20190423
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2019十九文屋日記ラストダンスはわたしと(1)心でおどるジャズダンス
ジャスダンスの練習、毎週金曜日の夜に続けています。
モダンバレエ、クラシックバレエ、ジャズダンス、、、、と遍歴しつつもダンス歴は40余年なのに、ずっとヘタのまま。いいんです。ダンスの技量ではなく、心の解放のために踊っているので、、、。
4月中旬から5月中旬まで先生はバリ島滞在となるので、サークルは自習になります。先生は、毎年春と夏と冬にバリ島で1か月ずつすごします。自習中、みなをリードするのはミサイルママです。
春庭は、去年9月に変形性膝関節炎を発症し、9~12月練習をお休みしました。だいぶ膝の痛みも取れたので、1月から練習再開したのですが、4ヶ月動かないでいた間に衰えた筋肉はもとに戻らず、練習時間90分のうち、45分は休憩。
練習後、ミサイルママたちとおしゃべりしながらの帰り道を楽しみにして、練習に参加しているようなものです。休憩している間、仲間の練習を見ながら「こころで踊っているから」と、言い訳しています。
おしゃべり帰り道。私は、子どもの体調のことなどを愚痴り、ミサイルママは、新婚生活を楽しそうに語る。
そうなんです。2017年夏にメール交換から始まったミサイルママの熟年恋愛、ついに2019年1月1日に入籍。3月から同居生活。今は新婚アツアツ生活の真っ最中です。来年までには、新しい住宅に引っ越すことになっています。
2018年9月の発表会で。
ミサイルママのうしろで振り付けをおっかけまねっこするので、常に半拍おくれた動きをするe-Na
2018年6月の公演で華麗な動きのミサイルママ
ジャズダンス仲間、金曜夜のグループのミサイルママはだいじな友人です。以前に所属していた水曜昼のグループのゆみさんは、あこがれの芸能人水織ゆみです。
ジャズダンス、いつまでたってもへたっぴいなe-Naですが、仲間からはいろいろなことを得ていて、踊れなくなっても仲間としてこのおつきあいを大切にしたいと思っています。
ゆみさんと私。
歌手としてシャンソン教室指導者として、30年以上すごしてきたゆみさんを見ていると、私もがんばろうという元気をもらえます。見上げる存在ですが、そんなゆみさんといっしょにすごした時間があること、私の宝物です。
2014年2月に開催された「水織ゆみシャンソンプチコンセール冬 吉岡弥生物語」についての感想を書きました。
「水織ゆみソロミュージカル吉岡弥生物語」の感想はこちら
http://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/m/201403
2014年3月にゆみさんの公演感想をUPしたあと、その続きで「ゆみさんと私」について書いたのですが、UPしませんでした。
NHKホールのパリ祭にも毎年出演している芸能人と「わたし、この人と知り合いなのよ」とうれしげに言う市井のおばちゃん、みっともないかなあと自制しました。
水織ゆみさんは、私にとってまぶしすぎる存在です。「そこらのオバハン」の知り合いにさせられるのは、ゆみさんには迷惑でしょうから、2014年に一度はUP自制はしたんですけれど。日ごろは、芸人さんのサイン色紙を壁にかざるラーメン屋は好かぬ、とか言っているのに、自分となると別もの。私も色紙、壁に飾ります。色紙じゃなくて写真だけど。
もう時代も変わって「平成最後の」という枕詞をつければ何でもお祭り騒ぎになるみたいなので、「平成最後のダンス写真UP」ということでお許しを。
フィギュアスケート世界大会だって、フジのアナウンサーは「平成最後の世界大会」と言っていました。ん?、世界大会なのに平成?
