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ぽかぽか春庭「2016年12月目次」

2016-12-31 00:00:01 | エッセイ、コラム


ぽかぽか春庭2016年12月目次

1201 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記12月(1)東京の秋色冬色
1225 2016十六夜さまよい日記12月(2)臨時復活ハッピーホリディ

1227 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記拾遺(1)申年は去る
1228 2016十六夜さまよい日記拾遺(2)私はまだ生きている I am still alive.

1229 ぽかぽか春庭ブックスタンド>2016読書メモ


みなさま、よいお年を!

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ぽかぽか春庭読書メモ2016

2016-12-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

玉村康三郎(撮影後手彩色 明治期)

20161230
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2016年の読書

@は図書館本 *は図書館リサイクル本 ¥は定価で買った本 ・はBookoffの定価半額本&100円本。+プレゼント本

<日本語・日本言語文化論>
・小松茂美『かな』1969岩波新書
・吉本隆明『日本語のゆくえ』2012光文社知恵の森文庫
・惣郷正明『辞書風物詩』1973朝日新聞社

<小説 戯曲 ノンフィクション>
・中村文規『掏摸』2013河出文庫
・清水義範『開国ニッポン』2002集英社文庫
・幸田文『台所の音』1998講談社文庫
¥久木綾子『見残しの塔』2012文春文庫
+ツヴァイク『女の二十四時間』1992みすず書房
+村田沙耶香『コンビニ人間』2016文藝春秋

<評論 エッセイ>
・平戸史編纂委員会『大航海時代の冒険者たち』1997平戸歴史文庫
・マーガレット・バラ『古き日本の瞥見』1991有隣新書
・出久根達郎『古本夜話』2003筑摩文庫
・阿部謹也『中世の星の下で』1986ちくま文庫
・網野善彦『日本論の視座』1993小学館ライブラリー
・五味文彦『絵巻で読む中世』2005ちくま学芸文庫
・司馬遼太郎『街道をゆく22南蛮のみちⅠ』2006朝日文庫
・司馬遼太郎『街道をゆく25中国閩のみち』1997朝日文庫
・司馬遼太郎『街道をゆく10羽州街道佐渡のみち』2003朝日文庫
・司馬遼太郎『街道をゆく11肥前の諸街道』1983朝日文庫
・司馬遼太郎『街道をゆく38オホーツク街道』1997朝日文芸文庫
・司馬遼太郎『人間というもの』2009PHP文庫
@本橋哲也『ディズニープリンセスのゆくえ』2016ナカニシヤ出版
・内田樹 『こんな日本でよかったね』2009文春文庫
@内田樹 『呪いの時代』2011新潮社
@笹本正治『甲信の戦国史』2016ミネルヴァ書房
+チャペック『いろいろな人たち』1995平凡社ライブラリー
¥辛淑玉富山妙子『男文化よさらば』2013岩波ブックレット
¥佐藤義雄他編『都市空間を歩く 近代日本文学と東京』2016明治大学リバティアカデミィ
¥村上春樹『職業としての小説家』2016新潮文庫
・高村薫 『作家的時評集2000-2007』2007朝日文庫
・高村薫 『半眼訥訥』2003文春文庫
+阿川佐和子『強父論』2016文藝春秋
*山本夏彦『最後の波の音』2006文春文庫

 <アート>
*太陽編集部『和紙のある暮らし』2007平凡社
¥池上英洋・川口清香『美少年美術史』2016ちくま学芸文庫
・中野京子『怖い絵死と乙女篇』2009角川文庫
・藤森照信『アールデコの館』1993ちくま文庫

 ヤンゴン読書のテーマは「中世」で、網野善彦、五味文彦久木綾子を読んだ。久木綾子は新刊で出たときに読もうと思ったのだけれど、文庫になるまで待ち文庫新刊を購入したのに、結局4年間ツンドクにしておいた。小説は一気に最後読むので、読書のために2,3時間がとれないと読み始められない。ヤンゴンの日曜日、暑さのなかどこにも出る気にならない時間があって、ようやく読めた。
 ミャンマーで寝る前に読んだのは、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズ。小説とちがって、どこでやめて眠りに落ちてもいいので。

 チャペックとツヴァイクは、友人が「処分する」という本をわざわざ私の住まいまで届けてくれた本のなかの2冊。日本人作家の2冊、石牟礼道子と西江雅之もいただいた。西江『異郷の景色』は本棚にあったので2冊目だけれど、西江先生昨年亡くなったこともありしみじみして受け取った。石牟礼の『椿の海』は、すでに2冊持っていて3冊目の本になった。せっかくいただいたので、3冊目も一行一行を味わいながら読んだ。

