春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2017年5月目次」

2017-05-30 00:00:01 | エッセイ、コラム


20170530
ぽかぽか春庭>2017年5月目次

0502 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>5月のことば(1)第3章確認

0504 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(1)ハッピーフライデー落語独演会・金原亭世之介と女弟子乃ゝ香
0506 2017十七音日記 黄金週間(2)カラオケとパレード
0507 2017十七音日記 黄金週間(3)メーデーわがや映画祭
0509 2017十七音日記 黄金週間(4)熊谷守一美術館と上野フレンチ
0511 2017十七音日記 黄金週間(5)みどりの日庭園はしご
0513 2017十七音日記 黄金週間(6)こどもの日・川原慶賀展とサンシャイン60
0514 2017十七音日記 黄金週間(7)水元公園へサイクリング
0516 2017十七音日記 黄金週間(8)母の日・手作りプレゼント
0518 2017十七音日記 黄金週間(9)ファッションとアート展in横浜美術館

0520 ぽかぽか春庭アート散歩>調和と崇高(1)バベルの塔展in東京都美術館
0521 調和と崇高(2)ゴッホとゴーギャン展in東京都美術館
0523 調和と崇高(3)杉本博司ロストヒューマン展in東京都写真美術館
0525 調和と崇高(4)鈴木其一展inサントリー美術館
0527 調和と崇高(5)並河靖之七宝展展in庭園美術館
0528 調和と崇高(6)ラスコー壁画展in東京科学博物館



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「ラスコー壁画展in東京科学博物館」

2017-05-28 23:00:01 | エッセイ、コラム


20170528
ぽかぽか春庭アート散歩>調和と崇高(6)ラスコー壁画展in東京科学博物館

 昨2016年秋、娘息子と出かけた東京科学博物館の展示「ラスコー壁画展」を見ました。約2万年前のクロマニヨン人が描いた彩色画です。
 私が見たのは2016年11月02日。東京展が2月28日に終了した後、ラスコー壁画展は宮城へ巡回。2017年3月25日~5月28日までの東北歴史博物館での展示が終了し、7月11日~9月3日(日)に九州国立博物館で展示されます。

 ラスコー壁画展、精巧なレプリカの展示です。フランス現地の壁画は、フランス西南部ヴェゼール渓谷にある洞窟の中に描かれていました。
 先史時代、オーリニャック文化と呼ばれる時代の狩猟採集民によって、洞窟の側面と天井面には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形などが描かれています。
 現在は非公開。1960年代までの公開中、人が排出する二酸化炭素によって絵が劣化したための措置です。

 現在の洞窟は、許可された研究者が洞窟内にわずかな時間だけ入れるだけとなっていますが、レプリカ(複製)が公開されています。洞窟近くにはレプリカ1の展示。
 科博の展示は、ラスコー4と呼ばれる精巧なレプリカ展示です。洞窟壁画の時代の石器や装身具など、借入品は写真撮影禁止でしたが、レプリカの撮影は自由にできました。

 レプリカでも壁画の迫力は十分に見てとることができ、原始のエネルギーを感じ取ることができました。
 薄暗い洞窟の奥で、わずかな獣油の灯りを頼りに、手探りで壁一面に動物や人の姿を描いた人々。動物の形を描くことによって、狩猟で得られた獣の魂を慰めることになり、次もまた獲物の豊かな獲得につながるよう、描くことが祈りであり願いであった絵の数々、私は崇高を感じました。

 大迫力の動物たち








 数分おきに照明が消され、蛍光線画によって、動物の輪郭が浮かび上がる


 洞窟のレプリカ



 クロマニヨン人たち



 クロマニヨン人の装飾品


 「サピエンス全史」は、ユヴァル・ノア・ハラリによるベストセラー。人類20万年の歴史のうち、認知革命を経て、農業革命、産業革命、情報革命とたどってきた人類の歴史を未来までに渡って見通す著作です。今まで読んできた「文明史もの」と、どこがどう違って大いにウケたのかわかりませんけれど。

 他者と調和して生きようと思い、人類を超えた存在に崇高さを求めてきた人類の歴史。しかし、自然を人の力で支配しようとした農業革命から、いや、人が言葉を自由にあやつれるようになったとき、人間が認知力、言語力を獲得し、想像力を得た頃から、少しずつ何かが壊れていった、という主張。
 もし、百万年後に人類がまだ存在しているとしたら、、、、現生人類クロマニヨン人が、ネアンデルタール人の遺伝子を取り込みながら新人類となったように、現代人の遺伝子を取り込んでいるものの、ネアンデルタール人とクロマニヨン人が異なる以上の違いがある人類が地上にあらわれているだろう、という予測、実現しそうです。

 私たちが自分たちの祖先の描いた壁画を、「先祖の文化」と感じるように、新しい人類は、私たちが残すチェルノブイリ石棺や中国の長城の残骸を「先祖の文化」と感じるかどうか。
 
 ユヴァル・ノア・ハラリは「人間が、言語によって目の前にないものを表現できるようになって以来、滅亡は目の前にあった」
 杉本博司も言う「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」
 私も言っておこう。「私が生きているうちはいやだが、ま、人類はいずれ滅びるでしょうよ、今のうちにやりたことやっておきましょう」
 はい、5月27日、古河庭園では薔薇風味ジェラート、ローズティとローズペタルのダブルを食べました。

 科博特別展入り口のポスター


<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「並河靖之七宝展展in庭園美術館」

2017-05-27 00:02:04 | エッセイ、コラム


20170527
ぽかぽか春庭アート散歩>調和と崇高(5)並河靖之七宝展展in庭園美術館

 「明治時代の輸出用工芸品」に興味を持ったのは、それほど昔のことではありません。西欧受けするように華やかな装飾された陶器も金工も、あまり好みではなく、すっきりと飾りのない高麗白磁や青磁が好みでした。
 最近、工芸技術の継承に目が向き、すでに明治の金工技術などは後継者がいなくなって、再現不可能な工芸品もでてきた、というようなニュースを耳にするようになって、ようやくこれらの工芸品を見て歩くようになりました。

 明治期に輸出された陶芸品も七宝作品も、優美な品は国内にはほとんど残されていませんでした。外貨獲得の国策として、作るはしから輸出されていったからです。
 外貨獲得目的の輸出品が鉄鋼などの重工業に変わると、明治初期から中期にかけて盛んに輸出された美術工芸品も、職人の不足などでふるわなくなっていきました。
 いったん後継者が途絶えてしまうと、その制作過程は後世に伝わらなくなってしまう。私たちの心奪う曜変天目茶碗も、中国で日本で、数多くの陶工が再現を試みていますが、まだその製法は明らかになっていません。あの、怪しいばかりの輝き、再現されることを願っています。

 日本の輸出工芸品のなかで、明治の七宝工芸は、かろうじてその技術の伝承は途絶えずにすみました。ただし、現代七宝工芸の最高レベルの作品は、庶民には手の届かない高価なものになっていて、ちっちゃな七宝のペンダントヘッドひとつでも、気に入った作品を買えるほどのお金持ちをうらやむばかり。

 庭園美術館で開催された並河靖之七宝展。1月18日に観覧。

 並河靖之(1845-1927)は有線七宝の名人として、明治工芸を牽引し、無線七宝を得意とするライバル濤川惣助と共に、二人のナミカワと評されました。濤川惣助の作品も、国内にはほとんど残されておらず、私は、赤坂の迎賓館で見ることができてよかったです。有線七宝の並河作品は、明治工芸の展示で見たことはありましたが、資料を含めて130点もの作品を一度に見るのは初めてのこと。
 夜空の星や雨上がりの虹と同じように、美しいものをただ堪能し讃仰する、そんな存在として眺めました。
 
 明治期に海外へ輸出された作品は、ただ「日本工芸品」として買われていったものも多く、作者不明のまま西欧の美術館などに展示されていました。
 ↓の一対の壺も、作者不明のまま泉涌寺所蔵となっていた作品です。資料として保存されていた並河の下図と、壺の絵柄が一致して、ようやく並河の作品であることが明らかにされたのだそうです。

 菊紋付蝶松唐草模様花瓶 (明治中期)


上の花瓶の中央の蝶拡大図


 桜蝶図平皿 (明治中期)と、別の桜蝶図の下図


 

 藤草花文花瓶 並河靖之七宝記念館蔵
 

 新館の映像ルームでは、七宝がどのような工芸であるのかがわかるように、現代七宝作家が作品を作る過程を動画で見せていました。ほんとうに細かい作業の続く、根気のいる仕事です。
 金、銀、銅、青銅など素地の上に、細い銀線で輪郭線で模様を描きます。銀線と銀線の間に釉薬を流し込みます。釉薬は、ガラス質に顔料となる金属を加えてペースト状にしたもので、焼くと溶けた釉薬によってガラスのような質感が現れます。
 並河作品の銀線の間隔は、0.5ミリ以下。超絶技巧です。

