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ぽかぽか春庭2018年2月目次

2018-02-27 00:00:01 | エッセイ、コラム


ぽかぽか春庭2018年2月目次

0204 ぽかぽか春庭日常茶飯辞典>2018十八番日記学而時習之(1)スーパーブルーブラッドムーン*ルイジ・エクササイズ
0203 2018十八番日記学而時習之(2)アンラーンとアンティーチ
0204 2018十八番日記学而時習之(3)エクセル修行中

0206 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(1)光の春に、、、
0208 2018十八番日記光の春(2)サクソフォンコンサートby住谷美帆
0210 2018十八番日記光の春(3)通勤
0211 2018十八番日記光の春(4)ピョンチャンのガナダラマ
0213 2018十八番日記光の春(5)フィギュア団体戦
0215 2018十八番日記光の春(6)春の路線バス
0217 2018十八番日記光の春(7)チョコとフィギュアスケート
0218 2018十八番日記光の春(8)フィギュアスケート金銀
0220 2018十八番日記光の春(9)一生の中で一番幸せな
0222 2018十八番日記光の春(10)私の思い出写真
0224 2018十八番日記光の春(11)光の春の大人の遠足
0225 2018十八番日記光の春(12)ブリューゲル展 in 東京都美術館
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ぽかぽか春庭「ブリューゲル展 in 東京都美術館」

2018-02-25 00:00:01 | エッセイ、コラム


20180225
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(11)ブリューゲル展 in 東京都美術館

 ミサイルママは、木曜日にはパステル画の会に入っていて、来月は日比谷のギャラリーでグループ展に作品を出すと張り切っています。
 今取り組んでいるのは、古今の名画中の「美少女を模写する」という課題。「模写しているつもりなのに、元の絵とはちっとも似ていなくて、美少女なんだかどうかわからない」という腕前なのだと言うのですが、私など馬の絵を写しても犬だか豚だかわからないものになってしまうので、絵が描ける人に対しては、無条件で尊敬です。

 ミサイルママとの、久しぶりの展覧会散歩。
 『ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜』会期は2018年1月23日(火)~4月1日(日)
 ミサイルママは、「花のブリューゲル」と呼ばれる花瓶に活けてある花の絵のファンと言い、2階の静物画フロアをゆっくり見たいというので、お互いに自分のペースで別々に見てまわり、出口のエスカレータ脇ベンチで待ち合わせることにしました。

「机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇」ヤン・ブリューゲル1世 ヤン・ブリューゲル2世(1615-1620年)


 西欧絵画の日本での展覧会という、美術館からのまとまった作品借り出しが多いですが、今回は個人所蔵の作品が多く、もう2度と外部には出されないかも知れない貴重な作品もある、というので、いっそう「珍しもん見たさ」はつのります。

 ブリューゲル一族は、16、17世紀のヨーロッパを代表する画家一家。ピーテル1世2世、ヤン1世2世。娘の婿も画家で、ピーテル・ブリューゲル1世から、2人の息子、孫、ひ孫、その他の一族9人の作品100点が展示されていました。

 ブリューゲル一族は、一家で工房を経営し、父の作品を息子が模写して大量コピーを売りさばくなど、一大ブランドを築き上げていました。工房主の親方のもと、家族も弟子達も一丸となって絵を描いたのです。
 親方の指示のもと、顔を描くのが上手な者、衣服を描くのが得意な者、背景を描くのが上手な者、共同作業で作品を描き上げました。

 花の絵も、ブリューゲル一族の得意の題材。


 絵の鑑賞では素人の私。近代以後の「絵はサインを入れた画家個人の、唯一無二の作品」という絵の見方を、近世までの絵に対しても、ついつい同じに思ってしまいがちでした。ミケランジェロ作とあればミケランジェロがひとりで彫った彫刻であると思ってしまいます。近代以前の「工房全体で制作したものを親方の名で世に出す」という作品の出し方のほうが普通であったこと、心得ていたほうがいいですね。
 『運慶』展のときも、運慶の指示のもとに運慶の工房のものが共同で制作するということはわかったのですが、今回は、西洋画でもそういう共同作品のほうが、通常の方法であった、というのが納得されました。

 9人のブリューゲル一家の作品。ひたすら父ピーテル1世の模写に励んだピーテル2世、花の絵や風景画に個性を発揮したピーテル2世の弟のヤン・ブリューゲル1世。

 ピーテル2世が父のピーテル1世の模写をした方法が解説されていました。
1)薄紙を元の絵にあてて、浮き出てくる元絵の輪郭線に沿ってポツポツと穴をあけておく。2)穴の位置を厚紙に移して穴を開ける 3)厚紙をブリューゲル一族が使った板や銅版などにあてて、絵の具をたらす。(近代画に多い布地キャンバスはブリューゲル作品には少ない。板のほうが、絵の具を垂らして輪郭を確実に模写するとき描きやすかったのかもしれません)4)板についた絵の具のぼつぼつに従って輪郭線にすれば、元絵と寸分たがわぬ形が描かれる。5)輪郭線をたどり、工房の職人達総出で色彩を映せば、模写絵ができる。

 たとえば、人気の画題だった「鳥罠のある冬景色」は、ピーテル2世工房の模写だけでも40点、それ以外の工房の模写は100点もの同じ作品が残されているとのこと。そういえば、西洋美術館にもピーテル2世の『鳥罠のある冬景色』が常設展示されています。



 この絵は、西洋美術館収蔵品の基礎を作った松方幸次郎の旧蔵品のひとつでした。様々な事情で収蔵品の一部は散逸してしまいましたが、「鳥罠のある冬景色」は2005年にベルギーのギャラリーでオークションに出されたのを西洋美術館が1億7千万円で購入。作品の裏には、もともと松方のコレクションであったことが書かれていたとのこと。現在西洋美術館でいつでもこの「鳥罠のある冬景色」が見られるのはうれしいことです。
 西洋美術館収蔵品は、40点も模写されたピーテル2世工房の作品のなかでも最良の作品ということです。

 2階の花の絵や農民の絵、見応えがありましたが、人気作が多いから、私は人の山のすき間から絵を眺める、ということになりました。

見終わって、いったん会場を出てエントランスロビーでしばしのおしゃべり。私は、持って行ったチョコレートやウニせん、フロランタンなどを食べながらしゃべりましたが、ミサイルママは、美術館内であることを気にして、チョコを一粒食べただけ。ランチでおなかいっぱいになっていても、おやつは別腹で全部食べる私と、コルステロール値をいつも気にしているというミサイルママ、そりゃ太さが違ってきます。

 木曜日の仕事も朝早いミサイルママとは、エントランスで別れました。私は、食べたウニせんとチョコの分のカロリーを消費すべく、もうひとまわり会場を見てから帰ると、ミサイルママに言って、バイバイしました。



 背の低い私は、水曜無料日にわんさか集まったジーサンバーサンが人気の絵の前に塊のように集合している後ろから絵を見るのが苦手。
 絵の前に一人で立ち、後ろの人に押されることもなくゆったり見るためには、どうすればいいか。5時の入場締め切りになったあとに会場を回ることです。閉館時間の5時半まで、地下1階と1階は人が少ない会場で、気が済むまでひとつの作品の前にいられました。

 2階の花の絵、農民の絵の前にはまだまだ人がいましたが、それでも、5時前の混雑ぶりとは大違い。大理石に描かれた蝶や蟷螂の絵も、近づいてじっくり眺めることができました。



