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ぽかぽか春庭「日本語教師検定試験問題にチャレンジ記述問題篇」

2012-05-30 00:00:01 | 日本語教育
2012/05/30
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>ステップバイステップ日本語教師養成講座(4)検定試験問題にチャレンジ記述問題篇

 日本語教育能力検定試験は、文法などの基礎知識が中心の問題1(90分)、CDによる聴解問題も含まれる問題2(30分)、記述問題が含まれる問題3(120分)があります。
 記述問題では、「言語にかかわる事象」や「教育実践の方法・内容」などに対する考えや主張が問われ、考えや主張が正しいかどうかではなく、自分の考えを論理的に説明できているか、確実な日本語表現力により、他者に確実に伝達できる能力を持っているか、という二面が評価されます。
<記述問題 例>
 さまざまなメディアで「ら抜き言葉」や「れ足す言葉」などの「日本語の乱れ」がしばしば話題になり,議論にもなっている。また,日本語学習者も生の日本語に接し,「日本語の乱れ」を見聞きしている状況にある。
 この、いわゆる「日本語の乱れ」について,あなた自身はどう考えるか。また,その考えを授業実践において具体的にどのように反映しようと考えるか。400字以内で述べなさい。

 この場合、「ら抜き可能形、食べれる 見れる、起きれる」などが「正しい日本語であるかどうか」の是非が問われているのではないのです。これらをどう捉え(言語観)どのように日本語教育に反映していくか(教育観)を論理的に記述できるかどうかが問われています。

 記述問題。授業方法、授業技術に関する問題です。答えを記述しみましょう。ワープロを40字に設定し、10行書けば400字。
例題1
「あなたは、短期留学生のクラスを受け持つことになりました。正確な日本語の習得を望む留学生が多いクラスの会話授業をまかされ場合、短期間で効果的にクラスを運営していくために、どのような授業方法が考えられるか、また、教師としてどのような指導をしていったらよいか、あなたの考えを400~500字程度で述べなさい。
<解答例>
 短期留学生対象の会話授業では、できるだけ多くの発話が各学生に可能となるよう、場面を選び、ロールプレイ、ディスカッションなどコミュニカティブな活動を中心にしたい。場面機能シラバスにより、学習者が日本で遭遇すると思われる場面とそこでの使用される表現を選ぶ。これらの表現を「文型としては習得済みである」として、ロールプレイでは始めにモデル会話で、表現の機能の確認と役割練習をする。次にシチュエーションやロールを変えて応用練習を行う。活動中は誤用があっても、発話の流れを切らないように暗示的な誤用の指摘・訂正に留める。学習者が会話内容、発話方法に意識を集中し、正確さを過度に意識しないようするためであるが、学習者が「正確さの向上」を必要としている場合、練習中の発話活動は止めずに行い、録音ビデオなど,記録したものを後から振り返る方法を採るようにする。後で聴き直したりビデオ録画スクリプト表示で振り返りを行い、学習者自らが誤用に気づき,訂正をするよう、導く。発音,イントネーションなどを含め,学習者自身が誤用を指摘、訂正できない項目は,最終的に教師が明示的に指摘,指導することも必要である。
(450字:この解答がベストとは思わないで下さい。もっといい解答を書ければ合格です)

 ありゃりゃ、日本語教師って、そんなめんどくさいもんだったの?と思われた方もいらっしゃることでしょう。
 職業としての日本語教師は、高度な専門職です。「日本語をまったく知らない人」に初歩から日本語を教えるためには、「外国語としての日本語」を知り、「第2言語(外国語)としての日本語を教える」ための教育技術が必要なのです。

 でも、日本語学習者の「会話のお相手ボランティア」としては、すべての日本語話者が「日本語での受け答え」ができますので、全ての人が「先生」です。
 「町の日本語教室のボランティア先生」からスタートし、日本語を教えるおもしろさに目覚め、本格的に日本語教師を目指すようになった人を、私もたくさん知っています。私が受け持った教授法クラスにも「定年退職後の仕事として日本語教師をめざす」という方が在籍なさったこともありました。勉強後、シニア海外協力隊に応募した人、中国の大学で無給の日本語教師としてボランティアをはじめ、数年後には正式に「大学講師」として採用された、という人もいました。

 いつも学生に言うことは、「人が好き、ことばが好き、新しいことを知ることが好き」このうちのどれかが好きなら、きっと日本語教師にむきます。
 私自身で言うと、前は人と話すことが苦手だったけれど、ことばで読むこと書くことが好きだし、異文化を知ることも大好き。苦手な部分は、舞台に立つように「教師役」を演じて教壇に立っているうちに、苦手じゃなくなっていきました。

 これまで出題してきた日本語教育能力の問題は、「専門職として日本語を教える教師」に要求される能力です。学生にこれらの問題にチャレンジさせているのは、「専門職として日本語を教えるのは、そんなに簡単なことじゃない」と自覚させるためで、授業での講義だけでは、とてもこれらの問題すべてに合格できるような力を養成するまでの時間はありません。

 私の授業では、日本語教育の概要を知ることと、日本語教育能力試験に挑戦してみよう、という意欲を持たせる、このふたつに絞っています。
 日本語を教えるのって、たいへんだけれど、おもしろそう。日本語教師って、世界中の人と出会えて、楽しそう、という気持ちを学生に持ってもらえば、授業は成功、と思っています。

 さて、今から日本語を勉強するのもなあ、という方々。ボランティア日本語教師に必要なのは、人が好き、異文化が好き、など、「好きこそものの上手なれ」という能力です。
 ボランティア活動としても、日本語を地域の外国人に教える仕事、とても重要です。みなさん、ぜひご参加を。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「日本語教師検定試験問題にチャレンジ、発音篇」

2012-05-29 00:00:01 | 日本語教育
2012/05/29
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>ステップバイステップ日本語教師養成講座(5)検定試験問題にチャレンジ、発音篇

 私がいつも学生に話す、撥音「ん」の音(発音)について。(撥音と発音は、同音異義語なので、まぎらわしいですね)
 「ん」の音をどのように発音しているか。私たちは、意識せず、異なる音を発音しているのです。
「ん」の話をするのは、日本語教師を希望する人に、言語によって意味の違いを形作る音が異なり、違う発音をしていても意味の違いが生じない場合があることを伝えるためです。

 日本語では、「れんしゅう練習」と「ねんしゅう年収」は、異なる発音として意識され、異なる意味を表しますが、中国の南部地方の福建語話者などは、「れんしゅう、ねんしゅう」はまったく同じ発音に聞こえ、区別がむずかしいのです。区別が難しい発音がある、ということを理解してもらうために、日本語母語話者の「ちがう発音していても区別できない音」を示すのです。
 
ア)珊瑚(さんご)イ)三人(さんにん)ウ)秋刀魚(サンマ)

 ア、イ、ウの「ん」がそれぞれ異なる発音の「ん」であることを、日本語母語話者は日常の会話で意識することはありません。これを「異音」と言います。日本語母語話者は、「ん」の音として、ア[n]、イ[ng]、ウ[m]と3種類の発音をしているのです。しかし、別の音を出していると意識することなく、どれも同じ「ん」だと思っています。
 
 異音とは、別々の音を同じ音として認識することです。これは、英語では別々の音として意識される「R」と「L」の音が、日本語では異音であるので、light(灯り)とright(正しい)がまったく同じ「ライト」という外来語になるのと同じ現象。bath(ふろ)もbus(バス乗合自動車)のどちらも「バス」。これも日本語にとって、「s」と「th」は同じ音に聞こえるからです。 

 では、この応用。発音の問題。仲間はずれを探せ。
(1) 次のA~Dのうち、ア、イ、ウに近い音の「ん」はどれですか。
ア)珊瑚(さんご)イ)三人(さんにん)ウ)秋刀魚(サンマ)

A)今、ベルリンがホットスポット
B)この夏ロンドンに行くつもり
C)ホンコンまでボート漕ぐのは、無理。
D)在ペキン外資企業事務所。
E)今、台湾(タイワン)が面白い
F)この夏、台湾(タイワン)へ行きたいなあ
G)今年の夏こそ、台湾(タイワン)人気スポットめぐりの観光ツアーにどうぞ。
H)台湾(タイワン)みたいな暖かいところで暮らしたい。

 「ん /n/」の発音は、単語ごとに決まっているのではなく、次にどんな音が来るかで決まるのです。
 ガ行の前の「ん」は/ng/、バ行、パ行、マ行の前では/m/、その他は/n/です。

答え ア A、D、E   イ B、F、G   ウ C、H

(2)次の「ん」の発音のA~Dの語の中で、他とひとつだけ異なる発音をする語を選びなさい。
1番 A)因果(いんが)B)因縁(いんねん)C)冤罪(えんざい) D)堪忍(かんにん)
2番 A)音楽(おんがく)B)音符(おんぷ)C)憲法(けんぽう)D)田んぼ(たんぼ)
3番 A)散歩(さんぽ)B)担当(たんとう)C)新人(しんじん)D)観戦(かんせん)

答え 1,2,3とも仲間はずれの発音は(A)
  

 異音の例をもうひとつ。こちらも「異音」のひとつですが、ふたつが異なる発音だと認識できる人も多い。ただし、若い人は認識できない。以下の文を朗読してみましょう。

(3) A~Eの「が」を二つに分類してください。
A)クラシックおんがく(音楽)は好きじゃない、B)でも、がっこう(学校)へ行かないと、ミュージシャンになるのを認めないって、C)がんこ頑固オヤジだけじゃなく、D)おふろもまでが、泣くもんで、やっとこ卒業した今は E)晴れて立派なミュージシャン。夢がかなって生きられる。ストリートがオレの舞台。

 BCの「が」と「ADE」の「が」は、異なった発音です。(昔のNHKアナウンサーはこの違いを発音できないと採用されなかった)
 BCは口から声が出る「口音」で、ADEは、鼻から息が出る鼻音、「鼻濁音」の「が」です。しかし、鼻濁音を区別できない若い人が多くなり、この先、消滅していくかもしれません。

答え  ADE 鼻濁音  BC 口音濁音

 つぎに、音節について。
 子音と母音を組み合わせた「音のひとまとまり」を「音節」といいます。
 日本語の母音は「ア、イ、ウ、エ、オ」の5つです。
 では、子音は?
 子音は、無声音:/k/、/s/、/t/、/h/、/p/ 
     有声音:/g/、/z/、/d/、/n/、/m/、/b/、/r/ 
 ほかに、半母音(母音と子音の両方の性質を持つ):/w/、/y/ があります。

(4)外来語、「ストレート(まっすぐ、という意味)」は、5つの音節があることばです。手をたたいて言うとき、たたく回数は、ス、ト、レ、-、ト、と、5回です。
 では、英語でStraight(まっすぐ)というとき、手をたたく回数は何回?

A)1回 B)2回 C)3回 D)4回 E)5回

 
 Straightという語の音節は、ひとつです。手を一回たたくだけ。Straightは、母音がひとつで子音が4つ組み合わさっている音節です。
 しかし、日本語では必ず「子音+母音」というひとまとまりで発音するため、[su][to][ra][i][ku]という発音になるのです。英語の歌を歌うと、音符とことばが合わなくなってしまうのは、このためです。
 日本語のストライクと、英語のStrikeも同じ事。

答え A

(4) 四つ仮名表記と連濁
 発音と文字表記の関係。江戸時代から問題になってきたのが、ずづ、じぢのかき分けです。古来の発音「づ」「ぢ」が、室町時代から「ず、じ」と混用されてきて、江戸時代には「ずづ」「じぢ」の発音がまったく同じになってしまったために、ことばのかき分けが問題になりました。このことは、『蜆縮涼鼓集』(けんしゅくりょうこしゅう1695年発行)という本に書いてあります。

 四つ仮名「ずづ、じぢ」の表記において、の元の語が連濁によって濁音となるばあい、元の語の表記に濁点をつける、ということを教えるのにふさわしい語はどれか。
A)青白い  B)布地  C)仮住まい  D)三日月 E)赤ずきんちゃん

答え D
 三日みっか+月つき→みかづき

(5)初級学習者に助数詞を教える場合、発音の変化という観点から見て、最初に導入し、学生にかぞえさせる練習をするのに、もっともふさわしいと思う組み合わせはどれか。

A)枚(紙を数えさせる)と台(パソコンを数えさせる)  
B)冊(本)と個(消しゴム) 
C)杯(コーヒー)と本(ペン)
D)人にん(学生)と匹(猫)
E)脚(いす)と足(靴)

答え  A
本は、ぽん、ぼん、ほんと発音が変化し、1も、「いち」のときと、「いっ」となるときとある。どのように変化するか、法則はきちんとあるのだが、助数詞に慣れるまでは、発音が「まい」ひとつで変化しないため紙を数えさせる。パソコンや車を「台」で数えるのは混乱がない。しかし、鉛筆を数えさせると、いちほん、にぽん、さんぽん、ろくぼん、など、混乱する。

(6)[子音の調音点]という観点から、A~Eの中の仲間はずれを選びなさい。
A)か[ka] B)せ[se] C)た[ta] D)つ[tsu] E)に[ni]

