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ぽかぽか春庭2013年11月目次

2013-11-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013/11/30
ぽかぽか春庭2013年11月目次

11/02 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年11月の日記(1)10年前の日常茶飯事典

11/03 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年11月のニッポニアニッポン語教師日誌(1)イメージキャラクター
11/05 2003年11月のニッポニアニッポン語教師日誌(2)動物園授業
11/06 2003年11月のニッポニアニッポン語教師日誌(3)模擬授業
11/07 2003年11月のニッポニアニッポン語教師日誌(4)作文発表会

11/09 ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>授業参観の一日(1)フルーツバスケット
11/10 授業参観の一日(2)留学生の帰国

11/12 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(1)文化の日連休初日
11/13 十三里半日記11月(2)幕末の大奥展
11/14 十三里半日記11月(3)ダンスフェスティバル
11/16 十三里半日記11月(4)映画『きっとうまくいく』
11/17 十三里半日記11月(5)ドシュマンとドゥーストと釜石小学校校歌
11/19 十三里半日記11月(6)スヌーピー展&六本木ヒルズランチ
11/20 十三里半日記11月(7)青淵文庫ミュージアムコンサート
11/21 十三里半日記11月(8)アフターコンサートの喫茶店
11/23 十三里半日記11月(9)岩波ホールでアミーゴと

11/24 ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(4)両国界隈、伊東忠太ほか
11/26 建築散歩2008~2013(5)メタボリズム菊竹清訓
11/27 建築散歩2008~2013(6)メタボリズム黒川紀章
11/28 建築散歩2008~2013(7)たてもの散歩と建築本
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ぽかぽか春庭「向井潤吉記念館」

2013-11-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/01/23
ぽかぽか春庭@アート散歩>20012-2013冬のアート散歩(1)向井潤吉記念館


 世田谷美術館は、いくつかの分館を有します。いずれも、世田谷区に住んで画業を続けてきた画家が、アトリエ・住居と作品を区に寄付し、区はそれを記念館などに整備し公開しています。画家にとっては、没後も作品を散逸させずに展示することができ、区は文化的なイメージアップもでき、両者にとって利があります。

 向井潤吉(1901-1995)は、日本全国の古民家を写生し、油絵に残してきた洋画家です。フランス留学から帰国したのちの1930年代から二科展などで活躍し、戦後は日本各地を訪れて茅葺き屋根わらぶき屋根の民家を描き続けました。
 世田谷区に長くアトリエを構え、画家生前にアトリエは区に寄付されました。現在は「向井潤吉記念館」として公開されています。
 私は、2012年12月に初めて訪れました。

向井潤吉記念館


世田谷美術館分館向井潤吉アトリエ館『向井潤吉とふるさと京都』
会期/2012年12月11日(火)~2013年3月20日(水・祝)
住所/〒154-0016東京都世田谷区弦巻2-5-1
電話番号/03・5450・9581

http://www.mukaijunkichi-annex.jp/main_j/index.htm
 私が鑑賞したときの展示テーマは、潤吉の故郷、京都の民家でした。潤吉が生涯にもっとも多く描いたのは、埼玉県の民家ですが、これは住まいの世田谷から日帰りで写生に出かけられる地が埼玉の田舎だったからではないかと思います。つぎに多いのが京都。長野や東北の民家も数多く描かれています。

 今となっては、各地に残された藁ぶき屋根のほとんどは失われてしまい、わずかに観光施設として活用されている家屋が残っているだけです。福島の大内宿や世界遺産の白川郷などのように。農家の生活の場としての藁屋根かやぶき屋根の家は、潤吉のキャンバスに残されているのみ。潤吉は、写生の他、カメラでも映像作品として多数の古民家を記録しています。写真と潤吉の油絵を比べると、潤吉の美意識が風景の中の何を写し取り何を省略し、あるいは付け加えたのかがよくわかります。

 わらぶき屋根かやぶき屋根の家は、とても美しく、何とも言えない風情があります。でも、村に一軒だけ茅葺きが残されたとしても、維持出来ないのです。屋根の吹き替えを行うには、相当な人数と費用が必要です。材料集めと屋根葺き職人の手間賃で数百万円かかるそうです。村一同が「結」の組織力で、共同で吹き替え作業を行うことができたうちはよかったですが、観光化していない地域では、それもできません。
 私たちは、向井潤吉の絵の中に往時をしのび、失われた今になって、「わらぶき屋根の家はよかったなあ」と、言うのみ。

 むろん、向井の描いた古民家は、記録として以上に芸術としての価値があると思います。ひとつの「人間の産みだした美」を画面に定着して、私たちはそれを味わうことができる。
 わらぶき屋根の四季、美しいです。
 向井潤吉の故郷、京都の藁葺き屋根の家々も、ほとんどは消滅し、現在残されているのは、重要伝統的建造物群保存地区として選定された南丹市美山町の一画くらいです。いつか、この250軒が並ぶ村を訪れてみたいです。

 「大原新雪」〔京都府京都市左京区大原〕(1981年)


 12月、東京の暮れの空は冷たい風にさらされていました。
 世田谷の住宅街を歩いて駅に向かう道道、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」というおなじみのフレーズが脳裏に浮かびます。
 私の故郷、私が子どもの頃でさえすでに藁葺き茅葺きの家など見かけることなかったけれど、藁屋根の民家の景色、私の世代のものにとっては、故郷の象徴なのだなあと思いつつ、「ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこにかへらばや、、、、」

 世田谷区から帰るには、地下鉄一回乗り換えです。時間的にはたいして遠くもないけれど、茅葺き民家の絵からビルの谷間に帰るのは、心理的には遠き時間の隔たりを感じます。
 故郷は、遠きにありて思ふもの、、、、、、。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「たてもの散歩と建築本」

2013-11-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/28
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(8)建物散歩と建築本

 今年の文化勲章、高倉健さんの受賞うれしかったです。受賞記念に娘息子と「あなたへ」を見ました。
 俳優では森繁久彌さん森光子さんが文化勲章を受賞していますが、文化人、演劇人としての受賞で、映画俳優として文化勲章を受けたのは健さんが最初です。

 建築の分野で最初に文化勲章を受賞したのが伊東忠太(1943年受賞)。1963年の吉田五十八に続き、1967年に受賞したのが 村野藤吾です。1980年年丹下健三、1998年芦原義信、2010年安藤忠雄。
 今2013年に文化功労賞を受賞した槇文彦やプリツカー賞を受賞した伊東豊雄あたりが次の「建築による文化勲章受賞者」になるんじゃないかしら。

 建物に関して、これまで「見て楽しければいい」と思って、建物の外観や意匠を楽しんできました。建築家について、知らないことが多かった。建物を眺めながら、建築家の顔と結びつけて見ていたのは、コンドルやヴォーリスなどの外国人建築家たち。西洋美術館の設計者はルコルビジェというのは、上野公園に「世界遺産に登録を」の看板とともに名前は見ますが、じゃ、どんな人なのかと言われれば、よく知りません。
 東京駅が辰野金吾、赤坂迎賓館が片山東熊というのも、名前だけ知っている。

 今年3月にはじめて「建物見学レクチャー」を受けたとき、やはり深く研究している人の説をことばで聞いたあと建物を見ると、楽しさが倍増するなあと思いました。 
 夏休み旅行で、擬似洋風建物を建てた地方の大工棟梁の写真などを眺めて、ようやく建築家についてもっと知りたくなってきました。

 それでも、建築関係の本には手を出さず、建築の本といえば、建物の写真がたくさんのっている本を借りて、写真を見ているだけにしてきました。本を読みだしたらきりがなくなるだろうとおそれて。
 しかるに、この秋の読書、図書館で建物写真の本を借りるとき、写真中心の『お屋敷散歩』という本の並びに『現代日本建築家列伝』があったので、ついいっしょに借りました。

 今まで藤森照信の本も、「写真を見て、どこにどんな建物があるのかチェックするだけ」にしていて、建築探偵シリーズなどを写真をパラパラと見ていただけだったのに、ついに岩波新書の『日本の近代建築 上・下』を借りて読みました。おもしろかったので、神保町散歩したとき、図書館本を読み終わった『日本の近代建築 上・下』、建築関連専門書店の南洋堂で、上は定価の半額の古本、下は新本で買いました。藤森照信『建築探偵・奇想天外』は、他の店で「半額本」で仕入れました。