 明治末から大正期に入ると、国は工業を重視するようになり、職人の確保もむずかしくなりました。職人の人件費の高騰や外国への輸出が激減するなど、七宝は衰退していきました。
 並河は1923(大正12)年に工房を閉鎖し、4年後、83歳でなくなりました。

 無線七宝の濤川惣助の作品が国内では迎賓館に残されただけであるのに比べると、並河靖之の作品は、清水三年坂美術館や、並河靖之記念館などで収集保存が行われているので、工芸作家としては、恵まれているのかも知れません。
 高度な技術を駆使してすばらしい作品を作り、外貨獲得にも貢献した工芸家にして、報われることは少なかったかとも思いますが、こうして作品を見て、その美しさに感嘆する観客がいたことを、天から見ていて欲しいと思います。 

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「鈴木其一展inサントリー美術館」

2017-05-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170525
ぽかぽか春庭アート散歩>調和と崇高(4)鈴木其一展inサントリー美術館

 西洋美術の美意識の一面が、「調和と崇高」であることを述べました。一方の日本美術の美の規範のひとつが桃山時代に顕在化した「侘寂」と「絢爛豪華」。
 黄金の茶室などを権力の象徴として活用した豊臣秀吉の美意識に対抗した千利休の「侘寂」の美意識。

 江戸琳派は、金箔銀箔を用いた大胆な構図で、豪華絢爛な図象を描き出しました。
 琳派は、日本において脈々と受け継がれてきた美意識のひとつです。琳派はそのデザイン性の高さが、西洋美術にも強い影響を与え、ジャポニスムのひとつの典型として受け入れられました。

 昨2016年秋のサントリー美術館、鈴木其一展は、江戸琳派の代表的画家の画業を一覧するのにとてもよい展示でした。

 サントリー美術館の入り口ポスター


 鈴木其一(すずききいつ1796-1858)は、江戸琳派の祖・酒井抱一(さかいほういつ1761-1829)の弟子、家臣、後継者です。

 抱一は、江戸幕府譜代大名酒井家の次男。姫路藩の殿様の子ですから、文芸画芸の習得にも不自由なく、趣味の世界に没入することができました。
 鈴木其一は18歳のとき、抱一に弟子入りし、内弟子として師の身の回りの世話から代筆までこなして修行。33歳のとき、抱一がなくなるまで仕えました。師の死後は、しだいに独自の画境をひらき、江戸琳派をさらに発展させて其一様式と呼ばれる形式も生み出しました。息子守一(しゅいつ)に酒井家絵師の座を譲った後も作品を生み出していきました。

 サントリー美術館には、其一のほか、鈴木守一、酒井抱一の作品などが展示されていました。

 ワビサビ好みな人だと、夏秋渓流図(根津美術館所蔵)や朝顔図(メトロポリタン美術館所蔵)の装飾過多と思える図象をやりすぎ、と感じるのではないか。しかし、其一は、利休も芭蕉も知り尽くした上で、この朝顔を描き、渓流図を描いています。私には、渓流図の色合いは強すぎて、自分の部屋には飾れない、と思いましたが、まあ、レプリカであれ買えないからいいんだけれど。

 朝顔図に見入る人々の姿、ニューヨークに朝顔が帰ってしまっても、朝顔を見るたびに、其一の描いた朝顔図を重ね合わせてしまうのではないと思います。ひまわりを見る私たちの目に、ゴッホのひまわりを重ね合わせてしまうように。

 朝顔図に見入る人々


 朝顔図屏風・右双


 夏秋渓流図 左双秋



 


 
<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「杉本博司ロストヒューマン展in東京都写真美術館」

2017-05-23 00:00:01 | エッセイ、コラム

杉本博司ロストヒューマン展ポスター

20170523
ぽかぽか春庭アート散歩>調和と崇高(3)杉本博司ロストヒューマン展in東京都写真美術館

 2016年に2度見に行った展覧会、ゴッホとゴーギャン展のほかはひとつだけ。東京都写真美術館のリニューアルオープン記念の杉本博司展を、2度見ました。9月21日第3水曜日65歳以上無料の日、ミサイルママといっしょに。10月1日都民の日、無料。ひとりでもう一度見ました。開館20周年記念&リニューアルオープン記念にふさわしい、よい展示であったと思います。




 杉本博司(194~)は、ニューヨークを拠点として活動を続けてきた写真家。出発がジオラマや蝋人形を撮影した作品であり、「時間の流れ」を写真に定着させる、といった、写真の概念を超える作品を発表しています。
 ロストヒューマン展は、写真、人形、道具など、さまざまなモノを並べることによって、滅びへと向かう人類の運命を時間の流れの中に明示しています。
 これまで写真を展示してきた写真美術館の中に、「モノ」が置かれた空間。コンセプチュアルアートとも違う、不思議な空間でした。
 2度見に行く価値のある展示だったと思います。

3階エントランスロビーは撮影許可。


 3階展示。「ロストヒューマン」展。「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」という杉本の文に続けて、各界の作家や画家、哲学者などが33章の文章を書いています。会場には全テキストが印刷されたパンフレットが配布されていましたが、展示といっしょに苦労してテキストを読むのが、いっそロストヒューマン気分になれます。

 古いトタン板で囲った廃墟のようにしつらえたブースに、杉本は、≪理想主義者≫≪比較宗教学者≫≪宇宙物理学者≫などのタイトルで、古美術、化石、書籍、歴史的資料、人形などを展示しています。おどろおどろした展示だったり、ばかばかしかったり、滑稽だったり。
 最先端のコンセプチュアルアートかもしれないし、江戸末期の見世物小屋の雰囲気もあって、とても面白かった。

 大阪万博太陽の塔をディスる?パロる?いやいや、リスペクトっす。


 ラブドール「アンジェ(天使)」背景にはジオラマ風景写真。人工の恋人と人工の自然。


 梵字の卒塔婆の前に置かれた人形たちがこわかった。りかちゃんやバービー。東欧だったけの民族人形など。


 フィデルカストロ肖像写真。台風だか津波だかに襲われてぼろぼろになっている。ロストヒューマン展が2016年11月13日に終了した10日後にフィデル死去。できすぎている滅亡予想。


 出口に来るときには、「そうさ、人類は滅びるっきゃないね」という気分になっていて、「どんと来い、人類滅亡!」と、もういっそさわやか晴れ晴れ。
 滅びるのは明日かもしれないと思っているところが滑稽で、実はもう昨日のうちに滅亡しているんじゃないか、と、確かに思うのです。共謀罪多数派与党の強行採決で衆院通過しても、国民はヘラヘラと「紅旗征戎非吾事」と平気でいるしね。確かに、もう亡んでいる。
 杉本博司、イイネ。

 2階展示。廃墟劇場&仏の海。
 廃業した映画館。すでに興業は終了した映画館の中で、映画フィルムを映写してもらい、その映写の灯りだけで、映画館を撮影する。廃墟となった映画館。ぼろぼろの客椅子が残されていたり、壁や天井が崩れかかっていたりする。
 映画のタイトルはあるが、長時間露光だから、スクリーンには白い画面しか写っていない。映画のタイトルは、「渚にて」や「ゴジラ」「デープインパクト」など、人類が厄災にみまわれてあたふたする映画。どうやっても人類滅亡するんだけれど、画面はただ、白い。


京都 蓮華王院本堂(通称、三十三間堂)の千手観音 


 ど~んと並んだ、千手観音。ワラワラと。雨後の筍、孵化する蟷螂。。
 こんなにワラワラいっぱいいる観音様、どなたかひとりくらいは、私を許し守ってくれるに違いない。なんていう感想を述べたら、杉本は「観客にそんな安直な気分を持たせるために撮った写真じゃない!」って、怒り出すのか。いやいや杉本は千手観音像の撮影意図を次のように述べている。
 「滅亡の33話を3階で見て、実際に滅びていく姿を2階の『廃墟劇場』で見て、裏側を見ると千体仏が待っている。救われて帰っていただくということです」

 この千手観音で救われる人類ならば、まだ滅びるまでには百年くらいはあるだろう。とりあえず、あと50年ほどは、北のおデブさんも、壁好き大統領も、核ボタン押さないでほしいな。

<つづく>

引用について。
東京都写真美術館のサイトの中に「なお、ブログやSNS、写真共有サービス等でのご掲載は、利用者の責任においてお願いいたします。当館は一切の責任を負いません」という一文が掲げられています。むろんのこと、春庭のサイトに出ている文章も写真も、春庭の責任において掲載しています。

 確信犯とは「政治的・思想的または宗教的信念に発して、それが正しい事だと確信して行う犯罪」を、刑罰覚悟で実行する人のこと。春庭には、何らの政治的宗教的信念もないので、正しいことだと確信してイケナイ事をしているのではなく。写真を撮ってはいけない、と書いてあるのに写真を撮るのはイケナイことです。

