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ぽかぽか春庭2015年10月目次

2015-10-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20151031
ぽかぽか春庭2015年10月目次

1001 ミンガラ春庭ミャンマーだより>2015ヤンゴン日記9月(8)帰国報告

1003 ミンガラ春庭ニッポニアニッポン教師日誌2015ヤンゴン教師日誌9月(5)サバイバル授業の成果
1004 2015ヤンゴン教師日誌9月(6)ヤンゴン勤務、他の人には勧めない

1006 ミンガラ春庭ミャンマーだより>2015ヤンゴン日記9月(9)サク君出家するその1バックパッカーサク君おれ、シュッケしたいっす
1008 2015ヤンゴン日記9月(10)サク君還俗するその1スーレーパゴダお参り
1009 2015ヤンゴン日記9月(11)サク君還俗するその2還俗祝い食事会in momoさんち

1011 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(1)2003年のフルーツバスケット
1013 2003三色七味日記10月(2)2003年の英国版赤鬼
1014 2003三色七味日記10月(3)2003年のシュワちゃん
1015 2003三色七味日記10月(4)2003年のサイバネティクス
1017 2003三色七味日記10月(5)2003年のペットロス
1018 2003三色七味日記10月(6)2003年の象形文字
1020 2003三色七味日記10月(7)2003年のわらびのこう
1021 2003三色七味日記10月(8)2003年のネットご縁
1022 2003三色七味日記10月(9)2003年の会意文字
1024 2003三色七味日記10月(10)2003年の宝さがし

1025 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記10月(1)日本の行楽・上野岩崎邸動物園科博
1027 2015十五夜満月日記10月(2)姑ご機嫌伺い&花火大会&池袋よさこい
1028 2015十五夜満月日記10月(3)逗子の海辺で乾杯
1029 2015十五夜満月日記10月(4)10月無料お出かけ日誌

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ぽかぽか春庭「10月無料お出かけ日誌」

2015-10-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151029
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記10月(5)10月無料お出かけ日誌

 10月、仕事は火曜日に出講する私立のほかは、12月から勤務のヤンゴン日本語授業の準備だけとなりました。そうなると準備も家の片づけもあとまわし。
 家でぐうたらして、外で「無料で遊べる東京」を楽しんで過ごしてきました。私のおでかけ、「無料」が基本です。
 
映画館、飯田橋ギンレイで見る分には、夫からシネパスポート会社用を借りる。夫が私のために何か役立つのは、この1点のみ。10月8日に『龍三と七人の子分たち』『駆込み女と駆出し男』2本立てを見ました。10月28日に加賀まりこ特集『美しさと哀しみと』『泥の川』『麻雀放浪記』3本立て。初めて見たのは『美しさと哀しみと』だけ。川端康成原作の「文芸路線」というやつなんだろうけれど。八千草薫きれいだな、加賀まりこ魔性の女売り物が生きているなと思ったけれど、途中ところどころ寝た。泥の川と麻雀放浪記は何度見ても好き。

 美術館。10月18日に吉祥寺美術館の「伊豆の長八」展。65歳以上、観覧料無料。鏝絵の天才。すごい!
 写真ではいろいろ見てきたけれど、実物を80点も一度に見たのは初めて。伊豆松崎町の長八美術館まで行きたくなった。



 10月21日は、東京都美術館でモネ展を見るつもりでいたのだけれど、女子校クラスメートのやっちゃんが「65歳以上無料なら、東京まで出て行く」と高崎から出てきました。 午前中は西洋美術館の常設展も無料だから、とのんびり見ていたら、やっちゃんは「夫の母親の戸籍謄本を取りに、池袋の豊島区役所へ行きたい」という。今年92歳だかで亡くなった姑さんのお墓の管理をやっちゃんが引き受けるに当たって、戸籍謄本とか書類をそろえて提出する必要があるのだって。お墓の管理も近親者が引き受けるなら面倒はないけれど、姑の墓をヨメが引き受けるについてはたいへんで、しかも、25年も前に亡くなったやっちゃんのご主人の実母ではなく、ご主人のお父さんの後妻さんなので、よけいにたいへん。区役所で、謄本もらうまでに、1時間以上かかりました。上野に戻ったら、5時過ぎていて、東京都美術館にはいけませんでした。
 上野のあんみつ屋で、あんみつ食べながらおしゃべり。やっちゃんは「モネ展みられなくなっちゃって、ごめん」と言うのですが、65歳無料のチャンスは11月19日にもう一度あります。だから、10月21日は、やっちゃんといっしょに過ごせただけで十分。やっちゃんは、女子校時代、ファンがまわりを取り囲むスポーツ万能少女で、私はファンの一員にすぎなかったのに、今こうしておしゃべりできるだけで満足。やっちゃん、今は県の馬術競技連盟審査部長です。

馬が大好きなやっちゃん、馬の絵の写真を撮る


 10月25日は、2度目の大学同窓生の友人A子さんとおしゃべり。場所は高田馬場のミャンマー料理店。A子さんもシングル子育てを続けてきて、子育ての愚痴やら、シングルマザーの経済的なつらさやら腹蔵なく話せる人。私も、ヤンゴン赴任のために私立大学の仕事を断ってしまい、70歳までは私立大学で仕事をしようと計画していたのがダメになり、経済的な不安を抱えていることなど愚痴りました。10月22日の会議に出席して、派遣元大学側にとって、私のような下っ端日本語教師は、「使い捨て」に過ぎないとよくよくわかったのです。A子さんもフリーの翻訳者なので、経済的な不安が続きます。同じ不安を抱えて、互いに「あなたもたいへんねぇ」と言い合うだけで、なんだか元気づけられるのです。

 やっちゃんは未亡人、ミサイルママは離婚後シングルマザーという違いはありますが、「女の細腕」で子育てをしてきた、という共通点があります。しかし、やっちゃんは、私立高校理科教師を退職した後は年金で暮らしていける。その点は、とてもうらやましいです。

 経済不安を抱えながらも、とにかく今は休養です。使い捨て教師ということはわかったけれど、私は与えられた仕事は手を抜くことなくやり通す覚悟。おお、立派!!立派だけれど、カネはない。カネないから、今日も格安遊び場へ。神奈川県立歴史博物館で五姓田義松回顧展。65歳以上、観覧料100円。

 以上、10月の無料の遊び場でした。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「雨の鎌倉だるダル散歩」

2015-10-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151028
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記10月(4)雨の鎌倉だるダル散歩

 10月16日金曜日、逗子駅までミサイルママと歩いている間は大丈夫でしたが、隣の鎌倉駅に降りたら雨が降り出しました。何の計画もない鎌倉散歩。ただ行き当たりばったりに歩こうと思っていたので、目の前に大仏前経由藤沢行きというバスが来たので、乗りました。大仏前で降りたけれど、まだ7時半。大仏様の開門は8時でした。

 まあ、カメラでも用意して待っていようと思って、リュックの中を見たけれど、カメラがない。さあ、たいへん。カメラは、シゲさんが貸してくれたものなのです。私のカメラは、ヤンゴンのお寺のトイレに落としてしまった、という話を笑いながら聞いて、「今、手持ちのカメラがふたつある。ひとつは、夏のダイビング用に買った完全防水のカメラ。来年のダイビングシーズンまで使わないから、貸してあげる」と、貸してくださった。親切に甘えたはいいが、さて、そのカメラはどこ?

 まだ電車の中であろうミサイルママに、「借りたカメラを逗子に置いてきてしまったらしい。シゲさんに、そのへんに置きっ放しになっていないか、さがしてもらって」と、メールしました。

 そんなメールをしているうちに、開門になったので、大仏の前へ。金曜日の8時。雨の大仏の前には、どこの撮影チームなんだかカメラクルー1組のほかは、参拝者男性一人女性ひとり。ほとんど人がいない、私にしては初めての「大仏のまわりに人がいない」というシチュエーションなのに、大仏様を撮るカメラもない。シゲさんにカメラ弁償しなきゃならないけれど、ダイビング用防水カメラっていくらぐらいするもんなのだろう、と思いながらの参拝だから、せっかくの美男の顔を拝むのも、気もそぞろ。

 境内一回りして、与謝野晶子の「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」の歌碑を眺める。
 「晶子はこの大仏は阿弥陀様だと知っていながらあえて実存した釈迦牟尼っていうことにしたのか、それともほんとうにお釈迦様だと思っていたのか」という、毎回大仏を見るたびに考える疑問をもう一度考える。そして、毎回のように結論は出ない。

 鎌倉時代の史書『吾妻鏡』には、1252(建長4)年に「深沢里にて金銅八丈の釈迦如来像の造立が開始された」と書かれていて、一般には「釈迦如来像は、阿弥陀像の誤記」とされているのだって。晶子は、吾妻鏡に書かれていることを利用してあえて、釈迦牟尼としたのか、それとも、美男だから実在の人物、と単純に考えたのか。

 まあ、歌の鑑賞は心に響くかどうかが重要で、釈迦でも阿弥陀でもいいのかもしれないけれど、春庭説をご披露。
 日本語音声学を15年教えている間に、日本語母音と子音の響きに敏感になったので。
 「カマクラ」という「K」音の響きに響き合うのは、Amidaという母音中心の音よりも「Shaka muni」という「K」音を含み、シャカという摩擦音破裂音のあとにムニという鼻音でやわらげる名のほうが、ずっと全体の響きがよくなる、ということ。
 
 長谷寺まで歩いて行ったが、長谷寺も開門前でした。開門まで待つ気が失せたので、江ノ電長谷駅へ。江ノ電は、鎌倉江ノ島間は乗ったことがあるけれど、藤沢まで行ったのことがないので、雨で傘さして歩くのもたいへんなので、今日は乗り鉄に徹しようかと。

 藤沢まで、乗り鉄、一番前の車両に乗り込み、運転士さんの肩越しに前方を眺められて楽しかったです。雨が降っているので、ワイパーの動きが少し邪魔だったけれど。
 鎌倉の海は、海なし群馬県生まれの私が初めて海水浴をしたところ。初めて海を見た60年前に重ねながら藤沢まで行きました。
 
江ノ電乗り鉄


 藤沢駅前のミスドに入る。コーヒーとドーナツのトレイを持って2階席に登ったら、階段終わったところでよろけて、コーヒーはドーナツの上と床にぶちまけられる。リュックがバランス悪いし、よろけるような年寄りは1階席にしておけっていうの。
 店員さんに「モップ貸してください」と、申し出たら、掃除は店員さんがしてくれた上、もう一度コーヒーとドーナツをサービスしてくれました。藤沢駅前ミスタードーナツ店さん、ありがとう。

 コーヒーを飲んでいると、池袋の職場に着いたミサイルママから「部屋を探したけれど、カメラはないって。e-Naちゃん、もう一度リュックの中を全部探してみて」という返事。
 もしも、移動途中で落としてしまったのだとしたら、たいへんです。私は、リュックのファスナーを閉め忘れて、中のものを落とす、なんてのはしょっちゅうやらかしてきたので。ミスドのテーブルに、リュックの中のものを全部広げました。
 あれれ、リュックの内ポケットになにやら、、、、ありました。そうだ、人様の借り物をなくしたらたいへんと思って、内ポケットの奥に入れたこと、すっかり忘れていた。

 ミサイルママに「すみません、もう一度探したら、ありました。ミスドのコーヒーこぼして、服がコーヒーかぶってしまい、もう人様に迷惑かけたバツは受けているので、シゲさんに、e-Naを叱らないように、頼んでおいてね」と、メール。
 あとで、シゲさんからは「笑っちゃいます」という返事がきました。
 私は、ジャズダンス発表会の衣装をどこかにしまい忘れて、ミサイルママに2度買ってきてもらったり、これまでもさんざん迷惑をかけているのですが、今回はシゲさんにまで迷惑をかけてしまいました。お恥ずかし。これで、シゲさんにも、私の「うっかり粗忽迷惑キャラ」がしっかり伝わったことでしょう。

 だが、鎌倉のドジは、これだけではおわりませんでした。
 江ノ電乗り鉄、藤沢から鎌倉に戻りました。本日の主な目的は、鶴岡八幡宮の隣にある鎌倉近代美術館。いつもはJR鎌倉駅から小町通りを通って行くのに、江ノ電鎌倉駅に降りたら、方向音痴の私、たちまち迷いました。途中で線路踏切を見つけて、線路を渡り、小町通りに。雨の平日なれど小町通りは、散歩のオバサングループと、社会科見学の小学生で、混み混み。途中の小間物屋で、漆塗りのスプーンを買う。娘は金属アレルギーなので、金属のスプーンやフォークを持って食べると手が赤くなる。

 やっとたどり着いた鎌倉近代美術館。お目当ての展示は、17日土曜日がオープンで、16日金曜日は展示準備の休館日。ガ~ン。
 しかたないから、いつもはパスしている鶴岡八幡宮の宝物館に入りました。自動販売機で200円の入館料を払って入り、受付のパンフレットを一枚もらったら、巫女姿バイト嬢に、パンフレット要るなら、入館料の他にお賽銭を払え、と言われる。無料と思ったので手に取ったのに、賽銭とるなら、最初から「有料パンフレット」と書いておけっての。

