19世紀後半から20世紀初頭に欧米で制作されたステンドグラスや、アールヌーヴォー・アールデコのガラス工芸品、家具などの西洋美術品をお楽しみいただける美術館です。
20240421
ぽかぽか春庭アート散歩>2024アート散歩小樽芸術村(2)ステンドグラス美術館
20240416
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記春(2)札幌観光 北海道旅行2
20240421
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記3月(1)北海道旅行エスコンフィールドランチ北海道旅行1
20240413
姉の忌日4月10日は、このところずっと桜も散りはてたころの命日となっていましたが、今年は久しぶりに4月に入ってからのお花見シーズンとなり、故郷のお墓の山でも桜のお命日になりました。23回忌です。
東京は満開を過ぎたところですが、群馬の山の斜面にある母父姉が眠るお墓一帯は、まだ五分咲き。お寺のしだれ桜は満開でとてもきれいでした。
姉が54歳で亡くなってから、22年たちます。22年たっても、姉をこれほど早く失ってしまった悲しさくやしさは消えていません。今年、しだれ桜の美しさになぐさめられ、姉の孫たち、ひ孫たちの誕生成長に、心なごむ思いです。
私の両親は、娘3人を育てました。それぞれが2人ずつ子を産み、父母の孫は全部で6人。姉のところは娘二人から姉の孫6人。姉の長女は、一男三女を持ちました。姉の長女の長女から姉のひ孫ふたり、四女から男の子と双子と3人。結局私の両親は孫6人ひ孫12人やしゃご5人。子孫繁栄、きっと両親も姉も点から見守ってくれていると思い、にぎやかな墓参りをしました。
私は久しぶりに姪とその子ども、姉の孫ひ孫に会いました。双子ちゃんとは初対面。「初めまして大叔母さんだよ」と言ってみたのですが、あとで考えてみたら、私は双子ちゃんの母親の大叔母さんなので、大大叔母さんに当たるのでした。双子にとって、ひいばあさんの妹です。
みなでにぎやかにお墓参り後の食事会に行くのですが、私は一族と別れて、女子校クラスメートのやっちゃんとランチと買い物。道の駅で天ぷらざるそばをおごってもらいました。やっちゃんは「東京は野菜が高いっていうから」と、道の駅で地元野菜を山のように買い込み、おみやげにして持たせてくれました。ウドやふきのとうなど、ゆでたりの処理は翌日に。
電車賃節約のため、行きは快速帰りは鈍行の電車だったので、乗り換え乗り換えになり、山のような野菜をかかえて戦後の買い出し列車のおばさんのよう。やっちゃんと、上野科博で「哺乳類展」を見にいく約束をしました。
わびしい生活を続けていますが、にぎやかな一族郎党との再会、17歳から58年も続く友の好意にふれ、消え入りそうな暮らしながら、なんとか生き抜かねばと帰宅しました。
<おわり>
20240410
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記春(1)桜雨
4月3日水曜日、雨の中入学式が行われている大学キャンパスの中を歩きました。新入学の喜びに輝いている親子があちこちで記念撮影をしているので、お邪魔せぬよう、すみっこで撮影。雨もよい、灰色の空に白い花びらであまりきれいにとれませんが。
病院での定期健診、行きかえりの桜散歩です。「食うや食わずダイエット」が続いているので、肥満度やや解消。検査の数値は横ばいながら、まあ、この調子でがんばりましょう、という女医さんのことば、チョコもアイスも遠慮なしに食べ続けているのは秘密にして、「はい、がんばります」
病院検診日の翌日もまったく同じ道を往復。なぜならば。薬局に処方箋を提出し、30分待ちというので、午後の歯科検診を終えてから取りにくることにしました。歯科のデンタルクリーニングで、口の中もさっぱり気分よく,、雨も小止みかげんの道を帰りました。歯といっしょに脳もさっぱりになったようで、薬の受け取り、さっぱりわすれました。4日、また同じ道を歩き、駅前の薬局で無事処方の薬を受け取りました。
東京は4月4日に満開宣言。かし、雨から曇りの花曇り続き。カメラ技術つたない、いまだにコンパクトカメラ派のアナログ高齢者は青空背景の桜じゃないと、きれいに撮れない。大勢の人が花見を楽しんでいたのが、前日雨の中入学式を挙行していた大学のキャンパス。4日は近所の人たちのお花見散歩でにぎわっていました。
