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ぽかぽか春庭「2016年8月目次」

2016-08-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


20160831
ぽかぽか春庭>2016年8月目次

20160802 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記8月(1)ご無沙汰しました

20160803 ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(1)世界仲良しGive Peace a Chance
20160804 葉月のことば(2)一本の鉛筆
20160806 葉月のことば(3)峠三吉『八月六日』
20160807 葉月のことば(4)立秋熱波
20160809 葉月のことば(5)石牟礼道子『いわしば焼くごと』
20160810 葉月のことば(6)辺見庸『水の透視画法』
20160811 葉月のことば(7)ふとこる
20160813 葉月のことば(8)ケニア人キプチョゲ・ケイノのこと
20160814 葉月のことば(9)変えたくない
20160816 葉月のことば(10)夏の花

20160817 ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月の花ことば(1)あさざ
20160818 葉月の花ことば(2)ムラサキ
20160820 葉月の花ことば(3)ベニバナ
20160821 葉月の花ことば(4)ユリ
20160823 葉月の花ことば(5)合歓の花
20160824 葉月の花ことば(6)蓮の花

20160825 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記8月(1)4月~6月お出かけ日記
20160827 2016十六夜さまよい日記8月(2)7月の散歩
20160828 2016十六夜さまよい日記8月(3)8月の散歩その1
20160830 2016十六夜さまよい日記8月(4)8月の散歩その2









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ぽかぽか春庭「8月の散歩その2」

2016-08-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

台風一過の旧岩崎邸

20160830
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記8月(4)8月の散歩その2

 8月17日第3水曜日、無料散歩の4回目。16日夜から台風7号が心配されていましたが、17日は暑い夏日になりました。
 ミサイルママは、旧岩崎邸を見たことがないというので、案内することにしました。私はおりにふれて訪問し、建築案内パンフレットなども読んできたので、ボランティアガイドさんが説明してくれるほどは、ミサイルママに説明してあげられる。

 上野公園公園口、文化会館の中で待ち合わせをしたのですが、あいにくと閉館日でした。それで、東京都美術館の中に変更して、「木々との対話」をもう一度見ました。こちらも、私は一度見ているのですから、須田悦弘の作品がどこに隠れているのか、なんてことを得意そうに教えて「へぇ、こんな本箱の間に作品があるなんて、教えてもらわなきゃわかんないよね」と、ミサイルママが言う。「私も教えてもらってわかったんだよ」と思ったけれど、言わないで、自分で見つけたふりしました。こんなところで見栄張って。

 動物園を通り抜けて岩崎邸に行くことにしました。65歳以上の人、入場料300円。「え~、無料じゃないのぉ」と思って、「無料散歩」がコンセプトなのでやめようか、と思ったのだけれど、ミサイルママが「次男が5歳のとき、来て以来20年以上も動物園に来ていないので、入って見たい」というので、入場。
 私は、みどりの日や都民の日の入場無料になるたびに動物園も入ったし「ぐるっとパス」という美術館や動物園の入園セットチケットを買ったときは、「せっかく入場券がついているのだから、チケットつかわなきゃ」と貧乏性発揮して、せっせと動物園も来ていたので、そうか、ふつうは、子どもが動物園卒業すると、次は孫を連れてくるまでこないのか、と思いました。ミサイルママは、次男さんがそのうち結婚して孫できたら、いっしょに動物園にくるでしょうけれど。

 最初はパンダ。朝方の台風通過のため、あまり混んでいなくて、ゆっくり写真を撮ることもできました。
 メスのリーリーとオスのシンシン。どちらもリラックスして笹の葉を食べていました。


 象、猿山、シロクマを見て、西園へ。フラミンゴ、シマウマ、キリン、などをささっと見て、ペンギンの前の休憩スペースでお弁当を食べました。アイアイの森を見て忍口出口へ。

 旧岩崎邸もすいていて、ゆっくり廷内を回れました。


めての場所では必ず迷う私も、ちゃんと辿り着きました。
 私は、金唐革紙の話などを得意になってしたいのですが、ミサイルママは、室内の見学ではまず、カーテンのタグを調べました。3月までインテリア会社で働いていたミサイルママ、一番気になるのは、カーテンなのです。「うちの会社も社長が入札に参加したんだけれど、やっぱり大手が仕事とっていくんだよね」と、タグの社名を見て、小規模会社が大手に伍していく難しさを語っていました。

玄関ロビーでゆっくりするミサイルママ




 8月後半、しばらく途絶えていた演劇鑑賞もすることができました。

 19日金曜日、視覚障害をもつアコさんの外出ヘルプで、豊島区大山の昴スタジオへ。上野駅で電車を降りるアコさんを待ちました。私ははじめて豊島区大山の昴スタジオへ行くのですが、昴はホームページに道案内ビデオを放映していたので、初
 「チャリングクロス街84番地」を観劇。
 ニューヨークで家庭教師やヘルパーをしながら小説を書く売れない作家ヘレンと、ロンドンの古書店主と店の従業員が20年間に渡って文通し、互いに書物愛を語り合う中、友情をつむぐ物語。
 舞台は、往復書簡集である本をそのまま脚色し、その手紙を交互に朗読し合う、という演出でした。したがって、朗読劇に近く、舞台を派手に動き回る近ごろの演劇に比べると地味。
 売れない作家と古書店主の間にあたたかい友情が育つことはわかったのですが、淡々と舞台がすすみ、ときどき眠くなりました。2度目にこの舞台を見るというアコさんも「ちょっと眠いところがあった」ということだったので、この物語は、やはり本を読んだ方が伝わるのではないかと感じました。本を愛する人々の話なので。



 大山ハッピーロードという商店街の中にある古風な甘味屋で、アコさんと宇治金時を食べました。私もアコさんもこの夏はじめてのかき氷。「毎日は食べなくてもいいけれど、ひと夏に1回は食べたいよね」と言い合いました。東京駅新幹線乗り場までアコさんを送りました。

 上野駅でいったん降りて、息子と待ち合わせ、構内エキュート商店街で、娘のリクエスト「メルヘンのサンドイッチ」をおみやげに買いました。「あちこちで食べて見たけれど、メルヘンのフルーツサンドとローストビーフサンドが一番おいしい」と、食いしん坊の娘が言います。

 24日水曜日は、下北沢で演劇鑑賞。「東京ノーヴィレパートリーシアター・スタニスラフスキースタジオ」という長い名前のところで演劇勉強中のK子さんが、「出演します」と連絡をくれました。今回ジャズダンス仲間はみな都合が悪くいっしょにいけないというので、私ひとりで観劇。



 アイルランドの劇作家トマス・マーフィー作『バリャガンガーラ・笑いのない町」。
 認知症になり同じ昔話を繰り返すばかりで、介護を続ける孫娘とはコミュケーションをとろうとしない老婆と、看護婦の仕事をやめて介護につくすのにむくわれず、疲れ切ってしまった孫娘メアリー。ふたりの孫娘のうち、メアリーの妹ドリーは、メアリーから恋人を奪う形で結婚し、子どもの世話があるからと、介護はメアリーにまかせたままです。老婆にはおばあちゃんと(Mommo)いう呼び名が出てくるだけで、名前は最後まで出てきません。
 おばあちゃんが語ろうとしていつも最後までたどりつかない村の物語を、メアリーは最後まで語らせることで、ある種のカタルシスを得て、希望を見いだします。

 アイルランドについてあまり理解していない私には、舞台の背景などをまったく知らずに観劇したので、よく理解できないところがありました。よくわかったのは、K子さんのすごい熱演。メアリーとはコミュニケーションがとれず、たえずぶつぶつと村に伝わる「どうして村の名が『笑いのない町』と呼ばれるのか」というストーリーをつぶやいていて、そのお話は、いつも完結しない、そんな難しい役です。
 おそらく、この「バリャガンガーラ」は、日本で初演なのではないでしょうか。とても貴重な上演だったと思います。

 8月28日、夏の最後のお楽しみ。「原宿元気祭りスーパーよさこい」を久しぶりに見ました。去年はミャンマーにいたし、おととしも一昨年もあまりお天気がよくない中のよさこいだったので、行かなかった気がします。

 「スーパーよさこい」土日の開催なので、毎年ミサイルママは仕事があり、いっしょにいけませんでした。今年こそ、退職後で土日にいっしょに行けるかと思ったのですが、実家に顔を出すとかで行けず、ひとりで見ました。
 代々木ステージとNHK前ストリートの演舞。途中、「うどん天下一コンクール」投票が行われているコーナーで、「長崎の豚角煮うどん肉増し」を食べました。とてもおいしかったので「大満足」に一票いれました。

 夏の終わり、100を超えるチームが参加し、1年間練習を続けてきた踊りを披露する、みな生き生きとしていて、見ているこちらも元気をもらえます。優勝したチームだけでなく、初参加もまだまだ踊りへたっぴチームも、楽しそうに踊っていて、とてもよかったです。

大賞チーム「しん」は、琉球弁の歌と衣装で、踊りもキレキレでした。

NHK前ストリートの最終演舞は、ガーナからの留学生研修生を含むチーム。


 春から夏、落ち込むばかりの春庭でしたが、オリンピックを見るのも、スーパーよさこいを見るのも、友人と会っておしゃべりするのも、おおいに助けてもらいました。
 感謝です。

<おわり>

  
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ぽかぽか春庭「8月散歩その1」

2016-08-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160828
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>2016十六夜さまよい日記8月(3)8月の散歩その1

 夏の日常。落ち着こう、日常生活をにこにこと笑って過ごせるようにしようと心がけて、テレビを見て、オリンピック選手をいっしょうけんめい応援したり、暑くても雨でも散歩に出たり。「無財の七布施」の慈眼施、和顔施、愛語施を実践せんと、がんばってはいるのですが、だいたいはぐうたらとしております。

 8月3日水曜日。ひとりで上野へ。7月28日にyokoちゃんと東博を歩いたとき、法隆寺館と本館を見て、東洋館を見なかったので、東洋館を見ようと思い立ちました。

法隆寺館で見た、マヤ夫人と舞姫。


法隆寺館。三尊像


上野の東博、法隆寺館の水をたたえた入り口のたたずまいも好きですが、「これが日本の近代建築であるぞよ」という威風堂々の表慶館も好きです。


本館、東洋館、平成館は、まあ、建物よりも中の展示が好き。




東洋館は、上海博物館との相互貸し出しにより「上博(シャンポー)出品」の展示されていてよかったです。東洋館13室の展示。中国染織の作品。書画を表現した刺や緙絲(こくし)、精緻な糸の作品を見ることができました。

