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ぽかぽか春庭「読書メモ2012年10~12月」

2012-12-26 00:00:01 | 読書・本・ログ


2012/12/26
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年10月~12月の読書

 2012年秋冬の読書メモ。
 読んだ本をメモしておこうと思うたびに、3ヶ月前に何を読んだかなどは、すっかり忘れている。毎度ながら、記憶力のなさを痛感します。おととい何を食べたのかも忘れているけれど。

 本のタイトルなど、読んだときにメモしておけばいいのだけれど、週に5ヶ所の大学へ出講する、その大学別にトートバッグを用意し、それぞれに1,2冊の文庫本やら出版社の宣伝雑誌(「図書」とか「波」とか「UP」とか)を突っ込んでおく。電車の行き帰りに読んで、読み終わると本をどこかにつっこんでしまうので、どれが読了したのやらしてないのやら、もとより整理整頓は大の苦手なので、忘れた本は、まあそれくらいの印象しか残さなかったのだろうと思って、とりあえず、目に見える範囲にころがっている本を拾い上げてメモしておきます。

 奥のほうにつっこまれてしまったものなどは、3年後くらいにひょっこり出てくるかも。去年、息子が大学卒業式総代になった記念品の時計をもらって、それを母へプレゼントしてくれたのですが、半年ほどでどこかにしまい忘れてしまい、こりゃ3年は見つからないかと思っていたら、ひょっこり出てきました。時計が見つからなくなったことを息子に隠しているうちに出てきてほっとしました。

 「部屋の中を整理しておかないとベッドまで行き着くための通路がなくなる」という気持ちにならないと、なかなか失せものは出てこない。
 思いがけず、出てくる本もある。
 『日本精神分析』は、雑誌掲載時にコピーをとって読んだだけで、単行本発行時には買わなかった。コピーなどはすぐにどこにしまったか、わからなくなる。ちょっと必要があって図書館で単行本を借りました。1行2行、引用文を確認して、読みさしたままにしておいたら、ぐちゃぐちゃの室内でどこに隠れてしまったのか。図書館から返却せよという催促が来たけれど見つからなくなって、困ってしまいました。

 図書館の規定では、貸借本を紛失した場合、同じ本を買って返すことになっています。アマゾンで注文したのが届き、図書館に持って行こうとした矢先のこと。部屋の中のぐちゃぐちゃの本のうち、娘と息子が夫からもらって読んでいる「モーニング」「ビックコミックオリジナル」という漫画週刊誌が山積みになっているのを、団地1階の不要品集積所に持っていこうと紐で縛ったら、ビッグコミックの下から『日本精神分析』が出てきました。「遅れてすみません」と図書館に返却し、かくて『日本精神分析』は私の手元に一冊残る事になりました。最初から図書館本でなく、買っておけばよかったのです。

 しかし、図書館から借りて読むという習慣を失いたくない、という気持ちもほんとう。図書館文化が根付いている、ということ、江戸の貸本ブーム以来、日本が誇る「読書文化」の源だと思うので、 
@は図書館本 ¥は定価で買った本 ・は、ほとんどBookoffの定価半額本&100円本。
 今回、☆マークはあまり意味がない。読書の趣味はそれぞれ。私は読んで面白かったけれど、趣味の異なる人様にまで勧めたいと思うほどの本がないので、ほとんどが☆みっつ。ほかにも何冊か読んだ気もしますが、タイトル思い出さない本は、読んだ本のうちにいれなうてもいいんじゃないかと思います。

<日本語・日本語言語文化関連>
・中嶋尚竹内清己(編)『概説日本文学文化』2001/05おうふう☆
・宮腰賢『日本語の難問』2011宝島新書☆☆
 
<評論・エッセイ、その他>
・米原万里『ガセネッタシモネッタ』2006文春文庫☆☆☆
・杉本苑子『片方の耳飾り』1983中公文庫☆☆☆
・森茉莉『私の美の世界』1984/2007新潮文庫☆☆☆
・柄谷行人『日本精神分析』2002/2007文藝春秋☆☆☆
・インゴ・F・ヴァルター『ポール・ゴーガン』2001タッシェンジャパン☆☆☆
・柴田トヨ『くじけないで』2010 飛鳥新社☆☆☆☆


<小説・戯曲・ノンフィクション>
・吉田修一『悪人 上下』2010朝日文庫☆☆☆
・李相日・吉田修一『悪人シナリオ版』2010朝日文庫☆☆☆
@大岡昇平『武蔵野夫人』1953/1999新潮文庫☆☆☆
・椎名麟三『永遠なる序章』1970日本文学全集56筑摩書房☆☆☆
・野上弥生子『海神丸』1929/1992岩波文庫☆☆☆
・井伏鱒二『珍品堂主人』1977/81中公文庫☆☆☆
・井上ひさし『頭痛肩こり樋口一葉』1999集英社☆☆☆
・司馬遼太郎『妖怪』2007講談社文庫☆☆☆
・村上春樹『アフターダーク』2004講談社☆☆☆
・西村賢太『落ちぶれて袖に涙の降りかかる』2010新潮11月号☆☆☆

 ほとんどの本に☆三つつけた中、たったひとつ「趣味が何であろうと読んだら好きになる本」すなわち「万人向け」だろうとオススメするのは、柴田トヨさんの『くじけないで』一冊。今さらお勧めしなくても、たいていの人はもうすでに読んでいるんだけれどね。160万部出ているので。

 やさしい言葉で綴られた90歳から始めた詩が並んでいます。 3・11で悲しみにあった人々をもなぐさめ勇気を与える言葉になった、というのもうなずけます。1911年生まれ。2012年は101歳。いつまでも輝く感性で詩を作り続けてほしいです
 
 著者が精魂込めた研究結果を世に問う専門書は、千冊程度しか売れないので、印税を納めないと著者に悪いから一冊5千円ときには1万円する場合でも新刊書を買います。古本屋に出ることは少ないし。
 息子から「2012年の誕生日プレゼント兼クリスマスプレゼント」としておねだりされているのは、吉川弘文館発行、奥野高広『織田信長文書の研究』上下巻+補遺・索引の3巻。修士論文を書くために図書館から借りてやりくりしたけれど、この先、博士論文を書くには手元に置きたいというのです。でも、3巻合計で52,500円なので、まだ買えていません。

 どの本を単行本定価で買うか、どの本を文庫になってから買うか、どの本を古本屋に並ぶまで待つか、それぞれの見極めをしながら、本を読む楽しみは、自分が読んで楽しむだけでなく、他の人の感想ブログを読んだり、ああ、こういう本があったのかと気づかされたりするのも楽しみのひとつ。私の「ネット読書サークル」と、勝手に思っている仲間は少数ですが、私の気づかなかった本のタイトルを教えてもらうことができてうれしく思っています。ナタリーさん、ホークさん、いつもありがとう。

 私の読書リスト、並べてみると系統やら傾向というものがなくて、雑駁な読み散らしですが、もし、あなたのお好みにかないそうな本が一冊でもお目にとまれば幸いです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「劉抗・チョプスイ-シンガポールの日本兵たち」

2012-10-07 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/10/07
ぽかぽか春庭ブックスタンド>夏の読書(3)劉抗「チョプスイ-シンガポールの日本兵たち」

 夏の読書の中から一冊紹介。
 図書館や本屋にはおいてない本だと思うし、偶然見かけて手に取るということもないと思うので、紹介しておきたいのです。

中原道子『チョプスイ-シンガポールの日本兵たち』1990めこん
 シンガポールを占領した日本兵の姿のスケッチ36枚に、中原の解説がついた本です。



 翻訳と解説を手がけている中原道子は、アジア史家。早稲田大学名誉教授。VAWW-NETジャパンの副代表。埋もれたアジア戦史を掘り起こす中、劉抗(リュウ・カン)が1949年に出版した『チョプスイ-シンガポールの日本兵たち』を見つけました。劉抗は、現代シンガポールを代表する画家のひとりでした。 

 初版は1949年、シンガポールでの出版。英語版初版を手に入れた中原道子が劉抗に連絡を取り、1990年に日本語版の出版にこぎつけました。

 劉抗は、1911年生まれ。華僑の両親と共に旧英領マラヤに移住。上海で美術大学を卒業した後、パリ留学。サロン・ドートンヌ入選を果たして22歳で上海美術専科学校教授に就任。結婚後マラヤに戻るも、日本のシンガポール侵略のため、コーヒー屋経営、靴屋店員などで身を隠す。知識人階級は逮捕連行される恐れがあったからです。
 戦後はシンガポールの代表的な画家として活躍。

 サロン・ドートンヌにも入選した戦前の劉抗の絵がどんなものであったか、福岡アジア美術館で展示された絵を紹介します。下の一枚は、マチスに印象が似ているように思います。黄と赤のバランスがとても美しい。22歳のときの作品ですが、若々しい感受性にあふれています。

 劉抗「スリッパ」1930


 劉抗は、シンガポールの日本占領下で、友人一家は皆殺しにあい、同胞が次々と連行虐殺されるなか、自身も日本軍に逮捕連行されます。しかし、とっさに司令官の似顔絵を描いて贈り、肖像画を描くという約束によって生き延びるなど、ぎりぎりの中で日本軍の行動を見つめました。

 戦後、描き貯めた「日本兵士」の姿を3巻の画集として、1949年に出版しました。しかし、戦後のもののない時代なので、原本は失われ、中原が手に入れた英語版を含め、残部はごくわずかだったそうです。

 チョプスイとは、漢字で書くと「雑炊」。野菜や肉をこまかくきざんだ雑炊を、シンガポール華僑の中国語(客家語ハッカご)で発音すると、チョプスイ。
 戦時中に見たことを、整理整頓せずに、見たままをごたまぜに描きとったことなので、チョプスイ、というタイトルにしたのだそうです。

 36枚のスケッチの中には、No.8「もう一つの拷問」と題された絵があります。逮捕した人を大きな釜に裸にして入れ、熱湯にする。気を失ったら釜から出して水をかけて蘇生させ、また釜に入れる。兵士は、黙々と薪をくべています。命じられたら、それは天皇の命令ですから、釜の中の人が泣こうが叫ぼうが、兵士の役目は薪を燃やし続けることです。

 表紙に採用された絵は、No.6「人間サテ」
 「サテ」は、シンガポールの代表的な食べ物で、肉を串にさして焼いたものです。道ばたにコンロをおき、鳥や豚、牛肉を串にさして焼いて食べる庶民的な食べ物。

 画集は、右ページにスケッチ、左ページにある解説というページ構成です。左に描かれた劉抗の説明によると。
 「日本人は信じられないようなやり方で車の運転をした。ある日、軍用トラックが鋭く尖った鉄の棒を積んで走っていた。運転手は日本人であった。クアラ・ルンプールの最も混雑した通りのある角を曲がった。鋭い棒が通行人を突き刺した。まるでサテのように

 トラックのわきに突き出ている棒に、刺さった人の姿。1945年のスケッチです。


 シンガポールの占領中、日本軍が行った華僑虐殺は、日本軍側の記録によって氏名住所が記録されたものだけで、8,000名。大半は、記録もなされずにいきなり連行され、銃殺、絞殺、銃剣でのつきさしなど、あらゆる手段で虐殺し、華僑側発表の「行方不明者」の数は8万人。ここで、8千人と8万人では10倍の違いがあるじゃないか、この数はでたらめにちがいない、などと水掛け論をして何の意味があるのでしょうか。残された家族や友人には、「あの人が突然連れ去られて帰ってこなかった」という記憶が、戦後70年続いている、ということです。

 普通に暮らしていた人々が、ある日突然、「スパイの嫌疑」「日本軍に協力的でない」などの理由で逮捕されました。金品を要求する兵士に、お金の供出をしぶった、というだけで「日本軍に協力的でなく、スパイ」とされたのです。

 私が語彙論を教えていただいた先生は、昭南と名付けられたことを、「どうも、アジアの人と話すときは、困る」と言っていました。「自分が占領者を代表してしまうみたいで、居心地が悪い」シンガポールを日本軍が占領したあと、この地は昭南島と呼ばれていたのです。

 シンガポールが、かって昭南島と呼ばれていたことを知る人も少なくなりました。現在のシンガポールは、旅行者に人気のスポットで、毎年夏休みに訪れる人も数多い。シンガポールはアジアの中でも、日本人に友好的な国とされています。