スケーターにとってもISUにとっても、だれも「平成最後」なんて関係なかったろうけれど、関係なくてもいいんだから、ダンサーe-NAも「平成最後のダンス姿UP」。平成4年と平成25年のダンサーe-Na。
2017年の水織ゆみ30周年記念リサイタルの感想はこちら
2014/03/27
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2014十四事日記>ゆみさんと私
「水織ゆみシャンソンプチコンセール冬」公演のあと、ロビーに出てきてファンの声援に応えているゆみさんと並んで写真を撮ってもらいました。
舞台衣装の華やかで美しいゆみさんの隣で、黒いダウンコート姿の私、一ファンの姿としてもあまりにもしょぼくれているオバハン。でも、いっしょに写してもらってうれしい。
下の写真、2013年9月に、ゆみさんといっしょに舞台に立たせていただいた、ジャズダンス発表会でのスナップです。
息子にシャッターを頼み、「母が細く見える瞬間を写すんだよ」と念をおしたのに、太めのシーンばかりが写っていました。息子が言うに「細く見える瞬間はなかった」だって。
2013年9月のゆみさん(左)と春庭(右)ダンサーネームe-Na。
マイケルジャクソンの「The way you make me feel」を踊っています。ゆみさんにいろいろ教えていただきました。
ゆみさんにメイクをしていただいたおかげなのか、ゆみさんと似た雰囲気になったと自分で思ったのはうぬぼれかしら。
いっしょに踊ったAダンスは、1982年のサークル発足以来、同じメンバーでもう30余年、週一回の練習と年1回の発表会を続けています。この年月のあいだに、ハワイアンフラが上手だったタナカさんは亡くなったし、離婚した人、子を失った人、とメンバーそれぞれに「女の人生の有為転変」を経験してきました。
そんななかで、ゆみさんも家業の不振で駅前の自宅を売らなければならなくなったり、さまざまな試練がありました。しかし、この30年のあいだに、ご自身の才能と努力で、シャンソン歌手としてデビューを果たし、シャンソン教室でお弟子さんたちを指導し、ジャズダンスやフラメンコの練習を続けてきたのです。
発表会のときは、当日まで振り付けを教えてくれたり、私のいいかげんなメイクをさっとなおして舞台向けの顔になおしてくださったり、ほんとうにゆみさんにはお世話になりっぱなしです。
ゆみさんに1984年に初めて会ってから、ちょうど30年になります。ついでに、思い出の舞台スナップをUPします。今よりは細かったころの証拠写真として。
アメリカアメリカを踊っている1992年の春庭(左)とゆみさん(右)

40代のふたり。ふたりとも今よりはまだ細かった。
1992年のゆみさんと春庭とミサイルママ。ハイレグレオタードを平気できていた頃がなつかしい。
ミサイルママ(左)と、ゆみさん(中央)と、春庭(右)
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20190407
1992年から幾年月。
歌手水織ゆみさんはシャンソンの訳詞が認められて、日本訳詞家協会の理事としても活躍しています。
水織ゆみ30周年記念リサイタルの感想はこちらに。
https://blog.goo.ne.jp/hal-niwa/e/d197ff85d5c023a8af72224c3a7bc8e3
ミサイルママは、昔と変わらずほっそりです。どうやって体型を保っていられるのか聞いてみました。お母様も妹さんも、一族みんな年取るにつれ細くなるのだそうです。それを聞いて、あれま、遺伝子ならしかたないとあきらめがつきました。我が一族、母も妹も子供を産んだあとは、どんどん太くなっていく家系ですから。DNAには勝てぬと、今日もおせんべいぼりぼり。
2016年6月、白金植物園散歩、ミサイルママと。
2019年春、新婚生活花盛りのミサイルママ。e-Naとの「第3水曜日大人の遠足」に出かける回数は少なくなると思いますが、金曜日夜のおしゃべりタイムは続きます。動ける限り、いっしょに踊りましょうね。
2019年3月20日第3水曜日は、世界フィギュアスケート大会をいっしょに見ました。新婚のお祝いにS席チケットをプレゼントしたのは、「たまにはご主人を一人にしておいて、私と遊びに出かける時間を作ってね」というアピール。
1984年から30年以上教えていただいているミワ先生は、癌サバイバー。「手術から4年半の健診に行ってきたら、異常なしでした」という報告もありました。ミサイルママとは「体が動くかぎり、いっしょに踊ろうね」と約束しています。
動けなくなるその日まで、「ラストダンスはわたしと!」
あ、でもミサイルママは「ラストダンスは当然彼と踊るわよ」と言うかも。ありゃりゃ、私のラストダンスはどうなる。
<つづく>