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ぽかぽか春庭2013年7月 目次

2013-07-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013/07/31
ぽかぽか春庭>2013年7月目次

07/02 ぽかぽか春庭@アート散歩>春庭の現代ゲージツ入門(10)中ザワヒデキ展in吉祥寺美術館
07/03 春庭の現代ゲージツ入門(11)虹のずっとずっと彼方in府中美術館
07/04 春庭の現代ゲージツ入門(12)NTTアノニマスは無名してる?&アンデパンダンは独立してんのin新国立美術館
07/05 春庭の現代ゲージツ入門(13)草間彌生の芸術チンチン

07/07 ぽかぽか春庭@アート散歩>織り姫たちの千年(1)たなばたさま、おりひめさま
07/09 織り姫たちの千年(2)コプト織&ミルフルールタペストリー
07/10 織り姫たちの千年(3)織物の色-貴婦人と一角獣とガンダム
07/11 織り姫たちの千年(4)シャガールタピスリー

07/13 ぽかぽか春庭知恵の輪日記>2003年の夏(1)日常茶飯事典
07/14 2003年の夏(2)2003年のたなばた
07/16 2003年の夏(3)2003年7月の日常茶飯辞典
07/17 2003年の夏(4)磁力と重力の発見
07/18 2003年の夏(5)ポストフェミニズムの夏

07/20 ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>かき氷映画(1)サクラさんのかき氷
07/21 かき氷映画(2)アイスカチャンは恋の味

07/23 ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(1)北京の自転車
07/24 自転車と筏と少年(2)少年と自転車
07/25 自転車と筏と少年(3)ライフオブパイ

07/27 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2013サマーディナー(1)ピース外食
07/28 2013サマーディナー(2)とりどりのおしゃべり-文鳥十姉妹カラス
07/30 2013サマーディナー(3)ペルーランチ
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ぽかぽか春庭「ペルーランチ」

2013-07-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/30
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2013サマーディナー(3)ペルーランチ

 待ちに待った夏休み到来。7月26日金曜日、今期最後の授業を終えました。
 月木出講している大学の、恒例期末打ち上げ会。今回は、六本木にあるペルー料理の店「ナスカ」です。

 ペルー出身の留学生、スペイン系の先祖を持つ学生は何人か教えましたが、インディオ系の祖先を持つ学生を教えたのは、女性ひとりだけです。インディオ系の人が大学教育まで受けて、留学するのはよほどのことがないと、難しいのだろうと思います。大学推薦、大使館推薦の国費留学(日本の文部科学省から奨学金を給費される)でなければ、私費留学するほどの経済力があるインディオ系出身者が少なく、大学推薦を受けるには、成績優秀というほかに、有力なコネクションが必要とされるところが多いのが、途上国の現実です。

 ブラジル、アルゼンチンなど南米の国には、日系の移民を祖先に持つ人も多く、それらの出身者は、日本に出稼ぎにきている人も多い。親は日本語を話せず、子供が地域の学校で日本語が話せないために、いじめにあったりして不登校になった場合、それらの子供たちが通う学校の受け皿がないのが現状で、地域の小中学校での日本語教育の充実が求められています。
 このような子供を受け入れている地域の日本語教室が地域にあったら、ぜひボランティアで教える体験をしてほしいと、日本語教育志望の学生たちには話していますが、はたしてこの夏休みに、実践する学生はいるでしょうか。

 さて、ペルー料理の「ナスカ」。六本木のミッドタウンの近くにありますから、午前中ミッドタウンのサントリー美術館で「谷文晁展」を見ようと思って午前中に家をでました。しかし、いつもの方向音痴の私。六本木ダイヤビルというビル名を見て、地下鉄の六本木駅で降りたら、違いました。六本木ダイヤビルといっても、いちばん近い駅は乃木坂だったのです。麻布警察署で道をたずねて、それでも遠回りしてしまって、店を確かめてからサントリー美術館に行こうという計画だったのに、店についたら、もうミッドタウンに戻る気力がありませんでした。

 そのまま店の中でランチの約束時間まで待たせてもらいました。
 店の床にはナスカの地上絵が描かれていたりして、なかなか感じのいい店でした。

 ランチコースは、マリネサラダのセビチェから始まりました。セビチェは代表的なペルー料理で、魚介類を中心になんでもマリネすれば、それがセビチェということです。赤だし使っても白みそでも何を具材にしても味噌汁、みたいなもんでしょう。
 とり肉のハツの串焼き、ジャガイモのクリームソースがけなどが出て、ピスコサワーというペルーのカクテルと、地ビールを飲みながら、今期のあれこれの失敗の話、会話授業を録音したのに、音がとれていなかった、だとか、宿題を配布したら、ぜんぜん違う課のを配ってしまっただのの話から、身近な社会歴史問題まで、1時から4時半まで、おしゃべりが続きました。

 みんな、これで心おきなく夏休みです。
 いえ、ふだんだって、心おきなく映画みたり芝居みたりして遊んではいるのですが、やはり学期が終わって成績つけ終わらないと、夏休みになった気がしない。みな、まじめな先生たち。
 私は、ふだんの遊び癖に輪をかけて、楽しくぐうたらと夏をすごします。

<おわり>

 
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ぽかぽか春庭「とりどりのおしゃべり-文鳥十姉妹カラス」

2013-07-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/28
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2013サマーディナー(2)とりどりのおしゃべり-文鳥十姉妹カラス

 旧友K子さんと、ひさしぶりのおしゃべりタイム。7月25日、芸劇ロビーでの待ち合わせて、K子さんのマンションへ。
 前回のおしゃべりで、K子さんが文鳥をペットとして飼い始めた、世話がたいへんだけれど、とてもかわいい、という「鳥の子育て談義」を聞かせてもらったので、今回はその文鳥の「サンブ」に会うのを楽しみにしていました。サンブは、K子さん出演の『鼬』のなかで、老女役K子さんの息子「三郎」を東北なまりで呼ぶときの呼び名です。

 ところが、K子さんは「おととい、ちょっとした油断で文鳥が窓から逃げてしまった。きのうは一日捜し歩いたけれど、見つからない」と、大ショック状態。

 「前にもインコを飼ったことがあったけれど、そのときは大人になってからの鳥だったし、病気持ちでなつかない鳥だったのでかわいいとも思わぬまま、すぐに病気で死んでしまった。今回はじめて、子供の状態から育てて、日一日となついて、もうかわいくてたまらないと思って部屋で放し飼いにして、いっしょに暮らしていた。
 わが子と思って育ててきたのに、半年して大人の状態に近づいてきたら、外のようすに興味をもち、ベランダにくるスズメに関心を持って、部屋から出たがるようになった。それで、風邪薬を飲んで眠い状態のときに、窓のあけたてに気を張るのを油断したら、ちょっとしたすきに逃げてとんでいってしまった。」

 大人に近づいたとはいっても、人から餌をもらうほかに食べる手段を知らないので、外に行ったら餌もなく、カラスに食べられるかもしれないし、もう心配でしんぱいで、と嘆くK子さん。
 思春期を迎えた息子が、外の世界を知りたくて家出してしまったときの人の母と変わりなく、ひたすらかわいい我が子の心配をしています。

 大丈夫、ひょっこり戻ってくるかもしれないし、万が一帰り道がわからなくなっても、きっと親切な新しい飼い主の家に飛び込んでいるから、と、我が家の最初のペットの話をしました。

 娘が保育園児、ペットがほしくてたまらないでいたころ。9階ベランダから窓の中に、文鳥が飛び込んできました。おふろばに入れて、何を食べるのか調べたり、団地のエレベーター前などに「まいごのことりあずかっています」という張り紙を出してしばらく連絡をまっていましたが、だれからも連絡がなかったので、我が家で飼うことにしました。ピーちゃんと名づけ、鳥かごを買ってくるやらおおさわぎ。
 実をいうと、このころ、我が家には鳥かごを買うお金さえなかったのですが、ホームセンターに行ったら、半額の「わけありセール」をやっていて、籠の一部の針金が曲がってしまったために半額になっている鳥かごを、「わあ、ちょうどよかった」と買った、なんてことを思い出しました。

 我が家のルールでは鳥かごから出して放し飼いにしてよいのは、お風呂場限定。お風呂場なら、フンをしても紙でふき取ったあと水をながせばよいので、始末が簡単だからです。掃除を徹底的に手抜きする家なので、部屋では放し飼いにはできませんでした。

 3年ほど飼って、私が単身で中国に赴任するとき、私の妹夫婦に娘息子といっしょに文鳥も預けました。妹が娘息子をつれて中国に来るときに、妹の亭主が世話を引き受けてくれたのですが、妹が帰国する前に、「逃げられた」という連絡が入りました。娘と息子には知らせずにいました。
 日本に帰ってから「ピーちゃんを引き取りにいく」となって初めて、「実は、、、、」と打ちあけました。娘は、「中国にいっしょに連れてこられないって言われて置いてきたのに、私がいっしょに残ればよかった」と、泣きました。
 K子さんの今のなげきも、いかばかりかと思います。人は、「たかがペット」と思うでしょうけれど、いっしょに暮らしたものにとっては、いとしい家族です。

 K子さんには、サンブも帰り道がわからなくなっても、きっと新しい家でかわいがられているから、となぐさめました。
 K子さんは、半年待って、帰ってこなかったらまた来年の冬に新しい文鳥を飼いたいといいます。小鳥と暮らす生活は、とても充実した「リア充」だったのだろうと思います。
 K子さん手作りのピーマン肉詰めトマト煮をいただき、小鳥帰還を願って辞しました。

 ジュンク堂書店によったら、トークイベントのお知らせが入り口にありました。「カラス先生とジュウシマツ先生の、鳥扱い説明書」というタイトルが面白そうなので、申し込みをしました。ジュンク堂のトークイベントは、毎回、ワンドリンク付き千円です。

 ジュウシマツ先生こと岡ノ谷一夫先生は、『「つながり」の進化生物学』(朝日出版社)、カラス先生こと松原始先生は、『カラスの教科書』(雷鳥社)を出版なさり、長年、鳥の行動生態学を研究しておいでです。

 松原先生は、院生時代に岡ノ谷先生の授業を受けたことがあるそうで、おふたりとも、それぞれの研究対象にぞっこんほれ込んでいるというのがよくわかりました。カラスも20年観察を続けてくれば、かわいくてたまらないそうです。
 岡ノ谷先生は、ジュウシマツのほか、動物行動学者としてハダカデバネズミの社会行動の研究もなさっています。

 ジュウシマツのさえずりについての研究は、脳組織の実験や「里子実験」などの成果が『さえずり言語起源論 ― 新版小鳥の歌からヒトの言葉へ』岩波書店2010にまとめられているということで、その成果の一端を聞くことができました。

 ジュウシマツは、日本に輸入されてからちょうど250年たちます。
中国で、野生のコシジロキンパラ (Lonchura striata) を家禽化した鳥で、野生には存在しません。さまざまなさえずりをしてメスを呼ぶ求愛活動を行うことが知られており、岡ノ谷先生は、このさえずりの研究から、人間の言語活動の起源にいたるまで、幅広い研究を続けています。

 カラスは、人間の住むところどこにでも見られる「都会化」した鳥で、つがいになるとほぼ一生添い遂げるそうです。しかし、お互いの絆が強い分、排他的で、自分たちさえシアワセなら、ほかのヤツラは邪魔者、というなわばり主義者とか。

 ジュウシマツの脳の構造からカラスの保食行動(マヨネーズを入れ物ごと東大構内のエアコン室外機の下に隠したのを観察したことがあるとか)まで、ゆかいなエピソードをたくさんうかがいました。

 ジュウシマツはさえずりの歌のうまいへたによってメスをひきつけるそうで、ジュウシマツ先生のお弟子さんのひとりは、さまざまな種類のさえずりをテープでメスに聞かせて、何本のワラを巣に運び込むのかという実験の観察を命じられました。うまい歌に反応して、子育てをしようという気持ちになり、巣作りを始め、ワラを自分の巣に運び込むので、どの歌が好まれたか観察できるのだそうです。お弟子さんは、10万本のワラを一本一本数えて立派な論文にしたそうです。