 図書館で『現代日本建築家列伝』やら『現代建築に関する16章』なども借りてきて、いよいよ深みにはまっていく気配。建築についてさまざまなことを知れば、もっと知りたくなります。もっとあちこち見て歩きたくなります。

 建築写真は、明治、大正、昭和戦前、昭和戦後以降などのくくりで、建築年代順に並べた本。建築家別に紹介されている本も。北海道から沖縄まで観光に便利な地域別。住宅、学校、教会、公共施設など、用途別に並べているものなど、さまざまな紹介の仕方があり、それぞれによさがあるのですが、私の撮った写真は、私のメモ用なので、とにかく形が写ってさえいればいい。

 建物写真家、建築探偵シリーズの増田彰久さんの写真、すばらしい。今回も『西洋館を楽しむ』『棟梁たちの西洋館』を図書館から借りました。そのほか、亀田博和『教会のある風景』小野吉彦『お屋敷散歩』などを借りて、枕頭本にしています。寝付く前の数分間、写真をながめて、次のお休みにどこに出かけて何を見ようなどと計画を立てるのですが、たいていは、計画がまとまる前に寝てしまいますが。

 さて、次の休みにはどこを見学しようか。
 小笠原伯爵邸のレストランでランチおごってくれる人を募集中です。赤坂プリンスホテルの立て直しが完了したら、レストラントリアノン(旧李王家邸)でおごってくださる人も募集中。
 おさそい、お待ちしております。 

<おわり>
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ぽかぽか春庭「メタボリズム黒川紀章」

2013-11-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/27
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(6)メタボリズム黒川紀章

 菊竹とともに、都市の新陳代謝=メタボリズムを追求した一人が黒川紀章です。西欧の建築に追いつけ追い越せと走ってきた日本の近代現代建築において、日本から世界へ向けて発信されて世界に浸透した建築運動の最初のひとつが、このメタボリズムの主張です。

 石造りで永久保存をめざす西欧の建築物に対して、伊勢神宮や出雲大社の式年遷宮にみられるように、「壊す→作り代える・作り変える」というのが、日本のやり方でした。

 都市空間を「生きて呼吸し、生まれ変わっていくもの」として捉え、社会の変化、人間の変化に応じて呼吸し、新陳代謝を行うのが現代の都市である、としたメタボリズムの考え方は、世界の建築思潮に大きな影響を与えました。建築において、日本が西欧に発信し受け入れられた最初のひとつ、と言えると思います。

 黒川の設計した埼玉県立近代美術館は、私にとっては想い出深い美術館です。
 青春の10年間、学生時代後半、市内の中学校国語教師として3年間、ケニアに行っていた1年を除いて、結婚出産までの10年間をさいたま市ですごしました。近代美術館ができたころは結婚出産の時期で一度も入館しないまま東京に引っ越しました。しかし、その後、市内の大学に出講するようになり、美術館は通勤の帰りに立ち寄る場所になりました。この頃は絵を見るのが目的だったので、埼玉県立近代美術館が黒川紀章の作品であることなど一度も意識したことがありませんでした。
 さいたま市内の大学に出講しなくなってからは、埼玉県立近代美術館に出かける機会はごく少なくなりました。

 2013年に近代美術館主催の近代建築探訪ツアーの事前レクチャーに参加した折、秋から建物が耐震改修工事のために閉館することを知り、ようやくここが黒川紀章の作品であったことに気がつきました。写真は、レクチャーが終了したあとの夕方に撮影したので、写りは悪いですが。

正面
入り口

 窓から直方体が突き出ているのは、いったい何を表現したいデザインなのか、よくわかりませんが、黒川紀章はここに突き出したかったのでしょう。


 埼玉近代美術館の外には、黒川の中銀カプセルタワーのひとつが展示されていて、中を見ることもできました。

中銀カプセルタワーのひとつとその内部
   

中銀カプセルタワービルの写真がカプセルの横に展示されていました。


 中銀カプセルタワービルは、全体を取り壊して建て替える計画が出たものの、保存派の意見も根強い。黒川自身は「全体を取り壊さなくても、使用に耐えない一部だけを取り替えれば済むためにカプセルの設計にしてあるのだから」と、自身の作品が新陳代謝されようとしたのには、反対の立場だったそうです。

 一時は建て替え賛成派が半数以上になったものの、いつのまにか建て替え案は立ち消えに。
 話題になって賃貸希望者が増えた結果、ありきたりのオフィスビルになるようりも、「黒川紀章設計カプセルタワー」という付加価値で高めの賃貸にしたほうがいいと考えるオーナーが増えたのか、現在のところ建て替え案は再浮上に至っていないようです。

 現在の中銀カプセルひとつの賃貸は、10平米で1ヶ月6万円~6万5千円。中銀カプセルと同じ1972年に建てられた銀座のビルと比較すると。1972年築中央区銀座1-28-16杉浦ビルのレンタルオフィスは、90平米で1ヶ月27万円の賃貸料金です。10平米あたりなら約3万円ですから、カプセルタワーのほうが倍以上の割高であることがわかります。中銀カプセルという名に、付加価値がついているのだろうと思います。

 建物を見るにつけ、絵や陶磁器を見るにつけ、ついつい値段の話になるのが私の鑑賞法なので、賃貸料金比較をしてしまいました。
 新陳代謝(メタボリズム)なのに、代謝を拒否するのは、芸術的価値うんぬんよりも経済的要素があるのではないかと思ったので計算してみたまで。
 建築の思想うんぬんやら空間処理うんぬんなどの理論で建物を論評するのは専門家がさんざんやっているだろうから、私は私の「値段で論ずるアート」をやってみました。

 日展などの公募展を見るたび、入賞作とそうでない作に差はないなあと感じ、「審査の先生が、弟子筋の中から高額の指導料を師匠に収めた順に入賞させる」という毎年だされる噂がほんとうなのやら、と疑いながら見ていたのですが、今回の日展審査不正騒動の報道により、噂は本当だったことが明らかになりました。
 アートの評価なんてそんなものです。今後は、日展入賞作品の脇に「審査員への指導料100万円収めた作品」とか、「毎月10万円の講師料を払って指導を受けている人の作品」という具合に値段表をつけて展示したらいいんでないかい?

 建物にもさまざまな賞が付与されますが、ま、私は私の感覚で好きな絵や建物を見ていけばいいのだ、とつくづく思います。

 さて、摂取した熱量=カロリーの新陳代謝がうまく運ばずに脂肪となって溜め込まれてしまうというのがメタボリックシンドローム。私の熱量の新陳代謝もさっぱりとすすまず、溜め込まれています。摂取熱量が消費熱量を上回る故に脂肪となるのだとはわかっているものの、今日も仕事帰りの電車の中で、鯖のバッテラ4貫とピーナツひと袋を食べてしまいました。

 明日をもしれぬ浮草稼業、来年の契約はどうなるのか。
 安定した幸福な人生をおくっている方には、非常勤やパート、派遣の不安な日々をおくる身の上を思いやる時間もないことでしょうが、せめて、駅のベンチでカップ酒飲んでいるおっさんやら、電車の中でピーナツをぼりぼり食べている太めのおばはんを見かけたおりは、「あらま、かわいそうに、新陳代謝がうまくいかず、ストレス溜め込んでいるんでしょうね」と、同情してください。

 建築メタボリズムの総帥、黒川紀章でさえ、自分の作品が新陳代謝されてしまうのを嫌がったのですから、わたくしごときがストレスを脂肪に変えて溜め込むのも、むべなるかな、私のメタボリックシンドローム代謝不全をお咎めなきよう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「メタボリズム菊竹清訓」

2013-11-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/26
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(5)メタボリズム菊竹清訓

 江戸東京博物館。同じ頃に出来た東京ビッグサイト(設計:関野宏行)と同様に、20年前はあまり好きではありませんでした。バブル最盛期の「浮かれはしゃいでいる都市感覚」のように見えたので。

