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春庭の秋の遠足 2010年11月

2010-10-31 08:16:00 | 日記
2010/11/02
ぽかぽか春庭十人十色日記>Tシャツの次の日ドテラを着る十月(1)コケました

 10月29日金曜日。3コマの授業を終え、初級学生の文字語彙テストと文法の第一回目テストの採点記録を済ませて、朦朧としながら駅前に。疲れた!眠い!
 朝、5時半まで徹夜作業して、7時まで2時間だけ寝て、お昼ご飯も食べずに仕事を続けたのですから、眠いし、おなかすいたし。

 駅にガストがあります。ファミレスの中でも、ひたすら「安い!」がウリのレストラン。でもなぁ、徹夜あけで一生懸命仕事をしたのだから、自分にご褒美でもうちょっとおいしそうなところにしたいのだけれど、と思いながら、「禁煙席」と希望を言うと、係の人が案内してくれた席は、隣のおばさんふたりが賑やかにおしゃべりをしている席で、喫煙席のそば。

 分煙のはずが、煙の匂いがキツイ。「あ、すみません、やめます」と、言って外にでる。どうせ食べるなら、もうちょっと疲れが取れそうな席で食べたい。どこへ行こうかと、ぼうっと歩いていたら、どって~ん、とコケました。
 前のめりにバッタリとテレビコントでお笑いタレントがやるようにものの見事に倒れました。ほんの5、6センチの段差があったのです。年をとると、数センチの段差でこけると聞いてはいたのですが、まあ、これがその症状なのかと実感して、しばらく倒れていました。起き上がる気力もないくらい、身体限界。

 日頃どんなに忙しくても、睡眠時間だけは確保して、睡眠不足のときは、通勤90分を利用して立っていても寝る私なのですが、やはり、睡眠時間2時間しか取れなかったのは電車居眠りでもカバーできず。
 徹夜というのは、10月29日締め切りという期日に間に合わせるための作業をしていたから。朝3時半まで家のおんぼろプリンターでプリントアウトしました。

 夫に「どうしても、間に合わせたいのだけれど、バイク便ってどうやって頼むの?」と電話で聞くと、「バイク便だと2万円はかかる場所だなあ。セブンイレブンのクロネコヤマト便だと、朝3時から5時に出せば、その日の午後には着くから、ヤマトにしたら?」と教えてくれました。夫が私の役に立つのは何年ぶりになるかしら。生まれて3ヶ月未熟児の保育器を出て2ヶ月になる息子をおぶって大学院修士課程の入学面接試験を受けたとき、面接の間だけ控え室で息子を抱っこしていてくれた、夫が私のために何か役立ったのは後にも先にもこの一回だけ。あとはいっさい家事も育児もやらず、家計担当もさっさと降りてしまって、私は一人で食い扶持稼ぎも子育てもやってきた。おお、そうすると夫が役立ったのは22年ぶりだな。なんて思いながら、パソコンからの打ち出しはできたけれど、コピー機能が働かない。コピーしなければならないものもあるので、3時半にセブンイレブンへ行って、店内のコピー機で作業。4時まで作業を続けました。

 こんな時間にと思うけれど、道路沿いの24時間営業の店には、途切れなく客が入ってきます。ああ、日本は24時間フル回転なんだなあと、夜は寝ることに徹する日常生活の者は感心してふたりの店員さんが食品棚の入れ替え作業を続けながら客の応対をするのを横目で見ていました。急に寒くなった10月、朝4時半は、まだ真っ暗ですが、荷物の配送が次々に入ってきます。私などたまの徹夜でヒィヒィ言っているのに、真夜中も明け方も働いている人はいるのだ、と働き者ニッポンを実感。

 荷造りをして段ボール一箱、宅急便に託しました。それから郵便局へ行って、速達を一通出して、5時から7時まで一眠りして仕事へ。
 年だから5センチの段差ですっころんだのだと思わずに、「徹夜あけでモーローとしていたから、ころんだのだ、と思うことにします。まあ、若いうちなら、一晩くらい徹夜しても転んだりしないのでしょうから、やっぱり年を実感すべきなのか、,,,

<つづく>
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2010年11月03日


jぽかぽか春庭「クレジットカードおとした」
2010/11/03
ぽかぽか春庭十人十色日記>Tシャツの次の日ドテラを着る十月(2)クレジットカードおとした

 10月29日には駅前でハデにころんで、年を実感しましたが、その前の金曜日、10月22日には、プリペイドカードのスイカを落としました。
 25日。月曜の出勤時に、スイカが入っている財布を出しタッチして改札を通ろうとしたら、通れない。おかしいなあと財布をあけたら、スイカが入っていません。あれぇ?金曜日にチャージして、財布にしまったはずなのに。

 チャージして、領収書だけ受け取って、カードは受け取らずに家に帰ってしまったのです。ただし、これは年のせいじゃない。私は子供の頃からぼうっとすごしていて、落とし物忘れ物は毎日の出来事でした。だから、スイカを駅のチャージ機に忘れてきても、「年取ったための物忘れ」とは思わずに「いつもの落とし物だ」と、年は気になりません。

 年は気にならなくても、スイカカードを落としたのは大問題。量販家電店の会員カードと兼用になっており、会員カードにはクレジット機能がついているからです。万が一心がけの悪い人に拾われたら、クレジット機能を利用して借金もできる。借り入れの最高金額は100万程度の、ランクの低いクレジットカードとはいえ、100万も借り入れられてしまったら、超貧乏暮らしのわが家、立ち直れません。家電店で3Dテレビなどの高額商品を買い込まれてしまうかもしれません。さあ、困った。

 あわてて駅員さんに、「すみません、金曜日にカードチャージして、今ないんですけれど、落とし物の届けはありますか」と尋ねました。駅員さんは電話で問い合わせて「お客様のものかどうかわかりませんが、スイカカードの落とし物が金曜日にありました。ただし、この駅には保管していなくて、上野の落とし物総合案内所へ行ってください」とのこと。その落とし物カードが私のものかどうかは言えない、と駅員さんが言うのだけれど、火曜日に上野へ行きました。

 係官はあちこちの引き出しを調べて、「ありませんねぇ」と言う。あれまあ、もっと探してよ。別の係員が「この引き出しにあるんじゃないか」とアドバイスして、そこを見るとスイカがありました。ああ、よかった。ちゃんと署名欄に名前かいてあるじゃないの。個人情報の問題があるから、私のかどうか、言ってくれなかったみたい。名前を書いて、身分証明書を見せて本人確認。無事、カードが返ってきました。

 カードが返ってきたのは、「情けは人のためならず」のおかげです。10月15日の金曜日、駅前で拾った定期入れ、スイカとバス定期券とディズニーランドパスポート券が入っていたのを、駅員さんに届けた、その御利益でしょう。定期券には16歳と書いてあったので、高校生でしょう。ディズニーランドへ行くのを楽しみにしていたでしょうに、ちゃんと本人のもとへ届いたかしら。

 急な寒さ、皆様、ご自愛ください。私は自愛が足りずに気温乱高下の10月に、さっそく風邪ひきました。風邪引いて授業休講にしたら、その分の講師料が減ってしまうパート講師、休めないから、気力で出講しましたとも。
 インフルエンザも恐いので、11月1日、早々と予防接種を申し込みました。去年は申し込みをしてからずいぶん待たされたので、今年は早めに申し込んだのですが、今年は「今日できますよ」と看護師さんが言うので、申し込んだ当日に接種してしまいました。
 あとは、冬休みになるのを楽しみに、寒さにめげずにがんばります。
 今日、文化の日は、国立博物館や西洋美術館の通常展が無料になる日です。無料とご招待が大好きな私、天気もよいし、出かけてきます。

<つづく>
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2010年11月05日


ぽかぽか春庭「大人の遠足上野公園」
2010/11/05
ぽかぽか春庭十人十色日記>大人の遠足(1)上野公園

 10月はじめには真夏日を記録したと思ったら、下旬には12月並みの寒さ。今年は秋がなくて、夏から一気に冬になってしまったのだけれど、せめて気分は「芸術の秋」をすごすことにしました。
 11月3日文化の日。一日楽しく東京アート散歩ですごしました。
 ダンス仲間のミサイルママと11時半に待ち合わせ。上野へお弁当を持って「大人の遠足」に出発です。

 ミサイルママに「上野でランチしてから美術館にいきます」とメールしたら、「お弁当を持って行くつもり」という返事がきました。それで朝、夕べの残り物詰め合わせのお弁当を作りました。11月2日の夜、仕事を終えて家に着いたのが8時すぎ。あまりに疲れて夕食を食べずに寝てしまったので、私の夕食分がそっくり冷蔵庫に入っていました。娘が用意していてくれたほうれん草とコーンの炒め物、豚肉ハーブソテー、はんぺんチーズ、ニラ饅頭などをそのままチンして、小さな和菓子の空き箱に入れました。鮭とおかかのおむすびふりかけで俵型の小さなおにぎりを三つ結びました。しゃれた和菓子の空き箱、「いつか使うかも」と、とっておくと、「昔モンはこんな空き箱やら包み紙やらを取っておきたがるから部屋が片付かない」と、不評なのですが、こんなときお弁当箱にするのに、ちょうどいい。

 でも、ミサイルママは「あ、そこの回転寿司でお弁当買ってくるから、ちょっと待ってて」という。なんだ、「お弁当もっていく」っていうのは、お弁当作って持って行くんじゃなくて、買って持って行くんだったのね。ミサイルママも日頃は忙しく働いている。

 ミサイルママは美術好きで、インテリアの店に勤めているのでカラー検定の試験をうけたりもしています。区の生涯教育講座で油絵や絵手紙講座を受講したり、彫刻の講座で石膏像の大作を作ったりしてきました。(石膏像は、俳優をしている息子が一人芝居の公演で使って壊れた)
 ふたりとも美術館巡り、庭園めぐりが好き。そして古建築を見て歩くのが好きというところまで共通していることがわかりました。

 私は土日が休みで、ミサイルママは水曜日がインテリア店の定休日なので、いっしょに休めない。11月3日は、水曜日で祝日ですから、ふたりいっしょに出かけることにしました。20年以上ダンス仲間としてつきあってきたのに、二人でのお出かけは初めてのこと。ミサイルママは、一人でないときは妹さんといっしょに出かけるので、なかなか私といっしょという機会はなかった。

 若い頃に山歩き好きの「山ガール」だったことも、ふたりの共通点です。ミサイルママは、息子ふたりの子育てを卒業した数年前に「ちょっと古びた山ガール」復活し、山歩きを楽しんでいます。尾瀬や槍ヶ岳などをひとりで歩いている様子の写真を、何度か見せて貰いました。私も、来年3月に息子が大学を卒業したら「子育て卒業」宣言をして、山歩きも復活するつもり。山ガールならぬ山姥ですが。

 シングルママで息子ふたりを育てたミサイルママと、「実質シングルママ」の私、経済的に余裕がないのが共通している「貧乏仲間」でもあります。お金をかけずに心豊かな生活を楽しむことにかけては、ふたりともひけをとらない。

 文化の日の大人の遠足。上野公園内、歩きながら奏楽堂を眺めました。木造のコンサートホール。美しい建物です。取り壊されるところだったけれど、保存運動のおかげで、芸大内から移築保存されました。
http://www.taitocity.net/taito/sougakudou/

 ミサイルママに、「日曜日や木曜日に入館料のみの無料コンサートがあるんだよ」と、情報を伝えました。東京芸大の大学生院生が、パイプオルガンとチェンバロの演奏をしています。コンサートの予定はこちら。
http://www.taitocity.net/taito/sougakudou/sougakudou_guide/sougakudou_guide3.html

<つづく>
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2010年11月06日


ぽかぽか春庭「黒田記念館」
2010/11/06
ぽかぽか春庭十人十色日記>大人の遠足(2)黒田記念館

 奏楽堂を通り過ぎて、まず無料公開している黒田清輝記念館へ。明治大正画壇の重鎮だった黒田清輝子爵の遺産として設立された美術研究所。1938年竣工のレンガ作り。レンガの壁の側面はツタが這っていましたが、葉は全部落ちていました。ツタの葉に覆われたレンガ壁ってのもステキなので、また葉が茂っていることに見に来ることにします。
http://www.tobunken.go.jp/kuroda/japanese/gaiyo.html

 レンガ建物が好きな二人には、中の絵よりも外からの建て物を眺められればいいってところですが、せっかくの無料公開日ですから中も見ました。
 黒田清輝の絵、美術教科書に必ず載っている「読書」や「湖畔」の絵は知ってはいましたが、これまで「画壇のボス」のイメージが強くてあまり熱心には見たことがありませんでした。「湖畔」の本物を初めて見ました。モデルは奥さんの照子、写っている湖は芦ノ湖っていうことも初めて知りました。
http://www.tobunken.go.jp/kuroda/archive/k_work/oil/oil059.html

 黒田記念館をみたあと、隣の国際こども美術館へ。休館日であることは知っていましたが、この建物もとてもすてきです。こちらは1929年に増築された姿を残しています。
http://maskweb.jp/b_kodomo_1_1.html

 1906年(明治39年)に帝国図書館として建物が作られましたが、その前身は東京図書館。樋口一葉は、上野の東京図書館に通い詰めていたということを日記に書いているという蘊蓄をミサイルママに披露しながら概観を眺めました。ミサイルママは一葉蘊蓄のお返しに、「この中のカフェが安くておいしい」と情報を交換。私は、こども図書館に絵本の展示を見に来たことがありましたが、飲み物はペットボトルで済ませてしまい、カフェによることはしませんでした。次の機会にカフェもぜひ。

 ただし、あとでチェックしたら、「樋口一葉はこの建物がつくられる10年前に亡くなっているので、「東京図書館」に通っていたと思われます。こちらは帝国図書館の前身に当たる図書館で、現在では東京芸術大学の敷地内に煉瓦造りの旧書庫が残っています。」という説明が国際こども図書館の館内案内に書かれていました。
 一葉は帝国図書館に通ったのだとばかり思い込んでいました。確認をとらずにうかつに蘊蓄披露したがる私の癖、いけませんね。

 上野公園の噴水前でおしゃべりしながらお弁当タイム。ミサイルママは寿司弁当、私は「夕食残り物詰め合わせ弁当」を食べました。ミサイルママが登山用に買ったという保温性抜群の水筒に詰めてきたコーヒーを私もお相伴。
 よく晴れて気持ちのいい文化の日、気温はちょっと低めでしたが、暖かいコーヒーもいただいて、楽しい遠足のお弁当タイムでした。

<つづく>
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2010年11月07日


ぽかぽか春庭「こども図書館・芸大銀杏」
2010/11/07
ぽかぽか春庭十人十色日記>大人の遠足(3)こども図書館・芸大銀杏

 上野公園にお弁当を持って一日楽しむ大人の遠足。ミサイルママといっしょの11月3日に続き、11月5日はひとりでもう一度でかけました。3日に行けなかったところをまわろうと思って。
 11月5日金曜日は、出講先の大学が大学祭で休講です。久しぶりに平日に休みがとれたので、午前中は整形外科のマッサージを受けたり、美容院で髪をカットしたり。午後は、上野へ。今回の残り物詰め合わせ弁当は、4日夜に娘が作った「牛コマとエリンギ、パプリカの炒め物」私が作ったおでん、姑が作ったかぼちゃの煮物。それに近所の無添加自然発酵のパン屋フーミーで買った「かぼちゃのティラミス」という菓子パン。

 まず、上野の国際こども図書館のカフェへ。コーヒーを買って外へ出てオープンカフェコーナーでお弁当タイム。空が真っ青。見事な秋晴れ。木の葉はほんの少し色づいたのもあるけれど、まだまだ東京の紅葉は先。カフェの周囲の木々では小鳥が歌っています。上野公園には野鳥も多い。ほんとうにのんびりした気分になれました。こども図書館は親子連れが多く、オープンカフェでも2、3歳くらいの女の子がちょこちょこ走ってはママのところへ戻るのを繰り返しています。ここならいくら走っても大丈夫。

 お弁当の「かぼちゃのティラミス」は、見た目ほど甘すぎずおいしかった。私、本当は甘い物禁止しなくちゃならない身の上なんですけれど。フーミーのパンの中では「じゃがいもパン」というのがわが家での大人気なのですが、今回は12時にお店に行ったらもう売り切れでした。11時半ころの焼き上がりを狙っている人も多いので、ちょうどいい時間にいかないと、なかなか買えない。無添加パンなので、その日に売り切れる量しか店に並べないからです。

 こども図書館の建物は、1906年(明治39年)に帝国図書館として建設された建具などをそのまま保存しています。岩崎邸のガラスもそうでしたが、古いガラスをそのまま保存していて、ガラスにはゆがみがあります。現代のガラスは透明でゆがみ一つないものになっていますので、このガラスを透かして眺めると向こう側がぼうっとゆがんで見える古ガラスに何とも言えない趣があります。いつか建物解説ツアーが行われる木曜日に来館して詳しい説明を受けたいと思います。

 今回は3階の一般閲覧室で開催されている「絵本の世界展」をぐるっとひとまわり見て、1階の昔は「貴賓室」だった「世界を知る」コーナーで閲覧。世界のビーズ手芸、世界の織物と染め物という本を眺めました。15000円するビーズ手芸の本、とても買えませんから、図書館で眺めることができて良かったです。

 こども図書館を出て、隣の黒田記念館をもう一度ぐるっとひとまわり。それから芸大の中を歩き、正木記念館、芸大美術館陳列館、赤レンガ1号館2号館を見ました。
 
赤レンガ館を見た後、建物の裏手へ回って、建物の脇と道路際の木立の間をしばらく歩きました。方向音痴なので、出口と反対側に行ってしまった。

http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html
 芸大音楽学部と道路の塀際に銀杏の木がたくさん植えられています。上のキャンパスマップでいうと、19,23,21号棟の道路際。
 芸大内の銀杏の木は雌木で、黄葉には早かったのですが、大量のぎんなんが落ちていることを発見!誰も拾おうとしないので、山積みになって放置されています。駒込の六義園の中のいちょう雌木など、近所の人は銀杏がみのるころをよく知っていて、みな拾いに来て、私が歩いてもめったに落ちていません。芸大の銀杏の古木。銀杏も大粒です。今回は臭い銀杏を拾うための手袋や袋の用意がなかったので、あきらめましたが、いつか手袋や袋を持って芸大銀杏拾いに挑戦してみます。
 銀杏(いちょう)と銀杏(ぎんなん)と、どちらも銀杏と書くのはなぜかという漢字表記の問題については、春庭コラムをごらんください。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d985

 お弁当を持って歩いて回る大人の遠足、芸大での建物や彫刻展テキスタイル展の見学、西洋美術館でのデューラー展見学については、次回シリーズ「秋のアート散歩」でご報告いたします。

<おわり>
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春庭の秋の散歩2010年11月

2010-10-30 07:15:00 | 日記
2010/11/09
ぽかぽか春庭@アート散歩>秋のアート散歩(1)芸大・赤レンガ館、陳列館

 11月5日金曜日の「ひとり遠足」で、芸大の赤レンガ1号館と赤レンガ2号館を初めて見ました。赤レンガ館は音楽学部の正門付近に並んで建てられています。

 美術学部の中にある芸大美術館には何度か来ているけれど、道路を挟んだ音楽学部側の中には立ち入ったことがありませんでした。正門の前に「学外者の立ち入り禁止」と書かれているので、気の小さい私はこれまで中に入ったことがなかったのです。音楽の練習をする場ですから、物見遊山の人が入れ替わり入って来たのではうるさくて練習できないだろうから、このような立て札を立てるのもわかります。

 しかし、今は独立行政法人になったとはいえ、芸大も私たちの税金で設立運営されてきた大学です。納税者が中の建物を静かに見るくらい許されてもいいんじゃないかと思って、今回思い切って中に入りました。
 赤レンガ1号館2号館の紹介サイト。
http://maskweb.jp/b_geidaibrick_0_1.html

 赤レンガ2号館の中、現在は美術修復研究が行われています。正木記念館や陳列館が美術館として一般公開されているのに、赤レンガ館は一般公開はされていないのは残念です。美術修復研究は、他の建物で行うのも可能でしょうから、こちらの赤レンガ館も「芸大音楽博物館」などにして、一般公開してもらいたいものです。

 美術学部には明治時代からの貴重な作品がたくさん収蔵されていますが、音楽学部にも歴代の作曲家の楽譜とか貴重なものがたくさんあるはず。一般公開して、これまで税金で支えて貰ってきたおかえしを納税者にすべきです。
 映画やアニメなど新しい分野の研究教育も行われるようになって、芸大もだいぶ開けては来ましたが、音楽学部はまだまだ閉鎖的な気がします。

 美術学部側の陳列館も赤煉瓦作り。入り口には皇居二重橋の飾電燈が役目を終えて展示されています。
http://maskweb.jp/b_geidaichinretsu_1_0.html
 東京芸大美術館陳列館2階で「テキスタイル コネクション-宇宙を織りなす-」が開催されていました。芸大染織研究室とNPO法人「文化芸術振興研究所」の主催です。

 私は染め物と織り物が好きで、新宿の文化大学美術館などで染織作品を見てきました。芸大で織物を見るのは初めて。
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2010/textile/textile_ja.htm

 スーザン・クレバノフ、ナンシー・コジコフスキー、楊建軍ほか、アメリカ合衆国・中華人民共和国・日本の作家14名による作品が展示されており、とても見応えがありました。針金を編んだ造形作品など、私には「これもテキスタイル?」と思う作品もありましたが、織物は生活着としての日常性から宇宙の広さまで表現できるアートとしてのテキスタイルまで、とても幅が広い。茶碗が日常の湯飲み茶碗飯茶碗から、宇宙までを表現できるのと同じです。作品のカタログが欲しかったけれど、今回のアート散歩は「無料」がコンセプトですから、買いませんでした。会期は11月7日まで。

 芸大美術館本館で開催されている「明治の彫塑 ラグーザと荻原碌山展」は、12月まで会期があるし、有料だから、今回はパス。
 芸大正木記念館で平櫛田中コレクションを見ました。会期は、2010年10月26日(火) - 11月7日(日)。
 正木記念館の建物は、東京国立博物館本館のミニチュアみたいな感じ。
http://www.geidai.ac.jp/museum/concept/masaki_ja.htm

 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の名を初めて知ったとき画号が「田中」なんて、平櫛という苗字と「たなか」という苗字とふたつあるみたいな号だなあと思ったのですが、平櫛家へ養子に入る前の本姓が「たなか」だったと知りました。もともとの本名を画号にしたんですね。

 平櫛田中は、107歳まで生きた彫刻界の大物。ブロンズ彫刻はいろんな作家を見てきたけれど、木彫の彫刻家と言えば高村光雲と平櫛田中の名くらいしか思いつかない。その平櫛が集めた内外の彫刻作品を芸大に寄付したコレクションが展示されていたのです。いつもは彫刻はあまり見ないのだけれど、無料だから見ました。
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2010/denchu10/denchu10_ja.htm

 小さめの作品が多かったですが、ロダン、ブールデル、マイヨールの作品もあり、弟子たちが平櫛田中をモデルにした作品がふたつ並んでいました。田中は90歳で文化勲章を受章。百歳になったとき、130歳まで木を掘り続ける材料として、600万円出して直径2メートルのクスノキ材を三本買い込んだ、というエピソードが有名。
 私も元気に歩き回って足腰鍛えて、百歳になったら30年分のダンスシューズを買い込みたいな。

<つづく>


ぽかぽか春庭「ドイツ歌曲コンクール」
2010/11/10
ぽかぽか春庭@アート散歩>秋のアート散歩(2)ドイツ歌曲コンクール

 芸大の中をいろいろ見て回って、新しいコンサートホール奏楽堂も確認。木造のコンサートホール、旧奏楽堂は現在は台東区の所有文化財になっていて、木曜日日曜日が一般公開日です。旧奏楽堂の前へ行くと、11月5 日金曜日は公開日ではないのに、人が出入りしています。コンサートをやっているのかなと思って、入り口受付で尋ねたら「今、ドイツリートコンクールをやっていますが、第1部が終わって20分の休憩に入ったところです。第2部は4時50分開演です。お聞きになるなら、入場整理券を差し上げます」といいます。

 財団法人日本友愛青年協会主催の「第21回友愛ドイツ歌曲コンクール」が開催されていました。12月10日に行われる本選会のチケットは2000円ですが、今日の2次予選は入場無料ですから、聞いていくことにしました。
 友愛青年協会は鳩山一郎が設立した団体。(カフェのmitsubaさんは「若い頃この団体の職員をしていた」と、よく日記に書いておられます)現在の主な活動は中国でのボランティア植林運動、軽井沢の山荘経営と、このドイツリートコンクールのようです。

 ドイツリートコンクール優勝者にはウィーンで行われるコンサートへの出演と8日間のオーストリア旅行ご招待&20万円の賞金が与えられます。
 私が聞いたのは、一般の部の第2部。モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、シューマン、ブラームスなどのリートを朗々と歌っていました。7人の審査員は厳しくチェックして本選出場者を選んでいるのだと思いますけれど、素人の私の耳にはみなさん美しい歌声で、どの人が最終予選に残るのかなど、見当も付きません。

 国内の多くの音楽コンクールでは、審査員との弟子関係で優勝者、入賞者が決まるのだと聞いたことがありますけれど、さて、このコンクールは出来レースなのやらガチンコなのやら。

 某文学賞をイケメン若手俳優が受賞したというので、またまた八百長コンクール論が沸騰しています。「芸名での応募ではなかったので、受賞するまでまったく俳優の応募だと気づかなかった」という社長の談話がいかにもウソくさい。最終候補作に残ったら、編集者は応募者と連絡をとり、顔合わせもするので、あれだけ顔が知られている人に気づかなかったということはありえません。また、賞金2000万円の辞退をさせるべきではなかった。実力が評価されて受賞したのなら、堂々と貰えばよい。しかも、1回目だけ大賞を出し、2,3,4回目は該当作無し。第5回目の今回は2000万円辞退で、来年からは200万円にダウンして「新人賞」という名に切り替えるという。何だかなぁ。

 世間で一番有名な文学賞の選定について、その文学賞を主宰している大手出版社の編集者と知り合う機会があったので、聞いてみたところによれば。
 内部編集者による下読みの段階では、数百篇に及ぶ候補作を本気でふるいに掛けて1次予選2次予選と進めていくけれど、最終予選に残すのは「受賞後の単行本を売っていく戦略も含めて、いろいろ社内事情もありまして、,,,」ということでした。5、6篇に絞られた後の最終選考で1作を受賞作とする最終選考では、委員の作家大先生たちにお任せするということでした。つまり、入り口と最後の出口はがちんこ、真ん中はいろんな事情から選抜されるという、、、、。

 世の中のコンクール応募者で、ほんとうに実力だけが評価されると信じている人々には、厳しい現実でしょうが、真ん中の「賞を出す側の事情」をかいくぐるためには、実力だけでは無理ということを知るのも必要かと。芸能界の「主役抜擢オーディション」などがほとんど出来レース、コンクール形式で応募者を集めるのは話題作りのためだけ、というようなことはよく知られるようになってきていますけれど、さて、国内の音楽コンクールのがちんこ具合はいかほどなのか。

 ちなみに、奏楽堂、審査員以外の聴衆は25名。300人は入るホールでちょっと寂しい聴衆でしたが、本選会には満員になるのでしょう。6時から20分の休憩を挟んで、大学大学院学生の部のコンクールでしたが、西洋美術館でデューラー展を見るために奏楽堂を出ました。若い声楽家が伸び伸び育っていくのを祈っています。

<つづく>


ぽかぽか春庭「デューラー展」
2010/11/12
ぽかぽか春庭@アート散歩>秋のアート散歩(3)西洋美術館デューラー展

 デューラー展のチケット、招待券を3枚もらいました。ダンス仲間のミサイルママ、12月8日のオペラコンサートのチケットに応募したらペア券があたったので、いっしょにいかない?と誘ってくれたので、お礼に1枚あげました。K子さんは11月16日の東京芸術劇場のコンサートチケットを「行けなくなったから」とプレゼントしてくれたので、お礼に1枚あげました。バーター貿易のようなもんです。こうして、仲間と仲良く「無料で楽しむ生活」を楽しめます。

 大きなサイズの油絵なら混み混みの人垣の遠くから眺めても、鑑賞可能な場合もあるけれど、今回のデューラー作品は版画と素描。細い線での描写が命の版画だから、なめるくらいくっついて見つめたい。来年1月まで会期はあるけれど、土日はぜったいに一人で一枚の絵を独占するのは無理。この先、冬休みまで平日に休みが取れる日がないし、11月5日金曜日の夜は、文化センターの行事のためダンスサークルの練習がお休みなので、ワンチャンス。西洋美術館、金曜日は8時まで開催しているので、奏楽堂でドイツリートを聴いたあと、西洋美術館でデューラー展を見てしまうことにしました。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/durer201010.html

 エレベーターで地下の展示室に入ると、ちょうどギャラリートークを開催中で、若いデューラー研究者(イケメン)が作品解説をしていました。30分間は、解説者についてまわりました。すらすらとよどみなくデューラー版画の特徴を述べ、デューラーのパトロンのマクシミリアン公について語り、イタリアルネサンスとドイツルネサンスの芸術ちがいを概説する。興味深い解説が聞けてよかったです。

 終わって聴衆が解散した後、イケメン解説者は、何人かの質問に答えていました。ふっと見ると、解説者が知り合いと話しているのが聞こえました。「いやあ、緊張しちゃって、話したかったことをすっとばしました」というようなことをしゃべっている。いえ、いえ、何のなんの、私のような版画についてまったく何も知らない者にとって、鑑賞の役に立つお話でした。おそらくデューラー研究の大学院生だろうと思います。これから先、がんばってよい研究をつづけてください。

 デューラーの版画、細い線を駆使して聖母マリアも磔刑のキリストも聖人たちも「想像上の犀」も見事に描かれています。これまで美術館で見てきたデューラー、私には四角四面できまじめな版画、という印象でした。この人は一線一線を毎日こつこつを描き続ける職人気質、もしくは宗教者のような人物だったのではないか。酔って管巻いたり、女を追いかけ回したりなんてことはしなかった人だろう、という印象だった。

 イケメン君も、デューラーはコンパスや定規を駆使して絵を構成したと解説していました。彼自身が残した書簡などで、「古典美術の理解でもっとも基本となるのは、幾何学と測量法」と書いたというし、大量の日記、旅行記などを詳細に記録した、きまじめな画家でした。王侯との謁見、芸術家たちの歓迎会(アントワープの宴会など)で、16世紀当時のヨーロッパの食生活までわかる。また、ルネッサンス期の人文学者との幅広い交友についての記録から、ルネッサンス人の精神的内面的な記録もわかる。1528年4月6日に没するまで、ヨーロッパ芸術界の重鎮としてすごし、後世にも大きな影響を残しました。

 芸術家は奔放でハチャメチャで周囲の人のことなど考えないわがまま放題というイメージからすると、なんだか「出来過ぎ君」のようなデューラーの生涯。今回の「素描と版画」という企画も、地味でまじめな企画でちょっと敷居が高かった。
 どうやら私は、「芸術家はハチャメチャであるほど面白い」と思っているみたいです。
 
<つづく>
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2010年11月13日


ぽかぽか春庭「渋沢史料館」
2010/11/13
ぽかぽか春庭@アート散歩>秋のアート散歩(4)渋沢史料館

 11月7日日曜日、渋沢史料館へ行って来ました。
 飛鳥山公園に並ぶ三つの博物館のうち、紙の博物館と郷土史料館を前身とする飛鳥山博物館には入ったことがあるけれど、渋沢史料館と渋沢庭園に来たことがなく、飛鳥山の南半分が渋沢家の邸宅だったことも知らなかった。