 お客さんの中には、この本を読んで興味を持ったファンや、大学で先生の教えを受けている学生、高校生への出前授業で岡ノ谷先生の講義を聞いた高校生まで、幅広い層が集まっていました。
 私のように、ほんの通りすがりで、「今日はトリに縁があるから聞いてみようか」という程度の気まぐれで聞くことにしたミーハー視聴者まで、わかりやすくおもいしろいお話を聞けて、カラスのつがいが「リア充」で生きているみたいに、リア充の一日をすごすことができました。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「ピース夕食」

2013-07-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/27
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2013サマーディナー(1)ピース外食

 モーニング娘。が「ザ・ピース」で♪選挙の日ってウチじゃなぜか 投票行って外食するんだ、と歌って以来、すなわち21世紀がはじまって以来、我が家は一家で選挙に行ってその足で外食することにしています。

 子供たちが幼いころは、親がいくところどこでもついてきたから、外食なんぞで釣らなくても、投票所まで行って、投票所の入り口で一票入れる親の姿を見てきました。
 しかし、21世紀が始まった時に息子が中学生になると、さすがに親といっしょに投票所について行くなんてことは、さらさらしたがりません。そこに、ちょうどザピースがはやったので、「投票にいっしょに来たら、帰りは外食」ということにしました。団地の中のファミレスでさえ、我が家ではめったに行くことのない「ハレのごはん」だったから、18歳の娘も13歳の息子もうまい具合に外食につられました。

 娘が20歳になって投票するようになると、姉の命令には絶対服従で育ってきた弟君は、自分が投票権を得るまで5年間、投票につきあいましたし、家族全員が投票できるようになっても「我が家の伝統行事」化した「ピースの外食」を続けています。

 今年、都議選挙は、ものすごく久しぶりに夫もいっしょに投票所へ行き、夫もいっしょに「ピース外食」をしました。夫はいつも「仕事が忙しいから」と、期日前投票をしてきたから、4人そろって投票所へ向かうなんてことは、息子が選挙権を得て以来はじめてのことでした。団地内のファミレス「ジョナサン」でランチ。夫、娘、息子の3人組か、私、娘、息子という3人組の外食はあっても、4人での外食は2009年に私が中国から帰国したとき以来、4年ぶりのことでした。

 7月の参議院選挙では、夫はまた「期日前投票」になったので、21日日曜日はいつもの3人で投票し、和食屋へ。今回は、22日丑の日を前に、うなぎをおごることになりました。日曜日の夕食どき、15分待ってお座敷に通されました。

 「お座敷のほうに座るのって、保育園の卒園パーティでママ友が集まって以来だ」と思いました。貧乏のどん底にいた我が家、ママ友たちの卒園パーティの会食費が払えないと困るから、卒園式が終わるまで参加不参加を幹事に言えませんでした。食事を終えてさて、会費徴収となった時に「うちはお金がない」となったら、子供にはつらいことだろうから、卒園式の当日、会費分がふところに残っていることを確認するまで参加を申し込めなかったのです。

 21日の和食、息子はうな重定食、私はうな茶定食。「ウナギよりステーキのほうが元気が出る」という娘は、和風ステーキ定食です。3人で8千円弱のお支払。
 家族そろって外食するのは、1年のうち、それぞれの誕生日に好きなレストランを指定する権利をもって外食。そして選挙のあと。1年で4~5回程度の外食ですから、「たまにはプチ贅沢」と、大盤振る舞い。ひとりあたり2000円ちょっとの外食で大盤振る舞いというのも大げさだと思うでしょうが、我が家ではこれが大盤振る舞いなのです。

 これまでの選挙結果は、いつも惨敗でした。私は現政権への批判票として投票してきたので、たいてい「負ける人」に投票したからです。
 今回は「脱原発」「平和を守る」の2点にしぼって投票先を決めました。ダークホースで当選もありうるというところまでがんばった候補者。東京都民の「脱原発」希求の受け皿になって、当選しました。投票しておいて、びっくり。当選したからには活躍してほしいです。
 ピース夕食食べて、これからもピースを守っていこうと思っています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ライフオブパイ」

2013-07-25 00:00:01 | エッセイ、コラム

2013/07/25
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(3)ライフオブパイ

 アン・リー監督『ライフオブパイ トラと漂流した227日』は、アカデミー賞の監督賞、視覚効果賞など4冠を達成(2012年度最多)しました。日本では2013年1月に3Dロードショウ公開され、2月末にはアカデミー賞受賞でより一層話題になりました。
 私はいつもの飯田橋ギンレイホールで半年おくれの上映を、2Dで見ました。2Dでも十分に迫力ある画面でした。さすが撮影賞、視覚効果賞です。

 『トラと漂流した227日』というタイトルとテレビなどで予告編を見ただけのときは、ディズニーの動物映画のように、動物との仲良し物語かと予想していまし。ペットとして買っていた虎と少年が助け合って漂流するのかと。でも、少年の意識の中では「少年と虎」が漂流するのですが、「少年と神さま」の漂流でもあり、「少年と少年自身の精神」の漂流でもあります。

 この物語も、16歳の少年成長が語られます。「北京の自転車」の、都会に出稼ぎにきた地方の少年の辛苦も、「少年と自転車」の、家族の愛情を与えられない運命のもとに暮らしている少年のつらさも、当事者にしてみれば、なんと過酷な運命かと思うでしょうが、この映画の少年パイが経験する運命は、極限の過酷さが227日間つづくもので、このように語られる語り口こそが映画の肝だと感じます。

 アン・リーは、成長して中年になったパイがこの物語を語る、というシーンから映画を始めます。パイが漂流ののちに自分の体験を語ることができる人間として成長したことがわかっているから、嵐の大波も、飢えの苦しみも、「最後は昇華されるのだろう」と予測してみていられます。しかし、物語はそんな単純な漂流譚ではありませんでした。

 ほとんどが海のシーン。視覚効果賞がうなずけるヴィジュアル・エフェクトで、星明り月明かりの中で光るクラゲの大群や神様のように海中にあらわれる鯨など、非常に美しい光景が続きます。しかし、この美しさをめでて、パイが助かりました、めでたしめでたしと終る映画ではありませんでした。
 以下、ネタバレを含みます

 少年パイはインド・ポンディシェリに生まれました。ポンディシェリはフランスが植民地支配していた地域で、そのためキリスト教の教会もあるし、イスラム教のモスクもあります。母親はベジタリアン。植物学者でヒンドゥ教の熱心な信者です。ビジネス能力のある父親は科学の力を信じ、自然の力と人間の関係を冷徹な目でとらえるべきであることを教えます。

 1954年、フランスがポンディシェリの支配権をインド政府に受け渡すことが決まり、住民はインド籍に変更するか移住するかの決定をせまられます。 パイは、父親が経営する動物園でさまざまな動物たちと触れ合いながら育ちました。その中で虎には特別な関心を持ち、ある日新入りの虎に餌をやろうとして父にひどく叱られます。父親は、野生動物はペットではないことを息子に教えます。
 虎のもともとの名前は別の名だったのですが、動物園に送られてきたとき何かの手違いなのか、リチャードパーカーという名札がつけられていました。それでこの虎は、リチャードパーカーと呼ばれているのです。


 パイが16歳になった年、両親はカナダへの移住を決めます。当座の生活費はカナダで動物を売りさばくことによって賄えるので、子供の教育のために海外移住のほうがいいと考えたのです。一家は動物たちを日本の貨物船に乗せてインドを出発します。しかし、大嵐に襲われ、貨物船は沈没。

 救命ボートにしがみついたパイは、一命を取りとめますが、ボートには奇妙な同乗者がいました。体重200キロを超すベンガルトラ、リチャード・パーカーもボートに隠れていました。生き抜くための過酷な漂流が始まります。

 実はリチャードパーカーとは、エドガー・アラン・ポーの小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』に出てくる人物なのです。
 ポーの小説では。難破船から逃れた男4人が救命ボートで漂流する。食糧がつきたとき、4人の男はくじ引きをする。4人がともに死ぬという運命を逃れるために、くじで選ばれた1人は他のものを生かす役割を果たす。すなわち殺されて食糧となることを承知する。そのためのくじ引き。選ばれたのはリチャード・パーカーという船員でした。

 シマウマとオランウータンとハイエナとトラとパイの漂流。ボートに落ちた衝撃で足をくじいているシマウマ。シマウマを襲って食おうとするハイエナ。虎も、文字通りの虎視眈眈と「肉食動物」であることを誇示します。食うものと食われるもの、人と神との物語。

 物語の最初から、神の存在が暗示されています。母親が幼いパイに読み聞かせるヒンドゥの神々の話。口の中の宇宙。
 ヒンディ教には3千もの神々がいますが、パイはイスラムのアラーもキリスト教のイエスもとりこんで、独自の宗教観を育ててきました。
 パイは何度も神を呼び、神の見せる光景の中に神の存在を感じます。しかし、海や太陽や夜空の光景は重層したものであり単純な漂流譚かと思った予想をくつがえすのです
 海を漂う少年が、海の中や空のかなたに見たものを語り、満点の星空や海中のクラゲ、幻想的な鯨などの美しい景色に目を奪われますが、虎とともにすごした物語を終えても、パイの語りは終わりません。
 227日約8か月の漂流を終えたパイは、ふたつ目の物語も語らされます。沈没した日本籍貨物船のたった一人の生還乗客の語りを、保険会社の日本人調査員は「保険会社が納得する話」にして提出しなければならないのです。だから、パイはふたつめの話も語ります。人と人が生き残るために争い、たったひとりで生き残らなければならなかった少年の物語。
 それまでに画面に表れていた虎との戦いと共存の物語、満点の星海中の魚やクラゲの美しさに心奪われていた者にとっては、信じがたい過酷な物語です。

 事実とは何なのか。人がある事態を経験するとは何なのか。神とは何なのか。人の心とは何なのか。 

 宗教について関心を持つ者がこの映画を見終わると、貨物船に乗っていた仏教徒が信じていたブッダも含めて、パイの信じていた神々、ヒンズーの神々もイエスキリストもアッラーについてその存在についてもう一度考えねばならないと感じます。パイが上陸した南海の孤島、人をとりこもうとする島は、いったい何なのか。荒れ狂う大波にはらはらし、虎の姿にだんだん共感を抱いていくストーリー展開とはまったく別の、「神と倫理と哲学」の物語が立ち現れてきます。もちろん、立ち現れない人もいます。単に「虎と少年が漂流する話」として受け止めても、CGの卓抜な効果を語るのでも、この映画は十分に楽しめます。
 宗教と人についての映画は、今までに

 テレビ放映があったら、もう一度、哲学や宗教学や、なにより「生きること、生き残ること」について考えるための物語として、見てみたいと思います。



<おわり>
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ぽかぽか春庭「少年と自転車」

2013-07-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/24
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(2)少年と自転車

 「少年と自転車Le Gamin Au Velo / The Kid With a Bike」
 フランス語映画なので、フランス映画と思ったら、ベルギー、フランス、イタリア合作のダルデンヌ兄弟監督作品。2011年カンヌ国際映画祭審査委員特別グランプリ作品。
 少年シリル役は、映画初出演という子役、トマス・ドレ。少年に懇願され週末里親になる美容師サマンサをセシル・ドゥ・フランス。
 以下、ネタバレを含むあらすじです。白地に白い文字で書かれているので、マウスでドラッグすると文字が出てきます。

 児童施設に暮らすシリルは、必ず父親が迎えに来てくれると信じています。サマンサと週末すごすことにしたのも、父親を捜したいからです。サマンサは、よく面倒を見てくれますが、シリルはやっぱり父親が恋しい。

 父親が買ってくれた自転車。自転車を乗り回すことだけが、父とのつながりを回復する方法とでもいうように、シリルは町中を自転車で走ります。サマンサは親身になって父親の居所を探し当ててくれたのですが、父親はすっかり子育ての気力を失い、子どもが負担になっていました。育児放棄の状態となっていることを知ると、シリルは自傷行為をおこし、自分の顔をかきむしります。サマンサは、シリルを育てることにばかり夢中になってしまい、ついには恋人から「俺かこの子か、どちらかを選べ」と最後通牒を受けます。サマンサの答えはあっさりと「この子よ」でした。

