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ぽかぽか春庭「2018年10月目次」

2018-10-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20181030
ぽかぽか春庭2018年10月目次

1002 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の風(1)雨にも風にも台風にも
1004 2018十八番日記秋の風(2)電車麻雀
1006 2018十八番日記秋の風(3)女心と秋の空のおしゃれ

1007 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>事実と真実(3)フロリダ・プロジェクト真夏の魔法
1009 事実と真実(4)グレイテストショウマン
1011 事実と真実(5)ウィンストン・チャーチル、ヒトラーから世界を救った男

1013 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の色(1)「ジャパン・オープン2018&カーニバルオンアイス」
1014 2018十八番日記秋の色(2)秋の日常
1016 2018十八番日記秋の色(3)アーカイブ2度目
 
1018 ぽかぽか春庭アーカイブ(あ)足立巻一『やちまた』
1020 アーカイブ(い)石牟礼道子『椿の海の記』
1021 アーカイブ(う)上田正昭『日本の現像』
1023 アーカイブ(え)永六輔『遠くへ行きたい』
1025 アーカイブ(お)大江健三郎『個人的な体験』
1027 アーカイブ(か)川田順造『曠野から―アフリカで考える』
1028 アーカイブ(き)北杜夫『ドクトルマンボウ航海記』
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ぽかぽか春庭アーカイブ「(き)北杜夫『ドクトルマンボウ航海記』

2018-10-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181028
ぽかぽか春庭アーカイブ「(き)北杜夫『ドクトルマンボウ航海記』

at 2003 10/02 07:31 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.7(き)北杜夫『どくとるマンボウ航海記』
 「ここではない、どこか」に行きたくてたまらなかった少女のころ、母の勧めで読んだ本。どくとるマンボウシリーズのほとんどと『牧神の午後』をはじめとする初期作品、どんどん読めた。
 北杜夫作品中一冊だけ選ぶなら、やはり斎藤茂吉一家をモデルとした『楡家の人々』
==========
at 2003 10/02 07:31 編集 老後はインターネットの海を航海
 「老後を豊かにすごしたい」というのは、すべての人の願い。
 でも、「豊かさ」の意味は人によって異なる。ある人にとっては、「ある程度の金」、また、「健康」。「人とのふれあいが一番」という人もいるし、「趣味をきわめたい」という人も。
 さまざまな老後の過ごし方の中で、「ホームページ作成」は、自己表現の喜びと、人とのふれあいを得られる、一挙両得の趣味。多くの高齢者がウェブ上で活躍している。
========
2010/01/16
 母は読書と俳句を何よりの楽しみにしていた。『どくとるマンボウ航海記』も、母の文庫本をもらった一冊だった。
 母は、庭に鶏小屋を建てて、10羽の鶏から卵をとって食卓にのせること、裏の家庭菜園で野菜を育てること、ほぼ毎日、3時ころから夕食準備にとりかかるまで、近所の奥さん達と持ち回りで「お茶のみ」に呼んだり呼ばれたりすること。これらの楽しみのほか、一人で本を読むこと、野菜や鶏の世話をしながら俳句をひねることを生き甲斐にしていた。この楽しみがあったから、55歳という短さではあったけれど、3人の娘を育て上げた人生は、充実した一生だったのだと信じている。

 母は、小説を読み始めるともう腰を上げたくなくて、夕食作りにかかる時間が遅くなってしまったりして困るけれど、短い章を連ねたエッセイなら、どこで区切って本を綴じてもすぐに仕事にかかれるから、といっていた。それで北杜夫や遠藤周作のユーモアのあるエッセイがお気にいりだった。

 東京で一人暮らしを始めた私を、母はいつも心配していて「風邪をひいた」と電話したら、母が「帰っておいで。一人で下宿で寝ているより、うちで温かい物でも食べたほうがいい」と言うので、帰省し、1週間で風邪も治ったので、母と買い物を楽しんだあと東京の下宿に戻った。
 そのあと「風邪がうつったみたいで、お母さんが寝込んだ」という連絡を妹からもらい、次に電話を受けたときは「危篤だからすぐに帰宅するように」という緊急連絡だった。深夜病院へ駆けつけると、その夜のうちに死んでしまった。信じられなかった。夢の中の出来事だと思えた。

 医者は「インフルエンザ」と診断して抗生物質か何かを注射したらしいけれど、実は心臓が弱っていたのであって、インフルエンザの注射が身体にあわず、死期を早めてしまった。母は具合が悪くなったときに、私の風邪がうつったのだろうと思って「風邪引いたみたい」と、医者にかかったのだけれど、藪医者は患者の申告通りに風邪と誤診して母を死に追いやったのだった。

 父はなんとか助けたいと、よりよい診断を求めて、1週間のうちに3回病院を転院させた。三つ目の病院で、「実は心臓が悪くなっていたのを、最初の医者が見抜けなかったのだ」という説明を受けた。心臓が悪いという診断が下ったとき、もう手遅れで手の施しようがなくなっていた。最初の病院できちんと診断して治療していれば助かったのかもしれなかったけれど、今さら嘆いても遅い。母の判断で一番近い病院へいったのだから。
 私が風邪をなおしに帰宅しなければよかった、と感じて、ずっと母の死を受け入れることができないでいた。 

 母の死後、生きていく気力がなくなっていた。
 母の3回忌に「御仏前返し」に配るものとして、遺稿集をまとめることにした。生前「末娘が高校卒業したら私も母親業卒業式をして、新聞に投稿してきた俳句や短歌をまとめて本を出したい」と言っていた。母の望みを遅ればせながら実現するために、母に俳句作りを勧めた母の末弟といっしょに編集した。この仕事がなかったら、後追い自殺したかもしれなかった。

 母にもらった『どくとるマンボウ航海記』の文庫本。ページをめくると、笑いながら読んでいた母の姿を思い出す。

<つづく> at 2003 10/02 07:31 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.7(き)北杜夫『どくとるマンボウ航海記』
 「ここではない、どこか」に行きたくてたまらなかった少女のころ、母の勧めで読んだ本。どくとるマンボウシリーズのほとんどと『牧神の午後』をはじめとする初期作品、どんどん読めた。
 北杜夫作品中一冊だけ選ぶなら、やはり斎藤茂吉一家をモデルとした『楡家の人々』
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at 2003 10/02 07:31 編集 老後はインターネットの海を航海
 「老後を豊かにすごしたい」というのは、すべての人の願い。
 でも、「豊かさ」の意味は人によって異なる。ある人にとっては、「ある程度の金」、また、「健康」。「人とのふれあいが一番」という人もいるし、「趣味をきわめたい」という人も。
 さまざまな老後の過ごし方の中で、「ホームページ作成」は、自己表現の喜びと、人とのふれあいを得られる、一挙両得の趣味。多くの高齢者がウェブ上で活躍している。
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2010/01/16
 母は読書と俳句を何よりの楽しみにしていた。『どくとるマンボウ航海記』も、母の文庫本をもらった一冊だった。
 母は、庭に鶏小屋を建てて、10羽の鶏から卵をとって食卓にのせること、裏の家庭菜園で野菜を育てること、ほぼ毎日、3時ころから夕食準備にとりかかるまで、近所の奥さん達と持ち回りで「お茶のみ」に呼んだり呼ばれたりすること。これらの楽しみのほか、一人で本を読むこと、野菜や鶏の世話をしながら俳句をひねることを生き甲斐にしていた。この楽しみがあったから、55歳という短さではあったけれど、3人の娘を育て上げた人生は、充実した一生だったのだと信じている。

 母は、小説を読み始めるともう腰を上げたくなくて、夕食作りにかかる時間が遅くなってしまったりして困るけれど、短い章を連ねたエッセイなら、どこで区切って本を綴じてもすぐに仕事にかかれるから、といっていた。それで北杜夫や遠藤周作のユーモアのあるエッセイがお気にいりだった。

 東京で一人暮らしを始めた私を、母はいつも心配していて「風邪をひいた」と電話したら、母が「帰っておいで。一人で下宿で寝ているより、うちで温かい物でも食べたほうがいい」と言うので、帰省し、1週間で風邪も治ったので、母と買い物を楽しんだあと東京の下宿に戻った。
 そのあと「風邪がうつったみたいで、お母さんが寝込んだ」という連絡を妹からもらい、次に電話を受けたときは「危篤だからすぐに帰宅するように」という緊急連絡だった。深夜病院へ駆けつけると、その夜のうちに死んでしまった。信じられなかった。夢の中の出来事だと思えた。

 医者は「インフルエンザ」と診断して抗生物質か何かを注射したらしいけれど、実は心臓が弱っていたのであって、インフルエンザの注射が身体にあわず、死期を早めてしまった。母は具合が悪くなったときに、私の風邪がうつったのだろうと思って「風邪引いたみたい」と、医者にかかったのだけれど、藪医者は患者の申告通りに風邪と誤診して母を死に追いやったのだった。

 父はなんとか助けたいと、よりよい診断を求めて、1週間のうちに3回病院を転院させた。三つ目の病院で、「実は心臓が悪くなっていたのを、最初の医者が見抜けなかったのだ」という説明を受けた。心臓が悪いという診断が下ったとき、もう手遅れで手の施しようがなくなっていた。最初の病院できちんと診断して治療していれば助かったのかもしれなかったけれど、今さら嘆いても遅い。母の判断で一番近い病院へいったのだから。
 私が風邪をなおしに帰宅しなければよかった、と感じて、ずっと母の死を受け入れることができないでいた。 