 夫は「どうせ一人一人別々に見て回るなら、美術館にいっしょに行く意味はない。ひとりで行ってひとりで見ればいい」という考え方です。ひとりで行けば好きな時間に行けるのに、スケジュールすりあわせて時間を調整して、待ち合わせていっしょに行くのは無意味だと。
 私はそうは思いません。見たあと、「あの蝶の絵、細かく描いていてすごかった」とか、「花、きれいだったね」というような、単純な感想でもいっしょに絵を見て、ことばを交わし合うこと、ひとつの時間を共有して過ごせたこと、それが大事なのだと思います。

 久しぶりの「大人の遠足」、よい時間がすごせて良かったです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「光の春の大人の遠足」

2018-02-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180224
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(10)光の春の大人の遠足

 久しぶりにミサイルママと「大人の遠足」に出かけました。
 毎月第3水曜日は、東京都立の美術館博物館が65歳以上無料入館できる日ですから、大勢のじいさんばあさんが集まってきます。ばあさんのうちのふたりとして、21日水曜日は東京都美術館の『ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜』を見る約束です。

 私は午前中、ひとりで東京国立博物館に立ち寄り、表慶館に入館。久しぶりに表慶館内部を見ることができました。展示の「アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝」展もよかったので、のちほどご報告。

 12時に科学博物館の中のレストラン上野精養軒で待ち合わせました。娘息子と科博に来るのは、恐竜展とか特別展があるときで、ランチ時のレストランは待ち時間が長く、「早く食べたいから待っているのはいや」という娘にあわせて、精養軒はいつもパスでした。

 今回、科博はアンデス展が終わり、人体展は来月からなので、通常展だけ。それでも館内は修学旅行生や親子連れでけっこういっぱいでした。
 精養軒、ちょうど動物の剥製展示や骨格展示が見える位置のテーブルに座れました。

 ランチセットを食べながら、カレシとのデート話を聞く。
 先週の彼の誕生日は、ホテルのランチバイキングデート。ローストビーフがすごくおいしかったこと、バイキングにはケーキがあったのに、それとは別に誕生日プレートを注文して、お祝いしたこと、食事代は割り勘にしたいというミサイルママの方針だけれど、今回は彼の希望で、彼がランチ代を奮発したことなど楽しそうに話してくれました。

チキンとタラのセットと春らしいデザート。


 おそろいのファッションリングも彼が誂えて、「左手の薬指にはめてくれたらうれしい」というので、そうしたと、指を見せてくれました。
 静かでやさしい人柄に癒やされているそうで、3月は房総半島一周の一日バスハイク、4月はお花見を兼ねて高尾山ハイキングに行く予定と、デート計画も着々です。
 ミサイルママが元気を取り戻して、私との第3水曜日大人の遠足に出かける気分になれたのも、穏やかな人柄の彼氏とめぐり逢ったからだと思うと、私も感謝したい気分。

 「平日はお互いに仕事をして、土曜日にいっしょに食事をしたり出かけたりする。ふたりで健康に十分注意して、独立して生活していけるようにしたい」というミサイルママの希望を聞いてくれるお方であるところ、よい人だと思います。

科博の前で撮影しあいましたが、私が太く見えるのは、ランチ後のせい、、、、。


 科博から上野公園を横切って、東京都美術館のブリューゲル展へ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「私の思い出写真」

2018-02-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
2018/02/22
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(8)私の思い出写真

 娘息子との思い出写真をながめたついでに、子供のころの何枚かを。

 私の母の弟のうち、国鉄に勤めていた「駅おじさん」と銀行に勤めていた「ぎんこおじさん」東京の大会社で働く末弟「とうきょうおじさん」は、幼かった私たち姉妹にとって、「わが家にはない新しいもの」をもたらしてくれる「文化の窓」のような存在でした。

 いろいろな駅に転勤する駅おじさんは、ご近所から出たこともない私たち姉妹にとって「自分たちの住まいのほかの土地」のことを伝えてくれる「異国のたより」でしたし、ギンコおじさんは、スクーターでやってきて、いつもカメラを持っていて、「ハイカラな文明」のもとのように思えたのでした。
 カメラ道楽初心者のギンコおじさんにとって、姪っ子たちは格好の被写体であったのだろうと思います。

 ぎんこ叔父が撮った「母と姉(右)4歳と私(真ん中)2歳」


 母は、念願のミシンを買ってうれしそうな表情ですし、私は生まれたときからのまん丸い顔。笑えと言われると、ぽかっと口をあけるので、どの写真の顔もアホ面です。
 母も姉も今はいない。古い写真なので、傷だらけですが、私には大切な一枚です。

 叔父に影響されて、父もカメラを手に入れて、家族の写真を撮るようになりました。昭和30年代の田舎のこどもにしては、たくさんのスナップ写真や記念写真が残っているのは、ギンコ叔父さんのカメラ道楽のおかげです。父は会社の「写真同好会」に入って、白黒写真の現像まで自分でやりました。
 叔父や父が撮影した写真は、実家のアルバムに収まっていて、私の手元にあるのは少ないですが、私にとっての、たいせつな「記憶写真」です。

 私の子どもの頃の写真、実家のアルバムを見るたび、妹に「全部焼き増ししてよ。東京でも見たいから」と、言い続けています。しかし、妹は「毎日忙しい」と、ボランティアやらパートやらに飛び回っていて30年間「あとでゆっくり焼き増しするから」と、言い続けています。

 愛犬コロといっしょのスナップ。10歳か11歳の私を父が撮ったのだと思います。

 笑えるのは、玄関の奥の障子が、ボロボロになっていること。姉の猫の出入り口です。

 12歳の私のセルフポートレート。中学生になった姉が誂えてもらった着物(13参りという行事はすたれていましたが、13歳で着物を新調することはやっていたのだろうと思います)。私も着物を着てみたくて、姉の留守にこっそり着込んで、急いで一枚だけシャッターを押した。大好きなコロといっしょのショットにするはずが、、、
 三脚セルフタイマーでを撮るつもりで、失敗した。カメラのほうを向いてレンズをしっかと見つめる前にシャッターがおりてしまいました。当時、フィルム一本買うにもこどものこずかいでは高価に思えましたから、子どもがお遊びでシャッターを切ることが許されるのは一回限り。下を向いた一枚が残りましたが、ま、これも記念の一枚。


 叔父はゴルフなどは若い頃にしただけで、ゴルフクラブ会員権が高値で売れるようになるとさっさと売り払ってしまいましたが、カメラ趣味は70歳で亡くなるまで続けて、県の写真展で特選になったこともありました。私たちにも「県の美術展の写真の部におじさんの写真があるから見に行っておいで」と、勧めるのでした。

 一方の父は、一時期ひとつの趣味に夢中になるけれど、すぐ飽きるたちで、私が覚えているだけで、鮎の友釣り、カメラ、パチンコ、盆石作り、弓道と好きなことがくるくる変わりました。長くて数年。
 60歳定年後の郷土史探訪散歩とゲートボール、家庭菜園は76歳で死ぬまで続けましたけれど。

 1979年、ケニアに行く前に、餞別代わりに叔父の一眼レフをお下がりでもらって、ケニアでの動物写真などは、このカメラで撮影しましたし、私が写真を写すのも見るのも好きであるのは、この叔父の影響です。好きな写真家の写真展を見に行ったり、写真美術館へ行ったりしているのですが、自分が撮影するほうはいっこうに上手になりません。

 でも、好きなものを好きなようにとっていればいいと思って、今日もコンパクトカメラかまえて「今日の一枚」をとっています。

 <つづく>
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ぽかぽか春庭「人生史上一番、本当に幸せな瞬間」

2018-02-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180220
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(8)一生の中で一番幸せな

 羽生結弦選手、金メダル獲得後のインタビューで「人生史上一番、本当に幸せな瞬間」と述べていました。小平奈緒選手のスピードスケート金メダルも同じ気持ちだろうと思います。

