春庭Annex カフェらパンセソバージュ~~~~~~~~~春庭の日常茶飯事典

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ぽかぽか春庭「2017年3月目次」

2017-03-30 00:00:01 | エッセイ、コラム

by PJ.TaKo

20170330
ぽかぽか春庭「2017年3月目次」

0302 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(3)やっちゃんと赤坂迎賓館展へ
0304 2017十七音日記2月(4)やっちゃんとマリーアントワネット展へ

0305 ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>どこかで春が生まれてる(1)啓蟄
0307 どこかで春が生まれてる(2)卒業
0309 どこかで春が生まれてる(3) ミモザの日
0311 どこかで春が生まれてる(4)春の祈り
0312 どこかで春が生まれてる(5)春を探しに

0314 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(1)小田原で魚を食べる
0316 2017十七音日記3月(2)小田原城公園散策
0318 2017十七音日記3月(3)箱根ユネッサン
0319 2017十七音日記3月(4)箱根ユネッサン2
0321 2017十七音日記3月(5)ご近所行楽、桜はまだかいな(六義園と染井温泉)
0323 2017十七音日記3月(6)ロマノフ王朝展in東洋文庫
0325 2017十七音日記3月(7)日本語教科書完成祝い
0326 2017十七音日記3月(8)春のお参り
0328 2017十七音日記3月(9)花冷え
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ぽかぽか春庭「花冷え」

2017-03-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170328
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(9)花冷え

 寒い日が続いています。
 東京の早めの開花宣言も、こう足踏みでは蕾も咲くのを忘れてしまいそう。27日、午前中は冷たい雨、午後も風が冷たかったです。
 
花冷えや尼僧生活やや派手に(飯田蛇笏)

花冷の簷(のき)を雲ゆく別れかな(石田波郷)

花冷えの雨のひときは濡らすもの(久保田万太郎)

その日よりなほ花冷のつづきをり(松本たかし)

・花冷えや検査の結果にうなだれて(春庭)
・団地窓堅く閉ざして凍て返る(春庭)
・音楽室から春待つ子らの卒業歌(春庭)

<おわり>
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ぽかぽか春庭「春のお参り」

2017-03-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170326
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(8)春のお参り

 3月25日、舅の命日にお参りをしてきました。夫は「忙しいからパス」と、いつもの通り。
 命日が25日なので、春彼岸のお参りと「兼用」です。兼用にしてもバチ当てたりしないと信じているので。
 あの世を信じていない姑でしたが、私は、姑舅が仲良く茶飲み話でもしていると思って、舅が好きだった桜餅と草餅のセットを墓前に備えました。

 墓前といっても、都心の寺ビルの中の納骨墓です。姑が「遠くにある故郷の墓よりは、近くの交通の便のよいところ」とお寺ビルの納骨墓を選んだときは、「土の中に寝るほうが安らかな気がするんじゃないかなあ」と思ったのですが、娘息子はお墓掃除など絶対にやる気ないだろうから、今となっては正解だったと思います。

 墓参りという行事を、姑は「集まって故人の思い出話をするための、生きている人のための一日」と言っていましたから、私も娘息子と、「おじいちゃんはお酒が飲めないかわり甘い物が大好きだったね」などと思い出話をする時間がすごせればそれでよし。
 先だった人たちのことをなつかしく思い、ともに過ごした時間に感謝をしている、ということを、残された者が心にとどめる時間、それが墓参ということと思っています。だから、夫がお墓にこなくても、夫は夫で、心の中に親を思い出していればそれでけっこう。

 姑が好きだったレストラン、文京シビックセンターの椿山荘で晩ご飯。いつも予約をせずに行くのですが、今回は土曜日だったので、予約なしの場合は窓側の席はとれず、壁側の席。
 いつものように、一口ずつ互いのお皿を味見して、「うん、こっちもおいしいね」と言い合います。私は真鯛ポワレ、娘はローストビーフ丼、息子は桜エビとアサリのパスタ。
 姑が言っていた「みんなでおいしいものを食べて喜ぶことが、亡き人へのご供養」を、今日もできてよかったです。

 シビックセンターの展望フロアを一周して、夜景を眺めました。
 東京スカイツリー方面の夜景


<つづく>
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ぽかぽか春庭「日本語教科書完成祝い」

2017-03-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170325
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(7)日本語教科書完成祝い

 2015年3月まで勤務していた留学生センターで、留学生の日本語授業のほか、日本語教科書の改訂作業に従事しました。改訂といっても、本のタイトルだけは同じものの、中身のほとんどを新しくした、新版です。

 私は、その作業の最初の部分を担当しただけで退職となり、後任に引き継いでミャンマーに赴任しましたから、改定試用版に「編集協力者」として名前を載せてもらっただけで、十分だと思っていました。
 ところが、できあがった市販版には、「編集執筆者」に格上げされていたので、びっくり。編集主任の教授のご厚意と思いますが、ほんのちょっとお手伝いしただけの私まで執筆者として扱っていただき、面はゆい気分です。

 市販版の完成、市販開始のお祝いに、編集に関わった先生方との食事会が開かれ、私も参加しました。人が集まる場に出るのは苦手な私ですが、奥付に名前を載せていただいたご厚意にお礼言上せずにいては申し訳ないと思って。

 23日木曜日、吉祥寺のランサーンというラオス・タイ料理店が会場です。
 せっかく久しぶりに吉祥寺に出るので、約束の夕ご飯の時間まで、吉祥寺美術館とか井の頭公園を散歩しようかとも思っていました。ですが、吉祥寺美術館は市民作品の展示、井の頭公園は桜もまだ、ということだったので、吉祥寺に早めに来るというのは、やめにしました。
 乗換駅の新宿のデパ地下を少しぶらついただけで吉祥寺へ。ランサーンの店の場所を覚えているつもりだったのに出口を間違えて、たちまち方向音痴。
 でも、なんとか5分遅れでランサーンに到着。

 ラオス料理とタイ料理、どちらもメニューにあるのですが、せっかくだから、ラオスビールとラオス料理を注文。食べながら飲みながら、さまざまな話を聞きました。

 留学生センターの勤務を離れて2年の月日がたっているので、留学生の話題でも、クラスを担当していたときとは感覚がちがっています。
 「3月まで在籍した留学生の中に、今まで聞いたこともなかった、マデイラ島からの国費留学生が来ていたんですよ。マデイラ島ってご存じ?」と聞かれて、私も「聞いたこともない」と、答えました。