 母の死後、生きていく気力がなくなっていた。
 母の3回忌に「御仏前返し」に配るものとして、遺稿集をまとめることにした。生前「末娘が高校卒業したら私も母親業卒業式をして、新聞に投稿してきた俳句や短歌をまとめて本を出したい」と言っていた。母の望みを遅ればせながら実現するために、母に俳句作りを勧めた母の末弟といっしょに編集した。この仕事がなかったら、後追い自殺したかもしれなかった。

 母にもらった『どくとるマンボウ航海記』の文庫本。ページをめくると、笑いながら読んでいた母の姿を思い出す。
<つづく>
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ぽかぽか春庭アーカイブ「(か)川田順造『曠野から―アフリカで考える』」

2018-10-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181027
ぽかぽか春庭アーカイブ>(か)川田順造『曠野から―アフリカで考える』

 2003年のアーカイブです。
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at 2003 10/01 05:57 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.6(か)川田順造『曠野から―アフリカで考える』(筑摩書房, 1973年/中央公論社[中公文庫], 1976年)
 ケニアに行く前に読んだ「アフリカ関連本」の中で、川田順造は、トリックスター(道化)を広めた山口昌男と並んで、文化人類学的なものの見方考え方を教わった人のひとり。
 川田の『マグレブ紀行』も好きな本だった。

 ケニアから帰国してから2年後、資金を貯めやっとモロッコからアフリカ縦断の旅に出ることになった。モロッコからジープでサハラ砂漠を通ってケニアに向かい、ケニアの大使館でタカ氏との婚姻届を出す予定でした。いざ、マグレブへという寸前で、出発をとりやめ、飛行機もキャンセル。駆け込みできちゃった婚をすることになり、未だにマグレブは遠い。

at 2003 10/01 05:57 編集 74歳強盗トリックスター
 笑っちゃったりしんみりしたりのニュース。2003/09/29のNHK昼ニュース。コンビニ強盗の報道。
 中野区のコンビニ、サンクスで「金を出せ」と店員を脅した強盗、他の店員が奥から出てくると、何も盗らずに逃げた。コンビニからの通報でたちまち逮捕。
 犯人は74歳の男性だった。所持金数十円。ほんとうに強盗をするつもりだったのか、それともただ、捕まりたかったのかは、まだわからない。
 74歳という年齢で強盗ときいて、「そんなに困っていたのか」としんみりしたり、よくある「食い逃げ」などをせずに「強盗」すると決めたのはなぜなのか、と面白く思ったり。
 悪さをしまくり、沈んだ世の中の澱をかき混ぜるトリックスターのようだと感じたり。
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2010/01/15
 2009年の年末、74歳のコンビニ強盗、もうはや珍しくもなくニュースにもならないくらい、貧しい老人を取り巻く状況は厳しい。2010年、年寄りが安心して老いていける状況になるのでしょうか。

 1月13日朝刊、69歳のベテラン(?)掏摸が逮捕されたと報道されていました。竹田孝雄容疑者(69)は旧姓が鐙谷(あぶみや)だったことから通称アブ。ギャンブル場やお祭りなど人混みのなかで仕事をするパンサーという掏摸グループの一員で、ギャンブル場でのスリを続けてきたので「ギャンのアブ」と呼ばれていました。
 警察が年末のスリ警戒を実施しているさなか、昨年12月29日に後楽園場外馬券売り場で逮捕されました。これまでも警察に「これから○○競馬場へ行く」と予告電話をして、逮捕を逃れてきたスリ歴30年の「ギャンのアブ」。
 ギャンブル狂がギャンブルに熱中している時をねらって、カバンやポケットの現金を盗む。13年間「ギャンのアブ」を追っては取り逃がしていたスリ専門の捜査員、ついにアブを逮捕し、「完全に俺の敗け」と言わしめた。

 私も電車の中でお金をすられて悔しい思いをしたこともあるし、むろんスリは犯罪には違いない。しかし、「ギャンブルでひともうけしようとしている人」が競馬や競輪に夢中になっているスキを狙い、気づかれないうちに財布を抜き取るっていう技を磨いて30年ってところが、なんだか憎みきれない感じがしてしまう。スリは、現行犯逮捕以外に逮捕の方法がない。捜査員にとっても、「ギャンのアブ」との攻防は、「逮捕の技」を磨く修練の場になっていたのかもしれません。
 アブは、捜査員を「だんなさん」と呼んでいたそうです。筋金入り掏摸のアブと捜査員「だんなさん」の一騎打ちって、なんだかドラマになりそうで、ギャンのアブにトリックスターの称号をあげたい気分。

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20181027
 今年の「トリックスター大賞」は、富田林署から逃亡し、サイクリングお遍路を続けた樋田淳也容疑者で決まりでしょう。もともとの罪状は窃盗犯および強姦犯だというので、近隣の方々には恐怖もあったでしょうが、東京でニュースを見ていると、山口で逮捕されるまでの道行きは、こりゃきっと誰かがシナリオに書くなあと思う出来事でした。
 ノワール映画ではあるけれど、喜劇要素も含んで出色のできになるんじゃなかろうか。

<つづく>
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ぽかぽか春庭アーカイブ「(お)大江健三郎『個人的な体験』」

2018-10-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181025
ぽかぽか春庭アーカイブ>(お)大江健三郎『個人的な体験』


at 2003 09/30 12:23 編集
 春庭千日千冊 今日の一冊No.5(お)大江健三郎『個人的な体験』
 大江の本、絶版本『政治少年死す』を含めて、ほとんどの作品を読んだ。いまも続けて新作に注目できる作家の中のひとり。

 ノーベル賞受賞以後は「余生」であって読むべき作品は無し、という人もいるし、「障害のある我が子をモデルにするのがちょっとね」と、息巻く留学生もいた。いろいろ言われているが、私は好き。

 『個人的な体験』の冒頭。「鳥(バード)は、野生の鹿のようにも昂然と優雅に陳列棚に収まっている、立派なアフリカ地図を見下ろして、抑制した小さい嘆息をもらした。」から始まる。
 大江の小説に光をモデルにした子どもが登場する最初の作品だ。バードは障害のある子と共に生きていくことを選択し、あれほど行きたかった東アフリカ行きを断念する。

 この本を読んでいた1970年、私自身がその9年後にケニアで1年近くすごすことになるとは思っていなかった。1979~80年、ケニアのさまざまな土地で熱帯の鳥をいろいろ見た。
==========
a
t 2003 09/30 12:23 編集 バードウオッチング検定「これはクイナです」
 日本野鳥の会が主催する「バードウオッチング検定」。鳥の種類、鳴き声などのほか、環境問題やウォッチングマナーについても出題される。
 1級合格者は、過去2回の試験で397人。これまでの受験者最年長は92歳、最年少は7歳。おじいちゃんと孫が並んで双眼鏡をのぞいている光景が想像される。

 私が『野鳥観察図鑑鳴き声CD付き』を買ったのは、ウオッチング目的ではなく、「クイナ」の鳴き声を知るため。クイナの鳴き声を知りたかったのは、大江の本を読んだから。
 我が子が生まれてから最初に発したことばが「これはクイナです」だった、という本を読んで、、、。最初のことばが「これはクイナです」だった人は、大江光。
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2010/01/14
 2009年に46歳になった大江光は、今も静かな生活を続けている。新作のCD発売とかコンサート開催のニュースは聞かないけれど、ピアノの楽譜を眺めたり、新しい曲のフレーズを指先にのせたり、父といっしょに成城の家で過ごしていることだろう。
 大江の2009年の新作は『水死』。村上春樹の『1Q84』には及ばなかったものの、純文学小説が売れない昨今にあって、老大家の新作がベストセラーとして店頭に山積みされるのはめでたいことです。

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20181025
 今年は受賞なしになったノーベル文学賞。1995年の大江の受賞から23年たちますから、来年はきっと。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭アーカイブ「(え)永六輔『遠くへいきたい』」

2018-10-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181023
ぽかぽか春庭アーカイブ>「(え)永六輔『遠くへいきたい」

 2003年のアーカイブです。
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at 2003 09/29 07:53 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.4(え)永六輔『遠くへいきたい』
 六輔さんは、テレビラジオに出ている人の中で、一貫した姿勢を保ち、その姿、考え方生き方に、ずっと変わりなく共鳴できる、数少ない人のひとり。
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at 2003 09/29 07:53 編集 マスターズ100歳100m
2003/9/28のニュースから
 24回マスターズ陸上に、大会最高齢97歳石川喜一さんが参加。100M39.66で完走。次の目標は100歳で100m完走だという。
 いいですねぇ。私も100歳まで走りいや走るのは苦手だから、歩き続けたい。遠くへどこまでも遠くへ。
 テラインコグニダ!10歳の頃から、私の一貫して変わりない「姿勢」は「遠くへ行きたい」でした。
 今いるここからどこかへ。私はいつもここではないどこか遠くへ行きたかった。
 今も、次の旅立ちを夢見ています。旅立ちは何度あってもいい。
==========
2
010/01/13
 『遠くへいきたい』4チャンネルの旅番組でした。1970(昭和45)年に、永六輔の単独出演で放送を開始。開始当初のタイトルは「六輔さすらいの旅・遠くへ行きたい」。
 主題歌は、今でもいろいろな歌手がカバーしていて時々テレビで聞ける。
♪知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい
知らない海をながめていたい どこか遠くへ行きたい
遠い街 遠い海 夢はるか 一人旅
愛する人とめぐり逢いたい どこか遠くへ行きたい
愛し合い 信じ合い いつの日か 幸せを
愛する人とめぐり逢いたい どこか遠くへ行きたい

