ぽかぽか春庭「ふるさとの夏」
2008/09/21
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(1)故郷の夏
ボリショイサーカス、娘と息子が小さいときは、毎年のように見に行きました。新聞販売店が読者サービスに配布する招待券に応募して、ほぼ毎年もらえたからです。
子どもたちが幼い頃の夏休みは、乳業会社が募集する「親子で牧場見学会」とか、電力会社募集の「親子で水力発電所見学バスピクニック」などの無料のイベントをさがして夏休みを過ごしていました。水道局が募集した「水源をたどるハイキング」JA募集の稲刈りツアーなんてのもあったなあ。
貧しい一家も、工夫で子どもの思い出に残る夏をみつけて過ごしていたのです。
「区の公園課主宰の蛍見学会」「団地祭り」「ボリショイサーカス」「荒川花火大会」「豊島園プール」が、7月から8月上旬までの「夏休みお楽しみセット」でした。
8月のお盆には実家に帰省して、父や妹の世話になってすごしました。
毎年、妹一家に連れられて川遊びやキャンプにでかけました。
極貧生活を続けていて、夏休みの思い出を作ってやることも難しい暮らしだったけれど、子どもが二学期はじめに「夏休みのできごと」という作文を書かされたときに、なんとか「思い出」を書くことができたのも、実家をついだ妹夫婦のおかげ。
今年も、8月お盆には、妹が守る故郷の実家に帰り、お墓参り。両親と姉がひとつの墓に眠っています。
娘と息子は、今や、お墓参りなど「パス」のひとこと。
8月15日、故郷に着き、まず、去年亡くなった義理の叔父(父の妹の夫)の家に寄って、新盆のお線香を立てました。
この叔父の話は、「漆喰引き物」という語にからめて、
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d1407#comment
に書きました。
妹一家と、「ソースカツ丼」の一軒で夕食。ソースカツ丼は、地元の名物になってきて、何軒も類似の店が増えた。
夜は温泉へ。車でちょっと登っていけば、市内に伊香保温泉もあるけれど、近場の市民温泉へ。市内にいくつも市民温泉があります。
今回は、「敷島の湯・ユートピア赤城」というところへ行きました。
翌日は、山車祭り。
私が子どもの頃、町内そろいの衣装で山車を引くのが夏の楽しみでした。
町内の山車を差配するのは、鳶頭の祖父でしたから、祖父の掛け声ひとつで山車が方向を変えたり止まったりするのを見ることが、子供心に誇らしくもあった。
東京育ちの私の子どもたちも、町内の子じゃないけれど、幼い頃はそろいの衣装を着せて貰いました。今では、「祭りよりゲーム」になっていますけど。
お盆墓参り、温泉、山車祭り、の故郷の夏。
妹一家は、1994年に、私が単身赴任を条件に中国へ出稼ぎに行ったとき、10歳の娘5歳の息子を半年間預かってくれ、夏休みには、妹が子どもたちを連れて中国へ来てくれました。
1994年に私が中国出稼ぎで稼いだお金は、銀行振り込みされた給料を、夫が全部会社の運転資金につぎ込んでしまって、妹に十分なお礼もできませんでした。
2006年春休みに、妹をタイ旅行に誘ったのは、12年前のお礼の気持ちをこめてのこと。
妹は、最初の見学地のお寺でころんで捻挫し、ろくろく観光出来なかったのだけれど。
このときのタイ旅行報告は、下のリンクページに。(2006/03/13~ 03/17)
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200603A
2007年夏は、いっしょに中国西安大連旅行をした。こちらも、タイ旅行に劣らず珍道中だったけれど、楽しかった。
西安珍道中の報告は、下のリンクページに。(2007/08/17~ 09/06)
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200708A
妹といっしょの、年に一度の姉妹旅行。今年は、7月28日~31日に、八ヶ岳高原清里へ行ってきました。
<つづく>
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2008年09月22日
ぽかぽか春庭「清里野外バレエ」
2008/09/22
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(2)清里野外バレエ
妹から「今年の夏は清里高原へ」というお誘いのメールが来たのは、5月の連休があけたあと。清里で毎年開催されている「野外バレエ」を見よう、という計画です。
野外バレエは、20年くらい続いているイベントですが、私は評判をきいたことはあったものの、見たことはなかった。
野外バレエは、川口ゆり子今村博明夫妻が主宰する「バレエシャンブルウエスト(Ballet Chambre Ouest )」が、公演を行ってきました。
昨年2007年には、文化庁の平成19年度芸術創造活動重点支援事業採択先に選ばれて、野外バレエのために商工中金が融資を行うなど、恵まれた条件で公演活動を行っています。
http://www.moeginomura.co.jp/FB/index.html
私は30年来、クラシックバレエやモダンダンス、ジャズダンスのレッスンを続けているし、妹も踊りが好き。妹の娘ふたりは、幼稚園から小学校卒業までバレエを続けていて、毎年発表会の衣装は「保護者手作り」というバレエ教室だったので、妹は、大騒ぎで衣装を作っていました。
妹の長女「エリエリ」が、バイトをしながら、バンド活動を続けているのも、親の芸能好きを受け継いだのだろうと思います。エリエリのバンドは、今週土曜日、9月27日に渋谷ラッシュというライブハウスに出演予定。
(メジャーデビューできるなら、「エリエリれま砂漠谷」っていう芸名にしたらいいと、オバは勝手に思っているんですけれど。ヘブライ語で「神よ神よ何故ゆえ我を見捨てたもうや」)
私の母方は、二手に趣味が分かれていた。亡くなった母方の祖父が芸能好きで、義太夫と農民歌舞伎の役者が趣味でした。それで、伯母とクニヒロ叔父は芸能好き。クニヒロ叔父は、国鉄駅長を定年退職後、しばらくは社交ダンスにはまっていた。
母方の祖母の系統は読書文芸好きなので、私の母とヒサオ叔父は、読書と俳句が趣味。ヒサオ叔父は、定年退職後は、俳句の会などで一句ひねってすごしている。
私の父は、歴史と散歩が好きでした。
それで私は、欲張りにも、読書も文芸も芸能も歴史も散歩も好き。唯一受け継がなかったのは、父の壮年時代の趣味であった釣りだけ。
7月末の「清里プチ避暑」
妹の車に乗せてもらい、バレエの予約や宿泊も妹まかせ。
野外バレエと、地ビールを楽しみに清里高原へやってきました。
野外バレエはABCの3プログラムがあり、A=プーシキンの原作『オネーギン』を、川口ゆり子今村博明がバレエ振り付けをした『タチヤーナ』、B=アンデルセン原作『おやゆび姫』、C=グリム童話『シンデレラ』の3種。妹は3夜すべてのチケットを購入していました。
1夜目の『タチヤーナ』は曇り空でしたが、2夜目の『おやゆび姫』は、満点の星空、暗転の間、夜空の星も楽しめて、最高の野外バレエでした。
3夜目のシンデレラは、雨降りやまぬ中での公演となり、1幕目で上演中止。
私と妹は、3日目は何となくリハーサルを全幕見ていたのです。リハーサルを見るのは出入り自由。明るい中、照明なしのバレエでしたが、見ておいてラッキーでした。
上演中止は残念でしたが、閉幕後に清里名物の「ロックカレー」を食べ、ビールを飲みました。
<つづく>
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2008年09月23日
ぽかぽか春庭「清里・森の生活」
2008/09/23
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(3)清里・森の生活
清里の最初の夜に宿泊したホテル・ハットウォールデンは、ソローの『ウォールデン・森の生活』をコンセプトにした小さなホテルです。とても居心地がよかった。
http://www.hut-walden.com/
よくあるホテルの部屋には聖書がおいてあったりするのですが、ハット・ウォールデンのベッド枕元には、『ウォールデン・森の生活』がおいてありました。
私、20代のころ読み、次に読んだのは35歳で入学した二度目の大学生のとき。
なつかしい本を読み返したいと思って手にとったのですが、何しろベッドに入れば、5秒で寝付く。妹が話しかける間もないソッコー睡眠でした。
ハットウォールデンに3泊したいところですが、予算の関係で、2泊目はペンション。3泊目はログハウスの貸別荘・「コテージ炉辺荘」に泊まりました。
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~roben-so/
野外バレエの公演は夜なので、昼間はいろんなところに行きました。
清里に三泊の間、絵本ミュージアムや展望台など、妹が行きたがったところを中心に車でまわりました。
8月29日、妹がバレエ鑑賞のほか、第一に清里で行きたかったところ、清里開発の父ポールラッシュ記念センターや清泉寮を訪れました。
妹は、清里旅行の予習として、ポール・ラッシュの伝記を読み終わったところなので、車を運転しながら講釈をつづけ、私もいっぱし「ポール・ラッシュ」の事績について詳しくなりました。
国際交流のお手本みたいなポールラッシュについて、私も知ることができ、妹に感謝です。
http://www.keep.or.jp/shisetu/paul/
ラッシュは、日本にアメリカンフットボールを紹介した人で「フットボールの父」と呼ばれている人。
また、聖路加病院の再建に力を注いだ人であり、清里高原を「作物の実らない不毛な寒冷地」から「高原農業や酪農を定着させ、清里を再建した」人でもあります。
現在、清里高原は、観光地として大発展をしていますが、俗化を免れているのは、ポールラッシュの「祈りと奉仕」の精神を受け継ぐ人が、清里に根付いているからでしょう。
ラッシュが作った畳敷きの聖アンデレ教会も見学できました。
http://www.keep.or.jp/shisetu/andere/index.html
ポール・ラッシュ記念館の次に妹が行きたがったところは、絵本美術館。
八ヶ岳高原に点在している絵本ミュージアムのうち、3館を見学。
妹は、NPOの理事として子育て支援活動に携わっていて、絵本の読み聞かせ運動をしているので、絵本美術館をたくさん見たいというのです。