 オリンピック金メダルだったり、最年少中学生での将棋六段昇進だったり、特別な瞬間でなくても、だれにとっても自分自身の生涯の時間は、その人独自のもので、かけがえのない時間です。
 私のしょうもないこの人生だって、どの場面のどの一枚も、私にとっては、いとおしい時間なのです。

 私にとっての生涯でいちばんいい写真は、30年余前のもの。娘とのツーショット。
3ヶ月の娘と。


11ヶ月の娘と。


保育園の親子遠足むすめ2歳
 

息子が生まれて


群馬のスキー場で息子と


 娘、むすこと過ごした時間の記憶。
 高齢者は、記憶が薄れてくると自分のもっともよかった時代の記憶のみ残される、と聞きました。私は、娘と息子が生まれて、めちゃくちゃ忙しかったこの時代に戻るのだろうと思います。息子をおんぶして、娘のままごとの相手をしながら料理をしてかつ頭のなかで修士論文の文をととのえ、明日の日本語学校授業の段取りを考える。

 こども二人を育てる食い扶持のお金として奨学金をもらうために大学大学院へ通い、午前中は授業を受け、午後は日本語学校で就学生留学生に教えて、春夏冬の休みには夫の会社の手伝いをした。あのめまぐるしかった日々が、きっと私のいちばんいい時代です。

 私の一生。私立と国立の大学をふたつ卒業し、国立の大学院で修士号をとり、私立大学院で博士号を得た。地方公務員からスタートして、病院検査士、英文タイピスト、中学校国語教師、予備校講師、劇団女優、フリーライター、日本語学校講師、大学非常勤講師などなど、数多くの仕事もして、ここまでやってきた。

 もしも、これらのいろいろなシーンの時間のうち、どれかをひとつ選んでもう一度生きなおすとして、やっぱり、子どもと共にすごす時間を選ぶと思います。
 そんなこと言ったら、娘はいやな顔するのだけれど。「そういうふうに考えるから母はいつまでたっても子離れができないんだよ」はい、はい、わかっていますって。

 子離れしないと叱られても、やっぱり私は、娘息子と手に汗握っていっしょにフィギュアスケート応援している時間が、かけがえのないひとときと思っています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「フィギュアスケート金銀」

2018-02-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180218
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(7)フィギュアスケート金銀
 
 すごい!の一言。フィギュアスケートファンとして、最高の金銀ダブル表彰台。

 怪我のために全日本選手権も欠場して治療にあたっていた羽生結弦。ピョンチャン入りしてからも、どの程度の恢復なのか、ニュースでもわからなかったので、大コケする可能性もあると思いながらの応援でした。

 娘は、1位になって涙する羽生選手を見てもらい泣き。怪我からの復活というドラマは、病気や怪我で落ち込んだことのある大勢の人を励ましたと思います。

 フィギュアファン一家の我が家、羽生結弦が2008年に第77回全日本フィギュアスケートジュニア選手権で1位になって以来の応援。10年間その姿を氷上に見つめてきて、ついに五輪連覇を達成するまできたと思うと、一家そろって感無量でした。
 宇野昌磨は、10歳ころの姿、山田コーチとともに写っていたテレビ番組で見て以来の応援。小さくてかわいらしい姿の宇野選手が着実に成長してきたのを見続けてきて、親戚の子が大きくなっていくのを見守るような気持ちで、オリンピック出場までを追っかけてきました。まだまだ成長していくと思います。

 二人そろって金銀とは、最高の結果です。メダル表彰式の前のフラワーセレモニー。マスコットのスホランをもらって満足したらしい宇野昌磨は、インタビュアーに「この後表彰式があるんですか」と、尋ねていてかわいかった。そりゃ、メダルはもらっておかないと。

 ハビエル・フェルナンデスがようやくつかんだ銅メダルもうれしかったし、ショートで失敗したネイサン・チェンがフリーで巻き返して5位入賞もすごかった。パトリック・チャンは、9位に終わったけれど、団体で金メダルもらったから、ま、いいか。


 男子はよかったよかった。アイスダンス、女子もがんばって。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「チョコとフィギュアスケート」

2018-02-17 00:20:27 | エッセイ、コラム
20180217
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(7)チョコとフィギュアスケート

 毎日の小さな日常茶飯事。
 13日の深夜、ふと眠りが浅くなったとき、チョコの匂いが鼻先に。娘がナッツチョコとトリフチョコを作っている最中でした。
 トリフチョコは、バレンタインデー定番の手作りチョコです。
 小学校と大学院で「全員に配られる義理チョコ」をもらっただけのオトート君のために、娘が手作りしているところでした。

 板チョコは細かく刻む。生クリームは沸騰直前まで温めて刻んだチョコを入れて溶かす。
丸めて固める。
 息子はココアパウダーや粉砂糖をかけるのは好きではないので、テキトーに丸くしたらOK。売り物のトリフチョコは、きれいな丸い形になっていますが、そこは、シロートのテキトーチョコ。でも、不揃いで形がまちまちなのが、手作りっぽくていいと、娘は自画自賛。余ったチョコに刻んだナッツを混ぜたナッツチョコも作ったのはおまけ。

きれいに丸めるのではなく、バラバラですが、おいしいです。


 14日深夜に、娘息子ふたりでフィギュアスケートペアショートをネット放映で見ながらボリボリ食べていました。
 ペアショートは、14日午前10時から13時半までカンヌンスケート場で行われましたが、ライブでも録画でも放送されませんでした。日本選手の上位進出はまったく望めないのはわかっていたのですが、せめて録画で放送されるかと思っていましたが、モーグルやスピードスケートでメダルや入賞の日本人選手の活躍があったためか、まったくもって無視され、地上波でもBSでも放送なし。

 娘と息子は、ネット放映が深夜あるという情報を得て、真夜中に見ていました。日本選手が活躍する姿を見たいという人の気持ちもわかるけれど。日本選手が上位にこないとしても、競技としてフィギュアが好きなので、全選手の演技が見たい、という娘たちの気持ちもわかる。日本のペア須崎木原ペアは、出場30組中21位で、上位16組が出場するフリー演技には進めませんでした。それでも、やはり省略しないで放送してほしかったな。
 15日の朝、残りのトリフチョコとナッツチョコをぼりぼりと朝ご飯代わりに食べました。
 15日、ペアフリーは、上位組だけの放映でしたが、娘は金のサフチェンコ、胴のデュアメルの受賞に拍手を送っていました。

 16日は、ファン待望の羽生結弦選手出場。
 羽生も宇野もショートの滑り出しは上々で、羽生111・68点宇野104・17点をマークしてフリーへ。
 きっとよい結果が出ると信じて、残りの手作りチョコを食べながら応援します。

 2月6日の手作りは、いちごチョコケーキ


<つづく>
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ぽかぽか春庭「春の路線バス」

2018-02-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180215
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(6)春の路線バス

 新しい仕事先に通うようになり、今まで乗ったことのないバスに乗ってみるなど、小さな「新しい出来事」に出会います。
 23区の都バスは全線220円で、前から乗ってお金を払い、後ろドアから降りるのですが、多摩の私が乗るバスは、後ろドアから乗って、前でお金を払っております。こんな小さな違いでも、年寄りはとまどいつつ、また新しいやりかたに新鮮さを感じたりしています。

 まだ慣れないバス路線なので、毎回運転手さんに「このバスは健康センター前にとまりますか」とたずねてから乗るようにしているのですが、運転手さんの反応はさまざま。

 あるバスの運転手さんに「このバスは健康センター前にとまりますか」と、たずねたら、めんどうそうに「え?知らないなあ」と答えたので、びっくりしました。自分が運転するバスなのですから、路線中の停留所名の中に、「健康センター」というのがあれば「はい、止まります」だし、なければ「いいえ、とまりません」そのどちらかの返事になると思うのに、「知らないなあ」って、どういうこと?自分が運転する路線の停留所じゃないから知らないってことだったのでしょうか。

