2011/04/29
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年4月>挑戦を続ける人々(1)あこさんとけいこさん
4月25日、2週間遅れで始まった新学期。やはり、日本に戻ってこない留学生もいます。私立の中国人留学生の中には、「日本に行かないで、と泣いている親を振り切って、再入国した。とにかく卒業を目指して留学を続ける」と語った学生もいました。親にしてみれば、放射能の危険はまだ去っていないだから、我が子を引き留めたいのも仕方のないところでしょう。うちの息子が原発事故を起こしている国へ留学しようとしたら、、、、逆の立場なら親として心配がつのる気持ちはわかります。
国費留学生のミシェル君、フランスでは箱入り息子だったようで、日本留学で羽を伸ばし、男性ファッション誌のモデルのアルバイトが楽しいと言っていたのですが、留学中止を決定しました。今期も彼を受け持つ予定だったのに、会えなくなって残念です。
さまざまな分野で変更がありました。3月に東京で開催されるはずだったフィギュアスケートの世界選手権、ロシア開催に変更し日本選手の挑戦が始まりました。開催時期が一ヶ月先送りになったことがよかった選手もいたし、調整がうまくいかなかった選手もいたでしょうが、日本男子3選手の中で一番若い小塚崇彦が銀メダルを獲得。靴のアクシデントがあった高橋選手やジャンプミスをしてしまった織田選手も、これからも挑戦を続けていくことでしょう。
3月11日に大地震が起こる前の日のこと。3月10日木曜日は、視覚障害の友人アコさんのガイドヘルプをしました。
アコさんは、昨年大阪に引っ越しました。一人で白杖で歩くには練習が必要で、大阪では、まだ慣れていない道を歩くことが難しい。ようやく最寄り駅まで往復できるようになったとか。
大好きなお芝居を観るのも、慣れていない大阪の劇場ではなく、東京の劇場まで新幹線に乗ってやってきます。新幹線なら、駅の中は駅員さんが親切に案内してくれるから大丈夫だし、駅を出たあとは知人友人の誰かがガイドヘルプをするので、なんとかなる。
私のガイドヘルプ担当は、「赤羽駅から王子駅までの電車と王子駅から東京都総合身障者スポーツセンター宿泊所」までの案内です。アコさんは「視覚障害者の観劇を推進する会」を主宰し、いろいろなお芝居を観て歩いています。私も12日土曜日の公演にお誘いいただいたのですが、生憎と12日土曜日13日日曜日は研究会への出席が先約でありました。それで、アコさんの宿「障害者スポーツセンター宿泊所」への送り迎えのガイドヘルプを引き受けました。
しかし、アコさんは12日に予定されていたお芝居を観ることなく大阪へ戻りました。11日12日の交通マヒの中、帰宅難民も出た東京からの脱出、視覚障害の不自由な身で、たいへんだったろうと思います。よくぞご無事で帰阪できたと胸をなで下ろしました。
翌日がたいへんな日になるとは予想もせず、10日の夜はアコさんとのんびりすごしました。障害者スポーツセンター宿泊所にチェックインしてから、歩いて10分ほどのところにある、アコさんの友人の鈴木敬子さんのお宅を訪問しました。鈴木敬子さんは昨年末に自伝エッセイを出版しました。私も一冊購入し、サインしてもらいました。
敬子さんは、脳性マヒで車椅子生活、56年間。差別に耐え、福祉関係の役所と闘い、一人で自立して暮らす福祉を望んできました。併発の腎臓病が悪化して臨死体験するなど、つらい生活のなか、いつもにこにこの笑顔で暮らす敬子さん。身障者福祉にも歯に衣着せぬ意見を述べています。
『車いすひとり暮らし』、ぜひご一読を。できるなら、ご近所の図書館にリクエストを出して下さい。今、図書館購入予算が減らされているところが多く、ベストセラーの希望ばかりが優先されてしまいます。このような良書こそ、リクエストしてください。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3962817
この本が並みの「自分史」とは違うのは、車椅子障碍者として生きてきた本音を語っているからです。苦労話を自慢していない。読む価値はある。少なくとも、障碍者教育に携わろうと志す学生には、必読。車椅子でも「五体不満足」の乙武君のように優れた能力を発揮でき環境に恵まれた人だけでない。都営住宅で、老人介護を受けている老親とふたり暮らしで、それでも毅然として人権を訴える、「フツーの障碍者」の視線を知ってほしい。