東京にも、絵本専門店や、絵本コーナーを持つ図書館がたくさんあるから、私はそんなには行きたくなかったけれど、妹は、私がよく行く青山のクレヨンハウスなどにも日頃、そう簡単には行けないのだから、絵本を見たいという希望におつきあいしました。
<つづく>
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2008年09月24日
ぽかぽか春庭「清里・絵本館めぐり」
2008/09/24
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(4)清里・絵本館めぐり
点在する絵本美術館、3カ所、小淵沢絵本美術館、清里えほんミュージアム、黒井健絵本ハウス。
妹は、どの美術館でも、絵本をあれこれ買い込んでいました。
小淵沢絵本美術館では、ターシャ・テューダー(Tasha Tudor)の絵本、清里えほんミュージアムでは常設展のエロール・ル・カインの原画がよかった。
ターシャ・テューダーは、絵本作家として高い評価を得たほか、庭作りとスローライフの達人。
今年、2008年6月に92歳で永眠するまで、花壇を好きな花で飾り、庭の果物や野菜を使って料理をして暮らしました。薪割りなどの力仕事は、徒歩5分のところに住む息子さんが手伝います。
わたしにとっての、理想の暮らしかた。
日本にもファンが多いターシャの紹介サイト、たくさんあります。
http://ainahaina.exblog.jp/i2/
http://www.akmkny.net/gardeninghappy/tasya.htm
ル・カインは、シンガポール出身の絵本&アニ家
http://www.ehonmuseum-kiyosato.co.jp/exhibition_errol.html
絵本作品は、以下のサイトで紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/author.asp?n=3532
黒井健、私は「ごんぎつね」「手袋を買いに」などのきつねの絵のファンでしたが、きつね以外の作品もいろいろ展示されています。
http://www.kenoffice.jp/
今回行けなくて残念だったところが3カ所。
私にとって、近代史教科書のひとつともいえる『明治精神史』の著者、色川大吉が住んでいる大泉町の近くを通ったのだけれど、どのへんに住んでいるのかはわからなかった。
『八ヶ岳南麗猫の手クラブ物語』を読むつもり。
今回、北杜市に来るまで知らなかったのだけれど、清里周辺の地図をみたら、「金田一春彦記念図書館」がありました。
金田一家の別荘が大泉町にあった縁で春彦の蔵書が寄贈され、金田一一家による講演などが行われている。
私が、修士論文で他動詞ボイスアスペクトについて執筆したとき、アスペクト研究の先達、金田一春彦のアスペクト論を参照論文として巻末に書いた。
また、社会言語論の授業を行うに際し、アクセント、方言の参考書のひとつにしているのも金田一春彦の著書やアクセント辞典。
記念図書館に寄ったのだけれど、木曜日定休で中に入れなかった。玄関前のポールラッシュの銅像前で妹と写真をとりっこしました。
もうひとつ行きたかったのに行けなかったところ。
平山郁夫シルクロード美術館。平山作品はあちこちで見てきたけれど、平山夫妻が収集したシルクロード美術品も展示されているというので、見てみたかった。
http://www.silkroad-museum.jp/
シルクロード美術館の前を、何度もバスや車で通りすぎたのだけれど、妹が絵本美術館のほうに興味を示したので、行く時間がなくなった。
妹が運転する車なので、妹の趣味優先。
そのほか、リフトに乗って山の頂上へ行ったり、手打ち蕎麦を堪能したり、八ヶ岳高原ドライブ、涼しくて楽しい夏休みをすごすことができました。
妹とわたしの旅は、たいていハプニングがおこり珍道中となるのですが、今回の清里旅行は、雨で野外バレエ公演が中止になったほかに「なんてこったい」の出来事はなくて、珍しく「始めも終わりもすべてよし」でした。
<つづく>
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2008年09月25日
ぽかぽか春庭「西の魔女」
2008/09/25
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(5)西の魔女
8月7日、新宿武蔵野館で映画を見ました。『西の魔女が死んだ』
http://blogs.yahoo.co.jp/nishimajo_movie/7321577.html
7月末に、妹とでかけた清里高原のキープ協会敷地内のなか、映画『西の魔女が死んだ』の「おばあちゃんの家」ロケ地が、一般公開されていました。
ロケ用に建設されたのですが、ロケ終了後は、入場料300円で公開中。
映画を見る前でしたが、妹といっしょに、おばあちゃんの家を見てきました。
案内板があって、「おばあちゃんの散歩道」をたどることもできたのですが、お散歩は次のお楽しみにして、おばあちゃんの家をゆっくり見ました。ハーブティもいただいて(無料)ゆっくりすごしました。
http://www.keep.or.jp/nishimajo/
『西の魔女が死んだ』原作は、梨木香歩の短編小説。
「他人に無理して合わせるのは疲れた」と考える中学生の女の子マイ。女の子のグループ同士のつきあいから距離をおいたマイは、そのためクラスメートからは無視され孤立してしまいます。
不登校になったまいが、夏の一ヶ月をすごしたおばあちゃんの家。
とてもすてきな、心なごむおばあちゃんの家でした。
主人公マイのおばあちゃんは、イギリスから英語教師として来日し、高校の理科教師だったおじいちゃんと結婚しました。おじいちゃんが亡くなった後も、ひとりで自分のスタイルを守って静かに生活しています。
おばあちゃんを演じているサチ・パーカーは、1956年生まれ。オスカー女優シャーリー・マクレーンの娘。父親のプロデューサー、スティーブ・パーカーとともに、6~12歳を日本で過ごし、日本語も上手です。
マイのおばあちゃんの暮らし方、雰囲気がターシャ・テューダーに似ている気がします。
自然の中で、自給自足に近い暮らしを続け、縫い物もジャム作りも、自然を生かし周囲の人々ともよい距離を保って暮らしている。
私も、ターシャやマイのおばあちゃんのように晩年を過ごせたらいいのになあ。
映画のなかで主人公マイが一夏をすごすおばあちゃんの家の中、ひとつひとつのようすが、心に響きました。
ロケ地の家のテーブルに、マイが使っていたマグカップがそのまま残されていたので、マイがマグカップでハーブティを飲む場面も、いっしょにお料理するおばあちゃんの台所用具なども、故郷の家をみるようになつかしい気がしました。
<つづく>
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2008年09月26日
ぽかぽか春庭「翼のある竜」
2008/09/26
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(6)翼のある竜
ことしの夏は、エアコン工事のための部屋片づけやら、何年も冷気漏れがしていた冷蔵庫買い換えやらで、たいへんな思いもしたけれど、妹や友人、娘息子とのお出かけの楽しみもありました。
娘息子と三人連れでのお出かけ、7月末にボリショイサーカスを見に出かけたほかは、エアコン、冷蔵庫、ガスレンジを買いに、何度も池袋の家電量販店へ出かけて、お買い得品の品定めで8月もすぎてしまいました。自営業の夫の会社、借金だらけなのに、高価な家電品を買うのですから、1円でも安いものを探し回りました。さらに増える借金は最少額におさえなければ。
8月末にようやく、お楽しみのお出かけができました。
娘は、小学高低学年のときに「恐竜発掘」の漫画本を読んで恐竜ファンになりました。中学校に入学してからは、「日曜地学ハイキング」という化石掘りの会に入って、毎月のように親子で化石を掘ったり地層見学をしたり、貝化石などをたくさん集めました。
残念ながら、恐竜の化石を掘り当てる幸運はありませんでしたが、恐竜展は毎年のように見に出かけています。
ことしは、春に千葉の幕張メッセで「よみがえる恐竜大陸展」を親子3人で見ました。夏になったら、今度は「世界最大の翼竜展」を見たいと、娘が言います。
お台場の日本科学未来館に出かけました。
http://www.miraikan.jst.go.jp/
8月の終わりなので、覚悟していましたが、「自由研究」の仕上げをする親子でにぎわっていました。
解説ガイドのイヤホンをつけて走り回る子、デジカメで写真を撮りまくって、子の自由研究ノートを埋めようとがんばるお父さんお母さんの間で、娘と息子は「う~ん、小さいお友達に負けないで楽しむぞ!」と、気合いをいれていました。
もう「夏休み自由研究」の提出には縁遠くなった25歳娘と19歳息子が母親といっしょに「翼竜展」にお出かけするというのも、あまりない組み合わせでしょう。
「翼ある竜」は、西洋のドラゴンのモデルとしてぴったりですが、人間の想像力が、6千万年前に滅んでしまった翼竜とそっくりなドラゴンを思い浮かべることができたことを不思議に思います。
科学未来館1階に、世界最大の翼竜、ケツァルコアトルスの復元化石や、復元個体を展示し、空飛ぶ竜についてまとめて展示してあります。
http://www.miraikan.jst.go.jp/spevent/ptero/
「翼竜は頭はでかいが、体は小さくて体重はそれほど重くなく、大型翼竜は長く滑空していられた。体重を減らすために、骨はハニカム構造という蜂の巣のような構造をしている。これは、軽くて強度を保てる構造で、飛行機にも取り入れられている。
小型翼竜は皮膜を羽ばたかせて飛ぶことができたこと、鳥のように2本足歩行ではなくて、翼を折り畳んで、4足歩行した。
など、新しく知ったことがたくさんありました。
娘と息子は何度か来たことのある日本科学未来館ですが、私は、はじめて。
常設展のほうも回ってみたけれど、上野の科学博物館は、常設展もいろいろ楽しめるのに、「未来」の科学は、私には難しすぎました。
スーパーカミオカンデの模型の中に入ってみたけれど、電球がチカチカしている模型を見たところで、これからどうなるものなのか、さっぱりわかりませんでした。
ニュートリノ、うん、これは聞いたことある。電磁相互作用がない弱い相互作用?中性のパイ中間子のような反粒子元素?
