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ぽかぽか春庭「2013年1月 目次」

2013-01-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013/01/31
ぽかぽか春庭2013年1月 目次

01/01 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里日記正月(1)謹賀新年
01/02 十三里日記正月(2)明けまして新年俳句&腰折れ
01/03 十三里日記正月(3)春鶯囀遊声
01/05 十三里日記正月(4)初詣
01/06 十三里日記正月(5)御年始格付け

01/08 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ三色七味日記1月(1)10年前の正月
01/09 ちえのわ三色七味日記2013年1月(2)10年前の1月
01/10 ちえのわ三色七味日記2013年1月(3)10年前の1月中旬
01/12 ちえのわ三色七味日記2012年1月(4)10年前の1月中旬2
01/13 ちえのわ三色七味日記2013年1月(5)10年前の1月下旬
01/15 ちえのわ三色七味日記2013年1月(6)10年前の1月下旬2
01/16 ちえのわ三色七味日記2003年1月(7)10年前の1月下旬3

01/17 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里日記 1月(1)東京雪景色
01/19 十三里日記 1月(2)東京の遠吠え
01/20 十三里日記 1月(3)東京の「ああ無情」
01/22 十三里日記 1月(4)東京のイルミネーション
01/23 十三里日記 1月(5)東京の大相撲

01/24 ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(1)ブリジストン美術館「きままにアートめぐり」
01/26 2012-2013冬のアート散歩(1)文化学園博物館&東郷青児美術館
01/27 2012-2013冬のアート散歩(2)ゴッホの糸杉と三日月・メトロポリタン美術館展
01/29 お金持ちのコレクション(2)伊東忠太の龍・大倉集古館
01/30 お金持ちのコレクション(3)ニューオータニ美術館、三井美術館
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ぽかぽか春庭「お金持ちコレクション3コレクション ニューオータニ美術館、三井美術館」

2013-01-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/30
ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(3)ニューオータニ美術館、三井美術館

 ニューオータニ美術館も館所蔵品展で、新春展というタイトル。ふたつの展示室のうち、ひとつは洋画、ひとつは日本画の展示です。
 
 お金持ちになった人というのは、お金ができると次は権力とか名誉とかがほしくなるものだそうです。
 「名画名品を集めて我がものとしたい」という欲望も、お金持ちにはつきものみたいです。

 ニューオータニ美術館を建てた大谷米太郎。貧農の家に生まれ、大相撲の力士として食べていこうとして怪我で関取にはなれず、一念発起。大正昭和の激動をかいくぐって一代で財産を築きました。大金持ちになった晩年には、絵画骨董集めを始めました。

 ニューオータニ美術館も館所蔵品展で、新春展というタイトル。ふたつの展示室のうち、ひとつは洋画、ひとつは日本画の展示です。
 洋画のほう、ベルナール・ビュッフェ、マリー・ローランサン、ブラマンクなどが並べられていました。
 ビュッフェは、ニューオータニホテルを飾るための絵を何枚か描いていて、オータニ美術館の所蔵作品も多い。
 「」は、北海道ニューオータニホテルの壁を飾るための絵だそうです。


 今回見たなかでは、ビュッフェの横長の静物をはじめて見ました。


 そんな一代成金から見ると、三井家は戦国の世の終わりとともに松坂から台頭して「越後屋」として江戸年間を通じて商売を拡大していった300年の金持ち一族です。
 明治の世には政商財閥として力をふるい、男爵を叙爵。代々集めたお宝も、重代の所蔵品が山積み。三井家では、代々茶の湯が推奨されていたため、茶道具の逸品も数多く所蔵されています。

 三井記念美術館は、江戸の豪商から近代財閥となった三井家の、日本橋室町の本拠地三井本館に設立されています。建物は、1929(昭和4)年に設立されたもので、現在は重要文化財。7階に上っていくエレベーターの扉も、重厚な感じのする木製で、我が団地の安っぽいエレベータードアとは雰囲気が異なります。

 正月にふさわしい展示ということで、年末年始の展示は「ゆくとしくるとし」と題された、所蔵の茶道具や絵画の展覧会です。私はお茶をしないので、茶道具はささっと眺めるだけ。私なぞ、ダイソーで売っている300円の抹茶茶碗も、三井美術館に展示されている国宝級の名物道具も区別つかないのですから、ガラスケースに展示してある茶杓茶碗も、ただ「ハー、これでお茶飲んだら美味いのか」と思いながら眺めていきました。

 三井家は名物茶器を集めるためだけに有り余るお金を使ったのではありません。同時代に生きている画家のパトロンとして、画家に絵を描かせました。金持ちは積極的に同時代の芸術家のパトロン(支援者、講演者)となり、若い芸術家や科学者、学者への支援活動パトロネージュをすべきです。他者のため、文化のために使わないお金は、いくらため込んだところで死蔵にすぎません。

 円山応挙も三井家の支援を得て絵を描いたひとり。
 目玉は、円山応挙の「雪松図」です。今回の展示では、これを見れば満足なのです。

 「雪松図」は、二双六曲。左は若い松、右は老松で、雪をかぶった左右の松が凛として立っています。春庭コラム正月2日に、この雪松図のうちの左側、若い松のほうをUPしておきました。今回は、右側の老松をUP。



 雪をかぶった木の姿は、ふだんはよたっているような木でも、何がなし凛としたたたずまいを見せるもので、1月28日月曜日の朝に東京に降った雪も、7時すぎから降り始めて、8時半には止んでしまうはかない雪でしたが、降っているあいだの木々の白い枝のようすは、美しかったです。

 泉屋博古館も、お金持ちの道楽収集を展示しています。
 住友家も江戸時代から続く財閥。明治以後の近代会社としての祖にあたる住友家第15代当主春翠が蒐集した数々のお宝。春翠は青銅器コレクターとして眼力を持ち、中国古銅器と鏡鑑のすぐれた品が収蔵されています。

 1月の展示は「吉祥のかたち」と題された収蔵品点でした。私には、古代中国青銅器の良し悪しはさっぱりわかりませんでしたが、伊藤若冲の「海棠目白図」を見ただけで、十分に満足。


 三井の応挙雪松図、住友の若冲海棠目白図。日頃は斜に構えている「お金持ち」へのすねた気持ちをひとまず置いといて、よくぞ海外流出などさせずに、収集保存して下さった、と、感謝する気持ちにもなります。

 雪の中を出かけた1月14日の泉屋博古館でしたが、見に行った甲斐があったというものです。
 「目白押し」という慣用句、「動物を使ったことわざ成句」のひとつで、「蜘蛛の子を散らす」なんて句とともに、今や人が日常生活で目にすることもなくなった光景ですが、若冲の絵「海棠目白図」を見れば、本当に目白が押し合いへし合い、大きな枝があるにもかかわらず、ひとつ所に寄り集まってぎゅーぎゅーに詰め寄っているようすがわかって、「目白押し」という語への合点がいきます。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「伊東忠太の龍・大倉集古館」

2013-01-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/29
ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(2)伊東忠太の龍・大倉集古館
 
 アート散歩。徘徊するのに気分のいい地域と、なんだか気分よくない地域があるのです。1月8日に歩いた周辺は、六本木ビルはじめ高いビルに囲まれ、スエーデン大使館やスペイン大使館の前からホテルオークラの前を通り、アメリカ大使館前の交差点を渡って大倉集古館へ入る。

 ホテルオークラの前を通れば、「ええ、歩行者ですみませんね。ホテルオークラに来る客は、みな立派なお車にお乗りで、歩いてなんか来ませんよね」というショーモナイひがみ気分になるし、アメリカ大使館前の警官を見れば、私なぞ、気が小さいもんだから「いえいえ、私、アメリカ大使館に爆弾とか投げ込もうなんて大それたマネは決して出来ない、ただただ、ぐるっとパスのタダ券で絵を見て回ろうというケチな人間でゴゼーますダ」と、だれもこのオバハンがテロリストだなんて思ってもいないのに、警察官の視線浴びただけで、疑われている気がしてしまう、気弱者です。そして、そんな卑屈になる自分に腹が立つ。堂々と歩けばいいじゃないの、ちゃんと税金払って暮らしてんだから。ああ、気分悪い。って、自分が僻みっぽいというだけのことなんですけれど。

 ネット友だちにして徘徊仲間のyokochannが
 ~首相官邸 日枝神社 赤坂御用地 迎賓館 などを横目に歩く。このあたりを歩くと なぜか嫌な気持ちになるのは相変わらずのこと。
と、書いているのを見て、私の卑屈チックな気分と中味は同じではないでしょうが、yokochannにも私と同じように「歩くに気分悪い通り」があるのを知って、「お仲間、見っけ!」の気分になりました。権力や財力を誇示する力業の地域は、やっぱりつつましく生きている者にとって、圧力感じるものなんですよね。

 まあ、こんな「ただで絵を見回ろう」と思っている私ですから、絵を見て教養高くなったり高尚な気分になったりというわけでなく、ただただ、自分の気持ちにピタっとくる絵が一枚でも館内に見つかればうれしく、「あらま、こんなイイモンただで見られて得した」なんて気分で美術館博物館をまわっているのです。(ぐるっとパスの料金2000円は払っているのですけれど、ひとつひとつの美術館では払わないので、タダの気分)

 大倉集古館のドデ~ンと、「これぞニッポンの正しい美術館であるぞよ」的な建物、伊藤忠太の作品です。伊藤忠太は、あちこちにおもしろい造型を残しています。大倉財閥との仕事でいえば、京都の祇園閣。当初は、大倉喜八郎の別邸でした。(現在は大雲院の中)屋根のてっぺんに長いツノが映えている。奇妙奇天烈に見えます。よくもこのデザインを大倉喜八郎はうけいれたなあと思います。
 円山公園の南側にあるというので、この次京都に行くことがあったら、見てみたい。前回京都に行ったのは、姪が岩倉にある大学に在学中のことでしたから、10年も前のことです。

京都祇園閣

 大倉集古館は、国の登録有形文化財。伊藤忠太の代表作のひとつでもあり、忠太好みの動物造型が、建物の周囲にいろいろあるので、おもしろいです。私が2012年の年賀状に印刷した龍も、おそらく忠太がこの集古館の庭に置いたものではないかと思います。

