春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2022年8月目次」

2022-08-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220702
ぽかぽか春庭2022年8月目次

0802 ぽかぽか春庭アート散歩>2022アート散歩夏(4)長谷川潔 1891-1980展 ― 日常にひそむ神秘 ―in 町田市立国際版画美術館
0804 2022アート散歩夏(5)光陰礼賛―モネからはじまる住友洋画コレクション in 泉屋博古館

0806 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>8月の確認(1)ヒロシマの空
0807 8月の確認(2)福田須磨子の原子野より
0809 8月の確認(3)憲法前文

0811 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ連日猛暑の夏(1)コーダ愛のうた
0813 2022シネマ猛暑の夏(2)ウエストサイドストーリー
0815 2022シネマ猛暑の夏(3)ナイトメアアリー
0816 2022シネマ猛暑の夏(4)ライオン25年目のただいま
0818 2022シネマ猛暑の夏(5)レッドクリフ

0820 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記盛夏の音(1)娘とクラシックコンサート、皇帝のエコノミー症候群
0821 2022ふたふた日記盛夏の音(2)ジブリコンサート

0823 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記夏旅(1) 箱根の山は天下の嶮
0825 2022ふたふた日記夏旅(2)箱根2日目
0827 2022ふたふた日記夏旅(3)富士屋ホテル宿泊
0828 2022ふたふた日記夏旅(4)箱根3日目
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ぽかぽか春庭「箱根3日目」

2022-08-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
202208278
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記夏旅行(3)箱根3日目

 富士屋ホテルの朝ごはんは、メインダイニングで。私はサラダブレックファストを選択。娘はフレンチトースト&ソーセージ。
 

 

 朝食後、「くまがい草」の部屋で食休み。11時にチェックアウトしました。

 ホテルをでたときは雨がふっていましたが、彫刻の森美術館についたら雨は小降りになっており、入場すると傘をささずに歩けるくらいになりました。



  1969年に開館。ひろい野外に現代彫刻が点在しています。
 娘は友人と来たことがありますが、ピカソ館を見たことがなかったので、2019年にリニューアルオープンしたのを機に2度目の訪問。私ははじめての彫刻の森です。

 12時前に彫刻の森に入ったのですが、広い園内をゆっくり見ている時間はありませんでした。駆け足でピカソ館と園内を通り抜けました。(アートリポートはのちほど)。

 強羅の「田むら銀かつ亭 本店」に13時に予約を入れておいたからです。雨が降り出したなか、店に着くと、外には予約のない客が長い列を作っていました。「予約をしておいてよかったね」と、ランチ定食がテーブルにくるのを待っている間に、外は土砂降りに。

 箱根はよい水があるため、豆腐店が多い。その豆腐にひき肉をはさんであげたカツが田むらの名物です。


 窓の外は滝のような雨。ランチ定食は量がとても多くて、デザートが出てきたときはおなかいっぱいになっていました。オレンジはおみやげにして持って帰りました。


 食べているあいだじゅう降っていた雨が、外に出るとまた傘がなくても歩けるくらいになっていました。
 午後のスケジュールは最後の訪問地、箱根美術館です。箱根美術館は熱海のMOA美術館と同じく岡田茂平世界救世教教祖によるコレクションの展示をしています。



 展示を見るより、2階のベンチに座って1時間ほど居眠り。広い彫刻の森を歩いただけですっかり疲れてしまったからです。娘はひとりでゆっくり庭見物。
 私は、苔の庭と紅葉の美しさで知られた箱根美術館の庭もささっと通り抜けました。



 楽しかった二泊三日の箱根。温泉ゆったり食べ物おいしく、ホテルも快適。うれしい娘からの誕生日プレゼントになりました。
 鋭気を養えたので、9月からの73歳の日々もがんばっていけると思います。

<おわり>
コメント (2)
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ぽかぽか春庭「富士屋ホテル宿泊」

2022-08-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220825
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記夏旅(3)富士屋ホテル宿泊

 2021年夏に蒲郡クラシックホテルに宿泊した際、全国に9館あるクラシックホテル(明治~昭和前期に建設された建物を残しているホテル)の宿泊スタンプ帳を購入してありました。しかし、その後は旅行できず、スタンプは増えませんでした。今回が2個目のスタンプです。

 富士屋ホテルは、姑を連れて娘息子と箱根にきたおり、お茶休憩に訪れました。(宿泊は区の保養施設利用でした)。宿泊客ではないので、ロビー以外の部分は見学できなかったので、ぜひいつかは泊まりたいと思っていましたが、今回「娘から母への、誕生日プレゼントとしての箱根旅行」として泊まることができました。「ハイシーズンだと数万円値段が異なる」という「お盆時期の一番高い時期」であるにもかかわらず、旅行社と相談しながら予約した娘に感謝。東京住民は都内宿泊でないと「なんたら割引」も使えないので、普通の旅行の3倍くらいの費用がかかったと思うので、ちょっと申し訳ない。

 富士屋ホテルは、1878(明治11)年に開業。創業者の山口仙之助が箱根に保養にくる外国人のために建てた洋館から出発しました。増築を繰り返す中、 焼失や震災戦災などを乗り越えて、1997年に登録有形文化財に指定されています。建物を安全に残すため、2018年から2年間耐震工事のため休業。
 耐震復元工事を経て2020年に再オープン。

 館内の富士屋ミュージアムで耐震復元工事の記録がビデオで流れていました。壁も天井も、椅子も、新調したほうが簡単でしょうに、ていねいに修復しているようすがうつされていました。(重要文化財指定を受けると、タイル1枚でも元の建材を使うか、またはそっくりに復元したものを使用する必要があるのです)。

 本館は1891(明治24)年の建築。
 前回外観とロビーを見学したとき、感じたこと。
 本館の歌舞伎座のような屋根や、花御殿の赤い欄干を建物のまわりに配したデザイン、たしかに外国人には神社のようなお寺のような感覚で「日本的」と感じさせるものなのでしょうけれど、私自身は「この赤い色、あまり落ち着かないなあ」と感じたものでした。

 館内に「富士屋ホテルの歴史」を知らせる写真がたくさん並んでいました。宿泊したチャップリンなどの有名人の写真が並ぶ中、日本の作家で富士屋ホテルをごひいきにした小説家として三島由紀夫が夫人とツーショットでならんでいるのを見て、「ああ、なるほど、さもありなん」と納得。
 要するに、「外国人好み」を受け入れられる感覚の持ち主は三島由紀夫だろう、と。三島は、自邸も西洋の貴族館のような、真っ白な洋館として建てています。私が見たのは、篠山紀信の写真集「三島由紀夫の家」だけで実際にやしきを見たわけじゃありませんけれど。
 100年前に日本の大工棟梁が見よう見真似で建てた「偽洋館」は心楽しく見ることができるのに、現代作家が建てた真っ白な豪邸を心穏やかに見られないのは、貧乏人のひがみです。庭に噴水があり像から水が流れている写真などを見ると、ケッと言う気分になってしまう。

 敷地内にたくさんの建物があります。それぞれの建設年は。
本館: 1878(明治11)年
西洋館:1906(明治39)年
花御殿:1936(昭和11)年
フォレスト・ウイング:1960(昭和35)年
 
 今回は、富士屋の中で、「花御殿」という歴史的建造物に宿泊しました。建物探訪リポートはまたのちほど。
 
 8月11日に宿泊したのは、花御殿の一室、くまがい草の部屋。
 富士屋ホテルの口上
 花御殿は富士屋ホテル建築の集大成であり、富士屋ホテルの、そして箱根のシンボルとなっています。
 華麗な和風の意匠や複雑な屋根、赤い高欄付のバルコニーが特徴の独特なデザインに、設計者・山口正造の意図が強く反映されました。
「花御殿」という名にふさわしく、客室はそれぞれ花の名前で呼ばれ、豪華な内装やルームキーには部屋名にちなんだ花のモチーフが散りばめられています。
 (なかでも、ヘリテージルーム「菊」は)。
 昭和11年当時を再現した、格式の高い格天井、絢爛な彫刻の数々、木張りの床など、和の意匠を随所に散りばめた花御殿ならではのシンボリックなお部屋。
 食堂棟、本館、西洋館を見下ろす、角部屋ならではのスケール感のある眺望も見どころのひとつ。