 渋沢栄一は、明治大正の財界を代表する大立て者にして、91歳で没するまで冨と名声と長寿を全部一人で実現した人。日本近代経済の基礎を築き、500を越える会社を設立、子爵を授爵。教育や福祉にも熱心で、論語の精神と経済を両立すべく活動しました。
 私はこれまでそういう「功成り名遂げた人」に興味がなかったので、史料館に入ったことがありませんでした。

 今回見学した晩香廬は、1917(大正6)年、渋沢栄一の喜寿を記念して竣工された洋風茶室(和洋折衷のティールーム)。渋沢邸の中でも、賓客接待用のレセプションルームでした。晩香廬(ばんこうろ)は、丈夫な栗材を使用し、暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具も最新の設計により、全体の調和が図られています。インドのタゴール、中華民国の蒋介石などを迎え入れ、アジア外交を民間人として担った外交の場にもなってきました。
 建物概観の写真撮影は自由ですが、内部の写真撮影は禁止されています。でも、写真に残しておきたい室内でした。「細かいところまで意匠をつくし贅を尽くした作り」という調度品や暖炉のデザイン。
http://maskweb.jp/b_bankouro_1_0.html
 
 青淵文庫(せいえんぶんこ)は、渋沢栄一の80歳傘寿のお祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて建てられた書庫兼接待所。1925(大正14)年の竣工で、栄一の書庫として、使用されるはずでしたが、関東大震災で栄一のコレクションである論語の書籍が消失したため、実際には書庫ではなく接客の場としても使用された洋館です。東京大空襲にも消失を免れ、建築当時の姿を残しており、晩香廬と共に国の重要文化財に指定されています。
http://maskweb.jp/b_seien_1_0.html

 学芸員によるギャラリートークに午後1時半から参加。
 1923年の完成直前に関東大震災があって、鉄筋コンクリート作りの建物が大きく崩れてしまい、完成が2年遅れの1925年になったという建設中のエピソードや、書庫のステンドグラスは、渋沢家の紋所の柏をデザインしているとか、説明をしてくれました。でも、そのような説明は、もらったパンフレットにも書いてあるので、ひとつくらいは、パンフレットにも載せていないような、「とっておきの話」を加えてくれれば、大勢の人とぞろぞろいっしょに歩きながら見て回るギャラリートークに参加してよかった、と思えるのになあ。

 お金持ちに対して、何はどうあれとりあえず反感を感じてしまう貧乏人の春庭ですが、渋沢栄一はもうけたお金は教育や福祉など社会に還元すべきだという信念をもって経済活動を行ったということらしい。三井三菱安田財閥を築き上げた財界人とはひと味ちがう人物だったようで、今まで「地元に住んでいた偉人」という以上のことは知らなかった不明をわびて、栄一の人となりを一通り学びました。

 渋沢一族のなかで、面白かったのは、栄一の息子渋沢篤二のエピソード。放蕩を続け、名門出の妻を捨てて芸者との生活を選んだため、栄一によって法的に廃嫡され、栄一の後継者は篤二の息子敬三となりました。篤二は禁治産者という烙印を押され、栄一の指示により篤二名義の財産はすべて妻敦子の名義に書き換えられました。栄一なりに、堂上華族である橋本伯爵家出身の嫁を気遣った結果なのでしょう。
 莫大な資産を引き継いで子爵家の当主として生きるよりも、なにがしかの捨て扶持を与えられて、好いたおなごと気楽に生きるほうを選んだ篤二、それもひとつの生き方です。

 敬三は、学者になりたいという夢を諦め、渋沢家を守るために財界人として、また戦後は、幣原内閣の大蔵大臣として政治にも取り組む生涯をおくりました。不遇であった父の生涯を記念するために、父親が撮影した写真を写真集『瞬間の累積』として出版したり、民俗学研究のパトロンとなって研究者を支援しました。

 東京大空襲の際、飛鳥山公園の南側に広がっていた渋沢家の大邸宅のうち、本邸その他が消失。晩香廬と青淵文庫だけが残されました。
 旧岩崎邸、旧朝香宮邸(現都立庭園美術館)、旧前田公爵邸(現近代文学館)、旧古河邸(元陸奥宗光邸)、旧細川侯爵邸(現和敬塾本館)など、都内の近代建築のうちの個人邸宅を見てきて、それぞれに味わいのある邸宅でしたが、今回の晩香廬も、渋沢栄一のひととなりを感じさせるよい建物だと思いました。

<おわり>


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飲むか、飲まないか、それが問題だ2010年11月

2010-10-23 07:09:00 | 日記
ぽかぽか春庭「立ち飲み平澤かまぼこ店」
2010/11/14
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(1)立ち飲み平澤かまぼこ店
 
 人とのリアルつきあいが苦手な私、ネットで知り合った人と実際に顔を合わせるオフ会も数えるほどしか出かけておらず、顔を知っているネット友達も数名のまま増えません。 その中の一人、一度顔合わせをしたことがあって、その後も何度も「会っておしゃべりしませんか」と、メールしたいと思いつつ、残業続きで忙しそうなカフェ日記の記事を見て、もうちょっと時間がありそうなときに会うことにしようと思っていたヨコさんと2度目のオフ会の機会がありました。

 ヨコさんの日記に「文化財ウィークの一般公開で週末には無料観覧できるところに行く予定」と書いてあったので、検索マニアの春庭、さっそく検索開始、ヨコさんがどこに出かけようとしているか突き止めました。ヨコさんの「近代建築めぐり」日記を読んできたので、文化財一般公開、近代建築、週末無料観覧をキーワードに検索を続けたら、行き先がわかりました。

 それで「私も週末に行くつもり。現地で会いましょう」とメールを出しました。春庭@アート散歩に記した渋沢史料館散歩をヨコさんとごいっしょすることができました。
 私が晩香廬室内に入ると、すぐに赤いダウンジャケットにカメラを首から提げた女性が目に入りました。一度会っただけですけれど、なんとなく記憶に残るボブヘア。もし人違いだと恥ずかしいので、遠慮がちに手を振って合図してみる。ヨコさんも「もしかしてこの人かなあ」という感じで、「ハルさんですよね」と確認。2年ぶり2回目のオフ会の挨拶は後回しにして、学芸員による建物内部の説明を聞きました。ヨコさんは渋沢栄一の出身地深谷に移築されている「誠之堂」も見学してきたということです。私もいつか機会があったら見学したい。
http://maskweb.jp/b_seishido_0_1.html

 学芸員が晩香廬と青淵文庫の解説をするギャラリートーク、ヨコさんといっしょに参加し、 ヨコちゃんは、「自分がお金持ちだったら、まずは書庫が、次にビリヤード室が欲しい」と感想を漏らしていました。私は書庫と室内プールとダンスフロアが欲しい。

 渋沢史料館見学のあと、王子駅前のかまぼこ屋の出店のおでん屋でヨコさんとしばし歓談。かまぼこ屋がおでんを売っている立ち飲み屋なのですが、奥に小さな座るスペースもあるとネットで見かけたので、女性が一人では入りにくい飲み屋さん、ヨコさんがビール好きなことは知っていたので誘ってみました。

 毎週講師室で顔を合わせていてもあまり同僚と話しができない愛想無しの私です。団地住まいのお隣さんのことはほとんど知らないけれど、カフェ日記を読んでいる人のことは、毎日の暮らしぶりや考え方を知っていて、お隣さんより親しい。ヨコさんの実際のプラバシーについては、夫の事務所のご近所の会社で働いていること、私の最初の大学の同窓であることくらいしか知らなかったのですが、週末に庭の草むしりをしたとか、植木屋さんに庭木の手入れをしてもらった、なんてことは日記を見て知っている。ヨコさんが旅行先で取った建築写真のネットUPを楽しませてもらっているし、近代建築散歩の話題以外にもいろいろ話がはずみました。

 まずは生ビールで乾杯。2年ぶり2回目のオフ会です。おでん一皿、ビール2本で2時間近くも話し続けました。楽しいひとときをありがとう。ヨコさんまた、会いましょう。

<つづく>


ぽかぽか春庭「こうとうバレエフェスティバル」
2010/11/16
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(2)こうとうバレエフェスティバル

 毎年11月3日に「江東文化芸術祭協賛発表会バレエフェスティバル」が開催され、私たちのジャズダンスサークルの先生のグループが発表会に参加します。毎回1人か二人、サークルの仲間が出演するので、私は毎回見にきています。でも、水曜定休日のミサイルママは3日が水曜日にあたったときだけ観覧できるので、久しぶりのバレエフェスティバル観覧です。3日は、ミサイルママと上野でお弁当を食べ、黒田清輝記念館を見学した後、地下鉄で江東区文化センターへ。

 予定より早く着いたので、3時半から、クラッシックバレエの発表会を見ました。幼稚園くらいの子供のお遊戯会のようなバレエから始まって、なかなか見応えのある発表もありました。バレエの公演、チケットが高いので、なかなか生では見に来られません。普段はテレビの録画放映で楽しんでいるのですが、素人発表会のバレエでも、上手な人たちの踊りは、32回のグランフェッテをこなすと拍手がわき起こったり、なかなか楽しめました。

 夜7時すぎ、ダンス仲間が出演する「ジャズダンスの部」が始まりました。「遅れるけれど行きます」というメールが入っていたK子さんも駆けつけ、私が所属しているジャズダンスサークルの仲間のうちふたりが出演するのに間に合いました。

 テイクファイブ、アンスクエアダンスなど、先生の振り付けもすてきだし、ダンサーもとても上手でした。
 発表曲のうち、ホテルカリフォルニアは、私のサークルでも半年間練習をつづけた曲ですが、私は最後まで振り付けを覚えられなかったので、9月のサークル発表会のときは踊らなかった。

 K子さんは今年4月からサークルに加わって熱心に練習を続けています。定年退職後、身体を動かす機会が減ったことを自覚して、「身体を動かさなければ」と感じていたK子さん、「ダンスは苦手」と言っていたのですが、私が「ラジオ体操するつもりで、できるところだけ参加すればいいから」と、ジャズダンスサークルに誘ったのです。今では「自分の身体の動きを意識するようになり、どのように筋肉をつかっているのか感じられるようになった」というので、半年間で大いに効果があったというところです。

 文化センターのレストランで行われた打ち上げに、K子さんを誘って参加しました。わが家は、息子と娘がおばあちゃんの家に行き、夕食も食べてくるかも知れないというので、打ち上げに参加希望を出したのですが、ミサイルママは「明日の仕事が早いから」と、先に帰宅してしまいました。私のサークルからは、出演者以外には打ち上げ参加がないというので、無理矢理K子さんも誘いました。コース料理と飲み放題で3000円の会費。私はビール2杯とシークァーサーサワーを2杯飲みました。コース料理と言っても、大皿にボンと出される形式のコースで、おつまみ的な料理が多く、どれがメインなのかわからない料理でした。まずくはなかったけれど、メインくらいはひとりひとりに盛りつけた料理がほしかった。

 K子さんは「モダンダンスとジャズダンスの違いがはじめてわかった」と感想を述べていました。
 私はもともとはモダンダンスの練習をしていて、今でもモダンダンスを見るのが好きです。中学生のときポール・テーラーの振り付けをテレビで見てダンスで表現できることのすばらしさに目覚め、マーサ・グラハムらのモダンダンスを見てきました。ポストモダンダンス、コンテンポラリーダンスになると、楽しめない踊りも増えてきましたけれど、フォーサイス、キリアン、ピナバウシェあたりまではテリトリーに入ります。

 私にとって一番「なじみのダンス」は、毎年神戸で行われる「全日本高校・大学ダンスフェスティバル」で高校生大学生が踊るモダンダンスです。今年、NHK教育TVで、8月22日(日)16:00~17:00に放映された23回大会の録画も楽しく見ました。ダンスにかける高校生大学生の姿、アツかった。

 ジャズダンスというのは、クラシックバレエではなく、モダンバレエモダンダンスではないダンスの総称、と言ってもいいくらい、なんでもありのダンスをいうみたいです。そもそもジャズという音楽の定義がとても広い。
 音楽の世界では今ではクラシック分野に入っているガーシュインの「パリのアメリカ人」バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」などで、フレッド・アステアやジョージ・チャキリスらが踊ったのもジャズダンス。ブロードウェイミュージカルや、宝塚でも踊られているようなダンス、テーマパークでミッキーミニーがパレードしながら踊るのも、マイケル・ジャクソンが踊るのも、ジャズダンス。テレビでエグザイルやスマップが踊るのもジャズダンス。
 ミュージカル風、ヒップホップ系、ブレイクダンス系、ストリート系、ファンキージャズ、ジャズバレエ等、さまざまなものがジャズダンスと呼ばれています。

 私たちの先生は、日本民謡やフラメンコ、アイリッシュダンスなどさまざまなジャンルの踊りを取り入れた振り付けをしていて、私たちも幅広いダンスを楽しんでいます。 
 K子さんは、他のダンスグループの踊りを見て、このサークルでの活動を続けていられるのは、仲間が親切だからという理由だけでなく、先生の振り付けのセンスが好きだからなのだと気づいたと話していました。私も先生の振り付けが好きですけれど、見ている分にはステキだけれど、自分が踊るには難しくて、ホテルカリフォルニアも覚えきれなかったし、、、、でも、来年9月の発表会めざして、がんばります。10月は忙しくて、ダンスの練習を全休してしまいました。練習に復帰して、なまった身体を鍛えます。
 
<つづく>


ぽかぽか春庭「オペラと焼き鳥」
2010/11/17
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(3)オペラと焼き鳥

 11月16日の夜、としま未来文化財団設立25周年記念のコンサートを聞きました。オペラからミュージカル、歌謡曲までなんでもありのプログラム。
 私は仕事が遅くなるのでどうせ全部は聞けないと思ってチケットを買っていなかったのですが、K子さんが「行けなくなったのでチケットあげる」と言うので、それならチケット無駄にするよりは半分でもいいから聞いてこようとでかけたのです。
 仕事を終えて電車に飛び乗り、90分。池袋に着いたときはもう6時半の開演時間を30分すぎていました。

 ジャズダンス仲間のミサイルママやみきさんがもう来ているはず。
 指揮者兼総合プロデューサーの 坂本和彦さんは、ミサイルママやみきさんが所属している豊島区合唱団の指導者でもあるので、二人とも坂本先生の大ファンです。坂本先生の指導で声を出し、先生のトークに笑い転げているうちにストレスも解消してしまうのだとか。

 私が池袋芸術劇場の長いエスカレーターを登って大ホールの3階へ行ったとき、ドアの外のロビーに、ベルディ椿姫の「乾杯の歌」が聞こえてきました。藤原歌劇団の出演による第一部、「オペラの部」
 これは、第1部が終わったあとの休憩タイムまで客席には入れないかなと思っていたら、乾杯の歌と次の「フニクリフニクラ」の間の坂本さんのトークの時間に係りの人が案内してくれて、席につくことができました。席はミサイルママとみきさんの列の後ろです。
 ミサイルママは還暦記念に「5000人の第九合唱」に参加するのだと、今から計画をたてており、区の合唱団でも年末に向けて「喜びの歌」を練習しています。16日のコンサートでは、藤原歌劇団の合唱で「喜びの歌」を聞きました。

 休憩の間にロビーでサンドイッチを一口。
 第二部は、秋元順子の歌「愛のままに」「マディソン郡の橋」と、宝塚出身の和音美桜と四季出身の岡幸二郎のミュージカルナンバー。レミゼラブルのジャベールの歌「スターズ」や、ウエストサイドのトゥナイトなどを聞きました。

 坂本先生の司会はとても軽妙で楽しく、あっという間に最終曲まで進んでいきました。第一部の終わりにスペシャルプログラムとして、坂本和彦さんが指揮し、エグザイルが歌った即位20周年奉祝曲「太陽の国」が藤原歌劇団の男性デュオによって披露されました。私ははじめて聞きました。
 youtubeのエグザイルの歌唱よりよかった気がします。youtubeのエグザイル映像はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=zAUTA2hSdWs

 コンサートが終わって、すぐ近くにあるミサイルママの働くインテリアの店へ。8階にインテリア店があるビルの地下は焼鳥屋です。仕事が終わるとさっさと帰宅するミサイルママなので、同じビルにありながら18年間このビルに通勤していてここで焼き鳥を食べるのは4度しかなかった、というので、寄ってみました。焼き鳥1本80円というイマドキ良心的な値段の店で、生ビール、焼き鳥、烏賊の墨あえ、コロッケなどをつまみにおしゃべりしました。

 ダンス仲間の何人かは夫の親や実親の介護を続けてきた人がいたけれどこのところバタバタと見送りをしているという話、ミサイルママの長男君が出演していた戸川晶子経営の「青い部屋」というシャンソンバーが、マネージャーが資金全部を持ち逃げしてしまい経営できなくなったために閉店することになったという話。それぞれたいへんな人生模様ですが、いつものように、ダンスや合唱や山歩きで身体を鍛えてこれからの老後を楽しく生きていこうというところに話は落ち着きました。来月は閉店前に「青い部屋」に行ってみることにしました。

<つづく>

ぽかぽか春庭「我が家のペットに乾杯」
2010/11/19
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(4)我が家のペットに乾杯!

 未熟児で生まれた息子が1才すぎたころ、一羽の文鳥が部屋の中に飛び込んできました。「迷い子の小鳥を預かっています」という張り紙をエレベーターホールの掲示板にだしておいたけれど、引き取り手が現れなかったので、家で飼うことにしました。ホームセンターで鳥かごを買い、ピーちゃんと名付けました。これが我が家の最初のペット。

 文鳥のピーちゃんの鳥かごにつかまって、やっとつかまり立ちができたとき、鳥籠の前でとった息子の写真があります。お下がりの黄色いベビーつなぎ服に白いよだれかけ姿。娘は1才前に歩き出し、2才すぎたころには2語文3語文でにぎやかにおしゃべりしていたのに比べて、息子は立つのも歩き出すのも遅く、未熟児で保育器に入れられ管につながれていたことの後遺症が残っているのではないかと、はらはらしながらの育児でした。予定日より40日早い早産の上、前置胎盤で母胎が極度に弱り、母子ともに死ぬかも知れないという難産。帝王切開で母胎から取り出したあと、5分も産声がでず、自力呼吸ができなかった。

 生後3日間、このあと生き延びることができるのか医者にもわからないという赤ん坊でしたから、そら立った、ようやく歩けたということが、ひとつひとつ倍の喜びでした。

 迷子の小鳥ピーちゃんは息子と娘によくなつき、肩に乗って遊び相手になってくれました。息子は1才半の検診でも「この先、発育上にどのような不全が現れるかはまだ予測がつきません」と、検診の医師に言われ、とにかく生きていてくればいいと思って育てました。

 息子4才娘9才のとき、私が中国に単身赴任が条件の仕事に出かけている半年の間、田舎の妹一家が息子と娘と文鳥を預かってくれました。

 1994年の夏休みに妹が娘と息子を連れて中国へ来たときは、文鳥は妹の亭主が世話をしてくれたのですが、その間に文鳥は死んでしまった。我が家に来たとき何歳だったのかわからないので、寿命だったのかとも思います。帰国した娘には「ピーちゃんは、お空に飛んでいったんだよ」と説明しましたが、もう帰らないことを娘なりに受け止めたようでした。

 息子にとって、我が家の最初のペットのピーちゃんは、「自分より小さくて、いたわってやるべき存在」でした。娘にとって、「自分より小さい存在をいたわったりかわいがったりする」という気持ちを持つための大切な存在は5才下の弟でした。小学生の娘が保育園のお迎え係りになって、母が仕事から帰るまで世話をしてくれて、どこに遊びに行くにも弟を連れて行ったので、娘の同級生「みんなの弟」のような存在でした。今では弟を「姉の使いっぱ」と、こき使っています。我が家でいちばん年が若い息子、いつまでたっても、「ペットのちょい上」の立ち位置から出世しません。

 文鳥の鳥かごにつかまって、ようよう立っていた息子、本日めでたく22才になります。
 12月に提出しなければならない卒業論文の仕上げに四苦八苦していて、誕生日どころじゃないというので、お祝いも卒論提出後に延期しました。

 夫に似てしまい、一滴もアルコールが飲めない娘。一方、息子は私に似て、飲めそうです。でも、誕生日祝い、ピールを飲むか飲まないか、それが問題だ。息子は私がアルコールを控えなければならない体調であることを気にして、自分だけ飲むことはしそうもないし、まあ、ビールもワインもないお祝い御膳であっても、お祝いの気持ちがあればノンアルコール・ビールでも、かんぱ~い!。

 未熟児で生まれて、22才まで何度も苦しい時代を過ごしてきた息子が、今生きていてくれるだけで、感謝でいっぱいの思いです。ありがとう、生まれてきてくれて。ありがとう、生きていてくれて。

<つづく>
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2010年11月20日


ぽかぽか春庭「来年は卯年」
2010/11/20
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(5)来年は卯年

 我が家のペット、文鳥が死んでしまったあと、妹は代わりのペット、ジャンガリアンハムスターをくれました。ハムスターも寿命は短い。3匹のハムスターを飼いましたが、いずれも2年足らずの寿命でした。

 しばらくはペットなしの生活でした。娘が中学校で不登校になったので、ペットを飼う余裕もなかった。娘は中学2年の秋、生徒会長に選ばれた後、生活指導の教師と対立しました。教師が私服で登校してきた生徒を学校から排除しようとしたとき、「長く休んでいてやっと学校へ来る気になった生徒を、私服で来たからといって学校から追い出すべきではない、彼にも学ぶ権利はあるし、公立中学校の制服とは標準服であって、私服で登校してはいけないということはできない」と、教師に向かって主張したため、彼を立腹させてしまったのです。

 生徒会長は教師の生徒指導の「出先機関」としか思っていなかった生活指導教師にとって、自分に対立しようとする生徒会長など許せない存在でしたから、その後、娘はその教師から執拗なイジメを受けました。娘はストレスから神経性胃炎になり、入院しました。1997年11月のこと。12月に退院したあと、娘は二度と中学校へ戻りたくないと言い、中学2年の冬から卒業まで学校へは行きませんでした。1年半の不登校。当時は、不登校に対して行政側学校側は今のように手だてを考えてくれることがなく、学校がしてくれたことといえば、卒業式を欠席した娘のために、校長室での「一人卒業式」を挙行したことだけ。

 1999年の卯年を迎えるとき、1998年12月には年賀状を用意する余裕もなく、「内申点が無くても受験させてくれる高校」を探して、受験準備をしました。1999年4月、娘は都立単位制高校へ進学しました。
 1999年の5月に、妹のモモが知人からネザーランド・ドゥワーフという種類のミニ兎をもらってきて、娘にプレゼントしてくれました。娘が「高校進学祝い」としてペットを希望したのです。

 我が家最初の兎は灰色で、ピーターラビットのような顔立ち。おとなしくてよくなつく、かわいい兎でしたが、部屋飼いしていて本箱の本を囓ったりしていたのがよくなかったのか、4年半の生涯のうち半分は毎月の病院通いが続きました。2002年に死んでしまって、寿命が短い兎はもう飼いたくないと思っていたのに、2ヶ月後、娘と息子が公園で「捨て兎」になっている子兎を拾ってきました。

 「カブトムシの餌」と書かれた段ボールに入れられて放置されていたそうです。足が悪い兎だったので、どうやらペットショップから売れ残りとして捨てられたらしい。白黒茶の三色の模様のウサギ、猫で言うと三毛猫みたいな毛並み。ネットで調べたらハーレクインという種類のようでした。元気のいい、おちゃめなウサギでしたが、もともと足が悪くて捨てられたウサギでしたから、寿命が短くても仕方がなかったのか、2004年に死んでしまいました。

 2匹続けて死なれてしまい、私は「もう、ウサギは飼わない。死なれると悲しいから、絶対にだっこしたりなでたりしない」と言っていたのに、娘は2005年3月に「友達の紹介で買った」と、真っ黒のウサギを連れて帰ってきました。耳がたれている「ロップイヤー」という種類です。私は関わらないことにしたので、ベランダの半分をウサギ小屋にして、そこで飼うこと、部屋には入れないこと、餌などの世話は娘と息子がすること、という約束で、私は頭をなでることもしなかった。

 ベランダ飼いにして、部屋の中の本とか身体に悪いモノを囓らなかったのがよかったのか、前の2匹よりは長生きで、5才半。長寿ウサギは10才くらいまで生きるそうなのですが、5才6才は、もう老体なのです。獣医からは「子供を産ませる気がないのなら子宮を取る手術をしたほうがいい」という健康診断を受けていたのですが、手術なんてかわいそうと思って受けさせないままでした。この10月、検査で子宮の腫瘍が見つかり、入院手術を受けました。幸い腫瘍は悪性ではなく、人間で言う子宮筋腫だったみたいです。手術は成功し、今ウサギはベランダでひなたぼっこしています。

 2011年の干支は兎。12年ぶりのウサギ年、、、、、って、干支が12年ぶりなのは当たり前ですが、前回1999年の兎年に我が家に兎がやってきて以来、初めて卯年を迎えるのです。この12年間、つらいこと苦しいことばかりが続きましたが、ウサギは娘と息子にとって、心和ませる、癒しの存在になってくれました。

 ほんとうはパソコンにウサギの写真を取り込んで年賀状でも作りたいところですが、、、、うちのウサギ、真っ黒だし耳がたれているので、私が写真に撮ると、ただ真っ黒い固まりが写るのです。写真撮影技術があれば、もうちょっとウサギらしく写るのでしょうけれど。これじゃ、もらった人はウサギ年じゃなくて「石炭年」かと思うよね、ということに意見一致。

 我が家のペット、文鳥も兎も、子供達にとっては大切な友達でした。真っ黒くろすけのふうちゃん、できる限り長生きしてほしいです。

 わたしは、来年ウサギ年も次の卯年も生き抜いていくつもり。そのために、乾杯も控えているんですから。

 我が家のペット(のちょっと上)へのお祝いのことばを頂戴し、ありがとうございます。
 ノンアルコールビールは、ふたりとも「まずい」という結論に至りました。

<つづく>



2010/11/21
ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(6)頭はコレオスパイラル

 夕べは、娘息子につきあって、夜中の2時半までフィギュアグランプリシリーズロシア杯をテレビ観戦しました。チームプレー苦手の我が家、「みんなで力を合わせてやる競技」のサッカー、バスケット、野球というような団体スポーツは普段はほとんど見ません。先日の女子バレーのブラジル戦アメリカ戦を見たのは久しぶりの球技観戦でした。銅メダルおめでとう!

 娘は高校で、息子は中学で水泳部に所属して大会に出場していたので、夏場は水泳のテレビ放映を見ます。昔は水泳のテレビ観戦なんてあまりなかったけれど、北島や入江などのスター選手輩出でメジャーな大会ならテレビで見ることが可能です。最近ならアジア大会の水泳。団体戦でも、リレーのように個人がひとりで行う競技をつないでいくのはOK。陸上のリレー、水泳のリレー、体操の団体戦なども個人競技の延長として見ていられる。駅伝もハーフマラソンのリレーです。

 秋から冬はもっぱらフィギュアスケートを見ます。子供の頃、私がもっとも熱中したスポーツがスケートでした。中学生になると親に連れられなくてもバスに乗って移動できるようになり、姉と連れだって毎週日曜日はバスに乗って湖へ出かけていきました。最初は赤城の小沼が凍り、次は赤城大沼、伊香保スケートリンクがオープンしたあと榛名湖が凍りました。

 私が湖で滑っていた時代、フィギュアスケートは氷の上に円を描いたり8の字を描いたりする形(フィギュア)を正確に描くことが競技の中心でした。だから、私はフィギュアのスケート靴を履いて、もっぱらスピードを出すことに夢中になっていました。スピード靴もほしかったけれど、フィギュアとスピードをふたつとも買ってもらえるような家計ではありませんでした。

 伊藤みどりが活躍していたころのテレビ中継を幼い娘とともに見ていたからか、今娘と息子はフィギュアスケートの大ファンです。地上波とBSで放映されているフィギュアを全部見ています。いつもは録画でみるのだけれど、20日深夜の女子フリーをライブで見ました。

 ふたりは、細かいルール改定のこともよく知っていて、今シーズンから採用されたコレオステップやコレオスパイラルについて、新しいエレメンツについていけない母に解説してくれます。

 「今のは3回転3回転のはずだったのが、3回転2回転のコンビネーションにしたんだ。他の競技者が出すであろう得点を計算すると、無理して3・3で飛んで失敗するより、安全策をとったほうが、最終得点が上になるって計算なんだよ」なんて、母の苦手な点数計算も教えてくれます。計算はほんと苦手です。前回のアメリカ大会で、織田選手も計算ミスをして、高橋一位、織田二位になりました。敗因はスケート技術ではなく、計算ミス。織田はよく計算ミスをやります。

 後半加点があるから、安藤美姫は5種類のジャンプをすべて後半にプログラムしている、ってことは理解したけれど、細かい計算は母の能力ではとてもわかりません。でも、とにかく、安藤美姫も鈴木明子も村上佳菜子とともにグランプリファイナルに出場できることがわかってうれしいです。

 浅田真央は、初戦のNHK杯の8位で、ポイントが3点しかなく、最終のフランス杯が一位通過で15ポイント得たとしても、合計18ポイントにしかならず、ファイナリストになれそうもないのは残念です。そんな計算も私にはとてもできないのですけれど、娘と息子はふだんおつりの計算もようせんのに、こんなときばかりは総合得点の計算とか熱心にやっています。男子は、高橋出場確定、織田確実、小塚はフランス杯の成績次第。羽生は、今シリーズは残念、来シーズンに期待。

 ほんとはビール片手に観戦したいところですが、つまみの裂き烏賊をチビチビとシャブリながら、ビールは飲みませんでした。
 みんなで夜中にスケート見て、日曜日の朝はみんなで朝寝坊。それでも息子は都立図書館へ、卒論の史料を閲覧に出かけました。私も、やるべきことが山積みなんですけれど、、、、どうも頭の中がコレオスパイラル。スケートペアのエレメンツにデススパイラル(死の螺旋回転)っていうのがありますけれど、まあ、死んではいないけれど、ぐるぐる同じ所を回り続けて、いっこうに先に進もうとしないおつむのまま、停滞しています。

<つづく>


ぽかぽか春庭十人十色日記>飲むか、飲まないか、それが問題だ(7)乾杯はおあずけだけれど、くじけないで、、、、

 喫煙者が禁煙失敗と書いた日記など読むと、やっぱりなあ、と思うのですが(宮藤官九郎も最近禁煙失敗とか)、私も意志薄弱にかけては人後に落ちない、、、、甘いもの禁止と心がけても、さきおとといの夜は「長崎ルイーズの生チョコロールケーキ」おとといのデザートは「生クリームプリン」で、それでも心持ち控えめにしました。

 いつもは一本20センチくらいのロールケーキを3人で3分の1ずつ分けて食べるのですが、ルイーズのロールケーキ、「母は2センチほどの厚みに切ってね」と、節制しました。あ、2センチくらいの厚みって、フツーかな。いつも6~7センチを一気食いするほうが食べ過ぎなんだよね。それにしても、全国どこのお菓子屋さんでも、人気が出ればネットに登場してお取り寄せが簡単にできるようになっています。うちは、生協の冷凍ケーキですが。

 今朝の朝ご飯は、チョコレートとクッキーと柿の種、、、、ダメだこりゃ。でも、完全禁止にすると禁断症状が出て、かえってドカ喰いしそうだから、一日に一回だけ、ちょびっとは「がまんしたご褒美」を許してやらないと。ご褒美だらけ?いえいえ、そんなことはありません、、、、節制、節制!

