

 娘が食べたのは、フライパンに入ったふわふわのスフレみたいなパンケーキ。
 

 息子が食べたのは、いちごたっぷりのパンケーキ。

 ひとりでカフェに入ることもない息子ですが、家族といっしょなら、こんな乙女チックなパンケーキを頼んでも恥ずかしくない。私は、ちゃんとお夕ご飯にしたいと思ってロコモコを食べました。

 東京の町は、渋谷新宿も「日常の延長のエリア」に感じるけれど、横浜まで足を伸ばすと非日常の「ミニトリップ」感があります。
 娘は「次は、ランチかディナーの港一周クルーズに乗りたいな」と、リクエスト。小学生の遠足のようなノリですが、娘が小学生のころは、近所の公園や荒川河川敷に遊びに行くのがせいぜいの貧乏一家でしたから、子供の頃に果たせなかった行楽を、やっと今家族で楽しんでいる、ということなのです。
 娘は、「ああ、一日楽しかった」と、大満足。私も、娘が楽しい思いをしたと感じると、免疫力も増えた気がして、うれしい。

 媽祖廟で、無信仰な娘と息子は「媽祖廟って、道教の神さまだから、日本の人に御利益あるるかどうかわからないもん」と、ちゃんとお参りしてませんでしたけれど、私はしっかり願いことをしてきましたよ。仏教だろうと道教だろうと、この世のすべての神仏はわたしを守るためにあると信じているので。


 媽祖廟の左のはしっこにいる、娘と息子

 
<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「横浜中華街点心ランチ」

2017-02-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170225
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(1)横浜中華街点心ランチ

 今のところ食べることだけを楽しみにしている娘のリクエストで、横浜中華街へランチを食べにいってきました。状元樓という上海料理の店。
 中華でも四川料理などは、辛い食べ物苦手な娘は食べられないので、上海料理の点心ランチなら、と、選びました。実は「返礼品ギフトブック」の中の選択肢のひとつです。2人前セットなので、1人前を追加して予約しておきました。
 みなとみらい駅からすぐ、中華街に入ります。


 状元樓の入り口。創業は1955年で、上海フランス租界のイメージで内装を整えている、ということでした。


二人連れ用のカウンター席


 グルメバラエティの「ごちになります」という番組で、松田聖子と荒川静香が状元樓で中華料理の値段当てに挑戦したことがあるということでしたが、私はちょうどそのときは中国で仕事をしているころで、番組をみていませんでした。

 ミーハーな私は、「聖子ちゃん達がごちに出演したときは、このフロアでしたか」なんて質問してみました。すると係の人は「前の晩からセットが持ち込まれて、丸一日かけてのロケでした」などと、番組作りの裏話をいろいろしてくれました。ひとつひとつ注文してから調理を始めるので、最初の料理から最後まで6時間以上かかった、などの話を聞いて、「仕込みじゃなくて、ちゃんとひとつひとつ作っているんだあ」と、興味深く聞いていました。

 前菜、春巻き、点心、チャーハン、デザートのランチコース。「ごち」に出てくる料理のように豪華ではなかったけれど、おいしかったです。家でも食べたいね、と、おみやげにフカヒレ饅頭を買いました。
 
点心


 中華街をぶらついて、食べ物などいろいろなものを買い込みました。
 関帝廟と媽祖廟にお参り。
 「おばあちゃんと媽祖廟に来たんだよね」と、2011年2月に姑と中華街を歩いたことをなつかしく思いだしました。もう一度おばあちゃんといっしょに来たいね、と言っているあいだに、急速に姑は弱ってしまったので、それでも元気なうちにいっしょに歩けてよかった、と思います。



 マリンタワーに上ったことないから、行ってみたいと娘息子が言うので、私も20代のころ一度ひとりで上ったきり、横浜に来てもマリンタワーという気になったことなかったので、行ってみることにしました。



<つづく> 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「スケーエン・デンマークの芸術家村in西洋美術館」

2017-02-23 00:02:03 | エッセイ、コラム

スケーエン芸術家村展のポスターになっている絵。「バラ」(1893年)ペーダー・セヴェリン・クロヤー 

2017025
ぽかぽか春庭@アート散歩>光の春のアート散歩(3)スケーエン・デンマークの芸術家村in西洋美術館

 無料の一日、東京都美術館で楽しみ、午後は西洋美術館の「通常展示いつでも65歳以上は無料(通常展土曜日と日曜日は一般も無料)を見ました。
 通常展のなかに「スケーエンの芸術家村」という展示があり、59点のデンマーク絵画を楽しめました。

 美術に関心を持ってきたといっても、イタリアルネサンス美術、イギリス大英博物館、フランスルーブル美術館など、私の知るところはごく限られたた範囲なので、では、北欧の芸術について知るところを述べよ、などという課題が出たとして、え~デンマークが誇るアンデルセンは、日本の文学にも大きな影響を与えたところは皆様知るところでありますが、美術絵画となりますと、その、、、、、何も知りませんでした。

 日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念と銘打ったデンマークの芸術家村スケーエンの紹介。私は、デンマークの町といえばコペンハーゲンしか知らず、スケーエンという北欧屈指の風光明媚な町も知りませんでした。ヨーロッパの北のはしっこにつきだしたユトランド半島の一番北のはしっこにあるのがスケーエン。北海からの波とバルト海側からの波が、ゆったりとぶつかり合う海の景色がすばらしいそうです。
 日本では、Skagenデンマーク語発音でスケーエンを、英語発音にしたスカーゲンが時計のブランドとして知られているほかは、Skagenはなじみのない固有名詞でした。

 かってスケーエンは、小さな漁村でしたが、「海と空、静けさのほかには何もない」ようすにひかれた芸術家たちが、19世紀末から20世紀初めにかけて集まるようになりました。北欧の国々から画家や詩人、作曲家などが住んだり夏の保養地として滞在したり、国際的な芸術家村として知られるようになりました。
 
  スケーエンには数十人がゆかりの芸術家となっていますが、ほとんどはコペンハーゲンその他のデンマーク、また北欧ノルエィやスエーデンなどから移り住んだり旅行にきた人々です。なかで、唯一スケーエンで生まれ育った画家がアンナ・アンカー(1859-1935Anna Ancher)です。

 彼女は、女性が美術教育を受ける機会を与えられていなかった時代のデンマークで、最初に女性画家として名をなした人です。
 アンナの父は、乾物屋兼居酒屋兼宿屋を経営しており、この地にやってきた画家達の集まる店になっていました。画家達から影響を受けて、アンナは絵を描きたいと望みましたが、19世紀後半になっても、デンマークには女性が学ぶことの出来る美術学校はありませんでした。
 アンナの指導をしたのは、父の宿に集まる画家達、ことにミハエル・アンカーは彼女の才能を認めて熱心に指導し、ついには、アンナ21歳の時に結婚。

 結婚後、ミハエルはアンナを連れ、ドイツ、ウィーン、オランダに旅し、ことに1988年からのパリ滞在では、アンナはピュヴィス・ド・シャヴァンヌに師事し、才能を花開かせることができました。
 夫とともにスケーエンに帰ったアンナは、身近な人々や室内、スケーエンの風景などを描きました。
 ミハエルが1927年に亡くなり、アンナも1935年に75歳で没しました。

 西洋美術館で、いつもはモネの作品が飾られている部屋と、印象派の部屋がスケーエン美術の展示室になっていました。
 アンナ・アンカーの作品。印象派の影響が大きい作風ですが、室内の女性達も戸外の風景も、夫とともに絵筆を握り、子育ても画業もまっとうした女性の自然な描写だと思います。
 「国民が感じるしあわせ数」でいくと、いつもトップクラスの国になるデンマーク。
 静かなスケーエンの海辺は、バルト海と北海の海が出会う海岸でもあります。さまざまな国の芸術家たちが寄り集まってひとつの世界を作り上げていったのですね。

アンナ・アンカー「戸外の説教」


アンナ。アンカー「古い窓」


<おわり>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「ティツァーノとヴェネツィア派展in東京都美術館」

2017-02-21 00:00:01 | エッセイ、コラム

東京都美術館第3水曜日

20170221
ぽかぽか春庭@アート散歩>光の春のアート散歩(2)ティツァーノとヴェネツィア派展in東京都美術館

 2月の第3水曜日「美術館無料観覧の日」は、上野の東京都美術館へ。
 日本で確実に客を呼べる美術展は、印象派とルネサンスだ、ということを聞きました。人気のルネサンス、どれくらいの混みようかなあと思いながらが、朝9時40分に東京都美術館に到着。15分ほどの待ち時間で「ティツァーノとヴェネツィア派展」開場に入ることができました。NHK日曜美術館で「ティツィアーノとヴェネチア派展」が放映される前だったので、人の頭ごしでないと見ることができない、というほどではありませんでした。(展覧会の紹介放映は2月26日)

ティツィアーノ展ポスター


 毎回、無料水曜日に押し寄せるジジババたち。今回はそれほどの混みようではなかったけれど、いつもの第3水曜日に比べて、ジジの率が高いように感じました。いつもの水曜日だと10人中ババが9人、ジジが1人。それが、今回はババ6人にジジ4人という比率。(足やすめに椅子に座っているとき、数えた)

