春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2024年4月目次」

2024-04-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240430
ぽかぽか春庭目次>2024年4月目次

0402 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>二十四節季日記春(1)二十四節季日記春(1)万愚節
0404 二十四節季日記春(2)踏青節
0406 二十四節季日記春(3)受難節

0407 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024日本語でどづぞ(10)めっきがはがれる 
0409 日本語でどづぞ(11)しのぎを削る 

0411 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記春(1)桜雨
0413 2024二十四節季日記春(2)桜吹雪忌 

0414 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記3月(1)エスコンフィールドランチ北海道旅行1
0416 2024二十四節季日記3月(2)札幌観光 北海道旅行2
0418 2024二十四節季日記3月(3)小樽・熊のいる沢 北海道旅行3
0420 2024二十四節季日記3月(4) 小樽・運河クルーズ

0421 ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩小樽芸術村(1)ステンドグラス美術館
0423 2024アート散歩小樽芸術村(2)小樽西洋美術館
0425 2024アート散歩小樽芸術村(3)似鳥美術館

0427 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記春(1)小指の思い出 
0428 2024二十四節季日記春(2)ゴールデンでなし
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ぽかぽか春庭「ゴールデンでなし」

2024-04-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240428
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記初夏(3)ゴールデンでなし

 ゴールデンウイーク。世間様は楽しい休日をお過ごしだと思います。
 春庭は、右足小指の骨折で、整形外科の女医さんは、歩いて悪いことはないけれど、右足小指側は浮かせるようにして力を加えないように歩くこと、長時間歩かないことを言われているので、連休中はどこに出かけずに家籠りです。毎年の連休中、とくにみどりの日は、都内の公園めぐりを楽しんできたのに、今年は我が家の猫の額庭をながめるばかり。

 4月28日の日曜地学ハイキングの定例会、東京の地層と土地の成り立ち、川と橋の説明を聞きながら歩く予定でした。残念ながら参加できないとの連絡をしました。29日ジャズダンスサークルの友人、ミサイルママやこずさんともさんと会ってランチ会の約束。長年介護を続けてきたともさんのご主人がなくなって一人暮らしいになったので、ともさんを元気づけたいというミサイルママの企画でしたが、私ぬきで進めてもらうことに。5月にはK子さんが続けてきた演劇サークルの会にお誘いをいただいたのですが、観劇をあきらめました。気候がよくなったら群馬のやっちゃんといっしょに上野科学博物館でほ乳類展を見にいく約束も延期。夫と美術館へ行く約束も延期。
 ということで、何もいいことのない連休でした。

 みどりの日、みなさま緑を楽しんでください。こどもの日。子供たちの健やかな成長を願って、皆がこいのぼり飾ったり鎧兜を並べたり。みなさまにはよいことがたくさんある連休でありますように。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「小指の思い出」

2024-04-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240427
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記初夏(1)小指の思い出

 人は一生のうちに何回「骨折」なる事態を経験するのでしょうか。私は、子供のころ転んでもただ起きないことはあっても骨折することはなかったし、骨密度が人より多かったおかげで、重い骨折はせずにきました。
 しかし、この4月、人生3度目の骨折をしました。

 15年ほど前、教室で片づけをしていたときのこと。パソコンを装備した机が並ぶ教室で机を持ち上げ、思いのほか重かった机を左足の上に落としました。学生が落としたネームプレートを拾おうとして机を持ちあげたのがいけなかった。親指骨折全治三か月。二度目は、日本語学校での出来事。ドッヂボールをしたことがないという学生たちに、放課後試合のやりかたを教えました。後ろ向きに下がっていこうとしてつまずき、体をかばって左手をついたら、左腕骨折。全治三か月。
 4月17日、パソコンを移動しようとしてキーボードを足の上に落としました。キーボードを接続していたことを忘れて、持ち上げたのでキーボードが落下。右足の小指骨折。全治三か月。

 骨密度の数値が、同年代の人に比べて上々なのは、女医さんに褒められたのですが、歩くときは右足小指を浮かせて歩くよう言われました。歩きにくいですが、歩けないことはないのが救い。これでほんとうに足骨折で三か月寝たきりとかなら、全身に影響が及ぶでしょうから。不幸中の幸いと感謝して、うっかりキーボードを落としたりしないよう、気をつけて暮らします。日頃わたしの行動に注意深さがなく、うっかりが多いためによくお茶碗お皿を割ってしまうことがあるので、娘にはもうちょっと慎重に行動するよう言われてはきたのですが、うっかり行動はおさまりません。

 今後のいましめのために、内出血したのか、色が黒くなった小指の写真を残しておきます。日々、この黒い小指を見て、荒っぽい行動を慎むように。あまりにも美しくない足なのでせめて庭にささやかに咲いた花もいっしょに。
 74歳の小指の思い出。

    

<つづく>
コメント (4)
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ぽかぽか春庭「似鳥美術館」

2024-04-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240425
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩小樽芸術村(3)似鳥美術館