2013年4月にフラワードリームショウを見に行った時の東京ビッグサイト


 バブルもはじけて、もはやこのような建物を作ることはないのかもなあと思うと、これも都市のひとつのモニュメントみたいで、今では好きです。


 江戸東京博物館入口の、長~いエスカレーターで上昇して、常設展へ向かうときの「非日常への飛翔」感覚。
 高いところが好きで、上昇感覚が好きなのに、自分で一歩いっぽ登る努力ができないたちで、エスカレーターや長~いエレベーターを上昇していくのが好きなのです。



 東京芸術劇場(設計:芦原義信1918-2003)のエレベーターも、事故防止のためとかで短くなってしまって、今では長いエレベーターで一気に上がっていける建物はあまり見かけなくなったので、江戸東京博で上昇感覚を楽しんでいます。

 江戸東京博物館は、1993年に出来上がりました。菊竹清訓(きくたけきよのり 1928-2011)の作品。そうか、ここが出来てちょうど20年経つのだなあと思います。
 「メタボリズム空中楼閣」的たてもの、菊竹らしさが出ている外観と思います。



 私は、今では菊竹、好きです。江戸東京博物館も、出来た当初は「う~ん、なんだかなあ」と感じたのですけれど。何度も目にするうちになれたのかしら。

 菊竹の作品、江戸東京博物館の翌年に完成した、不忍の池のほとりにあったホテル・ソフィテル東京。ここも建った当初は奇妙な形に驚き、ホテルと知ったときはもっと驚きました。上野動物園に来たときは、不忍の池から眺めていましたが、長いあいだ誰の作品かなどには気がまわりませんでした。菊竹作品だったとは、取り壊されてから知ったのです。

(画像借り物です。壊される前に撮影しておけばよかった)

 壊されることを前提とする新陳代謝を図る建物なので、壊されることは織り込み済みの設計だったのは思うのですが、いつかあのホテルに泊まって、空中浮遊の感じがするかどうか、試したかったのに。池のほとりから眺めていると、あんな不安定に見える部屋に宿泊して外をながめたら、寝ているあいだに落っこちる夢でも見るんじゃないかと思って見ていたのです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「両国界隈、伊東忠太ほか」

2013-11-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/24
ぽかぽか春庭アート散歩>建築散歩2008~2013(4)両国界隈、伊東忠太ほか

 前はそれほど気にも止めなかったのに、友達が「この小説が好きだ」と勧めてくれた本とか映画とかを見て、自分も好きになることがあります。
 影響されやすい私、「とりあえず、友達が好きなものは私も好き」というタチです。
 前は築地本願寺を見ても、大倉集古館を見ても、それほど好きな建物とは思わなかったのですが、ウェブ友が「忠太動物園」のファンだということを知り、今では私も伊東忠太(1867-1954)の建てた建築を見ると、「どこに忠太の動物園があるかな」と楽しみに見るようになりました。

 11月01日は、両国周辺を散歩しました。出講先が大学祭のため休みになったからです。
 両国駅から国技館脇を通って、旧安田庭園へ。両国公会堂、震災慰霊堂を見てから江戸東京博物館へ。

 旧安田庭園内に立つ両国公会堂は、森山松之助(1869-1949)が設計した円形ドームのホール。1926(大正15)年に、安田善次郎の寄付によって建てられた公共ホールです。

両国公会堂

 旧安田公園の潮入り庭園を抜けて反対側に出ると、震災慰霊堂の三重塔が見えます。

震災慰霊堂三重塔

 東京都震災慰霊堂と震災記念館は、元陸軍被服廠があった場所です。
 1923年(大正12)年9月1日の関東大震災のおり、罹災者が家財道具などを持ちこんだ避難場所になりましたが、火災が家具に燃え移り、避難民が焼死圧死しました。東京の死者10万人といわれる中、ここら一帯だけで3万~4万人もなくなったということです。陸軍被服廠には身元不明者の遺体が積み重なっていました。
 これらの人々のお骨を納めた慰霊堂と震災記念館を設計したのが伊東忠太。

 震災慰霊堂の鍬入れ式で槌を振るう伊東忠太(右側の人)


震災慰霊堂正面


 忠太は慰霊堂の屋根や内部に、また震災記念館の正面に、忠太好みの奇妙な空想の動物を飾っています。

屋根の上に空想の鳥がはばたく


 忠太自身は「予は何の因果か、性来、お化けが大好きである」と述べ、妖怪をスケッチした絵(「怪奇図案集」)も残しています。

慰霊堂の天井近くにいる玉を咥える怪物


 11月1日は、社会科見学日和だったらしく、江戸東京博物館とセットで震災慰霊堂にも見学の小学生がバス仕立てでわんさか押しかけていました。慰霊堂の線香けむる内部で、果たして小学生たちに「大震災や戦災で何万人もの人が折り重なって死んでいったこと」が想像できるのかと思いましたが、みな、にぎやかに「机の前にかしこまって勉強しなくてよい日」を楽しんでいました。


 震災記念館にも小学生がわいわいと。


 震災記念館のガーゴイル獅子像は、以前見たときに比べ、ずいぶんと形が崩れていました。2011・3・11に壊れたのではないかと思います。
 忠太の動物たち、建物を守るために設置されているのだと思うのですが、2011年の震災では、身を壊して建物を守ったのでしょうか。


 最初に震災記念館を見たときに展示されていた、1923年9月1日を記録した当時の小学生の図画や作文が、次に行ったときは展示されていなかったので、オクラ入りしたのかと思っていましたが、今回、コピー版で展示されていました。すさまじい震災を記録した小学生たち、もう生きている人も少ないかと思います。当時10歳だったとしても、今年は100歳です。でも、もしご存命の方がいたら、震災や戦災を記憶している方に語り部となってもらい、私たちは、震災の記憶を受け継ぐべきでしょう。

 忠太の動物たちは、そういう記憶を反芻しつつ、静かに建物を守っているように見えたのでした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「岩波ホールでアミーゴと」

2013-11-23 08:00:00 | エッセイ、コラム
013/11/23
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(8)岩波ホールでアミーゴと」

 「ハンナアーレントをいっしょに見ましょう」と友人A子さんに誘っていただきました。ひとりで見ようと思っていた映画ですけれど、いっしょに見て感想言い合えるなら、もっと楽しみ。岩波ホール、久しぶりです。2010年の「おじいさんと草原の小学校」(ジャスティン・チャドウィック監督)を見て以来かしら。

  高野悦子さんが2013年2月に亡くなって、岩波ホールの総支配人は、姪御さんの岩波律子さんがを引き継ぎました。律子さんはフランス留学した人だから、フランス映画が増えるかしらなんて思うけれど、どうでしょう。
 前回上映の『ローザ・ルクセンブルク』も見たいと思っていたのに、「他大学の学生に授業参観されるの、嫌だなあ」とウジウジしているうちに上映が終わってしまいました。同じマルガレーテ・フォン・トロッタ監督の『ハンナ・アーレント』が、続けて岩波にかかるので、これは絶対見ようと思っていた時のお誘いでした。

 ローザ・ルクセンブルクもハンナ・アーレントも、私の世代の私と同じ傾向趣味嗜好の女性にとっては、一種「アイドル」だった女性です。
 誘ってくれたA子さんも、市川房枝の伝記を英訳し出版を望んでいる方なので、私にとっては「好きな女性が同じ」と感じる人です。

 午後、2時すぎに岩波ホールに着いたときは、すでに「2時半の回の入場券は販売終了しました。次回7時の券を発売しています」という状況で、2時半は満席だったことがわかりました。私は、A子さんとふたり分の7時の回チケットを買ってから神保町界隈の散歩。

 神保町界隈の散歩、今回は「神保町の看板建築の古本屋」を住所メモ片手に歩き回りました。老舗画材店の文房堂や、今はインド料理店になっている旧・沢書店などを見て歩きました。建築リポートはまた後ほど。

 A子さんが仕事を終えて神保町に駆けつけるのは、6:30。
 2時半から6時半までの4時間を休みなく歩き続けて、1万歩。よし、夕食大食いの条件はできた。映画後のA子さんとの食事の店をさがしながら歩いたのですが、お目当ての店は9時に閉店という殿様商売。しかたなく、「フードはどれも半額サービス」というメキシカンにめぼしをつけておきました。