 ジジはルネサンス絵画好きなのか、と思いましたが、まもなくなんとなく理由判明。美しい裸婦像が、各階の目玉として鎮座しています。ジジひとり、ジジ二人組は、裸婦像の前でじっと玉の肌を眺めているのでした。

 ティツィアーノの代表作のひとつ「ダナエ」。ギリシャ神話に基づく絵です。


 アルゴス王アクリシオスは、「王の娘ダナエが産む男の子によって、アルゴス王は殺されるであろう」という神託を受けて、ダナエを幽閉します。しかし、ダナエの美しさを知ったゼウス(ラテン語ユピテル、英語ジュピター)は、変幻自在の術を用いて、なんと「金貨の雨」に姿を変えてダナエの体に降り注ぐのです。ダナエは、ペルセウスを産みます。

 金貨の雨を体に受けてうっとり官能にひたっているダナエの表情もちょっと肉がタブ付き気味のおなかもいいなあ、と思って画面を眺めながらも、私なら金貨の雨降り注いだらうっとりなんぞしているひまに、金貨かき集めちゃうだろうなあと、さもしい感想。もっとも美女が大好きなゼウス、私になんぞ降り注いでくれませんけれど、、、、。金貨じゃなくても、せめて銅貨10円玉でもいいから、などと思いながら、金色が劣化していて見分けがむずかしい画面中央の降り注ぐ金貨を眺めていると、美術鑑賞の熱意高きジジは、白いベールに隠されている足と足の間をじっと見つめているのです。
 ま、関心の集中点が異なるのは、みんな違ってみんないい、ですよね。

 今回の一番の目玉は、ティツィアーノの「フローラ」。ポスターやチケットの画像になっています。


 聖母子像も各階にたくさんありました。マリアは美しい。でも、毎度の感想ですが、なぜ聖母子像の赤ん坊は、どの子もみなかわいらしくないのでしょう。もしかしたら、聖なる赤ん坊を美しくかわいらしく描くのは御法度なのかしら。将来エラい救世主になる赤ん坊は、にこにこかわいらしく愛想振りまいていちゃいけなくて、できるだけ不機嫌な顔でいることが、磔の身となる将来をみすえているのである、などと。

 まあ、そんな母子像や貴族の肖像、法王の肖像はちゃっちゃと見ていき、ティツィアーノの次のスターはティントレット。

 ティントレットの代表作「レダと白鳥」
 私は、白鳥の首がヒワイなくねり方やなあ、と思いましたが、ジジたちは、薄いベールに透けるその部分を熱心に見ていました。


 これらの裸婦像も、聖母子のマリア様も、モデルになっているのは、高級娼館の美女達。ヴェネチアの裕福な商人や貴族たちがご贔屓であった彼女らは、高い教養を身につけ、贅沢な衣装や貴金属で身をかざっていました。娼婦たちは、貴族やお金持ちの相手をしつつ、画家の前では、モデル料如何により、いかようにも身をさらして画面に納まりました。おかげで、500年のちの世のジジ達も、惜しみなく与えられるその美しい裸身をじっと見つめることができるのです。おゲージツですもの。美しいものを見てるのよね。芸術の鑑賞なんですから、どうぞ飽きるまで。

ティツィアーノ「マグダラのマリア」


 ルネッサンス。フィレンツェ派もヴェネツィア派も、各地王侯貴族の注文を受けて絵を描きまくり、「人類の宝」を残しました。
 ティツィアーノ『ディアナとアクタイオン』は、2009年に5,000万ポンド(2009年レートでは約75億円)でロンドン・ナショナル・ギャラリーとスコットランド国立美術館が共同購入した人類の宝、ティツィアーノの「聖会話」は、2011年のサザビーオークションで1688万2500ドル(約14億円)ですって。はは、私の鑑賞法、どうしても黄金の雨の降り注ぎ方に注目です。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「めぐりあう日」

2017-02-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170218
ぽかぽか春庭@アート散歩>光の春のアート散歩(1)映画「めぐりあう日」

 夫の映画パスポート借りて、飯田橋ギンレイホールで「めぐりあう日」を見ました。
 「めぐりあう日」は、実の親を知らずに育った女性の、母親さがしの物語。

 「めぐりあう日」のフランス語原題は、「Je vous souhaite d'être follement aimée あなたが狂おしいほどに愛されることを、わたしは願っている」
 シュールレアリズムの作家アンドレ・ブルトン『狂気の愛』の最終章に出てくる一節、ブルトンが娘に捧げた手紙からとられています。 

 映画には以下のブルトンの詩が出てきます。産まれて8ヶ月の娘が16歳になった春を思って語る、父のことばです。

美しい春 君は16歳 この本を開くだろう
さんざしを揺らす風がその題名をささやく
いつも笑っている8ヶ月の愛しい娘
君は珊瑚 君は真珠 
君の誕生に何一つ偶然はない
生まれるべき時に誕生したのだ
早くも遅くもない
君のゆりかごの上に暗い影はない
子供を生むのは狂気だと思い込み
私を生んだ人々を恨みに思っていた
16歳の君を見つめる
まだ恨みを知らない娘
僕は君の目を通して自分を見つめる
夢と希望と幻想が君の頭の中で踊る
巻き毛の輝きをあびて
その場に僕はいない
ずっと君を見ていたいのに
運命の分け前が十分かどうか分からないが
生きる喜びを謳歌せよ愛を待ちながら
」 訳詞:古田由起子
 (アンドレ・ブルトン「狂気の愛」は、海老坂武訳 光文社古典新訳文庫と、笹本孝訳思潮社版があります)。

 ブルトンは、恋多き生涯のなか、シュルレアリストとしての文筆活動をまっとうしましたが、私はその名を知るのみで、娘にあてて、このような詩を書いていることもしりませんでした。2016年9月が没後50年の年でしたが、いくつかの記念イベントにも無関心でした。

 「めぐりあう日」の主人公エリザは、子どもに恵まれなかった両親に養子として施設からひきとられました。両親も承知のうえ、エリザは匿名を希望していた実の母親を探し出そうとします。10歳の息子ノエをつれ、夫と別居してフランス北部の港町ダンケルクに引っ越してきました。ノアは移民の子も大勢いる小学校に転校しますが、なかなか周囲になじめません。ノエは、青い目ブロンドの母エリザとは異なり、フランスの植民地だったアルジェリアやモロッコあたりの風貌をしている子どもだからです。給食係に「豚肉を食べてもいいのか」などと質問され、自分と周囲に違和感を感じています。

 エリザは理学療法士の仕事を続けながら、実母の手がかりを探します。エリザと夫との関係が不安定になったり、息子とうまく心を通わせあえない理由も、養母ともそれほど親密ではないようすも、「私はだれなのか」というルーツを知らないで育った人に多いという不安な心が関わっているのかも知れません。

 ノエの小学校で子どもの世話役として働く中年女性アネットが、エリザの患者として治療室を訪れます。独身で母親とともに暮らしているアネットは、
 エルザとアネットはしだいに互いに親近感をかんじるようになっていきます。

 子どもにとって、自分がどのように生まれてきたのかは、アイデンティティの上で大きな意味を持っており、親を知らないことが心の不安定につながることも多い。
 ウニー・ルコント監督は、韓国の児童施設からフランスに養子として連れてこられた自らのルーツを大切にしていて、出生について知りたい、という人の心がよくわかっている人です。

 出生のいきさつを理解したエリザは、以前より自分の人生をもっと大切にしていくだろうと、ウニー・ルコント監督は描いていると思います。
 ノエは幼いなりに、なぜ自分が他のフランス人の子どもとは違う風貌に見えるのか、思春期前の心に得心がいったらしい。ダンケルクからの船旅で海と空を見つめるノエの表情は、晴れやかな顔をしています。

 私の娘は、子どもの頃「両親の結婚式から半年後に産まれた私」を気に病んでいた時期もあったみたいですけれど、今では「母は、もうちょっとマシな人と結婚しようと思えばできたくらい、若い頃はかわいかったのに、どうしてまた、父と結婚しちゃったかなあ」と、いいながらも、父親にちゃんと手作りチョコをあげる娘に育ちました。「3倍返しが目当てだ」と言っていますが。

 母もねぇ「君の誕生に何一つ偶然はない 生まれるべき時に誕生したのだ」と、ブルトンのように歌い上げたいけれど、さて、ケニアでへんな日本人と出会ってしまった偶然の「めぐりあう日」によって出生した娘へ、「運命の分け前が十分かどうか分からないが、生きる喜びを謳歌せよ愛を待ちながら」と、ブルトンを引用しておきましょう。

<つづく>
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「生きづらさチェック」

2017-02-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170218
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(4)行きづらさチェック

 ブログ友のまっき~さんは、「ヘンタイ、キチガイと呼ばれるのは褒め言葉に感じる、意外とフツー、と評されるととても落ち込む」と、自らの性格を分析して書いていらっしゃる。モノカキとして生きていく上で、「フツー」では筆は走らぬ、というのはわかる。
http://blog.goo.ne.jp/macky2466/e/a1dde873d3e0b7e09048a9d99cedd998#comment-list

