春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「 in 川端龍氏記念館」

2025-02-27 12:08:27 | エッセイ、コラム

20250318
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩春(10)高橋龍太郎コレクション展 in 大田区立川端龍子氏記念館
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ぽかぽか春庭2025年2月目次

2025-02-27 00:00:01 | エッセイ、コラム

20250227
ぽかぽか春庭2025年02月目次

0201 ぽかぽか春庭一条茶飯事典>2025二十五条日記光の春(1)ワイン講釈&ビュッフェディナー
0202 2025二十五条日記光の春(2)東京大仏
0204 2025二十五条日記光の春(3)忘れ物週間

0206 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>光の春ことば集めあそび(1)春隣の御所車
0208 光の春ことば集めあそび(2)アルプスの乙女とピンクレディ
0209 光の春ことば集めあそび(3)鰯 鯖 鱗
0211 光の春ことば集めあそび(4)蒲鉾バタフライ
0213 光の春ことば集めあそび(5)つちふる

0215 ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩春よこい(1)坂本龍一音を視る 時を聴く展 in 現代美術館 
0216 2025アート散歩春よこい(2)志村ふくみ100歳記念展 in 大倉集古館
0218 2025アート散歩春よこい(3)中国陶器うわぐすりの1500 年展 in 松岡美術館
0220 2025アート散歩春よこい(4)ル・コルビジェ展 in パナソニック汐留美術館
0222 2025アート散歩春よこい(5)モネ睡蓮のとき展 in 西洋美術館
0223 2025アート散歩春よこい(6)那波多目功一展 in 郷さくら美術館
0225 2025アート散歩春よこい(7)須田悦弘展 in 松濤美術館

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ぽかぽか春庭「須田悦弘展 in 松濤美術館」

2025-02-25 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250225
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩光の春(6)須田悦弘展 in 松濤美術館

 1月31日、渋谷の松涛美術館で「須田悦弘」展を観覧。私は学芸員の建物紹介を聞くため早めに松濤についていました。娘は前回松濤を訪れたとき、建物見学ツアーに参加しており、私が「毎週金曜日に開催されていて、学芸員は交代で担当するでしょうけれど、紹介される内容はほぼ同じ」と、他の美術館の学芸員によるギャラリートークはそうであるので、つい、同じだろうと予測したのです。したがって娘は夜間開館の時間に合わせて遅れて到着し、18時半からの観覧。金曜日は渋谷区民無料の夜ですから、かなりの混雑でした。
 
 しかしながら、今回は「哲学的建築家白井晟一」というタイトルで、設計者の白井の話が中心になっており、地下2階の講堂(多目的室)での講義は、白井の設計図を示しながら、当初の設計図、しだいに変化していく設計図などの解説でした。当初は東京の区立美術館第1号を目指していたはずなのに、渋谷区の土地と予算でもめているうちに板橋区立美術館に第1号の名称は持っていかれ、東京で2番目の区立美術館です。

 もっとも、板橋は交通の便が悪い立地で、私もよほど見たい展示でなければ出向きません。松涛美術館は、ぐるっとパスが使えるので、年に1,2度は観覧に訪れます。白井晟一の建築模型も、地下2階で何度も見てきたので、設計図との比較で白井のデザインがよくわかりました。通常は閉鎖され職員の休憩室になっている地下の部屋は本当は茶室として白井が設計した、というお話もおもしろかった。特別なときに茶室として公開し、お茶もふるまわれるということです。

 たしかに、建物の真ん中、中庭を吹き抜けにして、地下2階には噴水の池を作るというのは、他の美術館には見られない独自の設計です。ライトを浴びてキラキラ光る池の面と噴水のほとばしる水は夜間開館のときでないと見られない。学芸員さんの講座に参加できてよかったです。娘は「前と違う内容なら聞きたかった」と悔しがる。「母が、学芸員さんの人は変わるだろうけれど、説明はだいたい同じと思うっていうから、ゆっくり出てきて失敗だった。おまけに渋谷でバスが渋滞して、着いたら講座が終わってた」と、残念がる。

 作者生存中だけど、撮影自由。
 撮影自由という館だと、撮影者の邪魔にならないように見てまわる気遣いや、自分が撮影するときに観覧者が画面に入り込まないようにするのが面倒なときもありますが、今回は、観覧者の撮影風景がありがたかった。観覧者がスマホを向けているので、ドア影やいすの下の作品展示に気づく、というふうで、うすぼんやりの私には、他の観覧者がいなかったら、ものかげにひっそり置かれた作品を見つけることができなかったかもしれない。

 松涛美術館の口上
 普段、道端で見かけるような草花や雑草。実は本物と見紛うほどに精巧に彫られた木彫作品です。須田悦弘(1969~)は独学で木彫の技術を磨き、 朴 ほお の木で様々な植物の彫刻を制作してきました。須田によって生み出される植物は全て実物大で、それらを思いがけない場所にさりげなく設置することで空間と作品が一体となり、独自の世界をつくりあげています。
本展は、東京都内の美術館では25年ぶりとなる須田悦弘の個展です。今回、須田の初期作品やドローイング、近年取り組んでいる古美術品の欠損部分を木彫で補う補作の作品等をご覧いただくとともに、本展のための新作も公開します。
 渋谷区立松濤美術館の建築は、「哲学の建築家」とも評される白井 晟一 せいいち (1905~1983)によるものです。閑静な住宅街に位置する石造りのユニークな外観、入口の先には楕円形の吹き抜けがあり、そこに架かるブリッジからは池と噴水を見下ろすことができます。地下2階から2階まで螺旋階段で繋がり、高い天井と湾曲した壁面をもつ展示室や、ベルベットの壁布が張られ、絨毯敷きにゆったりとしたソファが置かれた展示室など、他にはない空間が来館者を迎えます。
 ここに須田の植物を配することでどのような作品となるのか。白井建築を舞台にした須田悦弘のインスタレーション作品としてもご期待ください。

 美術館が言う白井晟一の建物と須田悦弘のコラボレーション。このふたりの取り合わせが、今までのどの作家との組み合わせよりもぴったりに思えるのは、理由があると思う。ふたりともアカデミックな建築科アカデミックな彫刻科に進学していないこと。正規の建築教育を受けていない大家では、現在生存している建築家では安藤忠雄が有名ですが、白井晟一も、日本では図案を学び、ドイツ留学先では美術史、哲学を学ぶ過程でゴシック建築を研究するという、異色の経歴。須田も彫刻は独学であり、1992年多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業 したという経歴です。1969年山梨県生まれ。多磨美卒業後はグラフィックデザイナーとして 企業に勤務するが、ほどなく退職。在学中に授業課題として制作した木彫作品「するめ」で目覚めた「木を彫る」道を極めていきます。


 卒業後は、イラストレーターとして、商業美術をたんとうしました。十緑茶のパッケージ薬草や果物、キリン生シードルの王林など、リアルな花や果物をえがきました。 


 最初の個展は1993年の「銀座雑草論」。銀座のパーキングメーターに停めた自作のリヤカーが展示空間でした。外側はトタンで、内側には全面に金箔を施し、1本のチチコグサモドキを展示したもので、この斬新な展示方法で注目を集めました。
 2回目の個展「東京インスタレイシヨン」は、銀座の駐車場を借りて展示されました。松涛美術館地下1階の展示空間に、この時の展示が再現されていました。ドアから入る細長い部屋。観覧者は、ひとりずつ細い空間に入り、その奥にある朴の花を見つめる。

