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音楽の秋2007年11月

2011-03-28 22:08:00 | 日記
11/06 音楽の秋(1)伍芳の中国古箏演奏
11/07 音楽の秋(2)月下独酌
11/08 音楽の秋(3)ガラスの箏
11/09 音楽の秋(4)古箏、琴、尺八

11/10 音楽の秋(5)アフリカンドラム
11/11 音楽の秋(6)コンゴのロキト
11/12 音楽の秋(7)コンゴの求愛ダンスを踊る

11/13 音楽の秋(8)アメイジンググレイス
11/14 音楽の秋(9)バラアイスとジャズスタンダード


2007/11/06 火
ぽかぽか春庭やちまた日記>音楽の秋(1)伍芳の中国古箏演奏

 10月27日土曜日に、北トピアつつじホールで、「日中箏饗宴 中国の音色日本の音色」というコンサートに出かけました。
 とてもすばらしいコンサートだったので、紹介したいと思います。

 コンサートもバレエや演劇公演も大好きなんですけれど、映画をシニア席千円でみるのとちがい、コンサートなどは、私にとっては、チケット少々お高いものが多うございます。

 「中国古箏」のコンサートも、チケット前売り5千円、当日5500円。
 チケット自腹で聞くなら、夕食のおかず代にひびくところだったのですが、持つべきは良き友。友人が招待券をゆずってくれました。

 古い友人のK先生、関西在住。
 13年前に中国で仕事をしたときの同僚で、宿舎が隣の部屋同士でした。夏休みに娘と息子がいっしょに暮らしている間、子どもたちにもとても親切にしていただいた方でした。

 引っ越し先の住所がわからなくなり、何年か年賀状の交換もなくなっていたのですが、今年、私が再び中国で仕事をしたことから、いろんな方へのリレー探索で、連絡先がわかりました。

 8月に帰国後、メールで連絡しあって、9月に会いました。久しぶりのおしゃべり、楽しくお話がはずみました。
 その中で、K先生の教え子さんの何人かのお話も出ました。

 K先生の教え子さん、日本での留学を終えて帰国した人もいますし、日本で仕事を得て働いている人たちもいます。
 教え子さんたちのなかで、K先生にとって忘れられないひとりが、K先生がかって教えていた独立行政法人の日本語学校卒業生。京都大学に進学した「伍さん」という人。
 
 とても優秀な方で、将来を嘱望されていたのに、1995年阪神淡路大震災のとき、下宿先で亡くなりました。
 だれもがその才能を惜しむ、中国上海出身の美しい留学生でした。

 K先生は上海と日本を往復して、ご両親をなぐさめてきました。ご両親と同じく、悲嘆にくれていた妹さんをも慰め、励まし続けました。
 この妹さんが、伍芳さん。亡くなった伍さんの妹さんは、中国古箏の演奏家です。

 伍芳さんは、9歳から古箏の練習をはじめました。
 1990年に上海音楽学校を主席で卒業したのち、来日。お姉さんとともに勉学に励みました。
 1995年、お姉さんを地震で失うという悲しいできごとに遭いましたが、お姉さんへの慎魂の曲を古箏に表現し、1996年に東芝EMIからデビュー。これまでに通算9枚のアルバムを出しています。
 私はそのうちの3枚をもっており、伍芳の箏のしらべをCDで聞いてきました。

 様々なジャンルの音楽家と共演してきた伍芳さんですが、今回のコンサートは、若手邦楽演奏家との共演。
 日本と中国の琴の共演、尺八を加えたトリオの演奏も、すばらしい音色でした。

<つづく>
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2007年11月07日


ぽかぽか春庭「月下独酌」
2007/11/07 水
ぽかぽか春庭やちまた日記>音楽の秋(2)月下独酌

 10月27日の演奏、日頃、邦楽をあまり聞かないという人にも、中国箏の演奏を初めて聴いたという人にも、すばらしい曲の数々で、音楽の持つ力って、ほんとうにすごいものだなあ、と改めて感じるひとときになりました。

 みやざきみえこさんは、日本の琴の演奏家作曲家で、現在はフランスで活躍しています。
 伍芳さんといずれアヤメかカキツバタの美女です。
 「邦楽界の貴公子」と渾名されている尺八演奏家の藤原道山さん。ハンサムです。

 4時からの第一部では、みやざきさん伍芳さんのそれぞれのソロ曲と13絃琴と21絃箏の二重奏。

 琴のみやざきえみこさん。芸大邦楽科卒業後、ピアノやオーケストラなどさまざまな人との共演をし、また作曲活動も続けてきました。

 みやざきさんは、竹下夢二作詞の「宵待草」をうたいながら演奏しました。声も美しかったです。

 そういえば、昔、私の姉が生田流のお琴の稽古に通っていたころ、私は「お琴の演奏だけならいいけれど、歌いながら演奏するのがいやだから、私は琴のお稽古に通う気はない」と言った覚えがあります。

 「さくらさくら」くらいなら歌いもするけれど、なんだか古くさい歌ばかり並んでいるので、そういう古いうたを歌うのはごめん被ると、生意気盛りの私は思ってしまったしだい。

 伍芳とみやざきの箏と琴の二重奏は、火花が散るような迫力の音で、みやざき作曲の「月下独酌」も、伍芳作曲の「撥水節」も、すごかった。
 「月下独酌」は、李白の詩に想を得た作品。伍芳は、中国語で詩を読んでくれました。

 李白「月下独酌」
花間一壷酒 独酌無相親 挙杯邀明月 対影成三人 
月既不解飲 影徒随我身 暫伴月将影 行楽須及春 
我歌月徘徊 我舞影凌乱 醒時同交歓 酔後各分散  
永結無情遊  相期遥雲漢

(拙訳:春庭)
 花の間に酒壷ひとつ ひとり手酌で飲んでいる 杯を挙げて明月を招き、我が影もいれて三人となる

 月はもともと飲めないし、影も私に寄り添うだけだが しばし、月と影とを伴って、春を楽しむことにしよう

 私が歌えば月は経巡り、私が舞えば影も乱舞す 酒の間はともに楽しみ、酔ったのちにはそれぞれ分かれる 永く結ぶはこの交遊、次は天にて落ち合おうよ 

<つづく>

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2007年11月08日


ぽかぽか春庭「ガラスの箏
2007/11/08 
ぽかぽか春庭やちまた日記>音楽の秋(3)ガラスの箏

 5時すぎからの第二部の最初に、ハリオガラス制作の「ガラス琴」の演奏がありました。
中国古箏をガラスで制作し、21本の絃をはってあります。
 このような大きな型を、吹きガラスで作ることは世界に例がなく、ガラス製造の精粋技術を会社をあげて追求した結果、透明なきらめく箏ができあがりました。

 曲目は『里の秋』
 透明でとても美しいガラスの琴から、高く繊細な音色が響いてきます。
 演奏する伍芳にとっても、はじめてのガラス琴演奏なので、緊張したそうです。

 ハリオグラスは、自社のガラス製作技術を高めるために、ガラスでバイオリンやチェロなどの楽器を制作しています。
 ガラス琴は、総制作費3250万円かかったそうで、「職人の手吹き技術による、世界初・世界最大のガラス楽器」だそうです。
 http://www.hario.com/whatsnew/violin.html

 我ら凡俗は、ガラス琴の値段が「ウン千万」と聞いただけで「ヒェー」と思います。
 伍芳が「今日のコンサート、この世界一のガラス楽器の音をきいただけでも、モトがとれてます」と、冗談を言ったら、聴衆みな「うん、うん」と、納得していました。
 もちろんガラス琴だけではなく、みやざきみえこさんの琴演奏も、藤原道山さんの尺八もすばらしい演奏で、モトがとれるコンサートでした。私は招待券入場だけれど。

 尺八の藤原道山さんは、10歳から尺八の稽古をはじめ、人間国宝山本邦山に師事、東京芸大で邦楽を専攻、大学院を修了した新進気鋭の演奏家です。
 なによりもイケメン!女性のファンが多いんじゃないかしら。

 道山さんもさまざまなジャンルの人と共演を続けており、山田洋二監督木村拓哉主演の『武士の一分』では、映画音楽の分野でもその演奏を生かしました。
 「武士の一分」に触発されたのか、2007年に結成されたチェロとピアノと組んだユニットの名前は「kobudo 古武道」です。

<つづく>
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2007年11月09日


ぽかぽか春庭「古箏、琴、尺八」
2007/11/09 金
ぽかぽか春庭やちまた日記>音楽の秋(4)古箏、琴、尺八

 第二部は、デュオとトリオ。
 琴のみやざきみえこさん。伍芳との二重奏もよかったです。

 また、みやざきさんと藤原道山さんのふたりで組んでいる「イースト・カレント(東の流れ)」という名のデュオは、日本だけでなく、アメリカでの演奏も好評をはくしてきたというコンビなので、息ぴったりの二重奏でした。

 尺八と琴デュオ「みつばち」これはみやざきみえこ作曲。おなじく、尺八と琴でビアソラの「オブリビオン」

 伍芳と藤原道山の二重奏は、お正月といえば必ずこの曲が流れてくる「春の海」。
 いつもは尺八と琴の合奏曲ですが、今回は伍芳が古箏で「春の海」に挑戦。
 1956年に作曲者の宮城道雄が亡くなってから、50年。昨年の12月に著作権が切れているので、今は「演奏し放題」なんですって。

 尺八、琴、古箏のトリオでは、マシコタツロウ作曲の「春告鳥」と伍芳作曲の「永遠の道」アンコールではみやざきみえこ作曲「秋の**」(タイトル忘れた)が演奏されました。
 どの曲もすばらしいコラボレーション、アンサンブル。圧倒的な音色が響きました。
 
 このコンサートは、東京都北区が毎年開催している北トピア国際音楽祭「世界の古楽」のひとつ。さまざまな「伝統的楽器」による、各国の演奏をとりあげている、ユニークな音楽祭です。

 今年2007年は、「世界の古楽、テーマは伝説」
 ヴェルサイユ宮殿で人気だった古楽器ヴィオルとクラブサンの演奏、韓国のパンソリ、スウェーデンの伝統音楽など、多彩な演目が10月28日から11月17日まで、行われています。

10月27日の「日中箏饗宴」は、そのプレ企画で、ボランティアさんが自主的に企画運営をしたイベントです。
 北トピアでは同時開催イベントとして「琴のルーツ古箏、一絃、五絃、七絃の各琴」の展示や、一絃琴の演奏がありました。

 「一絃の琴」は、宮尾登美子が直木賞を得た作品のタイトルとして知っているものの、目の前で演奏するのを見たのは初めてでした。

 秋のひととき、琴と古箏と尺八の音色にひたりました。

<伍芳の古箏おわり、アフリカンドラムへとつづく>
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2007年11月10日


ぽかぽか春庭「アフリカンドラム」
2007/11/10 
ぽかぽか春庭やちまた日記>音楽の秋(5)アフリカンドラム

 ケニアの首都ナイロビでアフリカンダンスを習ったのも、もう遙か遠い昔のことになりました。

 私、1979年から1980年にかけて、ナイロビでダンス修行をしました。
 アフリカンドラムの強烈なリズムにあわせて、手ふり腰ふり、足踏みをして踊るのは楽しかった。足のリズムがむずかしくて、覚えられなかったけれど。

 2分の2拍子、ワルツの三拍子くらいまではなんとかなるけれど、アフリカンビートの8分の5拍子など、複雑なリズム、むずかしい。
 ケニアなどアフリカでは、子どもでもなんなくこなすこのビートが、アジア農耕民族には調子がとれなくなる。

 今でもアフリカンミュージックが聞こえると、踊りたくなります。
 アフリカンミュージックの主役はドラム。
 木の胴体に皮を張ったドラム。タムタム、ジェンベなど、さまざまな種類があります。

 アフリカンドラム、東アフリカ西アフリカ南アフリカ、それぞれの地域に独自のドラムがあるけれど、10月28日、コンゴの首都キンシャサからきた「ロキト」というパーカッショングループのドラム演奏をききました。

 ロキトとは、アフリカ・コンゴのリンガラ語で「大きな音」「おおいなる響き」という意味だそうです。

 コンゴのリンガラ語は、アフリカ・バントゥ諸語のひとつ。私が習った東アフリカのスワヒリ語もバントゥ諸語のひとつですから、親戚にあたることばです。
 ケニアとコンゴ民主共和国は、ウガンダを間にはさんで、東側にケニア、西側にコンゴが位置している赤道アフリカの国で、コトバも文化も近隣関係にあります。

 リンガラ語でひとつだけ、覚えやすい語を紹介します。
 ネコはnyau ニャウ、または、niau ニァウといい、鳴き声がそのまま名詞になっています。
 日本語のネコは「ネウ、ニェウ」という泣き声を語源とするという説をとるなら、リンガラ語の発想と同じですね。

 「肉」は、スワヒリ語と同じニャマです。「火」「熱い/暑い」をmotoというのも同じ。共通している単語、調べればもっともっと見つかるでしょう。

 メンバーのうち、モフランは1987年に来日しました。劇団四季のミュージカル初演時に初代パーカッショニストとして出演したのをはじめ、日本のアフリカンミュージックシーンをリードしてきました。日本でくらして20年になります。

 日本語でのMCも達者なもので、「しゃべるのは慣れたけれど、漢字は苦手。でも、好きな漢字があるよ。品川。かわいいね。ボックス、ボックス、ボックス、箱三つで品。ラインラインライン、ライン3つで川、おもしろいね」

 B・B・モフランさんのブログ
http://blog.livedoor.jp/bbmofranck/archives/2006-12.html

<つづく>
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2007年11月11日


ぽかぽか春庭「コンゴのロキト」
2007/11/11 日
ぽかぽか春庭やちまた日記>音楽の秋(6)コンゴのロキト

 コンゴのミュージカルグループ「ロキトLokito」

 ロキトのMC、モフランさんは、ユーモアを交えながら、メンバーの名前を紹介をしました。
 「一番背が高い人、ムクナ。ムクナはね、名前おもしろいよ。日本語でいうと山っていう意味」

 ムクナ・チャカトゥンバは、パーカッション、アフリカンドラムとボーカル、キーボード担当。

 「一番背が低い人、名前、面白いよ。日本語でブタの反対。タブー」

 タブー・ンゴンゴは、アルトサックス、パーカッション、ボーカル担当。
 ケニア・マンゲレパでの活動を経て、1987年に初来日。1992年から日本に拠点をおいて音楽活動を続けている。

 「次はね、名前、おもしろいよ。自転車じゃないよ、自動車じゃないよ、エドシャです」

 エドシャは、パーカッション、ボーカル担当。

 「チャールズ・カプトゥ」は、パーカッション&ダンサー。体型はちょいメタボ系ですが、柔軟かつダイナミックな踊りを見せました。

 「山」という意味のムクナも、モフランと同じくライオンキングの初代パーカッショニスト。ロキトのほか、「ムクナバンド」を率いて、アフリカ音楽の演奏家として活躍中。
 他のメンバーもそれぞれ、さまざまな音楽活動を行っています。

 ロキトの楽器は、5人のメンバーが8個のコンガドラムと1つの腰に抱えるドラムを入れ替わりでたたきます。
 そのほか木のパーカッションや、カバサというマラカスのようなシャシャシャッという音の出る楽器、同じくシャッシャと鳴るシェイカーなど。
 絶妙のアンサンブルで、リズムを刻み、リンガラ語の歌をうたう。

 「アフリカのリズム、むずかしいよ。ウンは休んでね、タンとタタは手拍子。はい、ウン、タン、ウン、タンタタ、ウン、タン、ウン、タンタタ、これ、9分の8拍子ね」

 モフランは9分の8拍子といいましたが、ウン、タン、ウン、タン、タタは、8分の5拍子じゃないかと思います。私も数字に弱いけれど、たぶん、西洋音楽のリズムでいうと、8分の5にあたる。
 観客、8分の5拍子のリズム、上手に手拍子を打っていました。

 アフリカンビートは、複雑にリズムがかわり、いろんな拍子が組み合わさったり、途中で入れ替わったりします。
 アメリカ大陸に渡った人々によって、レゲエやサルサ、サンバなどさまざまなリズムも生まれて、世界の人になじみの音楽となっているので、私がナイロビでダンス修行をしたころに比べると、皆、楽しそうにリズムにのっていました。

<つづく>
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2007年11月12日


ぽかぽか春庭「コンゴの求愛ダンスを踊る」
2007/11/12
ぽかぽか春庭やちまた日記>音楽の秋(7)コンゴの求愛ダンスを踊る

 ロキトの演目は、リンガラポップスと呼ばれるアフリカンポップスから伝統的なコンゴ音楽まで、幅ひろい。

 「ヤヨ」「カタコリソ」などの歌やドラム合奏。
 「♪カタコリソ、カタコリソ~」と繰り返してうたいながら、「日本の人、この歌きくと、肩がこってくるね。ちがうよ。カタコリソは、肩こらない歌だよ」と、モフランがで笑わせます。

 「ムペンデ」は、チャールズのコンゴダンスパフォーマンス。

 見ているうちに、ナイロビのボーマスオブケニアでアフリカンダンスの練習に参加したころのことが思い出されてきます。踊りたくなってきます。
 ライブハウスなどでの公演では、観客がみな踊り出すということだったのですが、私が見ていた「まちかどコンサート」では、年配の方が多く、楽しんではいますが、いっしょに踊るところまではいかないみたい。

 「男性が求婚するときのセレモニーの踊りをこれからやります。ボランティアの人、手伝って」と、モフランが観客に呼びかけたのですが、反応なし。

 「まちかどコンサート」は、区の無料のコンサートであり、ボランティアスタッフがいろいろなお手伝いをしています。
 観客は、モフランがそのボランティアスタッフに呼びかけているのだと思って、だれも反応しないのです。

 それで、私が「ボランティア」で手をあげました。あわよくば、アフリカンドラムに乗って踊れるかと思ったの。
 でも、私の役目は、求婚される女性として、椅子にじっと座っているだけ。わー、つまんない。

 求婚されるにはちょいとトウが立ちすぎているボランティア。
 でも、観客のほとんどは、私より年上の60代70代のじいちゃんばあちゃんばかりだったのだから、私でも「若手」のうちよ。

 チャールズ・カプトゥがメタボなおなかをゆすって、自分のパワーを女性に示し、結婚申し込みを受け入れるようにアピールしてきます。

 女性は、3度ことわらなければなりません。それも求婚の儀式のうち。4度目にようやくOKを出します。カプトゥ、フィアンセの前で喜びのダンス。
 ええい、花嫁にも踊らせんかい!
 