 映画が終わってから、入ったメキシコ料理の店は、若者が集まってわいわいやるにはちょうどいい店で、名前も「ソル・アミーゴ」。メキシコビールで乾杯!
 アボガドサラダ、シーフードタコス、フィッシュフライ、などを頼みました。味はイマイチ。まあ、残さず全部食べましたが。

 味はナンダカナーでしたが、A子さんとのおしゃべりは、気兼ねなく子供の愚痴などこぼしつつ、秘密保護法やら原発やらについての「世の中ドーナッテルルんじゃあ」の怒りを、遠慮なくぶちまけられる相手なので、うっぷんばらしをしました。

 職場などでは政治問題や社会問題について直接の意見を述べることは遠慮してしまいます。職場でも趣味のサークルでも、宗教と政治については、「だれの立場も尊重し誰の意見も否定しない」ということをモットーにしています。私は趣味のジャズダンスサークルと「日曜地学ハイキング」という団体に所属しているほかは、何かの団体というものに属していません。ダンスサークルには「偉大なる名誉会長」をソンケーしている人もいたし、バリバリ保守主義者もいます。

 社会についてや女性問題について腹蔵なく語り合えるという友人、貴重です。A子さんとすべての主義主張が一致しているということはないと思いますが、少なくともこれまで話し合った女性問題、教育問題、社会問題などについては、意見交換することで自分の考え方をよりはっきりさせることができた話し相手です。
 私の悩みは、さまざまな問題についての可否をあてはめていくと、投票したいと思う人がいない、ということ。昔は市川房枝に投票したんだけれどね。

 A子さんの息子さんは、高3の冬という大事な時期なので、10時半でおしゃべりを切り上げました。
 さまざまな問題について、注釈なし遠慮なしにおしゃべりできるアミーゴがいてくれてうれしいです。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「アフターコンサートの喫茶店」

2013-11-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/21
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(7)アフターコンサートの喫茶店

 ミュージアムコンサートが終わってから、渋沢栄一が来客接待用として使った洋風茶室という晩香盧に入り、室内の椅子でしばしT子さんとおしゃべり。今回のミュージアムコンサート、音楽を楽しむこともひとつの目的でしたが、T子さんとゆっくりお話する機会が欲しかったのです。

  T子さんは、校長先生の仕事を退職してからも、教育相談の仕事、ふたつの合唱のグループそれぞれの練習、オペラアリアの会の練習、図書館での読み聞かセボランティアと毎日忙しそうにしているので、「おしゃべり」なんてヒマそうなことにおつきあい願うのは悪いかしらと、こちらから遠慮してしまっていたのです。15日金曜日のジャズダンス練習でごいっしょしたときも、「今日は、午前中は高齢者のための体操教室、午後は、お父さんが続けている日本語ボランティア教室の臨時のお手伝い、夜はダンス練習」という一日中びっしりのスケジュールだったことを聞いていました。

 17日は、夜から合唱の「第九」の練習。でも、それまでは時間がある、と聞いたので、チャンス。コンサートが終わってから合唱の練習まで、時間があるだろうと、お茶にさそいました。飛鳥山博物館内の喫茶店で「ケーキ&コーヒー」を注文。「10日の朗読会でおはなしをきかせてもらったお礼に」と思っていた私のおもわくをかわして、T子さんは逆に「コンサートでよいひとときをすごさせてもらったお礼」と言って、お茶をご馳走してくれたのです。
 コンサートは無料だったのに。でも、遠慮なくごちそうになりました。

 合唱練習の始まる時間まで、お茶を飲みながらいろいろおはなしできました。
 T子さんのご主人は、研究ひとすじに生きたかったのだけれど、「結婚したからには妻子を養わなければ」と考え、大学院修士を終えたとき、博士課程には行かず、電機メーカーに就職、会社の研究所で研究をしたそうです。T子さんが教職をやめずに共働きをしたのは、「主人が、いつでも会社をやめて研究一本になっても支えられるように」との思いであったそうで、子育ては、T子さんのご両親が手伝ってくれたのだそうです。

 共働きとしては理想的な環境。実家の母親を頼れて、ご主人は、子供にも優しい父親。絵本の読み聞かせもしてくれたそうです。40年の教師生活にいろいろ苦労もあったけれど、乗り越えてきた、というT子さんのおはなしを聞いていると、もう私などぺちゃんこです。転職をくりかえして何一つモノにならず、家庭生活とは無縁を決め込む夫と結婚してしまい、「実質母子家庭」。人様がうらやましいばかりで、いつもねたみそねみひがみで生きている。

 「私は劣等感の塊で、いつも人をうらやむばかりなの」と、T子さんに言うと、T子さんは「人を見てうらやましい、と思えるのは、その人がそういういいところを持っていることを認めてあげられるからうらやましいのよ。うらやましいのは、とてもいいことよ。でも、その人には、そういういいところがあることを認めた上で、自分は自分のいいところがあると思えばそれでいい」と諭してくれました。

 「私は、美人を見ればうらやましくて、自分が美人に生まれなかったひがみばかり感じるし、才能ある人みればねたましくて、自分の才能のなさが悔しいばかり、いつもネガティブで生きてきた。夫に対しても不平不満ばかり」と訴えると、「じゃ、明日から、ご主人のいいところを探して、ご主人に、あなたがいてくれるから私たち一家は幸福だと伝えれば、きっと幸福になる」とおっしゃる。

 「だれかといっしょにすごすときは、どうしたらその人が一日きもちよく、楽しく時をすごせるかを考えて、そのようにする」のが、T子さんの対人方法。「お父さんといっしょのときは、お父さんが心地よく家にいられるようにするのが妻の喜び」だと。

 T子さんのこれからの目標は、「図書館での読み聞かせで、赤ちゃんを相手にすることがあるの。そうすると、赤ちゃんがまっすぐな瞳でこちらを見つめてくる。そういう純粋な目で見つめられたとき、恥ずかしくない人間になること」
 いえいえ、もうT子さんは、どこに出しても恥ずかしくない人格者で、こんな清廉潔白で寛容な人はめったいにいない、というタイプの人だなあと感じ入りました。

 たまに、T子さんのようにすぐれた人とお話できたら、こちらも心洗われ、おしゃべりしたあとの5時間くらいは、私も「よい人」になろうと心がけていられるなあ。
 で、5,6時間くらいたつと、またぞろ「どうして、私にはこんな不運な人生しか与えられなかったのか」とか、「この先、仕事もなくなっていくのに、どうやって生活して行けというのか」とか思うばかりとなる。
 「ご主人をたてて、まわりの人が気持ちよくすごせるように考える」なんてことは到底できそうにない自分に戻ってしまうのですが、、、。

 互いに不運な結婚を嘆きあい、貧乏生活の愚痴をこぼしあえるミサイルママも必要だし、高邁な人格者めざすT子さんのようなよい人柄の人と話すことも必要。
 「私に友達が少なくて、新しい友達もできないのはね。私と話した相手に、私が嫌な奴だということがバレてしまうのが怖いからなの。普段、できる限りいい人のふりをしているんだけれど、ほんとは、私、とっても嫌な人間なんだもの」と、嘆くと、T子さんは「私はe-Naちゃん、とてもいい人と思います」と、言ってくださったのでした。ありがとうT子さん。

 T子さんが第九合唱に出かけるので、別れて家に帰り、5時間くらいは「いい人」になっていられました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「青淵文庫ミュージアムコンサート」

2013-11-20 00:00:01 | エッセイ、コラム

2013/11/20
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(6)青淵文庫ミュージアムコンサート

 11月17日日曜日に、飛鳥山公園内の渋沢史料館青淵文庫でミュージアムコンサートの催しに出かけました。
 かっては、6千坪の広さに渋沢栄一子爵邸が広がっていたという飛鳥山公園南側。現在は、渋沢史料館のほか、飛鳥山博物館、紙の博物館が並んでします。そして渋沢史料館の付属館として、渋沢栄一の集めた書籍の保管庫兼閲覧室だった青淵文庫が公開されています。