 本棚にある『遠くへ行きたい』は文春文庫版奥付は1974年発行です。今は講談社から文庫が出ています。

~~~~~~~~~~
20181023
 永六輔さんも、亡くなって久しくなりました。永さんが作詞した曲を集めたコンサートなど、テレビで見て楽しんでいます。私の世代にとって、青春時代のなつかしい曲が多かったです。

ちょっと遠くへ。
 明日から京都へいってきます。近代建築と庭園を見る12日間。前半一人旅、後半は、友人の母娘といっしょに。京都に研究滞在中の母ハンさんとは、1994年私が最初に中国に赴任したとき出会いました。その娘のシンちゃんとは10年ぶりに会います。10年前に会ったときは小学生でしたが、大学生になって、日本に短期留学中。母と娘がいっしょに京都で過ごすことができるなんて、うらやましい。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「アーカイブ(う)上田正明『日本の現像』」

2018-10-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181021
ぽかぽか春庭アーカイブ>2003年10月のカフェ・ら・パンセソバージュ

 2003年アーカイブです

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at 2003 09/28 14:06 編集
春庭千日千冊 今日の一冊No.3(う)上田正昭『日本の原像』
 春庭、1974年に最初の大学を卒業するときの卒論のタイトルは『古事記』でした。
==========
at 2003 09/28 14:06 編集 災害
 9/26朝の十勝沖地震、明け方の夢を破りました。被災地の方々、まだ、たいへんでしょうね。
 アメリカではハリケーン「イザベル」の被害。南太平洋では、昨日は998ヘクトパスカルの熱帯低気圧が、今朝、990ヘクトパスカルの台風16号に成長しています。

 そして、日本のスポーツ界では、人災?老害?公害?の某オーナーが台風の目に。私、特別野球に興味ないけど、こういう人事って、すっきりしないなあ。スポーツって、もっと人の心をすっきりさわやかにするものであって欲しい。(この時の老害オーナーって、原監督を切った渡辺某氏のことであるけれど、7年経った2010年にも老害衰えず)
==========

2010/01/12
 上田正昭の著作は、卒論だった「古事記」の参考文献の一冊。指導教官は山路平四郎教授でした。学園紛争真っ盛りの当時は、入学時から3年生になるまで、学生ストライキ学内ロックアウトというのが毎年実施され、教師や一般学生は大学内に立ち入りができず、授業が行われませんでした。レポートを教授宅に郵送すると単位がもらえた。そのころは授業があっても出欠などとらない教師が多く、もともとレポート提出だけで単位を出す大学だったので、それで誰も不満とも思わなかった。今の出席率抜群の学生達なら、「授業料払ったのに授業をしないのは不当だ」と不満を言い出す学生もいるんじゃないかな。

 4年次にはストライキは行われず、山路教授の「卒論指導」の授業も毎週あったのかもしれません。でも、私は当時の風潮にしたがって、4月に「先生に指導をお願いしたい」という挨拶のときと、卒論が一応書き上がったときに先生の研究室に持っていって、「ま、いいでしょう」と受け取ってもらうときと、2回+αしか山路先生の研究室に入ったことはありませんでした。

 不出来な学生だったにもかかわらず、卒業したあと「埼玉県の公立中学校国語教師に奉職しました」という挨拶の葉書を送ると、励ましのことばを返信してくだった。もっと先生からたくさん学ぶべきであったのに、今思うと2回の卒論指導だけの学生であったのは残念至極です。
 山路先生の著作『記紀歌謡の世界―山路平四郎古典文学論集』(笠間叢書)は、17,840園もするので、今はとても買えません。100円本には決してならない本なので、いつかお金を貯めて買いますね、先生。

~~~~~~~~~~~~~
20181021
 15年前「老い支度」のひとつとして始めたブログです。あっというまに15年たって、「老い支度」整わぬまま、老人となりました。
 五十肩六十肩など、まだ序の口の老いでした。膝の関節炎を患う今、老人の悲哀はしみじみと身に染みております。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭アーカイブ「(い)石牟礼道子『椿の海の記』」

2018-10-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181020
ぽかぽか春庭アーカイブ(1)(い)石牟礼道子『椿の海の記』

at 2003 09/27 14:22 編集
春庭「千日千冊」今日の一冊No.2(い)石牟礼道子『椿の海の記』
 石牟礼道子の文章は、私にとって、命そのもの、魂そのもの。『苦海浄土』とともに、何度でも読み返したい。
=========
at 2003 09/27 14:22 編集 オータムニュース

 各地からコスモス満開のニュースが。昭和記念公園のコスモスは、見に行ったことがありますが、葛西臨海公園へは、いつも春休み、夏休みのお出かけコースでした。秋にいったことがなかったので、出かけてみようかな。

2003/09/25のニュースから。
 ファンだった有馬秀子さんがなくなってしまいました。享年101歳。9月はじめ、敬老の日にむけたインタビューでは、現役銀座バーのマダムとして、元気な姿をみせていたのに。
 あんなふうに年をとっていきたいなぁ、という目標の一人でした。
自分ではもう十分年をとってきたつもりだけれど、有馬さんからみたらまだ、ひよっこの年。これからもがんばらなくちゃ。

宇宙(コスモス)へ旅立つ人へ一輪の秋桜たむけてグラスほす夜
=============

2010/01/11
 この2003年9月にカフェコラムを書き始めたとき、カフェ日記に何を書くのか決まっていなかったので、「とりあえず、好きな本を千冊並べてみよう」と書き始めたのが「千日千冊」です。松岡正剛の千夜千冊のまねっこです。
 1977年~2004年の読書については、ノートに読了本のタイトルと作家名は記録してあります。なので、1977年以前に読んだ本のタイトルを千冊思い出して書き留めておこう、というのが、コラムの内容でした。

 読了本記録は、2004年からノートではなく、パソコン記入にしました。そうしたらパソコンが壊れてしまい、バックアップとってなかったので、そのままなし崩しに読了本記録を書いておくことがなくなり、古本屋でついつい同じ本を3冊も買ってしまうことが起きています。100円だから、まあいいかと、同じ本を買ってしまうのですが、石牟礼道子の本で100円になっているのは『苦界浄土』だけで、ベストセラーでバンバン売れるような作家ではないことがわかりますが、日本語言語文化の最高の宝だと思える人です。

 石牟礼道子は、敬愛する女性作家のひとり。好きな文体の女性作家、石牟礼道子、須賀敦子、澤地久枝の3人です。なかでも石牟礼道子は、私にとっては、信仰の対象のように思える人です。石牟礼菩薩か道子観音か、というような。

 人生の先達と思える女性が何人もいます。2005年に98歳で亡くなるまで一国語教師として生きた大村はま、70歳まで農婦として生きて、人生の最後に『洟をたらした神』という珠玉の作品を書き残した吉野せい。ああ、あのように生きていきたいと思える女性たちの生きた軌跡に思いをはせることは、つたない自分の一日を充実させてくれます。
 2003年9月25日に101歳で亡くなった有馬秀子さんもすてきな女性の一生を教えてくれました。

有馬秀子が語る
「明治の人」インタビュー。http://www.yumephoto.com/ym/jin007.php  

~~~~~~~~~~~~
20181020

 石牟礼道子、2018年2月10日、90歳で永眠。尊い一生だったと思います。
 お別れ会に訪れた美智子皇后が「お悲しみが癒えないでしょうね。慈しみのお心が深い方でした。日本の宝を失いました」と、長男の道生さんにおっしゃった、ということを、「ユージン・スミス展」の項に書きました。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/1aa219ed15e8ae0e81f08be994994941

 石牟礼道子の魂を追いかけて、この国の真実を見つめていきたいです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭アーカイブ「(あ)足立巻一『やちまた』」

2018-10-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181018
ぽかぽか春庭アーカイブ>(あ)足立巻一『やちまた』

 15年前2003年に、ブログを始めたときの、最初の2ヶ月間の再録です。「あ」から「ん」まで、著者をひとりずつとりあげ、著作の感想にからめて自分語りを行っています。自己紹介のかわりのつもりでした。

~~~~~~~~~~~~

21世紀になって、千日目記念。春庭、OCNCafeデビュー
2003-09-28 |
20181018
ぽかぽか春庭アーカイブ>(あ)足立巻一『やちまた』

 15年前、ブログ開設記念アーカイブ再録です。

春庭です。
パソコン音痴の私が、この夏、四苦八苦してホームページを作りました。トップページは
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/index.htm

タグはまったくわからず、ビルダーを使って作りました。見栄えはあまり良くないし、内容はとっても地味な「日本語教育と日本語教師の日記」です。

でも、すこしずつ見てくださる方もいるので、がんばって続けよう。仕事と子育て、家事、毎日の忙しさに追われて、自分のネットワークがどんどん狭くなっていました。ホームページを通じて、ネットワークが広がればいいなあ、と思っています。