 平櫛田中107歳、小倉遊亀105歳、片岡珠子103歳までは生きたい。今現役で活躍中の人なら、日野原重明99歳、新藤兼人98歳くらいまでは現役で仕事を続けたい。すごいなあ、98歳で新作映画。マノエル・デ・オリヴェイラ(ポルトガル・ポルト出身の映画監督。 2010年10月現在101歳)の99歳の作品『ブロンド少女は過激に美しく』も見てみたい。

 99歳の日野原重明医師がエッセイで、後藤はつのさんを「人生のモデル」と紹介していました。はつのさんは73歳から絵を描きはじめ、102歳で初個展。今年はニューヨークへの旅を楽しみ、この9月には満107歳の誕生日を祝ったそうです。
 はつのさんの作品紹介サイト
http://www.akakura.gr.jp/~akakura15/mama/

 柴田トヨさん。90歳を過ぎて足腰が不自由になり、腰を痛めて趣味の日本舞踊が踊れなくなりました。息子の健一さんはトヨさんに詩作を勧めました。「ボケ防止」になるからと。産経新聞の投稿欄「朝の詩」にたびたび掲載され、98歳で詩集を自費出版したのが出版社の目にとまり、メジャー出版。現在詩集では異例の版を重ねています。

「くじけないで」
ねぇ 不幸だなんて/溜息をつかないで
陽射しやそよ風は/えこひいきしない
夢は/平等に見られるのよ
私 辛いことが/あったけれど/生きていてよかった
あなたもくじけずに

「秘密」
私ね 死にたいって/思ったことが/何度もあったの
でも 詩を作り始めて/多くの人に励まされ
今はもう/泣き言は言わない
九十八歳でも/恋はするのよ/夢だってみるの
雲にだって乗りたいわ
   
「貯金」
私ね 人からやさしさをもらったら/心に貯金しておくの
さびしくなった時は/それを引き出して元気になる 
あなたも今から/積んでおきなさい
年金よりいいわよ

 日本人は元気な高齢者が大好き。双子のおばあちゃんキンさんギンさんも99歳からアイドルになりました。マスコミは、どうぞ後藤はつのさんや柴田トヨさんを追いかけ回して疲れさせないでくださいね。お二人はご自身の表現の場を確立しているからきっとこれからも凛として年輪を重ねていらっしゃることと思います。
 私も白寿を息子の還暦といっしょに祝うその日まで、体調管理してくじけないでいきたいです。

 節制生活、「今日もがんばりましたね」の一人ビール乾杯は、、、、、控えます、、、、でも、
 To beer or not to beer, that is the question.
 たまには飲みたいです。
 って、忘年会新年会が続く年末年始、たまには、、、、、週一回くらいは、、、、毎日でなければ、、、、
 本日の食後のデザートは「ブルーベリーチーズケーキ」。いつもより小さめに切って食べました。ちょこっと節制。

 ウェブ友の日記から、91歳ふたりと71歳の女性3人のおしゃべり会のようすを読ませてもらい、ほんとうにそんなふうに女同士のおしゃべりを楽しめる99歳までがんばらなくちゃと、思って勇気づけられています。

<おわり>
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2010年歳末 2010年12月

2010-10-21 04:38:00 | 日記
2010/12/26
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(1)クリスマスキャロル

 2010年の年末、さまざまなクリスマスの楽しい夜が、子供たちの胸に残ったことを願っています。私にとっても、「クリスマス」は家族が共にすごすあたたかいイメージのことばです。
 戦後の物のない時代にも、貧しいながらせいいっぱい子供たちを喜ばせてくれようとしてくれた両親の思い出、、、、。
 結婚後、自営業夫の会社は倒産寸前、一家に明日食べていくお金もないという中で娘と息子にみすぼらしいプレゼントしかあげられず、それでも娘と息子はベランダに出て、「サンタさん、プレゼントありがとう」と、大きな声でお礼を言っていたときのこと、、、、。
 様々な年のクリスマスが思い出され、さまざまな言葉にまつわるイメージが去来します。

 今年のクリスマス、22日には、娘息子と東京ディズニーランドのクリスマスを楽しみました。25日には、友人の阿子さんと『クリスマスキャロル』を観劇しました。
 阿子さんとは、音読を希望する視覚障害者と朗読ボランティアとして、図書館朗読室で出会いました。阿子さんが希望する図書を指定し、一冊の本を数回に分けて朗読し、私も自分で選んでは読むことのなかった本と出会うことができました。

 阿子さんは観劇が趣味で、視覚障害者のための音声ガイド付き演劇上演を増やしていく活動を続けていました。私は朗読ボランティアの活動をしなくなったあとも、阿子さんとは個人的に友人としておつきあいを続け、観劇にも「外出ヘルプ」を兼ねてごいっしょしてきました。

 阿子さんはご主人の仕事の関係で2010年の秋に大阪へ引っ越しました。弱視者のご主人にとって、職場は限られたところしかなく、東京での仕事がなくなってしまったあと、活路を求めて大阪へ出て、半年ほど単身赴任をしていました。大阪で生活する決意を固め、阿子さんも東京から大阪のご主人のもとへ引っ越していったのです。

 引っ越し前に、年末には東京に一度戻ってくる、という連絡をもらっていたのですが、25日に東京に行く、という電話がありました。毎年阿子さんが楽しみに鑑賞を続けてきた劇団昴の公演『クリスマスキャロル』を、今年も見る予定だといいます。大阪から新幹線で東京へ向かい、そこから東池袋にある劇場へ行くというのです。「クリスマスキャロル見ませんか」というお誘いを受け、東京駅から池袋までの外出ヘルパーを引き受けました。

 『クリスマスキャロル』は、何度も映画化されていますし、劇団昴の公演も以前に阿子さんといっしょに見たことがあります。とてもよい公演だったので、もう一度見てみるのも悪くないし、阿子さんのガイドヘルパーをするのは、私にとってもとてもよい時間の過ごし方なのです。阿子さんは引っ越したばかりの大阪で、まだ自宅から離れたことのない生活を続けているのだそうです。

 新大阪から一人、新幹線で上京してきた阿子さん、駅員さんの案内で東京駅南乗り換え口に12時半すぎに着きました。私は東京から一つ目の有楽町へ行って有楽町線で東池袋へ行くルートが一番いいと提案したのですが、阿子さんの希望で山手線で池袋まで行くことにしました。ところが新宿駅構内での事故のため山手線は上野駅で止まってしまい、他の路線に乗り換えて下さい」という放送が入りました。仕方がないので、秋葉原まで戻り、飯田橋から有楽町線に乗り換えました。

 開演まで時間があったら、お茶飲もうかと言っていたのが、開演ぎりぎりに東池袋のアウルスポットに着きました。2時開演。
 視覚障害者のための音声ガイドが充実している舞台のため、阿子さんの盲学校時代の同級生のほかにも視覚障害者が観劇に来ていました。いつも昴の公演で見かける盲導犬を連れた方も来ていました。
 阿子さんと障害者の会で活動を共にしてきたケイ子さんは、隣の車椅子席に。阿子さんが大阪へ引っ越してしまうと言うので寂しがって泣いていたという阿子さんの学校時代のお友達2人は、私の後ろの席になりました。

 ディケンズの原作『クリスマスキャロル』は、世界でもっとも知られたクリスマスストーリーのひとつ。守銭奴のスクルージが、クリスマス一晩の出来事で心温かな人間に生まれ変わるという物語です。
 今回も、昴の公演は「視覚障害者用音声ガイド付」です。台詞だけで演劇を鑑賞する視覚障害の方のために、音声が聞こえず目に見なければわからない舞台上の動きを解説したイヤホンがあり、「未来の精霊が上手から登場し、声を出さずにスクルージの前に立つ」などの説明が入ります。

 阿子さんは、劇団昴が20年間年末の『クリスマスキャロル』を上演してきたうちの後半10年間は連続で毎年舞台を見ています。もう台詞も劇中歌もすっかり覚えているくらいですが、今年も楽しかったと言っていました。スクルージ役の金子由之はこの役を演じて4年目。他の役者もアンサンブルは抜群でした。
 終演後、役者と演出家によるトークショウがあり、観客からの質問に答えたり、稽古中のうちわ話も披露されました。アウルスポットでのクリスマスキャロルは今年で最後ということですが、毎年見ているという観客も多く、劇場を他に移しても来年も上演して欲しいという希望が観客から伝えられました。

今日26日の公演が千秋楽。
 昴の公演案内サイト
http://www.theatercompany-subaru.com/public.html

<つづく>
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2010年12月27日


ぽかぽか春庭「夢の国で年忘れ」
2010/12/27
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(2)夢の国で年忘れ

 21日で年内の授業を終えました。12月22日、久しぶりに娘息子といっしょに東京ディズニーランドへ出かけました。
 子供たちが小さい頃、バブル真っ盛りの時代で「一家で海外旅行へ行った」とか派手な家族サービスの話が飛び交うなか、自営業のわが家は貧乏続きでした。明日食べるごはんも定かでない生活で、親子4人での家族旅行というのは、1度もしたことがありませんでした。2年に1度くらいの割合で東京ディズニーランドに行くことが、家族ですごす最大の贅沢でした。娘と息子にとって、ディズニーランドは最高に楽しい場所となり、ディズニーリゾート大好きっ子になりました。
 
 息子が中学生になったくらいから、親抜きで娘と息子ふたりで、毎年春休み夏休み冬休みごとにディズニーランドやシーに出かけるようになり、「ディズニーファンクラブ」というのにも入会しました。「ディズニーファン」という雑誌が届けられ、年末にはキャラクター満載のカレンダーが届きます。ディズニーランドやシーの情報をせっせと集めて、グッズもいろいろ集めました。わが家のカップやハンドタオル類はほとんどがディズニーキャラクターの絵がついているものです。

 しかし今年は、息子の卒論執筆が終わるまでディズニーランドも「おあずけ」ということで、一度も出かけていませんでした。22日は、私も授業を終えたし、息子も卒論やレポートも提出できてほっとしたところでした。
 「母もディズニーランドへ行く?」と聞かれたので、「冬は一度出かけて寒くてふるえたので、いやだ」と言ってきたのを撤回して出かけました。幸い、22日は「11月並みの気温」という予報が出て、予報通り暖かな一日でした。零下20度にもなる中国東北地方にも着ていったダウンコートを着込み、毛糸帽子に手袋の完全冬装備で出かけたのですが、途中コートは脱いで過ごしたくらい日中は暖かでした。

 園内はさまざまなクリスマスデコレーションで飾られていました。入り口アーケードには巨大なクリスマスツリー。シンデレラ城にも大きなクリスマスリースが飾られています。一度真冬に出かけて、あまりの寒さに閉口して以来、私は冬には出かけたことがなく、ディズニーランドのクリスマスを見るのは初めてです。
 昼のパレード、午後のクリスマスパレード、夜のエレクトリカルパレード、ミニーのラテンダンスショウ、カントリーベアのクリスマスショウなどを楽しみました。復活したキャプテンEOも見て、若いマイケル・ジャクソンに再会。なつかしかった。

 久しぶりの私には、アトラクションもいろいろ新しいものがありました。シューティングライドゲームの「バズライトイヤー」というのをやってみました。トイ・ストーリーのキャラクターになって、乗り物に乗って移動しながら光線銃で的を撃つ、流鏑馬(やぶさめ)現代版みたいなゲームです。私は7500点獲得。レベル2でした。いっしょに乗り物に座っていた娘は何度もやっているので78000点もヒットしました。私はただ見えた的を撃っていたのですが、点数の高い的と低い的があるので、娘は一度に5000点も出る高い点数の的を狙った結果の高得点でした。

 あと、モンスターズインクのかくれんぼ、というニューアトラクション、これは娘と息子も初体験。ぐるぐる回る椅子にのって移動しながら、隠れているモンスターをライトで照らして捜し出すゲーム。

 最後におみやげ。私は紅茶缶。息子はマグカップ、娘はミニーのハート型マウスパッドを買いました。マウスパッドは、母へのプレゼント。ディズニーファンクラブ会員に用意されたスペシャルカードもゲットして、お昼ころに入園して、閉園近くまで楽しい一日をすごすことができました。シンデレラ城の前で待っていた夜の花火が「風のため中止」となってしまったのは残念でしたが、午後2時すぎの遅いお昼ご飯となったイーストサイドカフェでのクリスマスランチもおいしかったし、幼かった子供たちとすごした日々を思い返しながら、「夢の国」での年忘れ。大人になった娘息子と老親とですごすディズニーランドもいいものです。

<つづく>
08:27 コメント(4) ページのトップへ
2010年12月28日


ぽかぽか春庭「ダンスィング忘年会」
2010/12/28
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(3)ダンスィング忘年会

 私が参加した忘年会、今年はひとつだけ。17日、所属しているジャズダンスサークルの忘年会でした。毎週金曜日の夜にダンスの練習をしている文化センターの向かい側に焼き鳥屋ができたので、今年はいつものチェーン居酒屋ではなく、ここを「お試し」してみよう、ということで、メンバー10人ほどで入店。

 飲めない人のほうが多いサークルの忘年会、3人はビールや日本酒を頼み、あとの人はウーロン茶で「今年一年お疲れ様」と乾杯しました。私、飲める方のひとりとして「生搾り柚サワー」を注文。生搾りというので、生の柚を自分で絞ったりするのかと思いきや、「生搾りゆず」という瓶ジュースをチャッチャと混ぜて作った酎ハイでした。

 忘年会の前に、文化センター学習室で、来年の活動案を審議しました。サークル会費を値上げするかどうか、発表会で踊る曲目は、どうするか、係の入れ替えで誰が何を担当するかの話し合い。

 一番たいへんなのは会計係。皆から集めた会費をまとめ、センターの会場費を払ったり、先生への謝金を渡したり。私はこの係、絶対に無理。計算ができず、整理整頓ができないので、必ずお金の帳尻が合わなくなる。
 私は今まで書記係として、スケジュール表を書いたり、サークル通信を書いたりしてきました。そろそろ他の係もやらなければということで、私は来年は発表会係をすることにしました。書記はK子さんに頼みました。ミサイルママは、副会長。

 来年の発表曲候補は、
・美空ひばり歌唱の「ペーパームーン」
http://www.youtube.com/watch?v=NDHnTRp-Ta8
・美空ひばり映像付き(ミュージックフェア録画)
http://www.youtube.com/watch?v=R35mt-kDDtU&feature=related

・アンスクエアダンス(デイブ・ブルーベック)
http://www.youtube.com/watch?v=iFqoPfP1KHc
・コパカバーナ(バリー・マニロー)
http://www.youtube.com/watch?v=b2f7281slDE&feature=related

 狭い店内でしたが、私たちのグループのほかは女性4人だけで、「昨今はやりの女子会だねぇ」と乾杯しました。今年もよく、踊った!
 来年早々には、私たちのジャズダンスサークルのメンバーのひとりが出演するミュージカル公演が赤坂区民ホールで行われます。私は土曜日の公演を見るのですが、ミサイルママは土曜日は仕事があるので金曜日夜に行くことにした、などの話で盛り上がりました。
 
 私はなぜかこの公演チケットを2枚注文したということで、2枚分の料金を支払いました。体調悪く忘年会に参加せずに帰宅したK子さんに、「私はなぜか2枚注文したことになっていたので、1枚K子さんにプレゼントします。1月15日のご都合良ければごいっしょにいかがですか」とメールをしたら「その1枚は私が注文した分です。11月3日に江東区バレエフェスを見たとき、いっしょにまとめて2枚申し込んだじゃないの」という折り返しのメールが。
 あはは、何でもかんでも忘れてしまう私の脳細胞。忘年会はその年の悪い出来事を忘れ、来る年に希望を託す会なのですが、私はいいも悪いも全部忘れてしまう。注文したのだから料金は払うというK子さんに、エジプト旅行のおみやげをいただいたり、いろいろしていただいたお礼だからとプレゼントを強要しました。

 去る年のあれもこれも、辛かったこと悲しかったこと苦しかったこと、踊って忘れてリセット。来る年はきっとよい年です。

<つづく>
05:11 コメント(2) ページのトップへ
2010年12月29日


ぽかぽか春庭「オペラおでん」
2010/12/29
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(4)オペラおでん

 忙しい1年、忙しい12月でした。とはいえ、気分をほっこりさせたいときは、ジャズダンス踊るもよし、歌を聞くもよし。
 12月8日に、ダンス仲間のミサイルママに誘われて、「二期会オペラ研修所コンサート」に行きました。音楽大学や大学院を卒業した新人が二期会のオペラ研修所で研鑽を積み、3年間の研修の締めくくりとしてコンサートが開かれるのです。2010年のコンサートでは、54、55、56期の研修生が歌声を披露しました。

 皆、朗々とすばらしい歌声でした。男性はテノールが4人。女性はメゾソプラノが2人、14人のソプラノ。それぞれの得意のオペラアリアを2時間にわたって聞きました。オペラといえばよく知られたポピュラーなものしか聞いたことがない私には、はじめて聞く曲ばかりでした。合唱団に入っているミサイルママは、「あ、この曲練習したことがある」って曲もありましたが。
 フィナーレの出演者全員合唱のレハール「メリーウイドーワルツ」を観客もいっしょに歌いました。鼻歌ではなく、腹式呼吸で久しぶりに歌って楽しかった。
 
 オペラアリアを楽しんだあと、駅裏のおでん屋へ。「とにかく安いから」と、ミサイルママを誘ってみました。「オペラのあとは、ワインとイタリアン」などと発想しないところがミサイルママと私。
 先日yokoさんと初めて入って、穴蔵のようなスペースでおでんを食べるのが気に入ったので、また行ってみようと思っていたのです。

 ミサイルママも私も、牛丼屋でも蕎麦屋でも「おひとり様」で食べるのは平気なのですが、立ち飲み屋におっさんが居並ぶ中で、ひとりおでんを食べる勇気はないのです。中途半端に強いふたり。でも二人いっしょなら立ち飲み屋も平気!と、入って行きました。

 立ち飲みのオッサンたちが壁側とカウンター側に背中合わせに並んでいます。1メートルの幅もないところに背中と背中をくっつけて飲んでいる中、「すみませ~ん、太いのが通りま~す」と声をあげながら通り抜け、奥の狭くて小汚いスペースへ。この小汚さが平気な人、女性にはあまりいないけれど、大丈夫という人なら私と気が合うはず。
 おでん定食ふたつのほか、おでんの盛り合わせを一皿。私は生ビール、ミサイルママは燗をつけたコップ酒でよもやま話を楽しみました。

 ミサイルママの息子、演劇を続けている長男くん、「東京ディスティニーランド」という芸名を変え、「幸せの靴」という名にするのだという話。「36歳になっても演劇を諦めようとも定職をさがそうとも思わずに、続けていくって言うんだから、私もそういう息子を持ったんだから仕方ないと思って、普通のおばあちゃんになって孫のお守りとかするのは諦めるしかない」と言います。

 私も「大学4年の息子が大学院に合格して、来年4月には進学することになったんだ。博士号まで頑張るとしても、昨今のオーバードクター(ハカセ余り)で、たぶん就職はできないだろうね。でも、そういう息子を持ったんだから、仕方ないと思って研究を続けたいというのを応援するしかない」といい、互いに「フツーに孫の世話でもして暮らす老後」にはなれそうにない仲間同士、時には愚痴こぼし合って、ときにはダンスや歌を楽しんで生き抜きましょうと、励まし合いました。

 とにかく「安い!」ここなら、いつでも懐を気にせずに飲めるから、小汚い穴蔵が平気な人はごいっしょしましょう。

<つづく>
07:04 コメント(2) ページのトップへ
2010年12月30日


ぽかぽか春庭「あたたかい年の暮れ」
2010/12/30
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末忙中ほっこり(5)あたたかい年の暮れ

 去年から火が付くときに「ボ~ボッ」と大きな声をだし、不完全燃焼しているのではないかと恐くなった石油ストーブ。「不完全燃焼して酸欠死する前に買い換えよう」と12月早々に新しい石油ファンヒーターを買ってきました。
 自治会販売の灯油購入チケットも買ってきたのに、12日日曜日の朝、石油販売車が回ってきたのに気づかず、19日、ようやく石油ゲット。暖をとる初日が12月19日になりました。年末年始、あたたかい夜を過ごすことができます。

 ボーナスもないわが家ですが、石油ストーブのほかにも年末の買い物がありました。プリンターがないと仕事にならないので、新しいプリンターを買うことにしたのです。
 夏からプリンターの調子が悪く、コピー機能が壊れてしまっていたのをだましだまし使っていましたが、インク切れになったところで買い換えると決めていたのです。

 数年前に型落ちのヒューレットパッカードを買いました。本体が安いことは安かったのですが、インク代が高くて、結局新しい機種を買ったのより、割高な買い物になってしまった。安物買いの銭失いはいつものことですけれど。
 28日、池袋東口のビックカメラとヤマダ電機を往復して、どちらが安いか、インク代はどれがお得か、店員さんの説明をよ~く聞きました。どちらの店も店員さんの応対は丁寧です。悩んだ末にエプソンの型オチを選びました。最新機種は写真の印刷がきれいに出来るというのですが、わが家に必要なのは、白黒印刷の文書が早く大量に印刷できること、という息子の意見に従い、写真はきれいでなくてもよいからと、安いほうを買ったのです。これまた安物買いの銭失いになるかどうか。

 買い物を終えて、遅い昼ご飯というか早い夕ご飯かという中途半端な時間でしたが、ヤマダ電機(元池袋三越)の7階にあるレストラン街で中華を食べました。いつもなら中華屋ではラーメンに餃子くらいの注文ですが、息子の「延期していた誕生日&卒論提出祝い」なのでいつもよりはちょっと豪華に、といってもたいしたことのない「年末お得コース」というのを3人で食べました。

 全10品。前菜三種盛合せ、エビマヨネーズ炒め、白身魚の唐揚げ葱油ソースかけ、ブロッコリー入り四川風ホイコーロー、若鶏の唐揚げ葱油ソースかけ、肉団子中華海鮮鍋、自家製焼餃子、五目炒飯、野菜玉子スープ、杏仁豆腐。辛いものが食べられない娘は四川風回鍋肉はパス、息子は杏仁豆腐が嫌い、炭水化物を避けている私は炒飯を一口だけにしてと言う具合でそれぞれ食べられないメニューはあったものの、「フカヒレとかアワビとか北京ダックなどはないけれどまあまあおいしいね」と言いながら、大食いの娘も少食の息子も満足して食べました。

 家族一同雨露寒さを逃れて過ごすことができ、贅沢はできなくても飢えることはなく、病院通いしつつも寝付くほどの大病はしない。姑も85歳の日々を、耳が遠くなった足がおぼつかなくなったと言いながらも無事すごしている。ほんとうにありがたいことと思いながら2010年をすごすことができました。

 カフェ友の身の上に思いが及ぶと、ご家族の介護を続けていらっしゃる方、年末に交通事故にあって、持病の上にさらにつらい身体症状が加わった方、身体状況の改善を願って手術を受けたあと、逆に首から下がまったく動かなくなってしまい24時間介護の寝たきり生活を余儀なくされている方、それぞれのつらい状況に心が沈みますが、どうか、来る年がよい方へ向かうよう、祈らずにはいられません。

<つづく>
01:34 コメント(9) ページのトップへ
2010年12月31日


ぽかぽか春庭「よいお年を」
2010/12/31
ぽかぽか春庭十人十色日記>歳末雑感(6)よいお年を

 2010年、持病悪化やら漏水事故やら悪いこともいろいろあったけれど、きっとそれは塞翁が馬、禍福糾える縄のごとしだと思うし、姑を連れての箱根温泉旅行など、楽しい思い出もたくさん残すことができました。

 春庭コラムを読んでくださった方々、ありがとうございました。拙い論考や雑文にあたたかいコメントをくださった皆様、ありがとうございました。

 みなさまの来る年も、すばらしい1年になることをお祈り申し上げます。
 皆様、よいお年を!



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夏の食べまくり2010年7月

2010-10-19 09:52:00 | 日記
2010/07/28
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>夏の食べまくり(1)ホテルニューオータニの庭

 7月中旬に、老朋友(ラオポンヨウ古い友人)が中国から訪日しました。老朋友といっても、私よりずっと若い。1994年に私が最初に中国へ赴任したときに出会ったカンさんは、当時、日本語学科の3年生でした。5月から7月までは私の中国語家庭教師、7月下旬から8月末まで娘と息子の家庭教師&ベビーシッターとして働いてくれました。その後文通を続け、カンさんが来日して日本の企業で働いたときは、家にホームステイしてもらったり、いっしょにディズニーランドへ遊びにいったり交流を続けました。

 今では、カンさんは中国国家重点大学(国によって100~200の大学に与えられている重要大学)の准教授になっています。理工系ではトップ5に入る大学の「軟件学院(ソフトウェア学部)」で、日本企業に就職したい学生や日本に留学したい学生たちに日本語を教えています。

 2009年に私が中国に赴任し、カンさんの家を訪問したときに「来年は日本へ研修訪問する計画があるので、夏に訪日するかもしれません」と言っていました。今回の来日は、その研修旅行が実現したものです。研修は彼女の所属する学部「軟件学院」の日本語教師9名が、「交換留学先として提携している大学を訪問する」という名目で「交換留学先の大学での日本語教育視察」と「日本語教師として必要な現代日本語文化を知る」という研修を行う25日間の旅行です。

 1週間は東京を中心とする関東、1週間は徳島と京都をめぐる関西の旅行。忙しいスケジュールですから、私が計画していた「姑の家でカンさんといっしょに夕食を食べる」「群馬の妹の家にいってドライブする」などはできませんでしたが、半日だけある自由行動の時間に会うことができました。

 私は自分が庭園散歩が好きなので、「日本文化研修」の一環として日本庭園を見てから食事する、という計画を立てたのですが、六義園、後楽園、浜離宮などは、入園リミット4時30分ということで、5時半の約束時間には閉園してしまいます。
 そこで、ホテルニューオタニの日本庭園を見てから17階にある回転式展望レストラン「ザ・スカイ」で食事をすることにしました。ホテルのレストランというと、ちょっと気取っていて、ニューオータニの他のレストランでは「ジーンズなどでのご来店はご遠慮願っております」なんて服装コードが書いてあったりして気詰まりですが、ザ・スカイはビュッフェ式つまり食べ放題バイキングの店ですから、それほど形式張っていません。

 気軽とはいえ、都内でも一番高いビュッフェ料金が設定されていて、食べ放題大好きの私も、今まで入ったことのないエリアです。私には高値の花のビュッフェ料理でしたが、ほかならぬカンさんへのもてなし。カンさんは私が中国に滞在している間、2007年も2009年も、サクランボ狩り、満州宮廷料理レストラン、海岸めぐりツアーなど、いろいろなところに案内してくれました。はりきっておもてなしをして、日本の研修旅行を楽しんでもらえるようにしなければなりません。

 7月15日のカンさんの研修は、「浅草界隈、浅草寺などを見学、浅草演芸館で落語鑑賞」というスケジュールでした。現地解散で浅草からニューオータニ最寄り駅の麹町駅まで来る途中、複雑な東京の地下鉄にとまどい、乗換駅を間違えてしまったとカンさんから電話があり、午後6時すぎに会えました。2年ほど日本の企業で働いたことのあるカンさんですが、東京ではなく地方の会社だったし、地下鉄の路線も変わっているので、乗換駅で迷うのも「日本の変化」を知るひとつの研修になったかもしれません。

 6時半ごろニューオータニに行き、日本庭園を散歩しました。それほど広くはない庭ですが、滝があったり池の太鼓橋を渡ったり、「外国人宿泊者向けの日本庭園」の典型のような造りの庭を見ることができました。この土地の由緒来歴を書いた説明書によると、江戸時代には彦根藩中屋敷(幕末の大老井伊直弼の藩)だったところが明治時代に伏見宮邸となり、戦後、大谷米太郎が買い取ってホテルにしたということです。庭に大谷米太郎の銅像が建っていました。極貧農家の出身の米太郎は力士として立身をはかりましたが、指の障害のため十両に上がれず、実業に転身して一代で巨財を築いたという人物です。

 7時過ぎ17階にあるザ・スカイに移動しました。17階のレストランがフロアごとぐるりと一周するという「観光名物」レストランです。1964年のホテル開業当時にオープンした「日本最古の回転展望レストラン」で、17階という高さも東京オリンピック当時には驚異的で、「てっぺんめざせ」的な人気がありました。成金的発想というか、いかにも「高度成長期」っぽくて、今となってはむしろレトロ?