 シンガポールの対日教育では、70年前の占領時代については「許そう、しかし忘れるな」という扱いをされています。しかし、私たち自身、許されていることに安住せず、「忘れるな」の部分を常に問い続けなければ、許される資格はありません。
 歴史の事実は事実として見つめていかなければならないのです。
 山本美香さんが、現代紛争地の真実を伝えようと命をかけたことと、過去の真実を掘り起こそうとすること、同じ精神だと思います。

 領土問題で日本中国韓国の関係が揺れています。
 中国の反日デモの多くは、「自国政府への反対デモや民主化運動などしたら、逮捕されてしまう」という国内事情によること、反日デモが一般大衆の不満のはけ口となっていること、などが再三報道もされて、そういう中国の事情を知る日本人も多くなりました。中国の反日デモに触発されたネット分子が「中国人を殺せ」などという書き込みをし、それが中国側にも報道されて、さらなる憎悪を招いた、というニュースもありました。冷静さを欠くあおりは、双方にとってなんの益もありません。

 冷静に歴史の事実を学び、未来への礎としなくてはならないと思います。
 中国はアメリカの新聞に意見広告を出したり、国連で演説をする、また政府の白書を9月26日に発表し、領土領有を主張するなど、強い態度に出ています。私が思い起こす歴史的なできごと。1950年代、毛沢東が大躍進政策に失敗し、中国全土に何千万人も餓死者が出たとき、毛沢東が行ったのは、台湾との紛争に国民の目を向けさせるための金門島砲撃でした。
 中国の政権交代が進み、習近平政権への移行が図られているおりの領土問題。なんだか、歴史を繰り返しているように思うのは、私が古い人間だからでしょうか。
 冷静に歴史を学んでいきたいです。

 「チョプスイ」は、アマゾン注文でも買えます。新本1890円 中古399~1004円。 
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「黄泉の犬・読書感想ひとくちメモ」

2012-10-06 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/10/06
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年7月~9月読書(3)黄泉の犬・読書感想ひとくちメモ

 夏休み読書、感想メモつづき。
 『黄泉の犬』を読んだあと、本好きのホークさんへのコメント返信に書いた文を再録します。
~~~~~~~~~~~
 2012-09-10 09:17:46
旅のスタイルは人それぞれだし、私は旅行社のお膳立てにそっくり乗ってしまうパック旅行だってそれなりに楽しめればいい、と、今では考えています。

昨年2011年には、旅行社のバスパックツアーにお一人様で参加し、「家族も友達もいない、かわいそうな人」という目で見られながら、黒部ダムを見て来ました。
旅してみれば、パック旅行でも定番観光でも、自分なりの楽しみ方が見つけられるし、それでいいと思うのです。

しかし、これまでの来し方を思うと、なかなかそういう旅を旅として受け入れられない自分がいました。

私たちは、旅のスタイルとして、決定的に小田実の「なんでも見てやろう」と藤原新也の「印度放浪」の影響を受けて育った世代です。小田実は少し前の世代にあたりますが、藤原新也は、ちょっと兄貴というくらいの、ほぼ同世代として、団塊世代には大きな存在でした。

単行本『印度放浪』が出た1972年、学生の私には当然単行本を買うお金がなく、図書館で借りたのだと思います。
今、文庫棚で確かめたら、私が持っていた文庫本は1984年初版の朝日文庫第3版で1986年発行のものでした。

1979年の夏、ケニアに出かけたときは、当然「印度放浪スタイル」の旅をするつもりで意気込んで出かけました。藤原の「西蔵放浪」も出版されていました。
サハラ砂漠南端にあたるケニア北部の沙漠地帯で、ヌーやらシマウマの死骸をあさるハゲコウの姿も見ましたが、とても「ヒトの死骸をあさる犬」には及ばない。

凡人の旅はただ「楽しかった」でいいとは思うのですが、私のケニア滞在1年間も楽しくすごしただけで終わりました。それでも、ケニア体験を何かしらの形でまとめたいなあと思っているうち「全東洋街道」(1981年)が出て、もう完全に私は「私如きのヤワな旅を記録することもない」という気になりました。

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という、私たちの世代にとっては衝撃的だったキャプションと、印度の川で流されてきて引っかかった死体を食いあさる犬の写真。
これを 超える写真とキャプションがないなら、ものを書く価値などない、という気になった。

このごろ、ケニアですごしたあのゆったり時間が流れた日々をなつかしく思い出すのは、要するに私が年取ったということです。
今では、あの日々を記録しておくのも、それはそれで意味があるのではないかと思うようになりました。しょうもない青春のしょうもない1ページ。私がいて、私同様しょうもない夫がいたケニアの日々。

で、ケニアで出会った男と結婚して娘むすこをシングルハンドで育てる一生になり、いまだにパラサイトの娘むすこを食わせるために働く毎日となったっていうお粗末な一代記。

ようやく、定番観光やら小市民向け格安パックツアーだのに抵抗がなくなった。「印度放浪」の旅スタイルの呪縛から抜け出すのに、40年かかった、ということです。

きのう、藤原新也の『黄泉の犬』を読み終わったところなので、しばらく遠ざかっていた藤原新也を久しぶりに読みおえて、私たち、ほんとに影響されまくりだったなあと、振り返っていたところです。
~~~~~~~~~~~

 「黄泉の犬」は、2009年発行の文春文庫。1995~1996年「プレイボーイ」連載の「世紀末大航海」を改稿した2006年単行本の文庫化。それが100円本になったので、ようやく買って読んだ。なにも、100円になるまで3年またずに文庫化時点で読んだらいいじゃないか、と思うものの、仕事で直接使う以外の本は、定価で買えない習性が身についてしまって。

 『黄泉の犬』は、『印度放浪』から34年して書かれた「インド紀行完結編」というキャプションがついている。しかし、読者の関心の大きな部分を占めるのは、「世紀末大航海」が連載途中で唐突に連載中止となった「オーム真理教」カンケーの軋轢とはどんなことだったのか、という週刊誌的ゴシップ感覚によるものも含まれていたと思う。
 って、私がゴシップ好きというだけか。

 連載中止の理由は、松本智津夫死刑囚(麻原彰晃)の長兄松本満弘と面談したことを掲載しようとした際、当初は雑誌掲載OKを出していた長兄から「掲載するな」という連絡を受けたため、と藤原は述べている。

 書くことにしていた内容は、この長兄が「水俣病患者として松本満弘と智津夫のふたりの名で申請を出したが、受け付けられなかった」ということ。その後の事実確認は、藤原自身では行っていない。事実関係の確認はないまま、この長兄の死によって、掲載反対者がいなくなった、として「松本智津夫水俣病罹患説」を含む内容が単行本収録となった。

 執筆の経緯はぬきにして、この「長兄の語る松本智津夫、水俣病罹患説」は、滝本太郎弁護士、現在は民主党議員となっている有田芳生らが批判をしている。
 「松本長兄が水俣病患者申請をした」ということについて、患者申請者の一覧に松本智津夫の名を確かめる事実関係の有無を確認することがほんとうに出来なかったのか、知りたい。「患者申請者の閲覧は、個人情報を守る」という役所の観点から難しいとは思うけれど。
 
 藤原は、水俣病患者申請が受け付けられなかったための、松本の国家へのルサンチマン」が皇居襲撃計画にまでつづく、と書く藤原の論があげる理由として「長兄から聞いた話」だけでは、たしかに論拠にならない。

 あとがきに、「松本満弘からの掲載不許可」を受けて「世紀末大航海」の連載そのものをやめてしまったことについて、自分が高校生のとき実家の旅館が倒産し、「世間の日陰者」として生活したことと、松本智津夫の兄弟であったために世間をはばかっていきるしかなくなった「犯罪者の家族」を重ね合わせて「記事差し止め」を決めた、と書いているが、2006年の単行本発行時点で、松本満弘本人は亡くなっていただろうけれど、他の多くの兄弟(松本智津夫は、6男3女の9人兄弟の四男)はまだ生きているので、この言い訳を聞くと、他の兄弟についてはどうでもよかったのか、というイジワルな感想も出てくる。

 「印度放浪」の34年目完結編という主旨の後半。自分の「旅」も自由な放浪でありたいと思ってアフリカへの旅に出た者のひとりとしては、30余年を隔てて感慨深く読みました。「高齢者放浪」を老後の生活にしたいと思っている身には「旅行社ツアーもいいけれど、放浪もねっ」という気になる。
 リュック背負って、ヒッチハイクを続け、のみシラミがつきものの安ベッドに泊まる旅を続ける体力をつけるほうが先決だけどね。

<つづく>
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ぽかぽか春庭ブックスタンド「新しい左翼入門&司馬遼太郎・読書感想ひとくちメモ」

2012-10-04 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/10/04
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年7月~9月読書(2)新しい左翼入門&司馬遼太郎・読書感想ひとくちメモ

 夏休み読書、感想メモ。

・松尾匡『新しい左翼入門-相克の運動史は超えられるか』
 左翼運動史を、明治の幸徳秋水あたりから現代までまとめ、問題点を取り出していく手際がよく、とてもわかりやすい。
 サヨクは、なぜ失敗を重ねてきたのか、この失敗を繰り返すこともないから、なぜ失敗したのかという失敗史を書いておく、という主旨に賛同。われわれは、失敗を重ねてきた。そして失敗から学んでいない。

・佐高信『司馬遼太郎と藤沢周平』
 佐高が、「司馬は嫌い」と、文句つけ放題。
 佐高が嫌いな無能経営者や無能政治家のほとんどが愛読書として『龍馬が行く』とか『坂の上の雲』をあげることに憤激し、これらの無能リーダーたちが私利私欲に走っているにもかかわらず、自分たちは「お国のために」何かやっているつもりになっているのは、司馬の小説を読んで、自分たちを正当化し、免罪符を与えられた気になったからではないか。司馬の小説こそが毒だったのではないか、とぶち上げています。晩年のエッセイ『この国のかたち』で書いていることは、ことごとく自分が小説で書いたことを否定しているじゃないか、と噛みついています。

 私は、司馬を読み始めたのが『この国のかたち』からだったし、短編以外には小説をほとんど読んでいないので、佐高の激高ぶりには与しないで「傍目」でこの本を読みました。佐高が同郷の藤沢周平をひいきするのはいいとして、「無能なリーダー」たちのバイブルになってしまったからといって、司馬をこき下ろすこともないんじゃないかしら。
司馬が松下幸之助と対談したことも、佐高は気に入らず、「松下なんかを高く評価する司馬は、それだけの小さい人間」と、怒りまくる。

 司馬は、自分の小説が誤読される恐れがあることを十分に知っていたと思う。だから、生きている間は『坂の上の雲』の映像化を許可しなかった。文章から映像になった場合、表層しか描かれず、この小説が「若い明治期の日本が、坂の上の雲を見つめてどこまでも歩いて行く」というように受け取られ、明治国家肯定、少なくとも日露戦争までの歩みの肯定と受け取られてしまいかねないことを懸念していました。

 司馬の死後、ようやく著作権者が映像化を許可。NHKが足かけ3年でドラマ化したのを見ると、司馬の懸念は見事に当たっていて、このテレビドラマを見た限りでは、日清日露までの明治は、ひたすら明るく元気で、「坂の上をめざして若者達が意気揚々と登っていく」、かのようになっていました。

 「司馬史観」への評価は一面だけでは語れないのではないかと思います。司馬の対談集『土地と日本人』のあとがき(1976執筆)などで、司馬は、「土地は公有にすべきだ」と述べており、それらも含めて評価したい。
 
・町田宗鳳『異端力-規格外の人物が時代をひらく』
 8/16「ヒマワリ映画」のコメント欄に書いた感想から。
「私の好きな宗教家のひとりである町田宗鳳は、座禅会を続けていて、宗派をこえた祈りのことばとして「ありがとう」を唱える、「風の会」という集会を行っています。
 何を思って黙祷したらわからいないという人がいたら、何はともあれ、いまある自分の命がたくさんの人々によって支えられてきたことに感謝して「ありがとう、ありがとう」と百万遍唱えたらいいんじゃないかというのが、町田の「ありがとう念仏」