4月5日は、夫と、上野公園花見散歩。上野公園は、コロナ以後ビニールシート広げて宴会することはできません。昔は新入社員が朝からシート番人となって場所確保をしているのを眺めて通った公園の桜ですが、今は、道で桜を撮影している人のほとんどが外国からの観光客です。家族連れもグループでの観光もあり、観光ガイドが旗を立てて歩く後ろをついて歩く団体もあり。
夫とでかけたのは、東京都美術館のモネ展と、東京芸大美術館の「吉原展」を見るため。見終わって、夫を東京芸大美術館隣の学生食堂へご案内。夫は芸大の中に入るのは初めてです。夫は、学生500円学外者600円の肉豆腐定食をを食べ「学食はいいなあ、安くて」という感想。ほんとうは芸大の中もゆっくり歩くと面白いのですが、東京芸大は5日が音楽美術両学部の入学式でした。晴れやかで華やかな親子が記念撮影しているお邪魔せぬように、私は黒田記念館を見ていくからと、旧上野公園駅前で別れました。夫は「先日見たばかりだから、いいや」というので、ひとりでゆっくりひとまわり。特別室公開中だったので、黒田の代表作『湖畔』『読書』『智・感・情』などを眺めました。
好きな絵をながめ、学生食堂で安いけどあまりうまくなかったハーフ拉麺ハーフカレーセットを食べ、天気いまいちの中、桜をながめ、まずまずのお花見でした。
6日土曜日は、娘といっしょに花見散歩。緑道の桜を見ながら隣の駅で買い物するのを、毎年楽しみにしてきましたが、今年はほとんどの桜の木が枝を切られて、お寒い姿になっており、去年までの道の上まで枝がトンネルのように咲き誇る姿はありませんでした。
上野公園の桜の木もそうでしたが、戦後植えられた各地の桜の木は、ほとんどが60~70年の樹齢でソメイヨシノの寿命がきているみたいです。ほとんどの枝が「これ以上伸ばしたままだと、台風などの強風のとき折れて危険」という理由で枝が切られて安全優先になっているみたいです。また、外来種害虫のカミキリムシ被害が広範囲に広がっているというニュースを見ました。上野などで切られた枝はこの被害にあった枝なのか。花のトンネルの下を歩きたい花見散歩にとっては残念な枝切りでした。
私と娘は「桜は残念なすがただけれど、花より団子」と、買い物の前にアフタヌーンティという店でアフタヌーンスイーツセットをいただきました。スイーツのハーフサイズ4こ。おいしかったです。買い物は単1電池でした。ポイント利用で4コ170円ほどの支払い。
<つづく>
20240409
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024日本語でどづぞ(12)しのぎを削る
日本語が変化していく予想図のひとつとして「めっきがはがれる」と言う慣用句について、「めっき」の語の内容が変わっていることから、「めっきがはがれる」という慣用句が変化していくかどうか、未来日本語の変化を予想しました。私の未来日本語予想では、「めっき」という語の中身が変わっても、「めっきがはがれる」という慣用句は残るかもしれない、ということ。理由は、慣用句として定着した語は、原義が忘れられても慣用句として生き残る例があるから。
衣食住の慣用句から見てみましょう。
住の慣用句。建築用語、大工用語から成立した「羽目をはずす」「束(つか)の間」「埒(らち)があかない」をみていきましょう。
「羽目」とは「羽目板を羽重ねに張った壁」のこと。羽目のうち一枚でも外してしまえば壁としての機能がなくなります。現代では「羽目」の意味は忘れられていますが、「羽目を外す」全体で、慣用句として使用されています。
「束(つか)」とは、木材と木材を組み合わせてつないだとき、上部の横架材などを支える短い垂直材のこと。短いものの意味から短い時間も表すようになった。こちらも、束の意味は考えずに「つかのま」として慣用句として使われています。
「埒らち」とは囲いや仕切りのこと。主に馬場の周囲に設けた柵のこと。をいう。馬場の仕切りがなくなり、物事が進展していく意味が「埒が明く」。現代語では「埒が明かない=解決せず、ものごとが進展しない」の意味で使うことが多い。
「間尺に合わない(ましゃくにあわない・まじゃくにあわない)」「間尺」は、家屋や建具などの寸法。転じて、物事の計算。割合の意)割に合わない。損益がつりあわない。損になる。
・「衣料の慣用句。