ホームページ「話しことばの通い路」を、どうぞのぞいてみてください。

21世紀になって、2003/09/25は、1000日目の日(数字と計算に弱いので、もしかしたら数日のずれあり。でも、春庭にとっては千日目の記念ということで、OCNカフェネットデビューの晴れの日。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.1
(あ)足立巻一『やちまた』
春庭が名前を借りている本居春庭の評伝。春庭は、江戸時代の盲目の語学者。本居宣長の息子。失明をのりこえ、『ことばのやちまた』『ことばのかよいじ』を著わした。

~~~~~~~~~~~~~
at 2003 09/27 14:22 編集 
春庭千日千冊 今日の一冊No.1(あ)足立巻一『やちまた』

 春庭というハンドルネームは、江戸時代の国学者本居春庭(1763~1828)から借りています。
 本居春庭は、本居宣長の息子として将来を嘱望されていたのに、病により失明。宣長の跡目は養子の本居大平に譲りました。春庭の目となり手となった妻や妹の助けで国文法を大成し、『詞八衢(ことばのやちまた)』二巻1808年刊、『詞通路(ことばのかよいじ)』三巻1829年刊にまとめました。これらの本に執筆された論述は、200年後の今も、日本語文法論
を学ぶ者にとっては重要な書となっています。
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2010 01/11 編集
 本居春庭は、動詞の自他について六種に分けました。以下は、工藤浩「日本語学史」
(http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/kudohiro/gakusi.html)からの抜き書き。
 「本居春庭は「詞の八衢ヤチマタ」(1808刊)において、動詞の活用を形式的に整理した。徹底して「受くるてにをは」つまり助辞への接続を重視し、現代で言えば形態素論の立場で、「活用形」と「活用の種類」を確定した。ほぼ現行の学校文法の活用表にあたるものを完成したと言っていい。また「詞の通路カヨヒヂ」(1828頃成)では、自動詞他動詞、受身使役など広義のヴォイスのことを「自他の詞」と呼んで、1)おのづから然る、みづから然する、2)物を然する、3)他に然する、4)他に然さする、5)おのづから然せらるる、6)他に然せらるる、の六段に分けているが、これも、活用の種類の交替による意味の違いに注目したもので、あくまで活用研究の一環として行なわれたのである。」
==========

2010 01/10 編集
  現代日本語文法でいうと、1)自動詞 2)ヲ格をとる他動詞 3)ニ格をとる他動詞 4)使役動詞 5)自動詞の受け身 6)他動詞の受身形 を表している。
 春庭HALの修士論文は『現代日本語の他動詞文・再帰構文を中心に』というものだったので、本居春庭の「自他の詞」は、基本中の基本の文献でした。

 『やちまた』は、足立巻一(あだちけんいち)による本居春庭の評伝です。足立巻一(1913-1985)は日本の小説家、詩人、エッセイスト。元大阪芸術大学教授。東京都出身。
 『やちまた』は、松坂や京都に本居春庭の一生を追い、春庭の研究の成り立ちを詳細に綴っています。評伝文学の傑作と評価され、1975年、第20回芸術選奨文部大臣賞を受賞しました。本居春庭の評伝に足立巻一の自伝が織りこまれており、筆によって生きたひとりの男の昭和史としても読み応えがありました。

 春庭HALは、及びもせぬことは承知ながら、ハンドルネームに春庭を拝借し、ホームページのサイト名は本居春庭の著作『詞通路(ことばのかよいじ)』をもじって、『話しことばの通い路』としたのです。

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20181016
 2010年に、2003年の最初のブログ記事を再録したのはなぜだったのか、覚えていませんが、再録しておいたおかげで、消えてしまった2003年の記事が残りました。

 私が最初の記事でやろうとしたのは、足立巻一が『やちまた』で行おうとしたことのまねっこです。足立は、本居春庭の評伝に、自分語りを入れ込みました。評伝と自伝のミックスです。
 まねっこしたけれど、HAL自分語りは当然うまくいきませんでした。
 うまくはいかなかったけれど、それなりに愛着はある文章なので、消えていなくてよかったです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「アーカイブ2003」

2018-10-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181016
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の声(3)2003年最初のブログ

 2002年に、姉と舅が亡くなりました。82歳の舅は大往生として、54歳の姉の死は、医者の誤診による手遅れの死(子宮肉腫を子宮筋腫と診断)だったので、無念で無念で、なかなか姉の死の悲しみから抜け出すことができませんでした。

姉の一周忌もすぎた2003年の夏、ブログをはじめようと決意しました。仕事と家のほか、なんらかのつながりが開かれるかもしれない、と。
 夏休み中、ホームページビルダーというソフトで、パソコンわからないまま、四苦八苦で『話しことばの通い路』というタイトルのHPをなんとか作り上げました。9月からはOCNカフェというブログもはじめました。

 カフェブログには、足跡機能というミニコメント欄があって、すぐに消えてしまうものの、互いのブログを読みあって一言コメントを残すことができました。何人か、読みあう仲間ができました。
 顔合わせができた仲間もいるし、できないままでも長くなかよくしていただいている方も。
 

 「ブログ開設15周年記念」ということで、2003年の夏~秋のブログを再録します。15年前に読んでくださった方もいらっしゃるとは思いますし、再録するほどのたいしたことは書いてきませんでしたが、まあ、自分の記念です。しかも、2010年に一度再録しています。なんで2010年時点での再録だったのかも忘れましたが、今回、初めて読んでくださる方もいらっしゃるとおもいますので。
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2003年9月10月 目次
9/26 21世紀になって千日目 本:(あ)足立巻一『やちまた』

9/27 オータムニュース(コスモスと秀子)本(い):石牟礼道子『椿の海の記』

9/28 災害 本:(う)上田正昭『日本の原像』

9/29 マスターズ100歳100M 本:(え)永六輔『遠くへ行きたい』

9/30 バードウオッチング 本:(お)大江健三郎『個人的な体験』

2003年10月
10/1 74歳強盗トリックスター 本:(か)川田順造『こう野から』

10/2 老後はインターネットの海を航海 本:(き)北杜夫『どくとるマンボウ航海記』

10/3 長寿世界一と「元気がなくてもええやんか」本:(く)串田孫一『光と翳の領域』

10/4 ラグナグ国と「エゾ松の更新」 本:(こ)幸田文『えぞ松の更新』

10/5 アルツハイマーには赤ワイン 本:(こ)小林秀雄『ランボオ』

10/6 歴史の語り部 本:(さ)澤地久枝『妻たちの二・二六事件』

10/7 歴史紀行 本:(し)司馬遼太郎『歴史を紀行する』

10/8 読書記録 本:(す)須賀敦子『コルシア書店の仲間たち』

10/9 出家という老後 本:(せ)瀬戸内晴美『余白の春』

10/10 罪と罰、悪霊の町 本:(た)高橋和己『日本の悪霊』

10/11 ロンリーウーマン 本:(た)高橋たか子『ロンリーウーマン』

10/12 散歩と雑学が好き!晩年の恋も好き 本:(ち)千野栄一『言語学の散歩』

10/13 シルバー劇団 本:(つ)つかこうへい『小説熱海殺人事件』

10/14 芭蕉の忌、50代の死と早世について 本:(つ)津島佑子『寵児』

10/15 ネット航海、俳句という名の船に乗り 本:(て)寺山修司句集『花粉航海』

10/16 自然と人生 本:(と)徳富蘆花『自然と人生』

10/17 ルーツ 本:(な)中上健次『岬』

10/18 老後は留学を! 本:(な)夏目漱石『それから』

10/19 ナイロビ-東アフリカの裏町 本:(に)西江雅之『花のある遠景』

10/20 権力と芸術そして再び老いらくの恋 本:(の)野上弥生子『秀吉と利休』

10/21 遙かなる楽園・南の島そしてニューギニア戦記 本:(は)畑中幸子『ニューギニア
高地社会』

10/22 初恋の人の本 本:(は)浜崎紘一『俺は日本兵』

10/23 友がみな我よりえらく見える日は 本:(ひ)樋口一葉『一葉日記』

10/24 働く女と元始の太陽 本:(ひ)平塚雷鳥『元始女は太陽であった』

10/25 林住期遊行期、放浪 本:(ふ)藤原新也『印度放浪』

10/26 姥捨山、楢山と蕨野 本:(ふ)深沢七郎『楢山節考』

10/27 灰になるまで 本:(へ)辺見庸『もの食う人々』

10/28 けんか友だち 本:(ほ)本多勝一『極限の民族』

10/29 年の残りはレビトラで元気 本:(ま)丸谷才一『年の残り』

10/29 トランスジェンダー 本:(み)三島由紀夫『仮面の告白』

10/30 霊長類ヒト科さまざま 本:(む)向田邦子『霊長類ヒト科動物図鑑』
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春庭アネックス総目次

2003/11月目次
11/04 文化の日文化研究文化鍋 本:(め)明治天皇『明治天皇御集』

11/05 じいさんばあさん 本:(も)森鴎外『ぢいさんばあさん』

11/06 山姥!おばあさんと呼ばれる日 本:(や)山崎正和『世阿弥』

11/07 シニア海外協力隊 本:(や)山口昌男『道化的世界』

11/10 アインシュタインロマン 本:(ゆ)湯川秀樹『旅人』

11/11 あと15年修行したら 本:(よ)吉野せい『洟をたらした神』

11/12 愛人でいいのと歌う歌手がいて 本:(ら)頼山陽『日本外史』

11/13 身勢打鈴・昔の名前で出ています 本:(り)李 恢成『砧をうつ女』

11/15 英語コンプレックス 本:(る)吉田ルイ子『ハーレムの熱い日々』

11/17 ラブレターはみそひと文字で 本:(れ)連城三樹彦『恋文』

11/18 いろは歌留多、上毛かるた 本:(ろ)労農、船津傳治平

