春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2013年2月目次」

2013-02-28 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013年2月目次

02/02 ぽかぽか春庭@アート散歩>お金持ちのコレクション(4)五島美術館
02/03 お金持ちのコレクション(5)戸栗美術館、鍋島で鍋しまshow
02/05 お金持ちのコレクション(6)徳川美術館、源氏物語絵巻

02/06 2012-2013冬のアート散歩(3)松本竣介展
02/07 2012-2013冬のアート散歩(4)松本竣介と禎子
02/09 2012-2013冬のアート散歩(5)向井潤吉記念館

02/10 お金持ちのコレクション(7)近代美術館盛田コレクション
02/12 お金持ちのコレクション(8)石洞美術館マイセン展、松岡美術館

02/13 2012-2013冬のアート散歩(6)東博東洋館リニューアル

02/14 ぽかぽか春庭日常茶飯事典@十三里日記>早春花散歩(1)ロウバイ、紅梅
02/15 早春花散歩(2)温室の花・神代植物園
02/16 早春花散歩(3)府中の森のロウバイ、紅梅

02/19 ぽかぽか春庭日常茶飯事典@十三里日記>2013年2月(1)大正ロマン昭和モダン展・夢美術館
02/20 2013年2月(2)三味線、南から北から
02/21 2013年2月(3)東京家族アラビノシュガー

02/23 ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>今日も満腹インターナショナル(1)食べ放題インターナショナルの歌
02/24 今日も満腹インターナショナル(2)中国東北家郷料理・永利
02/26 今日も満腹インターナショナル(3)自然派バイキングわらべ吉祥寺店
02/27 今日も満腹インターナショナル(4)ジャスミンタイ
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ぽかぽか春庭「ジャスミンタイ」

2013-02-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/27
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>今日も満腹インターナショナル(4)ジャスミンタイ

 今期の「よく働きました打ち上げ」の会は、四谷のタイ料理の店、シャスミンタイ。
タイ料理コース。飲み物はそれぞれが選ぶので、私はタイビールの「チャーン」にしました。シンハビールはライオンで、チャーンは象なんですって。春雨サラダをつまみながら飲みました。

ライオンと象のビール、春雨サラダ
 

タイの揚げ物、空心菜炒め物、トムヤムクンスープ、グリーンカレー、とタイ料理の定番をいただきました。

 

 
 
シメのデザートは、タピオカココナツミルク


 みな、今期の仕事を終えて、のんびりムードでなごやかでした。私の隣には、タイで2年過ごしていた先生が座って、タイのお話もきけました。
 40代の方と30代の方、ふたりの同僚が「昨年、婚姻届を出しました」という報告があって、びっくり。この業界では、結婚後も仕事の上の名前は変えない、というのが定着しているので、本人から特別に報告がない限り、同僚が結婚しているのかいないのか、こどもがいるのかいないのか、などの家庭の事情はほとんど話題にでません。私は鈍感なので、毎週2日顔を合わせている先生が結婚していたことに気づきませんでした。
 打ち上げ会費は、タイ料理Aコース3500円とビール650円の合計4150円。 

 23日土曜日、息子は歴史研究会での食事会、娘はお祖母ちゃんに麻婆たまごを作ってあげていっしょに食べてきた、というそれぞれの夕ご飯でした。

 26日火曜日は、娘が作ったレアチーズケーキと、私が作った豚汁を持って姑の家へ。チーズケーキでお茶を飲み、豚汁はなべにあけて、温めておきました。木曜日、夫が立ち会い、門から玄関に入るの敷石の改修工事をする話。狭いアプローチ、門から玄関までの石段に姑がつまずくようになったので、少しでも動きやすいように改修するのだそう。よく、年よりは家の中で敷居につまずくという話を聞いたけれど、なんでもなく出入りしていた門の段差が、姑にとってはつまずきのもとになったのだなあと思います。
 88歳姑の実姉は92歳。新聞に108歳まで長寿を保った蟹江ギンさんの娘4人がそろって健在だという記事が出ていました。ギンさんの長女さんは、98歳でお母さんの亡くなった108歳までがんばるそうです。姑も108歳まであと20年、元気ですごせますように。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「自然派バイキングわらべ」

2013-02-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/26
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>今日も満腹インターナショナル(3)自然派バイキングわらべ吉祥寺店

 久しぶりに「食べ放題」の店へ。
 私、最近食べ放題に店には近づかないようにしていました。プチダイエットしてきたつもりなんですが、自分では控えているつもりなのに、さっぱり体重が減らないのは、控えているつもりでも人よりはたくさん食べているってこと。食べ放題となれば、絶対に「元とらなきゃ」と思って、いつもの2倍も食べてしまうほうだから、ランチの店さがすとき、避けていたんです。

 17日の日曜日、予定を変えて「ぐるっとパス」散歩して、最後が吉祥寺になりました。吉祥寺コピスというビルの中にある吉祥寺美術館に行っての帰り道。家でブランチを食べて11時に出かけてから何も食べていなかったので、とにかくお腹に入れてから帰ろうと思って、コピスビル地下1階の「自然派バイキングわらべ」という店へ。

 ランチというにはおそい時間の午後5時すぎでしたが、土日は5:29までランチ価格とのこと。ランチ価格と言っても、1600円だったので、ワンコインランチがモットーの私にしてみれば、お高いランチです。1600円払うとなると、やっぱり「もと取らなくちゃ」と思ってしまう悲しさ。17日も「ダイエットは明日から」になりました。ああ、悲しい。

 野菜中心の和食。胡麻豆腐や野菜煮つけなどをいただきました。
 こんなふうにお盆に食べたいものを食べたいだけのせる。のせたらからには完食するのが、私ルール。


 この店の食べ放題特徴のひとつ。ワッフルのセルフサービス。自分で電熱のワッフル焼き器にネタを入れて4分間で焼き上がり。メープルシロップや蜂蜜をかけて食べます。私は、プレーンとかぼちゃワッフルを半々にして、プレーンには苺ソースとヨーグルトをかけて、かぼちゃにはゆずアイスクリームをのせて食べました。


 5時に食べ放題したら、さすがに自宅での夕食は食べられず、帰宅してすぐに寝ちゃいました。ダイエットは、明日から。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「中国東北家郷料理・永利」

2013-02-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/24
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>今日も満腹インターナショナル(2)中国東北家郷料理・永利

 中国料理の中でも、四川料理麻婆豆腐とか北京ダックとか、名の知れた料理も多いけれど、まだまだ各地方にいろんな料理があります。
 私が、1994、2007、2009年と3度赴任した中国東北料理は、日本では上海料理四川料理のようには知られていませんでした。永利という「東北家郷料理」を名乗る店が池袋にできて、何度か利用しているうち、5~6年で池袋西口店、下北沢店、豊洲店と、支店を増やし、あらま、繁盛していること、と思います。

 店にはいついっても、日本人より中国人の客のほうが多くて、きっと「日本的にアレンジしてしまわない本場の味」が中国人に求められているのでしょう。
 私たちが東北地方で食べたのは、ゆでたザリガニにかぶりつく店とか、大皿に水餃子が山盛りになる店とか、上品とは遠い、ひたすらド~ンと食欲を満たす店が多かったように思います。永利は、そんな東北の素朴さを残しているような店です。見た目は上品でこぎれいではないけれど、おいしい。ただし、日本もそうですが、寒い地方の料理は味が濃い。濃い味が苦手な日本人には、合わないかもしれない。