視覚障害者のアコさんは、「視覚障害者にも晴眼者と同じように演劇を楽しむ機会を与えて欲しい」と、活動を続けています。読書に関しては、私も図書館音読サービスをしてきたし、全国でもかなり視覚障害者の読書環境はよくなってきました。特にパソコンの読み上げソフトは機能が向上しています。しかし、生の演劇を見る際に、視覚障害者のための音声ガイドはまだまだ不足しています。
アコさんは、視覚障害者が「憲法で保障されている文化的で健康的な生活」をすごすために闘かい続け、敬子さんは、車いす生活者が自立して生きていける環境を求めて闘い続けています。ふたりとも、本当に尊敬できる闘士だと思います。
今日できることでも「明日で間に合うことは明日すればよい」というぐずぐずな生活をおくる私。軟弱者の私でも、闘うふたりの姿を見ていれば、よし、私も少しはがんばるか、という気になります。
近年、アメリカで「ハンディキャップド」に代わって「チャレンジド」という語が障害を持つ人々を表すことばとして用いられるようになっています。「神様からチャレンジという使命を与えられた人」「試練に挑戦する使命を与えられた人」という意味です。視覚障害を持つ教師、塙啓一郎(佐々木蔵之介主演)を主人公とするNHK土曜ドラマのタイトルが『チャレンジド』だったので、多くの人に知られるようになってきた外来語です。
障害者と漢字表記すると「害」という文字が嫌だから「障がい者」と書きたい、という人、「障碍者」と書くと言う人、日本語漢字熟語の「障害者」は、文字へのこだわりがあり、使いたくない人もいるのです。
外来語嫌いの人もいるでしょうが、「障壁に挑戦する人々」という意味のチャレンジドが広まっていくといいと思います。
私の姪の息子もチャレンジドのひとり。4月に入学した養護学校高等部でパン作りに挑戦しています。夫の姪のお連れ合いも車椅子のチャレンジド。2児のパパさんとして挑戦中。
<つづく>
00:21 コメント(2) ページのトップへ
2011年04月30日
ぽかぽか春庭「チャレンジド青い鳥」
2011/04/30
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年4月>挑戦を続ける人々(2)チャレンジド青い鳥
挑戦を続け、闘い続けるチャレンジドとして尊敬する人のひとりが、九州に住むハンドルネーム「青い鳥ちるちる」さん。カフェ日記に詩を載せているのを読ませてもらってきたウェブ友です。オフラインで実際に会ったのは2度だけですけれど、私にとっては心の師匠ともいえる人。
ちるちるさんと2度目にあったのは、2008年7月のことでした。東京の病院に入院して、脳性マヒによる痛みを軽減するために手術を受けたのでした。
脳性マヒの車いす生活で、身体のあちこちに負担が出て痛みが出てきていたのを、手術すれば、もしかしたら杖で身体を支えて自力で歩けるまでに回復できるかもしれない、と、明るく希望を語っていました。
この日の思い出は下記につづってあります。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/diary1st.cgi?ppid=haruniwa&num=1607&mode=edit
2008年の暮れに九州の病院で再手術を受けたあと、2009年も入院を続けてリハビリも頑張っていて、手が前より動かせるようになった、など喜んでいたのに、2009年9月に、突然症状が悪化し、首から下がまったく動かない、という事態に至りました。以来寝たきりで入院介護を受けていましたが、長引く入院生活のため退院され、2010年8月から自宅での24時間介護生活に変わりました。
妹さんの献身的な看護がつづき、ヘルパーさんが24時間体制で介護してくれているとはいえ、一時は声も出せなくなったそうです。首から下がまったく動かず声も出ないとなると、意志を伝えるにもどれほど不自由だったことだろうと思います。
しかし、ちるちるさんは未来を諦めたことがないのです。
2011日3月には、新ホームページを立ち上げて、「声が出せるようになった」と、自作の詩「どーんと来い」を朗読して、ホームページ上に公開してくれました。
この詩『ど~んと来い』は、ヘルパーさんたちが絵やキーボード打ちなどをボランティア分担し、カレンダーに仕立てられました。このカレンダーは、新年のごあいさつとともに青い鳥さんからのご年賀として配布されました。私も壁に貼って、励みにもしてきたカレンダーです。
その詩を朗読して「声がだせた」と希望を語るちるちるさん。
ほんとうにすばらしいチャレンジャーだなあと思います。
「早く指が動くまでに回復して、自分でパソコンを操作したい」というのが、声の回復の次のリハビリ目標です。