 南無阿弥陀仏、でもなく、南無妙法蓮華経でもなく、般若はらみった~でもなく、「ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、、、」と唱えよと言う主張、いいと思います。同じ一つのことばを唱えて無心になると、脳波がα波になって心身リラックスでき、免疫力なども強くなることは、近年の脳の研究最前線でも証明されてきました。お念仏を唱えて声をだすこと、脳をリラックスさせるのは、「笑う門には福きたる」と同じくらい、疫学的根拠があったんですね。
 ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、、、、

<つづく>
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ぽかぽか春庭ブックスタンド2012年7月~9月

2012-10-03 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/10/03
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年7月~9月の読書(1)読書メモ

 アフガン、イラン、イラク、ウガンダなどの紛争地帯の真実を伝えるために、現地に赴き、市民の声、現場の叫びを伝えてきたジャーナリスト山本美香さん(1967-2012)が、アレッポでシリア内戦取材中に反政府軍と政府軍の戦闘で銃撃を受け、亡くなりました。

 地元の大学を卒業後、CS放送局のビデオ撮影とナレーションを担当して実力をつけ、2003年度の新聞記者協会ボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞しています。戦場ジャーナリストとして国際的に活躍していた記者でした。

 どうして、そんな危ないところに、と思う人もいるだろうけれど、現場から人々の声を伝え、事実を事実として報道することを使命としていた人に、「危ないところに行くな」と言うことはできません。ことに、イスラム圏では女性に対する取材は男性にはむずかしく、山本さんは、老人子どもや女性などの弱者に襲いかかる戦争についての取材を使命としていました。

 山本さんは防弾チョッキを身につけた上で、内戦の街を歩き、突然戦闘に巻き込まれたのです。至近距離からの銃弾は、防弾チョッキを突き抜けてしまいました。アサド軍の兵士が女性を狙って撃ったとしか思えない映像が残されています。反政府軍と行動を共にしていた女性ジャーナリストを狙って撃った殺人、卑怯です。
 
 有能な女性の悲しい最期でしたけれど、真実を報道する道が閉ざされないように願っています。
 (都留文科大学で1年後輩にあたる上杉隆の追悼文がよかった)

 テレビでのビデオ報道では、山本さんの報道だと気づかないまま、これまでも彼女が伝えた紛争地帯からのリポートを見てきました。「事実を伝えることで世界が変わる」と信じて報道してきた彼女へのせめてもの供養と思って、今まで読んだことなかった山本さんの著作、読みたいと思います。
・『中継されなかったバグダッド 唯一の日本人女性記者現地ルポ イラク戦争の真実』小学館、2003年
・『ぼくの村は戦場だった』マガジンハウス、2006年
・『戦争を取材する〜子どもたちは何を体験したのか』講談社、2011年
~~~~~~~~~~~~~~

 2012年7~9月の読書メモ(再読、再再読を含む)
 夏中ぐうたらとしていたので、あまりたくさんは読めませんが、有意義なものが多かったです。夏くらいは小説をたくさん読みたいとは思うのですが、小説を読み出すと一気よみしないと気がすまないので、なかなか手が出せず、短編集のみ。

読んだ順番は、順不同にて。
@は図書館本 ¥は定価で買った本 ・は、ほとんどBookoffの100円本、定価の半額本。
☆☆☆☆☆これを読まずに死ぬのは惜しい!あなたも絶対読むべきだ 
☆☆☆☆いい本です。あなたの趣味がどうあれ、お勧め  
☆☆☆私は読んでよかったけど、あなたの趣味は知らんので。 
☆☆お暇なときのお供にどうぞ 
☆他に読む本ないとき、読んで損はない 
無☆読まなくとも人生、大過なく生きてける

<日本語・日本語言語文化関連>
@沖森卓也(編)『語と語彙』2012朝倉書店☆☆☆
・子安宣邦(編)『国家(自己)像の形成-江戸の思想4』1996ぺりかん社☆☆☆
・安達史人『日本文化論の方法-異人と日本文学』2002右文書院☆☆
・梅原猛『日本学事始』集英社文庫☆☆
@見田宗介『宮沢賢治-存在の祭りの中へ』2012岩波書店☆☆☆☆
@妹尾堅一郎『雷文化論』2007慶應義塾大学出版会☆☆☆
 
<評論・エッセイ、その他>
@町田宗鳳『異端力-規格外の人物が時代をひらく』2012祥伝社新書☆☆☆
@松尾匡『新しい左翼入門-相克の運動史は超えられるか』2012講談社現代新書☆☆☆
@ライト裕子『英国王7人が名画に秘めた物語-ロイヤルコレクション500年の歴史』2012小学館ビジュアル新書☆☆☆
¥中原道子『チョプスイ-シンガポールの日本兵たち』1990めこん☆☆☆☆
・和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』1996岩波文庫☆☆☆
・佐高信『司馬遼太郎と藤沢周平』2002光文社文庫☆☆☆
・司馬遼太郎『土地と日本人』1986中公文庫☆☆☆
・司馬遼太郎陳舜臣金達寿『歴史の交差点にて』1991講談社文庫☆☆☆
・藤原新也『黄泉の犬』2009文春文庫☆☆☆☆
・高倉健『旅の途中で』2006新潮文庫☆☆☆

<小説・戯曲・ノンフィクション>
・司馬遼太郎『一夜官女』1995中公文庫☆☆☆

<つづく>
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ぽかぽか春庭ブックスタンド2012年3月~6月「栞子さん」

2012-07-04 00:00:01 | 読書・本・ログ
ラトゥール「読書」

2012/07/04
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年3月~6月のブックスタンド(2)栞子さん

 私はベストセラーというのを、売れてる最中に読んだことがない。ベストセラーになる前に知って読むか、はやりが終わって100円本になってから読むってことはあるけれど。
 その、めったにない、売れているのに買ってしまった本が、文庫ベストテンのうち、4位になった三上延『ビブリア古書堂の事件手帖1、2』 (メディアワークス文庫)

 図書館への「新刊書予約受付」にちょっと出遅れてしまった。「予約者がすでに100人もいる」とレファレンス係に聞いて「あら~、そんなにいるんじゃ、借りられるのは、ずっと先になりそうですね」と言いました。そしたら、係員は「文庫本なんだから、早く読みたいなら、自分で買えば?」と、言いました。ムカっときました。確かに、文庫1冊580円、1巻2巻を同時に買っても、千円ちょっとの値段です。区の職員として年収ウン百万円を得ている「安定した公務員」から見れば、千円の本代をケチっているように見えたのは仕方がないことなのでしょう。でも、それって、区の公務員である図書館員が言うべきことば?

 図書館員のなかには、本好きもいますけれど、それはパートタイムの職員のことが多い。区の公務員が図書館に配属される職員は、定期異動でくるくる変わる。レファレンスの椅子に座っていたのは、「こんな図書館の仕事を早く卒業して、区役所の出世コースへ戻りたい」という顔をしたおっさんでした。千円の本を買うのに、今夜のオカズ代との兼ね合いを考えるオバハンは、いじましくみえたことでしょう。
 1巻2巻を買って、新刊をひとりで読むのはもったいないから、娘と息子にも「読め」と強制しました。ははは、やっぱりイジマしいな、私。
                黒田清輝「読書」

 ナンシー関は、没後10年。39歳での死は、なんとしても惜しかった。ほとんどのコラム集は読んできたけれど、没後の編集というのもあるので、ブックオフなどで、目についたら、買う。私は百円本しか買わないけれど、娘は300円のも買ってくるので、私とは違う種類を買ってくる。「読んじゃったから、あげる」と、娘からまわってくる。それで、読んでみると、編集をちょっと違えただけのものも多い。たとえば、『何を根拠に』は、以前読んだ角川文庫の『何様のつもり』で読んだのと重なっている。しかし、2度読んでも面白い。笑える。批評コラムというのは、こういう批評精神を言うのだ、と、笑いながら思う。
浅井忠「読書」
 米原万里も早世した。おもしろさはナンシー関とは異なるけれど、笑いながら読む。幸田文の『雀の手帖』、文庫が出たのは1997年だが、初出は、1959年の新聞連載。皇太子ご成婚(現・天皇と皇后)への祝意などが書き綴られており、それこそ「三丁目の夕陽」時代の東京の雰囲気が濃い。文章のうまさは抜群だけれど、明治の語彙を露伴からたたき込まれた人の文の中に、私の知らない語を見つけるのが楽しい。
マリーローランサン「読書」

 林望は、書誌学専門家をやめてから、源氏物語の新訳を出したり、文学づいていることは知っていたけれど、小説も出していたこと知らなかった。絵画をモチーフにした作品、なかなかよかった。
                     コロー「読書」

 辺見庸の『記憶と沈黙』は、新たに「辺見庸コレクション」と再編集されたもので、ほとんどは前に読んだものだったけれど、68歳の身にいくつもの病気を抱えて、それでも書かずにはいない魂の迫力を感じる。好き!
                        フラゴナール「読書」 
 秋山豊寛『原発難民日記』、被災者の生の声。日本人で最初に宇宙を見た元ジャーナリスト、今、農民の秋山さん。めぐまれた立場にいることは承知で、原発汚染地域から逐われた農民の闘いを伝えています。

 磯貝勝太郎『司馬遼太郎の幻想ロマン』、この新書を読むと、司馬の『ペルシャの幻術師』などを読み返したくなった。書評というのは、そうあるべき。読んでいない人には、ぜひ読まなくちゃ、と思わせ、読んだ人には「もう一度読みたい」と思わせる。
ゴッホ「読書」

 雑誌掲載時には記録せず、単行本文庫本で読んだものだけを記録しておく方針だけれど、吉井磨弥『ゴルディータは食べて、寝て、働くだけ』@市川森一『バースデーカード』は、この先、単行本になるかどうかわからないから、ちょっとメモ。出稿先の講師室においてあったのを、仕事が終わってからちょこっと読んだ。
 柄谷行人『日本精神分析』も、最初に雑誌に掲載されたときコピーをとって読み、なんどか必要があって再読してきたのだけれど、単行本になってから雑誌に載っていなかった部分も含めて読んでいなかったので、今回やっと全体を読むことができた。

 この春休みから夏休み前までの読書、そうたくさんは読む時間がとれなかった。車内読書が唯一の読書タイムなのに、電車爆睡ってのが多かったから。それにしても、電車内で文庫を広げている人がまだまだいます。しかし、向かい側の座席、7人中5人はケータイでメールやネットゲーム。この前は、隣の人、アイパッドで株価をチェックしていました。私は当分、車中では電子ブックではなく、百円文庫を広げることにします。数ページ読むと寝てしまうことが多いけれど。

 夏休み中は、電車に乗らない分、読書時間が減る傾向にあるけれど、ツンドク本が山積みになっている。山高きが故に貴からず。


<おわり>
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ぽかぽか春庭ブックスタンド2012年3月~6月

2012-07-03 00:00:01 | 読書・本・ログ
黒田清輝

2012/07/03
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2012年3月~6月のブックスタンド(1)上半期ベストセラー

 7月2日の授業で、文型「~かもしれない」を導入しました。欠席者について「Aさんは、病気かもしれません。病気ではないかも知れません」という文を出席者に提示しました。真実は、どうやら、「病気ではない」というほうらしい。というのも、他のクラスでも欠席者が何人かいて、理由は「サッカーのスペインvsイタリア戦を見ていて、徹夜し、寝るのが明け方になった。結局起きられなくて、欠席」だったようです。

 まあ、留学生活、そんなに勉強勉強ばかりでなく、たまにはサッカー中継に夢中で日本語の授業を忘れる、という日もあっていいかなとは思いますが。
 私は、何かに夢中になってテレビ中継を見ていて徹夜して、翌日起きられなかった、というのは今まであまり経験してこなかった。
 眠いほうが優先で、「明日のスポーツニュースで結果を見ればいいや」と寝てしまう。
 寝床では、「入眠剤」として、「数ページも読まないうちに眠くなる本」を読むことにしています。今の入眠剤は、分厚い『日本の古代 14 ことばと文字』さて、650ページの大部、寝る前に数ページずつ読んで、いつ読み終わることでしょう。なにせ、すぐ寝られるので。


出講先の図書館の壁。ツタが北海道の形になっていて、面白かったので、ぱちり。2012年6月

 2012年度の上半期書籍売上げランキングが発表されたということを、私の「本仲間」ホークさんのブログで知りました。
 売れた本ベストテンのうち、ダイエット&美容本が5冊。買ったことないし、これからもダイエット本のお世話になることはないでしょう。読んでも実行しないから、買ってもムダ。古本屋100円本だとしても買わない。

 みんなが買って読むような本をお勧めするのはおこがましいけれど、そこは本屋さん、「いい本なのに、まだみんなは知らないから」という理由で「本屋大賞」を始めたのだろうと思ったら、少しずつそれも変わっていって、要するに「売れそうな本を選ぶ」という方向になってきたみたい。三浦しをん『舟を編む』は、小説部門の2位。
 2012年の本屋大賞『舟を編む』は、私の好きな「辞書作り」がテーマだから、昨年秋に単行本が出てすぐくらいに、ジュンク堂で半分だけ座り読みしました。それで、「この内容ならすぐに売れて、すぐに文庫化するだろうから、文庫になるまで待つ本」に決めました。まだ文庫になっていないけど。

 新書ベストテンのうち、昨年秋に買った瀧本哲史『武器としての決断思考』、さっくり読んであまりピンとこないうちにベストセラーになってしまったから、もう一度読み直すのは、ずっと後のことになるでしょう。要するに、ディベートによって思考を鍛えるってことを言いたいみたい。筆者が実践している授業でのディベート方法を、広く世に問いたいというのは、わかるけれど、大学での授業方法としてディベートのやり方をさぐってきた者にとっては、「う~ん、これだけかい」という気分が残ってしまう作り方。

 2012年1月&2月の読書メモはこちらに。
 http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/ec112708305153096b4228d948dbc1af

 2012年3~6月の読書メモ(再読、再再読を含む)
読んだ順番は、順不同にて。
@は図書館本 ¥は定価で買った本 ・は、ほとんどBookoffの100円本、定価の半額本。
☆☆☆☆☆これを読まずに死ぬのは惜しい!あなたも絶対読むべきだ 
☆☆☆☆いい本です。あなたの趣味がどうあれ、お勧め  
☆☆☆私は読んでよかったけど、あなたの趣味は知らんので。 
☆☆お暇なときのお供にどうぞ 
☆他に読む本ないとき、読んで損はない 
無☆読まなくとも人生、大過なく生きてける

<日本語・日本語言語文化関連>
¥牲川波都季『戦後日本語教育学とナショナリズム』くろしお出版2012☆☆☆
・近藤安月子『日本語学入門』研究社2008☆☆☆
・中山和芳『ミカドの外交儀礼』朝日新聞社2007☆☆☆
@中尾央・三中信宏『文化系統学への招待』勁草書房2012☆☆
@柄谷行人『日本精神分析』文藝春秋2002☆☆☆☆
@柄谷行人『近代文学の終り』インスクリプト2005☆☆☆☆
@菅聡子『時代と女と樋口一葉』NHKライブラリー1999☆☆☆

<評論・エッセイ、その他>
@辺見庸『記憶と沈黙』毎日新聞社2007☆☆☆☆
@磯貝勝太郎『司馬遼太郎の幻想ロマン』☆☆☆
・秋山豊寛『原発難民日記』岩波ブックレット2011☆☆☆
・佐々木忠次『闘うバレエ』文春文庫2009☆☆☆
・山本夏彦『完本文語文』文春文庫2003☆☆☆☆
・米原万里『旅行者の朝食』2004☆☆☆☆
・ナンシー関『何を根拠に』角川文庫2007☆☆☆☆
・ナンシー関『何をかいわんや』角川文庫2006☆☆☆☆
・幸田文『雀の手帖』新潮文庫1997☆☆☆
・開高健『人とその世界』中公文庫1990☆☆☆☆

<小説・戯曲・ノンフィクション>
・林望『小説集 絵の中の物語』集英社文庫2006☆☆☆
・三島由紀夫『サド侯爵夫人』新潮文庫1984☆☆☆
・吉井磨弥『ゴルディータは食べて、寝て、働くだけ』(2011文学界新人賞)☆☆
@市川森一『バースデーカード』1977東芝日曜劇場シナリオ「月刊ドラマ2012年5月号」☆☆
¥三上延『ビブリア古書堂の事件手帖1&2』メディアワークス2011

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ぽかぽか春庭「吉野せい&柴田トヨ、久木綾子」

2012-04-27 00:00:01 | 読書・本・ログ
2012/04/27
ぽかぽか春庭十二単日記>シニアデビュー(3)吉野せい&柴田トヨ、久木綾子

 高齢になってから花開く人、あこがれです。
 以下、紹介する女性三人の文学への道、それぞれにすばらしい。吉野せい、柴田トヨ、久木綾子。

 私が若い頃は、吉野せいが「あこがれのシニア・デビュー」の作家でした。
 吉野せい(1899- 1977)は、若い頃は小学校の教師をしながら作家をめざしていました。しかし詩人の吉野義也(三野混沌)と結婚後は、福島の原野で開墾にはげみ、夫が亡くなるまで子育てと開墾仕事に専念。1970年夫の死後、執筆を再開し、1974年『洟をたらした神』を出版。すばらしい本です。
 私は、1973年に亡くなった母を思い浮かべつつ、泣き泣き『洟をたらした神』を読みました。そして、母の残した俳句や短歌を一冊の作品集にまとめ、ようやく母の早い死の衝撃から立ち直ることができました。

 新藤兼人脚本、樫山文枝、岡田英次主演でテレビドラマ化された『洟をたらした神』は、12チャンネルから放送予定でしたが、原作になかった原発問題を脚本に取り入れたため、スポンサーからクレームがつき、オクラ入り。ついに、放映されませんでした。劇場公開版も、私は見ていません。今こそ、どこかの局で放映してほしいものです。

 2010年は、柴田トヨさんの詩集『くじけないで』が100万部を超しました。90歳を過ぎてから詩作をはじめたトヨさん、2011年には第二詩集『百歳』を出版。今年6月には101歳を迎えます。

 2012年、今年はなんといっても、久木綾子さんの小説『見残しの塔』が、シニア・デビューの話題作。
 単行本発行時には気づかず、2012年1月に文庫になってから買いました。


 久木さんは、若い頃、作家志望でした。東京の同人誌に参加して勉強していましたが、山口県の男性と結婚後、専業主婦として家庭を守ることひとすじ。1989年にご主人がなくなり、70歳すぎて文筆活動を再開しました。
 最初のテーマは、周防国五重塔縁起。山口市の瑠璃光寺の五重塔を作った人々について14年がかりで取材し構想を固め、4年かけて「文芸山口」に連載。歴史小説の大作です。2008年に単行本が出版されたとき、久木さんは89歳になっていました。

 以下は、単行本に掲載された著者紹介です。
「久木綾子。1919年、東京生まれ。東京育ち。旧制高等女学校、専門学校卒。戦時下、陸軍情報局監理下に置かれた松竹大船撮影所報道部に記者として勤務したことがある。同じ頃、三笠書房社主竹内道之助氏主宰の同人誌『霜月会』の同人となり、小説を書き始める。終戦の年、山口県人の池田正と結婚。義母は、池田くら。福井県小浜市の新田長太郎の姉。長太郎は、昭和天皇に、「新田義貞の戦略」で御前講演をしたことがある。結婚後は主婦専業。平成元年、夫に先立たれ、再び文学に戻る。 

 文庫本に付け足された経歴情報。
 1940年比叡山の里坊・理性院で後の天台座主即真周湛のもとで修行生活を一年送った後、松竹大船撮影所報道部勤務。夫死去後の1990年文学に戻る決意をし、『見残しの塔』執筆のための勉強。2008年『見残しの塔周防国五重塔縁起』2010年『禊の塔羽黒山五重塔仄聞』出版

 久木さん、70歳から文学の道に戻り、89歳で出版。なんてすばらしいシニアデビューでしょう。若い頃の文学への情熱を夫の死後とりもどした、という点では、吉野せいと同じですが、歴史小説のための取材を14年、というのはマネできそうにありません。

 『見残しの塔』、文庫になってすぐに買い、春休みに読もうと思ったのに、遊び歩く方が優先で、ツンドクのままになっています。(おでかけ先の電車読書用はどうしてもページ薄めのエッセイが多くなり、『見残しの塔』のような持ち重りのする分厚い本は後回しになるので)。夏休みにはぜひ。

山口県観光協会の写真「瑠璃光寺五重塔」


 すばらしいシニア・デビューの先達の仕事を見れば、私なぞ還暦過ぎたとはいえ、ひよっこも同然。これからです!

<つづく>
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ぽかぽか春庭「本紹介-DISCO」

2012-03-06 07:00:00 | 読書・本・ログ
2012/03/06
ぽかぽか春庭ブックスタンド>読んだ本、読みたい本(1)DISCO

 読んでよかった本の紹介ページです。
~~~~~~~~~
『DISCO』 
本文80ページ  1000円(税抜価格)
ISBN978-4-9906075-0-0
発行:co-LLaps(コラプス)

