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ぽかぽか春庭2013年12月目次

2013-12-31 00:00:01 | エッセイ、コラム



みなさまよいお年を!!

2013/12/31
ぽかぽか春庭2013年12月目次

12/01 ぽかぽか春庭シネマパラダイス>明かりを灯す人(1)キルギスの電気どろぼう
12/03 明かりを灯す人(2)ハンナ・アーレントその1
12/04 明かりを灯す人(3)ハンナ・アーレントその2
12/05 明かりを灯す人(4)星の銀貨実験-お金なしに生きる方法

12/07 ぽかぽか春庭今日のいろいろ>表明します

12/08 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(1)師走、HALセンセも走るついたち
12/10 十三里半日記12月(2)等々力渓谷を歩く・日曜地学ハイキング
12/11 十三里半日記12月(3)田園調布古墳群・日曜地学ハイキング
12/12 十三里半日記12月(4)お屋敷町の衣装並木、地元のバレエフェスティバル
12/14 十三里半日記12月(5)ミッドナイトタウンイルミネーション

12/15 ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>文型指導・語彙指導(1)誤用研究、朝起きたり洗濯したり
12/17 文型指導・語彙指導(2)酒が飲めます
12/18 文型指導・語彙指導(3)ドーデモいい話

12/19 ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(6)オペラ『秘密の結婚』
12/21 十三里半日記12月(7)ビックリスマスコンサート
12/22 十三里半日記12月(8)さいたまスーパーアリーナで全日本スケート第一日目を見た
12/24 十三里半日記12月(9)年末イルミネーション
12/25 十三里半日記12月(10)クリスマスミサ

12/26 ぽかぽか春庭ブックスタンド>2013年9月~12月の読書メモ

12/28 十三里半日記12月(11)世情-シュプレヒコール入り
12/29 十三里半日記12月(12)雨の金曜日に
コメント (12)
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ぽかぽか春庭「雨の金曜日に」

2013-12-29 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/29
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(12)雨の金曜日に

 2013年11月の自民党幹事長石破茂発言、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」が出されるに及び、おお、そういうことなら、私もテロリストだあ、と思いました。権力側の人間が、反対者に対して「反対することはテロ行為だ」と言い出したのなら、「反原発、反特定秘密保護法案、反武器輸出」を主張する私も、石破氏側から見たら、テロリストだとみなされてしまう。

 批判の高まりを恐れて、石破氏はこの発言を撤回したものの、発言したという事実は残りました。
 驕れる与党のあまりの物言いに、私も決意しました。一度は金曜日に「石破氏のいうテロリスト」になっておかなければ。

 年末、突然の安倍首相の靖国神社参拝。中韓からの反発は予定していたでしょうが、アメリカ頼みの外交なのに、アメリカからも「失望した」と反発されて、これからの外交、どうするつもりなのでしょう。それほど「個人の信念」が大切なら、国の行く末を左右する立場にいることをやめて、辞職ののちに毎日でも参拝に通ったらいいでしょう。

 原発再開へ向けて安全確認がはじまり、特定秘密保護法成立、武器輸出OK。これでいいのでしょうか。
 「大量の票で国民に支持された与党なのだから、何をしようと好き勝手。すべて国民が望んだこと」と、いう思い上がり、許せません。「戦争への道を許さない」という思い、なんとかしなければ。

 12月27日金曜日、午後、5時ごろに首相官邸前は、警察官ばかりが大勢いて、人はぜんぜんいませんでした。国会議事堂のまわりをぐるりと歩いてみました。小雨が降ったり止んだりの中、国会周辺を歩く人はほとんどいません。霞ヶ関近辺の通勤客は、効率よく地下鉄の駅に向かうから、国会議事堂の前を5時すぎにうろうろしていたら、それだけで監視対象みたいです。6時前に地下鉄の国会議事堂前駅に戻ったらぼちぼち人が集まってきていました。

 6時にドラムが鳴り、シュプレヒコールがはじまりました。「原発いらない」「子供を守れ」「再稼働反対」などを、マイクの声ががなり、それに周辺の人々が唱和する。集まっている人々、若い人はほとんどおらず、私くらいの中高年がほとんど。年金暮らしとおぼしき世代ばかりです。
 六本木通りから首相官邸前までの歩道の半分は通行者通路、半分はシュプレヒコール参加者が立っている場所。途中三ヶ所にドラムやサキソホンの「にぎやかし組」がいて、シュプレヒコールが乱れないようにドラムがリズムをとっています。

 私は、最初は歩道に立っている側になってようすを見ていました。「年寄りばっかりだなあ。現役で仕事している人にとっては、年末のかき入れ時にお暇なことやってられないのだろうし、若い人にはもっと楽しいことで集まるのだろう」と思いながら見ていました。シュプレヒコールがなんだかショボイのです。どうにも、のれない感じでした。

 じっと立っていると寒くなるので、反原発とマジックで書いておいた「東京都推奨ごみ袋」に首と腕を出す穴をあけてすっぽりかぶり、歩くことにしました。六本木通りから官邸前のあいだを二往復したら飽きました。こんなことじゃ、いけないなあ、もっと熱心にやらにゃあ、と思ったけれど、私の心情として、つまらないと感じたことをいやいや続けることはないと思い、二往復で歩くのをやめました。

 警察発表とデモ参加側発表の人数はいつも食い違いますが、だいたい1500人~2000人くらいの集合数だったと思います。もっと少なかったかも。
 それぞれが、反原発の思いにかられて、毎週集まっている人、私のように初めて参加した人、いろいろな感情を含んでの参加でしょう。

 人々が立ち並んでいるところを2往復して観察した結果。ほとんどの人が黒っぽい色のダウンコートを着ていたのです。かくいう私も、バーゲンセールで買ったウルトラライトという黒いダウンジャケットにリュックサック背負っている。同じような色合いの同じようなスタイル。警察官が制服着ているのはわかるけれど、てんでんばらばらに集まった人がかくも同じような服装であったことに、一種ショックを受けました。同じような趣味趣向精神状態の人が集合していたということでしょうか。

 それにしても、この薄ら寒い感じは、気温5度というだけでなく、小雨降っているというだけでなく、この人々がショボショボとシュプレヒコール叫ぶのが首相官邸から見えるとして、ああ、反対者はこんなに少数なり。大多数の国民は私の政策を支持している」と、思うだろうなあというところからくるのではないかと思います。お金で横面はたけば、「沖縄に基地を、どうぞどうぞ」となるのだ、という現実。反原発も「福島を返せ」というスローガンのプラカードも、なんだか物悲しくなってきました。



 今の日本、人々はただ物質の豊かさを求めて、「誰かがふるさとも家も失うとしても、自分は電気をめいっぱい使いたい」のだし、自動車業界をはじめ、業績回復の会社にいたら、年末のボーナスをたくさんもらうことのほうが大事。「子供が放射能の危険にさらされる」ことなど他人事、そういう世の中なんだという気がしてきて、歩いている足も重くなる。

 寒そうなおっさんおばさんたちの、ショボショボとしたシュプレヒコール。日本の現実はこういうもんだということが身にしみたけれど、しかし、、、、

 もうちょっと景気いい話で年末を締めたかったのに、しょうがないな、これが現実。
 来年はもう少し元気出していけるよう、年末英気をやしないます。英気といっても、私の場合は、半額セールの焼き芋なんぞを食いまくる、というくらいが関の山なんですけれど。

 焼き芋の売り声、「くりより美味い、十三里半」のはずでしたが、どうにもおいしくない年の暮。これにて「十三里日記」はおひらきです。おつきあい、ありがとうございました。

<おわり> 
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ぽかぽか春庭「世情-シュプレヒコール入り」

2013-12-28 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/28
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(11)世情-シュプレヒコール入り

 中島みゆき「世情-シュプレヒコール入り」を聞きながら、春庭の年末拾遺をお読みください。
http://www.youtube.com/watch?v=q12S3ggaEIw

♪世の中はいつも 変わっているから 頑固者だけが悲しい思いをする
変わらないものを 何かにたとえて その度 崩れちゃ そいつのせいにする

※シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく 変わらない夢を、流れに求めて
時の流れを止めて、変わらない夢を 見たがる者たちと、戦うため※

世の中はとても臆病な猫だから 他愛のない嘘をいつもついている
包帯のような嘘を見破ることで 学者は世間を見たような気になる

※シュプレイヒコールの波、通り過ぎてゆく 変わらない夢を、流れに求めて
 時の流れを止めて、変わらない夢を 見たがる者たちと、戦うため※

※くりかえし※


 この歌の冒頭に聞こえるのは、三里塚闘争の農民側の声です。
 今、三里塚とまったく同じ構図が繰り返されています。福島原発周辺をふるさととしていた人々の故郷が奪われようとしているのです。札束さえ見せておけば、人と人とのつながりや、土地への愛着や、そんなものはどうでもいいだろう、という「ふるさとを奪う側の論理」が、復活し、より強大な力をふりかざしているのを、今現在まのあたりにしています。