11/19 埋もれた日本ディスカバージャパン日記 本:(わ)和辻哲郎『埋もれた日本』
11/20 (を) 「をんなとおんな」みんな違ってみんないい。


11/21 (ん)日本語学んで、んじゃメナ
11/25 足跡メールネチケット
11/26 ひつじ書房提唱の投げ銭制度
=====================


 アーカイブ再録を試みたところ、消えているページが多いことに気づきました。
 2012年にOCNカフェからgooブログに移転するとき、私はやり方がわからず、手作業でひとつひとつ移転したのですが、どうやらコピーしきれなかったページがあったのに、気づかなかったようです。

 たいしたこと書いていない、と思っても、消えた文章はなんだか過去の時間を消された気分。残されたところだけでも、再録していきます。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「秋の日常」

2018-10-14 08:00:01 | エッセイ、コラム
20181014
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の色(2)秋の日常

 さまざまな小さな積み重ねで一日が過ぎ、一週間が過ぎていきます。そして秋の気配にふと気づけばもう今年も残り少ない。毎年の感慨ですけれど。
 
 10月も「足が痛い」と「今日も食べ過ぎ体重オーバー」で過ぎて行く。
 今週の小さな積み重ね。

 月曜、火曜、朝、9時前に家を出る。ラッシュはいくらか緩和されています。仕事先には10時半着。いつもおひるごはんは、パソコンメールチェックをしながら、パンを食べる。遅い出勤にしてもらっている分、昼休みはとらない働き者。初級試験を作る。夜8時前まで仕事して、シャッターを閉めて8時20分の電車に乗る。月曜日と火曜日は、娘が晩ご飯を作ってくれるので、遅い晩ご飯を食べる。火曜日はたいていパスタ。

 水曜、教授法の授業2コマ。シラバス通り進む。
 仕事帰りに、歯医者に寄り、欠けた歯を見せました。とりあえず、欠けたところを埋める治療をする。

 整形外科クリニックに寄って、足にヒアルロン酸の注射をしてもらう。あまり効いている気もしないけれど、しないよりましなんだろう。少しずつ痛みが減っている感じもある。
 娘と和食屋で食べることにして、先に店に入っていたら、出かける予定だった息子が予定変更して帰宅してきたので、外食とりやめ、とメールしてきた。しかたないから、私だけ生ビールとテンプラ盛り合わせを頼んで食べながら、娘にはローストビーフ丼、息子にはとんかつ弁当を注文する。ビール飲み終わっても「今日は料理を作る時間がいつもよりかかっており、すみません」とのことで、帰宅は10時。家に帰ったら、歯に詰めてもらったものが無くなっていることに気づきました。わぉ、詰め物食べちゃったんだわ。気づかなかった。今頃胃の中。

 木曜日、退職した大学の元同僚とランチ。西荻窪という駅に降りたのも、ランチするのも初めて。足が痛くなければ、初めての町を興味津々で一回りするのだけれど。仕事でお世話になったお礼ランチなので、私にはお高いランチになりました。グラスワイン+コースでふたりで1万円。ランチ後、仕事場へ。いつも通り夜は8時まで仕事して、8時20分の電車で帰る。

はじめての店で食べたので、ランチメモ。前菜、魚、肉、デザート


 金曜日。歯医者へ行くため、仕事を休む。欠けた歯に被されていた金属を外し、新しいかぶせものを作り直すという。治療費、水曜日に詰めたものの値段は差し引いてくれた。

 ミサイルママから電話があり、サークル活動報告用の写真を撮影してほしい、というので、休むつもりだったジャズ練習に出かける。
 サークルメンバーは、11月3日の発表会に向けて猛練習中。先生の叱声がとぶ。「そこ、頭が高すぎる。手の動きがちがう!」と、厳しい。9月の発表会は、サークル活動友の会主宰の、バーサンたち発表会だから、先生も手加減してくれるけれど、11月3日の発表会は、先生が所属している舞踊連盟の発表会なので、先生の気合いは一段と激しい。今年で舞踊連盟参加30年を記念して、連盟参加を終了し、ファイナルダンスになるというので、先生としては有終の美を飾りたい思いが強いのでしょう。
 私は3日には見に行けないことを先生に話しました。

 練習中


 土曜日。娘息子にとって、駅伝応援は、フィギュアスケートとならぶ冬のスポーツの花です。箱根駅伝の予選会。娘は母校の予選通過を願って、手に汗握って応援。なんとか予選通過は出来ました。応援することで元気がもらえるんだなあと、娘を見ていて思います。これで、お正月は、夫の母校、娘の母校、私の出身校、3校そろって応援出来ます。

 日曜日。バレーボール、セルビア戦の応援。娘が応援した試合は勝てたのに、出かけていて応援しなかった試合は負けてしまったので、娘は「私が応援しないと負けちゃうよ。私の責任重大」といいながら、応援していました。負けちゃっけど。心やさしいおとーと君は、昨日の駅伝予選会でパワー使い果たして今日の応援パワーがたりなかったね、となぐさめる。それ
暑さ暑いという日から、急に寒くなったので、どんよりした気分。でも、秋晴れに日を楽しみに、ささやかな日常を重ねていきます。
 みなさまも、体調ご自愛のほどを。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ジャパン・オープン2018&カーニバルオンアイス」

2018-10-13 00:00:01 | エッセイ、コラム

さいたまスーパーアリーナ前の看板

20181013
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の色「ジャパン・オープン2018&カーニバルオンアイス」

 10月6日土曜日、埼玉スーパーアリーナで行われたジャパン・オープンの試合と、そのエキジビション、カーニバルオンアイスを見てきました。



 昨年、ジャパンオープンだけを見て、「来年は、カーニバルオンアイスも両方見たい」と、フィギュアスケート大好きの娘と息子が言うので、ジャパンオープンS席15000円×3人&カーニバルオンアイス16000円×3人。晩御飯と合わせたら、一日で10万円消費。娘と息子の喜ぶ顔が見たいという親ばか大散財です。
 ふたりとも「とっても楽しかったけれど、一日に両方見るのは、すごく疲れる」という感想なので、来年からは、どちらかひとつを生で見て、もうひとつはテレビで見る、ということにしたいと思います。

 ジャパン・オープンは、男女2人ずつの地域対抗。
 チームジャパン:   織田信成 宇野昌磨 
            坂本花織 宮原知子
 チームヨーロッパ:  ハビエル・フェルナンデス デニス・ヴァシリエフス 
            マリア・ソツコヴァ アリーナ・ザギトヴァ
 チームノースアメリカ:ネイサン・チェン ジェレミー・アボット 
            マライア・ベル ブレイディ・テネル

チームジャパン(画像借り物)


 去年から大きく変わったフィギュアスケートルール。まだ、選手たちは新ルールの適応を探っているところで、ヨーロッパ組、アメリカ組、スケートに精彩を欠いていました。
 フリースケーティングのお試しをおそるおそるやっていた他選手の中、織田信成は一番人気。会場の観客を完全に魅了する楽しいスケートを完璧に滑り切りました。曲も最後はYMCAに乗せてジェスチャー入りですべるなど、グランプリファイナルや各国の選手権をこれから戦う選手たちとは異なる楽しさ追及のプログラムで、拍手も一番大きかったです。

表彰式の各チーム 日本金、ヨーロッパ銀、北アメリカ銅(画像借り物 by yahooNews)


 男子フリー演技と女子フリー演技の間に行われたゲストスケーターは、マイヤ&アレックス渋谷のアイスダンス、ステファン・ランビエールのデニステン追悼「行かないで」

 渋谷兄妹のアイスダンス


 そして、今回のメインは、町田樹のラストスケートと引退セレモニー。



 スケート選手は、スポーツ試合の現役選手を引退しても、アイスショーなどで滑っていくし、なんらかの形でスケートと関わる人が多いので、アイスリンクからの完全引退という人は少なかったと思います。町田は、選手引退後、アイスショーなどのスケートと大学院での研究を両立させてきました。

 2015年4月に早稲田大学大学院へ進学、2017年3月には修士(スポーツ科学)を取得、現在は博士課程に在籍しています。スケートを続けてきたのは、論文のデータを取るためで、これからはデータを論文にまとめ上げる研究に専念することとなったのです。

 ラストスケートは「人間の条件(マーラー・アダージェット)」を10分近く。ジャンプは失敗もあったけれど、表現力はさすがでした。
 カーニバルオンアイスの終了後の引退挨拶では、「一言だけ」と言いながら、延々話し続ける、いつもの樹節9分間。

 アイスリンクに別れを告げる(画像借り物)


 論文書き上げて博士号とったら、またアイスショーに復帰してほしいけれど、すでに研究者教育者として、慶應義塾大学、法政大学で非常勤講師を務めているというので、復帰は定年後か。瞳みのるも慶応高校定年退職後は、タイガーズ復帰したので。定年退職70歳すぎた樹様、どんな滑りを見せるか、、、見せないか。

 ステファン・ランビエールと愛弟子デニス・ヴァシリエフス(ラトビア)は、セットで来日。
 デニスをチーム・ヨーロッパに組み入れたのは、ゲストでランビエールを滑らせるため、としか思えない人選。いいんだけれどね。美しい師弟を、BL好きの女子たちはうっとりと眺めているのでした。デニスはジャンプを失敗しまくりだったけれど、これから師弟愛でがんばるべし。

 観客の大多数は女性でした。若い男性は、カップルか、我が息子のように家族連れ。少数派でした。
 観戦後、さいたま新都心のロイヤルホストで遅い晩御飯。ふたりとも「おもしろかったけれど、疲れたア」といいながら、食べていました。

ザギトヴァ気分で(関節炎で足が痛いとこぼしながら、さいたま新都心まで出張った69歳)


 10月19日からスケートグランプリシリーズが始まります。初戦スケートアメリカには、ジャパンオープンで生スケートを見ることができた坂本花織と宮原知子のほか、本田真凜が出場。3月の世界選手権まで、スケートシーズン、我が家のお楽しみは続きます。



<つづく>
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ぽかぽか春庭「ウィンストン・チャーチル、ヒトラーから世界を救った男」