 マデイラ島は、ヨーロッパ西南端のイベリア半島からも、アフリカ陸西北部のモロッコからも千km離れた、大西洋に浮かぶ島々。1976年からポルトガルの自治州になっている、という人口30万人ほどの島で、公用語はポルトガル語です。
 これまで百カ国以上の留学生と出会ってきた私も、マデイラ島というポルトガルの自治州について、何も知らなかったので、ああ、クラスの教師として出会ってみたかったなあと思いました。

 3月29日から市販されるという、初級日本語教科書。
 本文は。大学生の学校生活と日常生活をメインにした会話。出会いの「はじめまして、どうぞよろしく」から、ともだち関係を通じてさまざまなシチュエーションに対応する会話がでてきます。私が担当したのは、会話のスキット作成と、文字学習、ひらがな、片仮名、漢字の配列。初級で300の漢字が学べるように、できるだけ覚えやすい配列で、なおかつ本文の課と関連して学べるようにするのが悩みどころでした。

 本文本冊のほか、語彙集、文法解説書、独習練習帳(宿題)、漢字学習があり、初級学生が日常会話がこなせるようになり、大学での授業が聞き取れるまでに日本語力を伸ばしていける教科書です。
 予算がついたので、順次インターネット版も整えて、ダウンロードできるようにしていくとのこと。

 新しい学期から仕事に復帰する気分がまだまだ追いついてこなかったのですが、先生方に刺激を受けて、少しは働く気分にならなくては、と思っています。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ロマノフ王朝展in東洋文庫」

2017-03-23 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170323
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(6)ロマノフ王朝展in東洋文庫

 東洋文庫は、三菱三代目の岩崎久弥が、1917年に当時中華民国の総統府顧問を務めていたJ・Aモリソン蔵書を買い取ったことから始まります。モリソン所蔵の欧文中国文献を基礎として1924年に東洋文庫開設。
 私が見に行くようになったのは、2011年にミュージアム併設の新館がオープンしてからです。
 2階のモリソン文庫を並べたコーナーが好きです。「世界の知」に囲まれた気分になれるからです。モリソン文庫を眺めていると、本がある世にいる幸せを感じます。

モリソン文庫


 ロマノフ王朝展。ロマノフ王朝のはじまりから、1917年の革命によってニコライ2世一家銃殺で終焉するまで、さまざまな文献が並んでいました。

 ロシアロマノフ朝は、ミハイル・ロマノフが1613年にロシア・ツァーリ国のツァーリに即位して始まり、1917年にロシア革命で滅亡しました。
 ほぼ、日本の江戸時代と明治時代に当たる時期、ロシアツァーリ国およびロシア帝国として続いた王朝です。ただし、系統は一系ではなく、家系は複雑。ドイツ系のピョートル3世、その妃エカチェリーナ2世(1729-1796 )もドイツ出身の王妃でした。

 私のロシア史知識は、ほとんどがテレビからの仕入れ。
 草刈民代がサンクトペテルブルグを訪ねて、エルミタージュ美術館(エカチェリーナ2世の宮殿)の内部などを紹介する番組と、「華麗なる宮廷の妃たち 皇后アレクサンドラ ロシア革命に散った悲劇の母」(初回放送:2009年)の再放送があったので見たのが、ロマノフ朝について知るところの大部分です。

 「皇帝の王冠とかが展示されていないかなあ」と、世界史知識断片的、ロシア史ゼロである娘には、王妃の衣装も王冠も展示されていなくて文献展示だけでは退屈かと思ったのですが、思いの外楽しんで資料を見ていました。

 王朝家系図を見たり歴代皇帝肖像を見て、「あ、このアレキサンドル1世って、戦争と平和のときの皇帝だよね。この人がナポレオンと戦争しようって言ったから、アンドレイが死んじゃったじゃないの、まったくゥ」と、去年テレビドラマで見た『戦争と平和』が役だっていました。

 私はエカチェリーナ2世贔屓。8人の子女を産んだけれど、夫のビョートル3世の子はなく、子の父親は数人の愛人たち。子の父とならなかった愛人は数知れず。あは、エカチェリーナ贔屓なのは、そこなのか。

 ドイツの小領主の娘ゾフィー・アウグスタ・フレデリーケが14歳でロシア皇太子妃候補者となりました。15歳でロシアのサンクトペテルブルグに到着すると、他の候補者と同じように宮廷作法やダンスを習得したほか、他の候補者には無視されていたロシア語を完璧に習得。当時ロシア宮廷内ではフランス語が公用語で、民衆のことばロシア語は下品とされていたのに、15歳のゾフィーは、ロシア民衆の心をつかむにはロシア語が必要と考えました。勉強しすぎて熱を出すほどだったそうです。すごい。

 また、ロシア正教を熱心にまなび、ドイツで洗礼を受けたプロテスタントからロシア正教に改宗し、ゾフィからエカチェリーナ・アレクセーエヴナと改名しました。エリザベータ女帝に気に入られ、エリザベータ女帝の甥、皇太子ビョートルと結婚。

 エリザベータは、父の兄弟のひ孫に当たる幼いイヴァン6世を皇帝の座から追いおとして即位し、権力をふるいました。イヴァン6世を20年間も幽閉し、エリザベータ反対派はイヴァン吸湿作戦に失敗。牢獄で20年間をすごしたイヴァンは、獄卒によって殺されました。一生を朗の中ですごした元皇帝。何を思って暮らしていたのでしょうか。

 エリザベータが他の候補者でなくエカチェリーナを選んだのは、ドイツ語しかまともに話せないピョートルの話し相手として、ドイツ語ほか、フランス語もロシア語も堪能な嫁を欲したのか、はたまた気性の強い点で気脈通じるところがあったのか。

 エリザベータは、嫁のエカチェリーナが産んだ男の子を引きとり跡継ぎとして手元で養育しました。(公的には、ビョートル3世の実子とされ、のちパーヴェル1世)
 エカチェリーナの夫ピョートルは、皇帝位に就いたのちも、「兵隊人形で兵隊ごっこをして遊ぶ」ほかには興味を持たない毎日だった、と、権力掌握後のエカチェリーナ側に記録されました。
 エカチェリーナはロシア語を駆使して軍を掌握し、夫を追放して帝位につきました。