 で、私は。
 私は、自分自身を分析して「自分では変わり者のように思っているけれど、他人から見たらとりえのない凡人。凡人なのに、なぜ世の中と折り合えぬのか」と思ってきました。

 子どものころから、人が集まる場所にいると居心地悪さを感じ、人の中にいることが苦痛でした。大人になったら、社交ということができず世間話ができず、私は社会生活不適合だと感じてきました。それは「性格の悪さ」だと思い、それが「診断できる病気」とも思わないまま、結婚もし育児もしてきて、なんとか生活してきました。

 性格悪いために友達が少ないということが残念なことではありましたが、そのためにものすごく不自由があったわけではなかったので、自分の生きづらさは自分でがまんするしかない、と思ってこの年齢になりました。

 発達障害という語を知ったのは、はるか昔のことですが、それは「世の中には発達が他の子と異なる子供もいるので、そういう子も受け入れていける教師でありたい」などと思っていたのです。「大人の発達障害」ということばを知ったのは近年になってからですが、「大人になっても不適応なことが多いと社会生活がたいへんだろうなあ」と、ひとごとに思っていました。人付き合いができないために自殺した漫画家の山田花子のような人を思い浮かべていました。
 発達障害の具体的なあらわれを深く考えたことがなかったから、私自身が社会で生きづらいことと、発達障害ということばが結びついていなかったのです。

 あるチェックリストを試して見て、びっくりしました。ほとんど当てはまりましたから。
<衝動性>
・後先考えずに、行動・決断してしまう。>はい
・人がしゃべっている時でも、つい発言してしまう。>はい
・喋りが長くなりやすい。喋り過ぎと言われる。>はい
<多動性>
・何時間も同じ作業をするよりも、10分や20分など短い単位で複数の作業をする方が楽だ。>はい
・同じことを繰り返し長い時間するとミスが多くなる。>はい
・貧乏ゆすりなど体の一部分が揺れがちで、かつ揺れると落ち着く。>いいえ
・1対1で話していても相手の話についていけないことがあったり、他のことをついつい考えてしまっている。>いいえ
<不注意>
・大事な授業や会議でも集中できず時には寝てしまう。>はい
・注意していても、何かをし忘れたり、何かをし間違っている。>はい
・よく物にぶつかったり壊したりする。>はい
<抜け漏れ>
・二つ以上の仕事や作業をこなそうとすると、どうしても両方とも中途半端になってしまう。あるいはどちらかをすっかり忘れる。>はい
・約束やすべきことをメモをしていても忘れてしまう。>はい
・いつも詰めが甘い。終わったと思っても、何かをし忘れたり、何かをし間違っている。>はい
<その他 ADHD的な特性>
・しないといけないと分かっていても締め切り間際にならないと行動できない。>はい
・おっちょこちょい、落ち着きがない、と言われることが多い。>子どもの頃は、はい
・大事な会議や約束も念入りに準備しても数分から数十分遅刻してしまう。>はい
・整理整頓が苦手で、片づけられない。>はい
<社会性>
・丁寧に接しているつもりでも、無礼だとか失礼だとか言われてしまう。>はい
・綺麗な身なりのつもりでも、清潔感がないと言われてしまう。>はい
・相手の嘘や悪意がわからず、騙されてしまう。>いいえ
・うわさ話や陰口がどうしても許せないし、自分でも言わない。>はい
<コミュニケーション>
・伝えたいことはわかっているのだが、言葉でまとめるのが苦手だ。>対面で音声言語ではできない。文字を書いてなら伝えられる。
・話すことが好きで語彙も豊富だが堅苦しい>文字でなら対話できるが、堅苦しい。
・辞書みたいな話し方だと言われることがある。>いいえ
・会話をするときに相手の目を見て話すことができない。>はい
・ジェスチャーが多すぎると言われることがある。あるいはジェスチャーを全く使えない。>いいえ
<想像性・こだわり>
・興味の範囲が限られ、他の人の話に関心を抱けない>いいえ
・違うことを試すよりも、同じやり方を何度も繰り返す。>いいえ
・悪気はないのに事実を言ってしまい、相手との関係性が悪くなったりしたことがある。>はい
・日々のルーティンが何らかの理由で出来なかったり、予定していたスケジュールがキャンセルされると、動揺して頭が真っ白になる。>いいえ
<感覚過敏・鈍麻>
・飲食店など大勢の人がざわついている場所では、相手との会話が聞き取りにくい。>はい
・偏食がひどく、においの強いものや特定の食感のものが食べられない。>いいえ
・季節や気温にあった衣服の調節などがうまくできないと感じる>いいえ
<その他 AS/ASD的>
・身体を動かすことが苦手で、特に野球やサッカーなど球技は嫌いだ。>集団競技は嫌いだが、一人で体を動かすならOK.
・身体の動きがカクカクしている、ロボットのようだと指摘されることがある。>いいえ
・手先が不器用で細かな作業が苦手だ。>いいえ 1cm角の紙だと手間取るが、2cm角の紙ならツルは折れる。

 自閉症スペクトラム(ASD=Autism Spectrum Disorder)や、多動性障害(HD=Hyperactivity Disorder)に当てはまることは多くないですが、注意欠如障害(ADD=Attention Deficit Disorder)のほうに当てはまることが多々ありました。

 たとえば、子どもの頃、毎日忘れ物をしてしまって家に授業の道具を取りに帰ったこと、今でも、約束や持ち物などたいていのことを忘れてしまい、不義理をしていること。よくものを壊すこと。よく物にぶつかって痛い思いをすること。整理整頓できないこと、などなど。
 「性格のせい」と思っていたことが、「一種の脳の欠陥」ということらしくて、なぜ私はいつもこうなのか、について腑に落ちました。
 が、今更どうにも改良の余地はないようで、死ぬまで自分の欠陥は欠陥として生きて行くしかありません。

 ADDの欠陥にも、軽度なものから重症まであるのでしょう。私の場合は、社会生活がまったくできないほどの欠陥ではなく、なんとか暮らせてはきたのですから、この先の心配などしなくてもいいのかもしれません。また、多動性は低く、注意欠陥のほうにあてはまることが多いというのも、わかりました。

 同じ教師の仕事でも、職員室でのコミュニケーションが大きな部分を占めていた中学校教師は苦痛であったのに比べて、大学講師を20年以上続けてこられたのも、非常勤講師室でひとこともしゃべらなくても、授業を自分なりにやっていけば職業として成り立ってきたからです。

 授業中の学生と教師として授業についてのコミュニケーションをとることはできましたが、日本人学生から「先生もぜひいっしょに」と、コンパなどにさそわれても「用事があるので」と、断ってきたし、留学生センターなどの修了式後のパーティなどでに出なければならないときは、できるだけ隅っこにいて、話しかけられないようにしていました。あるいは、何人かがしゃべっている輪から一歩下がって、にこにこして相づちを打っているだけなら、それほど無愛想な変人と思われずにすごせました。

 大人になって、それなりに相手との距離の取り方を学んだので、なんとか生活はできましたが、高校時代の同級生せっちゃんと話してみたら「高校時代のあなたは、すごくこわい人だったよ。話をはじめると一方的に難しいことをまくし立てるので、ついていけなかった」と、いう評でした。
 高校時代に私と親しくしてくれた人は、やっちゃんくらいでした。やっちゃは誰とでも仲良く出来る人でしたから。

 中学高校を通じて、相性の悪い教師からは徹底していじめられたのも、私の「空気読めない、愛想ない、納得できないと目上の人にでも突っかかっていく」という性格が災いしたのだと思ってきましたが、まあ、この性格を作り上げたのも脳のなせるわざ。

 いまさら、愛想笑いの上手な人になろうとも思いません、男性にモテたいとも思わないので、私は私の欠陥を承知しつつなんとか残りの人生をまっとうしましょう。
 ブログ友達とリアル友としてもおつきあいできる方々、うらやましいです。私に会ってみてヤナ奴と思った方、以上のような欠陥をご理解の上お許しくださいませ。


2016年2月。ミャンマー、バガンのホテル前でやっちゃんと。

 やっちゃん、友達でいてくれて、ありがとう。

 <おわり>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「義理チョコ友チョコ」

2017-02-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170216
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(3)義理チョコ友チョコめぐりあう日

 息子、昨年まではかろうじて、大学院の後輩女子院生がくれた義理チョコをもらっていましたが、現在所属している研究所の研究生仲間は男性ばかりなので、今年は義理チョコすらゼロ。そこで、姉に先に「3倍返し」のプレゼントをあげていました。娘は、去年はミャンマー旅行の準備が忙しくてチョコ作りができなかったので、「今年は去年の分もがんばって作る」と張り切り、オトート君の3倍返しプレゼントに応えました。

 娘が作った手作りチョコ。板チョコを溶かして、ナッツ混ぜたりドライフルーツを混ぜたり、トリュフ型チョコにしたり。トリュフチョコは、生クリームをまぜて丸くしてラップで包み、さらにチョコでコーティングして手間暇掛かります。
 「この手間暇が、あなたのために心をこめて作りました、ということになるのだから、母みたいに、ありがさを感じないでガポガポ食べちゃう人、もっとありがたみを味わってよ」と、娘が言います。