 でも、展示物の説明が必要と思うので、賽銭箱に100円入れる。読むと、パンフレットは、鶴岡八幡宮の説明のみ。宝物の解説は書いてない。「展示物の説明はないのですか」と尋ねると、巫女嬢は、「展示の脇に書いてあるから読んでください」という。読んでも忘れるからと思って説明書きの写真を撮ろうとしたら、カメラ出しただけで「撮影禁止です」と、叱られた。しかも、展示宝物の三分の二は、複製品でした。これじゃ「宝物館」じゃなくて「宝物複製品館」ではないか。入館料は無料にすべきだ。ショーモないと思いながら複製品の「鎌倉時代の十二単」など見る。となりで見物のご夫婦は「あらあ、鎌倉時代の着物なのに、色がよく残っている」と、感心している。だから、複製なんだよ。

鶴岡八幡宮


 シゲさんが「知り合いが鎌倉に手打ち蕎麦の店だしたので、鎌倉で昼ご飯食べるなら、行ってやって」と紹介してくれたので、新出店の蕎麦屋めざして、バスに乗る。最寄りのバス停でおりて渡された店の名刺の電話に連絡。「青砥橋前のバス停から、浄妙寺バス停へ戻るんですね」と念を押すと「はい、左側です。店の前に出ています」と電話に出た女性が言う。浄妙寺バス停まで戻る間、それらしき蕎麦屋はなかったので、もう一度電話。なんと、青砥橋から戻るのではなく、先へ進むのだった。電話に出た店主らしき人に「でも、さきほどの女性は青砥橋から浄妙寺へ戻るんですねと、私が尋ねたら、そうですと答えたのですよ。昼営業は3時までとあるのですが、今2:45なのに、今から行って食べられるのですか」と、尋ねる。OKというので、しかたない、また青砥橋まで戻り少し行くと、電話の女性が迎えに出ていた。「すみません、ご案内になれていなくて」と、謝るので「これだけ往復歩いたので、おなかがすいて、おそばがいっそうおいしくいただけると思います」と、言う。

古民家蕎麦屋「青海波」


 屋号の青海波は、雅楽の曲名ですが、ご主人は伝統文様の青海波から名付けたと。
 築80年の古民家を改築して蕎麦屋開店にこぎ着けた、という、店主こだわりの店構え。昭和10年ころの建物を、家主の代が変わるたびにリフォームしてきたので、最初とはだいぶ変わっているかも知れないけれど、どうしても和風の家で蕎麦屋を開きたくて長年物件を探してきたそうです。

青海波室内


 しばし、待つうち、てんぷら蕎麦が来た。おいしかったが、1700円は、私には高価な蕎麦になる。日頃エキナカ立ち食い450円のかき揚げ蕎麦を食している身には、立ち食い蕎麦より2倍は美味、というのは確実だが、3倍美味しいかといえば、そうではない。蕎麦値段は1000円で、古民家見物代が700円と思うことにした。

 エビ天ぷら1本と蕎麦3分の1くらい食べてから「そうそう、写真」と思って食べたので、天ぷらも蕎麦も減っていますが。


 鶴岡八幡宮前の蕎麦屋では、蕎麦ランチが1000円だった。たぶん、それよりはいいそば粉を使っていたりするんだろうけれど。なんせ鎌倉と言っても青砥橋の先では、フリの観光客は来ない。知り合いの間の口コミで「蕎麦の味がわかる」客層を開拓するしかないだろう。しばらくは経営がたいへんかも。まあ、逗子には金持ちがいっぱいいるというので、常連客がつくことを期待しよう。

 私はいつもの早食いなので、3時30分には食べ終わってしまう。
 浄妙寺まで歩いて戻り、華頂の宮邸を見ることにする。
 前回の見学で、「お屋敷が建てられた時、華頂の宮は臣籍降下して華頂侯爵になっていたのだから、華頂侯爵邸と表記すべきなのに、保存管理公開にあたる鎌倉市が、宮邸を名乗るのは、侯爵邸より宮邸のほうがエラそうだと考える鎌倉市小役人のスノッブ価値観の表明である」と、ケチをつけた。

 もう一度見ておこう、と思ったのは、ときたまある無料のアクセス解析で、「華頂の宮」「不倫」という検索キーワードで春庭サイトにやってくる人が、一定数いることが、わかったからです。華頂の宮邸にまつわる不倫スキャンダルを「こぼれ話」として書いておいたことが、人の興味を引くとは。世の中、スキャンダル好きが多いのね。

 しかし華頂の宮邸に着いたら、3時で閉館だった。ガ~ン。なんてツイてない鎌倉だったことか。朝の大仏からダメダメで、複製品宝物見て蕎麦食べただけで終わり。美術館もお屋敷見物もできず。

華頂の宮邸、塀の外から撮りました。


 バスで鎌倉駅に戻り、JR湘南新宿ラインで帰宅。金曜日夜の、ジャズダンスに行くからね、とミサイルママに約束したけれど、疲れたから家に帰って寝てしまった。

 10月17日金曜日雨の鎌倉見物。
 雨の大仏、見るまで開門30分待ち。江ノ電往復600円。鶴岡八幡宮宝物複製品見物200円。新開店古民家蕎麦屋で天ぷら蕎麦1700円。以上。

 いいこともあった鎌倉散歩。
 ミサイルママ、お弁当のマフィンサンドおいしゅうございました。ありがとう。シゲさん、カメラ騒動を笑って許してくれて、ありがとう。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「逗子の海辺で乾杯」

2015-10-27 12:27:20 | エッセイ、コラム

逗子海岸の夕日

20151028
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記10月(3)逗子の海辺で乾杯

 ジャズダンス仲間のミサイルママ、去年の夏にプロポーズされて、おつきあい開始。1年以内に別れちゃうじゃないか、というご本人の予想を覆して、めでたくおつきあい1周年を迎えました。パートナーのシゲさんに「彼女を大事にしないと、e-Naに殺されるよ」と、メールで脅しをかけてあります。ちゃんと彼女を大事にしているところを見てほしいのか、シゲさんから「逗子に遊びに来てください」と、呼んでもらいました。
 e-Naは、私のダンサーネームです。年下のシゲさんには「アネさんってお呼び!」と、言ってみたのですが、結局「イーナちゃん」になってしまいました。

 ほんとうは、夏の逗子で水着デビューを飾る予定だったのですが、水着姿披露は来年の夏に持ち越し。今の水着は、超オデブだった姪のスクール水着おさがりなのですが、来年にはかっこいいデザインのマタニティスイミングウェアを買おうっと。いや、このおなかをひっこめれば、フツウの水着でいいわけですが。

 湘南新宿ラインで逗子に着いたのは正午少し前。ミサイルママとパートナーのシゲさんが自転車でお出迎えしてくれました。シゲさんは海辺へ行って、ランチ会の準備。
 私とミサイルママは、まずシゲさんのアパートへ。静かな住宅街の中です。
 荷物を置いて、海へ向かう前に、ミサイルママが「私の散歩道」を紹介したい、と歩きはじめました。

 逗子ハイランド住宅団地という住宅街を通って披露山公園へ。公園から西へ行けばすぐ隣の鎌倉市です。海からの標高は100mで、披露山には電波塔が建てられています。かなりの急勾配の道もあり、ランチの食料を肩にかついで登ったので、披露山公園に着いたときは、かなりの疲労。

 「ここからの眺めをe-Naちゃんにも見てほしかったの」というミサイルママ。披露山の眼下の逗子湾。西には江ノ島が見えました。



 ミサイルママは、水木が休日なので、毎週、火曜日の夜仕事が終わると泊まりに来て、掃除をしたり食事を作ったりして、金曜日の朝湘南新宿ラインで池袋へ。一日仕事をして、夜はジャズダンスサークルに参加。

 現在は定年退職後の嘱託パート勤務扱いで働いているけれど、来年の3月に今の職場を完全リタイアの予定。でも、今の週4日は自分の住まい、週3日パートナーと共にすごす、というおつきあいの仕方が一番居心地がよいので、なんとか2016年3月以後も仕事を探して働きたい、と言っています。

 還暦過ぎた女性の仕事、ハローワークで探すと、ほとんどが「クリーンスタッフ」などの名前の「お掃除おばさん」なのだそうです。「私、お掃除も好きだからクリーンスタッフもいいと思う」とミサイルママは言います。今の会社に入ってから13年間、自分がトイレを使うたびに、ちゃちゃっとトイレをきれいにしてきたのですって。

 「会社のトイレがいつもきれいなのは、私が一日に何度か掃除してきたからだって、だれも気づいていないけれどね。でも、私がやめたら、トイレ掃除を自分からやる人っていなくなるだろうから、トイレは、自然にきれいになるわけじゃないって、わかる人がいるかな」
私は、この話を聞いて、日頃のミサイルママの人柄がよく表れているなあと思いました。会社のトイレ掃除をしてきたこと、会社では言ってこなかったのだろうと思います。陰ながら貢献する社員のこと、会社上層部はわかっていないんだろうなあ。

 今の会社の業務内容に合わせてとったカラーコーディネートやインテリアの資格を生かす仕事がないものかと、思うのですが、そういう職種は若い人のほうが求められるから、募集に年齢制限が書いてなくとも、高齢者は書類審査ではねられてしまう。今の会社だって、定年後に3年も嘱託パートで働けただけでもありがたかったのだから」と、披露山の上り下りの間にミサイルママは語りました。

 今も週3日は、シゲさんの仕事の手伝いをしているのだけれど、シゲさんはまだ独立して1年。すぐには収入も安定していない状況で、全面的にパートナーの収入に依存することなどできない、あくまでも自分の生活は自分で維持していきたい、とミサイルママは考えています。
 ふたりともバツイチで、彼には成人した娘さん2人、ミサイルママには成人した息子さん2人います。法的な結婚は考えていない、というのですが。

 ふたりにとって一番いっしょにいやすい環境をととのえていけばそれでいいと思うのですが、私には、少し心配なこともあります。ミサイルママの短所は、相手に尽くしすぎることです。そして疲れてしまう。
 私からは「シゲさん、独立したばかりなので、いろいろやってあげたくなるだろうけれど、自分の居心地がいいことを最優先にしてね」と、アドバイスしました。
 
 披露山から海へ向かって下りていく途中、「石原さんち」の脇を通りました。作家石原慎太郎が逗子からヨットに乗るために40年前に建てた家ですって。
 「岡本太郎作品の椅子があるんだって」と、ミサイルママが言うのですが、むろんのこと裏手の道からは逗子湾に面する側の椅子は見えません。住宅紹介のサイトを検索したら、赤と白の手の形の椅子でした。

石原邸

 貝を拾いながら、シゲさんの用意してくれた椅子とテーブルのランチ場所まで逗子海岸を歩きました。夏場の逗子海岸、海の家がすき間なく建ち並び、海辺はビーチパラソルで埋め尽くされるということですが、今は、沖に出ているのはヨットやウィンドサーフィン。渚には、イヌをつれた散歩の市民やジョギングランナー。
 秋の浜辺でランチを食べる、というのもとっても優雅。ランチは、ミサイルママ手作りのサラダや煮物など。シゲさんは炭水化物除去食主義なので、サンドイッチやお寿司は食べません。

 シゲさんのお隣さんのユミさんがランチに加わったところで、シゲさんのギターと歌。吉田拓郎やアリスなどの歌が披露されました。歌、とても上手で、「センセーの歌、はじめて聞いた」と、ユミさんも感心していました。シゲさんは、元体育のセンセーと聞いていましたので「元音楽のセンセーかと思った」と、私も誉めました。 

 シゲさんの逗子の友人、ほかに2人が加わりました。ひとりは、犬のモモちゃんを連れたモモちゃんママ。もうひとりは、シャンと背筋の伸びたトシコさん。トシコさんは、元出版社の社員を定年退職後、つり三昧したいから逗子に移り住んだのですって。逗子の海でカツオも釣れるそうです。女性5人に囲まれたシゲさん、楽しそうです。逗子湾に沈む夕日をながめながらのおしゃべり、とてもよい時間でした。

 陽が沈むと急に暗くなる秋の宵。大急ぎで片付けをしました。
 毎日9時か10時ころには寝て、朝は5時ころ起きるという朝型のシゲさんなので、あっという間に寝る時間。
 シゲさんは毎朝、5時すぎには海辺のジョギング。6時半からは、逗子ご近所の人たちと海辺でのラジオ体操。元体操教師のシゲさん、たちまち逗子ラジオ体操仲間の花形になったらしい。

 「ふたりでゆっくり話していていいよ」とシゲさんに言われたけれど、ミサイルママが朝7時前には家を出て、始発の7:10発湘南新宿ラインに乗るというので、私もいっしょに乗って隣の鎌倉で降りることにして、私も10時前には寝てしまいました。どこでもいつでも寝られるのが私の特技。
 