 さて、20日水曜日に集合したのは、2007年にいっしょに中国に赴任した先生たち。ボスの、食べるの大好きチュンツォン先生と、修士課程修了直後に中国へ行き、帰国後すぐに専任の職を得た有能なアクアパッツァ先生。そしてゲストは、2007年に私とペアを組んで博士班日本語クラスの担任をした李先生。

 李先生は、2008年に1年間日本で日本語教育の研究をして、今回2度目の日本での研修。1年間の研修中に、博士論文「日本の原爆文学」についての資料を収集しました。私は、原爆文学の研究者を紹介するなど、ささやかな協力をしました。6月に論文を提出する予定だということです。今回の日本研修中に、本務校の大学では、専任講師から准教授への昇任を果たしたという報告をしていました。

 アクア先生も、専任講師から准教授へ昇任。みな、着々とキャリアを築いています。アクア先生は、今年9月からサバティカル研修で、スペインに奥さんお子さんと共に赴任するそうで、はりきっていました。
 ひるがえって、万年非常勤講師の私。大学ヒエラルキーの中で最底辺労働者なんです。嘆いていても腹は減る。
 
 中国での思い出話に花が咲き、東北家郷料理もジャンジャンとお腹におさまりました。
 私は、東北料理のうち、ナス、ジャガイモ、ピーマンを炒め合わせる「地三鮮」というのが大好き。また、今回おいしかったのは、手づかみで食べる「豚背骨のタレ煮付け」肉を持つためにビニール手袋がついてきます。
 アクア先生お気に入りの、干豆腐ときゅうりの炒め物。それから、コラーゲンたっぷりという牛スジ肉の炒め物。烏賊のあえもの、海老の炒め物。
 私にはちょっと辛すぎたのが、豚肉の辛い味のと烏賊の辛い揚げ物。
 シメのデザートは、杏仁豆腐とマンゴープリンをひとつずつとって、4人でシェアしました。

豚背骨のタレ煮付、干豆腐ときゅうりの炒め物、杏仁豆腐
  。 

 おいしかった!満腹!

<つづく>
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ぽかぽか春庭「食べ放題インターナショナル」

2013-02-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/23
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>今日も満腹インターナショナル(1)食べ放題インターナショナルの歌

 20日、上野の東京都美術館に寄ったとき、館内レストランは長い待ち合いの列。そこで、芸大美術館まで足を伸ばして、芸大美術館内大浦食堂でお昼を食べました。芸大、授業はもうない頃だし、芸大美術館は展示替え休館中だったので、食堂もすいていました。こども図書館カフェも好きな場所ですが、いつもは芸大生で混んでいる大浦食堂でオバハン一人客は遠慮して入ったことなかったので、チャ~ンス!と思って。
 いろんな大学の学食を食べ歩くのが「B級C級食べ歩き趣味」のひとつ。

 1年前、2012年3月24日に放送された「アド街ック天国 上野桜木」では、この大浦食堂が堂々16位にランクイン。「藝大ごはん」として「バタ丼(豆腐のバター焼き丼)」が名物メニューとのこと。音楽学部のキャッスル食堂のほうは、同じ芸大でもお嬢様が優雅にバイオリンなど抱えて出入りするイメージなのに、美術学部のほうは、バイト代も絵の具やキャンバス大に消えてしまう貧乏学生のイメージ。これは、昔ながらのイメージにすぎないのでしょうね。
 1月30日に芸大美術学部修了記念展を見たときは、大浦食堂おおにぎわいでした。

  芸大大浦食堂で食べたのは、こんなラインナップ。切り干し大根、サバ味噌煮、ピーマン肉詰め、味噌汁、計680円。学食としては、別段安くも特別美味くもないけれど。たぶん。


 gooブログになってから私のテーマソングを載せていなかったと思うので、再録。「インターナショナル食べ放題の歌」
 心技体を「心技休」とパロディ化してしまうほどの軽やかさはないけれど、一応、もと歌へのオマージュでもあるんです。
 ユーチューブをクリックして歌って下さい。一曲うたうと、約20カロリー消費できます。カラオケダイエットに励んだあとは、食べ放題!

http://www.youtube.com/watch?v=NbOLTFRVsek
 ♪起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
食えよ我が腹へと 暁(あかつき)は来ぬ
忘却の鎖 断つ日 肌は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
♪いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの♪

聞け我等が雄たけび 天地轟きて
脂肪越ゆる我が腹 行く手を守る
満腹の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
♪いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの♪

 今日の夕食、講師仲間との打ち上げ会、四谷のタイ料理店です。いざ起ち食わん!!

<つづく>
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ぽかぽか春庭「東京家族アラビノシュガー」

2013-02-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/21
ぽかぽか春庭日常茶飯事典@十三里日記>2013年2月(3)東京家族アラビノシュガー

 「東京家族」まだ見ていません。そのうちテレビ放映されるまで待っているつもり。娘は、映画館の暗い中でじっとすわって黙って見ているのが嫌いだからです。家族といっしょにワイワイしゃべりながら見るのが好きだというのです。わが家の「家族そろっての娯楽」は、いまだに「テレビドラマやバラエティ」をいっしょに見ること。

 夕ご飯を食べながらバラエティを見て、ギャハハと大声で笑う。「R1グランプリ」を見て、こっちのほうが面白かったとか、2回目はフリップではなくて、ちょっと違うことやったほうが印象がよかったんじゃないの、とか、チャチャを入れながら見ています。
 ドラマを見ていて、たとえば、中居正広「アタルスペシャル」を見ていて、「心技休」と書かれたジャンパーの背中見て、大笑い。アタルの弟タスクが出入りする教会の名前がセント・ポール教会でもなくセント・マリア教会でもなく、「セント・チヒロノ教会」だったので、また大笑い。こちらは、娘だけが気づいて、巻き戻しチェック。「ほら、教会の名前見てみて。あはは」と3人で笑う。あ、うちのテレビ視聴、基本ビデオ録画で、CMとばして見ます。フィギュアスケート・エキシビションなどのライブも録画で、「おっかけ再生」というのをやると、30分おくれで見始めても、最後はライブになる。

 ドラマ、昨年の「わが家のベストファイブ」は、トップが「ゴーイング マイ ホーム」で、次点が「平清盛」でした。3位が「最後から2番目の恋」4位「運命の人」5位「ストロベリーナイト」次点「アタル」
 息を詰めてドラマの行方を追うというより、チャチャを入れる回数が多いほどよい。

 「平清盛」、あまり視聴率は上がりませんでしたが、わが家は毎週欠かさず視聴。日本史が授業にあった中学校では、2年生2学期から不登校、高校では日本史は近現代史だけ教わって、大学は地理専攻だった娘、「私の日本史は、奈良に大仏が建ったら次はもう幕末」と言い、平安から江戸までの歴史にはとんと弱い。日本史専攻の弟君の「よくわかる解説」を聞きながらドラマを見るのを楽しみにしていて、タッキーが義経を演じた大河ドラマで、平安末期から鎌倉幕府樹立まではだいぶわかったので、「平清盛」も、その少し前の時代がよくわかった、と熱心に見ていました。