 相変わらず、100円文庫の棚に目を走らせて、読めそうなものをテキトーに選ぶから、系統だった読書ではなく、読んだ片端から忘れていく。佐野洋子の『がんばりません』も、2013年に読んだのだけれど、古本屋に行くと、読んだかどうだか忘れていてお気に入りの作者だからまた買う。100円だから2冊目でもいいやと思って買ってきて、2度目に読んでもやっぱり前と同じところでワハハと笑って読んだし、須賀敦子『地図のない道』も。単行本持っていて、文庫本も2冊目だったけれど買ってきて、同じように楽しんで読む。そして、あはは、これ、前にも読んだなあと思うのです。
 読んだことのない作家、高村薫の時評、うんうん、うなずきながら読みました。同世代だなあ。

 2016年発行の新刊書。阿川佐和子と村田沙耶香は、夫が買って「もういらないから、あげる」というので、もらった。強父論は、今までいろいろな対談集やエッセイで読んだことのあるエピソードが大半だったけれど、やはりご尊父死後の筆はちょっとしんみりしたりするところもあった。お父さん亡くなったから結婚報道出たのかも。

 本橋哲也 『ディズニープリンセスのゆくえ』カルチュラルスタディがデイズニーをいじるとどうなるのかという興味本位で読んだ。白雪姫から実写版シンデレラまで並べるところがミソ。
 フェミニズム以後のプリンセスのゆくえを、ディズニーがどう持って行こうとしているのか、分析はそれほど鋭くはなかった。私でも映画見て思う程度のことが書かれていたけれど、ちゃんと文化研究者が書くと、ちゃんとした本になる。

 『美少年美術史』ギリシャ時代の少年愛からモローまで、図版が充実。この本が出たからだろうと思うが、「太陽」が最新号で美少年特集をやっていて、あとおい2匹目のドジョウは美術雑誌界でもおなじ。

 こまめに読んだ本のタイトルをメモしておかないから、読んだ本のタイトルを次々忘れてしまっている。
 たとえば、山本夏彦の『最後の波の音』は、中身は確かに前に読んだことある本だ。でも、読書メモの過去ログにタイトルが書いてなかったから、今年の本としてメモした。図書館のリサイクル本。
 山本の本を読むのは、その右派感覚の小言幸兵衛ぶりにツッコミを入れてを楽しむのと、ほかでは出てこない語彙が出てくるのを楽しむため。

 『最後の波の音』の中に「葫蘆は夕顔のこと」という一文が出てくる。
 2009年の中国赴任時に、一泊二日で遼寧省葫芦島へ出かけたことがある。「葫芦島」和訓コロトウを中国音ではフールーダオというのだとはわかったけれど、中国語を知らないので、今まで葫芦が夕顔の意味だとは知らなかった。
 調べてみれば、葫芦は、瓜、瓢箪、フクベ、夕顔などと翻訳される語であった。現代の植物学では原産地は北アフリカカインドとされているのだそうだが、古代中国では、西瓜や葡萄と同じく、「胡=西域」からもたらされた植物として「葫」の文字が当てられたのだろう。胡瓜や胡椒に同じ。

 私はモノを知らないので、このように、「葫」の字ひとつ新しく知っても、去年よりは多少利口に成った気がして新年を迎えられる。

 2017年も、呆け防止本を図書館リサイクル本でただでもらってくるか、100円文庫本を買い込むかして、前に読んだ本もどうせ忘れているから、もう一度楽しめるだろう。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「私はまだ生きている I am still alive.」

2016-12-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記(2)私はまだ生きている I am still alive.

 河原温の「I am still alive」シリーズ、「I got up ○○am.」シリーズを見たのは、東京都現代美術館でだったと思います。近代美術館だったかもしれません。記憶あやふやなのは、いつものことです。
 河原温は、ニューヨークに暮らした現代美術家。2014年に没したのはわかっているけれど、生年さえ1932年説と1933年説があるくらい、私生活については謎に包まれたままの人でした。

 渡米後の作品は「概念芸術 コンセプチュアルアート」と呼ばれるもので、時間と存在がテーマらしい。
 河原が出かけた世界各地から「私はまだ生きているI am still alive.」と書かれた電報を送るシリーズ。その電報紙を並べて展示。