 花御殿の各室についている花の名の札。


 ドアの前にそれぞれの花のプレート

 各部屋の絨毯にも手文庫にもそれぞれの花の意匠がついています。
 私たちが泊まった部屋は「くまがい草」の部屋。


 ヒストリック・デラックス・ツイン最初、ヒステリック・デラックスだと思い込んでしまい、何でヒステリーなんだろうと思ってしまいました。カタカナ語に弱いので。


 温泉がひかれている部屋のバス。私は夜も朝も大浴場温泉に入ったので、部屋のバスにはつかりませんでしたが、娘は利用しました。


 晩御飯は、本館と道を隔ててたつ「元御用邸」という菊華荘でいただきました。
 菊華荘は、1885(明治28)年、皇室の宮ノ下御用邸として造営された由緒ある純日本建築の建物 です。
 8月11日夜、あいにくと雨もよいになり、菊華荘の正面写真などが撮れませんでした。
(画像借り物)
 

 菊華亭は、「宮ノ下御用邸」と呼ばれたのは、明治天皇の第8皇女、富美宮允子(のぶこ)内親王の避暑を目的に明治28年に建てられたからです。
 宮ノ下御用邸は、允子内親王が幼いころに建設されたということですから、まだアールデコ博も見ていないころ。純和風の建物です。
 允子内親王は朝香宮鳩彦 と結婚しアールデコの宮邸を建設。現在の庭園美術館です。

 菊華亭の料理。華懐石コース18000円。こんな高い和食、最初で最後かも。おいしくいただいたし、建物も見せていただき、娘のプレゼントとはいえ、私には贅沢のきわみ。

懐石コースお品書き




 娘に感謝のばんごはんでした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「箱根2日目」

2022-08-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220825
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記夏旅行(2)箱根2日目

 8月11日山の日。箱根の旅2日目です。
 箱根ハイランドホテルの朝


 午前7時半から箱根ハイランドホテルの朝ごはん。娘は洋定食の中から「リゾットセット」を、私は和定食を選択しました。
 ランチは外で食べる機会が多いですが、朝ごはんを自分が作らずにいただけるのは、それだけでもうごちそう気分です。

 2日目の朝、ホテルチェックアウト。


 2日目の予定は箱根ラリック美術館とガラスの森美術館のガラス三昧。ガラス製品大好きの娘好みの美術館散歩です。
 もうひとつ、娘が楽しみにしていたのが、箱根ラリック美術館の中にある「オリエント急行カフェ、ル・トラン」です。

 ゆっくり朝食をとり、ハイランドホテルをチェックアウトしたあと、箱根ラリック美術館に11時ごろ到着。ル・トランは、現地での直接予約が必要です。予約は13時がとれました。(昼ご飯はカフェのケーキですませる予定)
 館内を2時間観覧してからル・トランへ。カフェ代金は2200円(美術館入館料は別途。今回は箱根のおもだった美術館をめぐれるクーポン購入済
 アガサ・クリスティの小説にも登場するオリエント急行。ヨーロッパ横断イスタンブールまで走り抜けていた列車です。その一両を、箱根ラリック美術館経営の簱興行が買い取り「ル・トラン(フランス語で列車)」としてカフェ営業しています。(簱興行は、社長の簱功泰が映画館を経営しています。) オリエント急行やコート・ダジュール急行の列車室内装飾をルネ・ラリックが手掛けたことで、箱根ラリック美術館の車両展示となりました。

 コートダジュール型プルマン車(No.4158E)


 コーヒーとロールケーキはごく普通。係員による車内&車外での写真撮影のサービスがありましたが、ケーキのグレードだけで言えばケーキプラス飲み物で1000円程度のカフェ。1時間の車内滞在で、目的はケーキではなくてラリックのガラス装飾、ラリックの娘が手掛けた装飾もあり、楽しめました。

 ガラスの森美術館は、娘と以前に箱根に来た時も観覧したのですが、特別展として現代ガラス作家の展示があるというので、前と展示が異なるなら見ておこうと、やってきたのです。

 途中雨がぱらつきましたが、箱根の観光地をめぐるバスに乗り込みました。
 雨が降ってきたからかこみこみのバス。そういや11日は休日ですから混んで当然。
 「ホテル前」で下車。「何ホテル」とは名付けられていないのですが、箱根で「ホテル」と言えば富士屋ホテル。11日夜の宿泊は、富士屋ホテルの花御殿の部屋です。部屋の写真は次回。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「箱根の山は天下の嶮」

2022-08-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220823
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記夏休み(1) 箱根の山は天下の嶮

 勤務している日本語学校の留学生は、7月30日から8月21日まで3週間の夏休みです。が、教職員の夏休みは、8月10日から17日まで、一週間だけ。そのうち土日と祝日山の日をのぞいて、私のもともとの研究日休日に当たっている水曜日をのぞけば、実質夏休みといえるのは3日間だけです。3日間でも休みを与えられることはフル勤務者にとってありがたいことではあるのですが、、、。

 娘が「1か月先取りの誕生日プレゼント」として、「美術館巡りの箱根2泊3日温泉滞在」を計画しました。
 娘は、岡田美術館の『深川の雪』を10年間見たいと思い続けてきました。「母は美術館巡りが好きだし、今回は大涌谷も芦ノ湖も行かないでひたすら美術館巡り」をする、という2泊3日になりました。

 夏休み第一日目。
 新宿からロマンスカーに乗車しました。


 ロマンスカーといえば、最前列の展望席に座りたい。しかし、娘が旅行社に予約した時は、すでに最前列席は予約があったのだとか。前のほうをうかがうと、最前列左側には二人連れが座っていましたが、右側にはいない。席のチェックに来た車掌さんが「最前列は相模大野から乗車ですので、相模大野に着くまで座っていていいですよ」と言ってくれました。らっき~!展望の風景を楽しみました。通勤に使っていた駅も、展望車からながめれば新鮮です。
 


 普段でも地下鉄やJRの車両の一番前や一番後ろの運転席うしろや車掌さんがいる席前の窓からレールを眺めるのが好きです。8歳の夏休み以来65年間の「乗り鉄」の愉しみのひとつです。
 相模大野で後ろに下がり、自分の席に落ち着きました。朝4時半に起きて支度したので、箱根に着くまでうとうと。9時半には箱根湯本駅に着きました。

 キャリークーポンで荷物をホテルに送って、最初にバスで今回の一番のお目当て岡田美術館へ。
 3日間のうち、岡田美術館、ポーラ美術館、星の王子様ミュージアム、ルネ・ラリック美術館、ガラスの森美術館、彫刻の森美術館、箱根美術館を巡りました。

 岡田美術館は、ユニバーサルエンターテインメント創業者の岡田和生が収集したコレクションを2013年に公開した美術館です。
 1967年創業の岡田和生、パチンコ台やゲーム機の販売で巨利を得て、美術品収集につぎ込みました。私は熱海MOA美術館の世界救世教教祖岡田茂吉とごちゃまぜにしていて、世界救世教教祖が建てた美術館だとばかり思い込んでいました。

 1948年以降に所在不明となっていた喜多川歌麿の肉筆大作「深川の雪」が2012年に発見され、岡田美術館が所蔵して2014年に66年ぶりに一般公開された、というニュースを聞いて以来、娘は10年間の思いを遂げての観覧となりました。観覧報告はまたのちほど。 

