春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

今日のいろいろ
ことばのYa!ちまた
ことばの知恵の輪
春庭ブックスタンド
春庭@アート散歩

ぽかぽか春庭「2024年9月目次」

2024-09-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

20240929
ぽかぽか春庭202年9月目次

0901 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記処暑(1)トット記念碑と唱和な揚げ物
0903 2024二十四節季日記処暑(2)楽友会交響楽団定期コンサート in 錦糸町トリニティホール
0905 2024二十四節季日記処暑(3)処暑の句

0907 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記白露(1)祝!後期高齢者
0908 2024二十四節季日記白露(2)晩夏の病
0910 2024二十四節季日記白露(3)USJ第一日
0912 2024二十四節季日記白露(4)USJ第二日
0914 2024二十四節季日記白露(5)白露の句
0915 2024二十四節季日記白露(6)免許証書き換え

0917 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024旧語新語(1)山本翁2000年の愚痴
0919 2024旧語新語(2)リスケしらずの一豎子
0921 2024旧語新語(3)漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその1
0922 2024旧語新語(4)漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその2
0924 2024旧語新語(5)漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその3
0926 2024旧語新語(6)漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその4
0928 2024旧語新語(7)漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその5
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「漢字読み方の変化 誤読→慣用読み その5」

2024-09-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240928
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの新旧(7)漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその5

 2005年の春庭コラムの再録です。
~~~~~~~~~~~~~
2005/02/05 (土)
ニッポニアニッポン語>誤読→慣用読み⑤

 今週は漢字の誤読誤記、言葉の誤用について考えてきた。
 誤読や意味の誤用が多くなり、それについて心配する人が多くなったせいか、テレビ番組「平成教育予備校」と「みんなの問題日本人は日本語を知らない」の両方で同じことばを例にあげて、いかに日本語が誤解されているかを示していた。

 「姑息こそく」がその例。「姑息なやりかたで処理する」というセリフをきいて、「姑息なやりかた」を「ひきょうな手段」「ずるいやり方」と思った人はまちがい、と番組で紹介していた。
 「姑息」は、「一時しのぎの間に合わせ、その場のがれ」の意味だ、というのが「正しい使い方」という解説。

 しかし、姑息の意味が「一時しのぎ、その場のがれ→いいかげんなやり方→ずるい、ひきょうな方法」と、うけとられるようになり、現在は大半の人が、後半の意味で使うようになっている。
 「姑息なやり方で上司にとりいるなんて、いやなヤツだ」というセリフを聞いて、「その場しのぎのやりかた」と思う人より、「ずるいやり方」と感じる人のほうが、多くなり、おそらく誤用のほうが定着していくだろう。

 日本語の変化のなかで、誤用や誤解が定着していく例として、私がよく出すのは、「あらたし」が「あたらしい」に変わったということ。
 「新たし(あらたし)」と「可惜し(あたらし)=おしむべき、もったいない」の混同から変化が起きた、という説が有力。
 現代では「あたらしい」という語が正統な日本語として定着し、「あらたしい年になりました」といっても通じない。

 今、お菓子のコマーシャルで「やらわか~い」と繰り返している。幼児的な発音のいいまちがいだった「やらわかい」が、正規の「やわらかい」を押しのけ、さらに「やらかい」「やらけぇ」という言い方も増えていくだろう。

 「夜空ノムコウ」がはやったときは、♪僕の心のやらかい場所を~♪について、「やらかい」なんて俗語を歌詞にして、と眉をひそめた人もいたが、CMの「やらわか~い」にクレームつけた人、いただろうか。 

 誤解の定着。よく知られたことわざの例をあげる。
 「情けは人のためならず」の意味が、「情けを他の人にかけてやると、周り回って必ず自分のところにもどってくる。だから、情けをかけるのは他人のためなのではなく、結局自分のためになることだ」というのが原義。 

だが、若い世代にはぴんとこなくなり、現代解釈「やたらに他の人に情けをかけると、甘えて自立できないだろうから、情けをかけるのは人のためにならないことだ」と、受け止め方が変わった。誤解のほうが優勢になっていくかどうか、ウォッチング継続。

 「流れに棹さす」も、「棹でこぐ船の船頭が流れに棹を入れ、勢いを増す」という原義から、現代解釈「流れに棒を入れて流れを悪くする」へと変化。若い世代には棹で動かす船が縁遠いから、理解できないのだ。
て辞書に載り、やがては正式なものになる。意味が誤解されたことわざや熟語も、多数が間違えて使用するなら、そちらが優勢となる。

 ことばの意味や読み方がしだいに変化するものであることは、生きた言葉に内在する運命。「あわれ」も「かなし」も「あからさま」も、千年前の人々とは異なる使い方をしている。「姑息」の使われ方が変化していくのも、止められない。

 ことばの意味や発音は千年前とは変わってきても、生きた変化の中で、積み重なったことばの文化は、伝えられてきた。豊かな言語環境があるなら、いくつかの言葉の読み方や意味がしだいに変化していくこと自体は、問題ないことと言える。問題なのは、言語文化を含めた文化全体の貧困化というゆくすえだろう。

 なにしろ一国の首相のことばが「ボキャ貧」と評されたり、「説明責任をはたすことができない」と、嘆かれる国なのだ。

 一度口に出したことばを守らなかったことに対して「首相は公約を1つも守っていない」批判されると、「この程度の約束を守らないことは大したことではない」と公言した1年前の「ことばのいいかげんさ」を忘れるヒマもないうち、今年は、質問に対して、「フッフッフッ」と薄ら笑いをしながら、はぐかそうとする。

 最も真摯に言葉をやりとりすべき場で、「適切はテキセツです」と、言葉を軽視した発言を繰り返す姿勢が、子どもたちへと蔓延しないことを願う。

 5年生が「あかじゅうじ」と読んだことを心配するよりも、「適切はテキセツです」としか説明しようとしない人を一国のトップにおき、皆がそれでいいと思っていることを心配する私は、「杞憂人」となって今日も一日、空をながめているしかない。
~~~~~~~~~~~~
20240928
 約20年前に書いた漢字語彙の表記問題が、今も決して解決したわけではないことがわかる。
 ますます漢字を忘れていく頭をなんとか奮いたてながら、よろよろと歩いていきましょう。

<おわり>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその4」

2024-09-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240926
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの新旧(6)漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその4