ちるちるさんを思うと、「挑戦者」とは本当にちるちるさんのような気高い精神を持って生き抜いている人のことをいう言葉だなあと思います。
私は言葉で応援するしかできないのだけれど、挑戦し続けるちるちるさんを、いっしょうけんめい応援します。ちるちるさんの朗読を聞くことが私の応援です。
ちるちるさんの「詩の朗読」ホームページです。
http://chiruchiru77.blog.bbiq.jp/blog/
4月9日、ちるちるさんからメールが届きました。春庭への詩のプレゼント。
===============
春さんのために おまじない☆☆☆(笑)
「 心の笑顔 」 2011.4.8
心細く ふるえる
不安がいっぱい つまっていく
あったか〜い息を
心にふ〜〜〜〜っと吹きかけてみた
ふわふわっと心に
しろーい光たちが集まってくる
ぱっと火を灯すと
ゆらゆらと燃えだす
蝋燭の光でも
あったかいね・・
ふるえなんか とまったよ・・
心の笑顔が春となる
希望の花が咲きだすよ・・
明日を信じて 生きていこう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たった今 できたてほやほやの おまじないです(笑
春さんを想って書きました
===============
青い鳥ちるちるさん、すてきな詩、うれしいです。明日、希望の花が咲くように「春庭の心のおまじない」にしていきますね。
ちるちるさんにはふたりの妹さんがいます。ひとりは5才下。ひとりは双子の妹さんなので同じ年。同じ年齢の妹がいるなら、年上の妹がいてもいいかなと、私は年上の妹にしてもらおうと決めています。
私の夫の姉は7歳年下の人と結婚したので、私にとっても7歳年下の義兄ができました。私の年齢はちるちるさんより一歳年上ですけれど、三人目の妹だと思っています。
ちるちる姉さんは、私の心が冷えて固まってきたとき、ふうっと温かい息をかけてくれます。そんな姉さんを持っている私は、幸運です。
<つづく>
2011/05/01
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年5月>挑戦を続ける人々(3)ビ・キドゥデの歌
4月29日から5月8日まで、連続10日間ゴールデンウイークという会社も多く、息子の大学のように、5月2日は、休みにして、その代わり海の日7月18日は授業がある、などの措置をとっている学校もあります。
海外旅行の話題でにぎわう平年のゴールデンウィークに比べ、「震災復興ボランティア」に参加する学生社会人の話題が新聞紙面に載るのも、頼もしいことです。2011年のゴールデンウイークに瓦礫撤去や炊き出し、子ども会の手伝い、どんな形であれ被災地でともにすごしたという体験は一生の思い出になるだろうと思います。
一方、私が月曜日金曜日に出講しているのは国立大学なので、5月2日も5月6日も、暦通り授業があります。ゴールデンウイークは飛び石で3連休が2回。5月6月7月は、土曜日は4月に出来なかった授業の振り替え出講日があり、これから先、週6日働くことが続くので、このゴールデンウイークも、体力維持の日々にあてます。要するに寝てよう日。
留学生が少なくなった教室ですが、少人数クラスだからこそできる手厚い教育をしていこうと、講師たちは熱を入れ、休日返上で授業準備です。授業スケジュールがずいぶん変更になりました。
春庭担当の「音響音声学」という授業、授業を引き受けた最初のころは、日本語音声学のみを扱っていましたが、自分の勉強も兼ねて、音響学の物理学的な部分も少しずつやっています。フーリエ解析なんていうのを、四苦八苦しながら理解しようとしていますが、数字や数式が出てきたら私の脳はストップしてしまいます。
で、???となってしまう脳を立て直すために、2010年は「世界の音響」というコーナーで、民族楽器やワールドミュージックを学生に聞かせるようにしてきました。アフリカ音楽や南太平洋の楽器などを紹介し、学生に世界の音楽はロックやラップばかりではないことを知らせました。
NHKで2008年3月に放送されたドキュメンタリー番組「はだしの歌姫の一世紀~ザンジバル・風待ちの島で~」の再放送を、2011年2月17日に見ました。(10:00~11:50)語り、樹木希林。
伝説の歌姫ビ・キドゥデの歌声とインタビューに合わせて18世紀からのザンジバルの歴史を紹介しています。