はてはて、???どうにも徹底的に理系の頭ではありません。
8月28日は、お台場にいる間に何度か激しい雨が降りましたが、外に出ての移動の間は止んでいて、ラッキー。
テレコムセンターの展望台でコーヒー飲んで一休み。展望台の望遠鏡で「あ、ディズニーシーの火山が見えた」などと発見!を楽しんで、夏の終わりの東京湾景を楽しみました。
途中また雨が強くなり、さっきまで見えていた東京タワーがぼうっと霞んで見えなくなり、葛西臨海公園の観覧車も消えて、あたり一帯、白い景色に変わりました。
ひとしきり雨が通り過ぎると、少しずつ東京タワーも見えてきて、再びの東京湾景。
夜は、お台場メディアージュの入場者1万人突破記念花火を見ました。
自由の女神のレプリカが立っているあたりで花火の打ち上げが行われ、しばし花火を楽しみました。
若者向けの、猫、ハート、ニコニコマークなどのキャラクター花火が中心でしたが、おもしろく観覧しました。
<つづく>
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2008年09月27日
ぽかぽか春庭「発掘された日本列島2008」
2008/09/27
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(7)発掘された日本列島2008
娘・息子とのお出かけ。翼竜展の翌日は、江戸東京博物館へ。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
「発掘された日本2008」展の見学がメインイベントです。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/about/josetsu/dai2/2008/0719/0719.html
江戸東京博物館5階企画展示室に入ってすぐに目にはいるのが、鹿の埴輪。群馬県高崎市の太子塚古墳(5世紀後半)から出土した埴輪です。
埴輪は高さ約60センチ。体長も約60センチ。腰に粘土を張って矢羽根を表現し、その下に朱で流れ出る血を描き込んである。
矢がささった体にある斑点は、「かのこ模様」の夏毛を表したらしい。狩りの獲物を神に祈るための埴輪であったのでしょう。
琴をひいている楽人の埴輪もいっしょに展示されていました。神への祈りの曲を演奏したのか、はたまた収穫の祭りを祝う宴席を音楽で囃したのか。
縄文時代、弥生時代、と時代ごとの発掘品が順路に展示され、近年の発掘として話題になった本能寺の半分焼けた瓦が目に入りました。
発掘成果が上がると、業火に焼け落ちたと言われている本能寺のさまざまな真実が浮かび上がってくるかもしれない。秀吉が他の場所に本能寺を再建し、長い間本能寺の元の地が不明であったのはなぜか、とか。
高松塚古墳の石室レプリカもありました。
発見当時の美しい女人像や白虎、天井の星辰が写真撮影され、新聞社の「おまけ」としてポスターが配布された記憶があるけれど、今は、かびに覆われて美女の顔もよく見えなくなっている様子が、復元されていました。
6階通常展示の大名籠。「女籠」の前に、「靴をぬいで、籠に座ってください」と、書かれていたので、親子で順番に籠に座ってみました。気分は篤姫か和宮か。
でも、私が中に座ったら、息子と娘が「桜田門外の変ごっこ!」と言って、刺すまねをしたので、息子が座ったときは、「坂下門外のへ~ん」と言って、今度は私が刺すまねをして、娘が座ったときは、「もう、ナンの門かわからんへ~ん」と言って遊んだ。おバカな親子。小学生中学生くらいの親子連れは、夏休み自由研究だかのメモをまじめに書き込んで一生懸命やっているのに、こちらは気楽な物見遊山である。
そして、「えっと、桜田門外は井伊直弼だったけれど、坂下門って、安藤だれだっけ」と、殺されかけたのに、名前が知られていない安藤なにがしを不憫に思いつつ、常設展示を見て回りました。
歴史大好きな息子、学生証を示せば、江戸東京博物館も国立東京博物館も、常設展は無料で見ることができる。
大学が博物館の「メンバーズシップ」に登録してある大学なのに、このありがたい制度をつかうのは、この日が初めて。
「こういう費用もバカ高い授業料に入ってるんだから、せっせと利用してモト取りなさいよ」と、けしかけるハハの、「費用対効果」計算でした
科学未来館では、ランチに「恐竜の卵コロッケランチ」というのを食べて、「こういう子供だましにノって食べるのがおいしい」とか言っていた息子と娘、江戸東京博物館では、2階のレストランで「深川丼」と「穴子天とまぐろ山かけセット」を頼み、「うん、江戸っぽい」と、食べていました。
何を見て歩いても、「食べるのが一番たいせつ」の親子です。
<つづく>
==========
もんじゃ(文蛇)の足跡:
「発掘された日本列島2008」展、東京での展示は終了しましたが、現在、兵庫県県立考古博物館で展示中。千葉では11月に、沖縄で2009年1月に巡回展示があります。
http://www.bunka.go.jp/oshirase_event/2008/hakkutsu2008.html
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2008年09月28日
ぽかぽか春庭「葛西臨海水族園」
2008/09/28
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(8)葛西臨海水族園
9月26日、娘息子と、ふたたびのお出かけ。葛西臨海公園水族園へ行きました。
娘息子も水族館が好きですが、このところ、近場のサンシャイン水族館に行くことが多く、葛西臨海公園の水族園に3人いっしょに寄ったのは、久しぶり。
http://www.tokyo-zoo.net/zoo/kasai/index.html
マグロの回遊水槽は、いつ見ても迫力です。銀色に光る体側を見て、「うん、うまそう」という、一家そろっての感想。
息子と娘は、テレビで見た築地市場のまぐろのセリのまねをして、手をセリの値段の形にして、笑っています。
「うん、アイツはいい泳ぎっぷりだから、油がのっているにちがいない」と、しばらく水槽を眺めていた母子でした。
http://www.ucatv.ne.jp/~pengin/tenjijou/drive/kasai/dai.htm
熱帯の海、北極や南極の海、東京湾の生き物たち、ペンギンコーナー、それぞれにおもしろく見ましたが、9月の最終金曜日、平日だからすいているかという思惑はまったくはずれて、館内は社会科見学の小学生中学生で混み合っていました。
赤キャップの一群は「社会科見学ウォッチングノート」という担任の先生手作りらしいパンフレットに書き込みをしながら館内を移動しています。
帽子無しのグループは、班行動らしく、班長が「わー、集合時間まであと10分しかないよ」とあわてているし、グレイハットの小学生たちは、「区内探検総合学習」というクリップボードをひもで首からつるして、メモをとっている。
何を見ても「スゲー、わー、スゲー」とうれしがる男の子がいたのは、臙脂色ハットの学校。
「○○く~ん」と、大きな声でクラスメートを捜しているグループもいます。グループメンバーがひとり、はぐれてしまったらしい。
娘と息子も、小学生時代にこの水族園へ、学年そろって来たことがあり、「私たちも、ああいう小学生だったんだと思うと、魚見ているより小学生見物していたほうがおもしろい」と、言います。
「自分が小学生のときは、クラスの中が絶対の全世界で、周りのことなんか気にせずにいたけれど、端から見ていると、小学生って、おかしな生き物だなあ、って、思うよ」と、娘は、余裕で、それぞれの先生の「見学のさせ方」を見ていました。
娘は、大学時代、児童館などでボランティア活動をするサークルに入っていたので、子どもをどのようにまとめていくかについて、先生のやり方を鋭くチェックしていました。
「あそこのおばちゃん先生は集中管理型、あっちの若い先生は、グループ行動に分けたあとは放任型っていうか、集合時間まで自分は休憩中ってとこかな」
葛西臨海水族園でのランチ。
園内レストランで、私と息子は「まぐろカツカレー」、娘は、シーフードスパゲッティ。プラス、クラムチャウダー。
味にうるさい娘は、スパゲッティの上に乗っていたエビについて、「かんづめか冷凍のエビの味」と、言います。「まあ、水族園の水槽のなかから釣ったばかりのエビです、とか言われても、おいしくないだろうけど」と、娘の弁。
私と息子は、「う~ん、水槽の中で泳いでいたマグロじゃないと思うけれど、やっぱり鮪は、カツカレーよりお刺身だよね」と言い合いました。
帰り道。
「私たちの社会科見学のときは、横のほうにお弁当広場ってのがあって、そこでお弁当を食べたんだけど、今もあるのかな」と、淡水生物園へ回る道をいくと、ちゃんとありました。さきほど館内を走り回っていて、班長さんに「走っちゃダメって、いったでしょっ!」と追いかけられていた子たちも、ここでお弁当を食べたのかな。
淡水生物館を見学しました。急速に生息数が減っているという蛙の展示。
今年は、「世界カエル年」なんですって。
カエルの生息できる田圃や池沼が減っているということは、同時に人間が人間らしく豊かな自然と共生して生きていける環境が減っているということ、という解説がありました。
「あのにぎやかな小学生たちの中から、お魚ハカセやカエル愛好家やまぐろ一本釣り猟師やエビフライ大好きッコとか、クラムチャウダーを美味しく作れる奥さんとか出てくるのだろうなあ」と、思いながら水族園を出ました。
あの小学生たちが大人になるまで、地球が残っていますように。
<つづく>
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2008年09月29日
ぽかぽか春庭「観覧車と古代エジプト」
2008/09/29
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(9)観覧車と古代エジプト
9月26日、水族園での、遅いランチのあと「ダイヤと花の大観覧車」へ。
娘はお台場のパレットタウン観覧車には何度か乗っているけれど、「ダイヤと花の観覧車」には乗ったことがないので、水族園の帰りに寄ってみました。
http://www.ucatv.ne.jp/~pengin/tenjijou/drive/kasai/kan.htm
「ダイヤと花の大観覧車、直径111メートル、高さ117m、東洋一の大きさ」というふれこみで営業開始したときに、小学生だった息子といっしょに乗ってみたことがありました。
営業開始してすぐのその頃は、ものすごく混んでいたのですが、半年ほどで「暫定東洋一」の記録が破られ、その後はいつ見ても閑散としています。お台場にも観覧車ができたので、人気がなくなったみたい。
この観覧車に息子と乗ったときのことは、いい思い出です。
8年ほど前のこと。息子の6年生進級祝いとして自転車を新調しました。
「新しい自転車を買った記念に、葛西臨海公園へ行ってみよう」と私がさそうと、息子が素直についてきました。
母子サイクリング、自転車で荒川沿いに下りました。荒川土手はサイクリングロードとして整備も進んでいます。
家から海岸まで18km、往きは海岸へ向かって下っていく道なので、サイクリングは快適でした。すいすいと進んだのですが、家でお昼ご飯を食べてからの出発でしたから、葛西臨海公園に着いたときは、目的の水族園はもう入場締め切り時間を過ぎていました。