 「調音点」というのは、その音を発音したときの、舌や唇など、音を出している部分の位置です。母語を話すとき、人はどのようにしてその音を作り出しているか、まったく無意識です。しかし、外国語を習うと、「sank 」と「thank」では、舌の位置が異なることに気づきます。「I sank you.」は、「私はあなたを沈めました」という意味ですし、「I thank you.」は、「私はあなたに感謝します(ありがとう)」という意味です。「サンキュー」は、日本語では外来語として感謝を表すことばになっています。
 しかし、「サンキュー」という発音そのものは、「おまえを沈めたぞ」という意味になります。

答え A 

 kaは、ノドの奥の方で舌が盛り上がり、声をさえぎる音です。B~Eは、ゆっくり発音すれば、舌が上歯の裏あたりにくっつくか、くっつきそうに近づくことがわかると思います。

 「サンキュー」とカタカナ発音すると、英語では「お前を沈めた」の意味になると書きましたが、実際に英語圏でそのような誤解を受けたという話はききません。ホテルでドアボーイに「サンキュー」と言えば、「ユーウェルカム」と返してくれるでしょう。外国人の発音が多少違っていても、そこは推察してくれるからです。
 レストランへいって「ライス、プリーズ」と発音したからといって、「しらみ」が出てくることはないでしょう。

 外国人が日本にきて、親切にしてもらい、多少わかりにくい発音で「アリゲーター」とお礼を言ったとき、発音が悪いからと怒り出す人はいません。アリゲーターでも「この人は、ありがとう、と言いたかったんだな」と、わかるからです。

 外国人が日本に来て感謝の気持ちを伝えようと、ひとつおぼえで「Crocodileクロッコダイル(ワニ)」と連発する。何事かと思ったら、その人は、日本語で感謝を伝えるには、「アリゲーターAlligator(わに)」と言えばよい、と教わったのでした。
 「アリゲーター」と言っておけば、ちょっと発音は悪いガイジンが「ありがとう」と言ったように聞こえるからです。それが、脳内変換でアリゲーターがクロッコダイルになってしまい、「thank you」と言うとき「クロッコダイル」と言い続けた、と、これは笑い話ですが、外国語の習得、いつでも誤解はころがっています。

 誤解されないように指導していくことが肝心。「びょういんへ行きます」と「びよういんへ行きます」では、意味が異なり、おしゃれをしてくるつもりが「えっ、どこが悪いの」など、誤解を受けてしまいます。デパートで「地図売り場はどこですか」と「チーズ売り場はどこですか」を区別できなければ、チーズを買うつもりなのに、文房具売り場に案内されてしまいます。

 日本語教師、日本語の意味や発音を考察しつつ、日本語学習者の撥音を訂正していきます。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本語教師検定チャレンジ文法、文法・語彙篇その3」

2012-05-27 00:00:01 | 日本語教育
2012/05/27
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>ステップバイステップ日本語教師養成講座(5)検定試験問題にチャレンジ文法、文法・語彙篇その3

 日本語学習者の誤用は、教師にさまざまなことを教えてくれます。
 学習者の誤用を考察すると、日本語の性質がよくわかってきます。日本語教師は毎日のように誤用にでくわし、おなじみの誤用も多い。 
 しかし、はじめて出会う誤用があると、みなで、「学習者にどのように説明したらわかってもらえるのか」と頭をひねります。

 5月25日の講師室では、A先生から出された学習者誤用文について、みなで「う~ん、どういう説明が一番わかりやすいのか」と知恵を出し合いました。A先生が学習者に教えた例文は次の通り。「~がち」という語の練習です。

例文)・お年寄りは、昔のことをよく覚えていますが、新しいことは忘れ[がち]です。
・留学生の中には、授業をなまけ[がち]になる学生もいます。

 日本語辞書による「~がち」の説明を確認しておきましょう。
・岩波国語辞典:(1)他の部分に比べて多いこと「黒目がち」(2)とかく~の傾きがあること「曇りがち」「忘れがち」
・大辞林第3版:( 接尾 ) 名詞または動詞の連用形に付く。 ともすれば,そうなりやすい傾向を表す.....
・デジタル大辞泉: [接尾]名詞や動詞の連用形に付く。 …が多い、…する傾きがある、…に傾きやすい
・広辞苑:体言またはそれに準ずるものについて、そのことが「しばしばである」「その方に偏する」意をあらわす。「雨がち」「遠慮がち」

 留学生が作成した文。
誤用文A「5月は晴れの日が多いです。洗濯物が乾きがちです」
   B「夏の夕方、急に雨がふります。これは、ゆうだちです。傘がないとき、外を歩くと、服が濡れがちです」

 留学生の作った文、辞書の説明に照らせば、辞書の説明のとおり、「~する傾向がある」「~が多い」という意味で「~がち」を使っています。しかし、日本語母語話者の内省によると、この使い方にはどこか違和感が残ります。なぜ、この留学生の文が「正しい」と思えないのでしょうか。講師室での議論の結果、辞書の説明に不足している観点があることがわかりました。

 教師は、留学生のためには、辞書には説明されていないことも付け加えていきます。
 Aについて。
 「~の傾向がある」という意味で「~がち」を現代語の文脈の中で使用するとき、「望ましい現象」「期待される行動」とは異なる方向で「~する傾向がある」という場合に用いられる。「洗濯物が乾く」というのは、洗濯を干すとき期待する結果であるから、期待通りになる場合「乾きがち」と表現するのは、誤用である。
 Bについて。
 夕立の中、外を歩いたら、特別な場合以外、服が濡れる結果になることは必然の結果で、誰でも知っている。必ずそうなることが予測される現象・行為について「夕立の中を歩くと、服がぬれがち」とは言えない。

 結論:そういう事態になることが必然であると予測できない行為・現象のうち、望ましい結果にならない傾向があるばあい、「~がち」を用いる。

 ・百年前に買ったおじいさんの時計。今も動いているけれど、古いので遅れがちです。(時計は遅れないことが望ましいので、この使い方はOK)
 ・梅雨時はおなかをこわしがちですから、食べ物に注意しましょう。(梅雨時におなかをこわすことは必然ではないが、そうなる傾向が多い)

 ・吊り橋の上で異性に出会うと、恋に落ち入りがちです。(恋に落ちるのは「望ましくないこと」とは言えない。しかし、吊り橋現象で恋に落ちるのは、不安な心理がもたらす「錯覚の恋」であることが多いから、「望ましくない結果」をもたらすゆえ、この「~がち」の使い方はOK。
 私なんぞ、ナイロビの町に着いたその日、はじめて街中を歩いて迷子になり、町を案内してくれたタカ氏と結婚してしまいました。吊り橋現象そのままですね。望ましくない結果になったことは言うまでもありません。

 以下、日本語学習者のおちいり[がち]な日本語誤用をみていきましょう。 

(12)場所をあらわす助詞「に」と「で」の違いについて例文を作っているとき、学習者が「彼は、上野銀行で[勤めて]います」という文を作った。下記の誤用文のなかで、同じ種類の誤用をしているのはどれか。

A)彼は、上野で銀行員[します]。
B)彼は、銀行ATM(現金自動預け払い機)で、お金を[あげます]。
C)彼は、上野で電車に乗る[気持ちです]。
D)彼は、上野で電車を[くだります]。
E)彼は、上野で[住んで」います]。

ヒント:添削して、正しい文に直してみる。上野銀行で勤めています→上野銀行に勤めています。(助詞の誤用)
 
 他は、A:銀行員をしています B:お金を預けます(預金します/入金します)C:電車に乗るつもりです。D:電車を降ります、など、述語部分の誤用である。
 Eは「上野に住んでいる」と、助詞の誤用を直す。

 答え E

 「銀行で働いている」と「銀行に勤めている」を比較すると、前者は「働く」という動作の活動場所が銀行なので助詞は「で」。後者は「勤める」という状態の存在場所が銀行なので、助詞は「に」。助詞の間違いは、英語話者にも中国語話者にも多い。

(13)誤用の種類からみて、間違いの種類が異なる誤用文をひとつ選びなさい。
A)私は、毎日洗濯したくないです。洗濯が[好きくない]ですから。
B)東京は広いです。私の部屋の窓から、東京が[丸見え]です。
C)池で魚が[水泳して]います。
D)富士山は高い山です。私は一日じゅう、[よじ登り]ました。疲れました。
E)日本の家の玄関に入りました。私は、靴を脱いで部屋に[のぼりました]。

 Aは、若い日本語母語話者に広がっている用法。「好きではない/好きじゃない」の「好きな」を形容詞活用のように「すきくない」として用いる人が増えています。「若者言葉」に染まり[がち]な留学生には「友達とおしゃべりするときはいいけれど、試験のときはバツにするよ」と、話しています。

 B~Eは、語彙の意味用法の差を無視した間違いです。Bを添削するなら「東京がよく見える」がよいでしょう。「丸見え」は、見るべきではないもの、見たくないものが全部見えたときの言い方。「よく見える」は、見たいものが見えるとき。
 魚は「泳ぐ」のみ。「水泳する」のは、人が訓練によって泳げるようになったあとの行動。アイフォンなどの辞書機能を使うと、swimの訳語として、「水泳(する)、泳ぐ」が同じレベルで並んでいるので、意味のちがいに留意しない日本語学習者もいます。

答え A

 「のぼる」「よじのぼる」「あがる」など、似た内容でも異なる意味を表す場合の使い分けも学習者は、ひとつひとつ例文で覚えていかなければなりません。辞書に書いてある意味だけでは、「のぼる」と「あがる」の使い分けがわかりにくいのです。どちらも「上方への移動」を表します。しかし、富士山に登るとは言えても富士山に上がるとは言えず、成績があがった、とは言えても、成績がのぼった、とは言えません。

 玄関からたたきを踏んで畳の部屋に入るときは、「部屋にあがる」であって、「部屋にのぼる」ではありません。でも、「富士山にあがる」とは言わないけれど、さて、階段は?「その階段をあがってお二階へどうぞ」でしょうか「その階段をのぼって、お二階へどうぞ」でしょうか。
 東京タワー、スカイツリーへは?「エレベーターで展望台にあがる」「展望台にのぼって外を見た」
 気温が上昇するときは?「きのうより気温があがった」「立夏をすぎ、気温はどんどんのぼっていく」
 文脈により使い分けが可能な場合もありますね。

(14)複合語の要素(意義素、形態素)の統語的関係という観点から、次の語のうちの仲間はずれを選びなさい。
A)揚げ油  B)包み紙  C)落とし蓋  D)縫い針  E)すり鉢

ヒント:「~するための」を加えて言い換える。天麩羅を揚げるための油、ものを包むための紙

 Cは、「ものを落とすためのふた」ではない。「おとし蓋」とは、ふたを鍋の上におくのではなく、鍋より一回り小さい蓋を鍋の中に入れ込むことを言います。
 D、布を縫うための針、E、ものを摺るための鉢。

答え C

 料理教室の先生が「煮物の鍋に落とし蓋をしてください」と受講生に言ったら、若い女性たち、みな蓋を高くあげて鍋に落とした、という笑い話があります。若い日本語母語話者、日本語がどんどんわからなくなっていますから、日本語学習者のまちがいを笑えません。

(15) 換喩(メニトミー)という比喩は、一部分の提示により全体を表す修辞技法である。次の例文の中で、メニトミーでないものを選びなさい。
A)[赤頭巾]は狼に食われた。
B)[漱石]を読み、感銘を受けた。
C)[諭吉]がないから今日は買い物に行かない。
D)一橋大学は、[一橋]から国立に移転しても一橋大学だ。
E)原発事故は、[永田町]を揺り動かした。

 
A)「赤頭巾」の一語で、「赤頭巾をかぶっている女の子」を表すメニトミー 
 以下、B)漱石が書いた本 C)諭吉の肖像画があるお札 E)永田町にある国会議事堂にいる議員をはじめとする人々、を表しているメニトミーです。 
D)は、通常の地名、大学名を表すのみ。

答え:D

(16)翻訳をする場合、英語との対照という観点から、次の語のなかで仲間はずれになるのはどれか。
A)親指  B)人差し指  C)中指  D)薬指  E)小指

答え A
 英語翻訳では、Aはthum、 BCDはfinger

(17) 新聞記者が事実を伝える報道文。事実でないことは書けません。翻訳する場合、英語との対照という観点から、一番翻訳者が訳しにくい語はどれでしょう。

日本語文「津波に おそわれ、その母親は、こどもの手をひき、無我夢中で逃げた」

A)つなみにおそわれ  B)その母親は  C)こどもの手をひき  D)無我夢中で  E)逃げた

 「つなみ」は英語でも「tsunami」です。英語のなかに日本語から入った外来語のひとつ。
 さて、事実の報道として翻訳がむずかしいのは、「こども」です。この母親の子どもがひとりだったのか二人以上だったのか、書いてありませんが、翻訳するとき「child」か「children」のどちらかを選ばなければなりません。もし、母親が両手にひとりずつ子どもの手をにぎっていたなら、childだと事実とことなります。childrenと訳したとき、こどもがひとりだったら、事実に反します。