 朴の木

 この展示のタイトルは「朴の木」となっており、ネットの作品紹介で、「朴の葉が展示してある」と書かれているサイトが散見されます。おいおい!
 植物に興味のない人、木の花を知らない人も東京には多いと思いますが、この空間で向き合っているのは「朴の花」です。せっかく須田が本物とみまごう見事な彫刻作品を作っているのですから、葉っぱと花を間違えるのはもったいないでしょ。
 と、えらそうなこと言っているのは、植物園通いで朴の花をようやく覚えた老婆の「ものを知らぬ奴らめ!」という高笑い。なに、私も朴ノ花を覚えたのは数年前です。高い朴の木、花も高いとろこにあるから、普通に散歩していたら朴ノ木の花をみすごす。私は神代植物園で朴の花を知りました。  

 
 壁に咲くアサガオも葉っぱもつるも全部木彫作品
 
 ガラスケースに重々しく展示されている作品も多かったですが、眼目は、館内のあちこちに「生えているように」おいてある植物たち。床の上やドアの陰、柱の横などに目立たぬように存在する「雑草」。観覧者がカメラを向けているから、気づいたようなものの、私がひとりで館内を歩いたなら見過ごしたであろう作品たちでした。

 柱の横の木蓮


 床の上の雑草


 牧野富太郎などの植物学者でもなければ、道端の雑草をしげしげと見て歩く人は少ないでしょう。しかし、美術館という空間でアートとして展示されると、この葉っぱがアートになる。踏みつけたりしたら大ごとだ。 
 須田の作品を見たあとでは、そこらじゅうの雑草も貴重なアートとして見えてくるかもしれない。

 アサガオもどくだみの花も、超絶技巧のリアリズム木彫作品。1階ロッカーの左端一番下のロッカーのふたが外されている。入館した時はロッカーいっぱいで、あいているロッカーをさがすのに注意が向いていました。ふたの中の棒には注意が向かなかったのだけれど、退館するときにロッカーの中をのぞいたら、木の枝が一本横たわっていました。アート!


 1階エントランスホールの窓外。敷石の中に、作品の雑草がありました。図録を見て、ここに作品があることを知ったカップルが、熱心に「どれだろう」「わかんない」と、探しています。私と娘も石の上に目を這わせましたが、見つからない。カップルが「ここだ!」「あった!」とスマホを向けているので、ようやく石の中に金色の小さな雑草を見つけました。きっとどこかの庭園を歩いていて石の間に雑草を見つけても、踏みつけて通りすぎただろう。

 床の上にポンとおかれたチューリップを見て、監視員さんに「あそこ、ロープとか張っておかないと、ふんずけちゃう人も出るかも」と尋ねると、「作家さんの希望でロープなどは張らない」というお答えでした。

 ライトアップされた噴水が見える窓の前にそっと置かれたチューリップ。踏んずけてしまわなくてよかった。


 特別室ドアの陰に隠れていたどくだみの花。我が家の庭を占領してはびこっているときは、葉っぱは引っこ抜いて乾燥しお茶にする。花とつぼみはむしり取って焼酎に漬けるんだけど、木彫だと立派なアート。


 私は道端の葉っぱが虫に食われ放題になり、最後は葉脈しか残らないような天然芸術作品に感心し、いつかこれを押し葉にして額にでも入れてアート作品にしてどこぞの展覧会に出したいと思っているのだけれど、まだ実現していない。作者「虫たち」作品番号HAL49(しじゅう苦)

 娘と「敷石の中の雑草、みつけられなかったね」などと話しながら渋谷駅へ向かい、途中の蘭州拉麺店で牛肉拉麺を食べてかえりました。注文も支払いもスマホQコードで済ませる店で、私ひとりなら注文できなかったでしょう。甘蘭渋谷本店蘭州拉麺おいしかったです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「那波多目功一展 in 郷さくら美術館」

2025-02-23 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250223
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩春よこい(6)那波多目功一展4  in 郷さくら美術館

 1月22日水曜日、いつもの病院検診を終えて出かけた先は、郷さくら美術館。日本画家那波目功一の特集展示の観覧です。日本画の中で桜を描いた絵の収集を続けている美術館、私も那波多目功一の桜の絵を郷さくらで見たことがあるし、花の絵の特集で那波多目の菊の絵などを見てきま した。
 今回は「那波多目功一の世界—花と生命(いのち)へのまなざし—」という特集です。

 郷さくら美術館の口上
 那波多目功一は、1933年茨城県で日本画家・那波多目煌星の長男として生まれた。1950年17歳の時に再興院展に初入選し、翌年には日展においても初入選するなど、早くから日本画壇に実力が認められる。堅山南風が主催する「翠風会」に参加し、松尾敏男に師事しながら制作を続けた。写生にもとづいて表現された自然の風景や花々は高く評価され、1990年には日本美術院同人に推挙される。また、2000年には日本藝術院賞を受賞し、02年には日本藝術院会員に就任するなど、現代日本画壇を代表する存在として現在も精力的に制作を行っている。
 本展は、那波多目の約75年にわたる画業を振り返る回顧展となる。学生時代に制作された初期作品、西洋絵画からの影響を受けて描かれた作品群、現在も続く写生にもとづいて制作された国内外の風景や四季の花々を描いたものまで、多彩な作品を紹介している。

 1933年生まれ。1950年17歳で院展に初入選、2024年に文化功労者になる、という順調満帆に見える画業。満91歳。という、私があまりファンにならない、完全無欠な幸せ人生の画家に思えます。夭折だったり、不遇な中に消えていったり、というようなどこか影を負う画家が好みなのは、「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは 」の徒然草流斜め下から見上げるタチが身についているせい。

 でも、順調なばかりの画業ではなかったことも、1階インタビューのビデオで語っていました。
 父親は日本画家那波多目煌星。 父煌星は、院展めざしていたけれど、毎年落選。ある年、切磋琢磨する間柄の父の友人が一足先に院展に入選した。するととたんに友人は態度を変え、友人同士だったはずが、父煌星を弟子扱いするようになり自分は師匠だという風を見せるようになった。思春期の功一にはそれが悔しくて「そんなら自分が院展に入選してみせる」と一念発起、画家をめざして絵をかきはじめました。それまで日本画にふれないで暮らしてきたので、岩絵の具の溶き方も知らないまま。父に絵の具の作り方、筆の使い方から習ったそうです。高校生17歳で院展に初入選。翌1952年には日展に初入選。1953年高校卒業。

 「松山」1950(院展初入選作品)

 1995年に母を亡くし、喪失感から描けなくなりました。ようやく筆をとり直し、描いた「寂」で、院展文部大臣賞。

 外の世界と隔たれてしまったような垣根の向こうに見える花の姿に、こころ開かれていく感じを受ける絵です。

 「月輪」1990


 1階の大画面の「明け行くアッシジ」や菊の屏風、3階のかずかずの花の絵も思わず近寄って筆のあとなどながめたくなる絵でした。郷さくらは、ガラスが入っていない絵も多く、「ここから中に入るな」の床の線も割合に近い。平日午後の入場者は少ないので、うしろの観覧者に遠慮することなく絵に近づける。絵心のない私ごときが近づいたところで、何にもならないのはわかっているけれど、画家が描いた心に近づいた気分。