 ロマンスカーに乗るため早起きして、新宿駅で簡単な朝ごはんを食べただけだったので、12時まで岡田美術館の1階から5階まで見ていておなかがすきました。
 明治半ばに開業した外国人向けのホテル跡地に建つ、昭和初期の建物を改築した「開化亭」という食事処。美術館5階ホールから直接行く通路があったのですが、「お庭を見たい方は外から回ってください」というので、いったん出て、脇口から坂道を上りました。5階の高さまで行くのですから、そりゃかなりの急こう配です。

 疲れましたが、坂の途中で珍しいものを見ました。夏場によく見かけるミスト状の白いものがもくもく出ていて、なんだろうと近寄ると、「湯雨竹ゆめたけ」と書いてある。90度という高温の源泉を、水で薄めたりせずに、こうして竹を細く裂いたものの間を通すことで温度を下げ、温泉の成分そのままに人が入れる温度にするための装置、ということでした。


 開化亭玄関


 開化亭は、昭和初期の建物ということでしたが、庭をガラス戸ごしに眺めると、庭の景色が少しゆがむ。昔のガラスは均一の板を作るのが難しかったため、少しゆがんで見えるのです。今では昔の雰囲気を出すためにわざとガラスに少しのゆがみを加えて板にする方法もあるとのことですから、この開化亭のガラスがどちらかはわかりません。



 開化亭パンフレットの説明にも、昭和初期の建物というだけで、当時の棟梁の名前とかなにも書いてない。改築したときにいろいろな改変があり、「重要文化財」などには指定されていない模様。重要文化財指定には、昔のままの建材などを生かすことが必要なようなので。

 開化亭外観(画像借り物)


 隣の部屋には別家族がいましたが、ふすまで仕切られている私と娘がうどんをいただいた座敷は、二人だけで他の家族はいなかったので、個室みたいで落ち着いて庭を眺めながら食べることができました。

 娘は鶏ごぼううどん、私は納豆とろろめかぶなどのトロトロ系とちくわ天婦羅がのったうどん。

 食べ終わると「なんか外は暑いし、ここから眺めるだけで充分」ということになり、部屋から庭を眺めるヤワなふたり。



 岡田美術館開化亭でおなかもいっぱいになったので、午後は二つ目のポータ美術館へ。
 ポーラの作品がが渋谷文化村で移動展として展示されたとき、ふたりで見に行きました。でも「全部の作品がきていたわけじゃないから、見ていないのもあるはず」と、立ち寄ったのです。「モネからリヒターまで」という展示を見て、次は大急ぎで明日の予定に入れていた「星の王子様ミュージアム」へ。

 「星の王子様ミュージアム」と川を隔てて隣に立つ「箱根ハイランドホテル」が1泊めの宿泊地です。
 バスで回ろうとするとぐるりと遠回りになるのですが、川向うに見えるホテルへの「秘密の通路」を教えてもらい、川を渡り5分ほどの歩きでホテルに着きました。
 途中、「早くホテルに着きたい」という気持ちがはやり、川にかかる橋を渡るときも写真を撮らず、ざ~んねん。
 せっかくの「秘密の通路」。ハイランドホテル宿泊客のみが行き来できるミュージアムへの近道でした。

 箱根ハイランドホテルは広い芝生の庭が広がるゆったりしたリゾートホテル。芝生の上を子供たちがのびのび遊んでいました。夏休みの家族旅行、いいですね、思い出いっぱい作ってね。

 (画像借り物)

 部屋はゆったりしたツインルーム。 

 部屋に荷物をおくとすぐに晩御飯の洋食コース。アミューズ、前菜、スープ、魚、肉、デザート。
 冷製スープは氷の鉢の上に載っていて、最後まで生ぬるくならず冷たいまま。「家ではこんな手のかけかたしてないなあ」と思いました。いつも最低
限の時短料理ばかり。レトルトや出来合いお惣菜おかずも利用して「20分で1汁2菜」を基本に生活していますから。

 魚料理はスズキ。

 肉料理は子牛の揚げ煮
 デザート


 8月10日の総歩数わかりません。岡田美術館、入り口にセキュリティチェックがあり、カメラケータイスマホ飲み物を展示室に持ち込むことができませんでした。ガラケーの歩数計を利用しているので、岡田美術館1階から5階、広い館内を歩いた歩数が計測できません。一日の歩数記録は6600歩あまりで終了。美術館歩数を加えればおそらく1万歩を超えていたでしょう。
 箱根の一日め、よく歩きよく食べました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ジブリコンサート」

2022-08-21 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220821
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記盛夏の音(2)ジブリコンサート

 8月9日、仕事を早退して有明へ。東京ガーデンシアターで開催された「第111回サマーステップコンサート・ジブリの名曲をオーケストラで」というコンサートにでかけました。
 娘が応募して、招待券ゲット。3000席の広いガーデンシアター全席が招待、住友不動産のメセナです。経済低迷の昨今、メセナがどんどん縮小している時節ですが、さすが住友さんお金持ち。

 住友不動産の口上
 本公演は、“芸術・文化に触れ合う機会の創出”を目的に、本格的なクラシックコンサートを誰もが一緒 に楽しむことができるよう、全席無料でご招待するクラシックコンサートです。
 『第111回サマーステップコンサート』では、ソプラノ歌手の鷲尾麻衣氏 とカウンターテナーの村松稔之氏を迎えて「となりのトトロ」や「千と千尋 の神隠し」、日髙のり子氏のナレーションと管弦楽の演奏によるオーケ ストラストラストーリーズ「となりのトトロ」などジブリの名曲をお届けします。 また、歌劇「ジャンニ・スキッキ」から「私のお父さん」(プッチーニ)、 「ハンガリー舞曲」(ブラームス)などの本格的なクラシック音楽も披露。 指揮は三ツ橋敬子氏。

 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:三ツ橋敬子
 司会&ストーリー朗読:日髙のり子 
<曲目>
・「キャンディード」序曲/ バーンスタイン 
・「いつも何度でも」千と千尋の神隠しより(木村弓) :村松稔之
・ 「君をのせて」天空の城ラピュタより(久石譲) :鷲尾麻衣
・ 「もののけ姫」もののけ姫より(久石譲):村松稔之
・「オンブラ・マイ・フ」(ヘンデル) :鷲尾麻衣
・「私のお父さん」(プッチーニ):鷲尾麻衣
・「ハンガリー舞曲」(ブラームス) 
・ オーケストラストーリーズ「となりのトトロ」(久石譲) :ナレーション日髙のり子
アンコール「散歩」となりのトトロより:鷲尾麻衣村松稔之日髙のり子



 ハンガリー舞曲の演奏前には、観客の中から3人(女の子ふたりと成人男性ひとり)が「指揮者に挑戦」というイベントに選ばれて、女の子はゆったりと、男性は小学生のときに合唱を指揮したという経験を生かしてテンポよく演奏していました。
 私も手を上げたかったけれど、舞台まで出るのがたいへんな1階の真ん中の席だったので遠慮、というより、手を上げても、娘が「やめて!」と、止めるだろうし。

 前回、太田区民ホールでエコノミー症候群対策で足を動かしたら娘のひんしゅくを買いました。今回は目立たぬように足をそっと動かしたのですが、今回の会場のほうが椅子の幅も前後も広くて隣席に影響は少なかったようです。前回かかとの上げ下げで娘にとがめられたのは、区民ホールの席がせまかったことが原因ですね。これから狭い椅子には気をつけます。

 エコノミー症候群にもならず、楽しいひとときでした。
 来年もサマーコンサートがあるなら応募したいです。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「娘とクラシックコンサート、皇帝のエコノミー症候群」

2022-08-20 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220820
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2022ふたふた日記盛夏の音(1)娘とクラシックコンサート、皇帝のエコノミー症候群