答え C 

 「その母親」の家族を知っているなら子どもの数がわかりますが、知らないなら、翻訳は困難になります。
 翻訳がむずかしいのは、「日本語としてむずかしい語であるかどうか」ではなく、英語(その他の外国語)との概念が異なっているかどうか、あるいは、その外国語にない概念の語をどう訳すか、です。

 「池で魚が水泳しています」という学習者の作文が出てくるのは、辞書に出ている語を安易にならべるからです。辞書を買わずにアイフォンなどに含まれる辞書機能を使う学生が増えた結果、単純な変換をする学生が多くなったような気がしています。例文を覚える努力よりアイフォン辞書を使うからです。

 5月24日に私の受け持ちクラスで学生が書いた作文。「日本に来る前に住んでいた町について、クラスメートに説明してください」という課題でした。

 「ジャカルタは大きい町です。町は、しゅうみつです」
 「しゅうみつ」の意味が即座には理解出来ませんでした。「きょうしつ教室」と書かせると「きゅしつ」と書いたりすることもある学生ですから、「しゅうみつ」は「しょみつ」「しゃっみーつ」の間違いかもしれません。いったい、何が言いたかったのでしょう。わからないので英語で説明してもらったら、「人口密度が高く、人が大勢いる、ということを言いたかったのです。
 アイフォン辞書を調べたら、「周密」という語が出てきたので、そのまま使ったのでした。

 おそらくは、過密、綿密、緻密、周密などが並んで出てきた中で選んだのでしょうが、人口密度を言うなら過密を用いた方が良かったかも。
 中級になると、「過密、綿密、緻密、周密」の意味の違いを知り、これらを使い分けることが課題になるのですが、今の段階では、初級では習わない「周密」は諦めてもらい、「町には人が大勢います」に書き換えさせました。

 翌日の「発表」クラスでは、それぞれ「わたしの町」の写真や絵はがき、インターネット資料などを駆使して、作文を読み上げ、「私の好きな町」を紹介したそうです。とても良いプレゼンテーションができたと、発表を受け持った先生から報告があり、作文指導した甲斐がありました。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本語教師検定チャレンジ文法語彙篇その2」

2012-05-26 00:00:01 | 日本語教育
2012/05/26
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>ステップバイステップ日本語教師養成講座(4)検定試験問題にチャレンジ、文法・語彙篇その2

(5) 「~な」という語のうち、品詞という観点からひとつだけ文法的性質が異なるものを選びなさい。
A)元気な人 B)親切な人 C)清潔な人 D)きれいな人 E)大きな人

ヒント:「な人」を取って、「です」を加えてみる。
 
 「元気です 親切です、きれいです 清潔です」 と、言える。しかし「大きな人」から「な人」をとって「です」を加えると「おおきです」となる。「大きな」は連体詞で、「大きい」は形容詞(イ形容詞)。「~です」に接続できるのは、イ形容詞の「大きいです」となる。「大きい」と「大きな」を日本語母語話者はなんの苦もなく使い分けていますが、学習者には区別がつかない。

 学習者が「彼女は、きれい人です」と言ったとき、教師は「きれい人はダメです。きれいな人」と直さなければなりません。「きれい」は、ナ形容詞(形容動詞)だから、名詞を修飾するときは「きれいな人」となります。「うつくしい」は「うつくしい人、です。どうしてきれい人はだめですか」と理屈を求める学習者がいたら、教師は「ことばの種類がちがいます。イ形容詞とナ形容詞は、ことばの並べ方がちがいます」と理屈で説明する。
A~Dは、ナ形容詞(形容動詞)、Eは連体詞。

答え E

(6) 下の文の述語「~です」の中で、品詞の観点からひとつだけ別の種類を選びなさい。
A)彼は、長年療養中ですが、実は不治の病気です。
B)紅葉で山全体が真っ赤です。
C)寮の先輩はみんな親切です。
D)二つの洗剤を混ぜると危険です。
E)山の朝はとても静かです。

ヒント:上と逆に、「~です」の部分を「~な○○」にしてみるとよい。

 真っ赤な山 親切な先輩 危険な洗剤 静かな朝 「 ~な○○」という表現が成立するが、「病気な人」とは言わない。「病気」は名詞なので、「病気の人」となる。この区別ができないために、「親切の先輩」「私の母は、元気の人です」という学習者の誤用もよくある。(注:「しずかの海」という月の地形の名前は、固有名詞として成立)。

答え A

(7) 「ない」の意味用法から、ひとつだけ他と語の文法的性質が異なっているものを選びなさい。
A) 彼にだけ知らせないのは、まずいだろう。
B) いくら頑丈でも、力いっぱい叩けば、こわせないってことはありません。
C) この釘では、大きな鉄の風鈴はつるせない。
D) 子どもにはそんな高額のこずかいをもたせないほうがいいよ。
E) 一人暮らしがやるせないと言いながら、結婚する気もありゃしません。

ヒント:肯定形をつくってみる。知らせない→知らせる

 壊せない→こわせる つるせない→つるせる 持たせない→持たせる しかし、やるせない→「やるせる」という語は現代語にはない。「やるせない」で一語。他は、可能形、使役形に否定の「ない」が接続した動詞。

答え E

例題8 着脱動詞との結びつき(コロケーション)の観点から、次の語のなかで仲間はずれになるのはどれか選びなさい。
A)浴衣(ゆかた)  B)肌襦袢(はだじゅばん)  C)ステテコ  D)キャミソール E)インナー

 Cだけが「~を はく」と結びつく。あとは、「~を着る」と結びつく。日本語では下半身につける衣類の動詞は「履く」。上半身を含むときは「着る」。頭につけるときは「かぶる」。英語では全部wear。

答え C

例題9 「テ節の文の意味」という観点から、次の文のうち、他と種類が異なるものを選びなさい。
A)子供が泣いて、眠れなかった。
B)お金を使いすぎて、困った。
C)別れが悲しくて、泣いた。
D)友達がおなかを抱えて、笑った。
E)時間がなくて、仕事が終わらなかった。

 ヒント:「~て」の部分を「~たから」に変えてみる。「子どもが泣いたから眠れなかった」

 眠れない理由は「子どもが泣いたから」、困った理由は「お金を使いすぎたから」、泣いた原因は「悲しかったから」、仕事が終わらなかった理由は「時間がなかったから」。しかし、笑った理由は「友達がおなかを抱えたから」ではない。友達が笑ったようすを表現しているのが「お腹を抱えて」であり、これを付帯状況の「て節」と言います。他は、原因理由の「て節」です。
 「付帯状況のテ節」を教師がきちんと区別して教えないと、「病院で大声を出して叱られた」と「広場で大声を出して歌った」の意味のちがいがわからずに、学習者が混乱することになります。

答え D

(10) 英語と日本語の自動詞他動詞は、文法的にことなる扱いをすべきときがある。また、中国語動詞には自他の区別がないので、自動詞他動詞の誤用は、非常に多い。
 「部屋に入れないように、かぎをかかってあります」などの誤用がよく見られる。これと同じ誤用をしている文がA~Eにあるが、ひとつだけ誤用の種類がことなっている文がある。どれかひとつ選びなさい。

A)暑いのでエアコンをついてあります。
B)すぐ使えるように食器を出てあります。
C)帰ったらすぐ飲みたいので、ビールを冷えてあります。
D)おふろの水は流れてあります。すぐに入れますよ。
E)友達が来るので、机の上に花が見えてあります。


A~Dは、他動詞と自動詞の誤用。ついて→つけてあります。 出て→出してあります
冷えて→冷やしてあります 流れて→流してあります。
Eは、「花が見えます」と、「花があります」を混用した誤用。

答え E

例題11  学習者の誤用文には一定のパターンがある。同じ誤用をしている文をまとめて、どのように訂正すればよいか、答えなさい。また、ひとつだけ異なる性質の誤用文がある。それはどれか選びなさい。
 私の趣味は、本を読みます。(誤) ⇒  私の趣味は、本を読むことです(正)

A)この発表の目的は、いくつかの方言を比較します。
B)養育者の役目は、子どもの成長を見守ります。
C)遭難の原因は、山の気温が急に低下しました。
D)彼の願いは、彼女と結婚します。
E)彼の活動は、多くの人が感動されました。

ヒント:例文と同じように「こと」を加えてみる。「この発表の目的は、方言を比較することです」。

 A~Dは、例文と同じように、述語動詞を辞書形(基本形・終止形)にし、「こと」を加えて名詞文にすれば適切な表現となる。Eは、「感動された」という受け身文にしたため誤文となった。「彼の活動は多くの人に感動を与えた」「彼の活動により、多くの人が感動した」等、添削するとよい。

答え E

<つづく>
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ぽかぽか春庭「検定試験問チャレンジ文法・語彙篇その1」

2012-05-25 00:00:01 | 日本語教育
2012/05/25
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>ステップバイステップ日本語教師養成講座(3)検定試験問題にチャレンジ、文法・語彙篇その1

 「仲間はずれを探せ」問題は、選択問題なので、ときどき日本語学や日本語教授法の受講者にもやってもらいます。過去問からいくつか、アレンジして出題。
 日本語教育能力検定試験、出題内容がかなり変わったといっても、2011年も最初の出題は「仲間はずれを探せ」であることに変わりなし。例題を上げてみます。(過去問から春庭がアレンジ)

(1)次の文1~4のうちで、下線部分「~ています」が、他と性質の異なるものはどれか?
<A> 今、佐藤さんは、教室で小林さんと話し[ています]。
<B> ちょっと待ってください。今、お昼ごはんを食べ[ています]ので。
<C> 山田さんは今、銀行に勤め[ています]。
<D> 提出書類はここにあります。今、この紙に書い[ています]ので、すぐ提出できます。

 アスペクト問題として基本中の基本。「~ています」という文型を教えるとき、日本語教師が知っていなければならない日本語の性質のひとつです。
 何番が仲間はずれか、およそ30秒で解答していかないと、最後の問題まで行き着かない。
 同じような問題を繰り返してアレンジしていますので、春庭サイトリピーターにはおなじみの問題です。15秒なら余裕。ぎりぎり30秒で答えられました?

 上記のクイズが30秒以内で正解できた人は、「第2言語(外国語)として日本語を見る」という訓練が出来ている人。「どれも同じようなので、区別できない」と感じた人は、母語として日本語が身についているけれど、外国語として日本語を外から見たことがない、という人です。日本語教師は、日本語を母語としない人に日本語を教えるのですから、「外国人が日本語を学んだら、どこがむずかしいのか、どのように教えたら誤解なく習得していけるのか」を知らなければなりません。

(1の正解)C
 ABDは、日本語アスペクトの「動作継続」(英語でいう現在進行形)。「飲んでいる、食べている」は、食べるという動作をずっと繰り返して続けている。「今、新宿で飲んでいる」と言えば、その時間は、「飲む」という行為を続けています。

 一方、Cは、「結果存続」、すなわち現在の「状態」を表しています。「東京に住んでいる」「結婚している」「死んでいる」などがこのタイプ。
 「結婚している」というのは、「結婚する」という行為(結婚式やら役所への届け出)が終わったあと、その結果の状態を続けている。何度も繰り返し、結婚届を役所に持って行く行為が続いていることではありません
 「Aさん、離婚なさったそうですね。今、結婚は?」と質問されたとき、「はい、結婚します」だと、結婚はこれからする予定のことになります。結婚したのが過去のことなら「結婚?ええ、私は、今結婚しています」と、「~ている」で表現します。「ええ、私は今、結婚しました」という答えがOKなのは、結婚式の終了直後か、役所への届けでをすませたばかりの人になります。
 「死んでいる」というのは、「死ぬ」という一瞬の出来事が終了したあと、その結果が存続していることを表しています。

 日本語と英語では、アスペクトが異なるので、英語圏の人が作文でよくやる誤用は、「私は4月に日本にきました。今、東京に住みます」というもの。英語では「I live in Tokyo now.」で、I am living in Tokyo now.という文は英語ではまちがいです。ですから、「住んでいます」という表現が出てこずに、「住みます」となってしまうのです。

 「住む」と、語源が同じ「あるものが、落ち着くべきところにおさまってくる」という意味の、「澄む」「済む」も同じです。
 「外国人登録はもう済みましたか」という質問への答えは、イエスなら「はい、済みました」ですが、ノーなら、「いいえ、まだ済んでいません」と、「~ていない」で答えます。「いいえ、まだ、すみません」と答えても、意味は通じると思いますけれど。「すみません」は、挨拶用語になっていますから、「いいえ、すみません」だと、登録未完了を謝罪しているようにも聞こえます。

 「昨日池の水は雨で濁っていました。、今日はどうですか」と、質問されました。池が今、きれいな状態なら、「はい、今日は済みます」「いいえ、済みません」ではなく、「ええ、今日は澄んでいます」と、「~ている」の形で答えます。「はい、今澄みました」とか、「はい、今日は澄みます」ではないですね。