 サマンサが恋人より自分を選んでくれたことを知っても、シリルは再び父と暮らすことをあきらめませんでした。父親にお金をあげさえすれば自分と再び暮らすだろうと、危険な仲間に近づいてしまったシリル、サマンサの警告もきかず、事件に巻き込まれてしまいます。シリルを危険に巻き込むワルだって、家の中では年寄りにやさしい孫なのです。世間での見方と真実はくいちがっています。

 シリルは週末だけの里子から、正式なサマンサの里子として迎えられるのですが、サマンサとの心のつながりは、まだまだ細いものでしたが、ふたりして自転車で出かけるピクニックなど、サマンサは懸命にシリルとの絆を綯おうとします。

 ある日、サマンサは、近所の家族を招いてバーベキューをしようと思い立ちます。シリルと同じ年頃の男の子が、友だちになってくれそうだからです。バーベキューに使う炭を買いにいった先で、シリルは第2の事件に遭遇します。善良な良き市民としてシリルの前に立ちはだかっていた近所の黄金持ちの父と息子。この父と子の本性が観客にもわかります。自分たちの利益のためなら息子にウソで塗り固めた証言をさせようとする父親。

 貧しさや生きる気力の喪失から育児放棄となってしまったシリルの父と、自分たちのためなら真実もねじ曲げ、息子にウソをつかける父親。どちらも父親というもののひとつの姿です。

 サマンサにとっては、シリルへ無償の母性愛を注ぐことが生きがいになり、傷ついた少年を救うことが彼女自身の「生きる意味」となっていきます。彼女の心がシリルによりそう情景は、ふたりいっしょのサイクリングで表されています。


 親から拒絶されてしまった子どもの心理が、自転車の疾走とともに表現されており、今まで見た「自転車映画」の中でも、その「走り」に独特の雰囲気が出ているように思います。
 自転車疾走シーンというと、たいていは元気で明るいシーンに仕上がっていたので、この身につまされるような疾走に、ああ、自転車もこんなふうに画面に登場できるんだ、と感じました。

 少年ビルドゥングスの物語であり、人と人が心を結び合わせることのさまざまな局面を見せてくれた映画でした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「北京の自転車」

2013-07-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/23
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>自転車と筏と少年(1)北京の自転車

 日本は、1960年代から1990年ごろまでの30年に大きく変化しました。農業中心の生活から工業中心の国に変わり、国民は1950年には人口の80%が農民だった社会が、2010年には農民は3%にも満たない、という社会に大きく変貌しました。

 中国は、日本が30年40年かかって達成した変化を1990年代以後の10年間で一気に追いつけ追い越せと走り続けました。ことに沿海部は急速な変化を遂げています。
 私は、1994年にはじめて中国に赴任しました。
 1994年にはじめて赴任したときの中国は、まだ都市部にも貧しさは残されていましたが、農村との格差がどんどん広がっていた時代でした。
 1994年の北京の道路には、自動車より自転車大部隊のほうが目立っていました。

 21世紀になって2度、北京オリンピックの1年前の2007年とオリンピック1年後の2009年に、中国で暮らしました。2009年の北京では、自転車で通勤する人より自動車族のほうがずっと多くなっていました。

 王小帥(ワン・シャオシュァイ)監督作品『北京の自転車(十七歳的単車/(十七岁的单车、Beijing Bicycle)』は、2001年、第51回ベルリン国際映画祭で審査員特別賞を受賞しました。日本での公開は2007年。私は飯田橋ギンレイホールで2010年12月に見ました。制作されてから10年後の鑑賞でしたが、描かれている内容は、ちっとも古びておらず、中国の階層格差とそれでも希望を持って生きて行こうとする少年たちの姿に涙しました。

 貧しい山西省から出稼ぎにきた17歳の少年、小貴シャオグイ(ツイ・リン)は、自転車配達の仕事にありつきました。元手が何もないグイには、「既定の配達回数をこなせば、貸与の自転車が自分のものになる」という仕事はとても割のいい仕事に思えたのです。

 しかし、今日で規定の配達回数になるという日、配達に使っていたマウンテンバイクは盗まれてしまいます。北京の自転車事情から考えて、「そんなところに止めておくと、盗まれるだろう」と予測した通りなので、なんともはやの展開ですが、しかたありません。首にされた小貴は、自分の自転車を取り返せば再雇用してもよいという店長のことばを信じて、北京中を探して歩きます。

 北京の高校生、小堅シャオジェン(リー・ピン)は、自分専用の自転車を持っていません。名門校に入学できたら買ってくれるはずの自転車。クラスメートはみな高級自転車を乗り回しています。しかし、シャオジェンの父親は仕事がうまくいっておらず、約束の自転車は買ってもらえませんでした。

 小堅は、格安の中古マウンテンバイクの購入を持ちかけられ、父のへそくりを持ち出して内緒で購入します。気になるクラスメートの女子も、自転車を手に入れた小堅を認めてくれて、小堅の高校生活は一気に明るくなりました。小貴がようやく自分の自転車を見つけ出し、盗まれたものであることを証明するまでは。
 17歳の少年ふたりに一台の自転車。どちらのものになるのか、、、、

 私が1994年に初めて中国に赴任したころ、農村は取り残され、多くの貧しい農民たちが北京や上海に出稼ぎにやってきた時代でした。急速な現代化都市化が進む中国社会。
 現在、貧しい人々は、「自分たちが貧しいままなのはどうしてか」を理解するようになり、各地で暴動が起きたり、貧しい若者の自殺事件が起きたりしています。

 『北京自転車』は、力ずくの解決ではなく、ふたりの少年の和解がなされました。妥協点は見いだしても、すっきりとはしません。なにしろ自転車は一台しかないので。

 一台の自転車と17歳のふたり


 中国社会は、まだまだ1台の自転車に何人もが群がるような状態です。
 このまま中国社会で14億人のうち5%の人間だけが豊かに暮らし、あとは貧しいままで打ち捨てられていくようなら、13億人は、いつか物申すようになるでしょう。変化のきざしは見て取れると思います。

 北京名物だった道路いっぱいの「自転車大行進」光景を見ることはマレになりました。これからいよいよモータリゼーション。一般の勤め人も車に乗る時代になっていきます。しかし、田舎では、まだまだ馬車やロバの荷車も現役の中国。
 民衆の不満のはけ口が日本へ向けられるってのはなくなりますように。そんなに急激な変化でなくていいから、ゆっくりとよい方向へ進んでいってほしいです。北京自転車、慢慢走!

<つづく>
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ぽかぽか春庭「アイスカチャンは恋の味」

2013-07-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/21
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>かき氷映画(2)アイスカチャンは恋の味

 『アイスカチャンは恋の味(初恋紅豆冰Ice Kachan Puppy Love )』は、2010年公開のマレーシア華人社会を舞台にした映画です。80年代のマレーシアで、内気な少年が少女への恋心とともに成長していくお話。

 アイスカチャンとは、シンガポールやマレーシアの町のそこここで売られているかき氷の一種です。かき氷の上にカチャン(マレー語で「豆」の意味)がトッピングされ、コンデンスミルクやシロップをかけてあるのが基本。フルーツゼリー、アロエ、チョコ、ドリアンなど、トッピングは各種あります。日本で言えば「かき氷宇治金時+あんみつ+フルーツ全部のせ」にイメージは近いかもしれません。店で食べるならガラスの器で供されますが、お持ち帰りはビニール袋にいれてストローがさしてあって、かき氷というより、「超甘いアイス飲み物」。
 映画の中で、若者たちはひっきりなしにアイスカチャンを食べています。

 マレーシアは、イスラムのスルタンを元首としていただく国で人口の6割はマレー人。公用語もマレー語です。しかし多民族国家で、人口の3割を中華系(華人)が占め、1割がインド系(タミル語)。
 経済の主要部を握っているのが華僑で、首都クアラルンプールでも経済的に華人が有力者となっています。
 タイに近い方の北部はことに華人が多い。本作は、華人在住の多いペラ州トゥロノ(Teronoh) が主な舞台になっています。

 マレーシア華人出身のシンガーソングライター阿牛(アニュー)の脚本監督主演作品で、第11回HHKアジアフィルムフェスティバル出品作です。

 子供の頃のヘアスタイル坊主頭(=ボタック)というあだ名が、年頃になってもそのまま呼び名にされている内気なボタック。同じ家で育ってきた少女アンチー(天使という意味)への思いが、成長するにつれて恋心へ変化してきているのを、自分では意識せずにいます。

 アンチーは、魚同士を戦わせる「闘魚」の名人で、だれのものより強い魚を育てています。勝ち気で誇り高い少女に育ったアンチーは、「打架魚(闘魚)Fiting fish」というあだ名で呼ばれています。
 アンチーは、母親がペナン島に住む父から逃げて連れてきて以来トゥロノで暮らしており、「いつか父のもとへ帰りたい」と望んでいます。父が母親を殴る暴力亭主だったことは知らず、自分にとっては優しかった父からひき離されてしまったことで、母親に複雑な思いを抱いています。

 母の月風は美人で、月風が売る焼きそばをひいきする客たちの多くが、月風の気をひきたいがために毎夜焼きそばを食べにくるのです。そんな客たちをうまくあしらうこつは知っているのに、いまだに父親を慕う娘に対しては、厳しくしつけようとするばかりで、なぜ父親のもとから逃げ出してきたか、娘に言うことができないでいます。

 ボタックは絵を描くことが唯一の心のなぐさめになっており、何枚もアンチー(打架魚)の肖像を描いているのですが、これは誰にも知られてはならない秘密。肖像は、風景画のうしろに隠しています。
 ボタックの兄は、家業のコーヒー作りは一流ですが、足が悪いため自立への志を果たせないで悶々としています。
 シンガーソングライターをめざしたい「白馬王子」も、コンクールへの応募をためらっているばかり。皆、自立の季節を前に一歩踏み出せないでいるのです。

 ふたりをとりまく幼なじみたちに、恋の季節がやってきました。
 「ふとっちょ」のボタックの妹は炭屋の「白馬王子」が好き。白馬王子はこの界隈では金持ちと言われている馬家の娘が好き。馬家の娘はボタックが大好き。そしてボタックは闘魚に恋心を言い出せないまま。馬家の息子も闘魚を女性として意識するようになって、恋のもつれはアイスカチャンの甘い味ではほどけず、こんがらかっていきます。

 父に会いにペナン島へ渡り、父には新しい妻と子供がいることを知る打架魚。それぞれに「子供時代を終える日」がやってきます。
 クアラルンプールへ行き、勉強したいという打架魚。コーヒーを入れる腕を生かして自分の店を出す夢を実現させようとする兄。そしてボタックは、、、

 アイスカチャンのような少年の日の恋は、はかなく溶けて消えていくのか、、、、、、、、、

 何度も画面に登場するアイスカチャン。さまざまな果物などが」トッピングされていて、めっちゃ甘そうな味が画面からも味わえそうです。
  今期のクラスにいるマレーシア留学生にアイスカチャンが好きかとたずねたら、せつなそうな顔。ケータイを取り出してアイスカチャンの写真を見せてくれました。故郷の味が恋しいのかと思ったら、7月はラマダンの真っ最中。マレー系のイスラム教徒は、アイスカチャンどころか、昼間は水も飲んではいけない断食月です。昼間はケータイの画像をながめて、日没後の「食べてもいい時間」まで耐えるのだそうです。

 シンガポールかマレーシアへ行ったら、ぜひ食べてみたいアイスカチャン。少女の日のはかない恋の味が思い出せるといいんだけれど。

 ボタックは都会へ出てゆくアンチーに、アイスカチャンをプレゼントします。恋心はついに言い出せないまま、、、、
  

<おわり>
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ぽかぽか春庭「サクラさんのかき氷」

2013-07-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/20
ぽかぽか春庭HALシネマパラダイス>かき氷映画(1)サクラさんのかき氷