 展示には、大黒屋光太夫の関連文献もありました。漂流の末、ロシアの地をはるばる横断し、エカチェリーナ2世に謁見した光太夫。
 光太夫についての私の知識は、またまた映画で見た内容だけ。緒形拳が光太夫を演じた『おろしや国酔夢譚(原作:井上靖)』(1992年:佐藤純彌監督)だけですけれど、新資料を詠み込んだ吉村昭『大黒屋光太夫』も読みたいです。

 ロシア革命百周年を記念しての展覧会。この先、2017年から1991年までのソ連の歴史についても、スターリンによる粛正とシベリア流刑についてのほか、詳しく知らないので、どこかで展覧会や講演会があったら出かけていきたいです。

 今、見ている中国の女帝、武則天の一生も陰謀やら毒殺やらすごいですが、エカチェリーナ2世の一生もすごい。
 エカチェリーナの伝記なら、池田理代子のマンガで読みたいです。
 ロマノフ王朝の流れを知るには、中野京子『名画で読み解く ロマノフ家 12の物語 』(光文社新書)がいいかも。

 それに比べると、六義園の売店で売っていた『松陰日記』を著した正親町町子(1675-1724)など、やはりスケールが違うなあと思います。時代的にはエリザベータ女帝やエカチェリーナ2世とほぼ同時代の女性です。
 町子は、京都の公家出身。江戸幕府の大老格であった柳沢吉保の側室となった女性で、歌人です。江戸期を代表する女性文学者として、松(武家=徳川将軍)の陰に藤(公家)がいて、双方の栄華を記録した、という本で、柳沢吉保の半生を書き残しました。

 中国清朝の末期には西太后という権力者が現れましたが、日本史上で真に権力を振るった女帝は、古代史の持統天皇ラインのほかは見当たらない。(江戸時代の女性天皇は、権力など持っていなかった)。
 あ、持統天皇について知るなら、里中満智子の『天上の虹 持統天皇物語』が読みたい。2015年3月に完結しています。

 持統天皇は、武則天と同時代の女性です。持統天皇が送り出した遣唐使を謁見したのは武則天。天皇という称号を最初に用いたのは、武則天とその夫の高宗。日本で、それまでは「オオキミ」であった存在を「スメラミコト天皇」と改称したのも天武持統朝です。武則天が天后から天皇(皇帝)として即位した690年に、持統も皇后から天皇になっています。持統にとって、武則天はどのようにうつっていたでしょうか。武則天は、東の蛮族「東夷」の小国に自分を真似た天皇が立ち、長安を模した都が作られつつあることを、どのように聞いていたでしょうか。

 娘はマトリョーシカの中に爪切りセットが入っているおみやげを購入。私は、絵はがき一枚。絵はがきは、展覧会チラシにもなっている図柄です。

 女性達の権力奪取の物語を想像しながら、東洋文庫を出ました。

展覧会チラシ


<つづく>
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ぽかぽか春庭「ご近所行楽、サクラはまだかいな」

2017-03-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170321
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(5)ご近所行楽、桜はまだかいな(六義園と染井温泉)

 息子が指導教官のお誘いを受けて、連休の19、20はゼミ旅行に同行することになりました。昨年博士課程を修了したのですが、息子はまだ博士論文提出に至っておらず、悩んでいるところです。修士課程を終えて就職した後輩なども来るというので、刺激を受けて気持ちが晴れるといいのですが。

 娘と、「オトート君が出かけるなら、私たちもどこかにお出かけしよう」ということになりました。プチ旅行をいろいろ計画したあげく、「近場の日帰り」になり、「ご近所一回り」に落ち着きました。一週間前に箱根へ行ってきたのだから、そうそう遠くに行かなくてもよい、というところです。

 3月19日の日曜日。ご近所行楽は、六義園のしだれ桜→東洋文庫で開催中のロマノフ王朝展→染井温泉サクラ、というコース。

 ブランチを食べてから、12時に出発。
 駒込駅前の染井門から入場。園内、池のまわりをぐるりと一回り。まだ、木々の枝の芽は固く小さく、春には遠い風情ですが、さすが連休、かなり人出がありました。

 13時から「江戸太神楽」が演じられるというので、しだれ桜の前に行きました。桜はまだ蕾。ソメイヨシノより早く開花するしだれ桜なのですが、満開にはあと1週間から10日くらいかな。

まだ蕾のしだれ桜


別の桜の木には、開花した枝もありました。


満開の日にまた見にきたいです。
2012年4月の満開のようす


 私は、浜離宮や六義園で何度か太神楽の曲芸を見てきましたが、娘はテレビで見た記憶もかすか、実演で見るのは初めてです。
 若い太夫さんがおなじみの傘まわしなどを演じ、親方が三味線を弾いて盛り上げました。娘はとても楽しめたようで、終わってから若い太夫さんといろいろお話していました。太夫さんはまだ太神楽だけで生活していくほどにはなっておらず、アルバイトもしているとのこと。海老一染之助染太郎ほどになるまでがんばってほしいです。



 おみやげを買うのが大好きな娘、茶屋にならんだ店で「柳沢吉保の家紋デザイン」の小物入れを買いました。
 サクラの枝を煮出して染めたスカーフを売っている店が出ていました。娘は、母の日にはまだ早いけれど、すてきな色なので、母のために買いたい、と言います。でも、娘の予算は一番安い4000円のスカーフ。私が気に入ったのは1万5千円しました。母の日には、娘の手作り品が欲しいので、「桜染めのスカーフはいらない」と、断りました。
 あとで、娘は「ほんとは、自分用に買いたかったのだけれど、母のプレゼント用に買って、ときどき自分が服に合わせたいときだけ借りるのが一石二鳥かと思った」と打ち明けました。それなら、私が娘に買ってあげればよかった。これまで頑張ってきた娘なので、ごほうびに。