 ただ椅子に座っているだけのボランティア参加でしたが、ま、楽しかったです。

<アフリカンドラムおわり、パイプオルガン&ソプラノへつづく>


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2007年11月13日


ぽかぽか春庭「アメイジンググレイス」
2007/11/13
ぽかぽか春庭やちまた日記>音楽の秋(8)アメイジンググレイス

 「無料、タダ、ご招待、ご自由にお持ち帰りください」が大好きな春庭にとって、東京に住んでいて「いいこと」のいくつか。
 ティッシュペーパーを街角ごと駅前ごとに配っているので、ティッシュペーパーを買わずにすむこと。
 無料のコンサートがあちこちで開催されること。

 毎月2回行われる「ホクトピアのパイプオルガン演奏会」も、無料で音楽を楽しめるイベントです。
 10月は、27日土曜日に、広瀬奈緒のソプラノと荻野由美子のパイプオルガンのデュオコンサートがありました。

 広瀬さんは、英国王立音楽大学(ロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージック)に2001年に入学し、2003年には最優秀賞を得て首席卒業。古楽のコンクールでたびたび入賞し、活躍しています。

 荻野さんは、東京芸大でオルガンを専攻。各地の教会やコンサートホールでの演奏を行う一方、後進の指導にあたっています。

 10月27日に聞いた曲は、オルガンソロで柿沼唯作曲「エコーとナルキッソス」
 私の苦手な現代音楽でした。

 ラストの曲が、オルガンとソプラノデュオで、モーツァルトの「アレルヤ」と、イギリス民謡「アメージング・グレイス」

 「アメイジング・グレイス」は、私も大好きな曲で、自分でもよく口ずさんでいます。広瀬さんの美しいのびやかな声は、この曲にぴったりでした。

 アメイジンググレイスは、もともとイギリスに伝わった曲に、ジョン・ニュートン(1725~1807)が詩をつけたものです。アメリカでは黒人霊歌となって、広まりました。

 黒人奴隷貿易を生業としていたニュートンは、黒人をアメリカに運んだことを悔い、後半生を神に仕えてすごしました。
 ニュートンが詩をつけた曲は、奴隷としてアメリカに渡った黒人たちによって盛んに歌われるようになりました。

 現在では、たくさんの歌手がカバー曲をレコーディングしているので、好きなバージョンで聞くことができます。
 また、賛美歌として教会で歌われることも多い。

 今年12月21日は、ジョン・ニュートンが亡くなってからちょうど200年。この曲はますます人々の心の歌として世界中で歌われていくことでしょう。

Amazing Grace by John Newton 驚くべきみ恵み (拙訳:春庭)

Amazing grace!  how sweet the sound 驚くべき み恵みよ! なんと甘い響き
That sav'd a wretch like me! 神は私のようにあわれな者も救われた
I once was lost, but now am found, 私は見失われていたけれど今見いだされたのだ
Was blind, but now I see. 私は何も見ることができないでいたが、今は見える

'Twas grace that taught my heart to fear,  み恵みは、私の心に畏れることを教えてくれた
And grace my fears reliev'd; そして 私を恐怖から解き放った
How precious did that grace appear, なんと貴いこの恵みの現れ
The hour I first liev'd! 私が初めて信じた時

Thro' many dangers, toils and snares, 多くの危険と苦悩と罠を越えて
I have already come; 私はやってきた
'Tis grace has brought me safe thus far, このみ恵みは、長く私に平安もらしてくれた
grace will lead me home. み恵みが、私を天の家へ導いてくれる

The Lord has promis'd good to me, 主は私に良きことを約束なさった
His word my hope secures; 主の言葉は、私の望みをお守りくださる
He will my shield and portion be, 主は私の盾となり私の一部となる
As long as life endures. 命のながらえる限り

Yes, when this flesh and heart shall fail,そう、この肉体と心が朽ちて
And mortal life shall cease; 限りある命が終わるとき
I shall possess, within the veil, 私は帳(とばり)の中に隠されている
A life of joy and peace. 喜びと平和の命を得るだろう

The earth shall soon dissolve like snow, いつかは地球も雪のように消えるだろう
The sun forbear to shine; 太陽も輝きを失うだろう
But God, who call'd me here below, しかし私に呼びかけてくれた神は
Will be forever mine. 常に私とともにあるだろう

アメイジンググレイス・オルゴールバージョン
http://home.g01.itscom.net/midi/songs/grace-mb.MID

<アメイジンググレイスおわり ジャズスタンダードへつづく>

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2007年11月14日


ぽかぽか春庭「薔薇アイスとジャズスタンダード」
2007/11/14
ぽかぽか春庭やちまた日記>音楽の秋(9)薔薇アイスとジャズスタンダード

 秋も深まった旧古河庭園。秋咲きのバラが庭を彩り咲き誇っています。
 庭園に入園して、まず売店で薔薇入りアイスクリーム200円を購入。四阿(あずまや)で食べました。
 春庭、芸術の秋より、まずは食欲の秋なので。

 バラアイスクリームには、「旧古河庭園」というシールがはってあるけれど、製造者は、鹿児島の大隅バラ農場。
 添加物を使わない無農薬のバラをアイスの中にいれてあるといううたい文句。
 最近では、赤福も比内地鶏もみんなウソばかりだけど、このバラアイス、バラの花盛りに食べる雰囲気のよさもあって、おいしくいただきました。

大隅バラ農場の手作り工房バラアイスのHP
http://www.roseice.com/

 おみやげに「バラ羊羹」も買いました。こちらも「旧古河庭園ばらの花ようかん」というラベルが貼ってありますが、販売会社は盛岡市の長登屋NK。
 白あん羊羹にバラの花びらが練り込んであります。
 家に帰ってから「痛快!羊羹一本丸かじり」で食べました。

 バラの庭を見て、芝生広場の「秋バラ音楽会」をききました。
 10月28日は、小松みゆきさんのスタンダードジャズ。

小松みゆきさんのオフィシャルHP
http://music.geocities.jp/jazzmiyuki/index.html

 オールオブミー、チャップリンのスマイル、フライトゥザムーンなどのスタンダードナンバーのほか、中島みゆきの「かもめ」など、大人のムードで聞くことができました。

 ベース志村洋一、ギター西村俊哉、ドラムス野村綾乃。
 ドラムの野村さん、女性ドラマーも昨今は珍しくなくなったとはいえ、その経歴が、千葉県市原市出身。武蔵野美術大学建築学科卒。同大ジャズ研出身ときくと、え~、建築家目指していたのかあ、と珍しく思います。

 ジャズは、曲のところどころに、ソロパートが入ります。ドラムソロ、いい感じでした。
 私はジャズは、まったく聞き慣れていないので、どういうのがテクニックが上で、どういうのが下手なのか、よくわかっていないのですが、野村さんのドラムは、とても心地よかったです。

野村綾乃さんのHP
http://geocities.yahoo.co.jp/gb/sign_view?member=ayano_ds

 旧古河邸をバックにしてステージがしつらえられ、観客は芝生に思い思いに座ってききます。
 午後3時開演にやわらかな秋の日差しが降り注ぎ、隣では親子4人連れが楽しそうにじゃれながら聞いていました。台風一過で空がとてもきれい。久しぶりに青空を満喫。
 音楽を楽しむ秋。バラアイスも美味しかったし、いい一日になりました。

 「音楽の秋」というシリーズでしたが、結局最後はアイスやら羊羹やら「食欲の秋」になってしまうのが私ですが、、、、

<音楽の秋、おわり>

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姑のお年玉2008年1月

2011-03-26 21:39:00 | 日記
2008/01/12
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(1)改築大作戦

 姑は、ここ数年「築30年すぎてから、雨漏りがしてきてこまっていたんだけど、おじいちゃんの看病で改築どころじゃなかった。やっと余裕もでてきたから、おじいちゃんの3回忌の前に改築したい」と、言い続けていました。

 姑は、これまで何年もかかって、図面をひいたりして改築プランをねっていました。
 東京の狭い敷地に建てられた3階建てなので、どう改築するにせよ、パズルのような部屋の組み合わせになります。

 最初のころの設計図では、2階と3階の階段がつながらないで空中浮遊、というプランを立てたりして、大笑いでした。

 楽しみながらの改築プラン、私は「おばあちゃんのぼけ防止にちょうどいい頭の体操だ」くらいに思っていました。
 夫は、「資金繰り」を心配して最初から改築大反対。

 中国行きの挨拶に姑のもとを訪れたときも「この設計図でどうかしら」と、きかれて「はあ、いいんじゃないでしょうか」と、答えましたが、あくまで「資金はないだろうから、この設計図も頭の体操だろう」と、思っていました。

 最後まで反対し続けた夫は「やるなら、勝手にやって。そのかわり、いっさい手伝わないから」と、言ったのだそうです。

 実現するとは思っていなかったのに、私が中国にいる間、姑は業者とのやりとりなどをこなし、資金もひとりでどこからか調達。

 改築といっても、東西南北4本の鉄骨を残して全部取り替える「新築そっくりさん」という全面改築です。四隅の柱を残すことで、新築に伴うさまざまな書類上の手続きを省き、簡単な改築手続きだけで、新築同様にできるのだそうです。

 姑の部屋は、これまで通り2階の南側。トイレは今まであった1階3階のほか、自分の居室のある2階にも作りました。2階の、元は夫の部屋だった一室をつぶして「お風呂部屋」にしたので、夫にとって「実家の書斎」は、なくなりました。
 
 実現しそうにない「頭の体操改築プラン」と思っていたのに、私が中国に行っている半年の間に、姑は、ひとりで改築をはじめ、ひとりで全部やりとげてしまいました。
 82歳の「家を守る」気概や、あっぱれです。

<つづく>
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2008年01月13日


ぽかぽか春庭「改築お年玉」
2008/01/13
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(2)改築お年玉

 姑の改築。
 1階のキッチンに畳コーナーを作ってこたつを置いたり、押入、床下、階段下まで収納スペースをたっぷり作ったところが姑の自慢です。

 「若夫婦と孫の居住区」は、3階で、6畳のキッチンのほか、和室8畳と洋室6畳。
 あの~「若夫婦」って言っても、私も、もう還暦近いんですけれど。
 姑からは、「私がひとりで元気でいられるうちは一人暮らしをしたいから、同居しなくていい」と、言われています。現在82歳の姑、100歳まで元気みたい。

 姑は、毎朝、最寄りの公園まで20分ウォーキングしたあと、老人仲間とラジオ体操。またウォーキングして帰宅。一休みして家事を終えたら、午後は、火曜日詩吟、水曜日童謡を歌う会、木曜日温水プールウォーキング、金曜日お習字、土曜日買い物、と、毎日予定があって、「忙しい」のだそうです。

 月曜日は、定期検診などにあてる病院の日。血圧や血糖値など、定期的に検査を欠かさず、タマネギの皮のお茶、黒酢大豆、カスピ海ヨーグルトなど、健康によいと勧められた中で、気に入ったものをきちんととります。

 3階は「万が一のときの介護担当者用」の部屋のつもりらしいけれど、夫は、「仕事をリタイアしたら、ひとりでタイへ行って、自由にのんきに暮らす」のが夢だといって、タイ語講座に通っています。おばあちゃんと暮らすのは、私ひとりみたい。

 「100歳までは、元気にすごすつもりだから、もし100歳すぎて体調が悪くなったら時はお願いね」と、姑にお願いされても、20年後、姑が100歳になるころは、私も80歳に近い。私のほうがへばっているってほうに一票。

 1月5日に留学生たちと姑の家へ行ったときには、「日本の生活文化贈答扁の紹介」として、祝い袋や不祝儀の袋を見せました。
 「お正月には、子どもたちにお小遣いをあげます。そのときは、このようなお年玉袋にいれてあげます。
こちらの小さい袋はポチ袋といって、チップ、心付けなどを渡すときに使います。

 お祝いの時にはできる限り新しいお札、お葬式のときには古いお札をいれます」など、贈答文化の紹介。

 姑には、大型お年玉袋に入れて、私からささやかなお年玉をプレゼントしました。ほんとうは、年金ひとり暮らしの姑のほうが、ワーキングプアギリギリ生活の私よりゆったりと生活できているのですけれど、気はこころ。

 昨年私がプレゼントした改築祝いで「この、椅子4脚セットを買ったのよ」と、ご披露してくれました。
 ささやかなお年玉でも、なにか有意義につかってくれることでしょう。

<つづく>

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2008年01月14日


ぽかぽか春庭「サンタがくれたお年玉」
2007/01/14
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(3)サンタがくれたお年玉

 元気な姑に比べ、どんどん衰えが進む我が身。そして2008年も一段と寂しくなるフトコロ具合。

 2007年12月、娘息子がふたりとも風邪をひいてしまうまで、暖房を入れませんでした。
 我が家で唯一の暖房器具である石油ストーブ。11月に石油を購入したのですが、これまでの2倍の値段に驚き、12月25日まで1度も使わずに過ごしたんです。

 暖房使わない記録の更新です。夏はものすごく暑くなる代わりに、冬あまり寒くないのがトリエのUR都市整備公団2DK。肩寄せ合って厚着してなんとかしのいだ。

 12月25日は、「風邪ひいちゃったし、クリスマスくらい暖かい思いですごそう」と、ストーブ点火。
 石油代より風邪薬代のほうが高くついたんじゃないかっていう説もありますが、ま、節約の気は心。

 二人とも風邪だったので、クリスマスディナーは12月26日の夜に食べました。
 生協の冷凍グリルドチキンをチンして、レトルトパンプキンポタージュを温めて、「包丁いらずディナー」ですけど、我が家にとってはミシュラン三つ星よりも、「母子で肩よせあって食べる味がいちばん」なんです。

 娘が生クリームを泡立てて、いちごをはさんだケーキ、おいしかったです。
 娘はスポンジを使ったショートケーキはあまり好きでなく、ふだんは、チーズケーキやフルーツケーキをよく作ってくれるのです。

 でも、「ハハは、クリスマスといえば苺ショートケーキだと思っているから」と、生クリームと苺をたっぷりつかったケーキをクリスマスデザートに仕上げてくれました。

 ごはんを食べ終わると、ハハが何気ないふりして、「あれ?なんだろう、窓の外、みてごらん」と言う。
 娘がカーテンを開けてベランダを見ると、物干し竿に、あれまあ、赤い靴下がぶら下がっています。娘が小学生のころ、サンタからのプレゼントがベランダの物干し竿に下げてあったのと同じように。

 靴下は、姑の手作り品です。
 娘が3~4歳のころ、姑が孫のために赤い布を靴下の形に縫ったもの。赤い布の上には白い布が貼ってあり、舅がサンタの絵を描いてくれました。

 なぜか20年たってタンスからひょっこり出てきました。
 小さいころのことをとてもよく覚えている娘も、この靴下のことは覚えていないと言います。

 きっと中に入っていたお菓子やおもちゃに夢中になって、舅姑が孫への気持ちを込めた靴下のほうは、「包装紙」程度にしか感じなかったので記憶に残らなかったのでしょう。
 おじいちゃんおばあちゃんの気持ちを感じながら、靴下リサイクル再利用しました。
 中身は、ハハからのささやかな、、、、

 靴下の中には「お年玉袋」が入っていて、息子が、「なんだよ、ここの家のサンタは、お年玉と兼用のプレゼントだよ」というシロモノが入っていました。
 というわけで、我が家のお年玉は、クリスマスプレゼントといっしょになって支給ずみ。

<つづく>
02:54 コメント(6) 編集 ページのトップへ
2008年01月15日


ぽかぽか春庭「元気玉・経験値UP」
2007/01/15
ぽかぽか春庭やちまた日記>お年玉(4)元気玉・経験値UP

 娘も息子も、小学5年生ころには、「どうやら我が家にプレゼントを持ってくるビンボーサンタという人は、母らしい」と、気づいていたようなのです。

 でも、「信じてない子どものところにはやってこない」と母がいうから、6年生の冬までは「僕、ぜったいにサンタは本当にいると思っているんだ。フィンランドのラップランドにいるんだって」なんて、信じているふりをしていたんです。

 「いつもうちには、ビンボーサンタがくるけれど、今年あたりカネモチサンタが届ける家をまちがえて、ゲーム機とか持ってこないかな」なんて、言っていたけれど、サンタが届ける家を間違えたりすることはありませんでした。

 「サンタさんがいるって信じなくなったら、サンタからのプレゼントはこないよ」と言ってあって、中学生になると、ビンボーサンタはベランダにやってこなくなりました。母から直接手渡しになって、夢はなくなったけれど、なぜ家に来るサンタがビンボーサンタなのか、という説明は不要になりました。

 お年玉は高校卒業で終了、という約束だったので、ここ数年はお年玉も娘にはやっていませんでした。
 しかし、2007年は、私の留守中、娘と息子で留守を守った「留守番ご褒美」として、お年玉をあげることにしました。
 ただ「お年玉」として渡すのではつまらないので、ビンボーサンタの赤い靴下の中にいれて「クリスマスプレゼント兼お年玉」に仕立てて渡したのです。

 ゲームソフトが1本買えるかどうか、というささやかなお年玉で、「ほんの気持ちだけですが」といったところ。
 
 2008年も、さらに節約の1年になると思います。
 ワーキングプアの家に生まれてきた娘と息子、ひたすら「ガマン」生活をしのいで育ってきました。

 でも、ふたりとも風邪程度の病気ですんでいるのだし、私も「寄る年波」の老化は、白髪も皺も五十肩も仕方ないことと受け入れながら、小さな幸せを探して過ごしていくつもりです。

 娘と息子が日夜はげんでいる「ゲーム」の世界では「経験値」をあげることが、最終的な「ゲームクリア」に、影響を与えるのだって。

 世間一般からみたら「生活保護家庭より低い収入のワーキングプア」の生活をしている気の毒なビンボー家族です。

 でも、一家してこんなに笑っていられるのは、「お金にはならなくても、人生経験値の豊かさはUPさせてきた」と思っているからかも。

 2度の「中国出稼ぎ単身赴任」を経験、卒業7回、転職11回、ケニアで「しょうもなし夫」と出会ってしまった結果、貧乏暮らしの連続、というお馬鹿な半生を「面白い人生経験だった」と、笑っていられる。

 今年はどんな経験ができるのやら。苦い経験もつらい思いも待ち受けているのでしょうが、どんな経験も、人生の糧と信じています。
 どんなことも「経験値UP」の通過点です。

 今年も元気に「経験値UP」、はげみます。
 私がもらうお年玉は、「お年玉」のそもそもの由来どおり「年神さまからの元気玉プレゼント」なのですから。
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ひなまつりのダンス2008/03/02

2011-03-22 13:10:00 | 日記
2003/03/02
ぽかぽか春庭やちまた日記>ひなまつりのダンス(1)グリーンスタンプ

 古い上着を脱ぎ捨てて、颯爽と歩きだしたい春、3月。
 なんだか新しい気分と、「♪古い上着よさようなら~」の気分が重なり合う。

 ここで♪のあとの部分、メロディをつけて歌えた人、年がわかりますね、ご同輩。っても、私はナツメロ番組でおぼえたんですからね!