 郷さくら美術館、ぐるっとパスで入場できて、いい美術館です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「モネ睡蓮のとき展 in 西洋美術館」

2025-02-22 00:00:01 | エッセイ、コラム


2025021
ぽかぽ
か春庭アート散歩>2025アート散歩(3)モネ睡蓮のとき展 in 西洋美術館

 1月17日、タカ氏とモネ展を見ました。
 モネは、ゴッホはフェルメールとともに、どんな展示でも日本の絵画ファンが大挙押し寄せる人気画家です。今回はマルモッタン・モネ美術館の作品を中心に、モネが睡蓮を描いた作品が展示されていました。



 西洋美術館の新館には「モネの部屋」があり、常設展示でモネの絵を見ることができます。今回の展示のなかにも、西洋美術館所蔵の「モネの部屋」の作品が何点も展示されていたので、混みこみの観覧の中、モネの部屋の作品は「あとで西美モネの部屋でゆっくり見るからいいや」と思って、マルモッタンや各地の美術館の作品を中心に見て回りました。


 最初に目に入るのは、西美のモネの部屋にも定期的に展示される「舟遊び」(1887)は、松方コレクションのひとつ。最初期に日本に入ってきたモネ作品です。
 私が子供のころ、月ぎめ購読者に印刷された洋画有名作品を集金時に配布していく、という新聞社の購読者サービスがありました。印刷はあまり色の再現度も高くないものでしたが、美術館もギャラリーもない田舎町に育った私にとって西洋画というものにふれる数少ない機会でした。壁というのは床の間しか存在せず、床の間には箪笥が鎮座している田舎家で、母はモネの「舟遊び」が特に気に入り、ふすまに張ってながめていました。モネの舟遊びは、私にとって洋画の原点になりました。西洋美術館ではじめて舟遊びを見たとき、ああ、この絵だったのかと、なじみの友人に再会したような気分でした。舟遊びは他館に貸し出されていることも多く、西美で毎回会えるということもないのですが、またゆっくり見たいと思います。

 今回の展示で多くの人が感想を述べていますが、先に観覧してきた娘も特に印象に残ったと話していたのが、最晩年のモネの目に映ったジヴェルニーの光景です。日本の橋や睡蓮の池の絵は、ほとんど失明状態にあったモネが心に映る光や水面のゆらめき、花や柳の色をキャンバスにぶつけて描いています。ほとんど抽象画になっているように見えます。

 「日本の橋」1918-1924頃


 どこが橋なのかわからないけれど、モネの見えない目には自ら丹精をこめて作り上げた睡蓮の池と緑色の太鼓橋が色彩の交響としてひびいていたんだろうと思います。

 写真をとっていい部屋がひとつだけあって、みな楽しそうにスマホやデジカメで撮影していました。
 また、モネが精魂こめて作り上げたオランジュリー美術館の楕円の壁の睡蓮の大きな絵の雰囲気が味わえるような、楕円の壁に展示された部屋がありました。大きな池ではなく、いくつかの睡蓮の池や柳の枝が描かれた部屋でしたが、パリまで行けない者にも楕円の壁の雰囲気が味わえて楽しかったです。

 睡蓮とヤナギ

 金曜日、夜間開館している日でしたから、少しすいてからもう一回りしようかと、待っていたのですが、夜間には仕事終わりの人たちがつめかけるのか、まだまだ混み混みなので、タカ氏は先に帰ってしまいました。私も待っていたものの混みようは変わらないので、あきらめて帰宅。
 マルモッタンには行けないけれど、西美のモネの部屋には、これから何度も行けると思います。常設展はシルバー無料なので。


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ル・コルビジェ展 in パナソニック汐留美術館」

2025-02-20 00:00:01 | エッセイ、コラム



20250216
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩(4)ル・コルビジェ展 in パナソニック汐留美術館

 2024年夏、大倉集古館で「ル・コルビュジエ展」を観覧。日本では建築家として高名であっても、抽象画家としてはこれまで取り上げられることはほとんどありませんでした。2019年に国立西洋美術館開館60周年記念「ル・コルビュジエ絵画から建築へ―ピュリスムの時代」展がありました。会期2019年2月19日〜2019年5月19日。私はこの展示を見逃し、西美で再度ル・コルビジェ展が開催されたとき 2022年5月25日に観覧できました。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/6ef55b776fde677bb023848581fc9006

 2年後、2024年に西美よりももっと大掛かりな展示が大倉集古館で開催されました。私は6月8日に観覧。
 https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/b6c41ad767a72d3c1cb23a4f72b28325

 日本にあるル・コルビジェの絵画は、その多くを大成建設が所蔵しており、2024年に大成建設所蔵の大半を大倉集古館で展示したということは、次の大掛かりな展示は数年先、と思って、図録もかいました。ところが、昨年夏の大倉集古館展示からわずか半年後には、パナソニック汐留美術館で大成建設所蔵を中心にした作品群に、ル・コルビジェ財団所蔵品などをプラスした展覧会が開催されました。

 どんだけル・コルビジェ押しなんだよと思いながら、1月25日に観覧。いつもなら平日に行くのに土曜日観覧にしたのは、講演会に申し込みができたからです。メインキュレーターや美術批評家、研究者によるシンポジウムを聞くことができました。

 パナソニック汐留美術館の口上
 建築家ル・コルビュジエ(1887‒1965) は活動の後期において、建築の指揮のもとで絵画や彫刻をつなぐ試みを「諸芸術の綜合」と言い表しました。そしてそれ以上に、「諸芸術の綜合」とは統 一、調和、普遍的法則の理想主義に導かれた彼の芸術観全体を示すスローガンでもありました。
 ル・コルビュジエは近代建築の巨匠として世界的に知られていますが、視覚芸術の他分野においても革新をもたらしました。本展は1930年代以降に彼が手がけた絵画、彫刻、素描、タペストリーをご覧いただき、さらに彼が求め続けた新しい技術の芸術的利用にもスポットをあてます。そして後期の建築作品も併せて紹介することで、はるかに伝統的な枠組みを超えたル・コルビュジエの円熟期の芸術観を明らかにします。
 楽観的で歓喜に満ちたこれらの作品は、「住宅は住む機械」という彼のよく知られた言葉に集約される機能主義者のイメージを超えた、あらたな像を結びます。また、レジェ、アルプ、カンディンスキーといった同時代を生きた先駆的な芸術家たちの作品を対峙させることで、当時の芸術潮流における彼の立ち位置も浮かび上がらせます。
 本展はゲスト・キュレイターにドイツ人美術史家ロバート・ヴォイチュツケ氏を迎え、20世紀の革新的頭脳の創造の源泉に迫ります。
 

