20150623
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記6月(1)緑道散歩with姑
姑の退院以来、感心なことに、夫はほぼ毎晩実家に泊まっています。舅が亡くなって姑がひとり暮らしするようになっても、親の家にほとんど立ち寄らないできた夫、「忙しいからのんびり親の顔なんぞ見ていられない」と、言い訳していました。
忙しさを言い訳にして、不孝者を続けてきたけれど、さすがに、九十媼の母親に不義理をしたら寝覚めが悪かろう。姑は、心臓を悪くし、タンパク質も塩分も糖分も制限された食事しかできなくなったので、ひとり息子の顔を見るくらいしか楽しみがない。90才すぎての入院と退院をさかいに、親孝行息子に変身です。
姑はデイケアセンターに火~金で通って、昼ご飯を食べ、お風呂に入ります。デイに行かない日曜日は、娘が姑のお相手役。いっしょに買い物に出かけたりおしゃべりしたり。
私は、土曜日に仕事を入れたので、日曜日は出かけずに、家で洗濯やお茶碗洗いで一日終わってしまうことが多くなりましたが、6月14日の日曜日は、娘といっしょに姑の家へ行きました。
姑は、デイケアセンターの「お習字の時間」にご不満で、「30分の交代制で、墨汁で書きたい字をそれぞれが勝手に書くだけなのよ。先生もいないし、上達できない」と、文句。「ちゃんと墨をすって書きたいけれど、30分だけだから、墨すっただけでおわっちゃうもの」
でも、「散歩の時間」にみなでいっしょに出かけるのは気晴らしになるし、お友達ができたので、おしゃべりするのも楽しい、と、デイケア生活はまあまあ納得しているようです。
納得できなかったのが、デイケアに行かない月曜日に派遣をおねがいしたヘルパーさん。お掃除や洗濯をしてもらうことになっていましたが、「きちんと掃除してくれない」と不平を言っていました。トイレの掃除を頼んで、トイレに髪の毛1本落ちていても「いらいらする」と言うきれい好きの姑。
ついに「いらいらするから、もうヘルパーさん断った」というのです。入院前に来てくれていたヘルパーさんは、きちんと掃除してくれるひとだったけれど、今の人は気に入らないので「もう自分でリハビリのつもりで掃除するから、来てもらわなくてもいい」と、断ったのだそうです。
姑の気がすむようにしたらいいと思うけれど、たぶん、嫁が同居して掃除していたら、行き届かない嫁への不満が爆発していただろうと想像できます。
姑と娘の「お買い物散歩」につきあって、隣町まで行きました。
姑が「杖で歩けるかどうか試してみる」というので、私は「歩行補助カート」を押して後ろからついていくことにしました。杖で歩くのに疲れたら、カート歩きに変更できます。姑の家近辺は静かな住宅街ですが、隣の駅は東京でも若者が集まる人気のスポットになっています。隣町まで、ずっと緑道が続いています。桜のころは見事な並木で花見散歩にいいところです。
電車で行けば2分くらいでつく隣の駅の町。距離にして1kmちょっとなので、普通の人の足なら15分も歩けば着きます。しかし、娘とおばあちゃんが買い物散歩に出ると、おばあちゃんが買い物カートを押して、娘が付き添ってゆっくりゆっくり、途中休み休み行くので、30分以上かかる。
そこを杖でさらにゆっくり歩き、途中所々で休憩を入れながら歩いたので、1km歩くのに、小1時間かかりました。
緑道を杖つきながら行く姑
隣町の買い物目的地は、マツモトキヨシ。ここで前に買った「カロリーゼロのマンナンゼリー」の買い置きがなくなりそうなので、買い足しに来たのです。おなかがすいたとき、パンなんか食べるとたちまち血糖値が上がってしまって、担当の看護師さんに「何か、決まった食事以外に食べましたか」と叱られてしまうので、マンナンゼリーでおなかの足しにしているのだそう。
私と娘の散歩なら、ついついマツモトキヨシの2階にあるスイーツの店に入ってしまいそうですが、おばあちゃんには目の毒な店。
緑道のベンチでおやすみしただけで、帰りはタクシーでまっすぐ帰りました。
行きは歩きで、少し休んで帰りはタクシーで、というのが、姑散歩のコースになっています。家に引きこもっていると足腰弱るから、歩きたいけれど、往復歩く体力はなし、片道散歩がちょうどいいみたい。
タクシーを降りると、玄関先には梅雨時のアジサイが咲いています。ご近所のあちこちにアジサイが咲いていて「この家も、あちらのも、うちのアジサイを分けてあげたのよ」と、姑はおヨメに出したアジサイを教えます。なんだかヨメに出した先で咲いているほうが色あざやかな気がします。雨が降らない日があっても、水やりなどできなくなった姑なので、色が悪いのかもしれません。
姑の家のあじさい
「おばあちゃん、杖でよくがんばったね」と、娘に言いました。娘は、「あれは、そうとうくたびれたかも知れない。でも、母がいるから、元気なところを見てもらおうと、見栄はって歩いていたんだと思うよ」
そうか、でも、元気ぶりたい気力があるのはなによりです。
花の色は褪せても、足腰弱ってきても、姑の生き抜こうとする意欲は衰えず、また、毒舌は相変わらずです。ほんと嫁のほうが、気息奄々のありさまですが、娘のばあちゃん孝行に感謝しつつ、がんばります。
娘は、6月21日、姑の家に行って「夜、父が泊まりに来たら、これ渡してね」と、おばあちゃんに「父の日プレゼント」を託しました。五月に東急ハンズで絵付けをした陶製ペン立てです。「ありがとうのひとことも返してこない父だけれど、あげとかないと、あとで拗ねるからメンドクサイ」と、娘の弁。姑も自分の息子の幼いときの思い出話をするとき「めんどくさい子だった」と言うのです。めんどくさい子が育ってめんどくさい父親になったのだから、順当な成長というべきか。
退院後の姑の暮らしがまずまず平穏なものになったこと、「めんどくさいタカ氏」と「めんどうみのよい娘」がいてくれるおかげと、思います。
<つづく>