「ことばをはしょる」の「はしょる」はもともとは端折る(はしおる)で、着物の褄や裾を織り上げて、帯に挟むこと。長いものの端を折って短く縮めることから、話などが長いとき省略してわかりやすくすること。
「襤褸(ぼろ)が出る」めっきがはがれると似た慣用句。いちばん上を着飾った衣服でも、中にぼろぼろな着物を着ていれば、それが見えてしまうことがあるということ。
「懐(ふところ)が寒い」。昔は、着物の前合わせの部分ふところに懐紙や財布など大切なものを入れておきました。それらが入っていない懐は薄っぺらくてすかすかしていて寒そうにみえることから、ふところにお金などがはいっていないことをいう。現代において、懐中に財布を入れておくのはごくわずかな和服愛好者だけでしょうが、「懐が寒い」は、使われています。
食・料理の慣用句。
「ごまをする」、昨今の料理好きでも、ゴマをするのに、すり鉢とすりこ木を使う家庭はそう多くない。ごまをするところを一度も見たことがなくても、「ごますり」という語は「上役などにとりいり、お世辞をつかうなどして自分の利益のために動くこと」の意味で用いられており、今後も慣用句としてのこるでしょう。
「味を占める」一度うまい味を味わうと、次も同じことを期待してしまうこと。食べ物以外の行動にも用いる。
「とどのつまり」出世魚のボラは成長してゆくに従って名称が変わり、最後に「とど」といわれるところから)いろいろやって、または、せんじつめていった最後のところ。副詞的にも用いる。結局。畢竟(ひっきょう)。多く、思わしくない結果である場合に用いる。
・「刀剣」の慣用句。
「鎬(しのぎ)を削る」。「しのぎ(鎬)」とは、刀の刃と峰(背の部分)の間で稜線を高くした所。 その鎬が削れ落ちるほど、激しく刀で斬り合うさまを「しのぎを削る」と言いました。互いの刀の鎬を削りあうような激しい斬りあいをする、転じて激しく争うことを表すことばになりました。
現代では、真剣を用いて切りあうことはありませんし、剣道では木刀や竹刀を使いますから、「鎬」が「刀の刃と峰の間の稜線を高くしたところ」などということは剣道経験者も知らないことです。刀剣女子か刀鍛冶以外には縁遠くなった「鎬」ですが、「しのぎを削る」は、原義が忘れられたまま慣用句として成立し、使用されています。「しのぎを削る」は、慣用句としてそのまま残るだろうと思います。
刀剣関連の語では「そりが合わない」。「そり」は、刀とそれを納めるべきさやの反り返りの角度が合わないことが語源ですが、今でもふたつのものがぴったりあうことなないときに使われています。
「火花を散らす(ひばなをちらす)」刀を交えて激しく切り合うとき、刀がぶつかり合って火花が散ることから)互いに激しく争う。
「元の鞘に収まる(もとのさやにおさまる)」抜いた刀を元の鞘に入れることから)仲たがいまたは離婚したものが、再びもとの関係にもどる。
「切羽詰まる(せっぱつまる)」「切羽」は、刀の鍔(つば)の両面が柄(つか)と鞘(さや)とに当たる部分に添える薄い金物のこと。切羽が詰まると刀が抜き差しならなくなるところから)物事がさし迫って、どうにもならなくなる。最後のどたん場になる。抜き差しならなくなる。
・「神仏」の慣用句
「引導をわたす」元は、葬式に際し、導師の僧が棺の前で、死者がさとりを開くよう説ききかせる意。相手に最終的な宣告をしてあきらめさせること。
「台無し」。寺の中やお大尽の床の間には立派な仏像を据え置くのですが、仏像が「蓮華座=台」に乗っていないと、価値が薄れた像に見られる。台無しとは、仏像としての威厳が損なわれるように、人が名誉面目を失うこと。すべてのものごとにおいて、全体が悪くみえてしまうこと。
「火の車(ひのくるま)」仏教で、生前悪事を犯した者を乗せて地獄に運ぶという、火の燃えている車のこと。その車に乗っているように苦しいことから)家計が非常に苦しいこと。生計のやりくりに苦しむこと」
「有卦に入る(うけにいる)」「有卦」は陰陽道で吉にあたる年まわりのこと。よい運命にめぐり合わせる。幸運をつかむ。調子にのる。
・「文学・音楽・芸事」の慣用句
「平仄が合う」。漢詩文を作る際、行末の音を合わせること。
「板につく」。舞台を板と呼ぶ演劇関係者が、上手に演じていること。
「出る幕がない(でるまくがない)」演劇で、その役者の出演する場面がないの意から)出ていって力を発揮する機会がない。
「二の舞を演じる(にのまいをえんじる)」「二の舞」は、舞楽の曲名。安摩(あま)の舞の次にそれにまねて演じる滑稽な舞のこと。人のまねをする。特に、前の人の失敗を繰り返すこと。