 パナソニック汐留の展示では、ルコルビジェと影響を与えあっていたレジェやアルプの作品も展示されており、「総合芸術」を目指した作品が展示されていました。大倉集古館には初期作品として具象画も展示されていましたが、パナソニックは第一室から抽象画でした。1930~1965というル・コルビジェの後半生の絵画、同じ大成建設の所蔵品を半年前に見たばかりですから、タペストリー「奇妙な鳥と牡牛」1957とか「牡牛ⅩⅧ」などは「おや、またお目にかかりましたね」っていう感じで見ました。写真を撮っておかないと見たことを忘れてしまうHALですが、さすが半年前に見たばかりですから、覚えていた作品が多い。
 土曜日、けっこう混み混みでしたが、人の少ないところを縫って観覧。半年前には見なかった作品もたくさんあり、申し込みをしたシンポジウムの時間まで、となりの新橋停車場の鉄道博物館を覗いたりする余裕もありました。 

 レア 1931 


 ル・コルビュジエ 牡牛XVI 1958 

 彫刻とその下書き「手」1957

 5時45分開始のシンポジウム。
 R・ヴォイチュツケ(ゲストキュレーター)富永譲(建築家)松浦寿夫(画家批評家の3人が通訳付きで30分ずつ貴重報告。そのあと藤井由里(建築家)をモデレーター(パネルディスカッションなどの発言を順調にいかせるための調整者)として、予定の5時半を超え、会場からの質問が終わったら6時15分になる熱心な発表と討論になりました。

 75婆の頭には難しいお話もありましたが、月末からこのシンポジウムの録画を配信するというので、もう一度見て遅ればせに理解したいと思います。
 なにより、ドイツ人美術史家ロバート・ヴォイチュッケさんが、モデルさんかと思うイケメン。シンポジウムの間、目の保養でした。最近は容姿に言及するとルッキズムと非難されますが、75婆になればイケメン好きも許されると思いまして。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「中国陶器うわぐすりの1500年展 in 松岡美術館」

2025-02-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250218
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩春よこい(3)中国陶器うわぐすりの1500 年展 in 松岡美術館

 1月24日、松岡美術館観覧。毎回の展示替えで、2階第4室の「中国陶器」の部屋と第5,6室の絵画の部屋で所蔵品を入れ替えて特集展示を行っています。たくさんの所蔵品をどういう視点で展示するかは、キュレーターの腕のみせどころと思います。今回見たのは、中国陶器釉薬の1500年の歴史と、絵画が「伝統芸能の世界」。どちらも面白かったです。



 中国陶器うわぐすりの1500年は、さまざまな時代の釉薬に注目し、時代を象徴する釉薬について解説がついていました。

 松岡美術館の口上
 うわぐすり、すなわち釉薬は陶磁器表面を覆うガラス質の膜であり、陶磁器ならではの要素です。古来人々は釉薬に実用性だけではなく、その性質や施し方によって様々に変化する美しさを求めました。長きにわたり続けられたこの追求は中国陶磁の世界に大きな発展をもたらします。鮮やかな色彩を大胆に使用した三彩、洗練された佇まいを持つ青磁、紫紅色が幻想的に浮かび上がる澱青釉など、全く異なる趣を持ったものが生まれました。
本展では、後漢から明までのおよそ1500年間における、緑釉、三彩、青磁、澱青釉など釉薬の美が詰まった約50点を展示いたします。釉薬をかけ焼成することで生まれる、豊かな表現と唯一無二の色彩をお楽しみください

 後漢時代の緑釉は、鉛を含む釉薬を低火度(750~800度)で焼成すると灰緑色の焼き物となる。温度が低いため割れやすく、実用品には使いづらいものの、後漢時代には、墓に収める副葬品として珍重されました。出土した緑釉の建物、後漢時代に盛んであった高層の建物。魚やカメが泳ぐ池の上に建てられた五層の楼閣。


 この楼閣とともに墓に入った人は、「生きてありし日」に高層からのながめを楽しんだ思い出を追って黄泉の国の日々をすごしていたんでしょうね。

 唐代は、唐三彩の時代。漢代に西域から入ってきた釉薬の技術も加わり、多彩な色が出現しました。釉薬には銅(緑)、鉄(赤褐色)、マンガン(紫色)、コバルト(藍色)、アンチモン(クリーム色)を用い、助燃剤として鉛やアルミニウムを用いることにより、クリーム色・緑・白の三色、また緑・赤褐色・藍が唐三彩としてさまざまな陶磁器にほどこされました。

 三彩の水壺      三彩の壺
  

 宋時代(960–1279年)は青磁の時代。青磁釉とは、微量な鉄分を含んだ釉薬をかけ、酸素が少ない還元焼成によって青~緑色に発色させます。表面に凹凸をつけ、くぼんだ部分には釉薬が多くたまるので、濃い青緑となり、単色ながら複雑な色合いが表されます。
 

 金代、元代(12~13世紀)の澱青釉は、珪酸と燐を多く含む成分により乳濁している青色の釉です。中国では天青と呼ばれ、河南省禹州の鈞窯(きんよう)などの窯跡が残されています。澱青釉に紫紅の斑紋が表れ、美しい色を見せています。 
 澱青釉紫紅斑瓶      澱青釉紫紅斑碗
  

 何度も松岡美術館の中国陶磁器を見ているので、たぶん澱青釉の瓶も碗も見たかもしれません。でも今までは「きれいな色が出るもんだなあ」とだけ思って通りすがっていたのでしょう。今回は、うわぐすりの多彩さに目を見張りながら、陶工たちの腕前に感嘆しきりでした。 

 これまでは、焼き物を見ても、白とか青とか、色を見るだけで、釉薬のことなどあまり考えずに眺めてきました。時代や地域ごとの窯によって、さまざまな釉薬が工夫されてきた1500年。色を作り出してきた無数の陶工たちを思いました。

 毎回、絵画室のほうはゆっくり見るけれど、中国陶器の部屋は駆け足でささっと見るだけにしていたのですが、今回は釉薬の説明を読みながら陶器の部屋をゆっくり見たので、絵画室は駆け足。ささっと能や歌舞伎を描いた絵を見ました。
 2階の絵画展示室は、歌舞伎や能を描いた絵画の特集でした。松岡美術館創立者松岡清次郎は、義太夫などの古典芸能を趣味として、文楽人形、歌舞伎能を描いた絵画の収集も続けました。参考展示として、松岡清次郎愛用の見台と仮名手本忠臣蔵の床本がケースの中にありました。発表の場に出るのも清次郎の楽しみのひとつだったそうです。



 お金持ちの趣味、ギャンブルなどで使い果たさず、せっせとお宝を収集し、生きているうちは所有欲を発揮してもいいから、亡くなった後は美術館たてて公開してほしいです。そして願わくは、ぐるっとパス参加館になってくれますように。損保、サントリー、三菱一号、静嘉堂、三井、アーティゾン、根津、上野の森、東京ステーションギャラリー、皆々様、ぐるっとパスに参加してください。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「志村ふくみ100歳記念展 in 大倉集館」

2025-02-16 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250216
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩春よこい(2)志村ふくみ100歳記念展 in 大倉集古館