 毎日、友人ふたりに当てて絵ハガキに「私は○○時に起きた」と、起きた時間だけをゴムスタンプで記入して送るシリーズ。絵はがきは、そのとき河原がいた場所で買い求めたもの。ニューヨークが一番多いけれど、パリもあるしストックホルムからもあります。太平洋上、クイーンエリザベス号から、という絵はがきも。
 1968年から毎日、特定の2人の人物に送られた絵葉書、住所などはゴム印でおされています。1979年にこのゴム印が入ったカバンが盗まれてしまい、シリーズは終了。

 11年間に送られた絵はがきの一部を展示するとこうなる。(画像借り物。於グッゲンハイム美術館)
 レゲエヘアのにいちゃんは、ハガキの絵の側を、裏側の3人は文字側を見ています。


 2011年3月。地震が収まっても揺れを感じ続けて不安定な心理になった春庭。報道などでこの「揺れ続ける」のは「地震酔い」というもので、多くの人にこの「後揺れ症候群」が現れたことを知りました。自分を落ち着かせるために始めたのが、河原温の絵はがきのまねっこです。
 自分が「まだ生きている」ことを直接ハガキで知らせていく、という「コンセプチュアルアート」のマネ。自分自身の「生きている感」を取り戻すためのものでした。ハガキを受け取ってもらう相手は、友人の青い鳥さんにお願いしました。

 河原温の絵はがきシリーズは毎日ふたりの友人に出していましたが、春庭発青い鳥受取人の絵ハガキは、3日に1度、1ヶ月に10枚と決めました。河原温と異なるところは、毎回の絵はがきに毎回異なる話題の200~300字くらいの文章を書き込むところ。

 2011年4月にNo.1から始めて、2016年12月で690枚。最初の頃は「目標は千枚」と言っていたのですが、美術館などに行くと「青い鳥さんに、どの絵はがき送ろうか」と、選んで買うのも楽しみになったし、美術館においてある展覧会案内チラシの絵や雑誌のグラビア写真などで絵はがきを作ることも心のリハビリのひとつになり。すでに絵はがきのストックは1500枚分たまっていて、12年後の申年の分まであるのです。

 ブログは、娘息子に「母はこんなことを感じながら生きてきた」という遺言のつもりで2003年から書き始めて、ほぼ毎日、一日に40字×40行3ページほど書き続けてきました。駄文ながら続けることが大事と思って書き連ねてきたのに、今年初めて「数ヶ月の休載」となりました。第2の地震酔いかもしれず、気持ちの余裕がなくなったのです。

 しかし、絵はがきは途絶えず書き続けました。毎月10枚、近況報告やら季節だより、絵はがきの絵の解説など。青い鳥さんに「受け取り拒否」なんてされないよう、さまざまな話題を選びました。

 受け取り拒否せず、私の勝手な送付絵はがきを受け取ってくださる青い鳥さんに感謝です。私は生来の悪筆で、読みにくい文字を書きます。ワープロという近代文明のたまものに出会って狂喜乱舞したくらいです。それでも絵はがきは手書きを続けています。読みにくい文字を読んでくださり、青い鳥さん、ありがとうございます。
 来年も絵はがきを受け取ってください。
 私の「まだ生きています」が続けられますように。

 そして、河原温が絵はがきの受取手をふたりにしていたのにならい、2017年からは絵はがきの宛先を青い鳥さんと、もうひとり、「このブログを読んでくださるあなた」にして、送ろうを思います。私の「まだ生きています」を受け取ってください。
 月に10回ほどの更新になる予定です。

 <おわり>
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ぽかぽか春庭「十六夜さまよい日記拾遺」

2016-12-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
20161227
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記拾遺(1)申年は去る

 2016年のまとめです。
・1~3月 ミャンマー国ヤンゴン大学に赴任。日本語教育立ち上げを行う。ハードな仕事でしたが、それなりの成果を出して後任に引き継げたと思います。

・4~6月 仕事を失ったことは残念でしたが、家族に寄り添って生活できました。娘を満1歳で保育園に預けて以来、食い扶持稼ぎに時間をとられて、娘と朝から晩までぴったりいっしょにいる時間がとれませんでしたが、思いがけず、娘との時間をたっぷりとることができました。

・7~9月 娘との時間を大切にしつつ、仕事のない母が、「娘との共依存」になりがちだ、という認識を持ち、私だけの時間を持つようにしていました。せっせと美術館に通い、音楽会に出かけ、娘に寄りかからないようにしました。