2018-10-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181011
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>事実と真実(5)ウィンストン・チャーチル、ヒトラーから世界を救った男

 チャーチル(1874-1965)が主演者となっている映画、ときくと、なんだかつまらなさそう、と思ってしまう政治家嫌い偉人嫌いの春庭。
 文筆家としてはノーベル文学賞受賞者であり、画家としても一流のチャーチル。光り輝くブライテストな人物です。となると、この映画を見たいと思う動機としては「一番暗い時間」というタイトルがたより。暗いのは好きだからね。10月6日、飯田橋ギンレイで鑑賞。

 2017年のジョー・ライト監督『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』原題:Darkest Hour)
 チャーチルを演じたゲイリー・オールドマンは、90回アカデミー賞主演男優賞を受賞。オールドマンの特殊メイクを担当した日本人メイクアップアーティストの辻一弘らがメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞しました。
 主演男優賞は、「そっくりさん」に仕上げた人が勝ち、みたいになっているけれど、ヘアメイクの力もあってのことと思えば、ま、いいか。



 「最も暗い時間」とは、1940年5月9日からの一ヶ月。ヒトラーが欧州を完全制覇するかどうか、という瀬戸際。
 多くのイギリストップ陣が「ヒトラーと交渉してイギリス侵攻を食い止めるべき」と、現実的な弱腰策をとるなか、ひとり敢然と「戦う」と決断したのがチャーチルでした。

 原題のDarkest Hourとは、「夜明け前が最も暗い(The darkest hour is just before the dawn」という英語ことわざからきているのでしょうが、実は、暗い時間は1940年で終わったのではなく、もう一山。

 史上最大の作戦と呼ばれるノルマンディー上陸作戦のときもチャーチルは決断を迫られています。
 このときのチャーチルは、「チャーチル ノルマンディーの決断(2017)」に描かれており、2017年にはチャーチル主演映画が2本も公開されています。
 もっとも暗い時間の前半、1940年のチャーチルは、チェンバレン前首相をはじめ、イギリストップ層を抑えてヒットラーへの抗戦を国民に訴えますが、1944年のチャーチルは、ノルマンディ上陸作戦を躊躇し、1年間も作戦実施を遅らせました。

 どちらのチャーチルも苦悩の末に決断を下しているのですが、ゲイリー・オールドマンが演じたそっくりさんのほうが主演男優賞をとりましたし、ノルマンディー作戦を遅らせる結果になったほうが、ヒットの方策からいえば、分が悪い。

 では、抗戦を主張したほうを紹介。(以下、ネタバレを含む紹介と感想です)もっとも、映画は、史実を大きく変えて描いてはいないので、ネタバレといっても、歴史的事実を知っていれば、イギリスはナチスに負けたのではないし、チャーチルはノルマンディ上陸作戦をさっさとやりとげたのでもなく、全部ネタはバレている。

 あらすじ。第2次世界大戦初期、ナチスドイツによってフランスが陥落寸前にまで追い込まれ、オランダ・ベルギーはヒットラーに降伏。イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。
 連合軍が北フランスの港町ダンケルクの浜辺で窮地に陥る中、チェンバレン首相は退陣。かわって戦時臨時内閣の首相に就任したウィンストン・チャーチルは、イギリスと全ヨーロッパの運命を負うことに。 
 チェンバレン前首相、ハリファックス子爵ら、ヒトラーとの融和政策を唱える大多数に対して、ただひとり徹底抗戦の道をさぐるのがチャーチル。

 チャーチルは、前半生では失敗を重ねてきた人生でした。徹底抗戦と決意するまでに、過去の失敗がチャーチルの心を揺るがしていきます。支えは、妻クレメンティーン(クリスティン・スコット・トーマス)。

 ウィンストンとクレメンティ―ン


 当初はハリファックスらに賛同していると見えた英国王ジョージ6世(ベン・メンデルソーン)は、「ヒトラーがイギリス本土に乗り込んできたら、カナダに亡命したらいい」ということばに心ゆらぎ、チャーチルの徹底抗戦策を支持すると表明する。

 5月13日にチャーチルは首相として庶民院へ入り、「我々の目的が何かと言えば、一言で答えられる。勝利だ。どれだけ犠牲を出そうとも、どんな苦労があろうと、そこに至る道がいかに長く困難であろうとも勝利のみである」と演説しました。与党保守党議員は賛同せず、野党労働党からは拍手。

 チャーチルが徹底抗戦という信念を貫くには、国王の支持以上に、国民の声が大きな支えだった、ということを、映画では「チャーチルの地下鉄乗車シーン」で描いています。

 地下鉄内のチャーチル


 史実では、チャーチルの所在地が何時間か不明になったことが記録に残っているのどうかわからないけれど、当時のロンドン地下鉄事情をかんがみるに、たとえ一駅だけの乗車と言っても、首相がひとりで乗ることは難しかったと思う。映画的なシーンですけれど、史実ではない。でも映画だからね。
 映画の地下鉄乗客らは、首相が乗り込んだことに驚きますが、とても好意的で、「降伏するか」というチャーチルの問いかけに、小さな女の子まで「ネヴァー!決して」と答えます。

 もし、1940年の5月に、日本国民に対して首相が「徹底抗戦か敗北か」と問いかけたら、一人残らず「徹底抗戦、本土決戦、最後のひとりまで戦うぞ」と答えた、と思います。ただ、結果として、イギリスは勝ち組連合国であり、日本は負け組枢軸国。

 子供が「ネヴァー」と答える力強さも、勝ち組だからこそ。
 振り返ればこの「ネヴァー!」が「一番暗い時」に差し込む一筋の光明のように感じられる。
 1940年5月の地下鉄銀座線。浅草駅あたりで撮影、というシナリオで、子どもが「徹底抗戦、ぜったいに降伏しない」と叫ぶシーンがあったとして、それは地獄の一丁目にしか感じられないだろう。浅草も上野も、焦土となったのですから。

 むろん、ロンドン大空襲も忘れてならない事実。チャーチルが徹底抗戦決意した5月から4ヶ月後、1940年9月から1941年5月までの約8カ月間、イギリスはナチス・ドイツから激しい爆撃を受けました。「ロンドン大空襲(ザ・ブリッツ)」空襲で亡くなった民間人の数は43000人以上に登りますが、東京大空襲では10万人が亡くなりました。第二次世界大戦が第一次と大きく異なるのは、非戦闘員民間人の死者が膨大な数に上ったということです。

 都市空爆を世界で最初に行ったのは1938年、日本軍の重慶空爆、これは歴史的事実。
 近頃のネトウヨ言論では、原爆被害者に言及したり都市爆撃の死者について述べる人に対して、「反日」というレッテルを貼るそうです。日本の加害事実を述べたりしたら、「国賊」扱い。たとえ、反日、国賊とののしられようと、事実は事実なんですけれどね。

 映画では、国民の声を聞き取ったチャーチルの強い意志が、イギリスの徹底抗戦を導き、ナチス侵略から国を守った、というストーリー。
 私は、イギリスにとって「一番暗い時間」は、チャーチルが徹底抗戦を決意するまでの一ヶ月じゃなくて、ロンドン大空襲の8か月間だと思うけれど。

 チャーチルが地下鉄に乗って国民と対話したというのが事実ではないとしても、当時のチャーチルの心の葛藤や苦悩という真実は、画面によくあらわされていたと思います。なには
ともあれ、辻一弘氏の特殊メイク、アカデミー賞おめでとうございます。(とってつけた感のある祝福ですね。辻氏は、映画メイクの仕事から現代彫刻にシフトしているというので。)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「グレイテストショウマン」

2018-10-09 00:00:01 | エッセイ、コラム


20181009
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>事実と真実(4)グレイテストショウマン

 2012年のジャズダンス発表曲。ペーパームーン。私たちのサークルは、美空ひばり歌唱の曲をつかいました。

「It’s Only A Paper Moon」春庭:訳詞

Say, it's only a paper moon  そうね、それってただの紙の月
Sailing over a cardboard sea  厚紙細工の海を渡ってく
But it wouldn't be make believe  でもこの月も信じられるんじゃない?
If you believed in me     もしあなたが私を信じるならば

Yes, it's only a canvas sky  ええ、これは書き割りの空
Hanging over a muslin tree   モスリン布地の木が広がる
But it wouldn't be make believe だけどそれも信じられる
If you believed in me     もしあなたが私を信じるならば

Without your love,   あなたの愛がないならば
it's a honkey-tonk parade  こんなの、空騒ぎのパレードよ
Without your love,   あなたの愛がないならば
it's a melody played in a penny arcade  こんなのゲームセンターのメロディにすぎない

It's a Barnum and Bailey world  こんなのバーナムベイリーサーカス団の世界と同じ
Just as phony as it can be  ただのまやかしにすぎないわ
But it wouldn't be make believe  でもそれは信じられるに違いない
If you believed in me    もしあなたが私を信じるならば

 この歌詞の中の、「こんなのバーナムベイリーサーカス団の世界と同じ ただのまやかしにすぎないわ」と、いう句。

 バーナムベイリーサーカス団は、リングリング・ブラザーズ・サーカスと合併したのち、USAで最大規模のサーカス団となり、最盛期には車輌90輌、従業員1540人、ウマ450頭、ゾウ40頭、フットボール場2つ分の大テント、イス11000人分でという規模の「地上最大のサーカス」と謳われました。

 ペーパームーンのなかで歌詞になっているのは。