 でも、娘には、心を込めたトリュフ型チョコをあげる人はオトート君のほかはおらず、板チョコ10枚分も溶かしたので、たっぷりトリュフチョコもあります。父親からの3倍返しを期待して、父親の事務所に届けることになりました。

 14日火曜日。娘が父親にチョコ渡している間、私は夫の映画パスポート使ってギンレイホールで『めぐりあう日』を見ることにしました。2011年3月にギンレイホールで見た『冬の小鳥』のルコント監督の作品です。
 
 『冬の小鳥』の春庭感想文はこちら。
http://blog.goo.ne.jp/haruniwa2/e/61cc63729374b287bc7b4c74630f9847

 私が友チョコあげたのは、ジャズダンスの先生とミサイルママへ。
 ミサイルママ、昨年10月からホテルレストラン業務を学ぶ学校の、最後の追い込みにかかっています。実習、研修が続き、同時に履歴書や業務経歴書をパソコンで作成して学校へ提出しなければなりません。

 1月末に、図書館で待ち合わせして、図書館のパソコンコーナーでお手伝いしました。
 業務経歴書はパソコン制作なので、パソコンを教えて、というミサイルママのお願い。これまでミサイルママには、ジャズダンスの衣装を買ってきてもらったり、お世話になりっぱなしで、私のほうが手伝ってあげられることがありませんでした。パソコンのお手伝いができて、とてもうれしかったです。

 ミサイルママが「一応、前の会社のパソコンでワードの使い方は覚えたけれど、タイピングが遅いので、月曜日提出に間に合いそうもなくて困っている」と言います。「明日、図書館のパソコンでやってみたいけれど、図書館のパソコンになれていないから、いろいろ教えてくれない」と、頼まれました。

 ミサイルママが自分で履歴書のタイピングをやってみたら、2時間かかっても仕上がらなかった、というので、「私、しゃべる早さでタイピングできるから、経歴書くらいわけなく仕上がるよ」と、学校が配布した定型があるので、手書きの経歴書をタイピング清書し15分ほどで仕上げました。

 私の得意のタッチタイピング、しゃべるよりも簡単。得意なことがひとつあって、友達助けてあげられてよかった。はじめてミサイルママに役立つことができた。
 ミサイルママが、お礼にハンカチくれたから、ハンカチのお礼にチョコあげました。

 今まで、振り付けは覚えられないし、発表会衣装はどこかにしまい忘れてしまうし、助けてもらうばかりで、何の役にも立たなかった私が、はじめてミサイルママの役にたったので、面目施しました。

 娘からの義理チョコもらって、タカ氏は超ごきげんだったみたい。娘とランチしただけでなく、新潮社倉庫だったところがレストランやおしゃれなショッピング街になった、というビルに行き、ごじゃれたティータイムをすごしたのだって。
 ろくろく父親らしいこともしてこなかったのに、親孝行な娘といっしょにすごせて、私に感謝しろっての。

<つづく>
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「百円本、割引券天丼、無料販促本&シドッチの顔」

2017-02-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170214
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(2)百円本、割引券天丼、無料販促本&シドッチの顔

 11日土曜日、娘といっしょに池袋に行きました。娘が東急ハンズで革細工のトートバッグを作っている間の11時半から6時まで、私は池袋をぶらぶらしていることになりました。娘は「親がいっしょに来ているなんて恥ずかしいから、ハンズには来ないでよ。帰りにいっしょに晩ご飯食べるまで、ぶらぶらしててね」と、言います。最近の風潮だと、どこにでもいっしょにでかける母娘は「問題あり」と見なされるんだって。
 息子は史学研究会に参加し、研究会が終わったら池袋で合流。晩ご飯を食べて帰る、という計画です。


 池袋のひとり散歩。今日も「無料」を楽しむのココロ。
 ます、ブックオフで100円本さがし。11時から11時45分まで。
 100円だったら読んでもいいかなと思っていた姜尚中『悩む力 正続』など、新書を4冊。4冊でやめにしたのは、2月6日に新宿ブックオフで買った文庫本7冊もまだ読んでいないから。
 百円本、好きだなあ。

 西池袋公園のイベント「バレンタイン・ファンタジー池袋」やっていました。ちょこっとのぞいてみたら、休憩所がテントでしつらえてあり、石油ストーブがあったので、近くの椅子にすわり、12時から12時半まで、シャンソン歌手が歌うのを聴きました。冷たい風のなか、聴いているのはおもにお年寄り。シャンソンですから、あまり若者向きではないジャンル。「雪は降る」とか、冬向きの歌でますます冬気分。無料のシャンソンコンサート30分。

 やっぱり外ですごすのは無理、と思って、南口をまわってジュンク堂へ向かう。
 近くの「てんや」へ。1月18日に目黒駅前のてんやで天丼食べたら、ちょうどサービスデーで、100円割引券をもらいました。11日は、割引券があるから、500円の天丼にイカとナスを追加して腹ごしらえして、1時半。

 それから延々6時までジュンク堂ですごしました。土曜日だからトークショウなどのイベントがあるかなと期待していたのですが、何もなかった。

 池袋のジュンク堂は各階のエスカレーター脇に椅子がおいてあるので、立ち読みじゃなくて座り読みができるので、お気に入りの本屋です。1階のレジカウンターの移置が、前きたときと変わっていました。そういえば、ミャンマーに出かける前あたりから来ていなかった。古本屋ばかり行っていたので。
 本をきっちり把握している店員さんがいるところもお気に入りの要素のひとつです。

 今回はまず8階の芸術本売り場へ。写真集をいくつか籠に入れて、座り読み(読みじゃなくて、座りながめだけれど)
 店員さんが通りかかったので、「あの、3Dアートの本は、このフロアにありますか」と尋ねる。店員さんは即座に「あ、それは2階の趣味健康のフロアの、目がよくなるアートの棚になります」と、教えてくれました。

 うちの最寄り駅前の文教堂で、当時のベストセラーだった「『問題な日本語』という本ありますか」とたずねたら、店員さんは「あ、はい。こちらです」と、国語問題集などが並んでいる受験本の棚に案内してくれました。はあ、日本語問題集ではなくて、「問題な日本語」が欲しかったの。本を買うなら、本をよく知っていて本が大好きな店員さんがいる店で買いたいです。で、ジュンク堂や紀伊國屋が好きなんだけれど、新宿南口の紀伊國屋撤退。家具のニトリに変わりました。本屋、衰退産業なことは20年前から言われていたけれど、紀伊國屋でもダメなんですね。

 1時間ほど8階で座り読み。写真集、重たいから買いません。図書館に行ったら借りようと思う本の題名だけながめる。

 2階に移動。「家庭の医学」系統の書棚。「自分で治せる○○」などの棚に「ぐんぐん目がよくなる3Dアート」が並んでいました。ほんとうに目がよくなるのかどうかはわかりませんが、私は、この3Dアートをながめるのが好き。
 目を平行法で焦点を合わせると、絵の中に立体が浮かび上がるのです。パソコンの画像にもたくさんの3Dアート作品が発表されていますが、私は紙の本が好き。

 2階には椅子がなかったので、5冊を持って3階へ。一番好みにあいそうな絵柄のを買おうと思って、各ページを立体視していったら、5冊分けっこう時間がかかりました。

 前は、このへんで一度、ジュンク堂4階のカフェへ行き、ドリンク無料券を出してコーヒーを飲んで一休みする、というのがコースでした。
 本の合計額が1万円以上になると、本の宅配サービスかカフェ券のどちらかを選べたのです。むろん、私はカフェ券を選び、重たくても本は抱えて帰宅。そして、次にジュンク堂に寄ったとき、カフェ券を使ってコーヒーをのみながら、一休み、というのが楽しみでした。
 いつだったか、カフェ券もって4階に行ったら、カフェ閉店だったので、ガ~ン。カフェ券無駄になったよう、と泣いた。

 サービスカウンターに行って、岩波の「図書」、講談社の「本」などをもらいました。新潮社の「波」は品切れ。無料が好きな私、本屋ではこれらの無料出版販促情報本をもらうのが恒例。ただなのに、読み応えがあります。いつもは自分の趣味嗜好の本棚をながめて終わりにしてしまうけれど、これらの無料本には、自分の目が向かない分野の著者の書いた文章に出会うチャンス。

 図書2月号。「シドッチの顔」について書かれた文章を興味深く読みました。
 あとで調べてみれば、昨年11月に国立博物館が、シドッチの顔を復元したことは報道されていたのに、私ときたら、トランプの顔にばかり気を取られていて、このニュースに気づいていませんでした。

 シドッチは、1708年、鎖国下の日本に潜入したイタリア人宣教師です。屋久島に上陸して捕らえられ、江戸に送られました。江戸では新井白石と面談し、白石と心を通わせるようになりました。白石は本来処刑となる宣教師を、キリシタン屋敷におき、囚人としてではなく、二十両五人扶持の給金を支給する措置をとりました。