 次に来たバスの運転手さんに同じことを尋ね、止まることを確かめたのちに、「知らないなあ」という返答の意味を聞いてみました。
 とても丁寧な運転手さんで、「ふたつのバス会社があり、それとは別のコミュニティミニバスも走っています。それで、他社のバスのことを知らないと答えたんじゃないですか」という説明でした。それにしても、止まるか止まらないかだけ答えればすむことなのに、「知らないなあ」という答えを聞いたのは初めてでした。

 「ものはいいよう」とは、使い古されたことわざですが、少なくとも、仕事上のことには責任をもって尋ねた人にこたえてほしい。
 八百屋さんは扱っている野菜について聞かれたら、「こっちのタラの芽は栽培ものじゃなくて山の地物だから、ちょっと苦みがあるけれどおいしいよ」とか、魚屋さんは魚について聞かれたら、旬やら料理法やら答えてほしい。本屋さんは、「今月出た、〇〇さんの書いた本で、小説じゃなくてエッセイだったんだけれど、書名忘れた」という私のあいまいな注文に、さっと目当ての本の場所に連れて行ってくれる店員さんがいる店で買いたい。

 「知らないなあ」のバス会社には、あまり乗りたくないです。

 バス路線のわきには、紅梅が咲き始めた庭もあります。
 まだまだ寒いけれど、私はことばだけでも人が温かみを感じるような言葉遣いをしていきたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「フィギュア団体戦」

2018-02-13 00:34:09 | エッセイ、コラム

20180213
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(5)フィギュア団体戦

 フィギュアスケート大好き一家です。全競技、目をこらしてテレビ画面を見つめ、応援しています。と、いっても、午前中の放映ですから、録画しておいての応援なので、時空を超えて応援の気持ちが届くと信じて。アメリカ大資本のテレビ会社の意向でアメリカのゴールデンタイムに合わせての放送時間設定になっているのだとか。

 2018年ピョンチャン。日本の団体成績は2014年ソチと同じく5位でした。でも、ペアもアイスダンスも決勝のフリー演技は、大きな成長だったと思います。
 男子ショート宇野昌磨が1位という出発でした。が、ランキングから言ったら、ペアもアイスダンスも、フリー競技進出者の中では格下でしたから、十分に力を発揮したのだと思います。アイスダンスでクリスリードが転んでしまったのは残念でしたが、個人戦でもフリーに進めるよう、がんばってほしいです。

 アイスダンス、仕事先の人たちとランチに入った蕎麦屋のライブで画面が出ていましたが、「母が帰ってから録画で見るから、結果を言っちゃだめだよ。ハラハラドキドキしながら見たいんだから」と娘が言うので、画面を見ないようにしてテンプラ蕎麦を食べました。

 団体戦、予想通りの順位、カナダ、ロシア(から来た全アスリート、っていちいち言うのでおかしい)、アメリカ、イタリア、日本。

 団体戦でベストのすべりが出来なかった選手も、個人戦でがんばってほしいです。
 いっしょうけんめい、外国も含めて全選手を応援する娘を、私は応援しています。娘の応援の仕方、選手が自己ベストの点数を出すと大喜びです。今回の団体フリーは、日本の選手は自己ベストは出していないので個人戦、がんばって。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ピョンチャンのガナダラマ」

2018-02-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180211
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(4)ピョンチャンのガナダラマ

 「ガナダラマバサアヂャチャカタパハ 」
 何かの呪文みたいですが、韓国朝鮮語の音順。日本語の「あかさたなはまやらわ」に相当します。

 1985年に入った2度目の大学生活で、「対照言語学」と言う授業が必修科目でした。1985年は日本語と韓国語、1986年には日本語とタイ語の対照を学びました。ほとんどの韓国朝鮮語を忘れてしまいましたが、辞書を引くのに必要だった「ガナダラマ」は、私の記憶のなかでは「カナダラマ」に間違って脳内にありました。

 日本語教師、世界の言語のどことどこが文法的には類似、どこが大きなちがいがある、という言語類型と、音声学的にはどこととこが類似、どこがどう違っているか、ということを知っていることは重要です。学生がどこでつまずくかわかるからです。

 韓国の学生が「おはようごじゃいます」と言うのは韓国語に「ざ」の発音がなく、タイの学生が「おちゅかれさまです」と発音するのは、タイ語に「つ」の 発音がないからです。
 
 日本人が「sankyuサンキュー」と言うのは、「thank」のthが日本語にないからです。英語でsankはsink(沈める)の過去形です。多くの日本人が「あんたを沈めた」と聞こえる発音で、感謝を伝えています。日本語が通じる地域としては、それでいいです。「サンキュー」は、外来語で「ありがとう」の意味になっているからです。

 英語圏で日本人のサンキューを誤解されないで伝えるにはどうすればよいか。日本語でサンキューは英語のthank youの意味だと相手にわからせればよい。「日本人の発音はまちがっている」なんて息巻くより、世界には多様な言語があることを、世界中の人が知ればいいのです。日本人のサンキューは、感謝しているのだし、韓国人のオハヨーゴジャイマスは、朝の挨拶、それでよい。

 さて、ピョンチャン冬期オリンピック。いよいよ開幕です。
 オリンピック開会式の楽しみは、開催国のことばで各国がどのように表記されるか、です。娘は「ハングル表記を見たいのに、テレビカメラが写してくれない」と不満を述べていました。アメリカ合衆国が「B」の前に来ていて「ア」でないのはなぜか、と言う謎につき、母がテレビに代わり表記を調べました。アメリカは、中国語の漢字表記と同じ「美国」ですから、ハングル表記は미국ミグク。ハングルの「口 = M」の仲間のところにプレイスされていました。

 先頭はのギリシャ。次は、ガナダラマのガが最初。ガーナでした。アフリカの国から冬期オリンピックに出場するとは思っていなかったので、以外でした。
 ガーナのスケルトン選手アクワシ・フリンポンは、ガーナ生まれ、8歳から母親の出稼ぎ先オランダで育つ。卓抜した運動能力を持っているけれど、市民権がなかったので、海外遠征などはできず、アメリカの大学奨学金を得てやっと市民権も獲得しました。彼は、スケルトン競技に必須のヘルメットに「ライオンの牙から逃げる一匹のウサギ」をデザインしています。私はウサギだ。ライオン(過去)からずっと走って逃げてきた。もう、私の人生に降りかかってくる全てのことに、『食べられ』たりしない」という意味なのだそうです。
 応援します、アフリカのウサギさん。アフリカ人、初の冬期オリンピックメダリストが目標だそうです。

 韓国語には日本語の長音「トーキョー」と、伸ばす発音はないので、国名も長音はなし。ガーナはガナ。ニュージーランドはニュジランドになります。全部の国名ではありませんが、一部ハングル表記に。ほとんどの国名発音は日本語にちかいですが、オランダはネーデルランドで英語と同じ、イギリスは英国で中国と同じ。

 以下、入場の順番は。

1 ギリシャ 그리스グリス

ガ) 2 ガーナ가나 ガナ
 
ナ) 3 ナイジェリア  4 南アフリカ남아프리카 공화국(南はナム)  5 オランダ 네덜란드ネデルランド 6 ノルウェー 노르웨이 ノルウェイ 7 ニュージーランド뉴질랜드

ダ) 8 デンマーク 덴마크  9 ドイツ 독일ドクイル  10 東ティモール 동 티모르 (東はドン)
 