 1月16日、「志村ふくみ 100 歳記念 ―《秋霞》から《野の果て》まで― 」を観覧。
 初めて志村ふくみの染めを見たのは、竹橋の旧近衛師団司令部庁舎が近代工芸館として利用されていたときだったと思います。「一生に一度は志村ふくみの染めた着物を着る機会がありますように」と願い続けて、ン十年。高貴幸齢者になっても、当然そんなチャンスはありませんでした。だいたい娘の七歳七五三祝いで訪問着を妹に借りて着て神社へのお参りに行って以後、浴衣以外に着ていない。でも、着物を見るのは大好き。糸と針の仕事は、糸を紬ぐのも染色も刺繍もみんな好き。 

大倉集古館の口上
 染織家・志村ふくみ(1924~)の 100 歳記念回顧展である本展は、紬織りを独自の感性と想像力で、芸術性の高 い作品として発展させた人間国宝・志村ふくみの芸術思想と、自然にある無数の色を抽出して糸を染め織ると いう、人と自然が共生する営みに一生を捧げる仕事を紹介します。ふくみが染織の道に入るきっかけとなった 《秋霞》、100 歳を目前にして若き日を回想した《野の果てⅡ》、次世代へのメッセージを託した石牟礼道子原 作の新作能「沖宮 おきみや 」の衣裳などを展示し、彼女の足跡を辿ります。 あわせて、ふくみを染織の道に導いた母・小野豊(おのとよ 1895-1984)と民藝精神や、ふくみの芸術精神を育 んだ夭折の画家である兄・小野元衞 お の もと え (1919-47)にも焦点を当てます。 31 歳で染織の世界に入り、ものづくりに対する独自の芸術理念を貫きながら 70 年にわたって創りあげてきた ふくみの作品の展観を通じて、多くの人々に感動を与え、その精神が後世に引き継がれてゆく契機となれば幸 いです。

 地下1階の映像には、娘の洋子さんといっしょに歩いて、草木染の染料になる葉や枝を集める姿も映されていました。「自然の中から色をいただく」という志村ふくみさんは、お母さんの生き方から学び、草木から抽出した色で絹糸を染め、機にかけた縦糸に横糸を通し、布が出来上がっていく。大倉集古館のガラスの中に縫いあがった着物が展示されていて、美しい染めであったけれど、着物はやはり手にとり袖を通してこそ、本当の美しさがわかるのだろうと想像する。一枚でもいいから、ガラスを通さないで見たかったけれど、それは別の機会に。

 志村ふくみの母、小野豊(1895-1984)の作品「吉隠」1960頃


 染色家として、志村さんはその心をエッセイにしたため、読者は一色ひと色に込められた心を文字にして味わうことができます。私も何冊かもっていますけれど、文字がすとんと心に染まるには、やはりその着物をまとった人の心がいちばん身にしみるのだろうと感じます。

 志村ふくみ「野の果てⅡ」2023     「風露」2000

  

 石牟礼道子との共同作品『沖宮』がすばらしかった。石牟礼が能の作品を書き上げ、志村ふくみが能衣装を監修したというのはテレビで見たことがあるけれど、数分の画面で流されただけだったので、どのような衣装だったのかじっくり見ることなどできなかった。会期終了3日前のぎりぎりで観覧したので、見ることができたのは後期展示だけでしたが、小袖や舞衣(都機工房制作志村ふくみ監修)を見ることができました。
 「沖宮」は、石牟礼道子の最後の作品です。上演される機会があれば見に行きたいですが、映像でもいいから見たい。

 会期終了直前の駆け込み観覧でしたが、間に合って見ることができてよかった。すてきな着物を着こなしているマダ~ムもいる中、いつものジーンズ&パーカースタイルで気はひけたけれど、襤褸は着てても心は錦。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「坂本龍一展 in 現代美術館」

2025-02-15 00:00:01 | エッセイ、コラム


20250215
ぽかぽか春庭アート散歩>2025アート散歩春よこい(1)坂本龍一音を視る 時を聴く展 in 現代美術館

 2025年も第3水曜日のシルバーディ美術館無料を楽しんで暮らしていきたいです。1月最初の第3水曜日は、現代美術館へ。坂本龍一展をたのしみに、シルバーパスで菊川からバスで現代美術館へ。

 現代美術館の口上
 東京都現代美術館では、このたび音楽家・アーティスト、坂本龍一(1952-2023)の大型インスタレーション作品を包括的に紹介する、日本では初となる最大規模の個展「坂本龍一|音を視る 時を聴く」を開催いたします。
 坂本は50年以上に渡り、多彩な表現活動を通して、時代の先端を常に切りひらいてきました。90年代からはマルチメディアを駆使したライブパフォーマンスを展開し、さらに2000年代以降は、さまざまなアーティストとの協働を通して、音を展示空間に立体的に設置する試みを積極的に思考、実践しました。本展では、生前坂本が東京都現代美術館のために遺した展覧会構想を軸に、坂本の創作活動における長年の関心事であった音と時間をテーマに、未発表の新作と、これまでの代表作から成る没入型・体感型サウンド・インスタレーション作品10点あまりを、美術館屋内外の空間にダイナミックに構成・展開します。これらの作品を通して坂本の先駆的・実験的な創作活動の軌跡をたどり、この類稀なアーティストの新しい一面を広く紹介いたします。

 坂本龍一の「音を視る、時を聴く」ことは、鑑賞者の目と耳を開きながら、心を揺さぶり、従来の音楽鑑賞や美術鑑賞とは異なる体験を生み出します。坂本が追求し続けた「音を空間に設置する」という芸術的挑戦と、「時間とは何か」という深い問いかけは、時代や空間を超えて、私たちに新たな視座をもたらし、創造と体験の地平を開き続けてくれることでしょう。

コラボレーション・アーティスト|高谷史郎、真鍋大度、カールステン・ニコーライ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、Zakkubalan、岩井俊雄
スペシャル・コラボレーション|中谷芙二子

 坂本龍一が現代美術家とコラボレーションして作り上げたさまざまな展示。う~ん。現代美術リテラシーゼロの75歳にはやっぱり難解。どうも「考えるな感じろ」とか言われても、さ~ぱりわからんちん、というしかない。無理になんぞ感じなくてもいいと思いつつ会場をひとめぐり。いちばんわかりやすかった展示は、自動ピアノに合わせてホノグラム坂本龍一がピアノ曲を弾きこなす展示。ピアノの上に音を視覚化したような青い映像がつぎつぎにあらわれるのだけれど、坂本の曲を聴くだけなら過去のコンサートを録画した二次元のDVDも隣に映されていたので私には十分。たぶん、現代美術が表したかった表現が、私には届かない。


 残念だったこと。霧を中庭に噴き上げて、参加者が思い思いに霧の中をさまようインスタレーションがありました。中庭に出る出口を探しているうちに霧は終わってしまい、さまよえなかったこと。

 私には、YMOの曲、戦場のメリークリスマス、ラストエンペラーなどメジャーな曲しかなじみがなかったのだけれど、坂本ファンには、今回の展示で坂本の音の広がりや深さを感じることができたと思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「つちふる」

2025-02-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250213
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>光の春のことば集め(5)つちふる