 日本語母語話者は、文法など考えずに無意識にこれらのことを使い分けて表現しているのです。しかし、日本語学習者は、日本語文法を教わりながら、ひとつひとつ文型を覚えていくのです。
  日本語母語話者は、これらの使い分けがきちんと出来ますが、今まで無意識だったでしょう。日本語教師修行とは、「無意識にできてきたことを、意識化する」ということです。

 では、意志と意識に関わる問題。

(2)「意志」という観点から、他と性質の異なる動詞を選びなさい。
A)この子は、いつのまにか私の大事な時計を[壊した]んです。幼い子どもだと思って油断していたのが悪かった。
B)うっかり車の鍵を[落とす]なんて、間抜けだよね。
C)成績を[上げる]には、毎日の勉強が大切だ。
D)試験終了したら、解答用紙を[閉じる]こと。
E)答えがわからないなら、眼をつぶって5つの中からひとつを[選ぶ]といいよ。

ヒント:「さあ、~しよう」という形にできれば、意志動詞です。
 「さあ、成績を上げよう」

 ACDは、行為者の意志が必要な動作。Bは、行為者がその動作を行おうとする意志を持っていなくても起こる(無意志動詞)。「さあ、うっかり車の鍵を落とそう」という文は成立しない。

答え B

 2の応用編
(3) 意志動詞を選んでください。(事態を自分でコントロールできるかどうか)
A)悔やんでも[悔やみ]きれぬ  
B)くやしくて、涙が[流れる] 
C)哀しくて、私の頬に雨が[降る]
D)妻の気持ちがわからず、[いらだつ]
E)子を[叱る]たび、むなしさが広がる

ヒント:意志を表す形にしてみる。「みる」の意志形は「みよう」

 動作の対象となるものがあり、意志を表現できる動詞は、意志形になります。「きちんと子を叱ろう」「食べよう」「働こう」など。
 しかし、「あしたはいらだとう」「雨が降ろう」などは、推量にはなるが、意志の表明にはならない。
 「~ておく」という表現が出てきたとき、学生に短い文を作らせると、「明日パーティです。友達がくるので、ビールを冷やしておきます」「花を飾っておきます」などの正文のほか、「ビールが冷えておきます」「部屋がきれいになっておきます」なども作る。自動詞表現は無意志表現となるほか、「うっかりお金を落とす」などの、他動詞形であっても、無意志動詞の場合は、「うっかりお金を落としておく」とはならない。

答え E

 そして、自動詞他動詞は、日本語は英語とも異なるし、中国語には自動詞他動詞の形の区別がありません。学習者の誤用が多出する文法項目です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本語教育はじめの一歩」

2012-05-23 00:00:01 | 日本語教育
2012/05/23
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>ステップバイステップ日本語教師養成講座(2)はじめの一歩

2012/05/23
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>ステップバイステップ日本語教師養成講座(2)はじめの一歩

 第1回目の日本語教育能力検定試験実施から四半世紀。日本語教師は数が増え続け、現在は5万人の日本語教師が、日本国内や海外で仕事をしています。日本に留学生・就学生として滞在している学生は13万人。世界中で日本語を学んでいる人は300万人に達しています。

 私の仕事のひとつは、日本の大学院で学ぶ国費留学生(日本の文科省が奨学金を給与する留学生)への日本語教育。世界中、100ヶ国の国籍の学生に教えてきました。今年受け持っているのは、中国、ベトナム、ミャンマー、インドネシア、イラン、イラク、セネガル、イギリス、メキシコというラインナップなので、「お初にお目にかかります」という国籍の学生はいませんでした。

 もうひとつの仕事の柱は、日本語教師になりたい学生のための日本語学、日本語教授法などの講義です。今年の受講学生の中には、すでに「日本語教員養成講座440時間受講単位取得」という学生もいて、「日本語教師をめざしたい」とがんばっています。
 「日本語教員養成講座440時間」というのは、日本語教師資格取得の方法のひとつで、民間の日本語学校日本語教師養成講座などで、440時間の日本語関連科目を受講し、単位取得が認定された教師です。大学で「主専攻または副専攻で、日本語関連科目40単位取得」したというのと同じ認定です。

 しかし、日本語教師のポストはなかなか狭き門なので、確実に日本語教師としての未来を考えるなら、日本語教育能力試験に合格したほうがいいよ、と学生にはすすめています。
 第1回目から約四半世紀がすぎ、2011年度から試験の問題が一部改訂され、昨年の合格率は27%で、これまでより合格率が大きくUPしました。

 2012年は、6月25日(月)から 8月13日(月)までが出願期間。 試験日. 2012年10月28日(毎年第4日曜日)、 合否結果通知は12月下旬で、毎年おおよそ5000~6000人が受験し、合格者は1000人程度。合格率は20%前後でしたから、昨年の27%合格というのは、問題がやさしくなったのかなと思います。

 2010年の日本語教育能力検定試験に出題された問題から、少しアレンジした練習問題にチャレンジしてみてください。「仲間はずれをさがせ」という問題です。

 品詞わけは、学生にとって苦手なもののひとつですが、学習者の誤用を知り的確に指導するために、教師には必要不可欠な知識です。

例題) 「名詞的用法」という観点から、他とことなる語を選びなさい。
A)遠く  B)低く  C)多く  D)早く  E)近く

ヒント:「の」をつけた例文を考える。「遠くの駅まで歩いて行く」
 
 「低く」には、*低くの雲が浮かぶ  *背が低くの男とは結婚しない、など、「の」が膠着する名詞的用法が成立しません。
 量的な意味を含む形容詞の一部に「名詞的用法」があります。名詞的用法が成立するのは、形容詞のうち、近い、多いなど、数量表示ができる量的形容詞の一部です。「高い・低い」は、メートル単位などで、数量表示ができますが、名詞的用法はできません。できるほうが少数派なのです。

「低く」以外の四つは、「多くの人々に愛された」「お待ちしておりましたが、こんなに早くの到着とは存じませず、失礼しました」「遠くの親戚より近くの他人」などの名詞の前につける修飾表現が可能。
 学習者は、「この大学には、多い留学生がいます」などと誤用します。「背が高い留学生がいます、は正しいです。しかし、多い留学生は、どうしてだめですか」と質問してきます。そのとき、数量形容詞「く形」の名詞的用法、の知識があれば、的確に説明できます。例文をたくさん出してあげることが大切。

答え B

 次回から、文法語彙問題、発音問題、記述問題にチャレンジ!

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ニッポニアニッポン語教師日誌」

2012-05-22 00:00:01 | 日本語教育
2012/05/22
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>ステップバイステップ日本語教師養成講座(1)一歩を踏み出す

 金環日食、見えましたか。私は、ちょうど通勤の地下鉄の中で日食の時間になるので、こりゃ無理だと思っていたのですが、地下鉄からJRに乗り換える駅の出口で、大勢の人が空を見上げていたので、乗り換えを遅らせていったん下車しました。曇り空でしたが、雲をすかして大陽の形がはっきりみえました。

 私がこんなにくっきりした日食を見るのは、1980年にケニアで見て以来のことです。ケニアのサバンナの中にあるボイという町へ日食見物に出かけ、美しいコロナに縁取られた皆既日食をみることができました。
 30年前に大陽のリングを見たこと、私の今の仕事にも関わっているのです。日食を見たから日本語講師になった、というほど直接の関係ではないですが、ケニアに出かけたことが日本語言語文化研究の道につながったからです。

 私が「日本語教師」という仕事について知ったのは、1979年、ケニアのナイロビに滞在しているときのことでした。
 私は、中学校国語教師をやめたあと、演劇の勉強をしていました。民族芸能、演劇研究のフィールドとして、ほんとうはパプアニューギニアへいきたかったのですが、ケニアへ出かけました。従妹のミチコは、海外協力隊の一員。高校理科教師としてケニアの田舎のハイスクールに赴任していました。
 ケニアでいっしょにすごしたタマちゃんは、獣医の資格を持っており、「海外協力隊でもどこからの派遣でもいいから、アフリカで獣医として働きたい」と希望していました。獣医の募集はごく狭き門でした。海外協力隊に派遣されるための職業として、獣医のほか、農業指導、ものづくりの技術指導、看護師、保健師、柔道指導などさまざまな職種があり、日本語教師という項目もあったのです。

 帰国後、私は「国語教師をしていた経験があるのだから、日本語教師にもなれるんじゃないか」と軽く考え、広尾にあった協力隊の事務所へタマちゃんといっしょに出かけて行きました。しかし、日本語教師希望者のための試験問題をのぞいてみたら、「あらら、ぜんぜんわからない」という問題でした。日本語教師になるために一から学び直すのもたいへんだなあ、と思い、このときは断念。結局、ナイロビで出会ったタカ氏と結婚するという「人生の路」を選んでしまいました。この人生路がガタピシ泥んこ悪路であったことは、再三ぐちってきた通り。

 私は娘が2歳になる少し前に、自転車で15分のところにある国立大学に新設された日本語学科に入学しました。
 中学校の国語教師をやめて8年もたっており、おまけに入試には、何より苦手な数学の試験もあったので、合格するとは思っていなかったのですが、思いがけず、英語国語数学の1次試験、英語国語社会の2次試験に通りました。学科新設措置のため、センター試験終了後の臨時追加募集だったので、1次試験は15名の募集に対して600人の応募があり、足切りで200人が2次試験受験。その中から19名が合格しました。ほんとうに運がよかった。このときに運を使い果たしたとみえて、その後、宝くじはいくら買っても当たらない。

 当時、夫の仕事はどん底で、食うにこと欠く毎日。1歳の娘を保育園に預けて働くといっても、保育園は待機児童でいっぱい。仕事に就いて、就業証明書を得てからでなければ受け入れない、と役所は言う。で、仕事先に問い合わせると、子どもの預け先がないなら、応募できないと言う。
 せっぱつまって大学再入学を思いついたのです。大学に入って奨学金をもらおう、それで親子ふたりなんとか飢えずにすむだろう、、、、、。在学証明書が発行されたので、娘は保育園に入園でき、授業のない土曜日と夏休み冬休み春休みには夫の仕事を手伝いました。子育てと夫の仕事の手伝いと、日本語教師アルバイトを掛け持ちしながら、日本語学と日本語教育について学びました。一生涯で一番、体を酷使した時代です。娘をお風呂にいれても、自分の髪を洗う時間さえなかった。

 日本語教師資格のひとつ、「日本語教育能力検定試験Japanese Language Teaching Competency Test」は、第一回目試験が1988年1月に実施されました。このときは、文部省管轄でしたが、現在は、日本国際教育支援協会が実施し日本語教育学会が資格を与える民間資格試験です。私がこの試験第一回目を受けたときは、二度目の大学生活3年生の冬でした。

 1988年第1回目の日本語教育能力検定試験実施時に、「日本語教授法」を担当していた教授から、「第1回目は、どういう人が受験するのか実施側もわかっていないのだし、試験問題を作る側も試行錯誤の状態です。日本語学科の学生はみな受けてみなさい」と、お話がありました。あとで知ったことですが、教授は試験問題作成委員になっていたので、「試験はむずかしすぎた」とか「問題に偏りがあった」というような「受験者側の声」を知りたいために、受験を勧めたのでした。私たちはいわば、モルモット役?
 問題は、日本語文法問題を中心に、教授法や日本語史など、朝9時からはじまって夕方5時に終了するハードなもの。私が一発合格できたのは、文法問題の比率が高かったからだと思います。

 1988年に3月に合格通知を受け取り、4月から新大久保にあった日本語学校で教師のアルバイトをはじめました。夏休み中は夫の仕事を手伝い、9月の新学期からまた働こうと思っていたのですが、第2子出産で中断せざるを得なくなりました。夫は、医者から「最悪の場合、母も子も死んでしまうだろう」と宣告を受ける状態で、11月に息子が未熟児で誕生しました。母子で命を拾ったので、今、生きているだけでもうけもんと思って暮らしています。

 子どもが二人になったので、日本語教師として働くこともままならず、しかたなく大学院へ進学して、また奨学金で母子3人が食べていくということになりました。子育てと日本語教師アルバイトをしながら、1993年にようやく修士課程を修了しました。日本語教師養成通信講座のスクーリング講師などをこなし、1994年から大学で教えるようになりました。

 日本語教師をはじめたころは、「日本語を教えています」と言うと、親戚や友人からも「なに、それ。日本語なんて、オレだって教えられらぁ」と言われるくらい、日本語教師の認知度は低かった。
 世間が「ひとつの職業」として認識したのは、1996年に香取慎吾がベトナム人日本語学習者役、安田成美が日本語教師役を演じたテレビドラマ『ドク』あたりからでした。このドラマ、日本語学校の現実とか日本語教師の仕事の内容が、脚本家にもよく理解されていないのではないか、というシナリオでしたが、「日本語教師」という仕事が認知されるためには役だったのではないと思います。

 今でも、大学ヒエラルキーの中では、語学非常勤講師というのは最底辺の扱いで、いまも使い捨て状態であることに変わりなし。いきなり「留学生数が減ったので、来年度、先生の受け持ちはありません」と言われるような踏みつけ扱いをされながらも、せいいっぱいよい授業をしようと日夜奮闘中です。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「母の俳句、こどもたち」