ラ) 11 ラトビア 라트비아  12 レバノン 13 ルーマニア  14 ルクセンブルク 룩셈부르크 15 リトアニア 16 リヒテンシュタイン 리히텐슈타인

マ) 17 マダガスカル 마다가스카르 18 マレーシア 말레이시아マレイシア  19 メキシコ 멕시코  20 モナコ  21 モロッコ  22 モンテネグロ 23 モルドバ  24 マルタ  25 モンゴル 몽골 26 アメリカ合衆国 미국ミグク

バ) 27 バミューダ諸島  28 ベルギー  29 ベラルーシ 30 ボスニア ヘルツェゴビナ
보스니아 헤르체고비나 31 ボリビア 32 ブルガリア 33 ブラジル

サ) 34 サンマリノ 35 セルビア 36 スウェーデン 스웨덴 37 スイス 스위스 38 スペイン 스페인 39 スロバキア 40 スロベニア 슬로베니아41 シンガポール 싱가포르

ア) 42 アルメニア 43 アルゼンチン 아르헨티나 アルヒェンチナ 44 アイスランド 아이슬란드45 アイルランド 46 アゼルバイジャン 47 アンドラ 48 アルバニア 49 エリトリア에루토리아 イェストリア  50 エストニア 에스토니아 イェストニア 51 エクアドル에콰도르 イェクアドル 52 グレートブリテン 영국イングク(英国) 53 オーストラリア오스트레일리아 オストゥレイリア(ちなみに豪州は호주ホジュ)54 オーストリア 오스트리아 55 ロシア代表選手団(올 러시아 대표팀 선수단 *この表記ちがっているかも 56 ウズベキスタン 57 ウクライナ 58 イラン 59 イタリア 60 イスラエル 이스라엘  61 インド 인도 62 日本 일본 イルボン
 
ヂャ) 63 ジャマイカ 자메이카  64 ジョージア 조지아
チャ) 65 中国 중국 66 チェコ 체코 67 チリ 칠레

カ) 68 カザフスタン카자흐스탄 69 カナダ 캐나다 ケナダ 70 ケニア 케냐 ケニャ 71 コソボ 72 コロンビア 73 クロアチ 크로아티아 74 キルギス 75 キプロス

タ)76 チャイニーズタイペイ(台湾)대만 テマン 77 タイ 78 トルコ 79 トーゴ 80 トンガ

パ)81 パキスタン 파키스탄  82 ポルトガル 83 ポーランド 84 プエルトリコ

ハ)85 フランス 프랑스 86 マケドニア共和国  87 フィンランド 88 フィリピン89 ハンガリー 90 中国・香港

91 コリア(韓国・北朝鮮合同)

 北朝鮮の韓国表記は「北韓ボッカン북한」です。
 今回の合同チームにつき、母国での冬季五輪めざして練習を重ねてきたのに、合同チーム結成で五輪出場を阻まれた韓国女子ホッケー選手に、娘はいたく同情していました。政治はスポーツより強し。非情なものです。4年後の北京まで、体力維持してください。

 どうしてもわからなかったのが、(マ)の仲間にならなかったマケドニア。国連使用の国名(日本も公式にはこちら)は、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国であるにしても、전 유고 슬라비아 마케도니아 공화국 ですから、ハの仲間、フランスのうしろに来るとしたら、ユーゴスラビア유고슬라비아の「ヒューゴ」の「ヒュ」を採用したということでしょうか。ギリシャがマケドニアという国名を使うなと主張していることに配慮したのか。国際情勢、こちらもむずかしそうです。

 我が国、日本は91ヶ国中62番目。
 フィギュアスケート団体では、宇野昌磨選手が男子ショートで1位になる幸先よいスタートでした。
 全選手応援します。とくに、ゆづく~ん♡ がんばって。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「通勤」

2018-02-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180210
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(3)通勤

  新しい仕事場へ、2月2日から出勤せよというお達しが来ていたのですが、2日は朝の雪を理由に出勤を断りました。
 仕事に出なかった以上、趣味だけに出るのは不謹慎かと、2日夜のダンス練習もお休みしましたけれど。あまりの寒さに外に出たくなかった、というのがホンネ。

 2月5日から電車通勤。
 2015年3月まで通勤した出身大学の留学生センターよりさらに多摩の「奥地」です。自宅から2時間近くかかります。9時始業のところ、年寄りは10時からでいいと、甘くしてもらってはいるのですが、地下鉄JR電車バスを乗り継ぐ通勤、8時には家を出ないと10時に着きません。請け負い仕事の自由裁量性と同じようなもので、出勤時間は自分で選べるけれど、残業手当などはなし。

 働かなければならぬ。病児ふたりの食い扶持は老母の肩に。アラコキ(around KOKI)高齢者になってまでも働き続けることになるだろうと、予想はしていたけれどね。国民年金では家賃もまかなえないのだから。高齢者を雇ってくれるというだけでもありがたい。
 新しい仕事に使うかも、とエクセルも習いました。エクセルで仕事用のカレンダースケジュール表を作成。2020年までの予定表を作りました。

 2月5日の朝だけで、朝のラッシュ通勤がいかに高齢者には酷なものか再認識。2017年に出講していた2つの大学は、2限からの授業なので、10時40分と10時50分のスタート。ラッシュが終わっているころの通勤で助かりました。

 6日は30分繰り下げで出勤。それだけでもだいぶラッシュの揉まれ具合が違います。7日は1時間くり下げ遅い出勤にしたら、行きは座れてやれよかった。ところが、帰りのJRは人身事故で1時間も電車がストップ。

 駅で立って待っていてもしかたないから、駅前の中華屋でレバニラ炒めと餃子を食べて電車が動くのを待ちました。同じようにJR復旧待ちと思われるサラリーマンふたり。となりの席でビール飲んでいて、「現場検証とかするから、復旧に1時間以上はかかるよなあ」「ラッシュ時の飛び込みはやめてほしいよね」と話しています。飛び込みかどうかはわかりませんが、時間帯など考える余裕がないほど追い詰められているから、そういう事態になるのでしょうに。元気で働いている人は早く家に帰りたいだろうし、電車が遅れれば腹立たしさのあまり、そんな非情なことばも出てくる。これが殺伐とした今の「働き方改革」というものなのでしょう。

 ようよう帰宅して、娘が作った晩ご飯、チキンバターカレーもちゃんと食べました。食べ過ぎです。せっかく作ってくれた娘に「喫茶店でコーヒー500円だすのが惜しくて、中華屋で餃子食べた」と言えなくて。

 アメリカでは、貧乏人ほど太っているっていう体型と収入の調査結果が出たそうだけれど、日本だって貧乏人は太るのです。アメリカの貧乏人は、脂肪と炭水化物のジャンクフードを食べるから太るらしい。私は駅前マックやめて、レバニラのほうが栄養的にいいかと思ったのだけれど、晩ご飯2度食べれば、太ることは同じですね。

 女子高クラスメートのやっちゃんがメールをくれました。
「ハルちゃんのことだから、また働き過ぎているんじゃないか。身体に気をつけて」と。
 やっちゃんは、2016年にヤンゴンの私の宿舎で10日間過ごしました。土日はいっしょにお出かけしましたが、私の勤務日は女子学生を頼んで「やっちゃんのガイド」をしてもらい、大学内などを案内してもらいました。その折、私の「働き過ぎ」を見たやっちゃんから「同級生はみんな引退しているんだから」と、やんわり働き過ぎにくぎをさされていたのですが。

 やっちゃんもほかのクラスメート達も、教員を定年退職して年金暮らし。あわれな大学非常勤講師は、25年間も講師を続けても国民年金のみ。市立中学教師を3年でやめて、自分でこういう働き方にしたのだから、文句は言えませんけれど。