 「青い山脈」第一作公開時、生まれてないっ!!あれ?生まれていたかな?4度目のリメーク1988年版の公開あたりで息子が生まれたのは確かなんだが。

 1月 2月、暖房費節約のために、着ぶくれしていましたが、3月が来たなら、もちっと身軽になりたい。
 実際にはまだまだ寒くて、古い上着とて脱ぎ捨てられませんけれど。

 いつまでたっても旧態依然の政治ごっこを変えようとしない国会は、自分たちの勤続(?)疲労にも構造疲弊にも気づかない振りをしているけれど、古いものはいつかはダメになり、捨てられる。古い体質は捨てたい。
 漁船衝突を隠そうとしたり、見張り役に責任を押しつけようとした防衛制服組も「古い上着」を脱ぎ捨ててほしいが。

 けれど、、、、
 戦後の物のない時代に育ち、「もったいない」が身に染みている私の世代、政治は捨てられるけれど、モノを捨てるのはむずかしい。
 長年使い込めば使い込むほど、新しい物に取り替えることが残念でならない。
 以下、4人の姪に読んでもらうためのmixy日記に書いた文の再編集版である。
==============

 姪の家の車エスティマが壊れた。
 5年の間、どこへ行くにも家族いっしょに運んでくれた車には、愛着が強いだろうと思う。

 私が35年間使い続けたトースターが昨年の年末に壊れた。
 我が家でもっとも長命を保っていた家電製品、35年間愛用しつづけたオーブントースターであった。
 毎日のように、朝食のパンを焼き、おやつのクッキーを焼き、夕食のグラタンを焼いた。
 35年間壊れずにいたのは、よほど「アタリ」の製品だったと思う。

 商品検査で厳しいチェックを受けて発売される家電であるが、「ハズレ」のときは、「1年間は無料で修理します」の、補償期間がすぎた1ヶ月後に壊れたりする。
 我が家の「大当たり」のトースター、お金で買った商品ではない。スタンプ交換商品。

 1972年に母が死んだ後、「グリーンスタンプ」というスタンプシールを貼ったノートが十数冊残されていた。
 私はこのスタンプ帳を形見にもらい、トースターに換えてもらった。

 そのとき、特別にトースターが必要だったわけではないが、ちょうどスタンプ帖の冊数と交換可能な品がトースターだったのだ。

<つづく>
01:06 コメント(7) 編集 ページのトップへ
2008年03月03日


ぽかぽか春庭「わさびのスタンプ帖」
2008/03/03
ぽかぽか春庭やちまた日記>ひなまつりのダンス(2)わさびのスタンプ帖

 現在、買い物をしても、飛行機に乗っても、ポイントをもらえる。最近はカード式でポイントはデジタル記録になっている。
 昔は、店のおばさんがくれる小さなシールをスタンプ帳に張り込む作業をするのが、買い物から帰ったあとの、ささやかな楽しみだった。

 『ビッグコミックスピリッツ』に、1994年4月から1997年3月まで連載されていた一条祐子の作品、漫画『わさび』。毎回楽しみに愛読していた。
 ある回に、「パン屋のスタンプ帖」が出てくる。

 登場人物のひとり、帯刀家住み込みの手伝い、小原ふみは、パン屋のスタンプシールをためていた。食パンを買って1枚、メロンパンとカレーパンを買って2枚、というように集めて、スタンプ帳に貼っていく。
 スタンプを貯めて、マグカップとかケーキ皿とか、パン屋の景品と換えてもらうのが楽しみ。

 ある日、大事なスタンプ帖がダメになってしまう事件が起こった。

 ダメになったスタンプ帖のかわりに、「そのスタンプで取り替えようとしていた商品を補償する」という申し出に対し、ふみは思う。

 「 そうじゃない、その商品がどうしても必要だからというわけでスタンプをためていたんじゃないんだ。
 何か必要な品物があるなら、スタンプをためるなんて悠長なことをせずに、お金を出して買えばいいじゃないの、と思う人は、「スタンプをためる楽しみ」をしらない人なんだよ」

 私は『わさび』の、ふみのことばで、なぜ、私が母の形見の品の一つにスタンプ帳を選んだのか、わかった。

 スタンプシールを1枚1枚貼り付けていく行為とは、自分のささやかな日常生活をいとおしむこと。
 取り替えられる商品をあれこれ選ぶ楽しみとともに、自分の「平凡だがいとおしい日常」を、張り込んでいくのがスタンプ帖なのだ。 

 私が形見にしたかったのは、買い物のあと、母が1枚1枚台紙にシールを貼り付けていた姿であった。

 「グリーンスタンプ帖、20冊たまったら、取り替えたい品があるんだ」と呟いてスタンプ交換のカタログを見ていた母の顔。
 何と交換しようかあれこれ考えていた母は、とても楽しそうだった。家族のために節約しながらも買い物をしてきた母の日常。その日常のひとつひとつの思いが、スタンプ帖に貼り込められていたのだろう。

<つづく>

06:19 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年03月04日


ぽかぽか春庭「流し雛」
2008/03/04
ぽかぽか春庭やちまた日記>ひなまつりのダンス(3)流し雛

 春の足音がきこえてくると、「さあて、昨日の買い物の分、スタンプ帖張り終えたら、おひな様出そうね」と、母が号令をかける。

 戦後の物不足のころに生まれた私や姉の雛人形は、今のような豪勢な段飾りから見たら、寄せ集めの粗末なものだった。
 妹が祖父母からもらった御殿付きの内裏様と三人官女はそろいのものだったが、あとは、ばらばら。

 私と姉の人形は、胡蝶、高砂、藤娘や汐汲みなどの舞踊人形だったが、それでも自分の雛はお気に入りで、大事に思っていた。

 娘たちといっしょにひな壇を飾るのは、母の楽しみのひとつだったろう。
 私たちが成長してしまうと、おひな様を並べてはしゃぐこともなくなり、母がひとりで御殿の内裏びなだけ出すことも多くなってきた。

 ひなの顔を見て「おひな様って、さびしそうな顔をしているね」とつぶやいた、母の顔。このときの母の沈んだ顔は、もうすぐ長女を嫁に出す寂しさゆえだったろうか、それとも孫をひとりも見ることなく「女孫のおひな様を選ぶのが楽しみ」と言っていた夢を実現することなく早死にする宿命を、そうとは思わず予感してのことだったのか。

 「雛納むいき遅れし娘の細き面」という俳句を、私が二十歳のときにつくって、「次女は嫁にいかない」と決め込んでいた母。
 ささやかな日常生活に楽しみを見いだしながら、ちびた鉛筆で、広告チラシの裏に俳句を書き付けていた母の姿。 

 ひな祭りのもとは、紙のヒナを川に流して、人の世の災いや汚れを流す行事だった。
 何かを捨てたり流したりすることに特別な気持ちがよぎるのも、捨てること祓うことが日常の連続を改めるための行為だから。

 風呂に入って、ついさっきまで自分の体の一部だった垢を流す。古くなった自分は流れていき、新しい皮膚に生まれ変わった自分になる。
 「禊ぎ」とは、この「新しい自分」を儀礼化したものなのだろう。

 古くなり汚れや日常の手あかがついた自分を水に流して、新しい自分として再生する。それが「ひな祭り」の流し雛。
 現代は、紙雛を流すのではなく、華麗なひな人形を飾ることがひな祭りになっているけれど、深層にある願いは同じだ。

 1年間の女の暮らしのあれこれを思い出しながら、雛を飾る。1年間のよどみは白酒の酔いに流し、桃の花の生命力の中に新生する命を思う。
 それが、雛のまつり。

 娘3人のために箱から出して飾る雛のひとつひとつに、母も、1日1日を積み重ねる自分自身の「女の日常」を見ていたのだろう。
 細々とした日々のくらしを、ひたむきに生きていた母の一生、たったの55年。
 その母の思い出のひとつがグリーンスタンプだった。

 55歳で死んでしまった母の形見のひとつ。スタンプのまま取って置いたのではない。オーブントースターと交換した。
 トースターは、いわば「母が毎日楽しみにスタンプを貼っていた姿」の記念品だったのだ。

 私にとって、今年の「流し雛」は、トースターを川に流す、、、、って、川にじゃなくて、「不要品回収」のシールを買ってきてトースターに貼り付けて、燃えないゴミの日にだすこと。

<つづく>
=============
いきし娘の部屋の広さや雛納む

長女をヨメに出したあと、母は姉の部屋を見てこんなふうに感じたのかなと思って春庭の詠む

春庭の長女はどうやら「いきおくれし娘」になりそうだけど、まん丸い顔で、どう脚色しても「細き面」には詠めない。
と、思ったら、若い頃の私の写真もどうみてもまんまる顔でした。
05:35 コメント(8) 編集 ページのトップへ
2008年03月05日


ぽかぽか春庭「トースターのための瀕死の白鳥」
2008/03/05
ぽかぽか春庭やちまた日記>ひなまつりのダンス(4)トースターのための瀕死の白鳥

 1972年当時の物価で17000円したナショナル製。トースターとしては、高級品のほうだったと思う。
 35年間、一人暮らしの朝のトーストも、子どもたちのおやつのマドレーヌケーキも、夕食の豚チャーシューも焼いた。

 娘と息子が「母が作る料理のうち、毎回失敗無く食べられるうまいものベストテン」のひとつに選んだのは「オーブントースターで焼く豚のチャーシュー」だった。

 生姜と大蒜を漬け込んだ醤油と酒に豚肉のかたまりを一晩浸してから、オーブントースターで30分焼く。最初10分、あとは5分ずつ、刷毛で漬け汁を塗りながら、少しずつ四面を回して焼く。

 他の料理はうまいときと失敗したときの差があるのに、トースターチャーシューは、いつでもちょうどうまく、中側しっとりに焼き上がった。
 働きつづけた愛着のあるトースター。

 年末に壊れても、捨てられずにいたけれど、1月13日の日曜日、新しいトースターを買ってきて、置くところがないからベランダに出した。
 いずれ、燃えないゴミの日家電回収日にださなければ。

 作家、川上弘美のエッセイ集に、『ほかに踊りをしらない』という本がある。
 タイトルになっている「ほかに踊りを知らない」というエッセイはこんなお話

 「 長年使っていた電話機がこわれた。愛着のある電話を捨てるとき、電話機のまえで、お別れの踊りを踊って送り出してやった。
 東京音頭。
 ほかに踊りを知らないので。 」

 私はトースターのために何を踊って送り出そうか。
 私は東京音頭も八木節もよさこいソーランも踊れるけれど。
 「瀕死の白鳥」にしようかな。
 
 マイヤ・プリセツカヤの、気品ある「瀕死の白鳥」には似てもにつかないが、サンサーンスの曲を流して、腕をゆらゆらと羽ばたかせて踊ろう。
 みずからの命の終わりを輝かせ、静かに息絶える白鳥のプライドを、トースターのために踊って送り出そう。

 え~、コメント書いてくださる方々、本日に限り、ツッコミご無用!
 「オバハンが踊るんじゃ、瀕死の白鳥じゃなくて瀕死のペキンダックでしょう」とか、「瀕死の豚の丸焼きでしょう」とかって感想、無用ですねん。
 せっかく品よくしんみりしてんのに。

<つづく>

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2008年03月06日


ぽかぽか春庭「トースターのためのチャールストン」
2008/03/06
ぽかぽか春庭やちまた日記>ひなまつりのダンス(5)トースターのためのチャールストン

 昨日、太陽黄経345度をお天道様が通り過ぎた。
 今年の啓蟄は、2008年3月05日。時刻:13:59 太陽黄経:345度。
 冬の間土にもぐっていた蛇も蛙も虫たちも、啓蟄をすぎれば、だんだんと土の上に顔をだすようになる。

 虫たちも踊り出す? はいはい、わかった。壊れたトースターを送り出すとき踊るダンス、「瀕死の白鳥」より、にぎやかに「天道虫のサンバ」がよさそうね。
 それともやっぱり、缶ビール片手に『ビヤ樽ポルカ』がいいかしら。

 え?「子豚のチャールストン」が似合うって?
 ええ、チャールストンも得意ですとも。
 モダンバレエもジャズダンスも、サンバもチャールストンも何でも踊れる、女版パパイヤ鈴木であるよ、私は。
 じゃ、「豚チャーシューのチャールストン」ってとこで。

 「五匹の子豚のチャールストン」のメロディで一曲、踊ります。
 親豚の私と子豚の娘が仲良く料理していると想像してね。

♪親豚子豚がいっしょに焼いてるブタチャーシュー 
♪とってもおいしい~んだ、チャールストン 
♪親豚子豚がトースタで焼いてる豚チャーシュー
♪いつもおいしい~んだ、ちゃーるすとん 
♪だって親豚子豚は仲良しで
♪いつもダンスをするのはチャールストン 
♪親豚子豚がトースタで焼いてる豚チャーシュー 
♪とってもおいしいんだチャールストン

 はい、これで方々にご満足いただける「トースターとのお別れダンス」になりましたっ!
 あれ?これじゃ豚の共喰いか?ま、いいや。

 山にも川にも、そよ吹く風にもそよぐ葉にも、人の心をつなぎ止めるものを感じてきた八百神の国。
 モノに対してだって、人のこころに通い合うものを感じてきた。

 99年使われた道具は「九十九神・付喪神(つくもがみ)」として敬われるようになるのだ、という言い伝えをきいた。
 長年愛用したモノと人とのふれあいを「神」の名にしたのが「つくも神」。

 トースターは35年の寿命だった。99年にはまだまだ足りず、つくも神にはなれない。でも、きっと「千の風」にはなっているだろう。

 もしも、春先の光る風のなかに、かすかにトーストの香ばしいかおりがしてきたら、、、、、、それはきっと、風になったトースターが送ってきたものにちがいない。
==================

mixy日記:姪からのコメント(エスティマとのお別れ)
踊ってあげられなかったけどレッカーに積載されながら歌を歌った(´・ω・`)
長年使った物とのお別れは寂しいね。(2008年01月16日 23:49 )

<おわり>
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肥後の匠&和敬塾2008年4月

2011-03-11 12:30:00 | 日記
2008/03/30 
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>肥後の匠(1)鍔師・林又七

 建物の設計士の名が後世に残るのに比べて、職人たち左官や大工の名が建築に残されることは、ほとんどありません。
 6世紀から続く世界最古の会社組織である宮大工・金剛組でも、統領の名は伝わるでしょうが、その他の職人の名は、私たちは知らないほうが多い。

 江戸時代の職人の中で、私でも名前を知っているのは、日光の三猿像を彫刻したという言い伝えのある「左甚五郎」くらいのものですが、この人も伝説上の人なのか、実在の職人なのか、定かではありません。

 現代の工芸作家、一家を成し人間国宝・無形文化財ともなれば名が残されます。あるいは「日展入選」などと箔がつけば、作品の値段が跳ね上がり、もはや職人ではなく、美術工芸家先生となる。

 しかし、無名のままもくもくと仕事を続ける職人も多い。
 たとえ作者名が残されていなくても、職人たちが一心に技を磨いて仕上げた作品に出会ったときは、心ふるえます。作者がだれとか、勲章があるとか、そんなことは作品を見るときには、何の関係もない。ただ、そこにある作品と自分の心が向かい合う瞬間があるばかり。

 私は、今は日本語教師であるけれど、かって国語科教師であったから、教科書に採択された『肥後の石工』を読んできた。
 肥後熊本に今も残る石造りの通水橋「通潤橋」そのほかの石橋を作り上げた石工たち。
 創始者藤原林七、その孫橋本勘五郎(丈八)、林七の直弟子岩永三五郎。
 名が残る人もいれば、黙々と石を刻み積み上げた無名の石工たちもいた。

 肥後の匠たち。石工だけではない。鍔師、林又七。
 無名ではないけれど、私は今まで知らなかった。

 肥後熊本藩お抱えの鍔師(つばし=刀の鍔をこしらえる金工職人)林又七(1613-1699)
 多くのすぐれた鍔や象嵌鉄砲の作品を残しました。

 私が感銘を受けたのは、文京区にある永青文庫所蔵の重要文化財「破扇桜象嵌鍔(はせんさくらぞうがんつば」と「九曜紋象嵌鉄砲(くようもんぞうがんてっぽう)」のふたつ。
 職人の見事な技。

 戦国が終わり、江戸時代になると、武器は戦う道具としてより「民を守る者の精神」を象徴する「神器」のような扱いになってきました。鉄砲も例外ではありません。
 各地の大名たちは、鉄砲を美しく仕立てて飾りました。

 肥後熊本藩の鉄砲。
 刀の鍔に象嵌をほどこす鍔職人だった林又七は、鉄砲にもさまざまな意匠の象嵌をほどこし、武器を美しい芸術品に変えました。

 「九曜紋象嵌鉄砲」は、長い砲身に九曜紋が象嵌されています。
 九曜紋は、「細川九曜」といわれるデザインで、大きな黒丸を8つの小さな黒丸が取り囲んでいます。それが砲身にいくつも並んでいます。
 美しいです。

本日の徘徊俳諧
鉄砲の象嵌の美や受難節 

<つづく>
00:45 コメント(2) 編集 ページのトップへ
2008年03月31日


ぽかぽか春庭「破扇象嵌の鍔」
2008/03/31 
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>肥後の匠(2)破扇象嵌の鍔

 刀の鍔。
 国立東京博物館などで、鍔の象嵌も多く目にしてきて、さまざまなアイディアの図案に目をみはってきました。武器である刀の鍔に、思い思いのデザインを施して腰に差して歩いた江戸の武士。
 刀を武器として振り回すことが必要なくなった世の中にあって、刀は鍔や鞘に美しい細工をほどこし、「武士(もののふ)の魂」の象徴として、腰にあったのでした。

 今回、林又七の鍔の意匠に強くひきつけられました。
 重要文化財「破扇桜文象嵌鍔」、永青文庫所蔵。
 五弁の桜が裏表に一つずつ。破れた扇子がふたつずつ。

 扇子は、日本の発明品として、中国へまた遠く欧州へも伝えられました。
 折り畳み式でないうちわのような扇は中国やヨーロッパにありましたが、折り畳み式を発明したのは日本だということは、あまり世界に知られていません。
 室町期には、日本の重要な輸出品でもありました。

 扇子をモチーフにした意匠デザイン、さまざまにあります。
 「扇面散らし」は、着物や屏風のデザインの定番になっていますし、日本画にもよく描かれます。

 しかし、「破れた扇」がこれほど美しくデザインされているのを見たのははじめてでした。
 「破れている」のです。ぼろぼろの扇子です。

 「滅びの美」は、芸術のモチーフのひとつです。歴史や時の流れに身をひたす、古来からの美の感受性です。
 欧州にも、ギリシャやローマの廃墟遺跡を尊ぶ気風がありました。漢詩にも廃墟となった町や楼閣を読んだ詩があります。