 2005年の春庭コラム再録です。
~~~~~~~~~~~~
2005/02/04 (金)
ニッポニアニッポン語>みんなで間違えばこわくない・誤読→慣用読み④

 総合初等教育研究所の読み書き習得状況調査によれば、5年生の半数が「赤十字」を「あかじゅうじ」と読んだそう。

 自分の生活に身近でない漢字のことばに出会ったとき、知っている漢字や熟語から意味と読みを類推する力はとても大切。
 「赤十字」の活動にも「赤十字病院」にも縁がない生活をしていれば、5年生の多くが「あかじゅうじ」と読むのは当然だ。
 子どもの生活に身近な「赤レンジャー青レンジャー」「赤とんぼ」「運動会の赤旗白旗」のほうに合わせて、「あか十字」と類推したのだ。

 赤ちゃんのときから「赤十字病院」のお世話になっている子どもだったら、親から「ほら、きょうはセキジュージにいって、おばあちゃんの薬もらってくる日だよ」などと、聞かされており、漢字と音が結びついていて間違えない。

 昔の人が近所に赤十字病院がなくても「セキジュージ」と読めたのは、ナイチンゲールやアンリー・デュナンの伝記が今より広く知られていたからかも。(1933(昭和8)から1940年まで使われた第4期国定修身教科書に、ジェンナー、ソクラテスらと共にナイチンゲールの話が掲載されていた)

 しかし、「米作」が「べいさく→こめさく」と慣用読みが定着するのではないかと予想されるのとは異なり、「赤十字」については、そうはならない。その存在や活動を学習した時点で「せきじゅうじ」という読み方のほうを採用するだろう。「赤十字」は団体の固有名詞でもあるので、慣用読みの定着はむずかしい。

 子どもが読みを間違えるのは、その漢字が日常生活での会話にも、テレビや、本・漫画から仕入れる語彙にもなじみがない語であることが多い。
 幼児のころから「へんし~ん!」という言葉を見聞きしていたあと「変身」という漢字をならった場合、「へんみ」と読む者は少ないはず。

 漢字の誤読・誤記は、子どもが浸っている生活文化全体の問題なのだ。
 夏の陽射し厳しい中を歩いていて日陰がほしいとき、木の下で憩える子どもは少なくなっている。ビルの間のちょっとした陰や道路におかれたパラソルの下の日陰で休む人にとっては、「木かげ」より「小かげ」のほうが、実感にあっているだろう。

 今回の調査で「高層ビル」「大統領」の正答率が上がったのは、これらの言葉をニュースなどで見聞きし、親世代の会話のなかに出現する頻度も上がっているからだ。

 子どもの漢字力語彙力(ボギャブラリー)を心配するなら、子どもをとりまく大人たちが、子どもの目耳心に、豊かな語彙を、どんどん与えることだ。親世代の言語能力がなくなっているのに、子どもの言語力があがるはずがない。

 昔の子どもたちは、酒屋へおつかいに行かされれば、一合だの一升だのと単位を覚えた。豆腐屋へ豆腐を買いに行って「とうふひとつ油あげふたつください」「はい、とうふ一丁あげ二枚ね。おまちどうさま」というやりとりで、豆腐は丁、油揚げは枚と数えるのだと、自分で覚えた。

 今の子どもは、スーパーで親がだまってパック入りの豆腐をかごにいれるのを見るのみ。いくら「数え方辞典」片手に教え込もうとしたところで、それは「知識」にはなるが、身についた生きた言葉になるのは難しい。
 すべてのものを「いっこ、にこ、さんこ」と数えるようになるのもやむを得ない。

 わかりやすい例として助数詞(ものを数えるときにつけることば)をあげたが、すべての語彙において、同じ現象がおきている。授業で教えテストをするだけでは、子どもたちの語彙能力は高まらない。

 周囲の言葉のやりとりの中で「政治家のオショクジケンは困ったもんだ」と、聞いて誤解し、「お食事券ぼくも欲しい」と、話題に加わってみる。こんなとき「汚職事件」について説明されれば、国語の時間に辞書をひいて覚える以上に頭に入る。

 生きたコミュニケーションのなかでの言葉のやりとりをし、周囲の人の話、本・新聞やニュースで知ったことばを生活で使ってみたり、書き言葉にとりいれたりする、その営みが貧弱になっていれば、子どもの言葉は育たない。
~~~~~~~~~
20240926
 元首相が「云々」を「デンデン」と誤読して、新聞テレビの格好の笑い話になったのも今は昔。人気アナウンサ―が「旧中山道」を「いちにちじゅうやまみち」と読んだのも、今は伝説。つい最近ではアイドル欅坂出身のアナウンサー原田葵が「何卒なにどぞ」を「なにそつ」と読んだことが笑い話にされていました。生放送なので、周囲からのフォローが間に合わなかった。私の考えでは「なにとぞ」という語に漢字を使うことはない。今は語彙返還でなんでも漢字表記で出てしまうのだけれど、接続詞や感動詞その他文章の中で漢字で書かなくても意味が通る語は、できるかぎりひらがな表記にしたほうがいいと思うほうです。今「とおり」を「通り」と漢字表記にしたけれど、私の好みでは「とおり」のほう。

(副詞)
余りに→あまりに 至って→いたって 一旦→いったん 未だに→いまだに 大いに→おおいに 恐らく→おそらく 様々な→さまざまな 次第に→しだいに 暫く→しばらく 随分→ずいぶん 既に→すでに 全て→すべて 大変→たいへん 例えば→たとえば 最も→もっとも 僅か→わずか
(接続詞)
或いは→あるいは 及び→および 且つ→かつ 更に→さらに 然し→しかし 然るに→しかるに 従って→したがって 但し→ただし 就いては→ついては 尚→なお 並びに→ならびに 又→また 若しくは→もしくは 故に→ゆえに 因って/依って→よって
(副助詞)
頃→ころ 位→くらい 等→など 迄→まで 程→ほど

 そのほか、名詞動詞でも、ひらがなで書いても意味がとおるものはひらがなで書くこともある。漢字ふたつの語彙は基本的に漢字読み書きですが、日本語として定着していて、他に同音異義語がないものはひらがなで書くこともある。
遠足→えんそく 鉛筆→えんぴつ 田舎→いなか

 動植物名はカタカナ書きが基本ですが、わざわざ漢字名を書くことも多い。
 「行く(いく)」と「行う(おこなう)」の使い分けのように間違えやすい動詞もひらがなで。漢字変換作業が簡単になり、やたらに漢字変換した文章を書く人もいるけれど、全体のバランスとか、文章の性格を考えて漢字ひらがなの選択をしたいです。
 とはいっても、昨今の小中学生には漢字語は消滅の方向へ。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその3」

2024-09-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240924
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの新旧(5)漢字読み方の変化その3