<つづく>
10:53 コメント(3) ページのトップへ
2010年07月29日


ぽかぽか春庭「ザ・スカイ」
2010/07/29
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>夏の食べまくり(2)ザ・スカイ

 レストラン「ザ・スカイ」の特徴は、ビルの17階にある円形のレストランが70分に一回回転し、東京の夜景を360度見ることができるっていうところ。最初に座ったときは赤坂迎賓館が見える位置。新宿副都心の高層ビル街の夜景がきれいで、しばしカンさんと話ながら見とれていました。カンさんはいっしょに研修を受けている同僚がお台場へ行ってきて「夜景がきれいだった」と話しているのを聞いてカンさんも「東京の夜景を見たい」と思ったそうで言い、彼女の希望ぴったりのおもてなしができて私も満足。

 この回転レストランができた当初は「ブルースカイ」の名で知られ、東京タワーと並んで「東京観光名所」のひとつでした。話には聞いてきましたが、一度も来たことはありません。夜景を見るだけなら、東京都庁、文京区役所などの展望スポットはいろいろ知っているし、バイキング料理としては、ザ・スカイは、私には「コストパフォーマンス的にちょっと」というところ。つまり高すぎる。

 さて、食べ放題スタート。和洋中華の料理がいろいろ並んでいます。私が普段利用する洋食ランチなどに比べれば高級料理なのでしょうけれど、ビュッフェ(料理は自分で取りに行く)ですから、気取らずパクパク食べられます。
 最初はオードブルコーナー。レストランのオードブルは、大きなお皿に品良く2,3の冷製料理が載っているものですけれど、私は、もうこれだけでおなかいっぱいになるくらい、お皿に山盛りにいろいろな種類を盛り込みました。まったく、お里が知れるというものです。

 生ビールは別料金なので、一杯だけ。
 目の前で鉄板焼きをしてくれるコーナーに行って、サーロンインとヒレを焼いてもらい、シーフードは海老、サーモン、ホタテを焼いてもらいました。次は天ぷらを揚げている和食コーナーで、野菜や海老を揚げてもらいました。和食コーナーで焼き魚や煮物なども少しずつお皿に盛り、完食。

 ここまででおなかいっぱいになってしまい、主食の「寿司」コーナーはパス。食後のコーヒー(別料金)を飲んでカンさんと話し込んでいたら、デザートを食べるのを忘れてしまいました。フルーツや各種ケーキが並んでいたのに、おなかいっぱいだったので、食べ忘れてしまったのです。おなかがいっぱいなのに無理に食べることないのに、デザートがあることに思い至らなくて「食べ放題は全種類制覇をめざすべし」というポリシーに反したので、ちょっぴり悔しい

 カンさんは、浅草演芸場で玉川スミが「芸歴87年90歳の俗曲漫談芸人の一代記」を語るのを聞き、女性の一代記として感銘を受けたと話していました。90歳で現役を続け寄席の舞台に出演する玉川スミの話、私も聞いてみたいと思いました。
 カンさん日本研修中の留守、一人娘のシンシンちゃんは、姑さんが世話をしているから安心なのですが、カンさんの旅行中にピアノの試験があるので、ちゃんと練習をしているかどうか心配だなどと、母親らしい気遣いも話していました。おばあちゃんは孫娘に大甘なので、ピアノの練習をさぼっても、母親のように叱ったりしないだろうから、と案じているのは、日本の母親たちの悩みといっしょです。シンシンちゃんに、私の娘が手作りした壁飾りをプレゼントしました。

 料理は、高級バイキングだけあっておいしかったですけれど、自分で料理を取りに行くセルフサービスなのに、サービス料はきっかり1割分とられており、サービス料が2000円。まあ、当分くることはないレストランでしょうから、たまの贅沢としていいでしょう。食べ物のほうが回る回転寿司ならよく行きますが、レストラン自体が360度回転するなんて、ほかにはないサービスですから、サービス料は席が一周した料金と思うことにします。

 なにより、カンさんが東京の夜景を喜んでくれたことが一番の満足でした。7月16日には研修先の提携大学学長の前で研修成果の発表をし、発表が終わった夜には夜行バスで徳島へ移動するというハードスケジュールだというので、レストランが一周半したところでおひらきにしました。

<つづく>
07:33 コメント(4) ページのトップへ
2010年07月30日


ぽかぽか春庭「地中海料理カルタゴ」
2010/07/30
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>夏の食べまくり(3)地中海料理カルタゴ

 出講先の講師室仲間の打ち上げ。留学生とすごす日本語講師たちはエスニック料理が大好き。東京にはさまざまなエスニック料理のレストランがあるので、これまでも世界各地の料理を楽しんできました。今回の打ち上げは、地中海料理(アラブ、チュニジア、トルコ料理)の店、中野駅前の「カルタゴ」にて。
http://carthago.a.la9.jp/index.htm

 30席ほどの店なので、土曜日のディナータイム、店内は満席でした。1990年の開店以来、今年は20周年記念ということで、おなじみさんやらガイド本を見てやってくる人やらで週末はいっぱいのようです。
 私は地図で場所を確認して、駅前から徒歩3分なら、地図を印刷することもないかと思って出かけたのですが、その3分の間に道を間違え、5分ほど遅刻しました。私が最後の到着者でした。すまん。いつもの方向音痴。

 お任せコース。最初の大皿は野菜や挽肉、豆などをそれぞれペーストにしたディップ。ディップをスプーンですくって、丸いピタパンに載せたり挟んだりして、食べるのですが、私は一番最初にディップ何種類かを自分のお皿にぶんどっておきました。フムス(ひよこ豆のペースト)とクリームヨーグルトのディップは多めに、ハリッサ(チュニジアの超辛い唐辛子の入ったペースト)はほんの味見程度に。タコサラダももらいました。
料理写真はこちら。
http://carthago.a.la9.jp/newpage4.html

 シェフ一人に店内を仕切るマダム一人の店なので、マダムは走り回ってお皿を配るやらお茶を運ぶやらしていました。なので、料理と料理の間、しばし「食休めタイム」が入ります。次は「焼き茄子のムサカ」ムサカとは、ギリシャを中心に地中海全般で食べられているオーブン焼きのこと。それぞれの家や店の秘伝のソースをかけて野菜や魚介類をグラタンのようにオーブンで焼きます。次は三角形のサモサ。春巻きのようなものです。エンドウ豆ペーストを平丸にして揚げたパテフライ。

 メイン料理は深めの大皿にクスクスを盛り、その上にケバブ(マトンと野菜の串焼き、ラム挽肉団子の串焼き)を載せた料理。クスクスは、小麦粉を挽いて水で練り、1ミリくらいの小さな粒にして煮込むもので、マグレブ地方やエチオピアなどの主食です。
 日本では米を炊いたものを「ご飯」といい、「ごはん」はそのまま「食事全般」の意味になります。アルジェリアの言葉ではクスクスを表す「タアム(طعام、ta`aam、」と言う語がそのまま「食事」の意味になるというのが、日本語のご飯と共通しています。

 デザートはライスプディングと小さなもっちりしたケーキ。ケーキのお供に飲んだミントティは、小さなコップにミントの葉を入れ、緑茶とミントと砂糖をいっしょに煮立てたお茶をアラジンの魔法のランプのような形のティーポットを1メートルくらいの高さからコップめがけて注ぎ込みます。ちょっとしたパフォーマンスですが、お客は大喜び。「アラビアンティーにもいろいろな淹れ方がありますが、うちは、チュニジア風の淹れ方です」とマダムの説明。

 料理が出てくる間の食休めタイム、ワインやビールを飲みながら、今期の授業や学生の話題、それぞれの習い事や趣味の話など。私はモロッコビールのカサブランカというのと、トルコの黒ビールを飲んでみました。
 日頃は講師室の隅のほうで小さくなっている私ですが、あいづち係として気軽なおしゃべりを聞いて、楽しくすごすことができました。「小さくなっている」というのはあくまでも主観。客観的にはやたらにデカイ声と太い身体のため、小さくなっているようには見えないのが、つらいところ。講師料は90分の授業分しかもらえないのに、1コマの授業の準備や授業後の処理で何時間も費やして働く、報われない「非常勤講師」の仕事に、しばし皆それぞれが「今期もよく働いた、自分にご褒美」をして帰りました。

<つづく>
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2010年07月31日


ぽかぽか春庭「踊ってパスタ」
2010/07/31
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>夏の食べまくり(4)踊ってパスタ

 春庭の所属しているジャズダンスサークル、毎週金曜日の練習のメインタイムは7:30~9:00です。6:00~7:00と9:00~10:00は自主練習。サークル参加者募集中。
 ときどきは、練習後、「仕事が終わらないので、夕食食べずに練習にきた、ああ、おなかがすいた」というメンバーといっしょに駅前の店で夕食をとることもあります。また、懇親会として、1月下旬か2月初旬に「総会&役員決めの食事会」7月に「発表会に向けた打ち合わせ納涼食事会」9月に「発表会打ち上げ食事会」と、年に3回か4回、親睦食事会があります。

 金曜日30日の夕食は、9月の発表会打ち合わせを兼ねて、手打ち生麺というのがウリのパスタ屋さんに皆で行きました。照明や衣装の担当者、誰がどの曲で踊るかなどを決めます。4月からメンバーに加わったK子さんは初めて食事会に加わり、「ダンサーとしては発表会に加わることはしないけれど、スタッフがんばります」と宣言。

 春庭のダンサーネームは、e-Na(イーナ)です。9月の出演曲は、「イン・ザ・ムード」と「ララドゥム」。インザムードは何回か発表会でも踊った曲なのですが、ララドゥムは初めて踊る曲。振り付けの覚えが悪いのは毎度のことなのですが、後ろの隅っこで「前の人の動きを見て、半拍遅れで踊る」のがコツ。一拍遅れるといかにも「振り付け覚えていないので遅れている」と、バレバレなので、半拍の遅れにとどめるところがウデです。って、振り付け覚えなさいよ。と、セルフつっこみ。

 インザムードはおなじみのグレンミラーの名曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=bR3K5uB-wMA&feature=related
 ララドゥムは、「踊るマハラジャ」系というか、インド映画の中のダンス曲。
http://www.youtube.com/watch?v=6nJGNbj8hZA

 去年、中国赴任中にベリーダンス(東方肚皮舞トンファントゥピィウー)を習いました。帰国するとき、サークルへのお土産として、東方肚皮舞の衣装(コインがジャラジャラ付いているヒップスカーフ)を買いました。今回、そのヒップスカーフをつけて踊ります。レオタード&スラックスの上につけるので、おへそは見せないですけれど、あまりにおなかがポッコリなので、夏の間、ダイエットに励みます。
 去年、東方肚皮舞を習ったときの話は、ちょうど1年前、2009/07/28の春庭コラムに書きました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d1927#comment

 発表会では、「ちょこっとストレッチ」という観覧者参加プログラムを担当することになりました。ダンサーが衣装替えをする時間をとるための「時間稼ぎ」です。イスにすわったまま手を上に上げたり首回しなどの簡単ストレッチをして、着替えの間見ている人が退屈しないように、帰ってしまわないようにするのです。
 ダンサーたち、30代から60代のメンバーは、一所懸命練習をしてきたとはいっても、なにせ身体も硬く、リズムに乗り損ねたりするおばさんたちですから、見ていただけるだけでもありがたい。着替えの時間のロスタイムに、観客が帰ってしまうと困るから、見てくれている人が、身体をほぐして、「来てよかった」と思ってもらうようにしたい、というプログラムです。

 30日の夜は、練習が終わったあと、パスタを食べながら、音響や衣装の担当者、出演曲目なども決まりました。私は、酸辣湯スパゲッティというのを頼みました。酸辣湯ラーメンは食べたことがあるけれど、スパゲッティでどういう味に仕上げてあるのかという好奇心で。他のイタリアンの店で見たことなかったから、食べてみました。中華とイタリアンの不思議な出会い。あとは、夏の間の練習&ダイエットあるのみ。ダイエットは明日から頑張ります。

<おわり>
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春庭の夏のおでかけ日記2010年8月

2010-10-14 05:46:00 | 日記
2010/08/17
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(1)東京湾大華火大会

 8月14日に行われた東京湾大華火大会は、中央区の主催で、今年23回目。毎年、見たいなあと思ってきたのですが、人出の多さを考えると躊躇が先に立ち、手近な地元の荒川で花火大会を楽しんできました。晴海の見物会場は抽選で、めったに当たらないそうだし、応募の往復ハガキを書くのもめんどうくさい。10枚ハガキを書いてやっと1枚あたった、なんてのを聞くと、文字を手書きするのが大嫌いな私、ああ、めんど、と思ってしまっていた。

 今年はじめて、ネットで応募する方法に気づきました。これなら少しも面倒でない。キーボードを打つのは、しゃべるのと同じ早さでできるので。家族全員の名で応募して、娘の1通分が当たりました。娘は福引きだと、最下等ティッシュではなく、そのひとつ上の「石けん1個」とかが当たる「プチラッキー」の運の持ち主なのです。

 当選ハガキ1通で、ふたり入れます。
 娘と息子二人とも行きたいならどうしようかというところですが、息子は、半月間の学芸員資格取得のための博物館研修最終日が8月15日。「8月14日土曜日なんて、疲れ切っているから、花火どころじゃない」というので、娘と私とふたりでお出かけしました。

 「東京湾大華火大会完全攻略」というサイトをながめて、当たった整理券で入場できる晴海第一会場のどこらへんで見るのがいいか、開場のどれくらい前から待つべきか、などの情報を仕入れ、いざ出発。

 開場は5時ですが、オープンを待つ人の列が多くなると開場時間が早まることもあるというので、トリトンスクエアでランチを済ませるとさっそく行列に並びました。すでに大勢の人が警察官やガイドボランティアの人の指示で道路沿いに並んでいます。私は並木の脇に並び、木にもたれかかって本を読んだりいねむりしたりして待ちました。

 「東京湾大華火大会完全攻略」が「待っている間の必需品」と書いていた日焼け止めは1回塗っただけ。曇り空でそれほど暑くならないのと、海風が吹き抜ける通りだったので、思ったほどつらくもなく、待っていることができました。

 次に観覧スペースの晴海第一会場の前に移動して、また待ちました。この場所は後方にホットプラザはるみという中央区のゴミ焼却場&焼却熱利用の温水プールジャグジーなどの施設があるので、海風の通りが悪く、暑かった。

 30分早めの4時半に観覧エリアの開場となりました。一番打ち上げ場所に近いエリアに行きたい人は、警官がハンドマイクで「走らないでください」と言っているのに、観覧場所めがけて走っています。

 私と娘は、「走るのもたいへんだし、一番近いところでなくてもいいよね」と、晴海運動公園の駐車場スペースの中程に、二人が寝て過ごせる場所を確保しました。花火スタートまで2時間半もあるので、昼寝してすごす作戦です。花火を盛り上げようとするアナウンスや連絡などの音量が大きくてうるさかったですが、そんな中でも「どこでもいつでも寝られる」特技を発揮できました。

 私と娘が陣取ったところは、打ち上げ場所の晴海埠頭公園から200メートルほど離れた場所です。打ち上げ地点に一番近い場所ではないのですが、それでも「風が強いので、花火の燃えカスや火薬の粉が会場にふってきます」と、アナウンスがありました。「東京湾大華火完全攻略」にも、「打ち上げ場所に近いので、黒い火薬カスなどが落ちてくるので、食事は花火開始前にしたほうがよい」と、書いてあったので、私と娘は、会場の売店で買ってきたかき氷やビール缶と、持参のシュウマイなどを、6時半までには全部食べてしまいました。トリトンスクエアでのランチでけっこうおなかいっぱいになっていたのに、食べようと思えばいくらでも詰め込めるおなか。

 さて、いよいよ打ち上げです。

<つづく>
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2010年08月18日


ぽかぽか春庭「大江戸銘華競演」
2010/08/18
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(2)大江戸銘華競演

 「東京湾大華火大会完全攻略」には、花火スタートの7時近くになると、入場整理券を持っていても、満員だと入れないこともある、という注意書きがあったので、早めに列に並んだのですが、実際に7時近くになると、5万人入れるという「整理券が必要なエリア」の晴海第一会場は満員になりました。この一番打ち上げ場所に近いエリアの外側には、晴海第二会場などの「早い者勝ちのエリア」があります。そちらだと、朝から場所取りしている人もあるみたい。徹夜の場所取りは禁止されているそうで、早朝からOKといってもいったい何時から場所取りしているのやら。周辺地域に集まった花火観客はおよそ70万人にもなったと、新聞にありました。

 7時に打ち上げスタート。カウントダウンが終わると明るく華やかな花火が打ち上げられました。花火は、目の前いっぱいに広がり大迫力。ドンという打ち上げの音がおなかに響いてくる感じがします。配布されたパンフレットに、スターマイン、虎の尾、牡丹、柳、千輪菊などの花火の名前と写真が掲載されていたので、花火の名前を娘とあてっこしながら、「ああ、きれいね」とさまざまな花火を楽しみました。

 スタートの第1部から第6部のグランドフィナーレまで、1時間20分。12000発。
 第4部は、各地の花火師の名前と作品名がアナウンスされる「大江戸銘華競演」という時間。花火師が腕によりをかけた自信作が次々にうちあがりました。三重芯散花、八重芯錦牡丹紫光露などと名付けられた作品。「八重芯菊」という同心円で色が変わる打ち上げの難しい花火が中心で、どれもすばらしい色と光でした。

 打ち上げ方にも花火師の工夫がこらされ、東京周辺では一番大きいという尺五寸玉(直径45センチの筒を使ってあげる玉)という大型が上がると、周囲の人、皆いっせいに「大きい!」と歓声をあげていました。新潟などの地方で打ち上げられる世界最大という4尺玉(120センチの筒を使ってあげる玉)は、上空で直径800メートルの大きさに広がるとのことですが、東京都内にはさまざまな規制があって、規制内で最大なのが、尺五寸玉になるのだそうです。上空では直径400~500メートルの大きさに広がり、晴海第一会場の観覧場所で見ていると、空いっぱいに広がる感じ。

 大きさももちろんですが、花火の組み合わせや打ち上げ時間の調整が花火師の腕の見せ所。現在ではコンピュータによる打ち上げ構成管理ができるということですが、最後は現場の花火師のカンも必要なようです。さまざまな花火が次々に花開く演出はとても見事でした。

 花火師さんの修行には長い修練が必要と聞きます。絵画や彫刻のように後世にモノとして残る芸術と異なり、花火は美しく花開いた次の瞬間には消えてしまうものです。一瞬の美のために日夜工夫をこらす花火師の技に感謝しつつ夜空を見上げました。

 帰りは大混雑になると「東京湾大華火完全攻略」に書いてあったのですが、想像以上の大混雑。最寄り駅の勝どき橋駅まで来ると、駅入り口のはるか手前から入場規制が行われていました。駅の中に入るまで1時間待ちというので、警察官の指示に従って、月島西仲通りのもんじゃ焼きストリートを通って月島駅へ向かいました。

 もんじゃ屋はどの店にも行列が出来ていました。待たずに入れそうな店があれば、休憩がてらちょっと寄って見たくもあったのですが、入店まで外で待っていたらさらに疲れてしまいそうなので、行列を横目で眺めるだけで観覧会場から1時間も歩いて月島駅に着きました。普段なら歩いて30分なのだそうですが、人混みの上、帰りの足は重い。帰りの地下鉄もぎゅーぎゅー詰め。来年も晴海で見たいなら、帰りの対策をもっと練っておかなければ、という結論に達しました。

 次回おでかけリポートは「海の哺乳類展」

<つづく>
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2010年08月20日


ぽかぽか春庭「海の哺乳類展」
2010/08/20
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(3)海の哺乳類展

 今年は夏休み中の8月に息子の「学芸員資格取得のための博物館研修」が入り、9月の頭には英語の試験もあるというので、息子といっしょにお出かけするなら7月中に、というので、7月28日に上野の科学博物館で開催されている「海の哺乳類展」を見学してきました。

 科博は、子供たちが小さい頃は「ファミリー会員」になり、足繁く通った所です。今も貧乏ですが、今よりもっと貧乏暮らし、喰うや食わずの赤貧だったころのことで、値段が高いテーマパークにはそうしょっちゅう連れて行けないし、遠出は電車賃がかかるし、電車15分で行けて、いろいろなイベントが楽しめる科博は、一番お金をかけずに子供を遊ばせることのできる施設でした。夏休みに「小学生縄文土器作り」などのイベントに参加して、宿題の自由研究に提出したりしました。

 春の「陸の哺乳類展」のとき娘息子と「招待券」で見学し「あ、夏休みには海の哺乳類展やるんだね。次も招待券3枚手に入れてね」とリクエストされたのですが、招待券は2枚のみ入手。息子の分は、「キャンパスメンバーズ」という大学生博物館利用制度で、1400円のチケットが800円になる割引入場券を買いました。800円の出費だったから3人で来たけれど、これが1400×3=4200円の出費をするのであれば、来られないという程度の、今の貧乏具合。
 館内は夏休みの子供たち家族連れで大賑わい。「陸の哺乳類展」よりずっと混んでいます。

 科博の展示「海の哺乳類展」は、巨大な鯨の実物骨格標本などがメインの展示です。花火も直径が大きいほど歓声が大きくなりましたが、人類は、大きなものに対して畏怖と尊敬を感じるように脳ができているのでしょう。恐竜の大きさや鯨の大きさに魅力を感じる本能のようなものが人の心に存在していると思います。

 科博の外には、シロナガスクジラの実物大模型が常設展示されているのですが、外にあると30メートルの哺乳類最大の巨体もビルの横にあって「ああ、大きいな」くらいの感じです。しかし、屋内に展示されている骨格標本は、すぐ近くまで寄って見ることができるせいか非常に大きく感じ、迫力満点でした。鯨は哺乳類だから骨盤があるのですが、それが巨体に比べて極小に退化しているのが、よくわかりました。

 陸の哺乳類展も海の哺乳類展も、生物多様性が地球にとって大切なことを伝えようとしていました。海が豊かさとは、海の生物が多様であること。海が汚れれば海の生態系が変わってしまう。鯨の餌になるプランクトンが減れば、大量のプランクトンを餌にしている鯨も減ってしまう。温暖化によって海水温が変化しても、生態系が乱れる。

 わが家は、揚げ物の油の残りをぼろ布に吸わせる、皿のよごれも布や紙で拭き取ってから洗うようにする、という「海へ流れる水を汚さない工夫」をしているつもりなのですが、どのように川や海を守り、海の生物を守ることになるのか、一人一人の意識が問われる時代になっていると思います。

<つづく>
04:54 コメント(3) ページのトップへ
2010年08月21日


ぽかぽか春庭「夏休み自由研究in博物館」
2010/08/21
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(4)夏休み自由研究in博物館

 上映中止騒動など大騒ぎになったドキュメンタリー映画『コーブ』。
 日本のイルカ漁や鯨捕りの漁師たちは、鯨を取り尽くすようなことをせず、生態系にあった海の哺乳類利用をしてきたことは、歴史を学べばわかること。真に海の哺乳類を追い詰めているのは何か、という事実を追求している作品なら評価したいですが、どうもそうではない映像のようなので、アカデミー賞をとったといっても『コーブ』を見にいく気持ちになりません。
 捕鯨が鯨の数を減らすのではない。タンカー事故原油流出や生活汚水工業廃水の垂れ流しが海を汚し、鯨やイルカを追い詰めている、というドキュメンタリーを『コーブ』の監督の次回作にお願いしたいです。

 出口近くの展示に「ストランディング」の報告がありました。鯨やイルカが数頭ときには何十頭も浜に打ち上げられて身動きできなくなり、死んでしまう現象をストランディングといい、今、世界各地の海岸で起きている、というレポートです。泳ぎの達人のはずの鯨がなぜ海辺に打ち上げられてしまうのか、磁力の乱れのためとか、温暖化による海流の乱れのためとか、原因探求がなされていますが、理由はまだわかっていないそうです。なんらかの地球の異変が生態系に影響しているのでしょうか。

 夏休み自由研究の親子も、身の回りの環境を守ることが地球の生物を守ることになるってことに気づいてくれたでしょうか。

 春休みの「陸の哺乳類展」は、ハワイの日系人コレクターが寄贈した動物剥製展示が中心になっていました。それと比べると、海の哺乳類展は生態学的な解説が多く、やや専門的な展示になっていたので、小学生には難しいのではないかと思えました。しかし、自由研究の宿題を科博レポートですませようともくろむ親子が大勢いて、母親のほうが熱心にメモをとっていたり、小学生はケータイで展示や説明を写真撮影したりしています。

 科学博物館で夏休み自由研究に励む親子連れを見て、「うちらもあんなふうに親子で自由研究ネタ探しをやってきたんだなあ」と往時をなつかしみました。
 夏休みの宿題の自由研究っていうのは、子供の好奇心を広げるチャンスでもあるけれど、親子して「自由研究、何を提出するの?」という悩みのタネだという話はよく聞きます。最近は「自由研究提出用、子供の手作りであるかのように見える工作作品」まで売っているそうですが。

 私は小学校1年生の夏休み工作があまりに下手だったので、9月新学期の「夏休み作品展覧会」でクラスメートの出品作に見劣りがしました。
 そこで2年生の夏休みは父に手伝ってもらいました。そしたら父がはりきってほとんど一人で作ってしまって、あまりに立派な工作になりすぎました。親の作品であることがバレバレ。3年生からは自分で何とか仕上げました。

 3年生の夏は、菓子折の空き箱の中を水色に塗って水族館にして、魚のモビールを上からつるし、下には海で拾った砂と貝を並べるという定番お手軽工作を出品。以来、海岸にでると、どこの海岸であれ必ず砂と貝を拾っておくのが、私の習い性となっています。去年の夏は、中国の渤海湾でも貝拾いに励みました。お手軽工作でも水族館を作った縁で、今でも水族館大好き。子供にとって、毎年の夏休みの経験は、一生の宝です。

<つづく>
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2010年08月22日


ぽかぽか春庭「自由研究の勾玉作り」
2010/08/22
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(5)自由研究の勾玉作り

 息子の学芸員研修、地元の博物館実習では「夏休み子供自由研究」の「勾玉作りの手伝い」を担当することがスケジュールに入っていて、2週間の研修の最後の2日間がこのイベント手伝いに当てられていました。博物館側も、学生の手伝いを当てにして夏休み中の研修計画を立てているみたい。

 子供が苦手の息子、やんちゃ坊主たち相手に「勾玉作り指導」ができるのかしら、私は科博での勾玉作りのイベントに参加したことがあるので、「小学生を指導する息子の指導係」として、ついていきたい気分でした。あ、こういうのを「いつまでも子供離れできない母」と言うのでしょう。

 4人の研修学生が20人の小学生を分担して、館内のご案内やら勾玉作り指導やらやって、お子様苦手の息子は疲れ果てましたが、2週間の研修はなんとか8月15日に終了。
 息子は「もう、当分人間と関わりたくない」と、すっかりくたびれた様子ですが、勾玉作りが子供たちの思い出に残り、自由研究の成果として夏休み作品展などに展示されたなら、今までできるだけ世の中と関わらないように生きてきた息子にとって、初めての「少しは世の中の役に立った経験」になったのかも。

 息子の「人間関係苦手」は、伯母や私と共通する遺伝子なので、仕方がありません。高いところが平気な私が「何で高いと言うだけで恐いのだろう。落ちちゃうわけでなし」と言ってやっても、高所恐怖症の人の「高いところが恐い」という気持ちが消えることはないのと同じく、人間関係形成不全症の私や息子に向かって、誰とでもつきあえる人が「仲良くなってしまえばいいんですよ」なんて説教してくれたとしても、人間関係苦手意識がなくなることはない。ただ、高所恐怖症の人は高いところに近づかなければいいだけなのに対して、人間として生きて行くには、人間に近づかないではいられないところが不自由です。生きづらい。リアルでヒトとまじわれない私なので、ネットで愚痴こぼしてストレス解消しているってわけです。

 科博「海の哺乳類展」の「自由研究」組のお子様たちは、巨大鯨が巨大な大王烏賊を飲み込もうとしているところの模型とか、イルカが丸い泡を吹き出す様子などの展示に群がっていました。
 私もお子様方に負けじと「触ってみよう」コーナーに手を出し、ヒゲ鯨のヒゲ標本に触ってヒゲがたいへん固いこと、歯鯨の歯にタッチできるコーナーでは、歯先がするどいことなどを実感しました。鯨の皮下脂肪がどれほど分厚いのかという展示もありました。昔、イギリスやアメリカが捕鯨大国であったころ、この良質な脂肪だけを目当てに乱獲し、肉は食べることなく鯨を捕りまくりました。当時、鯨油はもっもと熱効率のよい燃料だったのです。

 私が今、小学生の子を持っていたなら、夏休み自由研究は科博の展示の中の目玉のひとつ、「龍涎香(りゅうぜんこう)」をテーマにしたいと思います。雄のマッコウクジラの分泌物である龍涎香。ガラス箱の中に本物の龍涎香展示のほか、合成龍涎香が置いてあり、蓋を開けて香りをかぐことができます。
 「王様だけが使用できた香り」という説明があったのですが、それほどいい匂いとは思いませんでした。

 なぜ王者の香りかというと、これを身につければ、必ずや女性を虜(とりこ)にして、王者になにより必要な世継ぎがわんさかと作れる、というのが理由であったよし。
 おお、そういうことなら、研究してみなければ。

 そろそろ8月も残り少なくなり、夏休みの宿題が親の手にも余る時期。小学生自由研究に何をさせたらよいか、お困りのご両親&じいちゃんばあちゃんに贈る、春庭の「夏休み大研究・龍涎香」。

 3回シリーズで掲載しますから、春庭の蘊蓄をそのままコピペして、そこらにある龍の絵や鯨の絵でもへたくそに写しておけば、「絵は下手だけど、文章はまあまあな」夏休み研究の出来上がりです。あら、お宅のお孫ちゃん、絵が上手なの?まあ、それでもいいけれど、ちょっとくらいヘタなほうが、文章コピペがバレなくていいんですけど。あは、コピペの元文章がへただから、小学生の自由研究にちょうどいいかもしれないって?ま、そうでしょう。お役に立てるといいんだけれど。次回から「自由研究・龍涎香」

<つづく>
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2010年08月24日


ぽかぽか春庭「アラビアンナイトのアンバル」
2010/08/24
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏休み自由研究(1)アラビアンナイトのアンバル

 夏休み自由研究「龍涎香りゅうぜんこう」、3回連続の1回目です。

 龍涎香は、マッコウクジラの腸の分泌物が結石し、大理石状になったものです。香料の「保存剤・保香剤」として用いられています。「保香剤」とは、色々な香料と混ぜると香り全体を引き立て、長く香りを保つ性質をもつ物資のことです。

 古くから珍重された稀少な品で、中国語では「龍涎香ロン・エン・シャン」、フランス語はアンブル・グリ(ambre gris)、英語はフランス語がアングロ語風に訛ってアンバーグリス(Ambergris)。アンバーAmberは琥珀(こはく=原始の樹液が化石化した宝玉)のことで、アンバーグリスは灰白色の琥珀という意味です。「灰色の琥珀」という名ですが、琥珀とは関係ない海の産物。

 Amberの語源はアラビア語のアンバル[a m ber]です。アンバルとはアラビア語で「匂いの王者The King of Perfumery」の意味で、アラビアでは早く7世紀にはアンバルの採取利用が始まっていたそうです。
 
 アラビヤ人は、海岸に漂着したアンバルを見て、樹液が固まった琥珀と同じように、海岸に生えている木の樹脂が海中にまで長くのびた根から分泌して固まったものと考えました。この他、海底から噴出する泡が固まったもの、海底の海綿状の植物などの樹液が固まったもの、海中に生息する「サラ」という牛の糞が固まったものとされました。

 (仏教説話に沙渇羅(サラ)龍王という神が出てくる。その娘をめとったのが牛頭天王(ごずてんのう)ですが、このアラビア海中のサラと沙渇羅龍王牛頭天王が関わりがあるのかどうか、追求すればそれはそれで面白い自由研究になると思いますが、今回は省略)

 そのほか、山中の蜂が作った蜂蜜が海中に流れ込んで蜜蝋が固まったもの、など諸説が流布していました。貴重なアンバルがどのように作られているのか、わからないまま珍重されてきました。

 アラビアでは香炉に「龍涎香」や「乳香」、「没薬(もつやく)」を入れて焚き、その香りを衣服に移すのがハーレムでの最高のおもてなしであり、おしゃれとされ、アラビアン・ナイトの世界は、アンバル香る中、シェヘラザートの語りとともに更けていきました。

 アンバルはコーヒーに入れたりシャーベットの香りつけ、肉の匂いつけにも使われ、古代中世各地の人々はこの香りに夢中になり、アラビア商人から高値で買い入れました。商人の取引記録によると、時代によっても異なりますが、龍涎香の高級品は、金と同じ値段で取引されたといいます。

 アラビアのアンバルはシルクロードを経由して中国へも伝えられました。アラビアの商人にも何からできている品かわからないのですから、中国では、よくわからない貴重なものはなんでも「龍」の賜(たまもの)とみなされました。架空の動物である龍の涎(よだれ)が海の中で固まったものと思われ「龍涎香ロンエンシャン」と名付けられました。

 中国の皇帝は「後宮3千人」の美女を相手に夜な夜な励まなければなりません。貴重な「龍涎香」は皇帝の専用品とされ、「媚薬」として後宮で用いられました。さらには「不老長寿の薬効」もあると期待され、元王朝時代、13世紀にはアフリカ沿岸にまで「龍涎香」を買い求める使節を出しています。アラビア産として輸入された「龍涎香」の実際の産地は、アラビヤ海だけでなくベンガル湾からアフリカ東海岸まで。皇帝の専用品といっても、そこは腹黒い宮廷廷吏や宦官が跋扈していた中国の後宮、ずいぶんと横流しもあったことでしょう。

 海に漂う「龍涎香」を偶然に採取するだけでなく、捕鯨が行われるようになるとクジラから採取する「アジアの龍涎香」も使われました。元朝皇帝につかえたマルコポーロは、「アジアの龍涎香」についてヨーロッパへ伝えています。夏休み自由研究「龍涎香」は次回へ続く。