 しかし、日本の扇子が輸出された中国や欧州に、「破れた扇子」をモチーフにした芸術品が生み出されることがあったでしょうか。
 壊れたもの、破れたものに「美」を見いだすこころ、、、、

 「平家」にしても、「太平記」にしても、「盛者必衰のことわり」「諸行無常」の仏教観が色濃く反映し、滅びていく者たちを哀惜する感性が、美となって表れています。

 でも、これほど直裁に「破れた扇子」が見事な精神的な奥行きを持って現前したのを、私は見たことがなかった。
 観念ではなく、実際に目に見える意匠として、「破れること滅びること」が目の前にあり、言葉にならない美を描いている。ただ、美しい。

 又七の仕事を見て、職人の技と誇りを、また、まざまざと目に残すことができました。

 永青文庫に所蔵されている8点の国宝のうち、今回見ることができたのは、「細川ミラー」と通称されている「国宝・金銀錯狩猟文鏡」。
 中国戦国時代に作られた非常に美しい文様の鏡。河南省洛陽市郊外、金村古墳群出土。
 この鏡の文様をそっくり復元した高野松山の狩猟文鏡箱が、また見事な作でした。

本日の徘徊俳諧
鍔にある桜に破扇の諸行無常

 次回より、永青文庫、旧細川侯爵邸、和敬塾の徘徊記。
 趣味のひとつ「東京に残る近代建築」の散歩記録です。

<おわり>


2008/04/01 
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>殿様の博物館(1)和敬塾本館と村上春樹の蛍

 春の春庭俳諧徘徊。
 今回、はじめての旧細川侯爵邸めぐりをしました。
 肥後の殿様細川護煕が首相になったりして、熊本について見聞きする内容はふえてきましたが、これまで永青文庫や和敬塾を訪れたことはなかった。

 巡ったところは3カ所。
1)和敬塾本館(旧細川侯爵邸) 2)永青文庫(旧細川邸事務所) 3)新江戸川橋公園(旧細川邸庭園)

 「旧細川侯爵邸」は「和敬塾本館」として保存されています。
 台東区の旧岩崎邸、目黒区の旧前田邸、北区の旧古河邸などには何度も足を運んで内部の見学もできたが、細川邸はこれまで見たことがなかった。

 旧細川侯爵邸は、1936年に細川家第16代当主・細川護立(ほそかわ・もりたつ 1883-1970)によって建てられた洋館です。
 今回は外観だけの見学。

 内部は、年に10回ほど一般公開されています。夏休みの公開時に申し込みをして、またこようと思います。
http://maskweb.jp/b_wakei_1_1.html

 和敬塾は、地方から東京の大学に進学してくる男子学生のための寮です。書類審査面接審査によって学生を厳選し、「良家子弟」を入寮させることで有名。
 かっては「知る人ぞ知る」存在の寮でした。
 30余年前、私自身が学生のとき、学校の近くにあるにもかかわらず、まったくその存在を知らなかった、庶民には無縁の寮でした。

 村上春樹が「ノルエーの森」のなかにこの寮を描写したことで、「ノルエーの森にでてくる学生寮のモデル」として知る人も増えてきました。
 私もたぶん、「ノルエーの森で主人公が歩く土地を追跡散歩しよう」というような「東京散歩本」の中で知ったのだと思います。

 村上春樹は、早大進学後から秋まで入寮していましたが、塾の雰囲気に合わずに退寮。
 春樹は、「芦屋のエエシのボン」だから、入寮できましたが、私が息子のために申し込みをしたとしても、入れてもらえない。「しかるべき家庭」じゃないから。
 
 敷地内には「関係者以外立ち入り禁止」と書いてあったが、勝手に庭を歩きました。
 細川邸下屋敷時代からの大木がうっそうと茂っている庭。
 春休みでも、何人かの学生は残っています。

 その学生たち、「こんにちは」と、挨拶してくれる。
 なんと礼儀正しい気持ちのよい青年たちであることよ。私は「敷地内勝手に乱入の不審者」であるのに。

 さすが、「全国から地方有力者の息子を集める」と言われる和敬塾、エエシの坊ちゃんは、我等シモジモとはしつけが違いマッセ、と、感心しましたが、「塾内で出会うときは、誰に対しても必ずこんにちはと言う」のが、寮のルールでした。
 これを守らない新入生などは、先輩からこんこんと「塾生精神」をたたき込まれるらしい。

 塾生たち、あるグループはデジタルビデオで撮影をしている。自主制作映画グループでしょうか。
 あるグループは、寄り集まって談笑している。春風のここちよい日だまり。

 「この寮に、うちとこの息子は入れてもらえない」というひがみ半分で塾内を歩いていましたが、気持ちのよい挨拶をうけて、みみっちいヒガミもおさまってきました。
 若々しいつぼみたちよ、存分に花開くがよい。
 桜さくのも、もうすぐという3月16日の徘徊でした。

本日の徘徊俳諧
和敬塾の青年の声風光る

<つづく>

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2008年04月02日


ぽかぽか春庭「永青文庫」
2008/04/02 
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>殿様の博物館(2)永青文庫

 「永青文庫」は、細川護立の収集したコレクションをはじめ、細川家700年の歴史的な資料宝物を展示しています。
 東京に住むこと合計四半世紀になるのに、はじめて観覧しました。

 細川家は、初代の細川藤孝(幽斎)2代忠興(三斎)3代忠利(母はガラシャ)と、武将でありながら文人としても才能を発揮した家。
 明治以降も「美術の殿様」と呼ばれた細川護立侯爵はじめ、熊本県知事から首相になった細川護煕まで、芸術肌の人を輩出しています。細川護煕は、護立の孫。現在は陶芸家として一家をなすようになっています。

 細川護立(1883-1979)は、肥後の殿様16代目。
 学習院時代の同級生であった武者小路実篤、志賀直哉らと親しく、パトロンとして、多くの芸術家・学者を援助しました。
 護立は、細川家代々の財物が四散しないよう、財団法人を設立して、歴史資料、美術品を「永青文庫」として保存することにしました。

 彼の言ったという有名な冗談があります。
 護立「細川家にはもっとよい宝物がたくさんあったのに、この前の戦争で大半焼けてしまって、惜しいことをした」
 記者「え?太平洋戦争の空襲ですか」
 護立の返事「先祖が京都に屋敷を構えていた頃のことですから、この前の戦争と言ったら、応仁の乱ですよ」

 これ以来、京都にふるくから住んでいる家は、皆これにならって言う。「いやぁ、うちとこには、ご先祖のええもんぎょうさんあったのに、この前の戦争で焼けてしまいまして。ええ、応仁の乱で」

 永青文庫は、1973年から博物館として一般に公開されています。
 今回私が見たのは、「鴎外・漱石と肥後熊本の先哲たち」という展示。

 森鴎外(1862~1922)は、熊本藩の殉死事件に取材した「阿部一族」を執筆しました。
 事件の概要を報じた熊本藩の古記録が展示されていました。

 鴎外自身の筆は、オペラ「オルフェウス」の訳稿が展示されていました。ついに上演されることはなかったグルック作曲のオペラの鴎外訳本、興味深かった。

 横書きに丁寧に筆記されたドイツ語の脇に、朱筆で縦書きに和訳が書き込まれています。
 
  現代なら、横書き欧文に並べて日本語も横書きするところですが、鴎外の美意識では、日本語を横書きにすることをよしとしなかったのかもしれません。

 詩人木下木太郎が書いたこのオペラについての解説と、細川護立の「この稿を買い求めたいきさつ」解説文がついていました。

本日の徘徊俳諧
ユリディスのあと追うオルフェの夢春暁

<つづく>

05:30 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年04月03日


ぽかぽか春庭「漱石の『野分』自筆原稿」
2008/04/03
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>殿様の博物館(3)漱石の「野分」自筆原稿

 「鴎外・漱石と肥後熊本の先哲たち」展示のなか、漱石の原稿は「野分」の手書き草稿完全版。
 高浜虚子の解説文によると、「漱石先生の原稿は、校了すると廃棄していた。何故この草稿だけ残されていたのかわからない」と述べています。

 どうりで、「漱石展」などに出かけても、手書き草稿展示が少ないと思っていました。手紙類は、書き損じはがき反古のたぐいまで収集されているのに。
 手紙はもらった相手が大切に保存したから残されたけれど、小説原稿は虚子がせっせと廃棄していた、、、、
 漱石の方針で、そう指示されていたのか「自筆原稿廃棄処分」とは、虚子ももったいないことをしたもんだ。

 高浜虚子が原稿の最初に「夏目嗽石」と著者名を書き込んでいる。現行の「漱石」ではなく、口偏をつけた「嗽」の字になっています。
 漱石もずいぶんと異体字や当て字を用いる人だったが、弟子も師匠の名前の文字を「どっちでも同じ」と、書き込んだらしい。
 こんなことも、印刷本ではわからない、自筆原稿だからこその、貴重な手書き文字です。

 明治のジャーナリスト、朝日新聞記者池辺三山(1864-1912)の般若心経写経も展示されていました。池辺は、漱石を朝日に入社させ、新聞小説を書かせた人でもある。

 池辺三山以上に有名な明治のジャーナリスト徳富蘇峰(1863-1957)が、細川護立あてに書いた手紙の要旨は、以下のような内容。

 「侯爵閣下が自著をお求めだというので、名誉に思ってお送りしたところ、執事がきちんと本の代金をおくってきた。お金を受け取るつもりで送ったのではないのに、恐縮している。いただいたお金は、人の役にたつ資料を買うのに用立てる」
という礼状でした。

 一冊の本にもきちんと代金を支払う護立の「コレクション方針」がわかるエピソードです。
 徳富蘇峰は、代表的な「肥後もっこす(頑固一徹、無骨、反骨)」といわれますが、殿様護立も、そうとう頑固におのれの「美学」を守って生きたのだろうと思います。

 永青文庫の建物は、旧細川侯爵邸の家政所(事務所)であったところ。
 2階の応接室のソファは往時のままの雰囲気で、雑誌「和楽」に、細川護煕(現在の永青文庫理事長)がこの部屋でくつろぐ写真などが掲載されていました。

 2008年4月に、熊本県立博物館に細川コレクション永青文庫展示室がにオープンします。熊本城内の一角にある展示室で、永青文庫の所蔵品が、展示替えをしつつ見ることができるようになりました。

 熊本のみなさん、ぜひ足をお運びください。お宅の宝物は、応仁の乱だか西南の役だかのとき焼けてしまったことでしょうが、永青文庫には、まだまだオタカラが残っています。
 
本日の徘徊俳諧
春の城 肥後もっこすの筆の反古

<つづく>

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2008年04月04日


ぽかぽか春庭「新江戸川公園」
2008/04/04 
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>殿様の博物館(4)新江戸川公園

 3月16日日曜日は、4月中旬の陽気というポカポカの日でした。
 神田川沿いの江戸川公園のなか、川沿いに植えられている桜は、もう花芽がはち切れそうにふくらんでいました。
 地下鉄江戸川橋駅から江戸川公園を抜け、椿山荘冠木門を通りすぎ、新江戸川公園まで歩きました。

 文京区が管理し整備している新江戸川公園は、肥後熊本藩の下屋敷だったところ。
 7000坪の下屋敷が、現在は公園、永青文庫、和敬塾の3カ所に分かれています。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tokyo-sanpo/36.htm

 公園内は、大名庭園の雰囲気をよく残す回遊式庭園で、神田川に面する低地から、旧細川邸のある高台まで、上下差を利用した回遊式になっています。
 東京は台地と低地が入り組んだ地形であり、高低の地形を上下する階段や坂道が都市景観の特徴にもなっています。
http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kouen_annai_kuritukouen_kouen_shinedogawa.html

 園内は、梅や白木蓮・紫木蓮が満開でした。
 ぽかぽか陽気のすっきり青い空には、白い半月がみえます。

 川沿い低地から台地へ昇る斜面に、夏蜜柑の木が実をたわわにつけていました。
 高く放りあげられた鞠が、いくつもいくつも木にひっかかって、木の中でまりつき遊びをして跳ねているようにきらきらとざわめきながら、黄金色に輝いています。

 夏みかんというから、夏の季語かと思っていたのに、白い「夏みかんの花」は夏の季語ですが、実は秋に熟し、冬から春まで実は樹上に残され、市場にでるのは春から初夏。
 私が持っている歳時記には「春」の部に「夏みかん」が登載されています。小春日和が晩秋から初冬の季語であるのと並び、「入試用引っかけ問題、季語」になりそうです。

本日の徘徊俳諧①
 春の昼 黄金(きん)の実樹上に 白き月 

 ♪あんたがたどこさ、ヒゴさ、肥後どこさ、熊本さ~
 という手まり歌、「さ」のところで、まりを高く放りなげて受け止めたり、まりの前でくるりと回ったり、足の下にまりを通したり、いろいろなワザを見せるのが「まりつき」の楽しさでした。
 まりつきをして遊んだ子供のころには「ヒゴ」「熊本」がどこにあるのかも知りませんでした。

 これまでに、一度だけ肥後熊本に行ったことがあります。
 「劇団野ばら」の役者として、北九州一円の小学校体育館を回って「児童のためのミュージカル」を演じてすごしたとき。
 福岡佐賀が中心の公演でしたが、熊本での公演が一回だけありました。
 
 公演地の学校乗り入れ、舞台設営、公演、舞台バラシ、次の公演地へ。というスケジュールでしたから、たった一日の熊本公演も、バスのなかから熊本城を見ただけでした。
 熊本の街の印象もほとんど残っていないのだけれど、もう一度ゆっくり滞在してみたい町のひとつ。
 
 いつか熊本を再訪できる日を楽しみに。
 肥後の石工たちが築いた橋も、かってバスの中から見ただけの熊本城もゆっくり見て歩きたいです。

本日の徘徊俳諧②
 老母(はは)の鞠 はずみて花芽のふくらみぬ
 春愁や指細き子の手まり唄

<おわり>

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桜さくらサクラ2008年4月

2011-03-09 07:04:00 | 日記
2008/04/05
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧>桜サクラ散歩・目の至福(1)桜さくらサクラ2008
 
 4月1日2日の「アート散歩」、テーマは「桜」
 桜と美術を求めて一日、歩きました。疲れたけれど、桜、堪能しました。

 4月1日の散歩
1)半蔵門前から半蔵堀に沿って、千鳥が渕公園を歩いて花見。
2)山種美術館で「桜さくらサクラ2008」展鑑賞。
3)代官山通りの土手上を歩いて、首都高越しに千鳥が渕の桜を見る
4)近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)「花と工芸展」鑑賞
5)北の丸公園南側、北桔橋門(きたはねばしもん)の向かい側の紅しだれ桜を見る
6)近代美術館常設展鑑賞
7)日本橋高島屋で中山忠良展鑑賞
8)日本橋三越で春の院展鑑賞

というハードスケジュールをこなして歩き回りました。
5時の閉館時間ぎりぎりで見た近代美術館、「閉館です」と言われて、あせってエレベーター前まで走ったら、「急がなくて結構です」と、笑われた。ほんとによく歩いた一日でした。

1)千鳥が渕公園の桜(千鳥が渕公園と千鳥が渕緑道は別。混みこみになるのは緑道のほう)
http://www.ne.jp/asahi/web/oki/hana/chidori_0104.html (私が撮影した写真をUPする方法がわからないので、ひとさまの写真をリンク 2007/03/30撮影されたもの)
 
2)山種美術館「桜さくらサクラ2008」展
 http://www.yamatane-museum.or.jp/exh_current.html

 千鳥が渕公園、千鳥が渕緑道の桜も見事な満開でしたが、石田武の「千鳥が渕」もお堀の水に映える満開の枝の美しさをよく描き出していました。

 吉野の桜、京都都の桜、それぞれに美しい。描かれた夜桜も、速水御舟、加山又造、千住博、画家の個性がよく出ていて、このような夜桜の前にひとりで立ったら、きっと桜の精に会えるだろうと思いました。

3)代官山通土手から見える桜。
 満開の桜が、千鳥が渕に枝を垂らしています。緑道側と北の丸公園側の両側から競うように寄り合う桜。お堀に映える美しさは、なんとも言えません。

 千鳥が渕緑道は、押すなおすなのラッシュ。そんなときでも、首都高を隔てた代官山通りは、人も少なくて、ゆったり花を見ることができます。東京の桜のなかでも、私のとっておきスポット。

 ことに、桜を手前に、旧近衛師団本部(現・近代美術館工芸館)のレンがの建物を背景にした写真スポットは、大のお気に入りです。

 でも「知る人ぞ知る」ですから、知ってる人は写真取りに来ていて、「ちょっとぉ、おっちゃん、そこ、私のお気に入りスポットなんですから、早くどいてよ」と、心の中で念じつつ、おっちゃんが私の撮影ポイントからどくまで、しらぬふりで桜を眺めていました。

 やっとおっちゃんがどいたので、私もデジカメでパチリ。うん、傑作です。
 って、いつから「私の撮影ポイント」と、自分のものであるかのごとく、、、、
 
 近代工芸館のレンガ建物は、以下のURLにhttp://www.momat.go.jp/CG/introduction.html

本日の徘徊俳諧
花ぞ知るや竹橋師団の反乱史

<つづく>
03:29 コメント(9) 編集 ページのトップへ
2008年04月06日


ぽかぽか春庭「花と人形」
2008/04/06
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧>桜さくら散歩・目の至福(2)花と人形

4月1日の散歩つづき

5)近代美術館工芸館「花と人形」展
 花をモチーフにした工芸作品、第一室には、染めと織りの着物。 
 私は、志村ふくみさんの紬、「梅の段」に心ひかれました。むかし、「いつか志村さんの着物を一枚でいいから手に入れて、着てみたい」と、日記に書いたことがあったのだけれど、とてもとても、買えるはずがない。こうやって、美術館で見ているだけでも満足です。
 芹沢介(せりざわけいすけ)の紅型風の型絵染も美しかった。

 また、私は、人形作品が好きです。堀柳女、鹿児島寿藏、四谷シモンの作品、どの人形も作者の個性を強く発揮して、存在感たっぷり。

 四谷シモンの『解剖学の少年』
 医療標本のようでいて、独自の世界観を示す。「球体間接人形」の傑作と思う。
http://www.simon-yotsuya.net/oeuvre/galerie07.htm

 浜いさをの『箱の男』も、よかったし、吉田良の『すぐり』も妖しい美しさが何とも言えない。

6)近代美術館常設展
 常設展といっても、年に何回か出品展示の入れ替えがあるので、来るたびに違う作品に会えるし、何度見てもいい「なじみの作品」も多い。
 今回は萬鉄五郎が、一室に特集されていました。 