 2005年の春庭コラム再録です。
~~~~~~~~~~~~~
2005/02/03 (木)
ニッポニアニッポン語>みんなで間違えばこわくない・誤読→慣用読み③

 「世論」あなたは、せろん派ですか。よろん派ですか。
 
世論:よろん→せろん・・・は、何となく「せろん」の方が響きが好きなので、そう読んでいます。投稿者:m******** (2005 2/2 10:17)

 元の語は輿論(よろん)だったのに、「輿」の字が当用漢字になかったために代替漢字として「世論」が使われた。そのため「せろん」と読む人がふえ、今では「せろん」「よろん」両方が使われている。

 私は「世の中の論」という感じがすきだから「よろん」と言っているが、m*******さんはじめ、若い世代は「せろん」派が多くなる。こちらは「世間(せけん)の論」というニュアンスで受け取れる。

 元の「輿論」の「輿」は「人を乗せる輿(こし)」→「あらゆるものをのせる台、人をのせている大地」→「大地の上にのっている世間の人々、世の中」という意味なので、世の中でも世間でもどちらの受け止め方もできる。読み方としては「よろん」が元々の言い方だった。

 「せろん」のように読み方が変わったものも、それが広まれば定着する。「撒水さっすい→さんすい散水」「独擅場どくせんじょう→どくだんじょう独壇場」などのように、誤読に合わせた漢字のほうが優先的に使われるようにもなる。

 「総合初等教育研究所」2005/01/27発表の「小学生漢字読み書き習得状況調査」で、「子どもが苦手な字」として、誤読が多かった字があげてある。
「米作農家 べいさくのうか→こめさくのうか」「川下 かわしも→かわした」「戸外 こがい→とがい」など。
 誤記述の漢字。「こかげ 木かげ→小かげ」「らくがき 落書き→楽書き」など。

 私は、これらはあと30年して今の子どもたちが社会の中心世代になったら、「慣用読み」「慣用書き」として定着していくだろうと予測する。

 重箱読み湯桶読みがあるのだから「米作」が「べいさく」でなく「こめさく」でも、みんながそう読みたいのなら、定着する。「らくがき」するのが楽しい子どもたちは、「楽書き」と書き表わしていくだろう。

 変わりはじめた当初の誤読者に対しては「今どきのワカゾーは、漢字ひとつ読めない。消耗(ショウコウ)をショウモウなどと読みおって、けしからん。嘆かわしい」と非難されただろう。今は「ショウモウ」と読んでも、当然とされる。
 「米作」を「こめさく」と読む人がおおくなれば、その読み方が定着していく。

 「楽書き」という書き方が生まれて定着していくかどうか、そのあと「落書き」のほうも残るかどうかは、後の世代にまかせるとしよう。

 「楽書き」って、なんだか楽しそうでいいなあ。決められた紙やノートに書くだけじゃなく、教科書のすみっこや机のうらなんかに、こっそり落書きをするのが、楽しいって子どもの気持ちが出ている。

 読み方の変化、最初は誤読だったものが慣用的に使われて、定着する。誤読自体はこれからも起こりうることだ。

 では、子どもたちの漢字読み書き能力が弱くなっている問題を、どうしたらよいのか。
 漢字文化は日本語言語文化にとって、大変重要なものだ。漢字文化をなくしてしまうことは、私たちのものの考え方感受性にまで影響が及ぶ。

 たいせつなことは、「こんな簡単な読み方をまちがえるなんて、なってない」「漢字書取りを強化しなければ」と憤るだけでは済まないってことだろう。ひとつの漢字を百回繰り返して書取りしても、子どもの心に残らなければ、それは手の運動になるだけで、漢字が身に付いたことにはならない。

 言語文化全体をみわたして、「ことばの学び」をどうしていくべきなのか、考えていくこと。現代の子どもたちをとりまく言語文化環境はあまりにも貧弱です。
~~~~~~~~~
20240924
 2005年の、まだインターネットもスマホも現在のように普及していないころに、春庭は子供の感じ読み書き能力の低下を憂えておりますが、ラインやメールでも100文字超えた文章を書くことなく、単語のみで会話するのが昨今の小中学生。漢字語彙どころか、日本語文章そのものが消えていこうとしている現代です。千年前の小説を今の私が読んでも、日本語として認識できるのに対して、今の小中学生が社会の中堅となる50年後には、日本語文章は「新・言文一致運動」が起こり、「吾輩は猫である」の「現代語訳」が教科書に載るでしょう。教科書掲載だから、ちゃんと日本語だってわかる程度のぶっ飛んでいるとも言えない程度の言文一致。

 「おれ、ネコ。なまえ、まだない。どこ、うまれた?わかんな~い。うぜえジメジメしたとこでニャーニャー泣いてた。キオク?あるっちゃある。ニンゲン?はじめて見た。そいつらショセー。ネコ食うやつら 」

 「かわ?カワイーって、ながれてくほうっしょ。ンでもっておんなじ水じゃアリエネー。ドよ~ンにアワが消えたり出たり浮かんだりで止まっちゃいねぇ。ヒトもすみかもこんなもん」

 はい、泡沫のごとき我が人生。消えたり出たりして流れていきましょう。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその2」

2024-09-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240922
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの新旧(4)漢字読み方の変化その2

 2005年の春庭コラム再録です。
~~~~~~~~~
2005/02/02 (水)
ニッポニアニッポン語>みんなで間違えばこわくない・誤読→慣用読み②

 「撒水(さっすい)」の誤読についてコメントをいただいた。(投稿者:a****** (2005 1/25 18:25))
 『昔、ある漢文の先生に教わった言葉を思い出しました。
 「水を撒(ま)く」の名詞:撒水(さっすい)を「散らす」の音と間違えて(さんすい)と読み出したことから、「散水」という語句も生まれ、混同されたまま「散水-水をまく」となってしまった、ということです。
 「まく」も「ちらす」も同じようなことだと思われる人もいるでしょうが、コンプレッサーもスプリンクラーもホースもない時代に、手で草花に水を遣っている姿を想像して風情を感じました。』

 「水を撒く=撒水」を「さんすい」と誤読したために、今では水をまく場合、「散水(さんすい)」のほうが多く使われるようになり、「撒水」はあまり使われなくなった。近所の道路に散水車はやってくるが、「さっすい車」は使われない。
「まきちらすこと」を「さんぷ散布・撒布」というのも「撒布(さっぷ)」の慣用読み「さんぷ」が定着し、漢字も「散布」の方が一般的になった。

 洗滌(せんでき)→洗滌(せんじょう)→洗浄 のように、元々の「せんでき」はもはや使われず、「洗浄」が一般的な熟語になったものもある。「胃を洗浄しましょう」というお医者さんはいても、「胃をセンデキする」という医者は、現代のお医者さんにはいないだろう。

 慣用読みの例をA:B:Cのグループ別にあげてみる。

A:慣用読みが定着している熟語例
  情緒:じょうしょ→じょうちょ  消耗:しょうこう→しょうもう  漏洩:ろうせつ→ろうえい 稟議:ひんぎ→りんぎ  捏造:でつぞう→ねつぞう 貪欲:たんよく→どんよく  貼付:ちょうふ→てんぷ  憧憬:しょうけい→どうけい  独擅場:どくせんじょう→どくだんじょう→独壇場  攪拌:こうはん→かくはん(かきまぜること) 呂律:りょりつ→ろれつ(ろれつが回らぬ、など)

B:慣用読みと元の読みが両方使われている熟語例
  早急:さっきゅう→そうきゅう  発足:ほっそく→はっそく 固執:こしゅう→こしつ 重複:ちょうふく→じゅうふく 
 味気ない:あじきない→あじけない  出生率:しゅっしょうりつ→しゅっせいりつ  世論:よろん→せろん 

C:これから先、慣用読みが広まっていくだろうと思われる熟語
 凡例:はんれい→ぼんれい  一朝一夕:いっちょういっせき→いっちょういちゆう 
 「ぼんれい」と入力しても「凡例」と変換されるので、おそらくこちらが広まっていくだろう。凡は、「平凡」「非凡」「凡人」など、ボンという読みのほうがポピュラーに使われるが、ハンという読み方は「凡例」以外に使わないから。

 「夕」の音読みは「セキ」。しかし、夕刊(ゆうかん)夕刻(ゆうこく)などの湯桶読みや、和語の夕立(ゆうだち)などの方が生活になじんだ語であるので、夕映(セキエイ・ゆうばえ)夕影(セキエイ・ゆうかげ)も「ゆう」の読み方が優勢となり、一夕も(イッセキ→いちゆう)の読みが広まっていくのではないか。

D:漫画の吹き出しセリフや歌謡曲などのフリガナから、慣用読みが広まるかもしれないと思われる熟語。(こちらは元の読みも併用されると思うのだが)
 宇宙(うちゅう&そら) 幸福(こうふく&しあわせ) 瞬間(しゅんかん&とき) 電脳(でんのう&パソコン)など。

 どうですか?さすがにDやCは使っていないという人も多いでしょうが、Aは「えっ、この読み方は、昔は誤読だったの?」と思う方もいるのではないでしょうか。「会議の稟議書」を「ひんぎしょ」と読む人は、いないのでは?

 現役世代は、すでに「ねつぞう」「りんぎ」として語彙を獲得してきた。私もAグルーープの熟語はすべて慣用読みのほうです。Bは半々。

 熟語の読み方も、大多数の人が誤読すれば、誤読が「慣用読み」として定着し、誤読のほうが優勢になる。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその1」

2024-09-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240921
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>ことばの新旧(3)漢字読み方の変化 誤読→慣用読みその1

 2005年の春庭コラムの再録です。
 漢字の読み方も、旧い読み方から新しい読み方に変化していきます。現在の読み方を習い、その読み方が当然と思っていて、旧い読み方を知ると驚きますが、人々が新しい読み方のほうを採用すれば、そちらが「正しい」読みになっていきます。
~~~~~~~~~~~~
2005/02/01 (火)
ニッポニアニッポン語>みんなで間違えばこわくない・誤読→慣用読み①