HAL2012年の年賀状の龍(大倉集古館の裏庭にあったのを撮影しました)


 大倉集古館は、大倉財閥の創始者・大倉喜八郎が1917(大正6)年に開館した、日本最初の私立美術館です。当初の建物が1923(大正12)年の関東大震災で被災したため、1927(昭和2)年に伊東忠太の設計によって再建されました。

 ホテルオークラ建設前の大倉集古館。現在は本館のみ残っています。ずいぶんと高台に建設したのであると、写真を見て思います。今は、ホテルが前にあるので、このような角度から大倉集古館本館の写真をとることはできません。


 片山東熊設計の国立東京博物館の表慶館は1901年着工、7年後の1908年に竣工し、翌1909年開館していました。表慶館が丸いドームをいただく洋風の形を見せていたのに対して、伊東は「東洋風、中国風」を意識したのではないか、と私は感じています。

 東京国立博物館は、コンドル設計の東博本館が大正の大震災で被災した後、1932年に本館の建設着工、1938年に開館しました。この本館、洋風のコンクリート建築物に和風の屋根を載せた帝冠様式の代表作品です。
 公募により、並み居る宮廷建築家(?)を押さえて当選したのは、在野だった渡辺仁。渡辺仁は、明治生命第一生命館や銀座服部時計店なども設計しています。おそらくこの帝冠様式は、大倉集古館を意識してのことだったのではないか、というのが、またまた、私の根拠なき推測です。
 コンドル→片山東熊→伊東忠太→渡部仁、博物館の形がこんなふうに巡っているのではないかと。

 今回の大倉集古館展示は所蔵画の中から「画の東西~近世近代絵画による美の競演・西から東から~」というタイトルで、京都を中心とする画家と江戸東京を中心とする画家に分けて、それらを比べる展示になっていました。



 西の画家は、狩野派の山口雪渓や円山四条派の円山応挙と呉春、近代京都画壇の雄・竹内栖鳳、川合玉堂。江戸東京は狩野探幽を始めとする江戸狩野の画家、近代日本画の横山大観。
 ただし、私が見に行った1月6日には、大観の「夜桜」は展示してありませんでした。展示期間は2月19日から3月3日。けちんぼしないで、1月2日から展示してくれたらいいのに。

 美術館で絵を見たり、都内各所の建築物を見たりしながら徘徊するのを、2013年も気楽に楽しんでいこうと思っています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ゴッホの糸杉と三日月 メトロポリタン美術館展」

2013-01-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/27
ぽかぽか春庭@アート散歩>20012-2013冬のアート散歩(3)ゴッホの糸杉と三日月・メトロポリタン美術館展

 冬のアート散歩、年末に東京都美術館でメトロポリタン美術館展を見ました。東京都美術館リニューアル記念の展示、第1弾のマウリッツハイス美術館引っ越し展は、本国で改修工事が行われる間の貸し出しだから、一番の目玉は「真珠の耳飾りの少女」であるとしても、まあそこそこ展示の甲斐ある絵が並んでいました。

 リニューアル第2弾のメトロポリタンはニューヨークの本館はオープンしているのに、いったいどの程度貸し出すのだろうかと思っていたのですが、う~ん、目玉の「ゴッホの糸杉」は、展覧会チラシでも大きく描かれていて楽しみでしたけれど、それ以外の作品は「糸杉のおまけ」という感じでした。糸杉のほか、ゴーギャン、ルノアールなども並んでいたのですが、「有名作品」というのは、レンブラントの「フローラに扮したサスキア」くらいかな。

 エジプト・メソポタミアから4千年の西洋美術の流れを「自然」をテーマとする133点で展示する、というコンセプト。第1章の「理想化された自然」から、「自然の中の人々」「動物たち」「草花と庭」などのトピックごとに工芸品、中世のタピストリー、近代絵画など、さまざまな作品が集められていました。メトロポリタン美術館の200万点の所蔵品の中から選ばれた133点。決して作品の質が悪いとは思わない、それぞれの時代の傑作が集められているのだろうとは思ったのですが、なぜか見終わったあと、さて、糸杉のほか何を見てきたんだっけ、と思い出すのに時間がかかる。

 記念の絵はがきとしてホッパーの「トゥーライツの灯台」やミレーの「麦穂の山・秋」などを買いましたが、図録は買いませんでした。このところ、キュレーターのセンスに感心したときは図録を買う機会が多くなっていたのですが。招待券を貰えたときは図録を買えるけれど、自腹でチケットを買ったときは、図録は「がまん」です。そういう節約生活の中での、みみちい絵画鑑賞。

ホッパー「トゥーライツの灯台」

 私の好みは、一人の画家の作品をずらっと並べるか、ひとつのテーマに沿って作品を集めるか。たとえば、埼玉近代美術館がクロード・モネの「ジヴェルニーの積みわら」を購入した記念として「積み藁」をテーマとした展示を行ったときなど、とても気に入りました。今回のメトロポリタン展は、「自然」という大きなテーマに沿った展示ではありますが、時代もトピックも広すぎて、なんだか掴み所がわかりませんでした。糸杉ひとつ見ただけでも、十分満足できましたけれど。
 私の美術館の歩き方は、ガイドイヤホンの案内に従って一巡してから、イヤホンを返却し、気にいった作品ひとつひとつをもう一度ゆっくり見て回る方式。

 メトロポリタン所蔵の「糸杉」は、ゴッホの死の前年、南仏サン=レミの療養所に入院した直後に描かれた作品です。
 糸杉は、西欧ではよく墓場に植えられる木で、「死者」のシンボルともなっており、ゴッホもそのことは十分知っていてこの木を描いたのだろうと、ガイドイヤホンの解説が言っていました。




 「糸杉」には、画面左寄りに2本の大きな糸杉が描かれています。そして、絵の右上には大きな三日月が描かれています。絵に詳しい女の人が連れに解説しているのが聞こえました。「この絵、ゴッホが写生して描いたって思われているけれど、そうじゃないのよ。ゴッホの心象風景でしょう。だって、この明るい空にこんなふうに三日月は見えないのだから」

 あら~、私は、そんなこと気付きもせずに「糸杉」に見入っていました。そう言われて見れば、三日月というのは太陽の2時間半あとを追って空に出る月なのです。日の光が強いうちは、見えません。夕暮れの空にうっすらと見えたかと思うと、日没後2時間半すれば、西の空に入ってしまう、そんなはかない月が「三日目の月」です。

 「糸杉」は、夕暮れの色を反映しているのか、ピンク色に染まった雲が描かれています。ですから、夕暮れの空に三日月を見ることは可能な時間帯と思います。しかし、ゴッホが描いた「糸杉」の日の光は強くくっきりとしていて、空はあざやかな青を見せています。この空だと、たしかに三日月は、ゴッホが描いたようには空に見えないのかもしれません。それなのに、ゴッホは三日月を高々とくっきりと描いた。このとき、ゴッホの心が三日月を欲していたからでしょう。ゴッホの三日月は、曲線が強調され、実際に私たちが空に見る三日月より曲線が強調されている感じがします。
 糸杉のうねるような幹や葉の色とともに、ゴッホの心が表れているように思います。

 私は、2005年に新国立美術館でゴッホ展を見ました。クレラー=ミュラー美術館所蔵の「糸杉と星の見える道」も、この時展示されていました。


買って置いた図録を確認すると、星が見える夜空に立つ糸杉の上に、三日月が星より高く描かれています。やはり、この三日月も実際に見えた通りに描いているのではなく、近づく死への予感から、心の中の風景を描いているのではないかと思えます。
 絵を分析する専門の美術家は、ゴッホは、糸杉の両側に明々と輝く明星と三日月を「地上のシーンに対する宇宙的観点」として描き加え、「知覚宇宙が愛で満ちている」ことを表そうとした」と解説しているのだそうです。

 糸杉が死を表す木であること、実際には見えていないのかも知れない、空に浮かぶ三日月。
 ゴッホは自分の病を自覚しており、糸杉を書き上げて1ヶ月後に、ピストルの銃口を自分の頭に向けます。謎の多い、それだけいっそう人を惹きつけてやまない「糸杉」の絵。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「文化学園博物館&東郷青児美術館」

2013-01-26 12:51:19 | エッセイ、コラム
2013/01/26
ぽかぽか春庭@アート散歩>2012-2013冬のアート散歩(2)文化学園博物館&東郷青児美術館
 
 冬のアート散歩。年末、新宿に出かけました。新宿南口のイルミネーションを見たいなあと思ったのですが、電飾だけを目的に出かけるのじゃ、なんだか交通費ももったいない気がする貧乏性。高島屋で買い物もせず紀伊國屋で本も買わないのに、電飾だけ見て帰るのでは、電車賃かけるのが申し訳ない気がしてしまう。恋人同士でキラキライルミネーション見るならともかく、ひとりでって、と思う。

 見たいならとやかく言わずにちゃっちゃと見たらいいじゃない、と言うのは、お一人様貧乏症の心理がわからないお金持ち。お一人様でもお金持ちとか、貧乏症でも二人連れとかだったらちゃっちゃっとおでかけも出来るのでしょうけど。
 で、美術展に行ったついでに見た、ということにしたいと、新宿の美術館なら東郷青児美術館かな、と、出かけました。

 東郷青児美術館は、2012年はシダネル展を見て、今まで知らなかった画家を知ってとてもよかった。今回は、美術館の所蔵作品展で、「絵画をめぐる7つの迷宮」というテーマで、「芸術は迷宮のようなもの」というコンセプトで絵が並んでいました。絵画の迷宮ほか、人物、描写、妖精、画家、色と形、風景などに分けられた70点の絵。

 そもそも東郷青児の絵があまり好きではないので、常設展をみたいとおもわないのですが、ゴッホのひまわりやセザンヌ、ゴーギャンの3点の目玉展示はいい。そして、目玉以外で「この一枚に巡り会えてよかった」と思えるほどの絵には、今回は出会いませんでした。常設展示のグランマモーゼスやひまわりを見るだけでもいいと思うのですけれど、ぐるりと見て回った中に、「おお、今回のアート散歩、この一枚に出会ってよかった」と思える絵に出会うことがないと寂しい。