 似鳥美術館は、旧北海道拓殖銀行小樽支店 の建物を利用して開館しました。
  1階は、ティファニーがデザインしたステンドグラスの展示。ヨーロッパ教会のステンドグラス展示が主だったステンドグラス美術館とことなり、20世紀のガラスランプなどのデザインを手がけたルイス・C・ティファニー(1848-1933)。アール・ヌーボーの工芸アーティストとして、活躍しました。父チャールズ・ルイス・ティファニーが創立した宝飾店の後継者にと望まれましたが、それを拒否して自分自身のガラス工房を経営。のちに父とは和解しましたが、父の死後、ティファニー本社の顧問を辞し、ルイスのガラス工房は倒産。
 教会のステンドグラスとはことなる華麗なアールヌーボーデザインのステンドグラスやガラス製品で84室もあったという自宅を飾りましたが、ガラスの王国を築いたルイスの死後四半世紀、1957年に自宅は消失。美術館に収められたり、個人が収集したステンドグラスが残り、私たちが目にすることができます。(1階は撮影自由)
 ティファニーのステンドグラス

 2階西洋美術3階日本美術と、盛りだくさんのコレクション。2階エレベーター前にあった岡本太郎のいす。いすですが、芸術作品なので、座っても触ってもいけない。
 日本の画家たちの絵


 ユトリロ「ムーランの大聖堂」

 地下1階から4階まで、たくさんの収蔵品があるのですが、いちばんの目玉といえるのは、藤田嗣治の『カフェにて』です。2018年に収蔵された作品ですが、この展示方法が他の美術館と異なっているところ。絵の売買を目的とする画廊などではよくあることですが、美術館で見たのは初めてだったので、ちょっと驚き。なんと絵の横に価格が出ていたのです。テレビの人気番組「開運なんでも鑑定団」に鑑定依頼が出されました。本物の藤田嗣治の作品と判明し、10億円という価格が出されました。似鳥昭雄が「ニトリ」で儲けた金をつぎ込んで購入しました。そして、さすが商売の人。絵のとなりに「なんでも鑑定団で10億円の鑑定結果がでました」と、値段を掲げたのです。観覧者は「へぇ、10億円だって」と、言いながら値段に感心して観覧していきます。これぞ庶民の鑑賞法。お金を得たあとは上品趣味に己を装う金持ちが多いですが、ニトリさんのように、「金のチカラ!」というのを隠そうとしない展示方法、はじめてなので、いっそあっぱれと思いました。

 「カフェにて」は、同一画題がポンピドーセンターにもあります。こちらは、なんでも鑑定団に出品したらどんな値段がつくのでしょうか。
 お金持ちが散財したいとき、ギャンブルするよりずっと私たちにとってはありがたいですから、どんどん収集してほしいです。

 タイトル「10億円byなんでも鑑定団」

<おわり>
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ぽかぽか春庭「小樽西洋美術館」

2024-04-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240423
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩小樽芸術村(3)小樽西洋美術館

 3月30日、」ホテルから脱いだ着替えの入ったキャリーバッグをふたつ東京へ送り出し、リュックかついで、小樽芸術村めぐりに出発。まず西洋美術館へ。娘が一番見たいと言っていた「ガラス」の美術館です。エミール・ガレ、ドーム兄弟、ルネラリック、ティファニーなどのこれまであちこちの美術館で見てきた作家もたくさん展示されていましたが、今まで見たことがなかったガラス作家の作品もたくさん見ることができました。2022年4月28日に 開館しました。

西洋美術館の口上
 19世紀後半から20世紀初頭に欧米で制作されたステンドグラスや、アールヌーヴォー・アールデコのガラス工芸品、家具などの西洋美術品をお楽しみいただける美術館です。
 
 ラリック作品は、箱根のルネ・ラリック美術館などで見たことのあるものもありましたが、ドーム兄弟ほかのガラス工房のさまざまなガラス製品を見ることができました。特にランプの展示は、ティファニー製品のほか、美しいものがたくさん展示されていて楽しめました。

ルネ・ラリック 装飾パネル火の鳥1922  ルネ・ラリック
 


  

 ガラス製品だけでなく、アールヌーボー、アールデコの家具を並べた室内展示が見事でした。倉庫の建物を再利用している西洋美術館なので、展示場所が広い。これほどの室内展示は東京のあまり広くない美術館では一室くらいしか展示できないところだと思うと、北海道の広さがありがたい。元浪華倉庫を改装利用している美術館です。
 
 

 ガラスの部屋、アールヌーボーやアールデコの室内再現のほか、マイセン陶器のギャラリー、ギリシャ・ローマの彫刻など、多様な西洋美術が集められています。絵画は似鳥美術館に展示されているので、西洋美術館の展示は「西欧工芸美術」が中心でしたが、元倉庫の床は広いので、ゆったりした展示を見た後、2階から1階を見下ろせる展望ロビーで休みました。
 ゆっくり休んでから似鳥美術館へ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「小樽芸術村ステンドグラス美術館」

2024-04-21 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240421

ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩小樽芸術村(2)ステンドグラス美術館

 修学旅行で小樽を訪れた娘は、オルゴール館で弟へのおみやげのオルゴール制作をするなど、定番コースをめぐりました。四半世紀前の修学旅行ですから、ほとんど忘れているから同じコースでもいいけれど、高校生のときはまだ成立していなかった「小樽芸術村」で、大好きなガラス製品やステンドグラスを見たい、というのが、今回の北海道旅行に小樽を選んだ理由です。

 29日夕方に小樽に着き、タクシーで運河沿いのホテルソニアへ。ホテルの隣の隣の建物が小樽芸術村のひとつステンドグラス美術館へ。芸術村の中で、ここだけが17時まで開館していたからです。(他は16時閉館)