 東京都美術館。ポンピドゥーセンター展の半券があると500円で「木々との対話 再生をめぐる5つの風景」展も見ることができるので、ついでに見てきました。無料の次に好きな「割引き」
 木を創作の素材としている、國安孝昌、須田悦弘、田窪恭治、土屋仁応、舟越桂の作品。

 國安作品は、新国立美術館の前庭に設置されているインスタレーションを見たことがあるのですが、東京都美術館の中の作品、なかなかインパクトがあってよかった。木材と陶ブロックの運搬は助手が手伝うけれど、組み立ては国安がひとりで行った、という説明がありました。すごい!人を入れて撮らなかったので、大きさがわかりにくいですね。幅も高さも10メートル以上あります。

 

 土屋仁応の鹿や犬などの動物、鳳凰やユニコーンなどの幻獣の彫刻作品、はじめて見ましたが、とてもすてきでした。




田窪恭治の名は、フランス・ノルマンディの「林檎の礼拝堂」修復の記事で知ったのですが。それ以外の作品を見るのは初めて。

東京都美術館のイチョウの古木のまわりにレンガを敷き詰めるインスタレーション



須田悦弘の作品、そこらへんにさりげなく置かれていると、本物の花や草と思ってしまい、作品とは思わずに見過ごしてしまいます。展示会場には、百合と薔薇の2作品のみが展示されていて、あとの3作品は、観覧者が自分でどこに展示されているか、美術館内をさがすことになっています。
 2階の百年前に使われていた展示ケースの中の朝顔はすぐにわかりましたが、資料室の本棚の中の露草は、ヒントをもらうまでわかりませんでした。


舟越桂の彫刻、人物像が大江健三郎小説の表紙などによく使われていて、見ることは多かったのですが、それほど好きではなかった。今回はじめて、まとめて作品を見たのですが、やはり私の今の気持ちで見ると、なんだかますます悲しくなってくるような気分になりました。しかも、舟超の展示室は撮影禁止。ポスターを撮ってきました。


8月15日。娘息子と「おばあちゃんのお盆」をしました。無宗教だった姑は、彼岸もお盆も仏教行事としてというより、「みんなが集まって食事会をする日」として過ごすのが好きだったので、おばあちゃんがやっていた通りに、お寺参りしたあと、文京区シビックセンター21階の椿山荘で食事。21階からの眺め、スカイツリーもよく見えました。

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ぽかぽか春庭「7月散歩」

2016-08-27 01:52:51 | エッセイ、コラム

海老原喜之助 「雨の日」

201608127
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記8月(2)7月の散歩

 7月、雨の中また猛暑のなか、時間を見つけてあるきました。といっても、お出かけ先は、たいてい公園か美術館です。
 東京で無料で楽しめる場所、いろいろあります。無料や低額のコンサート、入場無料のまた65歳以上無料の美術館博物館、建物。公園や街角で見る大道芸(東京ヘブンアーティスト)、図書館、資料館、東京都庁や文京区役所の無料展望室もよいし、お寺巡りもよいですね。今年残念だったのは、花火に行けなかったこと。東京湾花火はオリンピック施設建設のため、中止になっていますが、荒川、江戸川などの花火、見たかったけれど、日程があいませんでした。

 7月13日、雨もよいの一日。一人で皇居東御苑を通り抜け、三の丸尚蔵館へ。皇室より寄贈の作品から、馬を主題にした絵や彫刻が展示されていました。
 「蒙古襲来絵詞」前巻」から出展されていました。「白石六郎通泰其勢百騎後陣よりかく」と説明がある鳥飼潟の戦いの絵。元軍に突撃する竹崎季長の後方から、元軍に弓を射る肥前国御家人・白石通泰の手勢を描いています。教科書などに挿絵として出る蒙古襲来絵詞の図はたいてい竹崎季長が蒙古軍と闘う場面なので、白石通泰の戦いぶりの絵、はじめて見ました。馬が躍動しています。『蒙古襲来絵詞』は模本が多く残されていますが、明治期に皇室が購入したものが元になっています。


 国立公文書館にも立ち寄りましたが、展示替え中。
近代美術館へ。立ち寄るたびに展示替えしていて、いつ来ても楽しめます。

 セザンヌ「大きな花束(1892-95)」、草間彌生「残骸のアミュミュレーション 離人カーテンの囚人1950」が、初めて見る作品でした。

セザンヌ「大きな花束」


草間彌生「残骸のアミュミュレーション」


 また、新購入の松本竣介が13点並んでいて、「松本俊介展」を見に行ったときと同じくらい堪能できました。松本竣介展では写真撮影禁止でしたが、こちらは通常展で館所蔵作品なので、フラッシュ禁止を守れば撮影自由です。

松本竣介「ニコライ堂」

 7月17日日曜日。ジャズダンスメンバーのミサイルママ&コズさんと溝の口の洗足学園大学のコンサートホールに行き、合唱コンサートを聴きました。コズさんの合唱サークルの先生が出演していたからです。大人数の合唱、迫力がありました。アイヌ民謡をもとにした合唱曲、とてもよかったです。

 帰り道、溝の口駅近くの久本薬医門公園でひと休み。250年前に岡東栄が、久本の地で医院を開業して以来、医家として存続してきた家の門と蔵が公園内に保存されています。

久本薬医門公園 倉

公園で遊ぶ親子、シャボン玉を追いかける女の子の姿を見て、幼い頃の娘も同じようにシャボン玉を追いかけたなあと、なつかしくなりました。何を見ても、「ああ、あのとき娘はこうだったなあ」と、しみじみするのも、私が年取った証拠でしょう。


7月20日、「第3水曜日おとなの遠足3回目」
 ミサイルママと上野公園をめぐりました。ちょうどルコルビュジェ作品が世界遺産になったところだったので、65歳以上無料の常設展を見ました。前との展示替え作品で新しく見たものはありませんでしたが、やはり建物自体をじっくりと見学。
 常設展の入り口、ロダンの彫刻がある19世紀ホールも、いつもはささっとロダンを見て通り過ぎますが、ルコルビュジェ作品としてちゃんと見ました。

西洋美術館19世紀ホール


西洋美術館模型


西洋美術館西門から撮影

 ミサイルママと、サンドイッチお弁当を食べながら見ていた東京ヘブンアーティスト。バイオリンの演奏、よかったです。私の投げ銭基準「聞いていてよかったら、15分100円、30分200円、60分500円」と話したのですが、ミサイルママは「息子もときどき大道芸演劇やって、投げ銭もらうこともあるので」と言って、私より多めにあげていました。我が子を思えば、大道芸もおろそかならず。


穴澤雄介(ヴァイオリン)と高木將雄(ドラム)のデュオDot&Line、ランチタイムをすてきにしてくれた演奏をありがとう。

 7月28日、Yokoちゃんと上野公園へ。ポンピドーセンター展、こども図書館、東京国立博物館などをめoぐりました。
 Yokoちゃんとの散歩は、私の都合で一度キャンセルをしてしまったので、28日木曜日を楽しみにしていました。お天気もよくてよかったです。

 こども図書館のレストランでお昼ご飯を食べながらおしゃべり。

こども図書館

 こども図書館階段

 東京都美術館のポンピドゥーセンター傑作展。1906年から1年にひとつの作品を選び、1977年のポンピドゥセンター設立の年まで、1年ひとりの作家が並んでいる、という展示方法でした。1945年だけは、あえて作品を出さずにエディット・ピアフのラヴィアンローズが小さな音でながれている、という構成。

入り口横の看板


yokoちゃんが一番気に入ったカンディンスキー「30」1937


HALが一番気に入ったセラフィーヌ・ルイ『楽園の樹』1929


 私は、これまでセラフィーヌ・ルイの作品を見たことがなく、2008年には伝記映画『セラフィーヌの庭』がさまざまな賞を得ていることも知りませんでした。
この作品を見て、絵を習ったこともなく、家政婦をしながら絵を描き続けたセラフィーヌ・ルイを知りました。
 セラフィーヌは40歳ころ「天使から、絵を勧められて」描きはじめました。誰に知られることもなく描き続けるなか、セラフィーヌが家政婦として働く家に画商ウーデがやってきて、彼女の絵を買い上げ、以後の援助を続けました。しかし、1929年の世界恐慌の影響でウーデはセラフィーヌへの援助ができなくなりました。突然見放されたセラフィーヌは、しだいに心を狂わせていきます。映画『セラフィーヌの庭』をぜひ見たいです。
 
 絵を見てから、上野駅前のグリーセンターカフェで、ビールを飲みながらひとときのおしゃべり。春から夏まで落ち込むことの多かったかHALですが、散歩のいっぽごとに友人からパワーを分けてもらって、少しずつ元気になってきました。まだまだへこむ日もあると思いますが、こうしていっしょに歩くことで、みんなのエネルギーをもらって、前を向いていけます。
 お散歩ともだち、ありがたいです。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「4ー6月の散歩」

2016-08-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160825
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記8月(1)4月~6月お出かけ日記

 もともと仕事があったときでも、夏休みなど、1週間一歩も外に出ないですごす、というのも平気でした。生協から届く食品を食いつないで、外に出なくても生きていけるので。

 4月から「無職の人」になって、家に引きこもって過ごすつもりでしたが、「引きこもり続けていると、おしりにコケが生えちゃう」と、ひっぱり出してくれる友あり、お誘いすると万障繰り合わせて同行してくれる友あり、月に何度かは、散歩やら美術館巡りやら、してきました。

 4月~6月のおでかけメモです。並べてみると、主観的には「仕事もなく、引きこもっていた」つもりなのですが、けっこうあちこちお出かけしていたのでした。

4月13日水:娘息子と上野の科学博物館「恐竜展」へ。毎年1度は、科博や幕張メッセで開催される恐竜展に出かけます。今回はスピノサウルスが目玉というやや地味なテーマだったのですが、恐竜好きはけっこういて、賑わっていました。