7)中山忠彦展・日本橋タカシマヤ8階ギャラリー
 この人の作品を初めて見ました。
 中山さんは、1965年に良江夫人と結婚して以来、一貫して良江さんをモデルとし、アンティークのヨーロッパドレスとアクセサリーを身につけた夫人像」を繰り返し描き続けました。
 衣裳やアクセサリーの美しさ、そして永遠の若さと美貌に輝く良江夫人。

 モデルが着た衣裳やアクセサリーの一部も展示されていました。
 中山画伯は、若くて貧しい画家だった頃、イミテーションの真珠をつけたモデルを描いたところ、ニセモノのパールだと画商に見抜かれ、それ以来、本物のアンティークアクセサリーや衣裳を収集してきました。今ではアトリエ地下に300点が保存され、アンティーク衣裳コレクションでは、日本有数だそうです。

 これらの衣裳をつけた良江夫人、どのキャンバスの中でも非常に美しい。
 と、奥さんの美しさ若さに見とれていたのですが、制作風景をうつした写真パネルによると、奥さんは1965年から2008年までの40年以上の年月、少しも年をとらずにいたわけではなく、ちゃんと「老けてきている」のです。
 でも、中山画伯の筆にかかれば、良江夫人は永遠の美を保っている。
 幸せなご夫婦ですね。

 今回の展覧会のポスターではありませんが、作品がよくわかるのでリンク
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/bunka/bunkajinten/nakayama.htm
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/bunka/bunkajinten/nakayama.htm

8)春の院展
 日本橋三越の「春の院展」
 この前見たときも同じことを思ったのですが、300点以上並んだ日本画、「同人」とか「無鑑査」とかいう札を下げたエラソーな作品と、「初入選」の札を下げてある作品、どこがどう違うと、落選になったり、無鑑査になったりするのか、素人の私にはさっぱりわかりません。

 どの絵も、よいように見えるのです。そして、どの絵も、「これ一枚」と心惹かれるようなものには出会わなかった。どれも高い水準を保っている絵であり、どれも同じように見えた。たくさん並びすぎているせいかしら。

本日の徘徊俳諧
(平田郷陽制作の人形を見て)
「桜梅の少将」の舞う青海波(せいがいは)

4月1日のコース
地下鉄半蔵門駅11:00→千鳥が渕公園11:10~11:40→山種美術館11:40~12:40→トニーローマ三番町店ランチ1050円12:40~1:40→代官山通り1:50~2:20→近代美術館工芸館2:20~3:20→徒歩→近代美術館常設展3:30~5:00→地下鉄竹橋~日本橋5:10~5:25→高島屋(中山忠彦展)5:30~6:45→徒歩5分→日本橋三越(院展)6:50~8:00

<つづく>
20:06 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年04月07日


ぽかぽか春庭「花と富士見櫓」
2008/04/07
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧>桜さくら散歩・目の至福(3)花と富士見櫓

4月2日の散歩
1)三の丸尚蔵舘
2)皇居東御苑散歩

 三の丸尚蔵舘の展示は「富士」だったので、一回り富士の絵を鑑賞。
 花見時なので、いつもは人が少ない尚蔵舘も見学者が多い。 私は花時ではなくてもいつでも見に来ることができるのだから、花が終わってからまたくればいいや、と、じっくりと見ることはしないで、出る。
 尚蔵舘も東御苑も、入場無料です。

 私が美術館で絵をみるときは、さっと一回りしてから、気に入った一点の前で時間をとる、という見方。
 だから、気に入った絵があれば、長く館内に居るし、気に入った作品がなければ、さっと回っただけでおしまい。

 西洋美術館や近代美術館などの常設展では、見たいと心に決めた1点だけを見て出てくることもある。
 電車や地下鉄で2,30分で上野や竹橋に着くので、1時間でもちょっと時間があると美術館によって気軽に絵を楽しめる。

 キャンパスメンバーズ制度の利用大学が広がり、無料で入れる美術館が増えてきたおかげでもある。
 キャンパスメンバーズ制度というのは、大学が美術館と年間契約して、学生や職員のIDカード提示で、無料で博物館美術館を利用できる制度。

 東御苑散歩、富士見櫓へ行って、「桜と櫓」の写真を撮影。
 同じポイントからとっていた外国人に、シャッターをたのみ、一枚私の姿も写しておきました。あなたのもとろうか、とたずねたら、「いや、私のはいい」と、花の撮影に熱中。

 静かな「花見散歩」を求めて、皇居東御苑を歩きました。いつもなら平日はほとんど人もいない広い東御苑、今日はさすがに人がいますが、散歩花見の人々もここでは静かです。
 桜の木の数はそれほど多くないかわりに、よそよりはゆったり歩ける。

 東御苑の中は、桜だけでなく、さまざまな花が次々に楽しめます。
 宮内庁のHPより
http://www.kunaicho.go.jp/hanadayori/syasin.html

 東御苑の「武蔵野雑木林復元」のなか、植物を愛した昭和天皇の「ご発意」により、この雑木林が整備された、と、説明書きがある。

 きっと他の「武蔵野の自然を残そう」なんていう運動をしているグループが、「皇居東御苑の一角に雑木林を」と、運動しても雑木林はできあがらなかったろうから、昭和天皇の一言は、大いに役立ちました。
 武蔵野雑木林の中には、スミレの群落がありました。たちつぼすみれ。日本在来種です。

 今上天皇は魚類研究をしています。昨2007年、「第27回全国豊かな海づくり大会」で、天皇は「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰った」と、琵琶湖でブルーギルが繁殖し、固有種の魚類が激減したことに心を痛めている、という発言がありました。

 天皇の発言は必ず報道されるから、外来種の安易な移入が招く結果に、人々の関心が高まりました。
 チョウチョもメダカも、強い外来種におされて、在来種はどんどんへっています。絶滅危惧種も。

 ペットとして輸入された鳥が放鳥されて繁殖し、在来の鳥たちを駆逐している地域もあります。
 在来種保護のために活動しているグループ、地道に活動していてもなかなか報道されない。
 家禽鶏の研究者で、山階鳥類研究所の総裁でもある秋篠宮が、鳥の在来種保護についてもっと発言したら、広報効果は大きいかも。

 3月中旬、東大博物館で「鳥のビオソフィア――山階コレクションへの誘い」展をみたとき、「山階コレクション」にたくさんの種類の鶏の剥製があったので、「これって、秋篠宮の守備範囲だよね」と、思ったら、『鳥のビオソフィア 東京大学総合研究博物館2008 写真家上田義彦のマニエリスム博物誌 』という本の編集者は「秋篠宮文仁」。
 秋篠宮が東大博物館の特任研究員に就任されたことをきっかけとする「鳥の展覧会」でした。

本日の徘徊ミソヒト
木漏れ日の武蔵野林の菫草「なにやらゆかし」明日も歩かむ

<つづく>
00:31 コメント(6) 編集 ページのトップへ
2008年04月08日


ぽかぽか春庭「桜・菫・蒲公英」
2008/04/08
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧>桜さくら散歩・目の至福(3)桜・菫・蒲公英

 桜散歩、上野も、外堀公園(四谷~飯田橋)も、千鳥が渕公園も人が多いのは、仕方がない。ふだんは散歩しない人も、桜の時期だけは、みな花を求めて歩く。

 見事な桜並木に、ワァーと歓声をあげ、デジカメやケータイで写真をとっている。
 美しい自然を喜ぶと同時に、この美しい景観や自然を守っていくことに関心を向けてくれたらいいのになあと思います。

 皇居和田倉門前に、黄色いたんぽぽがたくさん咲いていました。おや、日本たんぽぽです。
 都内、他の地域で咲いているタンポポ、ほとんどが西洋たんぽぽです。空気の汚れ雨の汚れにも強く、大ぶりの花が咲く。花の下のガクが外側にめくれているのが多い。
 日本たんぽぽの花はそれほど大きくなく、素朴な感じ。ガクがめくれていないのが多い。

 私が都内や東京近郊で見かけた「日本タンポポ」は、もうあまり多くはありません。小石川植物園の中、千葉大学校内、そしてこの皇居周縁。

 たまに道ばたや土手で咲く日本タンポポを発見すると、「おう、がんばってくれや」と、声をかけたくなります。

  3月28日は、鶯谷駅を降りて、科学博物館裏から西洋美術館へ。上野のにぎわいと違って、静かに眺める寛永寺境内の桜もいいものです。
 西洋美術館常設展をみてから、もう一度上野公園の桜並木の下を歩きました。
 
 日に照り映える桜、曇り空の桜、雨に濡れる桜、何度見ても飽きません。
 3月29日は、外堀公園を四谷から飯田橋まで歩きました。30日は文京区播磨坂のさくらまつりの中を歩きました。

 「桜狂い」のように、都内の桜を見続けました。去年は、桜が咲く前に中国へ出発して、日本の桜を見ることができなかったせいかもしれません。
 今年は去年の分も取り戻すくらい、たっぷり桜を楽しみました。

 東京、23区のうち、荒川区、北区、墨田区、台東区、千代田区、豊島区が、「区の木」を桜にしています。
 それぞれ、荒川土手、飛鳥山、隅田川土手、上野公園、千鳥が淵、ソメイヨシノ発祥地など、桜の名所がある区なので、なるほどと思います。
 
 4月6日。東京の桜は散ってしまったけれど、故郷でもう一度桜満開を楽しめました。
 ふるさとの町、川の土手、学校校庭や菩提寺境内のしだれ桜など、どこも見事な桜が堪能できました。

本日の徘徊俳諧&ミソヒト
和田倉門たんぽぽの黄もひそやかに
亡き母の好める乙女椿咲く故郷の家ふるさとの庭

<おわり>


2008/04/09
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>桜さくら音の至福(1)弦楽四重奏アンダンテカンタービレ

 3月27日木曜日、上野公園へ。
 娘といっしょに上野の桜を楽しみました。

 上野駅公園口を出て東京文化会館の前でチラシをもらいました。
 13時から、「東京都交響楽団メンバーによるティータイムコンサート」があるというお知らせです。

 春庭カフェコラム「いろいろあらーな2005年07月29日」に、東京の無料コンサート情報をいくつかリンクしてあります。
 http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200507#29

 これまで、庭園美術館や岩崎邸でのコンサートを楽しむことができましたが、東京文化会館の無料コンサートは、ほとんどが平日午後なので聞くチャンスがありませんでした。

 Jポップスファンの娘は「クラシック聞いても、好きな曲じゃなかったら寝ちゃうかも。寝たら、演奏している人に悪いでしょう」と言います。
 「のだめカンタービレ」のおかげで、ちょっとはクラシックにも興味をもってきたところだったので、「いっしょに聞こう」と、娘を説得しました。

 「本格的なクラシックファンは無料コンサートにこないの。
 無料コンサートに集まるジジババ&オジオバの半分はクラシック好きで聴いている人たちだけれど、半分は、ヒマだから集まっているだけで、聞いているうちに寝ちゃう人が多いから、眠くなったら寝ちゃってもいいから」
 いっしょに聞くことになりました。

 東京都交響楽団の弦楽パートの4人によるストリング・カルテット。
 第一バイオリンと司会:吉岡真貴子  第二バイオリン:横山和加子
 ビオラ:渡邉信一郎  チェロ:高橋純子

 曲目は
ドヴォルザーク:弦楽四重奏「糸杉」No.11, No.1
チャイコフスキー:弦楽四重奏第一番ニ長調

 チャイコフスキーの弦楽四重奏、第二楽章は有名な「アンダンテ・カンタービレ」です。
 全体を聞いたことのない人でも、アンダンテカンタービレのメロディだけはきいたことがあるんじゃないかしら。何かのCM曲でつかわれたような気がするのですが、何のCMだったか、思い出せません。

 アンダンテは、「歩くようにゆっくりと」という音楽用語(イタリア語から)
 アンダンテ・カンタービレとは「歌うようにゆったりと」の意味です。

 もともとは曲名ではなくて、チャイコフスキーが「歌うようにゆったりと演奏しなさい」という演奏者への指示として書き加えたことばであり、他の楽曲にも「アンダンテカンタービレ」という指示がついた曲は多数あるのに、現在では「アンダンテカンタービレ」といえば、チャイコフスキーのこの第二楽章を指すことになっているほど、有名な曲。

 ボロディンカルテットによる演奏YouTubeより
http://www.youtube.com/watch?v=HYqlTMigfng

 都響の無料コンサート、今後の予定のうち、授業がある日の火・木・金は聞けそうにないけれど、土曜日や夏休み中は聞けるかもしれないから、今後のためのメモ
08/04/08(火)フルート四重奏
08/05/20(火)ヴァイオリン二重奏
08/06/21(土)木管五重奏
08/07/08(火)チェロ二重奏
08/08/12(火)フルートとハープの二重奏
08/09/16(火)未定 

 花見の途中で足をとめたジジババたちは、クラシックコンサートに慣れていない人がほとんどだから、ひとつの楽章が終わるごとに拍手してほほえましかったけれど、そんなクラシック慣れしていない人にとっても、桜のひととき、心に染みる演奏だったと思います。

 クラシックは、「のだめカンタービレ」の漫画やテレビドラマのおかげで、若い人のファンも増えてきたといいますが、まだまだ「中高年愛好の古典音楽」ですから、無料コンサートで足を止めて聞いてみて、好きになったという人が増えればうれしいです。

本日の徘徊俳諧(娘といっしょに、歌うようにゆったりと歩いた花見の思い出)
アンダンテ・カンタービレ娘(こ)の花衣

<つづく>
23:26 コメント(0) 編集 ページのトップへ
2008年04月10日


ぽかぽか春庭「ペールギュント」
2008/04/10
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>桜さくら音の至福(2)文京シビックセンター・楽友協会交響楽団コンサート「ペールギュント」

 何百万円もする国宝級のオーディオ装置というのもあるという。
 でも、私が日頃つかっているような家電量販店バーゲン品のCDラジカセやらでは、生の迫力にまさるような音は望むべくもありません。

 音楽が大好きで、生の音をききたいですが、そうしょっちゅうコンサートに出かける機会はありません。コンサートのチケットが高いからです。

 しかし、有名演奏家、有名オーケストラの音楽ばかりが「よい音」ではない。
 東京に住んでいてよいと思うことは、無料コンサートが都内あちこちであること。
 特に、新人やプロでない演奏家の場合、たいへんすぐれた演奏を、無料や低料金で聴くことができます。

 東京楽友協会交響楽団は、各地にあるアマチュアオーケストラのなかで、屈指の音を誇る老舗アマオケです。
 1969年の創立。長い間活動してきた交響楽団ですが、私が聞くようになったのは、10年ほど前、1997年からです。

 チケットは一人千円という低料金。私は招待券応募でチケットゲット。だから無料。
 「ただで楽しむ東京徘徊俳諧生活」のコンセプトにぴったりのお楽しみです。

 3月30日、まず、茗荷谷駅から播磨坂へ。文京区さくら祭りが開かれていて、三列の桜並木が満開です。
 大勢の花見宴会。町内会ボランティアの焼きそばやおでんの店。
 消防音楽隊の演奏もありました。「マイフェアレディ踊り明かそう」などの吹奏楽演奏を聞きながら坂を下り、文京シビックセンターへ。

 友人と待ち合わせて、楽友協会交響楽団第84回定期演奏会を、文京シビックホール大ホールで聞きました。(3月30日14~16時)
 指揮:大友直人(東京文化会館芸術監督・京都市交響楽団桂冠指揮者)
 曲目:イベール:「バッカナール」
    グリーグ:「ペール・ギュント」第1、2組曲
    エルガー:交響曲第1番

 イベールは、日本ではあまりなじみのある作曲家とはいえませんが、彼の作曲したうちの1曲は、今でも国の式典などでは、頻繁に演奏されています。

 ジャック・イベール(Jacques François Antoine Ibert 1890~1962)が作曲した祝典序曲(しゅくてんじょきょくOuverture de Fête )は、演奏会用序曲。
 皇紀2600年奉祝曲の一曲として、1939年に日本からフランス政府を通じて依頼を受け、同年から翌1940年4月にかけて作曲しました。
 
 「バッカナール」とは、酒神バッカスの名にちなむ、大酒のみの大騒ぎのこと。
 強いリズムを刻みながら、酔いの楽しさばかばかしさを、楽しく心浮き立つ曲にしています。
 はじめて聞きましたが、飛び跳ねるようなリズム、力強いメロディ、とても楽しい曲でした。

 「ペールギュント」は、私の時代には、音楽教科書の「名曲鑑賞」の定番でした。
 中学校音楽部で練習したいくつかの曲、「いまでも自然に鼻歌で口ずさんでしまいます。
 朝の気分、オーゼの死、アニトラの踊り、山の魔王の宮殿にて、花嫁の略奪とイングリッドの嘆き、アラビアの踊り、ペール・ギュントの帰郷、ソルヴェイグの歌。

 期待にたがわず、楽友協会の演奏レベルはとても高かったです。私が聞き比べたいくつかのプロ交響楽団の音色に遜色ない、高い演奏技術をもっているし、指揮の大森直人さんもすばらしかった。

「ペールギュント」のYouTubeまとめサイト 
http://pvkiss.com/grieg/peer_gynt2.html

本日の徘徊俳諧
播磨坂 桜飲み干すバッカナール

播磨坂の桜並木(文京区のHPより)
http://www.city.bunkyo.lg.jp/visitor_kanko_event_sakura.html

<つづく>

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2008年04月11日


ぽかぽか春庭「渋谷ルイードこころね」
2008/04/11
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>音の至福さくら桜(3)渋谷ルイードこころね

 楽友協会の演奏をいっしょに聞いたK子さんは、私が私立大学時代に出会った人の中で、今でも交友が続いている唯一の友人です。
 ドイツ語のクラスが同じで、演劇が趣味ということで仲良しになりました。
 卒業してからも行き来し、私の育った田舎の家に泊まりに来てくれた唯一の友人でもあります。

 K子さんは、趣味の演劇や合唱でもずっと自分のポリシーに合った楽しみかたをつらぬいており、ほんとうにすてきな人生をすごしています。
 貧困の泥田をはいずり回ってきた私から見ると、うらやましい「おひとり様ライフ」

 K子さんは、ぴか一のキャリアウーマン。国家公務員上級職として30余年のキャリアを築いてきた図書館専門職です。ドイツ語クラスメートのなかで、上級職試験に合格したのはK子さんただ一人でした。

 国立大学図書館がカード式からコンピュータ管理に切り替わるいちばんたいへんな時期、K子さんは、各地の大学図書館を転勤しながら、図書館の運営管理に携わってきました。

 閲覧システム構築、障害を持つ人への図書館サービス運営など、重要な仕事を成し遂げてきており、「新しい時代の生涯学習情報の利用」というK子さんの論文では、「女性及び家族に関する情報を中心とした文献情報、調査情報等をデータベース化」について述べています。