 文化学園服飾博物館で、「織りの服、染めの服」という展示を見ました。布の仕事を見るのが好きなので、染め物織物の手仕事の展示、何度同じような展示を見ても飽きることがありません。
 世界各地の民族衣装の織り方、染め方。様々な技法があり、色があり、人々が大切に糸を繰り、色を染め、織り上げる過程を知るのが楽しい。

2011年の夏に見たときの館内


 館の説明では。
衣服を形作るとき、使用する布地の質感、文様、色はその印象を大きく左右します。それらは織り糸の種類や織り方、また布地を染める方法によっても変化します。本展では、日本の着物や世界各地の民族衣装の中に、さまざまな織りや染めの技法を見ていきます。織りでは、平織、綾織といった基礎的な織物から、糸の織り込み方によって文様を表わす紋織物までを、また、染めでは、絞り染や木版染など古代から続く比較的単純なものから、化学的ともいえる複雑な工程を経る多色染めまでを紹介します」という展示です。

中国の蟒袍(部分) 綴織 19世紀末


 蟒袍mǎngpáoとは、明清代に大臣が着た礼服です。金色の蟒(想像上の大蛇、龍)の刺繡のある礼服。決まり事で階級を細かく表した清朝では、一品~三品は、九蟒五爪(5本の爪を持つ9匹の龍、大蛇)、四品~六品は、八蟒五爪、七品~九品は、五蟒四爪。
 同じような柄に見えますが、臣下のは大蛇で、皇帝皇后の「龍袍」は、特別な龍だということですが、私の目には大蛇と龍の区別はつきません。皇帝用の5つの爪の龍のデザインを臣下が着ることは許されず、4爪だったとのこと。皇帝が5本爪の服を臣下に下賜するとき、臣下としては天にも上るような名誉と思ったことでしょう。

 布の仕事、染め色の仕上がりにも、織りや刺繍にも、仕立てにも、ひとつひとつの工程が想像され、そこに携わったたくさんの手が思い浮かびます。
 私は、ファッションとして自分が着る衣裳にはまったく興味がわかず、夏は裸でなければよい、冬は寒くなければよいという以上の好みはないのですが、こうして眺めているのには、自分では住むことのない住宅を、「たてもの園」などで眺めるのと同じことで、自分では着ることがなくてもいいのです。布のしごと、衣の仕事は、ほんとうに眺めていて楽しい。

 権力者の豪奢な衣服に目を見張ることもあるし、日常着として毎日の暮らしの中に着つづけられた素朴な民族衣装も好き。一生一度の花嫁衣装に、嫁入り前の娘が一針ひと針、心を込めて縫い上げた晴れ着にも心うたれます。

キラ 縫取織 ブータン 1970-80年代

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ブリジストン美術館きままにアートめぐり」

2013-01-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/24
ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(1)ブリジストン美術館「きままにアートめぐり」
 
 「ぐるっとパス」という割引き美術館チケットをこの冬休みも買いました。通常展に無料で入館できる券と、企画展特別展に割引きで入れる券が40館分ついています。
 2000円だから、2館か3館入場すれば「元がとれる」というもんですが、根が貧乏症だから、どうせ買ったなら、とことん使い倒してやろうと考える。

 まず、暮れのうちにブリジストン美術館へ。
 「気ままにアートめぐり」という展示で、これは館所蔵のコレクション展。新収蔵品は、カイユボット(1848-1894)の『ピアノを弾く若い男』くらいで、あとはなじみの作品でした。

ピアノを弾く若い男」

 近代美術館西洋美術館もそうですが、なじみの作品に1年に1度ずつくらい会っておくのも絵を見る楽しみのひとつ。新しい収蔵品があれば、へぇ、こんな絵が購入されていたんだと思って眺めるし、なじみの絵には、いよぉ、また会ったねと挨拶する。
 ブリジストンでは、ピカソのサルタンバンクや「女の顔」などおなじみの絵をながめ、「やあ、久しぶり」とご挨拶。

ピカソ「女の顔」
 
 絵を見て歩くたびに、中学生の私に絵を見る楽しみを教えて下さった松岡先生に感謝の念を抱きます。中3のときの美術の先生です。美術の授業中はさぼってばかりで、課題の写生作品なども、なんとか提出せずに済ませようとした出来の悪い生徒でした。(絵を描くのは、昔も今も超チョー下手です)

 中学校卒業後、年賀状一枚ださなかったのですが、50年たっても「ああ、あの先生に美術授業を受け持って頂いたおかげで、今も美術館巡りが大好きなのだなあ」と思います。
 教師の仕事は地味ですが、ひとりの子どもの心に何かのタネを植えて、それが大きく実っていくのを見ることもあるだろうし、私のように年賀状すら出さなくても、心のなかに先生への感謝を持ち続けるという場合もある。まあ、これは日頃ろくでもない教師だと自責の念を抱きつつ日々の授業を続けている自分へのなぐさめの気持ちでもあります。

 たまに、期末レポートの欄外に「先生に教えて頂いたおかげで、日本語の世界が広がりました」なんて言われることもありますが、そんな直接のことばは、レポートの点数をいくらか上げてもらおうと狙ってのこと。ことばにしなくてもいいのです。どこかにひとりくらい、授業のちょっとしたことが心に残ることがあるかもしれない。それでいい。と、信じられれば地味な仕事も続けられる。

 画家はどんな気持ちで絵筆を握るのだろう。生前にはさっぱり絵が売れなかったという画家の絵の前に立つ。ピカソのように長生きをして功成り名を遂げ、最初の妻、最後の妻のほかに数人の愛人をもってそれぞれに子を産ませた華やかな人生もある。
一枚の絵を売るにも苦労し、貧困のうちに自分も家族も死んでいく画家の人生もある。

 ブリジストン美術館の「気ままにアート」を、仕事帰りにぶらっと一回りして、ついでだから、東京駅の八重洲口から丸の内にまわって、電飾を見て帰りました。イルミネーション、あちこちで輝いています。
 どうにも輝かない人生を歩んでいる身としては、せめて、キラキラのイルミネーションでも眺めて華やごうと、寒い中有楽町まで歩きました。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「東京の大相撲」

2013-01-23 00:45:47 | エッセイ、コラム


2013/01/23
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里日記 1月(5)東京の大相撲

 午後6時前にテレビを見ることがほとんどないし、今は特にひいきの関取もいないのでニュースのスポーツコーナーで大相撲の話題を取り上げていても、ああ両国の国技館で本場所やっているんだな、くらいの認識しか持っていませんでした。

 大相撲を国技館に見にいったのも、もう数年前のことになります。仕事帰りに江戸東京博物館に寄ろうとして、となりの国技館を見たら大相撲をみたくなって、このときは「ひとり枡席」という枡席はじっこの三角コーナーみたいな席がとれたのでした。

 22日火曜日も、やっぱり「ぐるっとパス」を利用して江戸東京博物館を見ようかと両国でおりました。そしたら、取り組みを終えた十両力士が付き人を従えて両国駅から部屋に帰るところに行きあいました。遠くからでも鬢付け油のよい香りがします。今、十両にどんな力士がいるのかもわからないので、おすうもうさんを見ても名前も顔もわからないのですが、急にすもうが見たくなりました。
  大鵬死去のニュースで、子どもの頃、相撲に熱狂して見ていたことをなつかしく思い出したということもあったかも。私のヒーローは 大鵬ではなく、その一時代前の初代若乃花でしたけれど。

 東京に住んでいることの利点のひとつは、急に思い立って絵が見たいとかコンサートに行きたいとなって、さっとそれができるところでしょう。大相撲も、ひところの大人気で次の場所の予約もいっぱいで席が取れないという時代から見ると、ふらりと思い立って国技館に寄っても、平日なら席は十分にとれます。

 22日、窓口で「ひとり枡席あいてますか」と聞いたら、「ただいまの時間、1階枡席のバラ売りをやっておりますので、おひとり様でも枡席のご案内ができます」という。枡席は4人がけで、4人分いっしょに買わないとダメと思っていたので、「当日券枡席バラ売り」をやるというのは、よほど席が余っている状態なのかと思いました。

 正面枡席の1階うしろから三番目というところでしたが、四人がけの枡席にひとりで座るという贅沢ができました。もう横綱土俵入りも終わって、中入り後の取り組みが始まっている時間でしたから、このあと入場する客はほとんどおらず、空いている枡席にひとりでもすわってくれたほうがいい、ということでしょう。
 2階椅子席など、向こう正面はがらがらでした。
 枡席に毎日来ているらしいおっさんが、「平日の入りとしては、今日が一番いい」と言っていました。

 今、特にひいきの力士はいないし、顔を見てもしこ名がわからない人もいました。
 正月場所の恒例なのだろうと思いますが、きれいにお化粧をした日本髪の芸者衆が連れ立って観戦していました。外国人観光客なら、本物の芸者を見ることができただけでも大喜びだろうと思います。


 ひいきの力士にかける声が「ミヤビヤマ~」とか「キセノサト~」とか聞こえますが、結びの一番になっても「はくほ~」というかけ声よりも「ゴーエードー」という声のほうが多く、「はるまふじ~」よりも「バルト~」のほうが多かった。横綱に人気がないってのは、大相撲としてどうかと思うけれど、横綱はふたりともモンゴル人。
 大鵬のように圧倒的な強さを持つ日本人力士って、もう無理なのかも。(大鵬のお父さんはウクライナ人だけれどね)大相撲協会としては日本人横綱を誕生させたいのだろうけれど。



昔のようにがちっと当たって四つに組、力の応酬という大相撲は一番だけだった。あとは、ぶつかってすぐに押し出しとかはたき込み。横綱戦もあっけない相撲で横綱が勝ちました。力をみなぎらせた大きな体がぶつかり合う、迫力を感じる相撲が少なかった。
 特にハラハラもドキドキもせずに、淡々と取り組みを見ていました。4時すぎに枡席に入って6時の打ち出し太鼓が鳴るのを聞きながら帰りました。