2012年のときと同じお店と思います。


 六義園正門から出て、東洋文庫へ徒歩3分ほど。14時になって、お昼ご飯を食べようと、東洋文庫の先の、文京グリーンコートというショッピングセンターへ行きました。あれこれ店を見て回って、このラインナップなら、東洋文庫内のレストランのほうがいいかな、たぶんロマノフ王朝展をやっている時期は、ビーフストロガノフとかピロシキとかを特集メニューでやっているだろうから、と戻りました。

 ところが、東洋文庫レストランは、ランチは貸し切り。講演会が14時から開催されているので、その関係らしい。またグリーンコートに戻って、娘は「この往復すごく無駄足」とぶつぶつ。確かに、最初に東洋文庫の入り口を覗いておけば、行ったり来たりしなくてもすんだ。
 グリーンコートの中の和食店で、ランチセットを食べました。お魚がおいしかったので、ぶつぶつ言っていた娘も機嫌をなおして、東洋文庫へ。(東洋文庫のロマノフ王朝展は、次回ご案内)

 東洋文庫を見てから、タクシーで染井温泉へ行きました。これが大失敗。歩いても15分1kmほどの距離だから、新制度の初乗り410円で行けるんじゃないの、と思って乗ったら、「私、この辺の地理知らないんで」という運転士さん。染井温泉の住所を娘のケータイで検索して、住所をナビに記入してもらいました。しかし、運転士さんは、「どうもナビがよくわからなくて」と、言います。また「この道は一方通行だから」といいながら、えらく遠くへ回ります。道を間違えては、急発進急ブレーキをしながら進んだので、車に弱い娘はたちまち車酔いに。メーターが810円を超えたところで、「私が間違えたのでこの料金にします」と言い、それからさらにメーターは1080円になるまで動いてようやく、染井温泉サクラに到着。初乗り料金で着くつもりなのに、倍になりました。

 娘は「運転士さんは、自分が間違えたことをすみません、すみませんと低姿勢であやまっていたので、責めたくない」と、文句も言わないで降りました。ココロの中で、私はプンプンです。あやまって済むなら仕事のミスは全部許される。東京で運転手をして客を乗せるなら東京の地図や一方通行くらいは頭にいれておくのがプロ、と思います。
 娘の車酔いがおさまるまで、温泉のロビーで30分ほど大相撲を見ながら休みました。

 江戸末期、染井村で江戸彼岸桜と大島桜を掛け合わせてできたのが、染井吉野。現在日本の桜のほとんどが、この染井吉野です。この近辺は、なんでも桜にかこつけます。染井温泉の屋号もサクラ。

 染井温泉サクラは、地下1800メートルから汲み上げたという温泉で、レストラン、エステなどを併設した施設です。入浴料ひとり1290円。タオルなどを貸し出していますが、私はバスタオルフェイスタオル持参。節約節約。

 車酔いがなんとかおさまった娘と、ぬる湯、露天風呂、ジェットバスなどを巡りました。
 3連休中の中日ですから、親子連れやらカップルやら、大混雑。人混みが嫌いな娘は、「あんまりのんびりした気分になれない」と。しかも、娘は、「ヨウ素-ナトリウム-塩化物強塩泉(高張性-弱アルカリ性-高温泉)という泉質が体に合わず、「顔がピリピリしてきた」と言います。1時間ほどで上がりました。

 六義園しだれサクラは。まだ蕾。温泉サクラは堅い泉質で、娘は「泉質が合わないから、もう来ない」と言います。今回の行楽、サクラで失敗。

 私は、湯上がりビール。娘はフルーツ牛乳。定番をこなしてから、巣鴨へのシャトルバスに乗り、巣鴨の駅ビルでパスタを食べて帰りました。

 娘の感想「よかったのは、六義園の太神楽と東洋文庫のロマノフ王朝展、イマイチだったのは、六義園の桜と染井温泉サクラ。最悪だったのは、タクシー」
 でもまあ、楽しいところもあったのでよしとしましょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ユネッサン2」

2017-03-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170319
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(4)箱根ユネッサン2

 箱根ユネッサン行楽。
 小学生時代には連れてきてもらえなかった娘息子。アラサーになって初めてのユネッサンを、小学生時代に戻って楽しむ、というこころづもりです。

 お魚セラピーの次は、温泉滑り台。
 プール滑り台は豊島園プールでさんざん遊びました。夏休み後の行楽自慢で、ユネッサンの滑り台が楽しかったと言う同級生に「私も豊島園でプール滑り台いっぱい滑ったもん」と対抗した娘でしたが、25年の時空を超えて、友達が自慢していた温泉滑り台に挑戦です。

 ハイシーズンなら、豊島園がそうであったように滑り台も順番待ちになるであろうに、梅には遅く桜には早い箱根の閑散期の月曜日ですから、何度でも滑って遊べます。
 イージーコース、ノーマルコース、ハードコースとあるのを、それぞれ試してみました。

 娘がノーマルコース、息子がハードコースをすべっています。


 私は滑り台横の滝になっているところで、流れ落ちる温泉に肩を打たせて「滝修行」のつもり。真冬に冷水の滝で修行しないと効果がないのかもしれませんが、気分は修験者。




 キャラメルケーキ風呂だとか、ワイン風呂、緑茶風呂など、いろいろなお風呂に入ってみました。

ワイン風呂に浸かる


 「13:30からコーヒー風呂においてコーヒー投げ込みを行います」というイベントのアナウンスがありました。「コーヒーは深入り焙煎ですが、お風呂のコーヒーは飲まないでください」とのこと。

お風呂用のコーヒー焙煎機


 娘息子は、係の人が集まってきた客の頭の上からコーヒーをバケツでぶっかけるショウを楽しんでいました。

コーヒーを浴びる

 全部の変わり風呂を試したあと、露天風呂へ。露天風呂は橋を渡っていった先にあり、橋を渡っている間、ものすごく寒かったです。寒い時期に来ているのに、寒いと文句を言ってもしかたないのですが。
 景色の見晴しはいまひとつでしたが、露天風呂でのんびりしました。

露天風呂


 いったん着替えて昼ご飯を食べてから、「森の湯」へ。こちらは裸で入る温泉なので、息子とは別れ別れです。
 娘と、コラーゲン風呂だのレモングラス風呂だの、いろいろなお風呂に入ってみました。