 「dis-communication/discommunicationを、一般的な英和辞典を調べても出てこないことが多い。「ディスコミュニケーション」は和製英語だからです。日本では、1988年に出版された植島啓司・伊藤俊治の共著『ディスコミュニケーション』によって一般に認知された語であるが、最初にこの語を使ったのは鶴見俊輔(1922-)だとか。(ここらへんの詳しい分析は和製英語の研究者にまかせるとして)一般には「ディスコミュニケーションは、コミュニケーションの不全や不能状態のことをさし、研究者によっては、反コミュニケーション、矛盾コミュニケーション、ゼロ度のコミュニケーションの意味を含ませる、のだそうです。

 真っ白い中にアルファベットで『DISCO VOL1』と印字されたシンプルな表紙。シンプルな全80ページの、小冊子ともいえる体裁の『DISCO』は、そのページ数からみると、ずしりと濃い内容を含んでいます。

 最初に「生きるためのテクスト」と銘打たれた5人の表現者へのインタビュー。山城むつみ、鈴木雅雄、岩本正恵、北小路隆志、磯部涼。そして杉井ギサブローと山村浩二との対談。この冊子を手にして目次を眺めただけで、ワクワクしてくるような人々が並び、これらの人たちにインタビューをし、編集作業を行ったのが、ひとりの若者であったことを知ると、若者ことばでいうところの「スゴッ!!」という感嘆が洩れます。

 編集担当者は、まえがきに言う。
 『世界をまたいで、通じないかもしれない言葉を、お互いにおずおずと差し出し会うこと。ディスコミュニケーションを成立させる場を準備すること。ささやかな足場を考える中で、誰もが関係し、興味がある共通のテーマとして-当たり前かもしれませんが-日常を「生きる」ことが浮かんできました。、、、、』

 2011年11月に発行された、志の大きなこの本を、「”生きる”ためのテクスト」として、ぜひ手にとってほしい。
 書評子が興味深く読んだ若い執筆者のテクストを紹介しましょう。張予思(ちょうよし)の「南京 東京」です。これは、私が日本語教師であり、1994、2007、2009年と3度にわたって中国の大学で日本語教育に従事した経験を持つことからの興味でもありますが、日本語を学んだ若い中国人学徒の声が、真っ白な表紙のシンプルさと響き合うように率直に表明されていることに気持ちよく読めたのです。日中の歴史問題を若者がどのように受け止め、どのようにこの先へ進んでいこうとしているのか、そのを聞くことができ、うれしく思います。

 編集を担当している「co-LLaps(コラプス)」、発行人宮田文久氏は、出版関係の仕事を続けつつ松岡ゼミに所属する院生です。
 まえがきの「生きるためのテクスト」ラストに編集子は言う。
 『夜をこえ、同じステップさえもふめずに、それでもぎくしゃくと共に踊るためのダンスフロア『DISCO』が始動します。』

 書評子は、毎週2回、ジャズダンスのレッスンに通っています。ダイエットの目的はいっこうに果たされていないけれど、心身の健康には役だっていると信じて、毎週ぎくしゃくと踊っています。さび付いた頭で振り付けが覚えられない。
 『DISCO』の始動に合わせて、さび付いた頭を生き生きとさせるために、同じステップは踏めないかも知れませんが、次回の出版『DISCO VOL2』を楽しみに待っています。

(某電子マガジンに掲載される予定の書評を先行UPしました)
☆   ☆   ☆   ☆   ☆

 踊りならなんでも踊りたがる春庭ですが、超若いころに「ゴーゴー喫茶」ってのにいったことはあるのに、ディスコ全盛時はでかけるヒマもなく、ディスコというところに行ったことがないのです。ジャズダンス仲間、ゆみさんの音頭で「ジュリアナ東京にみんなで乗り込んで、おばさんたちも負けてないとこ、見せてやろうじゃないの」ってことになったときも、疑似母子家庭で息子と娘をふたりだけで夜ほっておくことができずに、ディスコクイーンになり損ねました。

 ダンスのほうのディスコはフランス語のdiscothèque(ディスコテーク、または、ディスコテック)で、その元はマルセイユの方言で「レコード置き場」という意味なんだとか。
 和製英語、ディスコミュニケーション(「dis-communication/discommunication)も、人の交流不全、という意味にダブルミーニングとして、レコード置き場、記録倉庫という意味を含ませれば、この「無名人のブログ書き」も、「ディスコ」で踊るひとつの媒体となるにちがいない。

 踊れ! 