そこで、予定外でしたが、長い行列に並んで観覧車に乗ったのです。
行きはよいよい帰りはコワイ。帰り道はずっと登りです。そりゃそうだ、山登りとちがって、海へ行くときは、たいてい行きが下りで帰りが登り。ようよう家にもどりました。
そんなことを思い出しながら、東京湾景を見渡す一周17分間でした。曇り空でぼうっと霞んでいる東京のビル群、ディズニーランドのシンデレラ城などが見えました。
母は、「9月28日で終了する古代オリエント博物館の招待券があるから、帰りにサンシャインビルに寄りたい」というと、娘息子は「あ、ミイラはパス。ふたりで先に帰る」と、つれない。ひとりでサンシャインビル文化会館の7階、古代オリエント博物館へ行きました。
http://y-egypt.com/40year/
早稲田大学考古学発掘チーム40年の発掘成果を展示している「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」です。
http://www.egypt.co.jp/egypt40/tokyo.htm
目玉展示は、未盗掘の古代エジプト高官の木棺から出土した、ミイラの青いマスク早稲田考古学チームの最大の発掘品です。
セヌウという名のエジプト司令官のミイラを覆っていた青いマスク。ツタンカーメンのミイラマスクは有名ですが、セヌウの青いマスクも古代史のロマンが秘められているような、すてきな青いマスクでした。
<つづく>
06:39 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年09月30日
ぽかぽか春庭「セヌウの青いマスク」
2008/09/30
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(10)セヌウの青いマスク
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」、ツタンカーメンとその王妃アンケセナーメンの指輪やセヌウの木棺、復元されたセヌウの頭部など展示されていました。
セヌウの復元についてのページ(吉村チームの発掘を支援している熊谷組のHPより)
http://www.kumagaigumi.co.jp/news/2006/nw_060622_1.html
旧王朝時代から、プトレマイオス朝、ローマ時代まで、幅広い年代の歴史を一望できました。
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」出土品には、専門家からみたら高い価値のある貴重なものも多かったのでしょうが、エジプト考古学素人の私には、青いマスクや彩色階段模型がいちばん派手で、あとは地道な発掘の土器片や装飾品など、レリーフなどが展示されていました。
ガイド音声解説の声は吉村教授本人。ひとつひとつの展示品に、さまざまな思い出があるのだろうと思いました。
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」、なによりの見ものは、吉村教授が40年、コツコツと発掘を続けてきた「その歳月」です。
早稲田大学学部時代に初めてエジプトに渡ったときから40年発掘を続けてきた中に、壁にもぶつかり、山越え谷越え、さまざまな苦労があったことでしょう。
ビデオ映像のなかで、エジプト最初の発掘現場に立つ吉村先生、発掘にかけた青春と人生に悔いなし、という風貌でした。
「おみそ汁のCMに出るのも、すべて発掘費用を捻出するため」と、昔、インタビュー番組で語っていたことを思い出しながら、ビデオ映像を見ていました。
ビデオの中で、吉村先生は若者を前に講演していました。「そんな夢みたいなこと何言ってるんだ、と人から言われたら、よっしゃあ、と思いなさい。夢みたいなことだから、夢見る必要がある。夢は見続けていれば、必ず実現する」と。
夢を見る前に「そんな夢みたいなこと、無理、ムリ」と、最初からあきらめている近頃の若者たちに向かって、先生は熱く語りかけていました。
もちろん夢を見続けるだけではなく、どのような困難挫折にも負けない強靭な意志と、夢の実現へ向ける努力が必要なことは言うまでもないことですが、吉村先生の40年間の「持続する志」に学びたいと思いました。
<つづく>
2008/10/01
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(11)ハカセの持続する志
吉村作治教授、CM出演やワイドショーのコメンテーター、「世界不思議発見」などのクイズ番組出演等々、世間に名と顔を売る経歴多彩な中で、世間の注目と非難を集めてしまったのが、「ディプロマミル(学位製造工場)」と呼ばれる「金で学位を売る」商売をする非認定の大学から、博士号を買ってしまったこと。
長年考古学研究を続け、学位論文に相当する発掘成果を発表してきた人が、何故そんなことを?と、疑問に思いましたが、「(早稲田の)同僚から博士号がないと教授になれないといわれたから、つい30万円で買ってしまった」との、吉村先生談。
吉村先生、1999年に早稲田大学工学部から正規の博士号を得ています。(考古学研究者だけど、工学博士)。
博士課程を担当する教官・教員は博士号を持つことが条件とされるなどの大学内部事情があり、大学専任教員のなかで、学位を買った人、文部科学省の調査では全国に50人近くいたそうです。
春庭の「持続する志」
書くこと読むこと。学ぶこと。
6歳で「書く人になりたい」と思って以来50余年、書き続けてきました。
50余年の「持続する志」です。
「吾十有五而志乎學」して以来、三十にしても立ちあがれず、四十にして惑いっぱなし。
五十にして天命もわからずですが、、、、学び続ける志は変わりません。
浅学非才の私からは、仰ぎ見るばかりの「知の巨人」松岡正剛の「千夜千冊遊蕩編」1263夜 2008年9月25日の一冊は、足立巻一「やちまた」を取り上げています。
私がカフェ日記を始めたとき、コラムの最初に「春庭千日千冊、今日の一冊」として「好きな本の紹介コーナー」を作ったのは、松岡正剛が2000年2月23日に始めた「千夜千冊」のまねっこでした。
そのとき、著者名あいうえお順の本紹介、「あ」から順に始め、「足立巻一」の「やちまた」からスタートしました。「やちまた」は、本居春庭の評伝小説の傑作です。
盲目となってもなお国学への「持続する志」を貫いた本居春庭と、その春庭の人生を、生涯をかけて探し求めて記録した足立巻一の「持続する志」が交差する構成、見事な一冊から、「今日の一冊」紹介をはじめました。」
本居宣長の息子、本居春庭は、「詞通路(ことばのかよいじ・構文論)」「詞八街(ことばのやちまた・動詞活用論)」を書き残した国学者です。
私のホームページのタイトルを「話しことばの通い路」としたのは、「詞通路(ことばのかよひじ)」のもじりです。
「春庭」というハンドルネームの紹介を兼ねたつもりで、スタートしたのですが、「春庭千日千冊」は、千冊までには及びもつかぬ、「あ」から「ん」まで48冊で終わりになりました。
2003年9月28日スタートのカフェコラム。「21世紀になって千日目の記念にカフェ日記スタート」と銘打っていますが、千日目というのはは、計算違いだったかも。計算弱いから。
現在はこちらに公開。「春庭、おい老い笈の小文2003」
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/oi2003mokuji.htm
私の本紹介は、48回の「あ~ん」終了のあと、カタカナシリーズをはじめたのですが、続かず、本の紹介は、コラム内容に関連した本を、リンクページで紹介するという程度になってしまいました。
松岡正剛先生は、持続する志をつらぬいて、千冊をとうに越え、1263冊まで、精密な読みの記録を掲載し続けています。
「やちまた」の紹介はこちらに。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html
カフェコラムをはじめてから満5年経った日、9月27日、学生春庭は、博士後期課程論文中間発表会で、なんとか発表を終えました。準備不十分のまま、指導教官に叱咤激励を受けて、9月に駆け込みで発表原稿を仕上げました。
お金で買えるディプロマミルの博士号とちがい、ハカセへの道はなかなかしんどいです。
春庭言語文化論のスタートラインとしては、ぐずぐずの不十分なものではありましたが、よろよろと、こけつまろびつの出発です。
夏の思い出、妹との清里遊覧やら、娘息子との観覧車や水族園や翼竜展やらで遊んだだけじゃなくて、学生春庭、おベンキョーもしていました、という、本日のexcuse篇でした。
ヨメ春庭は、姑入院のつきそいもしたし、ツマ春庭は、、、、あ、これはいつも通り何もしてないや。つうか、法律上の夫は、夏といわず秋といわず家族なんて無関係ですから。お彼岸にお墓参りと姑快気祝いの食事をいっしょにしたのが、この夏唯一夫私娘息子が顔をそろえたひとときでした。
教師春庭、後期授業が始まりました。
9月30日は、学部日本人学生相手に、3コマ。社会言語学、現代日本語学、日本語音声学を講義。
90分3コマ連続、午後1時から6時までしゃべりっぱなしは、しんどいです。
次回、夏の思い出シリーズのラストコラム。ウェブ友とのオフ会について。
<つづく>
05:58 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2008年10月02日
ぽかぽか春庭「青い鳥オフ会」
2008/10/02
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(12)青い鳥オフ会
教師と学生と母と嫁を同時にやっていてシンドイなんて、言っていたらバチがあたります。どれも自分で望んだ結果の人生ですから。
教師はなりたくてなったのではなく、これしかお金をもらえる仕事がなかったからですが、これだって仕事をさせていただくのはありがたいこと。
午後1時から6時までしゃべり続けてつかれたなんて、愚痴を言ってはいけません。学生が「履修しようかどうしようか迷っていたけれど、とても楽しい授業なのでとることにします」なんてコメントを書いてくれる時間を作っていけるのは、やりがいのあることだもの。(でも疲れる)
と、愚痴をこぼしつつの生活ですが、すばらしい友の生き方を知ると、自分の甘さが反省できます。
厳しい現実のなかで、私など及びもつかないくらいがんばっている友を思い浮かべると勇気をもらえます。
励みになる友を見習っていきたい。
ひとりは、脳性麻痺の手術を受けたけれど、まだまだ自由にならない手足と、襲ってくる痛みをこらえながらリハビリと詩作をつづけているチルチルさん。
もうひとりは、ご自身の体調がすぐれない中、家族のためにせいいっぱいがんばってこられたチヨさん。ふたりとも、OCNカフェの日記を読みあうなかで知り合ったウェブ友です。
7月21日、このカフェ仲間とのオフ会をして、楽しかった。
以下、オフ会の思い出
九州の青い鳥チルチルさんは、6月1日カフェ日記に、翌日から始まる入院生活について、「あ~す~は、東京へ出てゆくからにゃ~ な~にが なんでも 挫けちゃならぬ~ う~まれながらの 脳性麻痺に~ 戦い挑んで また~生きる~ 」と、書いていました。
その東京での入院生活も、あと数日でひとまず退院という日、オフ会をしました。
病院お見舞いというと、元気な人が入院中の方をお見舞いすることになりますが、チルチルさんのお見舞いは、逆です。入院中のチルチルさんは、まだ痛みがとれない部分があるというにもかかわらず、いつも笑顔がいっぱい。