 以下の文章は、2013年1月に見た東京都写真美術館の感想文なのですが、UPせずに放置してありました。何も行動していない現在の自分が感想だけ書く事にためらいがあったからです。
~~~~~~~~~~~~~
 2013年正月に見た写真美術館。3Fは北井一夫の昭和の光景。最近の作品の船橋での撮影などは特に何も思わなかったけれど、「抵抗」、「バリケード」、「三里塚」は、大学紛争や三里塚闘争を同時代に生きた者としては感慨深く見ました。これらの写真を、「歴史的なドキュメンタリー写真」として見る者と、我がこととして見るのでは、見方が違うのかも知れないけれど、ある歴史の瞬間に、「報道する立場」の人が外側から撮影したのとは異なる迫力を感じました。「内側から」というのは、同じ炭坑を記録するのでも、会社側や政府の調査団が記録するのと、炭鉱夫として坑内にいた山本作兵衛の記録では異なる光景となる、というのと似ていると思う。

 地下一階の「映像をめぐる冒険vol.5 記録は可能か」では、三里塚闘争の記録として余りにも有名な、小川紳介『三里塚 第三次強制測量阻止斗争』を上映していました。
 私が小川伸助の名を知ったのは、1960年代のおわりごろ、ドキュメンタリー『圧殺の森』でした。高崎経済大学の学生闘争を記録したフィルムです。しかしながら、『圧殺の森』を一度も見ていないのです。地元のことなのに、名前だけ知っていて、見るチャンスがなかった。

 小川の『日本解放戦線 三里塚の夏』や『日本解放戦線 三里塚』は、どこで見たのか記憶もさだかではありませんが、1970年代に見た気がするのに対して、『三里塚 第三次強制測量阻止斗争』は見た記憶がまったくなく、この上映ではじめて目にしたのです。

 農民たちの顔、迫力ありました。キョウビの俳優でこの顔の迫真を演じられる人、思い当たりません。肥を我が身にぶちまけ、その肥にひるむ測量隊の人々に「俺たちの土地だ、出て行け」と叫ぶ農婦農夫たちの顔。総武線に乗ると時どき見かける顔に、このドキュメンタリーに出てくる人々の面影を持った人たちを見かけることがあります。もちろん現代の電車に乗っている人々はこぎれいなかっこうをして、親の世代がこのような闘争を繰り広げたことなどまったく表情には表れていません。たぶん、彼らはこのドキュメンタリーを見たいとも思わない、そういう時代になっているのは確かなのでしょう。

 小川作品は、写されている人々の肖像権問題などがクリアされていないのかも知れませんが、DVDなどになっていません。これから上映会などの情報に注意して行きたいと思いますが、私の情報網の網の目は粗いので、2010年にも2012年にも上映会があったのに、網に引っかかっていませんでした。(武蔵大学が小川作品のフィルムを所蔵していることがわかりました)。

 「記録する魂」というのは、私が追求していきたいテーマのひとつです。
 写真美術館での映像収集と上映、ありがたいです。
 忘れ去ってはならない、風化させてはならない光景が、私の中にたくさんある。ささやかな土地に必死にしがみついて生きてきて、いきなり「土地を差し出せ、それが世のため国家のためなのだから」と、農民に有無を言わさず、札束で面をはたいて土地を収容した側に対して、「最後まで戦い抜いたことを記憶する人々」を、私は忘れない。

 成田の滑走路の脇でジェット機の騒音ストレスに耐えながら農業を続ける農家のことも、山形に移り住んで農業を記録しつつ死んだ小川伸助のことも、私は忘れない。

~~~~~~~~~~~~~

 20代のころ。多くの若者がデモに参加していました。政治活動社会活動として参加する人もいたし、「みんなが行くっていうから、暇だし、参加してみるか」という人もいたし、団塊世代でデモに一度も出たことがない人は珍しいくらいにみんなスクラム組んでデモに行きました。私も、「医療労連」の一員で「医療労働者の環境かいぜ~ん!」と叫んだり、ベ平連デモのしっぽにくっついて「ベトナム戦争はんた~い!」「米軍基地はんた~い」とシュプレヒコールに唱和したり。

 しかし、最近の国会周辺金曜日デモには、ずっと参加しないできました。関心がなかったのではなくて、金曜日夜は、ジャズダンスの練習日なので、私にしてみれば、ダンス練習を休んでまで参加しなくても、ほかにいくらでも私の意思を表明する方法はあると思っていたのです。また、政党やなんらかの主義主張の派閥に組み込まれるのもいやだ、と思っていました。学生時代にもベ平連のような「軟弱」といわれる団体のデモに参加していただけの私、ノンセクトを貫いてきたのに、今更どこかの団体に巻き込まれるのもいやだと思って。

 一時は、20万人が参加して、首相官邸のまわり国会の前を埋め尽くしたという反原発のあつまりも、年末、この寒さの中、尻すぼみだというので、それならちょっくら出てみようという気になりました。天気予報は「ときどき雨、北国では大雪」の予報。雨で低気温、年末のこの時期に、いったりどんな人たちが集まるのか覗いてみようというやじ馬参加です。

 というわけで、反原発国会周辺デモ。HALデビュー。2013年12月27日金曜日。
 雨が降ったりやんだりのなか、国会議事堂前駅から、しょぼしょぼとあたりをうろつきました。
 ご報告は次回に。

<つづく>

「世情」引用については、1.引用部分の長さは、全体の論述の三分の一以下である。2.論述を立てるために、引用が重要な要素である。3.引用部分に対して、節度ある引用をしている。
という、引用の要件を満たしていると思いますが、問題が生じれば削除いたします。
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ぽかぽか春庭「2013年9-12月の読書メモ」

2013-12-26 00:00:01 | エッセイ、コラム


2013/12/26
ぽかぽか春庭ブックスタンド>2013年9月~12月の読書メモ

@は図書館本 *は図書館リサイクル本 ¥は定価で買った本 ・はBookoffほか古本屋の定価半額本&100円本。

<日本語・日本言語文化論>
・阿辻哲次『漢字社会史』1999PHP新書
・濱口恵俊編『日本社会とは何か』1998NHKbooks
@A・ゴードン『ミシンと日本の近代』2013みすず書房
・加藤周一他『日本文化のかくれた形』1991岩波同時代ライブラリー

<小説 戯曲 ノンフィクション>
・井上純一『中国嫁日記一、二』2011、2012 エンターブレイン
・大江健三郎『二百年のこども』2003中央公論新社
@井上ひさし『言語小説集』2012新潮社
@井上ひさし『わが友フロイス1999文藝春秋
・藤沢周平『橋ものがたり1999新潮文庫

<評論 エッセイ>
・長森光代『ブルゴーニュの村便り』1983中公文庫
・林直美&篠利幸『シエナ-イタリア中世の都市』1998京都書院
・関川夏央『司馬遼太郎の「かたち」―「この国のかたち」の十年 』2003文春文庫
・澤地久枝『家計簿の中の昭和』2009文春文庫)
・須賀敦子『地図のない旅』1999新潮社
・司馬遼太郎『神戸横浜散歩・街道をゆく21』1988朝日新聞社
・司馬遼太郎『沖縄先島への道・街道をゆく6』1978朝日新聞社
・齋藤愼爾『寂聴伝―良夜玲瓏』2011新潮文庫
・村上春樹『遠い太鼓』1997講談社文庫
* 安冨歩 『生きる技法』201青灯社
・藤森照信『日本の近代建築 上・下』1993岩波新書
・藤森照信『建築探偵奇想天外』1997朝日文庫
・藤森照信『アール・デコの館―旧朝香宮邸』1993ちくま文庫
・東京建築探偵団『建築探偵術入門』1991文春文庫ビジュアル版 
@内田青藏『お屋敷散歩』2011河出書房新社
@五十嵐太郎『現代日本建築家列伝-社会といかに関わってきたか』2011河出書房新社
@増田彰久『西洋館を楽しむ』2007ちくまプリマー新書
@増田彰久『棟梁たちの西洋館』2004中央公論新社
@阿部編集事務所『東京古き良き西洋館へ』2004淡交社
@亀田博和『教会のある風景』2000東京経済


 今年後半の読書もまとまったものは読めず、いきあたりばったり、電車の中で読むのに手軽な文庫本ばかり。古本屋の百円本や3冊200円なんて本を適当に買って読むので、まとまったテーマにはなりっこない。