 う~ん、数年に一回、外国人観光客のように「誰が誰やらよくわからないけれど、これが日本の伝統的スポーツ文化なのか」という観点で見るなら、それはそれでよいのだけれど、2時間の時間をすごして枡席9,200~11,300円。ひいき力士に声からして呼びかけ、応援するというのでなければ、そんなに毎回みたいという気も起こらない。
 同じ2時間を楽しむなら、私は映画のシルバー券1000円のほうがいい。そうね、みんなもそう思うから、当日券の枡席が買えたのだけれど。

 だれかが一生懸命精進してスポーツの世界で一流になる。自分のヒーローをいっしょうけんめい応援する。そういう文化を好ましいと思うのですが、現在の大相撲に、「巨人大鵬卵焼き」ほどのヒーローがいないのだとしたら、寂しいことです。
 がんばれ大相撲。ま、当分本場所を見ることもないだろうけれどね。

 大相撲は、スポーツ観戦人口を増やしていくという努力をこれまで怠ってきました。全国の小中学校に元力士を派遣して、ちびっこ力士を養成するくらいのことをボランティアでやってくればよかったのに。武道が必修となって、柔道や剣道を取り入れる学校はあっても、相撲を体育授業に取り入れる所ってほとんどないんじゃないかしら。

 私が子どもの頃のすもう人気は、野球と並んで圧倒的でした。ちょっとした広場に子ども達が集まれば、棒で丸い土俵を書き、たちまち相撲ごっこが始まり、だれでも寄り切りやら押し出しの醍醐味を味わって育ったのです。その子ども達が栃若時代柏鵬時代に相撲に熱狂した。若貴時代の相撲人気復活で、大相撲協会はまたまた何も努力しなくても客が入る時代を味わってしまい、その後の「観客をつなぎ止める努力」をしてきませんでした。
 今の子ども達、相撲は「伝統文化」として眺めるだけ。さて、20年後30年後の相撲人気はどうなっていくのでしょうか。私が心配することもないのだけれど。そこそこチケット収入があるうちは協会は何もしようとしないでしょうけど、若い観客をほとんど見かけなかったので、ちょっと気になった。

 友人「青い鳥」さん自作詩のカレンダー2013年1月から引用させていただきます。
「はっけよい のこった」

土俵の上の人生
のこった のこった
はっけよい のこった
闘う相手は
自分自身
のこった のこった
はっけよい のこった
弱気な自分に
大技かけて
押して 押して 押しまくれ

<おわり>
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ぽかぽか春庭「東京のイルミネーション」

2013-01-22 00:00:31 | エッセイ、コラム

東京駅ライトアップ

2013/01/22
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里日記 1月(4)東京のイルミネーション

 19日、自由が丘から渋谷に向かい、途中ふと祐天寺で下りました。
 19日は姑の服を洗濯をする一日になったけれど、予定では美術館散歩の日のはずでした。平日仕事を続けて、週末のうち一日はたまった洗濯とお茶碗洗いの日。一日は美術館散歩や公園さんぽの日にして、次の一週間の活力を得る日常です。
 18日からの3連休では、一日は映画、一日は洗濯日、一日は美術館散歩、と思っていたのですが、3時半に姑の家を出て、「まだ美術館閉館までに1時間くらいは時間がとれそうだ」と思いました。

 普段なら決して来ようとの思わない美術館、「アクセサリーミュージアム」に寄ってみようと祐天寺駅に下りたのです。絵画作品の美術館でしたら、1時間の観覧時間では足りなくて物足りない思いもするけれど、「アクセサリー」だったら、小1時間もあれば全部見られるだろうと、立ち寄る気になりました。
 アクセサリー輸入業の社長が集めたというコレクションが、祐天寺駅からちょっと奥まった住宅街の中にあり、ヴィクトリア時代のアクセサリー、アールヌーボー時代のアクセサリーなどを展示していました。

 4時ころ祐天寺駅前に出たときには気がつかなかったけれど、5時に閉館してから駅前に戻ると、青いイルミネーションが輝いていました。祐天寺のイルミネーションはそう大規模なものではありませんが、きれいでした。
 最近は年末だけでなく、冬うちいっぱい駅前とか大きな建物の玄関とかに電飾を灯し続けるところが多くなりました。

 私が年末に歩いた丸の内仲通りのイルミネーションは10月1日から2月17日の間4ヶ月半も続くし、新宿西口のイルミネーションも2月半ばまで。お台場のイルミネーションも1月いっぱいやっている。

東京駅丸の内有楽町間 仲通り


 わざわざイルミネーションだけを見にくることはないけれど、出かけたついでに駅前なんぞで電飾を見ると、光もん大好きの私はうれしくなります。
 ほんとうは夜空の星を見たいのですが、東京の夜空は惑星とシリウスくらいしかよく見えない。オリオンの形がかろうじでわかる程度。だから、冬の夜空はイルミネーション。 きらきらの輝きを見ながら、輝かなかった我が人生をいとおしむ時間を感じているのです。

新宿南口テラス

 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「ああ無情」

2013-01-20 12:08:57 | エッセイ、コラム
2013/01/20
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里日記 1月(3)東京の「ああ無情」

 一昨日18日は「センター試験準備日」で、授業は休講。良いヨメならば、こういうときはすぐにも姑のところへ駆けつけて「日頃お世話ができず申し訳ございません。今日は家事全般お手伝いとお話相手を果たすべく参上つかまつりました」と言うのだろうけれど。

 月に一回になった姑病院検査のお供を娘にまかせてしまって、ルンルンと映画見物に出かけました。日頃夫の会社福利厚生用「映画パスポート」をつかえる映画館でしか映画を見ないので、久しぶりにお金を出して見る映画です。シネコン(シネマコンプレックス複合映画館)とやらに入るのも久しぶり。

 8つのスクリーンがある映画館で、私は100席ほどのNo.4のスクリーンへ。平日午前中だから、客は20人くらいでした。アカデミー賞8部門にノミネートされている映画でも、平日の観客はこのくらいなんだなあとあたりを見回しました。
 『レ・ミゼラブル』とてもよかった。アン・ハサウェイが歌う『夢を夢みて』も身にしみたし、ラストシーンの群衆の大合唱、泣けました。

アン・ハサウェイの歌う「 I Dreamed a Dream - Les Miserables 」
http://www.youtube.com/watch?v=F2AE2aL0-6Y

 で、スーザン・ボイルがオーディション番組で歌い2009年の紅白でも歌った「夢を夢見て」なんぞ口すさみながら帰宅。
♪I dreamed a dream in time gone by~
 あれ、息子がいません。出かけるなんて言っていなかったのに。

 私が出かけるときには「成績優秀者への育英奨学金減免制度」に応募するのだと書類を書いていたのに。へぇ、そんな制度ができたんだ。未だに奨学金の返済を続けている私。私の二度目の大学と大学院での育英奨学金、学費ではありませんでした。学費は大学に免除してもらえたのですが、娘が2歳のときから、私の育英奨学金はすべて家計費。奨学金で食べている母子でした。
 娘が借りた育英奨学金は、夫が会社運転資金に流用しちゃいました。娘は、「私の名前で借りた借金だけれど、父が返済すべきでしょう」と言います。もっともなことです。息子の奨学金だけが、まともな「学費」です。それも返済金減免して貰える制度ができたとは。

 息子は、娘に呼び出されて姑宅へ行き、泊まることになった、という連絡。姑は病院で各種検査を受けている内に気分が悪くなり、病院はノロウィルスなどを疑って緊急に追加の検査などをしたのですが、ウィルス性のものではない、ということで胃薬だけ処方されて帰宅したそうです。

 19日朝、娘からの電話で「ニョンは、大学に書類出しにいかなくちゃならないんで、午前中に帰るから、母、こっちに来て」というので、朝ご飯も食べずに駆けつけて、息子と看病交替しました。
 姑は一晩寝たらだいぶ回復して、朝9時から午後3時まで昔話やら親戚だれそれの消息だのずっとしゃべりっぱなしでした。よくもあれだけ連続してしゃべり続けることができるなあと、日頃人としゃべるのが苦手で、おしゃべりするかわりに文に書くわたしは、感心します。

 娘は、おばあちゃんの話を聞くのがじょうずで、ぐるぐる同じ話が繰り返されて「無限ループ」になったり、「その話、今日きくのは3回目」ということになっても、相づちをうちながら聞いています。よく出来た孫だ、と私は思うのですが、姑に言わせると「期待はずれの孫4人のうちのひとり」なのだそうです。娘はそう言われているのを知っても「おばあちゃんらしい言いぐさ」と達観しています。

 娘は一晩お相手をして少々くたびれたので、19日は、居眠りをしながら聞いていて、私が、お相手。「ノブさんがね」とか「まどかちゃんがどうこう」という話を聞いて、そのノブさんもまどかちゃんも私はまったく知らない山形の親戚なのですが、話がつながらないまま、「うん、うん、そうですか」と聞いている。

 話の合間に、18日19日の分の姑の服を洗濯する。私は仕事をしている間の1週間分くらいは平気で洗濯物をためてしまい、週末にまとめてするのですが、姑はその日の分を毎日洗ってしまわないと気になってしまう、昔気質なのです。
 姑の服、2日分なのに、びっくりするくらいたくさん着込んでいました。私の伯母もそうでしたが、冬になると、めちゃくちゃたくさん下着を着込むのです。下履きだけでも、パンツ。長パンツ(ズロースっていうのかな)、ももひき、毛糸のパンツ、ズボン。上はもっと。

 娘は、自分でおばあちゃんの服を洗濯しようと思ったのですが、「わたし2槽式の洗濯機でどうやればいいのかわからないから、母がやって」と言って、私を呼び出したのです。姑は昔ながらの2槽式で排水も給水も手動でやるタイプを使っています。わが家は、娘が幼いときに全自動に買い換えたので、娘は全自動しか知らないのです。働きながら大学院へ行きつつ子育てをした私にとって、全自動洗濯機ほどありがたい味方はなかった。

 姑にも何度も「全自動、便利ですよ」と言ったのですが、「これが壊れたらね」と言って、古いタイプを使い続けています。もう何十年も壊れないでいる「当たり家電」のひとつです。