 ステンドグラス美術館の口上
 小樽芸術村の旧高橋倉庫 ステンドグラス美術館に所蔵されている作品は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで制作され、実際に教会の窓を飾っていたステンドグラスです。近年イギリスでは諸事情により、多くの教会が取り壊されてしまいましたが、これらの作品は破壊を免れ、時代の流れの中で数奇な運命を辿り、日本へやって来ました。ステンドグラスに描かれた図像や文字には、ヴィクトリア女王の統治していた華やかな時代からエドワード朝時代、そして第一次世界大戦へと進んでいくイギリスの歴史が凝縮されています。美しく荘厳な光の空間で、ゆっくりと時の流れを感じてください。

 ステンドグラスが制作された英国では教会取り壊しの際、ステンドグラスは破壊されたものが多いことを知ると、日本へやってきたこと、ありがたく思います。教会に飾られていたステンドグラスですから、大部分のグラスデザインはキリストの生涯や聖者の事績にかかわるモチーフです。制作過程のビデオなども見て、ゆっくり回ることができました。フラッシュなしでの撮影は許可されていました。






 これらの美しいステンドグラスは、人々の祈りの場で日の光を受けて輝いていたのだ。美しいステンドグラスを眺めていると、描かれているのはマリアとイエスであったり聖人像であったり、キリスト教教会を飾ったものであることはわかっている。私には特定の信仰ははにけれど、折にふれて、祈る。神にも仏にもご先祖様にも、自然が持つアニマにも祈るのひか。美しいステンドグラスの光にも祈る。ただ祈る。私が祈ってもウクライナでもパレスチナでも戦争は終わらないし、能登の被害がもとに戻るわけでもない。でも人は祈るしかできない。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「小樽運河クルーズ」

2024-04-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240420
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記春(5)小樽運河クルーズ

 3月30日午前中は小樽芸術村をめぐりましたが、午後の楽しみは運河クルーズ。しかし、午前中は風が強く、娘のスマホにはクルーズ運航会社から、午前中の運行は中止になり、午後は今様子を見ているところだが、午後の運行も中止になる可能性がある、というお知らせが入ってきました。

 心配して待っていましたが、14時すぎの運行決定、14時45分に乗船発着場所に集合というメールが来ました。ホテルソニアの斜め向かいの中央橋を渡って発着場所へ。乗船口に行くと、すでに乗客は列を作っています。先着順のご案内というので、並びました。15時出航。女性のガイドさんとニュージーランド出身の船長さん。20人ほどで乗船しました。

 月見橋の下を通って小樽の海へ。ウミネコを見たり停泊している大きな船の説明を聞きながら旭橋の下をくぐります。北海製罐の倉庫ほか、運河とともに発達してきた倉庫群の説明を受けながらの運河めぐり、楽しかったです。
 ホテルソニア9階の部屋から見えていた運河向かい側の倉庫の由来も「もとは渋沢一族が建てた倉庫でしたが、今は結婚式場として利用されています」などの説明を聞き、小樽の町が海運で栄えた昔から観光の町への転換がうまくできたのだろうな、と思います。急激にビルに置き換わってしまった札幌に比べ、開発がちょっと手遅れになったおかげで、古い倉庫がたくさん残り、それぞれがレストランやドン・キホーテ小樽店などに利用されていました。

クルーズが通った運河沿いの道を歩く。


 クルーズ下船後は、日銀小樽支店金融資料館などを見学し、都通りを通って小樽駅までゆっくり歩きました。

 小樽駅 小樽駅構内


 小樽駅から新千歳空港駅へ。飛行機は30分ほど出発が遅れているというお知らせが出ていましたが、なんとか羽田には乗り継ぎ最終電車のひとつ前の電車に乗れるぎりぎりの到着でしたが、無事帰宅。家に着くまでが遠足です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「小樽・熊の通る沢 北海道旅行3」

2024-04-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240418 
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記(3)小樽・熊の通る沢  北海道旅行3

 3月29日午後、小樽へ移動。早起きしたため少しうとうとしましたが、娘が「海」というので車窓を眺める。3月末の日本海の海は少し暗いまだまだ冬の海。
 小樽宿泊は、小樽運河沿いのホテルソニア。運河クルーズの発着場所に近いホテルです。
 運河にかかる浅草橋は、撮影のスポット。

 ホテルソニア 
最上階9階の部屋

 ホテルソニアの1階レストラン「イルオナイ」。北海道海鮮の店です。
 娘は電話でメニューを聞いたとき、エド前寿司と聞き取り、小樽まで出かけて江戸前寿司か、と思ったのですが、蝦夷前寿司のことでした。私は、イル・オナイと思って、イルというのはスペイン語の接辞と思い込み、小樽まできてスペイン料理かと思ったのですが、「イルオナイ」とは、アイヌ語で「熊の通る沢」という意味でした。
 ディナーの寿司グリルコース、おいしかったです。

 

 ビールは、地元のクラフトビール」

ホテルソニア宿泊の翌朝、朝食ビュッフェは昨日山盛りにとっておなかいっぱいになり、ランチは割愛したほどでしたので、やや少なめ。
 小樽芸術村めぐりに出発です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「札幌観光 北海道旅行2」

2024-04-16 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240416

ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記春(2)札幌観光 北海道旅行2

 タワーホテル日航を朝5時半に出て、雪の残る街を15分歩き、北大キャンパスへ。北大のなかにある近代建築を見るためです。キャンパスの中の道の両脇には雪が積み上げられていました。歩いて行ける範囲では見たかった建物の半分くらいしか回れませんでしたが、よい建築がたくさんありました。
 クラーク胸像も見て、雪の北大を回りました。