恐竜界の大スター、ティラノサウルス


標本や説明図を見る娘と息子



上野のランチ、娘のバースデープレート


4月20日 お茶の水ニコライ堂。はじめてニコライ堂を見ました。コンドル設計のハリストス教会、とても雰囲気がよかったので、5月には娘も連れて見に行きました。



5月4日みどりの日おひとり様散歩、水道公苑のバラ園



5月15日水、3月いっぱいで定年退職したミサイルママと「第3水曜日、65歳以上無料の東京都施設めぐり」をすることになりました。
 第1弾は、東京都美術館の「若冲展」の予定ででかけましたが、大人気の若冲、テレビの美術商会でも何度もとりあげられたので、東京都美術館に着いたら「5時間待ち」の大行列。この日は、若冲をあきらめました。私は、三の丸尚蔵館で何度か若冲の「動植綵絵」を少しずつ展示替えのたびに見てきたし、ミサイルママは5時間も並ぶ根性がない、というので、ギブアップ。36枚の動植綵絵が一同にならぶ機会はもうしばらくはないかもしれないので、ちょっと残念でしたが。

 「無料で遊ぶ」が無職ふたりの原則。幸いこの日は、「博物館の日」でしたから、無料の藝大陳列館と東京国立博物館を巡りました。藝大陳列館では、タリバーンによって破壊されたアフガニスタンの壁画や仏像の修復を行っている芸大チームの復元成果が展示されていて、とてもよかったです。


アフガニスタンの仏像。修復後はアフガニスタンに戻すものもあります。

5月22日。娘と山の上ホテルでランチ。すぐ隣の大学に通っていたのに、娘は学生時代は学食などで安いランチを食べてきて、山の上ホテルなど入ったこともなかったというので。チャペルの中ものぞいてみました。


6月15日水。第3水曜日の「大人のえんそく第2回目」は、白金の科学博物館教育植物園散歩と庭園美術館メディチ家至宝展。植物園を散歩して、朝にぎってきたおにぎりのお弁当を食べてから庭園美術館へ。



 「無料」がコンセプトのえんそくなので、数々の装飾品調度品をミサイルママと見て回りながら、「いったいいくらくらいするのかと思うと見ていて疲れるから、これは夜空の星、雨上がりの虹とおなじ。万人のためのうつくしい飾り」と、思うことにしました。


 6月18日土。「田端文士村」は、東京都北区田端に住んだたくさんの文士の史料を収集展示している記念館です。無料の映画会に行こうと、ミサイルママからのおさそいがあったので、映画『HAZAN』を見ました。田端文士村で活躍した陶芸家板谷波山の伝記映画です。主演は榎木孝明。「芸術家の苦悩と家族の苦労」という筋は定番ストーリーでしたが、よい映画でした。とくに、陶芸作家として名をなした波山を支えて、下働きをした人が描かれているのがよかった。もう、その人の名前わすれてしまったくらい、地味な存在ですけれど、世の中にはそうやって、無名のままで「縁の下の力持ち」として一生を送る人もいて、その人達こそ社会の基礎なのだ、ということ、じんときました。
 帰りに飛鳥山公園下の「あじさいの小径」を通って「ミサイルママとあじさい」の写真をとって別れました。


 大人のえんそくは、毎月第3水曜日に続けます。ひとりのときもあるし、同行してくれる人がいれば、いっしょに。
 ドタキャンになることも多いので、「あ、今日はダメになった」というのを理解してくれる人、どうぞ、ごいっしょに。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「蓮の花」

2016-08-24 00:00:01 | エッセイ、コラム

上野、不忍池で撮影

201608124
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月の花ことば(6)蓮の花

 各地の盆行事も終わり、旧盆8月に各地の池では、仏教にゆかり深い蓮の花が咲き誇っていたことでしょう。私は、上野の不忍池で、一面に広がる蓮の咲き始めを見ることができました。

 蓮の原産地はインドだそうです。インド、スリランカ、ベトナムでは、国花です。インドからアジア各地に広がり、日本にも太古の時代から、各地に自生種として広がっていました。

 蓮の種子は生命力が強く、長年、土に埋もれていた種からも発芽成長した例があります。 千葉市検見川の大賀ハス、埼玉県行田市の古代蓮など、発掘された種から花を咲かせ、各地に株が分けられているそうです。
 確実な年代測定ができた古代蓮の種は、中国で発掘された1300年前の種子だということですが、遺跡などから出土される種子が放射線同位元素測定などで年代確定されたら、古代蓮と見られる蓮の種がどれくらい古いものなのか、はっきりわかるのではないかと思います。

 インド原産の蓮ですから、仏教とも深く結びつき、鑑真和上は蓮を携えて来日したそうです。仏教では蓮と睡蓮を区別せず、両方を蓮華としています。

 万葉人は、蓮を愛で長歌短歌に詠みました。しかし、花を直接詠んだのではなく、葉っぱのほう、「はちすば」を歌にしています。葉の上の水滴。蓮の葉には撥水性があるので、蓮葉の上の水はころころと丸い玉になり、見るからに清げで涼しげ。夏の光景としてなによりのものだったことでしょう。

13-3289
御佩乎 劔池之 蓮葉尓 渟有水之 徃方無 我為時尓 應相登 相有君乎 莫寐等 母寸巨勢友 吾情 清隅之池之 池底 吾者不忍 正相左右二
み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜まれる水の 行くへなみ 我(あ)がする時に逢ふべしと 逢ひたる君を な寝(い)ねそと 母聞こせども 我(あ)が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我(あれ)は忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに


 身に持つ剣。その剣の池の蓮の葉の上に溜まってころころところがる水玉のように、ゆくえも知らない私の恋。私は恋しいあなたに会うべきだと思ってあなたに逢うのだけれど、共寝をしてはいけないと母上がおっしゃる。けれど、私の心は清隅の池の、池の底のように心の底から、あなたを忘れることはありません。直接に逢うことができるまで。

 剣池に広がる蓮を見ながら、恋しい人と逢いたい、共寝をしたいと思い焦がれる気持ちが、蓮の葉にころころ転がる水玉のように、くるくると心が揺れるようす。逢いたい、でも母親は共寝を禁じている。でも逢いたい。
    
 作者が記されていない巻13の相聞歌に集められている長歌短歌。あるいは民謡として歌垣の夜に、若い男女が掛け合いで歌い合ったのかなあ、と、想像してみます。

16-3826
蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 宇毛乃葉尓有之
蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が 家なるものは芋(うも)の葉にあらし


 ここに見る蓮の葉は、このように立派な大きな葉なのですが、私、おきまろの家では、芋の葉にもならないようです

 里芋の葉も、水をはじいて玉のようになるのですが、蓮の大葉よりはこぶりです。芋、すなわち我が妹(わがいも=妻)を謙遜しているらしい。宴席で皆で笑いながら吟じた歌なのでしょうか。

16-3835
勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之
勝間田(かつまた)の池は我(われ)知る蓮(はちす)なし然(しか)言ふ君がひげなきごとし


 この歌の後ろに説明があります。天武天皇の第七皇子新田部皇子が、「勝間田の池に咲く蓮を見て、水はまんまんとたたえられ、蓮の花のおもしろく咲いていることといったらなかったよ」とある女性に言ったところ、「その蓮の花って、どこの女かしら。勝間田の池に蓮の花が咲いたなんて私は知りませんよ。花がきれいだったとおっしゃるあなたの顔にひげがないのと同じですよ」と、ざれ歌にして返した、と。

 勝間田の池には蓮が咲き、新田部親王の顔には髭があることを知っていて、蓮の花に喩えられた女人を想定して「そんな人、私は知らないわ」と拗ねてみせる、機知を込めて詠んだ歌、きっと宴席で大いにウケたことでしょう。
 江戸期にひげ剃りが一般的になるまで、男性は髭を生やすのが通常だったので、新田部親王にも立派な髭があったのを、誰も知っていることなので、

 次の歌も、宴席で歌われました。酒宴もたけなわ。宴の食べ物が蓮の葉に盛られていたのを見て、一同は宮中警備にあたる兵衛の兵士に「おまえ、歌が上手なのだから、一首詠みなさい」とはやし立てます。兵衛の男が詠んだ歌。
16-3837
 久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似将有見
 ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉(はちすば)に 溜まれる水の玉に似る見む

 雨が降らないかなあ。蓮の葉にたまった水が玉に似ているのを見たいなあ。
 右謌一首、傳云有右兵衛。(姓名未詳) 多能謌作之藝也。于時、府家備設酒食、饗宴府官人等。於是饌食、盛之皆用荷葉。諸人酒酣、謌舞駱驛。乃誘兵衛云開其荷葉而作。此謌者、登時應聲作斯謌也

 平安以後の蓮。 
遍昭
蓮葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露をたまとあざむく
藤原道綱母『蜻蛉日記』 
花に咲き実になりかはる世を捨てて浮葉の露と我ぞ消(け)ぬべき

 西行は、蓮の花を詠んでいます。
西行
おのづから月やどるべきひまもなく池に蓮の花咲きにけり

 藤原俊成定家親子は、蓮の花の香りに心引かれたようです。
藤原俊成
浮草のすゑより風は吹くなれど池のはちすぞまづかをりける
小舟さし手折りて袖にうつし見む蓮の立葉の露の白玉

藤原定家
はちす咲くあたりの風のかほりあひて心のみづを澄す池かな
風わたる池のはちすのゆふづく夜ひとにぞあたるかげも匂も


藤原家隆
音羽川せき入れぬ池も五月雨に蓮の立葉は滝おとしけり

後鳥羽院
風をいたみ蓮の浮葉に宿しめて涼しき玉に蛙かはづ鳴くなり

源実朝
さ夜ふけて蓮の浮葉の露の上に玉とみるまでやどる月影 

 江戸時代、仏を荘厳する花なれば、良寛さんも一首詠む。留守中にやってきた貞信尼に与えた歌。なんにもごちそうするものもないけれど、せめて小さな瓶にさした蓮の花を見て心なごませてください、と、良寛さんは貞信尼に言っています。
良寛
みあへする物こそなけれ小がめなる蓮の花を見つつしのばせ

 良寛和尚と貞信尼は、きっと極楽で仏に迎えられて、同じ蓮の花の上で仲良く歌など詠み合って暮らしたことでしょうね。

 「極楽往生の後には、あの世で同じ蓮の花の上に並んでいようと願いを託す「一蓮托生」。はてさて、極楽で私と並んで蓮に座ってくれるのは、、、、。おっと、極楽往生とは限りませんで。国立博物館で見た国宝「餓鬼草紙」を眺めていると、「施しをすべき食べ物を、自らむさぼり食った者が落ちる地獄」というのがありましたから、将来は決まり? 
いやいや、今後は持たざる者の「無財の七布施」に励みます。