 それでも図書館で借りた本は、建築本をまとめて借りました。これまで「見ること優先、なまじっかな知識は不要」と思ってきた建築関連の本をいくつか読みました。それでこれから先の建物散歩がより楽しくできるかどうかはわかりませんが、とにかく建物の写真を見ているだけでも面白かったです。
 たとえば、年末にライトの自由学園明日館と遠藤新の自由学園講堂を見たとき、藤森照信の「日本の近代建築」や「現代日本建築家列伝」を読んだあとで見たので、ライト遠藤の師弟関係の意匠の系譜などをよりくわしく見ることができたと思います。

 来年も読む時間は電車のなかでしょうけれど、電車の中で寝てしまうことが多くなった今日この頃、どんな本とめぐりあうのか、楽しみにして新しい年を迎えましょう。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「クリスマスミサ」

2013-12-25 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/25
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(10)クリスマスミサ

 今年の「建物さんぽ」のテーマのひとつは、明治期の棟梁たちが在来の大工技術で西洋建築を建てた「擬洋風建築」。ほかに「明治大正昭和のおやしき」「教会と学校」など、さまざまな近代建築を見て歩きました。

 教会を見て歩くうち、感じたことがあります。お寺や神社は、外からお賽銭投げている限りでは追い出されたりしませんが、内部を拝観するには祈祷料をおさめるとか、法事でお布施を収めるとか、拝観料を払うとかしないと中には入りづらいことが多いのに、教会はドアの前に「どなだでもお入りください」と、書いてあり、信仰について書かれたパンフレットなども「ご自由にお持ち帰りください」と書いてあります。
 無料大好きの私、最後に献金箱にワンコイン入れるだけで、ずいぶん自由に写真も撮らせてもらいました。ありがたいことです。

 年のおわりに、いままで無料で見せてもらったお礼に、ミサに参加して「ありがとう」を言っておこうと思い立ちました。お礼をきいてくださるのが、マリア様かイエス様か大天使様なのかわかりませんけれど。シンクレティズム神仏習合主義の私としては、マリア観音、イエス如来、ミカエル菩薩、きっと私のお礼の気持ちを受け止めてくださることと信じます。信じるものは幸いなれ。

 クリスマスイブの教会めぐり。
 最初は、自由学園明日館。日本では数少ないフランク・ロイド・ライトの作品として国の重要文化財指定になっている建物です。ライトの弟子遠藤新設計の講堂は、道を隔てた反対側に建っています。遠藤は、ライト帰国後に建築を引き継ぎ、本館右側の教室棟も建て継ぎました。

 講堂でのクリスマスミサに参加していこうかと、室内楽グループが練習中の講堂を覗いたら、「主よ人の望みの喜びよ」を演奏中。素人なのだから、ハイレベルを求めてはいけないと分かっていたのですが、「あ、この音、パス」と思ったので、ミサイルままが仕事終わるのを待って、ふたりで目白関口の東京カテドラル教会へ行きました。

 子供の頃教会の日曜学校へ通ったことのあるミサイルままは、これまでに何度か、この東京カテドラルのクリスマスミサに参加したことがあるのだそうです。でも、私はカトリックもプロテスタントも、とにかくクリスマスミサなどに参加するのは初めてです。Zenぶっディストなもんで。信徒以外のもんがミサなんかに出るのはまずいかと思っていました。でも、「どなたもお入りください」が教会の主張だから、ちょっと覗かせてもらいました。

 東京カテドラルのクリスマスイブミサは、夜5時7時10時の3回行われます。私たちは7時のミサに参加。
 「きよしこの夜」は、「しずかな真夜中」という歌詞になっていましたが、最初のこの曲と最後の曲「グロリア」だけ知っている賛美歌で、あとは初めての曲でした。途中90分信徒たちは休まず歌っていましたが、知らない曲の楽譜を見てすぐに歌えるほど歌が上手じゃないので、私は歌えませんでした。ミサイルままは何度か参加したことがあるというし、区民合唱団で楽譜にもなれているので、歌っていました。すぐに歌える人、うらやましいです。

 信徒代表による聖書の朗読はあまりじょうずじゃありませんけれど、朗読専門家でもないからこれでよし。神父さんの説教はオペラのセリフのようにメロディがついていて、信徒はアーメンやら何やら合いの手をいれる。途中、聖体拝受というのがあったけれど、私は信徒でないから、出ていきませんでした。信徒じゃない人は助祭さんの前に出ていっても聖体を拝受せずに「祝福をお願いします」と口上を述べよとのこと。ミサイルままは祝福を受けました。わたしは教会建物めぐりのお礼言上だけとなえて、献金袋が回ってきたので献金。
 初ミサの感想。歌えたらもっと心洗われ清らかな年末になったかもしれないのに。

 パイプオルガンの音色はよかったし、丹下健三設計のコンクリートうちっぱなし大空間は、今でもすごい迫力なのですが、「ああ、私にはやっぱり相性が悪いなあ」という雰囲気。この空間内にいることが、なんとも居心地さだまらない感じ。そりゃ、私が信者じゃないのに、ミサに出ているからかもしれないのですが。丹下健三ファンにはこの空間が「荘厳壮大」と感じられるのでしょうが、ファンじゃない私には、なんともいえぬ圧迫感。「ひれ伏しなさい、ありがたがりなさい」という強迫観念がおそってきてしまう。これは好みの問題でしょう。それに今回は丹下建築の鑑賞会ではなくて、あくまでも教会建築見物のお礼参りだし。

 教会の外の建物では、信徒さんがクッキーとココアのおふるまい。お・も・て・な・し、してくださった。 
 おふるまいのクッキー、もうひとつ欲しかったなあという気分が残る私は、やはり俗人です。
 「おふるまい」ボランティア信徒さんたちの「クリスマスおめでとう」ということば。むろん、「イエスが生まれた日にちは歴史的には解明されていない」などと言うのは野暮ですね。信じるものこそ幸いなれ。メシアはやはり冬至の太陽と共に生まれ、日に日に光の量をまして行ったのだろうなあと思います。

 世界中の地域で、冬至の太陽を「弱まってきた光が新たな生命を得て再生し、復活する」ことを祝います。私も、共に祝います。クリスマスおめでとう。世界中のよいこにサンタさんがきますように。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「年末イルミネーション」

2013-12-24 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/24
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(9)年末イルミネーション 

 12月22日は、20年ほど前の教え子とランチ。ずっと日本に残って勉学に励み、昨年ようやく博士号を得たのに、就職口がなかなか見つからなくて、という悩みを夏休みにきいたあと、私も何人かの先生に、どこかよい勤務先がないか声をかけてみたのですが、今は文系もオーバードクターの氷河期、そうそうすぐには専任の口はない、ということで、彼女の身の振り方を気にしていました。

 冬休みになって「1年任期ですが、特任研究員のポストが見つかりました」という連絡。おおやけの機関での研究員、1年更新で3年までは連続更新できるそうなので、きっとその先の展望もあることでしょう。
 ランチのパスタをいただきながら、来し方行く末の話をしました。故国で日本語をある程度学んでから来日し、日本の専門学校に入学、私立大学の日本語学科に転入しました。私が彼女に教えたのはこの頃。とても真面目で優秀な学生でした。さらに国立大の修士課程、博士課程に進み、博士号取得までがんばりました。

 故郷の両親は、このまま研究ひとすじに生きていくことを了承し、がんばりなさいと言っているそうで、私もこの先、よい研究を続けていけるよう応援しようと思います。

 年末、街のあちこちに鮮やかなイルミネーションが輝いています。今年、志を得た人、思うようにいかなかった人、さまざまな思いが重なる年末です。私にとっては、仕事も日々の生活も、自分なりにせいいっぱいやった、という思いと、今年もなにも人様に誇れるようなことはできなかったという思いと。

 そんな達成感もない年末に、自分をはげましてくれる映画のひとつが、フランク・キャプラ監督『素晴らしき哉、人生!It's a Wonderful Life 』です。今年も年末に見ました。
 特別な栄誉栄典に恵まれることもなく妻と子とのささやかで平凡な生活を営んできたJ・スチュアート扮するジョージ・ベイリーが、一度は絶望したあと、自分の人生の価値を知ります。ささやかな人生をおくるすべての人へのクリスマスプレゼント。

 ほんとうは、全ての人が、街角のイルミネーションのように輝いているのだと思いながら、ソチオリンピックフィギュア代表選手決定をテレビでみました。
 だめかと案じていた高橋大輔選手も代表入り。ショートもフリーも4回転が決められなかったので、もうだめかと心配していました。全日本3位に入賞しても選ばれなかった小塚選手は気の毒でしたが、決まった代表選手は、来年に向けてさらに演技に磨きをかけるべく練習を続けることでしょう。がんばれ代表選手!