 留学生のための漢字教育。非漢字圏(漢字教育を学校で行わない地域)の学生にとっても漢字は日本語学習の壁のひとつ。
 複雑な形と表意文字であることに興味をもって「漢字フリーク」となり、どんどん覚える学生もいるし、「私の頭には複雑すぎる」と、拒絶反応を起こしてしまう学生もいる。

 私が担当しているクラスでは、ゼロスタート(ひらがなも知らないまったくの入門クラス)の学生が3ヶ月で300字の漢字を覚える。(30歳前後の大学院留学生、大人相手だから詰め込み教育でもなんとかなり、学生はよくがんばっています)
 漢字教育というのは、「日本語の語彙教育」でもある。日本語の語彙は、和語の総数よりはるかに多くが漢字熟語なのだから。

 留学生にとってだけでなく、日本の子どもにも漢字学習はたいへんだ。
 文部科学省所管の「総合初等教育研究所」が2005/01/27に公表した「漢字の読み書き調査」。
 読みは89%の正答率。書きは72%が正しく書けている。ただし、学年が進むにつれ誤答が増え、「漢字は苦手」という子が増えてくる。

 小学校6年で1000字ほど、中学高校で1000字弱の漢字を覚えれば常用漢字の読み書きはカバーできるはずだが、国語教師にとっても、漢字教育は泣き所のひとつ。漢字書取り毎日出したりすれば「詰め込み教育」と不評を受け、やらなければ「漢字の書き方ひとつ定着させられない無能教師」と責められる。

 さて、今週は漢字の誤読についての話から。みんなが間違えれば、誤読が慣用読みとなり、やがて、慣用読みが正規の読みを圧倒していくという話。

 漢字に自信がある方、ない方。次の漢字読み方クイズ、おためしを。

(1)漏洩(2)稟議(3)捏造(4)貪欲(5)貼付

 ワープロを使い始めてから、手書きで書こうとすると、あれっ?となる私でも、読む方は自信があるとおもっているのですが、、、、

答え、 漏洩:ろうせつ→ろうえい 稟議:ひんぎ→りんぎ  捏造:でつぞう→ねつぞう 貪欲:たんよく→どんよく  貼付:ちょうふ→てんぷ
→の左が元の読み方。右側が現在通用している読み方。左側の読みをした方がいただろうか。

 「日本語が乱れている」と嘆いても「私は使いたくない」と抵抗しても、変わるものは変わってゆくことの例として、慣用読みが定着した熟語例をあげてみた。 
 消耗の元の読み方はショウコウだったが、現在はショウモウと読まれるようになった。
 元は「誤読」だったのに、その読み方が定着していく漢字熟語。大半の人が誤読のほうを使うようになれば、辞書に掲載され「慣用読み」として通用するようになる。
 経理に消耗品費を請求して、「ショウモウヒンではだめです。ショウコウ品でないと、お金は出せません」と、つっぱねられることもない。