 ヤンゴンでも新コースを立ち上げる仕事でした。朝目覚めてから夜ベッドに倒れ込むまでカリキュラム編成などを続けました。主観的には、ヤンゴンでは「ブラック企業の下層社員」なみに働きました。

 今回もゼロから作り上げる仕事。やっちゃんへの返信。
 「新しくゼロから始める仕事は面白くて、家での作業でも、ついつい夜中の3時までパソコンでを続けたりしてしまいます。ご心配ありがとう。働き過ぎ自戒します」。

バガンでやっちゃんと


 通勤時間、長いけれど、行きは座れさえすれば本が読める。帰りは座れれば居眠りしてしまいます。座れるか立ちっぱなしか、ときの運。みなさん、高齢労働者に席をゆずってあげましょう。
 シルバーシートに座ってケータイゲームをしているガタイよさそうなワカゾーを、鬼の形相でにらみつけている婆さんがいたら、それは私です。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「サクソフォンコンサートby住谷美帆」

2018-02-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180208
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(2)サクソフォンコンサートby住谷美帆

 無料コンサートのお楽しみ。
 2月4日は、サクソフォンコンサートを楽しみました。区主催の「まちかどコンサート」今回は、女性奏者のサクソフォン独奏というので、珍しいかと思って聞きにでかけたのです。

 住谷美帆さん。1995年生まれ。中学校の吹奏楽部でサクソフォンの上手な先輩に出会い、スポーツ少女からサックス少女に転向。東京藝大の学部1年生のころから、各種コンクールに入賞し、現在は4年生の若い演奏者です。

 サクソフォンは、私にはジャズ楽器のイメージが強く、クラシック曲のサクソフォンはあまり聞いてこなかったのですが、2012年に藝大在学中の上野耕平たちのサクソフォンカルテットを聞いて以来、サックスでのクラシック曲演奏が好きになりました。

 藝大で住谷の2年先輩というAkiマツモトがピアノ伴奏。
 住谷さんは、アルトサックスとソプラノサックスの両方を駆使して迫力の演奏をきかせてくれました。
 繊細な音も力強い音もサックスの音色が心地よかったです。

・カッチーニ『アベ・マリア』
・ヴィードフ『サクスオフン』
・ビゼー『カルメン組曲』より
・バッハ『G線上のアリア』
・ガーシュイン『ラプソディインブルー
・アンコール『ひばり』

配布されたパンフレットに載っていた写真です


 すばらしい演奏を聞いたあとは、自転車で一回り。ブックオフで何冊か買い物。サイゼリアでおひとりさまの食事。ムール貝のなんたらとイカスミスパゲティ。娘もミサイルママも、サイゼリアで食事すると油が合わないのか、食べた後おなかの調子がよくないというのですが、低料金向け鉄の胃袋の私には、なんのこれしき。ガストもサイゼリアも、この値段なら文句を言うわけにはいかないと思う。ファミレスのなかで、ロイヤルホストは、私的には高い方です。価格帯は、ガスト→サイゼリア→デニーズ→ジョナサン→ロイホの順。

 高齢者宅のエンゲル係数、30年前の水準まで高くなっています。お弁当を買って食べるから高くなると政治家は言ったそうです。
 我が家、30年前も今も超高いエンゲル係数で暮らしています。服はお下がり、化粧品は百均。暮らしの支出に占める割合は、食費がほとんど。お弁当も買いますが、スーパーで半額になる時間帯を狙って買っています。

 あれ?サクソフォンのいい音の話で優雅におわるはずが、やっぱり食べ物話、貧乏話になりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「光の春に」

2018-02-06 00:00:01 | エッセイ、コラム

府中の森の紅梅2013年2月

20180206
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記光の春(1)光の春に、、、

 2月2日は、東京、雪。3日は節分。北国では猛吹雪だったよし。4日が立春ときいても、とてもじゃないけれど、春の気分にはなりません。

 でも、春気分のメールを読んで、少しはウォーミングハートのお裾分けをもらいました。
 節分の日は、友の「新彼」の誕生日。
 「2月3日土曜日は、彼がちょっと高級なランチをごちそうしてくれるって。誕生日のお祝いを私がしなくちゃいけないのに、ランチをおごってもらうの」
 と、ホットなメールがきました。

 おやまあ、おアツうございます。「昨年夏の、モトカレとのつらいいざこざも、イマカレの誠実な優しさに癒やされています」という文面に、ほんとうに雪も溶けるかと思いました。日陰にはまだ1月22日の雪も残っているんですけれど。

 幸せそうなメール。いいなあ、
 まだまだ気温は低すぎの世の中だけれど、友の心にはもう春が来ているんですね。ランチのお返しに、チョコを山盛りにどうぞ。

 立春をすぎれば、気温は低くとも空は明るさを増し、真冬とは光が異なってくる、これをロシアでは「光の春」と呼ぶ、と、昨年8月になくなったお天気キャスターの倉嶋厚さん(1924-2017年)のことばで知りました。
 「光の春」季語としての定着はまだまだみたいですけれど、新季語に押したいことばです。「オシキゴ」

 とりあえず、立春の歌。
ひさかたの天の香久山このゆふべ霞たなびく春立つらしも (人麻呂歌集)

江戸東京たてもの園2014年2月

春が来て電柱の体鳴りこもる (西東三鬼)

 新彼とランチする友人におくる歌
吾が夫人(せこ)を今か今かと出で見れば淡雪降れり庭もほどろに(万葉 巻十)

・光の春の光とともに舞い上がり氷上ジャンプ4回転する(春庭 平昌応援)


江戸東京たてもの園2014年2月

<つづく>
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ぽかぽか春庭「エクセル修行中」

2018-02-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180204
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記学而時習之(3)エクセル修行中

 立春です。立春ですが寒いです。寒いけれど、老骨むち打ち、お勉強をしています。エクセル修行はじめました。

 ワードプロセッサーを使い始めたのは、1985年に入学した2度目の大学生活で、研究室に置かれていた一太郎初代機から。(一太郎初代機発売は1985年8月)
 その後、夫の事務所にワープロが置かれ、私も自宅用に使い出しました。英文タイプが得意だったので、ローマ字入力にはすぐに慣れて、悪筆の私にはありがたい筆記用具でした。

 1995年からパソコンワープロになってから現在まで一太郎で入力し、メール添付するときはワードに置き換えて送信しています。ワードも最近は漢字変換がお利口になってきたけれど、日本語入力に関しては、一太郎が一日の長ありです。
 息子は古文書翻刻の仕事をしているので、一太郎じゃないと仕事にならないそう。最新バージョンを使っているので、私のも息子がときどきバージョンアップしてくれています。

 ワープロ使用は、独学で十分でした。
 しかし、子供の頃から極端に計算ができなかった春庭、エクセルの表計算というのは、苦手なままになってしまいました。
 簡単な書き込みはできます。履歴書をエクセルで作成せよというのも、なんとか完成させました。しかし、表計算は必要もないので、習わぬまま。

 この年になって、エクセルできない、というのでは、これから新しく始める仕事に不便かも、と思って、エクセル表計算教室に通うことにしました。68の手習い。

 全5回8000円、という格安お手軽な基礎教室です。ハローワークなどでパソコン講習を担当しているという女性講師の指導で、文化センターの一室で3時から4時半まで。
 平日午後の講習なので、再就職狙いの中年女性や、老後の楽しみにするのか、退職してだいぶたっていそうな高齢者と共に学びます。7人の講習生。