<つづく>
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2011年冬の読書日記2011年1月

2010-10-05 07:47:00 | 読書・本・ログ
2011/01/05
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(1)KAGEROU

 年末年始読書記録。
 早くUPしとかないとすぐに古びてしまうと思ったので、『KAGEROU』感想文を先にアゲておく。こういうとき「ナマモノ」は保存がきかないので不便だ。道綱母の『蜻蛉日記』は千年の命を保ってブンガクしているが、おそらく『KAGEROU』は、1年たてば誰も感想文など読んでくれそうにないので、今のうちに。

 ポプラ社の宣伝文句によれば、
 「第5回ポプラ社小説大賞受賞作。『KAGEROU』―儚く不確かなもの。廃墟と化したデパートの屋上遊園地のフェンス。「かげろう」のような己の人生を閉じようとする、絶望を抱えた男。そこに突如現れた不気味に冷笑する黒服の男。命の十字路で二人は、ある契約を交わす。肉体と魂を分かつものとは何か?人を人たらしめているものは何か?深い苦悩を抱え、主人公は終末の場所へと向かう。そこで、彼は一つの儚き「命」と出逢い、かつて抱いたことのない愛することの切なさを知る。水嶋ヒロの処女作、哀切かつ峻烈な「命」の物語」

 なんと言っても売れたもん勝ち。発売2日間で68万部。2週間後の年末には100万部に達したという。しかも、買い取り方式の返品なしということだから、「受賞者が俳優とはまったく知らなかった」はずの社長を蜉蝣長者と呼びたい。

 読まずに批判するのはルール違反と思うし、かといって、お金を出して蜉蝣長者ポプラ社社長をもっと富ませるのは片腹痛い。そこでhawkさん推奨の「立ち読みで1時間で読める」を信じて、12月28日に池袋へ行った帰り道、ジュンク堂で座り読み敢行。ジュンク堂、椅子があるので大好き。どうせ本買うなら椅子があって座り読みできるジュンク堂で買いますからね。何か1冊は買うから、3冊くらいは座り読みで済ませてしまっても許してね。
 『KAGEROU』
 ジュンク堂3階窓際の椅子でほんと1時間もせずに読み終わりました。従来の本作りだったら、受賞作品に受賞後第1作を合わせて一冊にするくらいの分量ですが、とにかく話題性があるうちに刊行し、たちまち100万部を売ったのは、蜉蝣長者の狙いに読者たちもマンマとはまったわけで、、、、。

 みんな、この作品を批判したくてウズウズしながら刊行を待っていた。なんとなれば、芥川賞とか他の「オスミツキ」受賞作品と異なり、いくらでもケナすことが許されそうな作品だったから。芥川賞受賞に疑問を抱かせるような作品であったとしても、老舗文春を敵に回したら、自分の首を絞める結果になるかも知れず、その点、ポプラ社は創立以来児童向けの本で稼いできて、大人向け文芸路線に転じたのここ5年ほどにすぎないので、ポプラ社に恩義ある作家も少ないし、作者は研音プロを退社したあと、大手芸能プロダクションの後ろ盾もない。大作家と弟子関係にあるわけでもない。庇護者のいないモノカキに対してならケナシ放題という日本の文学風土。

 私はイケメンのすることなら何でも許容するという太っ腹な女でして。草薙某が公園で全裸になってもたちまち許すし、押尾某の事件も「イケメンのやったことだし」と思っていたら、裁判が進むごとに容貌が衰えていく写真になってきて、もうイケメンじゃなくなったから、有罪も可。私のように顔で決める女がいるかもしれないのに、これでいいのか裁判員制度。

 総合して感想を述べるならば、作品『KAGEROU』の最も重要な作品価値は、「イケメン俳優が書いた」ということです。
 水嶋ヒロほどのカオを持たないブンガクセイネンがこれをマネして書いたところで、文学賞一次通過はおぼつかないので、マネしようなんて気は起こさないこと。マネするなら、サッカーで全国大会出場とか、仮面ライダーオーディションに合格するのを目指した方がまだ可能性がある。

 以下、年末年始読書記録シリーズ1~10のうち、1~4をKAGEROUにあてるというのも、いささか時流に乗ってのことですが、結論を先にだしておけば、話題性「☆☆☆☆☆」、ストーリー展開「☆☆」、文体、レトリック「☆」。話のタネに読むのはよいが、文学性を求めて読めばがっかりする。つまり、「旬の話題に乗り遅れないために読む」というのが正しいKAGEROU消費法です。

(評価基準「☆☆☆☆☆」を「一食分抜いてもこの本を購入する費用に充てるべし。この本が本棚にある人と友達になりたい」、「☆☆☆☆」よい本です。文庫になったら是非読みましょう。「☆☆☆」百円本コーナーにあったら、または図書館で見かけたら読むのもよし、読んで損はない。「☆☆」ご用とお急ぎでない方は、時間があるときに読むのも可。「☆」何か必要があるなら、読んでみればいいさ。というところです。

<つづく>
07:22 コメント(1) ページのトップへ
2011年01月06日


ぽかぽか春庭「イケメンブンガク」
2011/01/06
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(2)イケメンブンガク

 容貌の衰えが顕著な、「MADA俳優」に対して、ミリオンセラー新進作家のほうは、俳優業ホサレ中といえども病弱妻にやさしくお仕えする「メイちゃんの執事」のごとき献身ぶりは、バトラー募集中女子の心を捉えて離さず。
 なにしろヒロ様は、帰国子女にして高校ではサッカーレギュラー選手として第81回全国大会準決勝進出、KO大学在学中にモデルのバイトを始めるとたちまち俳優としても仮面ライダーカブトに抜擢される。恋人が病気治療のため歌手活動を中断するとなるとさっと結婚する。もう、100%イケメン王道行くような経歴。

 作家斎藤智祐先生の悪口を並べるサイトの投稿者なんか、「美しく生まれつかなかったオトコどもの醜い嫉妬吐き競争」にしか見えないのでうっかり悪口も言えないところだが、女子に生まれて良かった点は、「女は、作家のカオでブンガクを読むのである、それがナ~ニカ」と開き直れるところ。

 私が水嶋ヒロ見たのはカブトからじゃなくて2008年の『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』からだったが。あのドラマは中身何にもないお話ですが、ぴちぴちのイケメンがわんさか出ていて、目の保養によろしかったです。おっと、脱線した。イケメンドラマではなく、イケメンブンガクについて述べているのだった。

 立ち読みでも1時間かからずに読めるし、読んでムダになることもないので、「時間の無駄遣いだから読まずともよい」と言う気はない。イケメンのすることにムダはないっっ。

 イケメン作家といえば、なにしろこれまでは島田雅彦が席捲してきた文壇。芥川賞落選つづきで、アンチ文学賞を標榜していたマサヒコ様が2010年下半期より芥川賞選考委員となって、御年も来春には50歳となるのですから、もはや大御所。大ツァーリとして君臨するとして、イケメン作家業界プリンスには27歳のヒロ様を迎えて、業界一新してほしい。顔で読む読者は、2011年も楽しみです。

 『KAGEROU』、ストーリーはまあ、イージーリスニング・ミュージックというのがあるなら、イージーリーディング・ブンガクとでも言おうか。ライトノベルとはまた違う分野で。以下、ネタバレを含む。まだ読んでいない方は、ストーリーが予測される部分を含む感想文ですので、お気をつけください。ただし、ストーリー展開にどきどきしながら読む本でもないので、ネタバレしたからといって作品の価値を上げも下げもしないことは確実である。

 ドナーを登場させてはいるが、この作者は、『私を離さないでNever Let Me Go』や『私の中のあなたMy Sister's Keeper』などの、作品を読んだことがあるのかないのか。読んだあとにこの作品を上梓したのなら、たぶん、作家としての感性はゼロだろうと思う。読んでいないなら、私が作家を育てようとする担当編集者なら、「同じようなキーワード検索でヒットする先行作品はひとわたり読んでみておいたほうがいいよ」と言ってあげるね。

 先行作品などまったく気にせずに一気に処女作を書き上げる天才もいないことはないが、たいていのモノカキは百年に一度出現する天才とは別種の人間である。この天才は、映画で言うならアイルランドの谷あいに百年に一日だけ現われるという伝説の村ブリガドーンみたいなものですから、出会えるのはジーン・ケリーくらいのもので、一般人には出会うさえ難しい。出会える編集者は幸運だ。

 原爆をテーマに小説書くなら『黒い雨』は読んでおいた方がいいし、核実験被害をテーマにシナリオ書くなら『第五福竜丸』くらいは見ておくべきだ。ドナーを主人公にして書くなら、それなりの作品を読んでおいたほうがいいようには思うけれど、私が社命に忠実な担当編集者だったら、社運をかけて、「君は天才だから他の本など読まなくても大丈夫さ」くらい言うかも知れない。何しろ年末ボーナスがでるかでないか、一刻も早く売り出さねばならない。
 「生きていくことの切実さや人間存在の本質」を考える本物の作品を読まなくても書ける天才は百年にひとりなのだから、「哀切かつ峻烈な「命」の物語」を書きたいなら、まず読むところから始めるほうがいいのだけれど。

<つづく>
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2011年01月07日


ぽかぽか春庭「ドナーブンガク」
2011/01/07 
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(3)ドナーブンガク

 『KAGEROU』、日本語作品としてどうかと言われたら、確かにいろいろ欠点はほじくり返せるだろうけれど、日本語についてのどうのこうのは第二作を読んでから言います。
 全日本ドナーレシピエント協会の略称が「全ド協」というところが一番よかった。「ゼンドキョー」という音の響きが、臓器移植にまつわるモロモロのうさんくささをうまく言い表している気がする。

 きのう、2011年1月6日のテレビニュースで、中国で腎臓手術を受けるために1000万円を支払った男性(62)が,民間団体「海外医療臓器移植支援ボランティアセンター(OMTAC=オムタック)」(昨年6月に海外医療情報相談センターに改称)の元代表(67)と、息子の元幹部(34)を詐欺で訴え、警察は大阪府岬町の旧本部や和歌山市内の元代表自宅などの捜索を始めた、と報じていた。臓器移植斡旋団体には、なにやらあやしげなのが多い。国際的に禁止されている臓器売買だが、実は裏ビジネスとしてかなりおおっぴらに金儲けのタネになっているのだ。

 「ゼンドキョー」という音の響き以外で、文中のギャグで笑えたものはなかった。斎藤智裕先生のオヤジギャグについては、東京MXテレビで放映されている「5時に夢中!」2010/12/16で岩井志麻子と中瀬ゆかりが「全編に散りばめられているオヤジギャグ、編集者は社運を賭けて100コくらいあったダジャレを10コくらいまで減らしたのだろう」と言っていたが、いくつ減らしたのかは定かでない。
 笑おうにも笑えないギャグを、主人公の「どうにもショーモナイ」キャラとして提出しているらしいのだけれど。

