2008/08/01
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(1)アボリジニ料理
美術展の図録は高い。
いつも、図録を眺めて「これを買って帰ろうかな。でも、そうすると、帰りの夕食は、300円の立ち食い蕎麦。夕食にちょっとおいしいもの食べて帰るのなら、図録はなし」と思案したあげく、気に入った絵の絵葉書数枚だけを買って帰ることになる。
食べる方優先主義。高名な西洋画家の場合は、図書館にいけば、画集などを見られるので、図録を買わなくても、目指す絵に出会えます。
「資料として後々必要」と思えば買いますが、たいていはガマン。
エミリーの絵は、図書館などにはおいてないだろうと思ったので、いつもは買わない図録、「エミリーウングワレー展」を2500円払って買いました。
エミリーの絵は、1点あるいは数点で見るより、100点まとめて見るほうがいい。絵葉書数枚では、彼女の世界観の全体がわからない、点描も、ストライプも、炸裂する色彩も、トータルでエミリー・カーメの世界だから。
と、思って図録を買いましたが。
新国立美術館の中にあるレストランでは美術展関連イベントとして「オーストラリア料理」のメニューがありましたが、図録を買ってしまえば食べる分にはまわらない。
エミリーの絵の世界を丸ごと味わうためには、オーストラリアへ行って、アボリジニの大地の上に絵を置いて、カーメ=ヤム芋などを食べながら見たほうがいいのだろうなあ。
テレビ番組「ウルルン滞在記」で紹介されたバーバラの家に行って、アボリジニスピリットを感じながら、トカゲの丸焼きなんかを食べたいなあという気がします。
テレビの「ウルルン」でも、女性タレントが食べて見せていました。
オーストラリアのシドニー、ブリスベンなどのレストランには、メニューにアボリジニ料理があるそうです。
ブリスベンのアボリジニ料理(Aboriginal Food Source: Witjuti Grub)にあるメニュー、「芋虫」は、A$3.5(約220円)
シドニー、ロックス地区にあるアボリジニ料理店。
アボリジニダンスショウを見ながら、カンガルーや、エミュー、ワニ(クロコダイル)の肉を利用した料理が供されるそうです。
たぶん、観光客向けに、なんとなく「オーストラリア」って感じがすればいいって程度の料理な気がする。
ほんとうのアボリジニオリジナルの料理メニュー。
トカゲの丸焼きの丸かじり、蜜蟻のデザートなど、、、。
グルメ漫画『美味しんぼ』の原作者雁屋哲は、1988年にオーストラリアのシドニーに移住し、『美味しんぼ』37巻は、「激突アボリジニー料理」
表紙は、「蜜蟻」の写真。裏表紙には「亀の丸焼き」の写真があります。
主人公山岡士郎は、友人の和食料理人岡星とともに、オーストラリアのノーザンテリトリー(北部特別地域)にやってきました。山岡ら究極のメニュー一行と、海原雄山の至高のメニュー一行は、ダーウィン市に宿泊し、アボリジニ料理の食材を集めます。
どうしてもノーザン・テリトリーでは手に入らないデザートの食材を求めて、山岡や岡星は、オーストラリア中央部、エアーズロックの東に広がる地域一帯のアリススプリングスにまで足を運びました。アリススプリングスは、エミリー・ウングワレーのふるさと、ユートピアの近くの町です。
海原雄山が供するアボリジニ料理。
クロコダイル肉のパイ包み焼き、オーストラリアの北部の川魚バラマンディーの蓮葉蒸し焼き。
デザートは蟻。葉っぱを食べる蟻なので、緑色。生きたままの酸っぱい蟻の胴体を食べる。
一方、「究極のメニュー」山岡士郎は、ゴアナ(大トカゲ)の焼き鳥風。海の幸は、海辺に住むアボリジニのごちそう、エイ。味付けは、エイのレバーペーストで。
デザートは、「至高のメニュー」と同じく蟻。こちらは蜜蟻。働き蟻が花から蜜をあつめ、蜜蟻に食べさせて育てる。蜜蟻は、上品な甘さなんだって。
この蜜蟻を求めて、山岡はアリススプリングスのアボリジニ居住区まで出かけたのでした。
私は、アフリカで芋虫もワニの肉も食べたし、中国ではサソリの唐揚げも蚕のサナギも食べた。
カンガルー肉やダチョウ肉は、今やちょっとした食材店にもおいてあるというのですが、緑蟻や蜜蟻って、どんな味なんだろうと、興味しんしんです。
白魚は好きですけれど、白魚の躍り食いというのは、まだしたことないのです。蜜蟻を生きたまま口に入れるときって、どんなふうでしょうか。
東京には、たいていの地域の料理店があります。
http://e-food.jp/rest/
このページに、東京にある各国料理の店がのっています。世界一周グルメ旅行ができる。
アジア20ヶ国、中東6ヶ国 、ヨーロッパ22ヶ国、ロシア&周辺国(NIS)4ヶ国、アフリカ14ヶ国、北中米&カリブ7ヶ国、南アメリカ6ヶ国、オセアニア2ヶ国。
次回より、アフリカ料理の店を紹介します。
<つづく>
13:45 コメント(2) ページのトップへ
2008年08月02日
ぽかぽか春庭「ナイロビのウガリとカランガ」
2008/08/02
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(2)ナイロビのウガリとカランガ
1978年、従妹が海外青年協力隊の一員としてケニアの高校理科教師になりました。
チャンス!1979年4月、私も、ケニアへ行ってみよう、と思いました。
中学校国語教師を退職した私は、大学に出戻って演劇学や民俗芸能を学んでおり、ケニアダンスのフィールドワークをしようと思ったのです。
当時、アフリカ個人旅行を取り扱う旅行会社は、そう多くなかった。
私は、雑誌広告を見て、目黒駅前の「アフリカ旅行専門店」というオフィスをたずねました。
DoDoWorldという小さな旅行会社。社長はクマさん。
1979年のDoDoWorldは、オフィスのなかで、スワヒリ語講座を開き、個人旅行者へのサービスとしていました。
私は、西江雅之先生の教え子にあたるセベさんにスワヒリ語基礎を教えてもらいました。
1979年にDoDoWorldでいっしょにスワヒリ語を習った仲間たちとの、24年後の同窓会のようすは、以下のページに書きました。2003年7月の、ちえのわ「三色七味日記」
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0307b7mi.htm
私がケニアに行く前、6月7月になると、スワヒリ語研修と称して、アフリカ好きの仲間たちと、クマ社長の家に何度か泊めてもらったことがありました。
クマ社長もまだ若くて独身のころ。
旅行会社の社長と顧客たち、というより「アフリカ好き仲間のサークル」というノリで、アフリカについて旅について、夜を徹して語り合ったものでした。
私がDoDoWorldでスワヒリ語を学んでいた頃、タカ氏はすでにナイロビに行っていたので、東京で顔を合わせたことはありませんでした。
タカ氏は1979年6月はじめに、私は7月末にケニアのナイロビに行きました。
タカ氏は、私より2ヶ月「ナイロビ先輩」です。
ナイロビに到着したその日に、私は迷子になりました。
自分の宿泊先に帰れなくなった私は、たまたま出会ったタカ氏に、ナイロビの町を案内してもらった。これが、ナレソメちゅうか、腐れ縁のきっかけ。
タカ氏を、当時は「よい人」と信じて、いっしょにナイロビ下町のごぎたない飯屋で、ウガリ(トウモロコシ粉の蒸しパン)やカランガ(牛肉のトマトシチュウ)を食べ歩きました。
タカ氏は、なんでも「うまい!」と言って食べる人でした。
なぜ、はじめて出会ったウサンクサイ男を信用して、町を案内してもらっのか、アブナイ男だとは思わなかったのか、と、娘がツッコミます。日本で出会っていれば、どう見ても「不審者」風の男です。
なぜ信用したかというと、同じ旅行社を利用している人だとわかったからです。社長のクマさんを、お互いに信用していた。
「クマ社長は信頼できる人だ」というこの人も、信頼できる人に違いない、と、思いこんで、ナイロビの案内をしてもらったのが、まちがいのはじまり。
<つづく>
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2008年08月03日
ぽかぽか春庭「アフリカンレストラン・カラバッシュ」
2008/08/03
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(3)アフリカンレストラン・カラバッシュ(瓢箪)
確かにクマ社長はいい人ですが、「クマ社長は信頼できる」と、言っている人だから同じようにイイ人かっていうと、そうではない。
タカ氏は、1980年の年があけた1月に、私より先に日本へ帰りました。
お金を使い果たして帰国したタカ氏に比べて、私は、ちょっとだけナイロビに長居ができた。思いがけないアルバイトができたから。
日本テレビのドラマ熱中時代特別編(主演水谷豊、共演浅野ゆう子)のナイロビロケに遭遇して、浅野ゆう子の留学生仲間という役でエキストラ出演したり、羽仁進監督の映画『アフリカ物語』に出演したキャティの写真集撮影クルーのガイドなどをして、アルバイト賃金を得ることができました。
アルバイト代を払う側からみると、カタコトのスワヒリ語をつかってナイロビを歩き回っている変な日本女性を数日雇って、日本円でそこそこの謝礼を払うだけ。それが、私にとっては、ナイロビでの滞在日数を数週間のばすお金になりました。
ナイロビ滞在は当初の予定より大幅にのびて、このままケニア居着いてもいいかな、とさえ思いました。
バックパッカーとして流れてきて、ケニアにそのまま居着いた日本人も何人か知り合いになったので、不可能ではないと思えた。
少なくとも、従妹が住んでいる教員宿舎に居候すれば、従妹の海外青年協力隊任期満了まではケニアで暮らしていけそう、と計算していました。
一生分の「のんびり、ゆったり」をケニアで味わった。一日中、木陰で本を読んでいてもよし、昼は空ゆく雲を、夜は降るほどの星をぼうっと眺めていても、「なすべきこと」に追い立てられることもなく、自分がどこのだれでもなく、すごせた、貴重な時間でした。
帰国のきっかけとなったのは、クマ社長。
DoDoWorld社長のクマさんが、たまたまナイロビ事務所に出張で来ました。
クマ社長が、4月に帰国するとき、ま、これも潮時かなと、友人タマさんといっしょに日本へ帰りました。
帰途、飛行機エンジントラブルがあり、バンコックの空港で何も情報がないまま一晩すごしたのも、27年前のなつかしい思い出です。
このときも、クマ社長がいっしょに空港の椅子に座っていたから、私もタマさんも心細い思いをせずに、すごせました。
クマ社長は、小さな旅行会社を着々と大きく育て上げました。
クマ社長はたいへん有能で、スタッフにも恵まれ、スタッフ数人ではじめたDoDoWorldを、27年間で「道祖神」という立派な旅行会社に成長させています。
http://www.dososhin.com/
クマ社長は旅行会社を成功させただけでなく、アフリカ料理の店経営にも腕をふるっています。
西アフリカ料理の店。カラバッシュ。カラバッシュとは、「瓢箪(ひょうたん)」という意味。
カラバッシュは、クマ社長が「アフリカ料理で一番おいしい」と惚れ込んで立ち上げた、西アフリカの料理店です。セネガルやコートジボワール、マリなどの家庭料理がメニューに並んでいます。
http://www.calabash.co.jp/
<つづく>
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2008年08月04日
ぽかぽか春庭「ヒョウタン坂の社長vsカラバッシュのクマ社長」
2008/08/04
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(5)ヒョウタン坂の社長vsカラバッシュのクマ社長
1980年にケニアから帰国して1年ほど、「アフリカ同窓会」として写真の交換会&飲み会を仲間たちと続けました。わたしの部屋を飲み会会場にして手料理をふるまうと、タカ氏は、どんなへたな料理でも「うまい、うまい」と平らげました。
このあたりの事情は、以下のカフェ日記(2008/05/06)に書きましたので、読んでくださった方もいるかも。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200805A
帰国後、1年間のジャスト・フレンド期間を経て、タカ氏はステディ・フレンドに昇格。さらに1年後に結婚。
アフリカの太陽をたっぷり浴びたおなかは温室効果を保ち、「アフリカ式促成栽培」により、結婚式の半年後には娘が生まれました。
海外青年協力隊の理科教師だった従妹は、ケニアから帰国後、同じ協力隊の男性と結婚式をあげました。10月上旬のこと。
私とタカ氏は、同じ月の下旬に結婚式、親戚からは同じ月に2度も結婚式列席でモノイリだと非難されたのですが、急がなきゃなんない理由があったので。
従妹は、結婚式から10ヶ月後の夏、翌年の7月に息子が誕生し、「めでたいハネムーンベビィ」と祝福されました。
一方、結婚式から6ヶ月後の4月に娘が誕生した我らは、親戚中から顰蹙を買いました。
「あなたがそんなフシダラな娘とは思わなかった」と、言うオバ様もいたんです。3ヶ月の差が大きなちがい。
今ドキは「おめでた婚」という言葉まで出来ていますが、25年前のことですからね。
タカ氏は、いくつかの雑誌に写真を掲載して、「世界放浪のフォトジャーナリスト」になりかけていたのを、すっぱりあきらめて校正事務所を立ち上げました。
地方新聞記者時代に、整理記者という部門にいたことがあり校正を覚えたので。
タカ氏は、1990年代から十数年、瓢箪坂という坂を上ったところに校正事務所をかまえていました。
瓢箪坂は、こんな坂
http://www.tokyosaka.sakura.ne.jp/shinjuku-hyotanzaka.html
私はタカ氏を「ひょうたん坂の社長→ヒョウタンシャチョー」と、呼んでいます。
5年前2003年に、シモミヤビ町に事務所を移転したのですが、「シモミヤビチョーのシャチョー」は言いにくいので、今でもヒョウタンシャチョーです。
事務所の維持費をぎりぎりひねり出すだけのもうけしかない校正会社のシャチョー、毎月、「家族の生活費にまわす分は、今月もない!!」と言い続ける経営をしてます。
私は、「ひょうたんシャチョウの、会社ごっこ道楽」と、言っています。
夫の道楽をだまって許している妻。
「女道楽やギャンブルよりはマシ」と、心鎮めるようにしていますが、外面ホトケ、内面夜叉で~す。
アハッ、外面も夜叉そっくりって、それを言っちゃいけません。この顔は生まれつき。
ひょうたんシャチョーの校正事務所は、いつまでたっても赤字会社から成長しないのに比べて、同じヒョウタンでも、大違いの人が、クマ社長のヒョウタン=カラバッシュ。
レストラン・カラバッシュ(瓢箪)は、朝日新聞のエスニック料理欄にも取り上げられて、評判上々です。
http://www.asahi-mullion.com/column/aji/80624index.html
<つづく>
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2008年08月05日
ぽかぽか春庭「カラバッシュのアフリカンコース」
2008/08/05
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(6)カラバッシュのアフリカンコース
私が「クマさんの店に行ってみない?」と、ヒョータン社長を誘っても、「忙しくてコンビニおにぎり食べながら仕事しているのに、電車に乗って夕食を食べに行くなんて、できるわけないだろ」という、いつもの返事。
いくら忙しく働いても、赤字つづきの会社なんだけど、、、、、
校正というのがどんな仕事かということと、「なぜ儲からないか」については、以下のページを読んでいただくとわかります。
「家業の校正」http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/iro0601.htm
講師仲間手作りのおいしいイチゴジャムを事務所に持っていって、「2瓶あるから、会社の事務室用にひとつおいていこか」と、たずねたら、「パン食べることもあるけどさ、だれが、ジャム塗ってくれんの。ジャム塗ってくれる人がいるなら貰うけれど、この忙しいのに、自分でパンにジャムぬっている余裕なんて、ないから、いらない」と、ヒョータンシャチョーの弁。
はぁ、すんごく忙しいんだね!って、ただ、めんどくさがりなだけじゃん。
ひょうたんシャチョー、夕食のお誘いは断っておいて、そのくせ、後期高齢者医療保険の矛盾点について、30分も私に電話レクチャーしてくる。はぁ、拝聴いたしますです。でも、忙しいんじゃなかったの?
ヒョータンシャチョーが忙しくて行けないというカラバッシュ。
私がカラバッシュの料理を食べてみたのは、今学期もよく働いた「自分にごほうび」としてです。むろん、ひとりで。
講師仲間の打ち上げ会下見をかねての、おひとり様夕食。
カラバッシュでは、コックさんはじめ、西アフリカ出身のスタッフが、フランス料理の影響を受けたという地元の味を提供しています。
私は東アフリカの料理しか知らないのだけれど、クマ社長が「これが一番おいしい」というのなら、全幅の信頼をもって信用する。クマ社長はいい人だから。
カラバッシュのフードメニュー。
http://www.calabash.co.jp/food.htm
今学期も、サンダル壊れて裸足で授業するワ、骨折するワおおわらワの授業でしたが、もうあとは復習と試験を残すのみという日、大奮発でコースを頼みました。
タスカビール
アボガドサラダ
ペペスープ=コートジボアールのピリ辛スープ
アカラ=パンダ豆(白と黒なので)のマリ風揚げパン
マフェ&ライス=マリ風ピーナツシチューとごはん
コーヒー
というコースで、どの料理もおいしかったです。
スープは夏ばて防止にききそうな辛さでしたが、干し魚のダシがきいていて、風味がよかった。
ただ、アフリカの感覚でいうと、一人前の量が少ない。日本の人にはちょうどいいのだろうけれど。アフリカの人は、二人前ずつ注文しないと、満腹できないんじゃないだろうか。って、私が大食いなだけなのかも。
私のエスニック料理についてのポリシー。その土地出身の留学生がなつかしがって集まってくる味、そして貧乏な留学生も満腹できる十分な量。&、安い!これも大事。
カラバッシュ、味はOK。しかし、量と値段は留学生向きじゃない。
<つづく>
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2008年08月06日
ぽかぽか春庭「カラバッシュのクマ社長夫人vsヒョータンシャチョー夫人」
2008/08/06
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(7)カラバッシュのクマ社長夫人vsヒョータンシャチョー夫人
留学生日本語教育コースの講師打ち上げ会をしようと決まった日は、カラバッシュ恒例のアフリカンミュージックイベントが入っているというので、残念ながら予約は出来ませんでした。
店を切り盛りしていた女性、たぶんクマ社長の奥様だろうと見当をつけて、帰り際にレジの女性に「あの方は社長の奥様ですか」と、聞いたら、ぴんぽ~ん。
すてきな奥様でした。
さわやかにお客の応対をこなし、お料理をテーブルに並べてくれました。
カラバッシュのクマ社長夫人は、「子育て卒業後」の仕事として、とてもいい形でご主人を助けているように思いました。
私は結婚以来、10年以上、ヒョウタン坂の校正会社を手伝っていましたが、ヒョウタンシャチョーは、仕事させておいて文句を言い続けました。
「あなたは緻密さがないから、校正にはまったく不向き。いつでもボロボロ誤字を見落として、まったく役に立たない。それに、何度言っても、あなたは、校正じゃなくて、リライトしてしまうから、校正者としては零点。校正はリライトじゃない。メッセンジャーやらせれば方向音痴で迷子になるし、まったく使い物にならん」と。
だれが「方向音痴で使い物にならん」やネン。私が方向音痴だったおかげで、ヨメがもらえたのではないかっ。
「うちのヨメはん百年の不作」やて、それはこっちのせりふ。ヒョウタンシャチョウ夫人になったせいで、ビルゲイツに求婚されるチャンスを失った。
家事育児はいっさいしなかったし、現在は家庭を放棄している夫。
歯がみしつつ、私は、日本語教師の仕事をしながら大学院に通い同時に夫の「もうからない会社」の仕事を手伝っては文句いわれ、ふたりの子を育て上げて、はっと気づいたら、去年、銀婚式はすぎさっていたのでした。
結婚記念日から半年もすぎたころ、夫に「銀婚式、去年だったよね」と言ってみたら「知ってるよ、それがどうした」という返事。ふんっ!私だって、忘れていたさ!
現在は、夫の会社の仕事から完全に手をひいて、大学講師の仕事に専念しています。方向音痴を責め立てられることはなくなったかわりに、夫からは、「よその会社では、奥さんはみんな経理の仕事手伝ったり、いろいろ夫を助けて働くのに、、、、」と、文句言われています。
「いいヨメだ」と、ほめてくれるのは姑だけ。
はい、すみませんね、内助の功からは、ほど遠い妻で。
つうか、私は子どもの食費やら家賃光熱費やらを支払うために、外助をやってきたのよ。おひとり様打ち上げで、カラバッシュのアフリカンコースくらい食べても、バチあたらないっ。
カラバッシュ(ひょうたん)の料理、ヒョータンシャチョーといっしょに食べにいく日はまだまだ遠いでしょうねぇ。
では、恒例の春庭応援ソング、毎度おなじみ『インターナショナル食べ放題』
演奏は、歌声喫茶のび
http://utagoekissa.music.coocan.jp/utagoe.php?title=inter
♪起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
食えよ我が腹へと 暁(あかつき)は来ぬ
忘却の鎖 断つ日 肌は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
聞け我等が雄たけび 天地轟きて
脂肪越ゆる我が腹 行く手を守る
満腹の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの♪
<おわり>
ぽかぽか春庭・インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(1)アボリジニ料理
美術展の図録は高い。
いつも、図録を眺めて「これを買って帰ろうかな。でも、そうすると、帰りの夕食は、300円の立ち食い蕎麦。夕食にちょっとおいしいもの食べて帰るのなら、図録はなし」と思案したあげく、気に入った絵の絵葉書数枚だけを買って帰ることになる。
食べる方優先主義。高名な西洋画家の場合は、図書館にいけば、画集などを見られるので、図録を買わなくても、目指す絵に出会えます。
「資料として後々必要」と思えば買いますが、たいていはガマン。
エミリーの絵は、図書館などにはおいてないだろうと思ったので、いつもは買わない図録、「エミリーウングワレー展」を2500円払って買いました。
エミリーの絵は、1点あるいは数点で見るより、100点まとめて見るほうがいい。絵葉書数枚では、彼女の世界観の全体がわからない、点描も、ストライプも、炸裂する色彩も、トータルでエミリー・カーメの世界だから。
と、思って図録を買いましたが。
新国立美術館の中にあるレストランでは美術展関連イベントとして「オーストラリア料理」のメニューがありましたが、図録を買ってしまえば食べる分にはまわらない。
エミリーの絵の世界を丸ごと味わうためには、オーストラリアへ行って、アボリジニの大地の上に絵を置いて、カーメ=ヤム芋などを食べながら見たほうがいいのだろうなあ。
テレビ番組「ウルルン滞在記」で紹介されたバーバラの家に行って、アボリジニスピリットを感じながら、トカゲの丸焼きなんかを食べたいなあという気がします。
テレビの「ウルルン」でも、女性タレントが食べて見せていました。
オーストラリアのシドニー、ブリスベンなどのレストランには、メニューにアボリジニ料理があるそうです。
ブリスベンのアボリジニ料理(Aboriginal Food Source: Witjuti Grub)にあるメニュー、「芋虫」は、A$3.5(約220円)
シドニー、ロックス地区にあるアボリジニ料理店。
アボリジニダンスショウを見ながら、カンガルーや、エミュー、ワニ(クロコダイル)の肉を利用した料理が供されるそうです。
たぶん、観光客向けに、なんとなく「オーストラリア」って感じがすればいいって程度の料理な気がする。
ほんとうのアボリジニオリジナルの料理メニュー。
トカゲの丸焼きの丸かじり、蜜蟻のデザートなど、、、。
グルメ漫画『美味しんぼ』の原作者雁屋哲は、1988年にオーストラリアのシドニーに移住し、『美味しんぼ』37巻は、「激突アボリジニー料理」
表紙は、「蜜蟻」の写真。裏表紙には「亀の丸焼き」の写真があります。
主人公山岡士郎は、友人の和食料理人岡星とともに、オーストラリアのノーザンテリトリー(北部特別地域)にやってきました。山岡ら究極のメニュー一行と、海原雄山の至高のメニュー一行は、ダーウィン市に宿泊し、アボリジニ料理の食材を集めます。
どうしてもノーザン・テリトリーでは手に入らないデザートの食材を求めて、山岡や岡星は、オーストラリア中央部、エアーズロックの東に広がる地域一帯のアリススプリングスにまで足を運びました。アリススプリングスは、エミリー・ウングワレーのふるさと、ユートピアの近くの町です。
海原雄山が供するアボリジニ料理。
クロコダイル肉のパイ包み焼き、オーストラリアの北部の川魚バラマンディーの蓮葉蒸し焼き。
デザートは蟻。葉っぱを食べる蟻なので、緑色。生きたままの酸っぱい蟻の胴体を食べる。
一方、「究極のメニュー」山岡士郎は、ゴアナ(大トカゲ)の焼き鳥風。海の幸は、海辺に住むアボリジニのごちそう、エイ。味付けは、エイのレバーペーストで。
デザートは、「至高のメニュー」と同じく蟻。こちらは蜜蟻。働き蟻が花から蜜をあつめ、蜜蟻に食べさせて育てる。蜜蟻は、上品な甘さなんだって。
この蜜蟻を求めて、山岡はアリススプリングスのアボリジニ居住区まで出かけたのでした。
私は、アフリカで芋虫もワニの肉も食べたし、中国ではサソリの唐揚げも蚕のサナギも食べた。
カンガルー肉やダチョウ肉は、今やちょっとした食材店にもおいてあるというのですが、緑蟻や蜜蟻って、どんな味なんだろうと、興味しんしんです。
白魚は好きですけれど、白魚の躍り食いというのは、まだしたことないのです。蜜蟻を生きたまま口に入れるときって、どんなふうでしょうか。
東京には、たいていの地域の料理店があります。
http://e-food.jp/rest/
このページに、東京にある各国料理の店がのっています。世界一周グルメ旅行ができる。
アジア20ヶ国、中東6ヶ国 、ヨーロッパ22ヶ国、ロシア&周辺国(NIS)4ヶ国、アフリカ14ヶ国、北中米&カリブ7ヶ国、南アメリカ6ヶ国、オセアニア2ヶ国。
次回より、アフリカ料理の店を紹介します。
<つづく>
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2008年08月02日
ぽかぽか春庭「ナイロビのウガリとカランガ」
2008/08/02
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(2)ナイロビのウガリとカランガ
1978年、従妹が海外青年協力隊の一員としてケニアの高校理科教師になりました。
チャンス!1979年4月、私も、ケニアへ行ってみよう、と思いました。
中学校国語教師を退職した私は、大学に出戻って演劇学や民俗芸能を学んでおり、ケニアダンスのフィールドワークをしようと思ったのです。
当時、アフリカ個人旅行を取り扱う旅行会社は、そう多くなかった。
私は、雑誌広告を見て、目黒駅前の「アフリカ旅行専門店」というオフィスをたずねました。
DoDoWorldという小さな旅行会社。社長はクマさん。
1979年のDoDoWorldは、オフィスのなかで、スワヒリ語講座を開き、個人旅行者へのサービスとしていました。
私は、西江雅之先生の教え子にあたるセベさんにスワヒリ語基礎を教えてもらいました。
1979年にDoDoWorldでいっしょにスワヒリ語を習った仲間たちとの、24年後の同窓会のようすは、以下のページに書きました。2003年7月の、ちえのわ「三色七味日記」
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0307b7mi.htm
私がケニアに行く前、6月7月になると、スワヒリ語研修と称して、アフリカ好きの仲間たちと、クマ社長の家に何度か泊めてもらったことがありました。
クマ社長もまだ若くて独身のころ。
旅行会社の社長と顧客たち、というより「アフリカ好き仲間のサークル」というノリで、アフリカについて旅について、夜を徹して語り合ったものでした。
私がDoDoWorldでスワヒリ語を学んでいた頃、タカ氏はすでにナイロビに行っていたので、東京で顔を合わせたことはありませんでした。
タカ氏は1979年6月はじめに、私は7月末にケニアのナイロビに行きました。
タカ氏は、私より2ヶ月「ナイロビ先輩」です。
ナイロビに到着したその日に、私は迷子になりました。
自分の宿泊先に帰れなくなった私は、たまたま出会ったタカ氏に、ナイロビの町を案内してもらった。これが、ナレソメちゅうか、腐れ縁のきっかけ。
タカ氏を、当時は「よい人」と信じて、いっしょにナイロビ下町のごぎたない飯屋で、ウガリ(トウモロコシ粉の蒸しパン)やカランガ(牛肉のトマトシチュウ)を食べ歩きました。
タカ氏は、なんでも「うまい!」と言って食べる人でした。
なぜ、はじめて出会ったウサンクサイ男を信用して、町を案内してもらっのか、アブナイ男だとは思わなかったのか、と、娘がツッコミます。日本で出会っていれば、どう見ても「不審者」風の男です。
なぜ信用したかというと、同じ旅行社を利用している人だとわかったからです。社長のクマさんを、お互いに信用していた。
「クマ社長は信頼できる人だ」というこの人も、信頼できる人に違いない、と、思いこんで、ナイロビの案内をしてもらったのが、まちがいのはじまり。
<つづく>
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2008年08月03日
ぽかぽか春庭「アフリカンレストラン・カラバッシュ」
2008/08/03
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(3)アフリカンレストラン・カラバッシュ(瓢箪)
確かにクマ社長はいい人ですが、「クマ社長は信頼できる」と、言っている人だから同じようにイイ人かっていうと、そうではない。
タカ氏は、1980年の年があけた1月に、私より先に日本へ帰りました。
お金を使い果たして帰国したタカ氏に比べて、私は、ちょっとだけナイロビに長居ができた。思いがけないアルバイトができたから。
日本テレビのドラマ熱中時代特別編(主演水谷豊、共演浅野ゆう子)のナイロビロケに遭遇して、浅野ゆう子の留学生仲間という役でエキストラ出演したり、羽仁進監督の映画『アフリカ物語』に出演したキャティの写真集撮影クルーのガイドなどをして、アルバイト賃金を得ることができました。
アルバイト代を払う側からみると、カタコトのスワヒリ語をつかってナイロビを歩き回っている変な日本女性を数日雇って、日本円でそこそこの謝礼を払うだけ。それが、私にとっては、ナイロビでの滞在日数を数週間のばすお金になりました。
ナイロビ滞在は当初の予定より大幅にのびて、このままケニア居着いてもいいかな、とさえ思いました。
バックパッカーとして流れてきて、ケニアにそのまま居着いた日本人も何人か知り合いになったので、不可能ではないと思えた。
少なくとも、従妹が住んでいる教員宿舎に居候すれば、従妹の海外青年協力隊任期満了まではケニアで暮らしていけそう、と計算していました。
一生分の「のんびり、ゆったり」をケニアで味わった。一日中、木陰で本を読んでいてもよし、昼は空ゆく雲を、夜は降るほどの星をぼうっと眺めていても、「なすべきこと」に追い立てられることもなく、自分がどこのだれでもなく、すごせた、貴重な時間でした。
帰国のきっかけとなったのは、クマ社長。
DoDoWorld社長のクマさんが、たまたまナイロビ事務所に出張で来ました。
クマ社長が、4月に帰国するとき、ま、これも潮時かなと、友人タマさんといっしょに日本へ帰りました。
帰途、飛行機エンジントラブルがあり、バンコックの空港で何も情報がないまま一晩すごしたのも、27年前のなつかしい思い出です。
このときも、クマ社長がいっしょに空港の椅子に座っていたから、私もタマさんも心細い思いをせずに、すごせました。
クマ社長は、小さな旅行会社を着々と大きく育て上げました。
クマ社長はたいへん有能で、スタッフにも恵まれ、スタッフ数人ではじめたDoDoWorldを、27年間で「道祖神」という立派な旅行会社に成長させています。
http://www.dososhin.com/
クマ社長は旅行会社を成功させただけでなく、アフリカ料理の店経営にも腕をふるっています。
西アフリカ料理の店。カラバッシュ。カラバッシュとは、「瓢箪(ひょうたん)」という意味。
カラバッシュは、クマ社長が「アフリカ料理で一番おいしい」と惚れ込んで立ち上げた、西アフリカの料理店です。セネガルやコートジボワール、マリなどの家庭料理がメニューに並んでいます。
http://www.calabash.co.jp/
<つづく>
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2008年08月04日
ぽかぽか春庭「ヒョウタン坂の社長vsカラバッシュのクマ社長」
2008/08/04
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(5)ヒョウタン坂の社長vsカラバッシュのクマ社長
1980年にケニアから帰国して1年ほど、「アフリカ同窓会」として写真の交換会&飲み会を仲間たちと続けました。わたしの部屋を飲み会会場にして手料理をふるまうと、タカ氏は、どんなへたな料理でも「うまい、うまい」と平らげました。
このあたりの事情は、以下のカフェ日記(2008/05/06)に書きましたので、読んでくださった方もいるかも。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200805A
帰国後、1年間のジャスト・フレンド期間を経て、タカ氏はステディ・フレンドに昇格。さらに1年後に結婚。
アフリカの太陽をたっぷり浴びたおなかは温室効果を保ち、「アフリカ式促成栽培」により、結婚式の半年後には娘が生まれました。
海外青年協力隊の理科教師だった従妹は、ケニアから帰国後、同じ協力隊の男性と結婚式をあげました。10月上旬のこと。
私とタカ氏は、同じ月の下旬に結婚式、親戚からは同じ月に2度も結婚式列席でモノイリだと非難されたのですが、急がなきゃなんない理由があったので。
従妹は、結婚式から10ヶ月後の夏、翌年の7月に息子が誕生し、「めでたいハネムーンベビィ」と祝福されました。
一方、結婚式から6ヶ月後の4月に娘が誕生した我らは、親戚中から顰蹙を買いました。
「あなたがそんなフシダラな娘とは思わなかった」と、言うオバ様もいたんです。3ヶ月の差が大きなちがい。
今ドキは「おめでた婚」という言葉まで出来ていますが、25年前のことですからね。
タカ氏は、いくつかの雑誌に写真を掲載して、「世界放浪のフォトジャーナリスト」になりかけていたのを、すっぱりあきらめて校正事務所を立ち上げました。
地方新聞記者時代に、整理記者という部門にいたことがあり校正を覚えたので。
タカ氏は、1990年代から十数年、瓢箪坂という坂を上ったところに校正事務所をかまえていました。
瓢箪坂は、こんな坂
http://www.tokyosaka.sakura.ne.jp/shinjuku-hyotanzaka.html
私はタカ氏を「ひょうたん坂の社長→ヒョウタンシャチョー」と、呼んでいます。
5年前2003年に、シモミヤビ町に事務所を移転したのですが、「シモミヤビチョーのシャチョー」は言いにくいので、今でもヒョウタンシャチョーです。
事務所の維持費をぎりぎりひねり出すだけのもうけしかない校正会社のシャチョー、毎月、「家族の生活費にまわす分は、今月もない!!」と言い続ける経営をしてます。
私は、「ひょうたんシャチョウの、会社ごっこ道楽」と、言っています。
夫の道楽をだまって許している妻。
「女道楽やギャンブルよりはマシ」と、心鎮めるようにしていますが、外面ホトケ、内面夜叉で~す。
アハッ、外面も夜叉そっくりって、それを言っちゃいけません。この顔は生まれつき。
ひょうたんシャチョーの校正事務所は、いつまでたっても赤字会社から成長しないのに比べて、同じヒョウタンでも、大違いの人が、クマ社長のヒョウタン=カラバッシュ。
レストラン・カラバッシュ(瓢箪)は、朝日新聞のエスニック料理欄にも取り上げられて、評判上々です。
http://www.asahi-mullion.com/column/aji/80624index.html
<つづく>
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2008年08月05日
ぽかぽか春庭「カラバッシュのアフリカンコース」
2008/08/05
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(6)カラバッシュのアフリカンコース
私が「クマさんの店に行ってみない?」と、ヒョータン社長を誘っても、「忙しくてコンビニおにぎり食べながら仕事しているのに、電車に乗って夕食を食べに行くなんて、できるわけないだろ」という、いつもの返事。
いくら忙しく働いても、赤字つづきの会社なんだけど、、、、、
校正というのがどんな仕事かということと、「なぜ儲からないか」については、以下のページを読んでいただくとわかります。
「家業の校正」http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/iro0601.htm
講師仲間手作りのおいしいイチゴジャムを事務所に持っていって、「2瓶あるから、会社の事務室用にひとつおいていこか」と、たずねたら、「パン食べることもあるけどさ、だれが、ジャム塗ってくれんの。ジャム塗ってくれる人がいるなら貰うけれど、この忙しいのに、自分でパンにジャムぬっている余裕なんて、ないから、いらない」と、ヒョータンシャチョーの弁。
はぁ、すんごく忙しいんだね!って、ただ、めんどくさがりなだけじゃん。
ひょうたんシャチョー、夕食のお誘いは断っておいて、そのくせ、後期高齢者医療保険の矛盾点について、30分も私に電話レクチャーしてくる。はぁ、拝聴いたしますです。でも、忙しいんじゃなかったの?
ヒョータンシャチョーが忙しくて行けないというカラバッシュ。
私がカラバッシュの料理を食べてみたのは、今学期もよく働いた「自分にごほうび」としてです。むろん、ひとりで。
講師仲間の打ち上げ会下見をかねての、おひとり様夕食。
カラバッシュでは、コックさんはじめ、西アフリカ出身のスタッフが、フランス料理の影響を受けたという地元の味を提供しています。
私は東アフリカの料理しか知らないのだけれど、クマ社長が「これが一番おいしい」というのなら、全幅の信頼をもって信用する。クマ社長はいい人だから。
カラバッシュのフードメニュー。
http://www.calabash.co.jp/food.htm
今学期も、サンダル壊れて裸足で授業するワ、骨折するワおおわらワの授業でしたが、もうあとは復習と試験を残すのみという日、大奮発でコースを頼みました。
タスカビール
アボガドサラダ
ペペスープ=コートジボアールのピリ辛スープ
アカラ=パンダ豆(白と黒なので)のマリ風揚げパン
マフェ&ライス=マリ風ピーナツシチューとごはん
コーヒー
というコースで、どの料理もおいしかったです。
スープは夏ばて防止にききそうな辛さでしたが、干し魚のダシがきいていて、風味がよかった。
ただ、アフリカの感覚でいうと、一人前の量が少ない。日本の人にはちょうどいいのだろうけれど。アフリカの人は、二人前ずつ注文しないと、満腹できないんじゃないだろうか。って、私が大食いなだけなのかも。
私のエスニック料理についてのポリシー。その土地出身の留学生がなつかしがって集まってくる味、そして貧乏な留学生も満腹できる十分な量。&、安い!これも大事。
カラバッシュ、味はOK。しかし、量と値段は留学生向きじゃない。
<つづく>
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2008年08月06日
ぽかぽか春庭「カラバッシュのクマ社長夫人vsヒョータンシャチョー夫人」
2008/08/06
ぽかぽか春庭インターナショナル食べ放題>ぐるめぐりエスニック(7)カラバッシュのクマ社長夫人vsヒョータンシャチョー夫人
留学生日本語教育コースの講師打ち上げ会をしようと決まった日は、カラバッシュ恒例のアフリカンミュージックイベントが入っているというので、残念ながら予約は出来ませんでした。
店を切り盛りしていた女性、たぶんクマ社長の奥様だろうと見当をつけて、帰り際にレジの女性に「あの方は社長の奥様ですか」と、聞いたら、ぴんぽ~ん。
すてきな奥様でした。
さわやかにお客の応対をこなし、お料理をテーブルに並べてくれました。
カラバッシュのクマ社長夫人は、「子育て卒業後」の仕事として、とてもいい形でご主人を助けているように思いました。
私は結婚以来、10年以上、ヒョウタン坂の校正会社を手伝っていましたが、ヒョウタンシャチョーは、仕事させておいて文句を言い続けました。
「あなたは緻密さがないから、校正にはまったく不向き。いつでもボロボロ誤字を見落として、まったく役に立たない。それに、何度言っても、あなたは、校正じゃなくて、リライトしてしまうから、校正者としては零点。校正はリライトじゃない。メッセンジャーやらせれば方向音痴で迷子になるし、まったく使い物にならん」と。
だれが「方向音痴で使い物にならん」やネン。私が方向音痴だったおかげで、ヨメがもらえたのではないかっ。
「うちのヨメはん百年の不作」やて、それはこっちのせりふ。ヒョウタンシャチョウ夫人になったせいで、ビルゲイツに求婚されるチャンスを失った。
家事育児はいっさいしなかったし、現在は家庭を放棄している夫。
歯がみしつつ、私は、日本語教師の仕事をしながら大学院に通い同時に夫の「もうからない会社」の仕事を手伝っては文句いわれ、ふたりの子を育て上げて、はっと気づいたら、去年、銀婚式はすぎさっていたのでした。
結婚記念日から半年もすぎたころ、夫に「銀婚式、去年だったよね」と言ってみたら「知ってるよ、それがどうした」という返事。ふんっ!私だって、忘れていたさ!
現在は、夫の会社の仕事から完全に手をひいて、大学講師の仕事に専念しています。方向音痴を責め立てられることはなくなったかわりに、夫からは、「よその会社では、奥さんはみんな経理の仕事手伝ったり、いろいろ夫を助けて働くのに、、、、」と、文句言われています。
「いいヨメだ」と、ほめてくれるのは姑だけ。
はい、すみませんね、内助の功からは、ほど遠い妻で。
つうか、私は子どもの食費やら家賃光熱費やらを支払うために、外助をやってきたのよ。おひとり様打ち上げで、カラバッシュのアフリカンコースくらい食べても、バチあたらないっ。
カラバッシュ(ひょうたん)の料理、ヒョータンシャチョーといっしょに食べにいく日はまだまだ遠いでしょうねぇ。
では、恒例の春庭応援ソング、毎度おなじみ『インターナショナル食べ放題』
演奏は、歌声喫茶のび
http://utagoekissa.music.coocan.jp/utagoe.php?title=inter
♪起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し
食えよ我が腹へと 暁(あかつき)は来ぬ
忘却の鎖 断つ日 肌は血に燃えて
海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
聞け我等が雄たけび 天地轟きて
脂肪越ゆる我が腹 行く手を守る
満腹の壁破りて 固き我が腕(かいな)
今ぞ高く掲げん 我が勝利の旗
いざ起ち食わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの
いざ闘わん いざ 奮い立て いざ
あぁ インターナショナル 我等がもの♪
<おわり>