<つづく>
06:47 コメント(4) ページのトップへ
2010年08月25日


ぽかぽか春庭「龍涎香」
2010/08/25
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏休み自由研究(2)龍涎香

 「龍涎香」は「催淫効果」があると信じられ、「性的不能」、「精液の漏れ」、「淋病」、「失禁」、「陰嚢の湿疹」などの男性の性的な能力増加、生殖器の疾患をなおすためにもちいられる漢方薬の貴重な材料でした。
 漢方薬のほか、伝統印度医療でも「龍涎香」は薬効がうたわれ、性欲を刺激する「催淫剤」の効き目があるとされました。20世紀前半出版の印度伝統医薬品目には、刺激性の薬物で「けいれん止め」のほか、「虚弱体質」、「てんかん」、「ひきつけ」、「神経衰弱」などに効くと書かれており、西洋医学が伝わったのちにも珍重されていたことがわかります。

 さて、日本では、博物学が盛んになった江戸後期に、動物学書として『鯨史稿』が出版されました。全6巻。大槻平泉(清準)が、文化・文政年間(1804〜1830)に表した博物学の書です。鯨に関しても図解入りで具体的な記述が残されています。鯨の名義・種類や、捕鯨業の実情などを論じました。

 「龍涎香」の説明もあります。西のはるかかなたのアラビヤに龍涎島があり、春になると龍が交尾して、その時に滴りおちた「よだれ」が固まったものと記述されています。薬効高いものと評価され、「てんかん」や「チフス」の特効薬、「腸閉塞」や「下痢」、さらに「寄生虫」や「悪霊払い」にも効能有りとされています。

 では、マッコウクジラの体内でどのようにして龍涎香ができあがるのか。実は最先端の動物学でもまだ解明できていないのです。龍涎香の中には、カラストンビ(タコやイカの硬い嘴=顎板)が含まれていることが多いことから、消化できなかった硬いエサを消化分泌物により結石化させ、排泄したもの、というのが、最も信頼できる説と考えられます。

 これまでに出された説はたくさんあります。
1)糞石のような結石が腸内にできたもの。
2)排泄物、不消化物が科学的な変化によって固まったもの。
3)寄生虫が引き起こした病気の産物。
4)小腸後端部にあるクチクラの内層から特殊な分泌によって出来たもの。
などの説がありました。

 ではなぜ、鯨の腸の結石が芳香を放つようになるのかなど、決定的なことはわかっていません。結石が海を漂ううち、日光や海のミネラルなどのさまざまな物の影響で化学反応を起こし、変化が起きるのだろうというのですが。

 龍涎香の構成成分の大部分はステロイドの一種であるコプロスタノールとトリテルペンの一種であるアンブレイン。このうちアンブレインの含量が高いものほど品質が高く、高値となる。 このアンブレインが龍涎香が海上を浮遊する間に日光と酸素によって酸化分解をうけ、各種の香りを持つ化合物を生成すると考えられています。

 今まで世界最大の「龍涎香」は、イギリスがインドを統治していた植民地時代、東インド会社が1880年に扱った421.3kgの塊です。次いで旧ソ連が南極海で採取した200kgの「龍涎香」。フットボールくらいの大きさで水より軽く、海面に浮いているところを採取されました。龍涎香は、見かけは大理石のようですが、水より比重が軽いので、浮きます。

 現在、天然龍涎香を手に入れるのは難しい。龍涎香はオスのマッコウクジラにしかなく、しかも捕獲された鯨のうち、体内に龍涎香を持つのは、100頭に一頭か二頭。1%程度しか発見できない上、現在ではマッコウクジラは捕獲禁止。海面に浮遊していたり、浜に流れ着いた物を利用するという偶然に頼るしかない。

<つづく>
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2010年08月27日


ぽかぽか春庭「)「龍涎香を拾うコツ」
2010/08/27
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏休み自由研究(3)「龍涎香を拾うコツ」

 万が一、海岸で拾うかも知れないときのための、龍涎香の見分けかた講座。
1)形は、やや乾燥した牛馬の糞の固まったような物。表面はアバタ状の凸凹で蝋分に富んでギラギラ光っている。「汚ッタネェ!何の糞だ」と思って捨ててしまっていはいけない。
2)匂いは最初は悪臭がして、次第に青臭くなり、やがてかび臭い匂いに変わり、この後は表現しようもない海の香り、麝香(じゃこう)に似たかぐわしい香りに変わる。
 最初に、「わぁ、臭い、なんだこりゃ」と思って捨ててしまってはいけない。
3)色は、黒から灰白色までさまざま。上質なものほど色が薄い。

 現在は、合成の「龍涎香」が開発されており、春庭が科博で嗅いだガラス箱の中の龍涎香も、この合成品でした。
 本物の「龍涎香」の香りが欲しい人は、今日から海岸をうろつきましょう。ほら、見た目に牛や馬の糞のような形を探して、ウンがよければ手に入るかも。おっと、あなたが拾ったそれ、ただの「犬のウン○」ですよ。お間違いなく。

 なお、お子さんお孫さんから「龍涎香に催淫効果があるってどういうこと?」「性的不能の治療薬って何?」などの質問が出た場合、春庭には説明いたしかねますので、それぞれよしなにお答え下さい。

 以上の龍涎香蘊蓄をさらに極めたい方、以下の本をご参照ください。本気で夏休み自由研究に提出したい方、参考書名をあげておくと、自分で調べたっぽく見えますが、小学生には難しい本なので、「私が読んでわからないところは親に解説してもらった」なんて但し書きなどつけておくと、先生も感心すること請け合い。夏休み作品展の自由研究努力賞くらいはもらえるはずです。「催淫効果」など、きちんと解説してあげた努力賞。

<参考書>
・秋道智弥1994『クジラと人の民族誌』東京大学出版局
・加藤秀弘1995『マッコウクジラの自然誌』平凡社
・山田憲太郎2002『香談 東と西』法政大学出版局

・大槻平泉1830『鯨史稿』(1976年に復刻出版された、江戸科学古典叢書のうちの第二巻。恒和出版 ただし絶版。古書は¥ 84,500もするので、どうしても見たい人は、国会図書館へ行ってください。国立文書館に行けば、原本が展示されているかもしれない。「鯨史稿」の中の鯨の図版などをコピーした1枚を添えれば、上等な夏休み自由研究となりましょう。『鯨史稿』がコピー可能な本かどうかは、直接お問い合わせ下さい。国会図書館の本は国民みんなの財産です。(ついでながら、大槻平泉(おおつきへいせん)は大槻玄沢の従兄弟の子。辞書『言海』の編者大槻文彦の親戚)

<つづく>
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2010年08月28日


ぽかぽか春庭「科博が好きなわけ」
2010/08/28
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏の自由研究(4)科博が好きなわけ

 なぜ私が龍涎香に興味を持ったか。理由があります。日頃香水などには縁がない春庭ですが、「香り研究」にはかって縁があったのです。
 およそ理系はすべて苦手だった私なのに、高校時代、友達に誘われて「科学部」に所属していました。

 高校2年生の夏休み、秋の文化祭の準備「香料の研究」というのをやりました。香料の化学式を模造紙に書いたり、香水の製造過程などを調べたり、発表時のパフォーマンスなどを考えたのですが、どうも地味です。酢酸ゲラニル 英名geranylacetate 化学式C12H20O2 、安息香酸メチル 英名methylbenzoate 化学式C8H8O2、、、、これだけじゃ、観客が興味を持ってくれそうにない。

 そこで、香料を扱っていそうな会社に「文化祭で香料の研究をやります。資料があったら、ください」というおねだりの手紙をだしました。化粧品や香水の会社などからは無視されましたが、ただ一社、お菓子メーカーが「食品香料のサンプル」というのを女子高校あてに届けてくれました。ロッテさんありがとう!あれ?グリコだったっけな。

 小さなサンプル瓶のふたを開けると、合成バニラとかいろいろな香料が香りました。私ともう一人の「香料担当」ハヤシセッちゃんは、文化祭でサンプルの香料を見学者に嗅がせて、何の食品に使われているのか当てさせるという企画をたて、たいへん好評でした。他のグループは汗水たらしてさまざまな実験を続けて得た結果を、模造紙に書いて貼りだしていました。それらの地道で地味な発表より、食品香料サンプルもらっただけの私と節ちゃんは、たいした実験もしていなかったのに、大活躍のように見えたのでした。手紙は私が書いたのだけれど、資料をどこかの会社からもらっちゃえ、と思いついたのは節ちゃん。節ちゃんの実家は山間の町の駅前食堂でした。いつも愛想良くにぎやかな楽しい人でした。

 節ちゃんは、私が中学校国語教師になったのと同じ県で小学校の先生になりました。寿司屋の板前さんと結婚。お寿司屋さんは大繁盛で、自社ビルを建てるほどになりましたが、小学校の教師はずっと続けていました。私がただ一度参加した女子高校クラス会で、彼女の話を聞きました。「うちの市の教育委員会や学校関係の宴会は、全部うちの寿司懐石店でやらせてもらっているの。教師の給料なんてたかが知れてるけど、学校関係の宴会シェアを確保するために教育委員会に食い込んでおくと便利だから教師続けているんよ」と自慢していたっけ。
 というエピソードは何回か書いたことなのだけれど、やっかみひがみ春庭は、何度でも繰り返して言う。自社ビル、、、、うらやまし。
 私ときたら、その「たかが知れてる」教師の給料さえもらえずに、非常勤講師パート仕事でウン十年。

 龍涎香を拾うようなウンのいい結婚をする節ちゃんもいれば、犬のウン○拾ったごとしの、、、、と、何を思いだしても、あいかわらずの妬みヒガミそねみやっかみに終わるのが、私の夏休みです。

 まあ、そんなこんなで、もともとは理系人間じゃなかった私ですが、今でも新聞の科学関係記事や、ニュートンなどの一般向け科学雑誌を熱心に読むサイエンスファンになりました。龍涎香に興味を持つとあれこれ科学記事をさがして読みたくなります。

 子供をつれて、科博に通った日々も遠くなりましたが、科学博物館、大好きです。
 以上、夏休み龍涎香蘊蓄でした。ほんとは、龍涎香どころじゃないのに、ほんとに書かなくちゃならないことが遅々として進まないことからのしばしの逃避でした。

<おわり>
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2010年08月29日


ぽかぽか春庭「箱根」
2010/08/29
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(6)箱根

 娘と息子が企画した「みんなで温泉旅行」に行ってきました。姑の年齢85歳を考え東京から一泊で無理なく行ける温泉ということで、伊豆、熱海、箱根、房総などが候補にあがった中、ワーキングプア一家でも支払えそうなコストパフォーマンス重視で、区の保養所利用箱根一泊ということになりました。8月25、26日の一泊二日のプチ旅行。

 今年の夏、息子は博物館学芸員研修がありました。半月のあいだ地元の博物館に実習に通って、苦手な「慣れていない人と接触すること」も一生懸命やってきたので、息子の「実習お疲れさん会」を兼ねて、姑孝行のための家族旅行です。家族旅行と言っても、夫はいつもの「父さんは倒産しそう。忙しくて旅行どころではない」といういいわけで、いち抜けしています。春庭が「あなたの母親でしょう。自分の親なんだから親孝行自分でしなさいよ」とぼやいても、聞く耳持たず。ふつつかながらヨメが姑孝行を相務めることになりました。

 8月25日朝、娘、息子、姑と、新宿から小田急線で箱根へ。姑は何度も箱根へ行っており、珍しくともない温泉地なのですが、私は箱根には行ったことがありませんでした。温泉に行きたいなら、故郷の群馬に帰省して入ったほうがいい。新しいのは故郷創生資金で掘られた温泉もあるし、古くは万葉集に詠われた温泉もある。
 熱海と箱根は、東京在住者にとって、あまりにもありきたりすぎる観光地という気持ちがあったことも確かなのですが、まあ、一度は行ってみるべきだろうとも思っていました。

 それぞれの箱根への思い入れは、各人各様。
 私は「箱根の杉並木で♪箱根の山は天下の険、と唄う」のが今回の旅の目標です。姑は「孫とすごす時間が持てれば、それでよし」。草食系の息子は「温泉地の宿でまったりすごす」。って、21歳男子としてドーヨ、というところですが、そもそもおとなしく家族旅行について来るってところが、ガールフレンドなし歴21年のわけで。娘「ガラス制作体験をする。芦ノ湖で海賊船に乗る」
 観光地の俗化の象徴がガラス美術館とオルゴール館。このふたつが建ったらその観光地は「大人」の行くところではなく、お子ちゃま&アンノン族ミーハー(という表現も古いが)の喜ぶ程度のものに成り下がる、というのが「通の温泉ガイド」なのだそうなので、娘は逆に、「どこかに出かけたらガラス制作やオルゴール制作をする」ということにしたのだって。

 「箱根に行ったら、ロープウェイに乗って大涌谷の火山噴煙見物をして、芦ノ湖で海賊船に乗って遊覧っていうのをするのが、正しいミーハー観光だ!」というわけで、25日は、ロマンスカーで10時半に箱根湯本到着、強羅公園クラフトハウスで吹きガラス制作がメインイベント、26日は大涌谷見物と芦ノ湖遊覧がメインイベント。

 25日午後、強羅公園クラフトハウスで、娘と息子は吹きガラス制作に挑戦。娘はピンクの色ガラスを散らしたケーキ皿、息子は水色と泡模様のグラスを作りました。指導員の言う通りにガラスが先に付いている吹き棒を咥えて吹いたり棒をぐるぐるまわして形を整えたり。私もテレビでガラス工芸のいろいろを見たことはありますが、間近で見るのは初めてです。ガラスを溶かす炉の熱気以上の指導員さんの熱血指導で、しだいにガラスは形を見せていき、それぞれグラスと皿が完成しました。ふたりは「おもしろかった」と、喜んでいました。
 指導の松本大督さん、完成品は27日に宅配便で届きました。きれいな色に仕上がっていて、娘も息子も大満足です。ありがとうございました。

<つづく>
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2010年08月30日


ぽかぽか春庭「強羅」
2010/08/30
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(7)強羅

 強羅公園には、益田鈍翁(三井物産を設立した益田孝の茶人名)の茶室「白雲洞」が移築公開されています。娘息子が吹きガラス制作の順番を待っている間、私と姑は白雲洞の見学をしました。白雲洞の縁側で姑のおしゃべりを聞く。何度も聞いた話もあるけれど、何度も聞いた話にウンウンと相づちを打つのも姑孝行。
 姑が小原流華道師範の免状を持っているのは知っていましたが、お茶についてはこれまで聞いたことなかった。姑の「お茶も習ったけれど、師範をとるのに家元に納めるお金が華道の比ではなくかかるので、師範とるまではいかなかった」という話を初めて聞きました。坊主丸儲けと言いますが、坊主はお経くらい読むのに比べ、家元ってのは免状与えるだけでホント丸儲けの仕組み。落語に「欠伸指南」というのもありますが、私も「愚痴こぼし指南家元」くらいになりたい。

 茶道具も稽古用のものを揃えたけれど、今は稽古にも行かなくなったから、物置にしまいっぱなしで、どうなってるかしら、と姑。「茶碗なんか、たいしたものは買わなかったけれど、茶釜はね、稽古用の安物でも15万したのよ。邪魔だけれど、売るなら15000円で引き取りますって言われて、そんな値段じゃ売っても何にもならないから、そのままとってあるの」

 あらら、姑が茶釜持っているなんて、知らなかった。私は若い頃、ふくさの畳み方ってのを教わっただけで足がしびれてしまい、二度と茶の湯の稽古なんかするものかと思った、というお作法知らずだから、茶釜ちょうだいなんて言えないけれど、しまいっぱなしになっているなら、留学生の「茶道体験用」に借りだしたいなあと思いました。
 「家具とか電気製品とか、不要品は区内の大学の留学生バザーに寄付するの。こっちも処分できるし留学生にも喜ばれる」と言う姑なので、そのうち茶釜もお伺いたててみましょう。

 箱根一泊。泊まったところは区民保養所です。区民のための施設、26年も区民税払い続けてきたのに、利用したことがなかった。これまで区民保養所というと、くすんだ宿をイメージして、もしも宿泊してわびしい気持ちになったりしたら、保養のはずが気持ちも晴れないだろう、というワーキングプアらしい感想を持っていたのですが、娘と息子がインターネットチェックして、意外によさそうな施設だということで申し込みました。箱根ケーブルカー駅のすぐ目の前に保養所がありました。部屋からは箱根大文字焼きの「大」の字が正面に見えるロケーション。リゾートホテルのようないたせりつくせりというわけにはいきませんが、2ヶ所の源泉から引いたという大小の浴室からの眺めもよく、部屋もきれいだし、夕食朝食もおいしかった。 私には区民保養所でも十分満足でした。

 これまで箱根に来ることがなかったことの言い分のひとつ、「箱根に泊まるなら、富士屋ホテルのスイートくらい泊まりたいけど、スイート泊まるほどのお金がない」ちなみに富士屋ホテルのスイート「菊」に二人で泊まって30万。都心の有名ホテルスイートよりは安いけど、非常勤講師の時給に換算すると何時間授業することになるかと思えば、お湯につかる気も萎える。

 たった一晩の宿泊で30万も使うなんて、ほとんど犯罪である、30万あれば、バングラディシュのストリートチルドレンが100人学校にいけるぞ、なんぞとつぶやきながら、今回、富士屋ホテルは見学だけ。その計算で行けば、区民保養所だってストリートチルドレンの学費ひとりや二人分にはなるんですけれど、そこはオミット。庶民なんてそーいうもんです。

 第一日、25日昼ご飯前に宮ノ下富士屋ホテルへ。1891(明治24)年に建った本館、1906(明治39)年に建った西洋館など、登録有形文化財に指定されている建物の外観だけでも見ておこうと寄ったのです。泊まりはしないけど、玄関前で写真撮りました。

 「宿泊客でもないのに写真撮るなんて恥ずかしい」という気もありますが、ホテルって、宿泊していない場合でも、ロビーを待ち合わせ場所として利用したり、散歩の途中の休憩地点として利用できるのがいい所と思っています。宿泊しない客、お金をおとさない人にも居心地のよさを感じさせてこそ、ホテルのホスピタリティです。ホテルのクォリティというのは、この居心地よさをどう発揮するか、という点にある、というのが私のホテル評価基準。って、これは石ノ森章太郎の漫画『ホテル』を読んで思ったことであって、あちこちのホテルを泊まり歩いての評価ってことじゃありません。私のホテル利用は、もっぱら散歩途中の休憩か、ロビーでの待ち合わせ。

 富士屋ホテルのフロントでは、パトリックさんが流暢な日本語でホテル前のバス停から出るバスについて私の質問に答えてくれました。
 客商売の基本だから、ホテルの従業員教育はきちんとしたところが多いけれど、どんな丁寧な応対をされても、あ、今、このホテルマンは客の値踏みをして、「この客、金ないなあ」と思われた、と僻むのが私の貧乏性。つーか、お金持ちは路線バスなんかに乗らないのだろう。ヒガむくらいならホテル見物しようなんて思わなけりゃいいのに、物見高いのもやめられない。近代建築を見て歩くのが趣味のひとつです。
 富士屋ホテルの建物写真リンク
http://maskweb.jp/b_fujiyamain_1_1.html

<つづく>
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2010年08月31日


ぽかぽか春庭「大涌谷と芦ノ湖」
2010/08/31
ぽかぽか春庭十人十色日記>夏のおでかけリポート(8)大涌谷と芦ノ湖

 26日は、10時に区民保養所をチェックアウトして、ロープウエイで大涌谷へ。硫黄の匂うなか、黒いゆで卵を作っているところを見たり、地面から煙が吹き出しているのを見たり。もとは地獄谷という地名だったのに、明治天皇を迎えるのに「地獄」では恐れ多いと「大涌谷」に改名したのだという説明が書いてありました。へぇ!そうだったんだ。

 芦ノ湖では黒い海賊船で遊覧。娘は「私は青いのに乗りたかった」と言っていましたが、特別船室にゆったり座れて湖の眺めもよかったので満足。息子は、おばあちゃんのおしゃべり相手をしながらまったりすごしていました。残念ながら、山沿いに雲が多くて芦ノ湖から富士山は見えず。九頭龍神社の鳥居が水の中に建っているのが、湖畔の緑に映えてきれいでした。

 船を下りて、復元された箱根関所の建物と関所資料館を見物。歴史大好きの息子はとても興味深そうにゆっくり回って、古地図複製をおみやげに買っていました。私は建築に興味があるので、復元建築のビデオを見ていました。チョウナで削った柱とか、数本の木材を組み合わせて柱を立てて行くようすとか、復元作業が記録されていました。これまでも唐招提寺解体再建の模様や、奈良大極殿復元の記録などをテレビで見て、建築技術の継承に興味がわきました。箱根関所の復元にも石工、板葺き屋根、渋墨塗という塗装の方法まで、さまざまな古来の技術伝承が生かされていました。屋根は栩葺(とちぶき)で、竹釘で打ち付けていきます。渋墨塗というのは、柿渋と煤を混ぜたもので板壁を塗装すること。
 箱根関所復元工事の記録
http://www.hakonesekisyo.jp/db/data_inc/inc_frame/fr_data_04.html

 姑が疲れてしまったようなので、お世話係に息子と娘を残して休憩タイムをとってもらい、私は一人で旧街道の箱根杉並木へ行きました。杉並木の一部分が保存されているのです。夏の日盛りでも、うっそうとした並木道はそれほど暑さを感じません。前後に誰もいないのを見計らって、♪箱根の山は天下の険♪を唄いました。
 ♪昼なお暗き杉野並木 ヨーチョーのショーケイわ、こーけーなめらか。いっぷかんにあーたるや、ばんぷもひらくなし♪これで今回の旅の目標達成です。

 若い男性外国人観光客二人連れがかわりばんこに写真をとっているのを見つけて、「二人をいっしょに写してあげるから、次に私を撮って」と頼みました。なかなかイケメンの二人連れなので、いろいろ話して見たかったのですが、姑を待たせているので、すぐにバイバイしました。
 
 歌詞を調べてみて、「箱根八里」作詞者が鳥居忱(とりいまこと1855~1917)という人だと初めて知りました。この歌を習ったころの音楽のテストに「箱根八里、荒城の月などの作曲者は誰か」なんぞの出題があって滝廉太郎の名は覚えましたが、作詞者についてはテストにも出ず気にも止めていなかった。音楽の時間、歌詞の意味がわからないまま歌っていたのだし。皆さん、♪ヨーチョーノショーケイワーとかって、意味わかってました?

 歌詞、♪前に聳えしりえにさそう♪は「後えに誘う」だと思い込んでいましたが、「後えに支う」だったってのも、ようやくわかりました。♪いっぷかんにあーたるや、ばんぷもひらくなし♪は、「ひとりの武士が関所を守れば、万人といえど、この関を開いて通れはしない」という意味なんだって。知らなかった。
 杉並木近くの恩賜箱根公園の駐車場に箱根八里の歌碑があります。
=========
箱根の山は 天下の険
函谷関(かんこくかん)も 物ならず
万丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷
前に聳え(そびえ) 後に(しりえに)支う(さそう)
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼なお暗き杉の並木
羊腸(ようちょう)の小径(しょうけい)は 苔(こけ)滑らか
一夫関(いっぷかん)に当るや 万夫(ばんぷ)も開くなし
天下に旅する 剛毅(ごうき)の武士(もののふ)
大刀(だいとう)腰に 足駄(あしだ)がけ
八里の岩ね踏み鳴す(ならす)
斯く(かく)こそありしか 往時(おうじ)の武士(もののふ)
========
 芦ノ湖からも強羅からも見えなかった富士山。小田原も過ぎたあたりで、帰りのロマンスカーの中から、夕日を背負うシルエットの富士をようやく見ることができました。
 箱根旅行、楽しかったです。娘息子も「また行こう」と言ってくれるので、次はどこにしようかと思案中、、、、ええ、家族ダンラン、(without亭主、姑つき)です。

<おわり>
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春庭の秋のおでかけ日記2010年9月10月

2010-10-10 06:31:00 | 日記
2010/09/20
ぽかぽか春庭十人十色日記>2010年9月(1)9月の日曜日

 第三日曜日。敬老の日が移動祝祭日第3月曜日となって今年は9月20日だというので、19日に娘と敬老の日祝いに姑のもとへ顔をだしました。
 息子からは、夏に出かけた箱根旅行の写真をプリントして、撮影地などをパソコンで書き加えた画像を付け加えたアルバムをプレゼント。娘からは、手作りフォトフレームに大涌谷で撮った写真を入れてプレゼント。私からはいつもの祝金熨斗袋。

 姑は「この夏暑くて身体が弱ったせいか、目が弱くなって新聞が読みにくいし、耳が遠くなったので、人の話が聞きにくい。でも補聴器は嫌いだから使いたくないし」と、愚痴をこぼしながら、お茶をいれたり最近お気に入りの「特製焼き芋鍋」で焼き芋を作ってくれたり、娘が「おばあちゃんが作ったのが一番おいしい」と言う煮物をテーブルに並べたりしてくれました。

 姑は、舅の残した油絵などをしまってある押し入れから、息子(我が法律上の夫)がまだ自慢の息子だった小学生のころのお習字を引っ張り出して、「これ、書き初め大会で金賞になったのよ」と見せてくれました。おっと、私にとってはダメ夫だとしても、姑にとっては、今でも自慢の息子なのかも。

 スケッチや油絵が趣味だった舅の趣味に合わせようかと、姑がひととき練習に通ったデッサン教室で描いた石こう像の習作などもとってあって、「あら、私の名前が書いてある。じゃ、これは私が描いたのねぇ」と、すっかり忘れていた自分の絵を見て「先生がだいぶ手を入れたので、ほとんど先生の作品」と、そっけないのだけれど、ちゃんとしまってあったということは、描いた当時は「記念の作品」だったのでしょう。

 地区の自治会が配ったという敬老祝いのカステラを「私は医者に甘い物は控えるように言われているから、持って帰って食べて」と、姑から渡され、もらって帰りました。健康のためなら何でもする姑に比べて、甘い物もビールも節制できない私、反省しながらカステラをたくさんいだたきました。

 1週間前の第二日曜日。9月12日は、ジャズダンスサークルの日頃の活動をお披露目する、年に一度の発表会。文化センターを利用するグループとして「文化センター祭」に参加しました。

 春庭の所属するダンスサークル、働く女性や退職女性が集まって自主サークルを立ち上げました。区の社会教育団体に登録して、週に一度身体をほぐしています。ストレッチ、ヨガなどで身体を柔軟にして筋肉を強くする。腰痛に効く動きとか、二の腕の筋肉を引き締める動きなども先生におそわっていますが、「毎日練習しなさい」という先生の申しつけにはなかなか従えず、週に一度の文化センターでの練習がせいいっぱい。仕事が忙しくて練習を休んだりすると、翌週はなんとなく全身の動きが鈍くなるような気がします。ちょっとは家でも身体を動かせるようならいいのですが、なかなか一人で練習というのは難しい。へたくそ仲間が集まって、わいわい言い合いながら身体を動かす機会がもてること、貴重だと思っています。

 退職してから運動不足を自覚した旧友のK子さん、この4月からサークルに参加し、身体ほぐしを始めました。今回の発表会でいちばん嬉しかったことは、K子さんがセンター祭のためにサークルスタッフとして活躍してくれたこと。そして、最初は「今回はスタッフだけで出演はしない」と言っていたのだけれど最後は「夢見るプラネット」の曲で、みんなといっしょにウエーブをしたりダンスにも参加し、楽しくフィナーレを盛り上げたこと。

 1970年代には演劇公演をいっしょに見にいったり、田舎のわが家に遊びに来てくれたりして仲良くしていましたが、80年代90年代、互いに仕事も忙しくて、K子さんの転勤先の雪国へも南国へも、遊びに行きたいと願うだけでなかなか訪問することもできませんでした。今ふたたび毎週いっしょに活動できることが嬉しいです。なんだかんだで40年のおつきあいになります。

 春庭は、グレンミラーのジャズスタンダード「イン・ザ・ムード」とインド映画ダンスナンバー「ララドゥム」を踊ったほか、「ちょこっとストレッチ」というコーナーを担当しました。ダンサーの着替えの間の時間稼ぎに「観客のためのイスに座ったままできるストレッチ」の紹介実演です。

 2週間前の第一日曜日は誕生日でした。1~3日、6~8日と6日間の集中授業の中間地点ということだったし、暑いさなかでお出かけもせず、じっと家にこもってすごした一日でしたが、一病息災の日々を大切にしていこうと確認しつつ、静かに自分の年齢をかみしめました。

<おわり>
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謹賀新年うさぎ年2011年1月

2010-10-07 10:35:00 | 日記
2010/01/01
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>謹賀新年うさぎ年(1)慈悲心

 みなさま、あけましておめでとうございます。ことしもよろしくお願い申し上げます。

 今年の日記のタイトルは「十一慈悲心鳥日記2011」です。
2000年の「ミレニアム日記」以後、2001一期一会日記、2002二兎追う日記、2003三色七味日記、2004四つ葉の幸せ日記、2005五感をみがく日記、2006六日のあやめ日記、2007七宝七竈日記、2008八衢(やちまた)日記、2009九年母(くねんぼ)日記2010十人十色日記、と、年に語呂合わせしたタイトルをつけてきました。

 慈悲心鳥というのは、ジュウイチ(十一)という鳥の別名で、鳴き声が「じゅういち、じゅういち」また「ジヒシン、ジヒシン」と聞こえるのだそうです。
 バードウォッチング写真のジュウイチを掲載しているサイト
http://blog.goo.ne.jp/dv-sato/e/3c070fc16d41db041117b8aebf6f7eaf

 『慈悲心鳥』は、戦前には人気の小説でした。菊池寛の小説『慈悲心鳥』を原作として、1929、1936、1954年と、3度も映画化されています。また、岡本綺堂の短編にも「慈悲心鳥」という作品があるというので、春庭ごときのコラムのタイトルに借用したら罰当たりかも知れませんが、もともと春庭という名乗りが本居春庭という大学者からの借用なのですから、もうバチなんぞ気にしてはいられません。

 2011年は、春庭の生活にももうちょっと「慈悲」のお恵みがあるよう、祈っていますが、どうなることやら。生活は今年も厳しそうです。
 わが家のペット、ロップイヤーうさぎの「ふうちゃん」の耳も、いよいよ下向きに垂れており、景気は悪くなる一方の世のしだいですが、春庭は「じゅういち、じひしん」と泣きながらも、がんばって生き抜く所存です。

 皆々様におかれましても、よい1年となりますように。

<つづく>
00:11 コメント(5) ページのトップへ
2011年01月02日


ぽかぽか春庭「ゴールドライフ兎」
2011/01/02
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>謹賀新年うさぎ年(2)ゴールドライフ兎

 SNS(ソーシャルネットワークサービス)を利用しています。姪たちとはmixiでの交流を続けています。3人の姪と交流するサイト、別の1人の姪と交流するサイトのふたつを利用しています。
 2011年の年末に、facebookに参加しました。mixiは日本語サイトが中心ですが、facebookは世界中の人と交流ができます。

 2009年に中国で教えた学生のうち、facebookに登録している学生と「友達登録」ができました。慶応大学、京都大学、東京大学、東京工業大学、などの大学院博士課程に在学中の学生たちとfacebookを利用して写真を公開したり、メッセージ交換をしたり、交流を楽しんでいます。