 ウォーホールの「キャンベルのスープ缶」をパロっているこの展示をコピーしようとカメラを出したら、たちまち係員にとがめられました。大犯罪者になった気分。シルクスクリーンで摺り出せば、ポップアート。芸術。コンパクトカメラを出せば犯罪。

美術手帖より引用


 ただ、公共的美術館博物館で、著作権が切れている作品については、商業利用目的出ない限り、写真撮影等は許可されるべきだ、という考えは持っています。海外美術館などで、インターネット上にデジタルアーカイブを公開していることを歓迎しています。
 日本の美術館、たとえば、埼玉県立近代美術館では「著作権が切れている作品でも、当館に作品管理権があるので、その権利によって撮影を禁止している」というところもあります。狭量です。

 このページの借り物写真は「美術手帖」などからのコピペです。引用元を明らかにするというルールのもと、非商業利用をしています。
 美術手帖編集部及び杉本博司から削除要求があった場合は、削除します。日付が入っている春庭撮影の写真、ラブドールなどは、美術手帖の同じものより、よく捕れているように思います。どなた様にも引用許可ですが、作品著作権者は杉本博司であることを確認。 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「ゴッホとゴーギャン展in東京都美術館」

2017-05-21 00:00:01 | エッセイ、コラム

ゴッホが描いたゴーギャンの椅子と、ゴーギャンの椅子ゴッホの椅子複製。

20170521 
ぽかぽか春庭アート散歩>調和と崇高(2)ゴッホとゴーギャン展in東京都美術館

 東京都の施設は、第3水曜日65歳以上無料公開日。木場の現代美術館が修理閉館中なので、東京都美術館、庭園美術館、写真美術館を訪れることが多いです。
 好きな展覧会は、2度訪れることもあります。たとえば、東京都美術館のゴッホとゴーギャン展は、2016年11月12日土曜日に、ミサイルママと「大人のえんそく」で訪れ、11月16日水曜日は同じ展覧会にひとりで出かけました。土曜日はもらった招待券2枚を活用。水曜日は無料日です。
 
 ふたりで見るときも、見て回るのはそれぞれ自分のペースで、終わった後、公園のベンチで飲み物を飲みながら、感想を語り合ったりします。ひとりで見るのもじっくりひとつの絵の前で長居をして、好きなだけ見ていたりして、楽しい時間です。2度目に出かけたのは、12日に行ったとき買いそびれた図録を買うためでした。高くて重い図録、できるだけ増やさないようにしていますが、ゴッホとゴーギャンの友情をうまくキュレーションしている絵の並べ方が気に入ったので買いました。

ゴッホとゴーギャン、自画像のポスター


 ゴッホとゴーギャン、ふたりの友情につき、ゴーギャンがタヒチに移住して終わりになってしまった、という印象を持っていました。実は、タヒチとフランスの間にも往復書簡が残され、友情が続いていたのだ、とわかりました。
 ゴッホ(1853-1890)とゴーギャン(1848-1903)の共同生活は、ゴーギャンとの暮らしが破綻してしまうことを思い詰めたゴッホが、自らの耳を切り落とすという事件となってたった2ヶ月で幕を下ろしました。
 画業について激しく口論したことも含めて、短い共同生活の上ではあっても、互いの芸術を高め合ったことがわかります。

 ゴーギャンが描いた、ゴッホの思い出のひまわり


 ゴッホ展も日本で開催されるたびに見てきたし、ゴーギャンも何度も見てきました。しかし、今回はふたりの友情や影響関係を中心に絵を並べて、キュレーションの妙を感じました。
互いの芸術を認め合いながらも、いっしょには暮らせなかったゴッホとゴーギャン。それは仕方のないこと。

ゴーギャンのタヒチ時代の作品ポスター


 ゴッホとゴーギャンの間に交わされた往復書簡。ゴッホは弟テオに宛てた手紙に比べると言葉遣いが丁寧で、テオに心のうちすべてを打ち明けるような調子とは異なるけれど、ゴーギャンの芸術に対して最後まで深い尊敬の念を持っていたことがよくわかる内容だそうです。

 天才ふたりが互いを尊敬しながらも日常生活では火花を散らしてしまい、2ヶ月しか共同生活を過ごせなかったこと、友情は最後まで続いていたこと、なによりも、展示されていた60点ほどの絵、どれも傑作でした。

ゴッホ2点(画像借り物)



ゴッホとゴーギャンの椅子レプリカが展示されていました。ミサイルママ撮影の春庭


<つづく>

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「バベルの塔展in東京都美術館」

2017-05-20 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170520
ぽかぽか春庭アート散歩>調和と崇高(1)バベルの塔展in東京都美術館

 美術展にいくと、あまり観客がいない静かな空間でひとときよい時間をすごせることもあるし、ワイワイと押し寄せる「物見遊山客」の肩越しにようやくちらりと見ることができるくらいの人気展もあります。

 それほど美術に縁もなさそうなオッサンおばハンが、どうしてこうも大挙して押し寄せるのだろう、という疑問を、私自身もまたそのオバハンのひとりでありながら、感じたものでした。中学校の美術の時間、好きでしたか、と、ひとりひとりに聞いてみたら、きっと私と同じように、「絵は下手だから、図工も美術も嫌いな時間でした」と応えるほうが多いのではないか。絵も工作もヘタだったけれど、私、鑑賞の時間だけは好きだったんです。おゲージツが私の心にしみいったのか。

 あるとき、有名画家の展覧会に押し寄せた大勢の観客を見ていて、「絵の鑑賞でも、見世物小屋でも、どちらでもいいのだろうなあ」と思い至りました。「真珠の首飾りの少女」のときです。
 高度成長期のあと、おそらくはテレビ普及前までは日本各地の盛り場や祭礼の場に見世物小屋がありました。

 ろくろっ首だの、へび娘だの、カッパのミイラだの、怪しげなもの小屋の中で見せる。私の小学校低学年くらいまで、お祭りに小屋が出ていたのですが、これらの見世物にお金を使うことは親に禁じられていました。「カッパとか偽物だし、ろくなもんじゃない」と、親はいうのです。私も、カッパ見るより団子食べたほうがいいと思ったので、見たことありませんでした。

 もはや見世物小屋などひとつもなくなった、という現代。ああ、ひとつでもいいから、見世物小屋を見た記憶がほしかったなあと後悔しています。もしも、見世物小屋を復活させる興業があったとしても、大人になった今見たのと、子供がおそるおそる見るのでは、だいぶ受け止め方が違うでしょうから。

 江戸時代の見世物小屋、珍奇な動物、ラクダや象の見世物が大はやりのこともあったし、猿と鮭をつぎはぎした人魚なんてものもありました。明治初期の見世物小屋大賑わいのころには、油絵も見世物の対象だったことなど、見世物についての私の知見は、ほとんどを木下直之東大教授の著作によっています。『美術という見世物』(1999ちくま学芸文庫)ほか。油絵も珍奇な見ものとして、浅草寺境内などで興業されました。

 不思議なもの、わけのわからぬもの、恐ろしげなものを見たい、この心理は、現代人の中にもあります。しかし、もはや見世物小屋はなし。せいぜいスクリーンの中の「シンゴジラ」に出会うくらい。しかし、日常生活が扁平でうわっつらを流れていくようなとき、「日常にはない物」を見て脳細胞を活性化し、心をゆさぶることは、万人に必要な心の栄養素です。心に栄養を与えないと、だんひからびる。
 そこで、人々は若冲に押しかけたり、真珠の首飾りの少女やバベルの塔を見に押しかける。

 私は見ることができなかったけれど、ミロのビーナス(1964)やツタンカーメンのマスク(1965)が来日したときの長い列、記憶にあります。(2012年のツタンカーメン展には黄金のマスクは来ていません)

 「バベルの塔」展を、5月17日水曜日に見てきました。第3水曜日、65歳以上入場無料日です。水曜日は日本語教育学の出講日ですが、ミサイルママが「ホテルルームの仕事は3時までなので、早めにあがれたら上野まで駆けつける」というので、私も、授業後の出欠管理だの、次週授業準備だのは割愛して、上野まで行くことにしました。
 閉館時間まで運がよければ1時間くらいは見る時間がありそうです。

 アートを楽しむのは、私にとって、心の栄養素です。緻密に描かれた植物画に調和の美を感じ、でかい恐竜の骨を見て「崇高!」を味わう。花の色を愛で、新緑に包まれて癒やされたり、いろいろな心の栄養がありますが、アート見物もそのひとつ。

 「崇高」って、でかくて人間には及ばない存在に対して感じる畏怖や尊敬の念。近代の人々は、スイスアルプスの雄大な山塊に崇高を発見しましたし、現代の人々は宇宙船から見た地球の姿に崇高を感じます。