 映画の中に出てくるかき氷で最高においしそうな、といえば、No.1は荻上直子『めがね』でしょう。

 南の島((主なロケ地は与論島)の浜辺のペンション「ハマダ」に疲れを癒しにやってくる都会からの客たち。
 そのなかのひとり、サクラさん(もたいまさこ)は、都会からプロペラ飛行機でやってきます。
 サクラさんは、まず朝は浜辺にでて「メルシー体操」をします。このメルシー体操は、「珍しいきのこ舞踊団」の伊藤千枝が振り付けしているユニークな動き。
 島の人たちはひとりふたりと集まって、このふしぎな動きの体操をいっしょにやっています。

 昼間のサクラさんは、ボランティアの「かき氷屋さん」。まず、ゆっくりじっくりと小豆を煮て、極上の煮豆を作ります。浜辺の小屋に機械をすえると、たっぷりと煮豆をいれた器にシャカシャカと氷を削り盛り上げます。お代は、島の農産物だったり、かわいい女の子が折った折り紙細工だったり。

 都会での仕事に疲れてしまったタエコ(小林聡美)も、浜辺で「たそがれて」すごし、最初は「かき氷は頭がキ~ンってなるから苦手」と言って食べなかったかき氷だったけど、一口サクラさんのかき氷を食べるうちに大ファンに。
 島に着いたときとは体の細胞が一新されたような気分で、都会へ戻っていくのです。

 去年も今年も、サクラさんの「夏休み限定かき氷屋」は店開きし、そして次の年も、、、、。

 画面に出てくるかき氷は、いままで食べたどのかき氷よりもおいしそうに見えます。南の島で、食べてみたい極上小豆煮のかき氷。

 サクラさんの「煮豆のコツ」は、小豆煮立てて沸騰したら一度ゆでこぼして、もう一度水からことこと煮るってこと。あともうひとつは、豆の分量の半量の砂糖を入れるのだけれど、それは「白砂糖」と「きび砂糖」が半分ずつ。塩のひとつまみも忘れずに。という作り方。

 でも、小豆がうまく煮えたとしても、やはり東京の熱暑の中で食べたのでは、映画の中のあのうまそうなかき氷にはならないのでしょうね。

 南の島の浜辺で食べてみたいです。


 東京、今日も35度C。でも、政治家と官僚と東電幹部は「気温40度の日が3日続けば、みんな熱中症になり、原発でもなんでもいいから電気がほしい、エアコンがんがんつけたい、原発再稼動してくれぇ、と言い出すだろうから、熱暑待望中」なのですって。

 う~ん、こっちも意地です。氷を口に含み、冷やしたタオルを首に巻き、水張ったバケツに足突っ込み、うちわ片手にテレビ放映を録画した『めがね』を見てすごそう、、、、と思ったのに。この夏、我が公団団地は外壁とベランダ防水工事をしています。南のベランダ側も北の廊下側も、すっぽりと工事足場とネットに覆われてしまい、頼みの風通しがゼロ。はい、エアコン遠慮しいしい使っております。う~、我が家に届ける電気、原発で作ったのじゃありませんように。電気、独占事業じゃなく、業者を選べる方式にしてほしい。

 あれれ、『めがね』のかき氷について、前にも書いたことあるなあと思って検索してみたら、2008年4月に書いていました。
http://hal-niwa.blog.ocn.ne.jp/blog/2008/04/post_09c1.html

 夫から「若い頃のあなたは、小林聡美に似ていた」と言われたのを真に受けて書いた一文でした。アホやね。
 そういや、小林聡美は三谷幸喜と離婚してさっさと出て行ったのよね。
 わたしゃ未だに与論島へかき氷を食べに行く旅もできず、ひとつ120円のアイスが、5つ買うと500円に割引というのをスーパーで買ってきて、娘むすこと分け合って食べるのがせいぜいです。

 おいしいかき氷食べたい。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の夏5」

2013-07-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/18
ぽかぽか春庭・知恵の輪日記>2003年の夏(5)ポストフェミニズムの夏

 10年前の夏、つづき。
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2003/07/25 金 曇りのち雨 
日常茶飯事典>ポストフェミニズム トークショウ

 ビデオとSFJ3コマを終えて池袋へ。
 西武リブロへ行ったら、7時から小森陽一と竹村和子の対談講演会があるというので、聴講券千円払う。6時45分まで、本をながめたり、椅子に座って雑誌「本とコンピュータ」を読んだ。立ち読みじゃなくて座り読みできる本屋が好き。でも、45分の間に興味があるところはあらかた読んじゃったから、買わなかった。すみませんね、貧乏人で。

 8階コミュニティカレッジへ。客層は、堅そうなおばさんや、いかにも「お茶か駒場でゼミとってます」みたいな院生風か、どっちか。別にいいんだけどね。私だって「鏡開きもとうにすぎてカビが生えたモチのごとく堅そうな食えないおばさん」に見えているだろうから。

 しゃべりは、竹村が話し出すと、小森が横からつっこむという進行。竹村の新編著『「ポスト」フェミニズム』小森の新編著『研究する意味』の宣伝を兼ねたトークショウなのだが、なかなかおもしろかった。
 小森の「日本でもっともたくさん抗日戦争映画を見た少年」として育ったゆえ「抗日軍に取り囲まれ、銃で撃たれて蜂の巣にされる悪夢」を時々見るというトラウマが残った、という話。『小森陽一日本語に出会う』でもロシア語インターナショナルスクールのエピソードが出てくる。米原万里の父親は共産党幹部だったが、小森の父は何者?

 竹村の「『タイタニック』の巧妙なアンチフェミニズム」解釈。労働者階級のデカプリオとブルジョアのお嬢様ローズの恋。ローズが労働者階級に近づいていったようにみせて、その実、タイタニックの日々を回想するローズは、有産階級の自分の地位を少しも失っておらず、結局彼女はなにひとつ失うことなく変わることもなかった。という解釈。「主人公には変わってほしい」という私の趣味には一致する。

 現在の差別構造が「階層格差増大、貧困階層の再生産悪循環」に陥っているということへも言及されていたし、拡大家族、出入り自由の束縛なきゆるい結合家族、の可能性についても話が行ったところで、終わり。

 質問タイムで「昔のリブ闘志」みたいなおばさんが質問したら、小森はさかんに「次はもっと若い人に質問してもらおう」と、お茶駒場院生風が座っているあたりに顔を向ける。「若い人たちどうですか」と水を向けたが、応答なし。次に質問したのは「若くないので、質問しづらいのですが」とツッコミをいれた。「地方自治体男女参画事業推進課で働いています」みたいなおばさんだった。

 若い人たち、どう見回しても「貧困階層の再生産悪循環」の中でのたうち回っているような人はいない。皆、おりこうそうな坊ちゃん嬢ちゃん。
 竹村が指摘したように、上層では男女差別や人種差別はは昔ほど大きな抑圧や差別を生んでいない。優秀な女たち、優秀な有色人種は自分の能力でのし上がり、差別を受け付けない権利を手に入れることができる。問題は、貧困層ではよりいっそう弱い者が差別される構造から抜け出せないことだ。私だって、この講演会に1000円払えるくらい金を持つようになった。世界水準からいえば、貧困層ではないのだろう。

 小森は「最終的には、天皇制の問題にいきつく」と何度か言及して新自著『天皇の玉音放送』の宣伝もばっちり。
 本を買ったらサインするということだったが、図書館で注文することにした。「おばはんより若い人」と、オバハン拒否!?の小森に印税はらわんぞ。

本日のひがみ:若くなくても読むフェミニズム
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2003/07/26 土 曇り 
日常茶飯事典>ケータイ機種変変奏曲

 娘が「前期、よくがんばったので自分にご褒美」といって「ケータイ買いにいくから、お母さんも機種変更して」という。2台一度に買うと割引率が高いのだそう。あいちゃんが「激安」と紹介したケータイ屋。
 ちゃんとした店舗でなく、仮店舗のようなごちゃごちゃした店。店内は販促用のおまけ菓子が入った段ボール箱などが乱雑に置かれ、契約用のテーブルも備品も、「なにかやばいことがあったら、すぐに店をたたんで夜逃げができそうな」という感じ。路上に商品を並べ、販売は路上でする。その時点でこういう雰囲気の店はなんだか信用が薄いなあ、と感じた。店長は見た目「新宿の裏稼業で稼いで、ちょっと小金ができたのでケータイ屋はじめました」というふうの「堅気ではない」臭ぷんぷんの茶髪。目つきが悪い。

 日頃「安物の服を着ているからって、人間まで安物扱いされたくない」なんて突っ張っているくせに、人様の店を見た目だけで判断してはいけないんじゃないか、と「こんな店で買いたくない」と、娘に忠告したい気持ちを抑える。路上で販売している店員は商品知識なし。それでも、娘はいろいろ質問して、納得がいく回答を得たので、契約の書類に書き込みをした。

 しかし、路上の商品説明と、実際の契約が食い違う部分がいろいろあった。路上で受けた説明が、実際の契約時には破棄され、異なる条件がつけられた。いくつかの条件が覆り、最後に娘は「もういいです、契約しません」とやめにした。娘は、路上販売のニーチャンに「販売をするなら、ちゃんと商品知識をもってください」と抗議したが、ニーチャンは「あ、そう」という程度。

 そのあと、今までケイタイを買ってきた店に行き、値段はそれほど変わらないのを確かめる。「激安という言葉につられて、違う店で買おうとして失敗した。最初にいつもの店の値段を見てから、行けばよかった」という。こちらはすいているし、特に派手な新聞のチラシで「激安」を謳っているわけではないが、店員はきちんと教育され応対も丁寧だった。
 このごろ、販売や飲食業の店員の質とサービスについて思うことが多かったので、今回のケータイ販売でも、つくづく接客とはいかにあるべきかを考えた。

 今日は、神楽坂事務所の荷物引き上げ手伝いの日。息子は、手伝えば3000円もらえると言われて、午後は手伝いに行く。もらえるこずかいをあてにして、先にゲームソフトを買ってしまってある。

本日のつらみ:いつもケータイを携帯していくのを忘れる私
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2003/07/27 晴れ 
日常茶飯事典>水泳大会

 中学校水泳夏期区大会。
 息子は、個人フリー100が8位、リレーが4位。水泳部顧問の保健室先生から、「がんばりました」というメールと合宿のときのデジカメ画像が届いた。お礼メール返信。

本日のなみ:プールサイドに波たかし
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2003/07/28 月 はれ
ジャパニーズアンドロメダシアター>『銀河鉄道の夜』

 月曜日授業、前期最終日。漢字試験と文集作成。

 夜、ビデオの『銀河鉄道の夜』を見た。ジョバンニ、カンパネルラがネコ。氷山にぶつかった船とともに海に沈んで、天国へいく人たちの顔は人間。どうして全部ネコじゃまずかったのだろうか。
 アニメとしてできは上々と思うけれど、アニメだけ見るという人に原作も読んで欲しい。

本日のやみ:銀河の駅、むこうは闇
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2003/07/29 火 曇り 
ニッポニア教師日記>ブレイクタイムのラジオ体操

  火曜日の授業最終日なので「みんな4ヶ月よくがんばりました。みなさん、とてもいい学生でした」と、ほめたら「先生は、とてもいい先生でした」とエルサルバドルのカン。インドのフラは「あなたのクラスが一番たのしかった」と言う。エールの交換。
 何度言っても「先生に対して、あなたを使ってはいけない」ということを忘れるフラも含めて、皆授業が終わってほっと一息。

 あと、最終試験とスピーチ発表が残っているが、このコースの試験は、点がとれなくても、落第するわけでなし。今まであらゆる試験において最優秀者として勝ち抜いてきたであろうエリート留学生にとって、プライドが満足できるかどうかだけ。