 朝食予約が7時なので、7時までにはホテルに戻るように娘に言われていたのですが、ホテル帰着は7時半になりました。

 タワーホテル日航の朝食ビュッフェ。いつものように山盛りで。

 
 朝食後、雨もよいのホテルを出て、札幌駅から地下街経由で電波塔へ。

  時計塔を見学。
 時計塔の二階、クラークさんとのツーショットをとりました。4月16日は「Boys be ambitious少年よ大志を抱け」の日だそうです。札幌農学校は1876(明治9)年 9月に開校しました。わずか八か月のみ。月の在校のみ。農 学校1期生の17歳18歳の若者たちに、クラーク博士は「Boys be ambitious」 ということばを残してマサセッチュー大学にもどりました。その日が4月16日ので、この日が「少年よ大志を抱け」「少年たち、野心家であれ」の日になりました、

  
 娘は「北菓楼」というお菓子屋に寄りたいというので、時計塔から道に迷いながら、安藤忠雄がリノベーションした北菓楼へ。東京上野の子ども図書館のリノベーションの方法と、とても似ている直し方で、このようにして古い建築が保存されていくのは、ひとつの方法でしょう。

 江戸東京たてもの圓や札幌開拓の村のように、各地の古い建物を解体してひとところに集め、復元するという保存方法もありますが、元の場所に建っままを保存し、利用していくというのも一つの方法。しかし、そうすると、どうしてもレストランや結婚式場などになることが多くて、利用が制限されることにもなりますが、解体されてビルになってしまうよりはいいと思います。都会の土地は高いから、できるだけ高いビルにして土地の高さを余すことなく利用したいというコスパ論理もわかりますが、先人たちが作り続けてきた建物をできるだけ残していきたい、と言う気持ち、建物や土地からなんの利益も得られないギャラリーの意見ですから、声高に言っても無駄。

 北海道庁は修理中で、外観、内部とも見学できませんでしたが、そのかわり、塔の先端部分の修理中の現場の見学ができました。外観や内部見学は修理が終われば見学の機会があると思いますが、塔の先端は、修理が終わればはるか見上げるところに存在するので二度と見ることができないかもしれません。塔先端見学はよい機会に遭遇したと、言えます。
 北海道庁の正門


 時間が足りず、札幌資料館など、見られなかった建物もあり、札幌に思いを残しながら午後の電車で小樽へ。
 
 小樽の海。わたしはこんな線路際ぎりぎりのところに海があるのは初めてです。


<つづく> 
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ぽかぽか春庭「エスコンフィールドランチ北海道旅行1」

2024-04-14 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240421

ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記3月(1)北海道旅行エスコンフィールドランチ北海道旅行1


 懸賞生活を続けている娘に、「札幌エスコンフィールド球場のランチ券」が当たりました。札幌でランチったって、札幌は遠い、と思っていたのですが。娘にとって必要な買い物をして応募券を集め、せっかく当選したものを無駄にするのは残念だろうと、思い切って札幌まで出かけてきました。母にはもうお金がまったくないので、娘がとりあえず飛行機代ホテル代を負担し、母に働き口でも見つかったら返金する、と言ったのですが、高貴幸齢者にはなかなか働き口もありません。いつ返せるやら不安だらけの中、出かけました。
 
 朝8時のANAで新千歳空港へ。
 娘は高校大学で北海道に出かけていますが、私は初めての北海道旅行です。国内便飛行機に乗るのも初めて。娘は沖縄へ行った時と北海道に行ったときはやむなく飛行機に乗りましたが、気圧の変化で気分が悪くなるので、新幹線や電車で行けるところは地上の乗り物で行けるところまで行く。どうしても海を越えるとき、沖縄へいくときや海外は飛行機に乗らざるをえないけれど、北海道は新幹線が札幌まで延伸するまで再訪はしないと決めていた。けれど、せっかくのエスコンフィールドランチ当選だから、母が行くならいっしょに行く、と言います。私は耳が程度で、気分まで悪くなることはないので飛行機はきらいじゃありません。3月末に当選の権利がなくなる前に出かけました。

 羽田から群馬新潟の山上、東北の山上を通る空旅は、今まで一度も見たことなかった雪山の景色。ただ見とれていて写真を撮るのを忘れていました。

 新千歳空港に9時半着。荷物を受け取り、エスコンフィールド最寄り駅の北広島駅に着いたのは11時。娘はザンギと北海道牛の焼肉定食。私はサラダとコロッケ。コロッケは特別な名物だったらしいですが、都内コロッケ屋で売っているのと比べると半分の大きさで値段は2個で500円。コロッケ好きな私ですが、ちょっと物足りないところでした。ランチ写真も忘れてひたすら食べる

 エスコンフィールド球場、日ハムのホームです。試合のない日でも球場見学の人は思ったより多くいました。かって日ハムに所属していた選手や監督の似顔絵の前でみな並んで写真を撮っています。私もダルビッシュとショーヘイ・オオタニの大きな似顔絵の前で撮りました。


 バスで北広島駅に戻り乗り継ぎ、開拓の村へ。


 北広島駅から札幌へ。駅前のホテルへ入る前に、駅ビルの展望台へ。札幌の町を俯瞰し、夜景を楽しみました。

JRタワー展望台のおもしろいところ。トイレから外の景色が眺められること。

 宿泊は、タワーホテル日航です。

 夕食は、タワーホテル35階の和食レストラン丹頂。



 和食会席、外の夜景を眺めながらおいしくいただきました。
 夕食後は、ホテルのスパへ。ジャグジーほか4種類のスパを楽しみ、札幌の朝観光、ひとりで北大キャンパス散歩に備えてねました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「桜吹雪忌」