 のんびり過ごして、休憩室で息子と合流したころには、すでに薄暗くなっており、帰りには雨が降り出しました。帰りに箱根湯本でぶらぶら散歩しながらおみやげを買う、という計画でしたが、箱根湯本でゆっくりする時間はなくなっていました。
 ユネッサンのショップで、娘は寄木細工の髪留め、息子は寄木細工のマウスパッドなど買っていました。

 箱根湯本で夕ご飯を食べて帰る、という計画だったのですが、もう遅くなったので、駅弁を買って帰りのロマンスカーの中で食べる、と変更。しかし、箱根湯本の駅の売店では、駅弁ほとんど完売で、あじの押し寿司が2個だけ残っていました。あと、1個はロマンスーの車内販売で買うということにしました。

 ところが、車内販売の人に聞いたら、駅弁完売とのこと。それじゃ、2個の押し寿司を3人で分けようということにしたのですが、係の人は、小田原駅売りで1個だけ売れ残っていた「お子様ロマンスカー弁当」を用意してくれました。ロマンスカーの形の入れ物の中に、おにぎりやシュウマイ唐揚げが入っていました。年齢からいって、一番子供に近いのは息子なので、息子がお子様弁当です。わたしのあじ押し寿司をおすそわけ。

 最後の駅弁で失敗はあったけれど、3人の行楽、泊まりがけで出かけるのは、昨年3月のミャンマー旅行以来です。お天気も家に着くまで、なんとか傘をささずに帰宅できました。
 「子供の頃来たかった、大人になってきたんじゃ楽しさ半減」ということにはならず、娘が「楽しかった」と言って帰宅できたので、小田原城と温泉の旅、大団円でした。

 娘息子が幼い頃、お金のかかる行楽はすべて封印してきましたから、なんだか夏休みの宿題をようやく終わらせた気分です。とは言っても、節約節約の旅でしたから、交通費食費宿泊費も含めて、3人で一泊二日の旅行とは思えない予算内の旅行でした。めでたしめでたし。
 
<おわり>
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ぽかぽか春庭「箱根ユネッサン」

2017-03-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170318
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(3)箱根ユネッサン

 娘が懸賞で当てた入浴券は、箱根ユネッサンの「天然温泉テーマパーク&森の湯パスポート」というものです。

 娘息子が小学生くらいのとき、ご近所の子供のいる家庭は、超金持ちでもなく、極貧でもないという層が多く、夏休み行楽定番が「常磐ハワイアンズ」か「箱根ユネッサン」でした。極貧我が家はどちらにも行くことがありませんでした。

 娘のクラスメートの親の話によると「一泊2万ほどで小涌谷ホテルに泊まれば、ユネッサン利用できる。一家4人で10万も使えば、子供は温水プールで一日遊べるし、親は温泉でのんびりできて、ほかにあちこち回ることなく過ごせるから、一番安上がりな行楽なのよ」ということでした。しかし、我が家にとっては、夏休みにそれだけのお金を使うことなどとうてい無理。娘には、「箱根の温泉も群馬の温泉も山の中だから同じ」と言い含めました。

 我が家の夏休みの定番。7月末までに、公園で蛍見物。区の環境課主宰で、事前はガキ申し込みをしておけば、無料。8月上旬、夫が当時入会していた新宿区共済会という中小企業福祉の割引き券で豊島園プールへ。8月中旬。群馬の実家に帰り、おじいちゃんスポンサーによる川遊びなど。遊んだあとの夕方は、市営村営の日帰り温泉へ。群馬県は各市町村ごとに日帰り温泉があります。また、私が自治体や企業のイベントにせっせと応募して、水力発電所見学だの牧場見学だのに出かけ、夏休みの絵日記ネタには不足がないようにしました。

 息子は、ぼうっと小学校時代を過ごしていたので、我が家が極貧であることに気づかなかったみたい。中高一貫校に入学したら、夏休みは友達同士でそれぞれの家の別荘を泊まり歩く、ということになって、ようやく自分の家の経済状態を意識したみたいです。別荘どころか、公団借家住まいの暮らし。
 娘はバブルまっさかり浮かれ時代の小学生だったので、従姉妹からのお下がりTシャツが時代遅れの古いキャラクターで、「オマイんち、ビンボーなんだね」と、さんざんからかわれた記憶を忘れない。
 
 娘は、ユネッサンの一日を楽しんだあと、ポツリ。「大人になって来ても、こんなに楽しめたんだから、小学生のころ来ていたら、ものすごく楽しい一日になったんだろうね」と。
 まあ、仕方ない。あの頃は、バブルに浮かれる世の中から完全に沈み込んでいるビンボーでした。

 今回だって「一家心中寸前の極貧」が「下流老人が年金では食べていけない貧乏」になっただけで、決して貧乏でなくなったわけではないのだけれど、せっかく娘が当てたユネッサン入場券なので、格安ホテルのトリプル室に宿泊。朝食はパンとコーヒーのセルフサービスのみ、という、「ベッドさえあればいい」式の節約。ユネッサン入り口のコンビニでサラダを買ってパンだけの朝食に備えました。

 ホテルのお風呂は、「明日、ユネッサンの森の湯に入るのだから、豪華風呂でなくても気にしない」という心づもりだったのですが、私たちのとまったトリプルは、フロントから階段を降りてからまた上るというややこしい構造の3階の部屋で、お風呂まで遠いという設備でした。
 それでも、格安ホテルの追加ベッドだろうと、いつでもどこでもぐっすり眠れるお得な体質。
 

 初めて入るユネッサン。水着に着替えて、まずは「エーゲ海プール」というところで、泳ぎました。娘は高校で息子は中学で水泳部でしたが、ふたりとも10年以上泳いでこなかった。少しは泳げる気でいたみたいですが、久しぶりに泳いでみたら、筋肉の衰え愕然状態だったみたい。ふたりして、「これから区営温水プールに通ってみよう」ということになったんですって。私はもともとプールでもウォーキングか、プカプカ浮いて行う水中ヨガ。

ユネッサン、閑散期3月月曜日だから、すきすきでした。




 軽く泳いでから、「ドクターフィッシュ」というコーナーに行きました。小魚が足にとりついて、足の角質を食べてくれる、という「フィッシュセラピー」なるイベントです。
 私の隣に座った若いお嬢さんの真っ白な足には、あまり魚も寄りついていません。角質がほとんどなさそうなきれいな足。ところが、私の足ときたら、日頃のお手入れゼロを知っている魚たち、ワラワラと寄ってきて、豊富な角質を食べあさっていました。
 1回5分間というフィッシュセラピーでした。