 2014年の春庭コラム再録です。
~~~~~~~~~~ 
2014/02/04
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>早春賦-春の言葉集め(3)光の春と霾ふる日

 立春です。如月、早春、春めく、春寒などを並べると、春の初めの二月を感じさせてくれます。今日の課題は「歳時記に載っていない季節のことばを集める」です。

 古くからあった季節のことばを集めたもののなかで、江戸時代なかばには、俳句のための歳時記がまとめられて普及しました。
 その後、時代に合わせ社会に合わせて歳時記搭載のことばの変化しました。江戸時代には「卒業式」も「入学式」もなかったけれど、明治期以後は春の季語として定着しました。9月入学が論議されている昨今ですが、さて、「入学式」が秋の季語に変わるのかしら。

 最近出た新しい編集の季語集には春の季語としてバレンタインデーなども載っているそうです。クリスマスは冬の季語として定着したのですが、さて、ハロウイーンなどは日本の季節に定着するでしょうか。

 季節を感じる人の感性は、十人十色。「このことばは、私にとって春を感じさせる」というオリジナル季語を編むのも楽しい遊びです。
 まず、季節の分け方ですが、気象庁が「3,4,5月」が春、「6,7,8月」が夏、「9,10,11月」が秋、「12,1,2月」が冬、とおおまかに分けたことに従っておきましょう。地方によっては、冬は「11,12,1,2,月」で夏は「7,8月」というところもあるでしょうけれど。
 また、2013年のように、10月11日には、日中の気温30度の夏日を記録したのに、11月11日には木枯らし1号が吹くという年もありましたが、便宜的に3ヶ月ごとに季節が移るとして。

 新しい「季節を感じることば」集め。
 江戸時代の歳時記では「西瓜」は秋の季語ですが、現代感覚では夏の季語として感じます。
 食べ物だと「桜餅」「蕗味噌」など、いかにも春というのがありますね。お酒でも「白酒」は春の季語だし、生ビールなら夏。「ボージョレヌーボー」なんていう新しいことば、秋を感じる言葉として定着したでしょうか。

 衣服だと、ミュールを夏の季語にしているという若い女性のネット句会の記事を見たことがあります。ほかにもタンクトップとかホットパンツなんていうのも夏でしょうね。ファッション用語はすぐに変化するので季語としては定着しにくいですが。

 冬の衣類で新しいことばだと「ダウンコート」「ヒートテック」なんていうユニクロにはめられたようなことばしか思い浮かびません。
・ダウンコート脱いで洋館見物に(春庭)
と、詠んでも、春めいた日なのか、小春日和なのかわかりにくい。

・花柄のワンピース着てショパン弾く(春庭)
春庭の即興句も、いまいち「ずばり春」ではないですね。
 
 今は何をどんな季節に着てもいい時代なので、春袷とか花衣というような従来の季語のほかに衣服で春を表す語が見つけにくいです。

 芭蕉忌は冬、利休忌は春の季語として歳時記に載っていますが、現代社会で芭蕉忌が冬の季語(旧暦の十月。太陽暦では11月28日)とすぐにわかる人も少ないのでは。利休は旧暦二月(太陽暦では4月21日)に亡くなったという知識がないと、言葉から季節を感じるのもむずかしい。
 新しい忌日としては、桜桃忌(太宰治忌日)や菜の花忌(司馬遼太郎命日)が、ぴったり季節を表したネーミングなので季語としてもいいんじゃないかと思います。

 季節のことばが入っていないと、たとえば、映画人にとって黒澤忌が大事な日であっても、一般人にはそれが9月の出来事だとすぐにはわからず、秋の季語にしにくいです。
 私的季語では、4月10日の姉の命日を「花吹雪忌」と名づけています。今年は13回忌です。

 従来の歳時記に載っていない語のうち、冬の季語に入れたらいいのか春に入れたら,いいのか迷うのが「光の春」です。「春隣」は冬の季語ですが、「光の春」は、私には2月の早春です。

 どんなに寒さが残っていても、空はいちはやく春の到来を感じ取り、真冬の空の光とは異なっている、温度より先に「光」に季節の変化を感じ取る。
 ロシア語の「весна светаベスナー・スベータ」を知った倉嶋厚さんが、気象用語として「光の春」と翻訳なさった、という話を何度か書きました。私の大好きな「新しい季節のことば」です。
 従来の季語「風光る」よりも、もっと春らしい感じがします。

 ほかに、春を感じさせることば、それぞれあることでしょう。
 俳人、坪内稔典(つぼうちとしのり)さんは、新しい季語として「レタス」を春に入れています。1年中ハウス栽培のものを食べ続けたせいで、露地物のしゃきっとみずみずしいレタスに縁遠くなってしまい、レタスの旬が春という感覚がなくなていました。

 夏の季語として「リラ冷え」、これはいいなあ。賛成。梅雨のない北海道で、リラ(ライラック)が咲く時期に、冷え込む日もあります。それをリラ冷えとしゃれて言ったのが、内地にも広まりました。

万緑(ばんりょく)の中や吾子の歯生え初むる(中村草田男)
と、草田男が詠んで以来、「万緑」は夏の季語として定着しました。
 松尾芭蕉は「季節の一つも探り出したらんは、後世によき賜(たまもの)となり」(『去来抄』)と述べました。自分なりに季節を感じて、ことばを取り出せたら、俳聖も喜んでくれるでしょう。

 春は黄砂の季節でもあります。「霾風ばいふう」「霾天」は黄砂のことを言い、訓読みでは「霾ふる(つちふる)」ということを「はじめて知った」と書いたことを思い出します。(検索してみると2008/05/19に書いたとわかりました)
 
 新しい語も知らなかった古い語も、大切な言語文化のひとつ。
 新聞に若い世代には「縁側」が通じなくなった、と出ていました。私も昨年の「日本語学」の授業で「キセル」を見たことのある人がいるか挙手させたところ、皆無でした。それでも「キセルというのは、お金をごまかすときに使うんじゃないか」と発言した学生がいたので、煙管は廃れて死語になっても、「キセル乗車」はかろうじて「瀕死語」くらいなのだとわかりました。

 話し言葉は世につれ人につれ。季語も社会の変化に従いますが、縁側もキセルもそれを知って育った世代にとっては、消えて欲しくないことばです。郷愁にすぎないのでしょうか。

・昔語りの春の縁側夕暮る(春庭)
・煙草王の建てし洋館霾ふる日(春庭)
・レタス食み行楽プランはまだ成らず(春庭)
~~~~~~~~~~~~~
20250209
・光の春源氏の直衣の淡き絹<春庭


・はけの坂登る霾るという予報<春庭

<おわり>
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ぽかぽか春庭「蒲鉾バタフライ鋸」

2025-02-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250211
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>光の春ことば集め遊び(3)蒲鉾バタフライ鋸

 垣根の結い方クイズにつづいて建築用語
シリーズ。専門家ならすぐわかることばも、専門外には頭をひねることも。

A:かまぼこ バタフライ のこぎり  B:錣(しころ) 陸 招き  C:片寄せ 差し掛け 方流れ

 答えは「屋根」。マンサード、ギャンブレル など、洋館の屋根も明治以後に入ってきました。

 次も建築関係。
A:海鼠 聚楽 小舞竹  B:絹 京 引き摺り C: 土 砂 漆喰  

 答えは「壁」
 左官の仕事が芸術になっている挾土秀平さんのような有名人もいますが、全国的には伝統の左官仕事は風前の灯火。挾土秀平さん、がんばっていますが、いざ家を建てるとなって伝統壁で仕上げるには、よほど金にあかせた家道楽の金持ちでないと。
 結局、お金がない話になってしまうので、建築関係の語はこのへんで。

 伝統がなくなれば、人の口からも消える例として。
A:若衆 野郎 奴  B:銀杏 文金 本多  C:茶筅 折り 蝉折り 

 現代に残っているのは、銀杏(大銀杏)だけですね。断髪令が出るまでの男性の髪型、ちょんまげの種類でした。
 現代では自髪で大イチョウを結うのは力士だけ。自分自身の髪で日本髪を結うのは京都の舞妓はんだけ。芸技になると鬘です。


~~~~~~~~~~



<つづく>
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ぽかぽか春庭「光の春の言葉集め アルプスの乙女とピンクレディ」

2025-02-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250209
ぽかぽか春庭ことばYa!ちまた>光の春ことば集めあそび(3)アルプスの乙女とピンクレディ

  2014年春庭コラムの再録です。
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2014/02/02
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>早春賦-春の言葉集め(2)アルプスの乙女とピンクレディ

 言葉あつめクイズ第2回 Aでわかったら50点 B 30点 C:10点

第2問 ヒントは「赤」
A: アルプスの乙女 ピンクレディ レッドゴールド   B: 茜 梓 ふじ   C: 千秋 津軽 紅玉


第3問 これもそんなに難しくない。20世紀までは女性のほうがよく知っていたけれど、今はどうでしょうか。
A: 銀杏 半月 輪    B: 拍子木 短冊 小口  C:微塵 千 さいの目

第4問 太宰の「津軽」を読んだ人には簡単。カラオケで新沼謙治の「津軽恋女」を歌う人にはもっと簡単.
A: 粒 粉 綿     B: 氷 水 ざらめ       C: ぼたん あわ ささめ

第5問 難問です
A: 男  本  米    B: 蝶々 ねじ  碇     C: もやい なかし あや

第6問 もっと難問 専門の職人さんでないと、知っている人は少ないかもしれません。ヒント:庭にあるあれ
A: 利休 遠州 茶筅     B: 桂 御簾 木賊   C: 鉄砲 鎧 矢来 

答え
2) りんごの品種  3)やさいの切り方  4)雪 5)ロープの結び方  6)垣根の結い方  

 専門家にはすぐにわかることなのでしょうが、知らない人にとっては、なんのことやらと感じます。

 日本語言語文化では、季節のことばを集めた歳時記、季寄せという語彙集が親しまれてきましたから、一定の種類のことばを集めて並べる辞書がたくさん出ています。abcやあいうえお順で並んでいる辞書ばかりでなく、たまにはことばを集めて遊んでみるのもおもしろいでしょ。

 「宮沢賢治の本に出てくる鉱物のことば」を集めた辞典とか、幕末から明治初期に翻訳された英語から翻訳された日本語を集めた辞書とか、逆に世界の辞書に搭載された日本語を集めた辞書とか、眺めて楽しい辞書がたくさんあります。
~~~~~~~~~~

<つづく>
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ぽかぽか春庭「鰯鯖鱗」

2025-02-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250208
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>光の春ことば集めあそび(3)鰯 鯖 鱗

 2011年の春庭コラム再録です。
~~~~~~~~~~~ 
 雪の名前、風の名前。農業に直結するゆえ、気象のことばはたくさん集めることができます。前回雪の名前でクイズをだしたので、次なるクイズは。

A:鰯 鯖 鱗   B:羊 綿 すじ  C:レンズ かさ おぼろ


 まあ、わかりやすいほうですね。答えは雲の名前
 雲は十種類が気象用語になっており、それぞれ俗名地方名があります。
・巻雲(けんうん):すじぐも
・巻積雲(けんせきうん):うろこぐも、いわしぐも
・巻層雲(けんそううん):うすぐも かさぐも
・高積雲(こうせきうん):ひつじぐも
・高層雲(こうそううん):おぼろぐも
・乱層雲(らんそううん):あまぐも
・層積雲(そうせきうん):うねぐも、くもりぐも
・層雲(そううん):きりぐも
・積雲(せきうん):わたぐも
・積乱雲(せきらんうん):にゅうどうぐも

 くもの名前、このほかにも見え方によって、地方によっていろいろな名前がありますが、正式にはこの十種類。国際気象会議(1894年、スウェーデン)で決められた10種分類法にもとづいています。

 レンズ雲、へび雲などの珍しい雲、地域名の一覧など知りたい方は、以下のURLへ。



 雨の名前については、多すぎてクイズにもしにくいのですが、知りたい方は以下の本をどうぞ。
『雨のことば辞典 (講談社学術文庫 2239)』

 日本語の語彙について説明した教室で、昔はグループでできるだけたくさん雨のことばを集める競争をさせたのですが、今はネットでしらべて終わりにしてしまえるので、もう楽しめません。日本での星のことばが少ないこと、ラクダを表す言葉がアラブ語では500くらいあるのに、日本語ではひとこぶとふたこぶらくだくらいしかないことなどを調べさせて、語彙は文化だ、ということを実感させるのが二コマ90分の授業でしたが、今は昔。

<つづく>  

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ぽかぽか春庭「光の春ことば集めあそび 春隣の御所車」

2025-02-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250206
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>光の春ことば集めあそび(1)春隣の御所車

 11年前の春庭コラム再録です。
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20140201
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>早春賦-春の言葉集め(1)春隣の御所車

 立春とは、太陽黄経が315度になったとき、と説かれてもよくわからないけれど、日が一番短かった冬至から約45日、一ヶ月半と言われると、わかりやすい。ああそのころには、ちょっとは日脚が伸びてきたなあ、と実感できるので。
 2014年は2月4日。立春前の、少しは春が近づいた実感がするひとときが春隣。春隣は冬の季語になるのですが、まだだ寒いけれど、もう春は目の前、少しずつ近づいてくる春を待つここちがします。

 寒くても「叱られて目をつぶる猫春隣(万太郎)」なんてつぶやいてみるだけで、ちょっとは春の気配もしてくる気がする。
 春のことばを集めて口ずさんでいると、それだけで少しは暖かくなってくる気がするので、春めくことばを集めてみたり、春隣の気分はもう春。でもないですが、言葉を集める遊びをしてみます。類語あつめ、という分野のクイズで遊びましょう。

 クイズです。次のことばはどんな「ことばの仲間集め」をしたものでしょうか。
 Aの3語でわかったら50点。Bの3語でわかったら30点。Cの3語までで10点。
A: 菊 笹 御所車  B: 菱 四目結 柏  C: 藤 牡丹 扇  

 女優じゃないほうの前田 愛(まえだあい1931-1987 国文学者・文芸評論家。本名はまえだよしみ)は、上のことばの並べ方について、著書のなかで「分類学からいうと、珍妙なめちゃくちゃな配列である」と言っているのですが、へぇ、近代文学の泰斗、碩学と言われた物知りの前田先生にも、わからないことがあったんだ、と、思ったことでした。
 うふふ、前田先生が零点だったと思うといい気分。春庭は、Aでわかったので50点!

 前田愛は、『商売往来刊誤』をデータバンクの一覧、と紹介して、この本の事物の並べ方について述べています。そして、「菊、笹とふたつ植物名が並んで、次に御所車が出てくるのが、わけがわからない。そのあとに出てくる菱と柏,藤はまた植物名だけれど、なにゆえ突然「四目結」というのが、その間に挟み込まええいるのか、理解に苦しむ。分類学からいうと、めちゃくちゃなのである。いや、そもそも分類という思想が完全に欠落しているのではないか、とおもわれるほど、この配列は珍妙である。」(前田愛・加藤秀俊『明治メディア考『2008河出書房新社)
と、これらのことばの並べ方を「めちゃくちゃ」と断じています。

 でも、着物好きな女性ならすぐにピンときたことでしょう。着物は持っていないけれど、染物織物を見て歩くのが趣味の春庭も、Aで気づきました。
 この『商売往来刊誤』のことばの並べ方、前田愛が「植物名の分類法としては、めちゃくちゃ」と言っているけれど、植物名を分類して並べたのではありません。
 「日本伝来の文様の名前」が並べられているのです。着物や手ぬぐいなど、染物などに用いる代表的な文様が、菊 笹 御所車 菱 四目結 柏 藤、なのであり、分類の方法としては、実によくまとまった語が並んでいるのです。

 南方熊楠以来の碩学と謳われた前田先生にも不得意の分野があったのだと思うと、あれもこれも知らぬ事だらけの春庭も、ちょっとは安心します。年齢だけは前田先生がなくなった56歳をとっくに過ぎてしまったのに、な~んもまとまった知識がない春庭だけれど、少なくとも、染物織物の伝統文様という分野に関しては、春庭の雑学もちょっとは役にたちます。
 菊 笹 御所車 菱 四目結 柏 藤 牡丹 扇  
は、植物分類を表しているのではなくて、文様を表している「言葉集め」なのです。

 今日の言葉集め
千鳥 波 青海波 流水 雲 霞 麻の葉 亀甲 七宝 籠目 矢絣 鹿の子 市松 沢瀉 唐草 竹 松 梅 桜 瓢箪 虫   

今日の一冊:『日本の伝統文様』CD-ROM素材250(2007エムディーエヌコーポレーションズ)
~~~~~~~~~~~~