2024-04-13 00:00:01 | エッセイ、コラム


20240413

 姉の忌日4月10日は、このところずっと桜も散りはてたころの命日となっていましたが、今年は久しぶりに4月に入ってからのお花見シーズンとなり、故郷のお墓の山でも桜のお命日になりました。23回忌です。

 東京は満開を過ぎたところですが、群馬の山の斜面にある母父姉が眠るお墓一帯は、まだ五分咲き。お寺のしだれ桜は満開でとてもきれいでした。


 姉が54歳で亡くなってから、22年たちます。22年たっても、姉をこれほど早く失ってしまった悲しさくやしさは消えていません。今年、しだれ桜の美しさになぐさめられ、姉の孫たち、ひ孫たちの誕生成長に、心なごむ思いです。

 私の両親は、娘3人を育てました。それぞれが2人ずつ子を産み、父母の孫は全部で6人。姉のところは娘二人から姉の孫6人。姉の長女は、一男三女を持ちました。姉の長女の長女から姉のひ孫ふたり、四女から男の子と双子と3人。結局私の両親は孫6人ひ孫12人やしゃご5人。子孫繁栄、きっと両親も姉も点から見守ってくれていると思い、にぎやかな墓参りをしました。

 私は久しぶりに姪とその子ども、姉の孫ひ孫に会いました。双子ちゃんとは初対面。「初めまして大叔母さんだよ」と言ってみたのですが、あとで考えてみたら、私は双子ちゃんの母親の大叔母さんなので、大大叔母さんに当たるのでした。双子にとって、ひいばあさんの妹です。


 みなでにぎやかにお墓参り後の食事会に行くのですが、私は一族と別れて、女子校クラスメートのやっちゃんとランチと買い物。道の駅で天ぷらざるそばをおごってもらいました。やっちゃんは「東京は野菜が高いっていうから」と、道の駅で地元野菜を山のように買い込み、おみやげにして持たせてくれました。ウドやふきのとうなど、ゆでたりの処理は翌日に。

 電車賃節約のため、行きは快速帰りは鈍行の電車だったので、乗り換え乗り換えになり、山のような野菜をかかえて戦後の買い出し列車のおばさんのよう。やっちゃんと、上野科博で「哺乳類展」を見にいく約束をしました。

 わびしい生活を続けていますが、にぎやかな一族郎党との再会、17歳から58年も続く友の好意にふれ、消え入りそうな暮らしながら、なんとか生き抜かねばと帰宅しました。

<おわり> 

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ぽかぽか春庭「桜雨」

2024-04-11 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240410

ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記春(1)桜雨

 4月3日水曜日、雨の中入学式が行われている大学キャンパスの中を歩きました。新入学の喜びに輝いている親子があちこちで記念撮影をしているので、お邪魔せぬよう、すみっこで撮影。雨もよい、灰色の空に白い花びらであまりきれいにとれませんが。

 病院での定期健診、行きかえりの桜散歩です。「食うや食わずダイエット」が続いているので、肥満度やや解消。検査の数値は横ばいながら、まあ、この調子でがんばりましょう、という女医さんのことば、チョコもアイスも遠慮なしに食べ続けているのは秘密にして、「はい、がんばります」

 病院検診日の翌日もまったく同じ道を往復。なぜならば。薬局に処方箋を提出し、30分待ちというので、午後の歯科検診を終えてから取りにくることにしました。歯科のデンタルクリーニングで、口の中もさっぱり気分よく,、雨も小止みかげんの道を帰りました。歯といっしょに脳もさっぱりになったようで、薬の受け取り、さっぱりわすれました。4日、また同じ道を歩き、駅前の薬局で無事処方の薬を受け取りました。

 東京は4月4日に満開宣言。かし、雨から曇りの花曇り続き。カメラ技術つたない、いまだにコンパクトカメラ派のアナログ高齢者は青空背景の桜じゃないと、きれいに撮れない。大勢の人が花見を楽しんでいたのが、前日雨の中入学式を挙行していた大学のキャンパス。4日は近所の人たちのお花見散歩でにぎわっていました。

 4月5日は、夫と、上野公園花見散歩。上野公園は、コロナ以後ビニールシート広げて宴会することはできません。昔は新入社員が朝からシート番人となって場所確保をしているのを眺めて通った公園の桜ですが、今は、道で桜を撮影している人のほとんどが外国からの観光客です。家族連れもグループでの観光もあり、観光ガイドが旗を立てて歩く後ろをついて歩く団体もあり。

 夫とでかけたのは、東京都美術館のモネ展と、東京芸大美術館の「吉原展」を見るため。見終わって、夫を東京芸大美術館隣の学生食堂へご案内。夫は芸大の中に入るのは初めてです。夫は、学生500円学外者600円の肉豆腐定食をを食べ「学食はいいなあ、安くて」という感想。ほんとうは芸大の中もゆっくり歩くと面白いのですが、東京芸大は5日が音楽美術両学部の入学式でした。晴れやかで華やかな親子が記念撮影しているお邪魔せぬように、私は黒田記念館を見ていくからと、旧上野公園駅前で別れました。夫は「先日見たばかりだから、いいや」というので、ひとりでゆっくりひとまわり。特別室公開中だったので、黒田の代表作『湖畔』『読書』『智・感・情』などを眺めました。