 授業が終わってから、朱賀先生と試験の打ち合わせをする。朱賀先生「授業中、フラがトイレに立つと、ゲールもトイレに行ったまま、なかなか帰らなかった。もどってきたとき、あなたたち、授業中にトイレに行くなんて小学生みたいよ、って言ってやった」と言う。う~ん、最後の最後まで朱賀先生のお小言をちょうだいしながら、がんばった学生にエール。
 私のような小物の教師、「授業中トイレに立つおまえは、小学生並だ」なんて、絶対に言えない。大学・大学院を卒業し、自国では教師、研究者として働いている立場の留学生たち。私は、フラが授業中トイレに立つと、「それじゃ、みんなブレイクタイムにしましょう」と、便乗するほう。

 フラはヘビースモーカーなので「トイレに行って来ます」と席を立つとき、一服してとぎれかかった集中力を復活させているんじゃないかと思う。
 私だって語学授業を90分ぶっ続けで受講したら、途中で集中力がとぎれることがある。大学で韓国語やタイ語の授業を受けたとき、虎ノ門教育会館でアラビア語の授業をうけたとき、近くにトイレがなかったから、教室を出ることはしなかったが、自分なりにブレイクタイムを作っていた。自国では大学講師のフラが、自己管理の上ブレイクタイムを自分なりに作っているなら、それは大人の判断として認めてしまう。

 今日、SFJ復習の時間は、プリントを使って短文穴埋め問題を続けたから、脳みそ沸騰。疲労も大きい。フラが「ブレイク」と言ってトイレにいったので「じゃ、みんなも頭を休めましょう」と便乗ブレイクタイム。
 ブレイクの間、「日本の文化と社会の紹介タイム」と言って、日本各地の夏休みに学校の校庭や公園で「ラジオ体操」が行われることを知らせた。ラジオ体操を少しやって見せて「このストレッチ体操を、日本人1億3000万人のほぼ全員ができます。すべての小学校中学校で、この体操を教えるんです」と、言う。「朝、6時半に公園から音楽が聞こえてきたら、この体操をやっているから、参加するといいよ。健康になります」と、おススメ。

 異文化シャワーをたくさん浴びた方がいい留学生は、盆踊りもラジオ体操も参加することに意義があると思っている。中国では、ヤンガーの踊りの輪に入りたかったが「連」のようなものがあるらしく、グループごとに輪を作るので、参加できなかった。
 ラジオ体操や盆踊りは、だれでも参加できるので、留学生にはいい体験になると思う。ゲ-ルが「無料か」と聞くので「もちろんフリー。だれでも、いつでも、どこでもフリー」と言う。
 さあ、8月は学生も講師も「リリース&フリー」だ!

本日のやすみ:あったらしい朝がくるブレイクタイム
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2003/07/30 水 雨のち曇り
日常茶飯事典>着ぐるみダンス

 午前中、Aダンスィング練習。9月の発表会、私の出演曲は、プレスリー特集の「監獄ロック」「テディベア」
 「テディベア」を踊っていると「e-Naちゃんは、何も衣装来ていなくても、くまの着ぐるみが踊っているようだわ」と言われる。そりゃ、衣装を用意する手間がはぶけて、結構ですな。
 Aダンスィングサークル、太めトリオのうち二人が抜けて、いまや私がただひとり「パパイヤおやじダンサーズおばはん版」なのだ。
 
 発表会がおわるまで、ビールを飲まないダイエットを決意。

本日のねたみ:私は水を飲んでも太る。
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 10年前2003年の夏も、2013年の夏も、ほんとうに変わっていません。
 2003年の夏、娘は大学生、息子は中学生。2013年、娘はパラサイト生活(家事担当)、息子は大学院博士課程学生。私は相変わらずの日銭稼ぎの食い扶持稼ぎ。

 進歩も発展もない10年間だったのがよくわかります。相も変わらずの授業をして、相変わらずの体型でダンスの練習。今練習しているのは、マイケルジャクソンの「ザウェイユーメイクミーフィール」と、レディガガの「テレフォン」です。
 むろん、9月の発表会までには痩せる「予定」!!

<おわり>
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ぽかぽか春庭「2003年の夏4」

2013-07-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/17
ぽかぽか春庭・知恵の輪日記>2003年の夏(4)磁力と重力の発見

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2003/07/21日 月 曇り 
トキの本棚>『磁力と重力の発見』

 日曜日の朝日読書欄に山形浩生の書評で『磁力と重力の発見』、著者名を見て「おお、あの山本義隆か」と思う。
 書評を読むと、「本書の著者名を聞いて、書評委員会は一瞬どよめき、自分の知らない時代のできごとが、三十年たっても、深い刻印を残していることにぼくは改めて驚いた。」と山形は書いている。やっぱり、どよめくでしょ。自分の知ってる時代のできごとだもの。

 山形は予備校で山本義隆に物理を教わったのだという。「全共闘騒動の最大の損失は、山本義隆が研究者の道を外れ、後進の指導にもあたれなかったことだ、という人さえいた」と、山形は書く。「でも、プラスの刻印もあった。その事件のおかげで、ぼくをはじめ無数の受験生が予備校でこの人に物理を教われたのだもの。かれが教えてくれたのはただの受験テクニックじゃなかった。物理は一つの世界観で、各種の数式はその世界での因果律の表現だと言うことを、かれは(たかが受験勉強で!)みっちりたたき込んでくれたのだった。」

 こういう文章を読むと、それだけで泣きたくなる。弱い。この山本へのオマージュを読んで、救われた気持ちになってしまうほどの弱虫世代。

 山本らを踏みつけて、80年代90年代をのしてきた元全共闘、元ノンポリ、元心情三派。バブルに踊りつつ、食うためにあるいは「欲っするままにむさぼり食うため」30年生きてきた一団は、「あの時代を引きずっている馬鹿な奴ら」をせせら笑いながら天下り先でもさがすのだろう。

 私は70年には「医療労連組合員」であり、75年には「日教組」だった。
 「出世コース」を突っ走る人を斜めに見てひがみ、全共闘の後、学問の世界から方向を変えていった多くの研究者候補たちが、「ただ時代のためでなく」地に伏した姿を横目で見て、うしろめたく思うのみだった。
 30年前も何もせず、今も何もしていないうしろめたさを背負っている。私は何もできず、何もしてこなかった人間だけれど、でも「自分の生きていく社会を変えたかったし、今でも変えたいと思っている」その思いだけは持続している。たぶん、これって若い世代からは「レトロ」「アナクロ」と、ひとくくりにされてしまう感情なんだろう。

 何年か時代がずれていれば、山本は東大に残り、物理学の研究者として研究生活をまっとうしたのかもしれない。今頃は東大か、どこかで教授になっていたのかもしれない。だが、それがどうした。彼が生きた「予備校講師」の30年で、いくつかの著書を残し、彼の講義を「世界観の醸成」と受け止める予備校生を大学へ進ませ、彼は彼なりに物理学を「彼の生き方」として提示したのが、この著書三部作なのだろう。(読んでもいないのに、予想だけでの感想)

 私は山本義隆の予備校講師人生を断固支持する!「企業に頼らない自立人になる」と言って、田舎町の駅前で焼鳥屋をやりながら、飲むほどに「俺たちの若いころはなぁ」とクダをまくおやじを支持する。あまりもうからないように思える医院で、ぶっこわれかけた医療機器をなだめすかしながら診療する九州田舎町の医者を支持する。

 私は、万国の労働者にもバンコックのストリートチルドレンにも連帯せずに、7月中あと残り8コマの授業をヒーコラとこなすのだ。立て!なえたるモノよ。いまぞ夏休み近し!

本日のつらみ:私に「おまえはプチブル思想をひきずっている、自己批判せよ」と言った者たちよ、私は今でもプロレタリア


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2003/07/22 火 曇り 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『少女の髪留め』

 イズミさん、今日で辞任。今週中に台湾高雄へ出発。単身赴任で2年間。出稼ぎといっても、イランに出稼ぎにいくアフガン人とは大違い。

 『少女の髪留め』は、テヘランの建設現場で働くイラン人青年ラティフとアフガン難民ナジャフ一家の物語。けがをした父親のかわりに少年ラートマと偽って働く難民少女バラン。バランが女の子とわかって思いを寄せるラティフ。
 なによりバランがとてもかわいい。少年のふりをしていたときは眉も濃くして「かわいい男の子」の風貌だが、ブルカを着た少女の姿になったときは眉も作り、初々しい少女の清純なかわいらしさ。  バランは「雨」の意味だという。バラン役のザーラ・バーラミは、本当にアフガン難民村の出身。ほかのアフガン難民たちの役も、素人のアフガン人が出演している。難民のバランたちがIDカードもなく、ひどい労働条件でイランで出稼ぎしている間にも、アフガニスタンの親戚は、戦場となった町で死んでゆく。

 バランが女の子だとわかってから、ラティフはできる限りのことをしてバラン一家を助けようとする。最後は自分の命の次に大事な身分証明書を売り、金を作ってやる。その金で、一家はアフガニスタンに帰国することになる。IDを失ったラティフの将来は暗いだろう。でも、生涯最初の恋のために、これだけのことができたラティフは幸せ者だ。少なくともちょっとアルバイトをしてはあぶく銭を遊びにつぎ込む日本の若者に比べれば、なんと心豊かに生きていることだろうか。

 この映画が『一票のラブレター』より私にとって心にしみるのは、やはり、ラティフが成長するからなのだ。ラティフは、けんかっ早くて、仕事はできるだけ楽をしようとする17歳。父親から現場主任のメマルに預けられ、給料もメマルによって管理されている。ラートマに炊事係の仕事をとられると、いやがらせを繰り返したラティフが、ラートマが実は女の子だったことを知ると、恋しい女の子に身を犠牲にしてまで献身する男に変貌する。この純粋さ、一途さは幼いゆえとも言えるだろうが、人間のもっとも美しい心を成長させたとも言える。

 この映画を見た日本の若者がアフガン難民の状況を理解できるようになるのだろうか。日本から、ハワイは近いがイランやアフガンは遠い。私は東京と同じような緯度にあるテヘランが冬になるとあんなに雪がふるとは思わなかった。娘は「テヘランはイラン高原にあるんだから、海辺の東京とは条件が違うでしょ。赤道直下でもキリマンジャロには雪がふる」と、まともなことを言う。さすが地理学科。

 世界中、ほとんどの国の学生を教えたことがある私でも、アフガニスタンからの学生は、まだひとりも出会っていない。西アジアの国では、アフガン周囲のパキスタン、イラン、アゼルバイジャン、アラビア半島の石油成金国では、サウジアラビア、クェート、アラブ首長国、バーレーン、オマーン。ヨーロッパに近い方では、トルコ、ヨルダン、シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナからの学生を教えた。しかし、アフガニスタンとイラクはない。私にとって、一番縁のうすい国。アフガニスタンが直接爆撃されている間は世界のニュースも報道したが、今はアフガニスタンの情報はほとんどない。バーミヤン遺跡を世界遺産にしようというニュースくらい。それでも、人々はアフガンで、そして難民として他国で生きていかなければならない。

 イラクのフセイン大統領一家は、未だに行方不明だが、莫大な海外資産を形成してあるので、どこで地下潜伏生活を送るのでも、最大級の贅沢三昧ができるのだという。そのほんの一部でもいいからお金があれば、イラクやイランやアフガンに学校を建てたい。

 バランがラティフに別れのことばも告げられずにアフガンへ帰るシーン。かぶっていたベールをさっと下ろして顔を隠す。これは、私の解釈では、「はじめてラティフを男と意識した少女の心の芽生えの表現」
 男のかっこうをして働いている間、顔を晒して平気でラティフの前に出ていた。別れの際に初めてバランはラティフを男として意識したのだ。だから、イスラムの掟に従って、顔を隠した。少女は去ってしまったけれど、ラティフは無視されたわけじゃない。「私にとって、あなたは男として意識される存在よ」とベールの中から見つめているのだ。ラストシーンの雨は、冬のテヘランに春をもたらす雨なのだ。

本日のかみ:少女の髪に春の雨


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2003/07/23 水 雨 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ホテルハイビスカス』