 大人気を博し、子どもたちがこぞってその華麗な世界にあこがれたバーナムサーカスも、大テントを出てみれば、決して現実の世界ではなく、作られたまやかしの時空であったことを言っている部分。
 「バーナムサーカス」は、現実から離れた、きらびやかな幻想だという意味で使われています。サーカスは目の前に現前するけれど、それは真実ではない。現実とはことなるものであり、ほんとうの世界ではないけれど、、、、

 フィニアス・テイラー・バーナム(Phineas Taylor Barnum1810-1891)は、コネチカット州に生まれの事業家、政治家。
 いくつかの事業のうち、もっとも成功したのが見世物やサーカスでした。
 見世物興行を成功させたバーナムは、1871年にニューヨーク市ブルックリンの「バーナムのアメリカ博物館」を開業。でサーカス・動物園・フリークス・蝋人形展示をない交ぜにしたものを巡業させる「地上最大のショウThe Greatest Show on Earth」を設立し、興行を成功させました。

 バーナムサーカスの売り物のひとつが、フリークス・ショウでした。矮人、結合双生児などの異形の人を見世物にして、人気を集めたのです。
 低身長症の「親指トム将軍」は、1844~1845年の欧州巡業中、ビクトリア女王への謁見にも同行しました。
 現実のバーナムは、上昇志向が強く、「コネチカット州選出下院議員」「ブリッジポート市長」をつとめています。

 バーナムサーカス団を設立した興行師P・T・バーナムをモデルとした映画『グレイテストショウマン The gratest showman』
 以下、ネタバレ含む紹介です。

 「グレイテストショウマン」にも、フリークスが登場しますが、矮人、ひげを生やした女性、全身刺青男なども、見た目の異形性を見世物にするのではなく、芸を持つ芸人としてサーカスの一員となっています。


 バーナムの伝記そのままの映画ではありません。
 バーナムのサーカス施設が全焼したのは、1944年の出来事ですから、バーナムが死んでから50年もたってからのこと。でも、モデルにはなっていても、バーナムの伝記映画じゃありませんからね。

 映画の中の火事シーンは、見せ場のひとつになっています。バーナムは、劇作家のフィリップを炎の中から救い出します。フィリップは共同経営者として、再建費用の負担を申し出ます。
 フィリップは、黒人の血をひくアンを愛しながらも、白人と黒人の結婚がタブーであった世の中で逡巡していましたが、アンの献身的な看護に心が定まります。

 この映画はサーカスの楽しさ華麗さを画面に表すことにも成功し、バーナムの人間性も「上昇志向で家庭をこわしかねない」という弱点も適度に表現して、ストーリーとしては破綻なく進んでいます。
 バーナムを演じたヒュー・ジャックマン(1968~)は、「レ・ミゼラブル」ジャンバルジャン役で歌のうまさも抜群でしたが、今作でも50歳になるとは思えない動きのよさを見せています。

 2017年12月アメリカ公開です。90回目のアカデミー賞では、主題歌のみノミネートされました。「ラ・ラ・ランド』で歌曲賞を受賞したコンビですから、ノミネートは当然とおもいましたが、受賞せず。(受賞作はリメンバーミー)

 アメリカの映画レビューでは、今作の評判はイマイチなんだそう。なぜか。
 たとえば、劇作家のフィリップ・カーライルが愛するようになるのが、黒人の血をひく美女のアンではなくて、ふとっちょのひげ女レティ・ルッツ だったら、批評家の評価ももうちょっと上がったのかもしれないけれど。
 「フリークスとの愛」というなら、掃除婦と怪魚人との愛のほうが、すんごいもんなあ。

 「フリークスたちを含めたサーカス全員がわが家族」と、バーナムが目覚めるところが、なんだかとってつけたよう、と思いました。
 実在のバーナムにとって、フリークスは見世物に出すための対象でしかなかった。バーナムは、けっして彼らを家族のように愛する対象とはみなしていなかったと思いますが、映画のなかでは、見世物フリークスへ次第に心をひらき、同じ人間として尊重できる相手なのだと認識していく過程を見せてほしかったな、と思います。

 実際のバーナムフリークにいた「髭女」は、歌がうまかったかどうかわかりませんが、映画The gratest showmanのひげ女レティ(キアラ・セトル)の歌声、力強くてすてきです。
 マイノリティを力づける歌詞と歌声です。(医学的には、ホルモンバランスの異常で、女性なのに髭の濃い人がいたそうで、見世物の対象になっていました。フリークスショウではけっこう人気だったそうです)。

 見た目がほかの人たちと異なっている「見た目問題」を抱えている人々が、勇気と自信を持って生きていける時代になってきているのだと思いますが。トリーチャーコリンズ症候群の人や顔面のあざなどの、外見上の問題を抱える人たちが「自分らしく」生きていける社会であってほしいです。

 レティを演じるキアラ・セトル


 主題歌「This is me」(春庭拙訳)

I am not a stranger to the dark 私は暗闇の中の怪物じゃない
Hide away, they say  隠れてろ、とやつらは言う
'Cause we don't want your broken parts おまえらのぶっ壊れた体を見たくない
I've learned to be ashamed of all my scars 私の傷を恥じてきた
Run away, they say  あっちへ行け、とやつらは言う
No one'll love you as you are だれもこのままを愛しちゃくれない

But I won't let them break me down to dust でも私は粉々のゴミにされたくない
I know that there's a place for us ここは、私のための場所
For we are glorious 私が輝ける場所

☆ When the sharpest words wanna cut me down 鋭いことばで私を切るなら
I'm gonna send a flood, gonna drown them out 洪水を起こしてやつらを沈める
I am brave, I am bruised  私は立ち向かう、私は傷つけられた
I am who I'm meant to be, this is me 私がだれであっても、私はわたし
Look out 'cause here I come 見て!私はここにきているから
And I'm marching on to the beat I drum 私は、私のドラムのビートで行進する
I'm not scared to be seen もう見られても恐れない
I make no apologies, this is me ☆ はばかることもない、私はわたし

Oh-oh-oh-oh,Oh-oh-oh-oh,Oh-oh-oh-oh,Oh-oh-oh-oh
Oh-oh-oh, oh-oh-oh, oh-oh-oh, oh, oh

Another round of bullets hits my skin つぎつぎに弾丸が私を撃つ
Well, fire away  そう、撃ちなさいよ
'cause today,  今日の私は 
I won't let the shame sink in 恥に沈められることはない
We are…   わたしたちは、、、

☆~☆ 繰り返し
We are bursting through the barricades バリケードを突き進み
And reaching for the sun  太陽に向かって手を伸ばす
(we are warriors) 私たちは戦士
Yeah, that's what we've become そう、これが 私のあるべき姿

and I know that I deserve your love 私は愛される価値がある
(Oh-oh-oh-oh)
'cause there's nothing I'm not worthy of 私にふさわしくない価値なんかない
oh-oh-oh-oh, oh-oh-oh, oh-oh-oh, oh, oh)
When the sharpest words wanna cut me down 鋭いことばが私を刺すとき
I'm gonna send a flood, gonna drown them out 洪水を起こして やつらを沈める
This is brave, this is proof  私は立ち向かう、これが証し
This is who I'm meant to be, this is me 私がだれであっても、私はわたし

ひげ女レティ&バーナムサーカス全員による「これが私」
https://www.youtube.com/watch?v=CjxugyZCfuw

 サーカス経営者バーナムの伝記映画としてみるなら、事実と異なるところはたくさんあるのですが、サーカスに生きる人々、とくにフリークスとして見世物になっていた人たちの真実の姿がある程度は出ていてよかったと思います。わたしは、フリークスたちをもっと表にだしたほうが好みになると思いました。親指トム将軍がビクトリア女王に謁見したときの気持ちとか。

 映画の世界も、バーナムショウと同じように、見かけきらきらしたマヤカシの世界をいかにも本当らしく作り上げていくのが仕事です。でも、その中に真実を表現することはきっとできる。映画はそのためにある。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「フロリダ・プロジェクト真夏の魔法」

2018-10-07 00:00:01 | エッセイ、コラム


20181007
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>事実と真実(3)フロリダ・プロジェクト真夏の魔法

 「フロリダ・プロジェクト真夏の魔法」は、2017年のショーン・ベイカー監督作品。ベイカーは、共同者はいるものの、本作の制作脚本編集監督を担当しました。残念ながら第90回アカデミー賞では、ウィレム・デフォーが助演男優賞にノミネートされたのみ。
 9月24日飯田橋ギンレイにて鑑賞。

 描写の事実説明としては、「アメリカ社会の中の貧困層の生活」これで済むのかも。
 「アメリカンドリームからこぼれ落ち、巨大資本主義の底辺をはい回る人々。ときにホームレスのように、教会のたきだしで食をみたし、子どもが高等教育を受ける機会は最初からない。生活は苦難の連続で、そこから何十年も抜け出せなくなっているという人々」を描いていいます。