 好きな絵をながめ、学生食堂で安いけどあまりうまくなかったハーフ拉麺ハーフカレーセットを食べ、天気いまいちの中、桜をながめ、まずまずのお花見でした。

 6日土曜日は、娘といっしょに花見散歩。緑道の桜を見ながら隣の駅で買い物するのを、毎年楽しみにしてきましたが、今年はほとんどの桜の木が枝を切られて、お寒い姿になっており、去年までの道の上まで枝がトンネルのように咲き誇る姿はありませんでした。

 上野公園の桜の木もそうでしたが、戦後植えられた各地の桜の木は、ほとんどが60~70年の樹齢でソメイヨシノの寿命がきているみたいです。ほとんどの枝が「これ以上伸ばしたままだと、台風などの強風のとき折れて危険」という理由で枝が切られて安全優先になっているみたいです。また、外来種害虫のカミキリムシ被害が広範囲に広がっているというニュースを見ました。上野などで切られた枝はこの被害にあった枝なのか。花のトンネルの下を歩きたい花見散歩にとっては残念な枝切りでした。

 私と娘は「桜は残念なすがただけれど、花より団子」と、買い物の前にアフタヌーンティという店でアフタヌーンスイーツセットをいただきました。スイーツのハーフサイズ4こ。おいしかったです。買い物は単1電池でした。ポイント利用で4コ170円ほどの支払い。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「しのぎを削る」

2024-04-09 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240409

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024日本語でどづぞ(12)しのぎを削る

 日本語が変化していく予想図のひとつとして「めっきがはがれる」と言う慣用句について、「めっき」の語の内容が変わっていることから、「めっきがはがれる」という慣用句が変化していくかどうか、未来日本語の変化を予想しました。私の未来日本語予想では、「めっき」という語の中身が変わっても、「めっきがはがれる」という慣用句は残るかもしれない、ということ。理由は、慣用句として定着した語は、原義が忘れられても慣用句として生き残る例があるから。

 衣食住の慣用句から見てみましょう。

住の慣用句。建築用語、大工用語から成立した「羽目をはずす」「束(つか)の間」「埒(らち)があかない」をみていきましょう。

 「羽目」とは「羽目板を羽重ねに張った壁」のこと。羽目のうち一枚でも外してしまえば壁としての機能がなくなります。現代では「羽目」の意味は忘れられていますが、「羽目を外す」全体で、慣用句として使用されています。

 「束(つか)」とは、木材と木材を組み合わせてつないだとき、上部の横架材などを支える短い垂直材のこと。短いものの意味から短い時間も表すようになった。こちらも、束の意味は考えずに「つかのま」として慣用句として使われています。

 「埒らち」とは囲いや仕切りのこと。主に馬場の周囲に設けた柵のこと。をいう。馬場の仕切りがなくなり、物事が進展していく意味が「埒が明く」。現代語では「埒が明かない=解決せず、ものごとが進展しない」の意味で使うことが多い。

間尺に合わない(ましゃくにあわない・まじゃくにあわない)」「間尺」は、家屋や建具などの寸法。転じて、物事の計算。割合の意)割に合わない。損益がつりあわない。損になる。

・「衣料の慣用句。

「ことばをはしょる」の「はしょる」はもともとは端折る(はしおる)で、着物の褄や裾を織り上げて、帯に挟むこと。長いものの端を折って短く縮めることから、話などが長いとき省略してわかりやすくすること。

「襤褸(ぼろ)が出る」めっきがはがれると似た慣用句。いちばん上を着飾った衣服でも、中にぼろぼろな着物を着ていれば、それが見えてしまうことがあるということ。

「懐(ふところ)が寒い」。昔は、着物の前合わせの部分ふところに懐紙や財布など大切なものを入れておきました。それらが入っていない懐は薄っぺらくてすかすかしていて寒そうにみえることから、ふところにお金などがはいっていないことをいう。現代において、懐中に財布を入れておくのはごくわずかな和服愛好者だけでしょうが、「懐が寒い」は、使われています。

 食・料理の慣用句。

「ごまをする」、昨今の料理好きでも、ゴマをするのに、すり鉢とすりこ木を使う家庭はそう多くない。ごまをするところを一度も見たことがなくても、「ごますり」という語は「上役などにとりいり、お世辞をつかうなどして自分の利益のために動くこと」の意味で用いられており、今後も慣用句としてのこるでしょう。

「味を占める」一度うまい味を味わうと、次も同じことを期待してしまうこと。食べ物以外の行動にも用いる。

「とどのつまり」出世魚のボラは成長してゆくに従って名称が変わり、最後に「とど」といわれるところから)いろいろやって、または、せんじつめていった最後のところ。副詞的にも用いる。結局。畢竟(ひっきょう)。多く、思わしくない結果である場合に用いる。

・「刀剣」の慣用句。

「鎬(しのぎ)を削る」。「しのぎ(鎬)」とは、刀の刃と峰(背の部分)の間で稜線を高くした所。 その鎬が削れ落ちるほど、激しく刀で斬り合うさまを「しのぎを削る」と言いました。互いの刀の鎬を削りあうような激しい斬りあいをする、転じて激しく争うことを表すことばになりました。