 無料で楽しむのが大好きな私なのに、青淵文庫で行われていたミュージアムコンサーとにこれまで気づきませんでした。10年前からはじまり、毎年数回、今年はすで3回のミュージアムコンサートが開催されたというのに、今回の4回目でやっと気づき、メール申込みをしました。建物レクチャーとコンサートで1時間のイベント、入館料300円必要なほかは無料です。

 ジャズダンスサークル仲間のT子さんをおさそいしていっしょに行きました。11月10日にすてきな「おはなし」の朗読を聞かせていただいたT子さんに、「コンサート後のお茶」をごちそうしたら、「おはなし」のお礼になるかなって思ったのです。

 2時の開演まで、まだ間があると思って青淵文庫の前で建物外観写真を撮っていたら、「e-Naちゃん」と、呼ぶ声。e-Na(イーナ)は、私のダンサーネームです。
 「1時半ごろ開場だから、渋沢史料館にきているということだったので、本館のほうで1時半から待っていた」と、T子さん。わお、またミスをしてしまいました。私は「本館で待っている」と、言ったっていうことをすっかり忘れて、コンサートが行われる青淵文庫の前にいたのです。

 だれかと待ち合わせすると、待ち合わせの時間か場所のどちらかを間違えるのが私の常態。相手を待たせてしまった時「ごめんなさい、悪いことしてしまった」と思うの常なので、極力避け、たいていはおひとり様で出かけるのです。待ち合わせができない私。でも、寛容なT子さんは、怒ったりしません。元校長先生、遅刻の児童にもきっとやさしい先生だったことでしょう。

コンサート開演前の青淵文庫室内


 今日のコンサートの演奏者は、サクソフォーン四重奏団タルカス。東京芸大の学生サクソフォン奏者が集まって作った室内楽です。私はサクソフォン四重奏団の演奏を初めてききました。弦楽四重奏などの室内楽はときどき聞いてきましたが、サクソフォンカルテットは初めてでした。

サクソフォン四重奏団タルカスをまっている室内
←T子さん

 演奏はとても豊かな音色で、団名の由来になっている、サクソフォン四重奏曲「タルカス」を聞きました。四重奏団のひとり、司会を担当している上野耕平は21歳。8歳で吹奏楽部のサックスを吹き、数々のコンクーク入賞してきた、とプロフィールにあります。
 カルテットの4人は、それぞれ小学生時代にサックス演奏をはじめて、私も「題名のない音楽会」の「ちびっこ天才演奏家」なんてプログラムのときに見た記憶がある人もいました。2012年に横浜でソロリサイタルを開催した松下洋はじめ、将来を嘱望されてきた4人のようです。

 最初の曲「タルカス」は、サックス四重奏の定番曲らしいです。私はそもそもサキソフォン四重奏をはじめて聞いたので、へぇ、サックス4つ集まると、こんなに豊かな音とハーモニーを楽しめるんだと、びっくりしました。
 四重奏の楽器は、ソプラノサックス、アルトサックス、テナーサックス、バスサックス。ソプラノはまっすぐ伸びた金管で、アルトやテナーのように曲がっていないなんてこともはじめて知りました。

 次の曲は、吉松隆作曲サクソフォン四重奏「アトム・ハーツ・クラブ・カルテット(Atom Hearts Club Quartet)。これも、サックス奏者の間では定番みたいです。
 ウィードフ作曲の『サキソフォビア』は、サキソフォン恐怖症候群とでも訳すのか、あまりにも難しい演奏技法が使われているので、練習しているうちにサキソフォーン演唱者はみなサキソフォーンが怖くなって恐怖症にかかる、という意味らしい。でも、4人の演奏者たちは、軽々と難曲をこなし、さすがでした。もっとも練習中には恐怖症になったことがあるのかもしれませんが。

 あいだに学芸員さんによる青淵文庫の建物レクチャーが入りました。「このミュージアムコンサートにたびたびいらしてくださった方にはもうおなじみの解説ですが、はじめての方もいらっしゃるので、」という前置きではじまったレクチャー。私もコンサートははじめてでしたが、建物レクチャーは何度か訪問して説明を受けたことがあります。でも、すてきな調べが響いた余韻の中で説明を受けるのは、また違ったよさがありました。

 後半の曲。伊藤康英作曲「琉球幻想曲」は、沖縄のさまざまな民謡をモチーフにした曲。あさどやユンタのメロディーもはいっていました。最後の曲は、美空ひばりメドレー。美空ひばりのヒット曲、お祭りマンボ、みだれ髪、川の流れのように、などが、絶妙のハーモニーを響かせました。
 最後にアンコール曲としてバッハ作曲「主よ人の望みの喜びよ」クリスマスシーズンにはよく街に流れているお馴染みの曲ですが、これもサクソフォーン四重奏で聞くのは初めてですから、新鮮でした。

サクソフォーン四重奏団タルカスの4人(史料館の記録画像より)


<つづく>
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ぽかぽか春庭「スヌーピー展と六本木ヒルズランチ」

2013-11-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/19
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(5)スヌーピー展&六本木ヒルズランチ

 おひとり様で行動するのが基本なので、見たい美術展などはさっさと一人で見にいくのですが、スヌーピー展は、娘が「美術展だと飽きちゃうからいっしょに行く気ないけど、スヌーピー展ならいっしょに行ってもいいよ。特別スヌーピーフリークでもないけれど、絵を見るより漫画見てるほうが楽しめるから」と言います。

 スヌーピーグッズで私が持っているものといえばハンカチくらいで、たまに漫画を読んでほのぼのするという程度のファンだったので、どうしても見たい、というのでもなく、招待券に応募したのです。なかなか招待券が届かないので、諦めていたら、11月14日に届きました。やれうれしやと思って券を見ると「11月22日まで有効」と書いてある。あらら、もう有効期限がきちゃうじゃないの。あわてて16日土曜日にでかけました。小さい頃は週末ごとに動物園だ科学博物館だとお出かけしたのですが、最近はつきあいが悪くなった娘と息子。それもそのはず、息子は今月25歳になるのです。25歳の息子が、「スヌーピー展見にいくなら、いっしょにいってもいいよ」と、「母とのお出かけ」をしてくれるのをありがたがらなきゃならないのでしょう。


 娘と息子は、フィギュアスケートファンなので、朝6時からの「フランス杯」で羽生結弦がショートで好成績を出したのを見届けてからのお出かけです。8時にスケートが終わって、9時まで朝ごはんと身支度。10時ちょうどくらいに六本木ヒルズに着きました。私はこの春に会田誠展を見るために森美術館に入場したのですが、娘と息子は、六本木ヒルズが出来たてのころ、「六本木ヒルズってどんなところ?」と物見遊山に来て以来、2度目の来館ということで、「東京の極北に住んでいると、華やかな都心部にはさっぱり用がない」というおのぼりさんです。

できてから10年目の六本木ヒルズ

 「土曜日で混むだろうから、朝10時開館と同時に入館してしまおう」という目論見だったのに、入口に着いたらすでに列ができていました。私と娘の分は招待券があるのですが、息子の分のチケットを買う。大人ひとり2000円。もし、3人分のチケットを買うなら6000円。我が家には贅沢な物見遊山となってしまうので、招待券当選がありがたい。

 スヌーピー展、作者シュルツの紹介とシュルツの描いた原画の展示。1950年代60年代に発売された、フィギュアやおもちゃなどが展示されていました。
 中はけっこうな混みようで、1時間もあれば見て回れるだろうと思ったのに、そろそろと動く行列に従って観覧するので、たっぷり2時間かけて見ました。

スヌーピーとチャーリーブラウンのフィギュアのコーナーは、いっしょに写真を撮れるので、スヌーピーといっしょに記念写真をとりました。


ピーナッツの仲間たち


 シュルツのことを何も知らないで出かけたので、子供が5人いたこと、そのうちの一人はプロフィギュアスケーターになったことなど、興味深い展示でした。シュルツ自身が履いたアイスホッケー用のスケート靴の展示などもあり、そういえば、ピーナッツたちの冬の遊びといえばスケートがよく登場したなあと思います。シュルツは、自分自身でフィギュアアイスショウの開催を手がけるほどだったそう。