ザンジバルのディーバ。スワヒリの歌姫ビ・キドゥデBi Kidude。1905~1910年頃にザンジバル島に生まれました。イスラム教の島ザンジバルには、黒人の出生を記録する書類はないのですが、彼女の記憶などを総合して2008年には「推定95歳」と判断されました。2011年の今ではおそらく98歳。100歳近いビ・キドゥデは、ザンジバル現代史の生き証人であり、東アフリカ・スワヒリミュージック「ターブラ」の現役の歌手。(「ビ」は、フランス語の「マダム」にあたる女性敬称です)
ビ・キドゥデは、世界のワールドミュージックシーン、民族音楽の分野ではたいへんな有名人であり、人々の尊敬を集めている偉大な歌手。10歳から歌い始め、2011年の今年もザンジバルのアフリカ音楽祭Sauti za Busara(知恵の歌)に出演し、元気な歌声を聞かせたそうです。
ワールドミュージックやスワヒリ世界に興味を持ってきた私なのに、ターブラの大スター、ビ・キドゥデが来日したときも2008年のドキュメンタリー放送のときもまったく気づかなくて2月17日の再放送を見て、びっくりしたのです。すごい人がいたもんだ。最初の30分ほどを見逃していました。お茶碗を洗いながら何か聞いていようと思ってたまたまスイッチを入れ、途中から見たのです。でも、お茶碗を洗うのをやめて、テレビの前に居ずまい正して見ました。
ワールドミュージックの公演にヨーロッパをはじめ世界を訪れているビ・キドゥデ。日本へも2度来ており、浅草がたいへんお気に召したそうです。
ビ・キドゥデは100年の歳月を生き、90年にわたって歌い続けてきました。彼女の歌声は、しわがれてはきているけれど、魂をゆさぶる響きを持っています。
CDも発売し、ワールドツアーにも参加してずいぶんとお金も稼いだけれど、それらはほとんどを親戚や近所の子供達にあげてしまうから、今でも彼女は普段は靴も履かずに裸足で歩き回る。舞台衣装のほかは着慣れたぼろシャツとカンガ(腰巻き布)ですごす。贅沢な暮らしをしようなんて考えたこともない。今の暮らしで十分に幸せだから。
自由に歌って、近隣の人々と何でも分けあって、笑って、怒って、ビ・キデゥデは日々を生きていく。
彼女が挑戦し闘ってきたのは、イスラム女性に課せられた古い因習や、歌や踊りを業とする女性への蔑視。ビ・キドゥデは煙草も好きなだけ吸うし、男どものいいなりの生き方なんぞしてこなかった。ビ・キドゥデは、98歳の今日も自由な女性の生き方を求めて、ザンジバルの路地を闊歩しています。
2010年のビ・キドゥデの歌
http://www.youtube.com/watch?v=-ZWVsABF_LQ&feature=related
2004年、推定91歳のビ・キドゥデの歌
http://www.youtube.com/watch?v=bxBf5z3eoqo&feature=related
踊る百歳
http://www.youtube.com/watch?v=JGM5pvdEhHo&feature=related
食事中、インタビューにスワヒリ語で答えるビ・キドゥゲ
http://www.youtube.com/watch?v=9rRamLcy2tA&feature=related
「はだしの歌姫の一世紀~ザンジバル・風待ちの島で~」の内容は以下のブログ(タンザニア在住のジャパンタンザニアツアーズという旅行社のスタッフによる)に詳しく書かれているので、参照して下さい。
http://jatatours.intafrica.com/habari73.html
ビ・キドゥデは、彼女にできること「歌うこと踊ること」を90年間、続けてきた。歌って稼いだ分は隣近所に分け与えて、自分は何一つ抱え込むことなくさらりと生きてきました。私も、私にできること「日本語と日本語言語文化について語ること」を続けて、稼いだ分は分かち合って生きて行く。たいした稼ぎにはなりませんが。
55歳で亡くなった母の分と54歳で亡くなった姉の分もあわせて、私は100歳まで現役でがんばりたいと思っています。挑戦を続けていきます。
目標とする100歳はたくさんいます。詩集『くじけないで』が大ベストセラーになっている 柴田トヨさんは、今年の6月で100歳。医師、日野原重明さんは10月に100歳。NHK百歳バンザイの第1回目の出演者、障害児教育者の地三郎さんは、今年105歳で、今なお講演活動に世界中を飛び回っている。
私も100歳現役を目指してこれからも毎日を生きていきます。アフリカの大地と東インド洋の広々とした海を思い浮かべると、私がアフリカですごした若かった日のエネルギーを思い出し、100才まで歌い続けるビ・キドゥデの歌声に励まされます。
よ~し!目指せ百歳現役!
挑戦!