 さいたまスーパーアリーナ前のけやき広場のイルミネーションです。すべての人が輝く笑顔で行く年を送れますように。





太めのシルエットは、輝かないHAL版「素晴らしき哉、人生!
   


<つづく>
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ぽかぽか春庭「さいたまスーパーアリーナで全日本スケート第一日目を見た」

2013-12-22 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/22
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(8)さいたまスーパーアリーナで全日本スケート第一日目を見た



 12月21日、全日本フィギュアスケート選手権第一日目を見てきました。
 妹が入場券をとってくれたので、「1年間いっしょうけんめい働いた私へ、わたしからのクリスマスプレゼント」として、出かけたのです。


 さいたま新都心駅で妹と待ち合わせ。中華店で「ランチコース」を食べました。前菜、フカヒレ入り中華スープ、北京ダック、チンジャオロース、エビチリ、チャーハン、坦々麺、杏仁豆腐など、どこにでもあるものを並べたコースでしたが、おなかいっぱいになりました。

 食べながら、妹と「こどものころ、伊香保スケートリンクへすべりにいったね」と、思い出話。冬になって湖氷結のニュースを心待ちにしていて、いちばん最初に凍るのが赤城大沼、そのあと榛名湖、それから伊香保スケートリンク。姉と私は赤城大沼までバスで片道2時間の山道が我慢できるのですが、妹は体が弱かったので、バスで1時間でいける伊香保スケートリンクが凍るまでは滑れなかったのです。
 昔のフィギュアスケートは、氷の上に八の字や円を描いてすべり、3度すべって3度とも同じ線の上を正確にすべれたら勝ち、という競技でしたから、私はフィギュアスケート靴ですべっていても、フィギュア競技には関心がなくて、スピードスケート靴ですべっている男の子のグループに混じって競争するのが楽しみでした。男の子に勝てるのがうれしかったのです。

 息子が小学生のころ、いっしょにリンクへ通いましたが、それもはるか昔のことになり、今は見る専門です。それもテレビ観戦ばかりで、ディズニーオンアイスなどのショウは見に行ったことがあるけれど、競技会を生で見るのは初めてのことなのです。

 1万8千人収容できる、というさいたまスーパーアリーナがほぼ満員。2014年冬期オリンピック最終選考会を兼ねる大会というので、異様な熱気で盛り上がっています。
 3時15分にアイスダンスから競技が始まりました。
 アイスダンスは4組が出場。リード姉弟が最初の滑走で、日本ではほかに対抗馬はいないという実力を見せました。紫色の衣装もとてもきれいでした。

 ペアは、ジュニアペアが2組、女子選手と外国人男性選手のペアです。シニアは高橋成実木原龍一ペアだけ。木原は、シングルからペアに転校して1年で、すばらしい成長を見せました。世界に伍していくにはまだまだ課題があるでしょうが、挑戦し続けてほしいです。
 以前、高橋成実が怪我をして試合を休んでいた頃、一度駅で見かけたことがありました。お母さんといっしょでしたが、小学生にしか見えないくらいの小さな体つきでした。しかし、氷の上では堂々としていて、とても大きな存在に思えます。

 さて、いよいよ男子シングル。第一滑走の日野龍樹は緊張してしまったのか、成績が伸びませんでしたが、二番目の田中刑事はいい出来でした。第2グループの若い選手たち、高校生の宇野昌磨もすばらしかったし、2000年生まれの13歳、山本草太も、これからの時代をになっていく勢いを感じました。

 第三グループ、あまり知っている選手がいなかったので、妹は「トイレタイム」。第4グループの演技を見落とすわけにはいかないので、それにそなえてのトイレ。整氷時間の15分間に並んでも、みな考えることは同じなので、第3滑走グループと第4グループの間の時間、トイレ前は長蛇の列。私は諦めて席に戻り、妹は第3グループの演技を見るのをあきらめてトイレの列に並び続けました。第3グループの出場者のみなさん、ごめんなさい。でも、ちゃんと見ていた私も、第3グループの演技はまだまだに思えました。全日本選手権に出るというだけですごいことなんだけれど、世界のトップに立っている現在の日本の男子シングルトップとはだいぶ差があるなあという感想でした。

 いよいよ第4グループ。町田樹は93点いう高得点で、あとに続く選手にプレッシャーをかけました。無良、織田、中村健人らは、少し調子悪かった。
 第5グループ、羽生結弦がミスなくすべての回転もきめて103.10の高得点。小塚も90点代をマーク。
 私が祈りを込めて見守ったのですが、高橋は残念ながら転倒もあって82.57 。でも、きっとフリーで盛り返すと思います。とにかく会場は「DISK」タオルがずらりと並ぶ。みんな、どんだけ高橋が好きなんだよ、というくらい高橋ファンが圧倒的でした。

 高橋も織田も、今シーズンで競技生活からは引退ということなので、最後のがんばりを見せています。
 テレビでは顔の表情などもよく見えるのですが、競技場では、オペラグラスで見るよりも全体を見渡していたほうが楽しい。リンクのはしからはしまで滑っていくスピード感がすばらしいです。

 妹は、前橋で行われた東日本大会も見て、安藤美姫の逆転2位に感激したそうで、来年の世界フィギュア選手権のチケットもすでに先行予約してあるのだって。私はそんなに入場券買えないから、明日の浅田真央ちゃんほか女子ショートと男子フリー、テレビで応援します。 
 
<つづく>
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ぽかぽか春庭「ビックリスマスコンサート」

2013-12-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/21
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(7)ビックリスマスコンサート

 12月15日、池袋の芸術劇場で、ビックリスマスと銘打ったコンサートがありました。中島啓江、江原啓之、渡辺真知子という、いったいこの組み合わせは何なんだと、首をかしげながらも、私が出かけたのは、ジャズダンス仲間のミサイルママが区民合唱団の一員として出演するからです。

 合唱団の指揮指導を続けている坂本和彦さんの音楽事務所に所属するG.dream21というオーケストラ。女性ソリストが22人集まってオーケストラを結成した、というチームです。予定の演奏曲目として、ボレロ、リベルタンゴ、ダニー・ボーイ、アメージング・グレースなどが並んでいましたので、女性オーケストラによるソフトミュージックの合間に坂本先生とゲストのトークでつなぐ構成なのだろうなあ、でも合唱団は何を歌うんだろうと思って出かけました。

 最初は、「女性オーケストラによる女性を主人公にした音楽」カルメン、江、篤姫など、物語や歴史上の女性のうち「強い女性」がテーマです。司会&指揮の坂本先生はテレビを見ないそうで、「江は、13代徳川将軍の奥さん」と紹介していました。観客の多くは中高年女性です。女性が主人公の大河ドラマが大好きな年代の奥様方が大半ですから、「あらあ、違うわよね」と、ざわついていました。坂本先生は、NHK大河ドラマのテーマ曲ばかりを集めたコンサートも指揮したことがあるそうです。

 休憩をはさんで、第2部は合唱団も登場し、「もろびとこぞりて」などプログラムにないサービスのクリスマスソング。ミサイルままは合唱団のいちばん後ろの列でしたが、「今回はクリスマスだから、いつもの黒いロングスカートに白いブラウスという定番の衣装のほかに、光り物を身につけていいっていうお許しが出たの」と、おしゃれしてきて、歌声にも気合が入ったようすでした。

 第二部は、ゲスト3人が順にうたいました。渡辺真知子「かもめが翔んだ」、中島啓江「アメイジンググレイス」は、予想通りの曲目でしたが、江原啓之、私はスピリチュアルなんたらという活動しかしらなかったので、「オペラ歌手もしているんです」というのを初めて知りました。

 「2015年に大阪で夕鶴を上演するんですが、私は運ずの役をやります」とオペラ歌手として実力があることを強調していましたが、私はあまり江原さんの声が好きじゃなかった。ちょっと魅力に欠ける声のように思いました。会場には熱狂的な支持者がいるらしく、私の一列前の女性は一曲おわるたびに立ち上がって「一人スタンディングオベーション」をやり「ブラボー」と声張り上げていました。腕には天然石ブレスレット。なんだかいかにもの信者っぽい人なので、ちょっと興ざめしました。どうも、私はこの手の熱狂に醒める人なので。
 彼のスピリチュアルに共鳴する人にとって、すばらしい歌声に酔いしれることができるのでしょうが、まあ、声というのはすきずきですから。

 最後の曲は合唱団とオーケストラの共演で「ボレロ」。クレッシェンドの大盛り上がり、大迫力で終わりになりました。ああ、でも私はボレロはやっぱりバレエとともに味わいたい。

 年忘れのコンサート、せわしない年末に心楽しいひとときでした。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「オペラ秘密の結婚」

2013-12-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/19
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(6)オペラ『秘密の結婚』