私のほうが暑さにうだっていてくたびれていて、いっしょにお話しするなかで、たくさんの元気をもうらうことができました。
青い鳥オフ会。
チルチルさんが入院している病院から車なら20~30分ほどというところにお住まいのチヨさんと、チルチルさんの妹さんグリーンさんと、「女4人のアフタヌーンティ・パーティ」を楽しみました。
冷たいコーヒーや緑茶を飲みながら、チヨさんお手製のバナナクリームクレープ、私が、ありあわせのカボチャをチンしてテキトーに混ぜ合わせただけの「簡単シナモンパンプキンケーキ」などを作ってお茶うけにして、笑いとおしゃべりのティーパーティ。
チルチルさんは、ケータイにいっぱい保存してある、病院同室仲間や主治医の先生とのツーショット写真を披露してくれました。
チルチルさんは、チヨさんの愛犬チョコちゃんをなでながら、私が書いた「足下が崩れる話」を「大笑いして読んだよ~」と、もう一度おもしろがり、チヨさんは、うれしそうにシッポを振っているチョコちゃんとの出会いについて話しました。
ちるちるさんの外出許可時間いっぱいまで、おしゃべりがつきませんでした。
グリーンさんは、ご自身も体調が不調となる日もあるなか、病院併設の「介護者用の寮」に寝泊まりし、大手術に臨んだチルチルさんの介護を続けました。
チヨさんと私は、「ほんとうに感動的な姉妹愛ね」と、話し合いましたが、食事の介助や車椅子への乗り降りにつけても、てきぱきとこなしておられました。
チヨさんとチルチルさんと私の共通点は、「三人姉妹」であること。それぞれの姉妹との絆もありながら、こうしてインターネットを媒介として、本来なら知り合うことがない九州と東京の距離をこえて友だちになれたことを、不思議にもうれしく思います。
オフ会はそんなにしょっちゅうはできないけれど、これからもbbsや日記コメントを通じて、おしゃべりに花咲かせていこうと思います。
<おわり>
2008/09/21
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(1)故郷の夏
ボリショイサーカス、娘と息子が小さいときは、毎年のように見に行きました。新聞販売店が読者サービスに配布する招待券に応募して、ほぼ毎年もらえたからです。
子どもたちが幼い頃の夏休みは、乳業会社が募集する「親子で牧場見学会」とか、電力会社募集の「親子で水力発電所見学バスピクニック」などの無料のイベントをさがして夏休みを過ごしていました。水道局が募集した「水源をたどるハイキング」JA募集の稲刈りツアーなんてのもあったなあ。
貧しい一家も、工夫で子どもの思い出に残る夏をみつけて過ごしていたのです。
「区の公園課主宰の蛍見学会」「団地祭り」「ボリショイサーカス」「荒川花火大会」「豊島園プール」が、7月から8月上旬までの「夏休みお楽しみセット」でした。
8月のお盆には実家に帰省して、父や妹の世話になってすごしました。
毎年、妹一家に連れられて川遊びやキャンプにでかけました。
極貧生活を続けていて、夏休みの思い出を作ってやることも難しい暮らしだったけれど、子どもが二学期はじめに「夏休みのできごと」という作文を書かされたときに、なんとか「思い出」を書くことができたのも、実家をついだ妹夫婦のおかげ。
今年も、8月お盆には、妹が守る故郷の実家に帰り、お墓参り。両親と姉がひとつの墓に眠っています。
娘と息子は、今や、お墓参りなど「パス」のひとこと。
8月15日、故郷に着き、まず、去年亡くなった義理の叔父(父の妹の夫)の家に寄って、新盆のお線香を立てました。
この叔父の話は、「漆喰引き物」という語にからめて、
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d1407#comment
に書きました。
妹一家と、「ソースカツ丼」の一軒で夕食。ソースカツ丼は、地元の名物になってきて、何軒も類似の店が増えた。
夜は温泉へ。車でちょっと登っていけば、市内に伊香保温泉もあるけれど、近場の市民温泉へ。市内にいくつも市民温泉があります。
今回は、「敷島の湯・ユートピア赤城」というところへ行きました。
翌日は、山車祭り。
私が子どもの頃、町内そろいの衣装で山車を引くのが夏の楽しみでした。
町内の山車を差配するのは、鳶頭の祖父でしたから、祖父の掛け声ひとつで山車が方向を変えたり止まったりするのを見ることが、子供心に誇らしくもあった。
東京育ちの私の子どもたちも、町内の子じゃないけれど、幼い頃はそろいの衣装を着せて貰いました。今では、「祭りよりゲーム」になっていますけど。
お盆墓参り、温泉、山車祭り、の故郷の夏。
妹一家は、1994年に、私が単身赴任を条件に中国へ出稼ぎに行ったとき、10歳の娘5歳の息子を半年間預かってくれ、夏休みには、妹が子どもたちを連れて中国へ来てくれました。
1994年に私が中国出稼ぎで稼いだお金は、銀行振り込みされた給料を、夫が全部会社の運転資金につぎ込んでしまって、妹に十分なお礼もできませんでした。
2006年春休みに、妹をタイ旅行に誘ったのは、12年前のお礼の気持ちをこめてのこと。
妹は、最初の見学地のお寺でころんで捻挫し、ろくろく観光出来なかったのだけれど。
このときのタイ旅行報告は、下のリンクページに。(2006/03/13~ 03/17)
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200603A
2007年夏は、いっしょに中国西安大連旅行をした。こちらも、タイ旅行に劣らず珍道中だったけれど、楽しかった。
西安珍道中の報告は、下のリンクページに。(2007/08/17~ 09/06)
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200708A
妹といっしょの、年に一度の姉妹旅行。今年は、7月28日~31日に、八ヶ岳高原清里へ行ってきました。
<つづく>
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2008年09月22日
ぽかぽか春庭「清里野外バレエ」
2008/09/22
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(2)清里野外バレエ
妹から「今年の夏は清里高原へ」というお誘いのメールが来たのは、5月の連休があけたあと。清里で毎年開催されている「野外バレエ」を見よう、という計画です。
野外バレエは、20年くらい続いているイベントですが、私は評判をきいたことはあったものの、見たことはなかった。
野外バレエは、川口ゆり子今村博明夫妻が主宰する「バレエシャンブルウエスト(Ballet Chambre Ouest )」が、公演を行ってきました。
昨年2007年には、文化庁の平成19年度芸術創造活動重点支援事業採択先に選ばれて、野外バレエのために商工中金が融資を行うなど、恵まれた条件で公演活動を行っています。
http://www.moeginomura.co.jp/FB/index.html
私は30年来、クラシックバレエやモダンダンス、ジャズダンスのレッスンを続けているし、妹も踊りが好き。妹の娘ふたりは、幼稚園から小学校卒業までバレエを続けていて、毎年発表会の衣装は「保護者手作り」というバレエ教室だったので、妹は、大騒ぎで衣装を作っていました。
妹の長女「エリエリ」が、バイトをしながら、バンド活動を続けているのも、親の芸能好きを受け継いだのだろうと思います。エリエリのバンドは、今週土曜日、9月27日に渋谷ラッシュというライブハウスに出演予定。
(メジャーデビューできるなら、「エリエリれま砂漠谷」っていう芸名にしたらいいと、オバは勝手に思っているんですけれど。ヘブライ語で「神よ神よ何故ゆえ我を見捨てたもうや」)
私の母方は、二手に趣味が分かれていた。亡くなった母方の祖父が芸能好きで、義太夫と農民歌舞伎の役者が趣味でした。それで、伯母とクニヒロ叔父は芸能好き。クニヒロ叔父は、国鉄駅長を定年退職後、しばらくは社交ダンスにはまっていた。
母方の祖母の系統は読書文芸好きなので、私の母とヒサオ叔父は、読書と俳句が趣味。ヒサオ叔父は、定年退職後は、俳句の会などで一句ひねってすごしている。
私の父は、歴史と散歩が好きでした。
それで私は、欲張りにも、読書も文芸も芸能も歴史も散歩も好き。唯一受け継がなかったのは、父の壮年時代の趣味であった釣りだけ。
7月末の「清里プチ避暑」
妹の車に乗せてもらい、バレエの予約や宿泊も妹まかせ。
野外バレエと、地ビールを楽しみに清里高原へやってきました。
野外バレエはABCの3プログラムがあり、A=プーシキンの原作『オネーギン』を、川口ゆり子今村博明がバレエ振り付けをした『タチヤーナ』、B=アンデルセン原作『おやゆび姫』、C=グリム童話『シンデレラ』の3種。妹は3夜すべてのチケットを購入していました。
1夜目の『タチヤーナ』は曇り空でしたが、2夜目の『おやゆび姫』は、満点の星空、暗転の間、夜空の星も楽しめて、最高の野外バレエでした。
3夜目のシンデレラは、雨降りやまぬ中での公演となり、1幕目で上演中止。
私と妹は、3日目は何となくリハーサルを全幕見ていたのです。リハーサルを見るのは出入り自由。明るい中、照明なしのバレエでしたが、見ておいてラッキーでした。
上演中止は残念でしたが、閉幕後に清里名物の「ロックカレー」を食べ、ビールを飲みました。
<つづく>
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2008年09月23日
ぽかぽか春庭「清里・森の生活」
2008/09/23
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(3)清里・森の生活
清里の最初の夜に宿泊したホテル・ハットウォールデンは、ソローの『ウォールデン・森の生活』をコンセプトにした小さなホテルです。とても居心地がよかった。
http://www.hut-walden.com/
よくあるホテルの部屋には聖書がおいてあったりするのですが、ハット・ウォールデンのベッド枕元には、『ウォールデン・森の生活』がおいてありました。
私、20代のころ読み、次に読んだのは35歳で入学した二度目の大学生のとき。
なつかしい本を読み返したいと思って手にとったのですが、何しろベッドに入れば、5秒で寝付く。妹が話しかける間もないソッコー睡眠でした。
ハットウォールデンに3泊したいところですが、予算の関係で、2泊目はペンション。3泊目はログハウスの貸別荘・「コテージ炉辺荘」に泊まりました。
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~roben-so/
野外バレエの公演は夜なので、昼間はいろんなところに行きました。
清里に三泊の間、絵本ミュージアムや展望台など、妹が行きたがったところを中心に車でまわりました。
8月29日、妹がバレエ鑑賞のほか、第一に清里で行きたかったところ、清里開発の父ポールラッシュ記念センターや清泉寮を訪れました。
妹は、清里旅行の予習として、ポール・ラッシュの伝記を読み終わったところなので、車を運転しながら講釈をつづけ、私もいっぱし「ポール・ラッシュ」の事績について詳しくなりました。
国際交流のお手本みたいなポールラッシュについて、私も知ることができ、妹に感謝です。