 ワーイ食べ放題!という魚達の声が聞こえてきそうな。

<つづく> 
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ぽかぽか春庭「小田原城散策」

2017-03-16 00:00:01 | エッセイ、コラム

小田原城天守閣

20170316
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(2)小田原城公園散策

 だるま料理店での昼食をすませて、小田原市民会館前を通ってぶらぶら歩く。小田原城公園めざしてお堀端に出ました。
 まなび橋から場内に入るのが近道のようでしたが、娘と息子は「正式登城ルート」から城内に入りたいと言います。

 小田原城は1960年に復元された城ですが、戦国史研究で博士課程に在籍してきた息子にとっては、いわばフィールド。よし、それなら3人で戦国気分で行こうということにしました。豊臣方の使者として、北条氏直に降伏をすすめに行く黒田官兵衛になったり、小田原城での茶会に茶道具を携えて参じる山上宗二になったり。

 ちょうど復元された銅門の内部公開期間中にあたっていたので、中へ入ってみました。従来の工法を生かした復元とのことで、太い柱や梁もカンナではなくてチョウナをつかって削ってありました。

 銅門と、その内部。



 城内では、コスプレ衣装の貸し出しが行われていて、一着300円。武将や忍者、姫などに扮することができます。私は「姫になりたい」と言ったのですが、却下されました。
 
 コスプレの観光客


 天守閣の前に咲いていた寒緋桜。


 天守閣の中に、鎧兜の顔出しパネルがありましたので、コスプレできなかった分のリベンジ


 天守閣最上部から見る相模湾。


 天守閣に上ってみてわかったこと。
 テレビの大河ドラマなどでは、さまざまに小田原攻めのシーンがありました。石垣山に城を築いていた40日の間、木などで目隠しをしておいて、城が完成するや目隠しを取り除いて一夜にして城が完成したようにして北条氏の度肝を抜いたというハイライト。
 小田原城天守から西を望むと、石垣山はすぐ目の前に感じられます。昨日は木々の山だったところに一夜にして城ができあがったのなら、そりゃびっくりするだろうなあ、ということがよくわかりました。

 半日かけてゆっくりじっくり小田原城見学をしたので、箱根行きのバスに乗るのがすっかり遅くなってしまいました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「小田原で魚を食べる」

2017-03-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170314
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記3月(1)小田原で魚を食べる

 娘息子とのプチ旅行。12日は小田原散策、13日は箱根の温泉。2日間楽しく過ごすことができました。
 これも、娘のくじ運のよさのおかげ。福引きでも宝くじでも末等ばかりの私に比べ、娘は何かに応募すると当選する確率が高いのです。近所のスーパーで応募はがきをもらい、買い物レシートを貼って応募したら、箱根の温泉入浴券が当たりました。昨年4月から1年間試練に耐えて頑張ってきた娘へのご褒美で、神様がくじ運よくしてくれたのかもしれません。

 12日、地下鉄で表参道へ。表参道で「小田急線直通ロマンスカー」というのに乗り、小田原へ行きました。熱海や伊豆へ行くなら「旅」という気分ですが、小田原だと東京へ通勤している人もいるのですから、あまり「旅」という気分にはならず、これまで一度も小田原へ旅行したことがありませんでした。
 今回、箱根へ行くことになったので、1日目は小田原で降りて、おいしい魚料理を食べる、小田原城公園を散策する、という計画を立てました。

 9時40分表参道発のロマンスカーは、11時に小田原に着きました。荷物を預けるロッカーを探すのに手間取ったりして、小田原城近くの「だるま料理店」という老舗の食堂についたら、もう12時近くになっていました。こうモタモタ動く私たち、きっちり集合時間が決められているツアーなどだと遅れることが多く、遅れるととても気まずくて、ツアーにはなかなか参加する気分になれません。店の外には順番待ちの人がたくさん待っていました。
 ほかの食堂を探す気も失せて、順番待ちの紙に名前を書いて待っていました。30分ほど待ちました。東京だと「待っているくらいなら、ほかに店を探そう」という娘も、初めての町ですから、しかたなく待っています。

 待っている間、私は店構えの写真を撮ってすごしました。
 だるま料理店は、明治28年創業で、現在の店構えは大正15年に再建された近代和風建築です。2009年に有形文化財登録がされています。
 小田原の網元だった店主が、鰤漁で儲けたお金をつぎ込み、当時評判の豪華な店構えになった、という説明がありました。

大勢の人がお昼ご飯を待っていた店前


網元がブリで儲けて建てたという自慢の破風玄関


裏側


 ようやく店内へ。2階の座敷はコース料理注文だけで、1階席の人は見学不可というので、「よい建材を使っている」という自慢の座敷は見ることができませんでした。食べるに専念。新鮮な地魚を使っているという天ぷらと寿司を食べました。
 娘は天丼、私は天ぷらと鯵寿司、息子は地魚寿司。それぞれおいしかったです。

地魚の寿司とアジ寿司



天ぷらと天丼+おつくり


おなかがいっぱいになったので、ゆるゆると小田原城公園へ。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「春を探しに」

2017-03-12 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170312
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>どこかで春が生まれてる(5)春を探しに

 なにかと気がふさがりがちな冬をすごしました。
 日の光に春の気配を感じることもありますが、この先どうなるのだろうという漠とした不安が広がる冬でした。よその国のことながら、好きになれそうにない人がトップになったり、「戦闘」と言えぬから「衝突」と言っておけばそこは非戦闘地区である、という奇妙な文言がまかり通ったり。(ついに、戦闘地区と認めざるを得なくなり、撤退するそうですが)


 11日土曜日は、図書館で2時間ほど走り読みで一冊読了。読んだのは『続・下流老人』です。昨年より下流老人となり収入のないままの暮らしを続けてきて、いよいよ追い詰められたというところまできました。
 
 気分だけでも春にしないと。
 春を探しに出かけることにしました。
 12、13日、温泉に行ってきます。娘が懸賞で入浴券を当てました。

 娘と息子は、路線検索で、私鉄とJRのどちらが安く行けるか調べています。ゆったりしに行くつもりが、出かける前から渋いことです。

 温泉であたたまって、春が見つかるといいな。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「春の祈り」

2017-03-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
201703011
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>どこかで春が生まれてる(4)春の祈り