 アートの美の概念のひとつに「不思議な世界 sense of wonder」と「崇高sublime」があげられます。
 西洋美学では、美とは何か、ということが哲学の命題として議論されてきました。ひとつは、古代ギリシャ以来の古典的な調和美。この調和的な美と対照されるのが、崇高sublime」という概念です。中世のゴシック式大聖堂や、近世近代になって発見された、アルプス山系などの壮大な光景、それを見て感じる高揚感や「思わずひれ伏して祈りたい気持ち」が、「崇高」です。巨大で勇壮でそれを見ると人のちっぽけさを知り謙虚になれる、そんな感情が「崇高」。

 善良なるオッサンオバハンが美術展に押しかけているとしたら、ゲージツ鑑賞というより、この「崇高」または「不思議な見世物の見物」であるのだろうと思いますので、私とミサイルママも「物見高さ」をかき立てて押しかけてみたのです。

 ふたりともパート勤務の「年金じゃ暮らせない高齢者」ですから、有料の「65歳以上千円」をけちって、無料の日に出かけました。ふたりとも「タダの日に見る」という気持ちが一致するからいっしょに出かけるので、もし、私が金持ちで、「千円くらい私がおごるから、けちけち言ってないで、ほかの日に行こう」と誘ったとしても、ミサイルママはあまりうれしくないかもしれません。「ふたりとも無料の日がうれしい」のが、いっしょに出かける理由です。ほんと、崇高からはほど遠い、せせこましいうれしさですが。

 まずは、無料で見ておいて、もし、押すな押すなでよく見ることができなかったら、木曜日あたりに千円だそう、というふたりの申し合わせです。
 それぞれに仕事を終えて、私は3時半に、ミサイルママは4時すぎに東京都美術館に到着。それぞれがひとりで好きに会場をめぐり、5時半の閉館時間に会場の入り口で会い、パスタ屋さんでご飯食べて帰りました。

 今回のブリューゲル作バベルの塔は、オランダ、ボイスマン美術館所蔵の作なので、2枚現存する「バベルの塔」のうち、小さい方。66×70cm。ウィーン美術史美術館所蔵の大きい方は114×155cm。崇高感ならこっちのでかいほうかと、今回はあまり期待せずにでかけました。

東京タワーとの高さ比較がよくわかる撮影OKコーナー。右下の白い塔が東京タワーの大きさ。スカイツリーよりやや低いのがブリューゲルのバベルの塔。神は500mを超えると「人間は生意気だ」と、憤った。狭量である。


 そもそもバベルの塔は、人間が神をも恐れぬ壮大な塔を建てようとしてそれを神が罰する旧約聖書の中のお話。天に達するような高い塔を建設しようとした人間に対し、神は彼らのことばを互いに通じ合わないようにすることで、建設を放棄させた。天に達するような崇高な高層建築は、神のおぼしめしにはかなわなかったのだから、バベルの塔は「崇高」な存在ではないのではないか。

 しかし、多くの画家が繰り返しバベルの塔を描き、人々は繰り返しバベルの塔の絵を見ることを求めた。塔は破壊された姿で描かれたり、建設途中で放棄された姿に描かれた。にしても、人々は、人が成そうとする壮大な建築の物語として、途中までしか建てられていない塔に、崇高を感じたのではないか。

 「崇高」とは何か、について、山ほどの論考が出版されています。たとえば『崇高とは何か』 (叢書・ウニベルシタス) / ミシェル・ドゥギー ほか/ 法政大学出版局(難しそうな本なので、読んでませんけれど)
 
  今回来日の作、ピーテル・ブリューゲル父の作品です。人々が押しかけたのも、やっぱり「崇高」を感じたかったのか、不思議な見世物を見たかったのか。まあ、私はどちらも心理としては同じだと思うのですが。

 さして大きくはない、ボイスマン美術館所蔵のバベルの塔。会場で本物を見て「思ったより小さい」という感想を述べ合っている二人連れが多かったです。本物の3倍の大きさに拡大コピーされた芸大で制作された複製画が同じ会場に展示されていて、細かい部分を見るのは、こちらのほうが見やすかった。本物のほうは「うん、見た見た」と言うための展示。

 塔を建てるために働いている人物などが動いている3分間のCG動画もあり、どのようにしてレンガを上層階に運んだか、などがよくわかりました。美術の専門家ではない私のような物見遊山観客には、こちらのほうがわかりやすい。なぜなら、本物を前列で見るためには、列にならんで「立ち止まらないでください」という係員の誘導にしたがわなければならず、立ち止まってみることができる位置からは、人物などの細かい描写は、見分けがつかない。

 細かく描き混まれた、無数の小さな働く人々。漆喰を運んで粉をかぶって真っ白く描かれている人やレンガを上に引き上げている人。労働する姿を、ブリューゲルは「やがて神から罰せられる人たち」として描いていないと、複製画の拡大した画面の働く人々を見て感じました。
共に大きなものを作り上げようとする働く人々は、その小さな豆粒のように描かれた人、ひとりひとりの姿、「崇高」ではないとしても、何かいとおしい小ささのような気がします。

 神のいるところまで届きたいという人間の思い上がりを神が罰したのだとするならば、聖書に描かれた6000年前だかの出来事ではなくて、地球を数十回も全滅させるだけの核爆弾を持つに至った現代こそ、神の怒りが爆発するだろうに。

 現代の計量言語学の計算では、インドヨーロッパ語族のラテン語系(イタリア語やスペイン語など)と、ゲルマン語系(英語、ドイツ語)が別々の言語として別れたのは6000年前から5500年前くらいの間。英語とドイツ語が別れたのは、2000年前ほどと考えられています。(学者によって計算が違うけど)。日本語と朝鮮語韓国語が別れたのは、8000年くらい前になるらしい。すると、聖書でバベルの塔が建てられた時期よりも前に人類のことばは別れたていたことになってしまうので、人類の言葉がさまざまになったのは、神の御技じゃなくて、人類移動のため。やはり、バベルの塔は途中で破壊されたとしても、崇高です。
 

 パスタ屋での晩ご飯。毎週木曜日に油絵サークルに行くことにしたミサイルママは、サークル会員達がとても上手なことなどを話していました。ミサイルママ、まだまだ他のメンバーほど美味くないので、この先いろいろな名画を模写することで自分の絵の技量を上げたいという。

 ルーブル美術館などでは、申請をして許可がでれば、名画の模写が美術館内で出来るんだって、という情報を教えると、ミサイルママ、「え~ほんと!日本の美術館は厳しすぎるよね」と、かの国の文化行政をうらやましがっていました。

 今回、芸大制作の「筆のタッチまで正確に再現されている複製画」、とてもよく出来ていて、複製画と言われなければ、私のような素人は、「こっちでも十分鑑賞できる」と思ったくらいです。同じく芸大日本美術科制作の源氏物語絵巻の模写もよかったし。複製画を展示して、美術館博物館で模写してもいい空間を作るといいと思います。それとも、絵描きさん達にとっては、本物のオーラがないと模写する気にならないのでしょうか。
 コピーや複製画に崇高さは宿るや否や。

気軽な複製のポスター前に立つ崇高さに欠ける人


<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「ファッションとアート・麗しき東西交流 in 横浜美術館」

2017-05-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170518
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(7)ファッション展とアート展in横浜美術館

 15日月曜日、娘と横浜へ。
 「母の日のプレゼントお返しランチ」のおでかけをしました。みなとみらいでランチ、それから。横浜美術館で「ファッションとアート」展を観覧。

 予約をいれたラメールプラール。本店はフランスモンサンミッシェルにある、巡礼のためのお休み処だった店がもとになっているのだとか。

 モンサンミッシェルの本店には、観光客が押し寄せるほか、有名人が立ち寄るらしく、各国大統領や高松宮ご夫妻、イブサンローラン、クリスチャンディオールなどのファッションデザイナー、ピカソや藤田嗣治などの画家、女優さんたちの写真が飾られているそうで、みなとみらい店にも、その有名人達の写真が貼ってありました。CoCoとサインがある写真はココ・シャネルだとわかったけれど、だれだかわからないのもあったので、店の人に「この方はどなた?」と聞いてみたけれど、店の人も知らないそうで。そうか、写真は単なる飾りでした。日本の店に来たわけじゃないんだからね。私は、店に来た芸人さんなどのサインを壁に貼ってあるような店、あまり好きじゃないのだけれど、ま、みなとみらい店に有名人が来たわけじゃないから、いいか、と、食事。

 ふわふわに泡立てたメレンゲを使ったオムレツが一番の有名料理らしいので、私はオムレツとスープを、娘はオムライスセット(煮込み料理の小さなココットと小さなサラダつき)を頼みました。フランス本店のオムレツは、やたらにでかくて値段も高い「観光地名物」的なオムレツらしいけれど、みなとみらい店のは、小さめで味はまあまあ。月曜日の1時過ぎの店内は、予約入れなくても座れるほどの客の入り。

ふわふわオムレツ


 食事が終わり、隣の建物が横浜美術館。私は何度も来ている美術館ですが、娘は、2014年の横浜ビエンナーレに来て以来です。ビエンナーレのときは、横浜中華街でおごるからと言って連れ出したのですが、娘に言わせると、「現代美術はさっぱりわからなかった」そう。