 午後、雨の中サントリー美術館に『古代中国の文字と至宝』展を見に行った。前回この展示をみようと思ってやってきたら、まだ始まっていなかった。6月10日から始まると明記してあるのに、私は5月10日にサントリーへ行ったのだ。これは1ヶ月まちがえた私が悪い。しかるに、6月10日から7月27日までと書いてある招待券を無駄にすまいと再びサントリー美術館にきてみれば、この展覧会は「無期延期」となっていた。
 係員は「来年に延期になりました」と言って、代わりのサントリー美術館招待券をくれた。確認しないで出かけた方も悪いと思うが、招待券に会期が書いてあるので、まさか延期になったとは思わなかった。
 中国との準備折衝折り合いがつかなかったのか、サーズの影響か?よくわからないが、とにかく現在展示中の「ロートレックとポスター展」は、あまり興味が無かったので、見ないことにした。

 雨の中でてきたのにこのまま「無駄足」だけで帰るのも気分が悪い。遅いお昼ご飯を食べてから『ホテルハイビスカス』をみることに決めた。
 単館上映の映画館にたどり着くと、冒頭20分すぎていた。が、「いいや、こういう話は冒頭の伏線がないと後半の意味が分らないというもんではあるまい」と、気にせず第2話の「フェンス」から見た。

 「いったいこの雑音は何の音」という程度に小さく聞こえた機関銃掃射音がだんだんハッキリしてきて、ジェット機離発着轟音になる。フェンスの中は基地だ。

 主人公「中曽根美恵子」のキャラがとてもよく、ホテルハイビスカスの住人その他の登場人物がひとりひとり際だっている。基地の掃射音ジェット機音がなければ、ほんとうにのどかでのびのびした、底抜けに明るい沖縄の一家の心温まる話なのだ。
 余貴美子のかあちゃんは「太陽(ティダヌ)母さん」とタイトルがつけられている。黒人のジョージとの間に生まれたハーフ(ネスミス演じるケンにいにい)と、白人のビルとの間に生まれたサチコねえねえ、山羊をつれて散歩に出るおばあ。いつもはビリヤード屋で寝ているけど、具志堅さんのパイナップル畑では力を発揮するおとうもいい味。

 でも、「ここは昔から私の土地、基地なんかじゃない」と語っていた基地の中のまやーくいおばあの家は取り壊されてしまうし、美恵子がお盆に出会う多恵子は、終戦後食べるものがなくて死んでしまった叔母(おとうの妹)だったし、沖縄が「そこぬけに明るい」だけの土地ではなく、さまざまな悲劇を底に持ち、現在もたくさんの問題を抱えている島なのだということを監督はさりげなく示していると思う。けっして声高に叫ぶのではないが。
 しかし、それより何より、登場人物のキャラがすごいので、それに圧倒されて笑いながら見終わってしまう。原作コミックを読んでから映画を見た人には、原作がはっきり示している「沖縄の諸問題」をもっと前面に出して欲しいという感想を持ったようだ。そのうち原作を読んでみよう。

 冒頭を見ていないので、もう一度みるつもり。ビデオレンタルがはじまったら、娘と息子にも見せよう。

本日のひがみ:沖縄大学のスダさん元気か?私も住みたい南の島


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2003/07/24 木 曇り 
日常茶飯事典>ボリショイサーカス

 午後、ボリショイサーカスを見に行く。蛍、花火、ボリショイサーカス、豊島園プールというのが、我が家の「夏の定番」である。蛍と花火はただで見られる。ボリショイサーカスは招待券で見られる。豊島園は共済会で安く買えるという理由で、20年間同じメニュー。
 ここ数年「今年はいっしょに花火をみる最後かな」「いっしょにプールで泳ぐ最後の夏かな」と思いながらいっしょに過ごしてきて、ボリショイも何年か前に「これで最後かも」と、しみじみしながら見たのだが、娘が二十歳をすぎ、息子が中学3年になった今年もまた、いっしょに見ることになった。いっしょにでかけるのが好きな母子である。

 娘は「教職課程介護体験」を受けるための健康診断があるからと大学へ行く。有明コロシアムの前で合流することになっていたので、自由席のB席招待券をA席指定席にランクアップする。娘がおくれてきても座れるように。
 二人が保育園小学校のころは、この「ランクアップの千円、3人分3000円払ったら、帰りの電車賃がない」という状態だったことを思えば、ランクアップして、夕食も食べて帰れる程度に財布の中にお金が残っている現在の状況、貧乏度が「最底辺から少し上」くらいにはなっているのだ。

 サーカスは、前半が犬や猫、熊の演技、目玉は空中ブランコ。後半が虎の演技、目玉がシーソーアクロバット。ブランコやアクロバットにハラハラし、犬や猫、熊の演技はかわいらしく、虎のガォーという吼え声はちょっとおそろしく、おもしろく見ていられた。私はキダムなどの「ミュージカル風サーカス」を見てみたいのだが、娘は「ミュージカルとかあんまり好きじゃないから、こういうサーカスだけの構成のほうがいい」という。

 いっしょに夕ご飯を食べるつもりだったが、娘は友だちとご飯を食べる約束をしたからと、別れる。息子と汐留めシオサイトをひとまわりした。広場でオルガンを弾いている。広場に面した店から見えるので「ここで食べよう」と誘ったのに、息子は「こういう雰囲気は落ち着かないから」という。「あんた、こんなところで雰囲気に押されちゃ、将来宮中晩餐会に招かれたとき、堂々としていられないよ」と渇を入れたのだが、マックや牛丼屋じゃないと雰囲気に負けてしまう中坊クンである。
 それで、スープストックというスープ専門店でスープだけ「腹の虫おさえ」に注文して、夕食は家に帰ってから残り物ですませた。

本日のひがみ:ボリショイ・アクロバットリーダーがほしいHP。キャノンワープロの読み出ししたい
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ぽかぽか春庭「2003年の夏3」

2013-07-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/16
ぽかぽか春庭・知恵の輪日記>10年前の夏(3)2003年7月の日常茶飯辞典

 暑いです。毎日暑いです。パソコン壊れたままなので、コピーペーストでUPします。
 10年前の夏も、かわり映えなくひたすら「暑いあつい」と言ってすごしていました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

2003/07/12 土 晴れ 
日常茶飯事典>ホタル狩り

 午後娘と息子は、タイムをうさぎクリニックに連れて行く。
 普段に比べて食べなくなり、糞が小さくなったため。元気はいいので腸の病気とかでなく、うさぎの持病の「毛球症」だろう。体の毛をなめるため、腸に毛玉が貯まるのだ。ときどき毛玉をとかす薬をあたえなければならない。
 その間、私はエアコン工事に立ち会う。

 夜、公園に蛍を見に行く。今年はこれまでの中で一番蛍の数が少なくて、あまりきれいじゃなかった。いつもは橋の上から飛び回る蛍が見られるのに、今年は橋に人がたまっていないので、あれっと思ったら、じっとながめていたいほど蛍がいなかったのだ。
 でも、まあ、蛍見物は、花火見物とならんで我が家恒例「無料夏のイベント」
 蛍をみると「ああ、夏だな」と季節感満喫。

本日のつらみ:蛍の光、足らず

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2003/07/13 日 曇りのち雨 
ジャパニーズアンドロメダシアター>『猟奇的な彼女』

 3人で映画館へ。館内は超満員で、私と息子は座れたが娘は座る椅子がない。「私は明日すいているときに見るから」と、娘ははパソコンを届けに夫の事務所へ。

 韓国映画『猟奇的な彼女』。韓国映画を見るのは『西便制』以来。現代韓国を舞台にした映画を見るのは初めてだ。タイトルはすんごいが、英語タイトルは「My sassy girl」直訳すれば「生意気な女の子」にすぎない。
 韓国語で漢字の「猟奇的な」の意味は、「奇妙な、変わっている」だそう。それにこの映画の影響で「クールでかっこいい」という意味も付け加えられて若い人が使うようになったんだとか。映画が語意を変えた。

 「猟奇的」とタイトルがつけば、日本語の語感ではその後ろに殺人事件でもこなければおさまらないところだが、「猟奇的な彼女」とそのままの文字にしたのは配給会社の陰謀か。たしかに「生意気な女の子」というタイトルなら、こんな座る席もないほどの人気映画にはならなかったかもしれない。

本日のやっかみ:30年前のsassy girlは、男どもに毛嫌いされたぞ。もてなかった「生意気女」のやっかみ。

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2003/07/15 火 曇り
ニッポニア教師日誌>授業

 漢字、SFJ3コマ

 生まれてしおにゆあみして、波を子守の歌ときく~。留学生、漢字の授業を子守の歌ときく。ごめんね、面白い説明ができなくて。

本日の波:眠いウェイブは隣の席に波及する

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2003/07/16 水 曇りときどき小雨 
日常茶飯事典>センターポジションは、私

 午前中、Aダンスィング。
 今週から先生はバリ島へ出かけているので、サークルメンバーだけの自主練習。
 フィナーレのラインポジションで、サークル内に争いが。みんなセンターポジションで踊りたいらしい。
 私はセンターポジションで踊りたくない。前列センターポジションで踊る人は、ほかの人の踊りを見ながら踊るわけにはいかないからだ。自分でふりつけを全部覚えなければならない。
 私は常にセンターの人を見ながら、半テンポ遅れで回転したり足あげたりして踊る。ワンテンポずれると目立つし振り付けを覚えていないのがばれてしまう。ずれを半テンポ以内に納めるのがこつ。
振り付けを覚えようとすると、ストレスになって、ストレス解消のダンスじゃなくなる。

 午後、先週レポートを持ってこなかったふたりの分をうけとって、水曜日今期の仕事は全部終わり。あとは成績付け。

本日のつらみ:踊ってだけいられない主婦のダンス

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2003/07/17 木 曇りときどき小雨 
ニッポニア教師日誌>学校を建てよう

 期末試験2コマ。日本事情と作文の試験。同じ問題なのに、去年に比べるとずっとできがわるい。日本史問題の採点を終えてから帰宅。作文はあとで。
 ともあれ、前期日本事情のクラスはこれでおわり。留学生たちは疲れをとり、家族に留学中の生活を語るために帰国する。夢を抱いて留学して、現実はどうなのか。夢のとおりの留学生活か、現実の前に夢が破れてしまったか。

 金曜日のビデオの時間、『新基礎復習ビデオ』第一話「宝くじ」を見た。主婦なつえが初めて宝くじを買い、2等300万円が当たったと誤解して一家でぬか喜びする話。家族でそれぞれの夢を語り合い、夢やぶれてがっかりというストーリーだ。
 視聴後の会話トピックとして、「300万円あたったら、何がしたいですか」という質問をする。「~たいと思う。~ようと思う」の文型を使うように指示。「私は、世界中を旅行したいと思います。たくさん本を読もうと思います」と例文を出す。

 ケニアのショーの夢は、「農場を買いたいと思います。学校を建てようと思います」というものだった。「農場に動物がいます」というので、「買う」とアクセントが異なるが、ひらがなで書くと同じかきかたになることばとして「飼う」を教える。
 「飼いたい動物はライオンとキリンですか?」と冗談を言うと、大慌てで単語を思い出そうとするが、彼は辞書を引かない主義なので「家畜」という言葉が出てこない。ショーは「ドメスティック・アニマル」と答える。「牛と馬?山羊と犬ですか?」と聞くと、「馬はいらない、牛と山羊と犬」。ほんと、ドメスティック。しかし、ショーの答えを聞いて、私も例文「世界旅行」の夢を訂正。「私も本当は学校を建てたい」と、言う。

 カンボジアに「大学の寄付で建てられた小学校」があり、仏教学科や国際科の学生がボランティア活動を行っていることを学生のレポートで知った。日本の企業や大学は世界各地に会社や学校名を冠にした学校を建てるとよいと思う。
 夫がやっている「フォスターペアレント」は、お金を寄付すると援助国児童の学習支援費になる。児童からたまに手紙が届く。それだって無いよりましだが、実際に学校を建ててるほうが、もっといい。そこに日本から高校生大学生を派遣すれば、日本の若者の教育にとっても、有意義なことだ。

 援助を必要とする国を支援でき、自国の若者の教育にも役立つなら税金で行って欲しい事業だが、われわれの税金はイラクに自衛隊を送るのに使ってしまうらしいから、自分たちでなんとかしなければならない。

本日のうらみ:自分で払う税金の使い道を自分で指定したい。

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2003/07/18 金 曇り夜から雨
ジャパニーズアンドロメダシアター>『ラストプレゼント』

 ビデオ、会話3コマ。を終えてから、ギンレイへ。
 娘が『猟奇的な彼女』の併映作品『ラストプレゼント』を見て「泣けるから見ておいた方がいい」と言うので6時から見た。

 裕福な家の息子ヨンギは売れないお笑い芸人。みよりのない娘ジョンヨンとの結婚を両親に反対され勘当されている。妻は病身を隠し、小さなベビー用品屋を切り盛りして夫を支えている。反対を押し切って結婚したのに、赤ん坊が死んでから、二人の間はぎくしゃくしている。妻は必死に夫が芸人として成功することを願い、夫は妻の体を気遣っているのに、表面上は互いにぎすぎすしたままだ。
 実は、ジョンヨンにとって、ヨンギは小学校のとき転校してきてまたすぐ転校して去っていった片思いの相手だった。ヨンギにそれがわかり、芸人として成功のきっかけがつかめそうなとき、ジョンヨンは死んでしまう。

 もう典型的な病気ものの泣かせ映画。主演の李英愛イ・ヨンヘがとてもきれいなので、見ていられたが、キムタク美容師と不治の病の常盤貴子の恋愛話のように、すれた大人にはちょっと気恥ずかしい愛情物語なのだ。しかし、まあこういう話で涙を流すことが必要なんだろうと思う。

 ジョンヨンはなぜ子供の頃同級生であったことを夫ヨンギに話したことがなかったのだろう。恋人同士になれば、お互いに相手のことを知りたいから、学校時代のこと、家族のことふるさとのことを話し合うものなんじゃないだろうか。小学校のことを話せば、当然同じ小学校に在校していたことがわかるじゃないの。夫が妻と同級生だったことを完全に忘れていたから、妻はあえて秘密にしてきたのだろうか。転校というのは、小学生にとって、強烈な生活の変化だから、ヨンギが転校した学校のことを忘れていたとは思えないのだけど、そこをつっこんではいけないのだろ。せっかく間抜けな詐欺師コンビがいっしょうけんめい「妻の初恋の相手は夫だった」と、探してくれたのだから。

 キムタク美容師と下半身不随不治の病を持つ図書館員との純愛が30%の視聴率を得たのも、もはや日本にこのような「純粋恋愛」が存在しなくなったからゆえだろうと思っていたが、この映画が韓国で大ヒットしたということは、もはや韓国にもこのジョンヨンのような「自分のことはあとまわしにして、夫にひとすじ尽くしまくり」タイプの妻がスクリーンの中にしか存在しなくなったということなんじゃないだろうか。

 少なくとも、わたしが見てきた韓国人女性は、もっと辛辣でたくましく自己主張が強く、そしてなにより「じぶんより金があり、自分に今以上の暮らしとステータスを保証してくれる男」を求めていた。
 日本に留学しよう、という意志をもったという時点で、すでに一般の韓国女性より、はっきりした強さを持っている人たちだったのかもしれないが、皆強くたくましく、貪欲に自分の人生を求めていた。ジョンヨンのような「耐えて耐えて夫に尽くします」タイプはまだ韓国のどこかにいるのだろうか。

本日のちぢみ:チヂミ食べて耐えよう、夫が収入得られるようになるまで


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2003/07/20 日 曇り
ジャパニーズアンドロメダシアター>『一票のラブレター』

 朝6時、息子は水泳部夏期合宿に出発。いざ出発というときになって、バッグのファスナーが壊れていることがわかった。あわてて、リュックサックの方に詰め替えたら、こちらも前ポケットファスナーが兎タイムに齧られていてぼろぼろ。しかし、とりあえず、前ポケットには物をいれなければいいので、リュックで出かけた。いつもぎりぎりに準備するからこういうことになる。

 午後、イラン映画『一票のラブレター』を見る。

 『一票のラブレター』は、ペルシャ湾の小さな島の一日の出来事。朝、8時半モーターボートから選挙管理委員会から派遣された管理委員の娘が島に上陸する。伝統的なブルカに身を包んでいるが、きちんと教育を受けたしっかり者だ。密輸監視が主な仕事の兵士が護衛になり、ジープで島内を回る。行く先々にさまざまな島の暮らしがある。
 神に投票するという太陽電池発電所管理の老人あり、選挙したら魚が捕れるようになるのか問う漁師あり、という具合。16歳以上の男女に選挙権があるとはいえ、女たちの大部分は文盲なのだ。伝統的な社会に生きる男たちに選挙が何かを理解させることもむずかしい。それでも一日のうちに、何票かは集まり、管理委員としての仕事を果たせた。

 兵士は最初は女の分際でと思っていたが、一途に民主主義の必要性を信じ、投票の大切さを人々に説く娘にしだいに心を惹かれるようになる。最後に自分の投票として、娘の名前を書き入れる。娘は「私は候補者じゃない、候補者の中から選ぶってことは、今日一日選挙の説明を聞いていたのだからわかっているでしょ」というが、兵士は「秘密投票だから、だれに入れてもいいのだ」と言う。娘の名を書き込むことだけが、兵士の恋の表明なのだ。

 娘は、都会で高等教育を受けた上流階級の娘である。教条的に「民主的選挙」を説いていたが、実際の世の中を知っているわけではない。兵士がこわれた赤信号を守って車を動かさないでいた態度から、「国が決めた法律がすべてではない」ことも知る。
 任務を終え、娘は迎えの飛行機に乗って帰っていく。空高く飛び立つ飛行機と、海岸に置かれた粗末な野営ベッドの対比のごとく、兵士の淡い恋心は、高嶺の花へのあこがれだけでおわるのだろう。

 冒頭最初のシーンは、投票箱が飛行機からパラシュートで投げ落とされる場面から始まった。空から民衆にいきなり落とされる選挙権。選挙権を与えるなら、識字教育も与えて当然だろう、と思ってしまうのは、江戸時代でさえ識字率50%を越えていた日本に生まれ育った者の感想だろうか。
 島では、ペルシャ語以外のことばもあって、通訳を介さないと選挙の意味もわかってもらえない。ケニアの選挙では、候補者ごとにシンボルマークを決め、ラジオマーク候補、とか、飛行機マーク候補、机マーク候補などに○をつけて選ぶ方式だった。イランでは、候補者にシンボルマークをつけることは許されていないのだろうか。字が読み書きできない国民が存在することがわかっているなら、絵やマークで選ぶほうがいいと思うのだが、偶像否定のイスラム教では許されないのかもしれない。

 娘は一日の経験で、一般民衆の暮らしや教育レベルについて身にしみてわかったことだろう。しかし、彼女がこれからどのように変わっていくのか、あるいは変わらないのかは映画からはわからない。たぶん、この映画では、ペルシャ湾の光景や人々の暮らしを味わうべきなのだろう。でも、監督が「観光映画」や「映像詩」としてイランを描くのなら、もっと別の題材でよかったような気がする。空から降ってきただけで、地に根付いていないイランの民主主義とは何か、を描いたのでもなし、少女の一日の成長を描いたのでもなし。じゃ、何を?

 我が国の選挙。解散近しと見て、何をするかというと、辻本逮捕。マキコはおかまいなしなのに。与野党とも泥沼。選挙するわれわれももっと泥沼。空から投票箱が降ってきても、書き入れる文字を知らないペルシャ湾の女たちと、泥沼の中で顔に泥をなすりつけ合っているわが被選挙民たちと。私の一票のラブレターは、次回も届かないだろう。

本日のかみ:投票用紙に書くのは君の名

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ぽかぽか春庭「2003年の夏2」

2013-07-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/14
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>10年前の夏(2)2003年のたなばた

 10年前、2003年日記、つづきです。息子は中学生。娘は大学生でした。
 私は相も変らぬ「非情勤」講師生活。情けもあらず。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

2003/07/07 月 雨 
日常茶飯事典>アルタイルデート不可ピザ

 漢字、作文2コマ。

 息子はやっと期末テスト終了。

 一太郎の英単語校正機能、スペルがあっていない語の下に波線が出るだけ。校正というからには、クリックすれば正しいスペルに変わる機能もほしいのに。もしかして私がその機能をしらないだけなのか。
 息子は「将来はスペルを丸暗記する必要はなくなる。英語文章中にI habe a kyatto.と打ち込んでもワープロが I have a cat.と、直してくれるようになる」というのだ。「パソコンが全部処理するから」と判断して、スペリング練習しない息子の成長速度と、ワープロソフトの進化と、どちららが先か。

 ともかく、無事1学期の山を越えたし、七夕なのに雨でデートができないアルタイルのためにという理由をつけ、娘の希望で夕食はピザ宅配。ピザとアルタイルに何の関係があろうか。ないけど。

 我が家ではピザの宅配は「ぜいたく」夕食の部類なのだ。カマンベールミルフィーユMとポテトピザSとエビとチキンの唐揚げで4500円。1500円分のクーポン券を使って、消費税込み3200円。一人分は1066円。
 「たまには、いいよね。でもこの次ピザ頼むのは、またクーポン券もらったときだね」といいながら食べた。

本日のうらみ:1年に1度くらいは会わせてやろう

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2003/07/08 火 小雨ふったりやんだり 
ニッポニア教師日記>「行ったことがあります」授業

 漢字とSFJ、3コマ。 
 「~ことがあります」の文型の練習。「日本でした経験をいってください」と指示して、「北海道へ行ったことがありません」「さしみを食べたことがあります」などを言わせる。

 「日光へ行ったことがありません」とホンジュラスのゲールがいうと、アルゼンチンのアルが「先生は夏休みに日光へ行きますか」と質問してきた。「私は日光へ行ったことがあります。でも、夏休みにいくかどうかわかりません」と、前の課の「~か、どうか」もついでに復習。
 しかし、学生が知りたかったのは、私に日光へ行った経験があるかどうかではなく、「先生は学生といっしょに、留学生研修旅行にいくか、どうか」ということだった。

 9月の留学生研修旅行、今年は日光へ行く。予備コースの学生はほとんどが参加するらしい。その際、引率の教師として「私たちは先生といっしょにいきたい」と言うのだ。「私は非常勤講師なので、いっしょに行くことができません。たぶん、朱賀先生か状先生がいっしょにいけるから大丈夫でしょう」と伝える。
 「トキ先生、いっしょに行ってください」と、ご指名を受けるのはうれしいけれど、非常勤の仕事ではない。すなわち、指名料バックはない。

 数年前の夏のこと。今オーストリアで仕事をしている先生が、富士山登山に留学生の希望者を連れて行った経験を話してくれたことがあった。
 「富士山は日本で一番高い山だと説明したので、わかると思ったけれど、留学生たちは登山に対して何の知識も持たずに集まってきた。登山の装備も靴も用意できていなくて、ふだんのままのスニーカーにジーンズ。隣町に遊びに行くスタイルで、高山どころか、とにかく山と名前が付くものに登るのも初めて、と言う人もいて、たいへんだった。」と、いかに留学生の引率がたいへんだったか、話していた。

 非常勤の教師が、個人的に留学生を連れて外出するとき、困るのが事故が起きた場合。大学の行事として出かけるのなら、保険などの措置もとれるけれど、個人的な企画の場合、事故対策などが何もない。
 日本事情クラスで、毎年博物館見学に行くのだって、去年は「それぞれが自由に博物館へ遊びにきたら、偶然クラスメートに会った、ということにしてください」と話しておいた。上野の博物館では事故の可能性は低いけれど、万が一事故がおきたとき、私個人では何の保証もできないからだ。
 今年は、一応日本語学科長の「暗黙の了解」を得た、という形になっているが、それでも別段何の保証もない。

本日のひがみ:通勤中事故の保証もない非情勤の非常勤

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2003/07/09 水 曇り 
ニッポニア教師日誌>日本語音声表現

 午後、水曜日春学期授業最終日。日本語音声表現発表会。教師として必要な、声の訓練の一環として、3分間自己表現を行う。一生懸命準備してきたスピーチあり、適当に体験談を語る気軽なのもあり。実家がお寺だからと般若心経の朗読あり、徒然草の朗読あり。