 最後に「レポート」を付け加えたのはいいと思うけれど、その直前のラストシーンはない方がよかった。このラストシーン、おいおい、これじゃ脳だけは自分のものである仮面ライダーだよ。そうか、ヒロ君は仮面ライダーカブトだもんな、、、、。
 というような不満点は置いといて、いろんな人の読後感で一番納得できたのは、ヒロインの病弱美少女アカネは妻の絢香そのものだという岩井志麻子の談話。

 文学賞メッタ切りの豊崎由美は、「他の文学賞であるなら、一次通過作止まりの作品。人物造形も比喩もケータイ小説よりはマシな程度」と酷評している。
 斎藤智裕が今後も作家として書き続ける気があるのなら、第2作第3作を待ってから評価したい。自作の映画化で主演して俳優業復帰、というラインであるなら、KAGEROU一作でもってブンガクがどうこうと騒ぐこともない。

 私のKAGEROUへの興味は、カズオイシグロの『私を離さないで』とテレビドラマ『流れ星』とのつながりで、臓器移植にありました。
 読む前からレビューがどっと溢れて、臓器移植がストーリーの要であることはわかっていたのですが、ドナー側の哀しみと生の尊厳というなら『私を離さないで』の完成度とは比べようもないし、ドナーとレシピエント関係者の間に生まれる感情の揺らぎにかんするなら『流れ星』の「純愛」ドラマのほうがわかりやすい。

 自殺しようとする者は、ビル飛び降りだとか電車飛び込みしたんじゃ、死体ぐちゃぐちゃになっちゃって、せっかくの高価な臓器がムダになるでしょ、ドーセ死ぬんなら、臓器を人様のために役立てちゃあどうかね、というのは、『流れ星』も『KAGEROU』も出だしはいっしょ。

 年間3万人の自殺者という数字を見て、世のレシピエント達が「ああ、もったいない、どうせ死ぬんなら、その臓器を私にください」と思っているのは本当だろうと思う。そう思って検索してみたら、たちまち以下のサイトがヒットした。自殺したい人に安楽死を約束するかわり、その臓器を提供してもらいたい、という運動をしている人のサイト。
http://www.honshitsu.org/manifesto.html

 2010年(平成22年)7月の第22回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から佐野党首が立候補し、3,662票、24人の立候補者中21位で落選。佐野秀光は自分自身が「小児糖尿病による合併症」による臓器移植希望者なのだそうで、「オランダのように、国家が安楽死を認めるべき。安楽死後は臓器を移植希望者に提供させる」「医療は国家事業、医師は全員公務員にすべき」などを主張してます。自分が臓器移植したいから「安楽死と臓器提供」を訴えるというのは、なんてそのものズバリの人でしょう。差し迫っているのですね。「KAGEROU」が映画化されるなら「全ド協」の協会理事長役に推薦したいくらいのうさんくささが立ち上る風貌の政見放送をつい見てしまった。

<つづく>
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2011年01月08日


ぽかぽか春庭「ドナードラマ」
2011/01/08
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(4)ドナードラマ

 『流れ星』は、フジテレビヤングシナリオ大賞の佳作入選『クラゲマリッジ』を原案として、受賞者臼田素子を月9ライターに起用したというので、KAGEROUに匹敵する新人発掘。これから活躍していく新人シナリオライターになっていくでしょう。新人ライターが月9ワンクールで平均14%を取ったのですから、合格ラインです。
 ゆらゆらと揺れるクラゲが画面に出てくるのがよかったし、「くらげには脳はないから、カナシイとか嬉しいという感情はない」と何度も解説されるのも、松田翔太に見とれているオバサンには苦にもならない。

 『流れ星』のほうは、異母妹のためにドナーを確保せんと偽装結婚する兄が竹野内豊。上戸彩は、両親が早世し、ダメ兄貴に負わされた借金返済のために風俗店で働いている。自殺しそうなところを助けられた相手と偽装結婚して、肝臓を半分提供する代わりに借金相当額を出して貰うことにしたイメクラ嬢。
(稲垣吾郎はダメ殿様やダメ兄貴が似合う役者になって、何を演じてもイナガキゴローダイコンから一歩抜け出した。これから先、何を演じてもキムタクダイコンや何を演じてもオダユージダイコンよりもうまくなるかも)。

 ドラマストーリーは、偽装結婚をした、金を支払われるドナーと支払う側のレシピエント家族の間に真の愛情が育つか、ということが主なモチーフですから、生体肝移植の問題点は深く追求されずに終わります。

 『流れ星』は、肝臓提供だけで健康を損なうかもれないというリスク付きで300万。『KAGEROU』は全身提供で2800~3800万。肝臓心臓腎臓肺臓が300万×4,四肢が200万×4、角膜とか皮膚とか残らずつかって、合計3000万ってところかな。最後の脳移植は「ドナー様向けサービス」ってやつらしいが。

 『KAGEROU』には、40歳以上と以下で値段が違うって書かれていたけれど、現実社会では、肺臓や腎臓なら70歳まで提供可能、肝臓心臓になると、ドナーの病歴などによっても異なるが、心臓は50歳以下、膵臓は60歳以下、小腸は60歳以下というおよその目安がある。
 40歳以下と以上で売買価格が異なるというのは、「全ド協」独自の買い取り価格と思えばよいのだろうが、世間相場ってものもあろうが。バイク買い取りのバイク王は値段比較でインチキをしていたことがばれたが、内臓価格も「買い取り価格比較ドットコム」とかが必要になってくるな。
 臓器の値段だけでなく、医療問題に関してきちんと取材されていないので、そのあたりが「中途半端なファンタジー」って言われる部分であろう。

 しかし、話が非現実であることと、小説世界内でのリアルさがないことは同じではない。非現実的といえば、『私を離さないで』のほうが「アリエネー」はずなのに、90年代に時代が設定されている「近過去SF」の、イギリスの片田舎にあるヘールシャム寄宿学校と人間がきっちり構築されている。これが小説っていうもんだろう。

 ひとつひとつ「使命」を果たしていく「提供者」に寄り添う「介護人」と比べてしまうのは酷なことかもしれないが、プロの書き手ならば、ブッカー賞カズオイシグロまで目指して欲しい。5歳でイギリスへ渡ったイシグロに対して、ヒロ君は中学校入学で帰国した。帰国子女の日本社会への違和感など書いてほしい。
 斎藤智裕が作家として育つのかどうか、これは、ポプラ社にきちんとアドバイスできる編集者がいるかどうかにかかわる。文芸モノを長く手がけてきて新人を鍛えることのできる編集者が社内にいるかいないかという社の人材がものをいう部分。願わくは、ポプラ社がヒロ君を使い捨てにしないでちゃんと育ててくれますように。

<つづく>
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2011年01月09日


ぽかぽか春庭「買い取り価格比較ドットコム」
2011/01/09
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(5)買い取り価格比較ドットコム

 臓器売買はどの国でも犯罪になるが、現実社会では、インドなどの臓器売買では腎臓ひとつ10万ってこともあるし、中国の死刑囚臓器利用のレシピエントに選ばれるには、党とか軍のエライさんのコネが必要。このあたりの事情は徳山大学の生命倫理学者、粟屋剛の論文が詳しい。
 現実社会では宇和島事件では腎臓提供で300万の報酬が約束されたにもかかわらず、現金30万と150万程度の乗用車という謝礼のみだったため、提供者が訴えて臓器売買が発覚した。ストーリーとしてはゴシップ記者が書く「実録臓器売買」っていう週刊誌記事のほうがよほどブンガクしていたかもしれない。
 
 『KAGEROU』消費方法。
 「世の中の話題についていきたい」「イケメンのすることは全部追っかけをしていたい」という人は1470円出して読んだらいいし、「新人のブンガクは押さえておきたい」という文学賞ファンには、豊崎由美が「他の新人賞なら一次通過どまり」と評しているに対して、ほんとうにその通りであるのかどうか検証したいならば、立ち読みまたは古本になったら読んだらいいとお勧めする。「臓器移植に関心ある人」には、「粟屋剛の論文を読んだ方がいいよ」と言ってやりたい。臓器買い取り価格に関心ある人は、「内臓買い取り値段比較ドットコム」でも立ち上げて下さい。

 『KAGEROU』感想文を書いた感想。
 結果として自分自身のセコさみみっちさいじましさケチくささを全開し、ねたみそねみひがみやっかみ拡大鏡で感想を書きました。
 私は120歳まで生きる気でいるので、そうなったら70歳まではOKという腎臓だって売りモノにはならないし、このままセコくみみっちくいじましく生きていくしかない自分を「哀切かつ峻烈な「命」の物語」!!などに向かわせるのは似合わないということです。

 つまらぬ感想文につきあっていただいたささやかなお礼に、ことばトリビアをひとつ。といっても、古物利用リサイクル。人間の臓器だってリサイクル利用が推奨されている時代なんですから、ことばトリビアのリサイクル利用くらい大目にみようではありませんかあです。
 ドナーという言葉について、クイズを出題したことがありました。覚えている人は「同じネタを何度も使い回す。リサイクルにも限度がある」と顰蹙なさるでしょうけれど、どうせみんな忘れているから、もう一度書きます。

<次のAとBの共通点はなに?>
AもBも話し手が「旦那様」と「ドナー」に、感謝の気持ちを持っていることが共通していることはわかるのですが。ほかに、共通点があります。

A:ダンナ様が印税を稼いできて、私の病気治療費を出してくださった。旦那様ありがとう。
B:ドナーの好意で心臓肝臓肺臓脾臓腎臓骨髄を移植できた。命が助かった。

解答:
 Aの旦那と、Bのドナーは、どちらもサンスクリット語(梵語)のダーナ・パティdāna pati から由来した外来語です。だんな(旦那)は、梵語から中国語に翻訳された語。ドナーは、サンスクリット語を語源とする英語経由の外来語。
 dānaは「お布施」の意味。ダーナパティは「施主(せしゅ)」の意味。
 インドを出発して東に向かったダナーは中国を経由して旦那になり、西に向かったダナーは英語を経由してドナーとして日本語になる。ことばは、ほんとに面白い。

 さて、ドナーをネタにして一稼ぎしたあやかの旦那はこれから先、どうなるのか。俳優も続けて欲しいけれど、作家として、とりあえず第2作目は、第1作の賞味期限が切れないうちに出しておかないとな。
 『KAGEROU』感想文はこれでおしまい。

<つづく>
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2011年01月10日


ぽかぽか春庭「本を読む女」
2011/01/10
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(6)本を読む女

 年末年始読書記録のUP,KAGEROUから始めるのはいかにもはやりもんに乗っかるようで、どうしようかと思ったのだけれど、先に載せて正解でした。なんとなれば、1月9日日曜日の新聞書評に、朝日は「売れてる本」コーナーに佐々木敦が書評を書き、読売は「書評委員ひとり一冊」の欄でロバート・キャンベルが書いていた。1月9日午前0時半にネットアップした春庭は、タッチの差で「後出し」にならずにすんだ。別段私が書評委員様の後出しをしたところで誰も気にはしないが、自分が気分悪い。

 12月発刊直後はネットに悪評がわんさか出回ったけれど、年末に100万部突破ニュースが出たあとは、「これからは絶対みんな誉め出すな」と思っていたら、佐々木敦もキャンベルも「一部で揶揄されているほどヒドくはない、むしろ結構オモシロいんじゃないの」「後半面白くなってきた」と、アゲ方向に向かっているので、やはり売れることは大切だなあと納得。これからどんな「大絶賛書評」が出てきても驚かないぞ。そして、私の「買うな。立ち読みせよ」という「誉めてない感想」の出し頃は、ぎりぎり滑り込みセーフだったかな、と思います。

 世の中に誉めることけなすことは、その提出タイミングというのが問題なんです。世のご亭主たちが「美容院から帰ってきた妻のヘアスタイル変化に気づかない」のは論外として、エレベーターでいっしょになってしまった上司のネクタイの柄をすかさず褒めておくことから始まり、首相褒め殺しに至るまで、とにかく誉め言葉けなしことばは、出し時を考えないと。