<つづく>
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ぽかぽか春庭「忘れ物週間」

2025-02-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
20250204
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2025二十五条日記光の春(3)忘れ物週間

 子供のころからぼうっとしていることが多く、忘れ物落し物は日常茶飯事でした。そのせいで、高齢になったから忘れ物が多くなったと嘆くことはしないですんでいる。忘れ物は日常茶飯事なので。忘れたこと落としたことに気づかず、いろいろ落としてきているので、気づかないままのことも多く、しばらくたってから、「あれ?かぶっていたはずのあの帽子がないなあ」などと気づきます。

 昨年は札幌旅行のおり、娘に編んでもらったマフラーを落としてしまい、気づいたあと、娘があちこちに問い合わせをしてくれたのですが、拾ってくれた人もおらず、残念無念。娘は同じようなマフラーをもう一度編んでくれて「次に落としたらもう編んでやらない」と言います。

 1月22日水曜。いつもの病院で検診。順番待ちの間、持参した水筒のコーヒーを飲む。病院のカンボトルを買えば150円ですから、節約節約。
 検診が終わって薬局へ。家に帰ったら水筒ボトルがないっ。病院へ問い合わせましたが、「お届けはありません。でも、明日もう一度連絡してください。最後に院内点検をした人が拾っているかもしれません」というので、翌日電話したら、ありました。金曜日に受け取りに出向きました。ディズニーバケーションパックの記念品でもらった水筒なのです。もう2度とバケパなんて贅沢はできないのだから、取り戻せてよかったです。

 同じ日。病院から区役所へ。高齢者福祉についての問い合わせをするためです。区役所近くのコンビニで野菜を売っていて、区役所の帰りにいつも立ち寄ってきました。今回は中くらいのトマトが3個パック350円。品もいいし、いつも買い物をするスーパーより安いと思って購入。リュックからトートバッグを出してトマトを入れ、ぶら下げて電車に乗りました。

 家にもどってトマトを冷蔵庫に入れようと思ったら、トートバッグがないっ。コンビニや駅の忘れ物係に電話で問い合わせましたが、「届いていません」でした。娘にまた忘れ物したと伝え、トマトを失ったと残念がる。350円で大安売りだったのにと。娘は「トマトはまた買えるけれど、キティちゃんの絵がついたトートバッグ、私が懸賞で当てた非売品だから、2度と手に入らない。そっちのほうが惜しい」

 そうでした。インスタントラーメンのキャラクターこぶたとキティちゃんのコラボ柄。懸賞で何枚当選が出たのかわかりませんが、同じ懸賞商品はもう作っていないでしょうから、娘が惜しがるのもわかります。

 病院でも当日でなく翌日に落し物が出たので、最寄り駅の駅員さんにもう一度聞きました。駅員さんは、いろんな線との相互乗り入れをしているので、そちらの忘れ物センターに電話してみて、と各社の忘れ物センター電話番号一覧をくれました。私が乗った電車、紺の車体だったようなおぼろげな記憶。わあ、相鉄線かもしれない。相鉄線は近年あちこちの地下鉄や私鉄、JRとの相互乗り入れをしています。相鉄線に乗ったなら、終点は相鉄のはず。電車の中のトマトが入った古いトートバッグなど、蹴とばす人はあっても、わざわざ忘れ物として届ける人もいないでしょう。終点で点検した車掌さんが拾ってくれたかもしれない。

 相鉄忘れ物センターに問い合わせる。トートバッグにキティちゃんとこぶたの絵があると伝えると、はたして該当品が届いていると。28日、相鉄線の二俣川駅忘れ物センターへ。センターは改札の外ですから降りなければなりません。2線乗り継ぎ、片道500円かかりました。紙に名前を書いて保険証を示し、無事トートバッグが戻りました。バッグの中のトマトやケーキは規定があるので捨てられていましたが、非売品のバッグが戻ってほっとしました。

 相鉄線の二俣川。駅のトイレに入って、トイレ内にマックで買ったカップコーヒーを忘れてきました。とりに戻るのも面倒だし、お掃除の方が処分してくれるでしょうから、そのままに。お掃除の方、ごめんなさい。
 忘れ物をとりに行って忘れ物をしてくる。なかなかの忘れ物名人だと思う。

 ともあれ、キティちゃんトートバッグが取り戻せて、よかったよかった。この先も美術館のお供に、買い物の補助バッグに、使い続けます。ネット検索すると、キティと子ブタの保冷エコバッグ、500円前後で売られていました。往復1000円かけて忘れ物センターに取りに行ったのは、エコノミーじゃなかったけれど、地球のごみを増やさないためにはエコでした。「母はすぐ落とすから、落としてほしくないものは母に渡さない」と怒っていた娘の機嫌もなおってよかった。私の娯楽生活は、ぐるっとパスの美術館と娘の懸賞生活にかかっている。次にどんなイベントに当選するのかを楽しみに、どんどん増える忘れ物落し物をものともせずお出かけをしていきます。



<つづく>
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