無財七布施とは。
一、眼施(慈眼施)
 慈しみの眼、優しい目つきですべてに接すること。
二、和顔施(和顔悦色施わがんえつしきせ)
 いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対すること。
三、愛語施(言辞施)
 ものやさしい言葉を使うこと。思いやりのこもった態度と言葉を使い、叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。言う。
四、身施(捨身施)
 自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践すること。人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行すること。
五、心慮施(しんりょせ)心施
 自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになること。
六、壮座施(そうざせ)
 自分が得た地位や立場、座席を譲ること。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること。
七、房舎施(ぼうしゃせ)
 雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすること。

 無財七布施、実行してきたのもあるけれど、ついつい電車や地下鉄のなかでシルバーシートにワカゾーが座っていると、横目でにらんでしまったりしているワタクシです。
 雨の日、自分はずぶ濡れになっても、他者のために傘をゆずるとか、、、、したことないなあ。

 22日の台風9号は、11年ぶりという関東地方直撃。原宿駅の木がたおれて山手線は不通となるし、西武線は土砂崩れで電車立ち往生となるし、家への浸水など、被害も大きかった。被害に遭った方、お気の毒です。
 天気予報では、大気不安定とか記録的短時間大雨警報とか、不安な文字が並んでいますが、どうぞ、明日が平穏な日でありますように。一日一日を大切にして、すすんでいきたいです。無財七布施、はげみます。





 8月17日、不忍池の蓮の向こうには、スカイツリーも見えました。東京、台風一過、35度の猛暑日のおでかけでした。

 忍ばずのはちす葉の水すくいとり猛暑日の喉うるおしたかりき<春庭
 不忍の池に咲きたる蓮花のつぼみも食えると聞きし今日かも<春庭
  
このシリーズ、けっこう文学づいてまとめてきたのに、最後はやっぱり食い気で終わるか。 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「ネムの花」

2016-08-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
201608123
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月の花ことば(5)合歓の花

 象潟や 雨に西施が ねぶの花
 松尾芭蕉『奥の細道』の中でも、よく知られた俳句です。
 芭蕉が曾良とともに秋田の象潟を訪れたのは、雨の季節。
 江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし*。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。

 芭蕉は、太平洋側の松島湾にあまたの島が浮かぶ光景を見て「笑うがごとく」と感じました。一方同じように海に数々の島が浮かぶ象潟を見て、雨のせいもあったのかもしれませんが、「象潟は恨むがごとし」と対照しています。

 雨の中の象潟は、中国の西施のように美しいと漢詩に詠まれた西湖を呼び起こし、絶世の美女西施が恨みを含んだ生涯であったことを思い起こします。

 古代、呉越が争ったとき、越王勾践は、呉王夫差を籠絡せんとして多数の美女を献上しました。西施は、贈り物にされた美女のうちのひとりです。思惑通り、傾国の美女西施におぼれた夫差。呉が滅んだ後、西施は越に帰りますが、勾践夫人は、夫が「傾国の美女」に心寄せることのないよう、西施を川に投げ捨てた、とも、賢臣范蠡が密かに助けてかくまったともいう伝説があります。西湖は西子湖とも呼ばれ、西施のように美しいと漢詩に詠まれた、杭州にある湖です。

 雨の中で象潟を見て、芭蕉は、美女がはかない身の上をうらむような趣を連想したのでしょう。象潟→西湖→西施という連想ゲーム。象潟のほとりに咲く合歓木の花が西施のはかなげな淡々とした容姿を感じさせたのかもしれませんし、漢詩の知識も豊富であった芭蕉は、「合歓」という漢語は、中国では「(からだを)合わせて喜びに達する」という意味、すなわち男女の営みを表現していることも知っていた。

 曾良の同行日記との対照によると、芭蕉の「奥の細道」は旅の記録ではなくて、あくまでも「陸奥の旅をモチーフにした文学作品」なのであって、本当に象潟にねむの花が咲いていたのか、芭蕉のイメージだけだったのか、わかりません。頭の中に古典文学がぎゅうぎゅうと詰まっていて、自在に和歌や連歌を引き出すことが出来た芭蕉ですから、合歓の花のイメージにも、万葉から続く合歓木(ねぶ)の歌の数々、ねむの花のあらゆる和歌連歌俳諧漢詩が重層していたことでしょう。

 では、万葉集から「合歓の花」を拾っていきましょう。
万葉8-1461紀女郎きのいつらめ
紀女郎贈大伴宿祢家持歌二首)
晝者咲  夜者戀宿  合歡木花  君耳将見哉  和氣佐倍尓見代
昼は咲き夜は恋ひ寝(ぬ)る合歓木(ねぶ)の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ
右折<攀>合歡花并茅花贈也

昼に花咲き、夜には恋しい想いを抱いて寝るというねむの花、私だけが見てよいものでしょうか。さぁ、お若いあなたも見てごらんな。

 万葉集の編者の一人であるとされる大伴家持が恋の歌をかわした相手のなかで、紀女郎は、他の女性とは少し違っていることがあります。古代の女性は、本名は両親と夫が知るくらいで、他人に明かされることはありません。紫式部(藤式部)や清少納言のように、家族の職名から宮廷用の呼び名をつけるか、大伴坂上郎女(大伴家の坂の上の家に住んでいた高貴な身分の女性)というように、住まいのあった場所によって通称されるかしています。大伴坂上郎女の娘である大伴坂上大嬢も、家持の妻なのに実名は明かされていません。

 ところが、紀女郎については、「名は小鹿と云ふ」と、おそらくそれが本名であろう名が家持によって(であろう)書き残されているのです。紀女郎の父親の名は「紀鹿人」なので、親の名をもらったのでしょうが、親が動物や植物の名を本名として与えるのは、その植物や動物の霊力を得て丈夫に賢く美しく育ってほしいからです。小鹿とは、いかにも愛らしく敏捷な娘を思わせる名です。

 聖武天皇が一時期奈良の都を恭仁京に移していた間、家持は、家族を奈良に残していわば「単身赴任」していたのだそうです。(万葉集の詞書に、恭仁京にきて坂上大嬢に久しく会えないので寂しいという歌が書かれています)。
 恭仁京は京都に近く、紀女郎との歌のやりとりは、この恭仁京にいた間のことで、他の時期にはありません。家持が二十代前半、紀女郎が三十代前半くらいの年上の恋人だったと思われます。実名を知っているということは、実名を明かされる相手であったという仲だったはず。
 
 紀女郎は、まだ身分も高くない家持に対して、下僕や年若い男に用いる「戯奴(わけ)」という二人称を用いています。余裕綽々の年上の恋人だったのでしょう。
 
万葉8-1463大伴家持の返歌。
吾妹子之  形見乃合歡木者  花耳尓  咲而盖  實尓不成鴨
我妹子(わぎもこ)が 形見の合歓木(ねぶ)は 花のみに 咲きてけだしく 実にならじかも
わたしのいとしい人が残してくれたねむの花は、花がさくばかりで、実にならないようです

 大伴家持も自称を「戯奴(わけ)」と称し、紀女郎を「わが君」と呼んでいるので、天皇や皇后に使える官女としてミヤコにいる女性として、あがめ奉りつつの交際だったことと思います。

 そのほかの万葉集の合歓のうた
万葉11-2752読み人知らず
吾妹兒乎 聞都賀野邊能 靡合歡木 吾者隠不得 間無念者
我妹子(わぎもこ)を 聞き都賀野辺(つがのへ)のしなひ合歓木(ねぶ) 我れは忍びず 間なくし思へば

都賀野辺にしなやかに咲いているネムの花のような娘のことを聞いては、いつもいつもあの娘を想っているので、気持ちを隠すことができません

 近代短歌のネムの花
若山牧水
いつ知らず夏も寂しう更けそめぬほのかに合歓の花咲きにけり
ゆくりなくとあるゆふべに見いでけり合歓のこずゑの一ふさの花

古泉千樫
川隈の椎の木かげの合歓の花にほひさゆらぐ上げ潮の風に
たもとほる夕川のべの合歓の花その葉は今はねむれるらしも
夕風にねむのきの花さゆれつつ待つ間まがなしこころそぞろに
さす潮のかよふはたての水上に合歓はやさしくにほひてあらむ

北原白秋
昼がすみ水曲(みわた)の明りほのぼのと合歓(かうか)の花は咲き匂ふらし 
夕野良の小藪が下の合歓の花もも色薄う揺れて霧の雨

斎藤茂吉
山こえて二夜ねむりし瀬上の合歓花のあはれをこの朝つげむ
親しきはうすくれなゐの合歓の花むらがり匂ふ 旅のやどりに

中村憲吉
わが眼には濃霧つめたし幽かなる合歓のはなには霧すぐる見ゆ

 中国では、夜になると葉を閉じて合わせる「合歓」のイメージが優先しましたが、日本では、葉を閉じて「眠る」が連想され、「ねむの木」「ねむり木」。母のふところに抱かれてすやすやと眠るような、安らかな眠りのイメージです。

 現代、ネムをうたったものでもっとも有名な詩は、美智子皇后の作詞でしょうね。曲がつけられて、現代の子守歌としても人気の歌です。

 作曲:山本正美 歌唱:佐藤しのぶ
https://www.youtube.com/watch?v=gvq3ADtGuec

ねんねの ねむの木 眠りの木
そっとゆすった その枝に
遠い昔の 夜(よ)の調べ
ねんねの ねむの木 子守歌

薄紅(うすくれない)の 花の咲く
ねむの木蔭(こかげ)で ふと聞いた
小さなささやき ねむの声
ねんね ねんねと 歌ってた

故里(ふるさと)の夜(よ)の ねむの木は
今日も歌って いるでしょか
あの日の夜(よる)の ささやきを
ねむの木 ねんねの木 子守歌


 今上天皇が、退位についてのご自身のお気持ちを直接国民に伝える、というビデオ発表がありました。
 「現行憲法を守る」という姿勢を表明してこられた陛下なので、憲法第一条に抵触するような表現を避けつつ、健康上の理由から退位し、皇太子に譲位したいというお気持ちを発表なさいました。

 今上天皇は、2013年80歳の誕生日会見では、憲法について次のようなお言葉を述べていらっしゃいます。
 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」