6年の月日が去ったけれど、故郷に戻れないままの人もいるし、亡くなった人を弔うことのできないままの人もいます。

 私は、代わり映えなく、亡くなった方が天から見守っていてくださることを思い、今復興に頑張っている人を応援する気持ちを持ち続けるだけ。
 私にできるのは、忘れないでいることだけ。

 東北の海辺にも、春よ来い。

3月11日の浜辺で春待つ人にも、3月10日の東京の炎に身をこがした人を忘れずにいるひとにも、春よ来い。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ミモザの日」

2017-03-09 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170309
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>どこかで春が生まれてる(3) ミモザの日

 3月8日は「国際女性の日」でした。
 1908年に、ニューヨークで女性たちが婦人参政権を求めるデモをした日を記念して、世界各地で女性の活躍や主張を推し進める日となり、1975年には国連が3月8日を正式に「国際女性デー」と定めました。
 この日の象徴花シンボルフラワーがミモザであることから、ミモザの日とも呼ばれています。

 現在日本でミモザと呼ばれているのは、房アカシア、銀葉アカシアなどのマメ科アカシア属の花木です。
 もともとは、オジギソウの仲間がミモザ(学名: mimosa)と呼ばれていました。オジギソウは、葉に触ると動く(mimos)ことからミモザと呼ばれていたのだそうですが、葉がオジギソウと似ている房アカシア、銀葉アカシアもミモザと呼ばれ、今ではこちらのほうがミモザとして定着しています。

 私が持つ1972年発行の角川版歳時記「春」にはミモザの項はなく、1974年発行の角川四季合本歳時記「夏」には「ミモザ」が載っています。しかし、この版のミモザは、オジギソウの別名として出ているので、「花は夏から秋にかけて。淡紅色の小さな花が球状にかたまって咲く」という説明から見ると、このミモザは、今は「合歓の花」と呼ばれている花を指しているのだろうと思います。

 したがって、以下の句もいったい黄色い春の花を詠んだものか、淡紅色の合歓の花を詠んだものか、私にはわかりません。お葬式にも結婚にも似合う花って、どちらでしょうか。
喪の花環ミモザをはじめ既に萎ゆ(山口誓子)
祝婚やミモザのもとに咳こぼし(石田波郷)
・ミモザ咲き磯横ざまに奔る波(水原秋桜子)

 ミモザ、やはり私には黄色の明るい花に感じます。国際女性の日に、あなたにミモザの花束を贈ります。(画像整理整頓が出来ていないので、どこかの公園で撮影したミモザ、どのフォルダに入っているかわからず、借り物画像ですが)


 イギリス映画『未来を花束にして』は、1910年代の女性参政権運動を描いています。偶然参政権運動に加わったことから人生を変えることになるモード(キャリー・マリガン)、先鋭的な活動家イーディス(ヘレナ・ボトム・カーター)、著名な女性運動家エメリン・パンクハーストなどを配した映画、日本ではあまり受けない内容の映画なのかもしれませんが、ぜひ見たいと思っている一本です。春庭は、自称オールドフェミニストですから。

 映画原題の「Suffragette(サフラジェット)」は、20世紀初頭のイギリスの参政権拡張論者を指す言葉です。実在の人物エメリン・パンクハースト(Emmeline Pankhurst, 1858-1928)は、夫もふたりの娘も運動に参加し、一家総出で女性の権利拡張に奮闘しました。

 日本の参政権を中心とした婦人運動も、明治時代からさまざまな活動家が女性の尊厳を求めて運動を続けてきました。
 しかし、日本では「女性の政治参加、男女の平等」などを求める運動は、太平洋戦争後の1945年に10月になるまでが認められませんでした。
 
私は市川房枝が好きでした。私が投票できるとき彼女が候補名にあるときは、 いつも市川房枝に一票を投じました。
 市川が没してはや36年、日本の女性の状態は変わったでしょうか。変わった部分もあります。しかし、変わらないことのほうが大きいようにも感じます。

 現在、日本の社会で「男女格差ジェンダー・ギャップ指数」は、調査可能であった世界144カ国のなか、総合111位です。むろん先進G7の中では最低。

 調査された分野別の順位は。
・経済活動への参加と機会118位
・政治への参加103位
・教育76位
・健康と生存率40位

 格差が少ない上位国は、アイスランド、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの北欧の国。これらの国は福祉充実の国でもあります。
 一方、格差が大きいのは厳格な宗教政策によって女性の社会参加が制限されているイスラム教徒の多い国。イスラム教ではないのに、男女格差が大きい国の代表が日本(111位)と韓国(116位)。

 経済活動参加のバロメーターのひとつ、日本の女性管理職比率は19%で、アジアのなかでも最低ライン。
 管理職比率云々(デンデンと読むなかれ)ではなく、働こうとすると女性にとって生きにくい日本の社会が問題なのです。ほんと、保育園今年も落ちた、今年もニッポンシネ!です。
 でも、政府が大口をたたいて「保育園待機児童ゼロ」と公言したのに守られないことが明らかになっても、みなさん大人しく忍耐の一字。これを体制順応主義コンフォーミズムと言わなくてなんとしょう。

 3月8日には、女性たちは、より生きやすい社会を求めて世界各地でデモや集会を行いました。アメリカでは特に、女性蔑視の姿勢を隠さないトランプ氏に向けて、大きなデモが計画されていると報道されていました。ウィメンズ・マーチがどんなうねりを起こすでしょうか。
 日本でもデモが行われたみたいです。でも、テレビニュースなどでは報道されませんでした。(私が見逃しただけかもしれませんが)

 アメリカでは、ちょうどウィメンズマーチが行われている時間でしょう。9日のニュースで報道されるでしょうか。かの国では、為政者に都合の悪いニュースは「うそニュース」とされてしまう見たいですけれど。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「卒業」

2017-03-07 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170307
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>どこかで春が生まれてる(2)卒業

