20241118
ぽかぽか春庭アート>2024アート散歩みのりの秋(6)シュルレアリズム、芥川(間所)沙織ほか小特集 in 近代美術館
東京近代美術館、館所蔵のMOMAT展は、65歳以上どの日も無料です。年に数回は展示替えがあり、毎回初めて見る作品に出会います。購入品、作家本人や遺族からの寄贈、委託品など。
10月10日、4階3階2階それぞれに興味深い特集展示があり、よい作品を見ることができました。
4階1室肖像画特集
オスカー・ココシュカ「アルマ・マーラー像」1912
ココシュカが描いたのはグスタフ・マーラーの妻アルマ(1879−1964)。アルマは従兄との結婚を最初に、画家クリムト、作曲家ツェムリンスキー、など数々の男性との恋愛を得てグスタフ・マーラーと結婚。19歳年上のマーラーが50歳でなくなったあと、またまたココシュカはじめ数々の男性に取り巻かれますが、グロピウスと再婚。グロピウスと離婚後作家ヴェルフェル と再再婚。
ココシュカはグスタフ・マーラーの死後、1912年頃にアルマと恋愛関係になりましたが、結局はふられました。どれだけ追いかけても手に入らないアルマの肖像。ふられた後だったのか、とても冷たいまなざしに思えます。アルマにとっては7歳年下のココシュカは物足りなかったのでしょうか。ココシュカは妄執といえる激しい気持ちを持ち続け、彼女をモデルにした人形とともに生活したとその奇行が伝わります。
アルマ像は長年4階に展示されていました。ちょっと怖い女性だなあと思いましたが、今回はじめて、ココシュカの恋焦がれてついに実らなかった恋物語を胸に眺めました。ココシュカは描き上げた喜びを「私の最高傑作!」とアルマに告げたそうですが、この絵の完成後ふられたことを知ってみると、ココシュカの及ばない恋の気持ちが画面に投影されているように感じました。
ココシュカは1919年に、胸をあらわにしたアルマ実物大の人形をつくり、服を着せて、22年にこの人形の首を切り落とすまで片時も話さず「同居」したという。すさまじい執着。人形と自分を描いた肖像も残ります。凡人には怖い愛です。
長谷川利行「岸田国士像」1930
岸田国士の次女岸田今日子が生まれた昭和5年の作。国士は、詩人岸田衿子と女優今日子姉妹の父。演劇人あこがれの賞にその名を冠していることを知ってはいましたが、岸田國士の顔とか想像したこともありませんでした。長谷川は好きな画家のひとりですから、長谷川の手になる肖像画で「ああ、こういう方でしたか」と知り合えた気がします。
梅原龍三郎「高峰峰子嬢」1950
「銀座カンカン娘」が完成し、戦後のはつらつとした娘の姿をスクリーンに定着させていたころの高峰秀子。自身も「日曜画家」として絵を描くことから梅原と知り合い、ほどなくモデルとなりました。高峰は、完成した絵の目が飛び出ているのでこの絵を「カニ」と呼ぶようになり、梅原も「ああ、あのカニの絵ね」と、御大みずからカニと認めていたのですって。エッセイに梅原のことも書き残している高峰ですが、このカニの顔はちょっと怒っているように見えます。
4階で、草間彌生の1950年の作品を見ました。1952年松本市で草間初個展に出品されたものです。個展後、草間は1957年に渡米します。渡米後の草間は現代美術のトップランナーとして活躍を続けました。
「集積の大地 」
キャンバスではなく、麻袋に描かれています。さまざまな幻覚幻視の症状があらわれていたというころの草間ですから、画面下のニョロニョロっぽいものは、ミミズでしょうか、庚申の夜に人間の体から這い出してきて天帝にその人の悪行を告げ口するという三尸(さんし) という虫でしょうか。目の前に現れる幻視の丸い形を画面に定着させることによって己のスタイルを確立していった草間の、丸い点々ではなくニョロニョロの絵、
4階第3室には「変貌していく都市」の姿を描いた絵画が並んでいました。
岸田劉生「道路と土手と塀(切通写生)」1915(大正4)
110年前の代々木。劉生は「土のエネルギーを表現したかった」そうです。そのエネルギーが、見る目のない私には土に由来するのかどうかはわからないのですが、近代という坂道を明治大正の人々が駆け上がっていくエネルギーを感じます。この坂道を登って、坂道の上から近代というものを見たくなります。坂の上の空は青い。「のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう 」という司馬遼太郎の声が聞こえてくるような。
中川一政「板橋風景」1919(大正8)
中川の住まいは、このころ巣鴨付近だったというので、川岸にスケッチに出かけることも多かったでしょう。左上の赤い鉄橋、空、川面、両岸の枯れた草原。冬の光景ながら、寒々とした印象ではなく、鉄橋の赤と空に広がる光から暖かさも感じます。
木村荘八「新宿駅」1935
1923年の関東大震災後、被害の大きかった東京の東側から、都市のにぎわいが西側に移っていったころの新宿駅。
日本橋生まれで江戸情緒にシンパシーを持っていた木村にとって、新宿駅は雑多な都市の魅力をはらむ場所であったかと思います。都市の持つ華やかな祝祭性を感じるよりも、1929から1933あたりまで続いた世界大恐慌の後、人々がまだうつむき加減で駅に行きかっているような気がします。
織田一麿「銀座(六月)」1925リトグラフ
この銀座も華やかな都会のにぎわいよりも、2年前の震災の暗さが残っているような色彩。
織田一麿「ほていや六階から新宿三越遠望」1930リトグラフ
小泉癸巳男「三井と三越」1929 小泉癸巳男「築地勝鬨渡し」1931
長谷川利行「タンク街道」1930
3つ目の小特集は、「シュルレアリズム百年」。
アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表した1924年から100年。百年の間に超現実はさまざまな方向に広がり深まってきました。日本でも多くの画家が超現実の世界観を画面に表出しています。
マックス・エルンスト「砂漠の花(砂漠の薔薇)」1925(新収蔵)
マックス・エルンスト「マルスリーヌ・マリー(『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』より) 」1929-30
福沢一郎「四月馬鹿」1930
北脇昇「独活」1937
靉光《作品》1940
イヴ・タンギー「賢者の耳」1938
マックス・エルンスト「つかの間の静寂」1953-1957
シュールレアリズム100年のほか、芥川(間所)沙織の生誕100年の特集もよかった。現代美術にうといので、私は、芥川(間所)沙織の作品をこの夏はじめて見たのです。現代美術館の「現代美術の女性作家7人」のひとりとして作品が展示されており、強いインパクトを受けました。現代美術館で見たのは、「イザナギノミコトの国造り」「女Ⅺ」。
芥川(間所)の生誕百年の展示は、全国の美術館8館が、それぞれの所蔵品を展示して、全国で芥川(間所)沙織の生誕百年を記念する、という美術館縦断のプロジェクトです。
近代美術館の小特集には染色作品4点と油彩作品2点が展示され ていました。
芥川(間所)沙織 「女Ⅷ」1950 「女Ⅰ」1955
芥川(間所)沙織「神話 神々の誕生」1956 「神話より」1956
芥川(間所)沙織 「黒と茶」1962 「スフィンクス」1964
旧姓山田沙織は、1924年愛知県(現豊橋市)に生まれ、芸大声楽科で学びました。芥川也寸志と結婚後は音楽活動を禁止され、家の中で歌うことを封印。長女次女をもうけたのち、音を出さない表現活動として油絵と染色を学ぶ。前衛画家として活動を始め、1957年芥川と離婚し、1959年渡米。帰国後。1963年建築家間所幸雄と再婚。1966年、妊娠中毒症のため死去。享年41歳。
生誕百年を記念して刊行された「『烈(はげ)しいもの。燃えるもの。強烈なもの。 芥川紗織 生涯と作品』により、作品243点が紹介されています。
最初の結婚相手「芥川龍之介の息子」の苗字と再婚後の夫の苗字を両方並べる作家名にしていたのは、本人の名乗りなのかどうか知りたいところ。作家名を記録するにはちょっと面倒な。結婚まえの作品には山田、1963年前に仕上げた作品には芥川、再婚後の作品には間所にするか、「アーティスト名をつける」でいいんじゃないかと思います。私なら、妻の芸術活動を禁じた夫の姓など名乗りたくもないけれど、人それぞれだからいいけど。
4階3階2階では戦争画の小特集もあり、明治絵画の小特集もあり、フェミニズム映像の特集もあり、盛りだくさんな展示でした。谷中安規の版画小特集もよかったし、65歳以上は無料の近代美術館常設展で、ただでこんなに楽しめて超おとく。
有料の企画展は見ていません。近代画家が土偶埴輪からどんなインスピレーションを得て描いたか、という展示ですが、夫と東博の「はにわ展」を見にいく約束をしているので、ま、いいかなとパス。写真だけ撮影しました。昔、娘と見ていたハニ丸ヒンべえと。
<つづく>