 最初の1回目は、「ダブルクリックというのは、マウスの人差し指を2回カチカチとやります」という解説から。1時から2時半までのワード教室でワードを習い始めた初心者も同時履修で2名混ざっている教室なので、セルの中に文字を打ち込むにも時間がかかります。
 先生の方針では「ゆっくり学ぶエクセル教室」ということなので、1回目講習は、むずかしいことはありませんでした。ここまでなら、これまでもできていた、という範囲です。

 1月25日、2回目の講習。セルを選択して計算する方法を学びました。第1回目は最初の起動方法やセルの中へ数字を入れることなどで、難しいことはありませんでしたが、今回はパソコンに計算をさせる作業も入り、ちょっと計算っぽくなってきました。

 先生の説明を聞きながら作業をしていく。
 テキストには簡単な説明文がありますが、もし、「はい、ではテキストを見て、テキストに書かれていることを順にやってみてください」と言われても、数字に弱くパソコンさっぱりわからんちんの私など、とても一人では出来なかったと思います。先生がお手本をモニターに出して「はい、次はここをクリックしてください」とやってみせた通りにするのでは、難しさが全然違う。

 25年前に、日本語教師養成通信講座のスクーリング講師をやったときのこと。まだ教員養成の仕事をはじめたばかりの新米教師だったので不安になり、「テキストに書いてあることを解説しているだけですが、参考になるのですか」と、スクーリングに参加している生徒さんに聞いて見たことがあります。すると、生徒さんは「教科書に書いてあるのを読んでも理解できなかったのですが、先生のお話を聞いて、とてもわかりやすくなり、頭にはいりました」と、言ってもらったことがありました。

 このときは、「教科書に書いてあることは、教科書を読めばそれで済むと思うけれど。私の解説でよかったのかなあ。社交辞令で教師に対して、先生が説明してくれたのでわかった、と言ってくれたのかもしれない」と思ったものでした。

 自分が何年ぶりかで生徒の立場になってみて、このスクーリング講師のときに言われたことばを思い出したのです。テキストを読んでもさっぱり頭に入らないことが、先生に言われたとおりにやっていくと、できるようになる。
 対面で講師が教えてくれることのありがたみを実感しました。

 もうひとつ、対面の大切さを知った出来事があります。「赤ちゃんの脳の発達」についての番組を見ました。
 赤ちゃんは、生まれたては口の中であらゆる音を発音することができます。この段階では、母語にない発音の聞き分けが可能であることが、実験で確認できています。
 日本語母語の赤ちゃんも、生後6ヶ月のときはRとLの音の聞き分けができるというわけです。

 しかし、1歳以後、自分からことばを発するようになると、「あらゆる音を発音できる可能性」を捨て去り、養育者が発する発音を選択していきます。養育者のことば(母語)を身につける過程で、母語以外の発音の聞き分けが出来なくなっていきます。

 テレビ番組の実験では。
 「自分からことばを発する直前の赤ちゃん(養育者の母語は英語)」に、テレビ番組の「こどものための中国語」を視聴させます。赤ちゃんは熱心にテレビ画面を見つめています。
 しかし、赤ちゃんは育っていく過程で、「英語にはなくて、中国語だけにある音」の聞き分けはできなくなっていました。

 別の実験では。テレビ番組と同じ内容の中国語を、テレビと同じ講師が赤ちゃんと対面で行いました。赤ちゃんの目の前で講師は中国語を話します。中国語に触れる時間は、対面もテレビ視聴も同じ長さの時間に設定されていました。

 生身の講師が赤ちゃんと対面で中国語を聞かせた結果、赤ちゃんが英語にない中国語の発音を聞き分ける力は、ずっと保持されていたのです。自分と直接に関わる人のことばの音は、赤ちゃんの中に生き続けるのです。

 「対面が大事」ということ、強く印象に残りました。大人が母語以外のことばを第二言語として習うとき、大人の脳は、赤ちゃん脳と同じにはならないとは思いますが、対面の重要さは同じなのではないかと思います。

 もうひとつ、赤ちゃん脳の発達で知ったこと。
 親は、子供の発達に一喜一憂します。早く寝返りができないか、早くお座りができないか、よその子は這い這いができるのに、うちはまだだ、などと気を揉みます。
 親がむりやり這い這いさせようとしても、無駄です。しかし、這い這いがまだ出来ない赤ちゃんを、這い這いしている赤ちゃんといっしょに遊ばせていると、できなかった子が這い這いをするようになってくる。これも「マネッコ」「リピート練習」の大切さを示しているように思います。

 最新の語学習得法。インターネット利用などで、パソコンを駆使しての独学も十分に可能になっています。でも、独学以上に、教師が目の前でことばを聞かせること、大切なのだと思いました。

 私はもともとリピート練習が好きではなく、先生の言ったことをそっくりそのままマネして発音するだけのドリルは、教室では最小限にとどめ、教室では学生が自分から文を産出できるように指導する、ということを重視してきました。

 リピート練習ばかりしている教え方を「あれなら、教師いらないんじゃないの。テープレコーダー1台教室においておけば授業成立」などと、生意気にもオーディオリンガル教授法に対して批判的に感じたこともありました。
 語学練習の基本ドリル。リピート(繰り返し)練習、代入練習、変形練習。どれも、基礎は大事です。リピート練習もしっかりやろうと思います。

 自分ががエクセルを対面で教わってみて、どんなにパソコン利用の指導法が確立しても、人が新しいことを習うには、人と人とのやりとりが大切だということ、よくよくわかりました。

 2月1日、3回目の練習。SUM計算式を教わりました。エクセルリボンのΣのところをクリックして範囲指定すると、その範囲の合計の足し算も、平均の割り算も勝手にやってくれます。なんて便利なんでしょう、と、いまごろ思っているのです。
 計算弱い私、こういう機械ができることを昔わかっていたなら、計算できない自分にこれほどのコンプレックスを持たずに、もっと堂々と生きてこれたのかも。

 もっとも、いちばん基礎的な数字をパソコンに入力する段階で、何度も入力ミスがあるのは見えています。時代がかわても、数字を扱う職業はむりだったでしょうね。
 銀行カードの暗証番号を3度まちがえて、取引停止になったことあるし、現在も「日本語授業カリキュラム表」を作成してたら、行政書士の先生から「教育時間の数字がこっちもそっちも間違えている」とお叱りのメールがきました。私に数字を記入させないでくれぇ!

 エクセルの基礎練習。あと2回の講習で、表計算などがどこまでできるようになるか、がんばって勉強します。

 学而時習之。不亦説乎。学びてときにこれを習う。また楽しからずや。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「アンラーンとアンティーチ」

2018-02-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
20180203
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記学而時習之(2)アンラーンとアンティーチ

 東京、2月2日も雪になりました。3日は節分、4日は立春というのに、ほんとうに春は名のみの。中国の新年新春の春節、2018年は2月16から。この時分になれば、いくらかは春らしい気分もやってくるでしょうか。

 前回1月の雪は夜から強い雪になり、木々も真っ白にお化粧しましたが、今回は夜中雨がふり、明け方に雪に変わったので、道も雨水で溶けていき、前回ほどは積もらなかったのが、都心の交通などへの影響が少なくてまだしもよかったですが、寒いことは寒い。
 ということを理由にして、部屋のかたづけ、まだ手をつけていません。

 ぐちゃぐちゃで、ひとり住み孤老の部屋が片づけられないゴミ部屋になっているというニュースを見たりすると、ひとり住みじゃなくても、ゴミ部屋になるときはなるもんだ、などとひとりごつ日々。

 整理整頓が大の苦手。自分が書いたものも、何をいつ書いたのやらごちゃごちゃになっています。思いがけないとき「自分がこんなこと書いていたんだ!」と、びっくりする書き物が出てくることがあります。