 現行憲法を明確に肯定する立場の表明です。ところが、NHKで放映された天皇の誕生日お言葉では、上記引用の部分はカットされ、国民には知らされなかった。改憲をめざす政権には都合の悪いお言葉だからです。

 体調の不安を抱えながらも、東北へも熊本へも国民のもとに出かけ、アジア慰霊の旅を続けてこられた今上天皇。現行憲法を守っていく姿勢を持っての行動であることを知り、共感します。

 では、合歓木の子守歌を聞きながら、おやすみなさいませ。

合歓の花(画像借り物)


<つづく> 
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ぽかぽか春庭「ゆり」

2016-08-21 00:00:01 | エッセイ、コラム

ササユリ 画像借り物恵那市観光協会

201608121
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月の花ことば(4)ユリ

 古代日本では、ユリの花の香りは、悪霊をも退散させる霊力のある霊草とされていました。現代でも、ゆりの霊力は奈良市率川神社の三枝祭(さいくさのまつり ゆりまつり)に見ることができ、巫女がゆりの花を持って舞います。
 万葉時代の山地に自生するユリ、霊力はあるけれど、その姿は、ヒメユリ、ササユリ、ヤマユリの楚々とした控えめな花でした。

 現代の花屋では、カサブランカなどの、芳香が強烈で自己主張の強い大ぶりなユリが人気のようです。
 都知事がユリコさんに決まりました。新都知事は控えめな方とはお見受けしませんので、あでやかなカサブランカのイメージでしょうか。さまざまな「オモテナシ」を受ける立場になるかもしれませんが、お金問題では「ユリの香りで悪霊退散」のイメージで、クリーンな人であってほしいものです。 

 天平感宝元年(749年)五月九日(陰暦)に、大伴家持が越中国主として赴任していた国庁(現在の高岡市)の役人たちが、少目秦石竹の館で宴会を開きました。館の主人が百合の花縵(はなかづら花冠)を三枚作り高坏に重ね置いて、賓客大伴家持に贈呈しました。家持は返礼としてユリの歌を詠みました。ユリの霊力を贈るのは、国主(現代なら県知事)である家持へのせいいっぱいの「オモテナシ」だったことでしょう。


18-4086大伴家持
同月九日諸僚会少目秦伊美吉石竹之館飲宴 於時主人造白合花縵三枚疊置豆器捧贈賓客 各賦此縵作三首葉

安夫良火乃 比可里尓見由流 和我可豆良 佐由利能波奈能 恵麻波之伎香母
油火の 光りに見ゆる 吾がかづら さ百合の花の 笑まはしきかも

あぶらひの ひかりにみゆる わがかづら さゆりのはなの ゑまはしきかも

 百合冠を贈られた宴会に、越中介(えっちゅうのすけ)内蔵縄麻呂(くらのなわまろ)も出席しており、上司越中守(えっちゅううのかみ)の家持に続いて歌を詠みました。内蔵縄麻呂は、天平十八年(746)から天平勝宝三年(751)まで家持の部下でした。
 
18-4087内蔵縄麻呂
等毛之火能 比可里尓見由流 左由理婆奈 由利毛安波牟等 於母比曽米弖伎
灯火(ともしひ)の 光りに見ゆる さ百合花 ゆりも逢はむと 思ひそめてき 

 
「ゆりも逢はむ」の「ゆり」とは、将来、あとで、という意味。百合の花と掛けています。
 
 縄麻呂のうたに応じて再び家持が詠む
18-4088大伴家持
左由理婆奈 由里毛安波牟等 於毛倍許曽 伊末能麻左可母 宇流波之美須礼
さ百合花 ゆりも逢はむと 思へこそ 今のまさかも うるはしみすれ 

 「今のまさか」は、「今のまさにこのときに」の意味。小百合の「ゆり」と同じく、ゆり(あとで)また逢おうと思うからこそ、いまのこのときを楽しもうではありませんか。

 この機知に富む百合の花の応答のほかにも、万葉集には百合を詠んだ歌が全部で十首あります。

万葉7- 1257
道邊之 草深由利乃 花咲尓 咲之柄二 妻常可云也 
道の辺の草深百合の花笑みに笑まししからに妻と言ふべしや

みちのべの くさふかゆりの はなえみに えまししからに つまと いふべしや

 作者不詳の歌であるため、男性が詠んだととらえるか、女性が詠んだと思うかによって解釈が変わってくるようです。

女性:道のべの草深い中にあるユリのつぼみがほころびかけるように、私がほほえんでいるからといって、私のことを「妻と言いたい」などと言っていいものでしょうか。(いいえ、そんなことはないでしょう)
男性:道のべの草深い中に咲いているユリの花がほほえんでいるように、私にほほえみかけてくれるあなたを、妻と言っていいのだろうか。(いいにちがいない)

万葉8・1500大伴坂上大郎女(おおとものさかのうえのいつらめ)
夏野之 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曽
夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ

夏の野の草の繁みに咲いている姫百合の花が人に知られないように、相手に知られることのない片思いをひめているのは苦しいものです

 大伴坂上大郎女は、大伴旅人の異母妹。何度か結婚するも夫に先立たれる。妻を亡くした兄の旅人のため、旅人の子、大伴家持らを養育したといわれています。家持はこの叔母の娘(坂上大嬢さかのうえのおおいつらめ)と結婚し、叔母で姑でもある坂上大郎女の歌を84首『万葉集』に残しました。
 何度か結婚し、恋の歌も数多い坂上大郎女ですが、夏の野の草の中に咲く姫百合のような秘めた恋の苦しさを味わうこともあったのでしょう。

万葉8-1503紀朝臣豊河(きのあそんとよかわ)
吾妹兒之 家乃垣内乃 佐由理花 由利登云者 不欲云二似
我妹子(わぎもこ)が 家の垣内(かきつ)の さ百合花 ゆりと言へるは いなと言ふに似る
 
あなたの家の庭に咲いている百合のようなあなたが、「ゆり(また後でね)」というのは、「だめよ」と言っているようなものです。

 「後ほど検討します」とか、「今後の課題にします」などと政治家が言うのは、「それ、もうダメですよ」というのと同じ。古代から「あとでね」は、「ごめんなさい、おつきあいおことわり」のことなのでした。ラインでデート申し込みした人も「またこんど」と返信があったらもう目がないと納得してください。

万葉11-2467 柿本人麻呂集
路邊 草深百合之 後云 妹命 我知
道の辺の 草深百合(くさふかゆり)の 後(のち)もと言ふ 妹が命を 我れ知らめやも

道の辺の草深くに咲く百合の花のゆりのように、後のことをいう愛しい貴女の運命を私は知ることができようか

万葉18-4115大伴家持
佐由利花 由利母相等 之多波布流 許己呂之奈久波 今日母倍米夜母
さ百合花、ゆりも逢はむと、下延(は)ふる、心しなくは、今日(けふ)も経(へ)めやも

さゆりばなのゆり(後)にでも逢おうと、心のなかでひそかに思っていることでもなければ、今日一日も過ごせようか、過ごせるものではない。

万葉20-4369大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)
都久波祢乃 佐由流能波奈能 由等許尓母 可奈之家伊母曽 比留毛可奈之祁
つくはねの さ百合の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹(いも)ぞ、昼も愛(かな)しけ

 常陸の筑波嶺に咲く百合の花のように、夜の床の中でも昼間でもいとしい妻よ

 大舎人部千文は、常陸の人。課役を負った成年男子(上丁かみつよほろ)の身分でした。その課役のため、天平勝宝七年(755)二月、防人として筑紫に派遣されました。夜も昼もいとしい妻のことばかりが思われる、つらい防人のつとめ。一刻も早く妻が待つ筑波嶺に帰りたかったことでしょうね。

 万葉集に十首あった百合ですが、平安朝になると花よりも「さゆり葉」が詠まれるようになっていきます。

式子内親王:
涼しやと風のたよりをたづぬれば繁みになびく野辺のさゆり葉
『千載集』 (夏草をよめる) 源俊頼
汐みてば野島が崎のさゆり葉に波こす風のふかぬ日ぞなき 
『拾遺愚草』 (夏) 藤原定家
さゆり葉のしられぬ恋もあるものを身よりあまりて行く蛍かな 
『続古今集』 (詞書略) 藤原定家
うちなびく繁みが下のさゆり葉のしられぬほどにかよふ秋風 
『秋篠月清集』 (夏) 九条良経
わぎもこが宿のさゆりの花かづらながき日ぐらしかけてすずまむ 
『草根集』 (夏草) 正徹
小百合葉のしられぬ清水くみたえて野中の草を結ぶ山風 

 近代に入ると、ユリの花復活。白百合は純粋な乙女の美しさを象徴して使われるようになります。
 近代を代表する歌人与謝野晶子と山川登美子は、有名な三角関係で、妻を持つ与謝野鉄幹の愛を得ようと競い合います。「しろ百合の君」という名で鉄幹から呼ばれた登美子のほうが、さすが百合の花の歌では思いが深く伝わってくるように思います。一方、鉄幹は「すみれの花も百合の花もきれいだね」と、両天秤の調子良さ。
 結局は妻を離婚させ、ライバル登美子を郷里に追いやって、晶子が恋の勝利者となりました。鉄幹は歌の世界には行き詰まって政治家をめざします。子孫はまだ政治家やっているみたいね。

『恋衣』山川登美子
髪ながき少女とうまれしろ百合に額(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ
誰がために摘めりともなし百合の花聖書にのせて祷りてやまむ
 
『みだれ髪』与謝野晶子
さはいへどそのひと時よまばゆかりき夏の野しめし白百合の花
与謝野晶子
小百合さく小草がなかに君待てば 野末にほひて虹あらわれぬ  
『むらさき』与謝野鉄幹
星かげにすみれの露よ百合の香よわがあけぼのの道うつくしき

若山牧水
夏山の風のさびしさ百合の花さがしてのぼる前にうしろに
折りとればわれより高き山百合の青葉がくれの大白蕾
夏草の茂りの上にあらはれて風になびける山百合の花
 

『鍼の如く』 長塚節
うつつなき眠り薬の利きごころ百合の薫りにつつまれにけり 
『桐の花』 北原白秋
すつきりと筑前博多の帯をしめ忍び来し夜の白ゆりの花 
『雲母集』 北原白秋
深々と人間笑ふ声すなり谷一面の白百合の花 