 12月12日、溝の口の洗足学園前田ホールで文化庁委託事業のオペラ公演『秘密の結婚』を見ました。若手のオペラ歌手育成のために文化庁がお金を出しています。見る人は整理券をもらえば、無料でオペラが見られます。無料大好きの私、ジャズダンス仲間のコズさんに誘われて、仕事を終えた足で溝の口に向かいました。コズさんが所属している女声合唱団の指導者が、洗足学園の先生なので、無料鑑賞券をもらえたのだそうです。

 定年退職したあとのこの2年間、のんびりすごしているコズさん、「平日だから、みんな仕事あるし、付き合ってくれる人いないんだ」というので、いっしょにオペラ鑑賞となりました。現地集合の約束の前田ホールへ向かおうとしたのですが、例によっての方向音痴、地図を見つめながら、北口南口西口東口と、溝の口駅の周りを2周しました。ぐるぐる回ったので、どこがどこなのかわからなくなりましたが、どっちかの出口はイルミネーションがきれいでした。

 溝口から徒歩7~8分とかいてあったのだけれど、あきらめてタクシー拾おうとしていたら「e-Naちゃん」と呼ぶ声。現地集合のはずのコズさんとばったり会えたのでした。

 『秘密の結婚』は、ドメニコ・チマローザ作曲のオペラ作品です。
 チマローザ(1749 - 1801)は、ナポリ近郊で生まれたイタリア人で。18世紀後半にウィーンの宮廷音楽家として活躍した人だそうです。チマローザと同時代の作曲家としてはモーツァルト(1756 - 1791)があまりに傑出して有名。モーツァルトはチマローザより7年遅く生まれ、10年早くなくなっています。私は、チマローザをぜんぜん知りませんでした。
 まったく同じ演目が、10月に東京芸大の(新)奏楽堂でS席5000円で上演されていましたから、今年はチマローザブームなのかしら。

 『秘密の結婚』は、1972年、チマローザ42歳の作品で、オペラ・ブッファの代表作。貴族の娯楽であったオペラの中に、市民を登場させたオペラブッファは、市民階級の男女や下男女中までが主役を担うという点で、それまでのオペラから見ると「庶民的」なものになっていました。

 『秘密の結婚』の台本は、ジョバンニ・ベルターイ。
 商人階級ながら成金の大金持ちとして次は名誉と名声をと狙っているジェロニモが、娘を貴族階級と結婚させようとはかります。長女のエリゼッタは、伯爵との見合い話に大喜び。しかし、次女のカロリーナは、下僕のパオリーニと愛し合い、すでに秘密裏に結婚しています。身分下の男との結婚を父親に認めさせるためには、姉が貴族と結婚し、父の機嫌がよいときに打ち明けるのがいいと考えています。しかし、ジェロニモの招きで家にやってきたロビンソン伯爵は妹のカロリーナに一目ぼれしてしまったので、話はこんがらかり大騒動となります。

 お話は、オペラブッファの定番通りに、わいわいと楽しく、大騒ぎも最後には大円団。それぞれの人に見せ場の歌があり、重唱あり四重唱あり。舞台の上部に字幕が出るので、イタリア語での歌唱でも大丈夫でした。これまでオペラの舞台を敬遠していたのは、オペラチケットが高い、ということと、原語で歌われても意味わかんない、ということがあって、オペラを見るのはもっぱらテレビの舞台中継のみでした。テレビだと字幕が出るので。日韓合同公演の舞台や聴覚障碍者といっしょに楽しもうとする舞台で、字幕付きの上演を見てきましたが、そうですよね、オペラも字幕で楽しめるんでした。

 出演者は、若手オペラ歌手からオーディションによってえらばれています。音楽大学やオペラ歌手養成所の卒業生であっても、なかなか主要な役にはつけない現状がありますが、文化庁は、「若手オペラ歌手育成」のために、公演を企画したのです。
 ロビンソン伯爵の従僕役で舞台に登場したダリオ・ポニッスィ、実は、この公演の演出家です。6名の主要出演者たち、厳しいオーディションを勝ち抜いた歌手だけあって、それぞれ役柄に合っていて、とても上手でした。父親ジェロニモの役の人もほんとうは33歳ですが、立派にと老け役をこなしていました。
 
 出演者たちは、オーディションから3か月の間けいこを続けたそうで、たった一回の公演ではもったいないと思いました。
 見ている層は、若い人はおそらく出演者のおともだちか、オペラ志望の音楽大学学生。あとの観客は、ほとんど、中高年でした。これは、他のクラシックコンサートも同じ。そりゃ、若い人はロックやアイドルのコンサートに出かけるのに忙しくて、オペラなんぞ見ないわねぇ。思うに、文化庁は「若手歌手育成」と同時に観客育成もしておかないと、われわれの世代がいなくなったあと、オペラを見る客はいなくなるんじゃないかしら。

 また無料の公演があったら見に行きたいです。むろん、外国歌劇団の引っ越し公演なんぞのS席ウン万円のチケットをお持ちのからのご招待も受付中。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ドーデモいい話」

2013-12-18 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/18
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>文型指導語彙指導(3)ドーデモいい話

 12月、電車の中で高校生が参考書や単語帳を開いて必死に暗記している姿を見ることが多いです。2学期期末試験の時期なのでしょう。高校2年生の後半の成績と3年生1学期の成績で大学推薦枠などを決める高校が多いせいか、高校生の顔も真剣です。のんびりおしゃべりしているグループ、まだ1年生なのかもしれません。

 私は電車の中で、他の人の会話を聞いているのが好きです。同じ会社同士のおっさんの会話も、買い物帰りのオバハンの会話も、大学生高校生の会話も面白いです。日本語ウォッチング日本語リスニング、楽しいですよ。
 今生きて使われている日本語、同時代日本語観察は、気楽な娯楽でもあり「現代日本語学」を講じている者の仕事の一環でもあります。

 ある日の高校生の会話。「日本語って、おもしろよね。あの人はいい人って、いい意味だよね」
 そうね、性格いい人も頭いい人も、気持ちいい人もいるけれど、いい人はいい人よね。
 高校生は、新発見したという顔で「でもさあ、ドーデモをつけると、いい人じゃなくなるよ。ドーデモいい人って、いい意味じゃないもん」
 話している高校生は、「いい人」の意味が反転してしまう日本語表現を見つけて面白がっているのですが、ケータイに目を落としながら聴いていた仲間たちは、「あのさ、そういう話ばっかしているおまえがドーデモいい人なんだよ」と、あしらっていました。

 「いい・よい」は、プラスイメージの形容詞です。
 しかし、古川柳の「母親はもったいないがだましよい」の「よい」は「~やすい」の意味で、息子に甘い母親を「騙しやすい」とからかっています。ほかにも、「いい」「よい」を使っていてもプラスイメージにならない語を並べてみましょう。

 「調子いい男」はどうでしょうか。「調子悪い」の対義語「調子いい」は、「仕事や体調が順調である」「成り行きや身の回りのことが思い通りにいく」というもとの意味から「相手に迎合しながら事態が順調にいくようにはかる」という意味まで含みます。「調子いい男」は、中味はないのに、うわべの取り繕いだけがうまい男、という意味になっています。
 「いい」の意味範囲が拡大しているのです。

 とくに、反語的に「いい」をつかう場合があります。
 悪い事態に陥った相手に対して溜飲を下げる気持ちで表現する「いい気味だ、いいザマだ」。年齢相応の振る舞いではない年配者に対して不満を表す「いい年をして」。本来とはことなる待遇を不当に得ていると感じる相手に対して「いい御身分だね」など。

 「お茶をもういっぱいいかがですか」とホームステイ先のお母さんにすすめられ、「いいです」と答えたら、お茶をもらえなかった、という話を留学生がしていました。「おちゃ、いいですね。お願いします」という、肯定の意味を伝えようとしたのに、相手には「いや、必要ないです」の意味に受け取られたのです。「いいです」や「けっこうです」が持つ、多義性による誤解。

 本名登録が基本というフェイスブックで、会社の上司に名前を検索されて「友達登録」をするハメになった会社員。上司が何ごとかをUPするたびに速攻で「いいね!」ボタンを押さなにと、翌日に上司から「君、最近僕のコメント、ドーデモよくなってるみたいだね」なんてイヤミを言われるのだとか。ああ、疲れる。

 年末かわいい我が子が家で待っているのに、「どうかね、今夜いっぱい」と上司に言われると「いいですね」と返さなければならないサラリーマン。内心では「上司なんてどーでもいい」と思っていても、答えはいつも「いいね!」ボタン。たいへんですな、ご同輩。 

 で、忙しい年末にドーデモいい話をしてしまいました。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「文型指導、酒が飲めます」

2013-12-17 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/17
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌>文型指導・語彙指導(2)酒が飲めます