 シドッチとの面談により、白石は『西洋紀聞』『采覧異言』を執筆。以後、江戸幕府は蘭学を許すようになりました。シドッチと白石の友情がなければ、江戸幕府が蘭学を受け入れることも遅れ、日本の近代化ははるかに遅れたことでしょう。いわばシドッチは、日本近代化の恩人であるのに、これまで獄死したその墓の存在すら忘れられていたのです。

 2014年に小石川キリシタン屋敷跡から3体の人骨が発見されました。骨のわずかなDNA分析により、1体はイタリア人であることが判明。シドッチと屋敷の世話係、長助とはる夫婦であることが確実と考えられています。

 ばらばらになっていた遺骨の復元、そして頭骨から顔が復元されました。シドッチはやさしいおだやかな顔をしていました。



 私は、白石の『西洋紀聞』を読んだことなかった。でも、シドッチのお顔がとても美しいので、西洋紀聞を読んでみたいなあと思いました。
 本はいつも「よき友」です。白石とシドッチが心通わせたように、私も本の中の友と心通わせていたいです。
 生身の私は、僻みねたみそねみのヤナやつなので友達少ないですが、本の中の友ならいくらでも対話できる。

 シドッチさんとお話ししているうちに息子からメール。
 池袋に来た息子といっしょに、家電量販店でテレビ用ヘッドホンを買う。今つかっているヘッドホンの左耳の音がでなくなったので、1400円にて新品を購入。オーディオ用のヘッドホンって、へぇ、5万円もするのがあるんだ。買わないけど。

 息子はゲームにつかうのだというフィギュアを買いました。このフィギュアがあると、ゲームで使うアイテムが手に入るのだって。ようわからん世界だ。

 革トートバッグを作り終えた娘と合流し、サンシャインアルパ食堂街の店で、オムライス&ケーキセットの晩ご飯。3人分で5000円。

 今日の散財、革トートバッグ制作代金7000円也、ブックオフ432円也、てんや550円也、ジュンク堂サービス本ただ也、ヘッドホン1400円也。サンシャインアルパレストラン5000円也。しめて一日の出費14400円。あれま、けっこう大散財でしたわ。

 トートバッグは私が制作費を出し、娘に作ってもらいました。最初の中国赴任時に、夏休みを中国ですごした娘と息子をかわいがってくれた知り合いにプレゼントする品。上手に出来て娘も満足。私はジュンク堂で一日すごして満足。息子はゲームフィギュア買って満足。三方よしで帰宅。
 
<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「朋あり遠方より」

2017-02-12 23:00:01 | エッセイ、コラム
20170212
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(1)朋有り遠方より

 遠くにいてめったに会えぬとはいえ、ブログ友だちが日記に「具合が悪くなった」と書いてあれば心配し、毎日更新している人の更新が一日なければ、風邪でもひいたかと気になります。
 長く交流が途絶えていた人の風のたよりを聞けてうれしく思ったり悲しかったり。

 12日夕方、女子校クラスメートやっちゃんから電話。同じクラスで2年間すごしたクラスメートゆみちゃんが亡くなったと。
 やっちゃんは、「高校時代に特別仲良かったわけじゃなかったけれど、クラス会幹事のひさちゃんから連絡受けて、仮通夜のお焼香にいってきた。お葬儀の弔辞をひさちゃんが頼まれて、弔辞でなにか女子校時代のエピソードを述べたいけれど、ひさちゃんも特別仲良かったわけじゃないから、今、困っているんだって。なにかゆみちゃんのこと覚えてることないかい」という電話でした。

 クラスのだれとでも仲良かったやっちゃんが「あまりエピソードを覚えていない」というのに、クラスの中でで浮きっぱなしで(沈みっぱなしというほうが適当かも)、やっちゃんのほかあまり話す人もいなかった私ですから、ましてゆみちゃんに何の思い出もありません。クラス会一同としてお花を出すので、地元に住むやっちゃんにお花代を立て替えてもらうことをお願いしました。

 やっちゃんは「ダンナの話では、ゆみちゃんが気持ちが悪いというので、救急車で病院へ運び、手術準備をしている間に亡くなっちゃったんだって。動脈瘤破裂なんだって。クラス会に出てきたときは元気だったのに、わからないねぇ。人間いつどうなるかわからないんだから、元気なうちに遊んでおこうよ」と、言います。
 今の世ですから、60代での死はなんとも早いみまかりのように感じます。これから先、どんどんと同級生の訃報も増えていくのかも。

 90歳までがんばった姑は、女学校同級会出席を毎年楽しみにしてきましたが、最晩年には「みんないなくなっちゃったから、同級会も今年からやらないことになった」と、寂しそうにしていました。
 やっちゃんが言うように、クラス会にももっと積極的に出た方がいいのかも。私、女子校のクラス会、地元の温泉での一泊クラス会に一度、東京でのミニクラス会に一度出席しただけ。
 やっちゃんとも「もっといっしょに遊んでおこう」と、約束しました。 
 ほんとうに、人間明日のことはわからない。今日一日を自分なりに過ごすこと。今日を楽しい一日にすること。

 と、思いつつ、今日もだらだらと何もせずすごしました。洗濯をして、お風呂入って、ご飯作っただけ。昼ご飯に、娘にいつものモヤシサラダとポテトロスティ(細切りジャガイモパンケーキ)を作りました。娘は、「私の主食はジャガイモ」というので、ロスティは毎日作ります。
 晩ご飯は、チキンとインゲンタマネギのトマトソース炒め煮とカリフラワーときゅうりのサラダを作り、チキンがひとり当て100gだと、大食いの我が家には不足なので、生協レトルトロールキャベツホワイトシチュウを湯煎してだしました。主食はクローテッドクリームとジャムを山盛りにのっけたスコーン。

 デザートに、娘が板チョコとかしてナッツやドライフルーツを加えて作ったチョコを「おいしい」と言って食べ、これで今日一日がおわり。
 う~ん、本日も片づけはせず。でもまあ、自分を責めたりしない。疲れるほどはがんばらない、と開き直っています。

 遠方の朋に会いに行って、豪華ホテル泊まっていっしょにゴルフして、世界に仲良しぶりを見せることがお仕事の人もいて、ご苦労なことです。おまけに内外から「おべっか外交」なんぞと評されて、遠方の朋に会うのも容易ではない。

 遠くの朋に会うのも容易気楽な身分の我らですから、やっちゃん、またいっしょに遊びましょ。

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「はつくにしらす、おわりも知らす」

2017-02-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170211
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>廃れものはやりもの(6)はつくにしらす、おわりも知らす

 今年のカレンダー。「4日分も損する」と、息子が言う。祝日が日曜日に重なったときは月曜日が代休になるが、土曜日と重なったら、祝日の休みが一日分減ってしまう。2017年、昭和の日、秋分の日、天皇誕生日が土曜日。そして、本日2月11日も土曜日。

 建国記念の日は、初代とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)と書かれてしたことを根拠にしています。「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮
 なぜ辛酉年かというと、古代中国では「辛酉は天命が改まる年」とされ、王朝が交代するとされる年であったゆえ、日本書紀編纂者がこう書いたものであって、歴史的な根拠はなにもない。
 この即位月日を明治6年に新暦に換算した日付が2月11日。

 私は最初の大学の卒論が『古事記』だったゆえ、古事記にも日本書紀も、よく読み込んだほうだと思います。神話に親しみを感じ、稗田阿礼の一族さま、よくぞ暗記していてくださった、と思っています。この日を「神話の日」または「初国シラス伝説の日」という記念日にしてほしかったと思っています。

 1966年の祝日決定時には、喧々囂々、神話に出てくる日時をそのまま「建国記念の日」としてしまうことに異論がだされたけれど、国民の大半は「祝日が増えて休みになるならけっこう」と賛成し、1967年から実施されました。だのに、土曜日に重なるとは存在意義を忘れた記念日じゃあありませんか。

 私は、『古事記』は、伝承されてきた神話伝説を、自分たちのことばでまとめて書き上げた「記憶遺産」だと思っています。(支配者による編集改編はあったにせよ)。
 考古学歴史学民俗学神話学などとの学際で研究が深まって、建国神話がどのような伝承の混ぜ合わせ突き合わせで、どのようにして大和のオホキミが出雲国吉備国や筑紫国の伝承をとりこみ、他を従えていったのかが次第にあきらかになるだろうと期待しています。

 私は、建国をことほぐのなら、あとから付け足されたことが明らかな「神倭伊波礼毘古命カムヤマトイワレビコノミコト」「磐余彦いわれびこ=イワレ地域の王」よりも、実在がほぼ確かであり、その名も「御肇國天皇はつくにしらすすめらみこと(日本書紀)」と諡名(おくりな)された「御真木入日子印恵命みまきいりひこいにえ(古事記)」を祀るほうがいいと思うし、さらには、卑弥呼や漢委奴国王やその他、古代にワラワラと並び立っていた王たちも「建国の主人公」と思います。

 このころの「クニ」とは、人口500~1000人ほどの集落であったでしょうが、ほとんど争いのなかった縄文の村に比べ、水争いなどのイクサを総べる王が並びたっていたでしょう。古代のクニの中でもっとも軍事力や呪術力が強かったのがヤマトのオオキミであったとして、建国というのはさて、いつをもってとすべきか。