 古代日本。ササユリは、サキクサ(さいぐさ三枝)とも呼ばれ、霊力を持つ花のひとつであったことを述べました。奈良本子守町の率川(いさがわ)神社では、本社大神神社のご神体の三輪山に生えるササユリを飾り、巫女がササユリを手に持って舞う「三枝祭」が行われています。

 西洋では百合の花は純潔マリアを象徴する花。
 百合の花は古代から西洋にもありましたが、現在主流となっている品種は、シーボルトが日本のテッポウユリの球根をヨーロッパに持ち帰ったものの改良種。
 西洋でも日本でも、百合が神聖な花であったことは共通しています。
 現代の品種カサブランカがいかに派手なパフォーマンスにふさわしくとも、しだいに花びらが薄汚れるようなことのない花であってほしいです。

レストランのテーブル飾りのユリの花。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ベニバナ」

2016-08-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
201608120
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月の花ことば(3)ベニバナ

 縄文時代の遺物も出土している纏向(まきむく)遺跡。3世紀中頃から4世紀初めにかけて、弥生後期から古墳時代にかけての遺物が出土するなか、3世紀前半とみられるV字溝の遺構からベニバナの花粉が出土しました。(桜井市大字太田 李田地区2009年の発掘成果)

 エジプト・西アジアの地域が原産地で、ミイラを包む布にベニバナの成分が検出されるなど、古くからエジプトメソポタミア周辺で栽培されていました。この紅花が、シルクロードを通ってアジアに伝わり、渡来人が早くに日本にもたらしたものと思われます。

 紅花の学名Carthamus tinctorius カーサマス ティンクトリアス
 カーサマスの語源はアラビア語の「quartom(染める)」
 ティンクトリアスはラテン語の「染料になる」という意味

 万葉集には「呉(くれ)の藍=クレナイ(紅)」という名で数多く詠まれています。また源氏物語の女主人公のあだ名となった末摘花の名でも登場。
 
 クレナイの歌は、すべて染料としての「呉の藍、紅」を詠んでおり、紫草が植物としても詠まれているのと異なります。紫草は、野原のどこにでも自生していましたが、ベニバナは最初から栽培種。春の若草摘みなどは万葉の歌人たちのよい行楽でしたが、田にも畑にも出て行かない万葉歌人は、鋭いトゲのあるベニバナには、触れることが少なかったのかも知れません。
 万葉集にクレナイの歌はたくさんあるので、一部の歌だけ万葉仮名表記またはひらがな表記にします)

4-0683:大伴坂上郎女:
言ふ言の畏き国ぞ紅の色にな出でそ思ひ死ぬとも
いふことの かしこきくにぞ くれなゐの いろにないでそ おもひしぬとも

6-1044:
紅に深く染みにし心かも奈良の都に年の経ぬべき
紅尓 深染西 情可母 寧樂乃京師尓 年之歴去倍吉

7-1218:
黒牛の海紅にほふももしきの大宮人しあさりすらしも
くろうしのうみ くれなゐにほふ ももしきの おほみやひとし あさりすらしも

7-1297: 柿本人麻呂歌集:
紅に衣染めまく欲しけども着てにほはばか人の知るべき
紅 衣染 雖欲 著丹穗哉 人可知
くれないに ころもそめまく ほしけども きてにほはばか ひとの しるべき

7-1313:
紅の深染めの衣下に着て上に取り着ば言なさむかも
紅之 深染之衣 下著而 上取著者 事将成鴨
くれなゐの、深染(こそ)めの衣(ころも)、下に着て、上に取り着(き)ば、言(こと)なさむかも

7-1343:
言痛くはかもかもせむを紅の現し心や妹に逢はずあらむ
事痛者 左右将為乎 石代之 野邊之下草 吾之苅而者

9-1672:
黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻
くろうしがた しほひのうらを くれなゐの たまもすそびき ゆくはたがつま
10-1993:
外のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも
外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友

11-2177:
春は萌え夏は緑に紅のまだらに見ゆる秋の山かも
春者毛要 夏者緑丹 紅之 綵色尓所見 秋山可聞

11-2550:
立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の赤裳裾引き去にし姿を
立念 居毛曽念 紅之 赤裳下引 去之儀乎

11-2623:
紅の八しほの衣朝な朝な馴れはすれどもいやめづらしも
呉藍之 八塩乃衣 朝旦 穢者雖為 益希将見裳


2624: 紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる
2655: 紅の裾引く道を中に置きて我れは通はむ君か来まさむ
2763: 紅の浅葉の野らに刈る草の束の間も我を忘らすな
2827: 紅の花にしあらば衣手に染め付け持ちて行くべく思ほゆ
2828: 紅の深染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも
2966: 紅の薄染め衣浅らかに相見し人に恋ふるころかも
3703: 竹敷の宇敝可多山は紅の八しほの色になりにけるかも
3877: 紅に染めてし衣雨降りてにほひはすともうつろはめやも
4109: 紅はうつろふものぞ橡のなれにし来ぬになほしかめやも
4157: 紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく我れかへり見む

 源氏物語の末摘花は、物語中、「最も不美人」として登場する常陸宮の姫君。鼻が赤いのでベニバナ末摘花とあだ名をつけられてしまいました。

 光源氏の末摘花評の歌
 なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖にふれけむ 

 自分から逢瀬を仕掛けておいてあんまりな言いようですけれど、末摘花姫君の古風だけれど純粋な心をくみ、光源氏は姫を二条邸にひきとってきちんと世話をします。通い婚の平安時代、ちょっと顔を見てすぐに飽きて相手を捨てる男が多い中、不美人でも誠実に世話をしたそんなところがただのプレイボーイじゃないってところです。

 山形に旅行したとき、わずかに咲き残っていた紅花の写真を撮った気がしていたけれど、画像をきちんとファイルしておかないから、探すのがたいへんなので、画像借り物。


 区立図書館では、毎月10日に廃棄本を区民に提供しています。仕事があるときは、10日といっても図書館に立ち寄れませんでしたが、たまたま8月は10日に図書館へでかけました。「貸出期限切れの本、予約者がいるから早く返せ」という電話があったから、急いで出かけたのです。廃棄本のうち写真集など、自分では買わない本を何冊かもらってきました。
 うちの一冊『薬草・野菜まるごと健康法』をぱらぱらめくっていたら、ベニバナも薬草として載っていました。これまで紅花は染料としての使用が中心と思っていたので、さまざまな薬効について知りました。

 野菜にも花にも、古来からの薬効がそれぞれにあるのですね。ナスでもにんじんでもキャベツでも、毎日の食事をきちんととっていれば、それが体のためにはなるのです。ベニバナは、血栓を予防し、婦人病にもよし。若草は摘んで野菜サラダやおひたしに。花は乾燥させて煮出してもよし、粉にしてハーブティとして飲んでもよし、とか。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ムラサキ」

2016-08-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160818
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月の花ことば(2)ムラサキ

 万葉集の中で好きな歌をあげてください、というランキングがあれば、確実に上位にくるであろう歌のやりとり。

 天皇(すめらみこと)、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまひし時に、額田王の作れる歌

・茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
茜草(あかね)さす 紫野(むらさきの)行き、標野(しめの)行き、野守(のもり)は見ずや、君が袖(そで)振る

 茜色の あの紫草の野をあちらこちらと、御料地の野を歩いてるとき 野の番人は見ていないかしら あなたがそんなにも袖を振っているのを

 権力者として力を振るおうとしている兄との軋轢を避けるため、兄の娘ふたりを妻にもらい受け、そのかわりに自分の思い人を兄に差し出した大海人皇子。この歌のやりとりの頃は40歳になっています。額田王と大海人皇子の間に生まれた十市皇女は、天智天皇の嫡子大友皇子の妃のひとりになっている。
 天智天皇には、権力を独占する今になっても、ある密かな嫉妬が残っている。あまたまわりに侍る妃のひとりである額田王の心が、もしかしてまだ大海人への思いを消し去っていないのではないか。額田王はそんな天皇の思いを逆手にとって、宮廷人の笑いをとりながら、「こんなに大勢の監視の目があるなかで、思わせぶりに袖を振って気を持たせないで」と歌います。かっての恋人であることは衆知のことなので、宮人達はやんやと面白がったことでしょう。

大海人皇子(のちの天武天皇)の返歌
紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも

 紫の染め色のように美しい人よ あなたを憎く思うのなら、人妻なのにどうしてこんなに想うものでしょうか

 かっての恋人から、あきらめたはずの昔の恋を、笑いのなかに包みつつ持ち出された大海人皇子。
 額田王の「決してあなたのことが嫌いになって別れたのではない」という密かな思いを、今は強力なライバルになっている兄弟ふたりが、同時に感じ取ったのではないでしょうか。
 みなが大喜びしてはやし立てているなか、天智天皇も破顔し、今は自分のものである額田王を見たでしょう。宮人に「このように機知のある歌を詠める女を所有している王者こそ私なのだ」と誇らかに。

 紫色の染め色のようににじみ出てくる心の歌を詠んだ額田王。どのような返歌をすれば、権力者天皇の嫉妬心も権勢欲も損なわずに宴席を納められるのか。その難しい立場を見事な機転で納めた大海人皇子の返歌です。
 人妻ゆえに決して手出しなどできないことを衆知のうえで、天皇の所有物である女を賛美する。天智天皇は、自分のものとなった女性をほめたたえられ満足しつつ、弟が自分に譲った女を決して心の底からあきらめて手放したのではないことを密かに知らされる。宴席の人々といっしょにワッハハと笑って興じるとともに、二人の間に通い合う何かに感づいたのかも。

 この応答が見事な雰囲気を出しているのも、舞台が標野(神聖な御料地)に一面に咲く「紫草」の野原であるからです。
 紫草は、その根があざやかな紫色を染め出す染料であり、薬草にもなります。この万葉のころは、日本中どこにでも生えている草だったのに、明治以後、西洋から合成の紫色染料が入り込み、また、中国原産のイヌムラサキ、西洋原産のセイヨウムラサキの草が外来種として野にはびこると、たちまち競争に負けて絶滅危惧種になってしまいました。

万葉集4-569 
宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首
辛人之  衣染云  紫之  情尓染而  所念鴨
韓人の 衣染むといふ 紫の 心に染みて 思ほゆるかも 