2012-05-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/05/20
ぽかぽか春庭十二単日記>我が母の記(5)母の俳句「こどもたち」

 『静栄作品集』から、母の俳句。子ども達を題材にした句をピックアップ。
長女:
山の子に熟れし苺の幸ありて
子等何を思うかと柿の花を掃ず(姉が思春期に入ると、今時の子は、何考えているんだかわからないと、よくこぼしていました。) 
青蛾とび娘は宿題の肌着縫う(姉は父に似て何事にも器用で、裁縫も料理も手早く上手でした。肌着を縫うのは、夏休みの宿題か何かだったのでしょう。私はパジャマを縫う宿題で、前身頃ばかりふたつ切り抜いてしまい、布が足りなくなった思い出があります)
父と娘の何諍ふや寒の月(姉は、母とも父とも一番盛大に親子げんかをしていました)
信じ合う夫と娘よ焚火濃し(姉は父に顔立ちや性格、手先の器用さが一番似ていて、父にとっては大切な総領娘でした。長女に婿をとりたかったのでしょうが、結局、末娘のモモとその婿殿と「サザエさん方式」でいっしょに暮らしました) 
次女:
土手の少女微動だにせず夕焼くる(私は夕焼け光景が好きで、よく西側の線路土手に上って夕焼けを見つめていました)
雛納む縁遠き娘の細き面(私はまん丸い顔で、細き面じゃなかったけれど、そこは、母の脚色) 
梅雨寒や縁遠き子の薄き唇(私のことを少女のころから「縁遠き子」と決めていたみたいです。私は、「一生結婚などせずにお母さんといっしょに暮らしたい」と、ずっと言っていましたから) 
三女:
子の抱く土筆双手にあまる春 
煮てくれと子にせがまるる土筆かな 
合歓の花パッとせぬ子の参観日(妹は小学生時代虚弱児で、授業中手をあげるにも遠慮しいしいだと母が参観日のたびに言っていました。合歓の花のやさしい色合いは幼い頃のモモのイメージにぴったりです。今では太っちょの肝っ玉おっ母になってますけど) 
せがまれて女子ばかりの鯉のぼり(妹がほしがったので、父は毎年小さな鯉のぼりを物干し棹に立てて、鰯のぼりと呼んでいました)
緑眩し仰ぐ初潮の末娘 
腹痛にゆがむ娘の貌初雷す 
ほうせん花はじけて吾子の飛びのける 
霜野辺にほほ赤き子や桑手鳴る(妹は冬になるとりんごほっぺになりました)

 養蚕地方の桑畑。冬になるとひと株の桑を縄でくくりつける作業をして、ひとまとめにされていました。桑の枝を「桑手」と呼んでいたのですが、養蚕も下火になった今、桑手ということばは辞書にも見当たりません。でも、桑手平谷(くわてだいらだに)という地名や桑手神社などはありますから、「桑手」という語、かっては養蚕農家にはよく知られた語であったことでしょう。母の句になければ、私の頭の中の辞書にも、「桑手」という語はなかったことでしょう。娘の脳内辞書にはもちろんありません。
 母から受け継ぐ語彙も、母の形見と言えるでしょう。 

 私を題材にした句が少ないみたいですけれど、新聞の地方欄、俳句コーナーに入選した句を中心にして編集した作品集なので、私を題材にするときっと落選していたのだろうと思います。
 母の俳句は、地方の平凡な主婦の日常のひとこまを、拙いままにつむいだ言葉たちですから、「俳人」と呼ばれるような方達の句に及びもつきません。でも、こうして母のことばをときどきひもとき、読むことができることで、母を早くになくした欠落を埋めることができます。

 私も拙いなりに、こうして自分のことばを残して置きたいと思うのは、娘と息子が母を偲ぶときにそのよすがになればいい、という思いもあってのことですが、娘は「母のブログに何書くのも自由だけれど、私を登場させるのは絶対にしないで。母は、子どもなんかいないっていう身の上にしてネットの中で存在するといいよ」と言います。
 母の日に、娘が作ったバッグやケーキの写真に載せるのだって、「母が自分で作ったことにしなさい。私のことを出さないで」と言います。でもねぇ、娘が作ったことは事実だし。ウソは書けないでしょ、と、勝手に写真もUPしましたが、見つかったら叱られる。

 「小さいねえちゃん」のチイちゃんは、私にはやさしい母でしたが、「小さいママさん」のチイちゃんは、母をいつも叱ってばかりいる娘なのです。

 そこで春庭も母と娘を詠んで一首。
母に:
・故郷(ふるさと)の廃家の空の広く深く遠音に流るる桑摘み幻歌
・垂乳根の母が歌いし桑摘みの歌も廃れてバイパス通る
・母恋し還暦過ぎても母恋し母の背で聞く子守歌恋し
・最高の味は母の手打ちうどん、八宝菜とごろごろおはぎ
娘に:
・牧場の見学会で乳搾りしたことあった、、、、よね、母と娘で。
・娘の作るチーズケーキの甘き香は、二十歳のころの娘の香り
・母さんは幸せ者だね、姑(ばあ)ちゃんがヨメのこといつも自慢するから(と、娘が言う)
・娘の作るポトフー、ニョッキにラタトゥイユ、わけわからんけど「美味しゅうございます」

 まあ、母の味も娘の味も、とにかく私は食べられれば幸せ。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「母のエッセイ、こどもたち」

2012-05-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/05/19
ぽかぽか春庭十二単日記>我が母の記(4)母のエッセイ「こどもたち」

 私と叔父とでまとめた母の作品集。
 母は、新聞に挟まれていた広告チラシを切って、裏をノートがわりにしていました。きちんと整理されていない句もあり、いつその句を作ったのか、年代がはっきりしない句が多かった。新聞に掲載された句は、切り抜きをしてお菓子の空き箱に入れてありましたが、掲載年月日が書かれていないものもありました。

 新聞社に問い合わせをすれば掲載日がわかったでしょうが、そこまでしなくてもと、春夏秋冬、四季別に句を並べる編集にしました。句会で発表した句や、エッセイなども加えることにしました。父の会社の「家族会広報誌」や、学校の「PTA新聞」などに頼まれて書いたエッセイが残されていたからです。
 四季別に句と歌とエッセイをまとめ、「静栄作品集」として、自費出版し、句会の仲間や三回忌にあつまった親戚に配りました。

 この作品集で唯一の悔いは、母の仲良しの俳句友達だったマツノさんに「母の思い出」を書いてもらったことです。母が「マツノさんは人柄がよくて、大好きな友達だけれど、俳句も文章も、とても下手」と評していただけあって、書いてもらった「母の思い出」はこれじゃ、ちょっと、、、という体のものでした。私が徹底的にリライトしました。マツノさんに「こういう形にしてのせたいのですが」と、おうかがいをたてたところ、マツノさんは、叔父がリライトしたと思って「まあ、こんな素敵な文になおしていただいて」と大喜びでした。
 そして、母の作品集は、「マツノさんが語る思い出の文がすばらしい」という句会仲間うちの大評判となったのです。巻末の「ごあいさつ」は、父が書いたということにして、やはり私が書きました。父に「土台を作ったから、お父さんが、これに自分のことばをつけ加えてよ」と渡したら、「もう、このままでいい」と、めんどくさがって、結局「静栄さんの思い出」も「家族からのごあいさつ」も私が書いてしまったのです。なんだかなあ。あとがきは叔父が「秋泉」という俳号で書いてくれました。

 巻頭は「こどもたち」と題された短いエッセイ。三人の娘をモチーフにしています。1961(昭和36)年に書かれたものです。
 以下、母のエッセイ『こどもたち』。
 長女(姉)、次女(私)、三女(妹)の個性の見きわめと、母としての思いを表現した文章です。
~~~~~~~~~
 こどもたち
 「お父さん、この雪、坂下中降ったの」もうすぐ七才になる末っ子は、起きたばかりの父をつかまえて質問する。「うん、東京の方まで降ったんさ」
 見る限りが世界という幼児期から脱皮しなければならない小学一年生、ちょっと暗いかげりのあるこの子は妊娠中から授乳期にかけて試練にあった私の影響か、母としての責任を感ずる。
 私の子ども時代を再現させて、苦笑させる次女。理性に強く、情けにやや薄い感じである此の子には、此の子の長所をよくみて、それなりに伸ばしてやらなければならない。
 自分が子どもの頃、同じような場面にいった事と同じ事をすばずば言う子、いやでも知のつながりを考えさせられる。昔、持たざる者のひがみから「血統がいいからって」「毛並みがいいからって」と、暗に否定したものだが、こうも血のつながりを見せつけられたら、渋々でも肯定しなければならない。
 一番駄々っ子でやんちゃな長女、この駄々っ子が一番やさしい心情を持っているのは父親に似たためであろう。だが、内悪外善的な所はちょっぴり母の遺伝。わがまま一杯に育ったこの子には、自分を矯める力が足りない。長じての矯正は困難だ。幼児期の如何に大切かを見せつけられる。
 若い世代の調査で「秘密を話しやすいのは誰か」に対し「友人」が圧倒的に多いのには驚かされた。それ以来、母兼友人を心掛ける。二人でさんざんふざけた挙句「家のお母さんは本当にお茶目で困る」なんてせりふを残して自室に引き上げる。此の子は演出が多分にある母の気持ちなど御存じない。(1961年)

~~~~~~~

 三女(妹)を39才で生むとき、ちょうどわが家を新築中で、母は父に命じられるまま、大工さんへのお茶出しや荷物の運搬を手伝い、ものすごくつらい10ヶ月だったことを後年語ったことがありました。妹は中学生になるまで体が弱く、昔は自家中毒と言っていた病気(現在は、周期性嘔吐症と言う。幼い子どもに嘔吐下痢などが続き虚弱体質になるアセトン血性嘔吐症)で、痩せこけ、病院通いが続いたのを、母は、妊娠授乳の期間中に十分に養生できなかったせいだと、ずっと自分を責めていたのです。

 長女について「わがまま一杯に育った」と書いているのも、母の後悔のひとつ。母の姉アヤ伯母に溺愛された姉は、欲しいものは何でも手に入り、買ってもらえないものはない、というふうに育ちました。

 私の父に「一人前の給料を取る働きもない人に長女を預けるわけにはいかない」と言われた伯母は、姉を養女にしたくて、一念発起で勤めに出たものの、親の家で暮らし続けている気楽さで、一円も実家に入れず、給料のすべてを姉の服やらおもちゃやらにつぎ込んでいたのです。祖母が亡くなると、家を継いだ母の弟(駅おじさん)の妻と折り合いが悪くなり、アヤ伯母は私の家に一室を建て増しして暮らすようになりました。台所を別に作り、自分の食費は自分で賄うことにしたのですが、そこは姉妹ですから、母は夕食のおかずはいつもアヤ伯母に分けていました。父がいないときはアヤ伯母も当然のようにうちのキッチンでいっしょに夕食を食べ、アヤ伯母には、姉をかわいがることが人生のすべてでした。

 母は、長女(私の姉)のことをいつも「一番、口が悪いけれど、一番心がやさしい」と言っていました。母にとっては、長女を取られたような気持ちが続き、姉が「ミヨかーちゃん」と「お母さん」の二人の母の間で複雑な心理を持ったこともあり、人一倍姉との母娘関係に気をつかっていたようすが、この文からもうかがえます。
 
 私は真ん中の次女なので、長女を贔屓する父親と、病弱な三女を大事にする母の間で「とにかく本さえ与えておけば手がかからない子」と思われて育ちました。乏しい家計の中からも毎月本だけは、学年別の雑誌や「少年少女世界文学全集」の類を買ってもらい、市立図書館に行けるようになると、一日に学校図書館から借りた本と市立図書館から借りた本を数冊ずつ読破するという生活でしたから、母に「理性に強く、情けにやや薄い感じ」と評されたのもわかります。

 なにかと言うと「叔父さんはそう言うけど、○○という本にはこう書いてあった」なんて生意気な口をきいて、遊びに来ていた叔父達をやっつけては得意になるような、嫌な子でした。叔父達には「じゃあ、お前は将来ハカセにでもなるんだな」と揶揄されていました。今、叔父達に「叔父さんが言っていた通りに、博士号をとりましたよ、私」と言いたいけど、銀行おじさんはとうに亡くなったし、駅おじさんは90近くなって惚けてきたというし。

 「ほっといても大丈夫」という家族内のポジションでも、私がそうグレもせず成長したのは、「本好きのお母さんに一番似ているのは私だ」という思いがあったからでしょう。高校生になると母といっしょに図書館の読書会に出席したり、母から「本を読み文を書く人として大成して欲しい」と望まれることに、生きて行く方向を見いだしていたからです。

 母が早世した後、生きる気力がなくなって、結局は父が望んでいた「女が働くには、教師が一番無難だろう」という方向で生きてきてしまいました。母が望んだ「大成」はしなかったけれど、「本を読み文を書くことを楽しみとする」という母の生き方は継げたのかな、と思います。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ミヨかあちゃんとネンネかあちゃんとタカ氏母さん」