 日本語を学びたい留学生のための日本語教育の仕事をはじめて25年、日本語教師になりたい人のための日本語学及び日本語教育学を担当して13年。
 日本語教師になりたいと本気で思っている学生には、「留学生の日本語授業を見たことがない人、私の授業を見たいとき、来ていいですよ」と話しています。私が公開している授業は月木金なのですが、その曜日にはほかの必修授業などに出席しなければならないことも多く、なかなかうまくマッチングしないのですが、今期は、木曜日金曜日に授業を見てもらうことができました。

 長年日本語教育を続けてきました。学生の国籍や語学学習歴などを考慮して、クラスに合わせて毎回バージョンを変えて授業を工夫しても、うまくいく授業ばかりではなく、学生が見に来た授業でも多々失敗はありました。ですが、25年続けていてもこの程度の授業なのだ、ということを見てもらうのも、学生にとって学びのきっかけにはなるだろうと思っての公開です。

 10月31日に他大学学生たちの授業参観があったときは、大学行事としての公式の参観なので、いやだいやだと思いました。それは、引率の教授や他クラスを担当している専任教員やらが監視する中での授業だったから。「長年やってるってわりにはヘタな授業ですね」なんて思われるのがオチです。

 幸い、あとで送られてきた参観レポートによると、参観学生たちには参考になったようで、楽しい授業だったとの感想が書いてありました。あまりに褒めてあるので、引率教授が礼儀として「褒めて書きなさい」という指導をしたのかと疑ったくらいですが、他のクラスで参観授業担当した先生は「的外れの批判も書かれていた」とプンプンしていたので、礼儀として褒めたのではないこともわかりました。学校行事としての授業参観をさせられるなんて、いやだったけれど、学生たちの役にはたったのだと胸をなでおろしました。

 金曜日の授業を参観にきている学生は、男の子ふたりを子育て中のママさん学生。私も子供ふたりを育てながら、二度目の大学、大学院と学びを続けてきたので、彼女の意欲も苦労もよくわかります。と、言っても、子供たちを食わせるために奨学金で生活しようとして大学院へ進んだ私。一方の彼女は、港区のタワーマンションの25階に住んで、働かなくても夫の収入でくらしていけるのだそうです。しかし、自分の学資くらいは自分で出したいので、グラフィックデザインの仕事を、家でできる分だけは続けている、という恵まれ立場。

 でも、タワーマンション奥様族の多くは、子供を有名小学校に入学させるだけが生きる目的みたいになるのに対して、自分自身が大学で学ぼうとし、日本語教師になってみようかという意欲を持った彼女、すばらしいと思います。
 「社会人入学したときは、特別日本語教育に興味があったわけではなかったのだけれど、入学後、実際に日本語教育に携わってみたい気持ちが大きくなってきた」というママさん学生の心意気を買いたいと思っています。

 年内最後の日本語教授法の授業では、学生たちに模擬授業を課しました。目的は授業案執筆練習なのですが、せっかく授業案を書いたのだから、案の通りに授業をやってみて、授業案の通りにはいかないのだということも知ることも必要、と思っての課題です。模擬授業そのものは、うまくできなくてあたりまえ。

 日本語母語話者にとっては空気のように当たり前で、なんの不思議も感じずに話したり書いたりしてきた日本語が、日本語学習者にとっては難しくてわけのわからない言語であるのです。「ドアをあける」と「ドアがあく」のふたつも動詞を覚えるだけで負担感が増します。中国語はどちらも「開」の一語英語はどちらも「open」一語、ですむのですから。

 日本語母語話者にとって、どこがわからなくて、どこでつまずくのかわからない。何がわからないのか、というところから日本語を教えだします。学習者がどまどったりつまずいたり、することによって、何がわからないのかがわかってきます。
 
 模擬授業を担当した日本語教授法受講生、動詞の可能形を学習者に教えようとして、「読みます、読めます。読めますは、可能形です。はい、リピートしてください。私は英語が読めます、私は漢字が読めます」これだけで、学習者に「動詞の可能形」の意味が伝わったと思っています。

 教師は、出来の悪い学生役になって、「センセー、カノーケーって、何ですか。私の友達、カノークンです。カノケーとカノークンは同じですか。読みますと読めますは同じですか」と質問します。先生役の学生「あ~、可能は、出来るってことです」「デキルは何ですか。ナイフで切る。ナイフ、デキルですか。フォーク、デキル、スプーン、できる。いいですか」

 クラスの学生全員に英語が通じるのなら「can」と説明してしまったほうが、てっとり早いし、全員が中国人学生なら「能」を出して「私は中国語が読めます=我能看中文」と、翻訳方式で教えられる場合もあります。

 しかし、クラス設定は、世界中いろいろな国から来た留学生が集まっており、英語も中国語もわからない学生もいる、ということにしてあります。ロシア語が話せるポーランド人、ポルトガル語がわかるモザンビーク人、スペイン語を話すペルー人、フランス語ができるハイチ人、などが在籍するという設定で、英語で説明しても、中国語で説明してもダメな場合どうするのか、これを考えるのが、「直接法による指導」です。

 どのように指導したら、日本語がまったくわからない学生に、日本語だけで日本語の意味を理解させることができるのか、この工夫が「直接法ダイレクトメソッド」による教授法の醍醐味です。

 絵カードをつかったり、ビデオ動画をつかったり、さまざまなやり方があります。
 私のお得意は、TPR(トータルフィジカルレスポンス)を使うやり方。身体表現と語学学習を結びつけて、体の動きで練習したり教えたりします。過去の経験が今の仕事に生きている」と感じることのひとつが、役者をやって暮らしたことがある、ということです。人前で声を出すこと体を動かすことを訓練としてやったので、日本語学習者の前で一人芝居をすることが得意です。「~ができる」ということの意味も、いろいろな動作によって示すと面白いです。

 「私は酒を飲みます」と「私は酒が飲めます」このふたつの文のちがいを、日本語を知らない学生に理解させ、「可能」の文型を教えるにはどうするか、年末の忘年会で酒を飲みながら考えてみてください。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「誤用研究、朝起きたり洗濯したり」

2013-12-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/15
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教師日誌典>文型指導・語彙指導(1)誤用研究、朝起きたり洗濯したり

 日本の社会文化を知る、日本事情の授業。
 日本の紹介の手始めに、お札やコインを見せます。学生が持っている千円、五千円、一万円などの人物紹介、樋口一葉や紫式部の説明をします。紫式部の肖像、二千円札の裏にありますが、留学生が見ることはほとんどないので、いつも財布に一枚入れておき、紹介できるようにしています。二千円札の紫式部、お札界ではマイナーな扱われようですが、日本言語文化にとっては大きな存在。

 日本のお札には偽札防止のいろいろな技術が使われ、世界でも最高峰の印刷技術が注ぎ込まれています。コイン製造にもいろいろな技術が。
 500円玉の00の部分に斜め線が入っているけれど、ここを斜めにして見つめると、00の中には縦に「500円」という文字が刻まれていること、気づいていましたか。また、1円玉1個作るには3円もかかる。だから、ぜったいに偽1円玉はない、なんていう話を留学生にします。

 コインに描かれている絵の紹介。1円玉。若木が描かれたアルミニウム貨で、5円玉は稲穂。50円は菊。百円は桜。500円は桐と竹。さて、10円玉には何が描かれているか。10円だけ金額表示の10に常盤木が描かれ、裏面は他の硬貨が植物であるのに対して、建物が描かれています。このたび、50年ぶりに全面修復がなった宇治平等院です。(2014年4月から再公開)

 「500円玉の00の中に、文字が見えることがわかったら、今度は10円玉を見つめてみましょう。ある不思議なことがあります」
 「なんだろう」という顔が、帰ってきたら、「10円玉に描かれているのは、宇治平等院鳳凰堂です。じっと見つめてください。瞬きをせずにじっと見つめていると鳳凰堂の扉が、とじたりしまったりします」
 さあ、あなたもやってみましょう。

 しばらく見つめていた人が、「ダメだ、瞬きしちゃった」なんて言ったら「諦めたら、試合終了です。さあ、もう一度。じっと見つめていると、こんどは平等院鳳凰堂の扉が、ひらいたりあいたりしますから」
 ここらで、たいていの人は、あれっと言う顔をします。

 「閉じたりしまったりする扉」「開いたりひらいたりする扉」同意語の反復にすぎませんね。これは、「~たり~たり」という日本語表現を利用した冗談です。飲んだり食べたり、踏んだり蹴ったり、行ったり来たり、上がったり下がったり、このような表現をよく使うので、「閉じたりしまったり」と言われると一瞬、ふたつの事象があるような気がしてしまいます。
 