 新聞のふりがなも「捏造ねつぞう」となっている。元の読み「でつぞう」と、誰も読まなくなったのだ。
~~~~~~~~~~~
 20240921
 他人事を「ひとごと」と読む年寄りに対し、若いアナウンサーなどは「たにんごと」と読み、ワープロ返還で「たにんごと」と入力してもちゃんと他人事と変換されるので、すでに「たにんごと」は容認されているのだろう。
 先日、放送大学の江戸時代の話。朗読者は江戸武家奉公人の話の中で「中間」を「なかま」と読んだのでびっくりした。ここは「ちゅうげん」だろうが、仲間とも書くので、最近はお友達の「なかま」と読むのも容認されることになったのか、最近の学問動向などにうとい私が知らなかっただけなのか。まさか、放送大学のテキスト朗読で間違えるとは思わないので、担当講師もこの読み方を見逃したのか、認めたのか、いまだ思案中。 

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「リスケしらずの一豎子」

2024-09-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240919
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024ことば新旧(2)リスケしらずの一豎子

 山本翁は、向田邦子の語彙の選び方がお気に入りである。向田の語彙は、東京遊学時代に身を寄せた下町の祖父母の語彙だ。向田が風呂上りと言わず湯上りと書くのを翁はよしとする。

 山本翁はフィクションと書かずに「絵そらごと」という。虚構という漢語もふさわしいと思えないという。昨今のカタカナことばが席巻する「日本語文章」を目にしたら、なんと嘆くだろうかと思いつつ、初お目見えのカタカナ語があるとせっせと意味を調べる。
 はやりものだから、十年後に定着している語はそう多くない。十年後に世に定着したら使えばよいと思い、調べただけですぐ忘れる。私はビジネスに弱いので、リスケ(リスケジュール=予定変更。、「日程の組み直し」や「納期の延長」)を知りませんでした。和製カタカナ語なので、10年後には残っていたらおなぐさみ。

 春庭の10年後定着予報。すぐにすたれるネット用語のうち、すでに「古い」と言われながらも使われ続けている語です。

・「バズる」
 SNSやインターネット上で話題となり、多くの人の注目を浴びることを意味する。
 
・「ディスる(disる)」
 英語の”Disrespect”からきており、批判したり悪く言ったりすることを指す。根拠なしの批判でも、ディスる、として軽い気持ちで悪口を拡散する。

・「エゴサ(ego serch)」
  自分自身について検索する。

・「ステマstels marketing」
  偽の口コミ等で宣伝や印象操作を行うこと。これから先ますます巧妙なステマに。

・クラファン(crowd funding) 
 不特定多数の賛同者から集める資金

・サステナ(Sustainable)
 持続可能な

・レス(response)
  英語の「反応」や「返事」が、「レス」と省略することで、日本独自の意味が加わり、「その後の対応」 までを含む和製語に進化。

・エビ(デンス)evidence 
 英語のevidence根拠、証拠の意味から、和製カタカナ語になると「ビジネスを保証する裏付けの存在」として使われる。

・アポ(イント)appointment 
 ビジネス上の面会約束。

・コンプラ(イアンス)
 「法令遵守」 10年前には考えられなかったほど急激にビジネス社会に浸透し、コンプラ取り扱いを間違えると社運傾く。

 山本翁なら「法令遵守と言えばよいものを、なぜゆえコンプラなどとカタカナで!」と、お怒りだろう。従来の法令遵守では収まりきらない何事かの微妙な含みがあるゆえのコンプラ化なのでしょう。

 その微妙さとは。
 対外的に「わが社はきちんと法令を守っています」という姿勢を見せることが大事で、マスコミ相手一般社会相手に法令順守に見えればよいのであって、見えないところではどんなごまかしが行われているかわかったもんじゃない、と多くの人が感じるゆえの、コンプラなんだろうと、私は解釈しています。

 春庭が追いつく前にすたれていくカタカナ語も多いことでしょうが、山本翁には「ごめん。春庭は、にほんご知らない豎子にして、、、」と、謝っておく。山本翁は「いやいや女子供の言うことなど歯牙にもかけぬ」と鷹揚取り扱ってくれると思います。が、女子供なんて語を使うと、翁社長のインテリア雑誌『室内』はたちまちコンプラで大騒ぎ。廃刊必至、、、、。いやいや2006年に通算615号目 で休刊していました。

 翁なきあとも、世はつぎつぎと移り変わり、翁嫌うところのカタカナ語はますます世にはびこり、千年前の日本語が、今の世の日本語話者の大多数に通じないのと同様に室内の日本語も理解されないものとなりましょう。

 では、千年前の「室内」描写をどうぞ。(句点読点は後世の付け加え)。華麗にしつらえられた室内を思い浮かべつつ、千年前を味わってくださいませ。

 こなたは住みたまはぬ対なれば、御帳などもなかりけり。惟光召して、御帳、御屏風など、 あたりあたり仕立てさせたまふ。御几帳の帷子引き下ろし、御座などただひき繕ふばかりにてあれば、東の対に、 御宿直物召しに遣はして、大殿籠もりぬ。若君は、 いとむくつけく、いかにすること ならむと、 ふるはれたまへど、さすがに声立ててもえ泣きたまはず。
少納言がもとに寝む
とのたまふ声、 いと若し。 
今は、さは大殿籠もるまじきぞよ
と教へきこえたまへば、いとわびしくて泣き臥したまへり。 乳母はうちも臥されず、ものもおぼえず起きゐたり。 明けゆくままに、 見わたせば、御殿の造りざま、しつらひざま、さらにも言はず、庭の砂子も玉を重ねたらむやうに見えて、 かかやく心地するに、 はしたなく思ひゐたれど、こなたには女などもさぶらはざりけり。け疎き客人などの参る折節の方なりければ、男どもぞ御簾の外にありける。  
人なくて、 悪しかめるを、さるべき人びと、夕づけてこそは 迎へさせたまはめ とのたまひて、対に童女召しにつかはす。「 小さき限り、ことさらに 参れ」とありければ、いとをかしげにて、四人参りたり。 
君は御衣にまとはれて臥したまへるを、せめて起こして、 かう、心憂くなおはせそ。すずろなる人は、 かうはありなむや。女は心柔らかなるなむよき 。

 今をときめく光源氏が幼い若紫を秘密に盗み出して(幼女誘拐!)、自邸の室内をしつらえるようすの段です。千年前の日本語でも日本語として理解できるのがうれしいが、千年後に「21世紀の日本語」は大方の人の理解できない言語になっていると思われる。三百年後に「日本人」の人口は「最後の一人」だそうだから、千年後の日本語を心配することはないのであるが、ローバ心失わないのが老婆である。

 老婆が五島美術館で見た源氏物語絵巻より「御法」。幼子だった若紫は最晩年を迎えています。絵巻は紫式部の執筆時より150年たっていますが、室内のようすはあでやかにわかります。


<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「山本翁2000年の愚痴」

2024-09-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240916
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>2024旧語新語(1)山本翁2000年の愚痴

 8月は毎週水曜日に歯科内科の検診、木曜日に近所のスーパーに買い物に出る以外は、ほとんど外出せず、家にこもってすごしました。
 ごろごろと寝転んで、ひねもす本を読んだり、のらりくらりとして過ごす。推理小説など読み始めると犯人判明まで一気に読み続けてしまい、一冊が2時間程度で終わってしまうから、時間かかりそうなものをツンドクの中から選ぶ。2017年新刊2020年文庫化の「鳥類学者だからって鳥が好きだと思うなよ」は推理小説じゃなけど、面白かったから2時間で読み終わってしまった。

 もっと時間かかりそうなもの、、、、ちんたらと少しずつ読むもの、、、、山本夏彦(1915-2002 )「毒言妄語」文庫版(1977)を読み始めました。
 山本翁が世相を斬る連載。週刊朝日や毎日新聞に掲載した社会批評なのだが、50年前の老爺の繰り言、今や「昔はそうだったよねぇ」と、昔時をなつかしむ愚痴となっている。たとえば、ワンマンバスの料金の払い方。どこから乗ったか証明する整理券を握りしめ、おつりが出るのか、両替機なのかわからない料金箱に小銭投入してまごまごして、ワンマンの運転手ににらまれる。老人はバスに乗れない、という愚痴。50年すぎた今では都内のバスはどこまで乗っても210円。しかも皆ピッとスマホやカードをかざして清算するから運転手ににらまれずとも済む。翁ゆきて、すでに二十年を過ぐ。デジタル全盛の今の世の変わりように、どんな愚痴をこぼすのか、知りたかった気がする。