<おわり>
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年4月>挑戦を続ける人々(1)あこさんとけいこさん
4月25日、2週間遅れで始まった新学期。やはり、日本に戻ってこない留学生もいます。私立の中国人留学生の中には、「日本に行かないで、と泣いている親を振り切って、再入国した。とにかく卒業を目指して留学を続ける」と語った学生もいました。親にしてみれば、放射能の危険はまだ去っていないだから、我が子を引き留めたいのも仕方のないところでしょう。うちの息子が原発事故を起こしている国へ留学しようとしたら、、、、逆の立場なら親として心配がつのる気持ちはわかります。
国費留学生のミシェル君、フランスでは箱入り息子だったようで、日本留学で羽を伸ばし、男性ファッション誌のモデルのアルバイトが楽しいと言っていたのですが、留学中止を決定しました。今期も彼を受け持つ予定だったのに、会えなくなって残念です。
さまざまな分野で変更がありました。3月に東京で開催されるはずだったフィギュアスケートの世界選手権、ロシア開催に変更し日本選手の挑戦が始まりました。開催時期が一ヶ月先送りになったことがよかった選手もいたし、調整がうまくいかなかった選手もいたでしょうが、日本男子3選手の中で一番若い小塚崇彦が銀メダルを獲得。靴のアクシデントがあった高橋選手やジャンプミスをしてしまった織田選手も、これからも挑戦を続けていくことでしょう。
3月11日に大地震が起こる前の日のこと。3月10日木曜日は、視覚障害の友人アコさんのガイドヘルプをしました。
アコさんは、昨年大阪に引っ越しました。一人で白杖で歩くには練習が必要で、大阪では、まだ慣れていない道を歩くことが難しい。ようやく最寄り駅まで往復できるようになったとか。
大好きなお芝居を観るのも、慣れていない大阪の劇場ではなく、東京の劇場まで新幹線に乗ってやってきます。新幹線なら、駅の中は駅員さんが親切に案内してくれるから大丈夫だし、駅を出たあとは知人友人の誰かがガイドヘルプをするので、なんとかなる。
私のガイドヘルプ担当は、「赤羽駅から王子駅までの電車と王子駅から東京都総合身障者スポーツセンター宿泊所」までの案内です。アコさんは「視覚障害者の観劇を推進する会」を主宰し、いろいろなお芝居を観て歩いています。私も12日土曜日の公演にお誘いいただいたのですが、生憎と12日土曜日13日日曜日は研究会への出席が先約でありました。それで、アコさんの宿「障害者スポーツセンター宿泊所」への送り迎えのガイドヘルプを引き受けました。
しかし、アコさんは12日に予定されていたお芝居を観ることなく大阪へ戻りました。11日12日の交通マヒの中、帰宅難民も出た東京からの脱出、視覚障害の不自由な身で、たいへんだったろうと思います。よくぞご無事で帰阪できたと胸をなで下ろしました。
翌日がたいへんな日になるとは予想もせず、10日の夜はアコさんとのんびりすごしました。障害者スポーツセンター宿泊所にチェックインしてから、歩いて10分ほどのところにある、アコさんの友人の鈴木敬子さんのお宅を訪問しました。鈴木敬子さんは昨年末に自伝エッセイを出版しました。私も一冊購入し、サインしてもらいました。
敬子さんは、脳性マヒで車椅子生活、56年間。差別に耐え、福祉関係の役所と闘い、一人で自立して暮らす福祉を望んできました。併発の腎臓病が悪化して臨死体験するなど、つらい生活のなか、いつもにこにこの笑顔で暮らす敬子さん。身障者福祉にも歯に衣着せぬ意見を述べています。
『車いすひとり暮らし』、ぜひご一読を。できるなら、ご近所の図書館にリクエストを出して下さい。今、図書館購入予算が減らされているところが多く、ベストセラーの希望ばかりが優先されてしまいます。このような良書こそ、リクエストしてください。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3962817
この本が並みの「自分史」とは違うのは、車椅子障碍者として生きてきた本音を語っているからです。苦労話を自慢していない。読む価値はある。少なくとも、障碍者教育に携わろうと志す学生には、必読。車椅子でも「五体不満足」の乙武君のように優れた能力を発揮でき環境に恵まれた人だけでない。都営住宅で、老人介護を受けている老親とふたり暮らしで、それでも毅然として人権を訴える、「フツーの障碍者」の視線を知ってほしい。
視覚障害者のアコさんは、「視覚障害者にも晴眼者と同じように演劇を楽しむ機会を与えて欲しい」と、活動を続けています。読書に関しては、私も図書館音読サービスをしてきたし、全国でもかなり視覚障害者の読書環境はよくなってきました。特にパソコンの読み上げソフトは機能が向上しています。しかし、生の演劇を見る際に、視覚障害者のための音声ガイドはまだまだ不足しています。
アコさんは、視覚障害者が「憲法で保障されている文化的で健康的な生活」をすごすために闘かい続け、敬子さんは、車いす生活者が自立して生きていける環境を求めて闘い続けています。ふたりとも、本当に尊敬できる闘士だと思います。
今日できることでも「明日で間に合うことは明日すればよい」というぐずぐずな生活をおくる私。軟弱者の私でも、闘うふたりの姿を見ていれば、よし、私も少しはがんばるか、という気になります。
近年、アメリカで「ハンディキャップド」に代わって「チャレンジド」という語が障害を持つ人々を表すことばとして用いられるようになっています。「神様からチャレンジという使命を与えられた人」「試練に挑戦する使命を与えられた人」という意味です。視覚障害を持つ教師、塙啓一郎(佐々木蔵之介主演)を主人公とするNHK土曜ドラマのタイトルが『チャレンジド』だったので、多くの人に知られるようになってきた外来語です。
障害者と漢字表記すると「害」という文字が嫌だから「障がい者」と書きたい、という人、「障碍者」と書くと言う人、日本語漢字熟語の「障害者」は、文字へのこだわりがあり、使いたくない人もいるのです。
外来語嫌いの人もいるでしょうが、「障壁に挑戦する人々」という意味のチャレンジドが広まっていくといいと思います。
私の姪の息子もチャレンジドのひとり。4月に入学した養護学校高等部でパン作りに挑戦しています。夫の姪のお連れ合いも車椅子のチャレンジド。2児のパパさんとして挑戦中。
<つづく>
00:21 コメント(2) ページのトップへ
2011年04月30日
ぽかぽか春庭「チャレンジド青い鳥」
2011/04/30
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年4月>挑戦を続ける人々(2)チャレンジド青い鳥
挑戦を続け、闘い続けるチャレンジドとして尊敬する人のひとりが、九州に住むハンドルネーム「青い鳥ちるちる」さん。カフェ日記に詩を載せているのを読ませてもらってきたウェブ友です。オフラインで実際に会ったのは2度だけですけれど、私にとっては心の師匠ともいえる人。
ちるちるさんと2度目にあったのは、2008年7月のことでした。東京の病院に入院して、脳性マヒによる痛みを軽減するために手術を受けたのでした。
脳性マヒの車いす生活で、身体のあちこちに負担が出て痛みが出てきていたのを、手術すれば、もしかしたら杖で身体を支えて自力で歩けるまでに回復できるかもしれない、と、明るく希望を語っていました。
この日の思い出は下記につづってあります。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/member/diary1st.cgi?ppid=haruniwa&num=1607&mode=edit
2008年の暮れに九州の病院で再手術を受けたあと、2009年も入院を続けてリハビリも頑張っていて、手が前より動かせるようになった、など喜んでいたのに、2009年9月に、突然症状が悪化し、首から下がまったく動かない、という事態に至りました。以来寝たきりで入院介護を受けていましたが、長引く入院生活のため退院され、2010年8月から自宅での24時間介護生活に変わりました。
妹さんの献身的な看護がつづき、ヘルパーさんが24時間体制で介護してくれているとはいえ、一時は声も出せなくなったそうです。首から下がまったく動かず声も出ないとなると、意志を伝えるにもどれほど不自由だったことだろうと思います。
しかし、ちるちるさんは未来を諦めたことがないのです。
2011日3月には、新ホームページを立ち上げて、「声が出せるようになった」と、自作の詩「どーんと来い」を朗読して、ホームページ上に公開してくれました。
この詩『ど~んと来い』は、ヘルパーさんたちが絵やキーボード打ちなどをボランティア分担し、カレンダーに仕立てられました。このカレンダーは、新年のごあいさつとともに青い鳥さんからのご年賀として配布されました。私も壁に貼って、励みにもしてきたカレンダーです。
その詩を朗読して「声がだせた」と希望を語るちるちるさん。
ほんとうにすばらしいチャレンジャーだなあと思います。
「早く指が動くまでに回復して、自分でパソコンを操作したい」というのが、声の回復の次のリハビリ目標です。