  稲は縄文時代にも陸稲などが栽培されていたが、水田の水制御技術による水稲栽培が広く定着してきたのは紀元前5,6世紀の弥生時代、という最近の考古学知見によるなら、紀元前660年というのは、当たらずとも遠からずなのかもしれない。もっとも三原じゅん子議員のように「神武天皇は実在の人物」などと言い切るのは、少なくても歴史を科学として学ぼうとする者にはいないと思うが、信心の問題というなら、なにを信じようと自由。
 
 何年かに一度、この「建国記念日」が「国民の祝日」であることの意味を問うて古代史を読み直すのも、私の楽しみごとのひとつです。
 私としては、伝承を暗誦して伝えた稗田阿礼と、苦心の表記方法により伝承を文章にした太安万侶を顕彰する日と思っています。
 はやり廃りは世の常なれど、心の基本は「ことば」であると思うので、万葉集と古事記に残されたことばをひとつひとつ味わうのも、この日の過ごし方であるよ、と一日のらりくらり。

 はやりの不動産王トランプキングと共にゴルフ三昧の朝貢使節は、さて、ハンディいくつか。
 南スーダンでは、「宣戦布告した国と国との戦争ではないので、砲弾飛び交っていても戦闘ではない」という答弁。これでは「ことば」が悲しすぎる。砲弾が当たって死んでも、それは戦死ではなく、「闘争地域の中の事故である」となるらしい。
 「カクの傘さしてもらうからには、おらたちもがんばらにゃ」と、命張っているひとたちもいる。けなげであるよ日本人。

 国の始まりは定かでない国だけれども、国のおわりは予想がつく。現在の出生率計算でいくと「日本人」がひとりもいなくなる日はまだ500年も先のことだというので、私が消えたあとの子々孫々を憂えていても仕方がない。孫を持たない人間は、国の未来を憂えるのもテキトーである。とりあえず、あと50年ほどもってくれればよい。

 まあ、みんな建国以来の歴史の日々をがんばってくださいまし。今年は2677年であるとして、紀元3000年くらいまでは「日本人」がいるのだから、それなりに長い。ことほぐべし。

<おわり>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「思いやり?&大統領令ファースト?」

2017-02-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170209
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>廃れものはやりもの(5)思いやり&大統領令ファースト?

 以下の文章を2月2日の午前零時にUPする予定でいたのですが、リンゴパイの方を優先して先にUPしました。ところが2月2日の天声人語を読んだら、そっくり同じ話題で、大統領令9066号を持ち出したのも同じ。
 同じような内容をあとから出したら、まねっこと思われても仕方なし。しかも文章はこちらのほうが書き殴りでひどいのだから、UPしたら恥かくかも、と、とりやめました。

 2月4日は、「ユリコファースト」をUPして、「大統領ファースト」は削除しようと思っていたのだけれど、「類句類想」について書いたあと、類想と思われてもいいや、自分で書きたいこと書いたのだから、まねっこと思われたところで、世の中に何影響もないのだと開き直る気になりました。小物はあと出しでけっこう、私がトランプ氏を好きになれないということは、書いておこうと思って本日掲載。
~~~~~~~~~~~~
20170202
 去年は話題になっていなかったことばで、今年になって世界中を駆け回っていることばのひとつが「大統領令」
 またまた世界中を席巻しているトランプしまき。

 大統領令は、「大統領が議会の承認や立法を経ずに直接、連邦政府や軍に発令する命令。議会で法律として定めることが困難な命令事項に関して定められる、法律と同等の効力をもつ命令 」ですって。議会で決める法律よりも強い、大統領令ファーストなんですね。

 20日の就任以来、大統領令をボンボンと打ち上げていたトランプ新大統領。オバマケアを「保険料が高すぎるから」と、廃止しました。前大統領が心血を注いで構築した「国民皆保険への道」をゴミ箱に捨てるかのように捨て去ったときは、オバマ前大統領への敬意を持たないことをこうやってシメしたかったのだろう、さて、保険料を下げたもっとよい健康保険を作れるなら、彼の技量を認めようと思っていたのだけれど。
 オバマによって健康保険に加入できた2000万人は、健康保険をはずされてしまって今後は病院にも行けないのでしょうか。「自分さえよければ、他人他国はどうでもよい」と言うのがアメリカファーストだったらしい。

 すでに2014年に、ジョージア州サン・スプリング市の独立問題は報じられていました。アメリカ南部ジョージア州の州都アトランタ郊外にあるサンディスプリング市。年収1千万円以上の富裕層が住む地域と、低所得層が住む地域がはっきり区切られていました。
 富裕層は、自分たちの税金が低所得層の福祉のために使われることを不服として、富裕層地域だけをまとめて、新たな市として独立したのです。金持ちファースト。

 自由の国、だれでも明日に希望が持てる国であったはずの国が、宗教の異なる人々や難民を排除し、金持ちだけで固まって自分たちの金を他者の福祉のために使うのはいやだと主張する国になりました。他者のために助け合うことを拒否する裕福な市。異なる思想異なる文化を持つ人々を排除する国。
 
 トランプ氏を支持する政治活動委員会Great America PACの広報担当カール・ヒグビー氏(アメリカ海軍の元・特殊部隊員)は、移民の登録制度に関わる取材に対して「アメリカは。過去にも人種、宗教や地域に基づいた登録をしてきた。第二次世界大戦でも、日本人に対してやっていたように」と述べました。

 日系移民強制収容については、1976年にフォード大統領が日系人強制収容は「間違い」であり「決して繰り返してはいけない」と公式に発言しており、1992年には、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が国を代表して日系人に謝罪しています。すなわち、大統領令9066号は誤りであったことが公式に発表されました。このような間違った大統領令も発令当時は正しいとみなされ、「アメリカを守るためには必要だった」と思われていたのですから、今回の特定国家からの入国禁止に対して支持があるというのも仕方がないのでしょうね。

 どうやら新政権は日本が嫌いな人が多いようです。
 勝手なことをツィートして、勝手なことを演説するかの人、1月31日にも、日本の経済政策について「円安誘導している」と、かみついています。きちんと事実を見当しないで、「オルタナティブファクト」とかいう「自分に都合よいことがらだけが事実」という方針なので、事実と理論で責めてもダメ。

 移民政策についても、政策顧問のひとりは、「日系人を強制収容した例があるんだから、アメリカを守るためには移民登録制も当然」と述べていました。
 こういう人物を政策顧問としている大統領ですから、移民排斥の大統領令を出すにも自信満々のようでしたが、全世界から立ち上がる非難の声には「私に反対する人々がいるというのは、フェイクニュース」として済ませるのでしょう。

 就任式に集まった観衆の数が、4年前の半数以下だったことが上空からの写真を見てもはっきりわかるのに、それも「嘘ニュース」として蹴飛ばし、今回の入国禁止に反対して涙した議員には「嘘泣き。だれに演技指導されたのだ」と、述べた大統領。自分への反対者には徹底的に闘う姿勢です。
 
 国家からアメリカへの渡航禁止令、選択された7カ国の出身者がアメリカ国内でテロ行為を関わったかどうかというと。死者がでるようなテロ行為に関わったものはおらず、テロに関わったと疑われた人を含めても、国内出身者がほとんであり、この7カ国からの入国者を制限したところでテロがなくなるわけではない、ということが明らかにされています。
 それらの国の住民にイスラム教徒が多い、というだけのようで、あきらかに宗教差別の感があります。

 ビザや永住権の保有者であってもアメリカ入国時に空港で拘束されたケースについて、トランプ氏は、「空港の不手際と反対者の騒音のせい」だと、ツィートしました。
 一方、今月10日の会談を控えたab首相はだんまりに徹しています。うっかり世界中の非難の声なんぞに耳を傾けては、会談での思し召しが悪くなるかもしれないから。

 昨年の大統領選挙のときは、「ヒラリーも余り好きじゃないけれど、トランプはもっといや」という程度の「よそんちの選挙」見物でしたが、人間の尊厳を踏みつけるような大統領令を次々に発するトランプ氏を、私も「大統領にふさわしい人ととは思わない」と書いておきます。
 嫌いなものは、きらい。
~~~~~~~~~~~~~~
2170209
  ワシントン州の連邦地裁は、大統領令を一時停止させました。大統領側はこの措置を不服として提訴。国論真っ二つのようで、この先どうなるのやら。
 ただ、大統領がいかに強権をふりかざそうと、その大統領令が憲法違反と確信した人は、司法の場でストップをかけることをするのだ、ということがわかって、やはり民主主義の基本として三権分立は生きているのだと思いました。

 もっとも、大統領は三権分立など知らぬようで、自分の権力にたてつく者に対して、ツィッターで「許さぬ」とわめいています。自分の言うことをきかぬ司法長官を首にしましたが、ロバート判事ら州裁判官は州政府・州議会・公選で任命され、大統領が首にできるわけではない。

 ab首相からの訪米みやげ品。アメリカの雇用を増やすために協力する予算として、我々の年金を差し上げるのだとか。よくわからぬのだが、年金は物価スライドとかで減額されるそうですが、アメリカにはぽんと気前よく大盤振る舞いです。