 「ゴーイングマイホーム」でも主人公の母親役だった吉行和子。「東京家族」でも、母親役です。
 「東京家族」は、小津安二郎の「東京物語」を下敷きにして、現代の家族を描いた山田洋次脚本監督作品。小津の「東京物語」は、世界中の映画好きがNo.1と認める名作。私も好きです。

 リメイク作品は、誰がやっても「元作には及ばない」という批評がでるものです。小津と並ぶ「世界のクロサワ」作品のリメイクで「元作」を超えたというような批評を得たものはなかった気がする。むずかしい「元ネタ」がある作品をあえて現代の視点から描いたのは、日本映画を家族という視点から50本選んだりしている山田洋次としては、挑戦せずにはいられないテーマだったのだろうと思います。でも、山田洋次、昨年は文化勲章もとって、だれも「東京家族」を面と向かって批判する批評家はいないんじゃないか、少なくとも、これまで悪評を読んだことはない。映画で文化勲章受章者は、黒澤明、新藤兼人の次で3人目が山田洋次。
 だれも批判できないような作品なら、お金出して見ることもない。テレビで放映されてから娘息子とチャチャを入れながら見ようと思います。

 きっと娘は泣くだろうけどな。「親子の愛」が出てくると、ドラマ見ながら必ず泣くので。特に貧乏な家のこどもがけなげにがんばる話だと、「身につまされて」涙ぐみます。貧乏な家のこどもが、親をどのようにせつない気持ちで見ているか、よくわかるのだそうです。
 10年前のアニメキャラクターがプリントされているお古Tシャツをクラスの悪童にからかわれても、新しいシャツが買えない親の事情がわかるから、「このシャツ着ていくといじめられる」と、言い出せなかった、と、娘は幼い頃を思い出しては涙ぐむ。今は「とんび」見て泣いています。

 さて、19日は、貧乏家族にはつらい、雪が横殴りに降っている朝でした。ほんとうに今年の東京は雪が多い。
 どうしようかなあとしばし悩んで、午後には雪も止むか小降りになるという天気予報を聞いて、やっぱり出かけることにしたのでした。貧乏わが家、「二人以上いるときは石油ストーブをつけてよいが、一人のときは、ストーブ我慢。着ぶくれで暖をとる」という「3・11以後ルール」を未だに守っています。
 そうすると19日午後、わたし一人で着ぶくれてすごさなければならないので、出かけることにしたのです。

 19日朝、息子は、大学院の仲間と修士課程修了旅行で伊豆へ出かけていきました。午後、娘はおばあちゃんに手作りの誕生日プレゼントを届けに行きました。今回は、刺繍をした「通帳入れ」です。銀行へ持って行くときに通帳を入れるように。
 姑のところへ、今週は、土曜日に夫が泊まり、日曜日には息子が行きました。18日月曜日は、仕事が終わってから、私が行って一緒に夕食を食べ、火曜日は娘が行くことに。水曜日はヘルパーさんが来る日。
 ローテーションのようにおばあちゃんのお相手をしています。

 息子、大学院博士後期課程入試の結果を待っていたのですが、合格通知を受け取ったので、おばあちゃんに報告に行ったのです。
 「英語の出来が悪かったから、不合格かも知れない」と、落ち込んでいた息子でしたが、おばあちゃんは、「私はぜんぜん心配なんかしていなかったよ。合格するとわかっていたから」と、孫の進学を喜び、「孫が博士号を取るまで長生きする」と、言っていたそうです。姑の生き甲斐は、「孫の博士号を見ること」で、人生の目標は「長生きすること」です。
 
 「母もいっしょに、おばあちゃんのところへ行く?」と娘に聞かれて、ダメ嫁の私は「う~ん、昨日おばあちゃんの相手を務めたので、今日はパス」
 18日月曜日、今期最後の授業、今期もよく働きました。仕事帰りに姑の家へ。娘が作ったグラタンとデパ地下で買った「わかめと島豆腐のサラダ」を並べてお夕飯。私からの姑誕生祝は、いつもの「金一封熨斗袋」でした。気がきかないヨメなので、何か買うよりお金で「好きなもの買って」というほうが気楽。

 19日は、春休みの開始を、何か心開放させることをして、楽しもうと思っていたのです。姑孝行は、私にとって「楽しいこと」には入っていない。
 娘も、「ま、昨日ばあちゃん相手をしてきたから、今日はいいか。母は、ばあちゃん孝行をよくやってるヨメのほうだと思うよ」と、言ってくれたので、一人遊びに出かけることにしたのです。津軽三味線の響きを聞き、三線の伴奏でカチャーシー踊って、楽しかったです。

 わが家の「東京物語」、だれかが映画にしたら、「崩壊家族をかろうじてつなぎ止めているのが、88歳のおばあちゃん。かすかな絆となっているおばあちゃんを囲む、バラバラの家族」とかいう話になるんじゃなかろうか。

 娘が、息子の「博士後期課程合格祝い」に作った「ブルーベリーとストローベリー生クリームのチョコスポンジケーキ」、姑の誕生日祝いに作ったナッツバターケーキ。砂糖を使わず、アラビノシュガーという「血糖値が気になる方のための甘味料」を使って作るので、血糖値や血圧を気にする姑も「これなら食べられる」と喜んでくれます。

 苺をハート型にしたケーキ。生クリームにブルーベリージャムを混ぜたら固まらなくなり、1時間も泡たて器をかき回し続けた努力作。生クリームはほんのり紫に。バターケーキは、ナッツを刻んで混ぜるだけで「超簡単に焼ける」と、娘の言。




 わが家、アラビノシュガーで味わう「甘くはない東京家族」です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「三味線 南から北から」

2013-02-20 01:00:01 | エッセイ、コラム


2013/02/20
ぽかぽか春庭二条茶飯事典@十三里日記>2013年2月(2)三味線、南から北から

 19日火曜日、三味線と三線の聞き比べをしました。とても有意義な音楽会でした。
 津軽三味線澤田流名取、澤田邦燕さんと沖縄三線野村流音楽協会教師、内間安希さんの演奏です。
 
 「日本の伝統芸能と音楽の夕べ」という講演会。第一部は、「<音楽>以前伝統芸能のなかの<音>」という題で、能楽師の槻宅聡さんが能の井筒についての説明と能管の演奏。槻宅さんは、小中学校などでも能を理解し親しんでもらうための講演会を行っているそうで、とてもわかりやすい詞章の説明でした。観客にも声を出して井筒の一節を朗読させ、そのあと、謡いや笛の演奏を聞かせました。

 第二部は、「日本の三味線 南から北から」という題で、東京学芸大学講師の有澤知乃先生が、日本の三味線の歴史と普及について解説。中国の「三絃」、琉球に移入された三線(蛇皮線)、本土に広がった三味線、越後瞽女や津軽ボサマの角付け芸。高橋竹山らの演奏によって津軽三味線が独奏、合奏楽器として確立していく過程について説明がありました。

