2013/07/25
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(3)ライフオブパイ
アン・リー監督『ライフオブパイ トラと漂流した227日』は、アカデミー賞の監督賞、視覚効果賞など4冠を達成(2012年度最多)しました。日本では2013年1月に3Dロードショウ公開され、2月末にはアカデミー賞受賞でより一層話題になりました。
私はいつもの飯田橋ギンレイホールで半年おくれの上映を、2Dで見ました。2Dでも十分に迫力ある画面でした。さすが撮影賞、視覚効果賞です。
『トラと漂流した227日』というタイトルとテレビなどで予告編を見ただけのときは、ディズニーの動物映画のように、動物との仲良し物語かと予想していまし。ペットとして買っていた虎と少年が助け合って漂流するのかと。でも、少年の意識の中では「少年と虎」が漂流するのですが、「少年と神さま」の漂流でもあり、「少年と少年自身の精神」の漂流でもあります。
この物語も、16歳の少年成長が語られます。「北京の自転車」の、都会に出稼ぎにきた地方の少年の辛苦も、「少年と自転車」の、家族の愛情を与えられない運命のもとに暮らしている少年のつらさも、当事者にしてみれば、なんと過酷な運命かと思うでしょうが、この映画の少年パイが経験する運命は、極限の過酷さが227日間つづくもので、このように語られる語り口こそが映画の肝だと感じます。
アン・リーは、成長して中年になったパイがこの物語を語る、というシーンから映画を始めます。パイが漂流ののちに自分の体験を語ることができる人間として成長したことがわかっているから、嵐の大波も、飢えの苦しみも、「最後は昇華されるのだろう」と予測してみていられます。しかし、物語はそんな単純な漂流譚ではありませんでした。
ほとんどが海のシーン。視覚効果賞がうなずけるヴィジュアル・エフェクトで、星明り月明かりの中で光るクラゲの大群や神様のように海中にあらわれる鯨など、非常に美しい光景が続きます。しかし、この美しさをめでて、パイが助かりました、めでたしめでたしと終る映画ではありませんでした。
以下、ネタバレを含みます。
少年パイはインド・ポンディシェリに生まれました。ポンディシェリはフランスが植民地支配していた地域で、そのためキリスト教の教会もあるし、イスラム教のモスクもあります。母親はベジタリアン。植物学者でヒンドゥ教の熱心な信者です。ビジネス能力のある父親は科学の力を信じ、自然の力と人間の関係を冷徹な目でとらえるべきであることを教えます。
1954年、フランスがポンディシェリの支配権をインド政府に受け渡すことが決まり、住民はインド籍に変更するか移住するかの決定をせまられます。 パイは、父親が経営する動物園でさまざまな動物たちと触れ合いながら育ちました。その中で虎には特別な関心を持ち、ある日新入りの虎に餌をやろうとして父にひどく叱られます。父親は、野生動物はペットではないことを息子に教えます。
虎のもともとの名前は別の名だったのですが、動物園に送られてきたとき何かの手違いなのか、リチャードパーカーという名札がつけられていました。それでこの虎は、リチャードパーカーと呼ばれているのです。
パイが16歳になった年、両親はカナダへの移住を決めます。当座の生活費はカナダで動物を売りさばくことによって賄えるので、子供の教育のために海外移住のほうがいいと考えたのです。一家は動物たちを日本の貨物船に乗せてインドを出発します。しかし、大嵐に襲われ、貨物船は沈没。
救命ボートにしがみついたパイは、一命を取りとめますが、ボートには奇妙な同乗者がいました。体重200キロを超すベンガルトラ、リチャード・パーカーもボートに隠れていました。生き抜くための過酷な漂流が始まります。
実はリチャードパーカーとは、エドガー・アラン・ポーの小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』に出てくる人物なのです。
ポーの小説では。難破船から逃れた男4人が救命ボートで漂流する。食糧がつきたとき、4人の男はくじ引きをする。4人がともに死ぬという運命を逃れるために、くじで選ばれた1人は他のものを生かす役割を果たす。すなわち殺されて食糧となることを承知する。そのためのくじ引き。選ばれたのはリチャード・パーカーという船員でした。
シマウマとオランウータンとハイエナとトラとパイの漂流。ボートに落ちた衝撃で足をくじいているシマウマ。シマウマを襲って食おうとするハイエナ。虎も、文字通りの虎視眈眈と「肉食動物」であることを誇示します。食うものと食われるもの、人と神との物語。
物語の最初から、神の存在が暗示されています。母親が幼いパイに読み聞かせるヒンドゥの神々の話。口の中の宇宙。
ヒンディ教には3千もの神々がいますが、パイはイスラムのアラーもキリスト教のイエスもとりこんで、独自の宗教観を育ててきました。
パイは何度も神を呼び、神の見せる光景の中に神の存在を感じます。しかし、海や太陽や夜空の光景は重層したものであり単純な漂流譚かと思った予想をくつがえすのです
海を漂う少年が、海の中や空のかなたに見たものを語り、満点の星空や海中のクラゲ、幻想的な鯨などの美しい景色に目を奪われますが、虎とともにすごした物語を終えても、パイの語りは終わりません。
227日約8か月の漂流を終えたパイは、ふたつ目の物語も語らされます。沈没した日本籍貨物船のたった一人の生還乗客の語りを、保険会社の日本人調査員は「保険会社が納得する話」にして提出しなければならないのです。だから、パイはふたつめの話も語ります。人と人が生き残るために争い、たったひとりで生き残らなければならなかった少年の物語。
それまでに画面に表れていた虎との戦いと共存の物語、満点の星海中の魚やクラゲの美しさに心奪われていた者にとっては、信じがたい過酷な物語です。
事実とは何なのか。人がある事態を経験するとは何なのか。神とは何なのか。人の心とは何なのか。
宗教について関心を持つ者がこの映画を見終わると、貨物船に乗っていた仏教徒が信じていたブッダも含めて、パイの信じていた神々、ヒンズーの神々もイエスキリストもアッラーについてその存在についてもう一度考えねばならないと感じます。パイが上陸した南海の孤島、人をとりこもうとする島は、いったい何なのか。荒れ狂う大波にはらはらし、虎の姿にだんだん共感を抱いていくストーリー展開とはまったく別の、「神と倫理と哲学」の物語が立ち現れてきます。もちろん、立ち現れない人もいます。単に「虎と少年が漂流する話」として受け止めても、CGの卓抜な効果を語るのでも、この映画は十分に楽しめます。
宗教と人についての映画は、今までに
テレビ放映があったら、もう一度、哲学や宗教学や、なにより「生きること、生き残ること」について考えるための物語として、見てみたいと思います。
<おわり>