 朝、ミサイルママは、仕事場に持って行くお弁当を用意し、私が「鎌倉散歩」をすると言っていたら、「鎌倉で食べてね」と、私の分のお弁当まで作ってくれました。マフィントマトサンドとカキとリンゴのフルーツコンボ。いたせり尽くせりです。娘も「こんなに性格の悪い母とトモダチでいてくれるなんて、ミサイルママさんは、ありがたいね。母も、ちょっとはミサイルママさんのためになることしなさいよ」と、言うのですが、私が人のためになることなんかすると、秋でも雪がふるから。私の自己チューどケチをいやにならない人とだけつきあう。

 逗子から始発で出れば、9時の会社始業時間にゆっくり間に合うというミサイルママさん。電車の中でも、おしゃべりが続きました。私は隣の鎌倉で下車。
 鎌倉散歩にはちょっと早すぎる時間だと、下車してから気づきました。

 逗子海岸夕日の中のミサイルママと私。
 撮影のシゲさん、彼女をカッコよく撮ることに成功したけれど、e-Naちゃんをもう少し細めに撮るカメラアングルを工夫すべきだったのでは、、、、いえ、真実を写すのが写真機、ですね。


とはいえ、1992年には、私もミサイルママよりほんのちょっと太めなだけだったという証拠写真を。ほんのちょっと、、、、あらま、腕や太もも、だいぶ太い。(真ん中で踊っていた歌手のユミさんをカットした部分が少々不自然ですが、ダンサーの加工はなしですから。左ミサイルママ、右わたし。)
 23年の間、体型美貌を維持してきたミサイルママに比べて、私は食べたいだけ食べてストレス解消につとめました。はい、現在の体型、納得です。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「姑ご機嫌伺い&花火大会&池袋よさこい」

2015-10-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151027
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記10月(2)姑ご機嫌伺い&花火大会&池袋よさこい
 
 10月3日は、姑宅に帰国ご挨拶に。ミャンマーのお茶、シュエタゴンパゴダのレリーフ壁飾りなどおみやげを持って行きました。夫にはミャンマーカシューナッツとお茶。
 姑は、みなで買い物に出かけるのが大好き。隣駅の町まで行くときは私もいっしょに行きますが、今回は駅前の八百屋までだけ、というので付き添いは娘にまかせました。

 いっしょにお茶を飲んで、姑のおしゃべりを聞く。姑がしゃべりたいことをしゃべりたいだけ話す、ということが大事だから、「ほら、小松んところの次男のヨメが、、、、」なんて私にはわからない人の話がでてきても、「それ、誰?」なんて話の腰を折ることはせず、「うんうん、ヨメさんね」と聞いています。娘はボランティア講座受けたわけでもないのに、おばあちゃんのお相手になれているから、相づちの打ち方がとても上手で、姑はつぎつぎに「ご近所の人の話」を続けます。60年とか70年も前のご近所の人々って、今はほとんど生きていないんじゃないかしら。

 姑が夫の赴任にともなって山形から出てきて、東京の西も東もわからない頃、親身に世話をしてくれた方のことなど、今でも感謝し続けているようすなど、その子孫の方々に聞かせたいと思うくらいです。自分の母親(または祖母)が、今でもこうして人に感謝される存在であったことを知って、お盆やお彼岸のお参りのさいに報告してもらいたいです。あなたの親切を今も心の中に残している人がいるよって。

 10月10日。北区の花火大会をはじめて見に行きました。
 私は花火大好きなので、娘息子がいっしょに行ってくれないときは、ひとりでも見に行っていました。娘息子とは10年くらい前までは、8月の板橋戸田花火大会に行きました。ここ数年年は、晴海の東京湾花火に応募して運良く当たったら見に行く、ということにして、娘といっしょに見ました。東京湾花火の葉書応募はペアチケットなので、一枚の当選葉書では、私と娘と二人だけのお出かけに成り、息子はもう何年も見ていません。

 今回は、ひさしぶりに3人での花火大会。
 秋の花火だし、大きな花火大会に比べてまだ一般に知られていません。人出も隅田川花火の百万人に比べると、北区の人出は5万人ほどで、まだまだ河原もゆったりしています。

 今回は初めてで、場所取りのようすもわからないので、ひとり千円の有料自由席を購入。有料指定席は打ち上げ場所のすぐ近くで空いっぱいに広がる花火を見られるのですが、チケット代3人分は払えない。せいぜい有料自由席。12時に会場してすぐに私が場所取りに行きました。
 無料席は4時から入場開始というので有料席チケットを買ったのに、12時からみな無料席の席取りをしてビニールシートを敷いていました。有料席は青いビニールシートが半畳ずつ配布されました。3枚のシートを広げ、区民がフラダンスやタップダンスを披露している舞台を遠く見て待ちました。

 4時半頃、娘と息子が来て合流。昔とちがって、ケータイのおかげで、合流が楽になりました。私は花火開始6時と勘違いしていて、「5時前には合流してね」と電話したのですが、開始は6時40分でした。
 しかも花火発射地区に、花火見物に来た屋形船が数艘入り込みました。何度も放送で「発射地区に近すぎるので、危険だから離れるように」と注意しても、船は動きません。きっと「花火のすぐ下で見られる」という触れ込みで船客を集めたのでしょう。警備艇が注意しにいって、ようやく安全が確認できたのは7時20分すぎ。開始が30分も遅れました。

 これまで、北区だけで実施してきた小さな花火大会だったので、屋形船進入禁止というような措置は厳しくしてこなかったのでしょう。来年はこういうことのないように、川の警備が強化されると思いますから、他区の方、近くで見たかったら、屋形船でなく、有料席1万円を買いなされ。

カメラ持っていかなかったので、借り物写真の北区花火です。


 北区花火は、大きな大会に比べこじんまりした花火が多かったですし、音楽連動花火も、音楽が途切れてしまって、ぜんぜん花火と音が連動していないところなど、北区らしいショーモなさで、でも50分の花火おおいに楽しめました。
 去年は9階自宅の玄関先から、遠くの小さい花火を見物しました。指定席での迫力には及ばないでしょうが、遠花火ってのも、風情はあります。

嫁(ゆ)かぬ子の横顔涼し遠花火<春庭

 10月の河原は、思った以上に寒かったので、来年はもっと厚着をしよう、ということにして帰りました。

 12日は、仕事中のミサイルママから電話。「仕事を早めに終わりにしていいって、お許しが出たので、これから池袋よさこい祭りを見にいくけれど、いっしょに見ない?」「いく、いく」と、出かけました。

 ミサイルママの勤務地に近いアゼリア通りで、「甲斐風林火山」演舞お目当てで、見学用ブルーシートの上に設置されているベンチに座って見ていました。風林火山までのコンクール出場チームの演舞、「うん、これなら半年くらい練習すれば出場できるかな」という振り付けでしたが、風林火山の演舞は、圧巻でした。6年間優勝し続けて今は特別参加の殿堂入りチームになっている風林火山。ひとりひとりの動きも見事だし振り付け演出もすばらしい。ジャズダンス歴30年のダンサー、ミサイルママとe-NAがちょっとやそっと練習しても追いつけないレベルに仕上がっていました。

 最後の「全チーム参加総踊り」という時間に、コンクールチームに紛れ込んでミサイルママといっしょに踊ったこともあったのですが、「今年は総踊りはパス」として、サイゼリアで夕食。私が、逗子の「ミサイルママパートナーさん訪問」するのは、10月15日と決まりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「上野岩崎邸動物園科博」

2015-10-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
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0151025
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2015十五夜満月日記10月(1)日本の行楽・上野岩崎邸動物園科博

 10月11月、2ヶ月間の日本生活、日常のあれこれを大切に、そして楽しくすごそうと思って暮らし、結果ぐうたら半分、外出半分で、やらなければならないことはすっかりとお留守になっておりました。でも、まあ、暑い中そして盛大に雨降る中、人様が夏休みだお盆休暇だと言っているときに、土日も働いて仕事を全うしようと励み、あげく「拘束勤務をしなくてもいいのだから、働き過ぎるのは自分の好きでしょ」と、言われてがっくりきていた帰国後のこと、ぐうたらもよろしかろうと。

 10月初旬中旬、遊びほうけて、ようやく気持ちも落ち着き、出張報告書も来期のカリキュラム&シラバスもきっちっと作りました。薄給の身で、えらいなあ私。と、自分で誉める。ほかに誰もよく頑張った、なんてことは言わないし、「時間がかかるのは、あんたが無能力だから」としか言われないのだから、自分で誉めておくしかないのでね。

 10月1日~30日のお出かけ日記です。
 10月1日、娘と上野行楽。まずはランチ。「肉の大山」という肉の卸問屋の直営食堂へ。娘はステーキ丼、私は生姜焼き&唐揚げ。



 おなかいっぱいにして岩崎邸へ。娘は初めての訪問です。娘は「龍馬伝」に出てきた岩崎弥太郎についてくらいしか歴史には興味を持っていなかったので、洋館1階ではボランティア解説員の説明を聞きました。でも、何度も来ている私には、内容をそらんじてしまった程度の解説なので、和館は好き勝手に見て回る。息子へのおみやげに、庭のテントで販売していた小岩井農場のケーキを買いました。
 撞球室前で小休憩。










 雨が時折強まるけれど、上野動物園へ。1日都民の日、岩崎邸も上野動物園も無料です。もう4時の閉館時間が迫っているので、西園の夜行小動物館などを見たほか、シマウマ、キリンなどが部屋に入っているのをささっと見て、東園へ。モノレールがちょうど出発するところで、並ばなくても乗れたので、二人で乗りました。


 娘は「子供の頃はモノレールがあこがれで、乗りたくてたまらなかったのに、乗ったのは1回か2回くらいだったよね」「あんたたちが小さい頃は、モノレールいつも長い列を作っていて、30分待ちとかだったからね。今日みたいに待たずに乗れるなら、よかったけど」
 まあ、それもあったけれど、お弁当におにぎり持って、電車賃入場料を払うので精一杯の貧困家庭だったからです。電車で15分の上野動物園と、自転車30分で行けた荒川遊園地は、入場料もそれほど高くないので我が家の行楽の定番だったのですが、モノレールには乗せてやる余裕がなかった。

 上野動物園に来たのは、閉園まぎわのパンダ舎を娘に見せるため。私はひとり動物園めぐりで、ちょくちょく「活発なパンダ」を見てきましたが、娘が見たパンダは「いつもぐてっと寝ているパンダで、ぬいぐるみが置かれていてもわからん」というものでした。動いているパンダを見せたかったのです。
 娘、ケータイで写真をとって、「うん、パンダ感がよく出ているパンダが撮れた」と、満足していました。



 10月2日。息子が大学から戻るのを待って、上野へ。科学博物館の「古代生物展」を見るためです。
 夏休みに息子と娘とふたりして幕張メッセまで「恐竜展」を見に行って、小学生のよいこたちに負けないよう楽しんできた、と話していたのだけれど、「カンブリア紀の生き物は、母が一番ファンなので、母の帰国まで待っていた」と、言います。10月4日が最終日なので、土日は混むだろうから金曜日2日に出かけました。

 科博についたのは4時過ぎでした。あと1時間待つと「5時からペア入場券ふたりで2000円」ということだったので私は待っていたほうがお財布にやさしいと思ったのですが、「1時間でも長く見ているほうがいい」というので、4時に入場しました。金曜日は8時まで開館していますから、4時間は見ることができます。

 「恐竜が人気なのはわかるけれど、カンブリア紀とかの古生物で展覧会開いちゃおうと思った学芸員はエライ」と、娘の感想。でも、入場してみると、カンブリア紀を中心とする古生物ファンもけっこういるもんで、混み混みではないものの、平日にしては人出が多かったです。

三葉虫の一種 集合化石

 私は恐竜も好きですが、地球が生まれてからの進化の歴史を見ることが楽しい、と感じる子供でした。子供図鑑の「地球の古生物」などを飽きずに眺めていました。生き物の誕生、さまざまな形の生き物、三葉虫とかアンモナイトそのほかのへんてこりんな形の動物を見ていると飽きませんでした。

 大人になると、カンブリア紀の生き物のファンになりました。
 カンブリア紀は、古生物が地球上に爆発的にあふれた時代。いちばん好きなのは、アノマロカリス(学名:genus Anomalocaris。)次はオパビニア。カンブリア紀動物のスターです。

アノマロカリス模型

 S・J・グールド『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』やS・C・モリス『カンブリア紀の怪物たち―進化はなぜ大爆発したか』なども楽しく読みました。っていうか、この2冊に書かれた知識のほかは、あまり持ちあわせがない。

 展示は、古生物の進化をわかりやすく解説してありました。4度の「全生物大絶滅」を経て、現在の動物に進化してきたこと、過去の絶滅は地球のマグマ大噴火や隕石墜落が大きな原因だったけれど、現在の動物絶滅の大きな原因は「人間」であることなどが展示してありました。

 子供の頃、まだ古生物学にも未解決な問題がたくさんあり、未発見の生物化石も多かったのに、なぜ、私は古生物に惹かれたのだろうか、と思います。完全文系人間ですから、ただ、「不思議な生き物」を知って地球進化にロマンを感じたのだろうと思います。頭が理系だったら、生物学者になっただろうけれど。