 ワカゾーの言葉遣いに愚痴をこぼし、明治大正の語彙について、こんなことばさえ知らない、なさけない、と愚痴るのが、昭和っぽいというか、昭和の世でさえ老人の愚痴であったものが、令和の今だから、二周回って面白い話もあるかと、山本夏彦の「最後の波の音」を寝転がって読む。

 山本翁の著作を読むときの例で、1949年昭和後半戦後生まれの、国語教師日本語教師をなりわいとして身過ぎ世過ぎの50年。少しは語彙に注意を払ってきたと自負する頭にも「こんなに知らない語彙がある」と活を入れるために、山本翁の本はいつも見知らぬ語彙にでくわす。以下、新しく知った江戸語彙明治語彙。頁数は「最後の波の音」文庫版(2006)の数字。

1 p144 東洋の一豎子(いちじゅし=小僧)
 豎子/孺子(じゅし) とは。1 子供。童子。 2 年若い者や未熟な者をさげすんでいう語。若造。青二才。
 用例として芥川の芭蕉雑記から 「後代の豎子の悪作劇に定めし苦い顔をしたことであろう」があげてある。明治大正の芥川には使えた豎子を、昭和の子はまったく知らなかった。不明にして無知。山本翁は「恥ずべし」とお怒りだろうが、75歳のこんにちまで豎子という語を知らずに生活して不便はなかった。

2 p160(二葉亭は)国事に尽悴しようと外国語学校に入学する。
 「尽くす」も「悴する」も知っている字だから「尽悴する」の意味は推察できる。尽悴とは。自分の労苦を顧みることなく、全力を尽くすこと。意味はわかっても、使ったことなし。理解語彙ではあるが、使用語彙ではなかった。

3p175 敗戦後すぐ社長室に「五か条の御誓文」を大書して掲げ、拳拳服膺していた。
 ケンケンフクヨウも、理解語彙にして使用語彙ではない。

 ことばは生きているゆえ、年年歳歳移り変わり、新しきが生まれ旧きが消えていく。豎子を知らずとも生活できるし、「尽悴する」ことなくも一日は終わる。しかるに日々新しいことばは世に浸透し、高貴幸齢者はよぼよぼとこけつまろびついちいち検索して意味判断している。

 2023年から急激にビジネス界に浸透した語のひとつが「レジリエンス」
 「回復力」「復元力」「弾力」などをさすが、最近の用法では、困難や逆境に直面したときにしなやかに立ち直る力や精神的回復力を指す。それをビジネスシーンで使うとなると、「企業や組織が不測の事態や変化に対して、迅速かつ適切に対応できる能力」を指すのだと。具体的には、自然災害やテロ攻撃、経済危機など、様々なリスクに対して、事前に計画を立て、迅速な対応を行うことが求められ、企業の不祥事などで社長以下ずらりと並んで記者たちの前で頭をさげるような事態になっても、レジリエンスをうまく回せれば、マイナス面を最小限におさえることができる。

 私の場合、足の小指骨折は、レジリエンス定法どおり三か月かかり、回復力はいまいちでしたが、もう歩くに不自由はない。
 今は庭の隅で枯れ果てているが、来年の梅雨時にはまた復活して咲き誇ること思うアジサイ。自然はいつでもレジリエンス!


<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「免許証書き換え」

2024-09-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240915
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記白露(3)免許証書き換え

 誕生日の前後にやっておくべきことのひとつ。免許証の書き換えです。認知症検査や高齢者講習などをすませて、あとは書き換えに行くばかり。暑いのでなかなか出かける気分じゃなく、手続き可能な警察署までいくか、用事のついでに運転試験場などに行くか、迷ってぐずぐずしていました。認知症検査は鮫洲運転免許試験場 で受けたのですが、ちと遠い。まだ暑いしなあ。

 暑いのは10月まで続くという予報なので、えいやっと出かけました。一番近い警察署と言っても、電車とバスを乗り継いでいかなければなりません。郵便局も警察も図書館も歩いて行ける範囲にあった前の住まいから見ると、最寄り駅まで2分というのは助かるとして、公共施設は遠いのが難点の住宅街。

 バスを降りたら目の前に警察署がありました。電話で確かめたときは、書き換え講習の方が多いので、待ち時間が長いかも、と注意を受けましたが、私が警察署の免許書き換えの別館2階についたときは、前の時間予約の人が全部はけたあとで、私が視力検査をしている間に、次の予約時間の人がずらりと列になっていたので、列の切れ目に当たったみたい。視力検査から写真撮影まで30分くらいでスムースに進んだのでびっくり。

 警察の写真撮影というのは、たいてい指名手配犯みたいに映るのが常でしたが、今回はなぜかにっこりしたところでシャッターとなり、前回3年前の写真より若く写っていました。出来上がった免許証を見ると、3年前とまったく同じシャツを着ていました。夏向きのシャツはTシャツばかりで、襟がついていて真面目に見え、事故なんか」おこさないような写真写りが良さそうなのは1枚しか持っていない、という非衣装持ちの悲しさ。75歳の書き換えですから、3年後にはまた更新になります。それまでにはもう1枚くらい、Tシャツじゃない服を用意したいと思います。Tシャツで運転したって事故を起こさないと思いますが、というより、3年後まで運転することはないと思います。


<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「白露の句」

2024-09-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240914
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記白露(5)白露の句

 二十四節季の白露。
 白露は、処暑をすぎ、秋分の日になるまでの間です。2024年は、9月7日から9月21日ごろ。暑さ寒さも彼岸まであと一息、というころ。 

 処暑というそっけない語に比べると白露というのは字面も響きも美しい。二十四節季のことばを搭載しない私の角川歳時記にも白露の句がないけれど、季語としていろいろな句があります。

ラグビー場に来て引き返す白露かな  <金子兜太
・龍神の両神山に白露かな       <金子兜太
・快晴の白露の一日授かりぬ      <稲畑汀子 
・野の起伏抜けて白露の旅路かな    <稲畑汀子
・今日白露衣まとふ間の裸身に     <能村登四郎
・漬梅の紅のひと粒白露の日      <飯田龍太 
・糸尻の掌になじみたる白露の日    <斉藤史子
・白露にて已が咀嚼にも親しみぬ    <森澄雄

 春庭の白露句は、「絵そらごと」句ですけれど、ちょいと色っぽく化粧して。
・泣き女の涙も冷えて白露かな   <春庭
・新芝居女形の手しなる白露の朝  <春庭
フィクションでない、見たままの句だとおもしろくもなし。
・枯れかかるアジサイに白露濡れそぼる  <春庭

 葉っぱの上にのる露を写真に撮ろうとすると、素人にはとてもむずかしいことがわかりました。しかも、9月3日の枯れかかりのアジサイの葉は、白露ではなく、台風10号の雨です。葉にのった露、見えますか。」
  

 お口直しにプロの技を。画像借り物
 
<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「USJ第二日」

2024-09-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240912
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記白露(4)USJ第二日

 USJ2日目。
 朝食は、ブレックファストブッフェ。レストランの飾り付けが、4日のシャインマスカット仕様からハロウイーン仕様にがらりと変わっていました。お客が寝ているうちに、ホテル中の飾りを取り換え作業が続いていたのでした。
  朝ごはんブッフェも、むろんたっぷりと。朝からよくもこんなにおなかに入るなあ、と小食の方にはびっくりでしょうが、ちゃんと完食。
 

 1日目に行けなかったところの中から、まずハリーポッターのウィザーディングワールドへ。
 ハリーポッターの世界への入り口

魔法学校のお城が池に鏡像を作っていてきれいでした。
   

 まず、ホグワーツ特急の前へ。ロンドン、キングズ・クロス駅9と4分の3番線から出発。魔法の杖を買った人々は、上手に杖を振ると、客車に積み込むトランクの蓋が開いたりしまったりします。娘は「杖一本5800円は高いなあ」と、杖を買うのは、豊島園のハリーポッターに行く時までとっておく。