 以下、2009年に大学院博士課程に提出した課題レポートです。とても堅苦しい文体です。指導教官が点数をつける課題執筆なので、堅い文章で真面目に課題に取り組んだふうを装いました。ふだんの、何を述べるにも冗談をいれて笑えるようにしておく、という常套手段は封鎖して書きました。

 とくに(2)のアンティーチの部分は、自分が書いたレポートがちょっとでも学術的にみえるように見栄をはって書いた部分です。「比較文学」という授業のためのレポートなので、ちょっとは比較文学のオベンキョをしたらしく見えるように装っているのです。
 春庭がまじめぶってこんなことも書くのだ、という見本としてご笑読を。
 
 日本語教育が異文化教育と不可欠に結びついているということを言うために、アンラーン、アンティーチという用語を使ってもっともらしく書いたのですが、何を言っているのか、わかりにくい文章になりました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

1) アンラーン(unlearn)する
 第二言語教育(外国語教育)とは、必然的に主体の問題を包摂していくこととなる。
 アイデンティティの重層を織り込む言語活動のなかに組み込まれた学習が、教育者-学習者関係に内包されている<文化の政治性>を照射しつつ、文化の脱中心化、エラボレーションelaboration、エンパワメントempowermentへ向けられるべく、日本語教育の可能性をさぐっていきたいと思う。

 日本語教育は、なぜ「異文化」に関わる必要があるのか、<他者>として異文化を理解することが可能なのかという問いに立ち戻りつつ、異文化の中にある言語を教育していく可能性を考察していかなければならない。自己と他者の境界を意識しつつ、自己批判的に相互侵食するための「対話的想像力」を育てて行かなければならない。多文化教育において「文化を学ぶ」ことは、「安定した本質主義化への欲望」に抗するまなざしを育てる。また、複数の差異を交差した多様性を肯定的に評価する多文化教育において、<エスニシティ>を考察の対象としてとらえないならば、自他が固定された文化的二元論のなかに埋め込まれていくしかない。日本語学習のなかに異文化学習が必然的に組み込まれてくるのは、そのためである。

 unlearnという語について述べておきたい。
 鶴見俊輔が、学生時代にヘレン・ケラーから聞いたということばを紹介している。(朝日新聞2007年12月)
 ヘレン・ケラー
私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなければならなかった
 このときのケラーの発した「unlearn」を、鶴見は「まなびほぐす」と訳している。「まなび」(ラーン)、後に「まなびほぐす」(アンラーン)。鶴見はヘレンのことばを聞き、  「アンラーンということばは初めて聞いたが、意味は分かった。型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された
と感じたという。鶴見は60年以上も前の戦時中、異文化のまっただなか、敵国アメリカで学生生活をおくった。そのときににきいたヘレン・ケラーのことばが、今も鶴見の胸に宿り輝いている。さらに、鶴見は、ホスピスの医師として生と死をみつめてきた徳永進医師を評して、「徳永は臨床の場にいることによって、「アンラーン」した医者である。アンラーンの必要性はもっと考えられてよいと、コラムを結んでいる。
 「アンラーン=まなびほぐす」、このような日本語訳をはじめて知り、私自身の生活が、まさしく「学び(learn)をほぐす(un)」を続けるものであったことを確認した。ただこれまでは、私の生活を「unlearn=まなびほぐす」という一語で表現できるとは思っていなかったのだ。

2)アンティーチする
 大江は、unteachの用例として、文化人類学の研究者ジェイムズ・クリフォードのことばを引用し、リーダーズ英和辞典の訳語を紹介している。
unteach=既得の知識(習慣)を忘れさせる、(正しいとされていることを)正しくないと教えることの教えることの欺瞞性を示してやること。
 大江は、自分自身の仕事について、
 「小説を書くことによって、unlearnとunteachを二つながら書斎で試みることをするようになり、その手法を探ってきたとも気がつくのです
と述べている。

 教育において「他者」と出会い、複数の語りを繋ぐ結びに転化することで、文化を「広範な学習の場」となしていくことができるだろう。多文化教育研究、日本語教育研究にとって、「他者」を自己に包摂し、同一化してしまうなら、「他者」を「自由な主体」として認めることができない。同時に自分自身を「自由な主体」とすることも不可能になる。文化を「中心ー周縁」の対立にとどめず、「他者」に対峙する自らの位置を「unlearn」まなびほぐしていくことが、日本語教育、多文化教育研究にとって重要なものとなるだろう。
 スピヴァク(Spivak)は「アポリアを教えること」というインタビュー(『現代思想』1999年7月号)で

 「(多文化主義的実践は)いまではもはや対抗勢力ではない。むしろ新たに台頭してきた支配勢力となっている。そういう我々が行為者を主張することは、他者性の中に行為者を認知することであって、他者を理解することではない
と述べている。これも、unlearnの学びが「あらたな支配勢力」となっている多文化主義実践をときほぐし学びほぐしていくこととなるであろう。

 かって、日本語教育は、「皇民化教育」の名のもとに、「日本語を話さない人たち」をマイノリティからすくい上げる装置として「帝国の基礎」を担う存在だった。酒井直樹(1996)は、。

日本帝国主義や日本国家の侵略性を内面化し日本人として死ぬ準備をマイノリティ出自の個人に要請するような制度の正当化について指摘した。日本語教育は、まさしくそのような「制度」へ「主体」として関わっていこうとする人を養成してきたのだ。ポストコロニアル研究の隙間をぬって蔓延する「植民地支配合理化」論に足元をすくわれないためにも、日本語教育の可能性について、文化教育言語教育の視点を確認することが必要と思われる。

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 「認知症予防」という健康番組を見ていたら、足踏みしながら100から7ずつ引いていくとか、絵を描くとかダンスを踊るなんてのも、認知症予防にいいと解説されていました。↑の春庭文章もややこしいのを読んで、ちょっとは脳が活動して脳細胞がホットになるかしら。あらら、へんてこりんな文章を読んで、2日の雪より冷え込んでしまった方も、、、、失礼しました。

 私は、井上ひさしの「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」
という文章の方針が大好きですから、難しいことをむずかしそうに書いた文章、自分で書いたものなのに、読み直すのに苦労しました。脳が冷え込みました。
 
 堅苦しい文体で「学術的にみえるように」書くことは、私にはむきませず。ボンボンと論文を量産し、学術論文を何本学会誌に載せたかということで評価される学者には向かなかったけれど、、、、では、私は教育にむいていたのかというとそうも言えず。

 30年間語学教師として、まじめに務めましたが、「まじめなことをゆかいに」できたかというと、「まじめゆえに、つまらなく」もあったと反省しています。
 教師として主観的には一生懸命努力をしたのですが、それは主観にすぎず、客観的には教育者としてまっとうできたかというと、それもあやしい。
 結局なにごともなさぬままに1988年以来続けてきた教師の仕事も先細りに、、、、。

 私自身のアンラーンは続きますが、こころがけてきたアンティーチは、完成することなくおわります。いや、完成することがないからアンティーチなのかもしれませんが。
 
 ことし、後半はこれまでの仕事のつづきではあるけれど、少々異なる分野の仕事を始めます。あらたな仕事に挑戦です。
 老骨鞭打つということばにぴったりのハードスケジュールではありますが、老体に仕事を与えてもらえるということがありがたい。
 どうなるのか、どうもならんのか。やってみなければわかりません。

 もうちょっと脳をホットに鍛えないと。
 脳を鍛えるためには筋肉を鍛えることも必要だと、認知症予防の番組で言っていました。
 筋肉を鍛えないといけないのですが、2月2日のダンス練習「雪が降ったからお休みする」とメールしてサボりました。とほほ。

<つづく>
コメント (4)
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