 「6000年前に、6日間で全世界が造られた」なんかではなくて、45億年前の地球誕生から順を追って進化してきたのだと知ることが、なにやら「科学的に真実を知る」ことのように思えて、楽しかったのかも知れません。







 カソリックではローマ法王も「ビッグバンも進化も神の意志」という方向転換を行ったらしいですが、やはり、それは「神は自分自身の姿に似せて土の塵(アダマ)からアダムを作り上げた」という記述とは矛盾するように思います。それに、それほどの意志がある神なら、人間誕生まで数十億なんていう進化の過程を経ないで、最初から人間を造るべきだと思うけれど。地球が出来てからを「神の7日間」とするなら、およそ6億年が神の1日だと思うが、ビックバンからが神の1日なら、神の1日は20億年ほどか。

 進化論なんぞ否定する、という人がいても、その信念は尊重したい。
 どっちにせよ、私はピカイアやアノマロカリスが好き。46億年の進化の時間の流れが好き。
 アノマロカリスが絶滅した地球の歴史があるなら、人類が絶滅する歴史もあるだろう。

 CG映像や模型が楽しく、閉館の8時くらいまで見ていました。娘は「ほらね、5時のペアチケット割引きまで待っていたら、全部見終わらなかったかも」と言い、ゆっくり見れて満足して帰宅。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の宝さがし」

2015-10-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151024
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記月(11)2003年の宝さがし

2003年三色七味日記10月の再録を続けています。
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2003/10/31 金 晴れ 1034
ニッポニア教師日誌>宝さがし

 ビデオ、文化中級3コマ。

 今日も、1組のビデオクラスはノリノリ。ビデオみて、ゲームなどのアクティビティをして、楽しくすごせるので、学生達もビデオクラスが大好き。「先生の授業がベストワンです。」と喜ばれて、私もいい気分。他の先生達、苦労して文型をわんさかつっこんで「こんなに覚えきれない」なんて文句言われて、学生の評判もイマイチになるのに、ビデオクラスは遊ばせてやって喜ばれて、教師は楽できて、ほんとおいしい授業だ。

 今日は、位置の言い方復習のため、宝探しをやった。持ち物をひとつづつ学生から出させて、教室のどこかに隠す。学生は習ったばかりの「どこにありますか」の文型で質問し、かくした学生が「机の中にあります」「あなたのとけいはテレビの後ろです」などのヒントを言う。みんな大騒ぎで探し、見つかると大喜び。
 「見つけられなかった宝物は、全部先生のものになるからね」と、冗談で言ってあるので、皆真剣に探す。

 もちろんおいしい授業にするために、90分ヒトコマに何時間もかけて事前準備をしなければならない。ヒトコマなんぼの仕事で、こんなに教材準備やら、作文添削コメント書きの時間をとって、いったい時給はいくらになってしまうのやら、餃子の満州で皿洗っていた方が以下も知れないと、思うのだが。でも、私皿洗いは家の中でやるだけで、もう十分だし。

本日のつらみ:独立行政法人になったら、非常勤講師のコマ数は、思いっきり減らされるというウワサ、ウェ~ンますます年収が減るよう

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20151024

 非常勤講師の勤務形態は、ブラック企業のブラックバイトと同様です。サービス残業あたりまえ。来年の契約は不安定、通達ひとつでクビになる。
 2015年の出講契約をしている3つの私立大学のうち、ひとつは「来年以降の契約なし」と通達を受けました。学部再編にともない、日本語教師養成コースは廃止になる可能性が高く、他学部でこのコースを再編するとしたら、新しく講師を募集することになる。その際ロートルに応募資格なし。
 
 こんな不確かな条件の労働の中、私自身は「日本語教育も日本語教師養成教育も誠心誠意、誠実に努力してきた」と、心の中で思うことだけが私の勲章。
 心の勲章には年金がつかないから、ポイ捨てされればそれで終わり。

 6月末に、年金では食べていけないからと、新幹線の中で自殺した71歳の方がいた。乗客がまきぞえになったことで非難を受けた。「死にたければひっそりとひとりで」と。
 でも、わざわざ新幹線にガソリンを持ち込んだのは、自分の死に注目してほしかったからだと思う。貧しい孤独な老人がひとりでひっそり自殺しても、地方欄にも載りはしない。

 70歳まで働きづめだった老人が、「年金では食べていけない」と、自殺する。
 そういう国に生まれて育ち、私も40年間働いています。国民年金額では、食べていけないので働き続けているのです。

 希望なき国の希望なき労働者
 とりあえず、来年3月までは、ヤンゴンで働く。それ以後の保証は何もなし。
 資産なし、働く場なし、年金スズメの涙。
 それでも、世論調査に寄れば、のど元すぎて現政府支持率は上向いてきて、みんなもう忘れてきたみたいね。憲法違反する政府だって、景気回復のほうがいいのだろう。

 杭の一部が強固な地盤に届いておらず建物が傾いていたマンション。横浜のマンションはあきらかに傾きが見てとれたので、発覚したけれど、ほかにも同じデータ改竄のマンションは多数あるらしい。
 憲法は国の土台。どうやら杭の一部は強固な地盤には届いていなかったらしい。マンションは大手不動産会社が「保障する」と言ったらしいけれど、傾いた国はだれが保障するのやら。 おそらくは、杭のデータについては「想定外だった」と言うだけで、だれも責任とったりしないんだろう。
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ぽかぽか春庭「2003年の会意文字」

2015-10-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151022
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(10)2003年の会意文字

2003年三色七味日記10月の再録を続けています。
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2003/10/28 火 雨 1033
ニッポニア教師日誌>会意文字

 漢字会話2コマ。1組漢字クラスは、私のおとくい会意文字。みんな楽しんでくれてよかった。教室にあるOHPスクリーンかけの三脚を木にみたて、「I'm tied. Oh, thers is a tree.
I can rest biside the tree.」木に寄りかかって休む形をジェスチャー。「the left part is man., and
the right part is tree. the man can rest biside the tree.」これで「休む」「休み」の導入。

 音読み練習「日」が既習だから、「休日」を紹介する。「日」の読み、訓読み「ひ」、音読み「ニチ」に続けて「三日」のときはイレギュラーで「か」と読み、今日は「きゅうにち」じゃなく「ジツ」。漢字の書き方には問題ない中国人のチンさんも、読みの多さにちょっと心配そう。今のところ「生」の音読み方は「学生」「先生」の生と、誕生日の「じょう」、訓読みは「うまれる」「いきる」しか導入していないが、ほかに「なま」だの「はえる」だの「ショウ」だのと、読み方が12通りあることを知ったら、もう漢字を学ぶ意欲がなくなるから、そんな「秘密」はまだ、うち明けていない。

 私の英語を、ちゃんと話せる人が聞けば、「ネイティブの人はそんなこと言わない」と、ブロークンぶりに眉をひそめるのだろうが、私は英語を教えているのではない。私のはちゃめちゃ英語でも、学生は楽しく漢字を知り、漢字の形や意味が印象づけられるのだから、これでいいのだ。と、いつも開き直るからいつまでたっても英語が上達しない。

 授業はラポール形成が第一と思っている。教えようとする教師の熱意が伝わり、学習者が学びたいという意欲を起こす、それが第一。そのほかの指導テクニックはその次の話。

 何年か前に、安田成美が日本語教師を演じ、香取慎吾がベトナムから日本に来た就学生を演じたドラマがあった。
 安田はインターカルト日本語教員養成講座でちょこっと勉強して、すぐ日本語教育能力検定試験に合格した。超優秀。

 そして、あのころ、貧乏なベトナム人が誰の援助も受けずに日本に学びに来ることなどできない話で、ドラマだからこそ、ちょこっと養成講座を受けただけの元OLが簡単に検定試験に合格できたのだし、貧しいベトナム青年が日本に来られたのだ。ベトナムから来ていたのはエリートばかりだった。ようやく一般家庭出身の教員研修生が日本に来られるようになったのだ。
 現実には、日本語教師は苦労に苦労を重ねて、ようよう検定に合格し、日本に来ることのできるアジア圏留学生は、渡航費用を工面できたという意味で、決して底辺層ではない。

本日のうらみ:朝、また電車の中にかさ忘れた。いったい何本なくしてきたことか。今日のは500円の傘。100円なら、あきらめる。千円以上の傘なら、忘れ物として駅に問い合わせる。500円って、微妙。


2003/10/29 水 晴れ 1032
ニッポニア教師日誌>自慢じゃないけど自慢です

 午後、教授法2コマ。
 「自慢じゃないけど自慢ですスピーチ」は、男子学生の自作のリメーク服紹介、アロマテラピストの資格を持つ女子学生のフットマッサージ実演など。
 学生が生き生きと自分の得意分野を披露するのを聞くのが好き。学生には「自己表現できることが教師には必要」と言ってやらせているが、半分は「若者の自慢話を聞きたい」という私の趣味だな。
 それに、学生も発表が終わるとほっとした顔。あとで感想を聞くと「話す前は何を自慢しようか、何も自慢になることないと思って心配だったけど、話してみたら、ウケてうれしかった」と言う。自己表現は喜びである。

 私の「自慢じゃないけど自慢です」は、春学期に「足を前後開脚できます」と言って、おとくいの両足スプリット(足を前後に開脚してペタッと床につける)を見せたし、「卒業7回、転職13回」の遍歴人生も披露した。
 先週は餃子の早食い暫定日本一も自慢した。今日は息子が学校の畑でつくったさつま芋が甘くておいしいという自慢。
 息子、先週は学校農園の芋掘りをして、おいも、5キロ分くらい持ち帰った。また来年は1年間田圃作業ができるし、渋谷から電車3分のロケーションで、たんぼや畑仕事ができるなんて、恵まれている。これで給食をつけてくれれば、言うことはない。

本日のつらみ:自慢じゃないが、お弁当は毎度チンするおかず


2003/10/30 木  晴れ 1033
ニッポニア教師日誌>学生は食わぬ餃子

 日本事情作文2コマ。ワンさん、台湾における日本設置のインフラについて発表。
 台湾の人は、日本の人がびっくりするくらい「日本が作ったインフラ」に感謝しているのだという。王さんの発表の中に出てきた、後藤新平、新渡戸稲造らが、台湾の人たちに好かれていたという面もあるかもしれないし、もともとの台湾ネイティブは、蒋介石国民党より、日本の支配者のほうがまだマシだった、と思っていた人々もいるだろうから。
 一方韓国朝鮮の支配者たちは、好かれていなかった。伊藤博文は安重根に暗殺されたし。

 餃子の満州で、この前早食い完食の賞品としてもらったお食事券を使ってチンジャオロースセットを食べた。
 壁に餃子早食い参加者タイム一覧が載っていたが、私のハンドル名はなかったので、店の人に「ねぇ、この14分51秒ってのは、ベストテンにはいるタイムなんじゃない、なんで名前書いてないのさ」と、わざわざ文句をつけた。アホな記録ながら、私にとっては「全日本、大学講師50代女性の部、餃子早食い暫定日本一」の、輝かしいタイムなんだから。50代の大学講師、私以外の誰が餃子早食いに挑戦しようか。当分私の勲章は「餃子早食い暫定日本一」である。
 ただ、学生のひとりが「私はその店でアルバイトをしたことがあります。あそこのラーメンと餃子をまかないで出されても、まずくて食べられなかった」と言う。

本日の負け惜しみ:わたしはほぼ毎週、ラーメン餃子を食べてきた

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20151022
 9月中の日本語教育報告と12月からの新学期体制についての会議が9時から。報告書のコピーや種々の引継ぎに1時間かかるとして、6時半に家を出ないと間に合わないとおもうけれど、報告書をかきなおしたら、やっぱり時間がかかる。21~22は徹夜になりそう。  
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ぽかぽか春庭「2003年のネットご縁&1994HALエキストラお知らせ」

2015-10-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
H20151021
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(9)2003年のネットご縁

2003年三色七味日記10月の再録を続けています。
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2003/10/25 土 曇り 1030
アンドロメダM31接続詞>ネットのご縁も多生の縁

 息子、文化祭の練習。娘は予備校のバイト。私一日中ネット。まめに足跡つけて回ると訪問者がふえるというOCNカフェの仕組みがわかったので、せっせと足跡つけをしている。書くこと自体が快感であることは、当初より納得済みだが、読まれることがそれ以上にカイカ~ンであることがわかった。
 こういうコミュニケーションを「まやかし「にせもの」と呼ぶのなら、たぶん我々は、「バーチャルコミュニケーション」の時代に生きているのだ、としか言いようがない。

 ある方への足跡から、「~さんを訪問してください」という依頼をうけた。自殺志願者の頁だった。足跡をクリックし、ただ、「あなたがここに存在していることを私は知っています」というおしるしをつけた。2年前の日記から「死にます」と書いている。
 日記の内容は、世の「偏差値秀才」への呪詛に満ちたものや、自虐。私が書いている自虐ネタと、あまり代わりはないような気がする。