 お互いに忙しい日々を過ごして、なかなか直接会う時間がとれませんが、会えばすぐに学生時代にもどっておしゃべりが続きます。

 1970年からのおつきあいですから、出会ってから38年。
 家出をして冒険を重ねたペールギュントさながらに、ふたりとも波瀾万丈の人生をすごしてきました。私より少し年上のK子さんの姿、いつも颯爽としていて、私はその背中を追いかけて目標にしてきました。

 そのK子さんと久しぶりに会ったら「明日3月31日が最後の出勤。あさってから年金生活者」というので、びっくりしてしまいました。
 出会ったときから少しも年をとらず、相変わらず若々しいので、まだまだ定年なんて先のことと思っていましたから。
 そういえば、私だって還暦間近なんですから、クラスメートが停年を迎えても不思議じゃないのだけれど。

 K子さんが「近年はまっているもの」に、おつきあいしました。
 K子さんごひいきのデュオ「こころね」。渋谷ルイードK2でのライブです。
 K子さんも初めて入ったときは、おっかなびっくり若者のなかに混じったというライブハウス、渋谷ルイードK2。

 渋谷駅前からルイードのある桜丘側へ行くところの桜も満開。
 あいにくの雨模様のなか、渋谷の灯りに桜が照らされています。
 花散らしの雨。雨にじっと耐えて咲く桜もすてき。

 私は、演劇鑑賞ではアンダーグラウンド系も多かったので、ビルの地下にある穴ぐらのようなライブハウスでの上演も見てきました。
 でも、音楽はクラシックやエスニックミュージック以外のライブにはほとんど行かないので、音楽のライブハウスに入るのは、この渋谷ルイードK2が初めて。
 うれしはずかし、ライブハウスデビューです。

 「こころね」はボーカルのショウとギターのキヨのデュオ。
 キヨのギターテクニックはすごかったし、ショウの歌も「昨夜のお花見宴会、二日酔いの声」とはトークで言ってましたが、たいへん声量のあるのびやかな声でした。

 昔から「声にほれる」k子さんが、池袋の路上でストリートミュージシャンとしての「」こころね」に、偶然出会いました。路上ライブを何度か偶然に聞くうちにすっかりファンになり、それ以来「おっかけ」をしている、ということでした。
 「ファンのひとりとして支えてあげなければ、消えてしまうかもしれないから、おっかけをして応援している」と、熱い支援をおくる、あさってからの年金生活者K子さん。

 「生活できるような年金額じゃないから、『年金生活者』じゃなくて『年金じゃ生活できない者』、だよね」と、笑っていましたが、ま「乏しい年金額」とは言っても、ワーキングプアのハハのスネをまだ娘息子が囓っている我が家よりは遙かにリッチ。

 K子さん、楽しいひとときをありがとう。
 羽生清もこころねも、ゆったりと楽しんでね。

本日の徘徊俳諧
桜散らし雨に唄えば頬濡れる

<つづく>
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2008年04月12日


ぽかぽか春庭「滝野川会館トロンボーン・フェスティバル
2008/04/12
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>音の至福さくら桜(4)滝野川会館トロンボーン・フェスティバル

 トロンボーンという楽器は、そうメジャーではありません。
 オーケストラや吹奏楽で、片手でU字型の菅(スライド菅)を伸ばしたたり縮めたりしながら演奏する金管楽器。
 形は派手だが、じゃ、トロンボーンソロ曲、好きな曲は何?
 すぐに言えないでしょ?

 ピアノのソリスト、バイオリンのソリストは、ぱっと思い浮かぶ顔もあるし、贔屓の演奏者を何人かあげることができる。でも、トロンボーンソリスト、、、、さあ、誰?
 吹奏楽のなかでも、クラリネットやトランペットは派手なソロ部分があったりするが、トロンボーンが活躍するといえば、ジャズが一番思い当たるかな、という程度。

 私の世代にとっては、クレイジーキャッツの谷啓が演奏していた楽器として出会った人が多いと思います。
 谷啓は、日本トロンボーン協会の名誉会員です。

 そんな地味な楽器、トロンボーンにも、「日本トロンボーン協会」という演奏者教育者の団体があるってことをはじめて知りました。

 3月15日、友人に誘われて、第10回トロンボーン・アカデミー&フェスティバルというイベントの「スペシャルコンサート」後半を聞いた。なぜ後半かというと。
 池袋の会社から、仕事を終えて駆けつけてくる友達を、滝野川会館の入り口で待っているうちに前半は終了していました。「2名様入場可の招待券」を友人がもっていたので、私は入れなかったんです。

 ソリストは、トロンボーン協会副会長の西山健治。
 演奏した曲は、
「ミスティ」E・ガーナー作曲
「I'm gettin' sentimental over you」G・バスマン作曲
「パヴァーヌ」ラベル作曲
「デュークエリントンメドレー」

 トロンボーンが主役の曲の数々、とてもよかった。
 会場の観客は、フェスティバルコンサートや公開レッスンのために集まってきた「全国吹奏楽団、サークルのトロンボーン演奏者」が多いらしく、非常に難しいと思わるテクニックを駆使した見事な演奏に、思わずため息、という聞き入り具合でした。

 私は自分が習ったことのあるピアノやマリンバなら演奏テクニックの上手下手はわかるけれど、トロンボーンについては「演奏、むずかしいんだろうなあ」と思う程度でさっぱり分からない。
 でも、デュークエリントンメドレーはじめ、トロンボーンの表情豊かな音色を楽しめました。

 アンコールの曲は「サーカス・ビー」という曲。
 サーカステントの中をにぎやかに飛び回る蜂を描いた曲だそうで、速いテンポのリズムが心を浮き立たせるような曲。会場は手拍子で応援しました。

 私の席の近くにいた小学生は「浦・常磐小」というネームの入ったトロンボーンケースをかかえていました。
 きっと、さいたま市立常磐小学校の吹奏クラブでトロンボーンを担当しているのでしょう。

 楽器ケースは、浦和市時代からのものを大事に使い続けて、代々吹奏楽クラブ員が引き継いできたのでしょう。
 普段は吹奏楽クラブで演奏している子が、公開レッスンに参加したのでしょうか。
 かって常磐小の近所に住んでいたことがあったので、親しみがわきます。
 しっかり練習して上手になってね。

 滝野川会館の斜め向かいの旧古河庭園。門からのぞく桜は、まだつぼみの3月15日でした。
 つぼみのような小学生トロンボーン坊や、いつかきっと花開く日がくるよ。

本日の徘徊俳諧@
トロンボーン春半月(はんげつ)に吹きながす
金管のスライドする手や春疾風 

<おわり>

2008/04/13
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>さくら桜さんぽ(1)上野公園の考える人

 3月27日、お花見をかねて、久しぶりに娘と上野公園へいきました。
 上野公園では、いろんな催し物が行われていました。
 娘とまず、「西洋美術館ロダンの考える人といっしょに写真をとろう」というイベントに参加。

 「考える人」のブロンズ像の前で考える人のポーズをします。
 西洋美術館協力企業のエプソンの社員さんが写真をとって、パソコンでプリントしてくれます。
 私と娘、ならんで頬に手をあてて「考える」ポーズをとりました。

 プリントされた「ロダンといっしょに考える」の写真、親娘で同じ体型で、私は気に入ったので冷蔵庫に貼りました。

 「ふくよかな」二人連れが、手を頬に当てて考えている。
 どうみてもふたりで考えている中身は、「今夜のおかずは何にしようかな」です。
 食べることが大好きなおねえちゃん。

 娘は4月19日、同級生の結婚式に呼ばれているけれど、今まで持っていたよそ行きの服、着られる服が一枚もなくなってしまいました。
 どの服も「持ち主に相談もしないで縮んでしまった」結果なんですって。

 「それって、服の持ち主が太った、という言い方もできるよね」とつっこんでも、「いいえ、そうじゃないのよ。夜中に妖精さんがやってきて、服を小さくする魔法をかけてしまったようです」というのが、娘による「服が小さくなった」ことの説明。

 「お友達の結婚式までにまだ日にちがあるのだから、ちぢんでしまった服が着られるようにダイエットするって手もあるけれど」とは言ったのですが、ま、ちょっとしたおよばれ着を持っていてもいい年頃かなと思って、「とにかくデザインや色は二の次、このおなかがおさまる服が欲しい」ということになりました。

 上野の「クィーンズサイズ専門店」で、ワンピースとスカートを、私からの誕生日プレゼントということにして買いました。

 着る日までにさらに太ったらせっかく買ったのがムダになるので、およばれの日まで、これ以上「ふくよか」にならないよう気をつけなければ。

 おねえちゃん、誕生日、おめでとう!

 4月生まれはいいよね。桜が咲いて、それだけでもすてきな天からのプレゼント。
 桜さく、さくらサクラ。
 旧暦の4月8日、お釈迦様も誕生会(たんじょうえ)、花祭り。
 現代のお寺では、新暦4月8日に花祭りをするところが多いので、お釈迦様も桜のプレゼントをもらう。

 2歳年上の同窓生お姉さま。K子さん、4月18日、誕生日おめでとうございます。
 5歳年下の妹、モモは4月21日が誕生日。おめでとう。

本日の徘徊俳諧
誕生会(たんじょうえ)小さき幸を数えつつ
花御堂 我娘の小さき歩幅かな

本日の徘徊ミソヒト
考える。ロダンもいっしょに考えて、もいちど考え今夜はトン汁

<つづく>
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2008年04月14日


ぽかぽか春庭「上野動物園」
2008/04/14
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>さくら桜さんぽ(2)上野動物園

 3月27日の花見さんぽつづき。
 娘と東京文化会館の「響」というカフェで「ロースカツパオズ」を食べたあと、上野動物園へ。
 上野動物園の中の桜も9分咲きでした。

 お花見と動物見物の両方を楽しみながら歩きました。
 最初は西園をあるき、5時の閉園時間まで東園でライオンやシロクマを見ていて、終了の「蛍の光」を聞きながら退園。

 娘は、私が弦楽四重奏を聴いていたために、動物を見る時間が少なくなってしまったと、ちょっと不満です。
 「ハハがクラシック聴きたいっていうから、パンダや虎を見る時間がなくなっちゃったじゃないの」

 娘は、私を「ハハ」と呼びます。
 小学生中学生のころは、「お母さん」と呼んでいたけれど、反抗期に「お母さん」と呼びたくなかったのか「マミィ」になり、成人してからは「ハハ」になりました。

 娘は、小学校低学年のころから、弟の保育園おむかえや、子守、料理作りなどを私にかわって勤めることが多く、我が家では小さいママさん、チーママさんでした。
 ヤフーブログに1993年の日記「録画再生日記」を掲載していますが、15年前のチーママさんがあまりにもけなげに子守や料理をしているようす、自分で書いたのを自分で読んで涙がでてきました。

 息子は、小さいころは「チーちゃん」と呼んでいた姉のことを、今は「アネ」と呼んでおり、一度も「おねえちゃん」と呼んでいた時期はないのですけれど、私は娘を「おねえちゃん」と呼びます。末っ子の息子から見たら、「おねえちゃん」なので。

 家族のなかで一番年少の者からみた家族内呼称を、お互いの呼び名にするのが、日本の家族呼び名の基本です。若夫婦が子供が生まれると「パパママ」と互いを呼び合ったりするようになるのも、私が姑を「おばあちゃん」と呼んだりするのも、このルールによっています。

 娘と私、「おねえちゃんとハハ」の花見散歩です。
 上野公園の花の下、青いシートはすでに満杯。夕方の宴会まで場所確保をしている役の社員が、暇そうに座っています。

 人混みが嫌いな娘、花時の上野を訪れるのは、小学校の時以来。
 おばあちゃんといっしょに東京都立美術館で公募展に入選したおじいちゃんの絵を見て、あまりの人出にびっくりしたそうです。子供心に、花見宴会の人々のお酒の臭いや、辺り構わぬ高歌放吟に辟易してしまったのですって。

 娘が辟易した15年前の上野公園に比べると、大きな音が出るマイクやスピーカーを使うのは禁止。熱源を持ち込んでの調理禁止、前夜からの場所取り禁止など、さまざまなルールができあがっており、昔に比べれば大騒ぎしすぎる宴会も、酔って人にからむ人も少なくなったようです。

 娘は動物園も好きだし、「ダーウィンが来た」などの動物番組も好きです。そして、「石になった動物」も好き。化石です。
 化石を堀りに行くのは、もうしばらくいっしょに行っていませんが、恐竜展、何年ぶりかで3人そろって出かけてきました。

 4月9日、娘&息子と幕張メッセで「恐竜展」を見ました。
 恐竜展では、息子と娘、ふたりでミクロラプトルグイがどうだとか、タルボサウルスがこうだとか、楽しそうに会場を回っていました。
http://www.kyoryutairiku.jp/tokyo/index.html

本日の徘徊俳諧&ミソヒト
カピバラは天竺ねずみ、天国のジャングルの川の夢見て寝ている

恐竜の大口千万年を飲む


<つづく>
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ぽかぽか春庭「千葉市動物園・名残の桜」
2008/04/15 
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>さくら桜さんぽ(3)千葉市動物公園・名残の桜と青い鳥

 4月11日、千葉市動物公園を散歩しました。
 ソメイヨシノはほとんど散っていましたが、遅咲きの種類の桜などはまだきれいにさいており、けやきの若緑の美しさとともに、ぽかぽか陽気の中、楽しく歩きました。

 いっしょに歩いたのは、福岡にお住まいのウェブ友チルチルさん。
 チルチルさんと私の、はじめてのオフ会でした。

 チルチルさんの妹さん二人、ヒメッピィさんとグリーンさんもいっしょ。
 仲の良い三人姉妹とわたし、ゆっくり動物と桜を見ながら歩きました。
 グリーンさんだけ7歳若く、あとの3人はほぼいっしょ。

 チルチルさんは、カフェ日記「青い鳥」に、詩とコラムを書いています。
 プロフィールはこちら
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/chiruchiru77/profile

 チルチルさんがとても「おしゃれさん」なことは、これまで「青い鳥」サイトに載せられていた写真画像などで知っていましたが、11日もとてもすてきなブラウスと上着。「すてきね」とほめたら、あとで、妹さんから「これは、『春庭さんに会うための服』って選んだとっておきの服なのよ」と、うちあけ話がありました。

 チルチルさんから、「私を見てどう思った?」と質問がありました。
 そうね、写真で見ておもっていたよりも「かわいい人」、「たのしい人」。
 長い髪を三つ編みにして、にこにこしているチルチルさんは、チルチルミチルが探しにいく「青い鳥」のように、いっしょにいる人の心をハッピーにしてくれます。

 一番若いグリーンさんに、チルチルさんの車椅子をおまかせしました。
 仲良くしていたヘルパーさんが、事務所の都合でチルチルさんの介護ができなくなったあと、気の合いそうなヘルパーさんが見つかるまで妹さんの手助けを受けながら、ひとり暮らしを続けているチルチルさん。ヘルパーさんなしで、がんばっています。
 
 千葉にお住まいのヒメッピィさんは、「姉と妹は福岡で、近くに住んでいるけれど、私は離れているので、姉のためにしてやれることが少なくて」とおっしゃっていましたが、チルチルさんが東京の病院で診察を受けることができるのも、千葉のヒメッピィさんの家に泊まれるという安心感があるからこそ。
 三人姉妹、ほんとうに助け合い思いあっての暮らしと感じられました。

 ヒメッピィさんのお住まいのすぐ近くにある千葉市動物公園は、2006年放送のテレビドラマ「僕の歩く道」でロケに使われていたところです。
 私も子供たちと、草薙剛が演じる自閉症の青年の物語を見ていました。

 草薙演じる「輝明」が飼育係に採用され、周囲の人に障害を理解してもらいながら成長していく連続ドラマ。
 テレビ画面には、毎回この千葉市動物公園の正門や広い園内が映っていました。

 輝明はうそを言うことができません。他のひとのことばを字句どおりに受け止めます。
 ただひたむきに動物園舎を掃除したり、動物の説明をしたり。そんな中で、輝明はどんどん行動範囲をひろげ、心の広場も広げていきます。

 輝明の成長以上に、輝明を囲む人々は、輝明とふれあうことによって、自分を変え、人生をより豊かな気持ちで生きていくことができるようになるのです。

 駐車場から動物園へ上がる長くて急な坂、グリーンさんは、慣れたようすでチルチルさんの車椅子を押して登っていきます。
 坂の上は、こども動物園のエリア。千葉市動物公園随一のアイドル、「立ち上がる風太一家」のコーナーです。

 レッサーパンダは、周囲を警戒したりするときに一瞬立ち上がってまわりを見回す習性をもっています。
 風太は、特に長く立っていられます。30秒くらいたち続けることもできるので、「立ち上がるレッサーパンダ」として新聞テレビに取り上げられ、一躍アイドルになりました。

 風太の立つところは見られませんでした。私やチルチルさんの姿、特に警戒する気にならなかったのでしょう。
 お嫁さんのチィチィと元気に走り回っていました。

 風太とチィチィの子供たち、2006年生まれのお兄ちゃんのユータ、お姉ちゃんの風花。2007年7月生まれの双子、風見(フウミ)風鈴(フウリン)は、隣の別室にいます。

 フウミとフウリンはかわいい双子姉妹。
 チルチルさんとヒメッピィさんともすてきな双子姉妹です。

 ヒメッピィさんお勧めの熱帯コーナーでは、黄色い大きなくちばしのオオハシ、なまけものをみました。また、お猿コーナーでは、千葉市動物園が繁殖をめざしている絶滅危惧種のサルたちもみることができました。

 喫茶コーナーでは、コーヒーとホットケーキをいただきながらおしゃべり。
 チルチルさんの好きなテレビ番組「フレンドパーク」のことを聞いたり、花どろぼうの話を聞いたり。 チルチルさんが日記に書いていた花どろぼうのこと。グリーンさんがチルチルさんの家の庭に植えた花が、2度も引き抜かれてとられてしまったそうです。
 また、ヒメッピィさんと私の共通の趣味はジャズダンスってこともわかりました。

 脳性麻痺やそれに伴う二次障害を持ち、パソコンのキーボードを打つにも、ケータイの小さなボタンを押すにも、ちるちるさんの手はとても不自由です。

 でも、ちるちるさんが「パソコン、楽しい、カフェの人たちと出会えて嬉しい」とにこにこお話するのを聞いて、私の心のなかにも青い鳥が羽ばたくように感じられます。

 ちるちるさん、楽しい散歩をありがとう。
 ヒメッピィさんグリーンさんお世話になりました。
 たのしいひとときをすごして、6月の再会を約束しました。

本日の徘徊俳諧&ミソヒト
幸せを探してちるちるみちる春
りんりんと車いす押すみどりなる欅若葉はさやぎつつ照る
熱帯の光をうつしてオオハシの黄なる嘴「か、呵々」大笑

<つづく>
23:57 コメント(5) 編集 ページのトップへ
2008年04月16日


ぽかぽか春庭「桜吹雪忌」
2008/04/16 
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>桜さくらさんぽ(4)桜吹雪忌

 4月10日の姉の命日「桜吹雪忌」を前に、4月6日、姉の七回忌法要を行いました。

 お寺へ行く前に、ひとりで、子供の頃お気に入りだった散歩道を歩きました。
 吾妻新橋から吾妻川沿いの桜並木を散歩。

 私が子供のころ、植えられた桜、今では樹齢50年を越え、吾妻川へ枝を伸ばしています。
 花のトンネルの下、昔は、歩く人もいないひっそりした川岸の小道でした。今は整備されてサイクリングロードになっており、ときどき自転車のグループやウォーキンググループが行き交います。

 桜が大好きだった姉。
 三春の滝桜も高遠の桜も見に出かけていた姉をしのんで、しみじみひとり散歩をつづけていると、「オーイ、おばちゃ~ん」と、声がする。
 姉の孫のリューくんが来ました。私がひとりで散歩していると聞いて、「ぼくもいっしょに歩く」と、やってきたのです。

 2002年、6年前の4月、リューくんは、小学校1年生に入学したところでした。
 晴れがましくうれしいはずの小学校入学も、大好きなおばあちゃんが54歳という若さで亡くなってしまい、大きな悲しみの中ですごさねばなりませんでした。
 そのリューくんがもう中学生です。

 「中学では演劇部に入って、音響係りを担当するつもり。劇に合った曲を選んだり、効果音をパソコンでつくったりしてみたい」など、リューくんが中学入学の豊富を話すのをききながら、ゆっくり土手の道を歩きました。 

 姉の眠る菩提寺、裏山のしだれ桜も、9分咲きできれいでした。
 お寺の裏山斜面一面が墓地。父と母と姉が眠る墓は裏山中腹に。
 故郷の町が一望にみわたせます。

 墓参りのあとは、妹・桃の一家、姪・蜜柑の一家と、若子持神社下の蕎麦屋さんへ。
 地元の人が看板もださずにやっている手打ち蕎麦の店です。
 看板もないので、屋号がわかりませんでした。きっと地元の人たちは「○○さんちの蕎麦屋」と呼んでいるのでしょう。

 突き出しに、ふきのとうの甘酢あえ。蕗のとうやお芋の天麩羅、こごみのおひたし。てんぷらや甘酢あえは、「おいしい」と言ったらおかわりもだしてくれて、天麩羅と蕎麦のセット一人前600円。良心的!

