ぽかぽか春庭「読書メモ2011後半」
2011/12/18
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年歳末(6)読書メモ2011後半
今年1月に「年末年始読書記録」を書き8月に「2011年前半読書メモ」があるので、2011後半読書メモも書いておこうと思います。
手元にある本や覚えているのだけ書くので、図書館に返却した分、すでにタイトルを忘れてしまったのもあるけれど、思い出さないってことは、それだけ印象にのこらなかったのだから、無理矢理思い出すこともない。
8月~12月で13冊というのは、2011前半に比べてもずいぶん少ない冊数です。(前半は1月~7月で40冊)読書メモに残して置くのは、単行本文庫本新書だから、本屋でもらう出版PR誌や雑誌は記録しない。例えば、どこかの美術館だったかの「ご自由にお持ち帰り下さい」のコーナーにおいてあった『伝統と文化No.34 特集伊那人形芝居』というポーラ化粧品のメセナが出しているパンフレット、たいへんよくまとまった人形芝居紹介でしたが、雑誌やパンフレットは1冊カウントにはいれないので。どうしてこういうメモ・ルールにしたのかは忘れた。
2011後半は、電車の中読書がほとんどこの類の本ばかりだったし、徘徊散歩のお供には、建物の解説パンフレットなどを読んでいたことと、読書タイムが電車の中しかないのに、後半、電車のなかではもっぱら「睡眠不足解消タイム」となっていたので。得に夜更かしするほどしていたことがあったわけではないのに、なぜかいつも眠かった。
3月、本棚倒壊で部屋が本の山になったとき、「これは本を整理しろという天からの命令」と思って、思い切り本を捨てました。だいたい、今までが「いつか読むかも知れない」と思うツンドク本や「何かの資料に使えるかも」という紙類が多すぎた。でも、捨ててみるとやっぱり、「あ、あの本に書いてあったこと、必要」を思えることが何度も出てきて、捨てたことを後悔することたびたび。やっぱりどれほどかさばろうと部屋を狭くしようと、捨てるんじゃなかったと思います。
で、結局は捨てた分、古本屋でどんどん買うもんだから、部屋はまた元の木阿弥、床一面に散らかった本の山。買い込んだ本はほとんどが積んどく本になりました。
@は図書館本 ¥は定価で買った本 ・は、ほとんどBookoffの100円、200円本。
<日本語日本文化関連>
・石田英一郎『日本文化論』ちくま文庫1987
・柳瀬尚紀『日本語は天才である』新潮文庫2009
@佐藤勝・小杉商一『懐かしい日本語辞典』東京堂出版2008
@遠山淳・他編『日本文化論キーワード』有斐閣双書2009
<小説・ノンフィクション>
・杉本苑子『マダム貞奴』読売新聞社1982
・安岡章太郎『大世紀末サーカス』文春文庫1988
<エッセイ、その他>
・佐野洋子『神も仏もありませぬ』筑摩書房2004
・村上春樹『辺境・近境』新潮文庫2010
<評論・研究書、評伝 その他>
・レズリー・ダウナー『マダム貞奴』集英社2007
@山口庸子『踊る身体の詩学』名古屋大学出版会2006
・川村国光『オトメの祈り 近代女性イメージの誕生』1995紀伊國屋書店
¥木下直之『美術という見世物』講談社学術文庫2010
・佐野眞一『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』文藝春秋2005
読んだ冊数は少ないけれど、どの本もたいへん印象深かった。前半の読書ではリービ英雄が私的特集だったのに対し、後半特集は川上貞奴。貞奴の欧米巡業に関連して『大世紀末サーカス』も読み直して、こちらもとても面白かった。
<つづく>
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