 ホグズミード駅の間を走る蒸気機関車の列車。駅員さんと記念。
    

 街並みの作りが、映画さながらによく出来ているのでびっくり。冬のしつらえにしたのは、屋根瓦節約のため?

 街にはピカチュウ着ぐるみさんもマリオとルイージの仲良し二人組もいましたが、さすがにホグワーツ寮のマント衣装は暑そうでした。
 お城ツアーは、途中でウォーク組とライド組に分かれます。ライドは椅子が上下左右に振れさかさまになったりして「酔いやすい人はご遠慮ください」というので、娘は最初からあきらめていて、キャッスルウォークへ。
  

 ダンブルドア校長の演説の部屋などを通って、ハリーたちの教室へ。
 ホグワーツの一員になった気分で歩き、キャッスルウォーク、楽しかったです。

 ホグズミート村休憩所になっている建物には、天井にたくさんのふくろうがいて、首や羽をうごかしています。時間ごとに、魔法生物が登場します。「ホグズミード・マジカル・クリーチャーズ・ミート」というストリートアトラクションで、魔法生物のうち、私が覚えていたのはベビードラゴンだけ。
 光ものを集めるのが大好きなカモノハシみたいなニフラーも、ピンクでもしゃもしゃのピグミーパフもぜんぜん覚えていません。映画を見直したのは、『賢者の石』 『秘密の部屋』 『アズカバンの囚人』が間に合っただけなので、後半のほうに登場した魔法静物だったのでしょう。 

ふくろう便郵便配達さんとニフラー  ピグミーパフ
  

 ベビードラゴンの飼い主さんは、登場するとまず娘と私に話しかけてくれて、「飼育禁止のベビードラゴンを飼っているので、追われているんだ」と、うちあけてしばしおしゃべり。バタービールをおごってくれたらいっしょに写真をとってくれるというので、「今は買いに行けないけど、あとでふくろう便で送るから」と言って写真をとってもらいました。
  

 ハリーの城の次は、ミニヨンのグリーティングスを見ました。たいへんな人気者ですが、私はだれがだれやら、名前も知らずにいっしょに撮影しました。
 

 14時から予約のフィネガンズバー&グリルでバースデーケーキのコーヒーブレイク。娘が「母の誕生日」と、お店の人に予約したので、店員さんは、お客さんに大声で「みんなで誕生日を祝いましょう」と、ハッピーバースデイの大合唱で祝ってくれました。合唱に応えて、大声で「75さいになりましたあ」と叫び、75歳に思えないバカっぽさで声援に返礼。いくつになってもおバカですね。
    

 最後はスヌーピーやキティちゃん、セサミストリートなどのキャラクターのワンダーランドへ。
 このエリアは、何が見ものかというと、森岡マジックの手腕拝見。ハリウッド映画コンセプトだけでは集客が弱く経営難に陥っていたUSJに、ファミリー向けのキャラクター導入。森岡毅が「第一弾」としてパーク再生を果たした場所がワンダーランドです。ファミリー向けだから、小さい子供も楽しめるエリアになっていて、メリーゴーラウンドやコーヒーカップ、空飛ぶスヌーピーなどがありました。

 私と娘は、UAJオリジナルキャラのモッピーが人気の気球に乗りました。青い気球に乗るように指示されました。みんながモッピーのピンク気球に乗りたがるので、取り合いにならないよう、色指定をしてある。   
  
 森岡は、第二弾としてハリーポッターなどの集客源を成功させ、USJをV字回復させました。(森岡は、たそがれていてつぶれかかっていた西武園を、昭和コンセプトの遊園地として再生させるなど、すごい手腕です)

 UAJのメインキャラクターのウッディ・ウッドペッカー 。当然私は名前など知りませんでしたが、せっかくであったので、一枚パチリ。

 さいごは、娘が楽しみにしていたモンスター・ライブ・ロックンロール・ショー。娘は乗り物に弱いのでジェットコースター系は全部だめだし、怖がりなので、5日夜からはじまるハロウイーンショウで、暗くなると出没するというゾンビもぜったいにダメ。唯一こわくないのが、このモンスターたちが踊るショウです。
  
 映画「BEETLEJUICE」で活躍したビートルジュースというピエロのようなのがDJになってトークし、モンスターたちが歌とダンスを披露するロック・コンサート。ドラキュラ、狼男、フランケンシュタイン、フランケンの花嫁ブライド。ほかロックスターのおっかけギャル二人でショウをすすめます。
 楽しかったけど、ショウの振り付けや構成は、ディズニーのミッキーのジャズショウのほうが上手と思う。

 最後は、「キティちゃんと会える」アトラクション。私はサンリオピューロランドでキティちゃんといっしょに写真をたくさんとったので、いらないと思ったけれど、娘は「母の誕生日だからプレゼントしたい」と言うので、写真を購入。2枚で4千円。高い!私は、キティハウスの中のハイヒール滑り台でとった自撮り1枚で十分でしたけれど、娘の気持ちなので。
   

 夕方暗くなるとゾンビが出てくるというので、早々に退散。娘がホテルで荷物を宅配にしている間、飾り付けのハロウイーンを楽しみました。

  

 娘はパークの中でもキャラクターグッズなどいろいろおみやげを買い込みました。私の買い物は「病み上がりなのに行くのか」と心配症だった夫への大阪みやげのみ。自分のためには、パーク入口で、「アンケートに答える」というイベント参加で「非売品オリジナルマーカーペン」をもらえたので、これで満足。たくさん写真を撮ったのが記念品です。

 新大阪で新幹線の中用のお弁当を買って帰路につきました。2日間のUSJ、十分に楽しみました。胸にお誕生日シールを貼っていたので、スタッフ・キャストから一生分くらいの「ハッピーバースデイ」の声がけをしてもらいました。以上が75歳の誕生日報告です。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「USJ第一日目」

2024-09-10 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240910
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記白露(3)USJ第一日

 娘からの誕生日祝いで、USJ一泊二日の旅行を楽しみました。
 いろいろな懸賞にせっせと応募してきた娘、今年1月にはディズニーリゾートの夜間ご招待に2日分当選しました。夏は「USJパスポート」が2名×2日分当選したのです。すごい!娘の話では、宝くじとかは絶対に一等賞にならないかわりに、そこそこの抽選は当たる。それにしても籤運よし。

 9月中の使用期限というので、「せっかくだから母の誕生日プレゼントとして大阪に行ってこよう」とのご招待。ホテルはスーパーのポイントで貯めてきた分を使って予約。9月5日からの宿泊はハロウイーン価格で跳ね上がるから、宿泊は4日の夜。値段は倍ぐらいちがうんだって。そのかわり乗り物に弱い娘は、新幹線はグリーン車を奮発。

 4日の朝早くの新幹線で出発し、新大阪からユニバーサルシティ駅へ。大阪の交通網がわかっていないのでまごまごし、パークフロントホテルのロッカーに荷物を入れたりしたら、9時開演のユニバーサル・スタジオジャパンなのに、すでに10時。

 パークフロントホテルの入口とホテルの中。
 

 最初は「ユニバーサルスタジオ」の町をぶらぶらと。ニューヨーク下町のマリアとトニーがトゥナイトを歌った街角などを再現した建物。「よく出来てる。歌声が聞こえてきそう」と思いながら歩きました。客たちは、お気に入りの映画の街角を見つけて、お気に入りの主人公のポーズをとって写真に納まっています。私と娘はハリウッド映画を良く知らないし、とにかく暑い。涼しいところに入ろうと、「シングonツアー」の劇場に駆け込む。屋内は冷房が効いている。

 『シング』は、八月下旬、引きこもって古い映画を見直していた1週間の間に見た一本だったので、劇場立て直しに懸命のコアラのバスター・ムーンのキャラも歌手たちも、よくわかって楽しいショウでした。
  

 とにかく日陰を選んで歩き、ポケモンのショウやサンリオキャラのクロミとマイメロディが歌うショウなどを見て、予約をしたアズーラ・ディ・カプリへ。お昼ごはんにバースディプレート付き。竈焼きのピザが名物らしかったけど、スペシャルパスタセットを選び、前菜、パスタ、デザートのセット。
   

 腹ごなしに、ラグーンのまわりを歩いて対岸へ。湖の対岸正面の白い建物が28階建てパークフロントホテルです。

 
 午後はミニヨンタウンやスーパーニンテンドーワールドをぶらつく。暑い。
  

  スーパーニンテンドーワールドでは、ヨッシーのライドに乗車。


 3時から上演のウォーターワールドのショウを観覧。水でびしょぬれになる席と後方の濡れない席があるというのですが、私と娘は開演ギリギリに入場したので、中央の一番後ろの席になりました。見やすかったですが、夏場ならびしょぬれになる席のほうが楽しかったかも。前説キャストがバケツやホースの水をじゃんじゃんかけるし、ショウの間も、モーターボートや砲撃の水しぶきなどが客席にかかります。客は濡れることが楽しい。