 下記のコメント、この揶揄の出し方、誉めてないことを正直に出している素直さは買いますが、言われた本人としては「ご想像の肖像通りでない風貌ですみません」と思います。
=============
投稿者:acha1 2011-01-06 05:15
先生。お早う御座います。先生は、きっと膨大な本を読み、面長で、海老茶色で、「四角い鼈甲のメガネ」を掛けて、眼は、吊り上がって居て、顎は細く伸びている人。
勝手に想像(失礼)あははー
私などは、作家は決めて読むタイプで、その点、世間が狭いかも知れません。
=============-
というコメントをいただきました。なんか女学者風の肖像画にしていただき、文章から想像するとこう見えるのかとと思います。想像の翼は本人の思い通りに広げればよいことなのでして。私が顔を合わせたネット友達は数人しかいないので、ネットの中では「面長で、海老茶色で、四角い鼈甲のメガネを掛けて、眼は、吊り上がって居て、顎は細く伸びている人」という風貌で生きていくのも悪くはない。

 顔会わせてみたら、「まん丸い顔にちっこい垂れ目、丸くて三つ重ねの顎、格安のほそぶちメガネの老眼と近眼をとっかえひっかえ、食うことに精一杯」という実像に「女学者風」を想像して下さった期待を打ち砕くことになるのかもしれないが、親から受け継いだ丸顔なので、文句があったら遺伝子に。

 「先生は、きっと膨大な本を読み、」というご想像にも反し、「女学者」としてはきわめて貧弱な読書量しかない。「膨大な本を読み」という想像通りなら、今頃ちゃんとした学者になっていたでしょう。「膨大な量の本を読んだ」というのは、一度読んだら完璧に頭の中に記憶したという南方熊楠のような学者に対して言うことばであって、読んだら端から忘れていく春庭のぽかぽかおつむにはあたりません。

 林真理子『本を読む女』は作家の母親がモデルなのだという。『本を読む女』を原作としたNHKドラマ『夢見る葡萄』は、原作にない「葡萄酒とのからみ」が中心というし、菊川怜が主人公を演じたゆえ「東大出の美人なんて、天から二物を与えられた女はしゃくの種」というイジマシい根性により見なかったが、主人公が友人に言うことばは、本好きに生まれてしまった女の子のセリフとして、更級日記の昔から不変不偏です。
 「将来、何になりたいのか」と友人に問われて、「本を読む女」は答える。「私、何にもなりたくないよ。一生、小説とか詩の本を読んで暮らしていけたらいいなあと思う」

 私も「一生、小説や詩の本を読んで暮らしていたいだけ」だったのに、稼がない夫と結婚してしまったばかりに飯を食う金も必要となり、稼ぐためには本を読む時間は限られてしまう生活を続けて、あこがれの「膨大な本を読み続ける」生活にはほど遠かった。

 年末年始読書記録を続けます。

<つづく>


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2011年01月11日


ぽかぽか春庭「復活!お楽しみ読書」
2011/01/11
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(7)復活!お楽しみ読書

 私が読んだ専門書は千冊に届かず、私の修士時代の指導教官からは、「専門書を千冊しか読んでいないような奴は修士論文を書くな」と言われました。昔「鬼の○○」とあだ名されていた修士のときの指導教官だったら、私が博士論文を書くなんて言ったら、たぶん「百年早い」と笑い飛ばしたでしょう。

 私は修士のときの専門である日本語学から離れて、「言語文化研究」として博士論文を執筆したので、別分野です。カルチュラルスタディの一分野としての言語文化研究。博士後期課程の指導教官は、「自分なりの言語文化追求で十分」と励ましてくれましたので、なんとか書き終えることができました。日本語学関連の書籍のみなら千冊には届かなかったと思いますが、言語文化全般の書籍と数えるなら読んだ本全部が相当しますから、数千冊は読了していることになります。

 2008年の4月から2010年の終わりまで、読書記録をつける余裕もなかった。その代わり、参照書籍名は必需記録として論文末尾に付けるのが義務だから、引用言及した本だけで200冊ほどを記録してあります。
 ご用とお急ぎでない方、引用文献一覧はこちらに。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/userbbs.cgi?ppid=haruniwa&mode=comment&art_no=1202915

 2010年11月12月に何冊かの小説を読むゆとりができましたが、ほんとうに久しぶりの「お楽しみ読書」でした。久しぶりに小説を読んで、本を読む楽しみを存分に味わえる幸福をかみしめました。この3年間は、ひたすら日本語学日本言語文化に関わる本を読み返したり新しく読んだりするのに時間をさき、「お楽しみ乱読」を封印していたのです。読みたい小説を読み始めたらきりがなくなり、専門書など読むのは後回しにしてしまう私の「一粒食べたら一袋食べ終わるまでやめられない」意志薄弱を自分で知っての措置でした。

 1985年から25年の間、日本語学の文献を読むのに時間がとられました。私は言語学日本語学を専門にするつもりはなく、いわば、大工が仕事するためには鉋の手入れおこたらず、漁師は網の繕いを夜なべにする、という類の、職業上の必須事項としての作業でした。お楽しみ読書は、電車通勤の往復2~3時間と、寝る前の数分。だいたい数分で寝てしまうので、寝る前の読書というのはあまり読書にはつかえない。ほんとうは1時間でも2時間でも「お楽しみ読書」の時間が欲しかった。25年間のうちにずいぶんと日本語関連の本ばかり読み、特にこの3年間は論文執筆のための本を読むのであけくれてしまいました。

 1977年まで、乱読、読みっぱなしだった私が、友人のすすめにより1977年から読了本のタイトルと著者名だけはノートにメモを残すようにしました。1999年までは大学ノートに書き付けていました。22年間の読書記録がとってあります。
 2000年から2008年までの「読了本リスト」は、全部ではないですが、ネット上に記録を残しました。
2000~2008読書メモ
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/book0506.htm
2003年の感想文メモ
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0412book.htm

 2009年の中国赴任中に読んだ本、小説は、講師室の本棚にあった森見登美彦『太陽の塔』のほかは思い出せない。ちゃんとタイトルくらいは書かなくちゃと思うのだけれど、「あとで」と思っているうちに忘れてしまう。タイトルなどを忘れてしまうのは、印象が薄い本だったのだから、まあ忘れたら忘れたでいいや、と思うのだけれど。

 2010年にお楽しみ読書としてどんな本を読んだのか、もう何を読んだのかあやふやです。2010年の前半に楽しみのために読んだ本、覚えているのは、村上春樹『海辺のカフカ』くらいかな。(早く『1Q84』が古本で出回らないかな。村上春樹は売れるので、なかなか百円本には見当たらない)
 年末年始に読んだ本はまだ覚えているので書き留めておきましょう。

 再読した本。村上春樹『カンガルー日和』。「図書館奇譚」を引用する必要があって、私はどのバージョンでこの短編を読んだのかと確認するつもりで本棚から抜き出して結局一冊読んでしまった。初期ハルキワールドはなかなか居心地がいい。

 リービ英雄『千々に砕けて』、楊逸『時の滲む朝』について、のちほど「越境J文学シリーズ」として論じてみたいと思います。

<つづく>
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2011年01月12日


ぽかぽか春庭「<少女>を読む」
2011/01/12
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(8)<少女>を読む

 2010年11月12月、お楽しみ読書タイムの防備録。まずは「少女」をキーワードとして。
 明治時代の社会文化について、2010年に読んだ渡部周子『<少女>像の誕生』。昔読んだ平田由美『女性表現の明治』の系列の明治文学史明治文化論として秀逸な内容の本でした。博士論文を書籍化したもので、第23回女性史青山なを賞受賞作です。

 講師室で顔を合わせている若い研究者、周子先生。若桑みどりの弟子だというので、「じゃ、そのうち御著書を読ませていただきますので」と言ったら、「あ、ロッカーの中に販売用の本が一冊入ってますから、買って下さい」というので、直接著者から購入することになりました。「貧乏なので3000円以上の本は古本屋で半額になってから買います」と言う前に、彼女はロッカーから本を出してきたので、著者割引値段で売ってもらいました。若手研究者の意気込みがあふれる内容で、力作でした。「ポストドクターで、非常勤講師の口も少ない」とぼやいていましたが、よい職場がみつかるよう、祈っています。

 荻原規子作『西の善き魔女ⅠⅡ合巻』(ブックオフ100円本コーナーで購入)は、ファンタジー小説が好きな私にとっては、たっぷりファンタジーにひたれる作品でした。
 辺境に育った少女が、実は失踪していた王女の娘。次期女王の選定争いに巻き込まれて、、、、ファンタジーの定番通りの設定で、いわゆる「ベタな展開」がされているストーリーです。このベタな設定を嫌う人には不評なようですが、これだけ定石通りのストーリー設定で、定石通りのキャラ設定でも読者を飽きさせない荻原規子さん、私はすごいと思います。

 私が読んだ合巻版は、学園ストーリーの終わりまでだったので、全巻読みたかったのですが、残りを古本の百円本で揃えられるかどうかわからないので、続きはyoutubeのアニメで終わりまで見ました。アニメはさらにわかりやすいストーリーに編集されていて、おもしろかった。アニメはスペイン語圏からUPされている海賊版とおぼしきバージョンです。字幕がついていますから、スペイン語学習中の人にはぴったりの教材になるかも。

 角田光代『ひそやかな花園』(某私大講師室の「ご自由にお持ち帰り下さい」コーナーにあった。新本だったので、おそらく誰かが献本されたものの、読む気もなく廃棄したのだと思う)。
 カズオ・イシグロ『私を離さないで』(ブックオフの百円コーナー)。映画化されたので2011年の公開を待っていたのだけれど、百円コーナーで出会ったのも縁だと思って買いました。『ひそやかな花園』と『私を離さないで』は、「少女と少年の成長、自我意識と通常の両親から出生したのではない出自とのかかわり」という点が共通しています。いっしょに論じてみたい内容を持っています。

 佐野洋子が2010年11月に亡くなったので、文庫をぎゅうぎゅう詰めてある押し入れの奥から『わたしが妹だったとき』を引っ張り出す。「文庫なんて百円でいくらでも買えるんだから、処分すれば」と言われても、古服は捨てられるけれど古本はとっておきたい。自分が「読みたい」と思った10分後には読める気楽さは捨てがたい。10分間何をしなければならないかと言えば、押し入れの箱を引っかき回して目当ての文庫を探す時間である。それでも図書館へ行く手間とか、ネット図書館に注文して翌日の配達を待つ間を考えれば、10分間のモノ探しで済むのだから、捨てられない。

 『わたしが妹だったとき』、1983年、新美南吉児童文学章受賞作品。タイトルが過去形であることからも推測されるように、主人公は、この本に描かれた時代より少し後には「妹」ではなくなってしまいます。扉にはのとびらに「十一才のままの兄のために」と書かれています。私は福武文庫版で読み、エッセイ「こども」が併録され、文庫版用あとがきがついています。

 おにいちゃんとすごした北京での思い出は、かけがえのない宝物のような日々であり、私たちにもそのかけがえのなさ、子供心の光と悲しい時間のすばらしさがひしひしと伝わってくる。満鉄職員の子供として、近隣の中国人の子供に比べれば恵まれた生活をしているけれど、小学校入学前の幼い女の子の視線を通して語られる1940年代初頭の北京の情景は、猥雑さとエネルギーと摩訶不思議に満ちていて、やがて別れの日がくるお兄ちゃんと妹は、ごっこ遊びや同じ夢を見た驚きの中にひそやかな「子供の哀しみ」を滲ませながら日々を生きています。
 <少女>よりはもっと幼い幼女のお話ですけれど、佐野洋子の他のエッセイの軽妙で人間くさい味わいともまた違い、『百万回生きた猫』ともまた違う、本に浸る喜びを味あわせてくれる一冊です。

<つづく>
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2011年01月13日


ぽかぽか春庭「時空を越える旅」
2011/01/13
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(9)時空を越える旅

 年末年始の読書ノートつづき。
 丸谷才一『輝く日の宮』朝日賞・泉鏡花賞受賞作、単行本をブックオフ百円で購入。前作『女ざかり』の主人公、新聞社の論説委員が、「お友達にはなりたくない女」だったので、今回はもちっと友達づきあいしたくなる女性がヒロインであることを期待したのだけれど、やっぱり友達にもなりたくないし、同僚だったら「朝晩の挨拶だけ」にしておきたい人、でした。