 数字に弱く経済とんとわからぬトンチンカンですが、今回の騒動で、日本はアメリカ軍が駐留している国のなかで、もっとも多くの費用を負担していることがはっきりわかりました。韓国などは駐留費の40%しか負担していないのに比べて、日本はアメリカ軍の駐留費を75%も負担しているのでした。金額にするとドイツの3倍、韓国の5倍強。こんな簡単なことも今まで国民にはあきらかにされていなかったのですから、トランプ氏が「全額払え」と言ったことに対して、「世界で一番高額の駐留費全額の75%を負担していることを明らかにしてくれてありがとう」と言うべきか。

「おもいやり予算」という米軍基地駐留費負担のネーミングだけ知っていて、駐留費の何パーセントを負担しているのか、これまではっきり知らずに税金払っていて、気前よかった無知な私。スズメの涙のような年金、こんどはアメリカ雇用増員のために使われるなんて、なんとも思いやり深い国民です。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「いつき組絶滅寸前季語辞典」

2017-02-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170207
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>廃れものはやりもの(3)いつき組絶滅寸前季語辞典


 文庫本の歳時記をペラペラめくって「消える季語」を楽しんでいたら、2001年に『絶滅寸前季語辞典』が出版されていたことをウェブ友さんに教えていただき、あわてて図書館で借りてきました。2010年に文庫化されていました。

 なぜそんなにあわてたのか。
 俳句には類句類想という用語があります。五七五の17音ですから、どうしても似たような句が産まれてしまうことが避けられない。
 同じように見えてはっとするほど新しい感覚が盛られることもあるので、一概に類句がダメとはいえませんが、詠み手としては、先行句があることを知らずに類句を作ってしまうことは避けたい。
 同じように、類想の文章はできる限り避けたい。もともと下手な文章であるのに、発想まで同じような文を書いてしまったら、何も残らないような気分がしてくる。

 これには、理由があります。刷り込みというか。
 母が日々の暮らしのあいまに俳句や短歌を作り、投稿して新聞に載ることを生きがいにしていたことは何度か書きました。また、月に一度句会に出かけるのが、母のささやかな楽しみのひとつでした。
 句会ではマツさんという親友ができ、句会のほかにも互いの家を訪問し合っておつきあいをしていました。

 ある時期、ぱたりと母とマツさんの交流が途絶えたことがありました。
 マツさんは句会の前に母を訪問し、兼題の句を見せて、句会の互選のおりにはマツさんの句に点をいれてほしいと、事前に頼む人でした。母は「まだ作れていない」といつも言って、マツさんに見せることをしていませんでした。
 「互選では、名前を伏せて点を入れるべきで、誰が作ったのかわかった上で点をつけるのは本意ではないけれど、マツさんに頼まれると断れない」と、ぼやくことがありました。
 点が多く入った人には、ささやかな賞が与えられることになっていたみたいです。

 あるとき。新聞に「叱られに来し税務署の薔薇真っ赤」という句が掲載されました。マツさんは、新聞雑誌で見た句の類句を提出することが多く、このときも「叱られに来し警察の薔薇真っ赤」という類句を母に見せ、点を入れて欲しいと頼みました。母は、句会でこの類句に点を入れることをせず、母が点を入れなかったことを知ったマツさんが腹をたて、しばらく行き来をしなかった、という経緯がありました。

 「このごろマツさん来ないね」という私のことばに、母がめずらしく愚痴をこぼしたのを、私は50年以上たった今もなぜか覚えていたのです。
 このとき母は「独創こそが句を作るときのおおもと」と、私に強調しました。「本歌取り」という技巧があることは母も知っていたでしょうけれど、句作も随筆も、独自の視点を持つこと、書いたあとで類句があったことに気づくのは仕方がないけれど、最初から類想で書いてしまうのは、自分はいやだ、ということを力説していました。
 自分からは、マツさんとの仲直りを言い出せずにいたことの鬱屈が、子ども相手の愚痴になって仲違いの理由を説明することばになったのでしょう。

 その後、どちらが仲直りのきっかけを作ったのかはわからないまま、またマツさんは家にも来るようになり、いっしょにスーパーマーケットの総菜コーナーで「焼きそば」を作って売るパートをしたりしていました。

 そんなこんなで、「自分自身の視点」こそ「書くことのキモ」という観念がすり込まれてしまいました。
 「消える季語」を書いたあと、「絶滅寸前季語辞典」の存在を知って大慌てになったのです。同じ季語を扱い、同じことを書いていたら、いくら自分なりに書いたのだと思っても、そとから見たらただのマネっこ。

 おんなじ季語が出ていたらいやだな、と思いながら図書館から借りた『絶滅寸前季語辞典』のページをめくると、やっぱり、同じ季語が扱われていました。
 少しは「私なり」の部分はあるにせよ、夏井いつきさんの手にかかるほうが、同じ季語でもぐんと面白く料理されているのは当然です。

 たとえば「インバネス」。
 雑誌や本の挿絵でしかインバネスを着た男性を見たことない私に対して、いつきさんのお知り合いの俳人は、堂々インバネス着用したり、宗匠頭巾をかぶって句会に登場する。

 季語なんぞに関わらないようにしたほうがいいかというと、さにあらず。やっぱり私は私の感覚で俳句も短歌も楽しんでいくと開き直るしかない。

 もと国語教師という経歴はいつきさんと私は共通だけれど、俳句の精進度は大違い。そして、いつきさんは、元ダンナさんが「家族から解放されたい」と宣言して離婚に至ったという次には、博報堂を退職したあと「いつきプロデュース」に専念してくれる方と再婚なさって、私生活充実。
 私など、最初から家族から解放している夫を、未だに「元夫」とはできずにいるのに。

 愛すたれてもなお裏庭に薔薇真っ赤(春庭)
 すたれ季語を愛してやまぬ女たち(春庭)

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「移動する花ー唐の鬱金花、江戸の秋桜」

2017-02-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170205
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>廃れものはやりもの(3)移動する花ー唐の鬱金花、江戸の秋桜

 中国歴史ドラマを楽しむコツとして「時代考証風俗考証は、まったくされていないと心得た上で楽しむこと」ということを「武則天のつまみかんざし」のコラムで述べました。
 現在の放映では、第2代皇帝太宗李世民が亡くなる前後の物語。いよいよ武則天の皇宮支配闘争が佳境に入ってきます。

 唐朝皇宮の春のシーン。華麗な衣装の妃たちが散歩する皇宮の庭には、梅や桃の花が咲き乱れて、とてもきれいです。
 ちょっと興ざめになったのは、庭一面にチューリップが咲き誇っていたシーン。黄色のチューリップ、とてもきれいだな、と画面の色彩を楽しんだことは楽しんだのですが、やはり「唐時代の皇宮庭園に現代チューリップはそぐわないなあ」という思いも残りました。

 ただ、武則天のつまみ簪には違和感を持った人がいたのに、唐代の皇宮に咲くチューリップには、違和感を持った人が、ネットのなかには見当たらなかった。そぐわないなあと思ったのは、私だけ?



 チューリップ、原産地は、中央アジアカザフスタンの草原から、パミール高原、ペルシャ高原などの一帯。トルコのアナトリア地方との説も。トルコでは、紀元前1000年には栽培種があった、という記録が残っているのだそうです。
 西洋社会にチューリップが知られるようになったのは、1561年に博物学者コンラート・ゲスナー(Conrad Gesner)が球根をドイツのアウグスブルクへ移植し、博物学の著書に初記載したころから。隣国オランダではレイデン大学が中心となって新品種栽培が盛んになり、オランダでのチューリップブームがおこりました。
 西欧で改良された品種をトルコは逆輸入し、これ以後、アジアにも品種改良後のチューリップが伝えられた、と考えられています。

 唐時代の中国には、西域から多数の人々が長安の都に来ていましたから、古代トルコで栽培されていたチューリップが移入されていた可能性もなきにしもあらずです。しかし、ドラマ画面の宮殿庭園に咲いていたのは、明らかに西洋で品種改良されてきた新しいチューリップでした。

 中国語でチューリップは鬱金香。
 チューリップの花ひとつに目くじら立てることもない、ドラマを楽しめばいいのだとは思うのですが、武則天の髪を飾ったつまみ細工簪と同じく、なにもわざわざ時代の新しいカンザシや花を出さなくても、唐代にもたくさんの簪はあるし、花もあるのにと思いました。

 唐代にも、その前の時代、後代と同じように周辺国からたくさんの文物が移入していたことをもうちょっと歴史的に考証して画面にだしてくれたら、歴史ドラマ好きとしてはうれしいのに、と思いました。唐の社会は、同時代の国々のなかでもっとも人材や文物の交流が盛んであり、都の長安は当時最大の「世界都市」だったのです。

 昨年の伊藤若冲ブームの際、再放送された『神の手を持つ絵師 若冲』。若冲の評伝ドラマの部分は、岸部一徳が若冲を演じました。ドラマの冒頭、若冲はコスモスが咲く庭にいます。あらら、コスモスが日本に広まって咲くようになったのは、明治以降だと聞き及ぶに、ほんとうに若冲はコスモスを庭に植えていたのかしら、と思いました。