 洗濯機も何十年も生き続けたけれど、姑は「もっともっと長生きする」のが夢です。姑はノーベル賞の山中教授が大好き。iP細胞の研究が臨床で成功してガンも治るようになることを夢見ています。

 姑の夢、「もっともっと長生きすること」。夢がかなうといいね。
 私の「夢」は、あれもこれも実現しなかったけれど。
 夢が破れつづけた人生だったけれど、まあ、これも人生。ああ、無情。

 フランス語のレ・ミゼラブルを「ああ無情」と訳したのは、黒岩涙香です。レミゼラブルの翻案小説『噫無情(ああむじょう)』
 私、10歳ごろに読んで以来、読み直したことない。たぶん、子ども向けの世界文学全集の中の一冊だったでしょう。「アーム・ジョー」という人の話だと思って読み始めたら、じゃん・ばる・じゃんという人の話でした。

 「あら、せっかくの休みの日に体を休められないで、働かせちゃって悪かったわね」という姑の声に送られて、午後3時半に姑宅を出ました。夫は仕事が終わり次第来るということでしたが、娘もいることだし、洗濯ほしたらもういいかなと。

♪And still I dream he'll come to me.
 That we will live the years together
「私は夢見る あの人が 共に人生を歩んでくれると」なんていう夢はやぶれ、一人で勝手に生きている夫だけれど、「ああ無情」の世でも人は生き続ける。

 I Dreamed a Dream (夢を夢見て 邦題「夢やぶれて)」
I dreamed a dream in time gone by 過ぎ去りし日の夢
When hope was high And life worth living 希み高く、生きがいに満ちていた
I dreamed that love would never die とわの愛を夢みることを
I dreamed that God would be forgiving 神もお許しになろうと

Then I was young and unafraid 若くて怖さ知らずだった私
And dreams were made and used and wasted 夢見て、そして夢破れた
There was no ransom to be paid 生き抜くための身代金を払うこともできず
No song unsung. no wine untasted 歌は歌い尽くし 酒も飲み干した 

But the tigers come at night でも、虎は夜やって来る
With their voices soft as thunder 雷のように低くうなりながら 
As they tear your hope apart 希望を八つ裂きにし
And they trun your dream to shame 夢も恥と変わる

And still I dream he'll come to me 私はいまだに夢を見る あの人が
That we will live the years together 共に人生を歩んでくれると
But there are dreams that cannot be でも、それはかなわない夢
And there are storms we cannot weather 避けきれぬ嵐のなかで

I had a dream my life would be かって夢見たのとは
So different from this hell I'm living まるで違う、こんな地獄で暮らすとは
So different now from what it seemed 思ってもいなかった今の姿

Now life has killed the dream I dreamed 夢やぶれし 我が人生

 帰宅してから、全自動で洗濯。1週間分。昨日は、休みだったけど、映画見に行って洗濯サボったからね。今日はせっせと洗濯。あらま、洗剤がきれてる。じゃ、またあした。夢破れし我が人生は、あしたの洗濯で洗い流そう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「東京の遠吠え」

2013-01-19 08:08:39 | エッセイ、コラム
2013/01/19
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里日記 1月(2)東京の遠吠え

 子どもの頃、夕方になるとあちこちの家の飼い犬がいっせいに吠えだすのが、「子どもはもう外にいちゃいけないよ、帰らないと狼が来て食べちゃうよ」という合図でした。
 この鳴き声を聞くと、犬の声だとわかっていても、やはり夜は恐ろしく、狼に食べられるかも知れないという気になるのでした。

 東京では、さっぱり犬がいっせいに遠吠え大会に参加するなんて、聞くことがなくなりました。一戸建ての多い地域ならどうかわかりませんが、マンションアパートが連なる地区だと、部屋飼いの犬は声帯を切除してムダ吠えしないように処置すると聞いたことがありますし、部屋ごとに締め切って飼われている犬は、他の犬の遠吠えなんぞ耳にする機会もなく、「みんなでいっせいに吠える」ということは東京ではできないのじゃないかしら。

 久しぶりに遠吠えを聞いたのです。それも、生まれて初めての「本物の狼の遠吠え」。
 多摩動物園の午後4時すぎのことでした。
 動物園が好きなので、ときどき上野動物園や多摩動物園に出かけます。ウォーン、ウォーンという声を聞いて、あれ?動物園で犬が鳴く?と思ったのですが、声に近づいてみたら、それは狼舎からの声でした。

 2001年に日本に交換寄贈されたヨーロッパ狼。雌のモロ(1998生)と雄のロボ(2000生)の夫婦から次々に子が生まれ、今は11頭の群れになっています。(12頭目は、別室隔離飼育中。たぶん、体が弱くて家族の誰かからイジメにあったため)

 2003年頃から、朝9:30の開園チャイムが鳴るとそれに合わせて遠吠えを始めるようになりました。しかし、朝9:30の開園チャイムと同時の遠吠えスタートだと、開園と同時に入園しても、観客はこのシーンを見ることはできませんでした。

 今では、夕方の「あと○分で閉園となります」というときの放送にも合わせての遠吠えもするようになり、閉園まぎわまで園内にいた客は、この遠吠えを聞けるようになったのです。youtubeにも、いろいろな人が撮影したビデオ映像で遠吠え合唱を聴くことができます。

東京Zooネットの動画
http://www.tokyo-zoo.net/movie/mov_book/1012_01/index.html

 私も、何度も多摩動物園に「ひとり動物園さんぽ」に来ていたのですが、これまで狼遠吠えを聞くチャンスがありませんでした。1月7日、仕事帰りにふらりと寄って、はじめて、夕方の大合唱を聞くことができました。4時すぎだったと思いますが、帰りかけたとき、ウォーンウォーンという遠吠えが響きました。声が聞こえるほうへ行くと、狼たちがいっせいに口を天に向けて大合唱していたのです。


 この狼遠吠えは、前回多摩に来たとき見た多摩動物園の新名物「オランウータンの綱渡り」と並んで「多摩名物」になっているらしく、カメラやビデオを構えた人が集まっていました。毎日動物園に通って、一匹一匹のダイアリーをブログに載せている動物園ファンもいるらしく、顔なじみらしい人たちは「今日は、今日は○○(狼の名前)が、あまり気をいれて吠えていませんね」なんて論評しています。11頭の名前と見た目の特徴を書いたパネルが狼舎の前に掲示してあるのですが、「狼ツウ」の人たちは、一頭ごとに識別できるようです。

 私は、どれがどれやら区別なんかできません。童話の世界では悪者にされる狼ですが、シートンの「狼王ロボ」が大好きでしたし、役所広司主演の日本ソ連共同製作の映画『オーロラの下で』を見たこともあって、狼も嫌いじゃありませんけれど、一頭一頭識別するには、毎日かよって狼一家を見続けないと。見分けることができるくらいになると、それぞれ個性があって、観察していくと面白いみたいです。


 「みなでいっせに遠吠えする」という動物本来の習性が、動物園飼育でもちゃんと残されていることがわかってよかった。はじめて聞いた生の遠吠え、またそのうち聞きに行きたいです。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「東京雪景色」

2013-01-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/17
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里日記 1月(1)東京雪景色

 2013年1月14日成人の日は、久しぶりに昼に降って積もる雪になりました。なにもこんな日にわざわざ出かけなくてもよさそうなものだけれど、こういう日は美術館もすいているんじゃなかろうかと、出かけました。

 家を出るとき、雨が雪に変わり、地下鉄に乗っている間に本格的に積もりだしました。


 六本木一丁目駅を出ると雪国だった。
 「ビルの底が白くなった」てなこと言いながら、六本木ビル群を見上げる。
 六本木駅一丁目駅は、ビルの底にあります。地下2階が改札。そこから地上までは、外にあるエスカレーターを乗り継いでいきます。エスカレーターが建物の中ではなく、外にあって、地下2階から空を見上げながら地上に向かう感覚は、よそにはないものなので好きですが、降りしきる雪の中を上昇していく感覚を味わうのは初めてのことです。

 途中に柚子だかカボスだかの木があって、エスカレーターから手を伸ばしても実には届かないのだけれど、雪中の柚子という景色もおもしろいかと思って写真を撮りました。


 屋根付きのエスカレーターは稼働していたけれど、地上にでる最後の屋根無しのエスカレーターは「安全のため停止」という札がかけられていて、動いていませんでした。階段をすべらないようにひと足ひと足ずつ運んで、スェーデン大使館側に出ます。
 大都会に君臨するがごとき六本木ヒルズが、灰色の墓標のように立ち尽くしています。


 雪の句
酒のめばいとど寝られぬ夜の雪(松尾芭蕉)
・我が物と思へば軽し笠の雪 (宝井其角)
・いくたびも雪の深さをたずねけり(正岡子規)
・雪敷きて海に近づくこともなし(山口誓子)
・雪降れり時間の束の降るごとく(石田波郷)
・雪はしづかにゆたかにはやし屍室(石田波郷)
・雪を来て少女等の語尾舞ふごとし(加藤楸邨)
・降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)
・外套の裏は緋なりき明治の雪(山口青邨)
・葛城山の肩に雪照る皇子の陵(角川源義)
・かぎりなく降る雪何をもたらすや(西東三鬼)
・雪はげし抱かれて息のつまりしこと(橋本多佳子)
・昔雪夜のランプのようなちいさな恋(三橋鷹女)



・夜の底の墓標の如きヒルズビルに皚皚(がいがい)として雪降り続く(春庭



 雪の予報を聞いていたのか、被布を羽織っている娘さんたちもいました。

・被布の裏は緋色なりしや乙女らはさざめきあいて夜行バス待つ(春庭)

・屋根にふる雪のせ新宿西口のバスは真白き世界へと発つ(春庭)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「10年前の1月下旬3」

2013-01-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/16
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ三色七味日記2003年1月(6)10年前の1月下旬3

 春庭日記2003年1月コピーのつづきです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2003/01/28 火 晴れ 
ニッポニア教師日誌>パレスに住むエンペラの顔