・10~12月 来年はどうしようかなあ、国民年金で親子3人が食べていけるわけないので、そろそろ就活しないと、2017年は飢え死にだ、と思ってやや憂鬱になったところで、ふたつの私大から来年度授業担当の打診がありました。先方から仕事を依頼してくれるなんて、やっぱり捨てる神(国立大)あれば拾う神(私大)と、ありがたく引き受けました。まあ、国立大からお払い箱になるのは、65歳当然の定年ですから、私大で拾ってくれるのは、貧乏家族にとっては溺れる者がつかむ藁。渡りに船。むろん、週に2校6コマの授業の講師料では食べるほどにはなりませんが、焼け石にもスズメの涙。

 非常勤講師は、何年勤続しても臨時雇いですから、1年契約を繰り返し、年金も国民年金。厚労省の規定による「貧困家庭」の水準からついに抜け出すことなく老いてきました。
 人様と比べて何の益もないことは承知ですが、60歳からの年金生活が充実している友人と比べると、老いてなおワーキングプアとして働き続ける我が身の不憫さに涙こぼるる縷々るるルル。

 と、2016年、最後まで毎度おなじみの愚痴をこぼして終了です。同じ世代の中には、子どもが自立し、夫婦二人の生活に戻って楽しい、という人もいれば、毎日が日曜日の濡れ落ち葉夫がわずらわしい、という人もいる。私はといえば、これからもずっとパラサイト娘息子をスネにぶら下げたまま歩いて行く。母から離れない子を抱えるのも運命。

 4月以来、娘にひっついて過ごし、ふたりであちこち出歩きました。共依存だなあとふたりで言い合いながら。
 娘は、働く母に代わって小学生のときから弟の世話をし家事を引き受け、おばあちゃんの介護を担当してきました。おばあちゃんの病院いに付き添っても、デイケアセンターの送り迎えや、近所の買い物に付き添っても、誰にも「こんないいお孫さんがいつもいっしょにいてくれて、おばあちゃん、お幸せね」と、言われてがんばっていました。普通の若い娘のように合コンだとか、ブランドものの服とか、いっさいなく、家族のために尽くしてきました。4月から私が家にいるのですから、娘にはめいっぱいわがままをさせてやろうと思いました。

 食べるの大好きで体重オーバーの娘。歩くことが体調にもよいと言われて、いっしょに博物館やスーパー買い物につきあってせっせと歩きました。が、たいてい出かけた先で歩いて消費した以上のカロリーのランチやデザートセットなどを食べてしまうので、ダイエットにはほど遠かったです。

 娘は、服も靴もアクセサリーもいらぬ、ただただおいしいものが食べたい、というので、娘の食べたいと言うものをステーキでもお寿司でもおなかいっぱい食べさせて、今年のエンゲル係数すごいことになっています。
 食べたいものがあるのは幸せなことと思って、食べたい食べ物を買える程度には、来年も働こうと思います。
 来年も課題は体重管理ですね。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「臨時復活ハッピーホリディ」

2016-12-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
201612025
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記12月(2)臨時復活ハッピーホリディ

 みなさま、楽しいクリスマスをおすごしでしょうか。
 ダイバーシティ多様性の重んじられる現代社会では、この日にメリークリスマスと呼びかけあうのは控えられて、どの宗教の人でもお祝いできるように、「ハッピーホリディ」と言い合うのが「言語的配慮」なのだそうです。

 古来、多くの民族で「冬至=太陽復活」の祭りが行われてきました。
 古代ヨーロッパのゲルマン民族では「ユール」と呼ばれる冬祭りがありましたし、中国では、古来より冬至を祝う儀礼がありました。文献で確実になるのは、漢の時代から漢の時代から。「郊天の儀」は、天子が冬至に天日を祭る重要な儀式のひとつだったのだとか。

 南半球はどうだったかというと。古代インカ文明では、6月に冬至を迎える。冬至の日の朝の光が神殿などにまっすぐ差し込むように設計されており、王は正しく冬至の日を知り、その暦によって種まきの時期などの農耕適時を民にしろしめしたのだとか。

 西欧では、キリスト教と古代宗教が習合しました。聖書の中に、「イエスの誕生日」はどこにも書かれていないですが、冬至祭りがイエスの誕生日として祝われるようになりました。
 弱まった太陽の復活を祝う気持ちは、冬でも青々とした木を飾り付ける習慣に現れています。
 