 娘の懸賞生活、続いています。今月は、クオカード500円、「Kis-My-Ft2が選んだ春Tシャツプレゼントひとてま荘」というTシャツ、高知産マスクメロン、「ふんわりかき氷ができるかき氷器」などが届きました。
 買い物をした後、応募はがきなどをせっせと書き、週に10枚以上は応募します。買い物レシートを送るウェブ応募もあります。
 週に1つか2つはお届け物があり、かなりの当選率と思います。

 7月15日に開催されたクラシックコンサートの入場券が当たったので、仕事を1時間早仕舞にして、大田区民ホールへ向かいました。
 東京ユニバーサルフィルハーモニー管弦楽団は、改称前は「日本新交響楽団」。大田区を中心として活動してきた管弦楽団だそうですが、はじめて聞きます。
 7時開演ですが、指定席ではなく自由席だったので、娘は先にいって座席確保係。

 東京ユニバーサルフィルハーモニー管弦楽団第41回定期公演。
 開演前に、指揮者の松岡充さんがかなり時間をかけて曲目解説をしました。小中学校などの音楽鑑賞会を長く続けてきた楽団というので、演奏前にお話なさるのが恒例なのでしょう。
 ピアノ協奏曲のソリストについてもどんなにすばらしいピアニストか紹介してくれました。とてもよい演奏でしたし、「皇帝」演奏のあと、小品のアンコールを加えてくれました。
 
1)ベートーベン ピアノ協奏曲『皇帝』
2)ベートーベン 交響曲第3番『英雄』

 皇帝も英雄もよく演奏される曲目ですが、ふたつ並べて聞いたのは初めてかも。
 娘とはディズニー曲のコンサートには何度もでかけましたが、プロのクラシック管弦楽団にいっしょにでかけるのは初めてです。招待券応募したアマチュアの「東京楽友協会交響楽団」にはいっしょにでかけましたが、今回はプロの管弦楽団の招待券当選でラッキーでした。

 娘は、わたしが椅子でもぞもぞ動くのが不快だったようで、終演後とても不機嫌でした。私は朝のニュースで「高齢者がじっと動かずにテレビなんぞ見ていると、エコノミークラス症候群になって血栓ができるから、テレビ見ながらでも、足をうごかすように」という注意をしていたので、かかとを上下させたりしていたのです。これは映画を見るときも同じですが、映画ではそれぞれが好みの位置に座り、隣同士にならないので、これまでは問題なかった。
 今回は自由席といっても、一枚の当選ハガキにつき2名の座席なので、隣同士になったのが悪かった。ぷりぷりして、いつもの「コンサート後の食事」もしないで帰るというので、もう隣同士に座るのはやめようと思います。

 皇帝も英雄も壮大な曲なのに、エコノミー症候群で娘と不仲になるとは、みみっちい話でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「レッドクリフ」

2022-08-18 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220818
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ猛暑日の夏(5)レッドクリフ

 1945年の敗戦から77年目の夏だという。
 広島長崎で被爆した人も、東京はじめ各地の大空襲を経験した人も、沖縄での地上戦の悲惨さを知っている人も、実体験として記憶している人は80代90代になっています。どのようにこの経験を受け継ぎ、次代につなげていくのか。

 8月15日、さまざまな追悼行事のニュースが流れました。その中、昨年2021年に放映されたドキュメンタリーが再放送されていたので、見ました。
 陸軍出身でナチス政権下のドイツに駐在武官や駐独大使として勤務した大島浩の証言が12時間分録音されていたのです。
 大島はA級戦犯として終身刑の判決を受け、1955年に釈放されたのちは隠棲し1975年に89歳で亡くなるまで著作、講演、選挙への出馬要請、すべてを断って口をつぐみました。「自分は失敗者」と自己規定し、国をミスリードした罪を負って晩年をすごしたのです。

 しかし、亡くなる2年前に外交史研究者三宅正樹 に語った記録が残されました。大島が1975年に亡くなったあと、夫人から発表の許可を与えられたけれど、研究には証言を援用したものの、録音そのままの公開は長く秘せられていました。
 
 人びとにこの大島の証言が広く知られたのは2021年8月14日の放送で。
 2022年8月終戦特集の中の再放送を見ました。大島は「ヒトラーは天才」と、ヒトラーに傾倒したことをのべ、「三国同盟は私のアイデア」と、国の方針を決めたことに対して自負を感じさせる語気で語っていました。ヒットラーに心服するあまり、ドイツ勝利を疑わず、国への電報にドイツと運命をともにすることを伝え続けました。

 大島は政界からの要請を断り続けて隠棲しましたが、一方、かって満州国をミスリードした官僚が、政界に堂々復帰し首相に上り詰める。韓国の新興宗教団体と強い結びつきを作り、その孫も首相となって、この宗教団体の行事にビデオメッセージを送り、強い結びつきを保っていることをしめしました。
 今、与党内の小物たちは「祝電を送ったり、雑誌のインタビューに答えたりしたけれど、当該宗教団体の関係団体とは知らなかった」というような言い訳をして逃れようとしています。まったく反省無き人々です。

 反共を標榜しているはずの当宗教団体は、信者から巻き上げた豊富な資金を北朝鮮に送り込み、北朝鮮の経済を支えています。
 テロは決して許されることではありません。その通りです。しかし、この根深い宗教資金の解明をしないままうやむやにしたのなら、どれだけ警備を強化しようと、また同じ事件が起こる可能性は否定できません。

 さて、戦争を考えることの多いこの週に、私がテレビの前に寝っころがって見た「古い映画」は『レッドクリフⅠ・Ⅱ』5時間。Ⅰのあと、「100分で名著」で陳寿が残した歴史書 「三国志」を伊集院光らが読み解いていました。
 映画『レッドクリフ』は、明時代に成立した羅貫中らが編纂した白話小説『三国志演義』をもとにして、さらに映画オリジナルの脚本になっています。 
 ひたすら美女は美しく、軍師や大都督ではカッコいい。

 「100分で名著」での『三国志』解説では、軍師諸葛孔明が藁の案山子を摘んだ船で10万本の矢を獲得する逸話は、「演義」の創作で史実ではないってことですが、やっぱり映画となると、この矢を分捕ってくる話と、風向きの変化をよむ話がいちばんおもしろい。

 戦闘シーン。曹操軍は軍船をつなぎ合わせていたために、火攻めにあうと全滅。陸でも背後から劉備軍が襲い掛かり、曹操完敗。
 曹操が周瑜の妻に懸想していて、絶世の美女小喬が曹操にお茶をすすめたために戦闘開始がおくれたという話と、負けた曹操を劉備と周瑜が「消えろ」と見逃す話は史実ではないとは思うけれど、映画的には必要だったのでしょう。

 赤壁戦闘後の死体累々のようす。
 映画では孫権の妹尚香と曹操軍の兵士孫叔材 が「親友」となり、尚香が矢の刺さった孫の体を抱きしめて嘆くシーンが戦死を嘆く場面としてでてきます。それ以外の黒焦げでころがる兵士ひとりひとりに家族があり、戦死を悲しむであろうけれど、映画ではただの黒焦げ。これを見ていると、為政者や将軍にとっては、広島長崎の被爆者も各地空襲の焼死者も、「ただの黒焦げ」に思えたのだろうとわかります。ひとりひとりの死を悲しめるようなら戦争はできない。