「呂律が回らない(ろれつがまわらない)」元は雅楽でいう「呂」の拍子と「律」の拍子が合わないこと。転じて「呂律」は、ものを言う時の調子、ことばの調子やことばがはっきりしないこと。小児や酔っぱらいなどが、舌がうまくまわらず、ことばが不明瞭になる。
・「趣味・道楽・遊び・その他」の慣用句
「おもちゃ」。元は子供が「お持ちあそぶ」もの。「おもちぁ」からおもちゃへ。現代語では手に持っていてもいなくても、子供が遊ぶものはおもちゃ。
「思う壺」サイコロを壺に入れて振り出す賭博で、思ったとおりの目がでること。
「いい目がでる」さいころ遊びで、勝ちにつながる目がでること。さいころ以外の場面でも使用する。
「一か八か」結果はわからずとも、思い切って賭けてみる。カルタ賭博からきた慣用句。
「一目置く(いちもくおく)」囲碁で、弱い方が先に一目を置いて対局を始めることから、自分よりすぐれている者に対して、敬意を表して一歩譲る。一目を置く
「色眼鏡で見る」。現代人がサングラスをかけていても、人やものを偏見を持ってみることにはならないが、慣用句としては使う。
「おじゃんになる」江戸の火消しが消火作業後に鎮火を知らせた鐘の音が「じゃんじゃん」と聞こえたことから、すべて燃え落ちたあとで、物事が不成功に終わる。駄目になること。(道具屋のオチが有名)
「折り紙付き」鑑定結果を証明する折紙が付いている意から、事物の価値や人物の力量、資格などが、保証するに足りるという定評のあること。また、武芸や技芸などで、一定の資格を得た人。悪い意味でも、「折り紙付きの不良」などと
「笠に着る(かさにきる)」権勢のある者をたのんで威張る。また、自分の側の権威を利用して他人に圧力を加える。
「片棒をかつぐ」駕籠(かご)の、先棒か後棒かのどちらか一方をかつぐということから、ある企てや仕事に加わってその一部を受け持って協力する。
「金に糸目を付けない」この糸目とは、凧あげをするとき、空中でのバランスを取るため糸に錘の金属をつけておくこと。現代語では「金銭」の意味に受け取られているが、もとは錘。
「きめ細やかな」元の意味は「木目が細かくまっすぐな木の表面」であるが、「肌理」など、皮膚や布目にも用いる。
「琴線にふれる」琴の糸がよい音でなるように、心の中の糸が感動で鳴り響くように思うこと。
「二進も三進も(にっちもさっちも)算盤(そろばん)の割り算から出た語で、計算のやりくりの意。行き詰まって身動きができないようす。どうにもこうにも方法がないこと。
以上、慣用句に使われた元の語の意味が分からない場合でも、慣用句として使われ続けることばを並べてみました。
ほかにもまだたくさんありますが、「綿のように疲れた」のでここまで。我が家に一番ふさわしい慣用句は、むろん「火の車」です。
<つづく>
20240407
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024日本語でどづぞ(10)めっきがはがれる
20240406
ぽかぽか春庭ことばのYaちまち>2024歳時記春(3)受難節
春の季語の中の「~節」。最後は四旬節。カトリックでは四旬節、プロテスタントでは受難節と呼びます。キリスト教で、復活祭前四十日間(主日=日曜日を除く)の斎戒期。キリストの荒野の断食修行にちなんだもの。英語ではLent。四旬節の開始日を「灰の水曜日」と呼ぶ。カトリックでは、神父から額に灰をつけてもらうなどの儀式を行い、斎戒の40日をすごす。
現代の日本でも神事に携わる人々が事前に沐浴斎戒を行うことはありますが、カソリックのように信者全員が「キリストの受難に倣って、肉食を避け、身を正してすごす」という行事にはなっていません。今のキリスト教信者の中でこの受難節や四旬節の斎戒期間に身を清めて過ごす人、どれくらい残っているのでしょうか。
・糸杉の道はるばると受難節 有馬朗人
・一喝めく同志の別辞受難節 香西照雄
春庭、すでに40日を超えて受難の日々をすごしています。日本語学校を退職してから1年。なんの贅沢もせず、50年を超えて働き続けた日々の労働の結果「葬式代」くらいは貯めなきゃと思ってきた雀の涙の分も使い果たしました。
食っていけない受難節ダイエットも限界の体重になり、これ以上は栄養失調になる。つらい日々です。
・痩身や哀しくもなし受難節 春庭
・受難の日彼も夜空に叫んだか 春庭
<おわり>