2012-05-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/05/18
ぽかぽか春庭十二単日記>我が母の記(3)母たち-ミヨかあちゃんとネンネかあちゃんとタカ氏母さん

 私の母、静栄は1917(大正6)年生まれ、1973(昭和47)年死去。55歳での急死でした。医者の誤診のため、具合が悪くなって1週間で死んでしまいました。死の1週間前には、いっしょに買い物をしたのに、東京から駆けつけてみると、もう臨終間際でした。
 
 大好きな大好きな母。母がいなければ生きていけない、というのは、家族みなの思いでしたから、アヤ伯母が「みんなで後を追いましょう」と言ったとき、父が「でも、長女は嫁に出したのだから、いっしょに連れて行ったら、連れ合いが泣くことになる。こちらの都合で道連れにはできない」と、冷静に判断しなかったら、葬式の前にみなで後追いをしたでしょう。私が母の死の衝撃から立ち直るには3年かかりました。

 農家出身の母は、「町の勤め人」に嫁いで、いわゆる「専業主婦」になりました。戦後のもののない時代に一家をきりもりし、毎日の家事掃除洗濯料理をこなし、子ども達の服をミシンで手作りする日常でしたが、母にとっては家の中の家事よりも、自然の中にいるほうが好きで、家庭菜園で野菜の世話をしたり、庭で飼っている鶏の世話をしているときのほうが楽しい時間だったことでしょう。

 また、母は、本を読むのが大好きで、図書館で本を借りてきては、煮物をしながら本を読み出し、煮物はすっかり忘れてしまうという人でした。台所には、底が炭になっているお鍋がいくつもありました。

 そんな母に、母の末の弟が句作をすすめ、母は新聞の投稿欄に自分の句が掲載されるのを楽しみにするようになりました。月に一度の句会に出かけるときも、家族の夕食を準備した上で、「夜出かけて留守にしたんじゃ、働いて帰ってきたお父さんに申し訳ない」と、遠慮しいしい出かける母でした。
 帰ってくると「今月もお母さんの句が”天”になった」とうれしそうに句会で出されたお菓子を子ども達に配りました。選句の中から、点数が多く集まった句を天地人、つまり一位二位三位と決め、お菓子などが賞になったのです。

 お菓子をもらいながら、「こんなおいしいお菓子、どうして自分で食べてしまわないで、全部こどもにくれるのだろう」と、子ども心に思ったのですが、自分が母になってみて、自分がおいしいものを食べるよりも、子ども達が「おいしい」と笑顔でほおばるようすを見るほうが、はるかに「母の幸せ」なのだとわかりました。 

 母は、年子で私を出産するとき体調が悪くなり、1歳半になっていた私の姉をアヤ伯母に預けました。アヤ伯母は姪っ子をかわいがることに生き甲斐を見いだし、養女にしたいと言い出しました。父は「世間にも出られない人に子育てはできない。ちゃんと勤めに出て一人前に働ける人でなければ大事な娘を預けられない」と言ったので、伯母はツテをたよりに30代半ばになってようやく勤めに出ることになりました。

 アヤ伯母は、60歳で定年退職すると、役所の共済年金を受け取れるようになり、勤務した期間より長く60歳から90歳まで年金で生活しました。母の弟たちは「人付き合いができないアヤちゃんに勤めに出ろだなんて、幸男さんもむごいこと言うと思ったけれど、アヤちゃんにとっては、幸男さんは一番の恩人だな」と思ったことでした。

 アヤ伯母は、養女にこそしませんでしたが、私の姉を我が子と思ってかわいがりましたから、姉は伯母を「ミヨかあちゃん」と呼び、親孝行をしていました。伯母は88歳以後急速に惚けてきましたから、姉が54歳で亡くなったことをよく理解出来ず、むしろ惚けて幸せだったと皆思いました。可愛い姪が先立ってしまったことで打撃をうけることなく、伯母は2年後亡くなりました。今では天国で「ミヨかあちゃん」と呼ばれていることでしょう。

 姉は幼い頃、自分の母親はアヤ伯母であると思い込み、実母のことを「ネンネかあちゃん」と呼んでいました。ネンネかあちゃんとは、「赤ちゃん(私のこと)のお母さん」という意味です。母は、「子育てに関して、一番大きな悔いは、あんまりにも体がつらいので、長女をアヤちゃんに預けたことだ」と、後悔していました。姉にとっても「母が二人いるってことが、心理的な負担になったこともある」と語っていました。

 アヤ伯母は、祖母が亡くなった後、実家を継いだ弟(駅叔父さん)のヨメと折り合いが悪くなり、わが家に一室を建て増しして同居しました。母が亡くなるまでの10年間、いっしょに暮らしましたが、母が亡くなると今度は、私の父との折り合いが悪くなり、つぎの弟(銀行おじさん)の家に同居することになりました。子どもの頃、場面緘黙症だった伯母、勤めに出ても、他人とつきあいが下手な伯母でした。役所勤めの間も、人間関係で大きなトラブルがあり、ノイローゼのようになったこともあったのですが、定年までよく持ちこたえたと思います。
 伯母は、定年退職すると、住所は叔父の家にしたまま、生活はほとんど姉の家ですごすようになりました。一生独立して暮らすことがなかったアヤ伯母ですが、姉の娘たちからは「おばあちゃん」と慕われ、子を持たずとも、母としても祖母としても幸福な時間をすごせた人でした。

 姑は、山形の鄙びた村に生まれました。町の女学校に通っている間は戦争中で何も楽しいこともなく、京都へ行くはずだった修学旅行も、「時節にかんがみて」ということで江の島鎌倉旅行に変更になった、と5月3日の「母の日家族パーティ」で語っていました。
 戦後、東京に嫁に来て、銀行員の夫を支え、娘と息子を育てる日々。家を建て、子ども達が結婚して孫が5人でき、典型的な「戦後の専業主婦」の人生を歩んできました。
 娘(夫の姉)が50歳で癌で先立つ不孝にみまわれましたが、2002年に舅が82歳で亡くなったあとも、「毎日いそがしい」という生活をおくっています。
 月曜日、病院での検診、火曜日童謡を歌う会、水曜日詩吟、木曜日お習字。土曜日に行っていた体操教室がおしまいになったので、今月から土曜日にデイケアセンターのジムで「筋力アップ」に励むそうです。

 デイケアセンターは、「要支援1」を受けての利用です。87歳まで「要介護・要支援」も受けずにきて、私が「おばあちゃん、一人暮らしなんだから、要支援の認定を受ければ、たいへんだと言っているゴミ出しなども手伝ってもらえるんですよ。私がいろいろ手伝えればいいけれど、私も働かなければ食べていけないので、こちらに来て手伝えませんから」と言っても、姑は「家事はたいへんでも自分でできるからいい」と、気丈なことを言っていたのです。
 「私が還暦過ぎても働き続けなければならないのは、あなたの息子が”趣味の会社経営”を続けて、万年赤字だから」なんて、一言も姑に言ったことはありません。(言いたいけど言えないから、ブログで愚痴を言う)

 土曜日に続けてきた体操教室のかわりにデイケアセンターのジムを利用したいからと、姑はようやく「要支援1」の認定を受けることになりました。ジムでは自転車こぎとか、いろいろな器具を使うのが、今のところ「珍しくて面白くて、どれも使ってみたいけれど、先生がちゃんとついていて、今日はこれを何分って、決められているから勝手にはできないのよ」と楽しそうです。

 母しずえ、伯母アヤ、姑ユキ子、3人の母たち、それぞれに戦中戦後の激動の時代を生き抜いた女性たちです。ゼロからの日本の復興を支えた母達の世代。
 私たちもまた、これからの社会を支えていかなければならないのでしょうが、いかんせん、もはや私はくたびれてヨレヨレです。
 先週の金曜日、膝が痛いので受診したところ「膝に水がたまっている」と診断され、がっくりきています。還暦過ぎればあちこちに不調がでて当然なのかもしれませんが、姑の鍛え方に負けているかも。

 膝が痛くて金曜日のダンスの練習を休んだので、5月12日土曜日は、娘に「今日はミサイルママと食事するから、夕ご飯いらない」と言いました。夕食食べないとき、連絡を忘れたりすると、娘に叱られます。
 ミサイルママと、和食屋で膝の具合の話やら9月の発表会の話やらしました。私は発表会担当係なので、自分は踊らないとしても、決めなくてはいけないことや文化センターに提出する書類作成など、係の仕事がたくさんあります。
 出演曲の長さを秒まではかり、全体の出場時間を決める。プログラムを作ったり、衣装を決めるのは、ミサイルママが担当してくれます。

 ミサイルママは、離婚した夫が、最近やけに優しくなったという話をしていました。周囲の人はモトサヤを期待しているらしいとも。でも、「ひとり親」で苦労したことを思えば、子育てが終わった今頃になってヨリを戻したがっているなんて、虫がよすぎるとも思う、というミサイルママのことばに、「そうだ、そうだ。ひとりで働いてひとりで子育てをしてきた私たちってエラいよねぇ。だれも誉めてくれないから、お互いに誉め合おう」と、エール交換をしました。
 「エラい母」ふたりは、格安和食屋の渋茶を飲みながら、自分たちの「偉かった母業」を褒め称え合いました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ちいちゃんとチイちゃん」

2012-05-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/05/18
ぽかぽか春庭十二単日記>我が母の記(2)ちいちゃんとチイちゃん

 5月13日の母の日、娘はお得意のチーズケーキを焼いて、姑のところへ出かけて行きました。私の母の日プレゼントの金一封と、娘が「お父さんもおばあちゃんに親孝行しなくちゃね」と、無理矢理出させたお金で扇風機を買うことになり、おばあちゃんを電気屋へ連れて行くためです。
 チーズケーキは、血糖値コントロールで市販のケーキを控えている姑のために、「パルスイート」という甘味料をつかって作るので、姑にも食べられます。おみやげの分は、ハート型にかわいらしく焼けました。

 息子は大学院の地理学フィールドワークがあり、玉川上水の見学に出かけたので、13日の姑孝行は、タカ氏と娘だけ。私も、授業準備が間に合わないから、パスして、娘の作ったバナナケーキを食べながらお留守番です。
バナナケーキとチーズケーキ  

 ケーキを食べながらつらつら思うのは、母業卒業後のこと。
 子育てが一段落ついたと思ったあと、母たる者、どう過ごすべきか。
 空の巣症候群に泣き、「人生むなしい」と嘆く人もいるし、子離れできずにヨメさんと息子を巡って 争奪戦を繰り広げる人も。気に入らぬヨメが出て行こうもんなら「やっぱり息子はわたしのもの」と、凱歌を上げる。母業卒業式に臨むのも、それなりに覚悟と準備が必要みたいです。

 私の母は、「末娘が高校を卒業したら、恵の園に行って、お手伝いをする」と言って、園長さんにも面会してボランティア参加の約束をしていました。「恵の園」は、市内にある障害者支援施設です。
 「園長さんに聞いたら、教師とか看護婦さんなんかの資格を持っていない人でもできる仕事がいっぱいあるって」と、三女(私の妹モモ)の高校卒業を前に、「子育て卒業後」の活動に希望を持っていたのです。それが、三女モモの卒業式の日がお葬式となってしまいました。55歳での急死でした。

 「恵みの園(障害者支援施設)でお手伝いをする」ということのほか、私の母が「子育て卒業後の目標」に決めていたことのひとつが、「新聞に載った俳句や短歌をじ作品集としてまとめて自費出版する」ということでした。
 母の早世で、私がすっかり生きる気力も無くなっていたとき、母に句作をすすめた叔父が「チイちゃんの作品集をまとめよう」と、言い出しました。
 「3回忌には皆に配ろう」と2年間、本の編集を続け、それでようやく私は生き続けることができたのです。「母の本を出す」という目標がなかったら、「家族みなで」は無理としても、私一人あとを追っていたでしょう。

 自分が母となってみて、ようやく私は「子育て後にしたいこといっぱいあったのに、何もできないうちに死んでしまって、かわいそうなお母さん」と思わないでいられるようになりました。
 たしかに、孫をひとりも見ることなく55歳で亡くなった母は、早すぎた死でしたが、母の55年の人生は、「何もしたいことができなかった一生」ではなく、「子を産み育てる、母としての充実した一生」を全うした生涯だったと思えるようになったからです。
 長短はあれ、母は母で、俳句を作り、歌を詠み、野菜や鶏を育て、近所の人を助け、人々から慕われる人生でした。

 ずっと郷里で暮らしている妹は、母の死後40年もたつのに、「あれ、アンタは、シズエさんの娘さんかね。シズエさんにはえらいお世話になって、、、、」と、多くの人に声をかけられてきたのだといいます。母を覚えていて、心の中で手を合わせてくれている人がたくさんいるのだと思うと、母の子として生まれたことを誇りに思えます。

 「小さいねえちゃん=チイちゃん」として、幼い頃から弟たちの世話をして、大人になってからも周囲の人の手助けを続けたチイちゃん。静栄さん。
 母の弟たちは、一番上のアヤ伯母を「アヤちゃん」と呼び、二番目の母を「小さい姉ちゃん」と呼んでいました。「小さいねえちゃん」が縮まって「ちいちゃん」になったのです。