後楽園遊園地のクリスマスツリー


 中国でも西欧でも、太陽がこれから「一陽来復」していくお祝いの日に家族親族が集まり、いっしょに飲んだり食べたり贈り物をしあったり、楽しくすごす日になりました。
 日本で現在の形のクリスマスが盛んになったのは、戦後のアメリカ文化普及の影響と考えられていますが、むろん、日本的にアレンジされて広まりました。

 西欧人米国人が日本のクリスマスについて、「七面鳥ではなく、ローストチキンやフライドチキンを食べるのは邪道」だとか「ブッシュドノエルやシュトーレンなどの伝統的クリスマスケーキではなく、イチゴの生クリームスポンジケーキを食べるのは間違っている」なんて今だに言うのは、自国文化中心主義者の、それこそ「邪道」な言いがかり。それぞれの文化でそれぞれの楽しみ方をすればいいのです。
 サンタクロースだって、様々な文化が混じり合い影響し合ってできあがった存在ですからね。

  12月のはじめ、一家で後楽園に出かけて食事したとき、後楽園ドームのへりを歩いていけば地下鉄駅に近道なのに、夫が「後楽園遊園地のイルミネーション見物をしていこう」と、普段なら言わないことを言うので、イルミネーションを見ながら駅に向かいました。後楽園遊園地は、入園は無料です。
 遊園地の中にサンタクロースがいて、記念撮影をしていたので、いっしょに撮ってもらうことにしました。むろん「撮影は無料ですか」と、確認した上で。

 サンタさんを真ん中に、夫、娘、私、息子、4人+サンタで「ハイ、パチリ」
 娘が言うには、「一家4人で写真写すのは20年ぶりくらい」なんですって。夫は写真に撮られるのが嫌いで、家族で写真を撮るときは自分がシャッター押す側にいて、写真の中に入ることがなかったし、皆で記念写真を撮るときも、昨年まではおばあちゃん中心に撮っていたので、「夫婦と子ども二人」という写真はほとんどなかったのです。サンタさんのおかげで、私には貴重な家族写真になりました。4月以来、仕事をせずに家族のためだけに生活した貴重な私の9ヶ月の記念です。来年4月からは、また私大2校の授業を担当します。生活費稼がなくちゃね。



 今年の冬至は12月21日でした。
 我が家は12月22日、冬至の次の日に太陽復活の祝いをしました。メイン料理はむろん「ローストチキン」、蟹マカロニグラタンとエビクリームスープも生協既成品。息子が上野駅エキュートで買ってきた海鮮サラダ。手作り品は、娘が作った「生クリームスポンジケーキ」です。

息子が生クリームを泡立て器でカシャカシャと作るのを担当。娘はスポンジを四層にしてイチゴやクリームを飾りつける係。スポンジ台は生協の既製品なんですけれど、四層にして、スポンジといちごたっぷりの生クリームを重ねてあります。今回は泡立てがとてもうまくいって、みてくれはともかく、味はどこの有名店のイチゴショートケーキよりおいしいと、3人とも満足の味になりました。



 2016年後半、3月末にヤンゴンから帰国以来、我が家には思いもよらぬ試練がありました。まだまだ乗り越えるべき山も谷もあるでしょうが、来年は一陽来復、きっとこの寒さを乗り切ればあたたかくなると信じています。この祈りこそが冬至祭りの大事なところだと思います。
 
 みなさまにも、一陽来復となりますように。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「東京の秋色冬色」

2016-12-01 23:00:00 | エッセイ、コラム

秋色の旧古川邸

20161201
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記12月(1)東京の秋色冬色

 東京は11月中旬下旬くらいが一番秋色が鮮やかになります。と言っても、北国や山の鮮やかさに比べるとくすんだ茶色系が多い紅葉です。
 紅葉狩りの遠出もできない身の上ですが、せめて近場の公園で紅葉を楽しみました。












 
 11月下旬になるとすっかり寒くなった東京、紅葉を見た3日後には、雪が振りました。11月に雪が積もるのは半世紀ぶりとのニュース。私の住まいの周辺では、雪はだいたい溶けてしまい、真っ白な雪景色にはなりませんでした。
 くすんだ紅葉の上に降りしきる雪。きれいな雪にみとれてしまいました。雪国の人にはもうしわけないけれど、たまの東京の雪景色、うれしいです。







うっすら積もってすぐ溶けた。


 しばらく日記UPをお休みします。
 気持ちに余裕出来たら再開しますが、当分は部屋の片づけ、がんばります。12月中に片付くといいのですが。

<つづく>
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