 蕎麦おたくにも絶対おすすめ。屋号がわからないので、下記の神社をめあてに歩いて、神社の南側にあるひっそりしたそば屋を探し当ててください。
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/gunma/sibukawasi/wakakomochi/wakakomochi.html

 桃の長女・りんごは、お蕎麦を食べる時間もなく「今夜、中野のライブハウスに出演するから」と、バンド仲間の待つ東京へ出発しました。
 桃は、「今年30歳になるのに、いつまでバンドだとかやっているのやら」と嘆いていますが、好きなことがあるなら、納得できるまで続けたらいいさ。

本日の徘徊俳諧
五十路に吹く風よ散らすな遅桜
糸桜 姉妹仲良く老いにけり

<つづく>
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2008年04月17日


ぽかぽか春庭「千の風の花吹雪」
2008/04/17 
ぽかぽか春庭・東京徘徊俳諧日記>桜さくらさんぽ(5)千の風の花吹雪

 亡くなった姉の長女蜜柑は、介護施設で調理などの仕事をしながら4人の子を育てているシングルマザーです。
 蜜柑は4人の子をひきとって離婚してすぐ、母親を失いました。
 美容院経営のママを頼って離婚したのに、美容院も閉鎖し、従妹のりんごや叔母のモモに助けられながらひとりでがんばってきました。

 今ではすっかりママゆずりの肝っ玉おっかあになって、小学校4年生5年生中学校1年生2年生の子豚たちを叱りとばしています。

 私におとらず食べるのが大好きな蜜柑。
 姉が亡くなるまでは食べる専門でしたが、料理好きだった姉を見て育ったので、いつのまにか、とても料理上手になりました。いろいろ工夫しながら、お年寄りの食事を作っているようです。
 美味しいおそばを食べながらも、自分で開発した「簡単でおいしいレシピ」をいろいろ披露していました。

 1月のmixy日記に書いた「姉の誕生日」について
============

「千の風」 2008年01月31日17:59
今日は、姉の誕生日。生きていれば還暦だった。
とても寒い一日だった。

北風がびゅーびゅー吹き付けてきたので、「はいはい、わかったわかった、千の風になってるんだよね。強気、強気」と、姉に答えた。

北風にむかって、還暦~と叫んだので、誕生祝いのことばは、千の風とともに南へ去っていった。

蜜柑からのコメント 2008年01月31日 18:29
そぉだね、今日ゎばぁばの誕生日
昨日、りんごちゃんが花を買ってきてくれました
今から夕飯作ってお供えしときます

りんご 2008年02月01日 15:56
還暦~ なんてさけんだら、おばちゃんに逆ギレされちゃうわよ(笑)
うるさーい!ってね^ロ^;
===============

 料理が上手だった姉に比べ、「食べる方だけ好き」な私ですが、今日も明日も、楽しく美味しく食べ続けます。

 さくら桜のことしの散歩、上野も千鳥が渕も吾妻川土手も、どの花見あるきもたのしく歩きました。

本日の徘徊俳諧
花吹雪千の風なる姉の声

<おわり>

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ギリギリランチ2008年4月

2011-03-02 19:06:00 | 日記
2008/04/18
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>ギリギリランチ(1)愚痴入りお好み焼き

 トロンボーンコンサートに誘ってくれた友人のミサイルママは、ジャズダンス仲間。
 かれこれ20年来のつきあいになります。

 インテリア内装店につとめ、「宮内庁施設の某所のカーテンは、私が見立てたのよ」というインテリアアドバイザーです。記念にもらったカーテンの端切れは、つなぎ合わせて実家のテーブルクロスにしたのだって。

 シングルマザーで長男次男を成人させ、「あとは好きに老後ライフを楽しむぞ!」と言っているミサイルママ、ダンスや山歩き、コンサートなどを楽しんでいます。
 「子供が成人しちゃったら、シングルだと寂しいかと心配したり、ボーイフレンドなしの生活だとつまらないかと思っていたけれど、こんなに楽しい毎日になるとは思わなかった」と、「おひとり様ライフ」を謳歌しています。

 トロンボーンコンサートが終わって、滝野川会館近くの西ヶ原のお好み焼きやで、ミサイルママと2時間おしゃべり。

 ミサイルママの次男くんは、学生時代からコーヒー屋でアルバイトし、バリスタめざしてきました。
 おいしいコーヒーを美しい手際で入れてくれる専門家がバリスタ。茶道の「お茶の宗匠」のコーヒー版がバリスタです。

 バリスタ世界一になった横山千尋のカフェレストラン「バールデルソーレ」などで修行を重ね、2007年は、タリーズコーヒーのバリスタコンテストで、次男君のチームが優勝しました。
 がんばって自分の道を邁進している次男くんの話をきいて、よかったねぇ、と祝いました。

 売れない役者を続けている長男くん、いい役者さんなのですが、ぜんそく持ちなので舞台中心の役者生活が順調には運ばないこともあります。怪我のために降板した舞台もあった。
 現在も体調がよくないという愚痴を聞いて、たいへんねぇ、と言う。

 一昨年見た長男くん出演の舞台で共演していた「未映子」は、今や女優兼業作家・川上未映子として、一躍芥川賞受賞の大活躍。
 「同じ舞台に立ったのに、うちの息子はまだ、、、、」と愚痴をこぼすミサイルママに、「まだまだ、これからよ!舞台という目指すものがあるんだもの、支えていこうよ」と、言う。
 ママにとっては「支えていく」ってことは、「スネ囓られっぱなし」ってことなんだけれどね。

 私は、法事の準備で姑孝行をするのがたいへんだと愚痴をいい、夫の仕事、相変わらず儲からないと愚痴をいう。愚痴ばっかり。でも、しゃべっているうちには、互いに「ま、そのうちなんとかなるでしょ」というところで落ち着いてきます。

 トロンボーンの音色もいいけれど、お好み焼きもおいしい。
 ストレス解消には、愚痴こぼしと食べること!

 「食べ放題」も大好き。
 昭文社発行の『たべミニ 東京ハナマル!食べ放題』という新書サイズの「東京食べ放題店案内」は、夫の会社が校正をしています。ご利用ください。\840
 和洋中華エスニックの店も出ていて、インターナショナル食べ放題の本です。

本日のぎりぎり俳諧
花待ちて東京ハナマル食べ放題

<つづく>
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2008年04月19日


ぽかぽか春庭「嘆き節・春の卵」
2008/04/19
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>ギリギリランチ(2)嘆き節・春の卵」

 徘徊散歩も音楽も楽しいけれど、ストレス解消には、なんといっても食べることが楽しみな春庭、食べてばかり。

 今週の月曜、4月14日に、中国で教えた学生のひとりに会いました。2007年7月に別れて以来です。
 久しぶりに会った私を見て、彼女はズバリ直球で「先生、太りましたね」と、言いました。まあ、「やせましたね」とは、言われたことのない人生でしたけどね。

 去年の今頃、中国赴任中は、安くておいしい中華料理三昧だったのに比べると、いささかジャンクフード三昧にはなっているものの、高カロリー高脂肪の食べ物でストレス解消をはかる毎日はエスカレートするばかり。

 ストレス解消のために、食べる。当然太る。
 太ることがストレスになる。ストレス解消のためにまた食べる。
 どんなストレスかっていうと、、、、、
 一例をあげるなら。春庭bbs3/3より再録。

haruniwa
 悩みつつ、でも、食べる楽しみが唯一の?楽しみだから、私も、ドカ食いやめられない。
食欲依存症かとおもうくらいだよ。

 3月3日ひなまつりのストレス解消食欲は、

朝ご飯「どんぶりで生卵かけごはんと納豆」

昼:カップヌードル。
おやつ:マカダミアナッツチョコひと箱全部一気食い・醤油あげもち小袋3袋一気食い

夕食:娘が用意した手巻き寿司、うに、いくら、ほたて、サーモン、まぐろ、ネギトロ、卵焼き、これ以上は腹に入らんというまで食べた。

 本日のストレスのもとは、「姑から頼まれた法事招待状の文面を、姑の下書きの意図をずらさない程度に文章をかえる」という文体技術の勘案について。

 姑の機嫌をそこねない程度に文章をかえる、ってとこが難しい。
 なにがそれほど難しいかというと、施主である夫は「ぜったいに法事になんか出席しない」と、だだをこねているので、姑は「施主である長男欠席で法事をやる」って事態になっており、そんなややこしい法事を親戚の手前とりつくろってやらなくちゃなんない。

 私は「長男の妻」なので、それなりに姑孝行をして、「よい嫁」のふりをしなければならない。
 この「よい嫁のふり」ってところがストレスなのよ。私は本来「よい人」じゃないからね。
 底意地が悪い、いやなヤツなの、私。それを隠しながら生きていくのもかなりなストレスよ。(2008-03-04 06:01:50)

本日のギリギリ俳諧
どんぶり飯に春の卵を落としけり

<つづく>
06:15 コメント(6) 編集 ページのトップへ
2008年04月20日


ぽかぽか春庭「25階椿山荘弁当」
2008/04/20
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>ギリギリランチ(3)25階椿山荘弁当

 2002年の3月に舅が亡くなり、4月に姉が亡くなってから6年目になる2008年。
 今年の春休みは、7回忌の法事が続きました。

 36年前、母が亡くなったあと、私はただひたすら母の死が悲しかった。1周忌、3回忌と法事に集まった人たちが、親戚一同の近況報告を始めると、「今日はお母さんを偲ぶために集まったのに、なんで、どこそこの息子が建築科に合格してめでたい、とかって話を聞かせられなきゃならないの!」と、無性に腹が立った。

 今は、法事というのは、要するに、「故人を偲ぶ」という名目で親戚一同が顔寄せすることだと思っています。

 「法事とは、亡き人を偲ぶという名目でいっしょに飲み食いして、一族郎党の絆を確かめるための集まり」と、わかってきたから、舅の法事が、「改築披露を兼ねた食事会」になったのも、よしと思っています。

 舅7回忌を、なぜ「法事」とせずに「個人を偲ぶお食事会」と題してお客を招待することになったかというと。
 夫は「法事とか、結婚式とか、そういう儀式形式はいっさい無視」という「僕の方針」を頑固に主張し、「そこをなんとか妥協して」と、言いくるめようとする姑に従わなかったから。

 「おやじの葬式と一周忌と三回忌までは、妥協した。もう三回忌で十分だと思うので、これ以上は妥協するつもりはない。姪たちの結婚式に招待されても出席しないし、娘の結婚式があったところで出席しない」わがまま坊っちゃんの主張です。

 まあ、これまで子供に関わること、運動会も学芸会も入学式もいっさい関わらないで生きてきた夫なので、娘の結婚式も当然出席しないと思っていましたけれど、父親の法事にも出席しないというので、困りました。

 親戚一同との会食など「形式的な儀礼は、人生のムダ」と考える夫のために、3月20日は、家族だけで墓参して、3月22日に親戚との食事会という二部構成で行うことになりました。
 夫ぬきで、姑と私でなんとか話をまとめて、私が「改築披露兼故人を偲ぶ食事会」の招待状をワープロで作って、姑が宛名書きをしました。

 3月20日、家族だけで墓参したあと、文京シビックセンター24階椿山荘でランチ。
 椿山荘本店のお庭散歩も好きですが、シビックセンターの25階から眺めるのも、なかなか楽しいランチになります。

 ちなみに、椿山荘本店のお庭、ホテルフォーシーズンや結婚式場の利用者だけが散歩できるのかと思いこんでいて、たまにレストランを利用したときだけ庭園散歩を楽しんでいました。

 ところが、この3月、花時はだれでも庭を見てよい、見学自由・無料でお庭開放、ということを知りました。さっそく椿山荘庭園を楽しみました。お庭散歩のご報告は、またのちほど。

 シビックセンター椿山荘。窓際の眺めのいい席に案内されたのだけれど、東京はあいにくの雨もよい。
 東京ドームの白い屋根だけがど~んと目の下に広がっていて、景色は遠くまでは見渡せませんでした。
http://r.gnavi.co.jp/g062903/

 姑と夫が『松花堂弁当』を注文したので、私も右にならえ。\2000。娘はステーキランチ、息子は蕎麦ランチ。
 「よいヨメ」を演じつつ食べました。

 姑はとてもよい人なので、私もよいヨメのふりをしなければならない。ちと苦しい。私はよい人ではないから。
 よいヨメのふりを続けるていくのも、ストレスたまる。

本日のギリギリ俳諧
懐石にやや苦みある嫁菜和え

<つづく>
11:05 コメント(7) 編集 ページのトップへ
2008年04月21日


ぽかぽか春庭「木曽路の慶弔セット」
2008/04/21
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>ギリギリランチ(4)木曽路の慶弔セット

 私がよい妻でないのは、少しも気にならない。だって、夫は「ショーモない夫」ですから。お互いに相手を「この世で最悪のショーモないヤツ」と思っています。
 お互いショーモないのではありますが、夫に言わせると、「法事にはちゃんと出席しようと思っている程度のマトモでつまらない女と結婚したのは、人生最大の誤算」だって。

 そういう「愚かなマトモ、つまらない社会常識」につきあっているヒマはないんだって。 貧乏ヒマなく仕事仕事で、あげくが「とーさんの会社はトーサンしそう」の毎日です。

 よいヨメ第二弾の、親戚との会食。
 姑の当初の予定では、目黒駅前の雅叙園で、古い建築の見学コースとセットになったのを希望していました。

 ですが、88歳になる姑の姉タケコさんは、足の具合が悪い。雅叙園名物の百段階段なんて、とても昇り降りして見学できない、ということなので、それなら近くの店でいいや、ということになりました。

 若くして戦争未亡人になったタケコさんは、60歳の停年までは小学校教師や中学校音楽教師をつづけ、ひとり息子を育てました。
 退職後、生まれ故郷の山形を出て、今は息子一家と横浜に住んでいます。東京の妹(私の姑)と、しょっちゅう行き来しています。

 83歳の姑と、88歳タケコ伯母は、仲よし老姉妹です。タケコさんは足が悪くなったほかは、シャンとして頭脳明晰、舌鋒も鋭い。

 タケコさんの「自慢の親孝行息子」に比べると、姑の「ショーモナイ息子」は、悩みのタネです。息子の出来では、姑はタケコさんにとてもかないません。
 が、ふたりの自慢し合いっこは「孫自慢」やら、「どちらのヨメがアタリか」につづく。

 私は、「ショーモないダメ嫁」でいたいのに、姑が、タケ伯母さんに張り合って「ヨメ自慢」に参戦できるようにするため、よいヨメを演じなければなりません。ああ、シンド。
 でもねぇ、出来の悪い息子を持ってしまった姑があまりに気の毒だから、せめてヨメは人並みには姑孝行をしなければ。

 タケコさんが「近所の料理屋のほうがいい」と、ひとこと言えば、姑は即、従います。私は雅叙園の百段階段見たかったのだけれど。

 「木曽路」という和食しゃぶしゃぶ屋での食事会。
 メニューは、「慶弔用懐石膳」という法事用のセットだから、見た目重視の和食膳。品数多けりゃ文句ないだろっ式。

 木曽路の慶弔メニュー。
 http://www.kisoji.co.jp/kisoji/keiji.html
 
 「息子のかわりに、施主あいさつをしてね」と、姑に言われて、四方丸くおさまるように挨拶文も作文し、食事の前にご挨拶いたしました。

 3月22日、店までのマイクロバスでの行き帰り、駐車場横のしだれ桜が、枝をしなわせ、ピンクの花をゆらしていました。
 ソメイヨシノも開花し始め、ここで一輪、あちらで数輪と、花を開いていました。
 
 マイクロバスで、姑自慢の改築なった自宅に戻って、せっせとお茶出しに励む嫁。
 なんとか、姑の顔がたつように、法事もすませることができました。
 親戚の前で、「ちょっと見には、よいヨメ」続けて、疲れました。
 ほんとは、私、よい嫁なんかじゃないんだったら。ぐうたらヨメ、していたいのに。

本日のギリギリ俳諧
初さくら遠き顔寄す法事かな
糸桜刺繍のハンカチ姑(はは)の手に

<おわり>
05:38 コメント(9) 編集 ページのトップへ
2008年04月22日


ぽかぽか春庭「桜ティ」
2008/04/22
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>自分にご褒美(1)桜ティ

 いつもは、安上がりな食生活を続けています。質より量。
 でも、仕事が一区切りついたときなど、自分にご褒美でちょっぴり贅沢もしてみます。たまにだから、ま、いいかなと。