 『奥の細道』義経御霊信仰説や『源氏物語』には「輝く日の宮の巻」が実在していた説は面白かったけれど、これはこのままでは実証できず学説にはなれない説だから、無理矢理小説仕立てで論を立ててみました、みたいな小説でした。ヒロインが、女性としてあまりにも魅力がなかった。丸谷才一の描く「知的美人」というのはかなり画一的。オトコに都合のいい女のような。
 丸谷才一の文学蘊蓄はエッセイなら大好きで、いつも面白く読むのだけれど、「輝く日の宮」実在説は、大野晋との対談「光る源氏の物語」で終わらせた方がよかったと思う。

 向田邦子『夜中の薔薇』。何度目に読むのかは忘れた。毎度おもしろい。毎回「うまいなあ」とその文章術に感嘆する。

 海外と日本の交流というのも、私の仕事に関わることなので、ツンドク本が山積みになっています。2010年2月の漏水事故、読まないまま廃棄した本もずいぶんありました。助かった本は少しずつでも「積んだまま」を解消してやらないと、読まれないまま捨てられる本は、本好きにとっては心痛むことです。

 『ミカドの外交儀礼』は2007年発行の朝日選書。著者中山和芳は文化人類学者。女官たちの手によってお歯黒を染め化粧をほどこされた姿で最初の外交儀礼に臨んだ少年ムツヒト。践祚したとき満年齢でいうと14歳だった少年天皇が、文明開化の体現者となって新しい時代へ開かれていく過程が、外交儀礼という面から描かれています。幕末明治に日本に来た外国人の書き残した記録の中に、彼らの見た明治時代が活写されていました。

 『ミカドの外交儀礼』は、天皇が外交団と接見したときの服装や言葉、料理などから明治文化を詳述しています。外形は洋風にしても、内廷はできる限り伝来のしきたりを保守していたかった明治帝に対して、美子(はるこ)皇后は積極的に内廷改革も行おうとしたこと、女子教育推進に積極的だったことなども書かれていました。

  澁谷由里『馬賊で見る「満州」』2004は、張作霖研究の学術書。博士論文の出版ですが、一般の人も読める内容に編集されています。2009年に張作霖張学良親子の住居兼政庁だった「張氏師府」を見学したというだけの門外漢で、満州に興味を持っているというだけの私にも面白く読めました。

 中野美代子は、中国と日本の間を結ぶ「西遊記」研究者。小説の佳作も多い。
 地上のトポスを悠々と自在に行き来した小説『眠る石』1997を、年末の電車の行きと帰り90分の読書として楽しんみました。仕事先への片道90分往復180分で1冊読了してしまったのが、もったいないような短編集。

 この本、1997年にハルキ文庫になったときに新刊で買って、以来13年間もツンドクにしておいた。2010年12月の朝、電車の中で読む本がかばんの中に入っていないのに気づいて、文庫ツンドク棚からひょいと手頃な「まだ読んだ記憶がない文庫」をかばんの中に放り込んだのです。
 『孫悟空の誕生―サルの民話学と「西遊記」』などを読んできた中野美代子がこれほど小説でも味わい深い作品を発表していたこと、13年もツンドクしておいたけれど、読めてよかった。

 中野美代子は北海道大学を定年退職後、私立大学からあまたの再就職の申し出があったろうに、現在は執筆活動に専念しています。『眠る石』は定年前の1993年に単行本として出版された小説。2009年には『ザナドゥーへの道』を出版するなど、77歳になっても旺盛な活動を見せている。中国文学中国文化についての本も、2009年に講談社選書メチエから『西遊記XYZ このへんな小説の迷路をあるく』を出しているので、読んでみようと思います。

 「テラ・インコグニタ、未知の土地を経巡ることが大好き」という性分は、子供の頃から少しも変わらず、今も未知の土地への飛翔を夢見ています。
 本は、時間と空間を飛び越える旅に誘ってくれます。自由に本を読む時間がとれるようになってうれしいです。

<おわり>
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春庭夏の読書メモ

2010-04-24 23:14:00 | 読書・本・ログ
2011/08/01
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年8月>読書メモ2011前半

 今年1月、博士論文提出が終わって、やっと気分が開放されました。論文書いている間だって、「自由気ままに読み散らす読書」が禁止されていたわけではないのですが、論文と無関係の気晴らし読書は、ほんとうに数少ない冊数になっていました。小説を読み出すとラストまで一気に読み終わってしまいたくなるので、禁止。電車内読書はいつでも本を閉じられる、エッセイの文庫本だったり、『図書』『波』などの出版案内系の冊子に限りました。

 2月、ようやく論文と無関係の本を楽しみだしたら、3月の震災。本棚が倒れ、部屋に山積みになった本の片付けに1ヶ月かかり、読書の気分ではなく、4月は授業が延期されて時間ができたはずなのに、気が滅入って無気力状態。5月からはむちゃくちゃタイトな授業日程。
 7月末、授業も終わりに近づき、国立は夏休みに入り、私立も8月上旬で終了、ようやく夏休みです。

 と、気づいてみると、自由気ままな読書をするはずだったこの半年、案外読めていなかったと感じたのは、小説が少なかったからかも知れない。読んだ本をメモしてみれば、半年で40冊。一ヶ月5~6冊程度で、冊数だけいえば、博論を書く前のころの読書ペースと同じくらいだ。
 読み散らかしたままなので、本のタイトルもメモしておかなかったら、何を読んだのかも忘れてしまいそう。本棚の奥のほうにつっこんだのは、もう忘れている。
 読んだ順ではなく、思い出すのに便利なようにまとめてメモ。

@は図書館本 ¥は定価で買った本 ・は、ほとんどBookoffの100円、200円本。

<日本語論日本文化論関連>
¥井上ひさし『日本語教室』2011
@今井邦彦『あいまいなのは日本語か英語か?』ひつじ書房2011

・片岡義男『日本語の外へ』角川文庫2003
・片岡義男『日本語で生きるとは』筑摩書房1999

・松岡正剛『日本流』朝日新聞社2000
¥松岡正剛『日本という方法 おもかげ・うつろいの文化』NHKブックス2006
¥松岡正剛『花鳥風月の科学』中公文庫2004

・宮本常一『アフリカとアジアを歩く』岩波現代文庫2001
・内田樹『日本辺境論』新潮新書2009

・リービ英雄『英語で読む万葉集』岩波新書2004
・石丸晶子『万葉の女たち男たち』朝日文庫1994
・板坂 耀子『江戸の紀行文』中央公論新社2011

・山口誓子監修『季寄せ草木花春下』朝日新聞社1981

<リービ英雄をまとめて>
@リービ英雄『最古の国境への旅』中央公論新社2000
@リービ英雄『日本語を書く部屋』岩波書店2001
@リービ英雄『我的中国』岩波書店2004
@リービ英雄『越境の声』岩波書店2007
@リービ英雄『延安』岩波書店2008
@リービ英雄『仮の水』講談社2008

<小説>
・杉本苑子『開花乗合馬車』文春文庫1985
・松井今朝子『銀座開花おもかげ草紙』新潮文庫2007
・松井今朝子『果ての花火 銀座開花おもかげ草紙2』新潮文庫2010

<エッセイ、その他>
・高橋源一郎『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』新潮文庫1989
・関川夏央『ただの人の人生』文春文庫1997
・岸本佐知子『気になる部分』白水社2000
・岸本佐知子『ねにもつタイプ』筑摩書房2007
・アーサー・ビナード『空からきた魚』英社文庫2008
・辺見じゅん『花子のくにの歳時記』角川春樹事務所1998

・永井政之『ふっと心がかるくなる禅の言葉』永岡書店コスモ文庫2006
・素朴な疑問探求会『明治・大正人の朝から晩まで』2008
¥日本博学倶楽部『科学の謎未解決ファイル』2008

・湯浅浩史『花おりおり2』朝日新聞社2001
・湯浅浩史『花おりおり4』朝日新聞社2003

<評論・研究書、その他>
@野田研一(編)『<風景>のアメリカ文化学』ミネルヴァ書房2011 
@管敬二郎・小池桂一『野生哲学』講談社現代新書2011
@合田正人『吉本隆明と柄谷行人 』PHP新書2011
@桑島秀樹『崇高の美学』講談社選書メチエ2008
@B・M・スタフォード『ヴィジュアルアナロジー』産業図書2006
@若桑みどり『薔薇のイコノロジー』青土社1984
@フェラーリ『美の女神イサドラ・ダンカン』音楽之友社1988
@市川雅『舞姫物語』白水社1990
@海野浩『モダンダンスの歴史』新書館1999
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読書メモ2011後半

2010-02-28 12:47:00 | 読書・本・ログ


ぽかぽか春庭「読書メモ2011後半」
2011/12/18
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(6)読書メモ2011後半

 今年1月に「年末年始読書記録」を書き8月に「2011年前半読書メモ」があるので、2011後半読書メモも書いておこうと思います。
 手元にある本や覚えているのだけ書くので、図書館に返却した分、すでにタイトルを忘れてしまったのもあるけれど、思い出さないってことは、それだけ印象にのこらなかったのだから、無理矢理思い出すこともない。

 8月~12月で13冊というのは、2011前半に比べてもずいぶん少ない冊数です。(前半は1月~7月で40冊)読書メモに残して置くのは、単行本文庫本新書だから、本屋でもらう出版PR誌や雑誌は記録しない。例えば、どこかの美術館だったかの「ご自由にお持ち帰り下さい」のコーナーにおいてあった『伝統と文化No.34 特集伊那人形芝居』というポーラ化粧品のメセナが出しているパンフレット、たいへんよくまとまった人形芝居紹介でしたが、雑誌やパンフレットは1冊カウントにはいれないので。どうしてこういうメモ・ルールにしたのかは忘れた。

2011後半は、電車の中読書がほとんどこの類の本ばかりだったし、徘徊散歩のお供には、建物の解説パンフレットなどを読んでいたことと、読書タイムが電車の中しかないのに、後半、電車のなかではもっぱら「睡眠不足解消タイム」となっていたので。得に夜更かしするほどしていたことがあったわけではないのに、なぜかいつも眠かった。


 3月、本棚倒壊で部屋が本の山になったとき、「これは本を整理しろという天からの命令」と思って、思い切り本を捨てました。だいたい、今までが「いつか読むかも知れない」と思うツンドク本や「何かの資料に使えるかも」という紙類が多すぎた。でも、捨ててみるとやっぱり、「あ、あの本に書いてあったこと、必要」を思えることが何度も出てきて、捨てたことを後悔することたびたび。やっぱりどれほどかさばろうと部屋を狭くしようと、捨てるんじゃなかったと思います。

 で、結局は捨てた分、古本屋でどんどん買うもんだから、部屋はまた元の木阿弥、床一面に散らかった本の山。買い込んだ本はほとんどが積んどく本になりました。

 @は図書館本 ¥は定価で買った本 ・は、ほとんどBookoffの100円、200円本。

<日本語日本文化関連>
・石田英一郎『日本文化論』ちくま文庫1987
・柳瀬尚紀『日本語は天才である』新潮文庫2009
@佐藤勝・小杉商一『懐かしい日本語辞典』東京堂出版2008
@遠山淳・他編『日本文化論キーワード』有斐閣双書2009

<小説・ノンフィクション>
・杉本苑子『マダム貞奴』読売新聞社1982
・安岡章太郎『大世紀末サーカス』文春文庫1988

<エッセイ、その他>
・佐野洋子『神も仏もありませぬ』筑摩書房2004
・村上春樹『辺境・近境』新潮文庫2010

<評論・研究書、評伝 その他>
・レズリー・ダウナー『マダム貞奴』集英社2007
@山口庸子『踊る身体の詩学』名古屋大学出版会2006 
・川村国光『オトメの祈り 近代女性イメージの誕生』1995紀伊國屋書店
¥木下直之『美術という見世物』講談社学術文庫2010
・佐野眞一『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』文藝春秋2005

 読んだ冊数は少ないけれど、どの本もたいへん印象深かった。前半の読書ではリービ英雄が私的特集だったのに対し、後半特集は川上貞奴。貞奴の欧米巡業に関連して『大世紀末サーカス』も読み直して、こちらもとても面白かった。

<つづく>
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