20190825
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>夫婦の映画(4)彼が愛したケーキ職人
6月16日、飯田橋ギンレイホールで鑑賞。
「彼が愛したケーキ職人」監督・脚本:オフィル・ラウル・グレイツァ
一組の夫婦がいる。アナト(サラ・アドラー)とオーレン(サラ・アドラ)。イスラエルに住み、男の子を育てながらカフェを営むアナトは、仕事でベルリンへ出張している夫オーレンの帰りを待つ。
一組の恋人がいる。ベルリンのカフェでケーキやクッキーを作る職人トーマス(ティム・カルクオフ)とイスラエルから出張でベルリンへやってくる男。男は妻子があることを隠さないが、いつしか二人は恋人同士としてひとときを共に過ごすようになっていった。男はあるとき、決意する「真実の愛に生きよう」と。
以下、ネタバレを含むあらすじです。
アナトは、夫を不慮の事故で失った後、カフェを再開します。息子を育てながらの仕事は容易ではく、コーシェル維持に目を光らせる当局にも気をつかわなければならない。亡き夫の兄や兄嫁、姑はアナトを気遣いなにかと助けてくれますが、店はアナトがひとりできりもりしなければなりません。当局からコーシェル適正店の許可をとるのも一苦労。
ユダヤ教には、『コーシェル』という食事規定があります。ユダヤ人にとっては大切な神の教えであり、生きることとはコシェルを守ること。守らなければ生きるに値しない。豚肉を食べない、という戒律はよく知られていますが、そのほか、細かい規定があります。
ヘブライ語でカシュルート(適正食品規定、食事規定)といい、動物に苦しみを与えないで一瞬でした肉のみ許可。ユダヤの祈りを唱えられる者が料理したもののみ許可など、いろいろ。
アナトの店で雇うことにしたドイツ人は、ユダヤ教ではないから、彼が作ったクッキーは、どれほどおいしくても、アナトと息子以外には食べる者はいません。アナトはこねるところは彼にまかせ、焼く作業はアナトがすることでコーシェルをクリアしたことにして店でクッキーを売ることにします。
しかし、コーシェルを厳密に適用する当局は、ユダヤ人でない男が働いているアナトの店を「不適正」とします。
店を続けることが難しくなったアナトは、このクッキーは、いつも夫がベルリンみやげにもってきたものと同じ味だと気づきます。
封印してきた事故で亡くなった夫の遺品をようやく確認してみると。夫のケータイには、トーマスからの安否を確認する声が残されていました。
アナトは夫のことばを思い出します。「別れてほしい。真実の恋しい人といっしょに生きることに決めたから」
アナトは激怒し、夫を家から追い出しました。あわてて出ていった夫は、運転を誤り亡くなりました。
夫が真に愛した人は、自分も心惹かれてきたドイツ人の若者でした。
オーレンの母親はオーレンがトーマスを愛していたことをうすうす気づいており、トーマスに自慢のレシピを教えたりします。母親は、オーレンが本当は男性を愛するセクシャリティを持っていたのに、それを隠して結婚し子をもうけたことに気づいていました。
しかし、オーレンの兄は、トーマスにベルリンに戻るよう命じます。
アナトがベルリンを訪れ、そっと店で働くトーマスを見つめるシーンで終わります。
よいストーリーであり、美しい画面であったのですが、いまひとつ入り込めなかったのは、トーマスがつくる「ベルリンのおいしいクッキー」のトッピングが私にはぜんぜんおいしそうにみえなかったから。ちょっと原色すぎるトッピングで、私の好みではなかった。ケーキはまあまあだったけれど。
この映画を見ていちばんグサッときたのは、コーシェルの厳しさ。ユダヤコミュニティの中にだけいて生きていく人なら何の問題もない食事規定でしょうけれど、外から見ると「めんどい」ことばかり。トーマスにオーブンを触らせてはならない、ユダヤの祈りのことばを知らないものといっしょに食事をしてはならない、など。
ユダヤの人には、非ユダヤ教徒が料理したものは汚れていて食べられない。
「神はそういうために規定を作ったんじゃないんじゃないかな」と思ったけれど、それはユダヤの人に言ってはならないこと。
信仰と宗教的慣習と民族のアイデンティティは、他の人にどうこうとは言えないもの。
最近、とてもめげる出来事がありました。ビーガンの若い人に嫌われてしまったのです。ビーガンとは、ベジタリアン(菜食主義者)の中でももっとも厳しい規定を持ち、動物性のものは、チーズも卵もはちみつもNG。「命あるものを食べない」主義者です。
ビーガンが植物性の食品だけ食べるのは、その人たちの主義だからいいと思う。でも私は「一度根を生やした土地から動くことはできないけれど、植物も命あるものなんじゃないの。動物だけ命あるものだから食べないというのは、植物の命を軽視しているんじゃないかな。ユーグレナ(ミドリムシ)は動物なの植物なの?。サンゴは?粘菌は?動物と植物の間に位置するものの命はどうなる」と、疑問点について質問したことがありました。
すると、ビーガンの人は「ビーガンを馬鹿にしている。他者の文化を笑うなんて、人類学的に間違っている」という非難のメールを送ってきました。
私は、ビーガンを馬鹿にしたつもりなどありませんでした。ただ、「動物と同じように植物にも命はあると思う」という私自身の感想を述べただけです。でも、それが「ビーガンの否定」ととらえられたのは、大きな衝撃でした。
1)私はZENbuddist曹洞宗仏教徒のはしくれですが、四つ足の肉も食べるし酒も飲む。
2)ベジタリアンもビーガンも自分の信念を貫いたらよい。でも、その信念に同意しないからといって、「私たちを馬鹿にしている」なんて思わないでほしい。私はビーガンもベジタリアンも尊重します。ただ、私自身はなんでも食べます。中国東北地方で犬の肉も食べたし、子どもの頃の給食で鯨肉もいっぱい食べました。兜虫の幼虫から揚げもイナゴの佃煮も。
コーシェルも、ユダヤの民にとっては、アイデンティティの根底にある大切な規定であることはわかります。しかし、トーマスが作ったおいしいクッキーもケーキも「汚れている」という考え方にどうしても「そうですよねぇ」と納得はできないのです。
アナトは、トーマスの作ったクッキーを否定されたことから一歩前へ向きます。ユダヤ教では「悪魔」に等しい同性愛を夫が貫こうとした、という事実。夫から「ほかに愛している人がいる」と知らされたとき、その相手を許せなかった自分自身。
しかし、夫が愛したトーマスは、アナト自身にとっても、大切な人になり、アナトは夫の決断を認めざると得なくなりました。ユダヤ教徒として同性愛が許されないなら、ユダヤ社会から出ていくしかない。夫はそう決めたのです。さて、アナトはどうする。
文化とコミュニティとアイデンティティ。むずかしいです。
3)キリスト教徒がユダヤ教徒と対立する図式にはわからない面がたくさんあったけれど、ユダヤ教徒のコミュニティの結束が固いという面の裏には「非ユダヤ教徒を絶対にうけいれようとはせず、閉じたコミュニティを開くことはない」という理由もあったのだと、いまさらながら映画から学びました。
4)イスラエルはゲイにたいして開放的で、1992年より性的指向による雇用差別を法律で禁止し、国としてもゲイの権利が守られている、ゲイ先進国のひとつ。
2006年から海外で結婚をした同性カップルはその婚姻がイスラエルでも認められるようになり、これにより異教徒同士の異性カップルや同性カップルもイスラエルで夫婦やパートナーと認めてもらうことができ、税金や年金も異性婚カップルと同じ権利がある。
ただし、イスラエルにおける結婚とは、宗教が認めた結婚をさすため、ゲイカップルなどの非宗教結婚カップルは、ユダヤコミュニティとは別の存在になる。
以上のイスラエル結婚事情を学んでも、「コーシェル」にはわからない部分が残ります。
第31回東京国際映画祭にてワールドフォーカス部門「イスラエル映画の現在 2018」で上映されて好評をはくした、ということですが、3)と4)のどちらのイスラエルの現在をあらわしていたのだろうか。
「夫の愛したケーキ職人」はよい映画と思いましたが、宗教的信念を持った人と非宗教的人間は、同じコミュニティには住めないのかなあという感想が残りました。
<つづく>