 漢字、会話2コマ。

 「~ことがあります」の経験を述べる文型。前に、学生たちに見せてもらった冬休み中の写真の話題から導入。

 ディズニーランドへ行った、初詣に神社へ行ったなど、いろいろなこれまでに出かけたことやホームステイで体験したことを出してもらい、「~ことがあります」の文を作る。

 ジョナたちは、冬休みのはじめに皆で東京へ行ってきたそう。クリスマスイブイブ、すなわち天皇誕生日であるからしてパレス見物をしてきた。
 「日本のお金にはエンペラの写真がありません。私たちはエンペラの顔を知りません。パレスで顔を見ることができました」と無邪気に喜んでいた。
 「エンペラの顔はハンサムでしたか」「遠くから見たので、よくわかりません。」

 私の例文、「ジョナさんは東京のパレスに行ったことがあります。私はまだパレスに行ったことがありません。エンペラに会ったことがありません。エンプレスと話したことがありません」
 「文化勲章をもらうときにパレスの中へ行きますから、それまでは行きません」と言ってみたが、この冗談は留学生には通じなかった。

 そして「皇居」と言わず、あえて彼らが使った英語のパレスということばをそのまま外来語として用いた例文の語感も、留学生には通じないだろう。
 コーキョと発音するときにまつわりついているイカメシイものが、パレスと言ったとたんに身軽になり「なんとかパレス」という、街のパチンコ屋かリゾート地のストリップ劇場のような語感が出てくるから、外来語魔法のあら不思議。エンペラと発音すると、テンペラやカンペラの仲間みたいになって、いかめしさが消える。

 「昨日友達とchurthに行きました」という学生に「チャーチ、日本語で教会。きのう友達と教会へ行きました。はい、リピートアフターミー」と言いなおしさせるときもあるのに、パレスは皇居と言い直しをされられないのはなぜか、なんて学生は気づかない。

 外来語語感について、宮沢章夫が『茫然とする技術』所収「NHK英語講座テキスト」に書いていた文がおもしろくて笑えた。外来語語感についてこれほど卓抜な感性をほかにしらない。『茫然とする技術』図書館で借りた本だけど、文庫になったら絶対に買う。

本日のきわみ:「不敬のきわみ」なり、と、逮捕されることはない時代でよかった

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2003/01/29 水 晴れ
ことばの知恵の輪>知らない日本語

 午前中、Aダンス。

 午後、辞書全読をはじめる。語彙数調査のため、辞書に出ている単語を全部読み、未知の語を調査する。日本語教師としてなかなかの職業訓練といえばいえるし、単なる暇つぶしとも言える。

 とりあえず岩波国語辞書を読み、漢和と古語辞典で補足。
 NTTの語彙数調査のリストで調べたのでは、私の日本語語彙数は約6万語と分かったので、岩波国語辞書に搭載されている57000語は、ほとんど知っているはずという前提で読み始めた。
 だが、実際には未知語があるある。後半から初めて、は段からわ段へ。あ段へ戻って、か段へ。あと「さ、た、な」が残っている。

 特殊な専門用語ならいざ知らず、一般国語辞書に搭載されている語で知らない語があろうかと思ったのに、思い上がってはいけない。知らない語がやはりある。

 あ段で知らなかった語は4語。「文色(あいろ)」「「烏兎(うと、金烏玉兎の略)」「燕雀鴻鵠(えんじゃくこうこく、燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、から来た四字熟語」「笈摺(おいずる)」を知らなかった。

 燕雀鴻鵠は四字熟語だから、四字熟語の中には知らない語もたくさんあるはず、と納得できるのだが、文色、笈摺、烏兎の三語、これまでに文の中で見た記憶がなく、意味を初めて知った。

 烏兎は日月の意。神武天皇が金色の烏を肩に乗せているのは挿絵で見て知っていて、金の烏が日の神のシンボルと知っていたのに、中国古語で金烏玉兎は太陽と月を表すというのを初めて知った。玉兎の字は知っていたが、玉のように丸っこいかわいい兎と思っていて月のシンボルとは知らなかった。無知?
 ところが、娘と息子はこの「烏兎」の語と意味を知っていた。なぜなら、RPGゲームの戦いの技の中に「烏兎」という技があるからだ。烏兎の技を使うと、敵をすごいパワーでやっつけることができるのだそうだ。

 笈摺は、巡礼が笈を背負うときに背中が摺れるのを防ぐための上着という。
 ま、これは現代では四国遍路専門用語のうちに入るのかもしれない。昔は巡礼お遍路がどの家の門口にも立ち寄ったのだから、皆この語を知っていたのかも。

 子供の頃、お遍路姿の人が門口に立つとお母さんは米や麦をお椀にひとつあげて、「お通りください」と言っていた。彼らは仕事を持っている人が宗教心にめざめて一念発起で巡礼に出るのではなく、「お遍路専門」である人なのだと言う。だから私はお遍路というのは乞食のことだと思っていた。
 芝居の中で子役が甲高い声で「ジュンレーにゴホーシャー」と叫ぶのは、乞食のものごいだと思っていた。「巡礼専門職」の人々は、笈など背負っていなかったから、笈摺というものを見たことも聞いたこともなかった。

本日のひがみ:RPGの技「烏兎」を知っている子供、しらない日本語教師

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2003/01/30 木 曇り
ことばの知恵の輪>辞書全読

 辞書全読続き。
 「暇じゃないのに暇つぶし」とはいえ、辞書一冊で一日中遊べて、娘に「お母さん安上がりに楽しめていいね」と言われた。三省堂例解古語辞典なんか、古本屋で100円で買ったものなのだ。100円で3年は遊べる。

 「文色あいろ」は「様子、ものの区別」の意。
 検索してみると、ガマの油売りの口上の中に出てくる。そしてガマの油売り口上は、興津要編『古典落語下』に収録されている。
 埃をかぶっている古典落語を、棚から取り出して調べてみれば、私はたぶん、一度はこの語を目にしたことがあるはずなのだ。
 でも「アヤメも知らぬ恋の道かな」の菖蒲と文目の「あや」は知っていたが「あやいろ」が略されて「文色あいろ」となった、というのは、まったく脳の引き出しにしまってなかった。

 落語や物売り口上は意味を詮索するより、語呂のよい音声を楽しみながら聞き流し読み流しをするから、口上の中に「さあ、ご用とお急ぎでない方はゆっくりと見ておいで。遠目山越傘のうち、ものの文色(あいろ)と理方がわからぬ。」という文を一度目にしたくらいでは、右から左へ文字が流れて通り過ぎただけだったのだろう。
 広辞苑の出典では、団扇曾我からの引用。浄瑠璃はいくつかは読んだが、団扇曾我は読んでないから、これは知らなくても当然。

 か段では懸魚、戒ちょく、花梗、何首烏(かしゅう)華しょの国、空えずき(からえずき)硯北、を知らなかった。
 四字熟語「五風十雨」は、知らなかったけど、文字から意味はだいたいわかる。

 かしゅうなんて「何首烏」という文字を見てもぜったいに意味はわからない。「つるどくだみの塊根。漢方で健胃、強壮剤とする」とある。漢方薬専門家とか、健康オタク以外で、フツー知っているか、こんな言葉。

 しかし、息子は私が知らなかった「花梗」を知っていて、「そんなの小学校の理科で習う言葉でしょう」と言う。そうか?私は「植物には、根と茎と葉と花がある」と習っただけで、茎を花梗というなんて聞いたこともなかった。園芸専門家や花屋は知っている言葉だろうけど。
 小学校で習ったという、息子の出典は、塾で使っていたテキストだと推測する。

本日のひがみ:おそるべし中学受験用理科テキスト。

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2003/01/31 金 晴れ 
日常茶飯事典>隣町に単身赴任中の夫

 ビデオ会話3コマ。

 夕食を食べながら、娘が「そういえば、今日はパピイの誕生日」と言う。
 数日前に、もうすぐ柿実さんの誕生日、と31日を意識したのだけれど、今日は忘れていた。柿実さんの誕生日は夫の誕生日と同日。

 夫は「生まれた日を祝う必要はない。クリスマスだ正月だと、家族がいっしょにすごすなんてのは、くだらない。子供の運動会だ学芸会だと親が学校へいそいそと出かけるのは、ばかみたいだ」と言って、家族といっしょにすごすことを、すべて否定してきた。
 夫は「家庭に安住する」という生き方は、「男のダンディズム」に反し、「世界中を放浪し、最後は野垂れ死にする」という、あこがれの生き方から遠ざかることだと思っている。

 お誕生日は1年365日の中で1度しか祝えないから、非誕生日を祝うことにする、1年364日が非誕生日のお祝い!というのが、ルイス・キャロルの『アリス』に出てくる「帽子屋と三月兎」の、「非誕生日おめでとう!」だった。Happy unbirthday!
 でも、1年にたった1度だからこそ、非日常としてお祝いするのだし、昨日と同じお日様と分っていても、元旦の日の出は特別な「初日の出」なのだ。

 よその家では「日常生活」である「家にお父さんがいる毎日」が、我が家では「お父さんがいっしょに家庭ですごす特別な日」。Happy everyday with daddy! と、Happy special day with daddy! どちらがお祝いすべき日になのか。

 幼い頃、息子は、「よその家では、お父さんが夜いっしょに夕ご飯を食べる」と知って、びっくりした。「お父さん」というのは、気が向いたときに、ふらりと家にやってくる人をいう言葉だと思っていたのだ。
 娘は、運動会に参加して、いっしょに親子競技に出てくれる友だちのお父さんをうらやんだりしながら成長した。それでもふたりとも決して父親を否定したり嫌ったりしないで育ってきたのは、私の薫陶よろしきを得たからである。

 テレビドラマで家庭崩壊劇を見ながら、「う~ん、ヨソんちが壊れていくのを、端から見ている分には面白いけど。うちなんか、最初っからぶっこわれているんだから、よその人から見たら、完全崩壊済み家庭かもね」と言って、娘と息子で笑っている。

 「でもさあ、お父さんの場合、単身赴任中というべきなんだろうか、別居というべきなんだろうか」と息子。「最初のうちいっしょにいたのなら別居という表現もいいけれど、最初から家にいないんだから、別居したというのは変でしょう。よそで仕事をしている人がたまにたずねてくる、というのは、なんと言うべきなんでしょかね」と娘。
 「お父さんが家にやってくる日」が、月に一度、二ヶ月に一度と、どんどん少なくなっていく。そのうち、1年に1度のお祝い日になるだろう。

 で、2月4日と7日のどちらが舅の誕生日でどちらが姑の誕生日か、未だに判別しないのだが、ま、どっちでもいいから息子をおばあちゃんの家へやることにする。やはり、誕生日は、1年1度の大切な日。 

本日のうらみ:、ともあれ、ハッピィバースディ!妻からのお祝いの気持ちをあなたへ!切手のない贈り物。わたしからあなたへ、この気持ち、届けよう、、、、届きそうもないけど。


<おわり>

もんじゃ(文蛇)の足跡:2013/01/12
 以上、10年前もまったく変わらない食うや食わずの日常を送っていたことがわかります。
 今年、2013年の1月31日、夫は誕生日プレゼントとして何を要求してきたかというと。
「会社の運転資金が足りないから、お金貸してくれ。返すあてはないけれど」
 娘は「貸すな」という。自分でやりくりできずに倒産してしまうような会社なら、つぶれてしまってもいいのだと。
 これまでさんざん家族を犠牲にしてきて、娘の奨学金も私の出稼ぎ賃金も会社資金につぎ込んでしまった。いっさい家族を思いやることもなく好き勝手に生きてきた父に、これ以上甘い顔しなくてもいいのだと。
 私もそう思うのだけれど。「趣味の会社経営」ができなくなって、「小さいながらも一国一城の主」というアイデンティティがなくなってしまったら、この人は生きて行けないだろうと思う。

 33年前、「一生ひとり身で、世界放浪ジャーナリストとして写真を撮って生きて行きたい」と言っていた夫。
 彼の一生の方向を変えてしまった責任を感じるのも、いいかげんに卒業してもいいんじゃないかと、思いますが。彼に言わせると「別段家族に責任を感じてフリージャーナリスト志望を変えたんじゃなくて、結婚後、フィリピンやケニア、タイ奥地を回ってみて、自分にはできないと、能力の限界を感じたからだ」とのことですけど。
 さて「返すあてはない」というお金を貸してやるべきか否や。次に顔あわせるのは、2月はじめの姑の誕生日祝いの食事会になるだろうけれど。それまでには思案しときましょ。一生「ダメンズウォーカー」で歩くのもわが人生かと。
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ぽかぽか春庭「10年前の1月下旬2」

2013-01-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/15
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ三色七味日記2013年1月(6)10年前の1月下旬2

 10年前の春庭日記コピーつづきです。

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2003/01/24 金 晴れ 
日常茶飯事典>トロフィ

 ビデオ会話3コマ。

 お店のショウウィンドウにトロフィが並んでいるのをじっと見ていたら、「なんでそんなもの見てるん」と娘が聞く。
 息子がスイミングに行っているときに、1日も休まないで行くと皆勤賞でトロフィを貰えて、2,3日の欠席だと精勤賞でメダルがもらえた。
 1年生のときはメダルで、2年生のとき絶対にトロフィをもらうんだってはりきって休まないで通ったのに、おじいちゃんの法事で休まなくちゃならなくなった。どうしても休むのはいやというので、それじゃ、スイミングのトロフィと同じのをお母さんが買ってあげるから、休んで法事に行こうって約束した。だけど、結局トロフィを買わないですぎてしまった。

 「あいつは何年たっても、お母さんはトロフィを買ってくれなかったって言うんだよ。トロフィ買うよりゲームソフトの方が遊べるし無駄がないと思って、トロフィのかわりにソフト買ったような気がするけど、やっぱりあのとき、無駄でもトロフィ買ってあげればよかったなあって、後悔している。今、買おうかな」
 「そんなもの、中学生になってからもらったって、うれしくともなんともないよ。時期のもん」と、娘は笑う。
 親からみたら役にも立たず、無駄なもののように思えるトロフィ。子供のそのときの気持ちでは、ものすごく欲しいものだったのに。

 息子は、学童クラブに通っている頃、友達がやっているテスト教材のおまけが欲しくて、「テストやりたい」と言っていた。そのときは、「小学生は遊ぶのが仕事だから、学童でいっぱい遊ぶのが一番だよ」と言ってテストをとってやらなかった。
 今、息子は、「どうしてあのころ、あんなにテストのおまけがすごくいいものに思えたんだろう。顕微鏡とかカメラとか、すごく安物のおまけだったって、今ならわかるけどなあ」と述懐。
 今は「進研ゼミでもZ会でもいいから、添削テストやりなさいよ」と、いくら言っても「やりたくない。時間がない」一点張り。なぜ時間がないかというと、ゲームに専念しているからである。

 う~ん、何のおまけをつけたら、通信教材テストをやる気にになるのだろうか。「そりゃ、ゲーム本体とソフトでしょ」
 「でも、ゲームソフトが増えたら、ますますゲームに専念の時間が増えて、結局テストやらないんじゃないの」「それが、わかっているなら、通信教材やらせようなんて思わない方がいいよ」
 
本日のつらみ:買ってあげなかったトロフィ

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2003/01/25 土 晴れ 
日常茶飯事典>レンタル着物

 娘と私は12時半に駅に着いた。スモモとランチを食べてから、来年の成人式着物展示予約会。

 娘はたんす屋の着物が小さくて前がはだけたので「とにかくサイズが合えばいい」という気分になっている。
 LLサイズの着物は、仕立て上がっているのが、二枚。黒地に刺繍のと、ピンク地に花柄のとふたつだけ。これから仕立てるのは青があった。娘は青のほうが気に入ったのだが、仕立て代金が6万かかると聞いて、「6万現金でくれるなら、ピンクでいいや」という。

 一式レンタルと着付け写真撮影セット。「20歳のお祝いは一生に一度のことだから、6万円高くても気に入った方を着ればいいのに」とスモモは言う。娘は、「その6万円をお金でもらって、成人式記念旅行をする」というので、ま、それでもよし。

 それから100円ショップでオルゴールとか、必要のないものも買う。オルゴールの音が今でも好き。小学生のころ欲しくてたまらなかったのに、買って貰えなかったもののひとつがオルゴールなのだ。
 文房具や本ならすぐ買ってくれる母だったが、オルゴールのような趣味の品は「稼げるようになったら自分で買いな」と言っていた。中学生のとき、こずかいを貯めて自分で買った。1ヶ月のこずかいが500円くらいのとき、オルゴールひとつ3000円くらいしたように思う。
 あのオルゴールどこへ行ってしまったのだろう。引っ越しのどこかでなくなった。

 オルゴールの小さな音色。100円だって。やすっ。

本日のうらみ:かあさん、あの時のオルゴール、どこへいったんでしょうね

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2003/01/26 日 晴れ 
日常茶飯事典>演劇関東大会 

 中学生息子は、高校演劇関東大会へ。
 昨日は観客として、見るだけの参加。今日は高校演劇部が関東大会に出場の晴れの日。息子は午前中は観劇。午後は演劇部スタッフ。

 高校演劇大会の規定では「大会当日にOBなどの手助けを受けること禁止」という条項があるのだが、「OBはいけないと書いてあるが、中学生はいけないという規定がない」という理由で、中学生の息子たちが手伝ってもいいことにしたのだと。
 パンフレットを見ると、毎回入賞している強豪校は部員が60人とか100人とかいる。息子のところは高校中学合わせて10人もいない。舞台の設置撤収が時間通りにできないと減点されるので、手伝う方も真剣勝負。いい舞台になるといいけれど。

本日のそねみ:野球も演劇も強豪校は部員数が巨大

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2003/01/27 月 雨 
日常茶飯事典>電車が遅れて遅刻したので、欠席

 漢字作文2コマ。

 息子は、雨の中遅刻すれすれで登校した。ところが地下鉄の事故で電車が遅れて、学校についたら1時間目は始まっていて、みんな英語のLL教室室に移動したあとだった。LL教室に遅れて一人で入っていくのも、教室にひとりで待っているのもいやだからと、そのまま回れ右して帰宅。
 忙しい思いして、朝、お弁当を作ったのに。

本日のうらみ:せめて弁当を食べ終わるまで学校にいてから、帰宅してくれ


<つづく>
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ぽかぽか春庭「10年前の1月下旬」

2013-01-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/13
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ三色七味日記2013年1月(5)10年前の1月下旬

 10年前の春庭日記コピーです。

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2003/01/21 火 晴れ
ニッポニア教師日誌>教師像

 漢字会話2コマ。
 
 娘の「教師論」のレポートは「私の身近にいる教師の紹介」。
 家族や親戚、自分が教わった先生にインタビューして、教師像をまとめる。娘の「身近な教師」は、母親。
 「教師論を担当している先生が、あなたのお母さんは面白い人ね。会って話がしてみたい、って言ってた」と娘が言うので、「じゃ、会ってきて、うちの娘に優をくださいって頼んでこよう」と冗談で。

 教師論の先生は若い助手で、教育社会論をやっている人。論文テーマを検索すると「子育て期の女性教師への聞き取り調査」とか「女性校長への聞き取り調査」などをやっていた。女性教師の社会的なありかたについて研究しているらしい。

 たぶん、私は彼女のいいネタになれる存在なんだろう。子育てしつつ仕事をしつつの主婦学生歴8年、子供を預けて海外単身赴任半年という経歴は、「女性教師インフォーマント」の中にもそれほどたくさんはいないだろうな。

 でもね、珍種ではあっても、就職口はなかった。ぐすん。

本日のうらみ:教育社会学のネタには足りるが、日本語教師の口には足りない。帯に短したすきに長し、中途半端がおらが一生

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2003/01/22 水 曇り 753
ニッポニアニッポン事情>家の芸

 天皇の入院中は皇太子が職務を代行。

 さて、明日歌舞伎を見にいくせいか、「家の芸」についていささか考えた。歌舞伎の中で、主だった役はすべて世襲の俳優が引き受けている。親が歌舞伎俳優でなく、国立劇場の養成所とか、そういうところからの出身者で、主役級の役をもらう人がいたのだろうか。

 前進座はそういう世襲制を嫌って新しい歌舞伎の劇団を作ったはずなのに、現在の主演級俳優はみな2世3世だ。新派しかり。
 多くの約束事がある芸の習得にとって、個人の資質が「家の芸」を引き継いだ世襲俳優を超えることができるのか、というのが、小林恭二『歌舞伎の日』世界座のひとつのテーマでもあった。

 「国民統合の象徴」という伝統芸を身につけるのにも、やはり「家の芸」として、生まれたときから「そうなるべき環境の中でそうなるべく教育された」者が最も芸を発揮できるのであろうか。
 しかし、世界座では、世襲の名宝名切丸がなくとも、立派に芝居をやりとげたではないか。

 「家の芸」とは何か。歌詠みにとって、冷泉家の家伝秘伝がなくとも、すぐれた歌を詠むことができることは、もうわかった。能狂言では、世阿弥の花伝書も公になり、観世今春一族でなくとも、立派な俳優が出ている。歌舞伎芸は?「国民統合の象徴」は?

本日のつらみ:政界で2世3世が増えているのは、どうよ?

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2003/01/23 木 午前中雪、午後雨 
ジャパニーズアンドロメダシアター>歌舞伎座

 葉書を出して、歌舞伎座の券が一枚あたったので、雪の中見に行った。今日は東銀座で降りることを確かめて、地下鉄の出口を出ると、ちゃんと目の前に歌舞伎座があった。

 でも、雨だから早めに出ていこうと思って、早く出過ぎたので、3時に着いてしまった。4時半開演まで時間があるので、ドトールに入ってコーヒーをいっぱい。開演まで時間をつぶそうとしたが、おっさんたちのたばこが煙くて長居できない。
 雨の中外に出た。老舗らしい鬘屋とか、面白そうな地域ではあるが、どしゃぶりのような雨だったので、歩けない。ぎんだこ本店があったのでたこ焼き買って、交差点の大阪寿司の店であなごちらしとお茶を買って、歌舞伎座に戻る。

 4時から開場。解説イヤホンを借りた。どうせ3階の一番はしっこだろうから、よく見えない分、解説でも聞いていなければと思って。劇場で解説イヤホンを借りるのは初めての経験だったので、貸し出し料金のほか、保証金を1000円払うことも知らなかった。

 だいたい、歌舞伎座に来るのだって、四半世紀ぶりのことなのだ。大学院で演劇学の聴講をしていたころ、郡司正勝さんか池田弥三郎さんのどちらかが、学生のために券を配っていたのをもらったように思う。自分で「一幕見」の券を買ったときもあったかもしれない。もはや記憶は定かではない。

 今日の席は3階の一番うしろ「わ列7番」だった。「わ列」のそのまたうしろは「1幕立ち見席」。学生のとき座ったのは、この1幕立ち見だったような気もする。

 NHKの3チャンネルで放送するテレビカメラが入っていたので、中盤後半だれがちな日にちだが、役者も気合いがはいっていた。今日の演技が永久保存版になるかもしれないんだから。

 夜の部は、『寺子屋』松王幸四郎、源藏三津五郎、戸浪福助、千代玉三郎。清元舞踊が『保名』芝翫、『助六』助六団十郎、新兵衛菊五郎、意休左団次、などなどの初春ご祝儀配役。見に来る人は、演技がどうこ踊りがどうこうより、1月にお祝い気分になれればいいのである。

 特に助六の三味線は「河東節一寸見会」という大店や会社社長などの趣味の会が日替わりで日頃の芸を発表する場になっているとかで、そちらの関係の応援観客も多く、場内はじいさんばあさんでいっぱい。

 同じ歌舞伎を見るなら、浅草歌舞伎の若手のほうがよさそうだったが、こちらは完売。キャンセル待ち当日券を求めるギャルファンたちが列を作っているそう。はたして浅草歌舞伎を見た人たちの何人が歌舞伎を引き続き見ていく層になるのだろうか。少なくとも歌舞伎座の観客を見た限りでは、このじいさんばあさん観客が死んじゃったら、興行が成り立つのかしらと心配になるのだが。

 寺子屋の「主君のあとつぎを守るために自分の子供を身代わりに殺させる松王夫婦」と「主君のあとつぎ若君を守るために、赤の他人の子供を殺してしまう源藏夫婦」がいっしょになってどんなに嘆いて見せても、「やっぱこの殺人、まずいよねぇ」という気持ちがぬけない。
 「主君のためなら我が子も殺すのが臣下のつとめ」という価値観が変わってしまった以上、この芝居は正月草々どういう気分で見ればいいんだろう。

 助六は曾我兄弟仇討ちだけど、こっちは名刀「友切丸」を探すクエストもの変形だから、揚巻や白玉の衣裳を見せるだけでも正月気分でよろしい。

 小林恭二『歌舞伎の日』を芝居にしたらいいのになあ。

本日のひがみ:一月らしい晴れ着でロビーを埋めるオバサンたち。雨の中を歩き回ったジーンズが濡れて冷たい、招待券入場のオバサンもいるぞ

<つづく>
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ぽかぽか春庭「10年前の1月中旬2」

2013-01-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/12
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>ちえのわ三色七味日記2012年1月(4)10年前の1月中旬2

 10年前の春庭日記コピーつづきです。
 10年前、娘は大学生、息子は中学生。そして私は変わらず方向音痴をやっておりました。

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2003/01/17 金 晴れ
日常茶飯事典>Lサイズ着物

 娘と人形町へ。たんす屋バーゲンで娘の着物が見つかるかと出かけたのだが、太めのボディに会うサイズがなかった。どの着物も前身頃が足りない。娘がっかり。
 娘は成人式にともだちといっしょに着物を着てみたいのだが、貸衣装でも相当な値段になるのを気にしていて「リサイクルの着物でも自分に似合って気に入ったものなら気にしないで着る」と言っていた。しかし、気に入るもいらないも、まず自分が太すぎるのがわかってがっかり。

 中2のとき、入院して50キロを切ったのが一番細いときで、それ以来体重増える一方。それでも、やせすぎよりいいと思って、おやつの二度食いも夕食の「好きなものだけ大食い」も何も言わずに来た。

 さて、じぶんのサイズがないとわかって、来年までにやせる気になるのやら。来週の土曜日にスモモさんの紹介で来年の晴れ着予約展示会にいくことになっているが、「スモモさんはLサイズもあるって言ってたけど、Lサイズでも横幅が足りなかったらどうしよう」と今から心配している。

 サイズのない着物はがっかりだったけど、下町散歩ということにして、水天宮へ。てんぷら屋でお昼を食べて水天宮で初詣。菓子屋で水天宮最中を息子へのおみやげに買って帰る。

本日のひがみ:和服のLサイズは数が少ない

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2003/01/18 土 晴れ 
日常茶飯事典>ファミレスランチ

 娘息子とファミレスでランチ。
 昔、息子と私が並び娘が夫が並んで4人で食事をした頃のなごりで、3人になっても私と息子が並び、娘が向かい側にすわることが多かった。

 最近、この前の焼き肉ときも、私が一人で座り、向かい側に娘と息子が並ぶほうが多くなった。二人が冗談を言い合いながら、おいしそうに食べている姿を向かい側から見ていると、しみじみ「子を持つ母の幸せ」を感じてしまって、ふうむ老化か。

 「子供がおいしそうに楽しそうにものを食べるのを、うれしそうに見ている母親」という図柄にぴったりはまってしまう自分を素直に「うん、いいね。やっと母親らしい安定した気分になれたね」と喜んであげたいのだが、やはり、ちょいと斜に構えて「ふふん、ファミレス割引クーポン券でデザート食べてんのよ。悪い?」いや、別段どこも悪くない。

 娘は情報基礎論の最終課題は、ホームページ作成。1時から大学のパソコンで仕上げると登校。我が家のパソコンは、MDがうまく接続しないので作れないというのだ。

本日のつらみ:クーポン券ないと、頼まないデザート

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2003/01/19 日 晴れ
日常茶飯事典>演劇関東大会リハーサル

 息子は演劇部の手伝いスタッフとして区民会館へ。
 高校演劇部が関東大会に出場することになり、部員が少なくて人手が足りない。これまでは出演者がスタッフ兼任で大道具出し入れなども自分たちでやっていたのだが、関東大会ともなると準備10分片づけ5分でこなすことが必須で、違反すると減点対象になり、入賞が望めない。それで演劇顧問の先生から、担任学年の中2に臨時スタッフ募集がかかり、息子もいくことになった。

 「関東大会にでられるなんて、すごいんだよ。6年間在学中に、これ一度だけかもしれないから、参加しなさいよ」と言うと、すすめるまでもなく行く気になっていた。

 今日はリハーサルのリハーサル。21日が本番会場でリハーサル。26日が本番。

本日の負け惜しみ:がんばれ野田秀樹の後輩たち、夢の遊民めざすか

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2003/01/20 月 晴れ 
日常茶飯事典>万葉文化館展

 漢字作文2コマ

 招待券をもらったので、銀座まつやで『万葉文化館展』を見にいった

 上野から銀座線に乗った。銀座まつやは出がけに地図で確かめて、三越のすぐ側だと確認した。それで、三越前で降りてしまった。
 三越のそばにまつやがないので、交番で聞いたら、ここは日本橋で、銀座三越とまつやは銀座で降りなければならないと言う。お巡りさんは「歩くと20分くらいかかる」というのだが、暖かい日だったし、都会を歩いてみたい気分だったので、20分歩いた。
 暑くなってコートを脱いだ。日本橋京橋銀座とメインストリートを歩いた。いつもの「間違えずに目的地へたどりつけない症候群」ちょっとマヌケな散歩だった。

 明日香村に2年前に設立された万葉文化館の宣伝のために開かれている。154人の日本画家に万葉の歌をテーマに描いてもらったという作品展。

 展覧会は最終日だったので、定年過ぎのじいさんと中年老年の女性が大勢いた。全員がみんなして万葉集が好きとも、日本画が好きとも思えないが、私のように招待券をもらったからという理由でひまつぶしに来ているのかもしれない。

 でも、次に明日香に行ったら、この万葉文化館をのぞいてみようかという気になったから、これでいいのだろう。明日香には30年前に行ったきりだ。万葉の里はどのように変わったのか、変わらないのか。

本日のつらみ:たまには迷わずに行きたい目的地


<つづく>
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