 韓人の衣を染めるという紫のように 心にまでも染みて思いが募ることだなあ

 太宰府の長官として赴任していた大伴旅人は、万葉集の中でも有名な歌人です。
 けれど、その赴任地筑前国から京都へ向かう長官を見送る麻田陽春(あさだのやす)を知っている人は、万葉集研究者のほかにはあまりいないのではないでしょうか。かくいう私も、紫草の歌を探した結果、麻田陽春にめぐり逢いました。麻田陽春は、もともとは百済国からヤマトに亡命してきた古代朝鮮王朝の末裔。もとの姓は「王」です。天平時代に大宰大典となり、上司の大伴旅人を見送ることになったのです。
 麻田陽春、懐風藻に漢詩も登載されている文化人だった。知りませんでした。

 額田王の紫草は、恋模様を含みつつの鮮やかな色です。一方、麻田陽春の紫は、染め色がカラの国からの到来であることと、我が国の養老律令では、三位以上の礼服として浅紫の衣の着用が許されているということから、正三位の大伴旅人の着用できる色であることを言祝いで「心に染みる色あい」と、これは幾分を上司を持ち上げる気分も感じられます。上司見送りの餞の歌ですから、「いよっ、紫色の衣装も身につけられる長官っ!」てな出立風景でしょうか。

笠女郎(かさのいつらめ)大伴宿禰家持に贈る歌
万葉集3-395
託馬野尓 生流紫 衣染 未服而 色尓出来
託馬野(つくまの)に生ふる紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)め未だ着ずして色に出でにけり
託馬野に生える紫草、その根を衣に染めるように、あなたに心を染めて、まだ思いを遂げてもいないのに、知られてしまったのです

 笠女郎から大伴家持にあてた恋歌、24年にわたった恋のかけひきの末、分かれてしまったようですが、家持は笠女郎の歌を24首残しています。

『新古今集』にみえるムラサキ
 醍醐天皇(敦仁885-930)12歳で践祚。46歳での薨去まで34年間に渡り在位。藤原時平・菅原道真を左右大臣にすえ、平安初期に「延喜の治」と呼ばれる安定時代を治めました。

新古今995 
中将更衣(藤原伊衡の娘)に遣はしける
 むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる

紫草で染めた色でもないのに、あなたを深く思い初(そ)めて、私の心は恋の色に深く染まってしまいました

 更衣は、女御より身分が低い天皇の妃。中将更衣の父は正四位下の参議どまりでしたから、紫草で染めた衣装を着ることはかなわなかった身分。
 「思いそめる」を引き出すための「紫の色」なのでしょう。醍醐天皇は、中将更衣へ思いを伝えるために「むらさきのにほへる妹をにくくあらば」の大海人皇子の歌を下敷きにしたのではないかと思います。更衣もこのように「恋の色に染まった私」から迫られては、うっとりと天皇の胸に飛び込んだでしょう。もっとも、醍醐天皇は、20人の后妃を侍らせて36人の子女を得た人ですから、中将更衣がどの程度紫色に染められたのかは定かではない。紫色に染まるローテーションは1ヶ月に一度くらいしか回ってこない。中将更衣は、もっともっとヘビーローテーションをねがったことでしょうけれど。

 そしてムラサキといえば、なんと言っても「若紫の物語」
 光源氏は、尼祖母の死後、実父の兵部卿宮をだしぬいて、幼い若紫を自邸に引き取ってしまいます。
 光源氏の歌
 手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草
 早く手に摘んで早く見たいものだ、紫草(ムラサキの縁=藤壺)につながっている野辺の若草を

 そして念願通り、野辺の若草をもぎり取るように摘み取ってしまった光さま。紫の上の身の上には、「紫草のにほへる妹」はじめ、「むらさきの色に心はあらねども」やらたっぷりと「紫色の色の重なり」が集まって、複雑な心理を見せる女人となって日本文学史に美しい染め色を見せています。

 根っこを煎じれば、美しい紫色がにじみ出てくるのに、花は意外にも楚々とした控えめな白。
 画像は借り物で、絶滅危惧種の紫草なのか、それとも西洋紫草なのか、私には区別がつきませんが。
 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「あさざ」

2016-08-17 00:00:01 | エッセイ、コラム

あさざ(画像借り物)

20160817
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月の花ことば(1)あさざ

 私の好きな散歩コース、皇居東御苑の池にも、あさざが生えていて、夏には黄色い小さな花を見ることができます。
 小さなかわいい花。黒髪にさして飾ったら、きっと鮮やかに映えるでしょう。

万葉集13-3295
うち日さつ 三宅の原ゆ ひた土 足踏みぬき 夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ 通はすも吾子 
諾(うべ)なうべな 母は知らじ 諾(うべ)なうべな 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結ひ垂れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛を 押さへ插(さ)す 卜細(うらくはし)子 彼そ吾がつま

(万葉仮名)
打久津 三宅乃原従 常土 足迹貫 夏草乎 腰尓魚積 如何有哉 人子故曽 通簀父吾子
諾々名 母者不知 諾々名 父者不知 蜷腸 香黒髪丹 真木綿持 阿邪左結垂 日本之 黄楊乃小櫛乎 抑刺 卜細子 彼曽吾麗


打久津うちひさつ(打ち日さつ):日が射しこむ
三宅乃原従みやけのはらゆ(三宅の原ゆ):三宅の原を通って
常土ひたつち(直土):地べたに
足迹貫あしふみぬき(足踏み貫き):足を踏みぬいて
夏草乎なつくさを(夏草を):夏草を
腰尓魚積こしになづみ(腰になづみ):腰にからめてようよう進み
如何有哉いかなるや:さてどのような
人子故曽ひとのこゆゑぞ:人の子のために
通簀文(父)吾子かよはすもあこ(通はすも吾子);通わせているのか、わが子よ
諾々名ーうべなうべな:そのとおりです
母者不知はははしらじ(母は知らじ):母上は知らないでしょう
諾々名うべなうべなーそうですとも
父者不知ちちはしらじ(父は知らじ):父上はご存じないでしょう
蜷腸みなのわた:みな貝のワタのように
香黒髪丹かぐろきかみに(か黒き髪に):黒々とした髪に
真木綿持まゆふもち:神聖な木綿によって
阿邪左結垂あざさゆひたれ(あざさ結ひ垂れ):あさざの花を結い垂らし
日本之やまとの:大和の
黄楊乃小櫛乎つげのをぐしを(つげのを小櫛を):つげの木の小さな櫛を
抑刺おさえさす(押さえ刺す);髪に押さえて挿している
卜細子うらくはしこ(うら美わし子):やさしく美しい子
彼曽吾麗それぞわがつま:それが私の相手です

春庭拙訳:日が射し込む三宅の原の地べたに足を踏み込んで、腰まである夏草に難儀して行く我が子を通わせているのは、いったい、どのようなお人であるのか。
 そのとおり、お母さんはしらないでしょう。そうですとも、お父さんは知らないでしょう。
真っ黒な髪にあさざの花を挿し、清らかな木綿で髪を結いつげの櫛を押しさしている、麗しい人、あの人こそ私の相手です。

 父母は我が子に問い詰めます。夏の夜に生い茂る夏草に難儀しながらも三宅の原の土を踏みしめて、我が息子を通わせている秘密の相手は、いったい、どんな人なのかと。
 息子は、両親の知らない相手を今こそ打ち明けようと答えます。あさざの花飾りを黒髪にさして、つげの櫛を髪に押しさしているいとしい人、その人こそ私の恋の相手です、と。

 蓮は根を食しますが、「あさざ」は「浅浅菜」から転じたといわれ、野菜として若葉を食用にしたそうです。
 真木綿(神聖な木綿)であさざを髪にかざしているところから見ると、この恋の相手は、なかなか簡単に通っていけるような相手ではないので、これまで両親にも打ち明けてこなかった。でも、清らかな美しい人をいまこそ誇らしく親たちにも紹介したい。息子の相手は誰なのかと心配顔の両親に、息子は誇らかに「かの、美しい人が私の相手です」と宣言しています。

 反歌の最後「来るかも」を「あの方が来てくださる」と解釈して、父母に恋の相手を打ち明けている「吾子」を女性とする解釈もあるのですが、私は男性の打ち明け話と解釈します。現代語の「来る」は「話し手」に近づく場合のみを言いますが、古代語では「目的地に近づく」ことを意味する場合もあるので、「来るかも」は、男が「黒髪にあさざの花を飾っている美しい子」のもとへ通うことを言っていると思うのです。

反歌13-3296 
父母尓 不令知子故 三宅道乃 夏野草乎 菜積来鴨
父母(ちちはは)に知らせぬ子ゆゑ三宅道(みやけぢ)の夏野の草をなづみくるかも


春庭「葉月の花ことば」参照文献:
・佐佐木信綱編『万葉集上』1971岩波文庫(東京に出てきて最初に買った文庫です)
・伊藤博校注『万葉集下』2003角川ソフィア文庫(岩波版がぼろぼろになったので買ったが、岩波版とは歌の番号が異なっている。困ったもんよ)
・犬養孝 『万葉 花・風土・人』1987教養文庫
・片岡寧豊『万葉の花』2014青幻社
・平田真智子『薬草・野菜 まるごと健康法』婦人生活社
・俳諧歳時記各種(角川版、新潮社版など)
・古語辞典各種(岩波版 他)
ほか
参照サイト
季節の花300 http://www.hana300.com/

<つづく>
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ぽかぽか春庭「夏の花」

2016-08-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160816
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(10)夏の花

原民喜『夏の花』から(青空文庫から引用)
 私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あつた。八月十五日は妻にとつて初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑はしかつた。恰度、休電日ではあつたが、朝から花をもつて街を歩いてゐる男は、私のほかに見あたらなかつた。その花は何といふ名称なのか知らないが、黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかつた。(略)

ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム
スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ
パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル電線ノニホヒ


 原民喜が妻の墓前に供えた花は、何だったのだろう。黄色の小瓣の可憐な野趣を帯びた花とは。
 ツワブキは晩秋から冬に咲く花なので、夏の花ではありません。
 ツワブキは、愛媛県伊方町のシンボルフラワーです。
 活断層のわきにたつ伊方原発の周辺地域、避難経路も未だに確定していないそうです。そんな地域に位置する高齢者ホーム「ツワブキ荘」の安全を願って。新安全基準によれば絶対安全だと言うことですから、願うまでもないことなのでしょうが、2011になるまで、フクシマも絶対安全のはずだったのでね。年寄りのつまらぬ心配性なのでしょう。