 ウクライナ戦でのロシア兵戦死者の8割が、少数民族出身だというニュースを見ました。
 ロシアの独立系メディア「メディアゾナ」が12日、英BBC放送と合同で実施した調査結果によると、戦死した兵士の出身地はイスラム教徒やモンゴル系など少数民族が住む地域が特出していることが分かった、ということです。
 ロシアの民族比によれば、全国民の8割はロシア人ですから、その比率でいけば戦死者の割合も8割はロシア人になるはずです。が、少数民族が前線に立たたされて戦死しているという報に、戦争も戦死も為政者の恣意によるものだと感じます。
 ロシア側から見ると、「ウクライナ国内のロシア人を保護するための正義の戦い」なのだそうです。「ベトナムを共産主義から守る正義の戦争」もありましたね。モハメッド・アリは、敢然とこの「正義」を拒否しました。どんな正義があろうと、すべての戦争に反対します。
 食糧危機も伝わる現在。「正義の戦争に反対するおまえんちには米もパンも配給してやらないよ」と言われたら、どうなるのかわからぬヤワな反戦者だってことは織り込み済みで。

 8月15日、武道館での戦没者慰霊式の中継も見て、私も黙祷しました。
 この式中、首相のことばなどを聞いて「戦争反対って言ってるけど、核のかさの下にしか平和はないんだよ」いう本音をうかがわせるような「うわべの平和」に感じたのですが、その中で、もっとも真摯なことばとして心に残ったのは、天皇「おことば」でした。

 他の人のことばにはなかった部分。おことばの最後、徳仁天皇はこう結びました。「~略。ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」。

 「深い反省」ということば、他の追悼のことばを述べる人々の文言の中になかったことばだったので、耳に残りました。
 今の平和を守り、これからの平和を望むには、過去の「検証」をなくしては構築できないはず。でも、今、それはむずかしいのでしょうか。

 平和ボケを非難されつつ、レッドクリフを単純に楽しみながら8月15日に思いをはせました。
 映画の感想というより、夏休みの一日を寝っころがってテレビ見てすごす「ぐうたらな時間の過ごし方」の反省文ですかね。
 あまり「深い反省」にはなっていないけれど、8月18日からまた朝6時半に家を出て、夜8時に帰ってくるまで働く日々を続けます。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「ライオン-25年目のただいま」

2022-08-16 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220816
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ猛暑日の夏(4)ライオン25年目のただいま

 コロナと熱中症の夏は「年寄りは外に出るな」とニュースで言うし、「節電しようとしてエアコン使わない高齢者は、近所の図書館美術館などの施設で一日すごせ」という「ご指導」もある。
 美術館博物館にせっせとでかけて「節電」する日もあるし、エアコンの中でぼうっと撮りためたビデオを見て過ごす日もある。
 オードリーヘプバーン『ローマの休日』や『パリの恋人』を見たり『われらの生涯最良の年』を見たり、古い映画を見ることもあるし、そんなに古くはないけれど、見落とした映画をピックアップするときも。

 『ライオン25年目のただいま』は、の飯田橋ギンレイにかかったのに見逃した1本。2016年公開の映画です。
 オーストラリアで白人夫婦の養子となって育ったサル―が、生まれ故郷のかすかな記憶から実の家族を探し出したという実話に基づいた映画です。キャッチコピーは「迷った距離1万キロ、探した時間25年、道案内はGoogle Earth」以下、ネタバレありの紹介。「25年目のただいま」というタイトルとキャッチコピーであらすじほとんど紹介されているけれど。

 主役は『スラムドッグ$ミリオネア』で主人公を演じたデーヴ・パテール。その恋人ルーシーは、『ナイトメアアリー』の主人公恋人役を演じたルーニー・マーラ

 原作:サルー・ブライアリーの回想録『25年目の「ただいま」 5歳で迷子になった僕と家族の物語』 
 監督:ガース・デイヴィス
 脚本:ルーク・デイヴィーズ
 出演:
・デーヴ・パテール :サルー(オーストラリア人夫婦の養子となって育つが、25年目にインドの家族を探し出す)
・サニー・パワール :幼少期のサルー(5歳で迷子になる)- 
・ニコール・キッドマン:スー・ブライアリー (サルーともうひとりの子を養子にして育てる)
・ジョン・ブライアリー:デビッド・ウェナム(スーの夫)
・ルーニー・マーラ :ルーシー(サルーの恋人)
・アヴィシェーク・バトラ:クドゥ(幼いサルーの頼りの兄)
・デヴィアン・マトラ:マントッシュ(ブライアリ―夫妻のもうひとりの養子)
・プリヤンカ・ボゼ:カムラ(サルーの母。生き別れになったサルーを探し続け、息子が戻るかもしれないと、引っ越しをしなかった)

<あらすじ>
 5歳のサルーは、働き者でやさしい母とたくましい兄、妹シェキラら家族と貧しくとも幸せにくらしていました。ある日、兄にせがんでこぼれた石炭を拾う仕事に「ぼくもできる」と、連れて行ってもらうことに。母を楽にさせたい一心で。しかし、石炭拾いをとがめられ、追い回された末に列車内にのがれます。兄と離れ離れになったサルーは列車の中で寝てしまい、気づいたとき列車は見知らぬ街コルカタについていました。さまざまな地方語に分かれているインド。コルカタではベンガル語が話されており、まったくことばがつうじません。(インドでは公式語だけで20。地方語は300もあるのです)。

 コルカタのスラム街で生き延びたサルーは、ことばがわからないまま施設に収容されてしまいます。オーストラリア人夫婦が養子を求めており、サルーはタスマニア島にやってきます。スーとデビット夫妻はもうひとり有色人種の子供を養子にして育てます。新しい養子マントッシュは心に障害を抱えていました。

 成長したサルーはメルボルンの大学生となり、恋人も得て幸福に暮らしています。悩みのタネは、同じ家で養子になったマントッシュのこと。彼は発達障害があるのか、あまり人と交わらず、育ての母スーとの関係もよくないこと。もうひとつの悩みは、自分は幸せに暮らしているのに、インドで生き別れた母と兄はどうしているのか気がかりでならないこと。ときおり脳裏に浮かぶ生まれ故郷のおぼろげな記憶は、「自分は何者なのか」というアイデンティティの悩みを生みます。

 キッチンにあったインドのお菓子「ジャレビ」を見て、兄グドゥにジャレビをねだったことがよみがえります。
 サルーは恋人のルーシーの励ましを得て、グーグルアースを使い、地図上の町を検索していきます。乗り込んだまま眠ってしまった列車の当時の時速を調べコルカタからどれくらい離れている町が故郷なのか計算します。コルカタから1600kmの範囲の町だと割り出しました。
 かすかな記憶「給水塔」をグーグルアースの映像から探し出し、ついに故郷がインド中央部にあるマディヤ・プラデーシュ州カンドワであることを突き止めます。サルーがおぼろげに覚えていた「ガネストレイ」という地名は「ガネッシュ・タライ 」だったようです。 
 
 インドの母カムラは、息子の帰還を信じて息子と住んでいた家から引っ越さず、帰りを待ち続けていました。ある日、とうとう息子は母の待つ家にたどりつきます。25年目のただいま。
 ラストシーン、実在のサルーとカマラとスー・ブライアリーが3人で抱き合っている姿が出てきました。泣けます。

 見どころは、自分自身のルーツがわからないままアイデンティティ危機におちいりサルーが苦しむところと、ニコール・キッドマンが「なぜ養子を育てることにしたか」と熱くサルーに語るところらしいけれど、私はインドで息子の帰りを待ち続ける母カマラのほうに感情移入してしまうから、ニコール・キッドマンについては、25年たってダンナはふけメークになったけれど、ニコール母は若いままだなあということに感心。

 母スーが語る「世界中には人があふれてる。子供を産んで世界がよくなる?恵まれない子たちを助けるほうが、意義がある 。私は茶色の肌の子を育てよという神の啓示を受けた」ということば、神の啓示っての縁がないもんで、なぜ茶色の肌の子がよかったのかはピンとこなかった。いずれにせよ、尊い子育てなんだろうけれど。