丹下健三設計横浜美術館正面


 今回の展示は「ファッションとアート、麗しき東西交流」です。
 私にとって、デザイナー作品のファッションは、「着るもの」じゃなくて、「見て楽しむもの」です。2009年に庭園美術館で「ポワレとフォルチュニィ」展を見たり、文化学園服飾博物館で民族衣装などの展示を見たり。

 娘といっしょにいて、母として、娘にとって頼りない母親だなあと感じるのは、私がおしゃれにまったく興味がないものだから、衣服の話で母娘が盛り上がる、というようなことがなかったこと。20代のころ、地味なおばさんぽいデザインの服を着ることが多かった娘に「もっと若い娘らしい華やかな服を着たらいいのに」と、言ったくらいが、ファッションについて話した唯一の話題。今では34歳になりましたから、おばさん服でも年相応になってきました。

 娘は、バックルや髪留めなどのアクセサリーの工芸に興味を持ち、熱心に見ていました。「現代アートはさっぱりわからなかったけれど、こういう展覧会なら見ていて面白い」と、楽しんでいたので、いっしょに来た甲斐がありました。

 「麗しき東西交流」というのは、ファッションの世界にジャポニズムがどのような影響を与え、また、西欧のファッションを日本がどのように取り入れてきたか、を概観する展示になっているます。ジャポニズムの影響については、陶器についても絵画についても、いろいろな影響があったことは、いままで様々な展覧会で見てきました。ファッションについても、フランス万博ほかで日本の着物が話題になったことなど見聞きしてきました。その東西交流を歴史の流れに沿って展示してあります。

 エントランスの展示。輸出用のドレスと飾り棚(横浜家具)


撮影OKコーナーの衣服。緑色の服がココシャネル作品




ベール作イブニングドレス1919年頃 京都服飾研究財団所蔵


昭憲皇太后着用大礼服マントー・ド・クール1910年頃(明治末期)共立女子大学博物館蔵


チケットやポスターのドレスはターナー作1870年頃


ジャポニズムの影響をよく示すとして、展示されていたジュール・ジョゼフ・ルフェーブル 「ジャポネーズ 扇のことば」1882年クライスラー美術館所蔵


ジャポネーゼ美女に負けないジャポネーゼじゃねーぜ美女


<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「母の日手作りプレゼント」

2017-05-16 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170516
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(6)母の日・手作りプレゼント

 手作り大好きな娘、家では刺繍や「百円ショップで買った紙紐でバスケットを編む」などをしこしことやっています。毎年ゴールデンウィークは東急ハンズ無料手芸講習会に出かけるようになって20年になります。先日の講習では講師の顔を見て、娘が「私、中学生の時、先生に教えていただいたことがあるんですよ」と言ったら、ハンズ社員の講師も喜んでいたのだとか。

 一般の手芸教室などで講習を受けると、教室主宰者から、教室に加入して継続して作品を作るように薦められるけれど、東急ハンズ主催の講習会だと、ハンズの社員が講師を担当するだけで、教室加入などはすすめないので、気楽に参加できるのだって。東急ハンズの講習会は、材料費実費だけで、講習費はかからないのもいいところ。

 娘は、ひとつの手芸の奥義まで達してその技を究める、ということには興味がなく、できるだけいろいろな手芸を体験してみたい、へたでもいいからいろんなことをあれこれやってみたい。要はこつこつ地道な根気のないお手軽手作り派です。

 たまにできの良いのを知り合いなどにプレゼントすると、「こんなに上手に作れるのだから、ネットなどで売ってみたらいいのに」と言われたりするのですが、娘は「売り物にするなら、もっと気をつかって売れるようなものにしなければ、という義務感がでちゃうから、それはいや。気楽に好きに作れるからやっていられる」と言います。
 売りたくない気持ちもわからないではありません。あるIターン就農者の気持ちをテレビ番組で聞いたことがあります。

 ある夫婦が、早期退職をして就農講習も受け、農村で第2の人生を始めました。近所の人たちとも仲良くなり、とれた作物は、それぞれの家で作っていないものと物々交換もしていました。ナスと枝豆を交換したり、インゲンとトウモロコシを交換したり。

 ある日、ネギを取り入れていると、車で通りがかった人が「ねぇ、そのネギ、売ってくれない?」と声をかけてきました。二人で食べて余った分は、近所にお裾分けするつもりだったのですが、買いたいという人があらわれた。

 近所の「道の駅」などでは、3本百円とか5本百円で売っているのを知っているので、「これは無農薬有機栽培なので、一本百円ですよ」と言ってみた。高すぎるからいらない、と言われると思っての「一本百円」でしたが、車の人は「じゃ、千円分ちょうだい」と、千円札を差し出しました。

 二人は11本を袋に入れて渡し、車は走り去りました。売ってみて、ふたりは、気落ちしてしまいました。心をこめて、丹精して育てたネギ。道の駅で売っているより高く売ったネギ。でも、ふたりが手にした千円には、千円の価値しかありません。近所の人にわけて「いやあ、あんたんとこのネギはこの辺じゃいちばんおいしいよ」と声をかけてくれることもなければ、「うちのジャガイモもおいしいから食べてみてよ」と、物々交換の作物を持ってきてくれることもない。

 会社勤めをしているときには、月給のうちの千円分を稼ぐのに30分もかからない、妻のパートでさえ1時間あれば稼げる金額でした。それを、11本のネギの代金と値踏みしてしまうと、自分たちのネギの価値はお金に換算したくないものだった、と気づいた、と、夫婦は口々にインタビューの中で語っていました。

 聞きようによっては、「それはあなた方が農業で食べていく必要がないからそう言えるのであって、農家にとっては、作物をお金に換算しないでは食っていけないことを考慮していない」と思う人もいるかもしれません。専業農家では言えないことばに聞こえてしまうことは、コメントした夫婦も承知でしょう。
 それでも、汗を流し、虫がつかないよう気遣って育てた時間の代償として千円の値踏みを悲しく思える気持ち、わかります。ふたりのネギには、ふたりですごした時間がつまっているのです。

 娘にとっても、作り上げた手作り品を値段に換算するのはいやなのだろうと思います。娘の作品は、ほとんどが家族とごく親しい知り合いにプレゼントするだけ。もらった品の中に、娘がすごした時間を感じる人にあげるだけです。上手に作れていないときもあるけれど、家族は、モノを受け取っているのと同時に、娘のすごした時間を受け取っているのです。

 私にとっては、「娘が生きてすごす時間」を、今年もプレゼントしてもらえて、うれしいです。

 柿渋染めトートバッグと、藍染めランチバッグ、ふたつとも私がもらいました。「前ならふたつ作っておばあちゃんと母にあげていたけれど、おばあちゃんの分、今はあげる人がいないから、母がもらっておいて。あとでだれかにあげてもいいから」と娘がいうのです。
 紫陽花の花びらをレジンで固めたペンダントももらったので、今年は「母の日プレゼント豊作」です。 



息子からのもらい物、去年の誕生日にもらったタブレットキーボード付きと、母の日のプレゼントのスマホ。スマホは、私には使いこなせないからいらない、と「一生ガラケー使用宣言」をしてきたのですが、「ガラケーは、そのうち製造中止になるかもしれないよ。僕、新しいスマホを買ったので、古い方を母用に設定してあげたから」と、いわば「押しつけスマホ」です。古く見えないように、スマホケースもつけた、というので、これから使い方を練習しなければ。


 毎年、姑に贈っていた母の日プレゼントも、昨年からは無しになって、もう私から母の日に贈ることはなくなりました。ちょっと寂しいですが、手作り大好き娘と、パソコン周辺機器やスマホなどをネットオークションで買うことに嵌まっている息子からのプレゼント、ありがたくもらいました。
 母の日の新聞投書欄。幼いころに父と母を相次いでなくし、10年前には息子さんが病死なさり、母の日におくることもなく、母の日にもらうこともない日々が続くことを書いていらした。いろんな母の日の過ごし方があることを心にとどめつつ、母の日の一日をすごしました。

<つづく>
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「水元公園へサイクリング」

2017-05-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170514
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(6)水元公園へサイクリング

 5月4日に、都内の庭園ひとめぐりサイクリングをして、脚力の衰えを自覚しました。5月6日、ゴールデンウィーク最後と思って、水元公園へのサイクリングを決行。今まで私が自転車で出かけた一番遠くが水元公園だからです。
 何年か前まで、菖蒲祭りをしている水元公園へ自転車で出かけてきました。はたして、足腰弱くなった今、水元公園までの距離を自転車で往復できるものかどうか、確認しておこうと思ったのです。

 数年前、水元公園まで1時間半かかりました。私の足、90分のペダルに耐えられるかしら。万が一途中でバテたら、自転車宅急便に託して、身体はバスや電車で帰るということもできる。自転車宅急便で古ママチャリなんぞを送る人、いないかもしれないけれど。