 2007年度後期の授業も無事おわり、あとは講師会議をひとつ残すのみ、というときの自分にご褒美ティータイム。2008/03/10の外食記録。

朝10:00  於:家
バナナ2本 コーヒー

 昼ご飯、サンシャインビルの「多国籍料理食べ放題」という店に行こうということになり、朝ご飯はバナナだけ。

 最初は買い物。池袋ビックカメラのとなりに山田電気が大店舗を構えたので、両方の店を行ったり来たりする。
 結局、ビックカメラ東口総合舘へ移動して、娘はワンセグケータイを購入。「いくらくらいするの?」と、聞いてみたら「5万円くらい」というので、私は当分ワンセグなぞ買わん。

 私は、「ウィルスセキュリティゼロを購入」\4980。これまではノートンをつかっていたのだけれど、更新料が高いから、一度買えば更新料なしというゼロに乗り換え。

 前日に予約していた「クルーズクルーズ」に行ってみたら、ワイワイと、大団体の高校生が「食べ放題」の列に並んでいた。予約取り消し。
 こんな大団体を受け入れるなら、同時間帯を予約しようとした客には、「団体といっしょになります」と、その旨告げるのが「まともな店」の経営方針と思うけれど。

昼13:30 於:池袋サンシャインビルアルパ3階伊勢ろく
親子丼750円×3

月曜と火曜のランチは大盛りサービス無料というので、私と娘は大盛りにしました。小食の息子19歳は普通盛り。
地鶏専門店だけあって、美味しい親子丼でした。

おやつ16:00 於:西武百貨店3階紅茶専門店のケンジントン・ティールーム
 ケーキと紅茶セット。1200円。

 いつも出先で飲むコーヒーは、マック\150とか、ベローチェ\180なのだけれど、本日、紅茶専門店で、たまには「自分にご褒美」のティータイムです。

 紅茶はひとりひとりポットで運ばれ、途中差し湯もしてくれるので、2~3杯飲みました。

 私、桜ティーとフルーツババロア。
 娘、グランボアシェリ・バニラティーとフルーツババロア
 息子、アルグレイとチーズケーキ

 私が飲んだ「桜ティ」は、桜の葉を刻んだものと桜の花びらが紅茶の葉に混ぜ込まれています。八重桜の花びらをシロップ漬けにしたものがカップの中に入っていて、お茶をそそぐと花びらがぱっと広がって、桜の香りがしてきました。
 娘に「お味はどう」と、聞かれて、私「うん、桜餅の味」
 どうも、グルメ評論家にはなれそうにない。 

 紅茶専門店ケンジントンティルーム、次は、月に1度行われるイベント、ケーキ食べ放題紅茶のみ放題で1550円という日に来ることにしよう。
 お茶もケーキも、私には微妙な味のちがいは表現できないけれど、量で勝負じゃ。

夜21:00
 娘と息子が先に帰宅した後、私はひとりジュンク堂で本を買い、ジュンク堂前の大江戸という回転寿司へ。
 136円の皿5枚、210円の皿2枚。合計1100円

 さて、上記ジュンク堂での本購入を含めて、「今期いっしょうけんめい働いた自分へのご褒美大散財・新本古本買いまくり。
 購入記録をつけておきます。3月8日~29日に買った本
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/book0506.htm

本日の徘徊ミソヒト
『桜姫』『櫻史』『桜桃』古書彷徨 初版は買えず桜ティ飲む 

<つづく>
06:50 コメント(9) 編集 ページのトップへ
2008年04月23日


ぽかぽか春庭「雛祭プチ贅沢の散財おにぎり」
2008/04/23
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>自分にご褒美(2)雛祭プチ贅沢の散財・半額おにぎり1個\105円

 我が家、私も娘も大食いで、食べることが大好き。
 よく食べるのも事実だけれど、エンゲル係数が高いということは、収入が少ないということ。

 ギリギリ命をつなぐ分だけ稼いで、直結、口にまわる。ろくなもん食べていないんですけど、食費はかさむ。
 生協のものは、安くて品質安全と思って、ほとんどの食料品は生協宅配を利用していたのに、毒ギョーザ騒ぎがあったし。

 安くて品質安全ってのは、貧乏人には無理みたいね。
 お金つかい放題だったら、私だって無農薬手作り野菜とか、抗生物質漬けなんかにしてない健康な餌で育てた地鶏の卵、とか食べたいですよ。
 でも、大根1本500円、卵1個200円って言われると、そう毎日食べる気にはならない。

 散財は1年に1度くらいです。
 一日の食費として、我が家としては大散財したときの記録を、春庭bbsより。

haruniwa
 岡田 斗司夫(おかだ としお )が『いつまでもデブと思うなよ』というダイエット本を出して、1年間に50キロやせたというので、ベストセラーになりました。
 岡田のダイエット方法のひとつとして、一日に食べたものをすべて書き出して記録するという方法があります。

 毎日食べたものを書き続ける根気はないのですが、イベント時の分だけ書いておきます。(一日で、こんなに食費を使うことはめったにないことなので、特別に記録)

2008年3月4日
朝(10:00)家で 牛乳、コーヒー

昼(15:00)ひとりでランチ。
王子駅前のレストラン「White fox」で、ひとりランチ。これは、今期の仕事を終えた自分へのご褒美。

ランチコーヒー¥100
アボガドとサーモンマリネとイクラのせごはん¥850 
梅酒シャーベットとバナナクリーム¥500
珈琲コピルアック¥1400 
合計¥2850

夜(20:30)日本橋三越デパ地下半額セール品を買って、家で娘息子と分け合って食べた。閉店前の割引セール半額セールって好きよ。

横山町まぐろ寿司専門店・四季魚処 \1890→¥1200
笹巻き寿司本舗扇・松花堂弁当 \1680→¥1050
サーモンはらみおにぎりとろろ昆布巻き2個セット \420→¥210
合計¥3460÷3=¥1153
===============

 以上の寿司とおにぎりと松花堂弁当を3人でわけて、おかずは、娘が料理した玉葱とカルビ肉のいためもの。娘は、「お寿司買ってくるなら、電話してよ。カルビ炒めじゃ、おかずが合わないでしょ」と文句を言う。
 デザートは生協の冷凍モンブランを解凍して食べた。

 一人前にすれば千円ちょっとの半額セール品を買って「大散財」というなんて、涙がこぼれまするるるる、、、

本日の徘徊俳諧
デパ地下の半額セールの菜飯食う

<つづく>
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2008年04月24日


ぽかぽか春庭「ホワイトフォックスのコピ・ルアック」
2008/04/24
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>自分にご褒美(3)ホワイトフォックスのコピルアック

 3月4日、レストラン・ホワイトフォックスの食事の中で、いちばん高かったのは、コーヒーのコピルアック1杯1400円。
 コピ・ルアックは、インドネシア産の稀少豆のコーヒーです。話のタネに飲んでみた。がんばって仕事をした自分へのご褒美ってやつです。

 ルアックとは、インドネシアに住む動物ジャコウネコの一種。ジャコウネコの英名は、 Civetシベット。
 シベットは、元来ジャコウネコの分泌物から取れる香料のことをさします。

 麝香(じゃこう、ジャコウジカから採取される香料)に似た香りをもっており、マリリンモンロー愛好の香水であった「シャネルNo.5」にも、ルアックシベットがブレンドされています。 

 中国漢方では、ルアック(ジャコウネコ)のお香シベットは、霊猫香(れいびょうこう)と呼ばれました。脳を覚醒させ、気力を高める作用があるとされており、また、古来より制汗剤や媚薬としても珍重されてきました。

 インドネシアジャングルに住むルアックがコーヒー果実を食べ、核のコーヒー豆は消化されずに糞とともに排泄される。その豆がコピ・ルアックの豆です。
 ルアックの腸を通過して、半ば発酵した状態になっているそうで、独特の香りがつきます。ルアックの分泌物が香料になるくらいだから、体内の香りが強いのでしょう。

 インドネシアの森林開発が進み、野生のルアックが激減した今では、コピルアックの豆は稀少で、100グラムで¥5000。
 現在、世界でもっとも貴重なコーヒー豆として、高値で取り引きされています。
 ひとり分のコーヒーをいれるのに、豆15グラム使うとして、1杯¥1400もしかたがないかなと思ったのでした。

 まあ、話のタネとして日記に書いておこう。
 2008年03月04日、私は「コピ・ルアック」をはじめて飲みました!! (2008-03-04 23:52:50)

 でもね。ふだん、コーヒーのみながら、人や乗り物を待ち合わせるのには、ドトールの1杯¥200、ベローチェ\170でも十分だと思ってしまうほうです。

 これから先、自腹ではコピルアック、飲むことないと思うけれど、「お茶でも飲みませんか」と、だれかが誘ってくれたら、私は「じゃ、コーヒー、遠慮なくごちそうになります」と言って、「コピ・ルアック」と、注文するからね。
 お茶、さそって!

 コピ・ルアックを初めて飲んだ店「white fox」は、こんな店。
http://www.thewhitefox.jp/

本日の徘徊ミソヒト
麝香猫(シベット)が生み出す香りのコピルアック南の島の森奥神秘

 たぶん熱帯の森の奥深~い神秘テキな味なんだろうと思う。味音痴でようわからん。

 マクドナルドの¥150円のコーヒーとどちらがうまいかといわれれば、コピ・ルアックなのだろうが、じゃ、¥150の10倍うまいかといわれるとビミョー。

<つづく>
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2008年04月25日


ぽかぽか春庭「かもめ食堂のコピ・ルアック」
2008/04/25
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>自分にご褒美(4)かもめ食堂のコピルアック

 なぜ、コピルアックを飲んでみようと思ったかというと、映画『かもめ食堂』を見たとき、小林聡美が、コーヒーをおいしくするおまじないとして、コーヒー豆に「コピルアック」と言っていたからです。

 コーヒー豆。高いのも安いのもあります。
 でも、どんな安豆でも、「あんたはコピルアックなんだよ。コピルアックと同じくらい美味しいコーヒーを引き出せる素質をもっているんだよ」と、言ってきかせてやると「うん、ぼくって、安モカや安ジャマイカじゃなくて、正調インドネシア産コピルアックだったのかもしれない」と発憤して、美味しくなるんですって。

 映画『かもめ食堂』で「おまじない」になっている「コピ・ルアック」。
 映画を見て以来、世界一貴重だというコピ・ルアック豆をつかったコーヒー、どんな味かと思ってきて、やっと飲めました。味は、、、、、まあ、、、、、、普通。

 コピルアックをいれてくれたサブシェフさん、きっと「あんたは本物のコピルアックなんだからね、コピルアック!」と、おまじないをかけるのを忘れてしまったので、コピルアックは、自分がコピルアックだということを忘れてしまったのかも知れません。

 『かもめ食堂』(荻上直子監督作品)。
 サチエ(小林聡美)はフィンランドで食堂を経営しています。ヘルシンキの町の片隅にある食堂を居抜きで買い、おにぎり屋をはじめました。

 旅行者としてやってきたミドリ(片桐はいり)とマサエ(もたいまさこ)、最初は「かもめ食堂」のお客さんでしたが、やがて食堂を手伝うことになりました。
 店主サチエのほか、従業員がふたり増えても、相変わらず、お客さんは日本アニメおたくの青年(ヤルッコ・ニエミ)だけです。

 食堂の元の経営者、オーナーシェフだった男(マッティ)が現れて、コーヒーを美味しくするコツを教えてくれます。
 コーヒー豆に「コピルアック」というおまじないをかけると、どんな豆をつかっていても、たちまちコピルアックと同じくらいおいしいコーヒーに変身するというのです。

 コピルアックのおまじないがきいたのか、閑古鳥が鳴いていたかもめ食堂に、だんだんお客さんが増えていきます。

 とりたてていうほどの事件もおきないストーリーなのに、見おわると、にぎりたてのおにぎりのように、ほっこり優しい気持ちになれる映画でした。

 『かもめ食堂』のスタッフや出演者が、次作を完成しました。『めがね』
 『めがね』は、与論島がロケ地になっています。
 『めがね』も、ほっこり、ぽわわん、「たそがれたい」ときによい映画。


本日の徘徊俳諧
フィンランドかもめ食堂の花菜漬け

<つづく>
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2008年04月26日


ぽかぽか春庭「『めがね』のかき氷」
2008/04/26
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>自分にご褒美(4)「めがね」のかき氷

 映画『めがね』では、サクラさん(もたいまさこ)は、サクラ便りとともに南の島にやってきて、かき氷を皆に振る舞います。かき氷の代金は、小学生がいっしょうけんめい折った「折り紙」だったり、一夜のマンドリン演奏だったり。

 都会で忙しく暮らしているらしいタエコ(小林聡美)。
 最初は「かき氷苦手なんです」と言っていたけれど、ひとくちサクラさんのかき氷を味わってみると、「今まで食べたことのないかき氷」であることがわかります。
 民宿経営者のユージ(光石研)や、タエコを「センセー」と呼び、島まで追いかけてきたヨモギ(加瀬亮)が「人生最上のかき氷」と言ってこと、ほんとうでした。

 私も、こんな南の島の浜辺でほっこりとなごみながら、極上のあずきが入った甘くて冷たいかき氷を食べて、のどをうるおしてみたいなあ。

 一杯のかき氷で、赤道直下の南の島でぽわわんとしていた時間が思い出されるかもしれません。

 昔々。
 「こんなとき、かき氷があったら、おいしいだろうなあ」と思ってすごしたひとときがありました。

 30年前のケニアの東海岸。
 ラム島という、インド洋に浮かぶ小さな島ですごしたときのこと。
 沈む夕日をながめて、何をすることもなくすごした浜辺、あのほっこりした時間。

 この南の島の夕日を、いっしょにのんびりと眺めていた、あのときの、、、、、、夫は、30年たってみると、仕事仕事の毎日で、テレビも映画も、めったに見ません。
 まれに映画をみるとき、夫は必ずひとりで行きます。

 「たまには、女房を誘ってみたらどう?」なんて、言ってみるだけムダ。自分に妻がいることなど、とっくの昔に忘れているからです。
 いっしょに見たサバンナの夕日も、ラム島の夕日も、忘れ果てていることでしょう。

 私より先に『めがね』を見てきた夫が、新発見のように言いました。
 「『めがね』のなかに、あなたにそっくりな女優がでていたよ」

 「ははん、もたいまさこって、言うのだろう」と思ったら、、、、
 「小林聡美って知ってる?あの人、あなたに雰囲気がよく似てるなあ」

 小林聡美は、知ってるよ、もちろん。美人すぎないところがいい感じの三谷幸喜夫人。
 娘が小林聡美のファンなので、テレビドラマ『すいか』も『神はサイコロを振らない』も、楽しんで見てきました。

 「ええっ、私が?似てるかなあ、小林聡美、、、、、」
 「顔がそっくりってんじゃないけれど、雰囲気が若い頃のあなたにそっくりだった」

 あ、若い頃の私なのね。
 夫のメモリーのなか、「古女房」は削除されているので、ケニアで出会った頃の、若い頃の私しか記憶がないのでしょう。

 でもね、与論島の浜辺で「たそがれている」小林聡美を見て、夫の記憶のなかの「ラム島の浜辺でたそがれている私」が思い出されたのだとしたら、これって、私にとってはちょっとしたご褒美かも。
 日頃、夫からは「妻の存在は忘却のかなた」の扱いだったので。

本日の徘徊ミソヒト
茜さす君が寝そべるアフリカのラム島の浜はたそがれの中

<つづく>
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2008年04月27日


ぽかぽか春庭「サバンナの甘露水」
2008/04/27
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>自分にご褒美(5)サバンナの甘露水

 30年も昔の、ケニアでの日々。
 ほっこりとたそがれているしか、時間の過ごしようがなかった。

 あるときは、ラム島の浜辺で、何を話すでもなく、海を眺めてすごしました。
 となりにすわってたそがれている人が、あとで夫になるとは思っていなかったけれど。
 ある日は、サバンナの夕日をぼうっとながめ、頂を雲の中にかくしているキリマンジャロ山をながめました。

 アンボセリ動物保護区ゲームパーク。サバンナの中をトラックの荷台にすわって、動物を追いかけました。
 観光ツアーの冷房つきバスならいざ知らず、私たちが乗せてもらったのは、ナマンガという町で知り合った現地の人のトラックの荷台。
 水筒ひとつしか水の準備もしていなかった。たちまち水筒は空に。のどがからからになりました。

 夕方にならないとライオンもチータも狩りをしないことを知っているから、昼うちの草食動物はのんびり草を食べています。
 サバンナの乾期。動物たちは、水を求めて移動します。極上のかき氷なんて贅沢は言わない。池の底にたまった泥水でも貴重な命の水です。

 乾期の乾燥したサバンナ・アンボセリ大地、道などありません。トラックの車輪からからは、砂ぼこりがもうもうとあがります。

 砂ぼこりで真っ白になった私の髪を見て、トラックの荷台、となりにすわっていた人は、「30年後は、こんな風に白髪になっているのかも知れないね、白髪のあなたを見ることがあったら、おもしろいだろうね」と、言いました。

 今では妻に白髪があるかどうか、皺があるのかないのかも、夫の関心の外。「アウト・オブ・アフリカ」

 私の年代の女性、「夫からは、まったく興味をもたれていない存在」になっていると嘆く人も多い。
 私のジャズダンス仲間が言うことに。

 美容院で髪を切ってきても気づかれない、どころか、1泊旅行に行って来ておみやげ渡したら、「えっ、ゆうべ、いなかったの?」と言われたって。
 「老夫婦の仲は空気のようなもの」とは、よく言われますけれど、空気が一晩なくても窒息することもないってことでしょうか。

 我がショーモなしの夫、妻の存在を完全に忘れ去り、空気なしで生きている。
 あの御仁は、硫化水素かなんかを呼吸しているエラ呼吸の宇宙人、と思っていたけれど、小林聡美を見て妻を思いだしたというのは、めでたいことである。
 宇宙人も、たまには空気の存在を思い出すとみえる。

 貧困の泥沼、乾期の泥水の中に暮らしていても、夫のたったひとことで、なんだか命の水でのどを潤したような気になる、単純なポカポカ頭白髪頭の私です。

 島の浜辺を重いスーツケースを引きずりながら歩いていた小林聡美タエコが、かき氷を食べて心もほっこり甘くなってきたように、くたびれきって引きずりながら歩く重たい私の足取りも、もうちょっと軽くなるかもしれません。

 どんな安豆でも「あんたはコピルアックだよ」とおまじないをかければ、おいしいコーヒーになるって。
 私も、どんなにしわしわ白髪になっても「夫の目でみると、私は小林聡美です」って、おまじないをかけるとよいのかも。

本日の徘徊ミソヒト
「コピルアック」と、魔法の呪文を唱えたら、このコーヒーはコピ・ルアックの味

<おわり>
コメント
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