 The Florida Projectとは、カルフォルニア州で成功したウォルトディズニーが、さらに大きな「夢の国」建設をフロリダ州でめざしたときの、社内での呼び名です。

 仕事を失い、その日暮らしを続ける母ヘイリー(ブリア・ビネイト)(と、6歳の娘ムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)。定住の家もなく、安モーテルの一室に住んでいます。カラフルなモーテルや土産物やが立ち並んでいるフロリダディズニーランドの近く。「夢の国」のすぐ裏側で繰り広げられる生活を、ムーニーの目を通して描いています。「貧困から抜け出せないダメ母との暮らし」という事実と、「子どもの目にうつる真実」。

 以下、ネタバレ含む紹介です。

 アメリカは世界一豊かな国、と世界中の人が思っています。豊かな国の夢の象徴がディズニーランド。夢の国です。

 GNP国民総生産の世界1位は当然アメリカ。2位は中国、3位はニッポン。しかし、国民一人当たりの年収( GDP÷人口=一人当たりのGDP)になると話が違ってきます。
 1位ルクセンブルグ、2位スイス、4位のマカオはテラ銭収入でしょうが、4位5位6位欧州勢で、アメリカはようよう8位。日本25位、中国にいたっては、74位。14億人の人口の中、10億人は飢えスレスレの生活です。

 アメリカの8位というのも、平均すればそうなるということで、実際には、上位の500家族がアメリカGNPの半分以上を独占しているのだそうです。(トランプ一族もこの500ファミリーにふくまれているのでしょうね)3億人が残されたパイを奪い合う
 アメリカ経済は、大企業への減税、福祉削減というカンフル剤で、ようやく世界一の経済大国のメンツを保っているのです。

 低所得者向けの住宅ローンサブプライムの破綻が話題になったことは記憶に新しい。アメリカのプライム層(貸付金が確実に返済できる上位層)につぐ、とされたサブプライム層(プライム層よりは年収が少ないが、中の下、下の上くらいまで)という層に貸し付けられた住宅ローンが不況によって焦げ付き、多くの中間層、中流、下流の人々は、ローン破綻によって住宅を失う人が続出しました。
 アメリカには、個人が成り上がる自由はあっても、「なり下がった」人々を救済する方法はありません。

 フロリダ州ディズニーリゾートには、ひとときの夢の国を楽しもうとする「4つで1700ドル」のチケットを買える層が押し寄せる。そして、その外側一帯には、夢の国のおこぼれにありつこうとして建てられた安ギフトショップや安モーテルが立ち並んでいます。
 ヘイリーが娘ムーニーの手をひいてとぼとぼ歩く道は、「七人の小人通り」

 モーテルは、「魔法の城マジックキャッスル」やら「未来世界フューチャーワールド」などといったディズニーっぽいネーミングをもっており、ピンクやパープルのカラフルな色彩をほどこしてあります。(いかにも夢の国の亜流の感じがするとっても俗っぽい色だけれど)
 名前はディズニーっぽいけれど、友人が間違って予約してしまったという新婚さんの若い妻が「こんなところ泊まりたくない」と、泣き出すような環境のモーテルです。

モーテルマジックキャッスルと管理人ボビー


 住まいを失った人々は、そんなモーテルをすみかとしています。ホームレス一歩手前。
 一晩38ドルの料金を払っても、モーテルは一定の期間がすぎると退去を命じられます。あくまでも宿泊客であって居住することは認められていないのです。

 モーテルの一室でぐうたらとすごすヘイリーと、なにかしらおもしろいことをみいだそうとしているムーニー。


 ヘイリーは、10代で娘を生んだ若い母親。娘への愛情は持っているけれど、ニート(学歴なし、職業訓練なし)の状態では、安定した職業にはつけませんでした。前の仕事を首になってからは、偽香水を売り歩いたりしてかつかつの生活を送っています。モーテル代を管理人のボビーに取り立てられても、払うすべなし。

 ヘイリーの娘ムーニーにとって、モーテル周辺はすべて遊び場。ムーニーのいたずらの数々は、活力にあふれ、冒険に満ちています。



 しかし、空き家の暖炉に火をつけて遊んだいたずらは、ムーニーをしだいに現実のつらい生活に追い立てる結果となっていきます。
 ムーニーの仲良しだった男の子スク―ティは、母親によってムーニーと遊ぶことを禁じられ、助け合ってきた母親同士も仲たがい。

 それでも、ムーニーは、おばあちゃんと隣のモーテルに越してきた女の子ジャンシー(ヴァレリア・コット)と冒険を続けます。「サファリへ行こう」と、近所の放牧地で牛を見るのも冒険のひとつ。
 カメラは、ムーニーの目線に設定されているので、大人たちは見上げるカメラワークでとらえられています。

 ヘイリーは偽香水の販売も「敷地内で商売するな」と禁じられ、ついに最後の職業に手を染めます。大音量を響かせて部屋の音が届かないようにしたバスルームで、ムーニーおふろ遊びをしている間に、できる仕事。

 管理人ボビー(ウィレム・デフォー)は、オーナーの指示通りしっかりと管理を実践していますが、ヘイリーとムーニーにはそれとなく気遣いをみせてくれます。小児愛好者っぽいじいさんが子供たちに近づいたときも、敢然と追い払います。



 しかし、ヘイリーをよく思わない誰かからの通報で、警察と「児童家庭局」の役人がモーテルの323室にやってきます。母から引き離されることを察したムーニーは、役人を振り払って走り出します。走っていくその先は、、、、。



 天才子役ブルックリン・キンバリー・プリンスがこれからどう成長していくのか、という楽しみもできました。多くの天才子役が大人になるまでにポシャルのですが、ブルックリンちゃん、育ってほしい。

 この子役も含めて、私は第90回アカデミー賞にさまざまな賞でノミネートされた作品の中で(私が見たものの中で)、いちばん好きかも。

 飯田橋ギンレイで同時上映の『君の名前で僕を呼んで』は、作品賞ノミネートされていましたが、悪いが途中で何回か眠ってしまった。アメリカのフツーの人々にとっては、このゲイカップルの恋が美しく新鮮に見えたのかもしれないけれど、、、、日本にある数々のボーイズラブの漫画作品をアメリカ人に読ませてあげたい。

 「君の名前~」の監督は、「主演ふたりは、契約上全裸になってもいけないし、性交シーンをとるのも禁止だったから」と言い訳しているが、そういう俳優は使わなければいいんであって。
 ファッションの仕事をしていたブリア・ビネイトをインスタグラムから見つけ出し、ヘイリー役に起用したショーン・ベイカーに一票だね。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「女心と秋の空のおしゃれ」

2018-10-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20181006
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2018十八番日記秋の風(3)女心と秋の空のおしゃれ

 9月9日からはじまった「足が痛い」
 ヒアルロン酸の注射を打ってもらっても、たいして効いている気がしなかったのですが、少しずつ、痛みも和らいできて、歩き方も極端に足をひきずることなく、見た目は「おみ足ご不自由な方」から「年よりだから、歩き方もゆっくりでよぼよぼしているね」くらいになってきました。

 仕事のほうも、「9月末日までになんとかせにゃあ」というのが、一通り終了できて、10月11月は、それほど忙しくない。
 9月中、足をひきずりながら通勤してがんばったのだから、少しは遊びに行きたいと思ったのですが、私の趣味は、近代建築探訪とか美術館巡りとか、とにかく歩きまわってナンボのものが多い。
 スマホ麻雀だけじゃつまらないけれど、無理せずに。せめておしゃれでもしたいところですが、残念ながら、おしゃれ心というものの持ち合わせがない。
 
 髪を切るのは春休み、夏休み、冬休みの終わりに、千円床屋へ。ただ切りそろえるボブ。
 染髪は、これまでは2ヶ月に一度、だったのですが、このところ、一か月半に一度。10月3日は、仕事前に髪染めにいきました。

 最近「美しい白髪」というのが流行ってきたらしいのですが、仕事を完全リタイアするまでは黒髪でいよう、と、これは私の気持ち、というか見栄。実は、白髪を美しく保つには、相当な手入れが必要と、近藤サトさんのグラビアなんぞを見ています。
 服装にまったく興味がなく、夏は裸でなければいい、冬は寒くなければいい、というコーディネートだけ。黒髪だけが私の「おしゃれ」かも。

 最近行きつけの染髪屋さんは、髪染め専門店。美容師さんは、染髪とシャンプーの準備と仕上げのみ行います。シャンプーは、機械による自動シャンプー台です。
 最初は、シャンプーくらい人の手でふんわりと洗ってもらったほうがいいなあと感じましたが、伸びた部分の部分染めで2160円という安さにひかれて通っています。

 つまり、私が髪にかける金額は、年間で2万円ちょい。1ヶ月換算だと1700円ほどになります。女性が月々髪にかける金額の平均値は7000~10000円というのが、統計を取った結果らしいけれど、私は安すぎ。
 おしゃれにお金をかけないことが私の自慢だったのですが、、、、。

 若い大学生たちに「今着ているこのブラウス、バザーで100円で買った」と自慢した、と話したら、娘は「そういうのは、自慢にならないよ。若い子たちに馬鹿にされるだけだから、そういうこと、教室で言っちゃダメ」と諭された。身なりにお金をかけないのは、今どき自慢にはならないらしい。

(このブラウスを着ている写真はこのページのいちばん下に。(写真で見れば100円とは思えない、と自分では思っているのですが、、、、)  
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/7073b8f9e17d9dad750fe09ea37226a3#comment-list )

 なにしろ私は、夫から「化粧しなくてもきれいな人と、化粧してもきれいにならない人は、化粧しなくてもいい。つまり、あなたは化粧しなくてもいい。何を着ても似合う人と、何を着ても似合わない人は、何を着てもいい。だからあなたは何を着てもいい」と、言われてきた妻です。
 だから、私は化粧しなくてもいいし、何を着てもいい。アハハ。

 でもね、みなさんはおしゃれしてください。
 美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに(哀悼樹木希林)

<つづく>
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