 こうしてパソコンによって新しい交流もできますが、パソコンオンチなので壊れてしまったパソコンに入れておいたURLやパスワードなどを忘れてしまうと、新しいパソコンにしたとき、どのようにして古いデータを救出していいのかもわからず、お気に入りに入れていたURLもわからないままになっていました。
 2008年にノートパソコンにしてから、壊れたディスクトップを放置したまま、捨てるに捨てられずいました。自分のブログもどうやって書き込みをするのかわからなくなって、「HAL-niwa Annex」以外のは放置してありました。本宅の「話しことばの通い路」も、2年ほど更新なしです。ヤフーブログもあったのですが、何でも忘れるので、自分のブログタイトルも忘れてしまいました。

 大晦日にようやくヤフーブログの「coHALゴールドライフ」という自分のサイトにたどりついて、更新することができるようになりました。
 電車でシルバーシートに座るなら「シルバーライフ」ですが、輝く人生をめざす「ゴールドライフ」という意味合いで、老いの日々を記録していくつもりのブログです。
 1月2日の日記として、わが家のうさぎをUPしました。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/haruniwa55hal/view/20110102

 年賀状もこの写真。1月1日に私が撮った写真をUPしたら、兎の飼い主の娘が「母の撮った写真、かわいくない。私がケータイで撮ったふうちゃんがかわいい」と言って、写真のさしかえを命じられました。

 わが家のペット兎、初代はネーデルランド・ドワーフ(灰色)、次がハーレクイン・ブラックジャパニーズ(三毛猫のような毛色)、今の3代目がホーランドロップイヤー(真っ黒)。2004年3月からわが家のペットになりました。まっくろくろで、あまり他には同じようなのがいないと思っていたのですが、検索してみれば、そっくりの兎を飼っている人がいました。
 娘に見せたら、「あれ?母がふうちゃんを撮影してユーチューブに載せたの?」と言ったくらい、そっくりで、背中にちょこっと白い毛が見えるところまで同じです。
http://www.youtube.com/watch?v=fwGkaiZAbFc

 わが家はベランダで飼っているのですが、動画のクロスケ兎は庭でボール遊びなどしていて元気そうです。うちのふうちゃんは、もう年寄り兎(7歳)で、昨年は2度の腫瘍の切除手術を受けました。このあと、どれくらいいっしょにいられるのかわかりませんが、うさぎ年の今年は、きっとよい年だろうと思っています。

 mixiもfacebookも、OCNCafeも、いろいろな方々とのつながりを大事にしていける1年にしたいです。

<つづく>
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2011年01月03日


ぽかぽか春庭「恵比寿大黒宝船散歩」
2011/01/03
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>謹賀新年うさぎ年(3)恵比寿大黒宝船散歩

 せっかくのお正月だから、なにやら目出度いことをしようと思いましたが、お金のかかることはできないし、元旦は家隠りしておりました。でも、2日はよいお天気に誘われ出かけました。
 出かけた先は恵比寿です。七福神巡りはできないけれど、恵比寿にでかければ、「恵比寿大黒、福もって来い」ってなもんで、もう私の1年は福やら財やら長寿やら、目出度い限りに決まってます。と、信じている私のオツムが一番目出度いって話ですが。

 恵比寿で何するかっていうと、写真美術館へ参りました。正月以外でもいつも恵比寿にあるんですけど、東京近代美術館と東京都写真美術館が1月2日は無料公開日になっているのを知って、おでかけです。新春ピッカピカの青空の下、冬木立が美しい一日。竹橋→恵比寿の順に巡りました。
「ご招待」「無料」「タダ」というのが大好きな春庭、正月早々「タダ」で楽しみ、今年の宝船も七福神のかわりに貧乏神でも乗ってくるような、、、、、いえいえ、蜉蝣長者(ポプラ社社長)や「もしドラ長者(岩崎夏海)」には及ばないまでも、この太鼓腹には福が満々詰まっているのに決まっていますとも。

 新春アート散歩、楽しかったですが、唯一誤算は、近代美術館工芸館に向かうとき、新年参賀を終えて北詰橋門からどっと出てくる人並みと遭遇したこと。手に手に日の丸を持ち、「新年のおことば」を聞いた人々が満足そうに出てきて、あ、これはこのまま帰宅しないで東京観光のついでと工芸館に立ち寄る人も多そうだなあ、と思ったらその通りになり、いつもなら閑散としている工芸館が押すな押すなの賑わいでした。

 日頃は伝統工芸などを見る機会がない人も、こういう機会にすぐれた作品と出会って目の保養をするのもいいことだ、と思って押すな押すなの人々といっしょに「人形展」や「人間国宝コーナー」を見て回りましたが、私の横のご主人は、作品ごとに「これ、いくらくらいなんかなぁ」と、隣の奥さんに聞いています。値段に換算しないと納得できないという鑑賞法もありでしょうけれど、、、、。

 お金持ちが高い値段を払うことに満足して、名作を蔵の中にしまい込むのも「美術品の価値」ではあるのでしょうが、せっかく日の丸振って「おことば」を聞いてきたのですから、皇室へ献上された名宝を三の丸尚蔵館で国民に一般公開するっていう方法をとった皇室を見習うのも一案かと。昭和天皇崩御後、そのまま皇室美術品を皇室が所蔵するためには莫大な相続税がかかるため、国に寄贈されたという品々が三の丸尚蔵館にあります。あは、雲の上つ方も相続税には勝てないらしい。やっぱりお値段が問題なのね。

 隣のご夫婦に教えてやりたかった。えっと、この人間国宝の螺鈿蒔絵の棗は、1階のグッズ売り場に出せばひとつ800万円ほどじゃないかしら。お買い得よね。恵比寿大黒、福もって来い!

 真っ青な空、宝船に乗って空を駈けるような気分で北の丸公園の端を歩きました。

 (冬木立と兎の画像付き日記はこちらに)
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/haruniwa55hal

<つづく>
09:07 コメント(3) ページのトップへ
2011年01月04日


ぽかぽか春庭「恵比寿でガイアシンフォニー」
2011/01/04
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>謹賀新年うさぎ年(4)恵比寿でガイアシンフォニー

 1月2日の新春散歩、近代美術館を見てから恵比寿へ。恵比寿駅ビルの中でランチ。タンシチューとアボガドサラダ。動く歩道でエビスガーデンプレイスへ。

 写真美術館に3時に入館し、スナップ写真展へ行こうとしたら、1階で地球交響楽(ガイア・シンフォニー)紹介のイベントが行われていました。無料だから見た。3:15から第2部が始まり、地球交響楽7番の予告編が上映されているところです。私はその最後の部分「奄美大島の日食観察」が映されているときに入場。

 第2部は、地球交響曲の龍村仁監督夫人、プロデューサーの龍村ゆかりさんが司会進行で、「幸+福(サチフク)」と「coco←musika(ココムジカ) 」の歌が披露されました。シンガーソングライター「幸+福」は、環境保護と相性の良さそうな歌を作っているようで、「地球交響曲」とは御縁が深いそうです。「くじらの歌」「ひとつのわ」の2曲、癒し系の歌詞と歌声でした。
 
 「coco←musika 」は、ギタリスト梶原順さんと三線奏者ゲレン大嶋さんにベースとパーカッションが加わったユニット。三線のメロディはゆったりと心地よい時空にこの身を運んでくれる音でした。

 地球交響曲は、1992年公開の1番から2011年公開の7番まで20年にわたって撮影されてきたドキュメンタリー映画。地球の自然と共鳴しながら生きている人へのインタビューを中心に、自主上映運動によってファンを広げてきました。
 スピリチュアル系というかエコロジー系というかわからないけれど、私のごとく、年中「なんか金儲けできそうなウマい話はころがっていないか」「明日食っていくために、今、何するか」という俗っぽいところで生きている者にはちょっぴり敷居が高い映画かも。で、私は一度も見たことはないけれど、たぶん、とてもよいドキュメンタリーなのだろうと思います。何とか明日食っていけそうになったら、見たいと思います。

 イベントのあと、2階3階の「スナップ展」を見ましたた。3階は収蔵品展示の「かがやきの瞬間スナップショット」

 ポール・フスコ1968「ロバート・F・ケネディの葬式列車RFK Funeral Train」がとても印象深かった。暗殺されたRFKの遺体がNYから国葬が行われるワシントンDCに電車で運ばれた。沿線に立ち尽くして哀悼するアメリカ国民を、Funeral Trainの窓から撮影したスナップ作品。
 「RFK Funeral Train」の紹介サイト
http://digitaljournalist.org/issue0108/train_index.htm

 2階は「日本の新進作家展vol.9ニュー・スナップショット」。
「東京水景」「無名の街」をデジカメで撮影したスナップがとてもよかった。写真家結城臣雄は、2000年ころから東京の街を取り始め、7万点の中から選んだスナップショットが並んでいるのだという。結城臣雄は、1987年ソニー・ウォークマンのCM「瞑想するサル」で数々の広告写真の賞を得た写真家。
http://www.youtube.com/watch?v=IKzNIP1x1R4

 6時の閉館時間まで写真美術館にいました。帰りは恵比寿ガーデンプレイスのバカラシャンデリアを見ました。この前恵比寿ガーデンプレイスに来たとき、娘息子とこのシャンデリアを見上げたので、いつもあるのだと思ったら、1年ぶりのシャンデリア復活だったそう。ガーデンプレイス三越の中で売っているバカラのグラスは1つが3万円なんて聞くと、ショウケースを見る気にもなれないけれど、このバカラシャンデリアは買うとすると7億円だそうなので、「こいつは春から豪勢なキラキラだぜ」と思うと、腹も立たない。明日食っていけるかどうかは定かでないが、今夜のところは、このシャンデリアを背に帰っていくことにしよう。
 無料公開日の近代美術館と写真美術館ですごしたひととき、楽しい正月でした。

 ココムジーカ、バカラシャンデリアの画像付き日記はこちら
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/haruniwa55hal

<おひらき>
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2011年冬の読書日記2011年1月

2010-10-05 07:47:00 | 読書・本・ログ
2011/01/05
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(1)KAGEROU

 年末年始読書記録。
 早くUPしとかないとすぐに古びてしまうと思ったので、『KAGEROU』感想文を先にアゲておく。こういうとき「ナマモノ」は保存がきかないので不便だ。道綱母の『蜻蛉日記』は千年の命を保ってブンガクしているが、おそらく『KAGEROU』は、1年たてば誰も感想文など読んでくれそうにないので、今のうちに。

 ポプラ社の宣伝文句によれば、
 「第5回ポプラ社小説大賞受賞作。『KAGEROU』―儚く不確かなもの。廃墟と化したデパートの屋上遊園地のフェンス。「かげろう」のような己の人生を閉じようとする、絶望を抱えた男。そこに突如現れた不気味に冷笑する黒服の男。命の十字路で二人は、ある契約を交わす。肉体と魂を分かつものとは何か?人を人たらしめているものは何か?深い苦悩を抱え、主人公は終末の場所へと向かう。そこで、彼は一つの儚き「命」と出逢い、かつて抱いたことのない愛することの切なさを知る。水嶋ヒロの処女作、哀切かつ峻烈な「命」の物語」

 なんと言っても売れたもん勝ち。発売2日間で68万部。2週間後の年末には100万部に達したという。しかも、買い取り方式の返品なしということだから、「受賞者が俳優とはまったく知らなかった」はずの社長を蜉蝣長者と呼びたい。

 読まずに批判するのはルール違反と思うし、かといって、お金を出して蜉蝣長者ポプラ社社長をもっと富ませるのは片腹痛い。そこでhawkさん推奨の「立ち読みで1時間で読める」を信じて、12月28日に池袋へ行った帰り道、ジュンク堂で座り読み敢行。ジュンク堂、椅子があるので大好き。どうせ本買うなら椅子があって座り読みできるジュンク堂で買いますからね。何か1冊は買うから、3冊くらいは座り読みで済ませてしまっても許してね。
 『KAGEROU』
 ジュンク堂3階窓際の椅子でほんと1時間もせずに読み終わりました。従来の本作りだったら、受賞作品に受賞後第1作を合わせて一冊にするくらいの分量ですが、とにかく話題性があるうちに刊行し、たちまち100万部を売ったのは、蜉蝣長者の狙いに読者たちもマンマとはまったわけで、、、、。

 みんな、この作品を批判したくてウズウズしながら刊行を待っていた。なんとなれば、芥川賞とか他の「オスミツキ」受賞作品と異なり、いくらでもケナすことが許されそうな作品だったから。芥川賞受賞に疑問を抱かせるような作品であったとしても、老舗文春を敵に回したら、自分の首を絞める結果になるかも知れず、その点、ポプラ社は創立以来児童向けの本で稼いできて、大人向け文芸路線に転じたのここ5年ほどにすぎないので、ポプラ社に恩義ある作家も少ないし、作者は研音プロを退社したあと、大手芸能プロダクションの後ろ盾もない。大作家と弟子関係にあるわけでもない。庇護者のいないモノカキに対してならケナシ放題という日本の文学風土。

 私はイケメンのすることなら何でも許容するという太っ腹な女でして。草薙某が公園で全裸になってもたちまち許すし、押尾某の事件も「イケメンのやったことだし」と思っていたら、裁判が進むごとに容貌が衰えていく写真になってきて、もうイケメンじゃなくなったから、有罪も可。私のように顔で決める女がいるかもしれないのに、これでいいのか裁判員制度。

 総合して感想を述べるならば、作品『KAGEROU』の最も重要な作品価値は、「イケメン俳優が書いた」ということです。
 水嶋ヒロほどのカオを持たないブンガクセイネンがこれをマネして書いたところで、文学賞一次通過はおぼつかないので、マネしようなんて気は起こさないこと。マネするなら、サッカーで全国大会出場とか、仮面ライダーオーディションに合格するのを目指した方がまだ可能性がある。

 以下、年末年始読書記録シリーズ1~10のうち、1~4をKAGEROUにあてるというのも、いささか時流に乗ってのことですが、結論を先にだしておけば、話題性「☆☆☆☆☆」、ストーリー展開「☆☆」、文体、レトリック「☆」。話のタネに読むのはよいが、文学性を求めて読めばがっかりする。つまり、「旬の話題に乗り遅れないために読む」というのが正しいKAGEROU消費法です。

(評価基準「☆☆☆☆☆」を「一食分抜いてもこの本を購入する費用に充てるべし。この本が本棚にある人と友達になりたい」、「☆☆☆☆」よい本です。文庫になったら是非読みましょう。「☆☆☆」百円本コーナーにあったら、または図書館で見かけたら読むのもよし、読んで損はない。「☆☆」ご用とお急ぎでない方は、時間があるときに読むのも可。「☆」何か必要があるなら、読んでみればいいさ。というところです。

<つづく>
07:22 コメント(1) ページのトップへ
2011年01月06日


ぽかぽか春庭「イケメンブンガク」
2011/01/06
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(2)イケメンブンガク

 容貌の衰えが顕著な、「MADA俳優」に対して、ミリオンセラー新進作家のほうは、俳優業ホサレ中といえども病弱妻にやさしくお仕えする「メイちゃんの執事」のごとき献身ぶりは、バトラー募集中女子の心を捉えて離さず。
 なにしろヒロ様は、帰国子女にして高校ではサッカーレギュラー選手として第81回全国大会準決勝進出、KO大学在学中にモデルのバイトを始めるとたちまち俳優としても仮面ライダーカブトに抜擢される。恋人が病気治療のため歌手活動を中断するとなるとさっと結婚する。もう、100%イケメン王道行くような経歴。

 作家斎藤智祐先生の悪口を並べるサイトの投稿者なんか、「美しく生まれつかなかったオトコどもの醜い嫉妬吐き競争」にしか見えないのでうっかり悪口も言えないところだが、女子に生まれて良かった点は、「女は、作家のカオでブンガクを読むのである、それがナ~ニカ」と開き直れるところ。

 私が水嶋ヒロ見たのはカブトからじゃなくて2008年の『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』からだったが。あのドラマは中身何にもないお話ですが、ぴちぴちのイケメンがわんさか出ていて、目の保養によろしかったです。おっと、脱線した。イケメンドラマではなく、イケメンブンガクについて述べているのだった。

 立ち読みでも1時間かからずに読めるし、読んでムダになることもないので、「時間の無駄遣いだから読まずともよい」と言う気はない。イケメンのすることにムダはないっっ。

 イケメン作家といえば、なにしろこれまでは島田雅彦が席捲してきた文壇。芥川賞落選つづきで、アンチ文学賞を標榜していたマサヒコ様が2010年下半期より芥川賞選考委員となって、御年も来春には50歳となるのですから、もはや大御所。大ツァーリとして君臨するとして、イケメン作家業界プリンスには27歳のヒロ様を迎えて、業界一新してほしい。顔で読む読者は、2011年も楽しみです。

 『KAGEROU』、ストーリーはまあ、イージーリスニング・ミュージックというのがあるなら、イージーリーディング・ブンガクとでも言おうか。ライトノベルとはまた違う分野で。以下、ネタバレを含む。まだ読んでいない方は、ストーリーが予測される部分を含む感想文ですので、お気をつけください。ただし、ストーリー展開にどきどきしながら読む本でもないので、ネタバレしたからといって作品の価値を上げも下げもしないことは確実である。

 ドナーを登場させてはいるが、この作者は、『私を離さないでNever Let Me Go』や『私の中のあなたMy Sister's Keeper』などの、作品を読んだことがあるのかないのか。読んだあとにこの作品を上梓したのなら、たぶん、作家としての感性はゼロだろうと思う。読んでいないなら、私が作家を育てようとする担当編集者なら、「同じようなキーワード検索でヒットする先行作品はひとわたり読んでみておいたほうがいいよ」と言ってあげるね。

 先行作品などまったく気にせずに一気に処女作を書き上げる天才もいないことはないが、たいていのモノカキは百年に一度出現する天才とは別種の人間である。この天才は、映画で言うならアイルランドの谷あいに百年に一日だけ現われるという伝説の村ブリガドーンみたいなものですから、出会えるのはジーン・ケリーくらいのもので、一般人には出会うさえ難しい。出会える編集者は幸運だ。

 原爆をテーマに小説書くなら『黒い雨』は読んでおいた方がいいし、核実験被害をテーマにシナリオ書くなら『第五福竜丸』くらいは見ておくべきだ。ドナーを主人公にして書くなら、それなりの作品を読んでおいたほうがいいようには思うけれど、私が社命に忠実な担当編集者だったら、社運をかけて、「君は天才だから他の本など読まなくても大丈夫さ」くらい言うかも知れない。何しろ年末ボーナスがでるかでないか、一刻も早く売り出さねばならない。
 「生きていくことの切実さや人間存在の本質」を考える本物の作品を読まなくても書ける天才は百年にひとりなのだから、「哀切かつ峻烈な「命」の物語」を書きたいなら、まず読むところから始めるほうがいいのだけれど。

<つづく>
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2011年01月07日


ぽかぽか春庭「ドナーブンガク」
2011/01/07 
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(3)ドナーブンガク

 『KAGEROU』、日本語作品としてどうかと言われたら、確かにいろいろ欠点はほじくり返せるだろうけれど、日本語についてのどうのこうのは第二作を読んでから言います。
 全日本ドナーレシピエント協会の略称が「全ド協」というところが一番よかった。「ゼンドキョー」という音の響きが、臓器移植にまつわるモロモロのうさんくささをうまく言い表している気がする。

 きのう、2011年1月6日のテレビニュースで、中国で腎臓手術を受けるために1000万円を支払った男性(62)が,民間団体「海外医療臓器移植支援ボランティアセンター(OMTAC=オムタック)」(昨年6月に海外医療情報相談センターに改称)の元代表(67)と、息子の元幹部(34)を詐欺で訴え、警察は大阪府岬町の旧本部や和歌山市内の元代表自宅などの捜索を始めた、と報じていた。臓器移植斡旋団体には、なにやらあやしげなのが多い。国際的に禁止されている臓器売買だが、実は裏ビジネスとしてかなりおおっぴらに金儲けのタネになっているのだ。

 「ゼンドキョー」という音の響き以外で、文中のギャグで笑えたものはなかった。斎藤智裕先生のオヤジギャグについては、東京MXテレビで放映されている「5時に夢中!」2010/12/16で岩井志麻子と中瀬ゆかりが「全編に散りばめられているオヤジギャグ、編集者は社運を賭けて100コくらいあったダジャレを10コくらいまで減らしたのだろう」と言っていたが、いくつ減らしたのかは定かでない。
 笑おうにも笑えないギャグを、主人公の「どうにもショーモナイ」キャラとして提出しているらしいのだけれど。

 最後に「レポート」を付け加えたのはいいと思うけれど、その直前のラストシーンはない方がよかった。このラストシーン、おいおい、これじゃ脳だけは自分のものである仮面ライダーだよ。そうか、ヒロ君は仮面ライダーカブトだもんな、、、、。
 というような不満点は置いといて、いろんな人の読後感で一番納得できたのは、ヒロインの病弱美少女アカネは妻の絢香そのものだという岩井志麻子の談話。

 文学賞メッタ切りの豊崎由美は、「他の文学賞であるなら、一次通過作止まりの作品。人物造形も比喩もケータイ小説よりはマシな程度」と酷評している。
 斎藤智裕が今後も作家として書き続ける気があるのなら、第2作第3作を待ってから評価したい。自作の映画化で主演して俳優業復帰、というラインであるなら、KAGEROU一作でもってブンガクがどうこうと騒ぐこともない。

 私のKAGEROUへの興味は、カズオイシグロの『私を離さないで』とテレビドラマ『流れ星』とのつながりで、臓器移植にありました。
 読む前からレビューがどっと溢れて、臓器移植がストーリーの要であることはわかっていたのですが、ドナー側の哀しみと生の尊厳というなら『私を離さないで』の完成度とは比べようもないし、ドナーとレシピエント関係者の間に生まれる感情の揺らぎにかんするなら『流れ星』の「純愛」ドラマのほうがわかりやすい。

 自殺しようとする者は、ビル飛び降りだとか電車飛び込みしたんじゃ、死体ぐちゃぐちゃになっちゃって、せっかくの高価な臓器がムダになるでしょ、ドーセ死ぬんなら、臓器を人様のために役立てちゃあどうかね、というのは、『流れ星』も『KAGEROU』も出だしはいっしょ。

 年間3万人の自殺者という数字を見て、世のレシピエント達が「ああ、もったいない、どうせ死ぬんなら、その臓器を私にください」と思っているのは本当だろうと思う。そう思って検索してみたら、たちまち以下のサイトがヒットした。自殺したい人に安楽死を約束するかわり、その臓器を提供してもらいたい、という運動をしている人のサイト。
http://www.honshitsu.org/manifesto.html

 2010年(平成22年)7月の第22回参議院議員通常選挙では東京都選挙区から佐野党首が立候補し、3,662票、24人の立候補者中21位で落選。佐野秀光は自分自身が「小児糖尿病による合併症」による臓器移植希望者なのだそうで、「オランダのように、国家が安楽死を認めるべき。安楽死後は臓器を移植希望者に提供させる」「医療は国家事業、医師は全員公務員にすべき」などを主張してます。自分が臓器移植したいから「安楽死と臓器提供」を訴えるというのは、なんてそのものズバリの人でしょう。差し迫っているのですね。「KAGEROU」が映画化されるなら「全ド協」の協会理事長役に推薦したいくらいのうさんくささが立ち上る風貌の政見放送をつい見てしまった。

<つづく>
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2011年01月08日


ぽかぽか春庭「ドナードラマ」
2011/01/08
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(4)ドナードラマ

 『流れ星』は、フジテレビヤングシナリオ大賞の佳作入選『クラゲマリッジ』を原案として、受賞者臼田素子を月9ライターに起用したというので、KAGEROUに匹敵する新人発掘。これから活躍していく新人シナリオライターになっていくでしょう。新人ライターが月9ワンクールで平均14%を取ったのですから、合格ラインです。
 ゆらゆらと揺れるクラゲが画面に出てくるのがよかったし、「くらげには脳はないから、カナシイとか嬉しいという感情はない」と何度も解説されるのも、松田翔太に見とれているオバサンには苦にもならない。

 『流れ星』のほうは、異母妹のためにドナーを確保せんと偽装結婚する兄が竹野内豊。上戸彩は、両親が早世し、ダメ兄貴に負わされた借金返済のために風俗店で働いている。自殺しそうなところを助けられた相手と偽装結婚して、肝臓を半分提供する代わりに借金相当額を出して貰うことにしたイメクラ嬢。
(稲垣吾郎はダメ殿様やダメ兄貴が似合う役者になって、何を演じてもイナガキゴローダイコンから一歩抜け出した。これから先、何を演じてもキムタクダイコンや何を演じてもオダユージダイコンよりもうまくなるかも)。

 ドラマストーリーは、偽装結婚をした、金を支払われるドナーと支払う側のレシピエント家族の間に真の愛情が育つか、ということが主なモチーフですから、生体肝移植の問題点は深く追求されずに終わります。

 『流れ星』は、肝臓提供だけで健康を損なうかもれないというリスク付きで300万。『KAGEROU』は全身提供で2800~3800万。肝臓心臓腎臓肺臓が300万×4,四肢が200万×4、角膜とか皮膚とか残らずつかって、合計3000万ってところかな。最後の脳移植は「ドナー様向けサービス」ってやつらしいが。

 『KAGEROU』には、40歳以上と以下で値段が違うって書かれていたけれど、現実社会では、肺臓や腎臓なら70歳まで提供可能、肝臓心臓になると、ドナーの病歴などによっても異なるが、心臓は50歳以下、膵臓は60歳以下、小腸は60歳以下というおよその目安がある。
 40歳以下と以上で売買価格が異なるというのは、「全ド協」独自の買い取り価格と思えばよいのだろうが、世間相場ってものもあろうが。バイク買い取りのバイク王は値段比較でインチキをしていたことがばれたが、内臓価格も「買い取り価格比較ドットコム」とかが必要になってくるな。
 臓器の値段だけでなく、医療問題に関してきちんと取材されていないので、そのあたりが「中途半端なファンタジー」って言われる部分であろう。

 しかし、話が非現実であることと、小説世界内でのリアルさがないことは同じではない。非現実的といえば、『私を離さないで』のほうが「アリエネー」はずなのに、90年代に時代が設定されている「近過去SF」の、イギリスの片田舎にあるヘールシャム寄宿学校と人間がきっちり構築されている。これが小説っていうもんだろう。

 ひとつひとつ「使命」を果たしていく「提供者」に寄り添う「介護人」と比べてしまうのは酷なことかもしれないが、プロの書き手ならば、ブッカー賞カズオイシグロまで目指して欲しい。5歳でイギリスへ渡ったイシグロに対して、ヒロ君は中学校入学で帰国した。帰国子女の日本社会への違和感など書いてほしい。
 斎藤智裕が作家として育つのかどうか、これは、ポプラ社にきちんとアドバイスできる編集者がいるかどうかにかかわる。文芸モノを長く手がけてきて新人を鍛えることのできる編集者が社内にいるかいないかという社の人材がものをいう部分。願わくは、ポプラ社がヒロ君を使い捨てにしないでちゃんと育ててくれますように。

<つづく>
09:40 コメント(2) ページのトップへ
2011年01月09日


ぽかぽか春庭「買い取り価格比較ドットコム」
2011/01/09
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(5)買い取り価格比較ドットコム

 臓器売買はどの国でも犯罪になるが、現実社会では、インドなどの臓器売買では腎臓ひとつ10万ってこともあるし、中国の死刑囚臓器利用のレシピエントに選ばれるには、党とか軍のエライさんのコネが必要。このあたりの事情は徳山大学の生命倫理学者、粟屋剛の論文が詳しい。
 現実社会では宇和島事件では腎臓提供で300万の報酬が約束されたにもかかわらず、現金30万と150万程度の乗用車という謝礼のみだったため、提供者が訴えて臓器売買が発覚した。ストーリーとしてはゴシップ記者が書く「実録臓器売買」っていう週刊誌記事のほうがよほどブンガクしていたかもしれない。
 
 『KAGEROU』消費方法。
 「世の中の話題についていきたい」「イケメンのすることは全部追っかけをしていたい」という人は1470円出して読んだらいいし、「新人のブンガクは押さえておきたい」という文学賞ファンには、豊崎由美が「他の新人賞なら一次通過どまり」と評しているに対して、ほんとうにその通りであるのかどうか検証したいならば、立ち読みまたは古本になったら読んだらいいとお勧めする。「臓器移植に関心ある人」には、「粟屋剛の論文を読んだ方がいいよ」と言ってやりたい。臓器買い取り価格に関心ある人は、「内臓買い取り値段比較ドットコム」でも立ち上げて下さい。

 『KAGEROU』感想文を書いた感想。
 結果として自分自身のセコさみみっちさいじましさケチくささを全開し、ねたみそねみひがみやっかみ拡大鏡で感想を書きました。
 私は120歳まで生きる気でいるので、そうなったら70歳まではOKという腎臓だって売りモノにはならないし、このままセコくみみっちくいじましく生きていくしかない自分を「哀切かつ峻烈な「命」の物語」!!などに向かわせるのは似合わないということです。

 つまらぬ感想文につきあっていただいたささやかなお礼に、ことばトリビアをひとつ。といっても、古物利用リサイクル。人間の臓器だってリサイクル利用が推奨されている時代なんですから、ことばトリビアのリサイクル利用くらい大目にみようではありませんかあです。
 ドナーという言葉について、クイズを出題したことがありました。覚えている人は「同じネタを何度も使い回す。リサイクルにも限度がある」と顰蹙なさるでしょうけれど、どうせみんな忘れているから、もう一度書きます。

<次のAとBの共通点はなに?>
AもBも話し手が「旦那様」と「ドナー」に、感謝の気持ちを持っていることが共通していることはわかるのですが。ほかに、共通点があります。

A:ダンナ様が印税を稼いできて、私の病気治療費を出してくださった。旦那様ありがとう。
B:ドナーの好意で心臓肝臓肺臓脾臓腎臓骨髄を移植できた。命が助かった。

解答:
 Aの旦那と、Bのドナーは、どちらもサンスクリット語(梵語)のダーナ・パティdāna pati から由来した外来語です。だんな(旦那)は、梵語から中国語に翻訳された語。ドナーは、サンスクリット語を語源とする英語経由の外来語。
 dānaは「お布施」の意味。ダーナパティは「施主(せしゅ)」の意味。
 インドを出発して東に向かったダナーは中国を経由して旦那になり、西に向かったダナーは英語を経由してドナーとして日本語になる。ことばは、ほんとに面白い。

 さて、ドナーをネタにして一稼ぎしたあやかの旦那はこれから先、どうなるのか。俳優も続けて欲しいけれど、作家として、とりあえず第2作目は、第1作の賞味期限が切れないうちに出しておかないとな。
 『KAGEROU』感想文はこれでおしまい。

<つづく>
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2011年01月10日


ぽかぽか春庭「本を読む女」
2011/01/10
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(6)本を読む女

 年末年始読書記録のUP,KAGEROUから始めるのはいかにもはやりもんに乗っかるようで、どうしようかと思ったのだけれど、先に載せて正解でした。なんとなれば、1月9日日曜日の新聞書評に、朝日は「売れてる本」コーナーに佐々木敦が書評を書き、読売は「書評委員ひとり一冊」の欄でロバート・キャンベルが書いていた。1月9日午前0時半にネットアップした春庭は、タッチの差で「後出し」にならずにすんだ。別段私が書評委員様の後出しをしたところで誰も気にはしないが、自分が気分悪い。

 12月発刊直後はネットに悪評がわんさか出回ったけれど、年末に100万部突破ニュースが出たあとは、「これからは絶対みんな誉め出すな」と思っていたら、佐々木敦もキャンベルも「一部で揶揄されているほどヒドくはない、むしろ結構オモシロいんじゃないの」「後半面白くなってきた」と、アゲ方向に向かっているので、やはり売れることは大切だなあと納得。これからどんな「大絶賛書評」が出てきても驚かないぞ。そして、私の「買うな。立ち読みせよ」という「誉めてない感想」の出し頃は、ぎりぎり滑り込みセーフだったかな、と思います。

 世の中に誉めることけなすことは、その提出タイミングというのが問題なんです。世のご亭主たちが「美容院から帰ってきた妻のヘアスタイル変化に気づかない」のは論外として、エレベーターでいっしょになってしまった上司のネクタイの柄をすかさず褒めておくことから始まり、首相褒め殺しに至るまで、とにかく誉め言葉けなしことばは、出し時を考えないと。

 下記のコメント、この揶揄の出し方、誉めてないことを正直に出している素直さは買いますが、言われた本人としては「ご想像の肖像通りでない風貌ですみません」と思います。
=============
投稿者:acha1 2011-01-06 05:15
先生。お早う御座います。先生は、きっと膨大な本を読み、面長で、海老茶色で、「四角い鼈甲のメガネ」を掛けて、眼は、吊り上がって居て、顎は細く伸びている人。
勝手に想像(失礼)あははー
私などは、作家は決めて読むタイプで、その点、世間が狭いかも知れません。
=============-
というコメントをいただきました。なんか女学者風の肖像画にしていただき、文章から想像するとこう見えるのかとと思います。想像の翼は本人の思い通りに広げればよいことなのでして。私が顔を合わせたネット友達は数人しかいないので、ネットの中では「面長で、海老茶色で、四角い鼈甲のメガネを掛けて、眼は、吊り上がって居て、顎は細く伸びている人」という風貌で生きていくのも悪くはない。

 顔会わせてみたら、「まん丸い顔にちっこい垂れ目、丸くて三つ重ねの顎、格安のほそぶちメガネの老眼と近眼をとっかえひっかえ、食うことに精一杯」という実像に「女学者風」を想像して下さった期待を打ち砕くことになるのかもしれないが、親から受け継いだ丸顔なので、文句があったら遺伝子に。

 「先生は、きっと膨大な本を読み、」というご想像にも反し、「女学者」としてはきわめて貧弱な読書量しかない。「膨大な本を読み」という想像通りなら、今頃ちゃんとした学者になっていたでしょう。「膨大な量の本を読んだ」というのは、一度読んだら完璧に頭の中に記憶したという南方熊楠のような学者に対して言うことばであって、読んだら端から忘れていく春庭のぽかぽかおつむにはあたりません。

 林真理子『本を読む女』は作家の母親がモデルなのだという。『本を読む女』を原作としたNHKドラマ『夢見る葡萄』は、原作にない「葡萄酒とのからみ」が中心というし、菊川怜が主人公を演じたゆえ「東大出の美人なんて、天から二物を与えられた女はしゃくの種」というイジマシい根性により見なかったが、主人公が友人に言うことばは、本好きに生まれてしまった女の子のセリフとして、更級日記の昔から不変不偏です。
 「将来、何になりたいのか」と友人に問われて、「本を読む女」は答える。「私、何にもなりたくないよ。一生、小説とか詩の本を読んで暮らしていけたらいいなあと思う」

 私も「一生、小説や詩の本を読んで暮らしていたいだけ」だったのに、稼がない夫と結婚してしまったばかりに飯を食う金も必要となり、稼ぐためには本を読む時間は限られてしまう生活を続けて、あこがれの「膨大な本を読み続ける」生活にはほど遠かった。

 年末年始読書記録を続けます。

<つづく>


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2011年01月11日


ぽかぽか春庭「復活!お楽しみ読書」
2011/01/11
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(7)復活!お楽しみ読書

 私が読んだ専門書は千冊に届かず、私の修士時代の指導教官からは、「専門書を千冊しか読んでいないような奴は修士論文を書くな」と言われました。昔「鬼の○○」とあだ名されていた修士のときの指導教官だったら、私が博士論文を書くなんて言ったら、たぶん「百年早い」と笑い飛ばしたでしょう。

 私は修士のときの専門である日本語学から離れて、「言語文化研究」として博士論文を執筆したので、別分野です。カルチュラルスタディの一分野としての言語文化研究。博士後期課程の指導教官は、「自分なりの言語文化追求で十分」と励ましてくれましたので、なんとか書き終えることができました。日本語学関連の書籍のみなら千冊には届かなかったと思いますが、言語文化全般の書籍と数えるなら読んだ本全部が相当しますから、数千冊は読了していることになります。

 2008年の4月から2010年の終わりまで、読書記録をつける余裕もなかった。その代わり、参照書籍名は必需記録として論文末尾に付けるのが義務だから、引用言及した本だけで200冊ほどを記録してあります。
 ご用とお急ぎでない方、引用文献一覧はこちらに。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/userbbs.cgi?ppid=haruniwa&mode=comment&art_no=1202915

 2010年11月12月に何冊かの小説を読むゆとりができましたが、ほんとうに久しぶりの「お楽しみ読書」でした。久しぶりに小説を読んで、本を読む楽しみを存分に味わえる幸福をかみしめました。この3年間は、ひたすら日本語学日本言語文化に関わる本を読み返したり新しく読んだりするのに時間をさき、「お楽しみ乱読」を封印していたのです。読みたい小説を読み始めたらきりがなくなり、専門書など読むのは後回しにしてしまう私の「一粒食べたら一袋食べ終わるまでやめられない」意志薄弱を自分で知っての措置でした。

 1985年から25年の間、日本語学の文献を読むのに時間がとられました。私は言語学日本語学を専門にするつもりはなく、いわば、大工が仕事するためには鉋の手入れおこたらず、漁師は網の繕いを夜なべにする、という類の、職業上の必須事項としての作業でした。お楽しみ読書は、電車通勤の往復2~3時間と、寝る前の数分。だいたい数分で寝てしまうので、寝る前の読書というのはあまり読書にはつかえない。ほんとうは1時間でも2時間でも「お楽しみ読書」の時間が欲しかった。25年間のうちにずいぶんと日本語関連の本ばかり読み、特にこの3年間は論文執筆のための本を読むのであけくれてしまいました。

 1977年まで、乱読、読みっぱなしだった私が、友人のすすめにより1977年から読了本のタイトルと著者名だけはノートにメモを残すようにしました。1999年までは大学ノートに書き付けていました。22年間の読書記録がとってあります。
 2000年から2008年までの「読了本リスト」は、全部ではないですが、ネット上に記録を残しました。
2000~2008読書メモ
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/book0506.htm
2003年の感想文メモ
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0412book.htm

 2009年の中国赴任中に読んだ本、小説は、講師室の本棚にあった森見登美彦『太陽の塔』のほかは思い出せない。ちゃんとタイトルくらいは書かなくちゃと思うのだけれど、「あとで」と思っているうちに忘れてしまう。タイトルなどを忘れてしまうのは、印象が薄い本だったのだから、まあ忘れたら忘れたでいいや、と思うのだけれど。

 2010年にお楽しみ読書としてどんな本を読んだのか、もう何を読んだのかあやふやです。2010年の前半に楽しみのために読んだ本、覚えているのは、村上春樹『海辺のカフカ』くらいかな。(早く『1Q84』が古本で出回らないかな。村上春樹は売れるので、なかなか百円本には見当たらない)
 年末年始に読んだ本はまだ覚えているので書き留めておきましょう。

 再読した本。村上春樹『カンガルー日和』。「図書館奇譚」を引用する必要があって、私はどのバージョンでこの短編を読んだのかと確認するつもりで本棚から抜き出して結局一冊読んでしまった。初期ハルキワールドはなかなか居心地がいい。

 リービ英雄『千々に砕けて』、楊逸『時の滲む朝』について、のちほど「越境J文学シリーズ」として論じてみたいと思います。

<つづく>
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2011年01月12日


ぽかぽか春庭「<少女>を読む」
2011/01/12
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(8)<少女>を読む

 2010年11月12月、お楽しみ読書タイムの防備録。まずは「少女」をキーワードとして。
 明治時代の社会文化について、2010年に読んだ渡部周子『<少女>像の誕生』。昔読んだ平田由美『女性表現の明治』の系列の明治文学史明治文化論として秀逸な内容の本でした。博士論文を書籍化したもので、第23回女性史青山なを賞受賞作です。

 講師室で顔を合わせている若い研究者、周子先生。若桑みどりの弟子だというので、「じゃ、そのうち御著書を読ませていただきますので」と言ったら、「あ、ロッカーの中に販売用の本が一冊入ってますから、買って下さい」というので、直接著者から購入することになりました。「貧乏なので3000円以上の本は古本屋で半額になってから買います」と言う前に、彼女はロッカーから本を出してきたので、著者割引値段で売ってもらいました。若手研究者の意気込みがあふれる内容で、力作でした。「ポストドクターで、非常勤講師の口も少ない」とぼやいていましたが、よい職場がみつかるよう、祈っています。

 荻原規子作『西の善き魔女ⅠⅡ合巻』(ブックオフ100円本コーナーで購入)は、ファンタジー小説が好きな私にとっては、たっぷりファンタジーにひたれる作品でした。
 辺境に育った少女が、実は失踪していた王女の娘。次期女王の選定争いに巻き込まれて、、、、ファンタジーの定番通りの設定で、いわゆる「ベタな展開」がされているストーリーです。このベタな設定を嫌う人には不評なようですが、これだけ定石通りのストーリー設定で、定石通りのキャラ設定でも読者を飽きさせない荻原規子さん、私はすごいと思います。

 私が読んだ合巻版は、学園ストーリーの終わりまでだったので、全巻読みたかったのですが、残りを古本の百円本で揃えられるかどうかわからないので、続きはyoutubeのアニメで終わりまで見ました。アニメはさらにわかりやすいストーリーに編集されていて、おもしろかった。アニメはスペイン語圏からUPされている海賊版とおぼしきバージョンです。字幕がついていますから、スペイン語学習中の人にはぴったりの教材になるかも。

 角田光代『ひそやかな花園』(某私大講師室の「ご自由にお持ち帰り下さい」コーナーにあった。新本だったので、おそらく誰かが献本されたものの、読む気もなく廃棄したのだと思う)。
 カズオ・イシグロ『私を離さないで』(ブックオフの百円コーナー)。映画化されたので2011年の公開を待っていたのだけれど、百円コーナーで出会ったのも縁だと思って買いました。『ひそやかな花園』と『私を離さないで』は、「少女と少年の成長、自我意識と通常の両親から出生したのではない出自とのかかわり」という点が共通しています。いっしょに論じてみたい内容を持っています。

 佐野洋子が2010年11月に亡くなったので、文庫をぎゅうぎゅう詰めてある押し入れの奥から『わたしが妹だったとき』を引っ張り出す。「文庫なんて百円でいくらでも買えるんだから、処分すれば」と言われても、古服は捨てられるけれど古本はとっておきたい。自分が「読みたい」と思った10分後には読める気楽さは捨てがたい。10分間何をしなければならないかと言えば、押し入れの箱を引っかき回して目当ての文庫を探す時間である。それでも図書館へ行く手間とか、ネット図書館に注文して翌日の配達を待つ間を考えれば、10分間のモノ探しで済むのだから、捨てられない。

 『わたしが妹だったとき』、1983年、新美南吉児童文学章受賞作品。タイトルが過去形であることからも推測されるように、主人公は、この本に描かれた時代より少し後には「妹」ではなくなってしまいます。扉にはのとびらに「十一才のままの兄のために」と書かれています。私は福武文庫版で読み、エッセイ「こども」が併録され、文庫版用あとがきがついています。

 おにいちゃんとすごした北京での思い出は、かけがえのない宝物のような日々であり、私たちにもそのかけがえのなさ、子供心の光と悲しい時間のすばらしさがひしひしと伝わってくる。満鉄職員の子供として、近隣の中国人の子供に比べれば恵まれた生活をしているけれど、小学校入学前の幼い女の子の視線を通して語られる1940年代初頭の北京の情景は、猥雑さとエネルギーと摩訶不思議に満ちていて、やがて別れの日がくるお兄ちゃんと妹は、ごっこ遊びや同じ夢を見た驚きの中にひそやかな「子供の哀しみ」を滲ませながら日々を生きています。
 <少女>よりはもっと幼い幼女のお話ですけれど、佐野洋子の他のエッセイの軽妙で人間くさい味わいともまた違い、『百万回生きた猫』ともまた違う、本に浸る喜びを味あわせてくれる一冊です。

<つづく>
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2011年01月13日


ぽかぽか春庭「時空を越える旅」
2011/01/13
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた!>年末年始読書記録(9)時空を越える旅

 年末年始の読書ノートつづき。
 丸谷才一『輝く日の宮』朝日賞・泉鏡花賞受賞作、単行本をブックオフ百円で購入。前作『女ざかり』の主人公、新聞社の論説委員が、「お友達にはなりたくない女」だったので、今回はもちっと友達づきあいしたくなる女性がヒロインであることを期待したのだけれど、やっぱり友達にもなりたくないし、同僚だったら「朝晩の挨拶だけ」にしておきたい人、でした。

 『奥の細道』義経御霊信仰説や『源氏物語』には「輝く日の宮の巻」が実在していた説は面白かったけれど、これはこのままでは実証できず学説にはなれない説だから、無理矢理小説仕立てで論を立ててみました、みたいな小説でした。ヒロインが、女性としてあまりにも魅力がなかった。丸谷才一の描く「知的美人」というのはかなり画一的。オトコに都合のいい女のような。
 丸谷才一の文学蘊蓄はエッセイなら大好きで、いつも面白く読むのだけれど、「輝く日の宮」実在説は、大野晋との対談「光る源氏の物語」で終わらせた方がよかったと思う。

 向田邦子『夜中の薔薇』。何度目に読むのかは忘れた。毎度おもしろい。毎回「うまいなあ」とその文章術に感嘆する。

 海外と日本の交流というのも、私の仕事に関わることなので、ツンドク本が山積みになっています。2010年2月の漏水事故、読まないまま廃棄した本もずいぶんありました。助かった本は少しずつでも「積んだまま」を解消してやらないと、読まれないまま捨てられる本は、本好きにとっては心痛むことです。

 『ミカドの外交儀礼』は2007年発行の朝日選書。著者中山和芳は文化人類学者。女官たちの手によってお歯黒を染め化粧をほどこされた姿で最初の外交儀礼に臨んだ少年ムツヒト。践祚したとき満年齢でいうと14歳だった少年天皇が、文明開化の体現者となって新しい時代へ開かれていく過程が、外交儀礼という面から描かれています。幕末明治に日本に来た外国人の書き残した記録の中に、彼らの見た明治時代が活写されていました。

 『ミカドの外交儀礼』は、天皇が外交団と接見したときの服装や言葉、料理などから明治文化を詳述しています。外形は洋風にしても、内廷はできる限り伝来のしきたりを保守していたかった明治帝に対して、美子(はるこ)皇后は積極的に内廷改革も行おうとしたこと、女子教育推進に積極的だったことなども書かれていました。

  澁谷由里『馬賊で見る「満州」』2004は、張作霖研究の学術書。博士論文の出版ですが、一般の人も読める内容に編集されています。2009年に張作霖張学良親子の住居兼政庁だった「張氏師府」を見学したというだけの門外漢で、満州に興味を持っているというだけの私にも面白く読めました。

 中野美代子は、中国と日本の間を結ぶ「西遊記」研究者。小説の佳作も多い。
 地上のトポスを悠々と自在に行き来した小説『眠る石』1997を、年末の電車の行きと帰り90分の読書として楽しんみました。仕事先への片道90分往復180分で1冊読了してしまったのが、もったいないような短編集。

 この本、1997年にハルキ文庫になったときに新刊で買って、以来13年間もツンドクにしておいた。2010年12月の朝、電車の中で読む本がかばんの中に入っていないのに気づいて、文庫ツンドク棚からひょいと手頃な「まだ読んだ記憶がない文庫」をかばんの中に放り込んだのです。
 『孫悟空の誕生―サルの民話学と「西遊記」』などを読んできた中野美代子がこれほど小説でも味わい深い作品を発表していたこと、13年もツンドクしておいたけれど、読めてよかった。

 中野美代子は北海道大学を定年退職後、私立大学からあまたの再就職の申し出があったろうに、現在は執筆活動に専念しています。『眠る石』は定年前の1993年に単行本として出版された小説。2009年には『ザナドゥーへの道』を出版するなど、77歳になっても旺盛な活動を見せている。中国文学中国文化についての本も、2009年に講談社選書メチエから『西遊記XYZ このへんな小説の迷路をあるく』を出しているので、読んでみようと思います。

 「テラ・インコグニタ、未知の土地を経巡ることが大好き」という性分は、子供の頃から少しも変わらず、今も未知の土地への飛翔を夢見ています。
 本は、時間と空間を飛び越える旅に誘ってくれます。自由に本を読む時間がとれるようになってうれしいです。

<おわり>
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新春コンサート2011年1月

2010-10-05 07:43:00 | 日記
2011/01/14
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年1月(1)新春コンサート

 忘れ物名人の私。去年はクレジットカードつきのスイカをチャージして、領収書だけもらってきてカードを駅の券売機に忘れて置いてきてしまった。忘れ物引換所に取りにいって、往復の電車賃が余計にかかったほかに実害がなかったのでほっとしました。
 今年最初のポカは、実に情けない仕事上の大失敗。人様にとても言えません。今年2番目のポカは、実費2000円の余計な支出となりました。

 ミサイルママほかジャズダンスサークルのメンバーのうちの3人は、合唱団にも所属して歌をうたっています。みらい文化財団主催の新春コンサートに合唱団が出演するので聞きにきてね、とミサイルママに言われ、チケットを友の会値段で買って貰いました。チケットを受け取ったことなどコロリと忘れていました。

 1月9日、土曜日、コンサート会場へ行き、受付の「お取り置き入場券」の係の人に、ミサイルママの名を言い「当日支払いでチケットを取り置いてもらったと思うのですが」と尋ねてみたが「そのお名前では承っておりません」と言われた。仕方がないので、当日券を買って会場に入ったのですが、当日券のB席ですから、3階の上のほう。

 左側の階段をどんどん降りて行って、空いている席に座っていようと思いました。万が一「ここは私の席です」という人が現れたら、後方の自分の席に戻ればいいや、と思って前へ行くと、サークルの仲間が座っていました。「あなたは、私の隣の席のチケットを渡されていたはずよ」と言われました。「もう、去年のうちにチケットを受け取ったでしょう」とのこと。チケットを受け取ったことなど、すっかり忘れていました。家の中かカバンの中のどこかに、受け取ったチケットが眠っているはず。
 
 チケットを二重に買ってしまったことは「こいつは春からうっかりだぜ」という結果になりましたが、コンサートは楽しかったです。
 第一部の前半は、合唱団中心のナンバーで、歓喜の歌、アメイジンググレイス、さくらさくら、サライなど。後半はミュージカル女優の新妻聖子の歌で、虹の彼方に、翼をください、アンダンテ、タイムトゥセイグッバイなど。アンダンテは新妻聖子作詞、実姉の新妻由佳子作曲だそうで、会場には新妻さんのお母さんが聞きに来ていました。新妻聖子主演の映画『アンダンテ稲の旋律』も、ギンレイホールにかかったら見たいです。

 第2部前半は、日本舞踊とオーケストラのコラボレーションという新しい試み。さくらさくら、越後獅子、春の海が、琴や三味線、太鼓という和楽器とオーケストラの競演によって演奏され、花柳千代振り付けの日本舞踊が披露されました。さくらさくらは、二期会所属の歌手が日本舞踊特訓を受けて、オペラ歌手が歌いながら踊るという、「ほかでは見られない新春お年玉」の企画でした。

 越後獅子を踊ったのは3人の中学生の女の子。中でも、鈴木菜沙さんは、検索すると昨年の豊島区中学校陸上競技会では、千歳橋中学校の選手として100メートルを13,6秒で2位に入賞したこともあり、小学校のときは豊島区の水泳大会の記録にもその名が見つかるというスポーツ万能少女らしい。(豊島区在住の鈴木菜沙という同姓同名の中学生がいるのでなければ)かわいらしい顔立ちとナーシャという名前からすると、両親のどちらかは外国の方のようにお見受けしました。このような美少女がどのように成長していくのか、ご両親や周囲の指導者は楽しみなことでしょう。

 第2部後半はオペラナンバー。ソプラノ市川倫子、テノール井ノ上了吏の出演で、歌に生き恋に生き、メリーウィドウの曲など、聞きました。井ノ上了吏の「誰も寝てはならぬ」もとてもよかったです。

 前夜、ミサイルママからのリマインドメールが来ていて、いつも司会を兼ねて大活躍の指揮者坂本和彦先生は白髪染めアレルギーの蕁麻疹が出て、たいへんな身体状況だったというのですが、お客さんにはそんなそぶりは少しも見せず、軽妙な話術で楽しませてくれました。

 坂本さんのトークのなかで、20年ほど前にパバロッティが武道館でコンサートをしたときの1日の出演料は3億円だった、という話がおもしろかった。このコンサートで何曲歌ったのかはわかりませんけれど、それにしても一日に3億円稼ぐって、すごいよね。
 私など、「誰も寝てはならぬ」というトスカアリアの歌声ききながら、徹夜で稼いだところで、雀の涙。なんてね。オペラ聞いてもどうしても感想が下世話になってしまう春庭でした。え~ん、チケットしまい忘れて2度買いした2000円、惜しいよう。

<つづく>
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2011年01月15日


ぽかぽか春庭「デジタル化ご年始」
2011/01/15 
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年新春(2)デジタル化ご年始

 正月三が日を年始まわりに費やす人もおいででしょうが、春庭は三が日はひきこもり、成人式3連休になってようやく姑のところへ年始に向かいました。途中、駅では何人か着物姿を見かけました。
 「もう七草すぎちゃったから、お節料理はないのよ」と言いながら、お茶を入れる姑。姑自慢の山形米沢の郷土料理「小豆カボチャ」、ひじきの煮付け、黒豆など、テーブルに並んでいます。

 ひとわたりごちそうになったあと、「さあ、お寿司屋へいきましょう」と姑が言います。娘と息子は「ここに並んでいる料理がお昼ご飯だと思って、おいしいからいっぱい食べちゃったよ。これはお昼ご飯じゃなかったの?」「これは、お茶菓子がわり」と姑。いつも大食いの娘も「もう、お寿司屋へ行く気分じゃないから、このあとお雑煮食べて終わりにしよう」といい、お雑煮作って食べました。

 今回の訪問目的は、姑のテレビの買い換えです。
 駅から歩いて10分くらいのところに、ヤマダ電機ができたので、そこへ娘むすこと姑が行き、私は留守番。娘と息子はいろいろなテレビを見比べて、電話してきました。おばあちゃんが「これにしようか」と言う40型のは、今テレビがあるコーナーにおさまるかと聞くので、私はメジャーで、今あるテレビの大きさや棚の高さをを測って伝えました。大きさから計算して、32型になりました。3D対応とかいろいろな機能が売りのさまざまなテレビが並んでいる中、いちばんシンプルなのに決めた、と帰ってきました。アンテナ工事は16日に決まりました。

 以前に比べればテレビが安くなっているとはいえ、アンテナ工事も必要で、年金暮らしのお年寄り達にはずいぶんと物入りな「デジタル化」だと思います。姑は「年金おろしてきた」と言っていましたが、テレビが生き甲斐の世のお年寄りたち、みんなが皆、年金で十分な暮らしができていてデジタルテレビ買い換えにもさっさとできる人ばかりではないと思うのに、ついてきたエコポイントでもらえるのは、せいぜい「米10キロ」ほど。
 
 姑もテレビ大好きですけれど、ビデオ録画とかもろもろの家電機器は使いこなせず、もっぱら生視聴です。そのため、1月10日放映のプロフェッショナル「夢の医療ここまできた」の、iPS細胞の話をぜったいに見逃したくないから、10日は昼寝をして、夜のテレビに備えるのだと張り切っていました。
 昔から健康おたくで、カスピ海ヨーグルト、桑の葉健康茶など、なんでも健康によいと言われたものを試してきました。姑の健康マイブームは2~3年は続きます。窓の前には「玉ねぎ皮茶」にするらしい玉ねぎの皮が干してあります。玉ねぎ皮茶はだいぶ続いています。健康情報番組も大好きです。
 
iPS細胞にも興味しんしんで、「心臓とか腎臓も人工で作れるっていうから、この先、人造人間も作れるんじゃないの」と、姑。
 理論的には男性体細胞から卵子を作り、女性体細胞から精子を作るのも可能となる。不妊治療に応用できるだけでなく、同性愛者同士による子の誕生も可能になる。従来「子をなすことが神の決めた結婚の意義だから、同性愛は神の意志に反する」と言われてきたことも、「同性愛の結婚でも子を作れる」ということになり、宗教や社会倫理にとっても大きな問題を含む。カズオイシグロの『私を離さないで』も、この「神の御技」と人間の心と社会を問う内容を含んでいました。iPS細胞。姑が興味津々なのは、「医療問題」であるけれど、私はその先の「神の御技への挑戦」に人間倫理はどのように対応していくのかに興味津々です。

<つづく>
10:34 コメント(3) ページのトップへ
2011年01月16日


ぽかぽか春庭「眠れる森の迷子たち」
2011/01/16 
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年新春(3)眠れる森の迷子たち

 15日土曜日、みなとミュージカルカンパニー公演『眠れる森の迷子たち』を観劇しました。私の所属しているジャズダンスサークルのメンバーのひとり、イクちゃんがこのミュージカルカンパニーの一員としてミュージカル公演に出演するからです。

 みなとミュージカルカンパニーは、社会人演劇団体のひとつ、勤労者ミュージカルサークルです。
港区の文化活動“区民ミュージカル公演”のために、港区在住・在勤・在学者を中心として公募により結成されたときのメンバーを中心にカンパニーを設立して活動しています。現在まで5回の主催公演を行ったほか、港区民祭りなどで活躍しています。 私は『カラフル』や『グスコーブドリの伝記』などをみており、ダンスサークルの仲間が歌や演技でもがんばっている姿を見てきました。

 今回、イクちゃんの役は「鏡」ということだったので、どんなお話なのかなあとおもいながら、楽しみにしていました。
 編集の仕事をしている女性が、おとぎの国に迷いこんで、ヘンゼルとグレーテル、ねむり姫などに出会い、「真実の鏡」を探す物語。忘れてしまった自分の名前を思い出さないとおとぎの国から現実世界へ戻ることができない。自分の名前を知るためには「真実の鏡」に自分を映して、鏡に自分の名を答えてもらわなければならない。しかし、鏡は魔女リアルの手に渡ってしまっており、おとぎの国は大混乱のさなか。

 主役を演じている女性が書いたオリジナル脚本、歌は4人の作曲家が作ったオリジナルの15曲。みなとミュージカルカンパニーの歌唱指導をしている山田充人さんがヘンゼルとグレーテルの父親役で特別出演していました。歌のうまさの点ではプロのオペラ歌手ミュージカル歌手である山田さんは、他の「勤労者ミュージカル歌手」とは別格の感じがしました。素人が一生懸命歌って演技しているんだから、楽しく見て拍手を送る、それでいいのだろうと思うのですが、プロが一人加わったことで、プロとアマチュアの差が歴然としたのも事実。

 お話はわかりやすく子供にも楽しめるものになっていました。歌はプロとは差のあるできだし、演技に関してきついことをいうなら、高校演劇祭の上位入賞校などの演技のほうが上手だと思うけれど、皆でいっしょに手作りで舞台を作り上げていく楽しさを全員で盛り上げているようすがわかる舞台でした。

2010年10月に港区区民祭りに出演して、『眠りの森の迷子たち』のオープニングナンバーを披露したときの映像。このときよりはずっと歌はうまくなっていました。
http://www.youtube.com/watch?v=QWQRrZaJHfA

山田充人さんはこんな歌声(ミュージカル美女と野獣より)
http://www.youtube.com/watch?v=Q_z5mlmbQXI

 「もうちょっと声の出し方をどうにかしてほしかったけれど、、、」と、隣の席で見ていたK子さんと観劇後のおしゃべりをしました。定年退職後の趣味のひとつを「演劇」にしていて、友人のプロデュース公演のお手伝いなどもこなしてきたK子さん、演劇に関しては見巧者です。「最近の演劇の発声は、昔のように地声で大ホールの3階まで届かせるような発声訓練はさせていないで、性能がよくなったマイクに頼っているから、素人がマイク使ったって悪くはないけれどね。人の声がこれほど魅力的なものなのだ、ということをたっぷり味わうには、オペラ見に行くしかないんだけれど、オペラは高くて、年金暮らしだとそうそうはチケット買えない」と、K子さん。

 公務員共済の年金でも、優雅な老後というわけにはいかないのだとしたら、国民年金しかない私など、オペラどころか腹減って声も出ない老後しかないであろうと、なにやら話は愚痴に陥っていきそうな模様となって、コージーコーナーでのおしゃべりもお開きに。

 『眠れる森の迷子たち』のテーマソング、♪明けない夜はない、必ず朝は来る♪と歌い上げて幕となりましたが、私の老後、10月~3月は北極の冬の夜、4月~9月は南極の夜となりそうです。明けない夜が続きそう、、、、と、ひたすら夜明け無しデススパイラルになっていくのを、なんとか食い止めなければ。

<つづく>
01:04 コメント(2) ページのトップへ
2011年01月18日


ぽかぽか春庭「卒論口頭試問」
2011/01/18 
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>2011年新春(4)卒論口頭試問

 1月15、16日はセンター試験でした。いつも試験の時は天気が悪くて、受験生を持つ家族をはらはらさせます。4年前、2007年の冬はどうだったかしら。天気のことより息子がセンター試験を受ける気になるのかどうかのほうが心配でしたから、天気のことはまったく覚えていません。

 わが家の息子、「センター試験3科目のみで合否判断をする入試方式がある私立」を受験校に選びました。志望条件は「都内23区にある大学のうち、家からできるだけ近いところ、史学が学べること」でした。
 息子は「たとえ合格しても、入学するかしないかは自分で決める。合格しても入学しないというとき、ごちゃごちゃ言わないこと」と宣言しており、私は息子の合格の知らせを受けたのみで、入学する気になったのかどうかわからないまま、2007年3月には中国へ単身赴任で出かけてしまいました。4月、娘がケータイメールで入学式の写真を添付してくれたとき、ほんとうにほっとしました。

 息子は、合格した2校のうち家から近いほうを選んで4年間自転車通学、明後日の卒論口頭試問を終えれば、4年間の学業が完了です。センター試験に送り出した頃を思い出すと感無量です。
 16歳の夏に「高校卒業資格認定試験」に合格したあと高校を退学。ずっとひきこもり生活をしていて、センター試験も受験する気になるのかどうかわからないままでした。受験勉強どころか、毎日ゲーム漬け生活を送っていた息子が、合格したあとは風邪で数日休んだほかは精勤賞ものでした。各教科も「秀」「優」の成績で学業を成就し、大学卒業までこぎ着けたのですから、よく頑張ったと思います。

 息子、12月13日に指導教官に卒論を提出しなければならないというので、11日土曜日、12日日曜日、2日間不眠不休で仕上げをしていました。13日、ギリギリに提出。
 11月に学内進学面接に合格して進学が決まっていたので、卒論が仕上がらず提出できなければ、卒業できず進学もできないことになるので、ハラハラしてしまいました。
 「もっと早く仕上げておけば、最後の最後にバタバタ慌てなくてもいいのに」と言いたいところですが、10月末には私も同じ状態だったので、「親子だね」としか言いようがありません。

 息子は、ぼうっとしていてよくものを落としたり忘れたりするところや、人付き合いが苦手なところなどは私に似たのですが、妙に生真面目で手抜きが出来ないところは、誰に似てしまったのやら。うまくごまかして適当に端折るとか、要領よく手際よくものごとを処理できない。
 私は、横断歩道の前後左右を見て車が見えなければ、「急に車が飛び出してきて、ひかれたら自己責任」と言いながら赤信号でも渡ってしまうのに、息子は絶対に青信号になるまで待つタイプ。

 卒論執筆も「そこまで丁寧に史料にあたって、ことこまかに執筆しなくても、大学卒論ってのは、提出することに意味があるんだから、規定の枚数足りていればいいんだよ」と言ってきかせても、本人が納得するまで記述を続け、緻密な論を仕上げました。

 大学院は奨学金などでまかなう予定ですが、奨学金は返済しなければならず、院を修了したところで、昨今のオーバードクターの時代、文化系の博士号所得者には就職口も皆無という状況ですから、先行きは真っ暗です。それでも、息子は「ずっと研究を続けていきたい」という希望を持っているので、親としては応援していきたいと思っています。
 というか、人と如才なく関わっていくことができない子なので、フツーの就職はできそうにない。一番似合っているのは、どこか寂れた博物館や資料館などに勤めて、地下のカビ臭い書庫で古文書をこつこつと読み解いていくような一生が過ごせたらいいのでしょうけれど、そううまくはいかないでしょうし。

 生涯、一非常勤講師ですごした母の生活を見て来たので、研究など続けても貧乏暮らしが続くだけだという現実はよくわかっている。それでもそういう人生を選択しようとしているのだから、おそらく一生貧乏からは抜け出せないでしょう。本人が「食費をなんとかする分と中古ゲームを買う程度、最低限は稼ぐつもりだけれど、そのほかは、服も車もいらない。本とCDは図書館で借りる。結婚する気もない」と覚悟を決めているのだから、まあ、そういうふうに暮らしていくでしょうし、最後は野たれ死にであったとしても、それは「自己責任」というところです。横断歩道では青信号になるまで待つ子ですが、人生でこぼこ道では赤信号でも突き進む。

 執筆中はいっさい原稿を見せなかった息子、12月15日の提出が済んだあと、ようやく18日になって簡易製本の卒論予備を見せてくれました。読んでみるとなかなかの力作で、親馬鹿の目から見るといっぱしの「戦国期織田政権行政研究」に思えます。

 3月には、息子と私、いっしょに卒業祝いをしたいです。息子が大学卒業したら、私も「母業卒業」のつもりです。といっても、まだまだ一人前にはなれない息子なので、「母卒業」したつもりの母の脛が、いつまで囓られることやら。
 この先もずっと、そして親子代々貧乏暮らしから抜け出せそうにありません。

<おわり>
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貧乏語り1 2011年1月

2010-10-03 09:08:00 | 日記
2011/01/22
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>貧乏語り(1)ガチャポン

 ジャズダンスの新年初練習から帰ってきたら、テレビを見ていた娘が涙ぐんでいました。なにを見ているのかと画面を覗くと、アメトーークという娘が深夜帯でよく見ているお笑いトークの新年スペシャル版。「売れてないのに子供がいる芸人トーク」でした。

 売れてない芸人たち、まだ収入がありません。貧乏暮らしの中、どんなふうに子供と過ごしてきたかをおもしろおかしく語り、皆笑いこけている。イマドキ、そんな貧乏は誰も身に染みていないから、「ウソやろ」という感じで笑えるのです。
 娘は芸人が語る貧乏話に「私、保育園の頃の貧乏暮らしを思い出しちゃって、あの頃の自分がかわいそうで、話聞いているうちに身につまされて、泣けてきた」と言って、はんかちを目にあてている。

 200円のガチャポンを欲しがる子供にがまんをさせた、と芸人が語る話に泣けたのだという。ガチャポンとかガチャガチャは、100円とか200円を投入すると、おもちゃやカード入りのプラスチックのケースが出てくるゲーム。目当てのものを出すため、子供達はコインを入れ続けます。
 わが家、娘が保育園のころは貧乏のどん底で、欲しいモノが出てくるまでコインを投入するようなことはさせられなかった。だから、「欲しいモノはサンタさんに頼もうよ。ガチャポンはがまんね」と、買ってやれなかった。娘にしてみると、その場ででるかでないかドキドキしながらコインを入れるそのスリルを味わいたいのだった。でも、欲しくないものがでたときのがっかりを解消してやれないわが家では、「コインをいれるのは1回だけ」と限定でガチャポンをさせるか、がまんさせるほうを選ぶしかない。

 保育園のとき、プラスチック製の編み目仕立てになっている靴が女の子の間に大流行したことがあった。「あのとき、私はどうしても編み目の靴が欲しかったのに、お母さんは、あんな靴は普段履きには歩きにくいし、お出かけ用にはならないから、ダメって言って、買ってくれなかった。クラスのなかで、あの靴を履いていないの私だけだった」と、娘は貧乏時代を語ります。

 私の予想通りに、そのプラスチックネットの靴はすぐに流行が終わりました。安売りされるようになってから娘にようやく買って与えたのだけれど、娘にしてみれば、流行が終わってしまってから買ってもらっても、嬉しくともなんともなかった。流行遅れの靴は、ほとんど履かないうちに小さくなりました。私は長いこと小さくなった靴を捨てられずにいたのだけれど、娘は流行遅れになってから買ってもらった靴のことを覚えていなくて、買ってもらえなかった悲しさだけを記憶していました。

 時はバブル景気の真っ盛り。靴やら筆箱やら保育園児小学生も、分不相応な高価なものを自慢し合っており、親は競って子供のために消費していました。ナイキのスニーカー一足2万円というのを履いている小学生が、バブルステータスを誇っていた頃です。
 「みんなが持っているキャラクターのついたボールペン、100円だったけれど私は母にねだれないと諦めていた。お金のかかることを母に言うと母を追い詰めてしまうのではないかと子供心に心配していたから」と、娘が語るのを聞き、かわいそうなことをしたなあと思います。親としてせつないです。

 ふたりの子を育てながら、確実な現金として奨学金を貰うために大学へ。つづけて大学院に通い、日本語教師のアルバイトを続け、授業のない土日や夏休みには夫の自営業を手伝い、それでも夫の借金は増えるばかりで、ほんとうに追い詰められた気分だったのを、子供にはわからないようにしていたつもりだったけれど、娘はちゃんと親の気持ちをくみ取っていたのだろうと思います。ほんとうにわがままを言うことのない娘で、弟の世話をいっしょうけんめいしてくれました。母を助けようとして、娘も精一杯だったのでしょう。

 ようやく、100円のボールペンくらいは買う余裕も出てきて、やっと娘は「ペンが買えなくて悲しかった」と語れるようになりました。「子供にガチャポンを我慢させた」と語って笑いをとるお笑い芸人に、娘は涙を流して「つらいよねぇ、ガチャポン買ってもらえない子供って」と、共感していました。

<つづく>
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2011年01月23日


ぽかぽか春庭「パフスリーブ」
011/01/23
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>貧乏語り(2)パフスリーブ

 『赤毛のアン』の中に、近隣の女の子の服のデザインで「パフスリーブ」が流行したことが書かれています。厳格なマリラはいつも実用一点張りの服を仕立てます。アンは、ちょうちんのように膨らんだパフスリーブワンピースを着た友達がうらやましくてならないけれど、マリラに頼んでもそんな服は作ってくれません。アンはマシューに女の子の服のことはわからないと思いながらも「パフスリーブの服がほしい」ことを話しました。アンの言うことなら何でもわかってくれるマシューは、パフスリーブが欲しいという気持ちを理解してくれます。

 マシューは独り者を通した男だったけれど、流行の服が欲しいという女の子の願いをちゃんとわかってやれる人でした。「うちの子がよその子にひけをとっていいものか」とマリラに持ちかけ、マリラはついにパフスリーブのワンピースをアンのために作ってあげます。アンの喜びようは、どんな高価なドレスを着た令嬢にも負けないものでした。「赤毛のアン」ファンにとっては「好きなエピソード」の上位にくるお話で、私もこのパフスリーブのエピソードが大好きです。

 私が小学校5年生だったか6年生だったかの冬、クラスの女の子に「コール天のズボン」というのが流行したことがありました。いつも姉のお下がりで文句も言わず、衣服については母に注文をつけたことがなかったのに、「コール天のズボンを履きたい」と言ってみたら、姉と私ふたりにコール天のズボンを買ってくれました。

 日頃、本を欲しがるばかりで服の注文はしたことのない私がねだったので、母にしてみるとなんとしても娘の願いを叶えたかったのでしょう。フラフープを欲しがったときも、スケート靴を欲しがったときも、姉と私におそろいで買ってくれました。贅沢ができる家計ではなかったけれど、母はいろいろやりくりをしても、娘達の願いをかなえようとしていました。

 自分が家庭を持って、そのような買い物は、父が堅い会社の勤め人で、月給やボーナスを封を切らずに袋ごと母に渡して家計を任せていたからできたことだったと気づきました。買ってやれないことは、母にとっても辛いせつないことでした。子供達に我慢させることも何度もあったけれど、子供が欲しがるモノを自分が食べるのを減らしても与えてやりたいというのが親の心。子供が喜ぶ顔を見ることが両親の喜びでもあったと思います。

 私が結婚した相手、自営業でずっと借金まみれ。保育園のころの娘には我慢ばかりさせていました。バブル景気真っ盛りの頃。クラスメートが派手な消費を楽しんでいたのに、娘は私には決してわがままを言うこともなく、聞き分けよく「靴を買うことはできない」と言えばそれ以上ねだることはありませんでした。しかし、「クラスの中で一人だけ編み目模様の靴を履けなかった」悲しい気持ちを、27歳になってテレビを見て涙ぐんで語るのです。
 世界には飢えている子がいるし、日本には虐待を受けて亡くなる子もいます。そういう子に比べれば、貧しい中せいいっぱいの愛情は注いだつもりで子育てをしてきましたが、娘にしてみれば、我慢我慢の生活がつらいときもあったのだろうと思います。

 貧乏話をしようとすると、「貧乏時代をなつかしがって語れるのは、今はもう貧乏じゃない人でしょう。私は今も貧乏なんだから、貧乏自慢なんて、百年早い」という自制も働くのだけれど、自慢でなくても、貧乏を語らずにはいられないのは、どうしてでしょうかね。

 まっき~さんも好きだという『チキンライス』
 貧乏な親を気遣う子供心が歌われています。今はお金持ちの松本人志。今ならクリスマスシーズンに赤坂プリンスに部屋を予約することもでっかい七面鳥注文することもできる。

 「チキンライス」には、♪昔話を語りだすと決まって/貧乏自慢ですかという顔するやつ/でもあれだけ貧乏だったんだ/せめて自慢ぐらいさせてくれ!と、歌われているのだけれど、今も貧乏な私も、時に貧乏を語りたい。赤坂プリンスも七面鳥もまだ贅沢なわが家ですが、ようやく子供が100円のボールペンを欲しがったとき買ってやれる程度にはなった。換気扇のとりつけはいまだにしていないのだけれど、年末には石油ストーブと加湿器もようやく買ったし、ちょっとは貧乏語りをしてみたい。

<つづく>
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2011年01月25日


ぽかぽか春庭「サンタプレゼント券」
011/01/25
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>貧乏語り(3)サンタプレゼント引換券

 食うや食わずの生活の中で、すぐには買ってやれなかったものは、靴のほかにもたくさんあります。サンタさんからほいほいとファミコンとかスーファミとかプレゼントされる家と違い、わが家に来るのは「ビンボーサンタ」だから、高いモノを頼んでももらえないよ、と言い聞かせてあったので、娘は、高額なものは願ってももらえないとあきらめていて、高望みなものはお願いしませんでした。しかし、そのささやかなプレゼントを買う現金すらわが家にはない年もありました。故郷に年始に行って、実家の父にもらうお金で買うしかありません。

保育園年長さんのころか小学校1年生のころか、忘れてしまったが、娘がサンタさんに「牛乳パックからハガキを作る紙漉セット」というのを頼んだことがありました。
 娘は、「サンタさんへのお手紙」に「かみすきセットをおねがい」と書いて、ベランダの赤い靴下に入れました。それほど高いものではないのに、年末の財布にお金はなく、買いに行くことはできません。翌朝、靴下の中の手紙がなくなっているのを見て、「サンタさん、手紙を読んでくれたんだよね、いい子にしているから、紙漉きセット、もらえるかなぁ」と、娘は心配顔。なんとしても買ってやりたい。でもお金はありません。

 私はクリスマスイブの夜中、靴下にサンタからの返信を入れました。「サンタより、このカードは、紙漉セット引換券です。おもちゃやへ持って行くと紙漉セットがもらえます」と、書いて入れておきました。

 娘はクリスマスの朝、紙漉セット引換券を発見。よく事態がわからないまま、ベランダから、遠い北の国にいるサンタさんに「プレゼントありがとう」とお礼を言いました。小さな弟に「ちゃんとお礼を言わないと、来年もらえなくなっちゃうから、大きな声でありがとうって言うんだよ」と教えています。

 お正月もすぎお年玉を使おうとする子供たちの混雑も終わった頃に。サンシャインビルのおもちゃやへ行きました。近所のおもちゃやでは娘にないしょのお願いはできないので、池袋まででかけたのです。娘と息子をベンチにすわらせ、お菓子を食べる時間にして、「ここから動いちゃだめだよ、弟の面倒を見ていてね」と言いおいて、こっそりおもちゃやへ行きました。実家の父にもらったお金で紙漉セットを買い、「女の子が紙漉セット引換券」というカードを持って来たら、「サンタさんから預かっていました」と言って渡して下さい、と頼みました。

 娘をひとりでおもちゃやへ行かせて、店員さんがちゃんと話を合わせてくれるか案じながら待っていると、娘は大きな箱を抱えて戻ってきました。サンタプレゼント券でしっかり引き替えができたのです。ああ、よかった。
 牛乳パックや広告チラシを細かく砕き、紙漉セットでハガキを作る遊びを何度も親子で楽しみました。「このハガキは、私が作りました」という文を書いて、親戚や先生に手紙を出したりしました。

 「友達のところには、ゲーム機やゲームソフトがどんどんサンタプレゼントとしてくるのに、どうしてうちに来るサンタさんは、ゲーム機くれないのかなあ、と長い間疑問だったけれど、理由がわかっても、父に話す気にはなれないよ。父は子供達にせつない思いをいっぱいさせてきたってこと、気づきもしないだろうから」と、娘は言います。

 私はせつないです。娘が欲しくてたまらなかった編み目模様の靴を、あの頃に戻って買ってやりたいと泣けてきます。日本中がバブル景気に沸き立っていた頃、明日食べるお金もない貧乏暮らしの中、必死で生きていた自分の姿は冷静に見つめられるけれど、100円のペンが欲しいと言えなかったという娘の姿を思うと、「売れてないのに子供がいる芸人」の話に「芸人になる夢を持った親の背中を見て、しっかり育ってね」と声をかけてやりたくなります。

 親は「夢を追って生きる姿を見せている」つもりだろうけれど、ガチャポンを我慢している子供は、どんなにかせつなかろう。芸人になる夢を追うため、親子で別居していると語る人もいました。どうぞ、早く売れてくださいね。親子一緒に住んで親子で笑って暮らしていけるように、、、、。

 わが家、まだまだ貧乏暮らしは続くけれど、娘も息子も大人になったので、貧乏暮らしを納得して生きていけるようになりました。借金増えるばかりの父親と、金儲けはできない母親の間に生まれてきた不幸も、それぞれの運命。

 娘はお正月の福袋を買うのが大好きです。必要のないものが袋に詰まっていることも多いのですが、娘は「これは、小さかった頃、買い物の楽しみを味わえなかったことの代償なんだって、自分でもわかっているんだよ。必要がなくても買ってしまうことで、買えなくて悲しかったころの自分を慰めてるの」と、解説しながら、今年もディズニー福袋というのを買っていました。それも、「七草すぎたので、イトーヨーカ堂福袋3000円のが500円値下げしてお楽しみ袋っていう名前に変えて売られていた」と、値引き商品を買ってきたのです。貧乏性はぬけていません。果たしてこれで福があるのやら。

 特に欲しいモノが入っている福袋でもないのです。私には「ミッキーぬいぐるみ」をお裾分けしてくれました。私には必要のないミッキーぬいぐるみですけれど、これを買うことで娘の「欲しくても買ってもらえなかったころ」の気持ちが少しでも解消されるのかと思って、ありがたく受け取りました。

<おわり>
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ベスナースベータ光の春2011年2月

2010-10-02 08:03:00 | 日記
2011/02/02
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>光の春(1)旧暦大晦日

 私は世界百ヶ国の留学生と出会ってきましたが、人数の上で一番多いのはなんと言っても中国からの留学生です。現在受け持っている留学生も、国費留学生は、カメルーン、ベネズエラなど、クラスの中に一ヶ国一人ですが、私費留学生中国人は私立大の学部70人が最多。
 1994年2007年2009年、半年間ずつ、合計1年半を中国で過ごしました。最初に外国で暮らした地ケニアは今でも心の故郷と思っていますが、中国も私にとっては、特別な思い入れのある土地です。

 2011年中国は、今日2月2日が大晦日。2月3日が元旦です。爆竹を派手に鳴らすことは都市部では禁止されている地域が多いのですが、人々は家族親戚が寄り集まり、楽しい団欒のひとときを過ごしていることでしょう。
 
 中国など旧暦を使っている地域では、1月26日が「小年」に当たり、この日から正月行事が始まります。中国各地は正月の食べ物や晴れ着の買い物で大賑わい。政府は振り替え休日という措置をとって、1月30日の日曜日は出勤し、2月7日を休日にします。2月8日を休日にしてそのかわり2月12日は出勤日。大晦日の2月2日から8日までの7日間が「春節休暇」となります。

 2月2日は大晦日。それぞれの家族が餃子を作って皆で食べます。留学生ひとりひとり皆が「うちの母が作る餃子が世界で一番おいしい」と言うのです。
 日本の大学カレンダーでは、1月下旬から2月上旬は期末試験の真っ最中で帰国できない学生も多く、寮や友達のへやに集まって新年餃子パーティをするようです。

 旧暦の新年は年ごとに日にちが異なりますが、今年はたまたま中国の春節と日本の節分が同じ時期になりました。日本の節分、2011年は2月3日。(1985~2024年は、2月3日が節分)。節分は、4つの季節の分かれ目です。日本ではそのうちの春の節分だけが季節の行事として残りました。

 最近では、節分恒例の豆まき、幼稚園保育園や老人ホームなどでは行われるものの、家庭で父親が家族の招福を願って威儀を正して豆を蒔く、という行事が年年減っているようです。
 私の家でも撒きません。子供が小さい頃は殻付きのピーナツを撒いたのですが、今では後片付けの手間を思うと、つい省略。

 全国的に「恵方巻を食べる」というのが家庭での節分行事として広まったのは、「コンビニで海苔巻きを買ってくれば済む」というお手軽さがうけたのだと思います。関東地方では1998年にコンビニチェーンが始めた販売促進キャンペーンから広まったということですが、たぶん、この先家庭行事として豆まきを駆逐していく勢いは止まらないでしょう。
 豆まきは神社や公共施設での「特別な行事」としては残るでしょうが、家庭行事としての命運はあやうい。

 現在受け持っている留学生のうち、アメリカのベキさんは、数年前のホームステイでの経験として、神社の豆まきに招かれたときのことを作文に書きました。カミシモをつけて枡に入れた豆を神社の境内から大勢の人に向かって蒔く役を仰せつかったのです。そのとき自分が豆を蒔いている写真が朝日新聞地方版に掲載された記事のコピーを誇らしそうに作文に添付して提出しました。

 2月3日の節分は、冬と春を分ける日。2月4日は立春です。立夏立秋立冬、それぞれの日に新しい季節を迎える気分はあるのですが、なんと言っても立春の気分は格別です。今年は例年になく日本海側の雪も多く、たいへんな冬を過ごした人も多かったので、春を待ち望む気分も強かったでしょう。まだまだ寒さは続きますが、空の色は確実に春の光を含んできます。「光の春」の季節です。

<つづく>
08:26 コメント(5) ページのトップへ
2011年02月04日


ぽかぽか春庭「春立ちぬ」
2011/02/04
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>光の春(2)春立ちぬ

 春庭がフェイスブックに参加したのは、昨年末のことでした。教え子たちとの交流が目的です。
 世界では、フェイスブックやツィッターが人々の情報交換のために大きな力となり、具体的に世の中を変えるパワーとして作用するのだ、ということ、今年になってチュニジアやエジプトの民衆運動によって立証されました。

 これまでも、韓国の選挙でインターネットが力を発揮したりと、さまざまな面で民衆の間に広まった情報機器が使われてきました。携帯電話の通信力は新興国にも、疾風怒濤のごとく行き渡ってきました。ひとことつぶやけば、それがあっという間に何百万もの人に伝わる。マスコミという一方通行の情報ではなく、自分たちが発信する情報の力。

 節分の日の講師室の話題。「テレビニュースに、エジプトのモハメッドアリくんが映っていたの。エジプトの民衆運動についてインタビューを受けていて、日本語で堂々と主張していたわよ」というニュースを見た先生からの報告でした。

 去年の初級クラスにいたモハメドアリ君。アイウエオから習い初め、優秀な学生が多い国費留学生の中でも抜群の上達を果たした努力家でした。中間試験期末試験の成績もほとんどが満点だったと記憶しています。

 私の個人的な印象ですが、最近の留学生は堂々と自国の政府批判をスピーチするようになったと思います。
 天安門事件のころ、私は大学院に在籍していましたが、政府批判をしたために強制帰国させられた同窓生がいたことを聞きました。留学生が政治的な主張をするのは難しいという時代が長かった。留学生は在留期間延長などを大使館や入管で手続きをしなければならず、政治的な活動をすることは留学生活にとって不利になり、自由な意見主張は難しいことでした。

 友を信じて自分の政治信念を述べたところ、相手は情報を集めて政府に密告する立場の人間だった、などの話もあったのです。
 しかし、昨年あたりから、中国人学生が「中国は民主化をもっと進めていかなければならない」「劉暁波を釈放すべきだ」などの主張をする学生がクラススピーチの際に出てきたのです。

 中国国内では、今でも情報制限が続いています。2009年に中国で教えた学生達、私が「中国政府による情報制限」について話すとびっくりして「そんなことはないです、先生。中国で必要な情報は何でもわかります」と主張していました。「今は、中国にいるので自分たちの置かれている状況を知ることはできません。日本へ行ったら、三つのキーワードを検索して下さい。カタカナでチベットと入力してみてね。あと、天安門事件。法輪功。これは、私がパソコンで検索しても、中国で使うインターネットでは検索できなかった言葉です」と、学生を外国人教師の自室に呼んでおしゃべりしたときに言いました。

 2009年の中国のパソコンで「チベット」と入力しても、何の情報も得ることができませんでした。youtubeもインターネットで使えず、視聴できませんでした。
 今では、教え子たちも日本で自由に検索し、中国では教わらなかったことがたくさんあったことを知ったことでしょう。日本で自由に情報を得ることができたとき、教え子達はそれを中国の家族や友達に伝えます。携帯メールでやりとりが広まれば、どんな情報も検閲の網をかいくぐります。

 1994年に中国へ行ったときは、政府幹部か大企業幹部しか持っていなかった携帯電話。2009年は一般の人がどっと携帯電話を買い求め、2011年の今では中学生でも持っています。情報の広がりは確実に国を変える力になります。どんなに政府が押しとどめようとしても、民主化への要求はこの先広がっていくでしょう。

 エジプトのモハメッドアリ君も、カイロの人々がムバラク大統領の退陣を求めていることについて自分自身の意見を語ったのでしょう。彼がムバラク派なのか反ムバラク派なのかも知りませんが、世界中が新たな情報の時代に入ったことを印象づけられた今年立春のニュースでした。カイロに光の春は満ちているのでしょうか。

 カイロの春立つや人々囀りぬ

<つづく>
07:50 コメント(2) ページのトップへ
2011年02月05日


ぽかぽか春庭「観劇サイモン・ヘンチの予期せぬ一日」
2011/02/05
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>光の春(3)観劇サイモン・ヘンチの予期せぬ一日

 光の春に気分も浮かれ、新宿のスペース・ゼロという劇場で、翻訳劇を見てきました。知り合いが「会社関係のツテで招待券が手に入るのだけれど、お芝居見に行きませんか」というメールが入り、「無料なら見たい!」と返信しました。「無料、タダ、ご招待」が大好きな春庭です。

作:サイモン・グレイ 翻訳:小西のりゆき 演出:水谷龍二
出演:主役サイモン辰巳琢郎 サイモンの兄中西良太 サイモンの妻黒田福美、サイモンの友人上杉祥三、サイモンと同じ学校の出身で、サイモンの兄と同級生という謎の男モロ師岡、サイモン家の二階間借り人小林賢治、間借り人のガールフレンド武田優子、会川彩子ダブルキャスト。という顔ぶれ。

 イギリスのコメディ作家サイモン・グレイ(Simon Gray)の作品『Otherwise Engaged』の翻訳劇です。「Otherwise Engaged」とは「ほかに約束があるので」「他のことで手が離せない」という意味。
 1975年7月にイギリスで初演され、1977年のブロードウェイ上演のときは、Best Play賞をとったというので、期待して見にいったのですが、、、、
 
 サイモンは、ワグナーのレコードを一人で聞き惚れるのを無上の喜びとしているイギリス紳士。典型的なスノッブです。妻は大学の教師。子供は静かな生活の邪魔になるから持たない主義。夫婦ふたりには広すぎる家なので、二階は間貸ししている。でも、収入が目的の間貸しじゃないから、部屋代をため込んでいる間借り人の若造へも鷹揚に構えている。

 辰巳琢郎は髪を茶色にした姿で舞台に立つ。背が高く、イギリス紳士の役にぴったり。舞台進行につれてサイモンというスノッブの裏面があらわになる。サイモンの人物象がずっと一本調子だったのは、そういう役作りなのかもしれないけれど、もともとサイモンというキャラクターは、キャラの魅力で客を引きつけるタイプではないので、あまり得な役ではない。

 丁々発止の台詞のやりとりで、社会的にも成功し美しい妻と優雅なディンクス生活をしていて幸福な人物であると本人が思い込んでいるサイモン像が毀されていきます。実は偽善家で人を思いやる心が薄く、他者との絆を持てない空虚な人物であることが明らかになっていくのですが、その過程があまり魅力的ではなかった。

 ディンクス生活を楽しんでいるはずの妻は、実は大学の同僚教師と浮気中。優雅な生活をおくっている自分に比べて、兄はしがない高校教師を続けている。兄に対して優越感を持ってやさしく接してきたサイモンだが、兄がようやく高校副校長に出世する日が来て、どうやら無意味な優越感は持てなくなりそう。
 間借り人の若造にも「自分より格下の人間にやさしく接することで保たれる優越感」を感じてきたことが、若造の口から暴露されてしまう。

 そんなこんなの「サイモンの一日」を、2時間休憩なしに見たのですが。
 サイモンの兄を演じた中西良太などとても演技がうまいのはわかったけれど、5500円の観劇代金を払ってまで見たいとは思わなかった。タダだったからよしとする。新宿スペースゼロの客席は満員だったけれど、半数以上は「無料チケット」の客だったような気がします。

 最近はよいものおもしろいものに出会ったら、すぐにツイッターでつぶやかれます。口コミというこれまでもあったコミュニケーションが強力な力を発揮しているのです。テレビでの大宣伝攻勢や一部の特権的な批評家の論評では人は動かない。「サイモン・ヘンチの予期せぬ一日」も、見た人が面白いと感じたらすぐさまツイッターやブログに感想を書き、それを読んだ人に反応を呼び起こしたでしょう。
 私も、「悪くはなかったけれど、5500円出して見たいとは思わない」という感想を正直に書いてしまいました。ま、常日頃、人に反応を呼び起こすこともない春庭のコラムですから、あまり誉めなくても、興業への影響はないでしょう。って、4日が千秋楽でした。もう、終わっているけど、千秋楽の観客も無料チケットで集められた人々だったのかなあ。

<つづく>
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2011年02月06日


ぽかぽか春庭「春よこい」
2011/02/06
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記>光の春(4)春よこい

 3日の観劇、新宿スペースゼロの場所は新宿駅南口から歩いて行くことはわかっていたのですが、時間があったので東口の本屋ジュンク堂によってから行こうかと、東口でおりました。結局ぐるぐる歩き回っただけで、時間がすぎてしまい、観劇前に何か一口食べておこうと思った余裕がなくなりました。レストランで腰を落ち着けての食事はあきらめた。

 南口サザンテラスにある宮崎物産展のイートインで、宮崎のサツマ揚げ「おび天」を食べました。おび天は魚のすり身と豆腐を合わせて揚げたもので、おいしかったです。南国の気分がしてきました。春を感じるにも、春庭は腹からです。

 口蹄疫がようやく収束したと思ったら鳥インフルエンザ、頼みの知事は東京都知事めあてとかで「どげんかせん」うちに逃げ出すし、宮崎が元気なくしているかもしれないと思って、宮崎アンテナショップKONNEに寄って見たのでした。宮崎にも早く春が来るといいですね。

 新宿サザンテラスは、イルミネーションが脇の並木に施されており、幻想的な光の通路になっていました。2010年のクリスマスシーズンから2月14日バレンタインデーまでのイルミネーションなのだそうです。2月3日節分の日のイルミネーションは、円錐形の木立に青い光が輝いていました。
 サザンテラスをそぞろ歩きするのが、東京デートスポットのひとつだということですが、ケータイかざして写真をとっている人も多かったです。

 とてもきれいでしたが、ブルーの光はやはりクールなイメージなので、立春すぎたらシャンパンゴールド系の黄色やオレンジを混ぜて暖色にするのもいいかな、なんてイルミネーションデザインを勝手に考えました。
 私はイルミネーション見るのが好きなので、丸の内仲通りのイルミネーション、ミレナリオを見物に出かけたりしてきました。イルミネーションなんていうカタカナではなくて「電飾」と呼んでいたころから好きだったのです。ヒカリモンが好きなの。

 立春すぎたら、気温はともかくお日様の光は日中ずいぶんと光の様子が変わってくるのではないかと期待しています。春庭は、名前が「春」なのですから、もう「春よ春、光の春です、春はるハル」と春を待ち焦がれております。
 1月末締め切りの論文正本も提出して、この3年間心の余裕がなく追われていた気分が、すっかり開放されました。本も好きに読めるし、演劇も気ままに見て歩けます。

 3年前、2008年2月27日に「光の春」という言葉について書きました。久しぶりに過去ログ春庭コラムを読み返しました。37回連載した「てれすこ・外来語の話」というシリーズの最終回です。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/d1375#comment

 今年の春はどんな春?光に満ちた春になりますように。
 そういや、やたらに「ヒカリ回線にしませんか」という勧誘電話がきます。うちは、去年の夏、息子のパソコンを買うとき、ヒカリにすればパソコン割引になるっていうんで、何でも割り引きに超したことはないから、もうヒカリにしちゃってます。もう光の春なの。

<おわり>
コメント
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