http://www.keep.or.jp/shisetu/paul/
ラッシュは、日本にアメリカンフットボールを紹介した人で「フットボールの父」と呼ばれている人。
また、聖路加病院の再建に力を注いだ人であり、清里高原を「作物の実らない不毛な寒冷地」から「高原農業や酪農を定着させ、清里を再建した」人でもあります。
現在、清里高原は、観光地として大発展をしていますが、俗化を免れているのは、ポールラッシュの「祈りと奉仕」の精神を受け継ぐ人が、清里に根付いているからでしょう。
ラッシュが作った畳敷きの聖アンデレ教会も見学できました。
http://www.keep.or.jp/shisetu/andere/index.html
ポール・ラッシュ記念館の次に妹が行きたがったところは、絵本美術館。
八ヶ岳高原に点在している絵本ミュージアムのうち、3館を見学。
妹は、NPOの理事として子育て支援活動に携わっていて、絵本の読み聞かせ運動をしているので、絵本美術館をたくさん見たいというのです。
東京にも、絵本専門店や、絵本コーナーを持つ図書館がたくさんあるから、私はそんなには行きたくなかったけれど、妹は、私がよく行く青山のクレヨンハウスなどにも日頃、そう簡単には行けないのだから、絵本を見たいという希望におつきあいしました。
<つづく>
00:04 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2008年09月24日
ぽかぽか春庭「清里・絵本館めぐり」
2008/09/24
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(4)清里・絵本館めぐり
点在する絵本美術館、3カ所、小淵沢絵本美術館、清里えほんミュージアム、黒井健絵本ハウス。
妹は、どの美術館でも、絵本をあれこれ買い込んでいました。
小淵沢絵本美術館では、ターシャ・テューダー(Tasha Tudor)の絵本、清里えほんミュージアムでは常設展のエロール・ル・カインの原画がよかった。
ターシャ・テューダーは、絵本作家として高い評価を得たほか、庭作りとスローライフの達人。
今年、2008年6月に92歳で永眠するまで、花壇を好きな花で飾り、庭の果物や野菜を使って料理をして暮らしました。薪割りなどの力仕事は、徒歩5分のところに住む息子さんが手伝います。
わたしにとっての、理想の暮らしかた。
日本にもファンが多いターシャの紹介サイト、たくさんあります。
http://ainahaina.exblog.jp/i2/
http://www.akmkny.net/gardeninghappy/tasya.htm
ル・カインは、シンガポール出身の絵本&アニ家
http://www.ehonmuseum-kiyosato.co.jp/exhibition_errol.html
絵本作品は、以下のサイトで紹介されています。
http://www.ehonnavi.net/author.asp?n=3532
黒井健、私は「ごんぎつね」「手袋を買いに」などのきつねの絵のファンでしたが、きつね以外の作品もいろいろ展示されています。
http://www.kenoffice.jp/
今回行けなくて残念だったところが3カ所。
私にとって、近代史教科書のひとつともいえる『明治精神史』の著者、色川大吉が住んでいる大泉町の近くを通ったのだけれど、どのへんに住んでいるのかはわからなかった。
『八ヶ岳南麗猫の手クラブ物語』を読むつもり。
今回、北杜市に来るまで知らなかったのだけれど、清里周辺の地図をみたら、「金田一春彦記念図書館」がありました。
金田一家の別荘が大泉町にあった縁で春彦の蔵書が寄贈され、金田一一家による講演などが行われている。
私が、修士論文で他動詞ボイスアスペクトについて執筆したとき、アスペクト研究の先達、金田一春彦のアスペクト論を参照論文として巻末に書いた。
また、社会言語論の授業を行うに際し、アクセント、方言の参考書のひとつにしているのも金田一春彦の著書やアクセント辞典。
記念図書館に寄ったのだけれど、木曜日定休で中に入れなかった。玄関前のポールラッシュの銅像前で妹と写真をとりっこしました。
もうひとつ行きたかったのに行けなかったところ。
平山郁夫シルクロード美術館。平山作品はあちこちで見てきたけれど、平山夫妻が収集したシルクロード美術品も展示されているというので、見てみたかった。
http://www.silkroad-museum.jp/
シルクロード美術館の前を、何度もバスや車で通りすぎたのだけれど、妹が絵本美術館のほうに興味を示したので、行く時間がなくなった。
妹が運転する車なので、妹の趣味優先。
そのほか、リフトに乗って山の頂上へ行ったり、手打ち蕎麦を堪能したり、八ヶ岳高原ドライブ、涼しくて楽しい夏休みをすごすことができました。
妹とわたしの旅は、たいていハプニングがおこり珍道中となるのですが、今回の清里旅行は、雨で野外バレエ公演が中止になったほかに「なんてこったい」の出来事はなくて、珍しく「始めも終わりもすべてよし」でした。
<つづく>
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2008年09月25日
ぽかぽか春庭「西の魔女」
2008/09/25
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(5)西の魔女
8月7日、新宿武蔵野館で映画を見ました。『西の魔女が死んだ』
http://blogs.yahoo.co.jp/nishimajo_movie/7321577.html
7月末に、妹とでかけた清里高原のキープ協会敷地内のなか、映画『西の魔女が死んだ』の「おばあちゃんの家」ロケ地が、一般公開されていました。
ロケ用に建設されたのですが、ロケ終了後は、入場料300円で公開中。
映画を見る前でしたが、妹といっしょに、おばあちゃんの家を見てきました。
案内板があって、「おばあちゃんの散歩道」をたどることもできたのですが、お散歩は次のお楽しみにして、おばあちゃんの家をゆっくり見ました。ハーブティもいただいて(無料)ゆっくりすごしました。
http://www.keep.or.jp/nishimajo/
『西の魔女が死んだ』原作は、梨木香歩の短編小説。
「他人に無理して合わせるのは疲れた」と考える中学生の女の子マイ。女の子のグループ同士のつきあいから距離をおいたマイは、そのためクラスメートからは無視され孤立してしまいます。
不登校になったまいが、夏の一ヶ月をすごしたおばあちゃんの家。
とてもすてきな、心なごむおばあちゃんの家でした。
主人公マイのおばあちゃんは、イギリスから英語教師として来日し、高校の理科教師だったおじいちゃんと結婚しました。おじいちゃんが亡くなった後も、ひとりで自分のスタイルを守って静かに生活しています。
おばあちゃんを演じているサチ・パーカーは、1956年生まれ。オスカー女優シャーリー・マクレーンの娘。父親のプロデューサー、スティーブ・パーカーとともに、6~12歳を日本で過ごし、日本語も上手です。
マイのおばあちゃんの暮らし方、雰囲気がターシャ・テューダーに似ている気がします。
自然の中で、自給自足に近い暮らしを続け、縫い物もジャム作りも、自然を生かし周囲の人々ともよい距離を保って暮らしている。
私も、ターシャやマイのおばあちゃんのように晩年を過ごせたらいいのになあ。
映画のなかで主人公マイが一夏をすごすおばあちゃんの家の中、ひとつひとつのようすが、心に響きました。
ロケ地の家のテーブルに、マイが使っていたマグカップがそのまま残されていたので、マイがマグカップでハーブティを飲む場面も、いっしょにお料理するおばあちゃんの台所用具なども、故郷の家をみるようになつかしい気がしました。
<つづく>
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2008年09月26日
ぽかぽか春庭「翼のある竜」
2008/09/26
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(6)翼のある竜
ことしの夏は、エアコン工事のための部屋片づけやら、何年も冷気漏れがしていた冷蔵庫買い換えやらで、たいへんな思いもしたけれど、妹や友人、娘息子とのお出かけの楽しみもありました。
娘息子と三人連れでのお出かけ、7月末にボリショイサーカスを見に出かけたほかは、エアコン、冷蔵庫、ガスレンジを買いに、何度も池袋の家電量販店へ出かけて、お買い得品の品定めで8月もすぎてしまいました。自営業の夫の会社、借金だらけなのに、高価な家電品を買うのですから、1円でも安いものを探し回りました。さらに増える借金は最少額におさえなければ。
8月末にようやく、お楽しみのお出かけができました。
娘は、小学高低学年のときに「恐竜発掘」の漫画本を読んで恐竜ファンになりました。中学校に入学してからは、「日曜地学ハイキング」という化石掘りの会に入って、毎月のように親子で化石を掘ったり地層見学をしたり、貝化石などをたくさん集めました。
残念ながら、恐竜の化石を掘り当てる幸運はありませんでしたが、恐竜展は毎年のように見に出かけています。
ことしは、春に千葉の幕張メッセで「よみがえる恐竜大陸展」を親子3人で見ました。夏になったら、今度は「世界最大の翼竜展」を見たいと、娘が言います。
お台場の日本科学未来館に出かけました。
http://www.miraikan.jst.go.jp/
8月の終わりなので、覚悟していましたが、「自由研究」の仕上げをする親子でにぎわっていました。
解説ガイドのイヤホンをつけて走り回る子、デジカメで写真を撮りまくって、子の自由研究ノートを埋めようとがんばるお父さんお母さんの間で、娘と息子は「う~ん、小さいお友達に負けないで楽しむぞ!」と、気合いをいれていました。
もう「夏休み自由研究」の提出には縁遠くなった25歳娘と19歳息子が母親といっしょに「翼竜展」にお出かけするというのも、あまりない組み合わせでしょう。
「翼ある竜」は、西洋のドラゴンのモデルとしてぴったりですが、人間の想像力が、6千万年前に滅んでしまった翼竜とそっくりなドラゴンを思い浮かべることができたことを不思議に思います。
科学未来館1階に、世界最大の翼竜、ケツァルコアトルスの復元化石や、復元個体を展示し、空飛ぶ竜についてまとめて展示してあります。
http://www.miraikan.jst.go.jp/spevent/ptero/
「翼竜は頭はでかいが、体は小さくて体重はそれほど重くなく、大型翼竜は長く滑空していられた。体重を減らすために、骨はハニカム構造という蜂の巣のような構造をしている。これは、軽くて強度を保てる構造で、飛行機にも取り入れられている。
小型翼竜は皮膜を羽ばたかせて飛ぶことができたこと、鳥のように2本足歩行ではなくて、翼を折り畳んで、4足歩行した。
など、新しく知ったことがたくさんありました。
娘と息子は何度か来たことのある日本科学未来館ですが、私は、はじめて。
常設展のほうも回ってみたけれど、上野の科学博物館は、常設展もいろいろ楽しめるのに、「未来」の科学は、私には難しすぎました。
スーパーカミオカンデの模型の中に入ってみたけれど、電球がチカチカしている模型を見たところで、これからどうなるものなのか、さっぱりわかりませんでした。
ニュートリノ、うん、これは聞いたことある。電磁相互作用がない弱い相互作用?中性のパイ中間子のような反粒子元素?
はてはて、???どうにも徹底的に理系の頭ではありません。
8月28日は、お台場にいる間に何度か激しい雨が降りましたが、外に出ての移動の間は止んでいて、ラッキー。
テレコムセンターの展望台でコーヒー飲んで一休み。展望台の望遠鏡で「あ、ディズニーシーの火山が見えた」などと発見!を楽しんで、夏の終わりの東京湾景を楽しみました。
途中また雨が強くなり、さっきまで見えていた東京タワーがぼうっと霞んで見えなくなり、葛西臨海公園の観覧車も消えて、あたり一帯、白い景色に変わりました。
ひとしきり雨が通り過ぎると、少しずつ東京タワーも見えてきて、再びの東京湾景。
夜は、お台場メディアージュの入場者1万人突破記念花火を見ました。
自由の女神のレプリカが立っているあたりで花火の打ち上げが行われ、しばし花火を楽しみました。
若者向けの、猫、ハート、ニコニコマークなどのキャラクター花火が中心でしたが、おもしろく観覧しました。
<つづく>
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2008年09月27日
ぽかぽか春庭「発掘された日本列島2008」
2008/09/27
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(7)発掘された日本列島2008
娘・息子とのお出かけ。翼竜展の翌日は、江戸東京博物館へ。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
「発掘された日本2008」展の見学がメインイベントです。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/about/josetsu/dai2/2008/0719/0719.html
江戸東京博物館5階企画展示室に入ってすぐに目にはいるのが、鹿の埴輪。群馬県高崎市の太子塚古墳(5世紀後半)から出土した埴輪です。
埴輪は高さ約60センチ。体長も約60センチ。腰に粘土を張って矢羽根を表現し、その下に朱で流れ出る血を描き込んである。
矢がささった体にある斑点は、「かのこ模様」の夏毛を表したらしい。狩りの獲物を神に祈るための埴輪であったのでしょう。
琴をひいている楽人の埴輪もいっしょに展示されていました。神への祈りの曲を演奏したのか、はたまた収穫の祭りを祝う宴席を音楽で囃したのか。
縄文時代、弥生時代、と時代ごとの発掘品が順路に展示され、近年の発掘として話題になった本能寺の半分焼けた瓦が目に入りました。
発掘成果が上がると、業火に焼け落ちたと言われている本能寺のさまざまな真実が浮かび上がってくるかもしれない。秀吉が他の場所に本能寺を再建し、長い間本能寺の元の地が不明であったのはなぜか、とか。
高松塚古墳の石室レプリカもありました。
発見当時の美しい女人像や白虎、天井の星辰が写真撮影され、新聞社の「おまけ」としてポスターが配布された記憶があるけれど、今は、かびに覆われて美女の顔もよく見えなくなっている様子が、復元されていました。
6階通常展示の大名籠。「女籠」の前に、「靴をぬいで、籠に座ってください」と、書かれていたので、親子で順番に籠に座ってみました。気分は篤姫か和宮か。
でも、私が中に座ったら、息子と娘が「桜田門外の変ごっこ!」と言って、刺すまねをしたので、息子が座ったときは、「坂下門外のへ~ん」と言って、今度は私が刺すまねをして、娘が座ったときは、「もう、ナンの門かわからんへ~ん」と言って遊んだ。おバカな親子。小学生中学生くらいの親子連れは、夏休み自由研究だかのメモをまじめに書き込んで一生懸命やっているのに、こちらは気楽な物見遊山である。
そして、「えっと、桜田門外は井伊直弼だったけれど、坂下門って、安藤だれだっけ」と、殺されかけたのに、名前が知られていない安藤なにがしを不憫に思いつつ、常設展示を見て回りました。
歴史大好きな息子、学生証を示せば、江戸東京博物館も国立東京博物館も、常設展は無料で見ることができる。
大学が博物館の「メンバーズシップ」に登録してある大学なのに、このありがたい制度をつかうのは、この日が初めて。
「こういう費用もバカ高い授業料に入ってるんだから、せっせと利用してモト取りなさいよ」と、けしかけるハハの、「費用対効果」計算でした
科学未来館では、ランチに「恐竜の卵コロッケランチ」というのを食べて、「こういう子供だましにノって食べるのがおいしい」とか言っていた息子と娘、江戸東京博物館では、2階のレストランで「深川丼」と「穴子天とまぐろ山かけセット」を頼み、「うん、江戸っぽい」と、食べていました。
何を見て歩いても、「食べるのが一番たいせつ」の親子です。
<つづく>
==========
もんじゃ(文蛇)の足跡:
「発掘された日本列島2008」展、東京での展示は終了しましたが、現在、兵庫県県立考古博物館で展示中。千葉では11月に、沖縄で2009年1月に巡回展示があります。
http://www.bunka.go.jp/oshirase_event/2008/hakkutsu2008.html
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2008年09月28日
ぽかぽか春庭「葛西臨海水族園」
2008/09/28
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(8)葛西臨海水族園
9月26日、娘息子と、ふたたびのお出かけ。葛西臨海公園水族園へ行きました。
娘息子も水族館が好きですが、このところ、近場のサンシャイン水族館に行くことが多く、葛西臨海公園の水族園に3人いっしょに寄ったのは、久しぶり。
http://www.tokyo-zoo.net/zoo/kasai/index.html
マグロの回遊水槽は、いつ見ても迫力です。銀色に光る体側を見て、「うん、うまそう」という、一家そろっての感想。
息子と娘は、テレビで見た築地市場のまぐろのセリのまねをして、手をセリの値段の形にして、笑っています。
「うん、アイツはいい泳ぎっぷりだから、油がのっているにちがいない」と、しばらく水槽を眺めていた母子でした。
http://www.ucatv.ne.jp/~pengin/tenjijou/drive/kasai/dai.htm
熱帯の海、北極や南極の海、東京湾の生き物たち、ペンギンコーナー、それぞれにおもしろく見ましたが、9月の最終金曜日、平日だからすいているかという思惑はまったくはずれて、館内は社会科見学の小学生中学生で混み合っていました。
赤キャップの一群は「社会科見学ウォッチングノート」という担任の先生手作りらしいパンフレットに書き込みをしながら館内を移動しています。
帽子無しのグループは、班行動らしく、班長が「わー、集合時間まであと10分しかないよ」とあわてているし、グレイハットの小学生たちは、「区内探検総合学習」というクリップボードをひもで首からつるして、メモをとっている。
何を見ても「スゲー、わー、スゲー」とうれしがる男の子がいたのは、臙脂色ハットの学校。
「○○く~ん」と、大きな声でクラスメートを捜しているグループもいます。グループメンバーがひとり、はぐれてしまったらしい。
娘と息子も、小学生時代にこの水族園へ、学年そろって来たことがあり、「私たちも、ああいう小学生だったんだと思うと、魚見ているより小学生見物していたほうがおもしろい」と、言います。
「自分が小学生のときは、クラスの中が絶対の全世界で、周りのことなんか気にせずにいたけれど、端から見ていると、小学生って、おかしな生き物だなあ、って、思うよ」と、娘は、余裕で、それぞれの先生の「見学のさせ方」を見ていました。
娘は、大学時代、児童館などでボランティア活動をするサークルに入っていたので、子どもをどのようにまとめていくかについて、先生のやり方を鋭くチェックしていました。
「あそこのおばちゃん先生は集中管理型、あっちの若い先生は、グループ行動に分けたあとは放任型っていうか、集合時間まで自分は休憩中ってとこかな」
葛西臨海水族園でのランチ。
園内レストランで、私と息子は「まぐろカツカレー」、娘は、シーフードスパゲッティ。プラス、クラムチャウダー。
味にうるさい娘は、スパゲッティの上に乗っていたエビについて、「かんづめか冷凍のエビの味」と、言います。「まあ、水族園の水槽のなかから釣ったばかりのエビです、とか言われても、おいしくないだろうけど」と、娘の弁。
私と息子は、「う~ん、水槽の中で泳いでいたマグロじゃないと思うけれど、やっぱり鮪は、カツカレーよりお刺身だよね」と言い合いました。
帰り道。
「私たちの社会科見学のときは、横のほうにお弁当広場ってのがあって、そこでお弁当を食べたんだけど、今もあるのかな」と、淡水生物園へ回る道をいくと、ちゃんとありました。さきほど館内を走り回っていて、班長さんに「走っちゃダメって、いったでしょっ!」と追いかけられていた子たちも、ここでお弁当を食べたのかな。
淡水生物館を見学しました。急速に生息数が減っているという蛙の展示。
今年は、「世界カエル年」なんですって。
カエルの生息できる田圃や池沼が減っているということは、同時に人間が人間らしく豊かな自然と共生して生きていける環境が減っているということ、という解説がありました。
「あのにぎやかな小学生たちの中から、お魚ハカセやカエル愛好家やまぐろ一本釣り猟師やエビフライ大好きッコとか、クラムチャウダーを美味しく作れる奥さんとか出てくるのだろうなあ」と、思いながら水族園を出ました。
あの小学生たちが大人になるまで、地球が残っていますように。
<つづく>
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2008年09月29日
ぽかぽか春庭「観覧車と古代エジプト」
2008/09/29
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(9)観覧車と古代エジプト
9月26日、水族園での、遅いランチのあと「ダイヤと花の大観覧車」へ。
娘はお台場のパレットタウン観覧車には何度か乗っているけれど、「ダイヤと花の観覧車」には乗ったことがないので、水族園の帰りに寄ってみました。
http://www.ucatv.ne.jp/~pengin/tenjijou/drive/kasai/kan.htm
「ダイヤと花の大観覧車、直径111メートル、高さ117m、東洋一の大きさ」というふれこみで営業開始したときに、小学生だった息子といっしょに乗ってみたことがありました。
営業開始してすぐのその頃は、ものすごく混んでいたのですが、半年ほどで「暫定東洋一」の記録が破られ、その後はいつ見ても閑散としています。お台場にも観覧車ができたので、人気がなくなったみたい。
この観覧車に息子と乗ったときのことは、いい思い出です。
8年ほど前のこと。息子の6年生進級祝いとして自転車を新調しました。
「新しい自転車を買った記念に、葛西臨海公園へ行ってみよう」と私がさそうと、息子が素直についてきました。
母子サイクリング、自転車で荒川沿いに下りました。荒川土手はサイクリングロードとして整備も進んでいます。
家から海岸まで18km、往きは海岸へ向かって下っていく道なので、サイクリングは快適でした。すいすいと進んだのですが、家でお昼ご飯を食べてからの出発でしたから、葛西臨海公園に着いたときは、目的の水族園はもう入場締め切り時間を過ぎていました。
そこで、予定外でしたが、長い行列に並んで観覧車に乗ったのです。
行きはよいよい帰りはコワイ。帰り道はずっと登りです。そりゃそうだ、山登りとちがって、海へ行くときは、たいてい行きが下りで帰りが登り。ようよう家にもどりました。
そんなことを思い出しながら、東京湾景を見渡す一周17分間でした。曇り空でぼうっと霞んでいる東京のビル群、ディズニーランドのシンデレラ城などが見えました。
母は、「9月28日で終了する古代オリエント博物館の招待券があるから、帰りにサンシャインビルに寄りたい」というと、娘息子は「あ、ミイラはパス。ふたりで先に帰る」と、つれない。ひとりでサンシャインビル文化会館の7階、古代オリエント博物館へ行きました。
http://y-egypt.com/40year/
早稲田大学考古学発掘チーム40年の発掘成果を展示している「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」です。