 アヤさんは長女ですけれど、子どもの頃は、家から一歩出るとひとことも話ができない場面緘黙症でしたから、自然とシズエさんのほうが弟たちにとって「ねえさん」となり、アヤさんは「家族みなで守ってやるべき存在」となっていました。大人になって他人とも話ができるようになっても、アヤさんは90歳で死ぬまで、「守ってやるべき存在」として皆にいたわられつつ一生を全うしました。

 私の姉と妹は、母に似て、人助けが大好きな世話好きな人に育ちましたが、私はアヤ伯母のほうの遺伝、人との交流が苦手な性格を受け継ぎました。
 私の子ども達のうち、息子はアヤ伯母や私と同じ、「人間関係形成不全」な性格です。娘は、小さい頃から人の世話をよくするほう。

 保育手帖に書かれた保育園の先生の記録によると。給食を食べるときなど、先生のお手伝いを引き受けていて、先生から「チイママさん」と呼ばれているのだと記録帳に書いてありました。娘が1歳11ヶ月で1歳児クラスに入園したとき、同じクラスの早生まれの1歳児たちは、まだおむつもとれない赤ちゃん。娘は入園してすぐに満2歳になって、一人前におしゃべりできるし、早生まれのクラスメートの「お世話係」になっていたのです。満2歳ですでに「人のお世話が大好き」だった娘。

 娘は、幼い頃から「働く母」を助けて、弟の子守りを引き受けてきました。5歳半、年が離れているので、小さい頃、弟は姉に絶対服従でした。小学校4年生になると「お迎えに行く人」として保育園に認められたので、お迎えに行くのも、母が仕事から帰るまで公園で遊ばせているのも、娘が引き受けてくれました。母親がわりに息子の世話をしてきたのです。
 私が修士論文を書かなければならないとき、9歳の娘は、私にひとつひとつ手順を教わりながら、夕食作りも引き受けました。電気釜に米をしかけ、おかずと味噌汁の出来上がりまで2時間もかけて一食分つくりあげました。「小さいママさん、ちいママだね、チイちゃん!」とおだてて、ちいママさんは、料理好きに育ち、今、わが家の夕食係です。

 このごろの娘の料理、ちょっと手を掛けるときは60分、手抜きのときは20分で夕食を仕上げます。ときには、デザートのケーキも手作り。りんごがあるときはアップルパイ、チョコがあるときはチョコレートケーキ、焼き菓子がお得意です。シフォンケーキとシュークリームは苦手なので、市販品を買います。

 娘のチイちゃんは、ときどきかんしゃくを起こすチイママさんです。私が安売り大好きで買い物してくると、「冷蔵庫がいっぱいだから、いろいろ買ってきちゃダメって言ったじゃないの。安売りしているとすぐ余分なもの買うんだから、もう。買ってきたものは、自分で始末してね」と怒ります。

 「自分で買ったものは自分で始末」と言われ、挽肉を肉団子にして肉団子スープに仕立てようとしたのだけれど、見事に失敗。肉団子のつなぎに、卵&ジャガ芋すり下ろしにしたものを使いました。新聞にそういうレシピが掲載されていたので。つなぎの小麦粉を控えめにしたところ、全部煮崩れて肉団子スープじゃなくて、ただの挽肉どろどろスープになりました。自分の買い物を自分で始末するのも「ヨイジャーありゃしねぇ(容易ではない、という意味の上州弁)」

 娘を「チイちゃん」と呼ぶとき、私の母も「ちいちゃん」と母の弟や近所の人から呼ばれていたことを重ね合わせて、ふたりのチイちゃんに挟まれて、私は幸せ者だなあと思います。
 天国に行って40年たつお母さん、今も大好きよ。
 そして、我が娘チイちゃんも大好きです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「母孝行、タカ氏初めてのおつかい」

2012-05-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/05/15
ぽかぽか春庭十二単日記>我が母の記(1)母孝行、タカ氏初めてのおつかい

 5月13日は、母の日。
 母の子として生まれて60余年、母となって30年近い。毎年いろんな母の日がありました。子ども達が小さかったころ、レンゲ(シロツメ草)の花で作った花冠を頭に戴せてもらい、どの国の女王戴冠式より幸せだと思ったこともありました。中国赴任中に、担任したクラス全員から「母の日、おめでとうございます。先生は私たち全員のお母さんです」と、花束をもらって感激したこともありました。

 今年は。
 5月2日に娘は東急ハンズへ出かけ、手作りコーナーに参加しました。二ヶ所をまわって、私には帆布のトートバッグを手作りし、姑には友禅型染めハンカチの染め物に挑戦してプレゼントしてくれました。
 2日は、大雨だったので、池袋で待ち合わせするはずが、すれ違いになり、結局団地の中のファミレスで娘息子と夕食を食べ、プレゼントのバッグを受け取りました。
帆布に皮の持ち手をつけたバッグ    

 5月3日は、姑に母の日プレゼントを届けに行きました。娘からは手作りのカルトナージュ(布地貼り合わせ)の箱に入れた友禅染のハンカチ。私からはいつもの金一封熨斗袋。息子からは「おばあちゃんができずにいて困っている雑用を引き受けるお手伝い」です。息子は、電球を取り替えたり、棚の上の物を入れ替えたり、お風呂場の温風の具合が悪いというのでチェックしたり。

 母の日に一番親孝行すべき夫、タカ氏は、というと。
 夫の親孝行は、「母の日、ボクちゃんの初めてのおつかい」でした。
 姑の希望で夕食はスキヤキになったのですが、2日には大雨で姑は買い物に出られませんでした。そこで夫が「スキヤキの材料を一人で全部買っていく」という親孝行をすることになりました。ところが。

 夫は、コンビニでおむすび買ったりスーパーでカップラーメン買ったりはできますが、「一食分の食材をレシピの材料表にあるとおりに全部買って行く」ということを、生まれて一度もしたことがなかった人なのです。
 まず、娘に「すき焼きって、何をどれくらい買うのか」と、電話をしてきました。娘は、材料とおおよそのグラム数などを教えて、「チチ、ちゃんと買えるかなあ。すき焼き用牛肉って言っても、いろいろあるから、ちゃんと銘柄を指定してやったほうがよかったかなあ。黒毛和牛とか知らないだろうし」と心配しています。夫は食べるだけの人。「おいしい、とてもおいしい、ものすごくおいしい」という基準しかないアンチグルメです。

 夫は、「すき焼きのたれ」を買い忘れたほかは、一応材料は揃えて買ってきました。
 姑は「上手に買えたねえ」と誉めています。おやおや、「誉めて育てる」のが、50年遅かったわね。男の子を「生活者」として育てるのは20歳までのしつけ、というから、夫が料理に関して何の知恵もないのは私の責任じゃないし、結婚後は家に寄りつかないから、妻からはしつけができなかったんです。
 娘は、おばあちゃんが「上手に買い物できた」と誉めているので、くすくす笑っています。

 すき焼きを私と娘で作り始め、食べて見ると、、、、娘「う~ん、まずくはないけれど、これだとうちで食べてる普段の生協の肉とあんまりかわらない。こういうイベントのときは、松坂牛霜降りとか、米沢牛A5ランクとか、ちょっとはいい肉を買うのがいいんじゃない?お正月に食べたのは米沢牛だったよね」と言います。夫は、「安くて大量の肉」が上手な買い物と思って、アメリカ牛肉を買ったのでした。

 まあ、「初めてのおつかい」としては上出来ということにしておきましょう。買い物の知恵はだんだんとついてくるから、、、、って、還暦すぎの「はじめてのお使い」、これからどう育つのやらわかりませんが、姑87歳への息子60歳の親孝行。姑には格別の味のスキヤキだったことでしょう。
 私からの金一封では、新しいリビング用扇風機がほしい、ということなので、娘と息子は、別の日に、電気屋へ同行することになりました。

 「家庭的な夫」には恵まれなかった人生だけれど、母の日に、プレゼントをくれる子がいて、プレゼントをあげる姑がいる、幸せな母の日です。

母の日用ゼリー(生協既製品)

<つづく>
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ぽかぽか春庭「熟字訓クイズ」

2012-05-13 00:00:01 | 日本語教育
2012/05/13
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>にほんごクイズに挑戦(5)熟字訓クイズ

 熟字訓(中国語の漢字を日本語に当てはめて読む熟語と、日本で当て字読みが考え出されたものの二種類があります)

 たとえば、七夕は、中国語でも七夕(qixi)です。日本の「棚機津女祭り(たなばたつめ祭)」が中国の行事「七夕」と習合したため、たなばた(棚機)を七夕と書くようになったのです。もともとの日本のタナバタは、巫女が川辺に棚をしつらえ、神光臨の準備のために機織りをし、禊ぎを行う「汚れ払い」の行事で、これを行う巫女を棚機津女(たなばたつめ)と呼びました。汚れ払いは、新年を迎えるにも、3月3日の祓えにも行われてきました。古来は土俗行事や古神道の先祖霊迎えの祓えであった夏の祓え行事と七夕が習合し、中国の織り姫星牽牛星の伝説なども混ざって、現在の七夕になったのです。

 花がお日様を追って回るというひまわりsunflower。南アメリカ原産のひまわりがヨーロッパ経由で中国から伝えられたときには向日葵(シャンリークイ)という漢字もともに伝えられました。日本での栽培は江戸時代に盛んになりますが、その頃には、お日様に顔を向けて回る「ひまわり」という呼び名が定着し、漢字の向日葵も「ひまわり」と読むようになりました。
 以上は、中国語由来の熟字訓。日本で独自に読み方が考えられた当て字もあります。

 二十歳は、熟字訓「はたち」
 日本語古来の和語での数の数え方、ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ~とお、はた、みそ、よそと、読む場合の、二十日は、はつか、二十歳は、はたち。この「はたち」の漢字表記として、二十歳をあてています。
 十六夜「いざよい」。満月の次の夜、いざって軒端まで出て、見る月の夜なので、いざよい十六夜。
 春先の野辺に生えるつくし。形が筆そっくりなので、土の上の筆「土筆」。
 大和(やまと)は、もともとは水門(みなと=港)に対する山門(やまと)であったでしょう。中国では日本人を「チビ」という意味で「倭人」と呼んでいたので、「やまと」という名乗りを聞いて、「やまと国」の表記を「倭国わこく=チビの国」としました。しかし、それじゃあんまりです。地域名、国名として漢字を採用するときに、「大和」という壮大な字をあてました。これも熟字訓のひとつです。
 
 万葉仮名では「久羅下」と表記されたクラゲ、いろいろな当て字熟字訓があります。「水母」という表記、初出は、元和板下学集(1617年)に見えるということですが、海に漂う透明なクラゲが、海の水を生みだしているかのような趣のある当て字です。「海月」という熟字訓もあります。「海星ひとで」と並べるとおもしろいですね。

 さて、では、以下熟字訓クイズ。これは漢字圏留学生にもおもしろがってもらえるクイズです。レベル1~5は、教育漢字常用漢字の範囲内の漢字ですが、漢字圏の留学生にもなじみのない単語をこの熟字訓で覚えてもらう、というメリットがあります。

 以下の熟字訓は、日本人シニアにとっては常用漢字内で、なんということもない常識範囲内の漢字です。レベル7以上は、留学生には教えない「覚えなくても一生不自由はない熟字訓」です。頭の体操としてチャレンジしてください。(今回は自主採点してみましょう。一問1点。ただし、レベル10は、全部できて10点)

(100点満点)
レベル1
1一昨年 2二十日 3五月 4上手にできた 5梅雨 6紅葉 7雪崩 8百合 9銀杏 10果物

レベル2
1部屋 2団扇 3浴衣 4海苔 5山車 6五月雨 7太刀 8土産 9田舎 10為替
 
レベル3
1真面目 2八百屋 3玩具 4松明 5蚊帳 6祝詞 7神楽 8台詞 9十八番 10老舗

レベル4
1不味い 2相撲 3草履 4仲人 5日和 6足袋 7流鏑馬 8時雨 9景色 10雑魚

レベル5
1八百長 2竹刀 3行方 4寄席 5若人 6小豆 7海女 8乳母 9お神酒 10風邪

レベル6
1陽炎 2独楽 3欠伸  4時化 5黄昏 6許嫁 7黒子 8野点 9宿生木 10提灯

レベル7 
1蝶番 2東風 3木乃伊 4掏摸 5東雲 6生憎 7熨斗 8旅籠 9嗚咽 10美人局

 レベル8と9は、同訓の熟字訓がふたつ以上並んでいます。左側を知らなくても右側はかなり知られているので、どちらかを知っていれば同じ読みだから、もうひとつも読める。)

レベル8 
1松魚 堅魚 2 鹿驚 案山子 3羅漢柏 翌檜 4映日果 無花果 5水獺 川獺 6梔子 山梔子 7呉桃 胡桃 8石榴 柘榴 9拳螺 栄螺 10霸王樹 仙人掌