 「~たり~たり」はなじみの表現で、いつもは意識せずに使っているのですが。

 日本語教授法受講の学生に、「~たり~たり」の文型で、留学生がよく間違えて書く作文を例にして、誤用について考えさせます。
 「関西へ旅行にいきました。平等院を見たり金閣寺を見たりしました」という作文はOK。しかし「関西へ旅行にいったり、金閣寺を見たりしました」という文は、日本語文としておかしい、なぜなのか説明してください。
 日本語母語話者は、日頃無意識に日本語を使っています。しかし、日本語教授者は、ことばを意識的に見直すことが重要だ、ということを考えさせる場面です。

 「日曜日に何をしますか」という質問。日曜日にいろいろなことをするうちのふたつを例として出してください、という注文がつきます。
 テ形(連用形)をつなげて、継起的に行動を説明する文型はすでに習っています。「日曜日の朝、7時に起きて、新聞を読んて、コーヒーを飲みます」これはみな言えるようになっています。

 日本語学習者は、日曜日の行動を思い浮かべて、ふたつの動作を選びます。日曜日のふたつの行動を思い浮かべた留学生が次のように言います。
「日曜日、洗濯をしたり、宿題をしたりします」これはOK。
 次の学生、「日曜日、朝起きたりコーヒーを飲んだりします」こちらはダメ。なぜか。

 この留学生誤用について日本人学生に考えさせます。
 「日曜日に、朝起きたり新聞を読んだりします」という文が、日本語としておかしい感じがする、というのは、皆感じるのです。しかし、なぜダメなのかを説明する段になると、「あれ?どちらも日曜日にする行動なのに、なぜふたつ並べて~たり~たり、にするとおかしくなるのか」と考え込みます。無意識に使っている日本語を文法面から意識化することから、日本語教師としての第一歩が始まります。

 「~たり~たり」は、同じ範疇の行動をふたつ並べることによって、他にも同じような行為行動があることを例示する文です。
  京都旅行の作文。「京都へ行きました。清水寺へ行きました。金閣寺を見ました。八つ橋せんべいを買いました」
 「京都へ行きました」と、「清水寺へ行きました」は、同じ「行きました」という動詞を使っていても、行動の範疇からいうと同じものではありません。「京都に到着したあとの「清水寺へ行く、金閣寺を見る」は同じ範疇の行動。しかし、「京都へ行く」と「清水寺へ行く」は同じではありません。「京都に行く」と同じ範疇の行動は、「帰る」です。
 「彼はいつも新幹線で京都に行ったり帰ったりする」という文なら成立します。
 
 日曜日の朝、起きて、また二度寝して、また起きて、というときなら「日曜日、起きたり寝たりします」と言えます。しかし、「起きる」と「宿題をする」は、同じ範疇の行動ではないので、「日曜日、起きたり宿題したりします」は、誤りなのです。

 日本語の動詞、文法活用の面から、五段活用(1グループ、u動詞)一段活用(2グループ、ru動詞)、変格活用(3グループ、する、くる)に、分けられることは、古典文法を習った人にはおなじみ。現代日本語を教えるときも、留学生にとってこの活用のグループ分けは、第一の関門になります。「京都に*行きないことにしました」「京都に*行くばよかった」などの誤用は、初級後半になっても多々出てきます。
 しかし、活用については、日本語母語話者も意識化しやすいので、教える側にとって、説明はむずかしくありません。

 教える側にとって難しいのは、無意識に日本語を使っていると気づかない日本語の法則を意識化することです。
 日本語学習者が間違えたとき、あれ?どうしてこういう表現は日本語として使えないのだろうと考えることから、日本語文法研究が始まるのです。

<つづく>
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ぽかぽか春庭「ミッドタウンイルミネーション」

2013-12-14 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/14
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(5)ミッドナイトタウンイルミネーション

 アイソン彗星は太陽に近づきすぎて消えてしまいました。東京の冬空、照明が明るすぎてシリウス星とオリオン座くらいしか私の目には見えないのですが、それでもたまには夜空を見上げます。
 夜空に光が乏しいからなのか、東京の冬は、地上のイルミネーションがそこらじゅうで輝きます。もちろん、イルミネーションも好きです。LED電球開発後は、「電力無駄遣い」という批判もなくなってきましたしね。



 12月09日、仕事がいつもより早く終わったので、六本木のミッドタウン、サントリー美術館に寄り道。6時の閉館時間まで宇治平等院の飛天像などをみたあと、ミッドタウンイルミネーションを見ました。


 
 28万個の青いLEDが2000㎡の芝生広場に敷かれて、光のアーチと組み合わされて、青から緑へ、ピンク、赤の光と光のショウがきらめきます。一回のショウは5分くらいのものなのですが、わーきれい!と見続ける人たちとともに、私も20分くらい眺めていました。

 先日電車の中でギャルがふたりで会話していました。「○○のイルミネーション、見に行くんだよ」「え~、誰とぉ」「友達とだよ」「カレシできたのかと思った」「なら、いいけどね。でもさぁ、イルミネーションひとりで見る人って悲しいよね」「だよネー」
 ヘェヘェ、わたしゃ一人で見ましたとも。一人でキレイダなーと見とれてました。
 すみませんね、カナシーヒトで。




 12月中、いろんな光ものを楽しもうと思います。ひとりで。
 むろん、誰かといっしょに見るのも楽しいし、それが恋人であるなら寒さなんて感じないでしょう。でもね。一人ですごす楽しみ方もあるってことを知らずに年をとってしまうと、それこそカナシー人になるんじゃないかしら。大勢でも、ふたりでも、ひとりでも、楽しい時間があったほうが、どんな時でも楽しめる。

 私の場合、基本ひとりで旅もするしごはんも食べるし、イルミネーションも見る。最近ようやくカメラの使い方がわかって、セルフタイマーで自分を撮れるようにもなったし。残念なことに、この日、持ち歩いているデジカメが電池切れ。ガラケー内蔵カメラにはセルフタイマーついてなくて、イルミネーションを背景に「光る私」を取れなかったのが残念。
 
 おひとり様生活、あと、やってみたいのが、ひとりでバーに入ってお酒を飲んでみること。おひとり様バー・デビュー、いつになるやら。
 あ~、毎度の発言ながら、バーでマッカラン1939とか、山崎50年ウイスキーなどおごってくれる方も募集中です。ぜひ、ごいっしょに。

<おわり>
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ぽかぽか春庭「お屋敷町の銀杏並木、地元のバレエフェスティバル」

2013-12-12 00:00:00 | エッセイ、コラム
2013/12/12
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(4)お屋敷町の衣装並木、地元のバレエフェスティバル

 宝莱山古墳から宝莱公園へ。公園からは、大通りがまっすぐ田園調布駅へ向かっています。
 田園調布駅に向かう通りは、銀杏並木になっていて、傾いてきたお日様が銀杏木立を黄金色に輝かせていました。銀杏は東京都の木。都内各所に銀杏並木の名所があるのですが、この田園調布銀杏並木も「地元民にしか知られていない名所」なのでしょう。私が田園調布地元民になることはないと思うので、ハイキング帰りに目にできてよかったです。


 旧田園調布駅舎は、これまでビデオでは何度も見てきました。授業で時々学生に見せている『ヤンさんと日本の人々』という日本語教育ビデオの中にたびたび登場するのです。ヤンさんは、田園調布にある鈴木家の離れの一室を間借りして日本の生活を始めます。ヤンさんの通勤風景シーンなどで、最寄り駅であるこの田園調布駅が出てきます。私にとっては、自分の最寄駅以上に目に焼きついている駅舎なのです。


 今では新駅が出来て、この旧駅舎は、駅のシンボルゲートになっています。
 天井の照明器具なども由緒ありげな旧駅舎。1924(大正13)年にでき、駅の地下化に伴い、2000(平成2)年に現在の場所に解体移築されました。田園調布の開発を行った田園都市株式会社多摩川園所属の建築家、矢部金太郎の設計です。矢部は田園調布の地に渋沢秀雄邸などを設計した人ということです。(渋沢秀雄は渋沢栄一の四男)

 黄金の美しい銀杏の並木も見事でしたし、シンボル旧駅舎は可愛らしかったですが、立ち並ぶ邸宅の一軒一軒が「うちは、有名建築家の○○に設計を頼みましたのよ、オホホ」という家やら「あら、タクは新進デザイナーの○○さんの作品ですのよっ」というような家並みに、「へぇ、わしらは、東京のはずれの団地住まいでゴゼーマスだ」という気分になって、どうにも庶民には居心地悪いかんじ。単なるヒガミですけれど。

 田園調布駅から東急目黒線に乗り、王子駅下車。北トピアさくらホールへ。バレエフェスティバルを、ジャズダンス仲間のコズさんと見ました。地域の文化祭のひとつなので、大人の踊るモダンバレエ、モダンダンスに見ごたえのある作品もあり、幼稚園児小学生の踊る「家族以外には耐えられない」バレエ発表もあり。