 それから、澤田邦燕さんが、津軽あいや節、十三の砂山、津軽じょんがら節の演奏。じょんがらは、決まった楽譜があるのではなく、奏者ごとに自分の演奏を持ち、競い合うものだということです。澤田邦燕も、自分なりの楽曲を作りあげ、演奏方法も工夫を重ねながら独自の曲にしているという解説でした。

 私も津軽三味線を知ったのは、やはり高橋竹山からでした。上妻宏光ほか、テレビではよく演奏を聞いています。力強く響くばちさばきや、ジャズの演奏にも通じるような即興演奏が好きです。

 沖縄三線の音も好き。内間安希さんは、宮廷音楽としての「かぎやて風」と、沖縄庶民にひろまった曲の中から、本部ナークニーなどを演奏しました。

 内間安希さんは、琉球民謡登川流研究保存会第二回受賞激励公演で、優秀賞受賞者として演奏したということですし、いろいろな活動に活躍している大学生。たのもしい若者です。
 澤田邦燕さんが津軽三味線をお稽古していることは前々から聞いて知っていましたが、はじめて演奏を聞かせてもらいました。すばらしい演奏にしびれました。「トレモロ」でばちを細かく動かして演奏するところが見所と解説して演奏し、見事なトレモロも聞かせてくれました。

演奏する澤田邦燕さんと内間安希さん


 講演会の最後は、内間さんの演奏に合わせて、会場全体で沖縄の民舞カチャーシーを踊りまくり、楽しかったです。
 カチャーシー、はまりそう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「大正ロマン昭和モダン展・夢美術館」

2013-02-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/19
ぽかぽか春庭二条茶飯事典@十三里日記>2013年2月(1)大正ロマン昭和モダン展・夢美術館

 久しぶりにウェブ友chiyoさんと美術館デート。
 2008年に青い鳥さんが東京にいらしたときに、青い鳥さん、妹さん、chiyoさん、私の「姦しい+one」のおしゃべりをしてからあっというまに数年がたっていました。互いにブログやfacebookで近況も知っているし、写真のUPでようすもわかっているので、たまにしか顔を合わせないご近所さんに会うよりずっと身近に感じていたのですが、やはり実際に顔を見て声を聞くとうれしいものです。

 場所は、八王子夢美術館です。
・大正ロマン昭和モダン展 竹久夢二・高畠華宵とその時代
 2013.02.01(金)- 2013.03.24(日)10:00-19:00 月曜日休館


 夢二や華宵、蕗谷虹児、中原潤一らが描いた少女像、女性像。大正の乙女たちも昭和のモガたちも、そのつぶらな瞳でせいいっぱいの夢を見続けた時代。
 私が「八王子夢美術館をchiyoさんとごいっしょに」と思いついたのも、chiyoさんの風貌が中原淳一の描く「それいゆ」の女性にイメージがそっくりだと感じたからです。今も面影はありますが、少女のころのchiyoさんは、中原淳一の挿絵が歩いているようだったろうなあと思います。

 鏑木清方、竹久夢二や高畠華宵、蕗谷虹児、岩田専太郎、など、私が子どもの頃、となりのお姉さん(みこちゃんとかっちゃんという姉妹でした)の雑誌を見せてもらった挿絵の少女達がずらりと展示されている八王子夢美術館。何人か、私はまったく知らなかった挿絵画家、版画家の名と作品を知ることができました。山村耕花と橘小夢(たちばなさゆめ)です。山村耕花は、江戸浮世絵の役者絵を受け継ぐ俳優肖像のほか、こんなモダンな絵も。



 そして、橘小夢の「水魔」一作に魅了され、もっとこの人の作品を追いかけたくなりました。


橘小夢 たちばな-さゆめ(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)
1892-1970 大正-昭和時代前期の挿絵画家。
明治25年10月12日生まれ。洋画を黒田清輝(せいき),日本画を川端玉章にまなぶ。雑誌や小説の挿絵を中心に,版画,日本画を手がける。民話,伝説をモチーフに女性の魔性を表現,たびたび発行禁止処分をうけ,「幻の画家」とよばれた。昭和45年10月6日死去。77歳。秋田県出身。本名は加藤凞(ひろし)。版画に「水魔」,挿絵に矢田挿雲(そううん)「江戸から東京へ」。


 会場を見終わって、入り口外のカフェでしばらくおしゃべり。ちよさんは、数年来しばらく家から出ることを控えて体調を整えることに専念してきました。まだ十全ではないので、すぐにあちこち出かけることは無理かもしれませんが、もうちょっと暖かくなったら、ちよさんの体調をみながら、またおでかけしたいと思います。

大正ロマン昭和モダン展の入り口でちよさん(手前)とHAL(奥)


<つづく>


夢二の港屋
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ぽかぽか春庭「節分草、白金自然教育園」

2013-02-17 00:00:01 | エッセイ、コラム

国立科学博物館付属自然教育園・節分草の花
デジカメで撮ったにしてはよくとれた(と、自己満足)
茎の高さは4~5cm、花の大きさは2~3cmほどの小さな花でした。

2013/02/17
ぽかぽか春庭二条茶飯事典@十三里日記>早春花散歩(4)節分草・白金自然教育園

 青い鳥さんへの絵はがきプロジェクト、毎月最初の一枚は、花の絵ハガキです。今年のテーマカラーは黄色なので、毎月黄色い花になります。2月はロウバイ、3月は黄色のみつまた。4月は黄色のチューリップ。
 花の絵はがき、風景写真の中の花やボタニカルアートの花、名画の花など。8月の花はゴッホのひまわり。

 花の絵はがきを集めていて、ときどき「あれ、この花を見たことないなあ」というのもあります。たとえば、節分草。早春まっさきに咲く花のひとつで、節分のころには咲いているので節分草という名になった、という説明はわかりやすいですが、私は見たことがなかった。それで、節分草を見にいきました。

 2月16日土曜日の東京は。強い北風吹き荒れる一日でした。朝はあまりの風の強さに、どうしようかなあと迷っていましたが、「ぐるっとパス」の2ヶ月間有効期限が切れるのが17日なので、最後の最後まで使い切ろうと出かけることに。昨年n12月18日にブリジストン美術館で使い始めてから、もう十分に「モトはとった」のですが、券があるなら使わなきゃ、という貧乏症です。

 白金台の駅をおりると、目黒通りは、風速9m/秒という北風が吹いています。でも、めげない。こちらは完全武装。下着はタートルネックヒートテック。ベージュ薄手のタートルネックセーターに焦げ茶の薄いセーターを重ね着。その上に黒いユニクロのウルトラライトダウンコート。さらに、フードつきの分厚いダウンコート、これもユニクロ。これは、2007年、零下20度という中国の東北地方へ赴任するときに娘が買ってくれたもので、シーズン最初は3万円の値札がついていたのに、2月になったらもう冬物最終処分で、1万円になっていた。どうしてこんなに値引きしたのかというと、色合いが悪かったから。くすんだラクダ色というのは、きどった言い方。娘が言うには「うんこ色」
 たぶん、どうにも売れ残ったものだったのでしょう。でも、2月の旧満州は、まだ真冬。十分役にたちました。

 「これなら北極もOK」という出で立ちで、白金台の自然教育園へ。ここは、国立科学博物館の分園です。日曜日とはいえ、こんな風の日は園内にだれもいないんじゃないかと思ったのですが、若いカップルのデード組、三脚と望遠カメラをかついでいる老夫婦。70代くらいの男性5人組。すれ違うとき、だれそれは戦犯になったとかならなかったとかという話題で盛り上がっていました。ベビーバギーを押す外国人のお母さん。それなりに人が入っていました。

 というのも、目黒通りには吹き荒れていた北風が園内は静かなのです。高い梢は大きく揺れていますから、天空に風があることはわかるのですが、周囲の木々が防風林のようになっているとみえ、園内は青空の下、光の春を満喫できました。きっとベビーバギーのママもご近所に住んでいて、園内は風が強くないことを知っていての散歩だったのでしょう。2歳くらいの金髪のかわいい女の子が松ぼっくり拾いに夢中でした。

冬ざれの自然教育園
 

切り株の上のどんぐりと松ぼっくり

光と影の具合が、いい感じ。デジカメで撮ったにしてはよく撮れた

 六義園や旧古河庭園、後楽園などの庭園散歩も好きですが、名園の木と自然教育園の木の違いがあります。庭園の名木古木は、樹木医がついて虫が食えば駆除し、枝が折れれば継ぎ当てし、ていねいに世話をします。しかし、自然教育園の森は、「武蔵野の自然のまま」にしてあります。台風で倒れる木があれば、倒れるにまかせる。ある時期小鳥がタネを運んできたものらしいシュロの木がしだいに増えている地区は、シュロが増えるにまかせています。森というのは、樹林帯がしだいに推移していくのが自然の法則らしく、園内の「落葉樹の林」も、やがては松などの常緑樹に勢力を奪われるのが森の宿命と、説明が書いてあります。



福寿草


 入り口に置いてある「自然教育園見頃情報2月」という地図を見ながら園内散策。福寿草は、あざやかな黄色なので、私にも咲いているのが目に入りましたが、節分草は、「ここらへんに咲いているはず」という地図との照らし合わせと、園内の植物名看板がなかったら、きっと見逃していただろうと思います。想像していたのよりずっと小さな花でした。
 自然教育園の節分草は、秩父山中の自生地から保護のために植物園に移植されたもの。根付いて増えてくれるといいのですが。自生地では山草ブームなどのために盗掘する業者もいるらしく、絶滅させないために、教育園で保護しているのです。



 武蔵野の自然をそのまま残す役割の植物園ですが、珍しい運命をたどった植物も。
 2011年6月の春庭散歩で書いた教育園の解説を再録します。

 「自然教育園のトラノオスズカケは御料地時代の1942年(昭和7年)に牧野富太郎によって発見され、1949年の開園の頃に絶えたとされていましたが2007年秋に芽生えを発見し今回の開花を見るに至りました。自然教育園は江戸時代松平讃岐守(香川県)の下屋敷でしたが、同郷の平賀源内が下屋敷の一部に薬園を作ったという記録があります。おそらく当時故郷から種子を運んで栽培していたものが野生化したのだろうと推察されます。50年ぶりの再発見なのですが、生きた植物が生存していたとは考えられず、おそらく休眠生の高い埋土種子が、最近のミズキなどの高木の枯死によって林床に光が差し込むようになったことで、発芽が促されたものと考えられます


 春庭コラムhttp://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/06/post_7f7f.html

 牧野富太郎博士が1932(昭和7)に白金御料地で発見しトラノオスズカケ(虎の尾鈴懸)は、戦後には絶滅したと思われていました。それが、園内にタネのまま眠っていて、高木が倒れて日が地面まで届くようになったら芽をだしたのです。自然の力ってほんとうに不思議。

 早春の花散歩、かれんな節分草を見られて、大満足。
 ほかに、「ムサシアブミ武蔵鐙の実」も見ました。ムサシアブミは、サトイモ科の植物で、花は地味ですが、冬に見られる実は赤くて目立ちます。

むさしあぶみの実


 冬ざれの園内をひとめぐりすると、汗ばんでくるくらいでした。ぽかぽか春庭、着込みすぎか。まん丸い体型に見えますが、これはダウンコートを2枚着込んでいるせいですよ。着ぶくれにすぎません。春も盛りになれば、すっきりやせて写りますから、、、、、。


デジカメで撮ってもらったから太め(一眼レフならきっともっと細身に)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「府中の森の臘梅、紅梅」

2013-02-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
府中の森


2013/02/16
ぽかぽか春庭二条茶飯事典@十三里日記>早春花散歩(2)府中の森のロウバイ、紅梅

 「府中の森で梅祭り」というポスターを駅で見て、梅祭りが始まっているなら、もう咲いたのかなと思って仕事帰りに立ち寄ってみたのですが、まだまだ早かった。
 ロウバイは満開でしたが、梅は、「八重寒紅梅」がほぼ満開になっているほかは、早咲きの種類が三分咲き、白加賀などの遅咲きは、まだ固い蕾。


村越惣十郎さんが丹精なさった盆栽が園内に寄贈され、こちらは早咲きが多かったです
 

 園内に用意された赤いビニールシート敷のベンチもビニールが冷たそうで、座る気にもなりませんでした。赤い毛氈だったら座ったのですが、ビニールだとお掃除するための始末にはよいでしょうが、座るにはヒンヤリしそうで。

 紅梅は、白梅より早く咲く品種が多いらしく、きれいに咲いていました。
  

ロウバイの小径
 

 

まんさくの花

ハケの家のわきに咲くまんさく


府中の森の保存建築「ハケの家」


府中の森の保存建築物の中に飾られているひな壇

 おひな様を見て、春近いことを感じながら閉園放送に送られて門を出ました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「温室の花・神代植物園」

2013-02-15 09:08:45 | エッセイ、コラム

神代植物園、温室の花

2013/02/17
ぽかぽか春庭二条茶飯事典@十三里日記>早春花散歩(3)温室の花・神代植物園

 1月下旬に神代植物園を歩きました。寒い頃に植物園というのを訪れるのは初めてのことで、ロウバイが咲き始めていたほかは、園内は冬ざれの景色でした。
 「冬薔薇」という季語は知っていて「ふゆそうび」という語の響きが好きなのに、実際に冬に薔薇を見たことがないので、冬バラの一輪でもみたいと思ったのですが、神代植物園の薔薇園、秋バラの咲き残りかと思う、しおれた花はいくつか残っていましたが、私がイメージした「寒気の中にも凛として咲く薔薇」という感じではありませんでした。

 冬薔薇一輪風に揉まれおり 高浜虚子
 尼僧は剪る冬のさうびをただ一輪 山口青邨
 冬薔薇石の天使に石の羽 中村草田男
 冬薔薇やわが手に握るわが生涯 野村節子
 夫といて冬薔薇に唇つけし罪 鷹羽狩行