 ただ、私は「111歳まで長生きするぞ」と、書いているので、死にそうには見えないが、ネクラヒッキーであることは、同じだ。
 私のように、文体だけは勇ましく、元気りんりん満ちあふれているように見えるのと、死にます死ねば死ぬるとき、と、死にたい病にかかっていることを書き続けるのと、たいして違いはないのだけれど、死にたいと言い続けるのと、本当に死んでしまうのでは大違いだから、ときどき訪問して、「あなたが生きていてうれしい」という気持ちは伝えたい。ネットのご縁も他生の縁。

本日のそねみ:私だってつらいんだけどね、とりあえず生きている


2003/10/26 日 晴れ 1031
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ナイチンゲールでなく』

 娘は朝から予備校のバイト、今日はゆりちゃんといっしょに試験監督。
 1時45分に阿子さんと待ち合わせ。ミイさんともうひとり、弱視のかたといっしょ。劇団昴の『ナイチンゲールでなく』を見た。
 テネシー・ウィリアムズが『ガラスの動物園』で一人前の劇作家として認められる前の若書き27歳の作品だという。1938年アメリカペンシルベニア州の刑務所で起きた実話をもとに書かれた、刑務所囚人とナチのユダヤ人収容所長を思わせる刑務所長の戦いの話。ひどい扱いに抗議してハンガーストライキを起こした囚人達の話が新聞種となり、ウィリアムズはその話を、さまざまな個性と、刑期を持つ囚人達と所長、看守たちの群像劇に仕上げた。この作品は60年間もウィリアムズのタイプ打ち原稿のまま放置され、バネッサ・レッドグレーブが発掘して上演したのだという。
 
 ときはアメリカ恐慌時代。やっと職を得て、失業の恐怖におびえつつタイプを打つ所長秘書エバ。息子の安否を知るために刑務所に面会に来た母親ブリストル夫人だけが女性出演者。

 舞台は、刑務所所長室と監房シーン。さまざまな過去を持つ男達の様々な人間模様が交錯する。所長に逆らった囚人は、「矯正指導」のために、極寒のアラスカの地名クロンダイクと名付けられた「熱風拷問部屋」送りにされる。皆衰弱して死ぬか、極度の苦しみのために精神に異常をきたす。どちらも適度な病名を付けられて病死とされる。ただ二人、屈強のブッチはクロンダイクから戻ることが出来、所長のお気に入り使いカナリアジムは、クロンダイクとも無縁で所長の使い走りをつとめる。

 藤木孝の所長ウェーレン役が秀逸。とことん冷酷で自分の欲望はどこまでも追求する悪魔的な人間像。自分の娘には甘く、囚人達のことは人間扱いしていない。そんないやなヤツなのに、エバに対して魅力を感じさせるというのを、演技で示していた。ラストシーンで囚人達は立ち上がり、所長を葬り去る。ジムは刑務所からの脱走を決意する。

 ラストシーンも感動的なのだが、今回の芝居でいちばん涙が出たシーンはカーテンコールだった。役者達のアンサンブルのすばらしさ。ひとりひとりの人間造形の技術。役者の演技に心から感動した。よい建物を見て、建て家のすばらしさはもちろんのこと、大工の腕のよさに感嘆する、というのと同じだが、今まで役者個人の演技力に涙したことはあっても、(夕鶴の山本安英とか、宇野重吉とか杉村春子とか)劇団のアンサンブルのすばらしさ、群像の演技のすばらしさに涙したというのは初めてだった。もちろん所長役の藤木、ブッチ役の金子由之の演技は抜群だが、端役の囚人ひとりひとりまで含めた全体がほんとうによかった。『怒りの葡萄』のときもアンサンブルのよさはあったのだろうが、葡萄のときは、「演技のすごさ」「演技の職人芸」を感じるよりストーリーにつながれて見た。

 お芝居のあと、アフタートークがあったので、最後にこの演技力とアンサンブルについての感想を述べた。藤木孝の魅力的な演技については、エバ役の服部幸子から「もとの脚本では、所長にベッドへ誘われるエバが、所長を恐ろしがることばの奥に、彼の存在に惹かれてしまうという女心の矛盾を述べるセリフがあったが、上演台本ではカットになった、と話していたが、それはカットしてもよかったと思う。あからさまに所長の性的な魅力に惹かれると言うよりも、藤木の役作りがおのずと「悪魔の魅力」を出していたからだ。ものすごくいやなヤツなのに、観客はだれも藤木を否定しきれない、そういう人間像をきっちりと演じていた。ほんとに魅力的な役者たちだった。
 私が褒めちぎったところでちょうど質問タイムがおわったので、私からのオマージュがシメになってトークショウが終わり。
 
本日の役者かがみ:金がとれる演技と、素人が楽しんで演じるとの、違いがわかる女だから、昔たとえ短期であれ、役者やって金を得ていたことに冷や汗


2003/10/27 月 曇り 1032
ジャパニーズアンドロメダシアター>『北京バイオリン』

 漢字作文2コマ。

 午後、『おばあちゃんの家』『北京バイオリン』を見た。
『おばあちゃんの家』は、韓国山奥の素人のおばあちゃんを発掘して、他の村人役も現地ロケの土地の人々、という女性監督作品。もう、このおばあちゃんが絶品。杖をついて歩いている姿を拝んでいるだけで、人間のすばらしさ、愛情の豊かさを感じられる。
 ちょうどいいので、これも「おいおい」のマクラに利用。最近映画をみても、本を読んでも、「おいおい」のマクラにつかえるか、オチにつかえるか、という様なことばかり考えていてイカンネ。

『北京バイオリン』は、まあ、予告編で想像した以上のことは一切でてこない、オーソドックスな父と息子の愛情物語。こちらも父親役の劉ベイチーの、いかにも中国の田舎者みたいな風貌がピカイチ。主役の天才ヴァイオリン少年は、実際に北京音楽学院でヴァイオリンを専攻しているタン・ユン。指使い、弓づかいが実にしっかりしているので、これは相当弾ける子だな、と思ったが、実際の音を入れているのは、コンサートシーンでユイ教授の愛弟子にして今や売れっ子演奏家となったタン・ロンを演じる李伝韻。ユイ教授役は陳凱歌監督自身が演じ、少年チュンが思いを寄せるリリ役は監督夫人の陳紅。

 とにかく、これでもか、という具合に「ウケ」要素が盛りだくさん。チュンの出身地の水郷の街の美しい情景。北京のきらびやかな商業街と裏町の対比。才能ある少年が成功者となることを夢見る父。父の期待に応えたいと思いつつも、少年期のゆれる思いに悩むチュン。少年から思いを寄せられることで、お金以上の愛情の存在を思い出すリリ。
 クラッシック界の熾烈な競争と、実力だけでは才能を伸ばせない社会の仕組み。もう、中国社会の矛盾や12億総突撃の「モノが欲しい社会」てんこ盛りの中で、一番すごいのはクラッシックの力。陳凱歌は、西欧社会でうける要素をみんな盛り込む商売上手。

 ラストシーンは、北京駅で。コンクール出場のチャンスよりも「男手ひとつで自分を育ててくれた父親を抱きしめること」を選んだチュンと、駅で拾った赤ん坊を育て、ただひたすら息子の成功のために必死で働き続けた父親の邂逅。感動のラストシーンだったのだが、『おばあちゃんの家』のおばあちゃんがあまりにすばらしくて、先に泣いちゃったので、こちらでは、心の中で拍手のみ。チュンの才能なら、今度のコンクール出場権を逃しても、必ず成功するだろうという予測がつくので、コンクールには出られなかったけれど、悲しい終わり方ではないし。
 
本日のゆみ:タン・ロンの弓使いはなかなかセクシーでした 

~~~~~~~~~~~~~~~~

20151021
 NHKBSで放映中の再放送ドラマ『大地の子』。中国残留孤児の半生を描いた、山崎豊子原作のヒットドラマです。何度か再放送されているのですが、11回シリーズであることが大事。
 
 旧満州墓参団のシーン、1995年の最初に放映された7回シリーズ編集の時は、カットされていて、春庭エキストラ出演部分はテレビに映りませんでした。再放送の11回拡大版シリーズのときは、仲代達矢渡辺文雄が満州ロケに参加した「旧満州墓参団」のシーンがあります。
 ロケは、1994年に行われました。1994年に中国単身赴任で働いていた私、仲代達矢を見たいから、エキストラに出ました。墓参団シーンに、今から21年前の私がちらっと映る。
 満州で果てた開拓団避難民の野辺に残る墓。家族を失った仲代達矢の祈る姿。仲代の悲痛な演技のうしろで、1分くらい春庭がうつっています。緑色の服を着て、満州荒野に果てた亡き人をしのぶシーンなのに、カメラ目線です。
 
 今回は、11回シリーズなので、たぶん墓参シーンもカットされていないと思います。
 文化大革命を扱っていることなどから、中国では上映されていないドラマですが、若い上川隆也の熱演、仲代達矢の重厚な演技、そしてカメラ目線が笑える春庭の1分間の姿。1994年夏は、今より何割かは体重も少なかったので、人様に見られても「今よりまし」と思えます。
 
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ぽかぽか春庭「2003年のわらびのこう」

2015-10-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151020
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(6)2003年の海わらびのこう

2003年三色七味日記10月の再録を続けています。
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2003/10/23 木 曇りのち雨 1028
ジャパニーズアンドロメダシアター>『わらびのこう』

 午後、姑と新宿駅で待ち合わせ。東映パレスで『わらびのこう』を見た。村田喜代子原作。恩地日出夫監督、市原悦子主演。李麗仙、左右田一平、中原ひとみ。
 ストーリーは「姨捨山」の話。嫁が姑を誘うにはふさわしい映画とは思わないが、全編姑の出身県でのロケなので、姑にとって、なつかしい風景がでるかと思っていっしょに行くことにした。

 ラストのクレジットに、ロケ協力者として「おやこ劇場からっ歩クラブ」などの名が続く。その中に、映画の券をおくってきてくれた真須子さんの名が。真須子さんは、監督夫人と知り合いで、映画製作協力者となったのだという。

 山の中の村。還暦を迎えた年寄りは、「わらびの」の地へ「姨捨」になって、死を待つ。市原悦子は、庄屋の隠居。長男の後妻が年若くまだ半人前なのを心配しながらわらびのへ。年寄り8人の共同生活。夏の間はよかったが、秋冬になると食べ物もなくなり、吹雪のころには全員が死ぬ。最後のシーンでは死んだ年寄り達が「体が軽くなった」と喜び合いながら雪の中で楽しそうに雪合戦をする。

 市原悦子の「れん」は、庄屋の家の「守り神」として孫子を見守りに家に戻る。深沢七郎の「楢山節考」とは、描き方が異なるが、どちらも「いのちの輪廻」のつとめを果たし、子孫のための口減らしを孫子のための「愛情」と考える年寄りの姿に涙。しかるに、私には絶対にできない。親を山へやるのも、自分が子供のために山へいくのも。
 私が、蕨野へ行ったなら、李麗仙が演じたお婆みたいに、みんなで共同生活しているのに、自分ひとり用の木の実をこっそり隠して貯めておく、強欲婆になるにちがいない。

 「おい、老い、老いの小文」エッセイ、「姨捨考」を書いた。「ふ」の項は、藤原新也にしたのだが、映画を見たので、深沢七郎も増やした。なぜ、深沢七郎ではなく、藤原新也を「ふ」の項に選んだかというと、藤原の本は文庫が残っているけれど、深沢の本は文庫も買えない時代に読んだから、図書館で借りた。本が残っていないので、読み直すのがめんどうだと思って藤原にしたのだが。こういうこともあるから、やっぱり本は図書館だと役に立たないなあ。一度読んだらもう二度と読み返さないような本ならいいけれど、いい本は手許にのこしておくべきだね。
 そうは言っても、古本の文庫さえ買えなかったんだから仕方がない。

 姑は明日、飛行機で北海道旅行。今月は3回も旅行へ。蕨野旅行へ出発は、まだ30年も先みたい。

本日のつらみ:私の方が先にいきそうな、蕨野楢山


2003/10/24 金 曇り、夕方雨 1029
ニッポニア教師日誌>レストランごっこ

 ビデオ、文化中級3コマ。

 ビデオの時間、レストランごっこ、デパートごっこ、郵便局ごっこは、いつものように、学生に好評。
 SFJビデオ、2課3課のレストランシーンと郵便局シーンを視聴する。
 12名を3つのチームに分ける。最初は口慣らしで、ひとつ、ふたつの数え方の復習。キンニ君、まだ数が言えない。次に人数を言う練習。三人以上は「~人」をつけるだけで簡単だが、キンニ君、ひとり、ふたりをまだ覚えていない。

 それから「かたかなの読みレビューをします。レストランでメニューを見ても、学生が行く程度のレストランのメニューはカタカナが多いからね。カタカナ読めないと注文できないよ」と、コーヒー、ピザなどの読み練習。カタカナを読んで、そのあとに「ください」「おねがいします」を言うように指示。「サンドイッチおねがいします」「スパゲッティナポリタンください」など、読めないし、口がまわらない。

 「英語の方を読んじゃだめですよ、学生が行くレストランは英語メニューないですよ」と、注意しても、カタカナが読めないと英語の「fried chicken & potato」を読んで英語風発音に。「ポテイトゥじゃないよ。日本語ではポテトだからね」「コーヒーひとつ」「コーラふたつ」など、注文と数を言う練習。

 テーブルに持っていった布を広げ、レストラン風に。お客役はドアから入っる。ウェイター役にエプロンをつけさせ、「いらっしゃいませ、なんめいさまですか」お客さん達、まごまごしながら「3にんです」ギャラリーが「さんめい!」と、口をはさむので「ウェイターはなんめいときくけれど、お客は3名と言っても、3人と言ってもいい」と解説。
 ウェイター「ご注文は?」と注文を取る。教科書からコピーしたコーヒーやピザの絵カードを使って、「おまちどうさま」最後にお会計をして、「ごいっしょですか」「いいえ、べつべつです」紙のお金で支払いとおつり受け渡しの練習。

 これだけの「ごっこ」だが、毎年好評だ。2チームにレストランシーンをやらせて、「はい、じゃ、またビデオをみましょう」というと、「えぇっ、私たちもやってみたかったのに」と、残念そうな声。「つぎはデパートへ行きましょう」新日本後の基礎3課の会話ビデオ。ラオさんがデパートで鞄売り場を聞き、かばんを買うまで。3つ目のチームは、学生から鞄を集めてテーブルにのせ、鞄売り場を作ってから、会話練習。みな楽しそうに買い物。まだ形容詞文は習っていないのに「高いですねぇ」などの言い回しはよく知っている。サバイバル日本語。

 郵便局ごっこでは、私が局員になり、切手とハガキをまず「日本事情」として、「これが日本の国内に出すはがきです。こちらは往復はがき」と、紹介。切手もさまざまな記念切手などを紹介し、国内は通常80円、アジアなどへは90円切手が必要であることを説明。つぎに郵便局で切手を買う練習。

 数年前まで、郵便局での会話練習は生活に直結していたが、今や学生が国に連絡する場合、ほとんどがメール。今期の留学生で、家庭内にパソコンがない人は、ベトナムとミャンマーの教員ふたり。だいたい、各国とも、教員研修生は一般家庭の出身が多く、大学院進学者はエリート家庭の出身であることが多い。
 昔受け持ったベトナム人は、医学部進学などのエリートが多く、「祖父母はフランス留学中の知り合って結婚しました」などのエピソードを聞いた。

 戦前の日本でも、士官学校と師範学校は授業料が無料だったから、裕福でない家の子供は軍人になるか教員になるかしかなかった。教員研修生がいるクラスでは、いつも「私も昔中学校の教師をしていました」と自己紹介する。

本日のひがみ:結婚後、8年間の主婦学生時代に受けた奨学金は、毎年返済しています。

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20151020
 12年前は、旅行に大忙しだった姑。今は介護2になり、デイサービスを受けています。デイサービスの入浴は、次の順番の人が待っているから、のんびりお湯につかってはいられません。ちゃっちゃっと介護ヘルパーさんに洗ってもらうだけ。
 18日は日曜ごとの自宅入浴。娘と息子がつきそって、ゆったりお風呂。こっちは、洗うことより、お湯につかるほうが中心。
 「でも、お風呂入ってから隣町までお買い物に行ったら、おばあちゃん疲れちゃったみたいで、反省。次から買い物が先、お風呂あとにしなくちゃ」と、娘の弁。
 おばあちゃんは、「おかあさんもいっしょに来られればよかったのに」と、介護不参戦のヨメに残念そうだったということですが、私は冷たいヨメなので、自分の趣味を優先しました。やりたいことを我慢して介護してもストレスになるだけだから。

 18日は、吉祥寺美術館の「伊豆の長八展」が1会期終了日だったので、あわてて行ってきました。もっと早くに行っておけばよかったのに。終了日だからかなり混みました。でも、やはり見ておいてよかったです。伊豆の松崎町山科学校のなまこ壁、見たくなりました。
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ぽかぽか春庭「2003年の象形文字」

2015-10-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151018
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記6月(5)2003年の象形文字

2003年三色七味日記再録を続けています。
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2003/10/21 火 晴れ 1026
ニッポニアニッポン語教師日誌>象形文字の教え方

 漢字、会話2コマ。
「非漢字圏学生の漢字の認識」でドクター取得の糸子さん、韓国で7年教えて、韓国語はぺらぺら。オーストラリアで教えてきたよう子さんは英語ぺらぺらだし。いいな、ちゃんとことばができる人。

 日本語オンリーの私、今日もブロークンイングリッシュで乗り切った。象形文字の導入ジェスチャーつき。「女」では、「Look at me」で、おもむろに足を交差し、両手を横に水平に伸ばして、女の形をまねする。ゴルゴ松本の「命」みたいなことを教室で演じるのだ。学生は「うん、うん」とうなづきながら、字形をインプットする。流暢な英語で、象形文字の由来やら女という絵からどのようい字形が成立したかなんて説明しているより、ジェスチャーやって一発で印象づけられる。

 ふつうエライ先生方はそんな漫才師が「命!」と、やるようなことはしません。いいんだ、私は芸人だからね。おもしろ漢字紹介は、今回も大好評。みんな笑いながら今日導入すべき「女」「子」「学生」などの字を覚えた。ミーが、本日の漢字の中で「私」という漢字、ふたつのパートに分かれているが、それもひとつの文字とみなすのか、と、質問してくる。ミャンマー人の英語わかりにくい発音でようやく言いたいことがわかったが、「学」の説明を繰り返し、「Gaku has two parts. This is school roof, under the roof , the child study the kanji. Also, 私 has two parts.」と、説明するにとどめた。形声文字についてはまたあとで、説明するから。

 出おくれているキンニ君に、授業が終わってから「Are you enjoy my Kanji class?」と尋ねると、「Yes,very much ,I 'm enjoy your lesson.」と答える。ほらね、私の授業はできない学生ほど楽しめる。できない者同士、わかりあえるのだ。

 語学に弱く、新しいことばを覚えられない者の苦しみ悲しみが、私にはようく分る。クラスメートがスイスイと理解していくことが、自分にはちんぷんかんぷん、さっぱりわからない。そういう苦しさを知っているからこそ、私は、できの悪い学生に「先生の説明を聞くと、よくわかってくる」と、評判がいいのだ。

本日の負け惜しみ:語学鈍才の効用


2003/10/22 水 雨 1027
ニッポニアニッポン語教師日誌>教授法発表

 教授法2コマ。各種教授法発表続き。オーディオリンガル、ダイレクトメソッド、サジェストペディアなどの説明。教授法について、私が説明文をコピーして学生に渡してしまえば話が早い。でも、割り当てを決めて調べさせ、発表させるのがいいと信じている。

 学生は日本語教師になる子ばかりではない。日本語教師にならなくても、この授業が将来のために役に立つものしたいと思って授業を進める。辞書や参考書を調べ、まとめてレポートを作り、発表するという一連の作業が、仕事で調査し、プレゼンテーションするたときに役だつと思っている。

 課題をだすとき、「あなたたちの中で、言語学事典とか、日本語教育学事典なんて本を開いて調べるのは、一生のうち今回だけという人も居るでしょう。でも、何をしらべたらいいのか分らなくて困ったと言う人も含めて、人から教えてもらって覚えるだけ、という勉強の仕方でなく、自分で苦労して調べるということが、大切だとわかってもらえたと思う」と解説。

 皆まじめにいっしょうけんめいやってきている。教授法の概略を説明させ、その教授法を用いて、ミニドリルを実演する。班ごとに、けっこうノリノリで先生役、学習者役を演じていた。

本日のつらみ:こう調子がいいと、すぐ「私は教え方の天才じゃないかしら」と、ズの乗るから、まずいよね。そのうち、ゴツンとたたかれて、しょぼん!


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20151018
 月曜日に授業準備をして火曜日に授業をする。週一日だけ働いて、週5日は自由にできる10月。「毎日が日曜日」ほどではないけれど、かなりゆっくりのんびりできています。
 一億総活躍の一員にはなれないけれど、まあ、こういう日々があってもよい。
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ぽかぽか春庭「2003年のペットロス」

2015-10-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151017
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(4)2003年のペットロス

2003年三色七味日記10月の再録を続けています。
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2003/10/16 木 晴れ 1021
日常茶飯事典>うさぎタイム食欲無し

 今日は留学生旅行の日。授業は休み。

 夕方、タイムにえさをやったが、食べない。そういえば、今朝はキャベツをいつも通り食べたのに、ペットシートにぜんぜんおしっこがしてない。へんだ。

 娘が夜、ようすを見ていて、明日になっても食べないようなら、うさぎクリニックに連れて行くというので、まかせることにした。

本日のつらみ:うさぎにも救急病院がほしい


2003/10/17 金 晴れ 1022
日常茶飯事典>うさぎの死

 夜中2時すぎ、娘がおこしにきて、「タイムが死んじゃった」という。最後は苦しそうで、アスカのようにおだやかな眠るような死ではなく、かわいそうだったと。

 あまりに急なことなので、娘をなぐさめようもない。でも、人間と違い、うさぎには救急病院というのもないから、明日病院へ連れて行く、という判断よりほかにしようがなかった。昼間、元気がないことにきづいてやれば、早めに病院へ連れて行くこともできたのに、気づかなかったことが悔やまれる。

 ペットはかわいいが、死なれるのが困る。人間より長生きのペットといえば亀くらいしかない。タイムは公園に捨てられていたことを思えば、1年でもうちで幸福なペット暮らしができたのだから、よい兎生をすごせたと思って見送るしかないだろう。

 暗いうちに、と、アスカが眠るサクラの下に穴を掘り、娘とお葬式をした。アスカといっしょだから、さびしくないよね。アスカは1年間病院通いを続けて、最後の一ヶ月は歩くことも不自由なくらいになって、それでも死ぬときは穏やかに眠るように死んだ。タイムは朝は元気にキャベツを食べ、昼頃いつものように昼寝をしているのかと思ったら、夕方は元気がないように見え、夜には急に苦しんで死んでしまった。どちらも、看取る方にはせつない。アスカがたった3年しか生かせなくて残念だったから、タイムは食事に気をつけて、干し草中心の食生活、野菜もあまり食べ過ぎないように注意していた。もっと食べたい食べたいと、ごみ捨てのビニール袋なんかを食い破って、紅茶パックとか食べあさることがあったから、なにか、悪いものを食べてしまったのかも知れない。

 生あるものには、寿命があるとはいえ、家にきて、たった1年で死んでしまった。うさぎの長寿記録を作ろうとしていたのに。

 ペットが死んで悲しくても、働かねば。授業3コマ。
 2時から寝ないでそのままの出勤だったから、往復の電車は爆睡。
 
帰りにスーパーで夕食の買い物。かぶを買おうとして、ついつい漬け物に使うかぶのほうではなく、うさぎにやる葉っぱが新鮮な方を選ぼうとして、もうタイムがいないのに、と、泣きながら買った。
 娘が帰ってきたので、いっしょにお墓参り。

本日のうらみ:何がわるかったのかもわからない、急死。ごめんねタイムたすけてやれなくて


2003/10/18 土 朝雨、午後曇り1023
日常茶飯事典>ペットロス

 三人してペットロスの一日。

 夕方娘と息子は、ゲームやへ行って、気分を変えることに。新しいゲームソフトを買ってきた。
 旅行の計画をたてて、お正月に韓国へ行くことにした。近畿ツーリストの安売りツアーで、プサンと慶州を回る旅を予約。
 春休みには、おばあちゃんと台湾へ行く計画もたてた。

本日のつらみ:うさぎがいるから、三人でいっしょに旅行するときは1泊以上はできなかった、もう旅行できることの悲しさ


2003/10/19 日 晴れ 1024
ジャパニーズアンドロメダシアター>『くれよんしんちゃん大人帝国の逆襲』

 夜、三人で暗くならないよう、なんとか笑ってすごすためにビデオにとっておいた「くれよんしんちゃん大人帝国の逆襲」を見た。
 昔、息子が蜜柑に連れられてみたころの「ブリブリザエモン」とか「雲黒斎」とかは、単純でばかばかしいものだったが、大人帝国とか、次の戦国大戦などは、大人の観賞に堪えられるという評判だった。

 う~ん、観賞に堪えたか。ちょっと引いた。昭和時代を懐かしむ21世紀の大人達。いいたいことは伝わるが、最後は「家族のあたたかさ」に落ち着くところがどうも。初期のしんちゃんのあの破天荒、「よいこのお行儀のよさ」をぶっとばすエネルギー、お下劣さ、私にはウンコクサイのだじゃれのほうが合っているみたい。

本日のそねみ:しんちゃん、春日部市名誉市民に選ばれておめでとう


2003/10/20 月 曇り 1025
日常茶飯事典>鉄の女
 作文、漢字2コマ。

 「おい、老い、笈の小文」は、少しは読まれてきたようで、読んだ人からのメールがはいるようになった。「プロですね」という面はゆい誉め言葉のあとに、「ただし私が読むと頭痛がしてきます」とズトンと落とされたり。プロなら、ネットにただで書いていないって。読んで面白かったら、投げ銭くれ。

 頭痛がしてくるのは、仕方がない。堅い話しかできないのだ。ネットでもっとよまれるようにするなら、お色気路線でいくのが一番だと知っている。やわらかめの、ピンク赤黒カラフル色っぽい、触れなば落ちん風情で書けばいいのだ。書くのはいくらでも書ける。ポルノのゴーストライターだってできるんだから。
 でもね、私は鉄女。鉄鋼労連の娘です。固くてどうもすみません。

本日のひがみ:書くからには、読者に届いて欲しいけど、今のところは自己満足のみ

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20151017
 ダンス仲間ミサイルママのご招待で、一泊二日逗子に遊びました。
 海辺での食事とおしゃべり、日頃の憂さも晴れ晴れしたひとときをすごすことができました。シゲさん、ありがとう。
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ぽかぽか春庭「2003年のサイバネティクス」

2015-10-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151015
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(4)2003年のサイバネティクス

2003年三色七味日記10月の再録を続けています。
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2003/10/11 土 晴れ 1016
トキの本棚>『サイバネスティクス』

 ニッポニアニッポン=朱鷺のキン、大往生。享年36歳。人間に換算すると100歳くらいだった。
 松岡正剛千夜千冊今日の一冊は『サイバネスティクス』
 私は、この本を20代はじめに読んだ。SFが大好きだった頃、なんとなく未来っぽいことばの感じに惹かれて読んでみたものの、どうにもこうにも、理科系に弱い頭にはさっぱり理解できなかった。30年もたって、松岡正剛の解説を読んで、どういうことが書いてあり、どういうふうに世の中を変えたのかやっとわかった。

本日のうらみ: ニッポニアニッポン滅亡ののち、ニッポンはどこへ行く。世の中はどう変わっていくのか、私にはわかりません


2003/10/12 日 雨のち曇り 1017
ジャパニーズアンドロメダシアター>『めぐり逢う時間たち』

 娘息子と飯田橋ロイホでランチ。息子は文化祭の練習で学校へ。
 娘と二人でふたりで映画を見た。
 『めぐり逢う時間たち』リベンジ。娘は、『エルミタージュ幻影』をパス。
 めぐり逢う時間たち、前見たときは、前半を完璧に眠ってしまったのでした。ビール飲んだせいで。
 今回、前半はまあ、わりあいちゃんと見た。後半はネタわれてるし、ところどころ寝た。2度目に見ても、印象は前回とまったくかわらなかった。

本日のつらみ:ビール飲んでないのに寝た


2003/10/13 月 雨、夕方くもり 1018
ジャパニーズアンドロメダシアター>『エルミタージュ幻影』

 体育の日だけど、雨。ぼうっとした一日、昨日見た映画など反芻しながらすごす。
 『エルミタージュ幻影』も、ところどころ寝た。ストーリーらしいストーリーはなく、ただ、エルミタージュ美術館の中を、一台のカメラが動き回り、ひとりの男の視点で絵を見たり、エカテリナ女帝の豪華な宮殿内部を撮影して、90分をワンカットワンシーンで撮影したというのがウリらしい。

 豪華なロシア帝国時代の衣装に身を包んだ貴族達がダンスパーティにあけくれる描写が、唯一見ていられたもの。でも、それだけならトルストイの『戦争と平和』で、オードリー・ヘプバーン主演のハリウッド版でも、ソ連版でもダンスシーンがあったんだし、いったいこの映画はエルミタージュの何をつたえたかったのか。

 原題を「ロシアの何とか」というので、ロシアの美や歴史や、精神の豊かさを伝えたかったのかも知れないが、中途半端にロマノフ一族の食事風景、中途半端に舞踏会、中途半端に絵画鑑賞。
 終わってからトイレに行く。並んで待っている間、うしろに並んだ二人組「あたし、寝ちゃったよう、どういう話しだったの、結局」「どうっていっても、どういう話しって説明できない。でも、私も途中まではみてたんだけど、後半は、わからない。私の席の周りの人、みんな寝ていたから、ついつい眠気が移った」という会話。私の隣の席の人ももちろん寝ていた。こんなに「素人はみんな寝る」という玄人受けする「芸術性の高い」映画というのも、また貴重なものなのだろう。貴重ではあるが、私は素人なので心地よく眠った。

本日のうらみ:ロシア貴族の豪華なパーティ、ここは窓の外に飢えた人々が通り過ぎるのをチラッとでも取り込むシーンがあって欲しかった。もしかしてその類のシーンを寝ていて見逃したのかも


2003/10/14 火 晴れ 1019
ニッポニア教師日誌>日本語の構造

 ひらがな2コマ。1組、ひらがなと、文型導入。日本語の構造をざっと説明したつもりだが、私の英語力で、どこまで分らせることができたのか不安ではある。
 ただし、わたしの担当は、「ひらがな読みの復習と、ひらがなによる文の読み」であって、文法説明が担当のわけじゃない。ひらがな読みの復習がたんとうなのだから、よめるようになりさえすればいい。
 でも、「わたしは がくせい です」「わたしは ほんやへ いきます」という文を読ませるのに、名詞文、動詞文の説明をせずにいられないのが私の性分。だって、自分がタイ文字、ヒンディ文字の文を読めと言われたら、そこにどういう意味が書いてあるのか知りたい。

 SFJの説明に従って、日本語の構造を汽車にたとえる。機関車が述語、連結している車掌室、食堂車、客車、貨物室などは、適宜切り離しができる。機関車がないと、汽車は前進しないが、食堂車のない汽車もあるし、貨物室がついてない汽車もある。

 助詞の説明。トピックマーカー、疑問、方向、対象の助詞を説明。でも、英語前置詞と日本語パーティクルがどう違うのかなんて、とても英語で言えないから、学生が混同した場合は、あとで、対処しよう。
 英語がへただ。でも、学生は「流暢な英語でサラサラと解説されても日本語文法がよくわからないのに、先生のブロークンイングリッシュで説明してもらうと、とてもよく日本語の構造がわかる」それはそうだよ。私は外国語がよくわからない学生の苦しみを知り抜いていて、どこがどのようにわからないのか、よくわかる。

 2組、韓国の教員研修。女性ふたり。たいへんまじめそう。一人は子供一人を国に残しての単身留学で、しかも来年出産予定。
 授業後、文化中級Ⅰの打ち合わせ。

本日の負け惜しみ:英語へたでも、授業は上手

2003/10/15 水 曇りのち晴れ 1020
ニッポニア教師日誌>コメント力

 教授法2コマ。教授法のグループ発表。コメントを書かせる。コメント力さまざま。きっちり発表を聞き取って、的確なコメントを書く学生もいるし、「よかったです」「声が小さい」程度のことしか書けない者もいる。
 ある事象にコメントするというのは、ある意味、その人が持っている理解力、表現力、人間としての中味すべてをタメされることだ。

本日のねたみ:コメント力、斉藤孝には及ばないけど、それなりに

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20151015
 12月からのヤンゴン日本語教室新学期体制について、22日に会議があるのだけれど、その前にひともめやらかしてしまった。
 私は、どうしてもボスともめずにはいられない体質らしい。「はい、はい、おっしゃるとおりにいたします」と頭を下げておいてあとでなんとでもすればいいものを、どうして一言いいたくなってしまうのか。そしてそのたびに「おぼえめでたく」なくなって、のちのちの仕事がやりにくくなくっていくのに。
 まあ、今日はそんなことも忘れて、逗子に遊びに行くことにする。海を見て気持ちセイセイするだろうから。
  

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ぽかぽか春庭「2003年のシュワちゃん」

2015-10-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151014
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(3)2003年のシュワちゃん

2003年三色七味日記10月の再録を続けています。
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2003/10/07 火 晴れ 1012
ニッポニアニッポン事情>シュワちゃん

 笈の小文を書く。日本語教授法の準備をするつもりでパソコンに向かう。
 学校から帰った息子に「また、仕事もしないで、ワープロで遊んでいる」と言われながらも、仕事よりは遊びでしょ。

 アメリカ、カルフォルニア州知事選挙、シュワルツネッガー圧倒的有利が報じられている。アメリカもいよいよ本格的ポピュリズムに突入かという人もいるし、アメリカがポピュリズムでなかった時代があるのか、と言う人もいるし。シュワちゃんの、「ターミネーターは強い人」というイメージ戦略の勝利、&、選挙戦にはケネディ一族が勢揃いしたという、シュワちゃんの「愛より政略結婚」の勝利ともいえる。

 ケネディ3兄弟のうち、二人は暗殺、ひとりは愛人と車ごと川で溺死、権力に届きそうな玉は次々に早死にするし、ワカイモンたちは、ドラッグにおぼれたりするし、「悲劇の一族」のイメージはついて回った。シュワちゃんの「強い」イメージは、一族にとっても必要であったろう。

 シュワちゃんがどれだけ野望を燃やそうと、知事または国会議員どまりで、レーガンのように、州知事から大統領へと成り上がる心配はない。オーストリア生まれの移民だから、「アメリカ国内で誕生した人物」という「大統領候補者の条件」に当てはまらないからだ。一族の中から将来の大統領候補者が育ったとき、「強い」イメージだけを利用でき、彼が権力を集中することはない。こんなおいしい政略結婚はない。政治的手腕はまったくゼロというシュワ氏を、どれだけブレーンが支えられるかがミソだろう。

本日のうらみ:ターミネーターって、「終末医療」のイメージが強い


2003/10/08 水 晴れ 1013
ニッポニア教師日誌>週番制度

 午後、教授法2コマ。
 学生に授業司会を任せてみた。これまで私が教室をかけずり回ってやっていた、プリント配布、板書、ノート記録、などをすべて「これも、教室進行の実習」として、「週番」制度で、学生の仕事にしたのだ。もちろん、準備は前よりたいへん。授業進行表、指導案を事前に全部用意しなければならない。

 今までは時刻と授業内容のメモだけでよかったが、司会が言うことばから、板書する言葉まで全部指導案に書く。「ここで、コースデザイン小テストのプリント配布」などもいちいち書く。
 準備はたいへんだが、学生はけっこううまく司会進行も教室管理もこなした。これからはずっとこの方式で行こう。

本日のうらみ:先学期までばたばた走り回って、忙しそうにしていたのはなんだったのだろう


2003/10/09 木 晴れ 1014
日常茶飯事典>餃子早食い暫定日本一

 日本事情、作文大2コマ。バド出席。チョウ「日中交流史朱印船貿易」発表。ソー「日本の文化、浮世絵」発表。
 作文は、「文脈指示の指示語」の使い方。場面指示の指示語はできるようになっても、文脈指示語はむずかしい。一度説明して練習しただけでできるようになるわけではないが、文脈指示の理論がわからないまま、何度でも同じまちがいを作文の中に繰り返す学生もいるので。

 お昼ご飯は、餃子。いつもラーメンを食べる「餃子の満州」が、餃子早食い大会をしていた。これまで、大会の結果発表はときどき見ていて、餃子一人前6個、7人前43個を1分何秒で完食、という記録を見て「ばかだなあ」と、うれしく思ったり、12チャンネルの大食いチャンピオンがなくなってしまい、プリンス小林尊や帝王岸は今どうしているやらと思ったり。

 私の早業、ワープロ早打ちは、娘がワープロ検定を受けるときに、2級検定問題をやってみて、早打ちだけなら、1級より早いことがわかった。ただし、ワープロ検定は、早打ちが主眼ではなく、表作成などのさまざまな技を検定するのだから、早くても1級にはなれない。早口は、病気みたいなもので、留学生に「早い!」とマッタをかけられても、なかなか、早口が直らず、仕事の上では困った問題だ。

 速読は、息子が通っていた塾で、速読時間計測をやって、私は人の4倍の早さで読めることがわかった。人が1時間かけて読む本を、私は15分で読める。計測するとき、検定のパソコン画面の文字を、眼で追っていく。読み終わったら、読解内容についてチェックが入るのだろうと思って、キーワードを押さえながら、内容を覚えつつ文字を追った。しかし、読解内容のチェックではなく、ただ、文字を追う早さだけを計測する、というシステムであった。キーワードなど覚えていなくてもよかったのだ。だったらもっと早く読めた。

 もうひとつ、私が人より早いなあと思っていたのが、早食い。家で夕食を食べるとき、一汁二菜、または三菜という我家の平均的なおかずとごはん一膳、娘は30分で食べる。これは普通だろうと思う。息子は1時間かかる。食が細く、だらだらと食べる。私は15分で食べ終わってしまう。いつも、「もっと、ゆっくり食べたらいいのに」と思うが、普通に食べていて、終わってしまう。毎回夕食を作るのに、30分から1時間もかかっていて、食べるのは15分じゃ、ソンした気がするのだが、仕方がない。困るのは、気取った席での会食。人より早すぎないよう、かげんして食べるので食べた気がしない。

 それで、どれくらい早いのか、早食いに挑戦してみることにした。54歳中年女、人生初めての早食い挑戦。参加費は女性500円。

 餃子30個が運ばれてきた。猫舌なので、まず、餃子を全部半分にちぎる。中がさめるように。最初はしょうゆと酢のたれにたっぷりつける。さめるように。ふうふういいながら、食べる。まんなかへんで、すこしはさめてきたので、たれにつけずにひたすら食べる。もともと「餃子の満州」の焼き餃子、うまくはないが安いのがとりえ。高級な油をつかっているわけじゃないので、半分すぎると、油べとべとの味がいやになってきた。水餃子だったら、もっとどんどん食べただろう。それでも、せっかく挑戦しているのだからと思って、さいごの方は、水といっしょに流し込んだ。30個完食、14分51秒。

 15分が目安と思ったので、満足の結果。女性の最速タイムは4分55秒。チャンピオンには、はるかに及ばないタイムだが、54歳中高年の部だったら、トップグループにはいったと思う。ってゆーか、50代大学講師の部というのがあったら、たぶん、暫定日本一。私以外のだれが、「50代大学講師の部、早食い競争」に参加する気になるというのか、日本一の座は、当分私のものだ!かの偉大なる大食い早食い女王、赤坂尊子に少しは近づいたかしら。

本日のつらみ:あと一ヶ月は餃子イラネェ

2003/10/10 金  晴れ 1015
ニッポニア教師日誌>ひらがな授業

 ひらがな2コマ。午前中、ひらがな既習組。メキシコ女ふたり。中国女ふたり。インドネシア男。午後、ひらがな未習、ゼロスタート組。インドネシア男、バングラデシュ男、タイ男、タイ女、ベトナム女、ミャンマー男。教員研修生と大学院研究生。

 午後、12時から留学生コース10月開校式に出席。留学生センターの先生は日本語でスピーチしたあと英語で同じ内容を繰り返したが、工学部の先生とか、保健センターの先生は、日本語文脈のなかに、英単語をちりばめた。本人は、「英語圏の学生に配慮したつもりのミックス語」スピーチなのだが、結果、日本人にも英語話者にもわけわからんスピーチになってしまった。

 衆議院解散。うすら寒い今日この頃の天候である。

本日のつらみ:前回は非常勤講師も全員スピーチさせられたが、今回は、非常勤はいっせに立っておじぎをしただけだった。これも時給のうちだから、いいんだけどね。


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20151014
 なんでもない日のなんでもない過ごし方。10月12日体育の日。体育の日だから、少しだけ体育っぽく、スポーツ中継を見る。我が家が見るスポーツ、団体競技は見ません。個人競技。水泳フィギュアスケート陸上(含マラソン)。水泳陸上のリレーと長距離リレーの駅伝は見ます。
 10月12日は出雲駅伝を娘息子とワイワイと言いながら、1時から2時半まで見て、コマーシャルの間は、NHKの合唱コンクールをザッピング。娘はひたすら母校を応援し続けて一喜一憂しているが、私はケニアのドミニク・ニャイロを応援。
 出雲駅伝で娘の母校がフィニッシュしたあとは、NHK合唱コンクール中学校の部を、娘息子とワイワイ言いながら見る。

 課題曲は、セカイノオワリ作詞作曲の「プレゼント」
 娘の評「セカイノオワリらしい世界観はほとんど出さずに、NHKOK的な大人しい作詞作曲の曲」になっている曲だと。
 大会全体のテーマ。「ピース」
 娘は、最後に歌った町田市立鶴川第二中学校の自由曲合唱、ヒロシマを歌った曲を聴き、「うわぁ、ダメ、こわくなってきた」と、感想を言う。ヒロシマの悲劇を歌にして、中学生の歌声でそれほどの表現力伝達力を持っていたのはすごい、と思っていたら、金賞を受賞しました。ピースというテーマに対して「ヒロシマ」を歌うのは先生にとっても決断がいることだったろうと思うけれど、中学生がよくぞ表現したと感じ入りました。

 なんでもない日のなんでもない休日。こうして家族とテレビを見ながらぐだぐだとすごす我が家の平和。このピースが続くことを願っていますが、、、、8月5日に「明日」の準備をしながらすごしていたヒロシマの人々も、まさか、自分の「明日」はない、とは思っていなかったのでしょう。「明日」がありますように。
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ぽかぽか春庭「2003年の英国版赤鬼」

2015-10-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20151013
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003三色七味日記10月(2)2003年の英国版赤鬼

 2003年の三色七味日記10月の再録を続けています。
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2003/10/05 日 晴れ1010
ジャパニーズアンドロメダシアター>ノダマップ英国版赤鬼

 NHK3チャンネルの放映をビデオにとり、野田秀樹『赤鬼』イギリス公演を見た。英語にして、どうなるのかと思ったが、面白かった。最後に「あの女」が崖から飛び降りたと、とんびが語るとき、戯曲を読んだときミサイルの芝居をみたときと同じように、涙が出た。
 ミサイルのような世間に名が出ていない俳優が演じても、イギリスデビュー公演でも、これだけの感銘をうけるということは、やっぱり野田は天才だなあ。教駒在学中に初戯曲を文化祭で上演。「そのときから、自分は天才だと思っていた」と自ら言っている。天才だと思う。

 装置は洋服ダンスひとつ。ドアになったり、船になったり、牢屋になったりする。赤鬼役の野田、アカオニの名前が「アンガス」じゃなく、「ヒデキ」だった。戯曲、初演では村人はとんびたちが演じるのを、イギリス版では、村人は別の俳優。どうやって「排斥する側」と「される側」がは同じ人間の心の裏表であることを表現するのかなと、思ったが、衣装の色でしか表現されていない。村人側が赤い衣装、ヒデキが青いパーカー。赤鬼が青い服、赤鬼を排斥する村人が赤い服、これで、伝わったのだろうか。
イギリスでの評判は「初演満席、カーテンコール3回だったそうである。

本日のねたみ:大竹しのぶは出会った男の才能を吸い尽くすといわれているが、吸い尽くされてもなお、これだけのものが残っているノダさん


2003/10/06 月 曇りのち雨1011
ジャパニーズアンドロメダシアター>『シカゴ』

 コース開講前準備出勤。漢字カード作り。プレイスメントテスト採点。

 4時から、娘と『シカゴ』を見た。面白かった。
 『シカゴ』は、最高のエンターテインメントだった。ヒメが予告を見て「ぜったいにお母さんが気に入る映画だからいっしょに見よう」と言ったとおりだった。
 殺人犯のふたりの女が無罪を勝ち取り、スターダムにのし上がっていくストーリー。主役の二人。歌手ヴェルマとロキシー役、敏腕弁護士役リチャード・ギアのはまり演技。ママ・モートン、ロキシーの夫エイモスの存在感。ダンスと歌のシーン。リチャードギアのタップは、まあ、ご愛敬。キャバレーでの歌と踊りだったら、何も驚かないが、留置所内のママモートンや女囚たちのダンスや歌が抜群だった。歌も踊りもすべて吹き替え無し、というのがウリ。ロキシーの歌があまりうまくないのさえ、歌が下手なのにスターになろうとするロキシーにぴったり。

 ストーリーは、日本的または仏教的感覚からいけば、とんでもない話。ロキシーは、自分を芸能界に売り込んでくれると口約束した家具セールスマンに騙されたと知ると、ピストルで射殺。「姉妹歌手」として妹とふたりでシカゴのキャバレー界スターの地位を得ていたヴェルマは、マネジャーである自分の夫と妹が浮気したことを知るや、即ふたりとも射殺。

 シカゴの留置所には裁判を待つ女達がいっぱい。彼女たちは「自分たちは悪くない。殺された方は殺されるだけの理由があり、悪いのはあいつらだ」と本気で信じている。そして、モンロー風魅力的なロキシーと、お金と人気があるヴェルマは、敏腕弁護士のビリーを雇って「正当防衛により無罪」を勝ち取る。ロキシーが仕立てたストーリーはこう。「夫は仕事一筋で家に帰るのも夜おそい。(ぜいたくを好むロキシーのために、夫は朝から夜まで働きづめだったから)さびしさのあまり、つい家具のセールスマンと浮気してしまった。しかし、夫の子供を宿したことがわかり、浮気を後悔して別れ話を出した。セールスマンは、ほかの男の子供なら撃ち殺すと、ピストルを出して脅した。自分が殺されるならともかく、子供が殺されたのなら、夫に申し訳がたたない。もみ合う内に、撃ってしまった。これは、あくまでもおなかの子供をまもるための正当防衛である」

 もちろん、妊娠はうそである。(医者を肉体で買収して診断書を獲得)。たとえ、妊娠が本当としても、夫とは殺人を犯す前4ヶ月も交渉がなかったのだから、夫の子供ではない。しかし、人のいい夫エイモスは自分の子と信じ、妻のために必死で借金をして、ビリーを雇う費用をこしらえる。

 正当防衛が陪審員に認められるために、弁護士はあらゆる手をつくす。嘘も偽証も辞さない。ビリーの腕で、ロキシーの正当防衛が認められ、無罪獲得。しかし、人々の関心は早くも「ハワイの大金持ちパイナップル農園主の娘(チャーリーエンジェルの人)が、二人の女をベッドに呼んだ夫を、女もろとも射殺した事件」に移っていた。

 場末のキャバレーでの仕事すら得られない歌がへたなロキシー。しかし、一発逆転。ヴェルマと組んで「人殺しコンビ歌手」として芸能界に返り咲く。
 アメリカの「次から次へと、より刺激の強いニュース」を求める大衆ジャーナリズム。上昇志向を嘉する気風。

 弁護士の腕次第で、殺人も無罪にできることは、シンプソン事件によって世界中に知られた。そして、肝腎なこと。アメリカでは「正当防衛」がニシキの御旗。「あいつが攻撃してきたから、こちらからどんな仕返ししてもいいんだ」という考え方は、9・11だけでなく、あらゆる殺しに応用可能。ハロウィーンの日に自宅の庭に入り込んだという理由で、武器を何ももっていない日本人高校生を、白人ではないから強盗かと思った、という見た目の判断だけで撃ち殺したとしても刑事無罪。シンプソン事件もフリーズ服部君事件も民事は有罪になっている。賠償義務は残るが、刑事無罪は大きい。

 お金がない人、貧しい移民は有罪。死刑。『シカゴ』でも、ロキシーは無罪になり、移民の貧しい女囚は、「イリノイ州初の女死刑囚」になった。東欧移民バレリーナも必死に自分の無実を訴えたが、だめだった。(彼女が話す東欧語の部分だけは字幕がなかった。戸田奈津子、手抜き)。

 最後のヴェルマとロキシーのショウで、ふたりがマシンガンを撃ちまくる、というシーンでお客は拍手喝采。日本では、たとえ正当防衛であっても、人を殺した女が、こんなショウをやったら「死者にどうこう」、冒涜だ、慰霊だ、と大騒ぎになるだろう。

 阿部定は見せ物小屋に出ていたというが、「親の因果が子にたたり」みたいなショウだったことだろう。まさか、「切り取りシーン再現」ではないだろうと思うが、もし「阿部定、お床入りから切り取りまでを再現」だったら、日本の興行界もなかなかのものだ。探してみれば、見せ物小屋見物記などに、「阿部定見せ物」の内容を書き残している記録があるのかもしれない。

 とにかく、『シカゴ』は、すごいエンターティメントに仕上がっていて、役者、ダンス振り付け、歌、出色だった。

本日のそねみ:刑務所の女ボスママ・モートンの迫力ある声

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20151013
 帰国して10月中は骨休めと思ってぐうたらすごしています。ぐうたら日々のひとつとして、撮りためたビデオ消化。ノダマップの『エッグ』を見ました。
 『赤鬼』の他者・異人排斥、『パンドラの鐘』の長崎原爆、『エッグ』の満州ハルビン731部隊。
 野田秀樹の作品、息子といっしょに舞台を見たのは渋谷シアターコクーンでの上演された『赤鬼』だけだったけれど、戯曲集は出版されるたびに読んできました。でも、最近はノダファンとは言えないくらい、ノダマップから離れてしまい、久しぶりに見たのが『エッグ』でした。いやあ、やっぱりノダヒデキは天才だと思いましたです。

 2014「まっさん」で、朝ドラヒロインになり、はじめての「外国人女優にして国民的人気女優」となったシャーロット・ケイト・フォックス。日本の人気上々に「これはいける」と、アメリカのプロデューサーも踏んだのか、『シカゴ』のロキシー・ハート役を獲得しました。10月にアメリカ公演。12月に日本公演。
 先行のアメリカ公演は、当たっても当たらずともよし、日本公演で儲けようという魂胆が見え見えですが、ワタシは日本公演もこけると見た。

 私は、月に一度くらいしか見なかったけれど、日本のジジババたちが、エリーさんファンになったのは、「遠い異国からヨメにきて、ご亭主に献身的に尽くす女房」の姿に涙したからです。亭主殺しで服役、弁護士の腕で「正当防衛」が認められる、というロキシー・ハートを演じても絶対にウケないんじゃないかな。
 TBSは宣伝に相務めるでしょうが、さて、当たるか当たらぬか。八卦よい。楽屋見舞いはウイスキーにて願います。あ、山村美紗原作の『名探偵キャサリン』は、そこそこ視聴率もとれ、評判上々だったそうです。

<つづく>
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