 映画『ウォーターワールド』(1995)は、テレビ録画を見たことがある記憶があるものの、ストーリーはさっぱり覚えていない。でも、水上バイクや水上スキーのスタントが迫力あって、水と炎のショウを楽しめました。


 アミティヴィレッジで船に乗り「ジョーズ」のショウを見ました。むろん偽物のサメですが、急に出てくるのでびっくりします。スピルバーグのジョーズを娘といっしょに見たはずなのに、内容はサメに食われて怖いということしか覚えてなくて、ストーリーは忘れていました。でも楽しかったからOK。

 18時にホテルに戻る。夕食前にお風呂に入って汗を落とし、夕食は、ホテルのレストラン、アクラブッフェへ。シャインマスカットフェアの最終日で、サラダにもデザートにもシャインマスカットがたっぷりのメニューです。メインディッシュはローストビーフにして、シャインマスカットと生ハムのサラダとか、例によって山盛りのブッフェメニュー。ビール2杯でたいらげました。

 28階建てホテルの中、娘と私の部屋は24階。ユニバーサルシティ駅からパーク入口へ向かう人の列がよく見える部屋です。(USJパーク側だと値段は倍だって)スタッフからのバースデイメッセージカードが届いていました。メッセージを頼んだ娘の心遣いがうれしい。


 夕食から部屋に戻ると、すぐ寝ました。娘は午前中は寝ている夜型人間なので、新幹線の中もほとんど寝ていました。
 私は関西行きの新幹線に乗ったのは、女子高の修学旅行以来です。寝るなんてもったいない。ずっと景色を眺めていました。乗り鉄なのに、節約のため京都旅行などの行きかえり、これまでは夜行バス利用でした。出雲倉敷岡山旅行のときは、夜行寝台特急でした。帰路の新幹線は景色の見えない夜。
 富士山も薄曇りの中ながらよく見えたし、楽しい車窓でした。

 女子高修学旅行では京都下車でしたから、新大阪は初めてだもんで、記念に車掌さんに扮して。


 娘が入浴をすませて出てきたら、母はもう寝ていたと。どこでもすぐ寝られる体質に感謝。

<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「晩夏の病」

2024-09-08 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240908
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記白露(2)晩夏の病

 暑さいまだおさまらずのころ、はやりに乗り遅れてはやり病に罹患しました。なんとも間抜けな時期でのコロナ罹患です。半年おきに5回目までワクチン接種をしていたのですが、6回目の接種は「もう流行りも収まったみたいだし」と、ぐずぐずしていたら、発症。のどが痛くて咳が出る。鼻水が出る。頭痛はあるが熱はないので、通常なら病院へ行ったりしないで「寝て治す」程度の症状だと思ったけれど、日曜日の夜、やっちゃんからの電話で、北海度に行くとき羽田から出るので、その前に会う時間をとりたい、という連絡だった。

 「熱はないけど、頭痛と喉のいたみ。咳がでる」と症状を話すと、「後期高齢者の症状はなにがあるかわからないから、明日病院へ行け」とのやっちゃんからの忠告。安心してやっちゃんに会うためだと思って、翌日受診。「ははは、ただの風邪だから、3日もすれば治っていて、会える」と、報告できると信じての受診でした。

 月曜日の朝、病院へ出向き、症状を話すと、病院職員は心得ていて「熱がなくても発熱外来になるので、13時に来てくれ」と、申し渡される。

 13時10分すぎ。遅刻だと思いながら病院へかけつけたが、午後はもう待合室にもジジババはいないので、遅刻をとがめられることもなく、問診表を記入してから30分待つ。ようやく看護師さんが隔離部屋にやってきて、「鼻の奥まで検査しますので、少し痛いですが、がまんしてください」と言われたが、少しじゃなく、ものすごく痛かった。(夫がいうには、鼻ぐりぐりは古い検査の方法で、今はもっと簡便なやり方があるのだと)

 別の隔離コーナーにつれていかれ、待てとの指示。90分待っても音沙汰ないので、看護師呼び出しボタンを押すと、すぐに来てくれた。PCR検査山積みだったころでなく、今の時期、検査する検体はたぶん私だけ。ネット言説だからもしかしたら正確ではないかもしれないが、検査結果が出るのに通常30分というので、たぶん忘れられていた。
 結論は陽性。うわっ!ついに私もコロナ罹患して、人間であることが証明されました。私だけはかからんと思っていたのに。

 早速やっちゃんに「コロナ判明したから会えない」と連絡。友達が各地にいるやっちゃんだけど、大学母校がある北海道には各地に友達がいる。毎年夏に友達一回りすると10日ほどかかる。帰りは9月10日ころ、というので、帰りに会うことになりました。

 というわけで、8月末までは食欲あまりない中、ソフトクリームシャーベットなど喉を通るもの、バナナ桃トマトところてんなど、食べられるものを食べてすごす。カロリーはけっこうとったので、コロナダイエットにはならぬ。八月いっぱいごろごろと寝てすごし、世間一般に聞く病勢推移どおり、咳は続きましたが、1週間で症状は消え、たしかにインフルエンザよりも軽い。

 病むも癒えるも人生めぐりあわせ。ぐるぐる回るメリーゴーラウンドのように、めぐりめぐって、楽しい日もあれば寝込む日もある。次のひとめぐりまで、元気にいたいです。


<つづく>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「祝!後期高齢者」

2024-09-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240907
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記白露(1)祝!後期高齢者

 よたよたフラフラと生きてきましたが、いいこと何もなくたって生まれて75年たてば75歳になる。めでたきかな。
 何もいいことなかったと言っても、生まれてきただけでめでたいのである。

 娘からの誕生日プレゼントは、一泊二日の旅行です。4日と5日、楽しくすごしました。
 二日間とも「お祝いプレート」つき。旅の報告はのちほどにして、まずはお祝いメッセージを紹介。

   

歯は32本自前で残っているし、パソコンキーボード足に落として骨折したけれど、3か月たてば骨もくっつく。 一病息災で75歳生きていく。
 今まで出会ったすべての人に感謝して、みなさんにありがとう。

 

<つづく>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぽかぽか春庭「処暑の句」

2024-09-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240905
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2024二十四節季日記処暑(3)処暑の句

 ゆっくり移動の台風10号が大きな爪痕を残す8月末。
 2024年の処暑は8月22日から9月6日まで。立秋をすぎ、しだいに秋の気配も近づくころ、というのですが、温暖化の昨今まだまだ秋の気配という気持ちにはなれません。

処暑の俳句
友の忌の饅頭焼いて処暑となす   <安住敦
髪もおどろに処暑の殺虫剤余さず  <安住敦
・みづうみに生れて彩なす処暑の雲  <原裕 葦牙
嘘のごと霊山冷えて処暑きのふ   <能村登四郎
妻死後の空のふかさを処暑として  <能村登四郎
処暑の僧漢語まじりにいらへけり < 星野麥丘人
掌に書く字や処暑の湯に沈み   <長谷川かな女
鳰の子のこゑする処暑の淡海かな  <森澄雄 

・処暑に聴くマーラー6番の大ハンマー <春庭
・ドンと響くハンマー残暑を打ち砕け  <春庭
・雷都下の都電ヒマワリかすめいく   <春庭

 帰宅途中、ハンマーのドンより強くカミナリが鳴りましたが、無事帰宅。
 北関東のカミナリ銀座。宇都宮市を雷都と呼ぶそうですが、東京にカミナリ響けば東京も雷都です。群馬もカミナリ銀座なのにライトの称号を杤木に取られて残念。トチギを走る新交通システムもライト。
 いつも張り合う上と下。(魅力のない県の一位二位を争う仲)トチギは上つ毛の下のしもつ毛なのに。上下はないんだけどね、やっぱかみつけは上でしょう。

 雷都の名、しもに取られて口惜しき。<春庭

画像借り物。たぶん群馬のカミナリ

<つづく>
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする