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ぽかぽか春庭「おしゃべりな花たち」

2012-06-30 00:00:01 | エッセイ、コラム
野田長藤(小石川植物園2011)

2012/06/30
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(11)おしゃべりな花たち

 会ってお話を聞きたいという申し出を受け、6月11日に初めて会う方とお話しました。その方の指導教官に参考文献の論文を見せたら、その論文に私の名があるのを見て、「あら、この人、いっしょに仕事している人ですよ」と、教えてくれたのだそうです。その先生に連絡していただいてお会いすることになり、初めての人と会う緊張感を持ったまま、喫茶店でおしゃべりしました。
ホウの木の花(神代植物園2011)

 話す内容は、話題が「言語学、日本語学、日本語教育」ということに限定されていたから、話題に困ることもなく、互いの境遇-子どもを育てながら働いてきたこと、年をとってからもう一度大学に入り直したことなどを語り合い、私としては、珍しく気持ちよくおしゃべりができました。長く専門雑誌の編集長を続けてきたけれど、還暦を前に早期退職制度でリタイアし、大学での研究を志した、という女性でした。

 私の書いた論文のいくつかは、インターネットで見られるようになっています。でも、私ごときの書いたものなど、誰も読みはしないし、誰かの役に立つなんてことは、まず、ないだろう、と思って、博士論文提出後、指導教官から「出版に向けて、まとめなおしをしなければならない」と言われたことも、遠くに聞いたまま、1年半、ほったらかしにしておきました。

 話を聞きたいと言ってくれた方は、「主題優先言語」という言語学のキータームで検索したら、私が書いた論文に行き当たったのだとか。私も「主題優先言語」を検索して、自分の論文が出てくるかどうか試してみましたが、ぜんぜん見つかりませんでした。だから、どなたかが私の論文にめぐり会うっていうことは、神様の思し召しなのだろうと、私は大喜びしたのです。私の書いた論文が誰かの参考になることもある、という事実が、不出来な博士論文を書いてしまい自信喪失していた私を、大いに励ましてくれました。博士号を授与されたのに自信を喪失するってとこが、私のイジケ虫である所以。


 しかし、やはりいつもの通り、私のおしゃべりは、相手にとってあまり楽しくやりとりができなかったのではないかと危惧しています。たぶん、論文を読んでもらったうれしさで、調子に乗ってしまったのがいけなかったのです。
 私のいつもの癖で「きっとあの人は、私としゃべって不愉快な思いをしたに違いない。私はまた何か余計なこと、言わずもがなのことを言ってしまって、いやがられたのかも知れない」という負のスパイラルに入りました。どうしてこうなるんだろう。
   
 私は若い頃、男の人からは「恐い女」と思われて、それが嫌だから、男の人とはしゃべりたくない、と思っていました。私のしゃべり方が、攻撃的で自己主張が強そうに思える口調だからです。若い頃は「男性に愛嬌を振りまくような女と見られたくない」という、今から思えば過剰防衛心理が働き、防御のために攻撃的口調になっていたみたい。にこにこ作り笑顔で愛想良く話すなんて、こびを売ることのように思っていたのです。

 今でも、ただ普通に「単位取得の条件」というのを話しているつもりなのに、学生から「先生はすごく怒っていた」と言われる始末。
 もっとおっとりと物静かに、やさしい口調で話せればいいのに。
 また、しばらくは、「初めての人と話すのは苦手だ」と思いながら暮らしていくことになりそうです。


タニウツギの花(小石川植物園2011)

 23日の午前中、妹から電話。2008年にいっしょに見にいったことのある、清里高原で行われる野外バレエ公演へのお誘いでした。妹は、電話で2時間しゃべり続けました。
 妹は、子どもの頃から病弱で、いまもいくつかの病気を抱えながらの生活です。でも、妹は「仮死状態で生まれて、ある子どもはそのまま死んでしまったし、ある子は知的障害や身体障害を持つ子もいたなか、私は病気のいくつかはあっても、命はあるのだから、生んでくれた母に感謝する」と、言います。妹と同じ仮死状態で生まれた私の息子も、不調はありました。とくに私や私の伯母に似て、人間関係を築くことが不得手です。

 伯母(母の姉)は、子どもの頃、場面緘黙症でした。家の中ではしゃべれるけれど、家から一歩外にでるとひとことも話せない子どもだったのです。私や息子は、伯母に似てはいるものの症状は軽くて、なにか緩衝剤となるようなものがあれば、「ひとこともしゃべれない」というのではなかったことを感謝しようということになりました。私も息子も、「ひきこもり」な性質ですが、社会の一員として仕事ができないほどではないから。

 私は、妹のように自分から一方的にしゃべりまくる人に相づちをうつだけなら、いくらでも聞いていられるし、逆に、自分に関心のあることを一方的にしゃべりまくるなら、何十分でも喋っていられる。
 私にできないのは、コミュニケーション。キャッチボールのように、テニスや卓球の気持ちのよいラリーのように、相手のことばを受け止め、推し量りながら、気持ちよくことばを交わしていく、そのやりとりができないのです。
 たぶん、人間関係の距離の取り方やことばの選択が適切でなく、適切でないことによって人間関係が破綻してしまうと、その経験に恐れをなして、今まで以上に閉じこもる、そんなくり返し。
 同じ三人姉妹でも、姉と妹は母に似て、人とおしゃべりするのが大好きで、世話好きな性格になったし、私は伯母に似て、ひきこもりの偏屈になった、性格それぞれ、人生いろいろです。
ネモフィラ(錦糸町公園2012)
三人姉妹のうち、下のほうでいじけて、葉っぱにかくれようとしているのが私。

 23日の夜は、大阪から出てきて、ひとりで東京の演劇鑑賞をしてきたアコさんと待ち合わせて、夕食をいっしょに食べました。アコさんは「視覚障害者がもっと演劇を楽しめるような社会を作る」という主旨の会を主宰し、積極的に演劇鑑賞をしています。「JRの駅員さんは、ちゃんとホームまで案内してくれるし、公共の場所ではだれかしらが助けてくれるから、心配ない」というのですが、東京から大阪に引っ越して2年。それでも、「演劇は東京のほうが見やすい」と、お芝居を見るために、ときどき東京へ出てきます。

 23日に見たのは、シェークスピアの『じゃじゃ馬ならし』を土台にした朗読劇で、朗読と歌を取り入れた、面白い試みだったそうです。こんなふうに、「演劇」という話題が決まっていて、アコさんが話してくれることを聞いている分には、おそばを食べながらのおしゃべり、とても楽しかったです。自分でおろし金でわさびをすり下ろす薬味がついたおそばも、アシタバのおひたしもおいしかった。
しゃくなげ(小石川植物園2011)

 アコさんが「ビールをもうちょっと飲んでおしゃべりしましょう」というので、コンビニで缶ビールを買って、アコさんがネットで予約しておいたホテルまで行きました。
 部屋までフロント係に案内してもらいました。前回東京に出てきたとき、アコさんは、このホテルのとなりのホテルに予約したのだそうです。そうしたら、フロント係はひとりだけで、係員は「目が不自由なのに、どうして一人で宿泊するんだ、介護者がいっしょに来て世話をするべきだろう」と言わんばかりの態度をとった。とても感じが悪かったので、そちらのホテルは二度と予約しない、と言っていました。

 ホテル競争に勝ち抜くために、人件費を減らし、夜など、フロントをひとりで受け持たざるを得ないこともあるかと思います。しかし、人手が足りないときこそ、言葉のサービスには気をつけるべき。自分がサービスできないとき、ことばでていねいに説明し、相手を不愉快にさせない態度をとる。それができないようなホテルマンは、石ノ森章太郎のマンガ『ホテル』全巻を読んで勉強し直してほしい。
 アコさんの話を聞いて、そういうサービスしかできないホテルは、私も予約しない、と思いました。口コミは恐いんだよ、ホテルメ○ツさん。

 部屋の中の案内は、私からざっとしました。「ここに電話、ここにテレビのリモコンがあります」などの説明をして、さて、部屋の中で、くつろいでビールとおつまみでおしゃべり、と思ったのに、「ちゃんとしたコミュニケーションが取れない隣のホテルのフロント」のことを考えたら、急に息苦しくなりました。私だって、まともなコミュニケーションがとれない「コミュニケーション不全症候群」の一人なのに、と思って。

 それで、あわてて「駅前区民会館の自転車駐車場に自転車が止めてあって、夜遅くなると自転車が綱で縛られてしまうので」と、アコさんに言って、帰り支度。ほんとうは10時までアコさんとおしゃべりするつもりで缶ビールを買ったのに、一口二口飲んだだけで、おいとましてしまいました。アコさん、こめんなさい。


ヒトツバタゴの花(小石川植物園2011)

 おしゃべりは、重要なストレス解消手段、またアンチエイジングの方法であることが、医学的にも検証されてきました。ひとり寂しく暮らしている人は、病気になりがち、寿命が短くなる傾向にあること、つきあいが幅広く、いろんな人とおしゃべりを楽しめる人は、健康で長生きできることが、さまざまな調査で証明されているのだそうです。
ミツマタの花(東御苑2012)

 私がネットを始めたのは、2002年の姉の死後、ますますおしゃべり相手が少なくなり、ますます引きこもりそうな自分を感じて、せめてネットの中ではおしゃべりしようと思ったからなのです。思った通り、ネットの中で一方的に文章を綴るのは、いくらでもできるのです。一日中キーボードに向かっていても大丈夫。ところが、顔と顔を合わせて、声を出しておしゃべりするのは、相変わらず苦手。

 「私と話すと、みんな私のことを嫌いになってしまうだろう」という強迫観念は相変わらずですが、これから仕事も先細りになり、ますますしゃべる相手は限定されてくる老後ですから、なんとかもっと気軽に心地よくおしゃべりができるようになりたいです。

ロドデンドロン・アウストリヌムRhododendron austrinum(ツツジ科) (小石川植物園2011)

 最後に、もうひとつ。
 6月30日は、「茅の輪くぐり」の日。一年の半分がすぎたことに思いをいたし、輪をくぐることで半年間のケガレを吹き払い、これからの半年間の無病息災を祈る行事です。神社のPRサイトを見たら、当日お参りできない人は、郵送で「カタシロ」になるものを送れば、神社のほうでその人の代わりになるカタシロをくぐらせて、厄災を祓うのだそうです。

 カタシロでいいのだったら、バーチャルでもよかろうて。茅の輪をUPしますので、よしなに「くぐったつもり」になって、厄災を祓って下さいませ。
 これも、顔を合わせると、よいこと気の利いたことのひとつも言えない春庭からの「バーチャルサービス」です。


(おわり)


i find a rose named Chiyo.
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ぽかぽか春庭「蓮のうてな」

2012-06-29 00:00:01 | エッセイ、コラム

2012/06/29
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(10)蓮のうてな

 わが家のペット、真っ黒くろすけのロップイヤ-兎。娘の命名による本名「風信子(ヒヤシンス)」。呼び名は「風(ふう)ちゃん」。2004年3月に、娘が友人から譲り受け、8年間、わが家のベランダで暮らしました。

子兎のころのふうちゃん

 5月中旬、息子と娘が「ふうちゃんがあまりごはんを食べないから、変だ」と言いだしました。うさぎは暑さに弱いので、毎年、夏場は食欲が落ち、秋になると、大食漢になります。心配は心配だけれど「年をとってきたから、夏の食欲不振が早く来たのかしら」と、いつものこと、と思っていました。
 昨年、ふうちゃんは、老化に伴って子宮が悪くなりかけました。うさぎ専門クリニックで子宮摘出の手術をしたあとも、たちまち食欲が回復したくらい、食べるのが大好きな兎です。干し草も大好きでよく食べていました。

 手術後の検診では、「子宮がなくなった分、胃が広がって大食漢になるけれど、食べ過ぎはよくないから」と、獣医さんから注意を受けました。それで、食べ過ぎることを警戒していたのですが、あまり食べないので変だ、と発見したのは息子でした。
 「歩き方が変」と言いだし、娘と二人でうさぎクリニックに連れていきました。ペット病院はあちこちにあるけれど、うさぎ専門クリニックは都内にこの病院くらいしかないので、千葉や神奈川から通ってくる飼い主さんもいます。

 診断はうさぎによくある「斜頸」という病気で、三半規管が調節不能になってしまうのだそうです。首が傾いて見えるのは、体のバランスをとることができないから。そのため、ずっとめまいがして、船酔い状態が続くような気持ちなので、ふらふらして食べ物も食べられない、という症状なのだそうです。斜頸自体は死んでしまうようなびょうきではないけれど、年をとっているので、衰弱してしまわないようにしなければならない、という診断でした。

 娘は、餌を「強制給餌」するためのシリンダーやら、薬を飲ませるスポイトなど看護道具を一式用意し、毎日3回、抱っこしての介護生活がはじまりました。自分で動くことが出来なくなた兎のために、ふんの始末、床づれにならないよう、マッサ-ジ、流動食を食べたがらないので、少しずつだましだまし与え、一回の食事に1時間もかかる。

 最初の1週間で少し体力が持ち直したので、斜頸をなおす薬の投与をはじめたのですが、次の1週間でまた体重が減り、最後の1週間は毎日クリニックに通って点滴をしてもらいましたが、ついに介護うさぎになって4週目に死んでしまいました。


 娘は、最初のうさぎ「あすか」と次の「タイム」も看取りました。あすかは4歳、タイムはわが家に来て1年で死にました。(タイムは、売れ残りがペットショップによって捨てられたらしい兎で、足がわるく、娘と息子が公園で拾ったときにはもう大きかった)。
 私は「兎は寿命が短くて、別れるのがつらいから、もう飼うのはいやだ」と、言ったのですが、娘と息子は、「母は、うさぎの世話をひとつもしなくていいから」という約束で、ふうちゃんがわが家に来たのです。

 ふうちゃんは、病院へ検診に行くにも、餌やりやトイレの始末も、いっさい私はかかわらず、娘と息子が世話をしました。娘は母親のような態度で育てましたし、息子にとっても「家の中に自分より小さい存在がある、世話をしなければひとりで食べることができない命がある」ということで、妹のように大切にしていました。16歳で高校卒業資格認定試験に合格し、大学入学まで2年以上家の中に引きこもっていた間も、何よりの心のなぐさめになっていました。
 
 お葬式をすませて、テーブルの上に出しっぱなしになっていた兎用のスプーンやスポイトを片付けようとしたら、息子はしゃくり上げながら「気がすんだら、あとで、僕が始末するから、今は捨てたりしないで」と訴えました。
 娘も息子も大泣きで、悲しい思いをしてしまいましたが、命ある者との別れを経験し、大切なものと引き裂かれる悲しさを知ることで、よりいっそう心やさしくなれると思います。

 命あるものが、命のかぎりをせいいっぱい生きぬこうとする尊い姿を、ふうちゃんは教えてくれました。
 8年間を共に生きたふうちゃん、娘や息子の心の友になってくれて、ほんとうにありがとう。

 ペットロスというと、「親や子、兄弟と死に別れる立場の人もいるのに、動物が死んだくらいで、、、」と感じる人もいると思うのですが、ペットも同じ家族です。
 私は、子どもの頃、大好きな祖母(母の母)が亡くなったとき、悲しかったけれど、同じ家では暮らさなかった人でしたから、どちらかと比べるのもおかしいけれど、13年間共に暮らした犬のコロが死んだときのほうが、死の悲しみから立ち直るにはずっと長くかかった、ということを思い出します。

 娘は、夫と同じで「宗教大嫌い」という主義なのですが、こういう時ばかりは,私が「ふうちゃんは広い草原の兎の天国で、あすかちゃんやタイちゃんといっしょにいるから」というなぐさめを受け取ってくれました。

 こういうとき、「霊魂を持つのは人間だけで、神は動物には魂を与えなかった。動物は天国に入れない」という宗教ではなく、「一寸の虫にも五分の魂」という仏教徒でよかったと思います。(私のは、アミニズムと習合した仏教ですが)
 
 兎が死んで2週間すぎて、少しずつ娘も息子も日常生活を取り戻してきました。
 「蓮のうてな」にはふうちゃんが大好きだった干し草もあることでしょう。蓮のうてなに、みな仲良く暮らしていると思うことにします。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「あぢさゐ紫陽花アジサイ」

2012-06-27 00:00:01 | エッセイ、コラム
都市農業公園2011


2012/06/26
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(8)あぢさゐ紫陽花アジサイ

 今年もあちこちのあじさいを見て歩きました。去年撮影した写真といっしょにUPします。

水元公園2011


 今年、感慨深く見つめたのは、飛鳥山公園の下、JR線路際の「アジサイの小径」を通ったときのこと。
 
 さくら新道は、王子駅前の線路と飛鳥山公園の間にある、飲食店街。戦後すぐに闇市から発展したバラック建ての飲み屋街でした。多くの「闇市」がこぎれいに改装してしまう中、このさくら新道飲食店街は、土地の貸借権利関係が複雑だったらしく、駅前という立地にもかかわらず、再開発されないまま60年間変わらぬ姿で残されてきました。今では貴重な「戦後のにおい」を残してきたのです。私は一度もこの中の店に足を踏み入れたことがなかったのですが、飛鳥山にくるたびに、この「闇市」の風情が好きで、このさくら新道を往復したものでした。

 2011年3月の大震災でもなんとか建物は持ちこたえたのに、今年1月、火の不始末から、あっという間に、ほとんどの店が炎上。木造の簡単な作りなので、火のまわりも早かったみたいです。未明からの火事で、脇の線路を走るJRの路線は5時間もストップしました。半年たった今も、黒こげのトタン壁や瓦礫が残されています。

 火事の火の粉を被った株もあったかもしれないけれど、アジサイは、いつも通りに色とりどりに咲いていました。
 さくら新道から入って、飛鳥山のアジサイの小径をたどる人は、今年も大勢来ていました。私も、露の晴れ間の6月17日に、焼けた店とアジサイを交互に見ながら小径を歩きました。

さくら新道・アジサイの小径2012


 テレビなどで東京大空襲後の、焼け野原になった東京、これよりもっとすごかったのだろうなあと思いながら、さくら新道の焼け跡の光景を眺めました。
 戦後60年、ここで商売を続けてきた人にとっては、今年の雨は無情の雨に思えることでしょう。店の権利も、又貸しの又貸しというような、複雑な関係になっている上、新道の飲食店長屋のうち、三分の一は焼け残ったので、一気に取り壊して瓦礫を片付けてしまうこともできずに、このままになっているのかもしれません。

 戦後の焼け跡から出発し、去年2011年の暮れまで、人々のにぎやかな笑い声や歌が響き、煮物の匂い、揚げ物の匂いが道を通り抜けていた新道なのに、これから再開発されるのかどうか、話は聞こえてきません。
 にぎわいがいつか復活するまで、アジサイの花たちは静かに見守っているのでしょう。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「あじさゐの歌集」

2012-06-26 00:00:01 | エッセイ、コラム
中央公園2012

2012/06/27
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(9)あぢさゐの歌集

 梅雨時に咲くアジサイ。日本原種の花は、ガクアジサイ。球あじさいも野にあったということですが、今、あちこちで見られる丸く色鮮やかなアジサイは、西欧で改良された園芸種がほとんど、ということらしいです。あじさいの名前についての蘊蓄は、「話しことばの通い路」にUPしてあります。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/kotoba0407a.htm

 「あじさい」の歌を集めてみました。
 『万葉集』には、「味狭藍あぢさ(あ)い」、「安治佐為あぢさゐ」と表記された二首があります。
    六義園2011
(原種に近いアジサイなどが集められています)

木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来『万葉集巻四0773:』
 言問はぬ 木すら あぢさゐ 諸弟らが 練りの むらとに 欺かえけり(大伴家持)
 こととはぬ きすら あぢさゐ もろとらが ねりのむらへに あざむかえけり
(物言わぬ木ですら、あじさいのような(色の)変化の花もあります。諸弟らの練り上げられた言葉(人のことばを司るという腎臓によって練られた美辞麗句)にだまされてしまった)

安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟『万葉集巻二十4448』
 あぢさいゐの 八重咲くごとく 弥つ代にを 居ませ 我が背子 見つつ 偲ばむ(橘諸兄)
 あぢさゐの やえさくごとく やつよにを いませ わがせこ みつつ しのばむ

 ふるさと、小野池のほとりに建つアジサイの歌碑のひとつ
(橘諸兄の歌)

 『万葉集』以後、あじさゐは、『源氏物語』『枕草子』には登場しません。色変わりの花が「変節」に通じて嫌われたとか、あじさいに毒があり、牛や山羊に食べさせたりすると中毒症状を起こすことから、人の住まいの近くから遠ざけられたとか、いろいろな説がありますが、光源氏があじさゐの花を見ているシーンなんぞがあったら、よかったのになあ。


中央公園2012

 平安時代の和歌から。
 (定家のあじさゐの出典がわかりません。ご存じの方、ご教授ください)。

茜さす昼はこちたしあぢさゐの花のよひらに逢ひ見てしがな(詠み人知らず)『古今和歌六帖』
夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり(藤原俊成)『千五百番歌合』
あぢさゐの 下葉にすだく蛍をば 四ひらの数の添ふかとぞ見る(藤原定家)
あぢさゐの花のよひらにもる月を影もさながら折る身ともがな(源俊頼)『散木奇歌集』
夏の野はさきすさびたるあぢさゐの花に心を慰めよとや(俊恵法師)『林葉集』

 江戸時代に入ると、芭蕉の句以後、、あじさゐは夏の季語となり、歳時記にも数々の句が載るようになります。今回は句ではなく歌の紹介なので、俳句は芭蕉のみを。
紫陽花や 藪(やぶ)を小庭の 別座敷(松尾芭蕉)

  江戸のあじさゐ。
宮人の夏のよそひの二藍にかよふもすずしあぢさゐの花(加藤千蔭)『うけらが花』
夕月夜ほの見えそめしあぢさゐの花もまどかに咲きみちにけり(加納諸平)『柿園詠草』



 近代には、あまたのあじさゐが詠まれました。現代の万智までの紫陽花のうた。

紫陽花も花櫛したる頭をばうち傾けてなげく夕ぐれ  与謝野晶子

あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あさねさす昼(佐藤佐太郎)『帰潮』

紫陽花の花を見てゐる雨の日は肉親のこゑやさしすぎてきこゆ(前川佐美雄)

美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり(葛原妙子)『原牛』

なほ生きむわれのいのちの薄き濃き強ひてなげかじあぢさゐのはな(斎藤史)『魚歌』

あぢさゐの蒼き花球膨れつつ日ごとの雨はわがうちに降る(尾崎左永子)

雨やみてあぢさゐの藍みなぎれる藍の珠より満ちてくる刻(雨宮雅子)

森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし(寺山修司)

色変えてゆく紫陽花の開花期に触れながら触れがたきもの確かめる(岸上大作)

あじさいに降る六月の雨暗くジョジョーよ後はお前が歌え(福島泰樹)

みづいろのあぢさゐに淡き紅さして雨ふれり雨のかなたの死者よ(高野公彦)

「アジサイ」の木札の立ちてあぢさゐのそこに末枯るる遠き日の駅(小池光)

・エミリといふ名にあこがれし少女期あり紫陽花濡るる石段くだる(栗木京子)

雨に濡れあぢさゐを剪りてゐる女(ひと)の素足にほそく静脈浮けり(小島ゆかり)

紫陽花(あぢさゐ)はほつかり咲いて青むともひとよたやすくほほゑむなかれ(今野寿美)『若夏記』

思いきり愛されたくて駆けてゆく6月、サンダル、あじさいの花(俵万智)




もんじゃ(文蛇)の足跡」
 「ふるさとの歌碑」は、http://kamituke.web.fc2.com/page177.html からの借り物です。
 故郷にいた少女時代、自転車で「浅野記念図書館」の行き帰りに、毎日のように売り場の本棚をのぞいた本屋さん。本を買うためではなく、新しい本のタイトルを覚えて、その本を図書館に「希望図書リクエスト」に出すために寄った本屋さんです。
 各地の「町の本屋」が大型書店に押されて閉店してしまうなか、故郷の本屋さんががんばって営業を続けていることを知り、うれしく思っております。
 2000年から店長さんをしている方。本名もネットに公にしていらっしゃる「星野上」さん。
 歌碑写真のコピーをありがとうございました。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「女子会、いずれ菖蒲か杜若」

2012-06-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
水元公園2011
2012/06/24
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(7)女子会、いずれ菖蒲か杜若

 さて、狩衣の殿方には縁なき乙女が3人集まりました。おっと、訂正。40年前は、乙女だった3人です。
水元公園2011
 6月16日土曜日夜、女性が3人のおしゃべりパーティ。K子さんのマンションで、パエリヤ食べながら楽しいひとときでした。パエリヤはK子さん手作り。ひたすら食べたのは、私とミサイルママ。
 三人の共通点は「演劇」です。先月K子さんが出演した『鼬』というお芝居のことや、ミサイルママの息子さんがやっている一人芝居のこととか、最終電車にやっと間に合う時間まで、長居してしまいました。

 まずはビールで乾杯し、ミサイルママは日本酒に切り替え。私は500mlのミレニアムモルツをひとりで受け持ちました。小魚の南蛮漬けやイカミンチ団子もおいしくて、おなかいっぱい。ミサイルママは、「K子さん、いつもきちっとキャリアウーマン風に見えたから、こんなにいろいろお料理できる人とは思わなかった」と、K子さんの意外な一面も見たと言います。

 三人寄れば姦しい。還暦過ぎの3人となれば、もはや恐いモンなしの三老婆、かと思うムキもいらっしゃろうが、われわれ3人が集まれば、いずれアヤメかカキツバタ。菖蒲の花に杜若、綾目も分かぬ美しさ。(と、自分で言えるところが還暦の貫禄。K子さんとミサイルママが美人であるのは確かなので、ついでに自分を紛れ込ませるのがテクニック)。
東御苑2011

 ミサイルママは、市役所に勤めるときに提出した書類に添付した写真を40年ぶりに見せてもらった話をしていました。還暦過ぎて、年金関係を確認するために公務員として働いたことのある役所に行ったら、就職時の写真を見せてくれたのだそう。

 20歳前の写真、自分でも「え、これが私?すごくかわいい」と思ったのだって。当時この写真を見たことのある職員から「この写真の美少女が、役所に勤めることになったと、役所中の評判になっていたのだ」という話を聞いて、へぇ、20歳前の私、そんな評判になるほどの可愛かったんだ、と往時をしのんできたのだそうです。

 「自分では知らなかったけれど、そういう評判がたつのも、納得の、昨今のアイドル顔負けの美少女に写っていた。そんな写真のこと、すっかり忘れていたけれど、あの写真ほしいなあ」というので、「自分の写真なんだから、次に役所に行ったとき、デジカメでその写真を撮影してくればいいよ。自分の顔なんだから、大丈夫だよ」と、おすすめ。あとで、ミサイルママ若かりし頃の「アイドル顔負け写真」を見せてもらおうっと。
 ミサイルママは、私が初めてジャズダンスサークルで会った30代のころも、「美人!」で通っていたのですから、二十歳前は、どれほど美少女だったろうかと思います。

水元公園2011


 ミサイルママ、今回は、秋の尾瀬ヶ原をひとり歩きしたときの写真と、山小屋に泊まるよりは経済的にすごせると思ってついにテントを購入し、上高地でひとりテントに宿泊したときの写真を見せてくれました。山ガール姿のミサイルママ、一人登山歴も長くなり、「60代は登山とジャズダンスで輝く」という目標を着々すすめています。

 K子さんは、先月上演した「鼬」の再演に向けて、充電中、というところ。条件がととのえば、「鼬」を別バージョンで再演し、さらに別の新作も上演していく、というお話でした。演劇活動、着々と進行中。
水元公園2011

 女子会、パエリアも大根ピクルスもおいしかったし、おしゃべりも最終電車で帰るまで続きました。いずれアヤメかカキツバタ&花ショウブの3人。いつまでも美しくありますように。アヤメのミサイルママとカキツバタのK子さん。えへへ、ついでに私も「花ショウブ」を名乗らせてもらいました。私のショウブはむろん、「花札、ショウブッ!」ですけど。

 K子さん、今も美人ですが、40年前、とっても美しかったです。私はといえば、40年前も、今と同じようなぷっくり膨らんだまん丸い顔をしておりました。
 40年前の神代植物公園で、チューリップよりも丸く下ぶくれになっている顔をごらんください
1971年               1973年の神代植物園で
  

榛名湖畔でピクニックする春庭(左)とK子さん(右)1973年


ね、いずれアヤメかカキツバタでしょっ!
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ぽかぽか春庭「菖蒲、園芸勝負」

2012-06-23 10:00:00 | エッセイ、コラム
水元公園の菖蒲
2012/2012/06/23
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(6)菖蒲、園芸勝負

 何年か前に、堀切菖蒲園を訪れて、さまざまな種類の花しょうぶ、あやめ、カキツバタを見ました。また、昨年、水元公園で「江戸時代の園芸ブーム、菖蒲園大流行」という講演を聞きました。葛飾区郷土と天文の博物館の学芸員の女性が、江戸時代には、朝顔、牡丹などの新種育成がブームとなったこと浮世絵にもさまざまな菖蒲が描かれたことなどをレクチャーしてくれました。
 このとき、アヤメとカキツバタの見分け方なぞも教えてもらいました。でも、そのときは「へぇ」と思ってもすぐに忘れるから、今年、花を見ても「どっちが花ショウブでどっちがアヤメ、カキツバタ?」と、さっぱり見分けがつきません。まあ、きれいだから、どっちでもいいんですけれど。

 堀切菖蒲園は、江戸時代から飛鳥山の桜と並び、江戸の人々にとって格好のお花見場所、遊楽地でした。明治時代には、外国人にも人気のスポットとなり、写真に「手彩色」で色をつけた観光絵はがきが,横浜から「日本みやげ」として売られました。

 昨年の講演会のことが、葛飾区郷土と天文の博物館のサイトなどに出ているかと検索をしたのですが、結局検索にひっかかったのは昨年私が書いたカフェ日記でした。ちゃんと講演者の名前も書いてありました。カフェ日記では、画像をつける方法を知らなかったので、今回画像付きで再録。
皇居東御苑の菖蒲

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2011/06/25
ぽかぽか春庭十一慈悲心日記2011年6月>紫陽花&菖蒲さんぽ(4)江戸文化とハナショウブと彩り御膳
 
 「江戸文化と花菖蒲」の講演はとても面白かったです。講師の橋本直子さんは、「葛飾郷土と天文の博物館」の学芸員。葛飾の歴史や花菖蒲園芸史を研究しているそうです。葛飾を描いた浮世絵をスライドで映しながら、江戸の花卉文化園芸ブームについて解説してくれました。歌川広重(初代から5代目までいたそうです)の浮世絵による堀切菖蒲園。明治の手彩色写真による菖蒲園など、とても興味深い内容でした。

歌川広重「名所江戸百景 堀切花菖蒲」


 講演の内容を家に帰ってから確認しました。
 江戸の花菖蒲、新品種の育種で名高いのは、花菖蒲中興の祖、松平菖翁です。江戸末期に生きた二千石の旗本松平左金吾定朝、通称「菖翁」は、300種にものぼる新品種を開発したといいます。国立国会図書館に菖翁の書き表した『花菖培養録(『花鏡』から改題)』など栽培記録が残されています。

 静岡県掛川市、「加茂花菖蒲園」の花菖蒲園芸史サイト
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/syoubu.html
 『花菖培養録』の意訳サイト
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/baiyourk.html

広重「菖蒲に白鷺」


 出講している大学のひとつには園芸学部があり、毎年、園芸学専攻の大学院留学生数名に日本語を教えます。今年の園芸学専攻留学生はエチオピアからのふたり。ひとりは園芸環境学で、ひとりは育種学の専攻です。
 留学生の専攻は、米や小麦など直接食糧増産に役立てたいという研究のほうが多いですが、花卉栽培も空輸の発達した現代では重要な輸出産業になります。日本の花卉園芸学は、近代園芸学だけでなく、江戸時代以前から数百年の歴史を持つことをよく学んで、自国の園芸発展に役立つ留学生に育ってほしいです。

 自転車で園内走り回っているとき、遠くに橋幸夫が「潮来笠」歌っているのも聞こえたし、水元公園の花菖蒲まつり、楽しかったです。講演会が終わった3時すぎ水元公園を出ました。

 (菖蒲花見の帰りに食べた彩り御膳)

 (以上、2011/06/25再録)
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 今年も、同じ講師、橋本直子さんによる講演会「江戸文化と花菖蒲」が6月16日、清澄公園の大正記念館で行われたことがわかりました。
 江戸の園芸ブーム。園芸趣味の旗本や大名や大店の旦那衆がそれぞれおかかえの庭師と新種の育成に励み、庭師園芸師たちは、新しく美しい花を生み出そうと競い合う。それを浮世絵に描く絵師や彫り師たちも、己の技量を競い合って、傑作が生まれる。幕末の写真師たちは、西洋人からならった撮影技術で江戸の町を撮してまわる。一輪の菖蒲をめぐっても、さまざまなドラマが生まれたろうなあと思います。

幕末の堀切菖蒲園(小川一真撮影、長崎大学図書館所蔵)


 もちろん、江戸の園芸ブームのずっと以前から、菖蒲・杜若は、日本の初夏を彩る花でした。

 『万葉集』にある家持のかきつばたの歌。
加吉都播多 衣尓須里都気 麻須良雄乃 服曽比猟須流 月者伎尓家里(巻十七3921)
杜若衣に摺り付け 大夫の 着襲ひ狩する 月は来にけり(大伴家持) 
かきつはた きぬに すりつけ ますらをの きそひ かりする つきは きにけり
杜若を摺り染めにして衣に染めて、立派な男子が狩の衣服を身につけて狩をする月がやってきたなあ。


 かきつばたには、燕子花と杜若という熟字訓があります。アヤメ、カキツバタ、はたまたハナショウブ、この3種類の花は、素人目には見分けがつきません。見分けられないけれど、いずれも美しい、というのが「いずれアヤメかカキツバタ」ということばになりました。
 まんなかに白いすじがあるのが杜若


 『伊勢物語』には、「男」が京の都を追われ、東下りをする途中、三河の「八橋」にきたとき、有名な「かきつばた」を頭韻にした歌を詠んだことが物語になっています。

 昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人、ひとりふたりして、いきけり。道知れる人もなくて惑ひ行きけり。
 三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋といひける。その沢のほとりの木の蔭に下り居て、餉(かれいひ)食ひけり。
 その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心をよめ」
といひければよめる。
らごろも つなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、餉の上に涙落して、ほとひにけり。
 
 旅の干し飯の上にこぼれた涙で飯がふやけるまで、泣く男たち。妻や都が恋しくて、杜若の色もあせて見えたことでしょう。

 この八つ橋の場面を描いた尾形光琳の絵があります。メトロポリタン美術館所蔵の「八橋図」。根津美術館にある国宝「かきつばた図」
 今年、この2点が同時に根津美術館で見られたのに、行きそびれました。なんとか招待券が手に入らないかと思っているうちに、会期が終わってしまいました。入場券千円をけちらないで、見ておけばよかった。
尾形光琳杜若図(根津美術館所蔵)

尾形光琳「八橋図」(メトロポリタン美術館所蔵)


 杜若をみて「からごろも~」と詠み、涙を流した「昔、男」のモデル、在原業平は、隅田川のほとりで、都鳥を見て、また涙。隅田川の白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」でのできごとだそうです。

 猶、行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて思ひやればかぎりなくとほくも来にけるかなとわびあへるに、渡し守、「はや舟に乗れ、日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らんとするに、皆人わびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さるをりしも、白き鳥の嘴と脚の赤き、鴫の大きさなる、水のうへに遊びつつ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。渡し守に問ひければ、「これなん宮こどり」といふをききて、
 名にし負はば いざ事とはむ 宮こ鳥 思ふ人は ありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。


 この都鳥を見て泣いた業平を記念して、名付けられたのが、業平橋(なりひらばし)。現在は、横川親水公園)に架けられています。(墨田区業平1丁目)
 近所を通る東武伊勢崎線の駅名は「業平橋駅」でしたが、東京スカイツリーの開業に会わせて、駅名は「東京スカイツリー駅」に改称されました。業平ゆかりの名がひとつ消えて寂しくもありますが、東京新名所、賑わっていて経済効果も抜群らしい。
 さて、業平さんなら、このスカイツリーを見て、何と詠むでしょうか。業平も入場料3000円を高いと思って二の足を踏むやいなや。
 
 六三四(むさし)鐙(あぶみ)さすがの高きに踏みもせで 見上げる人のありやなしやと(春庭)
 (モンジャ(文蛇)の足跡:「武蔵鐙」は「さすが」と「踏む」につづく枕詞。)

<つづく>

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ぽかぽか春庭「薔薇を刺す」

2012-06-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/06/22
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(5)薔薇を刺す

 K子さん宅での、女子会。演劇好きの3美女がおしゃべりしました。演劇話の途中、私の希望で、K子さんが録画しておいた、三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を再生して第一幕を見ました。2012年3月に世田谷パブリックシアターで上演された白石加代子と蒼井優とが母娘になる配役です。

 演出の野村萬斎は、「(この劇には)フランス革命というものを下地にしたコスプレショー的なところもある」と語っていましたが、6人の女優の衣装、コスプレっぽくしています。(衣裳:齋藤茂男)
 麻実れい(サン・フォン伯爵夫人)は、Sの女王みたいな乗馬服着て鞭持っているし、白石のモントルイユ夫人は、着物をアレンジしたドレス。日本の着物が西欧貴族社会でもてはやされるようになるのは19世紀からだと思いますが、芝居衣装ですから、フランス革命時のキモノドレスってのもありにしときましょう。世間体と名声名誉欲がたっぷり詰まっているような衣装に見えてよかった。

 ちょうど1年前には、ジャニーズがらみで同じ演目を蜷川幸雄が演出。東がルネで生田斗真が妹のアンヌ。平幹二朗がモントルイユ夫人という、これまたすんごいメンバーでの6人の男優による「6人の女性が登場する劇」を演じて話題になりました。平は王女メディアなどで女性役も納得だったけど、トーマ、女性役こなせるのかしら、と思っていたら、なんのなんの、制作側のもくろみ通り、ジャニーズファンが押しかけ詰めかけ公演は大成功だったとか。

 K子さんに言わせると「昨今の演劇公演は、テレビで売れた人気タレントをひとり配役に入れて、演劇見るんじゃなくて、タレントを見る客がチケットを買えば、それで公演大成功。中年向けも同じ事。たとえば、大竹しのぶがでていれば、それだけで、しのぶちゃんさすが名演だったね、と客は満足するのよ」と、言っていました。演劇を作っていく側になったK子さん、舞台制作の裏側もよくわかっています。

 同じ演目を今度は、6人の女優の競演で、麻実れいは、鞭を振るうのがすごく似合ってS女王のようだし、白石加代子はいつも通り妖怪だか人間だかわからない像を生みだしているし。とにかく、私とK子さん、もう40年も昔、早稲田小劇場で『劇的なるものをめぐって』を見て、「東京の演劇はすんごい」と口をあんぐりあけて、白石のかっ喰らうたくわんを見て以来のおつきあいです。

 K子さんは、「ルネ役の蒼井優は、思ったよりよかった。もっと危なっかしくて見ていられないかと思った」という感想。私は、舞台俳優としての美波を初めてみたので、「美波が思ったよりよかった」と言うと、舞台通のK子さん、美波はずいぶん前からいろいろな舞台を踏んで成功していたと教えてくれました。ルネの妹にしてアルフォンス・サドの逃避行に同行するアンヌ役の美波、私がはじめて見たのはテレビドラマの『有閑倶楽部(2007)』だったから、フランス人ハーフのお人形さんのような容姿から、よくある「モデルがちょっと台詞しゃべるテレビタレント」だと思っていて、久しぶりに美波を見たのは、「運命の人」 最終話の謝花ミチ役。少女時代米兵にレイプされた影のある女性役を演じていて、ちょっと見ない間に、ずいぶんと上手になったこと、と思ったら、舞台で活躍していたんですね。

 背徳の罪により牢につながれ、世間からの指弾を浴びる夫、アルフォンソ。マルキ・ド・サド。三島の描き出したルネは、夫への貞節を貫く日々の姿を、薔薇の刺繍にたとえています。ルネは夫を待ち続け、ひと針ひと針の刺繍の針に思いを込める時間を自らの幸福だと言い聞かせます。

ルネ: 幸福というのは、何と云ったらいいでしょう、肩の凝る女の手仕事で、刺繍をやるようなものなのよ。ひとりぼっち、退屈、不安、寂しさ、物凄い夜「」、恐ろしい朝焼け、そういうものを一目一目、手間暇をかけて織り込んで、平凡な薔薇の花の、小さな一枚の壁掛け作ってほっとする。地獄の苦しみでさえ、女の手と女の忍耐のおかげで、一輪の薔薇の花に変えることができるのよ。
アンヌ:これからアルフォンスは、そのお姉様の丹精の薔薇のジャムを毎朝パンにつけて上がるわけね。
ルネ:皮肉屋ね、アンヌは。

薔薇の刺繍
 ときにはその華麗さが空虚へもつながる三島由紀夫の台詞の氾濫も、華麗な薔薇の刺繍のイメージにより「地獄の苦しみ」さえ一輪の薔薇に変わる。1幕にも3幕にも出てこない薔薇だけれど、2幕のこの台詞により、台詞術はやや単調ながら、蒼井優のルネが、「トゲある薔薇」のイメージになりました。

 『サド侯爵夫人』は、1965(昭和40)年の初演。海外公演も数多く、三島戯曲の最高傑作と評されています。(国内では、新派むきの『鹿鳴館』のほうが上演回数が多いだろうけれど)

 三島は、この戯曲の登場人物は、サド侯爵夫人・ルネは「貞淑」。厳格な母親モントルイユ夫人は「法・社会・道徳」。敬虔なクリスチャンのシミアーヌ男爵夫人は「神」。性的に奔放なサン・フォン伯爵夫人は「肉欲」。ルネの妹・アンヌは「無邪気、無節操」。家政婦・シャルロットは「民衆」を代表する、と記しています。モントルイユ家の3人はサド侯爵をめぐる実在の人物ですが、あとの3人は、三島の創作。
 三島は、長年獄中の夫を支えた妻、ルネが、夫が釈放されると修道院へ入ってしまうことの不可解さにひかれてこの戯曲を構想したと、執筆動機を書いています。(河出書房新社版→新潮文庫版所収)

 私の受け止め方は、、、、、。
 三島の母・倭文重(しずえ)は、跡継ぎである長男を姑の夏子にとりあげられ、自らの手で育てることがかなわなかった。「母親である自分は、平岡公威を育てるということに関しては、姑の夏子に妨げられてしまったが、文学者三島由紀夫を誰よりも理解出来る人間だ」と自己規定していたと思われます。「私はあなたの理解者よ」と言いながら、三島の「普通の結婚」を望んだ母と、三島の性的嗜好を決して許そうとはしない妻の間にあって、どちらからも逃げ出すことのできない三島によって書かれた戯曲が『サド侯爵夫人』と、私は解釈します。

  三島は1958(昭和33)年に、杉山寧の長女・瑤子と結婚。結婚当初は妻に遠慮していた三島も、やがて、妻の顔色を見つつも、男性との性的関係を復活させました。
 三島は、老年になった侯爵と夫人との離別に触発されてこの戯曲を書いた、と言うのだけれど、「夫のどのような性的嗜好もあまんじて受け入れ、貞淑を尽くしてきたルネ」が夫との別れを決意するまでの心理は、ルネが「私はアルフォンスなのです」という夫への一体感から、夫が描き出した「貞潔であるゆえに不幸続きの女」に自分を同化させ、「私はジュスティーヌなのです」と、言うまでの、すべての軌跡が三島自身なのだ、と思います。三島がこの戯曲を構想したのは、「私こそが、アルフォンスであり、ルネであり、ジュスティーヌなのです」と考えたからだろうと思うのです。

 三島は渋澤達彦の「マルキ・ド・サド」に触発されて戯曲を書きました。最初はアルフォンスを登場させる構想でしたが、侯爵を一度も舞台に上に出さない、というアイディアを思いついてから、一気に戯曲執筆が進展して、と三島は述べています。

 ルネとその母親を主人公とし、「世間体が何より大事な母親とも、世間体に反逆して生きた夫とも決別する女の物語」として書き換えました。三島は、結婚という制度からも、母と息子という逃れられない血縁からも自由になりたかったろうと思います。現実には、三島は最後まで母には孝養を尽くしたし、妻が「夫の男性関係」を許さないことにも恐々として、表向きは「妻とふたりの子のいる世界的な作家」としての自分を崩そうとしなかった。

 ルネが世俗と決別し、修道院へ向かう理由について、三島は「夫の小説の登場人物ジュスティーヌの不幸と自分自身を重ね合わせ、精神の自由を得て創造の世界を天翔る夫と自分は別の世界に住人であるから」と語らせています。

 獄を出て面会に表れたアルフォンス。乞食のような姿で表れたと、女中のシャルロットが言うにも耳をかさず、ルネは、自分の心の中にあるアルフォンスを胸に、修道院へ入るのです。

 夫を捨て、母親の干渉にも決別して修道院へ行くルネ。
 三島は、この戯曲初演の5年後に、妻子を捨て母親も顧みず、市ヶ谷駐屯地へ行って、若い男といっしょに死にました。自らの望むままに、自らの行く手を決めた、という点では、まさに「ルネは私なのです」という三島の声がきこえてくるように思います。

 ルネとアルフォンス・サド侯爵は、フランス革命勃発によって運命を変えていきます。しかし、三島が望んだ、日本の運命を変えるべき革命(天皇による新しい時代をもたらす革命!)は、どこにも顕現しませんでした。三島の願った天皇像は、すでに20年前に滅びさり、1970年の天皇は、三島にとって「出獄し乞食のような姿になった侯爵」さながらであったことでしょう。三島の渇望する天皇がアナクロニズムの道化にしかならないことを、知っていながらの「軍隊ごっこ」だったように思うのですが、死んだ人の心の中は、その人にしかわかりません。今の目から見れば、コスプレにしか思えないので。

 薔薇と三島。
 三島由起夫の写真集『薔薇刑』は、細江英公撮影による、三島由紀夫の裸体写真集です。撮影は1961(昭和36)年9月から1962(昭和37)年)春まで、約半年間。自宅を撮影場所に提供したときは、妻と2歳の娘にはその撮影現場を見せたがらなかったそうです。「娘の教育上よくないから」と、妻を実家に帰らせている間に撮影された裸体像は、三島好みのマゾヒズムに貫かれており、発売時にはスキャンダルめいた人気を呼びました。2008年、税抜き5万で発売された500部もたちまち売り切れたそう。私は写真美術館で見ただけで、もちろん5万出して買うことはできません。

写真集『薔薇刑』より、薔薇を持つ三島由紀夫


 薔薇ほど、多様なイメージ、シンボルとなって言葉にされた花はないかもしれません。華麗な花と鋭い棘と。近年は品種改良で棘のない薔薇というのも売り出されているのだそうですが、美しいものには棘あってこそ、毒あってこそ。
 文壇というものも滅んだ21世紀、文学の世界には、三島ほどの毒と棘をもった作家はもう出現しないかもしれません。西村賢太の棘も、田中慎弥の毒も、私には痛くない。

 わたくし?何の毒も棘もない雑草ですけれど、何か。
 雑草は手折られもせず、踏みしだかれるのみ。
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「薔薇の名前」

2012-06-20 12:00:00 | エッセイ、コラム
2012/06/20
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(4)薔薇の名前

 現在は園芸種として、さまざまな薔薇が生み出されています。
 神代植物園での薔薇散歩でも、大型の花コーナー、香り高い種類のコーナーなどがあり、日本の皇族、各国の王族の名前や、カトリーヌドヌーブだのジーナロロブリジダだの女優の名前、アインシュタインだのリンカーンだの著名人の名前などがつけられて咲き誇っています。

 知り合いのマサコさんは、「プリンセスマサコ」ってのを「私のバラ」と思うことにしたって。そりゃ違うだろうって突っ込むところですけれど、マサコやミチコ、アイコの名を持つ薔薇は、それぞれ数種類あるみたい。どれがどれやら、そんなに何種類もプリンセスの名を冠した薔薇があるなら、ひとつくらい「自分の」と思い込んでもよろしいでしょう。
プリンセスミチコのひとつ

 園芸種のもとになった原種は8種類あるということですが、その中の3種類は、日本に自生していた野イバラです。ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシが日本原産であることを知ると、なんだか薔薇の母にでもなった気分。
 神代植物園にも、「原種のバラ」コーナーがありますが、園芸種のバラが見頃のころは、もう咲き終わっていることが多いです。
野茨の花

 古代にはバラは「うまら」「うばら」と呼ばれていました。
 『万葉集』には、うまら、うばらの歌は二首あります。

美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟(巻二十4352)
道の辺の茨の末に延ほ豆の絡まる君をはかれか行かむ(丈部鳥はせつかべのとり)
(みちのへの うまらのうれに ほほまめの からまるきみを はかれか いかむ)
道の辺のイバラの先にからまる豆のつるのように、わたしに絡まりついて離れないあなたを、ひとり置いていかねばならないのだろうか

 うまらは、野の花ですから、飛鳥や奈良の都会人にはあまり取り上げられなかった花ですが、道ばたに咲く野辺の花を見ている人が、恋しい人を思いながら詠んだのだろうと思います。
 作者の丈部鳥は、天羽郡(あまはのこほり)の上丁(かみつよぼろ)。千葉県富津市辺りに住んでいて、上級の丁(課役を担う壮年)として仕えた人。東路の野辺に咲いたイバラが目に浮かびます。

枳 蕀原苅除曽氣 倉将立 屎遠麻礼 櫛造刀自(巻十六3832)
からたちと、茨刈り除け、倉建てむ 屎遠くまれ櫛造る刀自(忌部首(いむべのおびと)
(からたちと うばら かりそけ くらたてむ くそとおくまれ くしつくる とじ)

(からたちとバラの木を取り除いて倉を建てるぞ、糞をするなら遠いところでしなさいよ、櫛を作るご婦人方)

 「數種物歌一首」という詞書きがありますので、「ここに倉を建てるから、からたちのトゲやイバラの棘にさされないよう、もっと遠くで用をたしなさいよ、櫛を造る奥様方」という、冗談の歌と解釈できますが、こういう冗談の歌を高らかに吟じて、大笑いした宴席のようすがうかがえます。 
 枳(からたち)は、中国原産。中国の橘(たちばな)の意味で「唐橘(からたちばな)」と呼ばれました。4~5月ごろ白い花が咲き、丸い実がなる。カラタチもイバラも鋭いトゲがあるので、そこで用を足したら、尻をさされてしまいます。

 「屎、遠くまれ」の「まれ」は、「まる」の命令形。「まる」は、動詞は現代語では使われず「お」をつけた「おまる」として現在も使われる古語です。
 「用心していないと、用を足すために服をからげたそのお尻に、トゲが刺さりますよ」という警告には、イバラの棘に「殿方の大きな棘」が暗喩されていて、皆が集まって酒を酌み交わす宴席などでは、こういう歌が大喝采だったのだろうなあと思います。

 ともあれ、バラは古代からずっと愛され続け、薔薇が出てくる本といえば、枚挙にいとまはありません。
 その中でも印象深いのはU・エーコの『薔薇の名前』(1981)でしょうか。と言っても、わたしは映画を見ただけで、本は文庫本がツンドクになっています。
 エーコが小説のラストに引用したラテン語の詩句、ベルナール(英語名バーナード・オブ・モーレー)の詩に「薔薇の名前」ということばが出てくるのです。

 映画の字幕での訳。
バラは神の名付けたる名、我々のバラは名もなきバラ
 映画解説の一説によると、「名もない薔薇」とは、神父ウィリアムの従者メルクのアドソが別れてしまってそれきりになった若い頃の初恋の相手(小説中では名を与えられていない)のことを暗示しているっていうんですけど、原作読んでないからわかりません。

 ラテン語解説のページによると
*stat:sto,stare(【動】立っている、存続している、留まる)の3人称単数現在:主語はrosa。
*pristina:pristinus(【形】原初の、以前の)の女性単数形。
*nomine:nomen,-minis(【中】名前)の単数奪格。
*nomina:nomenの複数対格;tenemusの目的語。
*nuda:nudus【形】裸の;単なる、ただの)の複数対格。
*tenemus:teneo,-ere(【動】握る、保持する)の1人称複数現在.
 直訳は「初めのバラは、その名により留まり、私達はその名前だけをもっている」。

(http://blog.livedoor.jp/erastos8136/archives/cat_417812.html)
 実在論に関する、深遠な哲学が含まれている詩句みたいです。

 この詩句はホイジンガの『中世の秋』に出てくるというので、本棚を探すと、一番上の天井のすぐ下の段にありました。椅子を持ってこないと手が届かない位置の棚にあったということは、この本は、この先、読むこともないだろうけれど、何かの折りに参照しないとも限らない、とみなされて一番上に上げられた本の一冊ってことです。

 『中世の秋 上』、奥付には「1976.9.16購入」と夫の字で書いてありました。あら、私の本じゃなかった。この中のⅧ「愛の様式化」という章とⅨ「愛の作法」という章に「ばら物語」という中世の物語が論じられていますが、エーコが引用した詩句がどのページにあるのか、見つかりません。

 ホイジンガは、『中世の秋』ⅩⅡ章の『すべての聖なるもののイメージ』の中に、クリスチーネ・ド・ピザンの詩句を引用しています。
 しげしげと教会まいりをするというのも、
 みんな、きれいな女をみようがため、 
 咲きたてのばらのように新鮮な。

 若者は、恋の相手を探しに教会へやってくる。中世の教会が恋の出会いの場であったり、娼婦がお客を見つける場であったりしたと、『中世の秋』には解説してあります。
 恋人探しの若造が、うっかり手練れの女の手に落ちてしまわないとも限らない。美しい薔薇は、常にトゲを持っている。

 「薔薇の名前と初恋の人」と言えば、シェークスピア。
ジュリエットは、恋しいロミオが持つモンタギューの名を思って言います。
 「名前ってなに?薔薇と呼ばれる花を別の名前にしても美しい香りはそのままだわ
What's in a name? that which we call a rose.By any other name would smell as sweet.

 薔薇の名前、、、、、「春庭」って新種ができるといいなあ。たぶん本居春庭にちなむ名だろうけれど、むろん、無断で「私の名前の薔薇」と思い込むことにします。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「新種!ベルサイユのばら」

2012-06-19 12:00:00 | エッセイ、コラム
2012/06/19
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(3)新種!ベルサイユのばら

 国際バラとガーデニングショウ。
 2012年の今年は第14回。2012年5月12日から20日まで、所沢市の西部ドームで開催されました。通勤に使う西武線でずいぶん前に宣伝パンフレットを見て、行ってみたいなあ、招待券が手に入らないかしら、と思っていたのですが、ダメでした。100万輪のバラが広いドームを埋め尽くす、というのを見てみたかった。会期中、300万人が訪れて、薔薇の花を中心にした展示やガーデニングショウを楽しんだのだそうです。

 実際に見ることができませんでしたが、NHKの放送で「趣味の園芸 国際バラとガーデニングショウ2012」というのが放映されていたので、お茶碗を洗いながら見ていました。
 普段「趣味の園芸」なんて見たこともないのですが、きれいな庭は大好きです。

 番組では、薔薇育種家3人が紹介され、新種の薔薇作りに一生をかけた園芸家が登場しました。天津乙女という、私も古河庭園や神代植物園でその名を見たことのあるバラを育てた寺西菊雄さん。伊丹市にあるイタミローズガーデンでの育種歴60年だそうです。
 ローマの国際薔薇コンクールで金賞を受けた「快挙」という薔薇を育てた武内俊介さん、京成バラ園の3代目園長さん。河合伸志さんは、「禅シリーズ」という日本独自の色を追求する。作り出した新種の薔薇の名前も「あさきゆめみし」「空蝉」など、和風です。
 どの方も、時間と手間のかかる新種の薔薇の育成を成し遂げるまでに、途方もない努力を重ねておいでです。わたしなんぞ、ただ「きれいだなあ」「いいにおいだなあ」と思って見ているだけだけど、薔薇の花にもこうやって咲くまでにいろいろな物語があるのだなあ、と思い入りました。
 
 西部ドーム会場全体のシンボルガーデンとなったのは、イギリスのデザイナー、キャス・キッドソンさんの庭。過去14年間かけて作ったイングランドのコッツウォルズにある庭をイメージた伝統的なイングリッシュガーデンをベースに、同じイギリス人のガーデンデザイナー マーク・チャップマンさんが再構築したライフスタイルの展示だそうです。 キャス・キッドソンは、小物類の販売を手がけて、今やイギリスを代表する企業家となった人です。私には、ピーターラビットのふるさとコッツウォルズは一生に一度は行ってみたいあこがれの土地です。

 園芸家にとっては1年1度の晴れ舞台となる、バラやガーデンのコンテストもあり、新種の発表の場でもあります。今年の目玉は、「ベルサイユのバラ」と名付けられたこの薔薇。(画像はネットからの借り物です)。
ベルサイユのばら
 
 池田理代子よりほんのちょっと若い世代の私たちには、バラといえば漫画の『ベルサイユのバラ』ですが、1980年代のタカラヅカに心ときめかせた世代にとっては、トップスターがオスカルやマリーアントワネットを演じた劇こそ「薔薇中のバラ」と印象に残っているでしょう。

 私より少し上の世代に人にとっては、学校の音楽室で歌ったシューベルトやウェルナーの「野バラ」の歌こそが「心のバラ」であるようです。どちらもゲーテの詩に曲をつけたものですが、中学校で日本語訳詞で歌うとウェルナーの曲のほうがいい曲に思えたのに、高校でドイツ語原詩にカタカナでルビふって歌うと、シューベルトのほうがずっと詩にぴったりだと感じました。

ゲーテの歌詞(ドイツ語)
Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
war so jung und morgenschön,
lief er schnell, es nah zu sehn,
sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.

Knabe sprach: "Ich breche dich,
Röslein auf der Heiden!"
Röslein sprach: "Ich steche dich,
dass du ewig denkst an mich,
und ich will's nicht leiden."
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.

Und der wilde Knabe brach
's Röslein auf der Heiden;
Röslein wehrte sich und stach,
half ihm doch kein Weh und Ach,
musst' es eben leiden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.

近藤朔風(こんどうさくふう)の訳詞
♪童は見たり 野なかの薔薇
清らに咲ける その色愛(め)でつ
飽かずながむ
紅(くれない)におう 野なかの薔薇
♪手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇
手折らば手折れ 思出ぐさに
君を刺さん
紅におう 野なかの薔薇
♪童は折りぬ 野なかの薔薇
折られてあわれ 清らの色香(いろか)
永久(とわ)にあせぬ
紅におう 野なかの薔薇

 ゲーテの原詩を直訳してみると、近藤朔風の詩はかなり「文部省唱歌」的にお行儀のいい超訳の気がします。では、春庭は、不良少年っぽく超訳してみます。わいるどダゼェってなところ。

「荒野の薔薇」 春庭超訳
悪ガキが、野に咲くバラのようすをうかがう
若くてきれいな野原の薔薇
近くに寄ってじっと眺める、うれしげに。

ちっちゃな野バラ、赤いつぼみの荒野の薔薇ちゃん
おまえを摘んでしまいたい
野バラは答えた「思い通りに摘まれてたまるか、あたいの棘で刺してやる」
かわいい野バラ、荒野のつぼみ

それでもあいつは野バラを摘んだ
野バラはヤツを刺しまくる

痛かあねぇよ、野バラちゃん
かわいいもんだぜ荒野の野バラ
赤いつぼみのちっちゃな野バラ

2011年に神代植物園で撮影
<つづく>
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ぽかぽか春庭「薔薇アイスクリーム」

2012-06-17 12:00:00 | エッセイ、コラム

2012/06/17
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(2)薔薇アイスクリーム

 去年の春から夏にかけて、花を見にひとりで歩きまわりました。休みの日など、じっと落ち着いて本を読む気分にもなれず、ただ歩きまわって時間を過ごしていないと、不安な気分で落ち込んでくるために、ひたすら花の間を歩いて写真を撮っていました。ネットに撮影名人の花がUPされているのに比べると、デジカメでただシャッターを押すだけなので、たいしてきれいには撮れないのですが、これまでに撮影したものを何枚かUPします。
      
 今年は去年よりは落ち着いた気持ちでいます。桜のあとの花歩きは、5月24日、木曜日に、仕事を終えた後、夕方まで神代植物園へ。薔薇は花盛りをちょっと過ぎていましたが、きれいでした。
神代植物園の薔薇園と温室

 「薔薇アイスクリーム」というのを食べながら、薔薇を見て歩きました。前から食べて見たかったのですが、薔薇のジャムとか食用バラを売っているのは知っているけれど、公園の売店で売っているようなアイスクリームに本当に薔薇がはいっているのやら、バラの香りの香料が混ぜてあるだけだろう、と思って、去年は食べませんでした。どこぞの薔薇園で売っている薔薇アイスは、「ブルガリアローズの天然香料と赤カブの天然色素を使ったピンクのアイスクリーム」という記事も見ました。カブの色素なら、バラ&カブアイスだなあと思うのですが、まあ、それでもよし。今年こそは花より団子、バラをながめてバラアイス。

 昨年は、都電の線路沿いの薔薇、本郷給水所公苑の「屋上庭園の薔薇」を見たり、あちこちの薔薇を見て歩きましたが、今年は旧古河庭園の薔薇も見ず、神代植物公園だけ。
 時流れ、花は変われど、こぞの薔薇ことしの薔薇と咲き誇る。

都電の線路沿いの薔薇2011年撮影
    

本郷給水所公苑の「屋上庭園の薔薇」2011年撮影



<つづく>
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ぽかぽか春庭「つゆくさ」

2012-06-16 12:00:00 | エッセイ、コラム

2012/06/16
ぽかぽか春庭十二単日記>つゆに咲く花(1)つゆくさ

 6月、傘を傾けながらの通勤の足は、どうしても重くなりがちです。仕事先まで、少しでも軽やかに足を運ぶために、つゆのあいまの楽しみを見つけて歩きます。
 月曜日と木曜日、仕事先へ向かう人々、電車線路の下の地下道をくぐって、駅前広場を回っていきます。広場の先が大学入り口です。
 私は、駅を出ると通学通勤の人々と反対方向に向かいます。

 私がわざと反対方向へ向かうのは、駅の左手にある地下道ではなく、右手にある踏切を渡り、「朝日町通り」を通って行くためです。(「朝日町通り」って、全国各地にあるみたい。平凡な名前なんですね)大学に着くまでの時間はほとんど変わらないのに、踏切を渡っていく人はほとんどいません。私も、「なんだ、踏切を渡っていっても大学までかかる時間は同じなんだ」と気づくまで何年もかかりましたから。

 この通りの東側、ただぼうぼうと木や草が生えている空き地でしたが、今年はじめに工事が入りました。大きな木を切り倒し、コンクリートの建物の残骸を掘り起こして、何か施設ができるのかなと思っていたのだけれど、このところ、工事も進まず、何の進展もありません。工事が始まったら、うるさい道になるかもしれませんが、今のところ、この空き地沿いの通りは、雑草天国です。春先のたんぽぽ、外来種が野生化したようにみえるポピーに似た花。今はアザミ、ヒメジョオン(ハルジョオンなのかもしれません)ほかにも、私には名前のわからない雑草がぎっしりと生えています。大きな木がなくなって日当たりが良いので、何かの施設ができるまでは雑草たちは思いのままにはびこることでしょう。
 外来種に押されるのか、あまり広い範囲には広がらないものの、露草の一群もひっそり青い花を咲かせています。
朝日通の道ばたのつゆ草2012年6月撮影

 私は、露草が大好きです。私が染め物に心ひかれるのも、子どもの頃、露草をしぼって染め物遊びをしたからだろうと思います。

 古来、つゆ草は、布や紙を染めるのに使われました。青いほのかな染め色。「露草色」という色名もあります。しかし、日の光に晒されたり、水に濡れるとたちまち色あせてしまう、はかない色でもありました。藍などの染料によって青色が染められるようになると、露草での染め物はすたれ、近年には、水ですぐ色落ちすることを利用して下染めの模様を書くのに使われる程度になりました。

 露草の名前、異名がたくさんあります。
 夜明け前の空に月が残るころに咲くから月草、また、色がつく花なので、着き草、付き草。花びらを搗いて色を絞ることから搗草とも呼ばれました。染め物関係の呼び名では、花汁を絞って「青花紙・縹(はなだ)紙」を作ることから、青花・縹草(はなだぐさ)、藍花。花びらの形から帽子花、葉の形から鎌柄(かまつか)。そのほか、空草、ほたる草。

 万葉集では「つきくさ」に「鴨頭草」の表記をあてています。万葉集の中の露草は、「人の心の移ろい易さ」「はかない恋」の象徴として歌われています。
 漢字古名では、鴨頭草のほか、鶏舌草、碧竹子、竹鶏草、竹叶菜、竹叶草、淡竹叶、小青、耳環草、碧蝉花、藍姑草、竹節菜、翠蝴蝶、笪竹花、鼻斫草、翠娥眉、碧蟾蜍、碧風花、鴨脚、倭青草等があります。
 和名でも漢字名でも、さまざまな呼び名があるということは、それだけ露草が人々に親しまれ、利用されてきた身近な花だった、ということでしょう。
 
 すぐに色あせてしまう儚い青色、「はかない恋」の思いを伝える歌が残されています。
 朝開 夕者消流 鴨頭草乃 可消戀毛 吾者為鴨 (万葉集 巻十2291)
 朝咲き 夕は消ぬる 鴨頭草の 消ぬべき恋も 吾はするかも(詠み人しらず)
(あしたさき ゆうべはけぬる つきくさの けぬべきこいも われはするかも)

 朝には花を咲かせているのに、夕方になると花を閉じてしまうつき草のように、朝には恋心ときめかせても、夕べに身も心も消入りそうなとても切ない恋を私はしています

 朝露尓 咲酢左乾垂 鴨頭草之 日斜共 可消所念 (万葉集巻十ー2281)
 朝露に咲きすさびたる鴨頭草の日たくるともに消ぬべく思ほゆ (詠み人知らず)
(あさつゆに さきすさびたる つきくさの ひたくるともに けぬべくおもほゆ
) 
 朝露をうけて咲き盛っていた露草が、日が傾くとともにしぼんでいくように、私の身も消えてしまいそうに思われます

 「万葉集」で露草に「鴨頭草」という漢字があてられたのは、カモの頭が下を向いているように、花がうつむいて咲くから、という解釈があり、花の形からの呼び名のようです。
 月がまだ空に残る頃、妻問い婚の相手が寝屋を出て、帰っていくちょうどそのころに咲き始める「つき草」。朝露の残るあしたには、私の思いのように、心にたくさんの露がしたたっている。しかし、日が上り、日が傾くとともにしぼみ消えてしまうつき草のように、妻を問うたあなたの色が消えてしまう。あなたの色に染められた私の身も心も、日の傾きとともに儚く消えてしまうのか、、、、

 「詠み人知らず」の歌の中には、罪を得た人の名を隠すためにそう記されている場合もありますが、東歌の民謡のように、人々が歌垣のときに寄り集まって、若い男女が思いを告げ合って歌う、そんな歌にも思われます。

 折口信夫は、「副詞表情の発生」という論文において、「可消 けぬべく」という表現が出現するのは、「露」と「雪」「霧」が出てきたときが多い、と述べています。

 「消ぬべく」という副詞的表現に関する折口の説
 朝露に咲きすさびたる「鴨頭草之日斜共可消(ツキクサノヒタクル(?)ナベニケヌベク)」思ほゆ(同巻十)
 これなどは、殊に前述の心理過程を示したものと言へよう。「露」と「消ぬかに」「消ぬべく」との古い関係が低意識の間に隠見する訣なのである。表面に、鴨頭草の消ぬべき様を、自らの心の譬喩としたのである。其は一方、此花の「うつろひ」易き事を、知り悉してゐる心の一展開であつた。さうして更に、新しい技巧は、「日斜共」と言ふ説明を加へさせて来てゐる。さうして、第一句から第四句に亘つて、長い序歌に為立てた訣なのである。だが、かうした形も、単なる類型の追求が、表面の合理性を持つて来たもの、と言ふことが出来るであらう。

(青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/47200_33642.html)

 折口信夫は、このように「露草」が「はかなく消えてゆく思い」の譬喩となっていく日本語表現の進展について述べています。

 折口信夫の「副詞表情の発生」がなんだかよく理解できずとも、私はわたし、これらの歌を味わい、露草のはかない色がますます好きになります。
 露草の青い花びらの儚い青色を今の季節を楽しみ、そうね、できれば、夕べにはしぼんでしまう儚い恋でもいいから、「消ぬべき思ひ」を知りたいです。
 つゆのあいまのつかのまの恋、消え入りそうな露草色の思い。露草の季語は秋ですが、新編集の季語集では、朝顔とともに夏に入れられるみたいです。新季語集では、従来通りの旧暦による分類ではなく、新暦中心の、現在の季節感による季語を集めるということですが。以下は、秋の歳時記に載っている露草。

・露草を面影にして恋ゆるかな 高浜虚子
・露草の露のちからの花ひらく 飯田蛇笏
・露草や飯噴くまでの門歩き  杉田久女

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ふたたびの空へ」

2012-06-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/06/05
ぽかぽか春庭十二単日記>東京スカイショウ、日・月・空・虹(3)ふたたびの空へ

 今、窓から空を見上げると、西に傾いてきたお日様が見えます。日の光をいっぱいに浴びたポプラの葉が、初夏の風にゆれています。

 なんでもない一日がこうして過ぎていき、またなんでもない平凡な一日へとつづいていくように思えます。これがどれほど稀有な幸運であり、貴重な日々であることを、去年の3月4月には肝に銘じたはずなのに、「原発を再稼働しないと、夏に電力不足になるぞ、日本の産業全体がたちいかなくなり、ますます不景気になるぞ」というおどしが日本の空を席巻しています。ほんとうに?

 日本人はその場の「空気」に流される人々なのだ、とは山本七平が『空気の研究』で述べつくしており、「KY 空気よめない」が若者用語として定着したように、いままた私たちは、すなおに空気を読んで「政府が、原発再稼働しなければ、経済が立ち直れないといっているんだから、空気よもうや」となるのでしょうか。

 若者用語では「AKY あえて空気よまない」というのも使われています。私も、原発に関しては、あえて空気よまない。って、私は常に「空気よめない人間」で、周囲から浮いていたんですから、いまさら周囲になじもうともおもいませんけれど。

 ポプラの葉陰をすかして、小鳥が飛んでいます。そのほか、目には見えないさまざまなものが木々をぬって飛び交っていることでしょう。テレビ、電話の電波かもしれませんし、セシウムやストロンチウムかもしれませんし、インターネットにつなぐ無線の電波かもしれません。

 さて、私のパソコン、2008年からこれまで使ってきて、2009年に一度こわれ、修理にだしたのですが、またまたダウンです。撮りためた写真などをどんどん詰め込んだせいか、最近動きがおそくなったと案じていたのですが。
 職場のパソコンで、メールチェックだけは細々とおこなったのですが、これから修理にだそうと思います。

 しばらくの間、春庭サイトの更新をおやすみいたします。
 では、しばしの休憩。

 日本語関連の記事については、
http://blog.goo.ne.jp/nipponianipponn
などものぞいてくださるとうれしゅうございます。


<おわり>
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ぽかぽか春庭「木洩れ日の金環」

2012-06-03 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/06/02
ぽかぽか春庭十二単日記>東京スカイショウ、日・月・空・虹(2)木洩れ日の金環

 5月下旬、空のショウタイムで、心が浮き立ちました。日食と二重の虹を見ました。

 5月21日月曜日は、日本中の人が同じ時間に空を見上げたという金環日食。私も、通勤途中、乗り換え駅の出口で、大勢の人といっしょに空を見ました。曇り空でしたが、雲をすかして三日月のようになった大陽の像を見ることができました。
 90分早く家を出て、7時前にキャンパスに着いていればゆっくり観察出来たのです。でも、普段5時半に起きて6時30分に家を出ている通勤、90分早く出るには5時には家を出なければならず、4時に起きることになる。前夜寝たのは1時すぎでしたから、起きられませんでした。

 金環食のさなかは、中央線の中。お日様と反対側の座席に座ってしまったので、どうしようかと迷いました。座席を放棄して反対側に移ろうか。でも、せっかく座れたのだから、座っていたい。仕事に行くまえ、老骨の体力を確保しておきたい。しかし、こちら側からはおひさまが見えない。
 ちょっとの間だけ、進行反対側のドアの前に移動して見上げました。電車のドアから「ああ、輪っかになっている」と確認。

 その間は、カバンを座席に置いて、「ここは私の席ですよ、座席を放棄したのではなく、また戻りますからね」という主張をしておきました。この主張は日本独特の文化。映画館の座席などにハンカチ一枚、文庫本ひとつ置いておくと、「ここは私の席です」というアピールになる。外国では、ハンカチも本も取られておわり。カバンなんぞ椅子に放置したら、「このカバンはいらないから捨てます。どうぞ、ご自由に持っていってください」というアピールになる。海外旅行の注意として、外国では置き引きが多いというけれど、「公共の場で手元から離れたものは、所有権放棄とみなす」という考え方もあるのです。
 日本では、お天道様の日の元にあるものは、みなで守る、という考え方。「大陽の恵みのもとに存続する共同体」での公共感覚です。夜盗が出没するのは、お天道様の見守りがなくなる間は、跳梁跋扈の時間だから。
 お日様は、物理的には「大陽」ですが、心の中の存在としては「おてんとうさま」。生きて行く上での道を指し示す存在なのです。初日の出を拝む心は、現代にも生きています。

 ほんとうは、駅から外に出てじっと見ていたかったのですが、授業に遅れて「日食観察で遅刻しました」と報告するのもなあ、と断念しました。息子の大学、9時からの1限目、科目によっては、先生が「学生に日食観察させたいから」と休講にしたクラスもあったとか。小中学校の多くも、通学途中で空を見ていて事故にあうのを防ぐため、授業時間を変更して、校庭でみなで観測することにした学校もあったそうです。そうすべきです!

 日本全国の広範囲で金環日食が観測できるのは、国立天文台の発表では、前回は平安時代の1080年。次回2030年の金環日食が観測できるのは北海道のみで、全国広範囲で金環日食が観察できるのは、300年後の2312年。2012年は、貴重な機会でした。広範囲での観察記録をもとに、「太陽の正確な大きさを測定する」というプロジェクトが成功したそうです。
 世界中に旅行できるなら、日食そのものは、世界のどこかでまた見ることができるけれど、日本中みんなで空を見上げることができるのは、300年後。

 仕事先のキャンパス入り口では、学生が集まって、グループでわいわい観察していました。日食観察メガネを借りて見上げると、8時すぎの太陽はもう下弦の月のようになっていました。急いで木陰を探す。

 今回の日食で楽しみにしていたことのひとつは、「木の葉が茂っている木を探し、地面に映る影を観察すること」でした。葉と葉の間の隙間からもれる日の光が地面に映る。すると、葉の隙間のひとつひとつが、欠けた太陽の形になっている、というのです。
 2009年に小笠原沖で観察会が行われたときの、船上で木の枝をかざし、甲板に影を映す実験しているのをテレビで見ました。確かに、隙間から洩れる陽の光のひとつひとつが、欠けた太陽の形になって見えるのです。

 こんな不思議なことって、あるのかしら。5月21日は、絶対に木陰で観察しようと思いました。1980年にケニアで皆既日食を見て、コロナ観察もできたので、金環食は「できたら見るけれど、ちょうど通勤時間だし無理はしない」と決めていたのですが、この木洩れ日日食は見たことのないから、絶対にみたい、と思いました。

 キャンパスの中には、木洩れ日観察にちょうどいい桜やポプラの木があります。仕事先の校舎へ向かいながら、木陰を歩きました。
 すでに日食は終わりかけていたので、どうかしら、と思っていたのですが、たしかに欠けた太陽が地面に映っているのが見られました。不思議!

 スリットやピンホールから見える景色について、ピンホールカメラなどの原理を知っている人にとっては、不思議でもなんでもない、当然の物理現象なのだそうです。が、なにせ、高校の物理の成績は、自慢じゃないが通知表の「2」を取ったこともある!って、自慢にはならないことなんですけど、私にとっては物理現象なんて不思議世界そのものです。
 国立科学博物館に行って、フーコーの振り子を見て、毎回、不思議だあと思う。

 ピンホールの原理と、木の葉と木の葉の間にできるスリットから洩れる光は、同じことらしい。隙間から落ちる日の光、ふだんは、太陽の光が強すぎるので、隙間からみても、太陽の形はわからない。しかし、日食時は、地球に届く光が弱くなるので、隙間やピンホールが、光源の形を映し出す原理により、欠けた太陽や金環太陽がくっきりと地面に映るのです。

 木洩れ日、ほんとうに、太陽が欠けた形を撮していました。物理学のむずかしい原理はわからずとも、ただ、日の光が太陽の形を表しているということに感激。よい日食観測ができました。
「木洩れ日、日食」で検索すると、21日に撮影されたさまざまな「隙間から映し出された日食」の写真がUPされていました。
 最も秀逸だと思った「京都駅」tami0607さんの撮影。人のシルエットと金環食が美しい、芸術的な写真だと思います。

もとのtami0607サイトはhttp://instagr.am/p/K3Z0kvhs9b/

domdom117さん撮影ピンホールに映し出された日食

もとのサイトdomdom117はhttp://photozou.jp/photo/show/2007468/135983325

 JAXAの「みんなで木洩れ日を撮ろう」キャンペーンのHP
https://edu.jaxa.jp/komorebi/
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ぽかぽか春庭十二単日記>東京スカイショウ、日・月・空・虹(1)ダブルレインボー

2012-06-02 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012/06/02
ぽかぽか春庭十二単日記>東京スカイショウ、日・月・空・虹(1)ダブルレインボー

 5月下旬、空のショウタイムで、心が浮き立ちました。21日には日食を、28日には二重の虹を見ました。

 5月28日午後4時半ごろ、夕立のあとの空に大きな虹がかかりました。根本から根本までくっくりとした虹です。一度消えたあと、次には二重の虹が見えました。
 大きな虹の上にもうひとまわり大きな虹が出て、生まれてはじめて「ダブルレインボー」を見たのです。曇り空に出た虹だったので、写真写りはイマイチかと取らなかったのですが、カメラを持っていたのですから、記録のために撮影しておけばよかったと、ちょっと残念。
 
 この虹は、東京の広範囲で見えたようで、翌朝は「東京スカイツリーと虹」の写真が新聞の一面を飾っていました。ネットの中には、地域によって「三重の虹」いや「四重に見えた」と、様々な虹の写真がUPされていました。
 主虹のすぐ下には過剰虹(干渉虹、余り虹)、外側に大きく副虹。二本の虹の色の並びは逆になっていて、外側が青、内側が赤になっています。これは、雨滴内で屈折を2回、反射を2回起こすことによって出来るからなのだそうです。でも、私が肉眼で見たときは、色の反転までに意識が向かず、ただ、あらら、虹がふたつも見えるなんて、ラッキーと思っていました。
この画像は、日経新聞に掲載されたもの


 さて、ふたつ見えたニジ、漢字で書くと、虹と蜺。ちゃんとそれぞれに漢字があるのです。
 「虹」という漢字が虫偏なのは、なぜでしょうか。それは、古代中国では蛇は水を司る動物であり、蛇が空を駈ける姿が龍。空のニジは、蛇や龍が姿を変えて表れたものだ、と考えられていたからです。水の神の蛇が、天と地を結んで工作するから「虹」。

 虹は雄雌で字が違います。雄は「虹」、雌は「蜺」です。
 主虹(よく観られる普通の虹)が雄で、副虹(外側に薄く見える色が逆の虹)が雌です。今回は、虹が雌雄で空に表れた。きっとよいことの印です、、、と、信じていたい。
 虹は幸福を結ぶ地と空の架け橋。あしたはきっとよい日!

 「虹のかなたに(オズの魔法使い)」
♪Somewhere over the rainbow Way up high 虹の向こうのどこか、空高くに
There's a land that I heard of Once in a lullaby 子守歌で聞いた国がある
Somewhere over the rainbow Skies are blue虹の向こうのどこか、空は青く
And the dreams that you dare to dream Really do come true  心から信じた夢はほんとうになる

 あなたの夢がほんとうになりますように。I wish your dreams come true

<つづく>
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ぽかぽか春庭2012年5月 目次

2012-06-01 00:00:01 | エッセイ、コラム
2012年5月 目次


05/02 ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>5月3日の確認

05/04 ぽかぽか春庭十二単日記>ゴールデンウイーク2012(1)130円JR大回りに挑戦、計画篇
05/05 ゴールデンウイーク2012(2)130円JR大回りに挑戦、実施篇
05/06 ゴールデンウイーク2012(3)みどりの日公園めぐり

05/08 ぽかぽか春庭にっぽにあにっぽん語教師日誌>にほんごクイズに挑戦(1)簡体字クイズ
05/09 にほんごクイズに挑戦(2)ギャル語クイズ
05/11 にほんごクイズに挑戦(3)カタカナ語クイズ
05/12 にほんごクイズに挑戦(4)漢検1級訓読みクイズ
05/13 にほんごクイズに挑戦(5)熟字訓クイズ

05/15 ぽかぽか春庭十二単日記>我が母の記(1)母孝行、タカ氏初めてのおつかい
05/16 我が母の記(2)ちいちゃんとチイちゃん
05/18 我が母の記(3)母たち-ミヨかあちゃんとネンネかあちゃんとタカ氏母さん
05/19 我が母の記(4)母のエッセイ「こどもたち」
05/20 我が母の記(5)母の俳句「こどもたち」

05/22 ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>ステップバイステップ日本語教師養成講座(1)一歩を踏み出す
05/23 ステップバイステップ日本語教師養成講座(2)はじめの一歩
05/25 ステップバイステップ日本語教師養成講座(3)検定試験問題にチャレンジ、文法・語彙篇その1
05/26 ステップバイステップ日本語教師養成講座(4)検定試験問題にチャレンジ、文法・語彙篇その2
05/27 ステップバイステップ日本語教師養成講座(5)検定試験問題にチャレンジ文法、文法・語彙篇その3
05/29 ステップバイステップ日本語教師養成講座(5)検定試験問題にチャレンジ、発音篇
05/30 ステップバイステップ日本語教師養成講座(4)検定試験問題にチャレンジ記述問題篇
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