http://www.egypt.co.jp/egypt40/tokyo.htm
目玉展示は、未盗掘の古代エジプト高官の木棺から出土した、ミイラの青いマスク早稲田考古学チームの最大の発掘品です。
セヌウという名のエジプト司令官のミイラを覆っていた青いマスク。ツタンカーメンのミイラマスクは有名ですが、セヌウの青いマスクも古代史のロマンが秘められているような、すてきな青いマスクでした。
<つづく>
06:39 コメント(3) 編集 ページのトップへ
2008年09月30日
ぽかぽか春庭「セヌウの青いマスク」
2008/09/30
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(10)セヌウの青いマスク
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」、ツタンカーメンとその王妃アンケセナーメンの指輪やセヌウの木棺、復元されたセヌウの頭部など展示されていました。
セヌウの復元についてのページ(吉村チームの発掘を支援している熊谷組のHPより)
http://www.kumagaigumi.co.jp/news/2006/nw_060622_1.html
旧王朝時代から、プトレマイオス朝、ローマ時代まで、幅広い年代の歴史を一望できました。
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」出土品には、専門家からみたら高い価値のある貴重なものも多かったのでしょうが、エジプト考古学素人の私には、青いマスクや彩色階段模型がいちばん派手で、あとは地道な発掘の土器片や装飾品など、レリーフなどが展示されていました。
ガイド音声解説の声は吉村教授本人。ひとつひとつの展示品に、さまざまな思い出があるのだろうと思いました。
「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」、なによりの見ものは、吉村教授が40年、コツコツと発掘を続けてきた「その歳月」です。
早稲田大学学部時代に初めてエジプトに渡ったときから40年発掘を続けてきた中に、壁にもぶつかり、山越え谷越え、さまざまな苦労があったことでしょう。
ビデオ映像のなかで、エジプト最初の発掘現場に立つ吉村先生、発掘にかけた青春と人生に悔いなし、という風貌でした。
「おみそ汁のCMに出るのも、すべて発掘費用を捻出するため」と、昔、インタビュー番組で語っていたことを思い出しながら、ビデオ映像を見ていました。
ビデオの中で、吉村先生は若者を前に講演していました。「そんな夢みたいなこと何言ってるんだ、と人から言われたら、よっしゃあ、と思いなさい。夢みたいなことだから、夢見る必要がある。夢は見続けていれば、必ず実現する」と。
夢を見る前に「そんな夢みたいなこと、無理、ムリ」と、最初からあきらめている近頃の若者たちに向かって、先生は熱く語りかけていました。
もちろん夢を見続けるだけではなく、どのような困難挫折にも負けない強靭な意志と、夢の実現へ向ける努力が必要なことは言うまでもないことですが、吉村先生の40年間の「持続する志」に学びたいと思いました。
<つづく>
2008/10/01
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(11)ハカセの持続する志
吉村作治教授、CM出演やワイドショーのコメンテーター、「世界不思議発見」などのクイズ番組出演等々、世間に名と顔を売る経歴多彩な中で、世間の注目と非難を集めてしまったのが、「ディプロマミル(学位製造工場)」と呼ばれる「金で学位を売る」商売をする非認定の大学から、博士号を買ってしまったこと。
長年考古学研究を続け、学位論文に相当する発掘成果を発表してきた人が、何故そんなことを?と、疑問に思いましたが、「(早稲田の)同僚から博士号がないと教授になれないといわれたから、つい30万円で買ってしまった」との、吉村先生談。
吉村先生、1999年に早稲田大学工学部から正規の博士号を得ています。(考古学研究者だけど、工学博士)。
博士課程を担当する教官・教員は博士号を持つことが条件とされるなどの大学内部事情があり、大学専任教員のなかで、学位を買った人、文部科学省の調査では全国に50人近くいたそうです。
春庭の「持続する志」
書くこと読むこと。学ぶこと。
6歳で「書く人になりたい」と思って以来50余年、書き続けてきました。
50余年の「持続する志」です。
「吾十有五而志乎學」して以来、三十にしても立ちあがれず、四十にして惑いっぱなし。
五十にして天命もわからずですが、、、、学び続ける志は変わりません。
浅学非才の私からは、仰ぎ見るばかりの「知の巨人」松岡正剛の「千夜千冊遊蕩編」1263夜 2008年9月25日の一冊は、足立巻一「やちまた」を取り上げています。
私がカフェ日記を始めたとき、コラムの最初に「春庭千日千冊、今日の一冊」として「好きな本の紹介コーナー」を作ったのは、松岡正剛が2000年2月23日に始めた「千夜千冊」のまねっこでした。
そのとき、著者名あいうえお順の本紹介、「あ」から順に始め、「足立巻一」の「やちまた」からスタートしました。「やちまた」は、本居春庭の評伝小説の傑作です。
盲目となってもなお国学への「持続する志」を貫いた本居春庭と、その春庭の人生を、生涯をかけて探し求めて記録した足立巻一の「持続する志」が交差する構成、見事な一冊から、「今日の一冊」紹介をはじめました。」
本居宣長の息子、本居春庭は、「詞通路(ことばのかよいじ・構文論)」「詞八街(ことばのやちまた・動詞活用論)」を書き残した国学者です。
私のホームページのタイトルを「話しことばの通い路」としたのは、「詞通路(ことばのかよひじ)」のもじりです。
「春庭」というハンドルネームの紹介を兼ねたつもりで、スタートしたのですが、「春庭千日千冊」は、千冊までには及びもつかぬ、「あ」から「ん」まで48冊で終わりになりました。
2003年9月28日スタートのカフェコラム。「21世紀になって千日目の記念にカフェ日記スタート」と銘打っていますが、千日目というのはは、計算違いだったかも。計算弱いから。
現在はこちらに公開。「春庭、おい老い笈の小文2003」
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/oi2003mokuji.htm
私の本紹介は、48回の「あ~ん」終了のあと、カタカナシリーズをはじめたのですが、続かず、本の紹介は、コラム内容に関連した本を、リンクページで紹介するという程度になってしまいました。
松岡正剛先生は、持続する志をつらぬいて、千冊をとうに越え、1263冊まで、精密な読みの記録を掲載し続けています。
「やちまた」の紹介はこちらに。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html
カフェコラムをはじめてから満5年経った日、9月27日、学生春庭は、博士後期課程論文中間発表会で、なんとか発表を終えました。準備不十分のまま、指導教官に叱咤激励を受けて、9月に駆け込みで発表原稿を仕上げました。
お金で買えるディプロマミルの博士号とちがい、ハカセへの道はなかなかしんどいです。
春庭言語文化論のスタートラインとしては、ぐずぐずの不十分なものではありましたが、よろよろと、こけつまろびつの出発です。
夏の思い出、妹との清里遊覧やら、娘息子との観覧車や水族園や翼竜展やらで遊んだだけじゃなくて、学生春庭、おベンキョーもしていました、という、本日のexcuse篇でした。
ヨメ春庭は、姑入院のつきそいもしたし、ツマ春庭は、、、、あ、これはいつも通り何もしてないや。つうか、法律上の夫は、夏といわず秋といわず家族なんて無関係ですから。お彼岸にお墓参りと姑快気祝いの食事をいっしょにしたのが、この夏唯一夫私娘息子が顔をそろえたひとときでした。
教師春庭、後期授業が始まりました。
9月30日は、学部日本人学生相手に、3コマ。社会言語学、現代日本語学、日本語音声学を講義。
90分3コマ連続、午後1時から6時までしゃべりっぱなしは、しんどいです。
次回、夏の思い出シリーズのラストコラム。ウェブ友とのオフ会について。
<つづく>
05:58 コメント(4) 編集 ページのトップへ
2008年10月02日
ぽかぽか春庭「青い鳥オフ会」
2008/10/02
ぽかぽか春庭やちまた日記>夏の思い出(12)青い鳥オフ会
教師と学生と母と嫁を同時にやっていてシンドイなんて、言っていたらバチがあたります。どれも自分で望んだ結果の人生ですから。
教師はなりたくてなったのではなく、これしかお金をもらえる仕事がなかったからですが、これだって仕事をさせていただくのはありがたいこと。
午後1時から6時までしゃべり続けてつかれたなんて、愚痴を言ってはいけません。学生が「履修しようかどうしようか迷っていたけれど、とても楽しい授業なのでとることにします」なんてコメントを書いてくれる時間を作っていけるのは、やりがいのあることだもの。(でも疲れる)
と、愚痴をこぼしつつの生活ですが、すばらしい友の生き方を知ると、自分の甘さが反省できます。
厳しい現実のなかで、私など及びもつかないくらいがんばっている友を思い浮かべると勇気をもらえます。
励みになる友を見習っていきたい。
ひとりは、脳性麻痺の手術を受けたけれど、まだまだ自由にならない手足と、襲ってくる痛みをこらえながらリハビリと詩作をつづけているチルチルさん。
もうひとりは、ご自身の体調がすぐれない中、家族のためにせいいっぱいがんばってこられたチヨさん。ふたりとも、OCNカフェの日記を読みあうなかで知り合ったウェブ友です。
7月21日、このカフェ仲間とのオフ会をして、楽しかった。
以下、オフ会の思い出
九州の青い鳥チルチルさんは、6月1日カフェ日記に、翌日から始まる入院生活について、「あ~す~は、東京へ出てゆくからにゃ~ な~にが なんでも 挫けちゃならぬ~ う~まれながらの 脳性麻痺に~ 戦い挑んで また~生きる~ 」と、書いていました。
その東京での入院生活も、あと数日でひとまず退院という日、オフ会をしました。
病院お見舞いというと、元気な人が入院中の方をお見舞いすることになりますが、チルチルさんのお見舞いは、逆です。入院中のチルチルさんは、まだ痛みがとれない部分があるというにもかかわらず、いつも笑顔がいっぱい。
私のほうが暑さにうだっていてくたびれていて、いっしょにお話しするなかで、たくさんの元気をもうらうことができました。
青い鳥オフ会。
チルチルさんが入院している病院から車なら20~30分ほどというところにお住まいのチヨさんと、チルチルさんの妹さんグリーンさんと、「女4人のアフタヌーンティ・パーティ」を楽しみました。
冷たいコーヒーや緑茶を飲みながら、チヨさんお手製のバナナクリームクレープ、私が、ありあわせのカボチャをチンしてテキトーに混ぜ合わせただけの「簡単シナモンパンプキンケーキ」などを作ってお茶うけにして、笑いとおしゃべりのティーパーティ。
チルチルさんは、ケータイにいっぱい保存してある、病院同室仲間や主治医の先生とのツーショット写真を披露してくれました。
チルチルさんは、チヨさんの愛犬チョコちゃんをなでながら、私が書いた「足下が崩れる話」を「大笑いして読んだよ~」と、もう一度おもしろがり、チヨさんは、うれしそうにシッポを振っているチョコちゃんとの出会いについて話しました。
ちるちるさんの外出許可時間いっぱいまで、おしゃべりがつきませんでした。
グリーンさんは、ご自身も体調が不調となる日もあるなか、病院併設の「介護者用の寮」に寝泊まりし、大手術に臨んだチルチルさんの介護を続けました。
チヨさんと私は、「ほんとうに感動的な姉妹愛ね」と、話し合いましたが、食事の介助や車椅子への乗り降りにつけても、てきぱきとこなしておられました。
チヨさんとチルチルさんと私の共通点は、「三人姉妹」であること。それぞれの姉妹との絆もありながら、こうしてインターネットを媒介として、本来なら知り合うことがない九州と東京の距離をこえて友だちになれたことを、不思議にもうれしく思います。
オフ会はそんなにしょっちゅうはできないけれど、これからもbbsや日記コメントを通じて、おしゃべりに花咲かせていこうと思います。
<おわり>