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ぽかぽか春庭アート散歩>2021アート散歩拾遺冬(3)キューガーデン・ボタニカルアートin 庭園美術館
庭園美術館「キューガーデン英国王室が愛した花々シャーロット王妃とボタニカルアート 」展
会期:2021年9月18日-11月28日
美術館の口上
英国王立植物園「キューガーデン」はユネスコ世界遺産に登録され、22万点を超えるボタニカルアートを所蔵する世界最大級の植物園です。
はじまりは、1759年にジョージ3世の母であるオーガスタ皇太子妃がロンドン南西部に造った小さな庭園でした。ジョージ3世とシャーロット王妃の時代にその規模を飛躍的に広げ、当時ヨーロッパを席巻していた啓蒙思想などを背景に、研究機関としての整備も進みました。
本展では、18~19世紀に制作されたキューガーデン所蔵の貴重なボタニカルアートコレクションのほか、シャーロット王妃が愛し、王室御用達となったウェッジウッド社など陶磁器の数々を展示します。時代が大きく変革していく中で、英国において自然科学や植物画がどのように発展し、どのような歴史的背景を歩んできたのか、変遷をたどります。
精緻な描写による科学的視点と、目を奪われるような美しさが共存するボタニカルアート。世界中から集められた色とりどりの花々に囲まれるこの機会をどうぞご堪能ください。
庭園美術館の雰囲気はいつものとおりゆったりした空間ですが、人出は以前より増えていました。前回は、観覧しているのは私と娘だけ、という展示室もあったのですが、「キュー植物園の植物画」の会期がまもなく終わるという時期だったせいもあり、また、茶室光華庵公開がはじまった、というタイミングでもあって、密とはいわないまでも、なかなか人気でした。
キューガーデンの創始者オーガスタ皇太子妃の息子の嫁。シャーロットの肖像。オーガスタの息子ジョージⅢ世の妻は、英国の政治に口を出さないであろうという思惑からドイツの小国から選ばれたシャーロット。
シャーロットの実家は確かに英国政治に野心を持ったりしなかったようですが、シャーロットは姑からひきついだキューガーデンを充実させ、そのほか「クイーンズウェア」の称号を与えたウェッジウッド陶磁器を世界的メーカーにする役割など、イギリスの富と学術に貢献しました。
ちなみに、ウェッジウッドの創始者の孫は、進化論のチャールズ・ダーウィン。進化論が成立するためにも、ウェッジウッドの富が役立ったと思えば、シャーロット王妃は世界史的にもなかなかの人物。エリザベスⅠ世のように表舞台には出なくても、自分に与えられた範囲で、能力を発揮する人は発揮していたんですね。
ヨハン・ゾファニー シャーロット王妃の肖像 1772年 メゾチント、紙 個人蔵
チューリッパ・シルベストリスの栽培品種(ユリ科)byシデナム・ティースト・エドワーズ 1809年 黒鉛、水彩、紙 キュー王立植物園蔵
ロードデンドロン・ポンティクム(ツツジ科))by ピーター・ヘンダーソン。ロバート・ジョン・ソーントン編『フローラの神殿』より 1802年 銅版、紙 個人蔵 培品種(ユリ科) 1809年 黒鉛、水彩、紙 キュー王立植物園蔵
ボタンの栽培品種(ボタン科) byシデナム・ティースト・エドワーズ 1809年 銅版、手彩色、紙 個人蔵
R.J.ソーントン:フローラの神殿(シクラメン)
イスメネアマンカエス by シデナム・ティースト・エドワーズ 1813年 黒鉛、水彩、紙
展示のうち、撮影が許可されていたものは少なかったです。
新館のコーナーに、貴族の室内が再現されていました。当時の金持ち階級では、ウィリアム・モリス柄の壁紙にボタニカルアートを飾るのが流行。テーブルにはウェッジウッド。
この室内再現の壁に飾られていたボタニカルアート
約200点にも及ぶ展示品のうち、原画、印刷された白黒植物に手で彩色をほどこしたもの、後世のコピー印刷の3種類がありますが、この再現室内の絵はコピー印刷のものと思います。私には区別がつかないので、展示の全部が印刷でも撮影自由のほうが絵に親しめるかも。
ウェッジウッドのクイーンズウェアは、アールデコのお屋敷旧朝香宮邸にお似合いの展示でした。これだって、私にはウェッジウッドの本物なのか、〇〇産模倣陶磁器なのか、区別はつかぬ。
ウェッジウッド ポートランドの壺 18世紀(1790年頃完成) ジャスパーウェア(炻器) 個人蔵
ウェッジウッド 蓋付き深皿(クイーンズウェア) 1765-70年 クリームウェア(陶器)、エナメル彩 個人蔵
日本や中国の陶磁気器絵付けの影響を受けたテーブルウエアが西欧貴族のステータスになりました。
「こんな本物のウェッジウッドで食事を出されたら、コーヒーカップ落として割ったらどうしようとか気になっておちおちお茶も飲めない」と、娘と言い合う貧乏育ちの鑑賞会。
庭園美術館併設のレストラン・デュパルのランチコースが高いわりに居心地悪いと文句付けたあとの本館新館観覧でしたが、ボタニカルアートの精細な植物描写で気分も上々となりました。
最後に、シャーロット王妃の英国社会への貢献をもうひとつ。ボタニカルアートの分野では女性画家が大いに活躍し、女性のためのボタニカルアートスクールも開設されました。
女性の職業が限られており、教育を受けた女性の働き場所はほとんどありませんでした。上流中流下流の身分区別がはっきりしていたイギリス社会では、下流の女性は召使いや洗濯女などの下働きに出て、中流家庭女性の仕事としては、ジェーン・エアがそうだったように家庭教師の仕事がありましたが、上流家庭女性は職業婦人になることなど考えられなかった時代でした。そのころ、シャーロット王妃のもと、女性が活躍できたのが植物画の分野です。職業として確立したものであったとはいえない場合もあったでしょうが、女性が、家政や子供の教育以外で能力を発揮できる場所ができたことは画期的なことでした。
さて、ボタニカルアートについて、補足です。2016年5月に川原慶賀の植物画を埼玉県立近代美術館で観覧して図録も買い、「川原の植物画については、のちほど記録します」と20160513のブログに書いたのですが、その後川原慶賀の図録を買ったことさえ忘れていて、家の本箱のどこかにはあるはずですが、さて、どこに行ったのでしょう。掘り出した写真だけでもUPしておきます。
日本のボタニカルアート先駆者ともいえる川原慶賀。シーボルトに委嘱され、せっせと日本中の植物を精緻に写生しました。
日本には蘭癖大名などが日本流植物画を出版したりしてきましたが、「科学的な目を持って写生する」という意識を持って植物画に取り組んだのは川原が最初かと思います。
ボタニカルアートの世界。私にはただ楽しむだけの植物の絵ですが、環境の変化で絶滅寸前の草花も多い現在、葉や根、種まで正確に描いた図版は、貴重な記録と思います。
<つづく>