 まいったこと。日頃はバレエなど見る気はないジーサンバーサンが「うちの孫」見たさに押し寄せ、孫の出番の前も終わってからも、他のグループの演技中であろうとお構いなしに席に出入りしていて、純粋に踊りを見たい私とコズさんは顔を見合わせてしまいました。

 「うちの孫」さえ見られれば、「ああ、やっぱりうちの孫が一番かわいい」と、満足して座ったり立ったり出入りできるのでしょうけれど、私もコズさんも、子も孫も出ていないバレエを作品として見ているのです。コズさんは、演技中もおしゃべりをやめないバーサンふたりに「話したければ、ロビーでどうぞ」と注意していました。

 お金をとってのバレエ公演ではなく、「地域の文化祭にうちの孫が出る」という人にとって、他の出演者の出番などドーデモいいのでしょうけれど、他者を思いやる気持ちも持てない人の孫の踊りは、きっと衣装がかわいいだけのことと思います。あ、衣装がかわいければ、「うちの孫が一番」と満足できる人たちが見に来ているのでした。

 たぶん、田園調布の住人たちは、たとえ地域文化祭の小さな発表会であろうと、バレエ鑑賞のマナーはてっていしているんでしょうね、、、、と、田園調布の「うちらは、文化的生活をしているのよね」という街全体の雰囲気に負けマケの気分で、どうにもヒガミがとれない春庭であります。

 まあ、そんなこんなで、師走ついたち。HALセンセは、場所取り抽選会、無料の芋煮汁、等々力渓谷ハイキング、古墳見学、バレエ見物と、まさに走り回るスケジュールの一日でした。
 12月いっぱい、走りまわります。 

<つづく>
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ぽかぽか春庭「田園調布古墳群・日曜地学ハイキング」

2013-12-11 00:00:01 | エッセイ、コラム
2013/12/11
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十三里半日記12月(3)田園調布古墳群・日曜地学ハイキング

 12月1日の日曜地学ハイキング、引率の先生から「地層と人々の暮らし」というお話を伺いました。旧石器時代も、新石器の縄文時代も、稲作農耕伝播が東漸して人々が古墳に埋葬されるようになったころも、人はいくら土地が広くても、どこにでも住処を作っていたわけではなく、水の確保、気候条件、雨風や動物から身を守ることなどを考慮して、その時代に適した住処を作っていました。

 武蔵野台地は、東側に貝が漁れる海があり、縄文時代には大森貝塚などが残されました。台地の崖線(ハケ)には、清らかな水が湧き出し、住みつくに適した土地でした。
 水源を確保するため、他の部族の侵入を防ぐなど、争いもあったことでしょう。そして、土地を支配する豪族も出現しただろうなどと想像されました。
 荏原台古墳群(えばらだいこふんぐん)は、そういう豪族たちのお墓です。

 荏原台古墳群は、東京都西南部に広がっており、田園調布古墳群と野毛古墳群とがあります。全部で50基もの古墳が確認されています。
 今回のハイキングでは、多摩川台古墳公園の資料室を中心に、田園調布古墳群の亀甲山(かめのこやま)古墳などを見学しました。

 田園調布古墳群は、現在、多摩川台公園として整備されています。多摩川台は、川沿いに20m~30m高くなっている多摩川の河岸段丘で、多摩川台公園全体に古墳が広がっています。
 亀甲山古墳は、4世紀前半に築かれた前方後円墳です。鎌倉時代初期に、北条政子が亀甲山古墳の上に立ち、西にそびえる富士山に向かって夫源頼朝の武運を祈ったということから、古墳上に浅間神社が建てられました。神社の参道階段を上っていき、神社の建物が立つところが、古墳の上部にあたります。

 浅間神社の参道階段


 神社の敷地であるため、史跡指定されたあとも発掘調査は行われておらず、浄水場建設のため敷地一部を掘削したところが削られてしまっています。
 古墳であるということを知った上でながめるのでなければ、ただのこんもりした小高い山に思えます。手前にコンクリート壁が写っています。これは、浄水場建設時に前方後円墳の一部を掘削したところです。現在では使われていない浄水場。結局使わなくなったのなら、古墳を削ってしまわなくてもよかったのに、と思いますが。


 地学ハイキングは、地層、化石掘りなど、地学に関する知識を普及する目的の会ですが、近年、開発などにより化石が掘れる場所もなくなってきて、地学に関連する要素を広げながら活動を続けていると、I先生にお話をうかがいました。15年ほど前に、娘と息子が水晶や化石掘りに、あちこちに連れて行っていただいたのは、運のよいことでした。

 去年11月の「立川崖線と国分寺崖線、ハケの湧水と地層の観察」に続き、今年も、「武蔵野台地湧水周辺に築かれる古墳」という、地学とは少し離れたテーマでのハイキングになったのも、テーマを広くとっているからなのだそうです。水の湧き出る崖線が人の暮らしと深い関わりを持つことを観察するのが「古墳観察」の目的。

 私は、東京に住んで30年になるのに、田園調布といえば高級住宅地というイメージしか持たず、「田園調布古墳群」という史跡があることなどまったく知りませんでした。調べてみれば、よく行く上野公園の摺鉢山は5世紀ごろにに築かれた前方後円墳でしたし、東京タワーの足元には芝丸山古墳があるのに、摺鉢山の脇を通り抜けても、それはコンサートや美術展に行くために歩いているのであって、古墳と認識して見つめたことはなかったのです。

 私がこれまでに東京で古墳として認識して見学したのは、赤羽台第3号古墳石室が移築された横穴式古墳です。中央公園の文化センター脇に移築されているのですが、建物の脇にひっそりと目立たぬように置かれているので、脇の道を通る人で、ここが古墳の展示なのだと思って覗いている人はほとんどいません。

 近づいてよく見れば、古墳の説明があるのですが。きっと地元の小学生が社会科見学の折にながめる程度と思います。
 私も何回かこの赤羽台第3号古墳石室をガラスの見学窓から覗いて見たことはあるものの、移築展示であってもともとの古墳の場所ではないということもあって、さして古代に思いが及ぶという感想はありませんでした。

 私のふるさとの群馬では、「上つ毛の国」の史跡である古墳は県内各地にあり、人々も地元に古墳があることを誇りに思って大切に守っています。

 東京には古墳以外にたくさんの史跡があるから、観光資源にもならず、ひっそり「ちょっと小高い山」くらいに思われているのでしょう。
 田園調布を開発した渋沢栄一の邸宅は、現在の飛鳥山公園の地にありました。飛鳥山のなかにも古墳がありましたが、栄一翁は、これを「自庭の築山」として利用したそうです。田園調布開発にあたって、この地域の古墳群が平にされてしまわずに残されたことは、ありがたいことでした0。他の東京の古墳群のほとんどは、平にされて開発され、今では跡形もないのです。

 東京の地形と都市形成の関わりについて、中沢新一の『アースダイバー』を読んだとき、発想はとても面白かったけれど、なにかピンとこない部分があったのですが、専門の地学の先生の説明を聞くと、地層地形と人々の暮らしがぴったり重なって感じられました。

 多摩川台公園の中に、多摩川台古墳資料館があり、一行がそれぞれに見学しました。私は、田園調布の古代史について何も知らずに見学したので、とても興味深くおもろしろく見て回りました。
 多摩川台古墳資料館には、古墳の説明や出土品が展示され、発掘出土した古代の鏡や腕輪、鉄器などが展示されていて、館内の写真も商業利用する場合でなければ撮影して良いとのことでした。

 古墳の前で「墓前の儀式」を執り行った人々のようすを埴輪風にして並べてある展示


 多摩川台古墳資料館見学のあと、まとめのレクチャーがあり、自由解散になりました。多摩川台駅から電車に乗りたい人は、ここで解散。
 多摩川台古墳群の円墳と宝莱山古墳を見学したい人は、そちらを回ってから田園調布駅に行って、そこからそれぞれ帰宅という二手にわかれました。

 多摩川台円墳1号墳から8号墳までを、円墳の中程に続く散歩コースを通ってながめ、最後に宝莱山古墳を眺めました。


 宝莱山古墳は4世紀後半に築かれており、亀甲山古墳に眠る豪族とは親子関係にあったのかもしれない、という説明がありました。亀甲山古墳と同じく前方後円墳で、国産の四獣鏡などが出土しています。

 今回「東京の古墳」についての説明を受けながらの見学で、ようやく武蔵野台地の古代を想像することができました。
 地学ハイキングに参加したおかげで、東京の古墳を訪ねる散歩の楽しみが増えました。

<つづく>
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