 春先の生活行事のなかでも、「卒業」は、しみじみとそれまでの来し方を振り返ることのできることばです。
 教師をしていれば、卒業式も「恙なく年度末を終えることができる」という安堵の気持ちのほうが大きいかも知れませんが、我が身の卒業となれば、不安も希望も大きく胸に広がります。

 昨年10月から職業訓練の学校に入学したミサイルママ、3月24日にハレの卒業式を迎えます。
 毎週ジャズダンス練習の帰り道に、個性的な先生の愉快なエピソードや、実習・研修の厳しさなどを話してくれたので、彼女の卒業は、我がことのようにうれしく思います。
 
 ミサイルママは昨年3月までインテリア会社に勤務し、ベテラン社員として働いてきました。63歳で定年になってからも65歳になるまで嘱託で働きましたが、途中入社なので、年金が老後の生活を支えるほどには足りません。「老後の生活を支えるほどには、なんとしても働きたい」と、まったく新たな職種「ホテルレストランサービス」を教える学校に入学しました。

 むろんクラスでは最高齢。クラスメートは、転職をめざす40代50代のまだまだ元気な人々です。でも、ミサイルママは、心身の若さでは負けていませんでした。ベッドメイキング、レストランサービスなど、ホテルやレストランで行われる仕事を半年間みっちり研修し、ジャズダンスで鍛えたしなやかな身体能力を発揮したのだろうと想像しています。
 習得技術の中間発表会終了後の食事会余興として、有志を指導してジャズダンスを披露するなど、大活躍の話も披露してくれました。
 2月半ばから就活が始まり、私も、職務経歴書パソコン入力のお手伝いなどしました。

 ミサイルママは今年66歳になりますから、「高望みはせず、自分の働き方の希望に合ったところならどこでも」と、就職活動をしました。
 中年転職希望組は、少しでもネームバリューのある有名ホテルをめざして履歴書送付や面接を繰り返すなか、ミサイルママは、紹介をしてもらったビジネスホテルに決めて、クラスで最初に就職がきまりました。ミサイルママ曰く「よく言えばレトロ、別の言い方をすれば古めかしいホテル」なんだって。

 「朝6時から11時まで、ホテルのモーニングサービスに従事する」という職務内容。昼に仕事を終えたら午後は自由に過ごせるし、土日の出勤を受け入れれば、平日に2日休めて、働くのは週5日でよい、というのが、ぴったりミサイルママの希望に合いました。

 「ビジネスホテルのモーニングサービスだから、さんざんレストラン研修でしごかれたような、ナイフフォークのカラトリーを間違いなく並べる技なんか生かせないけれど、でも、健康なら70歳すぎても働けるみたいだし、こっちの希望にぴったりだから」と、就職決定を報告してくれました。
 面接を担当した支配人さんも、履歴書趣味欄に書かれた「ジャズダンス歴30年」とか「イラスト得意」などまで評価してくれた、と意欲満々のミサイルママ、とても生き生きしています。

 この1年間、しょぼくれて過ごした私も、新しい職場に向かって張り切っているミサイルママのエネルギーをもらって、もうちょっと元気を出して4月からの仕事再開に備えたいと思います。思ってはいるのですが、、、、体も脳も動かない、、、、、。
 働くのが好きなのでしょう、と言ってくださる方もいますが、私は、十分な年金さえあれば、もう働きたくない。18歳から50年間働いてきたのですから。体もあちこちがぼろぼろです。50年働き続けても、老後を養えない人生でした。

 この3月に卒業し、学び舎から新しい人生に出発するすべての人々が、希望と幸福に充ちた春でありますように。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「啓蟄」

2017-03-05 14:00:01 | エッセイ、コラム
20170305
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>どこかで春が生まれてる(1)啓蟄

 おそらく、日本中の「たいして見られていないブログ」のネタのないブロガーたちが、本日、虫がわき出るごとくわんさかと話題にしているに違いないことば、「啓蟄」。
 暖かくなって、虫たちが地面の穴から這い出すんだってね。などと書いておけば、いっぱしの日記になる。二十四節季のことばは、便利なことこの上なし。

 テレビに出ていたアメリカ人が「カナダにもアメリカにも四季はありそれぞれに美しいのに、なぜ日本人は「日本の四季はとても美しい」と言わない外国人の存在を喜ばないのだ。四季は世界中にあるのに」とぼやいていた。
 ポーランドの四季もニュージーランドの四季もアイルランドの四季もそれぞれに美しいに違いない。

 しかるに、世界に放たれた3月5日のブログのなかで、同じ日に同じことばを検索できるギネス記録となるのは、3月5日の日本のブログ内にばらまかれた「啓蟄」という語であろうかと思います。

 中国は、「二十四節気」をユネスコ世界無形文化遺産に登録申請し、2016年10月31日に登録勧告がなされました。
 正式に二十四節気が「中国の無形文化遺産」ということになって、日本語ブログに「啓蟄」なんて書き込むと、「我が国の固有文化を勝手に使うな」と言われるということもないとは思いますが。
 たぶん、無形文化遺産勝ち取った中国語ブログで、3月5日に「2017年的啓蟄是5月3日」と書かれている数よりも、日本語ブログに「今日は啓蟄」という語が入っている数のほうが多い気がします。こういう統計はネットの得意とするところですから、検索かければ、すぐに数がでるのでしょうけれど。

 中国のブロガー人数は、人口比からいっても、日本のブロガー数の10倍はあると思いますが、元々「農歴」に由来する二十四節気を気にしながらブログ書いている中国語話者はそれほど多くない。中国語話者のネット層のほとんどが気にするのは気候のあれこれ気温の上下よりも、株価や公定歩合の上下でしょう。

 日本のテレビニュースでも、たいてい番組の最後には「どこそこの公園で花が咲いた」だの「○○のなんとかが見頃」だのという「季節のヒマネタ」が放送されています。
 お天気と季節のことを話題にしておけば、とりあえずご近所さんとの挨拶のことばに不自由しないという便利さもあり、日本では当分、季節の話題は滅びず、都会には季節を告げる虫なんぞ見なくとも「啓蟄」が消えることはない。

啓蟄や敵も味方も供養の碑(角川源義)

啓蟄の土つけて蟻闘えり(鷹羽狩行)

啓蟄の蚯蚓の紅のすきとほる(山口青邨)

・幾万の啓蟄の日の虫の顔(春庭)

<つづく>
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