 なぜタイトルがライオンなのか。5歳のサルーは自分の本名शेर ser シェルゥ 。ヒンディ語でライオンのこと。シェルゥをうまく発音できずに、名前を聞かれると「ぼくはサルー」と答えていたため、シェルゥを探し続けた母の捜索網にひっかからなかった。警察にも「迷子シェルゥを探している」と、届け出たでしょうから。

 前半のインドパートは、サルーが育った田舎も、コルカタの街のようすもとてもよかったし、子役のサニー・パワール がかわいかった。
 後半のタスマニア島パートも悪くはなかったですが、インドパートのほうが圧倒的に胸に迫る。

 第89回アカデミー賞、作品賞、主演男優賞(パテール)、助演女優賞(キッドマン)、脚色賞、撮影賞、作曲賞の6部門にノミネートされたが受賞なし。

 「実話のその後」は、たいていはあまりいい話にはならないのですが、「ライオン」の主人公サルーは、インドの母へ送金をつづけ、映画のヒットで原作料もかせげたので、インドで孤児院を経営しオーストラリアへの養子紹介などの福祉に励んでいるそう。よかった。

実話のサルー、カマラとスー


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ナイトメアアリー」

2022-08-14 00:00:01 | エッセイ、コラム

202208013
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ猛暑の夏(3)ナイトメアアリー

 飯田橋ギンレイの2本立ては、2本が同じ主演者だったり、同じ監督だったり、「2本ともアクション」というようなつながりのある併映が多く、ミュージカルであるウエストサイドストーリーにどうしてナイトメアアリーというこわそうなタイトルの「スリラーサスペンス」「サイコ・スリラー」という惹句がついている映画を2本立てにしたのだろうか、と見に行くまでわかりませんでした。古い映画を知らないもので。

 ナイトメアアリーは、1947年のタイロン・パワー主演『悪魔の往く町』のリメイクでした。ほうほう、リメイク2本立なのね。以下、ネタバレありの紹介です。

 原作:ウィリアム・リンゼイ・グレシャム『 悪夢小路』
 監督:ギレルモ・デル・トロ
 脚本:ギレルモ・デル・トロ, キム・モーガン
 撮影監督:ダン・ローストセン

 出演:
・ブラッドリー・クーパー:スタントン・“スタン”・カーライル(見世物小屋に流れ着き、読心術の技を身につけ成功していく)
・ルーニー・マーラ:エリザベス・“モリー”(電気女として体に電流を流す見世物を見せている。スタンと恋仲になる)
・ケイト・ブランシェット:リリス・リッター博士 (心理学博士。患者の記録をスタンに見せ、詐欺を働かせる)
・トニ・コレット:ジーナ・クルンバイン  (見世物小屋で読心術の技をスタンに教える。衣服靴しぐさなどの情報により相手の心理を読み解く)
・ウィレム・デフォー:クレメント・“クレム”・ホートリー (見世物小屋経営者。兵役帰りのアル中を「獣人Geek」に仕立てて見世物にしている)。 

 ウエストサイドの併映といっても、ホラーだと聞いていたので、どうしようかと思っていました。ホラー大嫌いの娘はウエストサイドストーリーのみ鑑賞。私は「シネマパスポートだけど1本より2本見たほうがお得」という精神で、こわいシーンは目をつぶる覚悟で150分目をあけていました。ホラーやスプラッターじゃなかったけれど、人間の怖さはわかる。

 一番のホラーは、見世物として展示されている奇形児のホルマリン漬け。テレビのドキュメンタリーで、大学病院だったかの研究室に実際にガラス瓶の中に入って並べられているのを見たことあるから、夢に出てきたら怖いと思って見てました。怖いの嫌いなら、見なきゃいいのに。
 この怖いもの見たさってのがあるから見世物小屋が人を集めることが出来たんでしょうね。今はできないけれど。日本にも「ろくろっ首女」とか「一つ目胎児の焼酎漬け」などの見世物がありました。

 ギレルモ・デル・トロは、タイロンパワー映画のリメイクではなく、より原作に近い脚本にした、ということで、監督自身はこの作品を「ノワール映画」と表現しています。ノワール(犯罪と暗黒)の表現。
 暗黒というけれど、画面はきれいでした。とくに光の具合。照明と撮影よかった。
 前半は雨シーン、後半は雪シーンが多い。コロナパンデミックのため、全体の45%が撮影された2020年3月 に一時中止され、半年後に撮影再開。だから雨シーンと雪シーンに分かれたのかしら。

 こわいシーンもあったけれど、ブラッドリー・クーパーが「私の宿命だ」と運命を受けいれるまで、見続けました。
 わからなかったのは、ケイト・ブランシェットのリリス・リッター博士 がなぜスタンと組んだのか、ということ。
 最後はスタンの稼いだお金を分捕ったけど、お金が目当てじゃなかったとおもう。私の映画リテラシーが低いので、リリスの本当の意図はなんだったのかわからないまま終わりました。わからないけれど、ケイト・ブランシェットがこういう「冷たい顔の女」の役をやると、ほんとうに怖い。これが一番のホラーか。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ウエストサイドストーリー」

2022-08-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20220813
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ猛暑の夏(2)ウエストサイドストーリー

 1957年初演の舞台『ウエストサイドストーリー』が映画化されたのは、1961年。それから60年を経て、スピルバーグによって再映画化されました。不滅のミュージカル映画です。
 だいたいリメイクというと点数が悪くなるのに、スピルバーグは何をめざして再映画化しようと思ったのか。脚本は、映画より初演舞台に近くなっているというけれど、どこがどう違っているのか、8月3日に飯田橋ギンレイで観覧。

 大胆な改変を行えば、「原作を冒涜している」と長年のファンを怒らせるし、逆に原作に忠実でも「単なるコピー」という批判に晒される。
 しかし、スピルバーグは単なるコピーでなく、新しい要素を取り入れて「新しいアメリカ文化」としてのミュージカルを作り上げることに成功したと思います。

  以下、ネタバレを含む紹介です。「ロミオとジュリエット」を知らなかったり、1961年版映画を知らない人がいるかもしれないので、一応宣告。

監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:トニー・クシュナー
制作総括:リタ・モレノ
出演:
・アンセル・エルゴート:トニー(ポーランド系移民の親を持つ。リフとジェッツを結成した。喧嘩をはてに逮捕され仮出所中。現在はバレンティーナの店で働いている。    
・レイチェル・ゼグラー:マリア(ベルナルドの妹。トニーと相愛の中になる)
・デヴィッド・アルヴァレス:ベルナルド(プエルトリコ系のシャークグループのリーダー。ボクシング選手。
・ アリアナ・デボーズ :アニータ(ベルナルドの恋人)
 - マイク・ファイスト:リフ  (ジェッツのリーダー 、トニーの親友)
・ジョシュ・アンドレス:チノ (夜間学校で経理を学ぶなどまじめたところを見込んでベルナルドが妹の相手にしたいと思っている)
・リタ・モレノ:ヴァレンティーナ(プエルトリコ出身だが、白人のドクと結婚し夫亡き今も夫の残したドラッグストアを守っている。トニーはじめジェッツの世話を焼いている) 
 
 『アカデミー賞』では主要3部門(作品賞、監督賞、助演女優賞)含む7部門にノミネート。助演女優賞(アニタ役- アリアナ・デボーズ)を受賞しました。
 中央で踊るアニタ


 製作総指揮がリタ・モレノだっていうのも往年ファンの心をくすぐる。リタは1961年版のアニタ役で、非白人女性ではじめて助演女優賞を受賞した女優。2021年版ではトニーが働く店の老主人として出演も。

 1961年版で日本でもっとも人気が高かったのは、主人公のトニーではなく、プエルトリコ系のグループ、シャークスのリーダーベルナルドを演じたジョージ・チャキリスでした。チャキリスはギリシャ系の白人俳優。顔に褐色のメイクを施して、プエルトリコ系の顔を作りました。チャキリスの足の長さダンスの華麗さに日本女性はうっとりでしたが、見事に1962年『アカデミー賞』助演男優賞を受賞しました。
 日本でのポスターは、ほとんどがチャキリスがメイン。


 白人がメークでラテンアメリカ人役を演じるなど、昨今のアメリカ映画界ならNGです。スピルバーク版でベルナルト役はキューバ人の両親を持つラテン系の俳優、デヴィッド・アルヴァレス。
 現在のアメリカ映画界では人種問題がやかましく、「今年のアカデミー賞ノミネートは白人ばかりで黒人ノミネートが少ない」ということが問題となるほどです。

 また、1961年版の「ラテン系=貧困・暴力的」というステレオタイプ的人種観や「ニューヨーク貧困地区なのに、黒人はひとりも歩いていない」という画面作りもスピルバークが再映画化にあたって考慮した部分と思います。ニューヨーク下町の通りには、ちゃんと黒人も歩いてました。

 プエルトリコを映画の中にあらわすために、スピルバークはキャストとスタッフがプエルトリコの文化や歴史を学ぶための人員を雇い、制作総指揮にリタモレノをあてたことなども、プエルトリコを映画で扱う上の配慮を尽くしています。

 リタ・モレノは、終盤に「Somewhere」を歌い、いい味だしていました。
 2021年版では、このSomewhereを歌うのが老いたドラッグストアのオーナーヴァレンティ―ノに代わっていたほか、いくつか61年版と異なるところがありました。

 冒頭、61年版は海から見たニューヨーク摩天楼からプロローグがはじまります。2021年版は、解体がすすむニューヨークのがれきの中からはじまります。リンカーン・センター(メトロポリタン歌劇場やジュリアード音楽院などを含む総合芸術施設)開発のため、建物の取り壊しが行われている現場です。古いスラム街はどんどん壊されて、こぎれいなビル街に生まれ変わり、貧乏な移民たちには住めない町に代わっていく様子がよくわかりました。舞台演劇を崩さずに映画化した61年版ミュージカルより、より映画的なダイナミックな画面作りが楽しめました。

 61年版ではアニタやマリアは町の服屋のお針子をしている設定でしたが、2022年版は衣料デパートの掃除係。たぶんお針子すら、移民には「なかなかありつけない仕事」であったことが反映されているのでしょう。
 マリアとトニーの初デートで、地下鉄に乗って古い美術館に出かけたりするシーンがあり、ニューヨークの街並み描写も楽しめました。
 プエルトリコ系シャークスが話すセリフの多くは、警官らに「英語で話せ」と命じられないときははスペイン語で話され、より自然な流れ。

 61年版の振り付けを手掛けたのは、巨匠ジェローム・ロビンズ。スピルバーグ版では、カリフォルニア生まれの34歳ジャスティン・ペックが手掛けました。新しい振り付け、よかったです。とくにアメリカアメリカをストリートでのダイナミックなダンスに生まれ変わらせた腕にうなります。

 現代でもつづく「分断されたアメリカ」を色彩で視覚化している体育館ダンスシーン。
 

 俳優の比較では。ベルナルトはなんといってもチャキリス様。リフも61年がいいかな。トニーは2021年版アンセルさま。アンセルの父親はファッション写真家だそうです。立っていても撃たれて寝転がっていても193cmという長身に甘いマスクがカッコいい。
 アニタはどちらもすばらしい。マリアは私がナタリーウッドいまいちなので、2021年のレイチェル・ゼグラーに軍配。初々しいニュースターの誕生に拍手。

 画面をより引き締めていたのは、リタ・モレノです。61年版では白人ドクがオーナーだったドラッグストアが、ドクの未亡人ヴァレンティ―ナ(プエルトリコ出身)に受け継がれている、と言う設定。トニーをはじめとする不良少年たちをやさしく包み込むヴァレンティ―ナ役として、1931年生まれ2021年には90歳のリタ・モレノが、すてきなおばあちゃん役でした。


 ラストクレジットで、献辞「for Dad」と出てきたときなぜかグッときました。スピルバーグが少年のころ両親は離婚しています。本作の完成を待たず、1917年生まれの父アーノルド・スピルバーグは 2020年に亡くなりました。97歳という長寿での大往生ですから、年に不足はなかったろうけれど、スティーブンは、「我が集大成」と位置づけた映画を父に見てほしかったのだろうなあと思いました。

 難しいと言われるリメイクを見事にまとめ傑作に仕上げたスピルバーグ 、お父さんもまんぞくしていると思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「コーダ愛のうた」

2022-08-11 00:00:01 | エッセイ、コラム

20220809
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2022シネマ連日猛暑日(1)コーダ愛のうた

 アルコール依存症の親のもとで育った子供「adult children of alcoholics」の略語(ACOA、ACA)は、クリントン大統領が「自分もそのひとりだ」と告白してから一般的に広く知られるようになった語です。(クリントンは、ホワイトハウス婚外交際のいいわけとして言っただけだけど)
 日本では、機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人を広くアダルトチルドレンと称しています。 

 私も「コーダ」という語を、この映画でしりました。codaコーダとは。「children of deaf adalt 聴覚障害の親・家族のもとに育つ子供」の略。家族の中で健聴者として生まれると、どうしてもその子供は親の「通訳」として社会とつなぐ役割を求められてしまう。「コーダあいのうた」の主人公がまさに「家族を支え続ける健聴者」です。

 障碍者を描いた映画に対して、私はかなり辛い点数をつけてしまいます。「こんな甘いもんじゃない」という感情が先立つからです。最近見た「37セカンズ」「梅切らぬバカ」もしかり。
 しかし、「codaコーダあいのうた」に対しては、外国映画だからなのか、「障碍者の現実が描かれていない」という部分は少なかったです。
 監督は、漁業に関しても手話に関しても、長く深く調査を行き届かせました。主人公ルビーの家族、両親と兄のキャスティングにあたって、聾者劇団の俳優を起用したのが成功していると思います。

 「そんな甘いもんじゃない」と思ったのは、「歌のうまい子」がすんなりバークリー音大に合格するところくらいでした。バークリー、学費+寮・食費で初年度65,000ドル。日本円今年のレートだと年間800万~1千万を超える。漁船でほそぼそと一家が食っていくのがやっと、魚保存用の氷代さえないという一家が、バークリー進学の費用はどうすんだ、と思いました。学費は奨学金などを利用するとしても、主人公ルビーの一家には在学中のルビーの衣食住はまかなえるのか。まあ、アメリカンドリームの夢のひとつと思えばいいか。

 アメリカンドリームといっても、もともとは2014年のフランス映画『エール!』の英語リメイクです。
 エールがフランスの酪農を営む一家を舞台にしているのに対して、コーダはマサチューセッツ州グロスターの漁村を舞台にしています。(アメリカ、フランス、カナダの共同製作)
 以下、ネタバレ含む紹介です。
 ルビーの両親役と兄役は、聴覚障碍者俳優をそろえて、監督は手話を習い、脚本の40%は、アメリカ手話AHLで執筆され、現場には手話通訳者が数人専任となっていたそうです。)

・監督・脚本:シアン・ヘダー
  • エミリア・ジョーンズ:ルビー・ロッシ  歌が大好きな高校生 
  • トロイ・コッツァー:フランク・ロッシ  小さな漁船で操業する漁師 
  • ダニエル・デュラント:レオ・ロッシ ルビーの兄
  • マーリー・マトリン:ジャッキー・ロッシ ルビーの母 
  •  V先生 - エウヘニオ・デルベス:ベルナルド・ヴィラロボス メキシコ出身の音楽教師
 家族とともに小さな漁船に乗って働きながら高校に通うルビー。合唱クラブに入ったことを家族には言えません。両親も兄も聴覚障碍者だからです。家族は手話で話し、仲良く暮らしていますが、ルビーは家族のことでイジメにもあってきました。
 合唱指導の先生はルビーの才能に気づきバークリー音楽大学への受験を勧めます。
 ルビーがいなければ漁船の仕事はできません。聴者を乗せていない聴覚障碍者だけの漁船は法律で禁止されているからです。「ルビーを大学に送り出し、聴者を雇う」という選択肢はありません。人を雇う金どころか、魚の保存用氷代さえ払えない家族なのですから。
 
 ルビーの高校のコンサートに、聞こえない家族もやってきます。みなが拍手をしたのを見て、両親もあわてて拍手します。
 大学進学をあきらめるルビー。しかし、父はルビーの歌の才能が本物であることに気づきます。歌うルビーののどに手を当て、振動を感じ取ったのです。

 仲買に搾取される漁業からの脱皮をめざして、ルビーの両親と兄は大切な漁船を売り払い、仲間で直接魚を売る組合を立ち上げます。むろん、最初はなかなかうまくいきません。
 ラストは、ルビーが笑顔で大学へと旅立ちます。ルビーの「青春成長物語」は、聴覚障碍者俳優3人の好演もあって気持ちよくエンドを迎えることができます。

 監督が漁業についても聴覚障害についても深く学び、労働と障害に敬意を持っていることが伝わってきました。
 2022年のアカデミー作品賞、脚本賞、助演男優賞受賞。トロイ・コッツァーは聴覚障碍俳優として初のアカデミー賞受賞者となりました。

 聾者俳優初のアカデミー助演男優賞を受賞したトロイ・コッツァ、ちょいエロおやじで、妻を愛し娘を思う心、いい味出していました。

 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「8月の確認」

2022-08-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20200809
ぽかぽか春庭ことばのやちまた>8月の確認(3)憲法前文

 何か私たちのとっていた方法は間違っていたのでしょうか。
 毎日の通勤、息苦しい電車の中、マスクをはずしている人はいません。往復歩く駅までの道も、「戸外で周りに人がいないときはマスクをはずしてよい」と、厚労省も言っているのに、みな律義にマスクしています。今や世界でマスク民族は日本だけだそうです。
 ああ、それなのにそれなのに、日本は世界で最多感染者数の国になりました。
 
 コロナも終息せず、ウクライナの戦争終わらず、暑苦しい夏です。
 それでも、毎年8月に春庭が行っている確認事項、変わらずつづけます。

8月15日の確認。
<日本国憲法前文>
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

<憲法第9条>
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

ARTICLE 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes. (2) To accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.
 

 世界的な危機は続くけれど、人々が安心して健康で文化的な生活をおくり、人生をまっとうできるための最も基本となる事項の確認を、今年もしっかりしたいと思います。
  古い奴だとお思いでしょうが、、、、、、

<おわり>
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ぽかぽか春庭「福田須磨子の原子野より」

2022-08-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220807
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた(2)福田須磨子の原子野より

 福田須磨子 詩集『原子野』より
生命を愛しむ新しき年の始めに
しみじみとわが生命愛しむ
原爆の傷痕胸にみちしまま
絶望と貧苦の中でたえだえに十年
げにも生きて来しか
悲しみと苦悩の十字架をおい
ほそぼそと生命かたむけ
生きて来しこの現実を
奇蹟の思いでかえりみる
”吾尚生きてありここに座し
一切を観ずふきちぎれた魂は
未定の生を夢み一片の我が生命を
愛しむ。

 福田須磨子は、23歳の時に長崎で被爆し、家族3人を失いました。
 原爆症と闘い、1974(昭和49)年52歳で死去。
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ぽかぽか春庭「ヒロシマの空」

2022-08-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20220806
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ヒロシマの空

林幸子「ヒロシマの空」
夜 野宿して
やっと避難ひなんさきにたどりついたら
お父ちゃんだけしか いなかった
――お母ちゃんと ユウちゃんが
死んだよお......
八月の太陽は
前を流れる八幡河やはたがわに反射して
父とわたしの泣く声を さえぎった
その あくる日
父は からの菓子箱かしばこをさげ
わたしは 鍬くわをかついで
ヒロシマの焼け跡あとへ
とぼとぼと あるいていった
やっとたどりついたヒロシマは
死人を焼く匂においにみちていた
それはサンマを焼くにおい
燃えさしの鉄橋を
よたよた渡わたるお父ちゃんとわたし
昨日よりも沢山たくさんの死骸しがい
真夏の熱気にさらされ
体が ぼうちょうして
はみだす 内臓
渦巻うずまく腸
かすかな音をたてながら
どすぐろい きいろい汁しるが
鼻から 口から 耳から
目から とけて流れる
ああ あそこに土蔵の石垣いしがきがみえる
なつかしい わたしの家の跡あと
井戸の中に 燃えかけの木片が
浮ういていた
台所のあとに
お釜かまがころがり
六日の朝たべた
カボチャの代用食がこげついていた
茶碗ちゃわんのかけらがちらばっている
瓦かわらの中へ 鍬くわをうちこむと
はねかえる
お父ちゃんは瓦かわらのうえにしゃがむと
手でそれをのけはじめた
ぐったりとした お父ちゃんは
かぼそい声で指さした
わたしは鍬くわをなげすてて
そこを掘ほる
陽にさらされて 熱くなった瓦かわら
だまって
一心に掘ほりかえす父とわたし
ああ
お母ちゃんの骨だ
ああ ぎゅっとにぎりしめると
白い粉が 風に舞まう
お母ちゃんの骨は 口に入れると
さみしい味がする
たえがたいかなしみが
のこされた父とわたしに襲いかかって
大きな声をあげながら
ふたりは 骨をひらう
菓子箱かしばこに入れた骨は
かさかさと 音をたてる
弟は お母ちゃんのすぐそばで
半分 骨になり
内臓が燃えきらないで
ころり と ころがっていた
その内臓に
フトンの綿がこびりついていた
――死んでしまいたい!
お父ちゃんは叫さけびながら
弟の内臓をだいて泣く
焼跡やけあとには鉄管がつきあげ
噴水ふんすいのようにふきあげる水が
あの時のこされた唯一ゆいいつの生命のように
太陽のひかりを浴びる
わたしは
ひびの入った湯呑ゆのみ茶碗ちゃわんに水をくむと
弟の内臓の前においた
父は
配給のカンパンをだした
わたしは
じっと 目をつむる
お父ちゃんは
生き埋うめにされた
ふたりの声をききながら
どうしょうもなかったのだ
それからしばらくして
無傷だったお父ちゃんの体に
斑点はんてんがひろがってきた
生きる希望もないお父ちゃん
それでも
のこされる わたしがかあいそうだと
ほしくもないたべ物を 喉のどにとおす
――ブドウが たべたいなあ
――キゥリで がまんしてね
それは九月一日の朝
わたしはキゥリをしぼり
お砂糖を入れて
ジュウスをつくった
お父ちゃんは
生きかえったようだとわたしを見て
わらったけれど
泣いているような
よわよわしい声
ふと お父ちゃんは
虚空こくうをみつめ
――風がひどい
嵐あらしがくる......嵐あらしが
といった
ふーっと大きく息をついた
そのまま
がっくりとくずれて
うごかなくなった
ひと月も たたぬまに
わたしは
ひとりぼっちになってしまった
涙なみだを流しきった あとの
焦点しょうてんのない わたしの からだ
前を流れる河を
みつめる
うつくしく 晴れわたった
ヒロシマの
あおい空

(林幸子:主婦二十三歳 原爆で両親と弟を失う 当時市内昭和町在住――爆心地から二千米――)
<出典>原爆の詩編纂委員会(編)『詩集 原子雲の下より』,青木書店,1952,p.155-162
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