 娘息子にとって「一番楽しかった!」というのは、スヌーピーグッズの販売会場です。ケータイストラップや「ガチャポン」で何が出てくるか楽しみました。息子のガチャポンカプセルには初期の絵のスヌーピーのピンバッヂが入っていました。
 
 初期スヌーピーのピンバッヂ 

 それぞれの人にそれぞれ好きなキャラクターがあるようで、耳がいい娘は、観客たちの話し声をききとって、「みんな、マイナーキャラのこともすごくよく知っていて、連載中数回しか画面に出なかったキャラとかもちゃんと把握しているんで、感心した」と言います。私もメインキャラしか区別がつきません。

 息子が幼い時、横浜に住む叔父の家に連れて行き、帰るときのこと。玄関においてあったゴルフクラブに、黄色いカバーがかかっていました。ウッドストックの形をしたカバーでした。息子は、このウッドストックが欲しいとぐずり出し、帰ろうとしているのに、困ってしまいました。叔父は「俺のならすぐにあげられるけれど、息子のだからね。やはり息子のものを勝手に親が処分していいってことにはならないから」と、困りきっています。

 私は息子のわがままを叱り飛ばし、息子はますます大声で泣きじゃくる。「帰りに横浜のお店で同じのを買ってあげるから」となだめても、息子は今目の前にあるウッドストックがほしいのです。ほんとうに困りましたが、最後に「よし、俺が息子を説得しよう」と叔父が引き受けてくれて、ウッドストックをもらって帰りました。どうやら、当時の彼女さんからのプレゼントだったらしい。
 このときのウッドストックは、ごちゃごちゃにものが積み重なっている息子の部屋の、最下層を発掘すれば出てくるであろうとのこと。

 スヌーピー展を見終わって、ランチタイム。今回の六本木ヒルズランチは、息子が25歳になるのを祝っての外食です。我が家としては贅沢であるランチコース。1時半から3時半まで東京タワーを眺めながらのゆっくりいただき、おいしかったです。スヌーピー展の入場券でドリンクサービスが受けられました。量が多くて息子と娘がパンを残したら、ウェイトレスさんは、さっさと片付けてしまいました。食べ物を残すことに罪悪感を感じる戦後育ちの私は、「あらま、残ったパン、お持ち帰りにしたかったなあ」と言いました。プチ贅沢はしても、貧乏性は抜けません。

レストランRoy'sからの眺め


ランチコース
前菜 サラダ

ミネストローネスープ
 パスタ

娘のメインはステーキとエビ

息子のメインはチキンハワイ風ソテー
私のメインは銀だらの味噌焼きわさびソース

 白身魚の味噌焼きとメインにあるのを見て、「この白身って、ナイルパーチとかメルルーサじゃないかしらね。メニューに鯛とか書いておくと偽装になっちゃうから、白身魚とだけ書いておけばつっこまれないもの」と意地悪なことを言ったので、娘に嫌な顔されました。「母の声は大きいからお店の人が聞いたら、嫌な気持ちになるって思わないの」と叱られました。なので、私はウェートレスさんに「この白身魚の種類は何ですか」と堂々の質問。「銀だら」とのお答え。これで「本日の白身魚」の正体はわかりました。ただし、私の舌は、銀だらと言われればそういう気がするだけで、ナイルパーチを出されても、区別がつかない味覚しかありませんけれど。ナイルパーチはおいしい魚です。ケニアなどに放流されて、在来種の魚を駆逐してしまった外来種なので環境保護派には評判悪いのですが。

 デザートはチョコパフェ

 娘息子は、17日朝5時からのフィギュアスケートフランス杯を見るために、夕食食べずに寝てしまいましたので、私もスープ飲んだだけで寝ました。
 スヌーピーといっしょに犬小屋の上に寝転がる夢を見たいかって?私は、子供の頃、自分の布団の中に犬のコロを入れて寝ているのを父に叱られ、「じゃ、私がコロのところで寝るよ」と、犬小屋の中で寝たことがあるんですけれど、スヌーピーとは、いっしょにスケートしたいと思います。うちのコロはスケートはしなかったので。

 365日のスヌーピーストラップのうち、息子のバースデイスヌーピーをプレゼントしました。スヌーピーとウッドストックたちの漫画プレートつきです。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ドシュマンとドゥーストと釜石小学校校歌」

2013-11-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/17
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(4)ドシュマンとドゥーストと釜石小学校校歌

 ジャズダンスサークルの仲間、合唱団に入っていたり、古典フォークダンスを練習していたり、落語会を応援したり、さまざまな活動を行っています。
 私の尊敬するT子さん、退職後も教職経験を生かして週2回は教育相談の仕事をつづけ、趣味のオペラアリアの会、合唱も続けています。図書館での「こどもたちへの読み聞かせ」ボランティアもT子さんの大事な活動です。

 昨年、T子さんたちの「おはなし」サークルによる「大人のためのおはなし会」を聞いて楽しかったので、今年も出かけました。
 T子さんのおはなしは、午後4時前の最後の朗読でした。普段は触れることが少ないイランのおはなし『ドシュマンとドゥースト』というタイトル。もとの昔話はペルシャ語です。ドゥーストدوستは友人で、ドシュマンدشمنは敵です。

 「敵」と名付けられてしまった男と「友」という名を持つ男が出会い、冒険あり恋ありの裏切りと謎の物語。T子さんの聞きやすいやわらかい声での語りがはじまりました。
 私にとっては初めて聞くお話でしたが、各地で行われている「読み聞かせ」「おはなし会」ではよく取り上げられる人気のおはなしのようです。

 図書館などで子供への「読み聞かせ」は、絵本や紙芝居でお話をすることが多いのでしょうが、「大人のためのおはなし会」では、全員がおはなしをすべて暗記して、ひとり芝居のように語ります。T子さんも20分かかるおはなしを、味わい深く語りました。

 私は、幼い頃の娘に「ほん読んでよんで」とせがまれると、最初の一回はひざに乗せて読んであげたけれど、2回目は読みながらそれをラジカセのテープに録音し、三度めに「読んで」と言われるとテープを再生するという「自分が自分の読みたい本を読む時間のほうが大事」というダメな母親でした。息子にはほとんど「読み聞かせ」の時間を持たなかった。息子が生まれて保育園に入園した頃は、修士論文を書いている頃で、「読み聞かせは保育園の先生と娘におまかせ」というひどい状態でした。家では、小学校に入学した娘が張り切って本を読んできかせてやっていました。

 そんなことを思い出しながら中央図書館の「区民利用コーナー」で休んでいると、いろいろなパンフレットを置いてあるコーナーに、「釜石小学校校歌」の歌詞と楽譜のプリントが置いてありました。おや、こんなところにどうして、と思いながら、楽譜プリントを手に取りました。

 釜石小学校の校歌は、井上ひさしの作詞です。井上が釜石で青春の2年間をすごした縁による作詞。釜石での2年間は、井上の小説『花石物語』のモチーフになっています。この夏、蕁麻疹が出て何もする気が起きずに、ふとんの中で読んですごした一冊が『花石物語』でした。

 釜石小学校は、大渡小学校と統合し新しい小学校に生まれ変わるとき、新校歌を井上ひさしに依頼しました。地元自慢の海も山も歌いこまれていない斬新な歌詞。地元の長老たちからは「こんな校歌じゃ、地域伝統の重みがない」という反対論も出たなか、子供たちには大好評の歌になりました。子供が学校行事以外のときにも口ずさんでくれる校歌なんて、全国にもそうはないでしょう。

 釜石小学校は、3.11の被災後、避難所になりました。そのとき、学校に掲げられた校歌の歌詞が被災者たちの心を励まし、朝のラジオ体操のあと校歌が流れ、多くの人が口ずさみました。
 井上ひさし作『ひょっこりひょうたん島』のモデルのひとつと言われる岩手県大槌町沖の蓬莱(ほうらい)島も釜石の近くです。テレビで人気だった人形劇ひょっこりひょうたん島の主題歌とともに、「釜石小学校校歌」は、被災者たちを励ましました。作曲は、ひょっこりひょうたん島の作曲と同じ宇野誠一郎です。