 結論。水元公園まで、片道で110分かかりました。ゆっくりゆっくりのペダル。途中休憩もせずにひたすらペダルを漕いだのだけれど、確実に足は衰えていました。
 帰りに家に着き、もう自転車で水元公園に出かけることはないだろうと思いました。電動補助つき自転車を手に入れたらまたサイクリングでおでかけもあるでしょうが、今のママチャリでは、近所の買い物がせいいっぱいだと自覚しました。めちゃ疲れました。

 67歳半。自転車で12時から19時まで、7時間ペダル踏み続け。途中、水元公園の売店でおでんを買って食べ、20分休憩。帰りに「カワセミの里休憩所」で30分休憩しましたが、あとはずっとペダル漕いでました。

 5月6日土曜日の水元公園と江戸川対岸の埼玉県みさと公園。どちらも緑が美しく、休日をすごす家族連れでにぎわっていました。
 小さな簡易テントを持って来ている家族が多い。ピクニックをして、キャッチボールをしたり犬といっしょにかけまわったり。思い思いにすごしている光景。とても平和で幸福感あふれる公園でした。

自転車でやってきて、釣り糸を垂れる。休日のゆったりした過ごし方


5月6日も鯉のぼりが悠々川辺を泳ぐ




水元公園から対岸のみさと公園をのぞむ


まだ菖蒲園は咲いていませんでしたが、元は野生種のあやめが咲いていました、、、、って、あやめと菖蒲と杜若のちがいにくわしくありません。


対岸みさと公園の中も往復しました。恋人同士が林の中を散歩するのもすてきな光景です。


水元公園のバードサンクチュアリでは、青サギがさかんに獲物を口に運んでいました。小魚、虫、なんでも食べるそうです。


かわせみの里では、かわせみが子育て中。かわせみショットを狙うカメラが池をとりまいていました。私のコンパクトカメラだと、望遠を最大にしてもせいぜい、この程度の画像ですが


カワセミの里写真コンクールで入賞した写真を絵はがきにして売っていましたので、2016年の4枚セットを購入しました。


 来年は、バスを乗り継いで行き、水元公園の中のレンタル自転車で公園の中を移動しようかと思います。ひとりサイクリング、楽しかったけれど、老化を自覚した一日でした。

<つづく>
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「こどもの日・川原慶賀展と手作り教室」

2017-05-13 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170513
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(5)こどもの日・川原慶賀展とサンシャイン60

 こどもの日。娘は、この日も池袋東急ハンズの手作り講習会に申し込みをしていて、午後手作りを楽しむ日にすると張りきりました。今回は藍染めに挑戦。ランチバッグとハンカチを仕上げました。母の日プレゼントです。
 「え、この前、柿渋初めのトートバッグをもらったよ」と言ったのですが、これまでおばあちゃんへのプレゼントと母へのプレゼントを作ってきた、今年もふたつの手作りに申し込みをしたけれど、おばあちゃんにあげる分も母にあげるから、というので両方とももらうことにしました。

 前回、娘が渋谷の東急ハンズで柿渋染めバッグを作っている間、渋谷松濤美術館で「今様」展を見たのですが、今回は池袋には見たいところがなかったので、北浦和まで足を伸ばしました。埼玉県立近代美術館の川原慶賀展、見たいと思っていたのです。久しぶりの埼玉県立近代美術館。仕事で北浦和駅で乗り降りしていた頃は、仕事帰りによく立ち寄っていた好きな美術館でした。ポール・デルヴォー展を2013年に見に来て以来、4年ぶりかも。

埼玉県立近代美術館


 美術館の正面で写真を撮っていたら、年配の女性に声をかけられました。「ねぇ、シャッター押して」と、12枚撮りの簡易カメラを渡されました。今時ケータイでもなく、この12枚フィルム撮りきりの紙製カメラを使っている人、なんらかの思い入れがあるのだろうなあと思います。何枚か、川原慶賀展のポスターの前でシャッターを押しました。

 その年配女性「ねぇ、私、この美術館の開館のとき来たっきりで、久しぶりに来たのだけれど、黒川さんってさあ、新国立美術館のあのうねうねしたライン、この埼玉近美でも同じことやっているのね」と、いきなり話されたので、やや面食らいました。

 私は、黒川紀章さんの最後の作品である2007年の新国立美術館と、1982年の作品(たぶん、若尾文子と恋愛中のころ。1983年に若尾文子と結婚)のふたつを比較してみるなんて思ったこともなかったので、いきなり言われてびっくりしました。なによりも、シャッター押すのを頼んだだけの相手に、前振りもなく建築の比較論をふっかける話題提示に驚きました。相手が建築に興味をもっている人間か、黒川紀章の作風を知っているのか、そんなことにはおかまいなしのいきなりの作風比較。もしかしたら、話題についてくる人かどうかの見極めをしたかったのかとも思いますが、自分に興味があることは必ず相手も興味を持っているはずだ、という確信に満ちたものの言いようでした。

 私は、「おもしろいですねぇ。でも、この建物の黒川さんの特徴は、建物の横っ腹にいきなり飛び出させている、あの妙ちきりんなオブジェだと思いますけれど」と、一応、建物を見て歩くのが趣味の者として返事をしました。すると、女性は「あら、そうねぇ、バブル時代っぽいわね」と言って、さっさと美術館の中へ入っていきました。

なぜか角柱が横っ腹から突き出している黒川紀章建築作品

建物の中から見ると


 世の中には、いろんな人がいます。私のように、毎週顔を合わせる講師室の人に、挨拶以上の会話をするのが苦痛、という者もいるし、はじめて会った見知らぬ人に、自分の興味のあることをいきなり話す人もいる。

 川原慶賀を知ったのは、つい最近。去年です。2017年に、江戸東京博物館と東京科学博物館でシーボルト展を見ました。シーボルトが集めた植物標本などの展示と共に、川原慶賀の繊細な植物画が展示されていました。

 江戸東京博物館で川原の『江戸時代 人物画帳』を買いました。今回は、埼玉美術館の図録『ロシア科学アカデミー図書館所蔵 川原慶賀の植物図譜』を買いました。
 川原慶賀の業績について、のちほど紹介したいと思います。

ポスター前で自撮り。着ているものは全部娘のお下がり。


静かな北浦和公園


 娘は手作りを終えてからオトート君と合流し、サンシャイン60の中のキャラクターショップで、買い物。
 5月5日のサンシャインビル、埼玉県民こぞって押しかけてきたかと思うくらい、混んでいます。(むろん、東京の人や他県の人もいるのですが、我が家のイメージとして、サンシャインは埼玉の縄張り)
 私はふたりの買い物が終わるまでマックで待っていて、その後アルタの中のパスタ屋さんで晩ご飯を食べて帰りました。

 娘がディズニーキャラやジブリキャラなどの小物を買い集めているのも、子供の頃、欲しいとねだることもなく我慢していた埋め合わせと思います。友達がかわいいディズニーキャラの文房具などの小物を持っていたころ、娘は従姉たちが10年ほど前につかっていたお下がりキャンディキャンディとかピンクレディなどのキャラがついている小物やTシャツを着ていて、クラスのギャングボーイたちに「古い!」とからかわれてすごしたのです。

 こどもの日。もう小さな子供ではなくなった娘と息子が、キャッキャッとはしゃいでデイジーのポーチだのチップとデールのストラップだのを買って満足しているようす、同じような小物が家にもいっぱいあるのに、と、口まで出かかって飲み込みました。自分たちのおこずかいで買っているのですから。それに、同じようなものばかり買ってなどと言おうものなら「母だって、同じ本を買ってきて、あ、これ3冊目の同じ本、とか言ってるくせに」と反撃されてしまいます。まあ、そうですけれど。私のは百円の古本だから、、、、。

 川原慶賀の図録、前のは「江戸人物画帳」で、今回は「植物図譜」だから、かぶってません。あとで、ゆっくりと江戸の風俗と植物をながめたいと思います。

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「みどりの日庭園はしご」

2017-05-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170511
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(5)みどりの日庭園はしご 、  
 毎年みどりの日には、庭園をはしごしてきました。みどりの日には、庭園&植物園が無料になるからです。

 2017年みどりの日も、旧古河庭園、六義園、小石川植物園、後楽園をめぐりました。朝9時半に家を出て、移動は自転車。庭園内をよく歩き、7時に帰宅したときは、いささか疲れました。昨年2016年のみどりの日は、お茶の水の水道公苑一カ所だけだったので、4カ所めぐりを2年ぶりにやってみたら、足がすっかり年老いていたのでした。帰りの自転車、右足がつりそうになりました。

 旧古河庭園。今年の春にすでに2回来ているので、まだバラは満開になっていないだろうし、パスしようと思っていたのですが、門の前に「みどりの日、本日無料」と看板が立っていると、入りたくなる。
 バラはやはり、まだ早かったです。

 11時まえに、六義園へ。こちらは、ツツジがもう終わりかけでした。この前の週末が満開だったようで、おおかたの花がしぼんでいました。

 12時半から4時まで小石川植物園と東京大学博物館でのんびりすごしました。コンビニで鯖弁当と牛乳500mlを買って日本庭園のベンチに腰掛けて昼ご飯。家族連れが思い思いにピクニックランチを広げています。おたまじゃくしやザリガニのいる池をのぞく子供、老夫婦が寄り添って座っている。若いお父さんお母さんがベビーカーを押して歩く。青空にさまざまな色合いの緑の葉もきれいで、気持ちよかったです。
 
 4時半から6時15分前まで後楽園。夕暮れ時の園内、ときおり東京ドームから歓声が聞こえたり、遊園地のジェットコースター絶叫が聞こえるけれど、園内、座るベンチがないほどの混みようではないし、ゆったり過ごせました。

 みどりの日の花々
旧古河庭園のばら カルフォルニアドリーム もっこうばら、なにわいばら 


六義園のつつじ 八重山ツツジ


小石川植物園のニホンタンポポ、


名前がわからないので、教えてください

小石川植物園のツツジ園せいしか


後楽園の藤


 みどりの日の木々小石川植物園



 みどりの日の池
古河庭園の池


六義園の池


小石川植物園の池


後楽園の池


後楽園の池


 みどりの日の建物
バラはまだ早い旧古河邸


小石川旧東大医学部




小石川植物園本館


<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「熊谷守一美術館と上野フレンチ」

2017-05-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170509
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(4)熊谷守一美術館と上野フレンチ

 5月2日火曜日、娘が池袋東急ハンズで、自分用と弟用のディズニーキャラのストラップ作りをしている間、私は池袋の隣の要町まで足を伸ばし熊谷守一美術館へ行きました。

 1985年に開館したときから行きたいと思っていたのですが、2007年には豊島区立美術館になった椎名町まで来たことがありませんでした。他の美術館やギャラリーで熊谷守一の作品展を見てきたので、椎名町の豊島区立美術館はあとまわしになっていました。

 思ったとおり、住宅街のわかりにくい場所にあった熊谷守一美術館。でも、要町駅前の交番で道順をきいたとき、若いお巡りさんは「えっと、私、知っていますから。大丈夫」と言いながら、しばしの間じっと地図を見つめて、「そうそう、ここだ」と、コロンブスのアメリカ発見くらいに喜んで勢い込んで地図上の美術館を教えてくれました。小学校を左側に見つけたらその先の路地を左に曲がる。道が二股に分かれたら左。しばらく歩くと右側、とおまわりさんが言った通りに歩いて、到着。

 入館料500円。高齢者割引きはなし。まずは、せっせと歩いたので一休みと思って、エントランスロビーのカフェでコーヒーをもらいました。400円。

カフェカヤには熊谷榧作品の展示してあります。


コーヒーのカップも榧作品


 晩年の守一は、70歳過ぎから97歳でなくなるまで家からでることはなく、朝、庭に出て、植物や動物を一日中飽くことなく眺めて過ごしました。そして、飽くことなく絵を描き続けました。その97年の生涯の作品を、1階、2階、3階と展示室と見ていきました。通常展示なので、作品数は少なかったですが、3階展示の守一の肖像写真の数々、とてもよかったです。
 熊谷守一作品については、またのちほど紹介を。
 展示されていなかった絵の葉書を1枚買う。100円。合計千円で本日の観覧を終えました。

 バスで池袋西口へ。東口へ通り抜け、ブックオフでしばし時間をつぶす。
 娘から「作り終わった」というメールが来て合流し、いっしょに上野へ。
 上野エキナカのレストランで晩ご飯を食べて帰ります。

 我が家、普段はスーパー特売のお肉や魚を買っていて、節約節約に相務めているのです。エンゲル係数の高騰はこのデパ地下お総菜やら外食がいけないのだとわかっちゃいるのですが、娘の生きがい第一が手作りの楽しみで第2がおいしいものを食べること。お子様孝行のためには、エンゲル係数に目をつぶるしかありません。

 今回は、本当は4月だったけれど、5月に延期していた娘の「お誕生日ディナー」をする約束です。
 子ども達が小さかったころは、親が選んでプレゼントを渡していました。リクエストなど聞いていたら、たいていは高くて買えないですから、親の買える範囲のものを贈っていました。子供が成人してからは、誕生日にはリクエストに応えるようにしています。もう、子供も母の懐具合を知っていますから、そうそう無理な注文はしません。

 昨年息子へのプレゼントは、「CD-ROM版くずし字解読用例辞典 」でした。紙のくずし字事典は持っているけれど、アルバイト仕事で古文書解読をするようになってから、パソコンに入れられるCDロムが必要になりました。仕事先のパソコンにはインストールされているけれど、自宅のパソコンにもインストールしたいのだ、と要望。高いものだけれど、誕生日とクリスマス合同として、欲しいというので、ネットオークションで落札したという値段の金額をプレゼントしました。

 今年の娘へのプレゼントは、「欲しいけれど高いから一度はあきらめた」桜染めのスカーフでしたが、「誕生日には好きなレストランで好きな食べ物を注文できる」という恒例行事がまだでした。
 娘のリクエストは、上野の ブラッスリーレカンというフレンチの店。フレンチといってもカジュアルレストランなので、本格フレンチのような格式張ったところはありません。上野エキナカの店ですから、旅行中の人が気軽に立ち寄れる。

 息子と上野駅で待ち合わせ。息子が「何時に行けるかわからない」というので、予約をしなかったのですが、平日ですから待つこともなく、すぐに案内されました。

 娘と息子は、肉と魚がメインにあるコース。私は魚だけのコース。コースに含まれているドリンクは、私と息子はワイン。アルコールいっさいダメな娘は、料理にもデザートにもアルコールが含まれていないことを確認して注文していました。ほんとうは一番お高いフルコースにしたかったのですが、その料理にはお酒を使った料理があるというので、メニューのなかでは安い方のコースにした娘。

 安いといっても、私にとっては大散財です。でも、娘が「ああ、おいしかった」と言って喜んでいる顔を見ると、うれしいのです。小さい頃、誕生日の料理のリクエストでも母が買える食材にして、小学校の作文に「私は青梗菜のクリーム煮が好き」と書いた娘。
 私のふところには厳しいけれど、ちょっとでもあの時分の埋め合わせをしてやれたかと思うのです。

 バブル期金満社会の小学校生活を、服も文房具もお下がりで、なにもかも節約で暮らした貧乏な家の、けなげな長女でした。働く母が帰るまで、弟を保育園に迎えにいき、友達の家に遊びに行くときも、弟を連れてはゆけないところには行かず、どこに行くにも弟付きだった姉娘。クラスメートの悪ガキどもに「おまいんち、ビンボー」と囃されていたという娘の、小学生時代の埋め合わせ、カジュアルフレンチくらいでできるとは思わないですけれど、娘のリクエストに応えることが、少しは母の気休めになります。

 今も貧乏から抜け出したわけじゃないのですが、明日一家が食べるものに不自由するとしても、今日の娘には、食べたいものを食べさせてやりたい。
 ああ、おいしかった、という娘のことばを聞きながら、上野から帰りました。

 熊谷守一。晩年には絵のコレクターも増えてきて、生活に昔ほどの不自由もなくなったというけれど、若い頃、無名の画家は、赤貧暮らしを続けました。5人の子のうち、貧乏ゆえ3人の子を失いました。病気になった子を医者にみせることもならず、死なせてしまったのです。

 残された次女の熊谷榧は1929年生まれ、今年米寿。父から絵の才能を受け継ぎ、現在は豊島区立熊谷守一美術館の館長さんです。
 館内1階には榧さんの絵や陶芸作品が並んでいました。守一さん、榧さんには十分に埋め合わせができたんじゃないかしら。

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「メーデーわがや映画祭」

2017-05-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170507
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(3)メーデーわがや映画祭
 
 5月1日。メーデー「五月の日」とは、メイポールを立てて囲み春の到来を祝ったことに由来します。争っていた人々も争いを一時停止して参加したことから、近代には雇い主と係争中の労働者が、争いではなく、主張を通して労働者の権利を拡充する活動の日となっていきました。

目つむりて居ても我を統ぶ五月の鷹(寺山修司)
独りでメーデー人使い得で阿諛もなし(香西照雄)

 今年2017年も、代々木公園などでは「国際労働者の日」としてのメーデーが開催されたと思いますが、我が家、労働者は私だけ。夫は自営だから、自分が雇用者で被雇用者。息子は「研究所の研究生」という不安定な身分の学生。メーデーに参加する所属先もない一家でした。個人で参加できるユニオンもあるのは、知っているけれど。

 連休の日々、娘息子と、無料ダウンロードのアニメ映画見て過ごしました。息子がなんちゃらというインターネットの会員になり、入会した4月と5月は、映画が無料ダウンロードできる。2ヶ月すぎてダウンロード有料になったら退会すると言っていますが、どうもネット商売を信用できない母は、「ほんとに無料なんでしょうね。あとで法外な退会費用とか請求されないんでしょうね」と念を押す。