 現代では、真剣を用いて切りあうことはありませんし、剣道では木刀や竹刀を使いますから、「鎬」が「刀の刃と峰の間の稜線を高くしたところ」などということは剣道経験者も知らないことです。刀剣女子か刀鍛冶以外には縁遠くなった「鎬」ですが、「しのぎを削る」は、原義が忘れられたまま慣用句として成立し、使用されています。「しのぎを削る」は、慣用句としてそのまま残るだろうと思います。

 刀剣関連の語では「そりが合わない」。「そり」は、刀とそれを納めるべきさやの反り返りの角度が合わないことが語源ですが、今でもふたつのものがぴったりあうことなないときに使われています。

「火花を散らす(ひばなをちらす)」刀を交えて激しく切り合うとき、刀がぶつかり合って火花が散ることから)互いに激しく争う。

「元の鞘に収まる(もとのさやにおさまる)」抜いた刀を元の鞘に入れることから)仲たがいまたは離婚したものが、再びもとの関係にもどる。

「切羽詰まる(せっぱつまる)」「切羽」は、刀の鍔(つば)の両面が柄(つか)と鞘(さや)とに当たる部分に添える薄い金物のこと。切羽が詰まると刀が抜き差しならなくなるところから)物事がさし迫って、どうにもならなくなる。最後のどたん場になる。抜き差しならなくなる。

・「神仏」の慣用句

「引導をわたす」元は、葬式に際し、導師の僧が棺の前で、死者がさとりを開くよう説ききかせる意。相手に最終的な宣告をしてあきらめさせること。

「台無し」。寺の中やお大尽の床の間には立派な仏像を据え置くのですが、仏像が「蓮華座=台」に乗っていないと、価値が薄れた像に見られる。台無しとは、仏像としての威厳が損なわれるように、人が名誉面目を失うこと。すべてのものごとにおいて、全体が悪くみえてしまうこと。

「火の車(ひのくるま)」仏教で、生前悪事を犯した者を乗せて地獄に運ぶという、火の燃えている車のこと。その車に乗っているように苦しいことから)家計が非常に苦しいこと。生計のやりくりに苦しむこと」

「有卦に入る(うけにいる)」「有卦」は陰陽道で吉にあたる年まわりのこと。よい運命にめぐり合わせる。幸運をつかむ。調子にのる。

・「文学・音楽・芸事」の慣用句

「平仄が合う」。漢詩文を作る際、行末の音を合わせること。

「板につく」。舞台を板と呼ぶ演劇関係者が、上手に演じていること。

「出る幕がない(でるまくがない)」演劇で、その役者の出演する場面がないの意から)出ていって力を発揮する機会がない。

「二の舞を演じる(にのまいをえんじる)」「二の舞」は、舞楽の曲名。安摩(あま)の舞の次にそれにまねて演じる滑稽な舞のこと。人のまねをする。特に、前の人の失敗を繰り返すこと。

「呂律が回らない(ろれつがまわらない)」元は雅楽でいう「呂」の拍子と「律」の拍子が合わないこと。転じて「呂律」は、ものを言う時の調子、ことばの調子やことばがはっきりしないこと。小児や酔っぱらいなどが、舌がうまくまわらず、ことばが不明瞭になる。

・「趣味・道楽・遊び・その他」の慣用句

「おもちゃ」。元は子供が「お持ちあそぶ」もの。「おもちぁ」からおもちゃへ。現代語では手に持っていてもいなくても、子供が遊ぶものはおもちゃ。

「思う壺」サイコロを壺に入れて振り出す賭博で、思ったとおりの目がでること。

「いい目がでる」さいころ遊びで、勝ちにつながる目がでること。さいころ以外の場面でも使用する。

「一か八か」結果はわからずとも、思い切って賭けてみる。カルタ賭博からきた慣用句。

「一目置く(いちもくおく)」囲碁で、弱い方が先に一目を置いて対局を始めることから、自分よりすぐれている者に対して、敬意を表して一歩譲る。一目を置く

「色眼鏡で見る」。現代人がサングラスをかけていても、人やものを偏見を持ってみることにはならないが、慣用句としては使う。

「おじゃんになる」江戸の火消しが消火作業後に鎮火を知らせた鐘の音が「じゃんじゃん」と聞こえたことから、すべて燃え落ちたあとで、物事が不成功に終わる。駄目になること。(道具屋のオチが有名)

「折り紙付き」鑑定結果を証明する折紙が付いている意から、事物の価値や人物の力量、資格などが、保証するに足りるという定評のあること。また、武芸や技芸などで、一定の資格を得た人。悪い意味でも、「折り紙付きの不良」などと

「笠に着る(かさにきる)」権勢のある者をたのんで威張る。また、自分の側の権威を利用して他人に圧力を加える。

「片棒をかつぐ」駕籠(かご)の、先棒か後棒かのどちらか一方をかつぐということから、ある企てや仕事に加わってその一部を受け持って協力する。

「金に糸目を付けない」この糸目とは、凧あげをするとき、空中でのバランスを取るため糸に錘の金属をつけておくこと。現代語では「金銭」の意味に受け取られているが、もとは錘。