♪いきいき生きる いきいき生きる
 ひとりで立って まっすぐ生きる
 困ったときは 目をあげて
 星を目あてに まっすぐ生きる
 息あるうちは いきいき生きる

♪はっきり話す はっきり話す
 びくびくせずに はっきり話す
 困ったときは あわてずに
 人間について よく考える
 考えたなら はっきり話す

♪しっかりつかむ しっかりつかむ
 まことの智恵を しっかりつかむ
 困ったときは 手を出して
 ともだちの手を しっかりつかむ
 手と手をつないで しっかり生きる


 きょう、11月17日は、井上ひさしの誕生日です。2010年になくなった井上ひさし。もうちょっと長生きしてほしかったなあ。

 東京の区立図書館が、どうして釜石小学校の歌詞プリントを配布していたのか、というのを聞かなかったのですが、これも何かのご縁だったのでしょう。私も元気だして、「ともだちの手をしっかりつかむ 手と手をつないでしっかり生きる」と、思いました。

 私には、手をつないでくれるドゥーストدوستがほんのわずかで、ドシュマンدشمنばかりに取り囲まれているような気分の昨今ですが、数少ない手にすがって、なんとか生きていきましょう。
 あ、そこのあなた、私は、『徒然草117段』で吉田兼好のいう「よき友」を募集中です。
 「よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには、知恵ある友。
 あらら、あなたは医者ではなし、ものくれる人でもなく、知恵は、、、、となると。
 まあ、こういうこと言ってるから、私のまわりにはドゥシュマンばかりになっちゃうのね。、、、と、毎度おなじみのことをまた言ってしまいました。

初音ミク歌唱『釜石小学校校歌』
http://www.youtube.com/watch?v=BFo6p90dJko

<つづく>
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ぽかぽか春庭「きっとうまくいく」

2013-11-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/16
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(5)映画『きっとうまくいく』

 11月03日、バレエフェスティバルが終わってから、飯田橋で途中下車し、映画を見て帰りました。インド映画『きっとうまくいく 3idot(3ばかトリオ)」』
 インド映画はストーリーの中に突然歌や踊りが入り込み、3時間を越えて延々歌い踊るというつくり方がヒットの条件です。インドのボリウッドは、今や映画製作本数ではハリウッドを抑えて、堂々の世界一の映画大国。

 『きっとうまくいく』は、2009年の公開以来、インドでの大ヒットはもちろん、全世界での興行収入75億円という大ウケの作品になりました。
 ストーリーは、現在のインドとその10年前の3ばかトリオの学生時代の回顧を入れ混ぜながらすすみます。

 10年前インド最難関と言われる大学に入学し、将来を約束されたエリートの卵として勉学することになった3人。同室となり、4年間を共にすごします。

 「自由に生きる」方針の最優秀学生ランチョーは、「競争社会を勝ち抜け」と主張する学長と対立してばかりいます。しかし、ランチョーの実家が大金持ちだと知っている学長は、他の学生には簡単に「君はうちの大学の方針に反するから退学せよ」と言ってしまうのに、ランチョーには最後の最後まで退学通牒をつきつけるのをがまんしています。好き勝手に授業を受け、好き勝手にサボるランチョー、定期試験の成績はいつもトップです。

 ファルハーンは、本当はエンジニアではなくて動物写真家になりたいのに、息子に期待をかけている父親には言い出せないでいます。中産階級上層の父親にとって、一家の対面を保つことは重大事で、ファルハーンは何よりも一家の名誉のために、動物写真家などという浮草稼業ではなく、堅実なエンジニアを目指さなければならないのです。嫌いな理系、成績はびりから2番。

 ラージューは、貧しい家庭の出身。父は、寝たきりの元郵便局長、母は元教師。持参金が払えないまま婚期が遅れた姉もいるなか、両親のために大学をなんとしても卒業しよい就職先を得なければならぬと頑張っています。しかし、貧しい生活の中、成績はいつもビリ。

 3バカトリオと対立するのはもうひとりの同級生チャトゥル。いつもすかしっ屁をするので「サイレンサー(消音銃)」というあだ名で呼ばれています。学長にごまをすり、必死の丸暗記をしてガリ勉を続けているのに、いつも一番のランチョーには勝てず、「将来は出世してランチョーを嘲笑ってやる」というのが願いです。

 学長の娘は、立身出世主義でなんでもお金に換算する男と結婚させられそうになっていますが、ランチョーに惚れ込みます。

 10年後、ガリ勉ごますりのチャトゥルは大手会社の副社長にまで出世し得意満面です。卒業から10年たったら、誰が一番出世したか賭けようと、一方的な賭けをしたことを思いだし、今こそ「自分の勝利」と宣言しようと張り切っています。
 世界的な発明家の科学者との契約が成功すれば、さらなる出世も夢じゃない。しかし、この科学者、なかなか契約にOKを出さないのです。

 卒業後それぞれの進路に進んだファルハーンとラージューにとって、ランチョーの消息がわからいないことが気がかりの種でした。卒業以来ぱったりと消息をたってしまったランチョーを探し続けてきましたが、手がかりがなく、チャトゥルの「田舎のほうにいるらしい」という情報をたよりにいっしょに尋ね人の旅に出ます。

 旅の途中、大金持ちの息子ということだったランチョーの実像がしだいに明らかになっていきます。はたして、ランチョーという学生は実在したのか幻だったのか。
 
 とにかく、3バカトリオの学生生活がおかしくって、笑っている見ているうちに、インドの深刻な学歴競争のストレスもわかります。卒業見込みなしと学長に告げられて自殺する学生もいるくらい、インドでは「一流大学卒業」へ期待が大きく、家族親族村一同から「よい大学を出てよい会社に入り、家族親族を養ってくれ」というプレッシャーが押し寄せます。

 「貧しい子供にも教育を」という理想は理想として、まずは我が身、という格差社会。得られる職業がカーストによって決められているインドですが、ITやエンジニアはカーストには決まりのない新しい職業です。貧しい家庭の子も能力次第で這い上がるチャンスを得られるし、上位カーストの出身者にとっては、一流大学出身でなければ、人々からの尊敬も失ってしまうために、金で買っても卒業証書がほしい。

 姿を隠してしまったランチョーは見つかるのか、最も幸福な生活を手に入れたのは、果たして誰だったのか。学ぶのはなんのためだったのか。
 タイトルの「きっとうまくいく」はランチョーが自分の心に言い聞かせているキーワード。「Aal Izz Well(アール・イーズ・ヴェール)」は、植民地時代の夜警が夜回りの間、発していたという言葉で、おそらくAll is well.がなまったものでしょう。

 3バカトリオの友情物語、成長物語であるだけでなく、インド社会の現在の問題点、身分制度と経済格差、学びたくても学べない階層の存在、競争社会などが描かれていて、その解決への希望も描かれているところが、インドほかの世界中でヒットした要素だと思います。

 インターネット普及のおかげで、「だれでも無料で学びた時に学ぶ」というサイトが増えつつあります。ランチョーのように、卒業証書のためでなく、自分自身の自由のために学ぶ若者が増えていくことを願っています。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「ダンスフェスティバル」

2013-11-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/14
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(3)ダンスフェスティバル

 11月3日日曜日は、ダンスフェスティバルを観覧しました。
 私たちのジャズダンスサークルを指導している先生のダンスグループが出演するので、サークル一同で見に行ったのです。

 先生は今年、春先にお弟子さんのひとりを亡くし、とても気落ちしていました。なくなった方は、今回出演のグループの中心メンバーだった女性です。モトクロスレースやサーフィンなどアウトドアスポーツで活躍する積極的な人だったので、スポーツ競技の練習中に亡くなったことがとてもショックだったのだろうと思います。

 さらに、この秋にも、かって私たちのジャズダンスサークルのメンバーだった女性が、病気のため40代そうそうに亡くなりました。「クラフト作家」として雑誌にも載る、手作りバッグの製作者で、私も「畳の縁の布地」をバッグにした手提げバッグを、私のと娘のと買ったことがあります。手作り趣味の作品をインターネット販売することで仕事にして自立し、すてきな生き方だなあと思って見ていた人のひとりでした。

 先生は「今回のダンスフェスティバルは、亡くなった方への追悼公演のつもり」とおっしゃっていたので、私たちもみなで見に行ったのです。
 私たちのサークルだととても踊りこなせない難しい振り付けでしたが、5人の出演者はキレのよい動きですてきなダンス空間を作り出していました。
 「私たちもあれぐらい踊れたらいいのにね」と、ムリめな感想を言い合いました。まあ、ちょっと無理かも。

 私たちのサークルは、今はマイケルジャクソンの曲、レディ・ガガの曲『テレフォン』などを練習しています。
 来年の発表会で、じょうずに踊れますように。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「幕末の大奥展」

2013-11-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/13
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(2)幕末の大奥展

 11月1日の博物館見学。
 江戸東京博物館常設展企画室で「幕末の大奥展」をやっていました。たぶん、この企画のメインキュレーターであろう畑尚子さん、NHK大河が『篤姫』を2008年1月に放映される直前、2007年12月に『幕末の大奥―天璋院と薩摩藩』(岩波新書) を出しています。
 今回は、徳川記念財団との共催の企画なのだそう。

 畑尚子さんの「大奥本」の何冊かは読んできて、テレビドラマで『大奥』や『篤姫』をやったときは、娘息子に受け売り解説をしてやったりして、だいぶ大奥には詳しくなったのです。東御苑散歩のときも「このあたりが大奥だった所か」と思ってながめます。

 常設展企画展「幕末の大奥」展では、13代将軍家定御台所の天璋院と14代家茂御台所和宮の持ち物や打掛などの展示がありました。「篤姫縁組につき内意書写」などの徳川財団所蔵の幕末文書などが展示されており、興味深い内容でした。

 今までとは印象を改めたのは、14代生母の本寿院について。HNK大河の『篤姫』では、天璋院宮崎あおいちゃんの姑である本寿院(演:高畑淳子)は、酒かっくらっちゃあ嫁になんくせつけたりしていましたが、実像は、謡や和歌をよくする教養人であったという「本寿院自筆和歌短冊」展示などがありました。

 ドラマでは悪役がいたほうが盛り上がりますから、姑の本寿院が嫌みな姑であるほうがドラマチックになったのだと思います。けなげに大奥を支える宮崎あおいちゃん、和宮と対立してばかりいたら、天璋院主役のドラマにはなりませんから、姑の本寿院とも対立していじめられなければなりません。

 天璋院が使用した座布団「茵(しとね)」、鮮やかな刺繍のものが展示されていました。これも「天璋院は、和宮との初対面のおり、自分が上座に座ってしとねを用い、和宮の座所にはしとねを使わせなかった」ことなどが、京から従ってきた官女の記録に残っていて、姑の嫁いびりとして喧伝されていましたが、やはり、実像は異なるところがありました。「天璋院は初対面の折は大奥の姑と嫁の初対面のしきたり通りに嫁の座所にはしとねを置かなかったが、その後は、自分のしとねを和宮にすすめるなど、嫁を尊重した」などの記録も残されていたようです。
 歴史とドラマは異なる部分があってよいとは思いますが、このようなしとね一枚にもさまざまな歴史秘話があるのだろうなあと思いながら、展示を見てまわりました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「文化の日連休初日」

2013-11-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/11/12
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記11月(1)文化の日連休初日

 11月最初の連休。11月1日は、金曜日出講の大学が大学祭準備日になったので休講。さて、何をしようか。

 まず、9時に「場所取り抽選会」に出席。ジャズダンスサークルが練習する場所を確保するために、区の体育館やホールなどを借りるための利用者抽選会に、毎月交代で出かけます。「11月は仕事があるから私は行けない」と言っていたのですが、休みになったので抽選に参加しました。

 抽選番号は24番。2014年1月の練習場所、男女参画センターの学習室が確保できました。いつもの練習場所の文化センターが、耐震工事で1年間使えなくなったために、さまざまなサークル活動の運営者たち、集まる場所の確保に苦労しています。

 抽選会は、とても非効率的なシステムで運営されています。1ヶ月分の場所利用者を決め、利用予定者から料金を徴収するまでに1時間強かかり、職員が6名立会います。私は今年4月に参加したとき、あまりにのんびりしたやり方に驚き、一般企業でこんな悠長な仕事をしていたら、たちまち会社は潰れると思いました。

 そこで「今時、区立図書館の図書予約もインターネットシステムで出来るようになっているのだから、区役所職員一人が一日かけてプログラミングしてシステムを構築すれば、このような抽選会に6名の職員が1時間立ち会わなくても済むのに」といちばん若い職員に言ってみたのですが、無駄でした。彼らにはこの1時間こそが区民に「仕事らしい仕事をしているようすを見てもらえる唯一の機会」なのかもしれず、他の時間には「利用者が来ても来なくても、新聞など読みながら受付に座って待っている」のが仕事だったりするのです。区民の前で抽選会の仕事をするのが、楽しいのかもしれません。

 とにかく半年たっても、抽選会はこれまでどおりのやり方、①9時に抽選番号をもらう列に並ぶ。職員は抽選番号の表に○をつける。②9:15に抽選番号配布を終えて、いちばん若い番号を引いた人から呼ばれて、前に進み出て、何日の利用なのか申告する。(黒板に利用日を記入する職員2人)③その日が利用できるなら、団体名をノートに記入する。(ノート記入職員ひとり)④会計係の前に出て、一人の職員が利用申告書を確認する。もう一人が利用料金を徴収する。立ち会っている職員1人」を2回くりかえして1時間。というやり方は変わらず。

 インターネットシステムさえ構築してしまえば、メール申し込み1分、抽選1分ですむ仕事を、6名で1時間かけてやっていること、区民さえこのやり方を納得しているなら、このまま続いていくのでしょう。他のお役人だって、全員が給与に見合う仕事をしているわけじゃないのですから、税金で職員給与を出す出さないは、区民の考え方しだい。私は、区の人件費もっと上手につかって、私が雀の涙の所得から支払った区民税からの出費を子供やお年寄りの福祉につかってほしい。

 抽選に来ている利用者は60代70代のご婦人方がほとんどですから、インターネット申し込みはできないという団体も多いです。みな暇がたっぷりあって「習い事でもしようか」と集まっている人たちですから、抽選に1時間かかることを受け入れている。
 現場抽選会とネット申し込みの両方のやり方で申し込みができるといいのですが、

 私のサークルも退職者が3人になりましたが、私やミサイルママほか、還暦過ぎても働いている女性たちのサークルなので、「働いている者には、こんな非効率的なやり方は考えられない」と思っています
 お役所カンケーの仕事、これなど序の口で、不合理な仕事ぶりは全国津々浦々変わりなし。まあ、区の公務員の働き方がどんな具合なのか、見ることができてよかった、というべきか。

 10時すぎに抽選会場を出て、両国駅へ。「明治のこころ-モースが見た庶民のくらし」展の招待券を手に入れていたので、平日の方がすいていると思って、江戸東京博物館へ。しかし、すいているどころか、駐車場にはいつもに増して何台ものバスが並んでいます。

 11月1日は、「社会科見学に最適な日」、なのでした。ノートにメモをとりながら回っている小学生中学生でにぎわっていました。事前のしつけが徹底しているのか、以前に比べて美術館博物館ではしゃぎ回る子供が少なくなっています。
 引率する先生の事前指導事後指導の腕で、この「博物館見学」が子供たちの心にどう残っていくか、歴史や社会への興味を引き出せたのやら。

 我が家の子供たちも小学生時代にこの「江戸東京博物館見学」に来ているので、グループごとに回っている小学生たちに、幼かった子供らの顔を重ね合わせながら、常設展を見て回りました。蝋人形などをつかって、江戸庶民の家再現とか、昭和の和洋折衷の家、などが建てられていて、留学生にとっても、国立博物館よりも「わかりやすい」「歴史に興味がなくても見ていられる」展示になっています。明治の鹿鳴館でダンスしている様子を模型で見せたり。江戸フロアも明治フロアも楽しめます。

 まずは常設展企画室へ。

<つづく>
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