 連休中に見たのは、息子娘が好きなディズニーとピクサーのアニメ映画。ズートピア、ファインディングドリー、カーズ2,プレーンズなど。

 ズートピアを見て、疑問に思ったこと。草食動物が果物や野菜を食べているシーンは出てきたけれど、肉食動物はいったい何を食べているのか。
 監督インタビュー記事を見つけました。「ズートピアの肉食動物たちは進化している。彼らは、進化しなかった昆虫などを材料とした料理や、大豆などの植物性タンパク質を食べている設定。しかし、食事シーンは出していない」

 なあるほど。「進化論を受け入れたキリスト教」の考え方なのね。会話ができ霊を持つようになった動物はエライ。だから、進化しなかった虫は食べてよい。仏教では一寸の虫にも五分の魂、ですからね。進化しようとしまいと、仏は平等に扱う。だからこそ他者の命をいただくことは、よほどの覚悟と感謝を持ってすべきこと。生きているってことでは、植物だって同じ。だから米一粒にも感謝する。熊を殺すことでしか生きる技を持たなかった、なめとこ山の小十郎の罪を、我らも共に負う。

 「神は自分に似せて人を造り、霊を与えた。霊のないものを食べることを、人に許した」という考え方、そういう考えもありとは思うが、それって、「人は優秀なので、他の優秀でないもの、霊を持たない自然を支配することができる」ということになるんじゃないかなあ。

 うさぎのジュディは、小さい体で差別を乗り越え、なりたかった警察官になって立派だったと思います。けれど、進化した動物社会とは異なり、人間社会から差別と選別はこれからもはなくならないだろう。優秀な者がエライのなら、優秀でない者を管理支配できる理屈になるのだから。

 ズートピアの警察交通センターには超スローペースで動くなまけものが勤務しています。人間社会なら、たちまちクビ。というか、なまけものは動かず働かないことがアイデンティティだから、木にぶら下がって、動かずにいてほしかった。なまけものの存在意義は、動かないことによって、エネルギー消費を抑え、一日に葉っぱ1枚8gを食べれば生きていけることにある。動かず働かない者の存在を認める社会であってほしい。

のんびり急がず仕事するズートピアのなまけもの


 NHKの「バリバラ(バリアフリーバラエティー)」が「すべての生きづらさを抱える人」対象になって、ときどき見ています。「生きづらいけれど頑張っている」とは行かない現実に対して、きっぱりモノ言う出演者たち、かっこいいです。がんばらなくても、働かなくても、この社会に存在してくれることに価値がある。

 「プレーンズ」飛行機が主人公です。
 農薬散布という地味で単調な仕事に飽き足らず、レースに憧れていた飛行機ダスティが、仲間の支援と高所恐怖症克服などの努力を経て成長していく物語。

 この映画にも、違和感は残る。農薬散布用のボディを改造し、しだいに体をレース用に改造していくダスティ。この進化が肯定形なら、整形美人をミスコンから排除すべきじゃないし、事故によって切断された足よりも高速が出せる義足をつけたランナーをオリンピックから閉め出すことはない。(2012年ロンドン・パラリンピックの陸上男子走り幅跳び金メダルの義足マルクス・レーム選手(ドイツ)は、「義足の性能が健常者の身体より有利ではない」という証明を自ら行え、という規約によりリオ五輪出場を断念)

 むろん、アニメを見ている間は、ズートピアもプレーンズも、楽しくハラハラドキドキ楽しんだのです。

 娘は、ファインディングドリーを見て涙ぐんでいました。行方不明になったままのドリーを両親は待ち続けます。ドリーが幼い日に知った「石の目印をたどっていけば我が家に辿り着く」を思い出してくれることに希望を託して、毎日せっせと石の目印をできるだけ遠くへと運んでつけています。

 子を思う親心。ありがたいものだけれど、親たる私、子を家から出してやることもできないまま、清く貧しく美しく老いていきます。あ、美しくはなかったか。

・五月祭労働せぬ子を背負い老ゆ(春庭)

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「カラオケとパレード」

2017-05-06 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170506
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(2)カラオケとパレード

 4月29日、我が家は「昭和家族の日」。いっしょに歌うたって、いっしょにテレビ見て、いっしょに笑う。時代の流れからはちょっとずれているかもしれないけれど、昭和生まれの娘息子私、ささやかな楽しみの中で生きています。

 まず、無料カラオケの日。息子と娘が通信ゲームサイトの会員になっていて、24時間なら300円、1ヶ月なら千円で通信カラオケを利用できます。季節にいっぺんぐらい、無料で利用できる日があって、我が家はその日だけ利用します。

 朝10時から利用できるので、娘がブランチ食べている間、11時半まで私ひとりで1977年と1978年ヒット曲集を歌って過ごしました。ピンクレディ全盛期です。山口百恵やジュリーのヒット曲も。北の宿から、あばよ、わかれうたなど、たいていのヒット曲、ヒットしている最中には歌わなかったけれど、今は歌えます。歌っていると、娘はブランチほおばりながら、「阿久悠、すごい!天才だな。中島みゆき、すごいな天才だな、阿木燿子も松本隆も、すごいな」と、言います。歌詞のセンスが時代を作っている、というのです。

 息子と娘が交代で歌っている間、私は1時半から2時半まで昼寝。昼寝からおきて再参戦。3人でかわりばんこに歌います。私は1979~1983年までのヒットパレードを6時の終了時まで、あきることなく歌い続ける。6時間歌い続けて、代わる代わるとしても一人2時間は歌い続けたことになる。私のラストソングは「氷雨」。娘の最後のシメは「となりのトトロ」

 「氷雨」の歌詞の中に、「氷雨」という語はでてきません。歌詞には「冬の雨」とあり、「氷雨」はタイトルだけ。タイトルをつけたのが、作詞したとまりれん自身だったのか、知りたいところです。
 俳句の季語としては「夏」であって「氷の粒、あられや雹」を意味していたこと、気象用語としては採用されていないこと、今は広辞苑などの辞書にも「晩秋、冬に降る氷のように冷たい雨」の語釈も記載されるようになっていることなどを、春庭ことば蘊蓄の中に書いた気がするのですが、「ぽかぽか春庭 氷雨 季語」で検索しても出てきませんでした。 

 4月30日。無料のお楽しみとして、赤羽のパレードを見に行きました。赤羽馬鹿祭り。30年前に始まったときは、赤羽商店街の小さなイベントでしたが、今では規模も大きく盛大なイベントになりました。馬鹿踊りパレードとかいろいろある中で、我が家が好きなのは、「音楽パレード」という鼓笛隊、吹奏楽の行進です。

地元小学生の鼓笛隊


 前に見たときに比べ、小中学校の参加が少なくなっていました。地元の小学校と私立中学高校の出演が2校あったほかは、吹奏楽4つの団体が創価学会の下部組織。創価ルネサンスバンガードなどの音楽隊は、全国規模の大会でも優勝するなどしている実力派らしい。演奏しながら一糸乱れぬ足並みで行進していく姿、見事でした。
 みなでいっしょに一心不乱に南無妙法蓮華経をとなえている姿も、行進していく姿も、きっと名誉会長先生様の御心にかなうのだろうと思います。世界で、マスゲームの一糸乱れぬ見事さにかけては、北朝鮮のマスゲームの次に創価学会のマスゲームがすごいと思うのですが、音楽パレードにおいても、ピシッと決まっていました。行進見ているだけなら、折伏されちゃうわけでもないから、見ていて楽しい。

創価チームのひとつ


 ほかの宗教団体でもこういう音楽隊やマスゲームなどによって、団体の集合感や統一感、高揚感を味わうことが行われているのかしら。吹奏楽の場合、東京佼成ウインドオーケストラは立正佼成会を母体としているけれど、もはや一宗教団体を超えて吹奏楽団体のトップの実力があると思います。

 「将軍様マンセー」も「メーヨ会長センセー」も、心はひとつ。人は群れて生きる動物だから、統一されたいんだと思います。みんないっしょなら心強いし安心できます。私は一匹狼できたけれどね。もとい、一匹豚でした。ときどき「所属先」「心のよりどころ」というものを持たずに生きてきてしまった不安定さに心細くなるけれど。

 商店街のパスタ屋でスパゲッティとピザの昼ご飯を食べながら、馬鹿踊りの連が通っていくのを眺めました。地元の信用金庫連のおっさんたち「業務命令で仕方なく踊ってます感」満載で、やるきのなさそーな手振り足振り。参加しないと、夏のボーナス査定に響くのやも知れず、気の毒ではありますが、どうせ参加するなら、張り切ってぴちっと決まる振り付けを練習したらどうでしょう。
 よさこいのチームも参加していましたが、どうにもユル~イ踊りの列でした。そこが馬鹿っぽくていいのかも。

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする