上野、不忍池で撮影
201608124
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月の花ことば(6)蓮の花
各地の盆行事も終わり、旧盆8月に各地の池では、仏教にゆかり深い蓮の花が咲き誇っていたことでしょう。私は、上野の不忍池で、一面に広がる蓮の咲き始めを見ることができました。
蓮の原産地はインドだそうです。インド、スリランカ、ベトナムでは、国花です。インドからアジア各地に広がり、日本にも太古の時代から、各地に自生種として広がっていました。
蓮の種子は生命力が強く、長年、土に埋もれていた種からも発芽成長した例があります。 千葉市検見川の大賀ハス、埼玉県行田市の古代蓮など、発掘された種から花を咲かせ、各地に株が分けられているそうです。
確実な年代測定ができた古代蓮の種は、中国で発掘された1300年前の種子だということですが、遺跡などから出土される種子が放射線同位元素測定などで年代確定されたら、古代蓮と見られる蓮の種がどれくらい古いものなのか、はっきりわかるのではないかと思います。
インド原産の蓮ですから、仏教とも深く結びつき、鑑真和上は蓮を携えて来日したそうです。仏教では蓮と睡蓮を区別せず、両方を蓮華としています。
万葉人は、蓮を愛で長歌短歌に詠みました。しかし、花を直接詠んだのではなく、葉っぱのほう、「はちすば」を歌にしています。葉の上の水滴。蓮の葉には撥水性があるので、蓮葉の上の水はころころと丸い玉になり、見るからに清げで涼しげ。夏の光景としてなによりのものだったことでしょう。
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御佩乎 劔池之 蓮葉尓 渟有水之 徃方無 我為時尓 應相登 相有君乎 莫寐等 母寸巨勢友 吾情 清隅之池之 池底 吾者不忍 正相左右二
み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜まれる水の 行くへなみ 我(あ)がする時に逢ふべしと 逢ひたる君を な寝(い)ねそと 母聞こせども 我(あ)が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我(あれ)は忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに
身に持つ剣。その剣の池の蓮の葉の上に溜まってころころところがる水玉のように、ゆくえも知らない私の恋。私は恋しいあなたに会うべきだと思ってあなたに逢うのだけれど、共寝をしてはいけないと母上がおっしゃる。けれど、私の心は清隅の池の、池の底のように心の底から、あなたを忘れることはありません。直接に逢うことができるまで。
剣池に広がる蓮を見ながら、恋しい人と逢いたい、共寝をしたいと思い焦がれる気持ちが、蓮の葉にころころ転がる水玉のように、くるくると心が揺れるようす。逢いたい、でも母親は共寝を禁じている。でも逢いたい。
作者が記されていない巻13の相聞歌に集められている長歌短歌。あるいは民謡として歌垣の夜に、若い男女が掛け合いで歌い合ったのかなあ、と、想像してみます。
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蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之
蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が 家なるものは芋(うも)の葉にあらし
ここに見る蓮の葉は、このように立派な大きな葉なのですが、私、おきまろの家では、芋の葉にもならないようです
里芋の葉も、水をはじいて玉のようになるのですが、蓮の大葉よりはこぶりです。芋、すなわち我が妹(わがいも=妻)を謙遜しているらしい。宴席で皆で笑いながら吟じた歌なのでしょうか。
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勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之
勝間田(かつまた)の池は我(われ)知る蓮(はちす)なし然(しか)言ふ君がひげなきごとし
この歌の後ろに説明があります。天武天皇の第七皇子新田部皇子が、「勝間田の池に咲く蓮を見て、水はまんまんとたたえられ、蓮の花のおもしろく咲いていることといったらなかったよ」とある女性に言ったところ、「その蓮の花って、どこの女かしら。勝間田の池に蓮の花が咲いたなんて私は知りませんよ。花がきれいだったとおっしゃるあなたの顔にひげがないのと同じですよ」と、ざれ歌にして返した、と。
勝間田の池には蓮が咲き、新田部親王の顔には髭があることを知っていて、蓮の花に喩えられた女人を想定して「そんな人、私は知らないわ」と拗ねてみせる、機知を込めて詠んだ歌、きっと宴席で大いにウケたことでしょう。
江戸期にひげ剃りが一般的になるまで、男性は髭を生やすのが通常だったので、新田部親王にも立派な髭があったのを、誰も知っていることなので、
次の歌も、宴席で歌われました。酒宴もたけなわ。宴の食べ物が蓮の葉に盛られていたのを見て、一同は宮中警備にあたる兵衛の兵士に「おまえ、歌が上手なのだから、一首詠みなさい」とはやし立てます。兵衛の男が詠んだ歌。
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久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似将有見
ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉(はちすば)に 溜まれる水の玉に似る見む
雨が降らないかなあ。蓮の葉にたまった水が玉に似ているのを見たいなあ。
右謌一首、傳云有右兵衛。(姓名未詳) 多能謌作之藝也。于時、府家備設酒食、饗宴府官人等。於是饌食、盛之皆用荷葉。諸人酒酣、謌舞駱驛。乃誘兵衛云開其荷葉而作。此謌者、登時應聲作斯謌也
平安以後の蓮。
遍昭
蓮葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露をたまとあざむく
藤原道綱母『蜻蛉日記』
花に咲き実になりかはる世を捨てて浮葉の露と我ぞ消(け)ぬべき
西行は、蓮の花を詠んでいます。
西行
おのづから月やどるべきひまもなく池に蓮の花咲きにけり
藤原俊成定家親子は、蓮の花の香りに心引かれたようです。
藤原俊成
浮草のすゑより風は吹くなれど池のはちすぞまづかをりける
小舟さし手折りて袖にうつし見む蓮の立葉の露の白玉
藤原定家
はちす咲くあたりの風のかほりあひて心のみづを澄す池かな
風わたる池のはちすのゆふづく夜ひとにぞあたるかげも匂も
藤原家隆
音羽川せき入れぬ池も五月雨に蓮の立葉は滝おとしけり
後鳥羽院
風をいたみ蓮の浮葉に宿しめて涼しき玉に蛙かはづ鳴くなり
源実朝
さ夜ふけて蓮の浮葉の露の上に玉とみるまでやどる月影
江戸時代、仏を荘厳する花なれば、良寛さんも一首詠む。留守中にやってきた貞信尼に与えた歌。なんにもごちそうするものもないけれど、せめて小さな瓶にさした蓮の花を見て心なごませてください、と、良寛さんは貞信尼に言っています。
良寛
みあへする物こそなけれ小がめなる蓮の花を見つつしのばせ
良寛和尚と貞信尼は、きっと極楽で仏に迎えられて、同じ蓮の花の上で仲良く歌など詠み合って暮らしたことでしょうね。
「極楽往生の後には、あの世で同じ蓮の花の上に並んでいようと願いを託す「一蓮托生」。はてさて、極楽で私と並んで蓮に座ってくれるのは、、、、。おっと、極楽往生とは限りませんで。国立博物館で見た国宝「餓鬼草紙」を眺めていると、「施しをすべき食べ物を、自らむさぼり食った者が落ちる地獄」というのがありましたから、将来は決まり?
いやいや、今後は持たざる者の「無財の七布施」に励みます。
無財七布施とは。
一、眼施(慈眼施)
慈しみの眼、優しい目つきですべてに接すること。
二、和顔施(和顔悦色施わがんえつしきせ)
いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対すること。
三、愛語施(言辞施)
ものやさしい言葉を使うこと。思いやりのこもった態度と言葉を使い、叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。言う。
四、身施(捨身施)
自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践すること。人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行すること。
五、心慮施(しんりょせ)心施
自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになること。
六、壮座施(そうざせ)
自分が得た地位や立場、座席を譲ること。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること。
七、房舎施(ぼうしゃせ)
雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすること。
無財七布施、実行してきたのもあるけれど、ついつい電車や地下鉄のなかでシルバーシートにワカゾーが座っていると、横目でにらんでしまったりしているワタクシです。
雨の日、自分はずぶ濡れになっても、他者のために傘をゆずるとか、、、、したことないなあ。
22日の台風9号は、11年ぶりという関東地方直撃。原宿駅の木がたおれて山手線は不通となるし、西武線は土砂崩れで電車立ち往生となるし、家への浸水など、被害も大きかった。被害に遭った方、お気の毒です。
天気予報では、大気不安定とか記録的短時間大雨警報とか、不安な文字が並んでいますが、どうぞ、明日が平穏な日でありますように。一日一日を大切にして、すすんでいきたいです。無財七布施、はげみます。
8月17日、不忍池の蓮の向こうには、スカイツリーも見えました。東京、台風一過、35度の猛暑日のおでかけでした。
忍ばずのはちす葉の水すくいとり猛暑日の喉うるおしたかりき<春庭
不忍の池に咲きたる蓮花のつぼみも食えると聞きし今日かも<春庭
このシリーズ、けっこう文学づいてまとめてきたのに、最後はやっぱり食い気で終わるか。
<おわり>