 江戸後期に「蘭癖大名(オランダから輸入の文物が大好きな大名)」や「蘭癖旗本」などの好事家の中には、長崎から入ってきたコスモスを珍重して庭に植えた者などがいなかったとはいえませんが、このへんの調査はまだ不足しています。どなたかご教授を。
 
 ひまわりが中国経由で江戸中期の日本に来たときは、油の利用という農作物としての普及もあって、たちまちのうちに全国にひまわりが咲くようになり、絵画作品にひまわりが描かれるようになりました。だから、コスモスも好事家によって庭に植えられていて、若冲の庭にコスモスがあったら、動物観察植物観察が大好きだった若冲は必ずスケッチしているはず。
 若冲が絵を残していないのなら、「神の手を持つ絵師」で、若冲の庭にあったコスモスはなんだったのか。

 鬱金香(チューリップ)が日本に入ってきたのは、江戸末期。栽培が盛んになるのは明治期から。今では個人の庭にも公園にも、チューリップは春の代表的な花になっています。外来種のすべてを排除してしまうなら、春の庭も公園も寂しいことでしょう。競合する在来種を駆逐してしまうのでなければ、花の移住は土地を豊かにすると思うのですが。
 
花ひとつとってみても、種やら球根やら、原産地から世界中に広まり、改良され、また違う土地に移動しています。
 私は、銀杏の来歴、ひまわりの来歴など、植物動物がどのようにしてめぐりめぐって、ある土地に根付いたのか知るのが楽しみのひとつです。

 物も人も、移動を重ね、行ったり来たり、人類は互いの文化を教えあい、助け合って暮らしてきたのだと思います。
 ましてや、移民によって成り立ってきた国のトップが、自らの祖父母も移民であるにもかかわらず、「自国を守る」という名目で入国において人を排除しようとすることに、強い違和感を感じます。唐時代の皇宮にチューリップが咲いていることに感じる違和感などとはケタちがいに。

 特定の国をテロリズムと結びつけて入国手続きにおいて他の人と差別したりするのは、人権を守ってきた歴史に反することだと思います。  
 世論調査では、調査方法によって数字が逆転して示されたりしていますが、いずれにせよ、アメリカ国内でも今回の措置に対して賛否が拮抗していることと思います。人の交流が滞るなら、国益は損なわれると思うのですが。
 鬱金香も秋桜もいったり来たり、巡り巡っているのですから。

~~~~~~~~~~~~~~

 唐の都、長安。
 2007年に妹&姪といっしょに古都長安(現代の西安市)を観光したときに、秦の始皇帝廟前で見た「中国古代ショウ」。これも時代考証などは確かでなく、「なんとなく古代っぽい」という衣装と踊りでしたが、単純に楽しみました。秦時代と唐時代ではずいぶん時代が隔たっていますが、始皇帝の兵馬俑を見て、唐の楊貴妃が入浴した華清池などみて、秦時代も唐時代もごちゃまぜで楽しみました。

古代ショウ

古代衣装の踊り子といっしょに


<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「ユリコファースト」

2017-02-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170204
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>廃れものはやりもの(2)ユリコファースト

 都民ファースト(first:第一優先)」を掲げて当選を果たし、その後も五輪会場、築地市場移転問題など、常にトップニュースに顔を出しているユリコさん。まだまだハヤリは続きそうです。
 ab首相も、カタカナ語を並べる人でしたが、漢字には弱く、「云々」は「でんでん」と読みました。未曾有をミゾーユーと読む人とコンビですから、国会答弁の書き物にはすべて仮名をふってあげたらいいのに、と思います。

 ユリコさんは、ab首相と同じくらいカタカナ語が大好き。松本人志も「ルー大柴か」とあきれたくらい、やたらにカタカナ語をふりまわします。カイロ大学卒業の国際派であることを示したいのかとも思いますが、あまりに多いとうんざりしてきます。
 私は「レガシー」には「遺産」とは異なるニュアンスがあるから使われるようになったのだ、と、許容もしているのですが、こう連発されると「単なる言い換えなら日本語で十分」と感じます。

 東京都民であるからして、我が家にも「東京都広報紙」が新聞の間に入って配達されてきました。カタカナ語満載です。以下「東京都広報紙」より。

 第一面の「都民ファーストでつくる新しい東京」のページ。
 実行プランのポイントとして、
1,都民ファーストFirst、
2,First戦略が示す首都東京の成長戦略
3.東京のFuture明るい東京の未来像の一端を描く,Beyond2020東京の未来へ向けて

の3ポイントが見出しとして出ています。

 私は、すでにカタカナ語として定着していると思われるプランやポイントをカタカナで示すことにあえて反対はいたしませんが、都民のための広報誌であるのに、First、Future、Beyondという英単語をそのまま出すことに反対です。未だに占領下の日本Occupied Japan なのかと思ってしまいます。まあ、米国の52番目の州に昇格したがっている属国といわれているそうなので、仕方ないのかも。(50番目の州はハワイ。51番目の州に昇格したがっている自治連邦区はプエルトリコだって)

 「4カ年(2017~2020)の政策展開」という欄には、
1,誰もが安心して暮らし、希望と活力を持てる東京=セーフシティ その4インフラの長寿命化
2,成長を生み続けるサスティナブルな東京
3,成長エンジンとして世界の中で輝く東京 その1スマートエネルギー都市 その5 交通。物流ネットワークの形成


 ほんとにルー大柴なみのカタカナ語の羅列。いや、ユリコ語でいうなら、羅列ではなく、カタカナ語オンパレード、と言うべきか。
 広報紙に載せた文言ですから、さまざまな人のチェックが入っていると思いますが、紙面のカタカナ語は、就任以来都知事が記者会見や議会答弁で使ってきたことばです。
 以下、ユリコ語紹介。

・サステイナブルsustainable:存続・持続・成長可能な 
・セーフシティsafe city:安全都市
・スマートシティsmart city:環境配慮型都市)
と並んでいるので、

・ダイバーシティ
は3つめのcityかと思った英語に弱い春庭。diversity=di+verse+ty多様性受容社会
でした。スマートシティやセーフシティとダイバーシティを並べてしまうところは英語じゃなくてカタカナ語であるゆえんなのでしょうが、いかにも無理矢理カタカナ語を使っている感じがしてきます。

・ワイズ・スペンディングwise spending:賢い支出≒賢いお金の使い方)」
・コーポレートガバナンスcorporate overnance:経営の管理統制、内部統制(従業員や会社の資産の管理統制)
・フィンテックfintech:情報通信技術を使った新たな金融サービス 「金融(finance)」と「科学・工業技術(technology)」を合わせた造語。モバイル決済や電子カードなど、情報通信技術を使った金融サービスを指す。
・ウイズドロウwithdraw:手を引っ込める
・ホイッスルブロワーwhistle-blower:警笛を吹く人≒不正行為の内部通報者

・ライフ・ワーク・バランスlife-work-balance:生活と人生の調和(ユリコさんの造語です。英語ではwork–life balanceなので、カタカナ語にするならワーク・ライフ・バランスになるところですが、ユリコ語ではライフワークバランスで押し切った)
・スプリングボードspringboard::体操の踏切板、きっかけ
・インベストメントinvestment:投資
・コンセッション方式Concession:施設の運営を民間に委ねること。民間への経営委託。・パラダイムシフトparadigm shift 「発想の転換」「見方を変える」「固定観念を捨てる」などを意味する。「パラダイムチェンジ(paradigm change)」とも言う。

・ユニバーサルデザインuniversal design:老若男女、障がいの有無、文化や言語の違いなどに関わらず利用できる施設・製品・情報の設計(デザイン)を指す。
・ソーシャルファームsocial firm:障がい者や労働市場において不利な立場にある人の雇用を創出し、安定的な雇用と賃金を確保するという、社会的な目的をもって活動する企業や組織のこと。
・メルクマールmerkmal:指標、目印

 などが、これまで小池知事が使用してきたカタカナ語です。国際派ユリコガバナーオブトーキョーにはなじみのことばなのでしょうが、カタカナオンチにはいささか消化不良食傷気味。

 小池知事、ある都議をさして「ブラックボックス」と呼びました。都議会ドンの関連企業が五輪会場などの入札を勝ち取っているのだとして、そんな闇の大魔王をさしてブラックボックスと名付けたらしい。しかし。
ブラックボックスblack boxとは、「内部機構を見ることができないよう密閉された機械装置のこと。もともとは、内部の動作原理や構造を理解していなくても、外部から見た機能や使い方のみを知っていれば十分に得られる結果を利用する事のできる装置や機構の概念」。
 つまり、ユリコさんのブラックボックスという使い方はずれているのですが、なんとなく、「トギカイノブラックボックス」というと、利権が絡み合い、札束が飛び交うイメージがわかります。
 
 我が家がよく視聴するクイズ番組で「ユリコカタカナ語」が出題されたとき、私は「コンセッション」というカタカナ語を初めて知りました。

 上記並べて見ると、カタカナ語多過ぎです。本来の用語とは異なるニュアンスを含むのならいいですが、単なるいいかえなら、漢語和語で間に合わせた方がよろしいのでは、と、英語にもカタカナ語にも弱いシモジモ都民は思うのですが。

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする