ぽかぽか春庭「府中郷土の森博物館」
2011/06/21
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&あやめ散歩(1)府中郷土の森博物館
5月のバラ散歩につづき、6月は紫陽花散歩あやめさんぽを楽しみました。
紫陽花は、私のふるさとの市の花にもなっていて、好きな花のひとつです。都内には紫陽花名所がたくさんあり、その何カ所かめぐってみました。
紫陽花については、かって蘊蓄を書いたことがありました。自分ではいつ書いたのか忘れているけれど、Googleはちゃんと調べてくれる。「春庭 紫陽花」で検索してみると2004年に書いたのだとわかりました。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/kotoba0407a.htm
6月4日土曜日は、4月の始業が遅れて授業が出来なかったかわりの土曜授業でした。
「土曜日まで働いたのだから、がんばった私にごほうび」と思って、仕事帰りに寄り道して、紫陽花さんぽを楽しみました。バスで府中市へ。「ここから歩くといいですよ」という運転手さんのアナウンスで「府中郷土の森」の裏手で降り、しばらく柵に沿って歩きました。博物館正門へ。私は「府中郷土の森」の植物園部分と博物館は別物だと思っていたのですが、入場チケットはいっしょでした。せっかくなので、博物館も見ることにしました。根が貧乏性ので、料金一緒なら全部見ておこうというセコイ考えです。
博物館で府中の郷土史を見てから、宮本常一の土佐源氏コーナーへ。『土佐源氏』は、宮本が高知県へ民俗調査に出かけた折に出会った80歳の老人からの聞き書きをもとにした作品です。馬喰をしていた男の、幼い頃からの一代記を、聞き書きの原稿は戦災で焼失したのですが、記憶と残されたメモを元に『忘れられた日本人』の一章として描かれました。その「土佐源氏」は坂本長利の一人芝居として、上演が続けられています。私はいつか見たいと思いながら、まだ見たことがありません。
宮本の土佐源氏レコード解説用「馬喰爺さんとの出会い」自筆原稿がとてもよかった。坂本長利へあてた井上ひさしの劇場パンフレット用原稿もあり、それぞれの筆跡がとてもすばらしい。太宰の「自筆原稿で読む人間失格」や漱石の「自筆原稿で読む坊っちゃん」などは出版されている。筆跡から作品への作者の思いも伝わってきて、自筆原稿というのは、貴重だと思います。春庭は20年来手書きはせず、ワープロで間に合わせているのだけれど。
井上ひさしの字は、とくに意識して書いてあるのだろうけれど、そのまま出版してもよい読みやすい文字で、これはテレビ台本を書く端から印刷しなければ制作が間に合わなかったテレビ草創期の作者による現場への気遣いによる筆跡なのだろうと感じました。石原慎太郎の筆跡が「専属筆跡解読者」による判読がないと誰にも読めないという「オレ様文字」であるというのとは対照的。私、悪筆ですが気が小さいので読めないような筆跡を人様に見せるほどの勇気はありません。
府中郷土の森の公園の中には、江戸~昭和初期の府中市内の建物が復元展示されています。
旧府中尋常高等小学校は、村山四郎記念館になっていました。村山四郎は多磨村(現在は府中市白糸台)の旧家に生まれた詩人です。村山四郎の作品でもっとも一般に知られているのは、童謡「♪ぶんぶんぶん、蜂がとぶ お池の周りに御花が咲いたよ~」の歌詞。
園内には茅葺き農家、水車小屋などが点在し、かっての多磨村の農村光景がしのばれます。
めざすアジサイはまだ少し早くて、満開ではありませんでしが「アジサイの小道」には青い花が咲いていてきれいでした。土壌によるのだろうけれど、ピンクや白の花は見当たらず、青一色の小道でした。土曜日の午後のさんぽを楽しむ家族連れやカップルとすれ違いながら、かって多磨地域には、このような森がひろがり、たきぎ拾いや山菜採りの家族も行き交っていたのだろうと思って、森の間を歩きました。森は開墾されて田畑に、田畑はつぶされて住宅地に。土地はどんどん変わってしまったけれど、府中郷土の森で、ぽんぽこ狸が住んでいた頃をしのびました。
http://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/event/2011_ajisai.html
帰りのバスは京王分倍河原駅着。駅前には、新田義貞の騎乗銅像が立っています。子どもの頃親しんだ上毛カルタの「れ」は、「歴史に名高い新田義貞」ですが、こんなところで義貞公にお目に掛かるとは。そういえば、新田義貞が太平記で活躍するのは分倍河原の戦いだったなあ。駅前のマックでコーヒー飲んで、しばし足を休めてから電車に乗りました。6月4日の行楽費、バス代郷土の森博物館入館料、館内レストランのあまりうまくないカレー蕎麦、マックのコーヒー代、合計1400円。
<つづく>
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2011年06月22日
ぽかぽか春庭「皇居東御苑の花菖蒲」
2011/06/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(2)皇居東御苑の花菖蒲
6月9日、仕事帰りの花さんぽ。東京駅から和田倉門をめざして歩きました。和田倉門の手前には、青い紫陽花が咲いていました。和田倉門内の噴水は、節電中のため中止。大手門へ御堀端を歩きました。皇居一周コースを走るランナーたち、我が物顔でスピードを出し、仕事帰りに疲れ切ってとぼとぼ歩くオバハンに遠慮もなくぶつかりそうになる。ええい、この道はランナーの専用道路じゃない!歩く人をよけて走らんかい!
都内の散歩コースのなかでも、東御苑はしばしば訪れる場所のひとつ。(三の丸尚蔵館を含めて無料なので)
天守閣や松の廊下跡など、かっての江戸城をしのぶことのできるところであり、大手門から同心番屋、百人番所、大番所を経て石垣の間を登っていくと、お宿下がりの「おはした」がしばしの休暇を終えて親元から大奥へ戻っていく気分。ああ、大奥勤めだとしても、自分は上臈お年寄りとか「大奥総取締役」とかではなくて、雑用係のおはしただろうとしか思えないところが残念です。御右筆くらいにはなりたいですが、なにせ生来の悪筆で、、、、、。
今、手書きでものを書くのは、ウェブ友の「青い鳥」さん宛の葉書のみ。字が下手なので手書きは大嫌いなのですが、「願掛け、お百度参りのかわり」として、青い鳥さんへ毎月10枚の葉書を3年間送ることにしたのです。365枚送り届けると誓願成就という自分なりの願掛けです。
季節にあった絵はがきを選び、切手を選ぶところまではよいのですが、文面は、はたして読めるのかという乱筆乱文で書き散らし。今は36枚目を送ったところです。三の丸尚蔵館で伊藤若冲の「動植綵絵」の絵はがきを買いました。若冲展をやっていたときは一枚100円だったのに、一枚50円になっていてお買い得。若冲の花の絵、そのうち青い鳥さんに送ります。
東御苑の草花と樹木は「武蔵野の復元」「江戸の植物の復元」というコンセプトのもとに管理されています。大芝生のわきにある果樹古品種園は、江戸時代の人々が口にした果樹が植えられていて、今上御製の「江戸の人味ひしならむ果物の苗木植ゑけり江戸城跡に」という歌が掲げられていました。
今回の目玉は、東御苑の菖蒲田。以下のサイトの写真では大勢の人が菖蒲に見入っていますが、私が訪れた木曜日の夕方、閉園時間まぎわには誰もおらず、一人でこの鮮やかな菖蒲の花々を楽しむことができました。セルフタイマーで写真をとりました。いずれ菖蒲か杜若、とはいかず、う~ん、あやめの中に姥○○一輪。(姥百合、うば桜、姥春庭、、、、)
http://www.flickr.com/photos/seagate/4695435765/
http://tokyoite.biz/year/06/syoubu_koukyohigashigyoen/index.shtml
あやめとかきつばたは見分けが難しいとされ、「いずれ菖蒲か杜若」と、どちらも劣らぬ美しさの例えに使われる花。しかし、私にはあやめもかきつばたも花しょうぶも区別がつきません。専門家によると見分け方は「花びらの基のところに、花菖蒲は黄色、カキツバタは白、アヤメは網目状の模様がそれぞれあることで区別」という方法でわかるのだそうですが。
仕事帰り、午後おそく入園し閉園ぎりぎりまでいて、園内パトロールの係官に「早く門を出て下さい」と追い立てられました。係官に「閉園までに門にたどり着けなかったときはどうなるのですか」と質問したら、「閉園後は皇宮警察の管轄になり、パトロールの警察犬によって人の気配をキャッチします」という答えです。さすが、警備は万全なのですね。犬に咬みつかれたら嫌だから、時間厳守で退園しなければ。急ぎ足で大手門を出ました。
本日の行楽費。おみやげの若冲絵はがき6枚300円のほかは無料なり。
<つづく>
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2011年06月24日
ぽかぽか春庭「菖蒲沼公園、水元公園」
2011/06/24
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(3)菖蒲沼公園、水元公園
6月12日。自転車での紫陽花菖蒲さんぽ。朝早くでかけました。水元公園まで行くには、トロトロ走るママチャリだと90分はかかりそうで、ちょっと遠出です。いろいろな道順がありますが、方向音痴なのでひたすら環七を東に向かう道を行きました。
途中、北綾瀬駅の前(足立区谷中二丁目)までくると、しょうぶ沼公園で「しょうぶまつり開催中」とあったので、立ち寄りました。
花菖蒲が6000株。さまざまな種類にそれぞれ品種を書いた立て札がかかっています。
9時半ごろ着いたのですが、いろんなイベントが10時から開催されるというので、10時まで花を見ていました。「野点」と「ラベンダーポプリ作り」のどちらに出ようかと迷ったのですが、まだ「花よりだんご」は早かろうと、ポプリ作りに挑戦。
以前、友人宅の庭のラベンダーをきれいなポプリに仕立ててプレゼントしてもらったことがあります。それと同じリボン巻のポプリなので、作り方を知りたいと思ったのです。
ラベンダースティック(ラベンダーバンドル)の作り方は、下記のほかいろいろなサイトに出ていますが、不器用な私には見ただけでは無理です。ふだんは都市農業公園のお手伝いをしているという若い方が、見本を見せながら教えてくれたので、私もじょうずに作ることができました。青いリボンの素敵なラベンダースティック。ハーブの香りで安眠を誘うことができる、と説明してくれました。あ~、私は香りがなくとも目をつぶって3分で寝てしまう人ですが、枕元に置くことにしましょう。材料費200円。
http://www.log-kamloops.com/HERB.htm
環七から離れ、中川にかかる飯塚橋を渡って、水元公園へ。子どもが幼い頃に来たことがあるのですが、電車で行くと乗り換え乗り換えバスにも乗ってえらく遠回りなので、しばらく来ていませんでした。一度菖蒲の花盛りに来た記憶があるのですが、いつのことだったか、さっぱり思い出せません。この時はひとりで歩いたような気がします。
ここでも「葛飾菖蒲まつり」が行われていて、すごい人出でした。こちらには花の種類を示す立て札がなく、紫黄色白の花が混ぜて植えられています。葛飾区の花は花菖蒲で、江戸時代から花菖蒲名所として知られ、特に堀切菖蒲園が有名です。
水元公園では約100品種1万4千株20万本の花菖蒲が咲き競い、また、睡蓮や紫陽花もとてもきれいでした。広い菖蒲田に、スケッチコンクールに出品すべく画架をたててスケッチをする人、モデルの撮影会で、浴衣美人を写している人など、さまざまなイベントがありました。演芸広場では演歌歌手が歌っています。1時半からの橋幸夫公演が目玉らしい。
私は「水生植物センターで、江戸文化と花菖蒲について講演会が開催されます」という放送を聞いて、講演会に参加することにしました。12時半、おなかもすいてきましたが、講演会が終わってからゆっくりお昼ご飯をたべようと、「おなかの虫押さえ」として園内の出店で「シュウマイ3個200円」というのを買って食べました。
「水生植物センターで、1時半から、郷土と天文の博物館学芸員橋本直子講師による講演会、江戸文化と花菖蒲が開催されます」という案内放送でしたが、水元公園入り口で配られた「菖蒲まつり」のチラシには、歌手が歌う時間は詳しく書かれているのに、水生植物センターが園内地図のどこであるのかは、記載がありませんでした。おそらく葛飾の地元の人は、水生植物センターがどこであるのか皆知っている、という前提での放送だったのでしょう。
はるばる遠くから来た私は、地図を見てもわからないので、園内整理をしていた係の人に聞きました「さあ、私らにもわかりません」と言う答え。「公園のいちばん北はしに水生植物園というのがあるけれど」というので、水生植物園をめざして広い園内を走りました。以前来たころには訪れたことのなかったメタセコイアの森ほか、いろいろな木々の森が生い茂っています。森やバードサンクチュアリを抜けて水生植物園へ行ってみましたが、水生植物センターはありませんでした。
しかたないので、駐車場入り口の係員に尋ねたら、南の端の方にあるという。もと来た水元大橋にもどりました。周囲を見渡してもそれらし建物がないので、警備の警察官に再び質問。園内地図の看板を見ながら、北のはしの水生植物園の方向にグリーンプラザというのがあるから、そこだろうというので、再び北の端をめざして、今度はポプラ並木の間を走りました。グリーンプラザの係員に聞くと、水生植物センターとは、最近できたのだけれど、旧水産試験場のことだろうと、地図をくれました。
園内地図を見ると確かに「旧水産試験場」という場所があります。再び南のはしへ。結局広いひろい園内を2周して旧水産試験場へたどり着きました。地図にも載っておらず、警備係の人も警察官も知らなかった水生植物センター。結局90分、ぐるぐる水元公園内を走り回ったことになります。北のほうは走れたのだけれど、菖蒲田の付近では人出が多くて、自転車は押して歩いたので、時間がかかりました。
でも、こんなことでもなければ広い園内を2周することなどしなかったでしょうから、いい運動になったと思うことにしました。
講演会場には開始時間を30分すぎた2時に着きました。最初の講師紹介の部分には間に合わず、古利根川の時代という郷土の歴史解説から聞きました。
<つづく>
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2011年06月25日
ぽかぽか春庭「江戸文化とハナショウブと彩り御膳」
2011/06/25
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(4)江戸文化とハナショウブと彩り御膳
「江戸文化と花菖蒲」の講演はとても面白かったです。講師の橋本直子さんは、「葛飾郷土と天文の博物館」の学芸員。葛飾の歴史や花菖蒲園芸史を研究しているそうです。葛飾を描いた浮世絵をスライドで映しながら、江戸の花卉文化園芸ブームについて解説してくれました。歌川広重(初代から5代目までいたそうです)の浮世絵による堀切菖蒲園。明治の手彩色写真による菖蒲園など、とても興味深い内容でした。
講演の内容を家に帰ってから確認しました。
江戸の花菖蒲、新品種の育種で名高いのは、花菖蒲中興の祖、松平菖翁です。江戸末期に生きた二千石の旗本松平左金吾定朝、通称「菖翁」は、300種にものぼる新品種を開発したといいます。国立国会図書館に菖翁の書き表した『花菖培養録(『花鏡』から改題)』など栽培記録が残されています。
静岡県掛川市、「加茂花菖蒲園」の花菖蒲園芸史サイト
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/syoubu.html
『花菖培養録』の意訳サイト
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/baiyourk.html
出講している大学のひとつには園芸学部があり、毎年、園芸学専攻の大学院留学生数名に日本語を教えます。今年の園芸学専攻留学生はエチオピアからのふたり。ひとりは園芸環境学で、ひとりは育種学の専攻です。
留学生の専攻は、米や小麦など直接食糧増産に役立てたいという研究のほうが多いですが、花卉栽培も空輸の発達した現代では重要な輸出産業になります。日本の花卉園芸学は、近代園芸学だけでなく、江戸時代以前から数百年の歴史を持つことをよく学んで、自国の園芸発展に役立つ留学生に育ってほしいです。
自転車で園内走り回っているとき、遠くに橋幸夫が「潮来笠」歌っているのも聞こえたし、水元公園の花菖蒲まつり、楽しかったです。講演会が終わった3時すぎ水元公園を出ました。
帰りは、来たときと同じ道を猛スピードで走りました。足立区都市農業公園の人にポプリ作りを教えてもらい、「そうだ、帰りに都市農業公園に寄ろう」と思ったからです。
都市農業公園は、自転車の前後に娘と息子を乗せてよく通ったところ。ちょうど紫陽花が見頃だろうと寄ってみました。
私としてはこれ以上はないというスピードで自転車を漕いだのですが、なんということか、環七と交差する信号がいちいち全部赤でした。私が走るスピードとシンクロする赤信号、これは新記録かと思っていたら、最後のふたつは青信号。新記録ならず、中途半端な赤信号なり。
門が閉まる4時30分ぎりぎりに都市農業公園に入ることができました。昔はなかった「古民家」が移築されていて、前から見たいと思っていたのです。
http://www.kankyo-kan.or.jp/park/kominka/p-kominnka.htm
長屋門の前には紫陽花が色とりどりに咲いていました。今まで見た中で一番色が鮮やかな紫陽花でした。
都市農業公園のあじさい紹介サイト
http://blogs.yahoo.co.jp/izumiiinn/41637001.html
いっぱい走ってカロリー消費したので、自分に許可。都市農業公園近くの和食ファミレス「華屋与兵衛」で「彩り御膳」というのを食べました。午後5時すぎまで昼ご飯を食べずにいたので、鰹たたきやてんぷらなど10品の御膳を大盤振る舞い。1869円。やっぱり最後は「花よりだんご」の春庭でした。
本日の行楽費用。ポプリ作成費、シュウマイ、彩り御膳、合計2200円。
<つづく>
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2011年06月26日
ぽかぽか春庭「白山神社と六義園」
2011/06/26
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(5)白山神社と六義園
6月13日の仕事帰り散歩は、文京区あじさい祭りの会場になっている白山神社に寄ってみました。都営地下鉄に乗り換えて、白山駅から歩くと、いつもの「平日の花散歩」で出会うのと同じような、中高年カップル、中高年女性ふたり連れ、中高年女性数人のグループがぞろぞろ歩いていたので、そのあとをついて行き、地図を片手に迷ってしまう方向音痴の私も、すぐに白山神社に行き着きました。いつもは「こんなに駅から近いのに、どうやったら迷えるのかわからない」と嘆かれている私です。
それにしても、中高年女性たち、「グループで花見をして、おいしいもの食べながらおしゃべりする」というのが何よりの行楽らしい。そういう自分も同じことしているのですが、「私は家族養うために働いた帰り道だから、奥様方みたいにすてきなフレンチのコースとか、懐石御膳とかは食べられない。せいぜいファミレスランチよ」と勝手にひがみながら白山神社につきました。
白山神社のあじさいは、思ったほど花の数もなく、色もきれいではありませんでした。裏手の白山公園もまわって、水元公園や都市農業公園の紫陽花のほうがきれいだったなあと思いながら、白山駅へもどりました。おなかがすいたのですが、白山駅の周辺にあるいくつかの食べ物屋さんのどこも特別おいしそうでもなかったので、本駒込駅へ向かいました。
しかし、本駒込駅周辺には、見事なまでに飲食店がなく、たまにあっても3時~6時は準備中、という入り口の掲示。しかたないので、駒込駅めざして歩いてみることにしました。いつも自転車さんぽで通過している本郷通りですが、たいてい道路の同じ側を走る。駒込の諏訪山吉祥寺とか東大赤門がある側を走ってきたので、今回はその反対側を歩いて見ました。これまであまり意識したことがなかったのですが、この本郷通りの本駒込から駒込まで、飲食店がほとんどない道筋でした。周辺がお寺や住宅地なので、商業街ではないことはわかりますが、クリーニング屋ばかりが目に入り、飲食店がない通り。結局駒込に近づくまで手頃な食べ物屋がありませんでした。
途中、山野草の専門店がありました。山アジサイやホタルブクロの鉢が店先に並んでいます。「やまくさ信濃 文京店」という花屋さん。世の中には庭を山野草でしつらえるという野草ファンも多くて、山野草専門の店も商売成り立っているのですね。
おなかがすきましたが、せっかくここまで歩いたので、駒込六義園に寄っていくことにしました。六義園はしだれ桜とつつじサツキが終わると、夏のこの時期の花はあまり知られていないのですが、紫陽花はどうかなと思って寄ってみたのです。
六義園の「あじさい山」には、「やまくさ信濃」で見た山アジサイのいくつかの種類が植えられていました。私はこれまで、西洋アジサイと、日本原種のガクアジサイの二種があるという程度の認識でした。西洋アジサイはアナベラとかさまざまな品種が生み出されているけれど、山アジサイは「野生の山アジサイ」ということしか知らなかったのです。しかし、山アジサイはこの系統で、またたくさんの園芸品種が作り出されていることがわかりました。雨が降り出しそうな空模様、閉園まぎわの薄暗くなった園内で、六義園のあじさい山は、寂しく薄暗い雰囲気のなかでひっそりと花を見せていました。池の周囲もほとんど人がおらず、広い園内を独占した気分で歩きました。泰山木の大きな木が,白い花をつけているのが池の向こう側に見えました。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/info031.html
六義園タイサンボク紹介サイト
http://blog.goo.ne.jp/mizukawa-tomo/e/3e117c1b37eb2786b7de90431de09061
六義園5時閉園後の駒込駅周辺は、ランチのあといったん店を閉めて6時にならないと開かない店が多く、開いているのはチェーンのラーメン屋や牛丼屋。しかたないので、結局、駒込駅JRホテルメッツの2階のデニーズへ。いつも地下鉄なら2分で着いてしまう駒込と本駒込間を、30分もかけて歩いてカロリー消費したのだから「ごほうびに何かおいしいもの」と思ったのに、デニーズでは芸がない感じ。
午後5時半のおそい昼食です。アボガド添えハンバーグ780円と、マンゴーガレットココナツ風味580円、ドリンクバーで合計1500円。今日も結局ファミレスの昼ごはんでした。私にはとことん「優雅なマダム御用達のフレンチランチ」なんかは似合わないってことでしょう。
13日の行楽費。六義園入園料とデニーズの食事で1800円。
<つづく>
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2011年06月28日
ぽかぽか春庭「深大寺城跡、飛鳥山あじさい小径」
2011/06/28
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(6)深大寺城跡、飛鳥山あじさい小径
6月16日は、アジサイ目当てと深大寺蕎麦リベンジのために神代植物公園へ。六義園と同じように山アジサイやガクアジサイが中心のあじさいコーナーでした。丸く花をつける手まり型の青や濃いピンクの花もありましたが、植物園としては日本原産のガクアジサイを中心に育てていく方針なのでしょう。
「松葉」で10割蕎麦せいろを食べたあと、水生植物園へ。池の周りの低地と、深大寺城の跡を残す高台を組み合わせている植物園の分園です。池の周りには花菖蒲目当てらしい人も何組かは歩いていたのですが、菖蒲田はボチボチの咲き具合。田植えが済んだ田んぼも水が張られておらず、「陸稲?」と思いました。稲は水管理がもっとも大事なのに、水のない水田でいいのかしら。高台の側へ上がる崖にはアジサイが咲いています。
崖の坂道をのぼって、深大寺城の遺構を見ました。掘を復元したり、柱跡を復元したりしてあります。中世の城の様式がよくわかる遺構なのだそうです。古城めぐり趣味の人には有名な場所みたいですが、私には初めての場所。案内板などを読んでみると、16世紀ころの城で、北条氏が関東を制圧したときにはもう滅ぼされていた、ということでした。ここも「夏草や兵どもが夢の跡」の地。
深大寺城跡の紹介サイト
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Tokyo/Jindaiji/index.htm
城跡の広場には、深大寺蕎麦の名所の名目を保たんと蕎麦畑が作られていたのですが、深大寺蕎麦店商工会の管理と書いてありましたが、管理が悪い。これじゃおいしい蕎麦はとれない、というような畑でした。出講先の埼玉の田舎にある大学への学バス。途中に蕎麦畑があり、今白い花が盛りです。蕎麦の花を見ることができて楽しみな通学バス。
深大寺城跡のアジサイも蕎麦の花もあまりパッとしなかったですけれど、城跡というのはいつでも歴史の風を感じることができる場所。またゆっくり散歩してみたいです。
6月19日、雨上がりの日曜日。飛鳥山公園の「あじさいの小径」を散歩しました。
私はJR王子駅側のさくら新道から小径に入り、地下鉄南北線の西ヶ原駅へぬける坂道までを歩きました。
アジサイの小径は、JR線路と飛鳥山公園の間のとても狭い路地にあります。雨上がりの日曜日、アジサイ花見の人は押すな押すなのにぎわいで、人が一列ずつやっとすれ違える狭い道で、写真撮影の人がいると列が止まってしまい、渋滞。
駒込から本駒込まで歩いたときはお腹もすいていたし、一駅分の道がとても遠く感じたのですが、アジサイを眺めながらの一駅分は、楽しく歩けました。
6月。梅雨のさなか。雨模様の日が続きます。雨に濡れた、あじさいはきれいに咲いていました。
http://www.enjoytokyo.jp/id/toukyou_itabasiku/216317.html
http://www.f-banchan.net/tokyo/asukayama_ajisai/ajisai.htm
<つづく>
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2011年06月29日
ぽかぽか春庭「白金自然教育園」
2011/06/29
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(7)白金自然教育園
6月25日、土曜日の授業を終えて白金にある自然教育園をさんぽしました。隣の庭園美術館に来るたびに、ついでに寄ろうと思うのですが、美術館でゆっくりしてしまうことが多く、なかなか閉園時間前に立ち寄ることができません。今回は、白金住宅地周辺+自然教育園+古本屋カフェというメニューでさんぽ。
自然教育園は、上野の国立科学博物館の附属施設です。都立公園である神代植物園や東京大学の付属施設である小石川の植物園とも雰囲気が異なるのは、「森林の自然な移相」の研究の場でもあることです。20ha(6万坪)の敷地内、散策路が通っている地域は半分だけで、あとの半分は樹木相の推移を観察する研究森林になっています。自然林はコナラ・ケヤキ・ミズキなどの落葉樹からしだいにスダジイ・カシ類・マツ類などの常緑樹へと変遷していくそうです。うっそうとした木々、都会の真ん中にあるとは思えない森を形成しています。
一般の公園に植えられている樹木などは、枝を整えたり、木が年老いて枯れそうになると樹木医が診断して手入れをするなど、さまざまな保存方法がとられますが、白金自然教育園の木々は、枯れて倒れてもそのままにされています。そのため1952年の開設以来、植物相は年年変化してきており、当初の針葉樹林が紅葉落葉樹を経て極相である常緑樹の森へ移り変わっていきつつあります。サクラの老木が倒れてそのままになっているところもあり、園の外を走る高速道路の車の音を気にしなければ、深い森の中を歩いている気分になります。
入園するとすぐに「路傍の植物園」の小径がつづき、道ばたで見られる植物の名前を確かめながら歩いて行きます。園内で縄文時代の貝塚も発見されており、白金台の土地は長い歴史をもっているそうです。室町時代に、このあたりには「白金長者」という土地の豪族の館がありました。館にめぐらされていた土塁のあとが園内のあちこちに残されています。江戸時代は黄門様こと徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷になっていたそうで、おろちの松、物語の松など園内の松の老木はこのころの木で、樹齢400年くらい。
水鳥の沼、武蔵野植物園、水生植物園などを歩きました。土曜日といっても、雨の予報が出ている午後で、園内の小径をすれ違う人もごく少ない。家族連れやカップルとたまにすれ違うだけで、薄暗い森の中をひとりで歩きました。迷子になることはないですが、本当の山の森でこのようにひとりきりで木々の間を歩いたら、ふっと森の精に出会うのではないかという思いがしてきます。
水鳥の沼のほとりにガクアジサイが咲いていましたが、そのほかにはオレンジ色が鮮やかなノカンゾウ、黄色いハンカイソウなどが目に入るくらいで、6月のこの時期、目立つ花もない時期です。どこにでもあるドクダミの白い花は、ここでもたくさん咲いていて、ドクダミ、どれだけ繁殖力がつよいのかよ!と思います。
そのなかで、これまで植物園を歩いたときには気づかなかった案内板のひとつ、トラノオスズカケの説明をじっくり読んでみると、、、
「トラノオスズカケは四国、九州の限られた地域に希に見られるゴマノハグサ科の半常緑の植物で、絶滅危惧種に指定されています」と書かれていました。
「自然教育園のトラノオスズカケは御料地時代の1942年(昭和7年)に牧野富太郎によって発見され、1949年の開園の頃に絶えたとされていましたが、昨年秋に芽生えを発見し今回の開花を見るに至りました。自然教育園は江戸時代松平讃岐守(香川県)の下屋敷でしたが、同郷の平賀源内が下屋敷の一部に薬園を作ったという記録があります。おそらく当時故郷から種子を運んで栽培していたものが野生化したのだろうと推察されます。50年ぶりの再発見なのですが、生きた植物が生存していたとは考えられず、おそらく休眠生の高い埋土種子が、最近のミズキなどの高木の枯死によって林床に光が差し込むようになったことで、発芽が促されたものと考えられます。」
自然のままに保たれている植物園なので、休眠していた種子が50年ぶりに目をさまし、2007年の発芽の翌年2008年には花も咲いたということです。あれ?私は2008年から来ていなかったからこの案内板を初めて見たのかもしれません。この3年間は東京散歩もままならず、白金自然教育園を歩くのも久しぶりなので。
水生植物園の前まで来ると、雨が降り出しました。午前中カンカン照りだったときは「午後雨が降るなんて予報して、これじゃ当たらないかも」と思って植物園さんぽをはじめたのですが、おお、予報がちゃんと当たっているじゃないか。本日の目玉である「クサフジ」を見ることなく、出口に向かいました。傘を持ってくるのを忘れてしまったからです。濡れたらゼロコンマ何ミリシーベルトか浴びることになるのかも。
遠くに雷も聞こえたので、急ぎ足。
帰りにゆっくり眺めようと思っていた路傍植物園の草も、一瞥のみで出口へ。まだ小雨で、散策路の上の木々の葉が傘代わりになったので、それほど濡れることはありませんでしたが、今年の梅雨。例年とは違う雨。この雨にもベクレルだかシーベルトとかいう放射能は含まれているのでしょう。
東京都健康安全研究センターは「この値は健康に影響を与える数値ではありません」という注釈付きで測定数値を掲げてきましたが、素人でも自分の住みかの測定値をつぎつぎに発表している現代。原発から60km離れている福島市の放射能数値も相当高い。子ども達は公園で遊ぼうとせず、水遊びは「危ないから」と親に禁じられ、体育の水泳授業も中止のところが出ているそうです。原発事故から3ヶ月たって「事故対策ステップ1は終了する」と発表されていますが、専門家によると「現在の状況でも、水素爆発の危険性がなくなったわけではなく、大量放射能拡散の可能性はある」ということです。
事故現場で必死に作業している方々の努力は尊いと思い感謝しています。しかし、株主総会で頭を下げているだけの「責任を負うべき人々」は、年収を半分に減らされても、「1年間の役員報酬数千万円」だそうです。電気代値上げになったら、怒るよ!
私が「水元公園を散歩した」と言うと、娘に「都内でも水元公園は、放射能数値が特に高いホットスポットのひとつだって」と言われましたけど、、、、
私がこの春「花巡り」をして歩いたのも、地球のうつろいを今のうちに味わっておこうという深層心理なのかもしれません。できるものなら、この花散歩を来年も続けられますように。
<おわり>
2011/06/21
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&あやめ散歩(1)府中郷土の森博物館
5月のバラ散歩につづき、6月は紫陽花散歩あやめさんぽを楽しみました。
紫陽花は、私のふるさとの市の花にもなっていて、好きな花のひとつです。都内には紫陽花名所がたくさんあり、その何カ所かめぐってみました。
紫陽花については、かって蘊蓄を書いたことがありました。自分ではいつ書いたのか忘れているけれど、Googleはちゃんと調べてくれる。「春庭 紫陽花」で検索してみると2004年に書いたのだとわかりました。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/kotoba0407a.htm
6月4日土曜日は、4月の始業が遅れて授業が出来なかったかわりの土曜授業でした。
「土曜日まで働いたのだから、がんばった私にごほうび」と思って、仕事帰りに寄り道して、紫陽花さんぽを楽しみました。バスで府中市へ。「ここから歩くといいですよ」という運転手さんのアナウンスで「府中郷土の森」の裏手で降り、しばらく柵に沿って歩きました。博物館正門へ。私は「府中郷土の森」の植物園部分と博物館は別物だと思っていたのですが、入場チケットはいっしょでした。せっかくなので、博物館も見ることにしました。根が貧乏性ので、料金一緒なら全部見ておこうというセコイ考えです。
博物館で府中の郷土史を見てから、宮本常一の土佐源氏コーナーへ。『土佐源氏』は、宮本が高知県へ民俗調査に出かけた折に出会った80歳の老人からの聞き書きをもとにした作品です。馬喰をしていた男の、幼い頃からの一代記を、聞き書きの原稿は戦災で焼失したのですが、記憶と残されたメモを元に『忘れられた日本人』の一章として描かれました。その「土佐源氏」は坂本長利の一人芝居として、上演が続けられています。私はいつか見たいと思いながら、まだ見たことがありません。
宮本の土佐源氏レコード解説用「馬喰爺さんとの出会い」自筆原稿がとてもよかった。坂本長利へあてた井上ひさしの劇場パンフレット用原稿もあり、それぞれの筆跡がとてもすばらしい。太宰の「自筆原稿で読む人間失格」や漱石の「自筆原稿で読む坊っちゃん」などは出版されている。筆跡から作品への作者の思いも伝わってきて、自筆原稿というのは、貴重だと思います。春庭は20年来手書きはせず、ワープロで間に合わせているのだけれど。
井上ひさしの字は、とくに意識して書いてあるのだろうけれど、そのまま出版してもよい読みやすい文字で、これはテレビ台本を書く端から印刷しなければ制作が間に合わなかったテレビ草創期の作者による現場への気遣いによる筆跡なのだろうと感じました。石原慎太郎の筆跡が「専属筆跡解読者」による判読がないと誰にも読めないという「オレ様文字」であるというのとは対照的。私、悪筆ですが気が小さいので読めないような筆跡を人様に見せるほどの勇気はありません。
府中郷土の森の公園の中には、江戸~昭和初期の府中市内の建物が復元展示されています。
旧府中尋常高等小学校は、村山四郎記念館になっていました。村山四郎は多磨村(現在は府中市白糸台)の旧家に生まれた詩人です。村山四郎の作品でもっとも一般に知られているのは、童謡「♪ぶんぶんぶん、蜂がとぶ お池の周りに御花が咲いたよ~」の歌詞。
園内には茅葺き農家、水車小屋などが点在し、かっての多磨村の農村光景がしのばれます。
めざすアジサイはまだ少し早くて、満開ではありませんでしが「アジサイの小道」には青い花が咲いていてきれいでした。土壌によるのだろうけれど、ピンクや白の花は見当たらず、青一色の小道でした。土曜日の午後のさんぽを楽しむ家族連れやカップルとすれ違いながら、かって多磨地域には、このような森がひろがり、たきぎ拾いや山菜採りの家族も行き交っていたのだろうと思って、森の間を歩きました。森は開墾されて田畑に、田畑はつぶされて住宅地に。土地はどんどん変わってしまったけれど、府中郷土の森で、ぽんぽこ狸が住んでいた頃をしのびました。
http://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/event/2011_ajisai.html
帰りのバスは京王分倍河原駅着。駅前には、新田義貞の騎乗銅像が立っています。子どもの頃親しんだ上毛カルタの「れ」は、「歴史に名高い新田義貞」ですが、こんなところで義貞公にお目に掛かるとは。そういえば、新田義貞が太平記で活躍するのは分倍河原の戦いだったなあ。駅前のマックでコーヒー飲んで、しばし足を休めてから電車に乗りました。6月4日の行楽費、バス代郷土の森博物館入館料、館内レストランのあまりうまくないカレー蕎麦、マックのコーヒー代、合計1400円。
<つづく>
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2011年06月22日
ぽかぽか春庭「皇居東御苑の花菖蒲」
2011/06/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(2)皇居東御苑の花菖蒲
6月9日、仕事帰りの花さんぽ。東京駅から和田倉門をめざして歩きました。和田倉門の手前には、青い紫陽花が咲いていました。和田倉門内の噴水は、節電中のため中止。大手門へ御堀端を歩きました。皇居一周コースを走るランナーたち、我が物顔でスピードを出し、仕事帰りに疲れ切ってとぼとぼ歩くオバハンに遠慮もなくぶつかりそうになる。ええい、この道はランナーの専用道路じゃない!歩く人をよけて走らんかい!
都内の散歩コースのなかでも、東御苑はしばしば訪れる場所のひとつ。(三の丸尚蔵館を含めて無料なので)
天守閣や松の廊下跡など、かっての江戸城をしのぶことのできるところであり、大手門から同心番屋、百人番所、大番所を経て石垣の間を登っていくと、お宿下がりの「おはした」がしばしの休暇を終えて親元から大奥へ戻っていく気分。ああ、大奥勤めだとしても、自分は上臈お年寄りとか「大奥総取締役」とかではなくて、雑用係のおはしただろうとしか思えないところが残念です。御右筆くらいにはなりたいですが、なにせ生来の悪筆で、、、、、。
今、手書きでものを書くのは、ウェブ友の「青い鳥」さん宛の葉書のみ。字が下手なので手書きは大嫌いなのですが、「願掛け、お百度参りのかわり」として、青い鳥さんへ毎月10枚の葉書を3年間送ることにしたのです。365枚送り届けると誓願成就という自分なりの願掛けです。
季節にあった絵はがきを選び、切手を選ぶところまではよいのですが、文面は、はたして読めるのかという乱筆乱文で書き散らし。今は36枚目を送ったところです。三の丸尚蔵館で伊藤若冲の「動植綵絵」の絵はがきを買いました。若冲展をやっていたときは一枚100円だったのに、一枚50円になっていてお買い得。若冲の花の絵、そのうち青い鳥さんに送ります。
東御苑の草花と樹木は「武蔵野の復元」「江戸の植物の復元」というコンセプトのもとに管理されています。大芝生のわきにある果樹古品種園は、江戸時代の人々が口にした果樹が植えられていて、今上御製の「江戸の人味ひしならむ果物の苗木植ゑけり江戸城跡に」という歌が掲げられていました。
今回の目玉は、東御苑の菖蒲田。以下のサイトの写真では大勢の人が菖蒲に見入っていますが、私が訪れた木曜日の夕方、閉園時間まぎわには誰もおらず、一人でこの鮮やかな菖蒲の花々を楽しむことができました。セルフタイマーで写真をとりました。いずれ菖蒲か杜若、とはいかず、う~ん、あやめの中に姥○○一輪。(姥百合、うば桜、姥春庭、、、、)
http://www.flickr.com/photos/seagate/4695435765/
http://tokyoite.biz/year/06/syoubu_koukyohigashigyoen/index.shtml
あやめとかきつばたは見分けが難しいとされ、「いずれ菖蒲か杜若」と、どちらも劣らぬ美しさの例えに使われる花。しかし、私にはあやめもかきつばたも花しょうぶも区別がつきません。専門家によると見分け方は「花びらの基のところに、花菖蒲は黄色、カキツバタは白、アヤメは網目状の模様がそれぞれあることで区別」という方法でわかるのだそうですが。
仕事帰り、午後おそく入園し閉園ぎりぎりまでいて、園内パトロールの係官に「早く門を出て下さい」と追い立てられました。係官に「閉園までに門にたどり着けなかったときはどうなるのですか」と質問したら、「閉園後は皇宮警察の管轄になり、パトロールの警察犬によって人の気配をキャッチします」という答えです。さすが、警備は万全なのですね。犬に咬みつかれたら嫌だから、時間厳守で退園しなければ。急ぎ足で大手門を出ました。
本日の行楽費。おみやげの若冲絵はがき6枚300円のほかは無料なり。
<つづく>
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2011年06月24日
ぽかぽか春庭「菖蒲沼公園、水元公園」
2011/06/24
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(3)菖蒲沼公園、水元公園
6月12日。自転車での紫陽花菖蒲さんぽ。朝早くでかけました。水元公園まで行くには、トロトロ走るママチャリだと90分はかかりそうで、ちょっと遠出です。いろいろな道順がありますが、方向音痴なのでひたすら環七を東に向かう道を行きました。
途中、北綾瀬駅の前(足立区谷中二丁目)までくると、しょうぶ沼公園で「しょうぶまつり開催中」とあったので、立ち寄りました。
花菖蒲が6000株。さまざまな種類にそれぞれ品種を書いた立て札がかかっています。
9時半ごろ着いたのですが、いろんなイベントが10時から開催されるというので、10時まで花を見ていました。「野点」と「ラベンダーポプリ作り」のどちらに出ようかと迷ったのですが、まだ「花よりだんご」は早かろうと、ポプリ作りに挑戦。
以前、友人宅の庭のラベンダーをきれいなポプリに仕立ててプレゼントしてもらったことがあります。それと同じリボン巻のポプリなので、作り方を知りたいと思ったのです。
ラベンダースティック(ラベンダーバンドル)の作り方は、下記のほかいろいろなサイトに出ていますが、不器用な私には見ただけでは無理です。ふだんは都市農業公園のお手伝いをしているという若い方が、見本を見せながら教えてくれたので、私もじょうずに作ることができました。青いリボンの素敵なラベンダースティック。ハーブの香りで安眠を誘うことができる、と説明してくれました。あ~、私は香りがなくとも目をつぶって3分で寝てしまう人ですが、枕元に置くことにしましょう。材料費200円。
http://www.log-kamloops.com/HERB.htm
環七から離れ、中川にかかる飯塚橋を渡って、水元公園へ。子どもが幼い頃に来たことがあるのですが、電車で行くと乗り換え乗り換えバスにも乗ってえらく遠回りなので、しばらく来ていませんでした。一度菖蒲の花盛りに来た記憶があるのですが、いつのことだったか、さっぱり思い出せません。この時はひとりで歩いたような気がします。
ここでも「葛飾菖蒲まつり」が行われていて、すごい人出でした。こちらには花の種類を示す立て札がなく、紫黄色白の花が混ぜて植えられています。葛飾区の花は花菖蒲で、江戸時代から花菖蒲名所として知られ、特に堀切菖蒲園が有名です。
水元公園では約100品種1万4千株20万本の花菖蒲が咲き競い、また、睡蓮や紫陽花もとてもきれいでした。広い菖蒲田に、スケッチコンクールに出品すべく画架をたててスケッチをする人、モデルの撮影会で、浴衣美人を写している人など、さまざまなイベントがありました。演芸広場では演歌歌手が歌っています。1時半からの橋幸夫公演が目玉らしい。
私は「水生植物センターで、江戸文化と花菖蒲について講演会が開催されます」という放送を聞いて、講演会に参加することにしました。12時半、おなかもすいてきましたが、講演会が終わってからゆっくりお昼ご飯をたべようと、「おなかの虫押さえ」として園内の出店で「シュウマイ3個200円」というのを買って食べました。
「水生植物センターで、1時半から、郷土と天文の博物館学芸員橋本直子講師による講演会、江戸文化と花菖蒲が開催されます」という案内放送でしたが、水元公園入り口で配られた「菖蒲まつり」のチラシには、歌手が歌う時間は詳しく書かれているのに、水生植物センターが園内地図のどこであるのかは、記載がありませんでした。おそらく葛飾の地元の人は、水生植物センターがどこであるのか皆知っている、という前提での放送だったのでしょう。
はるばる遠くから来た私は、地図を見てもわからないので、園内整理をしていた係の人に聞きました「さあ、私らにもわかりません」と言う答え。「公園のいちばん北はしに水生植物園というのがあるけれど」というので、水生植物園をめざして広い園内を走りました。以前来たころには訪れたことのなかったメタセコイアの森ほか、いろいろな木々の森が生い茂っています。森やバードサンクチュアリを抜けて水生植物園へ行ってみましたが、水生植物センターはありませんでした。
しかたないので、駐車場入り口の係員に尋ねたら、南の端の方にあるという。もと来た水元大橋にもどりました。周囲を見渡してもそれらし建物がないので、警備の警察官に再び質問。園内地図の看板を見ながら、北のはしの水生植物園の方向にグリーンプラザというのがあるから、そこだろうというので、再び北の端をめざして、今度はポプラ並木の間を走りました。グリーンプラザの係員に聞くと、水生植物センターとは、最近できたのだけれど、旧水産試験場のことだろうと、地図をくれました。
園内地図を見ると確かに「旧水産試験場」という場所があります。再び南のはしへ。結局広いひろい園内を2周して旧水産試験場へたどり着きました。地図にも載っておらず、警備係の人も警察官も知らなかった水生植物センター。結局90分、ぐるぐる水元公園内を走り回ったことになります。北のほうは走れたのだけれど、菖蒲田の付近では人出が多くて、自転車は押して歩いたので、時間がかかりました。
でも、こんなことでもなければ広い園内を2周することなどしなかったでしょうから、いい運動になったと思うことにしました。
講演会場には開始時間を30分すぎた2時に着きました。最初の講師紹介の部分には間に合わず、古利根川の時代という郷土の歴史解説から聞きました。
<つづく>
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2011年06月25日
ぽかぽか春庭「江戸文化とハナショウブと彩り御膳」
2011/06/25
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(4)江戸文化とハナショウブと彩り御膳
「江戸文化と花菖蒲」の講演はとても面白かったです。講師の橋本直子さんは、「葛飾郷土と天文の博物館」の学芸員。葛飾の歴史や花菖蒲園芸史を研究しているそうです。葛飾を描いた浮世絵をスライドで映しながら、江戸の花卉文化園芸ブームについて解説してくれました。歌川広重(初代から5代目までいたそうです)の浮世絵による堀切菖蒲園。明治の手彩色写真による菖蒲園など、とても興味深い内容でした。
講演の内容を家に帰ってから確認しました。
江戸の花菖蒲、新品種の育種で名高いのは、花菖蒲中興の祖、松平菖翁です。江戸末期に生きた二千石の旗本松平左金吾定朝、通称「菖翁」は、300種にものぼる新品種を開発したといいます。国立国会図書館に菖翁の書き表した『花菖培養録(『花鏡』から改題)』など栽培記録が残されています。
静岡県掛川市、「加茂花菖蒲園」の花菖蒲園芸史サイト
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/syoubu.html
『花菖培養録』の意訳サイト
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/baiyourk.html
出講している大学のひとつには園芸学部があり、毎年、園芸学専攻の大学院留学生数名に日本語を教えます。今年の園芸学専攻留学生はエチオピアからのふたり。ひとりは園芸環境学で、ひとりは育種学の専攻です。
留学生の専攻は、米や小麦など直接食糧増産に役立てたいという研究のほうが多いですが、花卉栽培も空輸の発達した現代では重要な輸出産業になります。日本の花卉園芸学は、近代園芸学だけでなく、江戸時代以前から数百年の歴史を持つことをよく学んで、自国の園芸発展に役立つ留学生に育ってほしいです。
自転車で園内走り回っているとき、遠くに橋幸夫が「潮来笠」歌っているのも聞こえたし、水元公園の花菖蒲まつり、楽しかったです。講演会が終わった3時すぎ水元公園を出ました。
帰りは、来たときと同じ道を猛スピードで走りました。足立区都市農業公園の人にポプリ作りを教えてもらい、「そうだ、帰りに都市農業公園に寄ろう」と思ったからです。
都市農業公園は、自転車の前後に娘と息子を乗せてよく通ったところ。ちょうど紫陽花が見頃だろうと寄ってみました。
私としてはこれ以上はないというスピードで自転車を漕いだのですが、なんということか、環七と交差する信号がいちいち全部赤でした。私が走るスピードとシンクロする赤信号、これは新記録かと思っていたら、最後のふたつは青信号。新記録ならず、中途半端な赤信号なり。
門が閉まる4時30分ぎりぎりに都市農業公園に入ることができました。昔はなかった「古民家」が移築されていて、前から見たいと思っていたのです。
http://www.kankyo-kan.or.jp/park/kominka/p-kominnka.htm
長屋門の前には紫陽花が色とりどりに咲いていました。今まで見た中で一番色が鮮やかな紫陽花でした。
都市農業公園のあじさい紹介サイト
http://blogs.yahoo.co.jp/izumiiinn/41637001.html
いっぱい走ってカロリー消費したので、自分に許可。都市農業公園近くの和食ファミレス「華屋与兵衛」で「彩り御膳」というのを食べました。午後5時すぎまで昼ご飯を食べずにいたので、鰹たたきやてんぷらなど10品の御膳を大盤振る舞い。1869円。やっぱり最後は「花よりだんご」の春庭でした。
本日の行楽費用。ポプリ作成費、シュウマイ、彩り御膳、合計2200円。
<つづく>
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2011年06月26日
ぽかぽか春庭「白山神社と六義園」
2011/06/26
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(5)白山神社と六義園
6月13日の仕事帰り散歩は、文京区あじさい祭りの会場になっている白山神社に寄ってみました。都営地下鉄に乗り換えて、白山駅から歩くと、いつもの「平日の花散歩」で出会うのと同じような、中高年カップル、中高年女性ふたり連れ、中高年女性数人のグループがぞろぞろ歩いていたので、そのあとをついて行き、地図を片手に迷ってしまう方向音痴の私も、すぐに白山神社に行き着きました。いつもは「こんなに駅から近いのに、どうやったら迷えるのかわからない」と嘆かれている私です。
それにしても、中高年女性たち、「グループで花見をして、おいしいもの食べながらおしゃべりする」というのが何よりの行楽らしい。そういう自分も同じことしているのですが、「私は家族養うために働いた帰り道だから、奥様方みたいにすてきなフレンチのコースとか、懐石御膳とかは食べられない。せいぜいファミレスランチよ」と勝手にひがみながら白山神社につきました。
白山神社のあじさいは、思ったほど花の数もなく、色もきれいではありませんでした。裏手の白山公園もまわって、水元公園や都市農業公園の紫陽花のほうがきれいだったなあと思いながら、白山駅へもどりました。おなかがすいたのですが、白山駅の周辺にあるいくつかの食べ物屋さんのどこも特別おいしそうでもなかったので、本駒込駅へ向かいました。
しかし、本駒込駅周辺には、見事なまでに飲食店がなく、たまにあっても3時~6時は準備中、という入り口の掲示。しかたないので、駒込駅めざして歩いてみることにしました。いつも自転車さんぽで通過している本郷通りですが、たいてい道路の同じ側を走る。駒込の諏訪山吉祥寺とか東大赤門がある側を走ってきたので、今回はその反対側を歩いて見ました。これまであまり意識したことがなかったのですが、この本郷通りの本駒込から駒込まで、飲食店がほとんどない道筋でした。周辺がお寺や住宅地なので、商業街ではないことはわかりますが、クリーニング屋ばかりが目に入り、飲食店がない通り。結局駒込に近づくまで手頃な食べ物屋がありませんでした。
途中、山野草の専門店がありました。山アジサイやホタルブクロの鉢が店先に並んでいます。「やまくさ信濃 文京店」という花屋さん。世の中には庭を山野草でしつらえるという野草ファンも多くて、山野草専門の店も商売成り立っているのですね。
おなかがすきましたが、せっかくここまで歩いたので、駒込六義園に寄っていくことにしました。六義園はしだれ桜とつつじサツキが終わると、夏のこの時期の花はあまり知られていないのですが、紫陽花はどうかなと思って寄ってみたのです。
六義園の「あじさい山」には、「やまくさ信濃」で見た山アジサイのいくつかの種類が植えられていました。私はこれまで、西洋アジサイと、日本原種のガクアジサイの二種があるという程度の認識でした。西洋アジサイはアナベラとかさまざまな品種が生み出されているけれど、山アジサイは「野生の山アジサイ」ということしか知らなかったのです。しかし、山アジサイはこの系統で、またたくさんの園芸品種が作り出されていることがわかりました。雨が降り出しそうな空模様、閉園まぎわの薄暗くなった園内で、六義園のあじさい山は、寂しく薄暗い雰囲気のなかでひっそりと花を見せていました。池の周囲もほとんど人がおらず、広い園内を独占した気分で歩きました。泰山木の大きな木が,白い花をつけているのが池の向こう側に見えました。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/info031.html
六義園タイサンボク紹介サイト
http://blog.goo.ne.jp/mizukawa-tomo/e/3e117c1b37eb2786b7de90431de09061
六義園5時閉園後の駒込駅周辺は、ランチのあといったん店を閉めて6時にならないと開かない店が多く、開いているのはチェーンのラーメン屋や牛丼屋。しかたないので、結局、駒込駅JRホテルメッツの2階のデニーズへ。いつも地下鉄なら2分で着いてしまう駒込と本駒込間を、30分もかけて歩いてカロリー消費したのだから「ごほうびに何かおいしいもの」と思ったのに、デニーズでは芸がない感じ。
午後5時半のおそい昼食です。アボガド添えハンバーグ780円と、マンゴーガレットココナツ風味580円、ドリンクバーで合計1500円。今日も結局ファミレスの昼ごはんでした。私にはとことん「優雅なマダム御用達のフレンチランチ」なんかは似合わないってことでしょう。
13日の行楽費。六義園入園料とデニーズの食事で1800円。
<つづく>
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2011年06月28日
ぽかぽか春庭「深大寺城跡、飛鳥山あじさい小径」
2011/06/28
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(6)深大寺城跡、飛鳥山あじさい小径
6月16日は、アジサイ目当てと深大寺蕎麦リベンジのために神代植物公園へ。六義園と同じように山アジサイやガクアジサイが中心のあじさいコーナーでした。丸く花をつける手まり型の青や濃いピンクの花もありましたが、植物園としては日本原産のガクアジサイを中心に育てていく方針なのでしょう。
「松葉」で10割蕎麦せいろを食べたあと、水生植物園へ。池の周りの低地と、深大寺城の跡を残す高台を組み合わせている植物園の分園です。池の周りには花菖蒲目当てらしい人も何組かは歩いていたのですが、菖蒲田はボチボチの咲き具合。田植えが済んだ田んぼも水が張られておらず、「陸稲?」と思いました。稲は水管理がもっとも大事なのに、水のない水田でいいのかしら。高台の側へ上がる崖にはアジサイが咲いています。
崖の坂道をのぼって、深大寺城の遺構を見ました。掘を復元したり、柱跡を復元したりしてあります。中世の城の様式がよくわかる遺構なのだそうです。古城めぐり趣味の人には有名な場所みたいですが、私には初めての場所。案内板などを読んでみると、16世紀ころの城で、北条氏が関東を制圧したときにはもう滅ぼされていた、ということでした。ここも「夏草や兵どもが夢の跡」の地。
深大寺城跡の紹介サイト
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Tokyo/Jindaiji/index.htm
城跡の広場には、深大寺蕎麦の名所の名目を保たんと蕎麦畑が作られていたのですが、深大寺蕎麦店商工会の管理と書いてありましたが、管理が悪い。これじゃおいしい蕎麦はとれない、というような畑でした。出講先の埼玉の田舎にある大学への学バス。途中に蕎麦畑があり、今白い花が盛りです。蕎麦の花を見ることができて楽しみな通学バス。
深大寺城跡のアジサイも蕎麦の花もあまりパッとしなかったですけれど、城跡というのはいつでも歴史の風を感じることができる場所。またゆっくり散歩してみたいです。
6月19日、雨上がりの日曜日。飛鳥山公園の「あじさいの小径」を散歩しました。
私はJR王子駅側のさくら新道から小径に入り、地下鉄南北線の西ヶ原駅へぬける坂道までを歩きました。
アジサイの小径は、JR線路と飛鳥山公園の間のとても狭い路地にあります。雨上がりの日曜日、アジサイ花見の人は押すな押すなのにぎわいで、人が一列ずつやっとすれ違える狭い道で、写真撮影の人がいると列が止まってしまい、渋滞。
駒込から本駒込まで歩いたときはお腹もすいていたし、一駅分の道がとても遠く感じたのですが、アジサイを眺めながらの一駅分は、楽しく歩けました。
6月。梅雨のさなか。雨模様の日が続きます。雨に濡れた、あじさいはきれいに咲いていました。
http://www.enjoytokyo.jp/id/toukyou_itabasiku/216317.html
http://www.f-banchan.net/tokyo/asukayama_ajisai/ajisai.htm
<つづく>
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2011年06月29日
ぽかぽか春庭「白金自然教育園」
2011/06/29
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(7)白金自然教育園
6月25日、土曜日の授業を終えて白金にある自然教育園をさんぽしました。隣の庭園美術館に来るたびに、ついでに寄ろうと思うのですが、美術館でゆっくりしてしまうことが多く、なかなか閉園時間前に立ち寄ることができません。今回は、白金住宅地周辺+自然教育園+古本屋カフェというメニューでさんぽ。
自然教育園は、上野の国立科学博物館の附属施設です。都立公園である神代植物園や東京大学の付属施設である小石川の植物園とも雰囲気が異なるのは、「森林の自然な移相」の研究の場でもあることです。20ha(6万坪)の敷地内、散策路が通っている地域は半分だけで、あとの半分は樹木相の推移を観察する研究森林になっています。自然林はコナラ・ケヤキ・ミズキなどの落葉樹からしだいにスダジイ・カシ類・マツ類などの常緑樹へと変遷していくそうです。うっそうとした木々、都会の真ん中にあるとは思えない森を形成しています。
一般の公園に植えられている樹木などは、枝を整えたり、木が年老いて枯れそうになると樹木医が診断して手入れをするなど、さまざまな保存方法がとられますが、白金自然教育園の木々は、枯れて倒れてもそのままにされています。そのため1952年の開設以来、植物相は年年変化してきており、当初の針葉樹林が紅葉落葉樹を経て極相である常緑樹の森へ移り変わっていきつつあります。サクラの老木が倒れてそのままになっているところもあり、園の外を走る高速道路の車の音を気にしなければ、深い森の中を歩いている気分になります。
入園するとすぐに「路傍の植物園」の小径がつづき、道ばたで見られる植物の名前を確かめながら歩いて行きます。園内で縄文時代の貝塚も発見されており、白金台の土地は長い歴史をもっているそうです。室町時代に、このあたりには「白金長者」という土地の豪族の館がありました。館にめぐらされていた土塁のあとが園内のあちこちに残されています。江戸時代は黄門様こと徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷になっていたそうで、おろちの松、物語の松など園内の松の老木はこのころの木で、樹齢400年くらい。
水鳥の沼、武蔵野植物園、水生植物園などを歩きました。土曜日といっても、雨の予報が出ている午後で、園内の小径をすれ違う人もごく少ない。家族連れやカップルとたまにすれ違うだけで、薄暗い森の中をひとりで歩きました。迷子になることはないですが、本当の山の森でこのようにひとりきりで木々の間を歩いたら、ふっと森の精に出会うのではないかという思いがしてきます。
水鳥の沼のほとりにガクアジサイが咲いていましたが、そのほかにはオレンジ色が鮮やかなノカンゾウ、黄色いハンカイソウなどが目に入るくらいで、6月のこの時期、目立つ花もない時期です。どこにでもあるドクダミの白い花は、ここでもたくさん咲いていて、ドクダミ、どれだけ繁殖力がつよいのかよ!と思います。
そのなかで、これまで植物園を歩いたときには気づかなかった案内板のひとつ、トラノオスズカケの説明をじっくり読んでみると、、、
「トラノオスズカケは四国、九州の限られた地域に希に見られるゴマノハグサ科の半常緑の植物で、絶滅危惧種に指定されています」と書かれていました。
「自然教育園のトラノオスズカケは御料地時代の1942年(昭和7年)に牧野富太郎によって発見され、1949年の開園の頃に絶えたとされていましたが、昨年秋に芽生えを発見し今回の開花を見るに至りました。自然教育園は江戸時代松平讃岐守(香川県)の下屋敷でしたが、同郷の平賀源内が下屋敷の一部に薬園を作ったという記録があります。おそらく当時故郷から種子を運んで栽培していたものが野生化したのだろうと推察されます。50年ぶりの再発見なのですが、生きた植物が生存していたとは考えられず、おそらく休眠生の高い埋土種子が、最近のミズキなどの高木の枯死によって林床に光が差し込むようになったことで、発芽が促されたものと考えられます。」
自然のままに保たれている植物園なので、休眠していた種子が50年ぶりに目をさまし、2007年の発芽の翌年2008年には花も咲いたということです。あれ?私は2008年から来ていなかったからこの案内板を初めて見たのかもしれません。この3年間は東京散歩もままならず、白金自然教育園を歩くのも久しぶりなので。
水生植物園の前まで来ると、雨が降り出しました。午前中カンカン照りだったときは「午後雨が降るなんて予報して、これじゃ当たらないかも」と思って植物園さんぽをはじめたのですが、おお、予報がちゃんと当たっているじゃないか。本日の目玉である「クサフジ」を見ることなく、出口に向かいました。傘を持ってくるのを忘れてしまったからです。濡れたらゼロコンマ何ミリシーベルトか浴びることになるのかも。
遠くに雷も聞こえたので、急ぎ足。
帰りにゆっくり眺めようと思っていた路傍植物園の草も、一瞥のみで出口へ。まだ小雨で、散策路の上の木々の葉が傘代わりになったので、それほど濡れることはありませんでしたが、今年の梅雨。例年とは違う雨。この雨にもベクレルだかシーベルトとかいう放射能は含まれているのでしょう。
東京都健康安全研究センターは「この値は健康に影響を与える数値ではありません」という注釈付きで測定数値を掲げてきましたが、素人でも自分の住みかの測定値をつぎつぎに発表している現代。原発から60km離れている福島市の放射能数値も相当高い。子ども達は公園で遊ぼうとせず、水遊びは「危ないから」と親に禁じられ、体育の水泳授業も中止のところが出ているそうです。原発事故から3ヶ月たって「事故対策ステップ1は終了する」と発表されていますが、専門家によると「現在の状況でも、水素爆発の危険性がなくなったわけではなく、大量放射能拡散の可能性はある」ということです。
事故現場で必死に作業している方々の努力は尊いと思い感謝しています。しかし、株主総会で頭を下げているだけの「責任を負うべき人々」は、年収を半分に減らされても、「1年間の役員報酬数千万円」だそうです。電気代値上げになったら、怒るよ!
私が「水元公園を散歩した」と言うと、娘に「都内でも水元公園は、放射能数値が特に高いホットスポットのひとつだって」と言われましたけど、、、、
私がこの春「花巡り」をして歩いたのも、地球のうつろいを今のうちに味わっておこうという深層心理なのかもしれません。できるものなら、この花散歩を来年も続けられますように。
<おわり>