ちるちるさんを思うと、「挑戦者」とは本当にちるちるさんのような気高い精神を持って生き抜いている人のことをいう言葉だなあと思います。
私は言葉で応援するしかできないのだけれど、挑戦し続けるちるちるさんを、いっしょうけんめい応援します。ちるちるさんの朗読を聞くことが私の応援です。
ちるちるさんの「詩の朗読」ホームページです。
http://chiruchiru77.blog.bbiq.jp/blog/
4月9日、ちるちるさんからメールが届きました。春庭への詩のプレゼント。
===============
春さんのために おまじない☆☆☆(笑)
「 心の笑顔 」 2011.4.8
心細く ふるえる
不安がいっぱい つまっていく
あったか〜い息を
心にふ〜〜〜〜っと吹きかけてみた
ふわふわっと心に
しろーい光たちが集まってくる
ぱっと火を灯すと
ゆらゆらと燃えだす
蝋燭の光でも
あったかいね・・
ふるえなんか とまったよ・・
心の笑顔が春となる
希望の花が咲きだすよ・・
明日を信じて 生きていこう
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たった今 できたてほやほやの おまじないです(笑
春さんを想って書きました
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青い鳥ちるちるさん、すてきな詩、うれしいです。明日、希望の花が咲くように「春庭の心のおまじない」にしていきますね。
ちるちるさんにはふたりの妹さんがいます。ひとりは5才下。ひとりは双子の妹さんなので同じ年。同じ年齢の妹がいるなら、年上の妹がいてもいいかなと、私は年上の妹にしてもらおうと決めています。
私の夫の姉は7歳年下の人と結婚したので、私にとっても7歳年下の義兄ができました。私の年齢はちるちるさんより一歳年上ですけれど、三人目の妹だと思っています。
ちるちる姉さんは、私の心が冷えて固まってきたとき、ふうっと温かい息をかけてくれます。そんな姉さんを持っている私は、幸運です。
<つづく>
2011/05/01
ぽかぽか春庭十一慈悲心鳥日記2011年5月>挑戦を続ける人々(3)ビ・キドゥデの歌
4月29日から5月8日まで、連続10日間ゴールデンウイークという会社も多く、息子の大学のように、5月2日は、休みにして、その代わり海の日7月18日は授業がある、などの措置をとっている学校もあります。
海外旅行の話題でにぎわう平年のゴールデンウィークに比べ、「震災復興ボランティア」に参加する学生社会人の話題が新聞紙面に載るのも、頼もしいことです。2011年のゴールデンウイークに瓦礫撤去や炊き出し、子ども会の手伝い、どんな形であれ被災地でともにすごしたという体験は一生の思い出になるだろうと思います。
一方、私が月曜日金曜日に出講しているのは国立大学なので、5月2日も5月6日も、暦通り授業があります。ゴールデンウイークは飛び石で3連休が2回。5月6月7月は、土曜日は4月に出来なかった授業の振り替え出講日があり、これから先、週6日働くことが続くので、このゴールデンウイークも、体力維持の日々にあてます。要するに寝てよう日。
留学生が少なくなった教室ですが、少人数クラスだからこそできる手厚い教育をしていこうと、講師たちは熱を入れ、休日返上で授業準備です。授業スケジュールがずいぶん変更になりました。
春庭担当の「音響音声学」という授業、授業を引き受けた最初のころは、日本語音声学のみを扱っていましたが、自分の勉強も兼ねて、音響学の物理学的な部分も少しずつやっています。フーリエ解析なんていうのを、四苦八苦しながら理解しようとしていますが、数字や数式が出てきたら私の脳はストップしてしまいます。
で、???となってしまう脳を立て直すために、2010年は「世界の音響」というコーナーで、民族楽器やワールドミュージックを学生に聞かせるようにしてきました。アフリカ音楽や南太平洋の楽器などを紹介し、学生に世界の音楽はロックやラップばかりではないことを知らせました。
NHKで2008年3月に放送されたドキュメンタリー番組「はだしの歌姫の一世紀~ザンジバル・風待ちの島で~」の再放送を、2011年2月17日に見ました。(10:00~11:50)語り、樹木希林。
伝説の歌姫ビ・キドゥデの歌声とインタビューに合わせて18世紀からのザンジバルの歴史を紹介しています。