レベル9 同訓の熟字訓
1瓊脂 心太 2告天子 雲雀 3酸漿 鬼灯 4老海鼠 海鞘 5角鴟 木菟 6壁虎 守宮 7猟虎 海獺 8石竜子 蜥蜴 9紅娘 瓢虫 天道虫 10槓杆 梃子

レベル10  以下の熟字訓をすべて読んでください。(全部読めて10点)
1時鳥 2蜀魂 3沓手鳥 4霍公鳥 5子規 6田鵑 7杜鵑 8杜宇 9不如帰


解答はレベル6以上のみ。レベル5まででわからなかった字は、ご自分で検索答え合わせ願います。

レベル6 
1かげろう 2こま 3あくび 4しけ 5たそがれ 6いいなづけ 7ほくろ 8のだて 9やどりぎ 10ちょうちん

レベル7
1ちょうつがい 2こち 3みいら 4すり 5しののめ 6あいにく 7のし 8はたご 9おえつ 10つつもたせ

レベル8
1かつお 2かかし 3あすなろ 4いちじく 5かわうそ 6くちなし 7くるみ 8ざくろ 9さざえ 10さぼてん

レベル9
1ところてん 2ひばり 3 ほおずき 4ほや 5みみずく 6やもり 7らっこ 8とかげ 9てんとうむし 10てこ

レベル10
1~9(すべて)ほととぎす

 熟字訓、ふたつ並んでいるのも、当て字にはさまざまな経緯があることの表れです。
 無花果を「いちじく」と読むのは、中国語の「無花果」がそのまま使われているのだと思われます。花が実の中に隠されていて、木を見ても花が無いように見える果物、という見た目からの命名。
 もともとはメソポタミア地域の原産。ペルシャを経由して中国にこの果物がもたらされたとき、中世ペルシア語「アンジール」(anjīr)を当時の中国語の発音でanを「映」という文字で表記し、ジーを「日」で表記した(音写)のが「映日」。これに果物の意味の「果」を付け加えて「映日果」。アンジールカ、アンジーカ、エンジーカ、インジークと口の中で唱えると、イチジークになまっていく感じがわかります。イチジクの日本語発音は、イチジュク(一熟)が正しいとの説もありますが、イチジクがアラビア半島から日本までシルクロードを通ってきた旅を思うと、イチジュクではなく、イチジークだったのではないかと思います。

 日本に伝来したのは江戸時代初期。長崎に伝来当時は、葉や樹液を漢方薬として用いるのが目的でしたが、果実がおいしいので、瞬く間に全国に普及しました。初期には「異国の果物」という意味で、「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐柿(とうがき)」などと呼ばれましたが中国語の無花果がイチジクの代表的な熟字訓となりました。
 現代中国で映日果、無花果どちらの表記が優勢なのか、中国人留学生にアンケートしてみたいところです。

 このように、当て字、熟字訓ひとつをとってみても、ことばやものの大きな広がりが感じられます。
 こどものころ、わが家の庭にも一本のイチジクがあって、大きくて甘い実がなると好きなときに食べられるおやつとなりました。当時はたくさんありすぎて、あまり有り難いおやつとは思いませんでしたが、一本のイチジクにも、調べてみれば深く広いことばの世界が広がっていたのだと思います。
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「訓読みクイズ」

2012-05-12 00:00:01 | 日本語教育
2012/05/12
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>にほんごクイズに挑戦(4)漢検1級訓読みクイズ

 アンチエイジング脳力アップのための日本語クイズ。脳トレーニングに役立っていますか。今回は、日本語教授法受講の日本人大学生には、歯が立たない上級問題です。

 今回は、教育漢字のレベルから漢検1級レベルの漢字まで、訓読みに挑戦してください。音読みの熟語なら、なんとなく前後の文脈から推測ができる漢字も、訓読みとなると日頃使わないので、なかなか読めないものです。
 教育漢字の訓読みレベル1から、漢検1級問題レベル4に挑戦。

 「漢字は得意」とおっしゃる人にとっても、1級レベル漢字の訓読みは、なかなか手強い。ぜひ、挑戦してみて下さい。大学生、1級漢字訓読みは、ほとんど読めません。常用漢字ではないので高校までに習っていないからです。
 もし、ひとつでも1級レベルが読めたら、「亀の甲より年の功」と、お孫さんに自慢できます。

・レベル1 教育漢字の訓読み。小学校6年生までに学習した漢字だけれど、訓読みは習っていないものもあります。以下の漢字、音読みですから、全部読めるでしょう。
1専門 2革命 3銅像 4昭和 5論争 6与件 7勉強 8慰(い)労会 9委任状 10号令
 でも、訓読みだとどうでしょう。全部読めますか。

1専ら 2革める 3銅のお鍋 4昭か 5論う 6着手金を与えられ、事件を与る 7強ち 8労る 9委ねる 10号ぶ

レベル1答え
1専(もっぱ)ら 2革(あらた)める 3銅(あかがね) 4昭(あきら)か 5論(あげつら)う 6与(あずか)る 7強(あなが)ち 8労(いたわ)る 9委(ゆだね)る 10 号(さけ)ぶ

・レベル2 常用漢字(中学高校で習い、日常社会で用いる。新聞雑誌はこのレベル)音読みでは皆が知っている漢字。音読みは読めるはず。 
1余剰 2荘厳 3徒労 4邪悪 5肯定 6状況 7転々 8統帥権干犯 9徐々に 10 象形文字
答え
1ヨジョウ 2ソウゴン 3トロウ 4ジャアク 5コウテイ 6ジョウキョウ 7テンテン 8トウスイケンカンパン 9ジョジョに 10ショウケイモジ

 ところが、訓読みだと、やはりなじみがないものもある。
1剰え 2厳めしい 3徒に 4邪な 5肯て 6何をか況んや 7転た 8統帥権を干す(「ほす」ではありません) 9徐に 10象る

レベル2答え
1剰(あまつさ)え 2厳(いか)めしい 3徒(いたずら)に 4邪(よこしま)な 5肯(あえ)て 6況(いわ)んや 7転(うた)た 8干(おか)す 9徐(おもむろ)に 10象(かたど)る

・訓読みクイズ・レベル3 
 レベル3は常用漢字のほか、常用漢字外の字もあります。音読みの熟語では知っているけれど、訓読みは「どこかで一度は目にしたかも」というレベルです。音読みでは、以下の熟語、語彙に使われています。
音読み
1晨星 2轢死 3頑固者 4軽蔑する 5需要 6閾値 7頻出 8謙遜 9王位簒奪 10都鄙問答
答え
1(シンセイあかつきの星) 2レキシ(車などにひかれて死ぬこと)3ガンコ 4ケイベツ 5ジュヨウ 6(イキチ=その値を境にして、動作や意味などが変わる値)7ヒンシュツ 8ケンソン 9オウイサンダツ 10トヒモンドウ(江戸時代中期に成立した心学運動の最も重要な書物の題名)
 さて、音読みでも難しい熟語になってきました。では、訓読み。
訓読み
1晨に立つ 2轢る 3頑なに 4蔑する 5需める 6閾をこえる 7頻りに 8謙る 9簒う  10鄙しむ

レベル3答え
1晨(あした)に立つ 2轢(きし)る 3頑(かたく)なに 4蔑(なみ)する 5需める(もと)める 6閾(しきい)をこえる 7頻(しきり)りに 8謙(へりくだ)る 9簒(うば)う 10鄙(いや)しむ

・訓読みクイズ・レベル4 
 レベル4は「こんな漢字あったかしら」というレベル。読めなくても、一生困ることはありません。

1畢竟 2撥音 3傅育者 4諧謔 5鬣 6蛬 7顰蹙 8仏龕 9軛殺 10錣
音読みの答え、その他のヒント
1畢竟(ヒッキョウ)2撥音(ハツオン平仮名でいうと「ん」のこと)3傅育者(フイクシャ) 4諧謔(カイギャク) 5音読みは(リョウ)ライオンのこれが有名 6蟋蟀とも書きます 7顰蹙(ヒンシュク)8仏龕(ブツガン仏像をしまっておく入れ物)9軛殺(ヤクサツ首をつって殺すこと。扼殺は手で首を絞め殺す。日本の死刑は軛殺)訓読みは頸木とも書きます 10音読みは「テツ」現役力士時代の寺尾、親方名、○○○山 

訓読み
1竟に 2撥げる 3傅き育てる 4諧う 5鬛をなびかせる 6寒夜の蛬 7非礼、蹙まりなし 8龕に仏をおさめる 9軛を放つ 10錣山

レベル4答え
1竟(つい)に 2撥(かか)げる 3傅(かしず)き育てる 4諧(かな)う 5鬣(たてがみ) 6蛬(きりぎりす) 7蹙(きわ)まりなし 8龕(ずし) 9軛(くびき)10錣山(しころやま)

 いかがでしたか。訓読み、意外とむずかしいでしょう。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「カタカナ語クイズ」

2012-05-11 00:00:01 | 日本語教育
2012/05/11
ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>にほんごクイズに挑戦(3)カタカナ語クイズ

 外国人学生にとって、「とてもわかりづらい」という単語があります。カタカナ語です。カタカナ語には、多数を占めるのは、日本的発音と意味になっている英語です。また、オランダ、ポルトガル、ドイツなど世界各地からの借用語のほか、英語をもとに作られた和製英語があります。

 カタカナ語は、もとの英語の意味からかけ離れているものも多いので、双方に誤解がないよう、要注意。たとえば、「マンション」は、日本語では「大規模集合住宅(アパートよりは高級)」という意味だけれど、英語のもとの意味は、部屋数が数十もあるような大邸宅、お屋敷を言います。マンションに住んでいるという日本人学生のことばに「さすがは日本、不景気といっても学生すらお屋敷に住んでいるのか」という誤解も招く。日本語のカタカナ語では、「モーニングサービス」は、喫茶店やレストランでの「わりあいにお得感のある朝食セット提供」を意味します。英語圏での「モーニングサービス」とは、「教会での朝のお祈り」を意味します。

 また、新しい外来語は、日本人学生ですら意味を把握していないことも多い。
 そこで、外来語クイズは、外国人日本人双方に難しい語を選びました。1番の問題は、省略されている外来語のもとの英語を書く問題。もとの英語とは意味が変化して使用されているカタカナ語が多い。「メタボの人」なども、本来の意味とはかなり異なっている。

 2番は、英語ではない。日本で作られたカタカナ語です。この語を英語圏で使っても、意味がすんなりとは理解して貰えないかも。

 3番以下は、意味を答える。3番までは日本人学生が日常で使う語だけれど、4、5、6は、最近のカタカナ語なので、知らない日本人もいます。7は英語由来フランス語由来の動詞。8は、日本語の翻訳語は日常生活で使われたことがない。9、10は、旧来の外来語で、日本学生は、外来語とは思っていない。

1アパート(         )デパート(            )
 コンビニ(         )パソコン(            )
 リモコン(         )エアコン(            )
 コスプレ(         )エンタメ(            )
 リストラ(         )インフラ(            )
 メタボ (         )プレゼン(            )
 デリ  (         )コラボ (            )
 (      )バイト    コンパ (            )
2 デイケアセンター スキンシップ ロスタイム ナイター
3 デポジット  リバウンド    サプリメント
4 グローバリゼーション  アパルトヘイト(南アフリカ共和国のアフリカーンス語由来)
5 ポテンシャル プライオリティ  ハザードマップ     
6 インフォームドコンセント  コンプライアンス     
7 ハモる  タブる  トラブる  サボる
8 ミシン ラジオ  テレビ ガスレンジ  (風呂場の)シャワー 
9 ガラス(硝子) バケツ(馬穴)  ゴム(護謨)  
10 麺麭(パン) 天麩羅 煙草 歌留多 金平糖 合羽


今回、解答篇はなしです。ネットで簡単にことばが検索できる時代。わからない言葉は、すぐに検索しましょう。辞書サイトもありますが、簡単なのは、わからない語のうしろに「とは」をくっつけてgoogleなどで検索する方法。

 10番は、すべて室町後期に日本にやってきたポルトガル語由来の外来語。漢字の当て字があるということは、江戸時代には日本語として認知された語、ということです。
 江戸時代にやってきた外来語の中でも、テレスコ、ステレンキョウは日常生活には定着せず、望遠鏡という翻訳漢語で定着しました。さて、ここに上げたカタカナ語のうち、20年後30年後に生き残っているのはどれとどれでしょうか。

 8番だけ、日本語(漢字熟語)の翻訳語をつけておきましょう。
 自動針縫製機 放送音声電波受信機 放送映像電波受信機 熱源用天然気体燃料調理器 潅水浴
  
 ゴールデンウイーク(これもカタカナ語・和製英語)も終わり、夏休みまで突っ走らなければなりません。せめて老化防止の脳トレに励みましょう。(脳トレは、脳トレーニングの省略混成語ですね。)
 皆様、お時間あったら、日本語クイズで脳のアンチエイジング!あれ、アンチエイジングは英語外来語かな、和製カタカナ語かな。Anti-Aging Medicine なら英語ですが。

<つづく>
コメント (5)
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