「きめ細やかな」元の意味は「木目が細かくまっすぐな木の表面」であるが、「肌理」など、皮膚や布目にも用いる。

「琴線にふれる」琴の糸がよい音でなるように、心の中の糸が感動で鳴り響くように思うこと。

「二進も三進も(にっちもさっちも)算盤(そろばん)の割り算から出た語で、計算のやりくりの意。行き詰まって身動きができないようす。どうにもこうにも方法がないこと。

 以上、慣用句に使われた元の語の意味が分からない場合でも、慣用句として使われ続けることばを並べてみました。

 ほかにもまだたくさんありますが、「綿のように疲れた」のでここまで。我が家に一番ふさわしい慣用句は、むろん「火の車」です。

<つづく>

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ぽかぽか春庭「めっきがはがれる」

2024-04-07 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240407

ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024日本語でどづぞ(10)めっきがはがれる

 ことばの変化について、いろいろなアンテナを張っているつもりですが、受信する電波が、私のところにはなかなか届かない。で、テレビやラジオから学ぶことも多いです。
 大好きなラジオ番組の過去の放送をyoutubeで聞いていて、知らなかった「ことば」の中身の変化について教わりました。
 
 ことばの内容が変化し、意味が変化していくことは、語彙の変化によくおこること。平安時代、宮中で部屋を与えられた内勤の女性を表す「女房」が、ごく一般的な身分の男性の妻も表すように意味が変化したり、何室もある大きなお屋敷の一番奥に部屋を持っている妻だから「奥様」だったはずなのに、アパートの一室しかない部屋の妻でも「奥様」と呼ばれるのは、できるだけ丁寧に相手の配偶者を扱おうとする言葉の意識からの変化(意味の拡大)。語彙学の基礎として、日本語教師養成講座で教えてきました。
  
 これまでに知られてきたことわざや慣用句も使用法が変化する。「情けは人のためならず」が、若い人には「人に情けをかけて助けてやるのは自立心を損なうので、その人のためにならない」という意味で受け取られてきた、など、変化の内容は様々です。「流れに棹さす=流れに乗って舟を動かす」は、小舟を棹で動かす方法を知らない世代には、「舟の上から流れの上に棒を突き立てて、舟の動きを止める」と、受け取られています。新しもん好きの辞書に新しい用法も搭載されています。
 
 さて、ラジオ番組から教わったこと。「めっきがはがれる」の、従来の意味では。「中身は価値のないものに、うわべだけ金や銀をふきつけ、メッキをほどこしても、中身は本物の金や銀ではないから、しだいに表面のメッキがはがれていき、価値のない中身があらわれてしまう」という意味でつかわれてきました。
 
 しかし、現代日本のメッキ技術は非常に精巧になり、めっきというのはほとんどはがれなくなった。はがれるとしたら、よほど特殊な、特別なことになる。今まで学会の定説とされてきた学説例えば相対性理論が、新理論によって価値がなくなる、というような、特別な場合でないと使えなくなるのではないか、という「めっきがはがれる」の中身が変化していくかもしれない、という未来予想語、について、アナウンサーが紹介していました。なるほど、中身に合わせてことばを使う、という立場もある。めっきはたやすく剥がれたりしないものだ、ということが世の常識になれば、「めっきがはがれる」の意味もかわっていくかもしれません。
 
 メッキの件、TBS安住紳一郎日曜天国の過去放送分をyoutubeで聞いていて教わりました。だいぶ前の放送だと思います。めっきの技術進化のことなど知らず、「めっきがはがれる」という語について考えたことはありませんでした。まだまだ知らないこともたくさんあり、ことばの変化についても教えてもらえると思うと、この先もことばの変化が、「お楽しめるです」。
 
 春庭は、「めっき」の意味が変わっても「めっきがはがれる」という慣用句は使い続けられるのではないかと考えます。それは、定着した慣用句は、元の語の意味が忘れられたり変わったりしても使い続けられるからです。次回、その例を並べてみます。
 
 ここでクイズです。1~5の語の意味がわかりますか。
1「らちがあかない」「らち」とは何ぞや
2「しのぎをけずる」「しのぎ」とは
3「だいなしになる」の「だい」は何?
4「せっぱつまる」の「せっぱ」とは
5「つかのま」の「つか」とは。
 
 いずれも、元の語の意味が正確に言える人は、刀剣専門家だったり建築専門家だったりすると思います。私は、元の意味が分からなくても、使っていました。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「受難節」

2024-04-06 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240406

ぽかぽか春庭ことばのYaちまち>2024歳時記春(3)受難節

 春の季語の中の「~節」。最後は四旬節。カトリックでは四旬節、プロテスタントでは受難節と呼びます。キリスト教で、復活祭前四十日間(主日=日曜日を除く)の斎戒期。キリストの荒野の断食修行にちなんだもの。英語ではLent。四旬節の開始日を「灰の水曜日」と呼ぶ。カトリックでは、神父から額に灰をつけてもらうなどの儀式を行い、斎戒の40日をすごす。

 現代の日本でも神事に携わる人々が事前に沐浴斎戒を行うことはありますが、カソリックのように信者全員が「キリストの受難に倣って、肉食を避け、身を正してすごす」という行事にはなっていません。今のキリスト教信者の中でこの受難節や四旬節の斎戒期間に身を清めて過ごす人、どれくらい残っているのでしょうか。

・糸杉の道はるばると受難節 有馬朗人

・一喝めく同志の別辞受難節 香西照雄

 春庭、すでに40日を超えて受難の日々をすごしています。日本語学校を退職してから1年。なんの贅沢もせず、50年を超えて働き続けた日々の労働の結果「葬式代」くらいは貯めなきゃと思ってきた雀の涙の分も使い果たしました。

 食っていけない受難節ダイエットも限界の体重になり、これ以上は栄養失調になる。つらい日々です。

・痩身や哀しくもなし受難節 春庭

・受難の日彼も夜空に叫んだか 春庭

<おわり>

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