  
「つわぶき」(画像借り物)

<おわり>
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ぽかぽか春庭「変えたくない」

2016-08-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160814
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(9)変えたくない

憲法9条
(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ケニア人キプチョゲ・ケイノのことば」

2016-08-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160813
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(8)ケニア人キプチョゲ・ケイノのこと

 リオデジャネイロ・オリンピックが始まって1週間。熱戦が続いています。
 我が家、個人競技を中心にテレビ番組くまなく視聴し応援しているところ。ふだんはスポーツ番組やっていてもラグビーとかフェンシングとか、ひごろは見たことない種目まで見ています。水泳や体操団体での金メダル、大喜びしました。

 4年に1度の大舞台に向けて、どの選手もたいへんな努力を払ってきただろうと思うと、なにも努力していない当方としては、ほんとうに頭が下がります。
 イチロー選手の3000本安打も、オリンピックのメダルも、応援している者たちに大きな希望を与えてくれます。
 課題の多いオリンピックであることは、わかっていますが。

 開会式では地球環境の危機が演出され、極地の氷が溶けると、世界各地で海岸地域が広く浸水してしまうことが示されました。今大会に参加している太平洋地域の島国のいくつかは、国土の大半が海中に没してしまう地域があります。
 選手入場行進ではブラジルの前に難民チームが歩いていました。このまま世界各地の紛争が続けば、東京オリンピックでは難民チームが増えてしまうのかもしれません。
 世界には解決されないままの問題が山積みであるのはわかった上で、競技期間中はすべての争いはやめにした、という古代の例にならって、生きていくためのパン食い競争の争いもやめて、観戦中です。

 選手宣誓ではドーピングをしないことも宣言されましたが、「国家の威信」「国を背負って競技する」を掲げている限り、「発見されないドーピング」の開発は続くでしょう。金メダル獲得数競争をするなら、血液検査にも尿検査にもひっかからない薬物開発に成功した国がトップになるのかも、

 これまでのオリンピック開会式にはなかったイベントとして、IOCが新たに設立した五輪栄誉賞(Olympic Laurel)の初受賞者が発表されました。受賞者はケニアのキプチョゲ・ケイノ氏(ケニアオリンピック委員会会長)。
 ケイノさんとオリンピックの関わりは、奇しくも東京オリンピックから。1964年東京オリンピックで5,000mで5位入賞。1968年メキシコでは1500mで金メダル、5000mで銀。1972年3000m障害で金。1500mで銀。

 ケイノさんの活躍により、ケニア勢の長距離界躍進が始まりました。ケイノさんは、各地の競技会で得た賞金などをもとにケニアに農場を取得し、孤児院、学校、スポーツ選手養成所などを設立。後進の育成指導に当たり、以後のケニア選手の活躍の基礎を築きました。

 以下は、キプチョゲ・ケイノ氏のスピーチ。

この五輪名誉賞を初めてもらい、光栄に思います。私とともに、すべての若者達が人権を得ることができるように、食料、住む場所、教育が得られるように、私と一緒に取り組んでください。

教育は若者の力を支えるだけでなく、より良い市民になり、前向きな変革を起こし、より良い人間になり、より良い世界を作ります。私は何も持たずにこの世に生まれ、何も持たずにいなくなります。神様は偉大です。教育によって、教育を通して、未来の人類を教育で育てていくのです。本当にありがとうございました

 
 スポーツで勝つことが、国の威信のために終わるなら、あるいは「経済効果」一点張りで準備を進めるなら、2020年のオリンピックも楽しめなくなる。
 キプチョゲ・ケイノさんがしてきたように、子ども達がスポーツを通して希望を持って歩いて行けるようにしたい。

 ブラジル国民の半数がオリンピック開催に反対のまま、開幕したそうです。
 開会式パフォーマンスでは、民族の多様性を強調していましたから、国民の半数が反対したオリンピックであることも、多様性のあらわれかと思います。
 同調圧力の強い日本では、「反対」という意見はだしにくいでしょうね。

 娘息子は中学高校で水泳部だったので、水泳の予選から「この声援、地球の裏側に届け」と応援に声をからしています。自分の力を発揮して競技する選手の姿は尊いし、選手を応援することによって応援する側も力をもらえること、ありがたいと思っています。
 応援に力をこめることで、応援する方にも力がわいて、今目の前にある苦難をのりこえることを願いつつ、五輪観戦を続けます。

 熱波にまけないように。
 暑いです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ふとこる」

2016-08-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20160803
ぽかぽか春庭ことばの知恵の輪>葉月のことば(7)ふとこる

 仕事をしている間、極力小説を読むのはがまんしていました。小説は一気読みしたくなるので、通勤電車読書には向かない。エッセイばかり読んできました。仕事がなくなり、久しぶりに、私小説を読む。

 2011年に『苦行列車』一冊を読んだだけで、その後はテレビなどで姿をみるだけだった西村賢太。芥川賞受賞以来、バラエティ番組などに顔をみせるようになった西村がみるみる体重を増やしているようす、ああ、賞を取ってうまいもんたらふく食えるようになってようございました。こののちはいくら貧乏話、底辺を這いずり回る話を書いたとしても、ペンを置くなり星つき老舗店などで高級寿司やらウナギやら食しているのだろう、という品のない人物観しか持てぬ貧乏性のシガなさ故に、『苦行列車』以後読んでいないのでした。森山未来クン好きだから映画は見たけれど。

 2016年7月刊行の『蠕動で渉れ、汚泥の川を』を図書館の新刊書の棚に見て、借りました。7月に刊行の本が7月の図書館棚に並んだということは、予約の人がいなかったということじゃなかろうか、初版部数が何部かしらないけれど、これじゃもケンタ君の食生活が安食堂の定食に戻ってしまうかも知れず、などと余計な心配をしながら読むことにしたのだけれど、図書館の本を読んだのでは印税貢献もできないことでした。『苦役列車』よりはおもしろかった。

 『蠕動で渉れ汚泥の川を』作品中「ふとこる」という語が何度か出てきます。私は使わない語でしたが、文章の流れの中で読むから意味がわからなくはない。
 
・(ーその辺りが、ぼくと、この二束三文のどうしようもない負け犬どもとの最大の違いだよなあ・・・・・・)との優越感を、うれしくふとこってしまうのである。
(p59集英社2016)
・このブスが、年下の男のことを好むかどうかは全く知らぬが、しかしながら貫多は自分の甘いマスクと、その常日頃から意識的に放っているところの、古狼のムーディで危険な香りには些かの自信をふとこっている。(p69集英社2016)
  ・で、またぞろに、かようにふやけた夢想をふとこっていたせいか、この日最初の出前を終えて自芳軒に戻ってきた貫多は、カツ丼用の雪平鍋を手にした木場の灰湖を通ったとき、急にこちらへ身体の向きを変えてきた戦法にうっかり体をぶつけてしまい、鍋に貼ってあった割り下を上っ張りの白衣にぶち撒けられる格好となった。(p84集英社2016)
 ・(このときの貫太は、人間、生き場所があると云うのは実にありがたいことだと、しみじみ痛感したモノである)。で、かような感慨をふとこったまま、今の彼の唯一の行き場たる自芳軒に辿り着くと、すでに浜岡もやってきているらしく、裏木戸の南京錠は取り外されている。(p115集英社2016)

 おそらくは「懐・ふところ」という名詞が動詞化したものであり、「自分のものとして所有する」「懐に入れて抱え持つ」という意味なのだと推察される。
 私はこの「ふとこる」という語を使ったこともなければ、他の新聞紙面や論文随筆小説の中で目にしたこともない。チェックしてみると一般的な国語辞書や古語辞書の中には搭載されていない。西村賢太が、編集出版を企画した藤澤清造あたりの中に出てきた語なのか、それとも完全なる西村の造語なのか、それもわからない。おもしろい新語はたちまち拡散するネット言説の中にもまだそれほど現れていない。

 ある語がその作家の存在感を体現するとして、「ふとこる」は、西村にぴったり。
 芥川賞受賞直後の収入は桁違いにUPし、「4人の女とかけもちつきあい中」と発言している西村、あまりに脂肪の塊をふとこると、布団に横たわってつづる文体にも脂肪が付いてくるからご用心。
 『蠕動で渉れ汚泥の川を』の文体は好きでしたけれど、もう貧乏ではなくなったケンタはどこまでカンタを描いていけるのだろうか。「金目当てで近づいてくる女どもを」なぎ倒しつつ、フーゾク通いを続けつつ、書き続けてほしいです。

 中卒いらい、ぐうたらしながらも文学修行を続けてきた西村賢太。
 春庭は、番茶も出花の18という年から、ずっと働きづめで、お休みできたのは、ケニアでぶらぶらとすごした1年弱のみ。
 現在、朝「遅刻する!」という夢に脅かされて起きる必要がなく、電車の乗り継ぎ時間を気にしながら通勤する生活もなくなった。むろん、時間ができたのと反比例でカネがなくなる。
 友人知人もみな退職し「毎日が日曜日」としてすごしているというのに、年金では暮らしていけない春庭は、2016年3月に退職してからも仕事を探し続けております。
 諸事出費の多い出来事が続き、日銭稼ぎをしなければ暮らしがたちいかないのです。
 仕事ください。

 年金暮らしができるならばともかくも、まだ仕事を探さなければならぬという身の上ゆえ、商売モノをカキ集める日課を欠かすことなし。仕事なくとも「言葉集め」を続けています。
 古来稀なほどではなくても結構長く生きてきて、しかもことばを商売道具としてきたのに、まだまだ知らないことばがあります。私が知っているのはたかだか氷山の一角に過ぎず、山のかけら一分なりとも、もう少し知りたいものだと欲が出て、あと一日、あと一時間なりとも生きていたいという気にもなります。そんな気を保っていなければ、生きているのもなかなかしんどい今日この頃。

 西村賢太が芥川賞受賞してまもなく貯金残高5500万円になり、食いたいもの食って、4人の彼女をとっかえひっかえつきあえるようになり「ふとこる」毎日になったのをうらやみながら、失業中の当方は、特売の「割れ煎」やら、スーパー閉店間近半額セールコロッケ弁当などを食す毎日。順調にジャンクフードリバウンド中。割れ煎かじりつつ収集した語の一部をメモしておきます。

<つづく>
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