ザンジバルのディーバ。スワヒリの歌姫ビ・キドゥデBi Kidude。1905~1910年頃にザンジバル島に生まれました。イスラム教の島ザンジバルには、黒人の出生を記録する書類はないのですが、彼女の記憶などを総合して2008年には「推定95歳」と判断されました。2011年の今ではおそらく98歳。100歳近いビ・キドゥデは、ザンジバル現代史の生き証人であり、東アフリカ・スワヒリミュージック「ターブラ」の現役の歌手。(「ビ」は、フランス語の「マダム」にあたる女性敬称です)
ビ・キドゥデは、世界のワールドミュージックシーン、民族音楽の分野ではたいへんな有名人であり、人々の尊敬を集めている偉大な歌手。10歳から歌い始め、2011年の今年もザンジバルのアフリカ音楽祭Sauti za Busara(知恵の歌)に出演し、元気な歌声を聞かせたそうです。
ワールドミュージックやスワヒリ世界に興味を持ってきた私なのに、ターブラの大スター、ビ・キドゥデが来日したときも2008年のドキュメンタリー放送のときもまったく気づかなくて2月17日の再放送を見て、びっくりしたのです。すごい人がいたもんだ。最初の30分ほどを見逃していました。お茶碗を洗いながら何か聞いていようと思ってたまたまスイッチを入れ、途中から見たのです。でも、お茶碗を洗うのをやめて、テレビの前に居ずまい正して見ました。
ワールドミュージックの公演にヨーロッパをはじめ世界を訪れているビ・キドゥデ。日本へも2度来ており、浅草がたいへんお気に召したそうです。
ビ・キドゥデは100年の歳月を生き、90年にわたって歌い続けてきました。彼女の歌声は、しわがれてはきているけれど、魂をゆさぶる響きを持っています。
CDも発売し、ワールドツアーにも参加してずいぶんとお金も稼いだけれど、それらはほとんどを親戚や近所の子供達にあげてしまうから、今でも彼女は普段は靴も履かずに裸足で歩き回る。舞台衣装のほかは着慣れたぼろシャツとカンガ(腰巻き布)ですごす。贅沢な暮らしをしようなんて考えたこともない。今の暮らしで十分に幸せだから。
自由に歌って、近隣の人々と何でも分けあって、笑って、怒って、ビ・キデゥデは日々を生きていく。
彼女が挑戦し闘ってきたのは、イスラム女性に課せられた古い因習や、歌や踊りを業とする女性への蔑視。ビ・キドゥデは煙草も好きなだけ吸うし、男どものいいなりの生き方なんぞしてこなかった。ビ・キドゥデは、98歳の今日も自由な女性の生き方を求めて、ザンジバルの路地を闊歩しています。
2010年のビ・キドゥデの歌
http://www.youtube.com/watch?v=-ZWVsABF_LQ&feature=related
2004年、推定91歳のビ・キドゥデの歌
http://www.youtube.com/watch?v=bxBf5z3eoqo&feature=related
踊る百歳
http://www.youtube.com/watch?v=JGM5pvdEhHo&feature=related
食事中、インタビューにスワヒリ語で答えるビ・キドゥゲ
http://www.youtube.com/watch?v=9rRamLcy2tA&feature=related
「はだしの歌姫の一世紀~ザンジバル・風待ちの島で~」の内容は以下のブログ(タンザニア在住のジャパンタンザニアツアーズという旅行社のスタッフによる)に詳しく書かれているので、参照して下さい。
http://jatatours.intafrica.com/habari73.html
ビ・キドゥデは、彼女にできること「歌うこと踊ること」を90年間、続けてきた。歌って稼いだ分は隣近所に分け与えて、自分は何一つ抱え込むことなくさらりと生きてきました。私も、私にできること「日本語と日本語言語文化について語ること」を続けて、稼いだ分は分かち合って生きて行く。たいした稼ぎにはなりませんが。
55歳で亡くなった母の分と54歳で亡くなった姉の分もあわせて、私は100歳まで現役でがんばりたいと思っています。挑戦を続けていきます。
目標とする100歳はたくさんいます。詩集『くじけないで』が大ベストセラーになっている 柴田トヨさんは、今年の6月で100歳。医師、日野原重明さんは10月に100歳。NHK百歳バンザイの第1回目の出演者、障害児教育者の地三郎さんは、今年105歳で、今なお講演活動に世界中を飛び回っている。
私も100歳現役を目指してこれからも毎日を生きていきます。アフリカの大地と東インド洋の広々とした海を思い浮かべると、私がアフリカですごした若かった日のエネルギーを思い出し、100才まで歌い続けるビ・キドゥデの歌声に励まされます。
よ~し!目指せ百歳現役!
挑戦!
<おわり>