本日のたしなみ:社会人学生多摩川おじさんは、茶道お手前を披露

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2003/07/10 木 雨 
ニッポニア教師日誌>博物館見学

 木曜日、日本語Eクラス。東京国立博物館見学。
 予想通り、スーとリューが欠席。スーは欠席の電話をかけてきたが、リューは連絡なし。
 1時集合。1時半から、平成館の考古出土品を見た。教科書の写真で見たものが目の前に本物として並んでいることに、皆感激。本館へ行って、一階二階を見て、3時にいったん集合、3時半から4時まで東洋館見学。4時に解散。

 私ひとりで、もう一度本館2階へ戻って、ゆっくり回った。信長、秀吉、家康の手紙が三通並んでいる所など、息子にみせたかった。信長の野望も太閤立志伝もエンディングクリアしたら、次は変体仮名手紙読解にでも挑戦して欲しい。

本日のてがみ:祐筆が書いた手紙か、自筆なのか。誰が書いたかより文字そのものが読めないのだが

~~~~~~~~~~~~~~
<つづく>
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ぽかぽか春庭「2003年の夏1」

2013-07-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/07/13
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>10年前の夏(1)日常茶飯事典

2003/07/03 木 曇り 
トキの本棚:『ション・レノン対火星人』

 日本事情、作文2コマ。

 通勤電車読書。行きで高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』読了。これまで高橋の小説を読んだことがなかった。評論がおもしろい人の小説はおもしろくないだろうという気がしていたので。

 タイトルからSFっぽい話かと思ったのだが、ぶっとんだ小説で、とてもおもしろかった。ホラー映画の死体シーンは大嫌いだが、活字にすれば読むことはできる。気持ち悪いのは同じだけど。でも発表された当時の85年に読んだとしたら、「すばらしい日本の戦争」が登場して死体描写が続く手紙が届いたあたりで、もう読む気がしなくなっただろうなあ。耐性少しは進歩。
 読後イメージは、なぜか『スズキさんの遍歴と休息』に似ていて、気分が同じになる。心情三派の残骸か。

 帰りは『資本論の世界』を読む。これはいつもは枕頭読書用の本。数頁も読まないうちに眠くなるための本なのだ。資本論を読み通したことないし、この本みたいな解説本すら読み通せなかった。 
 「はやりもの」のうちは手がだせず、すたれてきたあたりで「どれ、ひとつためしてみようか」というのが、私の「メジャーなものへの関わり方」。ようするに「みんなといっしょに、はやりもの」がいやなだけだろう。

  息子の隣の席のクレヨンしんちゃんは、資本論を愛読中とか。がんばれしんくん。21世紀の主体思想信奉者しんくんの成長を応援します。もしかしたら、君は地上最後の主体思想家になるのかも。ジョンイルだって、今じゃ、そんなものけっ飛ばしているのに。

本日のやっかみ:インテリげんちゃんの妻は3人目(4人目だっけ?)

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2003/07/04 金 晴れ
ニッポニア教師日記>授業

 ビデオ、会話3コマ。

本日のつらみ:何年も同じビデオで授業をして、ヤンさんの台詞も暗記

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2003/07/05 土 晴れ
日常茶飯事典>うさぎタイムの百円ショッピング

 午後、買い物。ダイソーで、ネット5枚と結束バンドを買う。
 ベランダの柵からタイムが出ないようにネットをはる。好奇心旺盛うさぎのタイムはテリトリーを広げようと活発に動き回る。雌のアスカと行動が違う。ベランダの柵の外は空中。今、ベランダに柵代わりにおいてある網戸、古すぎて真ん中が破れてきた。頭がつっこめれば、のぞいてみようとするタイム。破れた隙間から入り込み、9階から落ちたら終わりだ。
  昔、沢さんちの亀が9階ベランダから下に落ちて死んだことがあった。亀は好奇心から下をのぞいたのではなく、ただ単に落ちたのだと思うけど。

 一生を2DKの中ですごすタイムを考えるとかわいそうな気もするが、息子がいうには、学校のうさぎは2畳くらいのスペースで一生をすごす。宇宙からみたら、小さな惑星地球から出られもせずに一生をおくる人間も似たようなものなのだろう。
 金魚鉢の金魚は一生鉢の中ですごして、「毎日泳げて餌も豊富、ぼくはなんて幸福な金魚なんだろう」と思いながらすごすか。いや、別段何も考えないだろうけど、生物の体の大きさと行動範囲と棲息テリトリーの関係は、心理的なものなんだろう。
 一生を小さな山の村ですごし、ふもとの町に出ていったのは小学校の修学旅行だけ、なんて老人もいて、別段不幸な一生ではなし。村の中で充実した人生が送れればそれでよい。

 Aダンスの発表会用の衣装その他を買う。ダイソーの100円Tシャツ。監獄ロックは「ぼろぼろにしたジーパンとボロボロにひきさいたTシャツ」で踊るというので、ぼろぼろにしても惜しくないように100円Tシャツを買ったのだ。

 ダイソーは、地下一階地上5階。これが100円で手にはいるのかと感激するようなものもあるし、スーパーでは88円で売っているものもある。売り場を回るたびに、これを100円で売るために、作っている人はいったいいくらの手間賃をもらっているんだろうと思ってしまう。その賃金で一家が楽しく暮らせる額になっていればいいのだけれど。

 私たちがものを100円で買って、「100円だから、ぼろぼろに切り裂いて衣装にして、あとは捨てればいいや」と使い捨て商品とするために、作っている側は不当な低賃金を余儀なくされているのだとしたらいやだなあと思う。
 マックの59円ハンバーグのために、企業は牛肉や小麦を安い値段で買いたたき、生産者はたいへんだったという記事を読んだことがあるので、いらぬ心配してしまう。

本日の負け惜しみ:100円ショップでショッピングの楽しみ

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2003/07/06 日 曇り
日常茶飯事典>報道写真展

 恵比寿の東京写真美術館へ。2階で2003年報道写真展を見た。1階と3階はロバートキャパ展、アフリカ写真展をやっていて、私はそちらのほうが興味をそそられたけれど、もらった招待券は2階だけのものなので、2階だけ見て帰る。自分で入場券を買ってまで見ようとはしないところが、なんともケチ。キャパは大好きだし、アフリカも好きなのに。

 報道写真はイラク戦争報道など、迫力のあるものだった。現場に迫りその目で見てファインダーに納めてくるという行為をなしえる写真家の仕事を尊敬する。私は対象に近づけないもの。こわいから。

本日のそねみ:キャパのピンキーになりたかった

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<つづく>
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ぽかぽか春庭「シャガールタピストリー」

2013-07-11 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013/07/11
ぽかぽか春庭@アート散歩>織り姫たちの千年(4)シャガールタピスリー

 2013年1月27日に、渋谷の塩とたばこ博物館へ行ったついでに、渋谷区立松濤美術館へ寄りました。「シャガールとタピストリー展」を見るためです。
 展覧会が始まった、という情報を目にしたとき、「シャガールの絵は好きだけれど、それをタペストリーにして織り上げたというものに、どれだけの魅力があるだろうか。しょせんはコピーのひとつではないか」と思って、出かける気にはなりませんでした。

 塩とたばこの博物館で「さくら」をモチーフにした工芸品を展示しており、その関連展示としてホールで市川雷蔵主演の「薄桜記」を上演していました。「薄桜記」の開始時間まで間があり、時間つぶしのために、松濤美術館を思い出したのです。

 ついでに寄ることができる場所にあるし、入館料は区立美術館なので300円。それなら私にも払えます。(私の考えでは、国立公立の美術館は、すべて無料にすべきです。吉祥寺美術館の100円でも可。)
 あまり見る気もなく入った「シャガールタピストリー展」でしたが、思わぬ収穫でした。

 シャガールは、日本ではおなじみの画家のひとりです。油絵や版画の数々が美術の教科書にも載り、展覧会も西欧の画家のなかでは日本での開催がもっとも頻繁な画家のひとりといえましょう。シャガールのリトグラフは、日本の画商にとっても「売れ筋商品」なのです。

 しかし、シャガールの「大作」は、日本ではなかなか見ることができません。たいていは、教会堂の壁画とか劇場の天井画として制作されており、現地の教会、オペラ座などへ出向かなければ見ることができないからです。

 イヴェット・コキール・プランス(1928-2005)は、シャガールの絵に魅せられ、シャガール作品をタピストリーに再現することに生涯をかけました。
 シャガールの壁画や天井画を、原画に忠実にタピストリーに再現して、移動展示ができるようにしたのです。シャガールはこのタピストリー作品を公認し、「シャガールとプランスの共同作品」として尊重しました。

プランスとシャガール

 今回私が松濤美術館で見た作品も、横幅3m以上、縦5m以上もある大作が中心で、私にとっては、はじめて見るシャガール作品が多かった。
 シャガールが描いたモチーフによって、「聖書」「サーカス」「雄鶏と恋人たち」「花束と人物」「色の分割」「地中海の青」という6つの展示コーナーに分けられて、大きなタピストリーが壁に掛けられています。

6m×4mの大作「平和」


 原画が壁画や天井画のような大きな作品でない油絵やリトグラフのときは、タピストリーとシャガールの原画が並べて展示してあり、色彩のひとつひとつが実に忠実な再現であることが確認出来ます。
 タピスリー制作のための原寸大下絵(カルトン)も展示されていました。どの色糸を何本使用するのか細かく指示されており、私は、このカルトンを「現代音楽の指示楽譜のようだ」と、感じました。このままこのカルトンを「現代アート」として展示しても作品になると思えました。

 カルトンにしたがって、何人もの「織り手」が綴れ織りを行い、イヴェット・コキール・プランスは、あたかもその指揮者のようです。
 音楽は作曲家が譜面を書き、指揮者はそれを自分の感覚によって再現します。プランスも指揮者となって、糸というオーケストラによってもとの譜面を美術作品に仕上げたのです。

 はじめ私は、タピストリーに忠実に再現するだけでは、プライス自身は職人ではあってもアーティストとは言えないのじゃないか、と思っていました。しかし、15点のタピストリーや、使用された色糸の展示を見たあと、楽譜と指揮者の関係と同じだとおもいました。交響曲の演奏において指揮者が芸術家のひとりであるのと同じく、プライスもタピストリー制作の指揮者としてアーティストだなあと感じました。

 シャガールタピストリーの松濤美術館展示は、1月27日最終日でした。見逃さずによかったです。

 古代中世にもくもくと木を彫ったりレンガを積み上げたり縦糸横糸を織り続けた職人は、たいてい無名のままです。アーティストが個人として出来上がった作品に名を残すようになったのは、ルネサンス以後のことじゃないかと思います。

 多数の無名の職人たちは、立派な作品を仕上げることのみに心をくだき、自らを現代の意味でいうところの「アーティスト」とは思っていなかったことでしょう。しかし、アートの語源は、「技術」です。レンガを積んだ、糸を染めたり織ったりした、金具を組み立てた、ひとりひとりの無名の技術者職人たちは、みなアーティストであったと思います。

 織物や染め物を見たとき、私はいつも「どれだけの貴重な手業がこれらの作品に関わったことだろう」と感じます。一本一本の糸を縦にはり横に通すその作業。ペルシャ絨毯を制作するようすを撮影したドキュメンタリー番組を見たときも、気の遠くなるような手間暇かけて女性たちが織り上げた綴れ織りを、出入りの絨毯職人がものすごく安い手間賃で買い上げているのを見ました。それが日本輸入されればン百万円の「手織り絨毯」になります。フェアトレードの人たち、がんばって織り姫たちがちゃんと生活できるような値段で買い上げる運動を始めてほしいです。

 人類が文化を手にしてより、織り姫たちはもくもくと糸を織り上げてきました。千年も一万年も、「糸の仕事」は続けられてきました。
 細い糸の一本を見ても、巨大なタピストリーを見ても、人と糸の長い歴史と美にみとれるばかりです。

<おわり>
コメント (4)
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