 そういえば、木場の熱帯植物園にはときどき行ったけれど、神代植物園に来たときは牡丹をみたり薔薇を見たりするのに時間をとられて、温室の中に入ったこと亡いなあと思って、初めて温室に入ってみました。夏は暑くて入る気にもならず、冬に見るのが一番いいでしょう。

温室の中 
球根ベゴニア 
 鉢に浮かべられた花

ハイビスカスの名はしっているけれど、


こちらの花は、なんていう名だったか忘れた
 

カカオの実は、幹に直接くっついてできる

パパイヤの実

 

 温室のなかは、ぽかぽかで、きれいな花や果物を見て、ぽかぽか気分になれました。「温室育ち」というと、外にでるとたちまちへたってしまうひ弱な坊ちゃんお嬢様をいいますが、温室の中にいる限りは、美しく咲き、豊かに実る。寒風吹きすさぶ野に育った雑草の春庭も、温室から一歩そとに出ると、たちまち「さむ~い」とへたり、縮こまる。な~んだ、雑草といっても同じようにベタレです。麒麟も老いては駑馬に劣る、というけれど、雑草といえども老いては温室の花より寒がり。

 昼ご飯を食べたとき、神代植物園わきの蕎麦屋の中庭では、焚き火をして客をもてなしていました。燃やす木は、冬場に木の剪定をする植木屋さんがもってきてくれるそうです。


春よこい、はやく来い。
は~い、HALが来ました。あ、HALは来なくていいのね。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ロウバイ、紅梅」

2013-02-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/14
ぽかぽか春庭日常茶飯事典@十三里日記>早春花散歩(1)ロウバイ、紅梅

 厳冬の今年は、梅の開花が遅い、という話をどの梅名所でも聞きました。それでも、蕾くらいは見られるかと、神代植物園、皇居東御苑などをめぐってみました。
 神代植物園ではロウバイが、東御苑ではロウバイ紅梅が見られました。

 花弁が蝋のような色であることから、また、旧暦の臘月(ろうげつ=12月)、太陽暦では1月か2月ごろ咲くから、臘梅、蝋梅、蠟梅、などの当て字で呼ばれました。梅は、旧暦の年が明けるとまっさきに咲く花であったことから新春を祝う花として中国の詩人にもてはやされたのに比べ、ろうばいは、梅よりいっそう明るく色鮮やかに咲くのに、梅ほどには詩歌にあらわれない花で、ちょっとかわいそうに思います。

東御苑のろうばい


梅のような風格有る古木として庭園の女王になることもないですが、遠くからほんのりと香っているのに先に気づき、頭を巡らせて香りの主をさがすと、あでやかな黄色い花が咲いているのが見つかります。

東御苑の白梅、紅梅

   

 1月下旬に神代植物園で見たロウバイは、まだまだ満開には早かったですが、皇居東御苑のロウバイも、近所の道ばたに咲いていたロウバイもきれいでした。
 東御苑では、紅梅が咲き出しており、今年の遅い春も「光の春」を感じてようやく花たちも目覚めるかなと思いました。

道ばたのロウバイ

東御苑のさざんか

<つづく>
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ぽかぽか春庭「東京国立博物館リニューアル東洋館」

2013-02-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/13
ぽかぽか春庭@アート散歩>2012-2013冬のアート散歩(11)東博東洋館リニューアル

 東京国立博物館の東洋館は、2009年の6月から耐震工事などのため休館していましたが、今年1月2日にリニューアルオープンしました。「博物館でお正月」というオープン記念のポスターに起用された井浦新(崇徳上皇演ずる以前はArata)が好きなので、お正月に見に行きたかったけれど、ぐるっとパスでは入れなかったので、行かなかった。井浦新、美術好きということで、4月からのNHK「日曜美術館」のキャスターにも起用されて、番組見る楽しみがふえました。

 ようやく新装の東洋館を2月9日に見て来ました。ユネスコ記憶遺産に登録された山本作兵衛の炭坑記録絵のシンポジウムに応募して当たったので、当選ハガキで入館でき、本館と東洋館が見学できたのです。13:30からの山本作兵衛シンポジウムについては、のちほどご報告。シンポジウム聴講前に駆け足で本館の国宝展示室と、新装なった東洋館を見ました。

本館、国宝展示室 雪舟「秋冬山水図」

 

 東洋館、1階に新たにミュージアムショップが出来ていて、エレベーターがシースルーになっていました。照明はLEDを使っているなど「新時代の美術館」への装いが感じられます。


 1階は、中国仏像が中心。宝慶寺石仏群は、則天武后が長安城内に建てた光宅寺に安置されていました。日本の歴史書では「則天武后」と、皇后の名称で扱われてていますが、中国史では、「きちんと即位の礼を受けて皇帝となった」というのが史実。しかし、武后自身は、遺言で「夫の墓に皇后として埋葬するように」と言ったそうです。生きているうちは夫以上の権力を行使し、病を得た夫が針治療するのさえ許可しなかった武后。武則天として専横ほしいままにした女帝であっても、最後は夫と合葬されることを望んだのは、どのような心境だったのでしょう。

 女帝「武則天」は、道教を仏教より上位においた唐朝とちがい、仏教を道教の上位として扱いました。自らを、弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、長安(現在の西安)ほか、中国全土に仏教寺院を建立。長安城内の光宅寺には、多数の仏像を安置しました。のちに中国陝西省西安宝慶寺に移されましたが、清朝滅亡時の混乱で、ほとんどの仏像が海外流出してしまいました。東京国立博物館所蔵のこれらの石仏群がどのようにして由来したのかは、説明がありませんでしたが、東博には30余点が現存し、そのうち15点が東洋館1階にずらりと展示されている様は、圧巻です。



東博「宝慶寺石仏群の説明
 「宝慶寺石仏群は、インド・グプタ朝美術の影響を受けた写実的で豊かな肉体表現や、変化に富んだ装飾意匠などから盛唐期の仏教彫刻の代表的作例として名高い。
 この石仏群は、唐にかわって周王朝を興した武則天(則天武后)が、長安3年(703)長安城光宅坊の光宅寺に建てた七宝台を荘厳していたものであった。その後、西安(長安)安仁坊の宝慶寺(花塔寺)へ移され、同寺の磚塔・仏殿に収められたが、20世紀初頭大部分が国外へ流出した。現在では三尊型式の釈迦降魔像・弥勒倚像・阿弥陀坐像や十一面観音立像など中国に残るものも含めて32石が確認されている。このうち数石には、長安3年・4年(703・704)、開元12年(724)の紀年銘があるが、開元年間の刻銘は追刻で、造像は長安年間頃に行われたとする説もある。
 光宅寺の造営事情とその造像は、仏教界と結びつき武周革命を行った武則天の政策を反映しており、当時の仏教受容のあり方を考えるうえで非常に貴重な資料である


 1階を見てから5階へ上がり、中国工芸、朝鮮工芸の展示から順に下へ降りて行きました。中国の絵画工芸も、朝鮮の工芸も、ほんとうにすばらしいもので、日本がこれらの芸術にどれほど多くのものを与えられてきたかを思い、感嘆するばかりです。

朝鮮工芸室のシンボル展示


 最後は、エジプトやオリエントの美術展示。1階にもどって、アジアの仏像を眺める。仏頭の展示、どのお顔もとても美しくて、手を合わせたくなります。


 中国の芸術品、詩文や絵画だと作者の名が残っていることも多いですが、仏像を彫った仏師や陶工は名が伝わっていないことの方が多い。仏像を修理修復する際に解体してみたら、光背の普通は見えない場所に仏師の名前が彫り込んであった、なんてこともあるけれど、普通はわからないままです。

 無名の職人達の無名の技術が、こうして残る一方、エジプトの王様が壮大な墓を作って、何百年もたつうちには、副葬品なんぞはほとんど盗掘されてしまったり、中国の大金持ちがたいそうな墓誌を石に刻んで自分の人生を誇ってみても、数千年もたてばだれの人生もそここそだなあと思えたり。

 OCNカフェブログからgooブログへと移行し、春庭サイトもリニューアルしてからそろそろ1年経ちます。書いている中味は10年前から相も変わらぬつまらんよしない事ばかりですが、リニューアル後の変化と言えば、写真を掲載する方法がわかり、デジカメで撮ってきた下手な写真でもUPすれば文章のへたくそな中味をカバーできる見栄えにできるようになったこと。

 東京近代美術館、東京国立博物館は、撮影禁止とあるもの以外は、フラッシュをたかなければ、撮影OK。私立美術館でも、松岡美術館はフラッシュ禁止、ケータイ撮影禁止ですが、デジカメOK。所蔵作品以外の借り受け委託作品は所有者の意向により禁止措置もしかたがないですが、公共の宝物として美術館一般公開を決めたからには、撮影くらい自由にさせる度量を見せて欲しい。と、見てるだけ~、撮ってるだけ~の観覧者は思います。ガラスケースの中を移すのはうまくできず、今回の東博の写真も上手には撮れませんでしたが、まあ、ないよりあったほうが、文で「武則天の石仏」と書くより伝わるかなと思います。

 美しいうつわや金襴の冠や、きれいなものをたくさん見て目の保養をしたあとは、無名の、どこのだれともわからない職人達に、「いいもの作って残してくれてありがとう」と、お礼を言って東博の門を出ました。

 上野公園の夕暮れ、春もいいけれど、冷たい風が白く吹き上がる噴水に吹き付ける冬もまた、凛とした気分になれて好きです。
 拾い集めた衣服を全部着込んでいるような着ぶくれた人が、ベンチに丸まっています。足下には、パンパンにものを詰め込んだ大きなバッグが3つ。これがこの人の守るべき全財産なんだなあと思いながら脇を通り過ぎていく。

 わたしもね、と心の中で語りかける。私も一生のあいだ、何を残すということもなく、噴水の水がわき上がっては崩れて北風に吹き散らされているような人生でしたけれど、お互いに残された日々をせいいっぱい生きて行きましょうね。そんなかけ声を自分にも着ぶくれた人にもかけて、頭上の木星を見上げながら帰りました。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「石洞美術館マイセン展、松岡美術館」

2013-02-12 01:00:01 | エッセイ、コラム

マイセン展

2013/02/12
ぽかぽか春庭@アート散歩>2012-2013冬のアート散歩(10)お金持ちのコレクション6 石洞美術館マイセン展、松岡美術館

 お金持ちは、成功してお金が貯まってくると、勲章が欲しくなる人、愛人をたくさん囲いたい人、いろいろあるらしいですけれど、美術品集めをしたくなるってのも道楽のいきつくひとつの共通点みたいです。

 石洞美術館は、千住金属工業株式会社の経営者だった佐藤千壽(さとうせんじゅ1918-2008)が設立。主な所蔵品は、世界各地のやきもの、茶の湯釜、ガンダーラの仏像、漆器、青銅器、玉器などのほか、駒井哲郎の銅版画も収集。館名の石洞とは、佐藤千壽の号だそうです。

 松岡美術館は、松岡清次郎(1894-1989)が、不動産業ホテル業などをしながら収集した美術品を展示しています。中国陶磁器、中国アジアの仏像、古代オリエント遺跡出土品などのほか、近代フランス絵画、近代日本画も集めています。
 松岡美術館は、2000年に清次郎が亡くなったあと、新橋の松岡地所本社内から白金台の清次郎私邸の跡地に引っ越しました。ちょうど2000年に南北線が開通して白金台の交通がよくなり、これまでたびたび見にいっていましたが、2006年にオープンした石洞美術館には、2月10日、初めて行ってみました。千住大橋という駅に初めて降り立ちました。

 石洞美術館の展示は、土屋コレクションのマイセン陶磁器を展示していました。
 私は、これまでマイセンにあまり魅力を感じたことはありません。「お金持ちがテーブルに並べたがるやたらに高い陶磁器」という印象しかなくて、「陶磁器は中国や日本が本場。西欧の金持ちが東洋の陶磁器にあこがれてマネをしたところで、東洋陶磁器を超えられない、と思っていました。

 マイセン陶磁器は、アウグスト強健王(ポーランド王・ザクセン選帝侯)が東洋陶磁器にあこがれるあまり、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーにその製法を研究させ、ついに白磁制作に成功させた、というヨーロッパの焼き物です。

 ベドガーは、金を作ることができるという錬金術師の大ボラを「白磁が作れる」という言に変えて研究を重ね、東洋陶磁器のような白い壺や皿の製法をさぐりました。中国の景徳鎮で作られる磁器の粘土は高嶺(ガオリン)で産出されます。 これと同成分の粘土kaolinが、ザクセン・フォークラント地方のアウエ鉱山に産出することに気づき、西欧の焼き物より高い温度で焼成すると白い磁器が得られることを発見しました。秘密を漏らさぬため、ベドガーは幽閉され、37歳で死にました。

 マイセンは100年間この秘密の製法を独占し、アウグスト強健王がとっかえひっかえの愛人達に350人以上もの子を作らせる財政を支えたのです。
 当初、中国や日本の陶磁器の絵付けの模倣をしていたマイセン。たとえば、中国では子孫繁栄富貴の象徴であったザクロの実。ヨーロッパにはザクロがなかったために、この図柄は「青い玉葱」と解釈され、ブルーオニオンという名の主要な絵付け柄になりました。

 ブルーオニオンの大皿


 19世紀以降、しだいにヨーロッパ的な図柄を描くようになり、西洋貴族の狩猟図や戦争図、ギリシア神話なども描かれるようになりました。王侯貴族にとって、マイセンで食卓を飾ることが何よりのステイタスになったのです。



 ローレライ伝説の絵付け皿(ハインツ・ヴェルナー 20世紀)


 また、東洋にはなかった磁器置物として、「猿のオーケストラ」というものがあります。マイセン陶磁器制作者ヨハン・ケンドラーとペーター・ライニッケが原型を作って1765年ごろから作られた磁器人形シリーズ(マイセン・フィギュリオン)のひとつです。
 私は、石洞美術館の土屋コレクションで、はじめて「猿の楽団」を見ました。指揮者のほか、バイオリンやドラム、フルートなど、さまざまな楽器を演奏している猿たち。土屋コレクションは21体のオーケストラで構成されていました。

 マイセン販売サイトで調べると、ケンドラーの原型による新制作の「猿の楽団」は、1体が50万円。22体セット(指揮者と演奏者が21体、指揮者の楽譜台がひとつで22体セット1)で1000万円でした。うひゃっ!18世紀19世紀のものになると値段はつけられない、といったところなのでしょう。
すぐにもほしい、という方がいらしたら、こちらのサイトからお取り寄せ下さい。(春庭へのコミッションはいりません。太っ腹ですから。あは、腹回り、脂肪の塊です)
http://www.euroclassics-ginza.com/meissen_figure_monkey.html

 マイセンの絵付け師たちが東洋の陶磁器の絵柄を模写し、ゴッホたちは浮世絵を模写して近代西欧の新しい芸術を産みだした。それが日本に逆輸入されて入ってくる。芸術はこうして東と西を往復して新たなものを作り出していく。
 お金持ちはそれを買ってコレクションし、私は招待券もらってそれを見に行く。
 美の世界はこうして世界を経巡っていく。まあ、私のテーブルにマイセンがのることはないけれど。

 東洋陶磁器へのあこがれから出発したのであったとしても、西欧は西欧で、独自の技術と絵柄を芸術にしていったのだなあと納得できるマイセン展でした。
 それでも一番上にあるような、花をごてごてと飾り付けるのは好きになれないけれどね。

 松岡美術館は、1階は常設展のアジア仏像やエジプト出土品。2階の「花と鳥 しあわせの予感」という草花と鳥の吉祥文様をほどこした中国陶磁器の展示室と、花鳥図の日本画展示室を見て回りました。
 石洞のマイセンを見たところなので、ロッカーコーナーの前のマイセンにも目が行きました。う~ん、趣味はそれぞれであるけれど、私はやっぱり、こういうふうに壺をこてこてに飾り立てたくはない。ただし、マイセンの花やら天使や飾り付けた壺、もう飽きたから春庭にあげるという方がいらしたら、喜んでいただくので、ご遠慮無くお申し付け下さい。引き取りにおうかがいいたします。


 松岡清次郎が美術品集めに本腰を入れて収集を始めたころ「この作品を手に入れたからには美術館を建てて広く人々にコレクションを見てもらわねばならない」と決意したのが、ガンダーラの半跏思惟像だそうです。この像は、3世紀頃のガンダーラ仏で、広隆寺の半跏思惟像の原型にあたるということです。


 お金持ちは、ギャンブルなんぞに入れあげたり、愛人囲ったりするくらいなら、せっせと美術品集めてください。そして、死ぬ前に美術館を建てて、人々に見せてあげること。財団法人にしておけば、相続税対策にもなるし。
 わが家の相続?わが息子、博士後期課程に進学が決まったので、さらに借金が増える模様。奨学金、借りた分、20年くらいかけて少しずつ返していかなければなりません。あと3、4年して無事博士号とれたとしても就職できるとは思えない息子。まだまだ貧乏ぐらしは続きます。せめてもの楽しみ。ぐるっとパス2000円での美術館博物館巡りは、まだつづく。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「近代美術館盛田コレクション」

2013-02-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/02/10
ぽかぽか春庭@アート散歩>2012-2013冬のアート散歩(9)お金持ちのコレクション5・近代美術館盛田コレクション

 東京近代美術館は、2012年夏に休館し、耐震工事などのリニューアルを行いました。リニューアル完成記念の展覧会は、「美術にぶるっ」というキャッチコピーがつけられた「館内所蔵品による日本美術史」という展覧会です。
 「美術にぶるっ」を私が見に行かなかったのは、千円をけちったから。館内所蔵品展なのに「企画展」扱いで、ぐるっとパスでは見ることができなかった。招待券かぐるっとパスで入れるところへ出かけるという基本路線を守ったから。

 「美術にぶるっ」は、第一部が日本美術史の流れ。こちらはいつもの常設展と同じ。第二部が、東京近代美術館が開館した当時(1950年代)の実験的な美術を展示した企画展。原爆を美術の立場から取り上げた作品や、河原温の「浴室」シリーズなど、実験的な表現を取り上げた展示。鶴岡政男 が画友松本竣介のデスマスクを描いた『死の静物(松本竣介の死)』(1948)も展示されていたと知り、千円けちらないで、見ておけばよかったかなあなんて、あとの祭りで思いました。

 常設展になってぐるっとパスで入れるようになってから、ようやく東京近代美術館のリニューアルのようすを見ました。前と変わらない常設展示もありましたが、かなり展示が変えられていました。
 私の好きな場所、4階の休憩室は、椅子が一新されていましたが、皇居のお堀や東御苑を見てゆったり休めるのは同じ。展示の部屋の区切り方がこれまでと違っていたし、展示の場所が違う作品もありましたが、近代以後の日本の美術の流れ、そしてココシュカのコーナーなど、近代現代の外国人作品が見られるのは同じ。

 常設展は、年に何回か展示替えがあります。1年に数回ずつ見ていれば、ほとんどの所蔵作品は見ることができます。
 今回の展示で目についたのは、盛田良子コレクションの部屋。ソニー創業者盛田昭夫夫人の良子が集めた作品の展示です。

 ジョルジュ・ブラック「女のトルソ」(1910-11年)パウル・クレー「山への衝動」(1939年)ニコラ・ド・スタール「コンポジション(湿った土)」(1949年)ジャン・デュビュッフェ「土星の風景」(1952年)という買い上げ収蔵品のほか、委託借り上げの作品もまとめて「盛田コレクション」として展示してあったのです。

クレー「山への衝動」



 盛田良子がニューヨークの盛田邸にどのように配置して飾っていたかも、写真でわかるようになっていました。三省堂創業社長の娘であった良子は、夫がソニーを創業し、ニューヨークにソニーショウウインドーを設けると、社交の面で夫を支えました。アメリカでは、奥さん同伴のパーティやゴルフなどのつきあいをこなすことがセレブ夫人の仕事。奥さんが社交の仕事をこなさないと、夫も人脈が広がらない。
 盛田良子は、ニューヨーク近代美術館などの支援者として美術家とも関わり、ソニーミュージックエンターテインメントなどの関係でマイケル・ジャクソンはじめ音楽家とのつきあいも広い。

 お金に不自由しない人が自分の趣味で絵を集め、それを美術館に一括譲渡するということ、いいんじゃないかと思います。近頃の美術館、国立や公立では予算が限られていて、オークションなどで外国勢と競り合ったところで、とても著名画家作品などを競り落とすことができない。それを、こういう形でそっくり譲って貰えるなら、セリでバカ高く値をつり上げることもなく、私たち「絵を見るのが好き」っていうだけの者も見ることができる。

ミロ「絵画詩・おお!あの人、やっちゃったのね」

 
 いつも「金なしコネなし才能なし」の我が身を嘆き、妬みそねみ僻みでコテコテの私ですが、よそのお金持ちが絵を買って、美術館に寄付または譲渡するって話なら、「金持ちおおいにけっこう」と思います。もちろん、その金持ちが高い美術品買うのをやめて、「貧乏な春庭に年金でもだしてあげましょ」というのはもっとよい。

<つづく>
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